November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。No.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

Dvc00351-2

| | | Comments (0)

November 28, 2021

トラップコイル?ローディングコイル?

Dvc00339  それで実際にこのトラップコイルのLを測定してみると相当大きな数値であることがわかりました。昔から使っている(主に電解コンデンサの容量チェックにしか使っていませんでしたが)LCRメーターが出てこないので、3年ほど前に購入したオートマチックのトランジスタチェッカーを使用しました。レンジなと切り換えること無くLCRも自動判別され、そこに表示された値はなんと0.8mH。普通に自作する7MHzトラップコイルではこんなに大きな値は使わないはずです。それでHEMMIのNo.266を大昔に厚木のオリジナルJA1コールのOMさんから譲っていただいた本来の目的通りに7MHzに同調するLが0.8mHのときのCがどれくらいかとまず滑尺の右端を7MHzに合わせた後、カーソルを移動して下固定尺のLを0.8mHに合わせ。滑尺上のCの値を読み取るとなんと1pFよりも小さい値の0.65よりもやや右寄りなので0.64pFくらいに読めるのですが、実際に1/(2π√LC)で計算機を叩くと単位換算が面倒くさいのですが7.08MHzに同調する切れの良い数字で0.63pFと出ました。計算尺侮ることなかれですが、0.64と0.63の差なんて実際のキャパシタの誤差からしたら意味のない違いです。
Dvc00345  そもそも7MHzのトラップコイルを自作しようとしたらLは1μHくらいに設定してCは50pFくらいに設定するのではないでしょうか?0.8mHのコイルを7MHzに同調させようとしてもLが大きい分だけCの値が少し狂っただけで同調周波数が大きく狂ってしまうのです。やはりこの呪われたアンテナのコイルはトラップコイルにあらず、単なる3.5MHzダイポールアンテナのローディングコイルであり、7MHzに同調させてコイルより先を遮断するのではなく、常に3.5MHzのアンテナとして動作し、また2倍波の7MHzもちゃんと同調するように設計されているということらしいです。そうなるとSWRが怪しいのはエレメントの断線や接触不良、さらにはバラン内部で巻線が焼ききれていないかなどのチェックですが、もう雪が積もったり解けたりを繰り返す季節になり、とてもこれから屋根に登って降りての作業をする気にもなりません。こいつは春までダメそうだ。しかし残念なのは今回もディップメーターの出番がなかったこと…。材料ありますからこないだ階段脇から発見した塩ビの排水管の切れ端使って7MHzのトラップコイルを冬ごもり中に実際に自作してみましょう。

| | | Comments (0)

November 27, 2021

呪われたダイポールアンテナのコイル修復

 先日、雪が来る前にとりあえず上げてしまった7/3.5のダイポールアンテナはやはり呪われてました。なんとなくおかしいなとは思っていたのですが、上げてからSWRなんか測ればいいやと思っていたものの、トラップはLCで構成されていなければいけないのに経年劣化かそれとも出品者に知識がなくて見栄えが悪いから取ってしまったのか、それともそもそも受信用にしていただけのアンテナだったのか。それで手動式のアンテナチューナーを使うにしても7MHzはとんでもなく離調したポイントでなんとかSWRが落ちるものの、3.5MHzはまったくダメ。なんとコイルに「C」に該当する物がありませんでした。コイルのL巻線が切れてはいないと思うのですが(わかりませんが)、C分を追加して7MHzに同調させるようにしないとダメです。そのため、アンテナを一旦降ろしてトラップコイル部分のLを測定して、7MHzに同調するようなCの容量を計算しなければいけないわけで。同調周波数を求める計算は1/(2π√LC)というのは上級ハム試験の無線工学でも基本中の基本公式なので知らない人はいないと思うのですが、これがLをどう動かしたらCがどう変わるのかというのをいちいち数値を当てはめながら計算するというのは非常に面倒くさいものです。その同調周波数を設定してしまえばLとCの組み合わせが連続して直読出来るというのは計算尺に限ります。それも何ら単位の読み換えなし値が読めるのはHEMMI計算尺のNo.266の独壇場です。(ただ大体の目安にしかならないので、ピンポイントな目的周波数に対するLCの組み合わせの正確な数値は実際に計算機を叩いてみる必要があります。)
 その操作というのも滑尺を引いて右端f0を7MHz(うちのNo.266は2本ともMcですが)に合わせ、滑尺上のCfと固定尺のLにそれぞれの値が読み取れるというもの。そのため、コイルのLを測定器で測定さえすれば計算尺上にそれに合致したCの値が読み取れ、同軸ケーブルを使ったキャパシタでそれを製作するということ。おおよその目安として5D2Vが1cmあたり容量1pFらしいので、大体の長さを切り出して芯線と網線間の容量をカットアンドトライで測定し、目標値のCを得ればよいわけです。それでLCが組み合わさればあとはディップメーターを使って同調周波数を測定するというプロセスですが、そもそもこのNo.266を厚木のJA1コールのOMさんの好意で譲ってもらったのも、ディップメーターを入手したものそもそもは自作のトラップコイルを作りたかったゆえなのです。しかし、いつのまにやら計算尺のほうが面白くなってしまって本末転倒、今まで本来の目的のトラップコイル作りを放り出してしまっていたわけなのですが、呪いのアンテナのおかげで今になってトラップコイルに手を出さなければいけなくなったというのは夏休みの最終日になって宿題が終わらなくてバタバタしている要領の悪い小学生のようなものでしょう(笑)それでどうも市販のトラップコイルだと同軸コンデンサーくらいでは間に合わなさそう。というのもLは予め決まっているので、同調を取るにはCで調整しなければいけません。セラミックコンデンサを使用するにしてもかなりの耐圧を要求され、並3の同調バリコンは入手難ですし、防水性にも問題があります。そうなると同軸コンデンサ頼みになるのですが、まさか何十センチも必要になるとなると、それにも問題があります。
 さらにもうすでに雪がちらつくようになった陽気の中で、また屋根に登ってアンテナ下ろすのが面倒なこと。どうせ最近はHFなんざちっとも使わないのだから春になって暖かくなってから、なんていうズボラな気持ちが出かかっていますが。ところで最近は安い中国製のマルチメータでさえLCRの測定もトランジスタのhFE測定も出来たような気がするのですが、肝心な我が家のLCRメータ、最近使わないからどこへ入ってしまったかわからない(笑)

 えっ!市販の2バンドワイヤーダイポールアンテナのトラップコイルって設計上L成分しかなくて共振回路を形成していないんですか?なにせ市販品って見たこと無いので、当然LCで共振回路を形成してそれがトラップだと思っていたのに。そうなったらまた別な問題化かあ。こいつは春に雪が解けるまでダメそうだ。

| | | Comments (0)

November 17, 2021

7/3.5の逆Vワイヤーダイポールアンテナに張り替える

 貧乏無線局ゆえにHF増設時に合わせてHFマルチバンドのGPアンテナをオークションで落札したものの、あとが続かずバランを自作してワイヤーダイポールアンテナを作ったり50MHzの2エレHB9CVをトマトの支柱を使用し同軸ケーブルをコンデンサかわりにマッチングに使用したものを自作したりしたのですが、このトマトアンテナのエレメントは紫外線劣化で外皮にヒビが入り、そこから錆びだして導通が悪くなってほぼ2年毎に作り直さなければいけないというのが煩わしくて4回ほど作り直した後に市販のHB9CVを上げてしまいました。それでもこのトマト支柱アンテナのみで50MHzでJCCの500市を達成したのですからたいしたもの(笑) それで現在まで残っていた自作アンテナは7MHzモノバンドのダイポールアンテナのみ。それもおおよそ18年位上げっぱなしだと思うのですが、この自作アンテナレポートは当時のCQ誌の読者サロンのようなコラムに掲載されて図書券500円ほど頂いた記憶があります。徹底的に廃品を使用して作ったアンテナでバランに使用したのは手持ちのトロイダルコアと掃除機のモーターを分解して取り出したエナメル線を使用して100均で3個くくりで売られているタッパーの防水容器とし、道端で拾った塩ビの水道管と組み合わせて自作したもの。エレメントは盆栽などに使用する1.6mm径の裸銅線。碍子は同じく拾った塩ビ管を切ったもので、当初は両側からテンションかけるとどんどん伸びるため、落ち着くまで苦労してマッチングを繰り返し、SWRも1.1くらいにまで追い込んだものでした。屋根から東西に逆Vに張ったのですが、固定先は庭のイチイの植木でした。自作のエンテナ故に本当に電波が飛ぶのかどうかというのが当初ドキドキで、たまたま1エリアから強い電波で入感していた局が一局しかなかったので、試しに呼んだら一発でとってもらった初交信局が当時7メガの有名局のセブロン氏。すでにこのアンテナは永久に呪われたかどうかは知りませんが、その後バランの防水ケースが紫外線劣化でバラバラになってコアがむき出しになっても動作は問題なく18年の間上げっぱなしでした。その間7MHz帯が倍に拡張されてもフルサイズゆえのブロードさで新たにマッチングの必要もなかったということもありましたが。また10MHzが飛びはともかくそのまま乗るため、21MHzで交信していたOMから10MHzのCWの要求があって、このアンテナで交信したこともありました。実はこのアンテナは当初から拡張計画があり、7MHzのトラップコイルを自作して7MHzと3.5MHzのデュアルバンドのダイポールにすることです。というのも垂直系のアンテナで3.5MHzは短縮率が大きすぎてまったく飛ばず、交信したのは同一エリアのみ。アンテナチューナーで7MHzダイポールで電波を出しても似たようなものだったので、3.5MHzのダイポールはローバンドの課題だったのです。そのため、2.2mm径のPEW線をリールごと一巻き(たぶん340mくらいの残)を購入したり、ディップメータを譲ってもらったり、水道管を購入して7MHzのトラップの材料は揃えたものの、急に意欲を失ってしまったものだったのがほぼ15年くらいそのまま。先日、階段脇に塩ビの排水管を切ったものが転がっていたのに、なぜこんなものがあるのか全く覚えがなく、いまになってトラップコイルの材料だったことを思い出しました。こういうのは情熱があるときに一気にやってしまわないと永久にそのままという見本のようなものです。自作アンテナ時代の話なのですが、実は以前から顔しか存じ上げなかったものの亡くなった父親のキリスト教集会のお仲間にNさんという方がいて、この方に父親の葬儀の司会なんかをお願いしたのですが、実は父親の葬儀の際にこの方が元JA8CWさんという大OMだったことがわかりました。このNさん、元NTTのOBで、若い頃は名寄、北見、落石など何年かおきに転勤を繰り返し、転居先で知り合った2桁コールの方たちのアンテナやシャックなどの様子を克明に写真にしたものをアルバムにしており、後日ご自宅にご挨拶に伺った際に見せていただきました。今はもうサイレントキーになられた2桁OMさんのほうが圧倒的に多いのですが、その中でも有名なのがJA8AAの濱OM。確か電設関係の会社の2代目とかなんとかというお話で、当時北海道電力の送電線の鉄塔を改造したアンテナタワーに自作のビームアンテナを上げている昭和30年代の写真がありました。しかし、当時一般的に自作されていたのがNさんを含めて丸太を組んだ骨組みのキュービカルクワッドアンテナを木製のはしごタワーに上げたもの。防風雪で壊れたりするので2年に一度は新しく作りなおしたなんて話でしたが、そういえばうちの近所にも丸太をバッテンに組んだ木製のキュービカルクワッドを上げた家が2軒ほどありました。しかし、その後既製品のスプレッダーを使用して半自作のキュービカルクワッドを上げる時代をへて、既製品のタワーやビームアンテナといえば既製品の八木アンテナの時代になって久しく木製や竹製のスプレッダーを組んでキュービカルクワッドを上げたという話は半ば伝説の世界でしょうか。JA8CWのNさん、開局当時はもちろん自作のリグを製作し、落成検査を経てようやくコールサインをもらったのが昭和31年だというお話でしたが、現役時代は長くドレークの愛用者だったそうです。現在は岩見沢の幌向から雪の少なく娘さんの嫁ぎ先でもあるウチの街に移住してきて高層アパートの住人になり、住環境重視で無線環境には恵まれないため、無線局復活はないようです。それでもデジタルモードには興味があるようなのですが。
 話は変わって某フリマサイトで詳細がまったく記されていないため、何メガのアンテナかもわからない市販品の中古ダイポールアンテナを入手。それは蛇の道は蛇でトラップコイルが着いているため2バンドであることもわかりますし、トラップコイルの大きさを見れば何メガのトラップコイルかも見当がつきます。それでこれは7/3.5MHzの2バンドダイポールアンテナと思ったらもちろんこれはビンゴ。バランの上の部分の紐などで吊るす穴が経年劣化で脱落していて紐で吊るすようになっているため、もしかしたら当方で3オーナー目くらいの古さはありそうですが、ものは昔のコメットの2バンドダイポールアンテナのようです。とりあえずは卸っぱなしで整合もとれているだろうと判断し、18年経過した自作のダイポールアンテナを撤去し、さっそくこちらを上げてしまいました。それに先立ちエレメントの伸びる方向に蔓延る蔓などを徹底的に刈り取るなどの作業を行い、これが結構な手間だったのですがなんとか経路を確保。西側はまだ余裕があったのですが、東側は3.5MHzのエレメントが延長になった分従来のイチイの木に縛り付けるわけには行かず、敷地ギリギリのアオモリヒバの2.5m高の部分に縛り付けました。まだ詳しい整合状態はチェックしていないものの、バンドをワッチしてみたところ、7MHzは自作アンテナと変わらないものの、3.5MHzは垂直系の短縮率が高いアンテナではノイズにまみれてまったく受信できない信号がさすがにノイズもなく浮き上がって聞こえてくるのには驚かされました。整合チェックや送信に関する飛びのチェックなどはこれからですが、卸っぱなしを再度上げただだけだからそれほど問題ないんじゃないかとは思いますが。この品物、いつまでも荷物の番号が登録にならないのでおかしいと思ったら同一市内の東の営業所から西の営業所に回っただけの同一市内配達。もしかしたら市内でサイレントになった局のものを某OMが撤去して片付けてそれをフリマに出したのを当方が購入したのかも?しかし、某OMの出品物だったらアンテナのバンドの詳細くらい絶対に記載するでしょうし、これは一種の謎。でもアマチュアのアンテナは天下の周りものとはいえまた「呪われたアンテナ」だけは嫌かもしれない。しかし、新品アンテナ買う気にはぜったいにならないのが貧乏無線局ゆえの思想です(笑)

| | | Comments (0)

November 13, 2021

ボタンが反応しないケンウッドTH-F7の修理

 このKENWOODのTH-F7は4アマ取得直後にとりあえず開局してコールサインを取得するための手段としてうちの貧乏無線局としては唯一新品で購入したものです。とりあえず局免を取得してしまえばあとは中古の安い無線機をオークションで落札し、保証認定を受けて段階的に出られるバンドを増やしていこうという目論見でした。しかしこのTH-F7は購入したものの1アマを取得するまで電波を出すことを封印してしまいました。というのも運用にうつつをぬかすと勉強とモールス受信練習が疎かになって上級免許を取るモチベーションが上がらなくなるということを信じていたからなのですが。それで4アマ取得後1年かけてモールス受信スキルをなんとか獲得し、3アマを取得後さらに3ヶ月で2アマを取得したころには今と同じQRVバンドが整備されたものの、相変わらず各バンドをワッチすることしかしませんでした。その間もTH-F7の役目と言うと専らラジオと消防波受信としての用途がメインで、当時バーアンテナ内臓でAMラジオの感度も良いというハンディ機は唯一ということもあり毎日充電放電を繰り返した結果、3年ほどで充電能力が低下してしまい、乾電池ケースもあったもののこれだと最大500mwしか出ないこともあり、一線を退きました。充電池を上京の際に秋葉原で購入したのはそれから5年の後。電池を交換した後もめったに使われることはありませんでした。というのも消防波がデジタル化したのが大きかったかもしれません。というかハンディ機自体がかんたんな修理調整で直す事自体にしか興味が無くなってしまったからなのですが。
 それで家に増殖したハンディ機のうち一部のものがボタンの反応が鈍くなったり効かなくなってしまったものが出てきたのはわかっていたのですが、触りもせずに今まで放置していました。ところが先日久々にハンディ機どうしで交信したことと、IC-μ3の分解をしたことがきっかけでこちらの方にも手を付けることになりました。そのなかでTH-F7も各ボタンの反応がにぶいことは数年前には感じていたので、分解してボタンの接点と基板の接点を洗浄し、復活させる作業に着手しました。
 TH-F7の分解は比較的に簡単です。電池パックを外し、アンテナ基部とボリュームスケルチ基部のナットを外し、電池パックを外したときにあわわれる本体裏側下部のネジ2本を外して本体前面のプラスチック部分とダイキャスト部分をこじると基板と前面パネルの部分が分離しますが、スピーカー部分のコネクターを外すのを忘れないようにしなければいけません。ポタンは裏側に導電ゴムのチップが付いた一体型のゴムシートで、このチップ部分と基板側の接点をエレクトロクリーナーを染み込ませた綿棒で十分洗浄し、さらにボタン部分の接点はグラスファイバー芯を束ねたコンタクトクリーナーで擦っておきます。そしてもとに組み立て直したTH-F7はすべてのボタン操作がスムースに行われることを確認して一件落着。
 ところが翌日、電源ボタンを入れようとしたらまったく反応しなくなりました。もしかしてしばらく放っておいたリチウム電池パックがもう充電能力が無くなったのかと思いきや、満充電状態で8.4V出ているのでどうも電源のせいではないよう。それならばと、前面だけ外した状態で電池パックを装着し、ピンセットのお尻でで電源スイッチ部分の基板を短絡させるといきなり起動しました。どうも一番使った電源スイッチ部分の3mm径の導電ゴムだけが寿命だったようです。ここの部分はどう洗浄してもダメでした。通常のメーカー修理ならばボタンのゴムシートをまるごと交換しなければいけないのですが、こういうゴムスイッチの交換用ゴムのタブレットもちゃんと市販されているので、これを接着することで部分補修出来るものの、こんなもので密林(amazon)を使うのももったいない。それで素材として使ったのが単なる台所用のアルミホイル。これを円形に切り抜いて瞬間接着剤で導電ゴムの上から貼り付け、瞬間接着剤が乾いたところでもとに組み立て直し、電源ボタンを入れるとあっさりと起動しました。この導電ゴム補修にアルミホイルを貼り付ける修理法は他のボタンの反応が鈍くなったリモコンの補修にも広く使えそうな裏技的なものでしょうか。

Dvc00329-2

| | | Comments (0)

November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)

Nikkei250
Nikkei250_20211110143601
Nikkei250_20211110143602

| | | Comments (0)

November 08, 2021

成東商会ダウエル 7x50mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

Dscf4257_20211114085201

 久しぶりに駄双眼鏡を購入しました。とはいえ戦後に雨後の竹の子のように、というよりもキノコのように出現しては消えていった板橋の四畳半メーカーと異なり、いちおうは戦前から存在した東大そばの文京区西片の成東商会ダウエルブランドの双眼鏡です。扱う商品は天体望遠鏡から顕微鏡、双眼鏡に至るまで多種な光学製品と望遠鏡鏡自作のための部材など多種多様にわたり、カタログだけ見れば同じく戦前派の総合光学商社のカートンやエイコーあたりとかわりありませんが、その実体は一軒家のような社屋に部品の箱が山と積まれていて、注文があるたびに部品を組み立て調整して送り出すというような業務形態だったようで、決して大きな倉庫に完成品のダンボールが山と積まれていて出荷を待つという業態ではなかったようです。
というのもどうやら中間マージンをまったく廃して戦前から一貫してコンシューマーに直接通信販売という形態をとっており、そのため業者に中抜きされる輸出光学製品などは扱っておらず、一時期輸出双眼鏡に刻印を義務付けられていた輸出メーカーコードを取得した形跡もありません。また国内の光学製品問屋の扱いもなかったため、けっこう昔の天文少年たちにとっては一度は切手を送ってカタログを入手したものの、実際に購入した天体望遠鏡や双眼鏡はケンコー、ビクセン、カートン、エイコーなどを地元の眼鏡店でというケースばかりだったような気がします。というのもその時代はまた雑誌広告などの通信販売というのは親の世代にまだまだ拒否感があり、お年玉などを貯めて通販で現金書留送ろうとしたら「足りない分は出してあげるから地元の眼鏡店で買え」などと親ストップが掛かったというケースもけっこう多かったのではないでしょうか。ネットを見て製品の評判を調べてポチで完結する現代とは隔世の感があります。そのためか名前が知れている割には今に残っている製品はあまりないようで、天体望遠鏡に輪をかけてダウエルの双眼鏡は見たことがありません。数年前にたまたまダウエルのかなり古いIFの12x50mmのZタイプ双眼鏡を入手しましたが、分解しなければわからないもののなんと1.6mm径の針金をシム代わりに焦点調整している部品かき集めででっち上げた中身の実態にどん引きしたことがありましたが、それでも調整はちゃんと出来ていて下手な輸出双眼鏡よりもぜんぜんよく見えるというところにこのメーカーの実態がよくわかるような気がしますが、全般的には「割安だが部品の精度不足や調整不足もあって性能の個体差が激しく、買って後悔するメーカーの代表」のような評判が常につきまとっていたような。昔はこういうネガティブ情報がネット上を駆け巡るということもないのですが、やはり天文少年の直感で手を出したらいけないメーカーということを悟っていたような感じで、周りでダウエルの天体望遠鏡、双眼鏡を実際に購入した仲間はさすがにいません。
Dscf4258以前入手したダウエルの双眼鏡は時代的には昭和30年代くらいは遡ると思われるものでしたが、12x50mmの表示ながら実倍率が7倍しか無いというもので、ダウエルまで倍率詐称双眼鏡を普通に供給したというのがちょっと意外でした。今回の双眼鏡はずっと時代が下っておそらくは昭和40年代後半から50年代はじめくらいの製造と推測出来ます。というのもネジが黒染めのプラスネジになり、モノコートながらコーティングも厚くなったような至極まともな双眼鏡に変わったようですが、実態はどうなのでしょう。 静岡の熱海にあるリサイクルショップから届いたダウエルの7x50mm、7.1度のZタイプ双眼鏡はひどく黴びている様子は無いものの、接合部のグリスの油分が蒸発してプリズムや対物レンズの表面を曇らせていました。どっちみちフルオーバーホールするつもりで分解していったののですが、分解前に500mほど先にある送電線の鉄塔を見てみると左右は若干開いていたような気がしますが上下の視軸はぴったりと合ってました。分解してみてわかったことは、部品をかき集めてでっち上げたというものではなく、まともな板橋輸出双眼鏡レベルのもので、プリズム面はちゃんとコーティングされてますし遮光筒を備え、内部も黒塗装がされています。対物レンズは全面コートですが、接眼レンズは外側だけのコートでした。また外部ネジはプラスネジを使用しておりましたが、プリズムはタガネ打ちによる固定です。それから推測するとこの双眼鏡は昭和45年から50年くらいにかけてのものではないかということ。そして、おそらくは成東商会内部で組み立てられたものではなく、板橋のどこかの業者に製造を丸投げして納められた外注品だったのではないかと推測できるのです。ダイキャストはC-3とかいう陽刻が内部にあり、これは確かビクセンの7x50mmと同じもののような記憶があるのですが。考えるに昭和46年の火星大接近などをきっかけとして天体望遠鏡需要バブルが起きて天体望遠鏡の組立調整が一時的に忙しくなり、双眼鏡の組立まで手が回らなくなって板橋の業者に外注に出してしまったのでしょう。双眼鏡屋にしてみれば円の切り上げや変動相場制移行で輸出が立ち行かなくなり、一過性の事とはいえ天体望遠鏡需要バブルで双眼鏡の需要まで生まれたのはありがたいことだと思います。これ、注文取りに出かけたのが当時すでにブローカー的な役回りだった野口光学工業の野口社長だったら話は面白いのですが。
 それでクリーニングが終わって再組み立てし、エキセンリング調整で気持ちよく上下左右の画像が合ったダウエルの双眼鏡はコントラストは足りないものの解像力はそこそこの実力を発揮。さすが20mmの口径の違いだけで8x30mmの双眼鏡とは一線を画します。ただし、同年代のニコン7x50mm 7.3度のトロピカルと比べてみるとさすがに視野はニコンが圧倒的に明るくコントラストも解像度も段違いです。まあ比べる対象としてはフェアではないでしょうけど。 それにしても以前のダウエル12x50mmのように噴飯ものの裏技を期待していたのですが、今回は見事に裏切られました。これなら買って後悔するようなものではありませんが、子供時代にビクセンじゃなくてダウエルの双眼鏡なんか持って天文クラブの活動に参加していたら馬鹿にされたんじゃないか、なんて思ってしまいます。子供同士ってそういうのに敏感でしたし。

| | | Comments (0)

November 04, 2021

初めて実交信に使用したスタンダードのC520

 ここ一年半のコロナ自粛生活でのんきに移動運用で全国を回って歩くというのはさすがに憚られたようで、昨年夏と今年の夏の6m移動運用のおなじみさんたちも自分のローカルの外に出ることを自粛していたようで、伝搬コンディションもあり寂しい夏だったようです。しかし、ここへ来てのコロナの感染状況改善に伴い10月の末あたりから観光客の移動が急増し、苫小牧や小樽にフェリーで8エリア入りする他エリアコールサインのモービル局と交信する声もちらほらとワッチされるようになりました。また、このコロナ自粛の巣ごもりで無線局の再開局や新規開局が増えたそうで、JARL会員も減る一方だったのが減少に歯止めを掛けて増加に転じたそうで。そういえばうちのローカルでも2mのアクティブ局はコロナ禍で復活コールサインで再開局した人が何人かいます。
 そんな中で、以前机の上から猫が叩き落としたアイコムの430MHzモノバンドハンディ機IC-μ3の落ちどころが悪くて硬いものの角にあたったらしく、外装が大きく欠けてしまったのですが、これはちゃんとJARDのスプリアス認定保証も受けた個体だったため、ジャンク品から前面のプラスチック部分を交換するべくジャンク品を漁ることすでに2年。これ、液晶部分が液漏れして真っ黒になり、周波数表示が全く見えないものもけっこう高いのです。でも待てば海路の日和ありで、10月の頭に本体100円送料620円でIC-μ3を入手。このジャンクは動作も正常で液晶も端に黒染みは出ていたもののきれいな個体で、表面だけの外装取りするのはもったいないのですがPTTボタンや裏側に傷が多かったため、迷わず表の部分だけ交換用に使ってしまいました。交換はさほど難しくはなくバッテリーケースを外して底面のネジを4本外し、側面のネジを一本外してフロント部分を引き出し、スピーカーのリード線をはんだごてで外せば交換が可能です。
 どうもハンディ機を久しぶりに分解したことがきっかけになり、何台かキーの導電ゴムの接触不良で反応しないボタンのあるハンディ機を分解し、接点の洗浄と導電ゴム部分の表面をグラスファイバーの繊維を束ねて芯にし、繰り出し式のペンになっている接点クリーナーでまんべんなく擦ってやりました。これで問題なく元の状態に復活しましたが、当初は移動運用のためにTVの300Ω並行フィーダーを使ってJ型アンテナを作り、ハンディ機で少々高いところに登って電波を出してみようなんて思っていたものが、そもそもの出不精でおまけにでかい猫2匹が飼い主の外出を妨害するにいたり、ハンディ機は修理調整の対象でしかなくなってしまいました。それでも修理調整の完了した古い技適以前のハンディ機はすべてJARDの保証認定受けてJARD経由で相通局に無線機追加の変更申請を出し、さらにJARDのスプリアス確認保証も受けてますが、移動局の無線機の台数が第18無線機まで及び、そのスプリアス確認保証の保証料だけで昔JARDから頂いた4級アマチュア無線技士講習の講師料1日分がすべてちゃらになった計算でした(笑)そんなハンディ機の数々ですが、いちども交信したことのないものばかりで、そもそもハンディ機で交信したのは果たして何年前でしょうか。おそらくは10年以上前ではきかないかもしれません。
 そんなハンディ機群でしたが、何かの暗示でもあったのかたまたま前日に充電器にかけて久しぶりにフル充電したスタンダードのC520。電源を入れてみるとローカルのOMが千歳の局とラグチューしている声が聞こえ、他のチャンネルでもあまり聞き覚えのないコールサインの局がローカル同士でラグチューしているのがフルスケールで入ってきます。久しぶりにハンディ機の短いアンテナでも十分に聞こえるQSOをワッチできた感じでしたが、これも祝日前日の夜ということもあったのでしょうか。翌日、文化の日は午前中にたまに強い雨に見舞われ、祝日だと言うのにたまにモービル局が入って来るくらいでしたが、午後だいぶ遅くなって樽前山頂の東山1022mからハンディ機を使用して移動運用されていた函館からの移動局を確認しました。勝手知ったるローカル交信ポイントで、見通しも開けており過去何度もハンディ機同士のQRPで交信したこともあって、こりゃこちらも固定機を使うまでもないと前日フル充電したスタンダードのC520で自宅2階の北側の窓からコールを入れました。念の為純正の短いアンテナからよりゲインの高いダイアモンドのRH901というアンテナに交換してのコールで、C520の7.2V充電池の144MHzの出力は確か2.8Wほど。それでもお互いにフルスケールで入感するほどの良好な交信でしたが、考えてみれば直線距離で20kmほどしか離れておらず、さらに1022mと海抜6mの場所との交信とあらば当然の結果(笑)おそらくは500mW出力同士で交信したとしても十分だったでしょう。奇しくもこれが9年ほど前に修理しながらいままで一度も交信に使用したことのなかったスタンダードのC520の初交信になってしまったというお話。その後、駅裏側のマンションのリビングから同じくハンディ機で呼んでいる局があり、その局の信号はこちらでもフルスケールで入感するほど。最近のハンディ機はリチウム電池が携帯電話のおかげで進歩したため、標準で5W出るものが当たり前になりましたが、たとえ32年前のニッカド電池内臓のハンディ機といえども修理調整さえすれば十分役に立つわけで、いくらデジタル時代に突入したとしても新しいハンディ機は買う気にさえなれず、ただひたすらジャンク品の修理調整とたまにチャンスがあったら交信、しか興味が湧きそうにありません(笑)

Dvc00316_20211114084801

| | | Comments (0)

November 03, 2021

いつの間にやら無線局開局20周年経過

 まったく意識しなかったのですが、うちの無線局がコールサインをもらって今年で20年経っていました。というのも7月の末にスプリアス確認保証が唯一通らないIC-290を撤去して移動局の更新免許を申請し、変更申請受理の局免と更新申請受理の局免が届いたのが8月の初めで、局免の期限がいつだったのかも意識しないまま時間が過ぎてしまいましたが、いちおう10月の16日にあらたな5年の移動局免許が発行したため10月16日が20周年記念日だったようです。そんなこと、まったく知りませんでした(笑)
 というのもどうも2011年の東日本大震災のときに果たして悠長に無線なんかで遊んでいていいのだろうかという意識に苛まれてからアクティビティーがバリ下がりして、一年のうちでワッチを欠かさないのは6月から7月にかけての6mだけというのが何年も続きました。そしてお正月のニューイヤーパーティー後、夏場の交信が1件もなく、次の年のニューイヤーパーティーに突入という年も珍しくもない状態。たまに交信をすると15年ぶりとか10年ぶり2度めなんという交信が頻繁に。そんなアクティビティーですから古い真空管時代の無線機は使わないとリレーの接点が劣化したりして、何かと調子が悪くなってしまいます。本来は頻繁に使い続けて状態を常に把握して置かなければならないのですが。
 その開局当時に局免申請のために新品で購入したのが当時の最新機種にして広域帯受信機能を有したKENWOODのデュアルバンドハンディ機TH-F7です。なにせ4アマ講習会で取得した4アマでの開局でしたから当時の局免は144と430のF3のみ。とりあえずはコールサインもらうための局免だけだったような感じですが。一年半後に1アマを取得するまで交信は一切しないと自分に縛りを課していたため、初交信は1アマ取得後です。4アマ取得後1年かけてモールス受信をマスターし3アマ取得でHF機を導入。その後すぐに2アマを取得し14MHzを追加。その後も1アマ取得までひたすらワッチに徹し、初更新は1アマ取得後の局免取得から実に1年半ののち。周波数は上級アマしか割り当てられていないHFの14Mhz。相手は福岡の記念局でした。その後固定局免許を取得し、100W運用を始めたのは初交信から2ヶ月の後です。なにせ貧乏無線局でしたからオークションで相場が安い20年落ちの無線機をかき集めてQRVのバンドを増やしていった雑多な無線機群は今だに変わりません(笑)ただ、いいところもあって、オールバンドの無線機よりもモノバンドの無線機が専用アンテナにつながっている方が断然使いやすいのです。
 それで最近は主流になりつつあるデジタルモードですが、前回の免許更新直前にTS-690とパソコン装置によるデジタルモードをJARD経由で保証認定出して変更申請したものの、いまだにデジタルモードには馴染めずに交信回数はゼロ。またデジタルモードも年々そのエンコード技術が進歩していちいちそのたびに保証をJARD経由で申請しなくとも一度装置とモードが総通で受理されていればオンラインでモード追加の変更申請が可能になりましたが、それらの日々の進歩にまったくついていけないアナログ頭です。やはりいまだにアナログ電話か電信で交信したい保守派なのかもしれません(笑)

| | | Comments (0)

October 07, 2021

HEMMI No.130 (BK) 10"片面技術用(ダルムスタット)初期型再び入手

 ここ数ヶ月の間は何かHEMMIのNo.130に縁が続き、2度あることは3度あるということで、今年3本目のNo.130ダルムスタットを捕獲しました。それも前回と同じ最初期型の延長尺が長く、逆尺が赤いという戦後発売されてからほんの2年少々しか製造されなかった希少種です。画像が表面の半分しかなかったので、延長尺が長いというだけで落札してしまったNo.130です。前回入手したNo.130がデートコード「BK」でしたからそれより古いものを期待していたのに届いてみればまったく同一のデートコード「BK」で昭和26年11月製の御年まもなく70歳のロートル(ってほぼ死語ですが)。おまけにその70年の間をわずかに使用されただけでずっとタンスに仕舞い込まれていたようで、ケースも本体も非常にきれいなもの、裏板の一部が戦前尺のように高温多湿が原因で腐食しかけていて、端のほうの溝を押し上げ、やや変形しているほど。それでもごく初期型の希少種ですし、送料込みでかなり安かったので文句は言いません。本音からすると製造月が一月くらいずれていてくれればという思いもありますが…。ケースがきれいなだけに定価のラベルが残っていて\1,450の値段が付いています。入手先は東京都の小平市でした。

Hemmi130bk2
Hemmi130bk2_20211007114201

| | | Comments (0)

October 06, 2021

コンサイス No.27N 円形計算尺(東陽通商ノベルティー)

 久しぶりに捕獲した企業ノベルティーもののコンサイスNo.27Nです。昭和40年代中期に入りHEMMIの計算尺も、たとえプラ尺とはいえコストがジワジワと上がり、展示会や見本市で配るには負担が大きくなってきたときに、一気にこの需要のシェアを奪ったのがコンサイスのA型単位換算器やこのNo.27Nでした。計算尺を企業の宣伝に配るような見本市や展示会と言うと科学や工業分野で使用される測定器や実験器具、機械工具などの製品を扱うものが多かったようで、そこに集まるのも研究者や技術者と相場が決まっています。そのため、今の世に残るこれらのコンサイス円形計算尺のノベルティーものの殆どは測定器や実験器具、機械工具などのメーカーや商社のものです。また、実験器具や測定器のメーカーは一般消費者向けの商品ではないものの企業や教育機関などの一定の需要があり、さらに技術の進歩に従って買い換え需要もあるため、その社名は一般の人には馴染みがないものの、いままでずっと商売を続けている会社が多いのも特筆されます。家電メーカーだとそういうわけにはいきません。
 今回入手したNo.27Nは東陽通商という会社で、類似の東陽や東洋がつく会社は古今東西掃いて捨てるほどありますが、この東陽通商という会社は昭和28年に機械工具輸入を目的に設立され、後に測定器などの総合商社として現在は東証一部上場の東陽テクニカです。その東陽テクニカが東陽通商時代のおそらくは昭和40年代後半くらいのアナログ測定器時代に参加した展示会見本市で配られたものなのでしょう。こういう展示会は貴名受けという名刺のポストなんか置いてあって、名刺と引き換えにこういうノベルティーがもらえて、企業側はどんな会社のどんな担当者が来場していたかを把握し、営業の対象を定めるという仕組みでしたが、うちの会社あたりでも当然決裁権のある管理職の顔は事前に把握していて、ヒラの参加者はボールペンあたりでごまかしても役付きの大物用には特別な来場記念品を用意するという差別ではなく区別は当然行ってました(笑) 今のデジタル時代の展示会見本市の来場記念品はどういう形態に変わっているのでしょうか?一時期は企業の名入りUSBメモリーなどが多かったようですが…。
 展示会見本市の性格上、海外からのバイヤーなど集まるせいか、このNo.27Nは裏面の換算表が国内ものは日本語表記なのに対して英語表記で、さらにメトリックではなくポンドヤードインチ表記がメインになっているところが特徴です。入手先は神奈川の横須賀からでした。

Concise27n

| | | Comments (0)

October 04, 2021

☆Relay☆ No.DB-808 8"両面型事務用?

 珍しいダブルスターリレー時代の何と8インチの両面計算尺☆Relay☆No.DB-808です。すでに手元にある計算尺は400本近くに及ぶと思いますが、8インチの両面計算尺というのはもちろん類似のものを含めて一本も所持していません。現物は見たことありませんが、確かリレーの時代には6インチの両面型計算尺No.650があったはずです。これらのちょっと存在意義が問われそうなオフサイズの両面計算尺は昭和30年代末のRICOH計算尺の時代には継承されなかったようですが、それは当然でしょう。外国の例からするとK&EのNo.4088-2などの例があるのですが、やはり10インチの両面計算尺に比べると少数派だったようで、遅くとも世界恐慌の時代に淘汰されて後には残らなかったようです。ちなみにK&Eの4088シリーズは4088-1が5"両面、4088-2が8"両面、4088-3が10"の両面で尺度は同じ。もちろん一番先にフェードアウトしてしまったのは8"の4088-2でした。
 昭和20年代のダブルスターリレー時代の計算尺は自社デザインと言うよりもアメリカのバイヤーからの要求でデザインされたような計算尺が大半です。どうもこのDB-808はOEM先ブランドでリリースはされていないようで、そのまま☆Relay☆No.DB-808として輸出主体で生産されたものなのでしょうか。DB-808の意味は輸出品番でDBはDuplex Businessで両面型事務用を意味し、800番台は8インチの計算尺を意味します。
 商品が届くまで裏側の尺度がまったくわからず、用途が特定出来なかったのですが、裏側は一年365日および730日までを2本に分割した日数計算尺となっており、表面には利率のような尺度が2分割されており、一般計算は√10切断の尺度を持つというものでした。さらに利率部分は割・分・厘。毛などの漢字が使用されているために、型番は輸出用品番なのにもかかわらず、このDB-808は国内専用計算尺ということになるようです。しかし、昭和の20年代に技術や研究以外にこのような事務用途の使用に特化した計算尺をわざわざ購入するという需要はまったくなかったようで、この計算尺も実用にはまったく供されなかったらしく、日焼けして色焼けしやすい紺色ケースもまったく退色しておらず、中身の計算尺も当時のダブルスターリレー時代の計算尺どおりにクリーム色がかった艶のあるセルロイドがそのまま残っていました。尺度としては表面がF1,DF,[CF,CI,C,]D,F2。裏面がN1,[d,]N2なのですが、裏面のN1は365日、N2は365日から730日までの2分割日数尺で、dはDと誤認されないようわざわざ小文字にしたdayを表し、31日を繰り返しているようですが、逆尺を含めて詳しい見方がわかりません。カーソルバネがこの時代はりん青銅ではなく当時の安全剃刀同様に鋼で、すっかり弾力を失っており、曲げようとしてあっさりと折れてしまいました。しばらくカーソルバネの再生を行っておらず、どこに材料が迷い込んだか出て来ないのですが、作り直さないといけません。幅がたったの2.8cmでおそらく両面尺としてはもっともナローな部類の計算尺で、5"のNo.550Sよりも幅が狭いのに厚みがあるというもの。サイズ感としては世の中に溢れかえっている8インチの片面学生用計算尺とほとんど変わりません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製です。ケースに型番ラベルが残っていて、そこに価格が印刷されており、1,150円という価格は学生尺が150円から300円くらいの時代にけっこう高価な計算尺です。ただ、汎用性がないばかりにほとんど使用された痕跡もなく、60数年経過して世の中に出てきたわけですが、これを最初に購入した人はよほど生活に余裕があった人は別にして後悔したことでしょう。まあ、普通は計算尺に詳しい友人知人に相談してその用途にふさわしい計算尺を一大決心の思いで購入したのでしょうから、このようなものを選ぶバクチに近い極端な選択はしなかったと思いますけど(笑) 入手先は東京都内からでした。

Relaydb808
Relaydb808_20211004073401
Relaydb808_20211004073402

| | | Comments (0)

October 03, 2021

HEMMI No.256(KK) 10”両面電気通信技術用

 15年ぶりくらいに電気通信技術用計算尺のHEMMI No.256を入手しました。このNo.256は昭和14年に芝浦製作所と合併直前の東京電気とHEMMIの研究部部長平野英明氏との共同開発で完成した通信用計算尺に若干の改良を加えて戦後になって一般向けに発売したものです。この発注元の東京電気というのは明治23年に国産初の白熱電球の製造も目指した藤岡市助の白熱舎が嚆矢で、後に米国のジェネラルエレクトリックの51%資本参加により東京電気となってから日本におけるジェネラルエレクトリックの特許や商標を使って電灯以外にもマツダブランドの真空管などの製造も始め、同じくウエスチングハウスと技術提携した三菱電機とともに大正末期から昭和初期にかけての通信放送機械部品製造の代表的な弱電製造会社となっていました。
 その東京電気が同じくジェネラルエレクトリックと提携関係にあった芝浦製作所と合併し、東京芝浦製作所(東芝)となったのは同じく昭和14年7月のことですから、計算尺が出来上がって主に使用開始となったのは東京芝浦製作所以降ということでしょうか。それでも弱電の東京電気、強電の芝浦製作所と技術陣は棲み分けが出来ていたでしょうから、この通信用計算尺は旧東京電気側の東京芝浦電気マツダ支社の技術陣で使用されたことは確かです。計算尺に刻まれている社名は「東京電気無線株式会社」ですが、これは昭和10年川崎市内に無線関係の事業を行う会社を分離設立したためで、こちらは後に東京電気株式会社に改称されています。この通信用計算尺は表面がL,X,[T2,S2,T1,S1,YI,Y,]Z,LL3,LL2,LL1で裏面がΓ,[R,F,]λとなっており、一般的な計算もこれ一本でこなす汎用性に乏しいため、戦後新たに表面をほぼ一般の計算などに特化させて裏面も尺度を整理したNo.256が一般発売されるわけですが、名前も高級電気通信用と何故か「高級」の接頭辞がついていた時代もあったような。この通信用計算尺の表面尺度はあまり見かけない記号ですが、Xは二乗尺でK尺に等しく、Y,ZはC尺D尺。YI尺はYの逆尺ですからCI尺に該当します。この尺度は社内のみで使われていた記号なのでしょうか?また電気的に言うと裏面Γは角度、Rはレジスタンス、Fは周波数、λは波長ですが現物を持っていないため、それぞれどういう組み合わせで使用するのか今一わかりません。
その戦前の通信用計算尺の改良型であるNo.256も昭和30年代に入ると通信機器が真空管からトランジスタの時代を迎え、通信も短波から超短波、極超短波そしてマイクロウエーブの多重無線が主流の時代を迎えます。そのため真空管時代のNo.256はいささか陳腐化し、新たにソニーと共同開発された電子用計算尺のNo.266が発売に至るわけですが…
 入手したNo.256はデートコード「KK」ですから昭和35年の11月製。以前入手したNo.256よりも2年ほど古い製造になりますが、この頃はまだNo.266は発売されておらず通信系計算尺というと唯一の存在です。同様な用途のRelay/RICOH No.156がすでに発売されていたかもしれませんけれども。

Hemmi256_20211003150401
Hemmi256_20211003150501

| | | Comments (0)

September 06, 2021

HEMMI No.254WN(ZB) 10"両面高校生用

 HEMMIの高校生用両面計算尺のNo.254WNです。少し前に入手したのはKENTとのダブルネームのHEMMI No.254WNでしたが、今回入手したものはごくごく一般的なNo.254WNです。別に何ら他のNo.254WNと変わらないのですが、デートコードが「ZB」というところが最大の売りで。というのもHEMMIで一般的な計算尺の製造を止めた最終年である昭和50年2月の製造である「Z」コードの計算尺であるということです。
 それ以降に工業高校に特納された計算尺はこの「Z」のイヤーコードを持つものかイヤーコードさえないものが出回っていたらしいのですが、そういう意味でもAから始まってZで終了した最後の計算尺は同じ種類の計算尺でも何か特別感があります。とはいえ、このZ刻印の最終製造年を示すデートコードが付いた計算尺というものがすべての種類に存在するわけではなく、例えば市場在庫が多いNo.259DやNo.2664SなどのものにはおそらくはZコードが存在せず、計算尺末期にあっても一定の需要があった高校生用計算尺No.254WNやNo.274、No.641系の発売年が新しいプラ系計算尺や一部特別生産品の計算尺に限って存在するような気がします。数あるうちの計算尺の中でもZ刻印は他に一本くらいしかありません。ケースは青蓋角ケース、入手先は埼玉県内からでした。

Hemmi254wn2
Hemmi254wn2_20210906125701

| | | Comments (0)

August 03, 2021

RICOH No.1051S-I 10"両面高校生用

 三角関数が逆尺のRICOH No.1051S-I は割と早い段階で未開封品を入手していますが、今回はカーソル違いの開封品No.1051S-Iを入手しました。未開封品はデートコード「WS-3L」に対して今回は「US-2」ですから昭和47年2月の佐賀製。クリーンCIF尺で金属フレーム枠カーソル付きですが、この昭和47年内に金属フレームカーソルから小型プラ枠カーソルの最終形態に変化したようです。滑尺表に「47M162」の電車の編成番号のような刻印があるのが珍しいのですが、これはもしかして理振法準拠品の目録番号かなにかと思ったらケースにM47松田のマジックインキ書きがあるので、おそらくは昭和47年入学の学籍番号かなにかの刻印をわざわざ刻んであるようで、Mは工業高校機械科の略号でしょう。この学籍番号刻印入のRICOH計算尺は他にも持っていたような気がしますが、RICOHの学校納入計算尺には個人名がわざわざ刻印されたものも何本か持っていますので、おそらくはHEMMIしか扱わない内田洋行に対して在阪教材商社はRICOHを積極的に学校に売り込むため、「学籍番号刻印」や「個人名刻印」サービスという付加価値をつけて関西以西の学校に売り込んでいた事実があったのかもしれません。もちろん地元の教材店を通してですが、高校時代の吹奏楽部の後輩がその教材店の息子で、自分はあとを継がず大手銀行に就職し、弟が実家の商売を継いでいます。その教材店というのも昭和の時代と比べると少子化によって扱いは数の面では相当少なくなっているものの、どこかの番組ではありませんが、シーズンになると運動着を一手に学校に納入する地元のスポーツ用品店同様に「つぶれない店」の部類に入るようです。オクに出てくるRICOHの学校用計算尺は圧倒的に西日本からが多いのですが、こちらも島根県内から出たものです。このころはHEMMIの計算尺との整合性をとるためかRICOHの計算尺も高校納入品は三角関数逆尺が標準になりつつあるのがわかります。よくRICOHの計算尺の両端が茶色に変色しているものを見かけますが、これも例外ではなく変色部分はメラミンスポンジで落ちますが、原因が何かと思ったらRICOHの計算尺はケースの中で踊らないよう割と厚めのスポンジが蓋と底にはめ込まれており、長年ケースに入れっぱなしにしておくとこのスポンジが加水分解して発生したガスが計算尺の両端を茶色く変色させるということらしいです。RICOHにはあってもHEMMIにはない現象である理由はここにありそうです。


Ricoh1051si
Ricoh1051si_20210803111201

| | | Comments (0)

August 02, 2021

HEMMI No.130 10”片面技術用(ダルムスタット)最初期型

Hemmi130_20210802143901

 6月に十数年ぶりに入手したNo.130でしたが、類は友を呼ぶという例えはたぶん意味が違うと思いますが、二度あることは三度あるの例えどおりに1ヶ月も経たないうちに3本目のNo.130を入手してしまいました。ところが今回入手したNo.130はいままでの2本と見かけが異なる不思議なNo.130です。何が異なるかというと、逆尺が赤くなっており、右の延長尺部分がA尺B尺が通常は0.8に対して0.7、CI尺が11.2に対して12、C尺D尺が0.9に対して0.84まで延長されています。というのも下固定尺側面の三角関数尺が5°からのスタートと延長されており、それに対応するために各尺の延長部分も拡張されているのです。この延長尺の起点違いというのはリッツのNo.64や電気尺のNo.80Kにもあり、変更年は不詳ながら昭和28年頃に右延長部分がA,B尺は0.785が0.8に、C,D尺が0.89から0.9に変更になっていますが、おそらくはこのNo.130もこのあたりでNo.64やNo.80Kに習って延長尺部分の起点と三角関数尺の起点を改めたのでしょう。ということは新たに目盛りの原盤を起こしたことになるのですが、戦前に発売を予告しながら不要不急の新製品としてお蔵入りしたNo.130が戦後やや落ち着きを取り戻した昭和25年頃に戦前用意した目盛り原盤を使用して新たに発売したものの、たった3年余りで新たな目盛り原盤を制作してリニューアル発売したということになります。

Hemmi130sintg_20210802143901  しかし、3年余りでまだ損耗もしていない目盛り金型を廃棄して新たに金型を作ったことと、そのときにNo.64やNo.80Kのように物差し型目盛にせず、なぜ馬の歯型目盛を踏襲したのかなど、まだまだ謎が多い存在のNo.130ですが、逆尺の赤入れをやめて延長尺部分を赤目盛、逆尺は数字だけ赤というのはNo.64やNo.80K同様の統一ルールにしたからだと思われます。

 それだけ延長尺部分が長く、逆尺の目盛が赤いNo.130は製造期間も短い激レアNo.130で、いままでにその存在に気がついていなかったということはよほど数も少ないということなのでしょう。あと細かいことですが新旧で逆尺の数字刻印が目盛に対して正反対に刻まれ、旧にだけ逆尺にπゲージが存在する。新No.130にはC尺上にC1ゲージマークが追加されるなどの違いがあります。刻印は同時代の片面計算尺同様に裏面右端に形式名のNo.130が刻まれ、真ん中にDARMSTADT SUN HEMMI JAPAN のあとにデートコードの「BK」が入れられており、昭和26年の11月製です。後のNo.130のようにSYSTEM DARMSTADT刻印ではなく単なるDARMSTADTです。今回改めて15年分のNo.130オークション出品歴を調べてみると、同様に延長尺の長い「BD」コードのものが一本、さらに黒ケース銀ロゴのmade in Occupied Japanものも一本ありましたので、さらに生産初年は遡りそうな感じでした。延長尺が短くなったのはやはり昭和28年頃で、形式名が右側にオフセットされていたものがNo.2664S同様に真ん中に移動し、デートコードが刻印になって左に小さく打刻されるようになったのは「ID」コード以後のようです。

Hemmi130_20210802144701
Hemmi130_20210802144702

| | | Comments (0)

June 20, 2021

民放AMラジオ局2028年に殆ど廃止

 以前から話は出ていましたが、全国の民放ラジオ放送局が2028年にAM放送を完全停波し、FM放送に完全移行することを発表しています。それというのも広告収入の減少により老朽化した放送設備を維持できなくなってきたため、比較的放送設備が簡単なFM放送に完全移行するということで、その際はTVの地上デジタル化で空きになった90MHz帯で専有周波数帯幅の広いFM波での放送に完全移行し、現在のAM放送視聴範囲はFM中継局を設置してエリアアカバー(90%)するということらしいです。ただし、完全FM化しても現在の放送エリアををカバーしきれない北海道(HBCとSTV)ならびに秋田(ABS)の3局だけは2028年以降もAM放送を継続するということなのですが、この3局もWFM局での放送はすでに始めていてAM放送と同じ内容の放送を90MHz帯で放送していますので、中継局全域カバーの問題さえ解決できればAM放送停波ということも十分考えられるのです。ただ、北海道は周辺海域で操業している漁船の聴取も考慮しなければいかず、全面的にワイドFM化してAM廃止ということは現実的ではないかもしれません。 諸外国の実情はドイツとフランスではすでにAMラジオ放送は2015年に廃止され、FMラジオ放送しか行われていないとのこと。EUを離脱したイギリスではまだAMラジオ放送は安泰なもののFM放送に移行した地域もあるようです。アメリカでは逆にAMを停波してFMのみの放送完全移行をFCCに申請したラジオ局にFCCが許可を出さなかったなどという話もありますし、アメリカは国土も広いため、AM放送局はいまのところは安泰のようです。同じように国土の広い中国やロシアでもAM廃止ということは考えられません。ああいう国は垂直アンテナより断然高利得の巨大な指向性アンテナを全方向カバーで展開して1000KW級超の出力で全領土に電波を飛ばす広い土地もあるでしょうし(笑) そういえば、ドイツやフランスの国内向け自動車のラジオは当然FMしか受信できないものを搭載しているのでしょうか?あまり話題にもなりませんが、今はナビなどと統合されたオーディオシステムで音声で操作なんてことも当たり前でしょうからAM受信機能が密かになくなっていたとしても、知らない人は気が付かないかもしれません。
 とはいえ、今の世代はタブレットやスマホで、もしくはAI スピーカーでradikoを介して放送は聞くことはあっても、そもそもまともにラジオなんざ持っていない人のほうが多いのではないでしょうか?どういう統計を取ったのかはわかりませんが、今の所90MHz超のWIDE FMを聴取可能のラジオの普及率は53%だといいます。これ、radikoでの聴取者数も反映されているのかどうかはわかりませんが、うちの普通の古いAMモノバンド真空管ラジオがダメなことは当然として、FMのあるラジオでも一時期流行ったTVの音声が3chまで聞けるというラジオはたぶん大丈夫ですが、古いラジカセに2台くらいあったかしら?KENWOODの広域帯受信機能付きのTH-F7もいけそうですが、そもそも現居住地が北海道なのだからAM停波問題は地元放送局に関しては関係ありませんし、ほんの2kmくらいしか離れていないところにSTVのAM中継局の高いアンテナが立ってますし、戦時中の再生検波のラジオであろうと、古い通信機型ラジオであろうと今の所は心配ありません。
 しかし、今の若者はスマホでradikoを使ってであろうと、週にどれだけラジオを聞いているのでしょうか?好きなアーティストや芸人のオールナイトニッポンなんかはタイムフリーの聞き逃し受信を使って好きな時間に再生することはあっても自分のライフスタイルの中にラジオのリアルタイム聴取している若い人がどれだけいるのやら。その若者のラジオ離れというのが深刻な問題になり、さらに新型コロナウィルスによる飲食店営業自粛などのあおりを受け民放ラジオ局運営の生命線であるローカルCMスポンサーは軒並み撤退。さらに大手のCMスポンサーはネット広告に流出してしまって収支が成り立たなくなり、結果として設備維持も成り立たなくなってしまったということなのでしょう。実は今はどうかは知りませんが、昔からラジオのCMというのはTVには出てこないような独特なものが多く、というのもTVは家族で見るもの(今は違いますが)ですが、ラジオは基本個人で部屋に籠もって聞くもの。まだ宵の口から鶴光が「注射まだでっか?」なんてやっていたので、CMも圧倒的に若者向けの商品が多く、昭和50年代初期には計算尺に変わって爆発的に普及した関数電卓のSHARPピタゴラスのラジオCMなんかがありましたし、若者向け出版物、レコードの新譜、秋葉原の家電量販店、コンタクトレンズのCMも多かった。平成に入ってからはマイルーラなんていう避妊具や包茎手術のCMまでやっていたのはTVには真似のできないところ。そのラジオCMというのはビジュアルがなく「言葉で聞かせる」ものですから一種独特で、小芝居がらみが多かったのが特徴でしょうか。
 現在ラジオ放送への依存度が高いのは高齢者で、NHK R-1のラジオ深夜便を一晩中つけっぱなしという人も多いのでしょうが、実は当方もラジオ深夜便からマイあさに至るまで40年も前に秋葉原で購入した古いラジオのつけっぱなしの習慣がついてしまっています。というのも学生寮出てアパート暮らしになってから2年以上もTVがなくて、アパートに帰ってからはもっぱらラジオ生活であったことからTVを見るよりラジオを聞く生活が身についてしまったことと、ラジオで緊急地震速報が放送されるようになってからしばらくして東日本大震災が起こり、それが契機となって防災上、一晩中ラジオ点けっぱなしが習慣になってしまったのです。胆振東部地震のときは揺れ始めてから緊急地震速報が鳴りましたが、それでも飛び起きたため崩れた本の下敷きになるのを免れました。タイムラグのあるradikoでの受信だとこういうわけにはいきません。また緊急地震速報発報に関してはエリアメールや地元の防災無線の速報音よりも断然早かったような気がします。そういう防災上の観点からNHKは現在のR-1,R-2の2局放送を1局に統合するもののAM放送は継続することとされています。そのため、戦時中はNHKも2局が1局に統合され、全国同じ放送が流れていたわけですから戦時中の再生検波のラジオも元の1局時代に戻るわけです(笑)そういえば在京中に組み立てたゲルマニウムダイオードを使ったラジオはバンド内のどこもTBSが混信しているというシロモノでした。それをIFT使ってダブルスーパーにするとなぜ選択度が上がるのか、などがそもそものラジオの初歩なのですが、全国的に民放ラジオ局がAMから撤退すると中破の電波伝搬理論などとともに非常にわかりにくいものになってしまいそうな。秋の夜中に入り始める関西系のAMラジオ番組のローカルCMを聴いて「おお、さすがは実利の関西!」なんて体験することも今後は無くなってしまうのも惜しいのですが、それ以上に各ローカル放送局に受信報告入れてベリカード貰うたのしみも過去のものになります。当方QLSカード発行のほうが忙しいので放送局に受信報告書は送ったことないのですが、昔のBCL全盛時代は過去のものになり若者のラジオ離れの現在、ベリカード収集を趣味にしている層というのはどれくらいの人口があるのでしょうか?
 そういえば1エリアから8エリアに引っ込んでしまい、一番残念だったのはFEN(現AFN)がどうやっても聞こえなかったことでした。なにせ一時はFEN流しっぱなしにしていた時期もあり、12時のアメリカ国歌の放送でやっと一日が終わったと実感していた時期があったのです。場所的に三沢の放送が聞こえないかと思ったもののほんの基地周辺エリア向けに小出力で放送しているというので土台無理というもの。それで何年か経ってネットでも聞くことが出来ることを知り、今ではタブレットに専用アプリをダウンロードして聞くことが出来る時代になりました。驚いたのはジャンることに何chもあることと、基地ごとに独自の放送も行っているということ。ただ、810kHzの表示を見ながらラジオで受信するAFNとネットで聴くAFNはなにかやはり別物という感じがして今は頻繁には聴きません。このAFNも今後のAM放送はどうなってしまうのでしょうか?AFNの送信所はしばらく前にアンテナなども更新されたため、地方ローカル民放送信所のようにただちに設備老朽化することはありませんし、そもそも米国の軍事予算で運用されているため、広告収入減少は関係ありません。またAFN Tokyoの和光送信所は横田厚木座間横須賀の南西方向に指向性をもたせた放送を行っているため、千葉県在住中も「こんなに電界強度が低くなった」などと思ったほどで、どうりで北海道では深夜帯であっても810kHzがまったく受信できなかったわけです。

Dvc00078

| | | Comments (0)

June 15, 2021

同番異尺のRICOH No.503 5インチ学生用?

 5インチのポケットタイプ計算尺のRICOH No.503ですが、このポケット計算尺は戦前IDEAL RELAY商標の東洋特専興業で製造されて理研光学から発売されていたものに遡ります。表面はA,[B,CI,C,]D,で、裏面はS,L,T,の尺度を持つポリフェーズドマンハイム型。戦前HEMMIのNo.34R相当のポケット尺なのですが、HEMMIあたりでも戦前すでに表面にK尺を追加したNo.34RKが主流となり、Relayブランドでもおそらく戦後にK尺追加のNo.505にモデルチェンジしていつの頃からかNo.503はフェードアウトしてしまったようなのです。そのため、戦後生産もののNo.503はなかなかお目にかからないものなのですが、今回入手したのは紛れもないRICOH時代のNo.503です。ところがこのNo.503は√10切断尺が採用され、さらに5インチのポケット尺の通常の形状とは異なり、No.84などの学生尺と同じくスケールがなくて本体は単なるスクエアの断面を持ち、裏側や側面も8インチ学生尺同様に竹の断面が露出したニス塗りのものです。さらに滑尺裏はセルロイドこそ貼られているものの三角関数尺などを持たない単なるブランク。そのため、尺度が表面のみのDF,[DF,CI,C,]D,A,のたった6尺しかない計算尺です。
 用途としてはやはり学生用なんでしょうね。ただ、5インチの学生用ポケット尺の存在意義があったのかどうかは甚だ疑問で、どうしても√10切断尺の5インチポケット尺が欲しければNo.512を購入すればいいと思うのですが。学生用でありながら8インチではないために500番台の型番を付けなければいけないということはわかるものの、新しい型番を付けずに欠番になった型番を踏襲するという意味もよくわかりませんが、Relay/RICOHの計算尺は往々にして同一品番ながら内容が異なるという計算尺が何種類か存在するので驚くにはあたらないかもしれません。
入手先は熊本の山鹿市鹿本町でしたが、この山鹿市は訪れたことさえないものの、同じ職場で数年間毎日顔を合わせていたデザイナーの二瀬氏の生まれ故郷。彼は父親の介護の都合で若妻とまだ物心つかない息子を連れて横浜から山鹿に引っ込んですでに音信不通30年ですが、そんな山鹿市からやってきた訳わからのNo.503。もしかしたら5インチの学生尺を作ったものの、売れる宛もなくて試作品だけ製造元の佐賀周辺県にばら撒いたなんてこともあったんのでしょうか?どっちにしても珍尺なことは確かです。なお、デートコードは刻印されていませんでした。また、赤いカーソルバーにカーソルの盤面が接着されているというプラカーソルも珍しいと思います。

Ricoh503
Ricoh503_20210615181301

| | | Comments (0)

June 12, 2021

HEMMI 星座早見盤

Dscf4251  我が家には物心がつく頃から星座早見盤というものがあり、幼稚園に入る以前からおもちゃとしていじくり回していたような気がしますが、その星座早見というのは金属の円盤の上に赤いビニールに透明楕円窓が色抜きされていたものでした。おそらくは三省堂が発売した天文学会編新星座早見という星座早見盤だったと思います。これは後に学研の科学を購読する学年あたりから本来の使い方を覚え、天文少年時代の重要なツールとして円盤が反って透明部分がすだれ状に傷が入るまで酷使されました。街の青少年科学センターで開催される天文クラブの美品はお椀型の星座早見盤だったのですが、その早見盤より大きくて、より暗い(?)恒星まで描かれているというのが使い勝手がよく、全天恒星図を買ってもらうまで、星図代わりにも使っていました。その三省堂の新星座早見がなぜ家にあったかというと、どうやら父親の蔵書の中に野尻抱影氏のものが何冊かあり、その著作を理解するために本屋に並んでいたものを衝動買いしたのではないかと思いますが、真相はわかりません。
 その星座早見盤ですが、一般向けとしては明治末期の1907年に三省堂から発売された日本天文学会編の星座早見が嚆矢らしいのです。それまでは舶来の星座早見があったとしても、その緯度が当該国の標準であるため、北緯35度基準の日本では使いづらく、日本独自の星座早見が必要だったからではないかと思います。しかしその星座早見は長らく天体に興味のある学生や研究者のものであり、一般大衆に普及するものではありませんでした。その星座早見盤があまり天体に縁のない人たちにも爆発的に普及したのは、どうやら昭和30年代になってスプートニク打ち上げ成功をきっかけとした人工衛星や有人宇宙船などがつぎつぎに打ち上げられたことや池谷関彗星などの日本人アマチュア天文家の新天体発見などの活躍により、一種の天文ブームが到来した事ではないかと思います。そのため、昭和35年ころからこの星座早見に参入する業者が増えました。その星座早見盤の代表格が明治末から製造し続ける三省堂と戦後参入組の渡辺教具製作所で、特にお椀型の渡辺教具製作所は地球儀メーカーらしく全天を半球に見立てたお椀型の星座早見盤を製作しはじめたのは昭和30年あたりとのこと。当初渡辺教具は天体望遠鏡メーカーへのOEMも多く、地元の天文クラブで使用していた半球形星座早見盤もエイコーブランドだったような気がします。この半球お椀型星座早見盤は渡辺教具製作所が特許を取得したとのこと。
 その昭和30年代の天文ブーム以前にヘンミ計算尺が星座早見盤を作っていたのはあまり知られていません。というのも天文関係には関わりのないヘンミ計算尺が昭和30年代の天文ブームに乗って新たな製品展開を考えたというのなら話はわかるのですが、どうも昭和23年にはHEMMI星座早見盤が完成していたようで、それを証明するようにヘンミ計算尺株式会社の会の字が「會」になっていたり、本体表記のあちらこちらに旧字体が存在するのです。すでに市場で発売されていた星座早見の本体は紙製であったのに、ヘンミ製星座早見は本体は白色セルロイド盤の印刷で、楕円に透明抜きされた円形セルロイド盤が回転するという現在総ての星座早見が等しく備えている特徴があり、その構造で実用新案を申請したようです。大きさがコンサイス円形計算尺のような直径12cmというポケットサイズですが、もしかして日付の基線長が10インチということにこだわったのか、いかにも小さくて使いづらいもの。当時は一般的な緯度は北緯35度用で、日付の目盛は一月が3等分。時間は一時間が二等分する目盛しか施されていないというもので、昭和30年代の天文ブーム以降に発売されていたものと比べるといかにも簡易的な感が否めません。また昭和30年代の三省堂赤盤新星座早見は緯度の補正のためのサークルが印刷されていて北緯42度のうちの地方では非常に重宝しましたが、そういう配慮もまったく見られないのです。そのため、昭和30年代になったときには他に新しい星座早見が色々出来てきて時代遅れとなり、そのうち本業の計算尺製造販売が最盛期を迎えたため、本業以外のものをあっさりと切り捨てたということでしょうか?まあ考えようによっては戦前すでにこのHEMMI星座早見盤は組み立て前のパーツの状態で出来てはいたものの、戦争で不要不急の商品として発売することが出来ず、戦後の社会がやや落ち着いた頃に戦前すでに完成していた部品を組み立て、換金目的で発売した、というのかもしれません。戦後になって新製品として製造したのなら、もっと数が多く残っていて然るべきですし、改良版も一度くらい出てもいいような気もします。おそらくは昭和30年代に差し掛かり、三省堂から大幅な改訂版の赤版新星座早見や渡辺教具のお椀型が発売に至り、市場での存在価値がないと製造を止めてしまったのでしょうか?
 そういえば、昔の星座で気になっていたことがあったので、検証してみるとその予想は的中しました。このHEMMIの星座早見盤はなんとアルゴ座が分割されずにそのまま印刷されているのです。アルゴ座は領域が広いために国際天文学連合の取り決めで3分割し、それぞれほ座、りゅうこつ座、とも座になったというのは小学生のときにすでに知っていたのですが、このヘンミの星座早見盤はそのままアルゴー座表記になっています。このアルゴ座分割の取り決めは第一次大戦後で世界に落ち着きが戻った1922年にイタリアのローマで開催された第一回国際天文学連合の総会で決議されたことだそうです。このときに星座の境界線などの国際基準も規定されたそうです。日本でいつ頃からアルゴ座が消えてほ座、りゅうこつ座、とも座の表記が一般的にも認知されたのかはわからないのですが、少なくとも昭和30年以降の出版物や星座早見盤などでアルゴ座の表記は見たことがありません。また星座の表記も旧字体の漢字表記が多く現在のインディアン座が印度人表記だったり、そのため、何かコピー元になるような古い星座早見があって、それをそのまま縮小サイズに設計し直したものの、もともと設計者があまり最新の天文情報などに通じてはおらず、アルゴ座が分割されていない表示が古いなどという考えもなかったのかもしれません。それを戦後そのまま売り出したものの、改訂版を作ろうという人材も意欲もなくて、本業に専念するため切り捨てたというのが真相でしょう。
 でも、個人的にはポケットサイズの星座早見盤もありだと思うのですが。ただし、薄いセルロイド製星座早見は学習雑誌の付録なみのクオリティでいただけません。直径12cmの星座早見盤はいかにも小さいような気がしますが、以前新宿のヨドバシカメラで購入したシチズンの2代目コスモサインと比べれば、実用度は上だと思います。ただ、コスモサインは自動的に23時間56分で星座部分が一回転し、常にその日月のその時間の星座を表示してくれるという先進性がありましたが。

Hemmi_20210612100601
Hemmi_20210612100602

 

| | | Comments (0)

June 05, 2021

HEMMI No.130 10"片面技術用 システムダルムスタット

 システムダルムスタットの片面計算尺であるNo.130は昭和40年代中頃にNo.130Wにモデルチェンジするまで唯一クラシカルな馬の歯型目盛で発売され続けた計算尺です。というのも昭和15年位に一度発売が予告されたものの、日中戦争拡大と太平洋戦争開戦により不要不急の新製品としてお蔵入りしたものを、戦後になってからそのまま発売したため、デザインは昭和15年以前のNo.80やNo.64と同一のドイツ尺を模した馬の歯型目盛であるということらしいのです。これはドイツの代表的なダルムスタット型片面計算尺Nestler No.21そのままです。ただ、軍需産業などで多用されたリッツのNo.64は戦時中すでに目盛の原版が消耗したのか新しい物差し型目盛に改修され、同じく戦時中に多用された電気尺のNo.80も戦後に目盛原版を物差し型目盛に改めたのに、まったく使用されなくて消耗していない目盛原版だったNo.130は戦前のままのデザインで新製品として売り出したということなのでしょう。ただ、このNo.130が爆発的に普及したのであれば早々に消耗した馬の歯型目盛原版を物差し型目盛り原版に差し替えることも出来たのでしょうが、時代はすでに両面のログログ尺も完成しており、片面尺は√10切断尺が主流となって、国内ではNo.130は「あってもなくてもどうでも良い目蒲線」状態になっていたのだと思います。そもそも片面計算尺のリッツやダルムスタットというのはA.Nestlerで発売されたのが最初のようですが、リッツはおおよそ1903年頃に対してダルムスタットは1925年頃ということで20年以上のタイムラグがありました。その新しい方のダルムスタットは宮崎治助氏によると欧州のある地域では教科書で取り扱われるほどの教育用標準計算尺として採用されるところもあったほど戦前の一時期隆盛を極めということです。1925年といえばすでに大正の末期。その一部欧州地域でのダルムスタットを輸出も念頭に15年余りで発売に漕ぎつけたものの、輸出先に見込んだ欧州はすでに戦乱の地となり、そもそもダルムスタットに縁がないアメリカに大量輸出が成り立つわけもなく、結局は太平洋戦争開戦で不要不急の新製品扱いで発売中止。そんな余裕があったら軍需産業や教育現場で定着したNo.64やNo.80、両面尺ではNo.153を増産するということだったのでしょう。
 そんなNo.130は10年のお蔵入り期間を経て昭和26年頃にめでたく再発売されるのですが、すでに流行期の過ぎたダルムスタット片面計算尺に需要がそれほどあるわけでもなく、輸出自体もどれほどの引き合いがあったのかもわかりません。その後も牛の涎のようにずるずると発売が続くのですが、側面三角関数尺があるために専用のカーソルが必要なため、昭和40年代も半ばを過ぎて三角関数尺を表面に持ってきて、物差し型目盛として近代化したNo.130Wにモデルチェンジします。小ロットながらも欧州向けの輸出があったのでしょうか?そのNo.130Wとほとんど同じ尺度のものがRicohによってNo.121というモデルで新たに発売されるのですから驚いてしまいますが。このNo.130WもNo.121も国内では本当に見つかりません。大半が輸出として外国に出回ってしまったのでしょう。16年ぶりくらいに愛知県の知立市から入手したNo.130はケース欠品ながらとてもきれいな個体で、デートコードは「OH」ですから昭和39年8月製で本来ならラージロゴの緑箱入りです。ヘンミ計算尺としては一番油が乗っていた時代の製品だけに工作・仕上げともに非の打ち所がありません。同時代のNo.2664Sと比べると目盛原版が消耗していないためなのか目盛の彫りもすっきりくっきり濃いように感じます。その後、マイナーチェンジで形式名メーカー名とSYSTEM DARMSTADTの文字が表面に移動したものが発売になります。

Hemmi130
Hemmi130_20210605111601

| | | Comments (0)

June 04, 2021

住友電工イゲタロイ切削速度計算尺

 住友電気工業(現在は分社化した住友ハードメタルの扱い)が戦後70年以上に渡って製造してきた「ダイアモンドの次に硬い合金」とうたわれるイゲタロイを使用した切削用バイトに対する切削速度計算尺です。イゲタロイとはおなじみ住友マークの井桁とアロイとの造語らしいのですが、あの住友マークは北海道人からすると住友の炭鉱ヘルメットマークを連想してしまう世代はもう50代以上?(笑) まあ、住友赤平炭鉱は平成に入ってもまだ稼働していたわけですが。ちなみにこの住友ハードメタルの北海道における営業拠点は唯一うちの街にあるようです。というのもうちの街の周辺部にトヨタ関連の自動車部品メーカーが集中しているためで、これが札幌あたりに営業拠点を構えているといくら高速が繋がっているとはいえ、時間的に細かい対応ができないということなのでしょうね。電話かけて30分以内に納品してくれないと部品製造業は大きな損失になりますので。
 そのイゲタロイ切削速度計算尺ですが、その作りは滑尺が移動するだけのスライドチャート的なもので尺度は[被切材外形(mm)、回転数(r.p.m)、]切削速度(m/min)。一番下は被削材外形を測るための10cmスケールです。裏面は各種被削材に対するバイトの適合表と切削馬力の計算式が印刷されているという状態。この切削速度計算尺はいつ頃に作られたということが判然としないのですが、新しいものではなさそうで、概ね昭和50年代前半くらいのものでしょうか?こういう切削速度計算尺は汎用品を計算尺メーカーが作っても概算値を表すものしか作れないため、切削バイトを製造販売しているメーカーごとに正確な切削時間を計算する専用計算尺を作ったわけです。どのメーカーの切削速度計算尺も計算尺自体の製造メーカーの手がかりがまったくありません。おそらくは工具のオマケ的な扱いで安く大量に必要だったのでしょうからHEMMIのような計算尺専業の会社ではなく、定規あたりを作っているメーカーの手によるものなのでしょう。入手先は神奈川の相模原市南区からでした。

Photo_20210604132601
Photo_20210604132602

| | | Comments (0)

May 10, 2021

Kenko 7x18mmミクロンタイプ双眼鏡(東亜光学)

 Dscf4229 ミクロン型双眼鏡の元祖は戦前日本光学の6x15mmですが、この双眼鏡はオペラグラスほどの大きさながら視野角や倍率などもオペラグラスの比ではなく、戦前戦後を通じて貴重な外貨獲得手段となりました。しかし、戦後は7x50mm7.1°のノバー型同様に日本光学の設計を元に色々な会社が製造に参画し、板橋双眼鏡生産の拡大に貢献するとともに、本来はポケットに入るほどの小型双眼鏡であることからミクロン型だったはずなのに口径や倍率なども年々拡大して後には口径50mmで18倍というような大型のものまで登場するようになりました。
 しかし、このミクロン型の双眼鏡も円の変動相場制後の円高とオイルショックにおける材料費高騰による板橋輸出双眼鏡の業者淘汰により衰退し、昭和の末期にミクロン型専業の栃原オプチカル製作所の製造撤退とともに日本での製造は途絶えました。だた、今世紀に入ってからニコンが6x15mmのミクロンタイプを限定生産したことがありましたが、そのころはカメラのS3やSPの再生産で大いに話題をさらったニコンも2021年に国内でのカメラ生産を終了させるとのこと。そりゃ今や半導体露光装置のほうが売上が大きいでしょうし。
 久々に入手したkenkoのミクロンタイプ7x18mmですが、これは以前入手した東亜光学Cometの7x18mmと同倍率です。ただ、以前のものが昭和30年代製造と推定されるミクロンタイプの双眼鏡で、鏡筒なども真鍮を削り出したものにメッキを掛けてある作りで、かなりのコストが掛かっていることが伺われました。さすがは1ドル360円時代の双眼鏡で、コストダウンの気配は微塵もありません。それに比べて今回のKenko7x18mmミクロンタイプは鏡胴が軽合金の引き抜きにメッキを掛けたもので、プリスムのカバーなどの軽合金プレスにメッキを掛けたもの。全体的にコストダウンが明らかでそのため妙に軽く、東亜光学Comet7x18mmが重量250gもあるのに対してこちらの方は190gしかありません。まあ、見え方自体は差がさるわけではないのですが、30年代生産ものがある意味見事に手間が掛けられているのにそれを知ってしまうとこちらの方は少々情けなく思えてくるのです。ビクセンの斎藤氏の言葉を借りれば「ミクロン型生産継続のための涙ぐましい努力」なのだそうですが、「金属の軍艦部だとばかり思っていたカメラが実はプラスチックにメッキを掛けていた軍艦部だった」並のがっかり度は否定できません。フォーカシングは対物レンズ側を動かして焦点調整するニコンタイプで、本体に製造メーカーを表す刻印も見当たらなかったため、栃原オプチカルのOEM製造でKenkoの名前が付けられたものだとばかり思っていたのですが、今回再度虱潰しに観察すると、鏡筒根本の黒い部分JAPAN刻印の上にうっすらと「J-B001」のメーカー刻印があり、なんと栃原のOEMではなく前回と同じ東亜光学のものであることはわかりました。東亜光学でもかなり後までミクロン型の製造が続いていたことがわかりました。現在の東亜光学は双眼鏡からは撤退して久しく、医療光学機器関連部品の製造にシフトしているようです。


Dscf4233

| | | Comments (0)

May 08, 2021

中一コース・中一時代付録の計算尺(紙製5インチ)

 旺文社の中一時代新年号と学研の中一コース新年号付録の計算尺です。中1コースのものは昭和37年新年号のもので、中一時代は昭和40年新年号もの。尺度記号の書体に若干差があるものの(学研のほうはCIがC1の誤植になっている)実質的には同一の紙製逆尺付き5インチマンハイムタイプの計算尺です。こういう紙製の付録は後世に残るものではなく、本物の計算尺を購入した時点で打ち捨てられてしまうため、内容的にはチープな計算尺ですがかなりのレア物です。ちなみに昭和40年代に入ってからのこれらの付録計算尺は同じく紙製ながら√10切断のずらし尺をそなえ、HEMMIの名前が入ったものもあります。この逆尺付きマンハイムタイプは昭和40年代初期までのものなのでしょう。別途中一時代昭和43年2月号に付録として入っていた「計算尺使い方ハンドブック」という説明書があり、こちらはすでにずらし尺の操作の説明になっています。
 ところで、当方の世代でも年間購読特典の万年筆目当てに中一コースか中一時代を書店に予約するというのは当たり前の時代で、当時は出入りの書店の配達員がボテ箱乗せた自転車で届けに来てくれてました。そして月末に他の雑誌などと一緒にまとめて集金に来てくれるというシステムだったのです。小学校のときには6年の科学と学習(これは書店扱いではなかった)の両方を購読していたのですが、中学に入ってからは旺文社の中一時代のほうを年間購読し、予約特典の「帝金の万年筆」をもらいました。学研の中一コースの万年筆はどこのメーカーのものだったのかは記憶にありません。この年間予約特典は時代とともにラジオになったりカメラだったりデジタル時計などというものもあったようですが。しかし当方の世代には(昭和47年入学)すでに新年号にも計算尺の付録はありませんでしたし、小学校5年6年と2年間は学研の科学も学習も両方購読していた当方の記憶では前年昭和46年度の6年の学習にも計算尺はありませんでした。ちょうど当方の世代が学習雑誌からも計算尺が消えた境目の学年なのかもしれません。
そういえば我々が中学に上がる当時はこの手の学習雑誌や参考書のコマーシャルなどというのはテレビのチャンネルを捻れば(ここだけでも世代がわかりますが…)いつでも頻繁にあったものですが、少子化の進行により平成に入った頃に中学生以上の学年別学習雑誌は次々に廃刊になったようで、学習参考書専門の出版社も今は殆ど残っていない状態です。TVコマーシャルといえば、今や家庭教師派遣のトライや進学塾のCMばかり(笑)
 参考までに√10ずらし尺に変わった中1時代計算尺取説画像も貼っておきます。

Photo_20210508140201
Photo_20210508140202
Photo_20210508140203

| | | Comments (0)

May 02, 2021

TAIYO 油圧/空気圧計算尺

Photo_20210502132801  油圧、空気圧シリンダーの中堅メーカーだった太陽鉄工の油圧・空気圧計算尺です。大阪で昭和8年創業の太陽鉄工はバブル崩壊時の金融引締の煽りを食って債務超過に陥り、一度会社更生法の適用を申請し倒産。86億円の債務を38%に圧縮して15年で債務を返済する再建計画を立てたものの、なんと4年半で債務を返済して会社更生手続きを終了し、その後東証2部に上場するという会社更生のお手本のような回復ぶりをした企業だったのですが、そこに目をつけた外資のパーカーハネフィンと当初は業務提携を締結し、後にTOBで株式を取得され、現在は米国パーカーハネフィンの完全子会社になっています。その親会社は古くから航空機の部品を製造しており油圧アクチュエーターなどをロッキードやボーイングに供給しているというお話。その太陽鉄工がおそらく昭和50年代くらいにリリースしたのがこの油圧・空気圧計算尺です。2つ折りのケースの中に説明書と本体が収められているというなかなかの優れものですが、本体はカードタイプのスライドチャートにカーソルが付いたという簡易的なものです。計算尺としては少々頼りない感があり、ケースから出た裸の状態ではおそらく惜しげもなく捨てられてしまって残存しないことで、逆に希少性があるようで、15年ほどでオークション上に上がったのがおそらくは5本以下。大抵は何本かのセットの中にあるような出品のされかたをしていますが、何年か前に単独で出品されたとき、確か25k円くらいの落札金額がついたことがありました。計算できる項目は説明書によると油圧関連が1.ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5.シリンダー容積の算出 6. シリンダー作動に対する必要油量(ポンプ吐出量)の算出 7. シリンダー速度の算出 8. 電動機出力の算出 9. 配管内径の算出 10. 管内径における流量の算出 11. アキュムレータの容量計算 とあり、空気圧関連が 1. ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5. シリンダー容量の算出 6. 消費空気量の算出 7. コンプレッサ出力の算出とあります。同様の計算尺は油圧関係としてHEMMIで製作された不二越の油圧計算尺があり、けっこう数も多く出回っているのですが、太陽鉄工は油圧と空気圧のシリンダー双方とも製造している関係で双方の項目を一本に納めなければいけないため、このような計算尺になってしまったのでしょう。通常の計算尺と違い基線長何インチの計算尺と分類できませんがおおむね5インチ計算尺相当で、全長19cm、幅6.6cmの幅広計算尺です。製造はHEMMIでないことは確かなのですが正確な製造元は不明。売価2000円とありました。入手先は兵庫県の明石市からです。

Photo_20210502133101
Photo_20210502133102
Photo_20210502133103



| | | Comments (0)

April 24, 2021

HEMMI 機械試験所式工具寿命計算尺

 HEMMIの機械試験場式という形式名がなくタイトルだけが付いた5インチ両面計算尺です。これ、ATOMさんのコレクションか何だかPaul Rossさんのところに掲載されているくらいしか知られていない大変珍しい計算尺だったのですが、3年ほど前にまとめて何十本もの未開封品が出てきて一気に普遍化しました。ただ、その時に出てきた計算尺は倒産して民事再生法手続きを受けた本間金属工業という新幹線の車輪削正機械などを一手に手掛けていた機械メーカーのノベルティーで、何らかの財産整理で市場に出てきたものだと思いますが、今回入手したものは無印の市販計算尺です。機械工具の切削バイトなどの工具寿命に特化した計算尺に類するものだと思われます。機械試験所というのは当時の通産省工業技術院傘下の産業機械技術の試験研究に携わる国の機関で、メイドインジャパンの工作機械が欧米の工作機械の水準に並ぶことが出来ず、そこから生まれる製品が安かろう悪かろうの時代からメイドインジャパンが耐久性信頼性の代名詞になることをけん引していった組織です。昭和46年に通産省工業技術院機械試験所から機械技術研究所に名称変更し、昭和55年には東京の杉並区井草からつくば学園都市に移転。そして現在は独立行政法人の産業技術総合研究所の一組織になっています。40年ほど前に当時学芸大学駅近辺に住んでいた知り合いの父親が機械技術研究所の技官で、確かつくば移転直後くらいに定年で退官したはずですが、けっこう海外への出張などが多かった人でした。専門分野が何だったかは聞いていませんが「パリの町は小汚くて、まず店のシャッターを開ける前に大量の犬の糞を掃除する」などというフランス出張のときの話だけを妙に覚えています。まさかこの計算尺の設計に係わっていたわけではないでしょうけど、そんな機械試験所との関りが少しだけあるということです(笑)
 少し以前に三菱金属の切削計算尺について書いたときに本気でHEMMIが切削計算尺を作ったことがなさそうだというのは誤りで、自社設計ではないもののこういう計算尺を作っていた事実は特筆ものでしょう。しかもNo.149Aと同じ形のポケット型両面計算尺という付加価値もあり、これが昭和45年以降の新規製造ならば、おそらく山梨に丸投げされてコストの安いNo.P35Sのようなプラスチック製両面計算尺になってしまったはずです。説明書によるとこの計算尺の目的はやはり「生産工場に置いて所定の材料に旋盤加工を施すに際し、どの程度の切削条件を選ぶべきかの目安をうるためのものである。本計算尺の基をなす方程式は長期に渡り機械試験場において実施してきた切削作業超順の設定に関する研究で得られた結果を最大公約数的に丸めたものである。したがって総ての場合に厳密に適合するものではなく、あくまでも第一近似的目安を与えるものであり、その値を出発点とし、生産途上でこれを理想的に近づけることをたてまえとする。そのためになるべく簡単化して使いやすいように心がけた」とあり、より正確な切削速度などを得るためにはやはり各工具メーカーで出している専用切削計算尺のほうがより有効なのでしょう。本計算尺の適応範囲というものが記されていてそれによると1.作業の種類:旋削加工 2.工具の種類:超硬合金 3.切削材の種類:鋼系(オーステナイト系ステンレス及び耐熱鋼を除く)及び鋳鉄系とあります。
尺度は表面がT,N,K2/V,[K2/DΦ,CI,C,]D,A,Lの9尺このうちN:主軸回転数(rpm) V:切削速度(周速)(m/min) DΦ:工作物の直径(mm) T:工具寿命(min) K1:毎分あたりの直接人件費+経費(作業員及び補助作業員の人件費+設備保全費+動力費+償却費+保険費等)(\/min) K2:工具一刃当りの工具費(工具価格/廃却まで使用できる総切刃数〈または廃却までの総研削回数〉+1切刃あたりの工具ホルダー償却費+1切刃当りの再研削費+1切刃当りの工具交換費)、ここに工具交換費は(毎分当りの直接人件費+経費)×工具交換時間(min)であるとあり、工業簿記の素養があって原価計算などの業務に精通している人ではないとなんのことだかさっぱりわからないかもしれません。
 裏面尺度は赤字でδB2(鋼),青字でδB1(鋼),HB(鋳鉄),[fH,fδ2,TH.Tδ2,]VH,Vδの計8尺です。このうちfδ2(赤字),fδ1(青字):一回転当りの送りで、鋼計の場合のみに用い、それぞれδB2(赤字…送り0.2mm/rev以上の場合)尺とδB1(青字…送り0.2mm/revより小さい場合)尺を使用した場合に対応する(mm/rev)、TH:工具寿命で、鋳鉄系の場合にのみ用いる(min),Tδ2(赤字),Tδ1(青字):工具寿命で、鋼系の場合のみに用い、それぞれfδ2(赤字)尺とfδ1(青字)尺を使用したときに対応する(min)、VH:鋳鉄系の切削速度(m/min),Vδ:鋼系の切削速度(m/nin) だそうですとしか言いようがありません。
 実際にこの機械試験所式工具寿命計算尺が届いて驚いたのは、なんとNo.149Aなどと違って、本体がプラスチック製だったことです。もちろんのこと固定尺をつなぐブリッジは金属製ですし、カーソルもNo,149Aと変わらないのですが、こういう少数生産の特殊尺は当時から山梨丸投げOEM生産だったのでしょうか?入手先は千葉県内でデートコードは「RI」ですから昭和42年の9月の製造ということになります。残念ながら革のサックケースが欠品でした。

Photo_20210424134501
Photo_20210424134601

| | | Comments (0)

April 12, 2021

RICOH No.550S 5インチ両面型一般技術用

Ricoh550s_20210412103901  Relay/RICOHのポケット型両面計算尺の製造はHEMMIよりもかなり時代が遡った昭和20年代後半のリレー産業時代ダブルスターリレーNo.550までさかのぼります。当時の日本では片面尺の5インチ両面計算尺というものがなく、当時のことゆえに10インチの両面計算尺さえ個人ではなかなか手を出すことができないほど高価で、さらにサブユースの5インチ両面計算尺まで携帯用に購入するという需要がまだまだなかったのでしょう。この☆Relay☆のNo.550もアメリカのバイヤーからのアイデアで製造が始まったものだと理解してます。
 そのNo.550ですが、のちの5インチ両面尺のスタンダードとなった等長型の、いわゆるFaber-Castelスタイルではなく、10インチの両面尺をそのままのスタイルで縮小したK&Eスタイルのものです。K&Eスタイルの計算尺は5インチ化してもけっこう大ぶりになるのは否めなく、のちのNo.551ではちゃんと固定尺滑尺が等長化したFaber-Castelスタイルになりましたし、他のプラ製ポケット型両面計算尺もほとんど等長型が主流でしたから、国内では珍しい存在のポケット型両面計算尺になります。
 No.551の前身のNo.550はダブルスターリレー時代の昭和20年代末期にすでに輸出が始まっていますが、意外にOEMで相手先のブランドになっているものが少ないようで、当方の知る限りではENGINEER'SのNo.5500あたりくらいしか見つけられません。そのうちHEMMIからフルログログデュープレックスのNo.149が昭和34年ごろに出てきたことから陳腐化し、No.550Sにモデルチェンジするとともにフルログログ化したNo.551につながるわけですが、このRelayNo.551はNo.550と異なりかなりの相手先名ブランドが多いことで知られています。
 というのも5インチ両面尺としてはNo.550が17.6cmあるのに対しHEMMIのNo.149は固定尺滑尺同長のNo.17cmに納まっています。この0.6cmというのがポケット尺においては意外に取り回しに影響し、必然的にケースも大きくなってしまうことと、アメリカあたりでは10インチの両面尺を革のケースに入れてベルトからぶら下げるなんて使い方も厭われなかったためか、中途半端なポケット型両面計算尺などあまり相手にされなかったというのがOEM製品が少なかった原因でしょうか。
 そのNo.550SはNo.550にCIF尺とDI尺が加えられたものでSはHEMMIでいうところのSPECIALのような意味合いでしょうか。尺度は表面がDF,[CF,CIF,CI,C,]D,L,で裏面がK,A,[B,S,T,C,]D,DI,と普通に使うのに必要なものはすべて含まれているのですが、No.149AやNo.551と比べてしまうとちょっと見劣りがしてしまいます(笑)
 またこのNo.550Sのカーソルランナーはネジが結合するスリーブとの肉厚が非常に薄く、この個体はヒビが入っていてそれが原因でカーソルを押し出し、ネジが一本抜けて欠品でした。デートコードは「SS-8」なので昭和45年8月佐賀製。Relay/RICOHの5インチ両面計算尺はNo.551が主流になったあとも、どういう需要があったのかよくもまあここまで長く作り続けられたものですが。

Ricoh550s_20210412101401
Ricoh550s_20210412101402

| | | Comments (0)

April 10, 2021

鋼板重量計算器 (コンサイス製)

Photo_20210410100101  板金加工のシヤリングというとストーブ煙突の曲がりのようなギザギザを施して鉄板を曲げる加工のイメージがあったのですが、実際は鋼板などをシヤリングマシンという機械で鉄板に刃物を押し当てたり、ガスやレーザーで切断加工する鉄板切断の方法だということを今回始めて知りました。その扱う鋼板は鉄骨などに使うような分厚いものから屋根に使うような薄いトタンのようなものまでいろいろあり、その中で主に3mm以上の鋼板を切断加工する工場の団体である「全国シヤリング組合」というところが規格の鋼板の長さ厚さおよびそれに対する重量を計算するためにコンサイスに特注した重量計算器が今回入手した鋼板重量計算器になります。これと似たものは相当以前に入手した同じくコンサイスのロール鋼板重量計算器がありました。この「全国シヤリング組合」というのは厚板鋼板を切断することを生業とする業者151社が集まって昭和37年3月に結成した任意団体で、オイルショック後の不況期の昭和51年8月に全過半の311社を集めた「全国厚板シヤリング工業組合」という中小企業団体の組織に関する法律に基づく法人に改組されています。そのため、この「全国シヤリング組合」の名前で特注されたこの鋼板重量計算器は昭和37年から昭和51年までの間に作られて加入会員に有償頒布でもしたものなのでしょう。
 Photo_20210410100002 ビニール未開封の未使用品でしたが、説明書は自前で作られたなんと謄写版印刷のわら半紙を畳んだもの(笑)和文タイプ打ちしたタイプ用謄写版原紙を使用したがり版印刷らしく、そうなると昭和45年以前の代物。これが昭和45年を過ぎると原稿をドラムに巻きつけ、一線一線スキャンして原紙を作る謄写ファクスを使用する謄写版印刷が主流になります。この謄写版というのは堀井謄写堂とか萬古という会社がシェアを握っており、当方が小学生のころは学級新聞など小学生自身でガリ版の原紙をヤスリに当てて鉄筆で切るという作業もあったのですが、当方字下手のため、一度も鉄筆を握らせてもらえなかったのでガリ版切りは未経験です(笑)以前、計算尺や製図器をまとめで落札した中に萬古の未使用鉄筆セットが入っていましたので、鉄筆だけは手元にありますが。
 内容的には鋼板の厚さと幅を合わせ、次に長さを読むと一枚あたりの重量が出てくるので、カーソルを一枚あたりの重量に合わせ更に任意の枚数をそのカーソル線に合わせるとその総重量が矢印上に出るという至極簡単な仕組みです。

Photo_20210410100201



| | | Comments (0)

April 01, 2021

HEMMI No.254WN 10インチ両面高校生用計算尺

 HEMMIの高校生用計算尺No.254WNはN(ニュー)が示すとおりNo.254Wをフルログログ化させたモデルチェンジ版です。内容的にはほぼNo.259Dに等しく、高校生専用No.259Dとでもいう存在です。ただ発売が新しいだけあり、No.260同様に尺の右側に計算式を刻んでいるのはRICOHのNo.1053を意識してのことでしょうか。どうもこのNo.254WからNo.254WNへのモデルチェンジは代理店の内田洋行からの要求が大きかったことが伺われ、というのもNo.254Wをリリースした直後にRICOHからはNo.1053が発売されて、高校とのつながりの強さから内田洋行扱いのNo.254WはNo.1053に対して販売数では比べられないほどのシェアを得たものの、フルログログ化したモデルチェンジ版をずっと目論んできたのでしょう。実はうちの計算尺資料ではこのNo.254WNが長らく欠品していました。というのも内容的にはNo.259Dに等しく、No.259やNo.259Dはなぜかたくさん所持していて、いくらカテゴリーが違うとはいえ出品数がさほど少なくないNo.254WNには食指が動きにくかったのと、その気になればいつでも入手できそうだという希少感のなさも影響しているかもしれません。同じようなパターンが5インチ両面尺のNo.149Aにも言えたのですが、こちらは3年前に年代別未開封品をまとめて3個頂いてクリアになりました。とはいえ同じNo.254WNでもKENTとのダブルネームものと別製No.254WN-Sは別格で、チャンスを逃すと次回いつ出てくるかということも予想できません。今回は運良くこのKENTダブルネームのNo.254WNを入手しました。デートコードは「WA」ですから昭和47年1月に仕込まれたベースボディのもので、残念ながらケースは滅却したので以前処分してしまったのと事ですが、年代的には青蓋のポリエチレンケース入りのNo.254WNだったのでしょうか。これ、高校入学時に買わされたものだったそうですが、すぐに関数電卓を使用するようになり、あまり使わなかったとのことです。そうすると昭和47年4月入学ではなく2年ほどあとに高校入学されたかたかもしれませんが、そこまで込み入ったことはお聞きしていません。
 見かけも内容もRICOHのNo.1053によく似ていていますが、RICOHのNo.1053のほうが5年位早くリリースされています。No.1053同様に右側に逆数の計算式が刻まれているのが特徴で、世代の新しい両面計算尺らしくなっています。
 尺度は表面LL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1の12尺、裏面がLL/0,K,A,[B,TI2,TI1,SI,C,]D,DI,L,LL0と12尺の内容は裏面のレイアウトは若干異なるものの内容はNo.259Dに同じです。ただレイアウト的にはこちらのほうが新しいだけあって使い勝手はこちらのほうが上だと思います。それでKENTとHEMMIのダブルネームの件ですが、これは唯一No.2664S-SとこのNo.254WNにだけ存在し(実はNo.254WN-Sにもあるらしい)なぜこの2種類だけに存在するかの理由ですが、当方の見解ではどうも理振法がらみで対象商品として登録されたのがこのNo,254WNとNo.2664SーSだったことからそれを区別するためにKENTの名前も入れて自社商品として扱われたからだろういうものです。特にNo.2664S-SのKENTネームのものは裏側に「48116」と刻まれているナンバーは昭和48年度の理振法準拠品カタログナンバーの116番目の商品だという意味合いだと思うのですが、このNo.2454WNのKENTネームのものには余計な刻印を増やす隙間がなく、このようなナンバーは刻まれていません。
 ただ、学校備品としての特納というわけではなく、新入生が教科書を購入すると同時に個人持ちの計算尺として購入出来たようですが。ただそういう絡み以外に普通に文房具店でKENTネーム入りの計算尺が購入出来たわけではなさそうです。このNO.254WNはNo.254Wに代わり特に工業高校用のスタンダードな両面計算尺として昭和50年以降も寿命を長らえますが、昭和53年ごろに工業高校も関数電卓にシフトしたのちも主に計算尺原理主義の保守的な先生により特納品扱いで納品されていたようです。その終焉は昭和56年ごろという話を聞いてますし、確かに昭和54年の新学期に地元工業高校の教科書を扱っていた薬局にアルバイトで駆り出された同期が関数電卓と計算尺の両方扱っていたという話も聞いてます。当時すでに機械科とか電気科の担当教師の裁量で計算尺にするか関数電卓にするかの2択だったのでしょうか。その最末期のNo.254WNはついにグリーンCIF化したという話ですが、現物はまだ目にしたことがありません。
 鹿児島からはるばるやって来たNo.254WN(デートコードWA)はおまけにサンスケ(三角スケール)が一本付いていたのですが。、その縮尺が1/100とか1/200とかおおよそ機械の設計で使う縮尺ではなかったので、おそらくは工業高校土木科あたりで使用されたものでしょう。

Hemmi254wn
Hemmi254wn_20210401094301

| | | Comments (0)

March 19, 2021

地元防災無線がアナログからデジタルLPWA化

Dscf4223
 うちの街は東西に非常に長く(約40km)市の東西に渡りすべて海岸線に面しており、津波のリスク範囲が広範囲に渡ることと、樽前山という活火山に接していて、火山活動に伴う火砕流などのリスクも有り、地形的にすべての範囲で広報車等による避難連絡をくまなく伝えることが無理で、火山災害リスクの大きい市の西部を中心に音声で避難等の情報を伝える防災スピーカーを25基整備して市役所からの防災無線電波を受信して音声で拡声するというシステムを備えていました。しかし、北海道の気密性の高い家屋では外の音が十分聞こえないということもあり、東日本震災を期に家の中でも防災無線をキャッチして音声を復調する戸別受信機の整備を始めたのが平成25年度のこと。
 市では市民生活部危機管理室が平成25年に防災行政無線の戸別受信機を3期に渡り、まずはハザードマップによる津波浸水被害予想地域や火山災害予想地域の要支援者のいる家庭や公共施設などから配布を始め、その他の地域住民は希望者に個人負担金1,000円で防災行政ラジオを配布しました。この防災行政ラジオはリズム時計の9ZQA07、通称「おにぎり君」という特徴的な防災行政ラジオで受信周波数は69.5MHzのF3E波。いわゆるアナログのFM音声波の受信機だったわけですが、オートスケルチ内臓で、電波が入らないときは音が出ず、またFMやAMのラジオ受信中に防災行政無線の電波を感知すると自動的にこちらの回路が優先されるという仕組みです。市役所に近い地域では市役所屋上の電波塔からの直接波が、また市内の西部を中心に25基の防災無線拡声器が設けられいて、そこの中継機からも防災行政無線が中継されるというシステムだったようです。また、普段は外部電源をつけっぱなしにしておいて、停電すれば内部の乾電池に電源が切り替わるというものでしたが、実際にこの防災行政ラジオからの緊急地震速報で手近のヘルメットをかぶって落下物に注意したのは2回ほど。普段寝るときはNHKラジオがつけっぱなしなので、こちらのほうが先に緊急地震速報の警報音を鳴らすほうがタイミング的に早いようです。さらに胆振東部地震のときは防災行政無線から緊急地震速報が鳴ったときにはすでに大揺れしてましたし、先にNHKラジオの警報音で飛び起きていたあとでした。北朝鮮のミサイルが頭の上を飛んだときのJアラートは空襲警報を連想させてもう二度と聞きたくもないのですが。
Dvc00935  そんなアナログ防災行政無線の戸別受信機も国の政策で令和4年までに全国で完全デジタル化移行するべく国が特別交付金を付けたため、うちの街でも総事業費約15億円の予算を付けて防災無線のデジタル化を推進し、今年度末までにアナログ防災行政無線をデジタルに切り替える事業が進んでいます。そのため、従来配布されてきたアナログの戸別受信機は3/14日で使用不可になるのですが、今では緊急エリアメールが発信されるため、個別の受信機のニーズは従来よりも低くなったものの情報弱者を切り捨てるわけにも行かず、要支援者や福祉施設、学校や公共の施設に対しては戸別受信機10,000台無償配布、その他の希望する世帯は1世帯1台に限り3,000円で有償貸与するということです。
 防災無線のデジタル化は東日本震災で津波被害を受けた地方自治体を中心に60MHz帯アナログをデジタル260MHzに移行した音声通信の形式で、地域くまなく建てられた防災放送スピーカーならびにそこから再送信されるデジタル波を屋内で受信できる戸別受信機がすでにかなりの自治体で整備されています。ただ、津波被害のリスクが少ない内陸部などの自治体は防災放送スピーカーまでは完全デジタル化は達成しても、コストの高いデジタル戸別受信機をくまなく配布できる自治体はまだまだ限られているようです。
 当自治体が採用したデジタル防災行政無線のシステムはLPWA(低出力広域通信)という最新の技術を使用しており、NTTドコモの閉域ネットワークと携帯電波網及び準天頂衛星みちびきとのダウンLINKを使用し、市内に130基新たに設けられたパンザマストにドコモの携帯波と衛星の電波受信装置と拡声スピーカー及びLPWA電波送出装置を設けるものです。このLPWAは無線LAN等と同様に無線局免許状や無線主任技術者の専任がいらないようで、従来のアナログF3Eなどと異なり、文字情報のみを送信して端末側でそれを合成音声で復調するシステムとのこと。従来の屋外スピーカー設置塔もこのシステムに改修して再使用するでしょうから合計150基あまりのLPWA送出設備で東西に長い市全域をカバーできるのかどうかは試験電波を出さないとわからないことも多いのでしょうが、電界強度が低くてLINKできない地域では窓に貼るような形の外部アンテナを有償配布するとのこと。その使用周波数はどうも920MHz帯を使用しているようで、アナログの中継機の再送出出力が100mWだったのに対して10mWで周囲1kmを超えるカバレッジがあるという話なものの2.2GHzや5GHzの無線LANなど比べて伝送速度が圧倒的に遅く、今のところは文字情報送出くらいしか実用出来ません。電波の飛びは段違いだということはわかるものの、今後の920MHz帯の電波利用やLPWAの技術革新の可能性などに関しても完全に浦島太郎状態のアナログ電波技術者の当方にはよくわかりません(笑)
Dvc00934  この新たなデジタル防災無線戸別受信機(LPWA受信機)は平成30年から総務省主導で各メーカーが参加して基本的な3つの仕様が決められましたが、コストの高い安いに関わらず2波ラジオ内蔵、自動録音機能、聴覚障害者のための警報ランプ点滅、外部電源と電池の自動切り替えなどの機能が必須らしいです。そのためアナログの戸別受信機よりも調達価格がかなり上がり、調達数で値段がかなり変わるものの単価の平均は46,000円あまり。アナログ受信機の単価が29,000円ほどなのでかなりの価格アップということになります。うちの街では10,000台での調達単価が29,800円。アナログの調達価格が7,980円だったので市の負担も大きいのですが、どれくらいの割合で国の交付金が付いたものなのやら。そのLPWA送信装置付きの防災無線スピーカーパンザマストですが、基本市有地に建つわけですから小中学校のグラウンドの隅とか児童公園とかそういう場所に増設するのだと思ったら、なんとうちの家とアパート一軒及び道路を一本挟んだ公園内に知らない間に建ってました。昨年8月中頃から建設をし始めたらしいのですが、この公園には11月くらいに公園内のトイレの改修と同時期ぐらいに建設されたらしいのです。うちとの距離はおそらく30mくらいとローケーションは抜群ですから家のどこに戸別受信機を設置してもLINKされないということは考えられません。なにせこの距離だと我が家のWIFIの電波さえ到達するくらいの距離なのですから(笑) ただ、パンザマストの接合部分がまだ自己重量で十分締まっていないらしく、スピーカー設置部分の頂上が風でゆらゆら揺れているが気になりました。なお、LPWA再送信設備は低出力広域送信技術なので、その必要電力は文字通り極小のため、万が一停電で外部電力が供給不能になっても、内蔵電源で何日も送信し続ける事ができるというサバイバビリティーが高いことは言うまでもありません。ただドコモ側のサーバーが使用不可になったときは動作することはできませんが、万が一そんな災害が発生したら市から直接電波を発するシステムだってダウンはまぬがれません。東日本震災時に南三陸町の防災庁舎が津波で浸水し多くの犠牲者を出して機能を喪失しましたが、そういうことにならないようドコモの閉域ネットワークと携帯電波を使用したLPWAの再送出システムというのはサバイバビリティーに対してはかなり有効だと思われます。万が一市役所の親局システムがダウンしても消防庁や気象庁が発信する準天頂衛星みちびきを利用した緊急情報を衛星通信リンク各再送信装置が直接受信し、防災スピーカーで合成音声での放送を行うとともに緊急地震速報携帯のエリア速報メール同様にLPWA網で再送信が可能なのですから。しかし、あの放送冒頭のアナログ制御信号のキュラキュラ音が聞こえなくなるというのも時代の流れでしょうか。そして防災においても資格不要の無線ネットワークの普及というのはますます無線有資格者の肩身を狭めてきます。
 
アナログの防災無線が停波したのが予定通り15日。そして新しいLPWA個別受信機が送られてきたのが19日でした。やはり受信機はNTTデータのもので形式がCLT-100というものでした。市役所から送られて来るのかと思ったらNTTデータ北海道の名前で札幌郵便局扱いで送られてきたようです。一切の初期設定はユーザーがする必要もなくアンテナを接続して乾電池を入れ、外部電源をつなぐだけでLINKが成立し日付も時刻も自動的に修正されます。電波強度は携帯電話のように棒3本で表示され、なにせ隣の公園にLPWAの送出アンテナがあるので強度はバリ3なのは当然でした。ただ、ラジオのFMロッドアンテナが内蔵されていないため、ラジオ受信用のワイヤーアンテナが付属しているのですが、実際に地震で停電になったときはラジオだけが情報源ということもあったので、これから設備保守が大変なAM放送を廃止してFMだけにしようという時代にいざというときワイヤー伸ばしてFM放送を聞くという悠長なことができるかどうか。まあスマホがガラケーを駆逐して100%普及すればこのような戸別受信機も基本不要で、スマホですべて完結ということになるのでしょうけど。
 追記:戸別受信機を受け取った市内の各所からラジオがまったく聞こえないというクレームが市役所の危機管理室に寄せられているそうで。というのも実は当方も対策に関して電話したのですが、説明によるとデジタルとアナログ混在の回路の関係で弱電界の地域ではラジオが聞こえない(?)ので、現在メーカーとその対策を協議予定だが、LPWAのリンクの機能に関しては問題なく、とりあえずそのまま使用し続けてほしいとのことでした。そうなるとリズム時計のおにぎり君(9ZQA07)も新しい電池を入れてそばに置いておかないと、万が一胆振東部地震時のような長時間の停電に見舞われた時はラジオで被害の情報も把握できなくなります。
 また、このNTTデータCLT-100の通電開始後時間積雪量1cm程度の雪や雨がありましたが、再送信装置のパンザマストと数十メートルしか離れていないのにも関わらず、表示電界強度が3本から2本、1本しか立たない時間もあり、降雨降雪での920MHz電波の減衰というのはかなり問題になり、時間100mmくらいの豪雨になったときはほんのわずかな距離しかLINKが成立しないのではないかという懸念も伝えておきました。いちおうはそういうことも勘案してパンザマストの設置場所は検討されているということですが、LPWAは新しい技術だけにまだ実用的な問題がこれからもいろいろと露呈してくる可能性は大いにあります。
 再追記:最初の防災無線試験放送がありましたが、予定時間を過ぎてもなかなか戸別受信機が鳴り始めることがなく、しばらくしてから隣の公園に設置された防災スピーカからの放送が鳴りだしてから相当のタイムラグ(10秒ほど?)があったのちに戸別受信機からも音声が鳴り始めました。テキストベースのパケットを全受信したのちにそれをデコードし、音声に合成する現在のシステムではこれが限界なのでしょうか?準天頂衛星みちびきから中継されるJアラートなどの警報はまた違ってくるのでしょうが、正直携帯に発信されるエリアメールでの緊急速報のほうに伝達速度的には敵わないようです。翌日、正午の第2回目の試験放送。あいかわらすラジオの時報より時刻表示に数秒のタイムダグがありますが表示時刻が12:00になる直前に11:59の表示のまま試験放送の音声が発出されました。まあこれくらいのタイムラグだったら良しとしますが、前回試験放送時と何の変化が生じたのでしょうか?しかし、いまのところはこのLPWA戸別受信機はアナログ防災行政無線時代のように、戸別受信機の作動状態を確認するため毎日正午にメロディー(うちの街はエーデルワイス)が送出されません。音楽を鳴らすためにはテキストベースのMIDIファイルで音を鳴らす音源チップが必要なのですが、今のシステムではプリセットされた警報音は当然あるものの、そこまでのことは考えられてはいません。また戸別受信機の作動状態は「ON LINE」の表示のみで確認するのですが、急にエーデルワイスの曲が流れななくなったというのも何か寂しいものがあります。

| | | Comments (0)

March 13, 2021

技研 No.2510 10インチ片面標準一般形

 山梨の技研計算尺製No.2510という10インチ片面計算尺です。このNo.2510という型番は昭和38年1月1日の技研計算尺価格表によると両面計算尺の型番となっていますので、昭和38年よりも前の型番ということになります。この旧型番の技研計算尺は他に一本あるのですが、残念ながら旧取説が無いので、昭和38年よりも前に技研ではどういう型番でどんな種類がリリースされていたのかということがわかりません。昭和38年1月1日付け以降の説明書なら色違いで3種類もあるのですが。
 その旧型番のNo.2510ですが、尺度が微妙に後の技研計算尺と異なり、どうやら旧型番のみの存在の技研計算尺のようです。その後の後継機種はNo.252という標準一般形のタイトルの10インチ片面計算尺のようですが、尺度が微妙に異なり、こちらはL尺が裏側に移動して下固定尺にDI尺が加わったRelayのNo.116とほぼ同じ内容の計算尺です。なぜNo.2510を廃してNo.252を新たにリリースしたのは言うまでもなくHEMMIのNo.2664S同様の操作性を得るためなのでしょう。そのため、廃版のNo.2510は滅多に見かけることがない計算尺です。もっとも技研の計算尺自体オリジナルブランドでリリースしていた期間が非常に短く、技研計算尺自体がレアな存在ですが。
 尺度は表面がK,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,A,Lで、裏面がS/Cos,T2,T1、逆尺は尺種と数字のみ赤入れされているというシンプルなデザインです。三角関数の尺度の末端部分の分割はちゃんと1°が6分割で刻まれていてRelayのNo.116同様にHEMMIの片面尺より細かく刻まれているという特徴を持ちます。この時代の技研計算尺の貼箱はHEMMI同様の緑一色で、のちの技研計算尺のような白っぽい緑の貼箱ではありません。これも昭和38年より前にリリースされた技研の旧型番計算尺の特徴でしょうか。この時代の技研計算尺の欠点として塩化ビニールの可塑剤の影響で目盛に入れた塗料がすっかり柔らかくなってしまい、ふき取ると目盛がほとんど見えないほど薄くなってしまうのです。そのため、なるべく触らずにそのままにしておくか、すっかりふき取ってパステルか何かで再度色入れする必要があります。入手先は千葉県ですが、この技研の計算尺は東日本から出てくるケースが多く、西日本、特に大阪以西から出てくるケースが少ないように感じます。西日本は当時、Relay/RICOH計算尺の地盤。その強固な商圏に販売力で劣る技研が食い込むことは難しかったのでしょうか。そのため、技研計算尺は「計算尺検定需要」をもくろんだラインナップを用意して、その需要を掘り起こそうとしたのですが…

2510
2510_20210313114701

| | | Comments (0)

March 10, 2021

RICOH No.1053-I 高級(両面型)計算尺 逆尺付

 HEMMIの計算尺は戦時中に発売されたNo.2664の三角関数が逆尺として設計された以降は戦後、新たに発売されるずらし尺を備える計算尺は両面尺も片面尺も基本的には三角関数逆尺で発売されています。これは連続計算手順を含めたトータルの使い勝手を考えたヘンミ計算尺研究部長平野英明氏のアイデアで国内の特許を取得したといわれていますが、他社ではこれに追従した形跡は見当たりません。しかし、昭和30年代あたりから盛んになった計算尺競技大会などのスピードレースにおいては連続計算が一手増えるというアドバンスは大きく、その当時の計算尺競技の標準モデルHEMMIのNo.2664Sに対してRelayでは表面にDI尺を1尺増やして何とかNo.2664Sに対抗したNo.116を発売するに至るわけですが。そのRelayからRICOHにブランドが変わっても三角関数逆尺は採用されることはありませんでしたが昭和47年ごろになって「-I」という枝番が付いた三角関数逆尺の計算尺が発売されたということはあまり知られていません。学校教育用用途の品種に限られ、市販品があったかどうかはわかりませんが、今までは知られていたのはRICOH No.116-IとNo.1051S-I及びNo.1051SE-Iの3種類でしたが、今回初めてNo.1053-Iを発掘しました。
 発掘先は香川の高松で、この手の高校で使用されたRICOHの計算尺は大阪以西が圧倒的に多いのですが、西日本では内田洋行の勢力があまり及んでいなかったのでしょうか?もっとも大阪には戦前から営業する老舗の教材業者が何軒もありましたし大連から引き上げてきて大阪にも拠点があったものの、所詮本社が東京になった関東者の内田洋行の商売はなかなか関西には浸透しにくかったのかもしれません。このNo.1053-Iのデートコードは「SS-12」で昭和45年12月の佐賀製です。「-I」の逆尺付き計算尺が昭和45年には作られていたことがわかります。この時期のNo.1053は大型金属枠カーソル付きながらCIFはグリーンという過渡期の仕様で、ケースは前年頃に透明塩ビケースから青蓋ポリエチレンケースに変更になってあり、この個体も当然ながらブロー成形の青蓋ポリエチレンケースです。ぱっと見であまりNo.1053らしさが薄いなと思ったら、なんと各尺度の末端の計算式がすっぱり無くなっています。あるべきところに数式がないNo.1053というのは何か間が抜けて見えるのは当方だけでは無いと思いますが、数式削除の理由は判然としません。HEMMIのNo.254WNに先駆けての様式を同じ形式を名乗りながらなぜ削除してしまったのでしょうか?またNo.1053にまで三角関数逆尺のバリアントを用意したという理由はやはり高校の教師側からの要求に従ったのでしょうが、No.1051SE-Iなどが意外に普通な存在なのに対し、No.1053-Iは話に聞いたことがあったものの現物を見たのは初めてです。
奇しくも現在所持している4本のNo.1053中で3本までがデートコード「S」の昭和45年製です。その3本中すべてが青蓋のポリエチレンケース入りで金属枠カーソル付きですが、2月製造分のπ切断No.1053がノングリーンCIFなのに11月製造分及び12月製造分はグリーンCIF付という変更期の境目が昭和45年だったということがわかります。このグリーンCIF化はNo.116などと比べるとやや早く転換したことが伺えます。

 追記:この逆尺付きのNo.1053-Iは過去帳を参照してみたところ、当方の把握しているところではオクに出てきた数は16年余りで片手の指の数に満たないくらいの数量です。その中にNo.1053最初期フレームレスカーソル付きで丹頂クリーム色貼箱の昭和39年から40年にかけての製造品が一点ありました。そうなるとどうやら「-I」付のRICOH両面計算尺は昭和40年代も半ばを過ぎて現れたのではなく、当初から用意されていたということがわかります。もっともそこまで逆尺を要求する声はほとんどなかったということなのでしょうが、グリーンCIF化するまではカーソルやケースだけアップデートして古いデートコードのベースボディを出荷し続けていたのかもしれません。そんな例、無印のNo.1051にもありましたよね(笑)

Ricoh1053i
Ricoh1053i_20210310081201

| | | Comments (0)

March 09, 2021

RICOH No.1053 高級(両面型)計算尺 最終型

 RICOHの10インチ両面計算尺のNo.1053は「高級(両面型)計算尺」という扱いですが、その実No.1051系統などと同様に高校生需要を狙って作られた計算尺です。No.1051がHEMMIでいうとNo.P253やNo.264相当になのに対してNo.1053はNo.254Wの対抗馬ながらフルログログデュープレックスで発売されており、HEMMIではNo.254WNになってやっとフルログログ化しています。No.254WNまで5年間のアドバンスがあったもののNo.254Wは内田洋行という強力な代理店があり、高校の先生の好みでいろいろな仕様の別製に応じられる柔軟な受注体制もあって、RICOHのNo.1053は数量的にはNo.254Wの敵ではありませんでした。
 また、No.1051系統は型番に枝番が付いたバリアントが各種存在するのにNo.1053は同一型番で√10切断とπ切断が存在するくらいのバリアントしか見かけません。ただ、世の中に出ている数がNo.254Wなどに比べて少ないだけにまだ知られていないバリアントがありそうで、No.1053が出てくるとついつい注目してしまうのですが。
 しかしRICOHでは高校の教育用としてNo.1053はある程度の推し商品だったようで、わざわざOHP(オーバーヘッドプロジェクタ:透過投影機)用の計算尺まで作っていたことからもうかがえます。
 そのNo.1053ですが製造初年がおそらく昭和39年。最終の製造がRICOH計算尺最終期の昭和50年ごろだと推測していたのですが、今回小型カーソル付きでグリーンCIF化した個体を持っていないことを思い出して入手したのが今回のNo.1053。なんとこれがおそらくは最終製造ロットの昭和50年製造のNo.1053でした。
デートコードが「XS-3L」ですから昭和50年3月の佐賀製。末尾のLはLast Issueの意味合いでしょう。おそらくは工業高校に入学したときに買わされたもののあまり使われずに放置されたものらしく、青蓋ポリエチレンケースは埃っぽかったものの中味は表面のざらつきがまだ残るほどの極上に近いものでした。
 後発である高校生用両面計算尺HEMMI No.254WNと比べると尺度はレイアウトなどに若干違いがあるものの内容的にはほぼ同じです。ただし、HEMMIの三角関数尺はほとんどの物が逆尺ですが、RICOHは特別なものを除いて順尺。また、HEMMIのNo.254WN発売後にNo.1053はいち早くグリーンCIF化したもののHEMMIのNo.254WNは工業高校への特納のみの扱いになった昭和50年代も半ば近くになって初めてグリーンCIF化したものが現れたという話だけは聞いていますが。またこのNo.1053のグリーンCIFは大型金属枠カーソルの物と小型プラメッキ枠カーソルの両方に存在し、その境目が昭和47年あたりではないかと推測しています。
 RICOHの高校生用計算尺のNo.1051が豊富なバリエーションを有するのにこちらNo.1053は型番の変わらない√10切断とπ切断があるのみだと長年思い込んでいましたが、最近枝番付きのものも見つけましたので、これは後日改めて取り上げます。

RICOH No.1053(XS-3L)

Ricoh1053
Ricoh1053_20210309150601
RICOH No.1053(SS-11)
Ricoh1053_20210309150701
Ricoh1053_20210309150702
RICOH No.1053 [π切断](SS-2)
Ricoh1053_20210309150703
Ricoh1053_20210309150704

| | | Comments (0)

February 19, 2021

HEMMI No.P35S 5インチ携帯用(川崎製鉄ノベルティー)

 HEMMIのNo.P35Sという主に企業ものノベルティーとして広告入れを主目的に作られたプラスチック製の計算尺ですが、No.P35に比べると圧倒的に少数派で、なかなか見かけない5インチポケット計算尺の一つです。
P35とP35Sで何が違うかというとそもそも構造が全く異なり、8インチの学生尺でいうとNo.P23やP24とNo.P45Sの違いというのがわかりやすいでしょうか。ブリッジで上下の固定尺をつなぐ構造を廃してバックプレートを上下の固定尺にそのまま接着する構造に変わっています。
その出現時期もどうやらNo.P45Sに切り替わった昭和44年あたりからの変更ではないかと思うのですが、あまりにも個体数が少なく検証出来ていません。またこのNo.P35Sにはこのような滑尺が白いものとP45S同様に淡いブルーに着色されたものの2種類が存在しますが、まあこの計算尺自体が「広告宣伝用としてただで配られる」種類の物ゆえか、注目度は格段に低いのが残念ですが。
ただ、現物はまだお目に掛かっていませんが、通常はブランクで何も刻まれていない滑尺裏にLog尺が刻まれたダルムスタットバリアントがアメリカ向けに別製として存在しているようです。さしずめNo.P35S-SPECIALというところですが、特別な型番は刻まれていません。
 このベースボディは昭和40年代末から現在に至るまで企業からの特注品計算尺として使い続けられているようです。デートコードは「VK」なので昭和46年11月製。その後滑尺がブルーに着色したものが出て来たようですがこちらは未入手。おそらくは多くのプラ尺がそうであるように、山梨への丸投げOEM商品でしょう。これは日本鋼管と合併して現在JFEスチールとして社名が変わった旧川崎製鉄のノベルティーもののNo.P35Sで、裏に川崎製鉄の商標。合成皮革のサックケースにも川崎グループ共通のマークと川崎製鉄のプレススタンプが施されています。

Hemmip35s
Hemmip35p

| | | Comments (0)

February 08, 2021

リコー計算尺の歩みとNo.116の系譜

RICOH/Relayの計算尺は昭和10年に後のリコーグループ創業者となる市村清氏が個人で東京のKAWAI 計算尺を製造していた河井精造の計算尺工場を買収し、大日本文具という会社を設立たのが始まりです。リコー創業者市村清は理研感光紙の一代理店経営者の身から理化学研究所の総帥大河内所長のたっての希望で理研の特許を製品化して理研の研究費に充当するための企業である理化学興業入りしたものの、理研生え抜きではなく、大した学歴もない佐賀の田舎者である市村の理研入社は古参の社員や幹部から相当反発をくらったらしく、市村は職務をボイコットして無為無策を決め込んだなどという話を聞いています。結局は大河内所長の英断により理化学興業の感光紙部門を独立させ、理研感光紙工業という新会社を設立して専務に収まったのが昭和11年2月のことで、このときがリコー三愛グループの創立とされているのですが、市村の個人会社である日本文具の設立がそれをさかのぼること半年あまり前であり、この会社が理研とはまったくかかわりがなく、リコー三愛グループの歴史から黙殺されているのはこのあたりの経緯にあるのかもしれません。
 理研感光紙工業はオリンピックカメラを買収して昭和13年に理研光学工業と名前が変わります。この理研光学工業が今に続く世界のリコーとなるわけです。話は河井式計算尺の工房を買収で設立された日本文具に戻りますが、当初この日本文具に移行した当初は河井式計算尺そのままのラインナップで「ストロング印計算尺」という商標で売られたらしく、昭和12年の玉屋商品目録に特徴的な河井式のカーソルが着いた姿でイラストが載せられています。しかし、いまだにストロング印の計算尺の現物は目にしたことが無く、河井式計算尺の工房買収は計算尺作りのノウハウを得ることが目的で、ストロング印の計算尺は河井式計算尺の仕掛品を捌くための臨時の商標で、仕掛品がなくなったと同時に消滅してしまったのかもしれません。
 昭和15年ころにIdeal-Relayの商標の計算尺が、市村の故郷佐賀で設立された東洋特専興業で製造され、発売されるまでストロング印の計算尺が製造し続けられていたとすると、現物が何種類か発掘されてもよさそうな気がします。また日本文具はシャープペンシルや万年筆の製造も行っており、佐賀に本格的な計算尺製造設備が稼動する以前は、売り上げの主体はそちらのほうだったようで、河井式計算尺の仕掛品が尽きてから佐賀で本格的にRelay計算尺の製造が始まるまで、日本文具では一時的に計算尺の製造は途絶えていたのかもしれません。
 その東洋特専興業の計算尺ですが、この会社は市村の個人会社であり、理研コンツェルンの基本理念である理研の特許により製造されたものを研究費に還元するということにはまったく寄与していないのにも関わらず、販売はれっきとした理研グループである理研光学の販売ルートを使用して販売したらしく、初期の計算尺は理研光学マークと理研の商標、のちには理研光学発売の刻印で売られるものが多くあります。この市村の公私混同とも思える姿勢は後になっても理研生え抜きの幹部とは軋轢を生んだようで、「市村は理研を私物化している」や「市村は原料仕入れ先から現金を受け取っている」などの文書が大河内理事長のもとに届くようなこともあったようです。そもそも佐賀の東洋特専興業の工場自体がれっきとした理研グループの飛行機特殊部品の佐賀工場に寄生していたようで。というのも佐賀に飛行機特殊部品の工場を建設したこと自体が佐賀出身の市村の意向が強く表れているわけですし、この点でも公私混同のそしりを受けてもしかたがありません。
 その市村清は大河内理事長と他の役員との間で昭和17年の新年会の席で意見の相違から対立し、理研グループ12社の社長・役員の席のすべての辞表を大河内理事長に提出します。しかし冷静になった大河内理事長は市村の才覚と今までの実績を惜しみ、理研グループの理研光学、旭無線、飛行機特殊部品の3社を市村に託して理研グループから独立させることで、市村は理研の意向に左右されることなく、また理研に研究費名目での利益を提供することなく独自に商売することが可能になったことで、結果的に戦後の理研系企業の財閥解体の影響を受けなかったことが終戦後いち早く商売を拡大できたのでしょう。

おそらく戦前Ideal-Relay No.100

Relay100_3
Relay100_4
 その戦前のIdeal-Relay時代の計算尺ですが、両面計算尺は今のところ見当たらず、100系の10インチ片面計算尺、400系5インチ片面計算尺、500系4インチ、600系の6インチ片面計算尺がラインナップされています。そのうち100系の計算尺は戦前戦中にNo.100からNo.109まで発売されていたようですが、どれもヘンミ計算尺の亜流で取り立ててどうのこうの評価に値するものではないのですが、No.106の坑道通気計算尺とNo.109の航空計算尺が戦後に継承されなかった計算尺のようです。またNo.108はその存在自体、未だ確認していません。
戦後に東洋特専興業は日本計算尺に名称を変更したのち、旧飛行機特殊部品に併合されてリレー産業に改組されたのが昭和25年のことだそうです。日本計算尺という会社は昭和20年代から30年代にかけて東京の世田谷に同名の会社が存在し、独特の構造をした片面計算尺と、どういうことかHEMMIに自社のマーク(日本水産の旧社章と同一)を付けたOEMの両面計算尺を輸出していますが、この東洋特専興業母体の会社とはまったく別の会社です。リレー産業に改編された頃から☆Relay☆のダブルスターリレーの商標とともに本格的な対米輸出を開始。ほぼ輸出で外貨を稼ぐことに専念していたようで、ヘンミ計算尺が戦前から特定の代理店を総代理店としていたのに対してダブルスターリレーはありとあらゆる業者のOEM製造元として多数の相手先を持っていたことが特筆されます。またヘンミ計算尺が相手先の要求で設計したのはNo.258のバーサログだけでしょうが、ダブルスターリレーは相手先の要求で設計した独自のものが多く、それを基にして輸出用型番では先頭にDが付くものが両面用、Tが付くものは技術用、Bが付くものが事務用、Rが付くものが学生用などの区別があり、国内では戦前から継承された100番台の一部と戦後新系列の110番台が10インチ片面計算尺、150番台が10インチ両面計算尺、400番台が4インチ片面計算尺、500番台が5インチ片面計算尺、550番台が5インチ両面計算尺、80番台が8インチ学生用計算尺という命名の法則が出来上がった頃です。リレー産業は昭和33年に三愛計器に、昭和38年にリコー計器に社名が変更になっています。リコー計器に社名変更された時点で計算尺もRelayからRICOHに変更になりました。
 ただ、これは1957年ごろにダブルスターリレーブランドからリレーブランドに変化するとともにこの形式番号は数字のみに統合され、以後リコーブランドになるまで継承されています。
 ここでNo.116の話に入ることができるのですが、この116以前に☆Relay☆B-1006とRelay No.114というものがあり、こちらが直接のルーツとなります。そのB-1006とNo.114というのはHEMMIでいうとNo.2664に相当する√10切断ずらし系の初めての10インチ片面計算尺です。しかしNo.2664が戦時中のものより三角関数が逆数のインバースだったのにもかかわらず、こちらは三角関数は順尺という違いがあります。この三角関数の逆尺はヘンミ研究部部長の平野英明氏の考案と宮崎治助氏が記述していますが、先に米国でこの三角関数逆尺を採用する計算尺があったものの元の順尺に戻されて以後三角関数逆尺の採用がなかったとあり、どうやら輸出主体のリレー計算尺はπ切断ずらしのNo.112も同様に米国での習慣を覆して三角関数を逆尺にする理由がなかったということなのでしょう。そのNo.114にCIF尺を追加することになったのは昭和32年にHEMMIがNo.2664をモデルチェンジし、No.2664Sを発売したことによるのでしょうが、このときNo.114にCIF尺を追加しただけでは解決できない問題が生じます。というのもこのころ盛んになってきた計算尺競技大会のようなスピードレースにおいて連続計算においては連続計算手順でNo.2664Sに敵いません。というのも三角関数の逆尺というのはその使用手順も含めて平野英明氏のトータルプロデュースの成果なのですが、それと同じような使用手順を三角関数逆尺を採用しないで達成するため、No.114にCIF尺を追加するだけではなくDI尺を追加してしまった新しい計算尺がNo.116です。
 そのためにNo.2664Sが8尺だったものが、No.116はDI尺分が増え、表面9尺となりました。そういうわけでHEMMIのNo.2664S-Sに先んじてDI尺を追加したというわけではなく、逆尺を採用せずにNo.2664Sと同じ連続操作を実現するための苦肉の策で1尺増えたというのが実情のようです。以前は逆尺の特許回避の手段と思っていたものの、平野氏の考案であれば当然特許はすでに失効していたでしょうから、作ろうと思えば逆尺も採用できたでしょうし、そこにDI尺まで付けたらNo.2664S-S相当物が出来上がったはずです。でもこのNo.116の発売がHEMMIのNo.2664S-SPECIALの発売に繋がったきっかけになったことは否めませんが。
 そのNo.116ですが、赤蓋黒ケース時代のものが見当たらず、緑一色の貼箱のものが初回製造分のようです。逆にNo.114は緑箱以降の物が見当たらないので、No.2664からNo.2664Sへのモデルチェンジ同様にある時点で円滑に生産が切り替わったということなのでしょう。
実は手持ちのNo.116及びNo.114、B-1006を探したところ、No.116としてはもっとも古いRelay時代の緑箱のものが無いことがわかり、そうなるとこの企画は頓挫してしまいそうだったものの、なんと運良く緑箱のNo.116が出てきて入手出来たため、辛うじてこの企画が継続できることになりました。
 まずはHEMMIのNo.2664をコピーしたNo.114およびB-1006ですが、リレー産業時代の☆Relay☆時代のものと三愛計器時代のRelayのものとはそのデザインが微妙に異なります。☆Relay☆時代のものはDF,CF尺の末端が√10ですっぱりカットされているのにも関わらず、三愛Relayはそれぞれ延長部分が付き、左が3、右が3.3まで延長されています。また☆Relay☆時代のものはCI尺が数字だけ赤で入るのに対し、三愛RelayのCI尺は目盛も数字も赤です。なお、☆Relay☆時代のB-1006とNo.114とはC尺D尺の1から2の間の目盛のデザインに差があり、なぜ差別化したのがの理由がよくわかりません。双方とも缶詰缶の内側のような黄色い表面処理がされています。

  ☆Relay☆B-1006(デートコードなし)



Relayb1006
Relayb1006_20210208134301
☆Relay☆ No.114(BS-2)
Relay114
Relay114_20210208134301
 そこでやっとのことRelay No.116の登場です。それ以前の三愛計器製Relay片面計算尺が赤蓋黒胴の配色だったものが、この時代のNo.116や両面尺のNo.252などから蓋も胴も緑の貼り箱に変わりました。このRelay No.116はデートコードが(J.S-4)と昭和36年4月の佐賀製。あまりRelayブランドのNo.116はお目にかかったことがないので、初回生産分が昭和35年まで遡るのかどうかは確認していませんが、少なくともデートコード「L.S-*」の時代にはすでにRicohブランドに変わってますので、Relay時代のNo.116はほんの2年ほどの間にしか存在しなかったということになります。No.2664Sならこの時代のものは一番数が多いくらいの生産数だった時期なので、後発とはいえ生産数は比べるとかなり少なかったであろうことが伺えます。 このNo.116になり初めてCIF尺が加わり、さらに操作の連続性でNo.2664Sに劣らないようにDI尺を追加しましたので、やや下固定尺の尺度が込み入りすぎたきらいがあります。基本的には直前のNo.114とCIF尺DI尺追加以外には変わらないのですが、No.114がDF尺CF尺に√10の記号がなく、延長部分も同じ黒目盛だったものをNo.116はちゃんと√10を刻み、延長部分は赤目盛になります。また滑尺裏のT1、T2尺の順序が逆になりました。あとSの微小角部分の目盛が6分割から12分割とより細密に刻まれています。構造がHEMMIと異なりポケット尺のように薄いプラスチックシートとアルミ板を組み合わせ、上下の固定尺と鋲で留める構造で、鋲の数は片側10本。両端の鋲の間隔が狭いのは透明セルロイド副カーソル線を止めるためのものです。換算表はNo.116のために新たに起こされたものですが、それ以前の片面計算尺同様脱落防止の突起がプレスで裏板に設けられているもののあまり効果はないようです。この基本構造は最終生産品まで変更はなかったようです。
Relay No.114(H.S-1)

Relay114_20210208134501
Relay No.116(J.S-4)

Relay116
滑尺裏の比較(上:Relay No.116、下: HEMMI No.2664S)

Relay116_20210208134601
 次のNo.116はリコー計器に社名も変わるデートコード「L.S-3」で、昭和38年4月の佐賀製。この時代は当然ブランド名もRicohに変わり、箱も丹頂クリーム貼箱になります。このケースの配色は旧国鉄151系こだま型特急電車かなと思ったのですが。もしかしたら昔の丹頂型電話ボックスの配色からヒントを得たのかもしれません。しかし、のちの青蓋プラケースが新幹線カラーなので、鉄道つながりというのも無いとは言い切れない。時を戻そう、なのです。基本的にはメーカー刻印とデートコードの位置が右から左に変わり、黒の色入れがなくなったくらいで、尺度などは同一金型継続中のためまったく変化はありません。
Ricoh No.116(L.S-3)

Ricoh116_20210208140201
Ricoh116_20210208140202
 次のNo.116、デートコード「M.S-1」ですがこちらは昭和39年1月の佐賀製。なんとこの個体から下固定尺側面のインチ目盛がなくなり、上部の25cmフルスケールのセンチ目盛だけになりました。この時代以降のNo.116系列は下固定尺側面が終末期までブランクです。ある意味青蓋ポリエチレンケース時代のNo.2664Sに先駆けること5年前からすでに退化が始まったとも言えます。その他尺度などに変更は見当たりません。
Ricoh No.116(M.S-1)

Ricoh116_2
Ricoh116_2_20210208140201
 RicohのNo.116(デートコードN.S-4昭和40年4月佐賀製)ですが、なぜか同時代のNo.84などの8インチ学生尺のようなプラスチック一体型のカーソルが付属したものです。同様のプラスチックカーソル付きのものはほかに一点しか見たことがありませんが、おそらくは8インチ学生尺同様に10インチもプラ一体型カーソルにしようとしたものの、ヘンミがその傾向に追従しないため、元の金属フレームカーソル付属に戻してしまったのかもしれません。おそらく出回ったのは試作的にごく少数だったはずです。内容的には前年生産のものと変更点は見当たりません。
Ricoh No.116(N.S-4)

Ricoh116_20210218103601
Ricoh116_20201004152401_20210218103601
 次はNo.116DとD記号が付いたNo.116バリアント(デートコード「N.S-2」昭和40年4月佐賀製)なのですが、このあたりから同じNo.116の名前を語っても独自の進化を遂げたものが現れるようになります。このNo.116Dは明らかにそのベクトルがHEMMIのNo.2664SからなんとNo.2662に向かいました。No.2662の目的どおりに滑尺を裏返すことで√10切断ずらし尺からA,B,C,D,の尺度に変更が可能で、1本で2本分の機能を持つことになります。そのため、L尺が滑尺裏から表面した固定尺に移動し、滑尺裏にB,C尺が加わったためT尺が1本にまとめられたという弊害もあります。また、目盛の方は当然新しいものが起こされ、No.2662同様に細かい数字が追加されるなど、No.116の形式にDが付いただけではない、まさに別物の計算尺になりました。Dはデシマルの意味で、角度が60進ではなく10進で刻まれていいることを意味します。電気や測量などの分野ではかえってデシマルは使いにくいかもしれません。この時代からケースが透明塩ビケースになりましたが、このケースが経年劣化でバリバリに割れてしまい、評判が悪かったと見えて後にブロー成形の青蓋ポリエチレンケースに変わります。確かこのNo.116Dがオークションで入手した第一号の計算尺だったはずです。
Ricoh No.116D(N.S-2)

Ricoh116d
Ricoh116d_20210208140501
 次のNo.116Sはさらに時代が下ってデートコード「SS-7」ですから昭和45年7月の佐賀製となります。このころからデートコードの間にピリオドがなくなったようです。No.116D同様にHEMMIのNo.2662に寄せた片面計算尺で、こちらも滑尺を裏返してA,B,C,D尺度の計算尺として使用する「片面計算尺で両面計算尺の機能を持つ」というコンセプトの片面計算尺ですが、Dと異なりSの三角関数は10進ではなく60進となっています。そのため、滑尺の裏面さえ変更すればNo.116DにもNo.116Sにもなるわけなのですが、双方ともにHEMMIのNo.2662以上に「無いわけではないけれどあまり見かけない」種類のNo.116バリアントです。この昭和45年というと万博の年ですがあの耐久性がなく評判の悪い透明塩ビケースを廃して両面尺も片面尺も青蓋のポリエチレンブロー成形ケースに変わりました。また、いつの間にか裏のアルミ板に施されていた換算表脱落防止の突起がなくなりました。あまり脱落防止には役立っていなかったので、あってもなくとも支障はないようです。
同じ型番のNo.116Sも昭和46年末から昭和47年初頭にグリーンCIF化と上部スケールの起点がかわりました。
                   Ricoh No.116S(SS-7)
Ricoh116s_20210208140501
Ricoh116s_20210208140502
 次はおそらくNo.116の終末期のもので、ここでやっとCIF尺がグリーンになりました。また上部のスケールのスタート位置が以前は各尺度の起点といっしょだったものの、ヘンミ同様にやや左よりからのスタートに変更され、おそらくはこの期に及んで新しい目盛の金型を起したか、No.116DやNo.116Sの原版流用のようです。デートコードは「WS-8」ですから昭和49年の8月。リコーの計算尺生産としても事業の整理期に入ったころの生産です。それで最終期に入り、以前のNo.116と比べて細かい数字などが刻まれる新しい金型にしたのに、相変わらず三角関数はインバースを採用せずに順尺のままです。ただ、同時期に逆尺付きのものも発売され、No.116-Iという新たなバリアントを生み出しています。残念ながら今の所、このNo.116-Iは所持していませんがこのNo.116-IもグリーンCIF化してますので、おそらくはこのNo.116もNo.116-Iも昭和47年あたりからごく短い間だけに生産された最終形態なのでしょう。なお、このNo.116は10インチの計算尺でありながらノベルティー品というかなり珍しいパターンのNo.116です。
Ricoh No.116(WS-8)

Ricoh116_20210208141001
Ricoh116_20210208141002

| | | Comments (0)

February 03, 2021

コンサイスA型単位換算器(千代田化工建設社内用)

 コンサイスのA型単位換算器ですが、これは過去にもノベルティーものとして配られたものを取り上げています。ところが今回のA型換算器は特殊な業務用途として本体裏面に見たことのないオリジナルの換算表及び換算式が。それも微妙に尺貫法がごちゃまぜになっているものです。
このA型単位換算器の発注者は国内外の石油ブラント建設などで日揮、東洋エンジニアリングとともに「エンジニアリング御三家」の一社、千代田化工建設です。なるほど、石油関係だとバレルだとかガロンとかの単位が慣習的に混在使用されてますから、こういう特殊な換算表付きの計算尺が業務上必要なのだということがわかります。ちなみに原油の1バレルは42ガロン(米国)で158.9882リットル。1kリットルは6.2899バレルなんて計算が必要なのは商社と石油化学系に限られるでしょうね(笑)
正直当方も1バレルが一体何リットルなのかはいままで正確にはわかっていませんでした(^^;) その他表面の単位種類の表記が後の物と相違があったり、ケースが透明ポケット付きの二重になっていたりしており、おそらくは昭和30年代末から40年代初期あたりまで時代がさかのぼったものなのでしょうか。入手先は兵庫の神戸市からで送料込み400円でしたが、社用の特注品であるためかなりの珍品なことは確かです。

A
A_20210203133301

| | | Comments (0)

January 24, 2021

HEMMI No.2664S 解体新書

Ealyhemmis_20210124171101  永遠のスタンダード片面計算尺で、おそらくはヘンミ計算尺で一番数が多く製造された10インチ片面計算尺がNo.2664Sです。その数の多さゆえに望むと望まざるにも関わらず、手元にはすでに十数本のNo.2664Sが溜まってしまいました。その中で単独指名買いしたのは3本ほどで、後は他の計算尺が目的だったもののなかに含まれるという形でどんどん増殖したものです。さすがに最近は10束からげの計算尺など落札することはありませんので増殖のペースはほぼ終息したものの、いまだに頂き物のNo.2664Sが舞い込んでくることもあります。誰も手掛けなかった製造初期から末期までのNo.2664Sの完全解説をすでに十年来、誰かが手掛けてくれることを期待していたのですが、さすがにそういうことを試みようとする酔狂な方は現れなかったので自身でとりあえずまとめてみようとする無謀な試みです。
 このNo.2664Sは基本的には戦後型のNo.2664にグリーンで着色されたCIF尺を追加し、滑尺裏面の三角関数逆数の数字を赤入れし、さらなる連続計算に対応させたものなのですが、おそらくはその当時から盛んになりつつあった計算尺競技大会へのさらなる利便性追求という意味合いがあったと思います。そのため、当初はNo.2664に対して別製のSPECIALの意味合いでNo.2664SとSを添付したのでしょうが、生産はすべてNo.2664Sに切り替えてしまったために、なにかNo.2664STANDARDのような意味合いになってしまった感があります(笑)もっとも後にNo.2664S SPECIAL(後にNo.2664S-Sに改名)が発売されてますから、こちらの発売後はNo.2664STANDARDの性格を帯びたことは否めませんが。

HEMMI No.2664(HG)初年度製造品

Hemmi2664shg
Hemmi2664shg_20210124095401
                    比較のためにHEMMI No.2664(GD)最末期型
Hemmi2664_20210125075201
Hemmi2664_20210125075202
 このNo.2664Sの生産初年度は今の所「H*」刻印の昭和32年度のもので、今の所「HF」刻印の昭和32年5月のものを確認していますが、もしかしたら前年「G*」のものが存在するかもしれません。この初年度製造品のものだけ異色の存在で(但し翌年年初生産の「IA」などは同一仕様)、目盛や刻印の刻み方などがNo.2664とほぼ同一です。No.2664の出来合いのものに滑尺だけCIFを刻んだものを差し込んだ感じで、刻印も裏側センターに”SUN"HEMMI JAPANと同じ級数でデートコード、右にオフセットされた形式名No.2664Sが刻まれ、DF,CF尺のずらし部分のデザインもNo.2664と同一です。翌年「Ì*」刻印の昭和33年度からのNo.2664Sはそれらがまったく改められますので、初年度製作分だけが滑尺以外No.2664の流用で、翌年から新たにNo.2664Sとして新しく目盛の金型を起こしたのでしょう。滑尺のみの変更に留まってますからCIF尺に加えて裏面三角関数逆数の数字が赤文字に変更されています。それゆえ、この初年度にしか無いNo.2664とほぼ同一のNo.2664Sは貴少な存在です。

Hemmi2664shg2 2664sスケールは固定尺上が27センチ長のメトリック。下固定尺側面が10インチスケールが刻まれています。ケースはスモールロゴの緑貼箱入りでケースの形式名ラベルはなぜがこの年だけぶどう色の「SUN MADE IN JAPAN NO.2664S」というものが貼られており、翌年の物は「SUN HEMMI JAPAN NO.2664S」で赤色のものが貼られています。バックプレートのアルミは2か所ねじ接合があり換算表も脱落防止のためねじ止めになっています。
 No.2664S初年度製造品の画像を便宜的にNo.2664S(#1)としておきますが、裏面を見るとわかる通り「HG」刻印ですから昭和32年7月製。これが今のところ手元にある一番古いNo.2664Sです。2本まとめて入手したものの一本で、当初カーソル取りにでもなればと思っていたものの、手元に届いてから初年度製造品と判明しコレクション入りしたもの。末期のNo.2664と比べるとほぼ滑尺部分だけの変更だということがよくわかると思います。

Hemmi2664sii_20210124095701
Hemmi2664sii
 No.2664S(#2)はデートコード「II」で昭和33年9月製。この時から緑の貼箱時代を通じてNo.2664Sとしての様式が定まったようですが、この緑箱時代にも細かい所の変更は何カ所か見受けられます。形式名はメーカー名とともに裏面中央に移り、デートコードは目立たない小さな級数でその左端にホットスタンプで入れられることになります。CF尺DF尺のずらし部分もNo.2664Sとしての体裁は整ったものの、ゲージマークが古い書体のデザインが使用されており、数字の2の末端がはねていたり、4の縦棒に足が付いていたりして上下のK尺A尺と中程のCIF尺CI尺の書体に対してDF尺CF尺C尺D尺の書体が異なっていますが、後のNo.2664Sはすべて同じ書体の数字が使われています。裏板の両端と換算表はネジ止め。箱はスモールロゴの緑貼り箱です。
HEMMI No.2664S(JI)
Hemmi2664sji
Hemmi2664sji_20210124095901
HEMMI No.2664S(JG)インチスケール
Hemmi2664sjb
Hemmi2664sjg
 次のNo.2664S(#3)はデートコード「JI」で「II」からちょうど1年後の昭和34年9月製なのですが、1年で仕様が変わるわけでもなく基本的には数字書体もゲージマークデザインも変更はありません。この時代は固定尺上が10インチスケール、下固定尺側面が27cmのメトリックスケールというものもあります。便宜的にHEMMI 2664S(#3-1)としておきます。本来対米輸出用なのですが、このころから需要に供給が追いつかなかったからか、インチスケールのものも国内に出回っていたというのは初期のJ.HEMMI時代の計算尺とは事情が異なります。ただ、この「J〇」刻印の片面計算尺独特なのですが、バックプレートのアルマイト処理がアルミのヤカンのように黄色っぽいものが付いているものがあり、他にはNo.64にもこの黄色いアルマイトバックプレートが付いているものを持っています。単純に発注ミスでこういうものが納品されたのかは知りませんが、昭和34年生産者の全般がそうなのか、ごく一部がそうだったのかは未だ確認できていません。ケースはスモールロゴの緑貼箱で、このケースは翌年からラージロゴの緑貼箱になったようです。
HEMMI No.2664S(ME)

Hemmi2664sme
Hemmi2664sme_20210124113101
HEMMI No.2664S(NB)

Hemmi2664snb_20210124144701
Hemmi2664snb_20210124144702
HEMMI No.2664S(OG)

Hemmi2664sog_20210124113601
Hemmi2664sog_20210124113602
HEMMI No.2664S(P*)

Hemmi2664sp
Hemmi2664sp_20210124113101
 次がNo.2664S(#4)でデートコード「ME」の昭和37年5月製。この頃は団塊の世代が高校進学期を迎え、さらに全国での計算尺競技大会が盛んになって各高校の計算尺部が競技会でしのぎを削っていた時代です。そのため、No.2664Sの生産も飛躍的に増大し、早くも新しい目盛の金型を起こさざるを得なかったようです。基本的には尺度や目盛の切り方、数字などには変更はないのですが、ゲージマークのπのデザインが新しくなったり微小角度分秒換算マークの尾が巻かなかったりやや近代的なデザインに変わったという印象を受けます。
Hemmi2664sog2 また裏板の両端2箇所のネジ止めがなくなりましたが換算表は相変わらずネジ止め。また上面スケールは27cmのメトリックなのですが、下固定尺側面のスケールはインチを止めて13-0-13cmのスケールに変化しました。同時代のNo.64などとも共通の変更です。換算表は以前からのものと同じ図形入り換算表です。ケースはラージロゴの緑貼箱です。この時代が少なくとも5年は続いたようで、N、O、P、Qあたりのデートコードのもの見ても変更は見当たらないような気がします。No.2664Sにあっては一番世の中に数が多く残っているタイプのNo.2664Sです
参考までにNo.2664S(#5)「NB」No.2664S(#6)「OG」No.2664S(#7)「P*」の画像も載せておきます。
HEMMI No.2664S(TE)

Hemmi2664ste
Hemmi2664s_20210124114401
新旧No.2664Sの滑尺裏TI2,TI1,SI尺の目盛相違(上旧、下新)
Hemmi2664s_20210124114601
 No.2664S(#8)はデートコード「TE」の昭和44年5月製。ケースは緑帯時代のものになりますが、この時代のものは他の片面計算尺同様にメーカー名モデルネームが表面下固定尺右に移動したもの。換算表は以前のNo.64などと同様に図形の入らないものに変わりました。スケールは上面27cmのメトリック。下固定尺側面は0-13-0のメトリックスケールであることには変わりません。
Hemmi2664ste2 ただ、滑尺裏のTI1,TI2,SIの目盛の刻み方が以前のものよりも微細になり、一見デシマルの10進になったのかと見誤るほどですが、ちゃんと度分秒は6進には変わりません。ただ、モデルネームが前面に移動したNo.2664S-SやNo.2662なども三角関数目盛も細分化しているので、一斉にそうなったということも言えるのかもしれません。この年のモデルは換算表がネジ止めなのにも関わらず、すでにアルミ裏板に換算表の抜け落ち防止のプレスで施された突起があり、翌年のものには換算表のネジ止め自体が廃止されたようです。No.2662やNo.2664S-S等と同様にメーカー名形式名が表側に施され、一気に近代化したような印象を受けるNo.2664Sです。
HEMMINo.2664S(WI)
Hemmi2664s
Hemmi2664s_20210124100501
 No.2664S(#9)はデートコード「WI」の昭和47年9月製で青蓋のポリエチレンケース入りのものです。当時は団塊の世代の大量需要期が去り、就学児童数も減少。さらに義務教育での計算尺も重要度が下がり、うちの学校みたいに数学の先生が計算尺の項目をすっぱり端折ってしまったような学校も多かったのでしょう。需要は10年前と比べて激減してもスタンダードな計算尺は用意しなければならず、特にNo.2664Sはある意味HEMMIの顔みたいなものですからなくすわけにもいかなかったのでしょう。Hemmi2664swi
ところが以前の目盛金型がそろそろ寿命だったのかこの最終型のNo.2664Sは目盛の金型をわざわざ新たに起したようです。基本的には直前の緑帯箱時代のものと変わらないのですが、すでに換算表にネジがなく、ゲージマークや記号のデザインが微妙に異なり、下固定尺側面の0-13-0スケールが廃止されてこの部分が真っ白になってしまい、カーソル上面の刻印もなしで下面にはHEMMI JAPANとだけ。何かコストダウンの進んだ成れの果てとか、行き着くところまで行き着いたというような印象があります。もしかしたら目盛の金型を含めて山梨に丸投げ製造させたNo.2664Sなのでしょうか?流通在庫にはまだ緑帯時代のNo.2664Sが多く残っていたためか外箱に「プラケース入り」のシールが貼られたものを見かけます。しかし、内容の差はともかくも新しいものほどいいだろうと思うのは人間の性で、廃業文房具店からのデッドストックもので出てくるのは圧倒的に緑帯箱時代のものが多いようです。ただ、個人的には緑帯箱時代の物がNo.2664Sの進化の頂点で、このプラケース入りNo.2664Sは明らかに退化の始まりのように思えるのですが…。

| | | Comments (0)

January 13, 2021

HEMMI No.43A 8"学生用

 HEMMIの8インチ学生用計算尺のNo.43Aですが、この珍しくもない8インチ学生尺がいままでなぜ取り上げていなかったかというと、同じ尺度で近代的なプラ尺のNo.43Sをすでに所持していたことと、これだけを目的に送料まで掛けて落札する気にならなかったからです。他の8インチ学生尺もそうですが、10把からげで入手したもののなかにたまたま紛れ込んでいたということでなければ自分の意志では購入しない計算尺の一つでした。今回入手したのは10把ではないものの4本まとめての購入の中に紛れ込んでいたものです。
 この竹製ニス塗り8インチ学生尺はかなり以前から山梨に製造委託に出ていたようです。というのも昭和30年代の初期から中期に掛けての団塊世代の大量進学にあたり、とてもHEMMIの生産ラインだけではその需要をすべて満たすことは出来ず、当然のこと他社のアウトソーシングが必要となったことだと考えていますが、もしかしたらHEMMI本工場では10インチの片面尺両面尺をメインに製造し、学生尺やプラスチックのポケット尺などは当初から山梨に製造させていたのかもしれません。
 このNo.43Aは√10切断のNo.45Kなどと違ってどうも教科書準拠の計算尺と異なるためか、No.45Kと比べると製造数はかなり少なめのような気がします。それでもプラ尺化してもNo.43Sとして作り続けられたわけですから、教える先生によってはこのK尺付きポリフェーズドマンハイム尺じゃないといけないとでも言うような信者がいたのでしょうか。尺度は表面がA,[B,CI,C,]D,K,の6尺、滑尺裏がT,L,S,の3尺の合計9尺です。
 どちらにしても授業で数回使用しただけで放り出された類の計算尺のようで、中のビニール袋もちゃんと残っていたきれいな計算尺でした。デートコードは「QB」ですから昭和41年2月の製造。これがプラ尺化してNo.43Sになったのは知る限りではデートコード「T」の昭和44年製造分からのようです。ケースは緑帯の貼箱入りでした。

Hemmi43a
Hemmi43a_20210113131601

| | | Comments (0)

January 11, 2021

HEMMI 8"片面砲兵計算尺

 結構なレアモノのHEMMIの砲兵計算尺です。この計算尺は昭和17年にリリースされたと言われていますが、この計算尺に対して陸軍が独自で教本を製作した様子はなく、砲兵用計算尺の解説書は同じく昭和17年にHEMMIから大井勇という人による「砲兵計算尺教程」というものがリリースされており、砲兵計算尺という軍用分野の計算尺ながら、設計から教本まですべてHEMMIという民間主体で行われたことが特筆に値します。宮崎治助氏の記述によるとこの砲兵計算尺も後の苗頭計算尺もヘンミ計算尺研究部部長の平野英明氏の設計だということです。
 ただ、この計算尺は内容を見てもわかると思いますが、ある程度の理論や数学的な素養のある旧制の中等学校を卒業してそれ以上の上級学校や砲術の専門教育を受けたもの対象だと思われる計算尺です。おそらくは下士官兵ではなく将校ではないと使いこなせないと思われる計算尺で、そのためのちに極力理論的なことは廃して、数字が振られた順番通りに使用するようになっている苗頭計算尺に取って代わられ、下士官兵でも使えるようなものに変わったのだと思います。
 またこの砲兵計算尺は中等学校計算尺のNo.2640同様に8インチというオフサイズの計算尺です。これは陸軍の公式書類のB5が収納出来る革製の図嚢に収まるサイズということで8インチを採用したのでしょうが、No.2664と同じベースボディで8インチというオフサイズの計算尺を特別に用意するのは生産効率が悪いので、のちの苗頭計算尺はNo.2664と同じベースボディの10インチ計算尺になっています。
特徴的なのは三角関数の360度を6400分割するmil単位を使用していることで、これは1km先の1mの長さの見かけ角度に該当し、軍用の13年制式双眼鏡や89式双眼鏡、それにカニ目と呼ばれた砲隊鏡などに刻まれる十字のメモリの単位milと共通です。うちの陸軍対空監視所で使用されたという東京光学の89式や大戦末期の鈴木光学8x30mmの双眼鏡には十字形milメモリが。戦後の日本光学7x50mmのトロピカルにはL型のmil目盛が刻まれていますが、今の時代にはこの目盛はあまり利用価値もありませんが。
 このHEMMI砲兵計算尺は昭和17年の製造ということであの薄いアルミの灰色アルマイトの裏板が使用されており、この灰色アルマイト板の表面と内部が金属の鋲で貫通することと、それに湿気が加わることにより一種の電池のようになり、電位差でどんどん酸化・腐食していき、ボロボロになって脱落するという重大な欠陥があります。これが戦争末期になるとこの灰色アルマイト処理もなくなるのでこのような電食酸化状態の裏板にはお目にかかりません。また悪いことに酸化で体積が膨張してしまい、裏板が嵌っていた溝を押し広げて変形させるということになり、入手した砲兵計算尺も例外ではありませんでした。おそらくは何十年もケースに入れたままタンスの奥にでも入っていたのでしょう。また割れた3本線カーソルは副カーソル線が8インチの基線長の専用品でNo.64などと共用することが出来ません。試してはいませんがNo.66用カーソルだったら交換は可能でしょうか?それってNo.66はNo.64をそのまま短縮したわけではないのでムリですね…
 尺度はL1,DF,[CF,L2(L1),C(CI),]D,Aで裏面がT1,T2,S1,S2,とありますが、上面スケール部分に1-10,600-0の等間隔目盛、裏面固定尺部分に0-200の等間隔目盛と5-∞の対数目盛が存在します。さらに√10切断のずらし尺を供える計算尺としてはNo.2664よりも先行していますが、それはNo.2664にこの灰色アルマイトのものが見当たらないことからもわかると思います。しかし、果たしてHEMMIの√10切断ずらしの片面計算尺で一番最初にリリースされたものは何だったのでしょうか? 固定尺裏に「サツマ中イ」の彫り込みがありますから下士官ではなく将校の持ち物だったことが証明されますが、これが軍からの支給品なのか自弁で調達するようなものだったのかはわかりません。将校用の装備というのは被服から双眼鏡、軍刀や拳銃まですべて自前で購入しなければならず、拳銃はブローニングM1910が50円、コルト32オートが60円ほどに対し軍刀は80円から150円くらいしたそうです。そのような状態ですからおそらくこのHEMMI砲兵計算尺も軍からの支給品ではなく偕行社などを通じで自費で購入したものなのでしょう。それを証明するようにケースも当時の市販品と全く変わらない黒の蓋付き紙ケースです。おそらく苗頭計算尺は下士官に対する軍の支給品ということが砲術に関する2種類の計算尺が存在した理由なのでしょう。

Hemmi_20210111132602
Hemmi_20210111132601

| | | Comments (0)

December 31, 2020

戦時中HEMMI No.2664の構造分析

 HEMMI計算尺のNo.2664は同時期に中等学校生徒用として誕生した8インチのNo.2640同様に、上級学校の旧制高等学校や工業高等学校生徒の教育用を目指して作られた計算尺です。しかし、学校教育の垣根を超えて事務用ビジネス用としての用途が広がり需要が高まりますが、戦争が激しくなるとともにアルミなどの金属資源が枯渇し、さらにバージンセルロイドではなく再生セルロイドなどを使用せざるを得なくなり、終戦を迎えるまで様々に構造を変えていった苦労が伺われる構造変更のパターンがいろいろ見受けられます。現在所持しているもの以外に末期のタイプが2パターンほど存在するようですが、備忘録的に手持ちのNo.2664でその変遷を記録しておきます。さすがにIdeal-Relayの戦争末期のような竹枠カーソルのものは見つかっていません。それは軍納、政府納のものがあったために軍需用として金属の特配があったのかもしれませんが、もしかしたら竹枠カーソルも用意しておきながら使用しないまま終戦になってしまったのかもしれません。

26641 Hemmi26641
 まずこちらが発売当初のオリジナルだと思われるNo.2664で便宜的にNo.1を振っておきます。L尺がハーフレングスの折返しで下固定尺のA尺に沿う形で設けられている、滑尺裏にL尺がなく、Tl尺SI尺が二分割というのは戦前からOCCUPIED JAPANになるまでの期間共通ですが、発売当初のNo.2664(No.1)はアルミの総裏板で副カーソル線窓はハーフオーバルの切り欠き。これは戦後のNo.2664からNo.2664Sに至るまでの共通仕様です。逆尺のCI尺記号とCI尺の数字すべてが赤文字で入っています。ケースは戦時中ですからすでにボール紙に黒の疑革紙を貼ったサックケースで、これが使用されているのが戦時尺の特徴でしょうか。裏側の真ん中に"SUN" HEMMI No.2664が刻まれています。裏板と尺をつなぐ鋲の数は片側6本です。 おそらく裏板はアルマイト処理が省略され、そのおかげで金属鋲による電位差で腐食することなく残っています。それは戦時中のNo.2664に共通しています。推定製造年度は昭和18年というところでしょうか。
Hemmi26642
Hemmi26642_20201231082801
  次のパターン、No.2664(No.2)は同じくハーフオーバル副カーソル線窓は同じなものの裏側には"SUN" HEMMIという商標しか刻印が入っていないもの。カーソル枠は鉄に変更になり、粗末なメッキ処理のためややサビが浮いているような状態です。でもまだこの時期にはアルミの総裏でCI尺とその数字は赤で入れるという余裕がまだあった時代です。ケースは漆黒ではなくやや紺色掛かったボール紙製サックケースに入っていました。固定尺と裏板をつなぐ鋲の数は片側6本と変更ありません。これも昭和18年あたりの製造だと思います。
Hemmi26643
Hemmi26643_20201231082901
 次のパターン、No.2664(No.3)はそろそろ工程数も材料も減らしに掛かってきた次期のパターンで、構造的にはポケット尺同様に裏板のセルロイド厚板を挟む構造を止めて、副カーソル線窓兼用の全長に及ぶ透明セルロイドとオーバル窓を打ち抜いたアルミ薄板の組み合わせのパターンです。このころから手間のかかる逆尺への朱入れもやめて尺も数字も真っ黒になり、いかにも戦時尺の様相を呈してきています。セルロイドの裏板が省略されたためか構造上やや細い鋲が増えて、片側13本になりました。このNo.2664(No.3)は後の時代のカーソルに交換されていましたが、当然鉄枠メッキカーソルが付属していのがオリジナルでしょう。ケースは戦前革サックケースに入っていました。下固定尺側面の左に"SUN"HEMMIの商標、右にNo.2664と形式が入れられたタイプです。製造は昭和19年に入ってからでしょうか。
Hemmi26644
Hemmi26644_20201231083001
 次のパターンNo.2664(No.4)ですが、こちらもオーバル副カーソル線窓のタイプですが、鋲が増えて結果的に工程が少なくならなかったことをあらため、アルミ板側から鋲を打つ形式に改めたもの。そのためかどうかはわかりませんが、アルミのセンター部分にパンチングで中抜きされています。鋲の数は片側7本に減りました。カーソルは鉄枠メッキカーソルです。No.3同様に下固定尺側面左右に商標と形式名が入れられるパターンです。このあたりからかなり表面に貼られたセルロイドが薄くなっていて、裏側の接着剤が波打って見えるほどに。実際に剥がしてノギスで厚さをしらべてみたいくらいですが、この個体かなり程度がいいのでもったいなくてそんな気になれません(笑)
こちらも製造は昭和19年頃だと思われます。
Hemmi
Hemmi_20201231083101
Hemmi_20201231083102
 次のパターンは裏板に使用するアルミの板も枯渇し、苦労して作り上げた末期型の構造なのですが、今の所手元にこのパターンのNo.2664が無いので同時期のHEMMI苗頭計算尺で代用します。裏側はセルロイドのオーバル窓が開いただけの裏板で固定尺をつないでいるのですが、これでは滑尺ギャップの調整が出来ないので、この個体は三ヶ所にハガネの帯を入れてバネのテンションを掛けている構造です。ただし、このハガネの板は固定尺と鋲で止まっているわけではなく、単に挟み込まれているだけのようです。カーソルは鉄枠メッキ。鋲の数は片側たったの4本と必要最低限で、まさにここまで追い込まれても計算尺を作り必続けなければいけないのかと痛々しさをひしひしと感じる構造です。
これはおそらく製造年が昭和19年末から終戦の昭和20年あたりの製品ではないでしょうか。

Hemmi26645
Hemmi26645_20210117103301
 このパターンNo.2664(No.5)は本当の物資枯渇期、おそらくは終戦直前くらいのもので、苗頭計算尺同様に裏側セルロイド板と鋼の板の組み合わせですが、鋼の板は裏側に回り、両端の2枚のみ。さらにセルロイドが極薄になり、接着剤の食いつきをよくするために竹の表面に施した鑢目がしっかり見えてしまうほどの物です。この鋼の板が後ろに回ったことも影響するのか、相当の握力の持ち主でもないと滑尺溝のギャップ調整は無理というもの。せめてセルロイド裏板の真ん中に溝でも施してくれればと思うのですが、すぐに裏板内側真ん中に溝が彫られたものが出たところで終戦を迎えたようです。なお、正規の長さのセルロイドが揃わないためか、セルロイドの裏板が左右2分割というものも存在します。カーソルは後年のものに付け替えられています。メーカー名及び型番は下固定尺側面左右に刻まれています。
2664
2664_20201231083201
 おまけは通称兵学校計算尺と呼ばれるNo.2664の簡易型。おそらくは政府関係官公庁専用だった感じで、それが軍の教育機関にも流れたのでしょう。ただし、陸軍の学校関係では砲兵以外の一般兵科に計算尺教育があった節はなく、そんな暇があったら地雷抱えて敵の戦車に飛び込む訓練にでも勤しんでいたのでしょうが、海軍はちゃんと兵学校にこの√10切断の新計算尺の教本が独自に作られていたのですから、海軍兵学校計算尺と呼んでも差し支えは無いと思います。こちらはオーバル副カーソル線窓のアルミ総裏で、固定尺側から鋲を打ち込むNo.3のパターンに近い構造の計算尺です。鋲の数も片側7本でそれはNo.4のパターンに近いようで、セルロイドもかなり薄くなって波打って見えるのもNo.4に近い感じです。ケースは黒のサックケースでカーソルは後年のものに換えられていましたが、オリジナルは鉄枠カーソルでしょう。こちらは製造が昭和19年末だと思われます

| | | Comments (0)

December 30, 2020

戦前HEMMI No.152 両面電気技術者用

 HEMMIの最初の両面型計算尺として昭和4年に発表されたユニバーサル型両面計算尺3種類(No.150,No.152,No.154)中の一つ、No.152電気技術電気技術者用計算尺です。どうもその2年後くらいに発売されたNo.153が2尺多くなり、そちらのほうがスタンダードな電気技術者用計算尺となってしまったために、2年で一気に影が薄くなってしまった気の毒な存在のユニバーサル型計算尺ですが、それでもNo.153と同様に終戦時まで併売されていたようです。製造された数はNo.153のほうが圧倒的に多いため、このNo.152は滅多に見つからない両面計算尺の一つです。No.153の方は昭和40年代末期の青蓋ポリエチレンケース時代まで発売され続けていたわけですからやはりNo.153に比べて2尺少ないという同じ用途の計算尺は定価の設定をやや安くするという以外に存在価値を失ったということでしょうか。その価格差というもの当時で50銭にも満たないくらいだと思いますが、その差だったら誰もがNo.153を買ってしまったのでしょうね。このNo.152はNo.150同様に発売当初はフレームレスカーソル付きで発売されていたようですが、破損が多いためかまもなく金属フレームタイプのカーソルに変更になったようです。
No.152の尺度は表面 K,A,[B,CI,C,]D,T,の7尺、裏面はNo.153と共通のθ,Re,P,[Q,Q',C,]LL3,LL2,LL1,の9尺の合計16尺です。No.153と比べて表面のL尺とGθ尺の2尺が無いということもあり、ややレイアウト的に余裕があったためか、No.153はA尺より下の尺種に刻まれる数字はすべて級数が同じなのですが、No.152のT尺の数字は特別に大きな級数が使用されています、またT尺下に余裕があるため、その余白に"SUN" HEMMI U.S.PATENT NO.1459857 MADE IN JAPANが刻まれていますが、No.153はレイアウト的に余裕なく尺が詰まったため、トレードマークや社名、パテントナンバーが右端に移動してしまいました。
 またゲージマークは後発のNo.153のほうが豊富で、No.152の方はC尺D尺上にC,π,C1,2πがあるのみ。A尺B尺上にはπ,Mの2つしかなく、いささか寂しい感じですが、No.153のほうは分秒の微小角計算のためのゲージやR,G,などのゲージまで新たに加わりました。裏側は数字の級数や目盛の刻み方にも差異がないので、目盛を刻む原版は共通だと思われます。
 このNo.152とNo.153の二乗尺目盛ですが、日本ではヘンミ計算尺大倉龜(ひさし)名義で出願され、日本では特許は降りたもののアメリカに輸出するにあたって、アメリカ国内に先にパテントが出願されており、そのままではアメリカで販売できないので、そのアメリカ特許の出願者から特許権自体か特許の独占的実施権を買い取ったのだそうです。
 その二乗尺目盛の考案者とされている宮崎治助氏は、自身の考案がすべて会社名義で取得されることについて、社長の大倉龜には言わずともけっこう不満が溜まっていたようで、宮崎卯之助氏の家族に「龜(カメ)にぜんぶ取られた」としばしば愚痴をこぼしていたそうです。宮崎治助氏考案の特許は計算尺よりも後の大倉電気の関連のもののほうが多数に上るようですが、やはりそのアイデアが金銭面にあまり反映されなかったのが不満だったのか、昭和7年頃に大倉電気の仕事ばかりになって計算尺考案に関われなくなったのが不満だったのか、どちらだったのかはよくわかりません。ヘンミ計算尺研究部の部長は昭和10年に宮崎治助氏から平野英明氏に交代になっていたのは周知のことですが、それは大倉龜が宮崎治助を計算尺考案に専従させるよりも計算尺詳解などの解説書を書かせ、教職だった平野英明氏を計算尺設計に専従させるための人事処置だったのかもしれません。当時、宮崎治助は電気式計算機のアイデアを持っており、それは戦争のためと非常に高価になったため商品化することはありませんでしたが、こちらの方向性を探るために設立した別会社が大倉電気だといわれています。ここにNo.152とNo.153に関する宮崎治助氏が昭和39年に記した「想像と偶然」というコラム記事のなかに興味深い記述があったので、引用させていただきます

 「昭和6・7年頃のことではあるが、その当時、日本独自の非対数尺度を中心としたヘンミNo.152は、新しい目盛配列のものとしてアメリカなどでもかなり評判になったのであるが、欲を言えば、この計算尺で双曲線関数を簡単にすることが出来ない。どうにかして、この問題を打開する策がないかと、日夜考え詰めた時代が相当長く続いたことがある。この2・3年前の1929年にはアメリカのK&E社から発売されたロッグロッグヴェクトル計算尺には双曲線関数の対数尺度ShやThがつけられていることを知ってはいたが、悲しいことにヘンミNo.152にはこれをつけるほどのスペースがない。つけられる目盛はせいぜい1本が限度である。これは実に筆者にとっては相当こたえた難問題であった。この救済策は不図したことから、いとも簡単に解決されることになった。それは昭和6年にマサチューセッツ工科大学(MIT)のケネリー教授が来朝し(当方補足:アーサー・エドウィン・ケネリー、当方でもその名は知る1861年インドの南ムンバイ生まれの著名な電気学者で電離層ケネリーヘビサイド層(E層)などにも名を遺す1939年マサチューセッツ州ボストンで没)、早稲田講堂で「交流工学に対する双曲線関数の応用」という講演をしたのであるが、その講演の中で言われたグーテルマンの角の話が電撃的にわたしのアタマに響いたのである。飛ぶようにして家に帰ったわたしは、その日からこの面積角の尺度化に没頭しつづけた結果としてGθ尺度の考えにたどりつき、この尺度をNo.152に添加するだけで円関数と双曲線関数の交流を可能とするヘンミNo.153の創造に成功することになったのである。今にして思えば、あの日、ケネリー教授の講演をきく機会がなかったならば、この工夫は永久にわたしの頭脳に湧いてくることがなかったのではないか。Gθ尺度は偶然の所産ということができるかもしれない。」

 以上で分かる通り、No.152は宮崎治助氏が苦労してGθ尺を考案したNo.153が出来た時点ですでにオワコン化してしまい、どうでもいい存在になってしまったため、その後はもしかしたら在庫分だけ牛の涎のように出荷し続けていただけの計算尺だったのかもしれません。実際にNo.153との価格差は2円50銭くらいあったようですが、この金額でわざわざ安いNo.152を選ぶか、No.153を選ぶかは微妙なところです。今でいうアルバイトの一日分の賃金は50銭くらいだったそうですから。

 このHEMMI No.152は北陸富山の魚津市からの入手で、糸魚川のNo.153同様に水力発電所関連で使用されたものだったのでしょうか?

追記:「二乗目盛、反数目盛及び角目盛を併用する計算尺」の特許は大正14年8月29日付で特許65414号が宮崎治助個人で取得されていますが、宮崎敏雄氏によるとこのアイデアは秋田の荒川鉱山から岡山の吉岡鉱山に転勤後、こちら岡山時代に考案したものだそうです。岡山内陸部の夏の猛暑には秋田人の治助氏の体が合わなかったのかどうか、その後三菱鉱山を退職、上京し、東京で短期間電気関係の仕事に就いたのち、つてで三菱電機に職を得たとのこと。特許取得後にこのアイデアを持って渋谷町猿楽町の逸見計算尺工場事務所を訪ねたそうなのですが、その時にはすでに何人か自分の考案した計算尺のアイデアを持ち込む今でいう計算尺ヲラクが何人もいたそうで、その中には宮崎達男氏、本田織平氏、別宮貞俊博士、平野英明氏などの後に計算尺界に名前を残す方もいたそうです。ところでこの宮崎治助氏が苦労して考案したGθ目盛は「グーデルマニアン目盛」として昭和8年6月19日付で特許101458号が大倉龜名義で取得されています。このことに関して宮崎卯之助氏の家族に「カメに取られた」の愚痴が出ていたのでしょうか?それまでのヘンミ計算尺の特許は考案者が誰にも関わらず「逸見治郎」名義で取得されています。しかし、大倉龜と宮崎治助の関係は晩年まで良好だったようです。片や帝大出身の元官僚、片や秋田の工業学校出の鉱山電気技師ながら同じ明治24年生まれでなぜか馬が合ったということもあったのでしょうか。宮崎敏雄氏によると昭和35年に大倉龜が亡くなったとき、宮崎治助氏は心身ともに憔悴してしまったのだとか。

Hemmi152_20201230110101
Hemmi152_20201230110102

| | | Comments (0)

December 24, 2020

HEMMI No.2664S SPECIAL

 HEMMIの永遠のスタンダード片面計算尺のNo.2664SにDI尺が加わり、A尺を上固定尺のK尺の下に移動させたレイアウトの片面計算尺がNo.2664S-Sです。もともとNo.2664にグリーンのCIF尺を追加したため、別製No.2664という意味合いでSPECIALのSの意味合いだったはずなのですがNo.2664S-Sは発売当初の初期型のみNo.2664S SPECIAL名で発売されていますので、No.2664S-SはNo.2664に対してNo.2664SPECIAL-SPECIALの二重のSPECIALが被ってしまうためか、いつのまにかNo.2664S SPECIALを止めてNo.2664S-Sにネームチェンジしたようです。このNo.2664S-SはオリジナルのNo.2664Sと比較すると圧倒的に少なかったようで、オークション上に登場する点数からするとNo.2664Sが30本あったら1本出てくるようなそれくらいの数の違いがあるような感じですが、果たして生産数はどれくらいの違いがあるのでしょうか?特筆されるのはNo.2664S-SはHEMMIと内田洋行の商標KENTのダブルネームの物が存在し、このKENTとのダブルネームはこのNo.2664S-SとNo.254WNの2種類しか知られていません。No.2664S-Sの年代による差異というのはNo.2664Sとまったく同じで、ケースは登場時の緑貼り箱ラージロゴ、緑帯貼り箱、青蓋ポリエチレンケースの3種類。換算表が2パターン。下固定尺側面がフルスケールのセンチもしくはインチ目盛、0-13-0の目盛と無地の3パターン。形式名は裏面中央から表面下固定尺右に移動などです。
 このNo.2664S-SにDI尺が加わった理由ですが、RelayやRicohのNo.116と異なり、滑尺裏の三角関数が逆尺になっているため、表面のD尺で直読出来るのでNo.116には必要でもNo.2664S-Sには不要なのです。ただ、連続計算のための利便性のためのDI尺追加で、それは昭和36年辺りから急に全国的に盛んになった計算尺競技会に対する競技用用途というのが大きいような気がします。その競技用計算尺の流れというのは、時代とともにNo.651からNo.640Sを経てNo.641に至りますが、ある程度No.2664S系で計算尺競技に慣れてしまうとかえって新しいタイプの計算尺に変えることはできなくともNo.2664S-Sだったら大丈夫だろうなという感じもします。個人的にはA尺がK尺の下に来たNo.2664S-SのほうがNo.2664Sより直感的に取り扱えるような気がします。
 そのNo.2664S-Sはかなり長い間専用の説明書がなく、No.2664Sの説明書に補足説明のペラが一枚加えられた状態でしたが、後にNo.2664SSのタイトルで専用説明書が出来ています。
 今回のNo.2664S SPECIAL刻印のNo.2664S-Sは緑箱時代だけに存在し、さほど珍しいものではないものの絶対数が少ないからか、のちの緑帯時代のNo.2664S-Sや青蓋ポリエチレンケースのNo.2664S-Sと、比べると極端に数が少ない印象です。形式名が表面に移った緑帯箱時代のものが製造の期間としては長かったからか数が多い印象ですが、意外に青蓋ポリエチレンケースのものも数が多く、これは昭和47年新学期の高校入学に合わせて購入させられたという話がけっこうあるので、学校用需要というところが大きいのでしょう。KENTダブルネームのNo.2664S-Sは「高校生用」というラベルがあったような。
 ところで当方は裏側にNo.2664S SPECIALではなくNo.2664S-S刻印のものにはいまだお目にかかったことがないのですが、もしそのようなものが存在するのであれば、それこそレアモノなのかもしれません。
 今回入手した緑箱のNo.2664S SPECIALは神奈川の箱根町から入手したもので送料込み1.2k円でした。デートコードは「MA」ですから昭和37年の1月製。前年のデートコード「L」のものを確認していますので、その頃に製造・仕込みされたものが最初期にあたるもののようです。

 ところで、KENTとのダブルネームのNo.2664S-SとNo.254WNの2種がなぜ存在したかの問題ですが、確信はないものの内田洋行扱いでこの2種類だけ理科教育振興法の指定機種として登録されていたのではないかと推測しています。理科教育振興法というのは戦後の昭和28年に制定された法律で、理科数学の教育を後押しして国家の産業基盤をささえる人材を育むために各学校に理科数学教具実験器具備品などの購入予算を振り分けたものです。その購入備品は理科教育振興法の指定商品であればその購入はある程度各学校の裁量で決められることになっており、けっこう年に一度くらいしか使わない顕微鏡や昼間の授業中は使わない天体望遠鏡などが理科準備室にホコリを被っているような例はよくありました(笑) 顕微鏡なども光学会社のブランドではなくKENTブランドで入っていましたので、そういう理振法のからみで数学教具としてまとまった数量を学校の備品として納入する指定機種にKENTのブランドを刻んだのかもしれません。KENTブランドの計算尺は市販されてはおらず、個人持ちの計算尺と区別するためのダブルネームだったのかもしれません。そう考えるのが合理的なような気がします。

追記:No.2664Sの製造年代別解析をしていて改めて気がついたことなのですが、このNo.2664S SPECIALとNo.2664S-Sは滑尺裏の三角関数目盛(TI2,TI1,SI)の細密度に相違があります。それはこの時代のNo.2664S,No,2662,No.2664S-Sの緑帯箱ものに共通する仕様変更です。

 

Hemmi2664s_spl
Hemmi2664s_spl_20201224141601

Kent2664ss_20210122131901
Kent2664ss

| | | Comments (0)

December 12, 2020

Concise No.27 (SONY ノベルティー)

 コンサイス円形計算尺のアンダーラインの片面計算尺の27シリーズですが、これはNがつかないオリジナルのNo.27です。No.27Nとの違いは内側のディスクがNo.27Nと異なって分厚く、外周が斜めに落とされてそこまで目盛が回り込んでいるため、そこが手がかりとなって内側ディスクが非常に回しやすくなっていることと、カーソルがディスクをまたいでいて、その頂点にカーソルバネが仕込まれているということでしょうか。そのため、アンダーラインの製品にしてはコストが掛かりすぎていてNo.27Nにモデルチェンジしたのでしょう。尺度は双方ともに変わりはなく、外周からD,[C,CI,A,K,]の5尺で裏側は換算表。No.27Nはノベルティー商品として使われることが多く、このNo.27も同様でこれは昔のソニーのノベルティー商品です。ところがその度合が半端なく、表側に当時のオールトランジスタの主力商品のテレビジョン、テープレコーダー、ラジオの文字が入り、カーソルに赤字でSONYのロゴが。ビニールケースにはSONYの金箔押しで、驚いたことに説明書の半ページに「RESARCH MAKES THE DIFFERENCE SONY」の広告が入るという徹底ぶりで、これくらい徹底した企業ノベルティーものの計算尺は今だかつて見たことがありません。
 先日なんか革ケースにNKK(日本鋼管)マークが入ったHEMMIのNo.30を入手したのですが、計算尺本体裏側にもなにか特別なマークが入っているかと思って期待していたら、中身はノーマルのNo.30ということがありました。かなり以前に入手したケースに日本板硝子のマークが入ったNo.30も本体はノーマルでしたし、企業ものノベルティーはケースだけ特別というのもが多い中でコンサイスがここまで徹底的に相手の要望を取り入れることが出来たというのも画期的なのかもしれません。HEMMIのノベルティー用に多く使われたライバル商品はNo.P35あたりでしょう。実際に本体に企業名やマークを入れた特注商品としてどちらのほうが安かったのでしょうか?
 思い出したのですが確か以前に東芝真空管、半導体とケースに箔押しされたNo.27を入手していて、これ今回どこに入り込んでしまったのか出てこなかったのですが、こちらのほうはカーソルこそディスクを跨ぐタイプながら、内側と外側のディスクは段差のない同一面でこれは後のNo.27Nに近いのです。そうするとどうもNo.27な内側ディスクの違いで前期型と後期型の2種類が存在することになります。まあアンダーラインの片面円形計算尺ということもあり、当方を含めてまったく注目されたことは無いと思いますけど、出てきた限りは分類するしか仕方がありません(笑)
 それで初期型の内側ディスクの形状と尺度は同じくコンサイスのA型換算尺に似ています。同然直径は異なりますが。

Concisesony27
Concise27

| | | Comments (0)

November 28, 2020

三菱金属ダイヤチタニット切削速度計算尺

 三菱金属(現三菱マテリアル)から発売されていたダイヤチタニットという超硬合金を使用した切削工具用に製作した切削速度を計算するための計算尺です。この計算尺は素材の直径(D:mm)、旋盤の回転数(N:rev/min.)、切削速度(V:m/min.)の三要素しかありませんが、工業簿記的にみると、この切削時間というのが製品が時間あたりどれくらい製造できるかということと機械の減価償却など原価計算の重要な要素になっており、これらがおろそかになると製品の価格も設定できないということなのです。 このような切削速度計算尺というのは日本では専ら切削工具メーカーのサービス品のような扱いで、他には東芝系のタンガロイなどの切削計算尺もありますが、その全てが薄いプラスチックで作られたカーソルも不要なスライドチャート的なものしか出てきません。
 しかし、欧米には計算尺メーカーによる切削速度計算尺というのがちゃんと存在し、うちにもドイツのNestler No.26がありますし、他にもAW FaberからNr.348や1-48なども発売されています。諸外国では1970年辺りまで存在した切削速度計算尺ですが、日本の主な計算尺メーカ2社ではこの分野にまったく手を付けた様子がありません。これが非常に不思議な感じがしますが、これは当時の工業的な成熟度の違いで、日本では旋盤職人の親方の仕事に合理的な切削速度を計算する必要は無かったでしょうし、大メーカーはこういう挽き物のパーツは下請け孫請け町工場の仕事で、原価計算には部品仕入れの値段しか必要なかったという産業構造がこの手の計算尺が大手で作られなかった原因かも知れません。ただ、金属製円形計算尺の藤野式にNo.2557号として工作機械用マニシストコンピュータという工作時間計算尺発売の予告が出ていたことがあるのですが、玉屋発売の片山三平著の「最新計算尺原理及使用法」の藤野式計算尺使用法の部分は、版を重ねても一向にNo.2557号が出てこず、今だかつて現物を目にすることもなかったため、もしかしたらなんらかの理由でお蔵入りしてしまったのかもしれません。このNo.2557号が発売されたら我が国最初の素材と切削時間に特化した工作時間計算尺になったはずですが、この藤野式計算尺No.2557号は戦後、藤野式円形計算尺が元になったコンサイスの工作時間計算機として世に出ますから、こちらが日本で最初の工作時間計算機になるのでしょう。
このダイヤチタニット切削速度計算尺は製造したのがどこかの手がかりはありませんが、おそらくは山梨系のメーカーの仕事でしょうか?

Photo_20201128110601
Photo_20201128110602

| | | Comments (0)

November 27, 2020

HEMMI No.153両面電気技術者用計算尺の戦前戦後

 HEMMIの両面計算尺であるNo.153は昭和4年に発表されたユニバーサル型計算尺としてNo.150やNo.152に続いて昭和6年から発売された電気技術用計算尺です。特徴としては宮崎治助が考案して特許をとった二乗尺P尺Q尺を使用するベクトルの絶対値を簡単に求められるなどの交流電気技術に特化した計算尺ですが、べき乗尺を備えた両面尺の嚆矢だったこともあり、戦前は電気以外にも広く機械技術部門の設計者などにも使用されたため、戦前のNo.153は戦後に発売されたNo.153よりもはるかに多い数が世の中に出回ったような印象があります。もっとも戦後には分野別に専門の両面計算尺が続々と発売されて、相対的にNo.153の需要が減ったということが大きいのでしょうが、このNo.153は青蓋プラケースの昭和40年代後半まで実に40年近く製造され続けたHEMMIにあってはもっとも寿命が長かった計算尺の一つです。この青蓋プラケース入りの未開封品No.153を秘蔵していたのですが、なぜかデートコードが見当たらず、謎のNo.153でした。これは十分に検証を進めないうちに祖父の従兄弟で宮崎一族の卯之助氏のお孫さんの基彰さんに進呈いたしましたので、今は手元にありません。基彰さんは当方よりも10歳ほど年長ですが、幸いにも受け継いでくれるお孫さんもおり、宮崎一族の治助氏が考案した計算尺として引き継いでくれるはずです。
そのため、我が家には戦前のNo.153しか残っていなかったのですが、今回中古の昭和30年代もののNo.153を入手しましたので、両者の違いを検証してみたいと思いました。基本的には尺度や尺配置などには変更が無いのですが、一番目立つ変更点はC尺D尺の4-5の目盛が戦前は1/20、戦後のものはオキュパイドジャパン時代にすでに1/50刻みに変更になっています。ちなみにHEMMIの両面計算尺のこの部分の目盛が1/50のものはNo.250、No.P253、No.254Wの一部、No.254WN、No.264、No.266、No.274などがあり、1/20刻みの主なものはNo.251、No.255及びNo.255D、No.256、No.257、No.259及びNo.259D、No.260、No.P261、No.P267などがあり、主に事務用や学生用が1/50刻み、技術用が1/20刻みである傾向があるようです。あえて戦後すぐにNo.153がこの部分を変更したのはなぜだったのか、興味があるところですが、その他には戦前物はL尺末端の数字がちゃんと「10」なのに戦後物は「1」と0を省略。C尺D尺上の微小角計算用のゲージマークが異なり、戦後物は2から5の間の0.5単位でアローが付されています。また、戦前もののGθ尺も末端の数字は6なのに対して戦後、おそらく30年代になってから4部分に付番。戦前物はA,B,尺上にMゲージマークがあるのに戦後物は省略。戦前尺CI尺の1-2の部分は1/10ごとにすべて赤の数字が刻まれているのに戦後物は1.5部分に入るのみ。戦前物は裏面Q尺折返しのQ'尺の尺種記号も数字も赤で入っているのに戦後尺は記号も数字も黒で入れられています。またLL1尺の1.02から1.05までの間は中間部分にアローが入れられるも戦前ものには無し。戦前もののπマークは足が釣り針足なのに戦後型はJ型足ですが、これは世界的な流行に従っているのでしょう。しかし、当方はクラシカルな釣り針足のπマークにデザインの妙を感じるタイプです(笑) 戦前は革ケース裏に形式シールが貼られていたので本体に形式を刻んでいませんが、戦後物になって始めて本体に形式名が刻まれるようになりました。また尺種記号は戦前モノのほうが圧倒的に大きく、このベースボディーにはトータルデザイン的にマッチしているような気がするのですが、戦後物はこの記号のポイントが両面尺で統一されてしまったのか、いささか小さすぎるきらいもあります。また、カーソルは戦前物は当然枠に段なしのカーソルバネが八の字型で、戦後は20年代が段なし、20年代後半から段付きカーソル枠になったもののバネはまだ両端が接する八の字型。昭和30年代なかばに達して段付きカーソル枠でカーソルバネがV型の頂点一点で接するタイプに変更になりました。ちなみに最初に発売されたものだけフレームレスカーソルが付いていたらしく、オークション上で見たことがあります。
戦前のものが一本だけになってしまったため、今回入手したNo.153は昭和30年代中期以降のものらしく段付きカーソル枠でV字カーソルバネ付きのものでケースは緑の大型HEMMIロゴのもの。デートコードは「LI」と昭和36年9月の仕込みのもの。入手先が新潟の糸魚川市だったのですが、ケースにかなり古い時代に補強で貼られたと思われる紙のクラフトテープが汚らしいので、それを溶剤で慎重に剥がすと、ケースの裏側に「S37年購入大所川発電所用」というマジックインキ書きが現れました。調べたところ、なんと糸魚川市の青海にあるデンカの青海工場に電力を供給するために姫川に大正12年に建設された企業用水力発電所だったのです。奇しくも電気化学工業の前身北海カーバイト工業は王子製紙苫小牧工場に電力を供給する千歳川第一発電所の余剰電力を利用して石灰石と木炭をからカルシウムカーバイトを製造する工場を当時の苫小牧町に建設したのがそもそもの創業で、そのカーバイト工場は大正末期に王子製紙の拡張で余剰電力が得られなくなったため、創業から12年ほどで自前の水力発電所を建設した糸魚川市の青海に移転したという関係があるのです。今でも苫小牧市白金町の王子紙業という再生パルプの製造工場の敷地内に「デンカ創業の地」の小さな記念碑が立っています。そのような苫小牧から移転したデンカの自社水力発電所で使用されたNo.153が創業の地苫小牧に帰ってきたのですから、その不思議な巡りあわせにに驚くばかり(笑) しかも我が家と縁のある宮崎治助氏の考案のNo.153というのも何か出来すぎという感じもします。ただ、うちの苫小牧では昔カーバイド工場があったという話は亡くなった父親世代しか知らない話で、後に王子製紙に引き継がれたカーバイド工場の社宅やカーバイド工場に勤めていてのちに王子製紙の従業員に配置転換した人の「元カーバイドにいた○○さんの息子が…」なんて話が通じる人は現在では皆無になってしまいました。

(上からユニバーサル型時代の戦前No.153表、裏、戦後「デートコード:LI」のNo.153表、裏、ケースの書き込み)

153
153_20201127132901
153_20201127132902
153_20201127132903
153_20201127132904
S37年購入のはずが「購」の字が間違えて講義の「講」の字になってます。「昔は貝が貨幣の代わりにされ、貝で買うから購入なのだ」って学校で習いませんでした?しかし60年近く経過して誤字を指摘されるなんて間違えた人も立つ瀬がありません(笑)

| | | Comments (0)

November 21, 2020

HEMMI No.641 一般技術用

Hemmi641_20201121141302  これもいただきもののHEMMI No.641ですが、うちのNo.641としては2本目になります。用途としては一般技術用となっていますが、明らかに計算尺検定や計算尺競技会に特化しています。片面計算尺の√10切断尺ながら表面にA,B,尺を有し、さらに裏の三角関数は逆尺ですが、表面のD尺DI尺を使用して連続計算ができるなどの操作を減らして答えをなるべく早く行うことを最大の目的にして出来上がった計算尺なのでしょう。それ以前に同じような用途でNo.651というものがありましたが、オフサイズの竹製計算尺で専用のベースボディを持つため、他に転用出来ないというウィークポイントがあり、これを止めて早々に山梨の技研系の会社に委託製造させて出来たのがこの一連のバックプレートプラスチックで固定尺ネジ接合の計算尺なのでしょう。
そのNo.251の直系計算尺がこのNo.641ですが、それ以前に検定上級用という扱いで技研や富士の山梨勢が販売してきたNo.251やNo.2125のほうが一日の長があり、これらのオールプラスチック製計算尺のほうがHEMMIのNo.641よりも製造期間も長く、市場に残っている数もはるかに多いのを見てもNo.641の発売は遅きに期したという以外に言いようがありません。
 でも実際に計算尺競技の手練の方にとってはこういう尺がごちゃごちゃ込み入った計算尺は競技大会ではかえって煩わしいのだそうです。よりシンプルなNo.2664Sが一本あれば尺度の誤認もなく、より多くの操作が必要でもこちらのほうが早いのだとか。まあ、その計算尺にいかに慣れて自分の道具になっているかどうかが問題なのでしょうけど。そのNo.641ですけど山梨系のプラ尺とくらべて唯一のアドバンテージはわざわざ竹芯構造にし、固定尺と滑尺の摺動部は竹どうしのため、滑尺の動きがスムースなことです。これがプラスチックどうしだとどうしても動き始めにやや噛りつきがあり、動きのスムースさや滑尺さばきは竹の計算尺に勝るものがありません。そういえば以前、地元出身のmyuki氏からいただいたタレコミ情報によると、昭和40年に再スタートしてムトウのドラフタースケールなどを製造していた山梨の技研産業に2000年代前半にいまだNo.641が残っていたそうです。そのほかにもいろいろなヘンミ計算尺の山梨OEMの残滓があったそうなので、この事実からもこのNo.641はヘンミの工場を離れて山梨で製造されていたことが裏付けられるようです。不思議なことに山梨OEMとは思えないようなNo.2662やNo.2664S-S、あと両面尺のNo.264などもあったということで、昭和40年代にはヘンミでの竹製片面計算尺の製造ラインは縮小されて、かなりの種類の製造が山梨に移管されていたことが伺えます。
 このNo.641の説明書は初期のものはNo.2662,No.251共用の冊子型にオレンジ色の補足ペラが一枚挟まったものが使用されていたのですが、のちに一般技術用No.641と専用になった冊子型に変わります。このNo.641に付属していた説明書のデートコードは7307TOと昭和48年7月の印刷のようで、本体のデートコードはどこを探しても打たれていませんでした。このNo.641も競技大会の商品なのですが、外箱なしで説明書だけが添えられていたそうで、なぜか本体裏のゴム足が最初から無かったそうです。これ昭和50年以降の競技大会商品だったようですが、HEMMIにしてみれば半端モノかき集めて賞品名目で在庫一掃したのでしょうか?(笑)

Hemmi641
Hemmi641_20201121141301

| | | Comments (0)

November 08, 2020

HEMMI No.266 電子用の利便性は?

 HEMMIの電子工学用計算尺No.266の2本目を実に16年ぶりに2K円で入手しましたので、その後に判明したことや使い勝手などいろいろ含めておさらいしようと思います。
 No.266以前にはHEMMIにはNo.256という通信用計算尺が存在しましたが、このNo.256の原型というのが太平洋戦争直前に重電の芝浦工作所と合併して東芝になる前の弱電メーカー東京電気が発注した通信用計算尺がルーツです。確か昭和14年位にリリースされたと思いますが、それが戦後にNo.256に発展したものの、急速に広がった回路のトランジスタ回路などの要素がなく、特に回路に重要になってくるフィルターなどで使用する同調周波数を簡単に計算するという要求に答えることはできませんでした。しかし、さすがにHEMMIでは自前でこれらを設計する技術者はおらず、このNo.266は当時トランジスターラジオの小型化で世界を席巻したソニーが昭和36年に設計したものだと言われています。それは確かヘンミサークル誌かなにかで見たような情報ですが。
 このような新しい計算尺のため、発売期間中にケースが3パターン(緑、紺帯、青蓋ポリ)あるくらいで、本体には目立った変更点が無いのですが、唯一周波数の国際単位の変更があり、日本では1972年の7月1日から施行されたサイクルからヘルツへの変更で、このNo.266に刻まれた周波数の単位もMcからMHzに変更になっています。その時期に関してはデートコードがU(昭45年)より前のものには見当たらずU以降のNo.266から周波数単位が変更されたようです。厳密には2年のエージング期間があったと思われますので、昭和45年発売のものがそうだったわけではなく、昭和47年発売のものから新しい単位が刻まれて発売になったということなのでしょう。ちなみにうちのNo.266説明書(6606Y)は当然のことMc表記です。ただ、輸出用に限っては昭和47年以前から変更されていた可能性は否めません。というのもこのNo.266は新しいジャンルの計算尺ということもあり、世界的に重宝されたようで、特にベトナム戦争中の米軍用の備品としても使用されています。うちに以前からあるNo.266は厚木在住のJA1のOMさんからわざわざ譲っていただいたものですが、このNo.266が実は米軍放出品のいわゆるアメジャンとして出たもので、金属部分に備品番号がしっかり刻まれているという珍しいもの。その同じカテゴリーナンバーがワイズの複素数計算尺という大変珍しいスミスチャートを円筒にした相模原から発掘された計算尺にも刻まれていました。米軍のどの部署で使用されていたのかは不明ですが、奇しくもこの2つの出どころは同じでしょう。
 このNo.266の表面べき乗尺はD尺ではなくてA尺に対応しているのが特徴で、そのためにこのような形態になっています。また電気の計算では2πを多用するため、A,B尺C,D尺にも2πのゲージマークが多用されてますが、表面で計算する必要がないためか1/2πや4πなどは見られません。それらの絡む計算は裏面で行うようになります。このNo.266を日常の計算に使用しやすいかというとそれは否で、やはり√10切断やπ切断ずらしを備えている方が使いやすいことは確かです。裏面は各種電気系の計算に使用しますが、まずr1,r2を使用した並列抵抗、直列容量の計算ですが、こんなもの回路図見ただけで頭の中でぱっと計算できないと電気系の試験なんざ合格点もらえません。なのでまったくの不要。インピーダンスだってリアクタンスだって問題用紙の余白に計算式書けば簡単に計算できるから不要。同調周波数計算と言っても基準点から終点の10インチの間に10の何乗もの範囲があるわけで、大まかな数字しか出ないうえには実際に計算するしかないため、これも不要。波動インピーダンス、時定数、限界周波数などといっても公式に数字を当てはめれば計算は難しくないからこれも不要。ってまあ専用計算尺なんて毎日同じ業務をこなさない限りは片面計算尺のNo.2664Sが一本あれば済む話ですから、このNo.266なんかはかえって煩わしいです。
さらに単位の範囲が10の何乗にも及ぶため、かなり誤差のある概数しか読み取ることが出来ず、ちゃんとした答えを要求される試験などにも使いにくいです。
 ただ、ある程度は電気の初歩の初歩くらい齧り、原理原則がわかっていて計算式が頭の中に入っていなければいけませんけど。
 まあ、常に同調周波数などを計算する回路上のフイルターなんかを設計する人だけには有用かもしれませんが、おそらくトランジスタラジオメーカーのソニーの回路設計の利便性のために設計したものですからこういう回路設計に縁のない人は無用の長物。計算式に数字を当てはめていくのであれば、1/2π,2π,4πなどのゲージマークを備え、π切断ずらしのHEMMI No.254W-Sとか√10切断ですがRICOH OD-151の高校電子科向きのもののほうがかえって使いやすいと思いますが…。でも人はなぜかNo.266をけっこうな金額払って欲しがります(笑)
 ちなみにこのNo.266はヘンミに在庫として2002年頃まで残っていて、この頃は他の両面計算尺同様にケースが枯渇してしまったため、黒のビニールサックケースに入り、説明書はコピーを製本したものだったそうです。ちなみに今回入手のNo.266はデートコード「SG」で昭和43年7月の紺帯箱時代のものです。

Hemmi266
Hemmi266_20201108124701

| | | Comments (0)

November 07, 2020

HEMMI No.70 20"リッツタイプ精密技術用の戦前戦後

Hemmi70_20201121143101  HEMMI No.70は20‌インチの計算尺としてHEMMIでは一番数が多く作られた計算尺だと思われます。というのも戦前から戦時中にかけて軍用兵器や軍需品などの設計に多用されたということもあり、戦後のものよりも戦前のものが数多く残っているようです。当方もかなり以前に山口の徳山から戦前のNo.70と80/3をセットで入手しましたが、この二本は同じ持ち主のもので、おそらくは徳山に存在した海軍燃料廠関係の技術者の持ち物だったのではないかと思っています。
 このように戦時中は普段使いでNo.80を、精密計算用にNo.70をというような組み合わせで使う技術者が意外に多かったようで、その組み合わせが時にはNo.153であったりNo.64であったりもしたのでしょうが、No.70は外せなかったようです。
No.70の戦前モデルのパターンの違いに関しては前回に書きつくしており、改めてその時の記述を読み直してそうだったのかと思い出すことも多いのですが、基本的に戦前モデルはスケール部分を除いた上固定尺から下固定尺までの幅が34mmのナロータイプ。戦後モデルは40mmのワイドタイプ。戦前モデルの目盛は馬の歯型。戦後モデルの目盛は物差し型という見かけの違いがあります。見た目やカーソルの美しさからNo.70は戦前モデルという人も多いですが、当方もリッツタイプなら物差し型目盛よりも馬の歯型目盛のほうが。さらにセルの剥がれどめのスタッドピン付きがより好みですが(笑)
 戦後ワイドボディにモデルチェンジしたNo.70も20インチ計算尺の中では多用されたようですが、それというのも両面タイプの20インチ計算尺よりもかなり割安で、ある計算の精度を出すための計算のみに使用し、普段は10インチの計算尺を使用するというような組み合わせでよく使われたのでしょう。
 このHEMMI No.70はワイドボディの戦後型で、さらに昭和40年代の片面計算尺同様に緑帯箱入りで、ビニール未開封の未使用品ですが、デートコードは探しても見当たりませんでした。面白いことに昭和34年の片面計算尺にのみ存在した裏板が黄色いまるでアルミのヤカンみたいな黄色いアルマイト加工されたものが使用されていて、少々驚いてしまいましたが、ベースボディの仕込みはこの時期のものだったのでしょうか?
 比較のために戦前のNo.70の画像も掲載しておきますがリッツタイプの20インチ尺はこの馬の歯型目盛のほうがやはり美しい(笑)個人的な好みですけど。

 これ、外箱は無かったものの冊子型で精密用(技術)No.70,74のタイトルの説明書が付属しており、説明書のデートコードは7401Yと昭和49年1月印刷のものだということはおそらく説明書としては最末期のものです。もっともNo.70よりもポケット型のNo.74のために増刷したのでしょうが。

Hemmi70_20201107104101
Hemmi70_20201107104102
Hemmi70_20201107104103
Hemmi70_20201107104201

| | | Comments (0)

November 06, 2020

HEMMI No.201 20"両面超精密用

Dvc00788  いただきものの未開封新品HEMMI No.201です。このNo.201は超精密計算尺の部類に入る20インチ計算尺ですが、発売されたのが昭和40年代も中頃にさしかかる時期になってからということもあり、製造された数も期間も非常に短かったらしくかなり貴重な計算尺です。さらにそれがまったくの未開封新品となりますとおいそれと開封するわけにもいきません。日中戦争から太平洋戦争にかけて兵器や軍需品の設計が盛んになるにつれて10インチ計算尺よりもさらに精密な計算尺の必要性が高まり、HEMMIから発売されたのが超精密計算尺のNo.200でした。このNo.200はC,D,尺のみ16インチの長さの目盛りを6分割して両面に配置したものでその基線長は96‌インチとわずかに4インチの差で100インチに足りません。なぜ100インチにしなかったというのが不思議な感じですが、20インチ尺を5本並べる計算尺の本体を作れないというような特別な事情でもあったのでしょうか?

Hemmi201 それに比べてこのNo.201は目盛1本の長さは20インチながら基線長が80インチと16インチも短くなり4分割に減ったかわりにC,D,尺に加えてL,A,K尺が加わり、利便性が高まったものです。単純に96インチの基線長が100インチになったのかと思っていたのですが、実際にはやや精度が落ちた代わりL尺A尺K尺が加わったりしたリニューアルではなくまったくの別物計算尺ということがわかりました。というのもNo.200は20インチの両面計算尺No.275DやNo.279Dなどと比較すると、ベースボディがやや短いワンオフの専用サイズで、それだけ別に追加生産するのが大変だったのか、コストダウンのため20インチ計算尺のボディを統一するために出来上がったものがこのNo.201なのでしょう。しかし、発売された時代が悪く、ちょうど電卓などが台頭してきた時期に重なったため、もしかしたら唯一ワンロットくらいしか製造されなくて、それがずっと流通在庫として残っていたかもしれません。まだ探せばどこかの廃業寸前の地方文房具店の奥に在庫として残っているところもあるのでしょうか?一時期ほどではないにしろ未開封新品でオークションに出品されたらさぞかし高額の落札金額になるでしょう。ちなみにこのHEMMI No.201は中古品でも概ね10万円前後。2年前に発掘された未開封新品は25万5千円以上で落札されています。発売当時の定価は何と14,000円もしました。
 このNo.201は計算尺競技会の北海道地方大会優勝賞品として獲得したものだそうです。優勝した事実のほうが嬉しくてまったくこの商品には興味がなく、50年近くそのままになっていたというもの。そんなものを当方が開封するわけにもいかなく、そのまま資料として保管せざるを得ませんでした。
 これを見せられたときには思わず「おお、何とNo.201ですか」と声が出てしまったことを正直に告白します(笑)
 デートコードは「PJ」で昭和40年10月製造のベースボディを使用したものです。説明書のデートコードは6801Yでした。ちなみにうちにある同じベースボディのHEMMI No.275Dのデートコードは「QE」で昭和41年5月。20インチの両面で紺帯箱ケースのものはだいたいこの時期に集中して仕込みをされたものなのでしょうか。

Hemmi201_20201106133001
Hemmi201_20201106133002
Dvc00787

 

| | | Comments (0)

November 05, 2020

HEMMI No.136 6"ダルムスタット機械技術携帯用

 HEMMIのダルムスタットタイプの10"計算尺であるNo.130の6"版No.136です。需要と供給の関係からかHEMMIの6"計算尺というのはかなり希少な存在で、No.66にしてもNo.86Kにしても市場に出回った数は少なく、オークションでもなかなか見かけない存在ですが、このNo.136はさらに輪をかけて見つからない6"計算尺です。十数年前、奇跡的に未使用で10本くらい立て続けに出品されたのが本当に最後だったかもしれません。というのもダルムスタットタイプの計算尺自体、リッツ同様に1910年代から1940年代くらいまでに欧州で技術用として普及した片面計算尺で、その後両面尺のLogLog尺が普及してくると、それをわざわざ使う理由がないため、急速に廃れていたタイプの計算尺だからです。ましてHEMMIでは昭和15年頃にダルムスタットタイプのNo.130の発売を予告していたものの、太平洋戦争勃発で発売を見送り、戦後になってから発売されたもので、すでに商機を失っていたような存在でした。そのかわりといいますか、戦時中に多用されたのは電気用No.80で、べき乗尺があることからNo.64のリッツや電力用両面尺のNo.153とともに軍事開発用として多用されたためか、戦前尺がよく出てきます。
 そのNo.130は戦後発売の計算尺にも関わらず戦前に出来上がった目盛の型を使用していたためか、戦後新たに発売になった片面計算尺中、たぶん唯一目盛が馬の歯型目盛というまるで1920年代までの計算尺のようなデザインの計算尺ですが、このNo.136は戦後に新たに型を起こしたようで、物差し型目盛で発売されています。No.130同様に下固定尺側面にS尺T尺を配置し、カーソルはこのためのインジケータとカーソルグラスには副カーソル線が付く専用品です。このカーソルは予備品が手に入る可能性が奇跡に近いレベルなので、もしカーソルなしの本体が手に入ったとしても、新しいカーソルと合体するのは「永遠のゼロ」かもしれません。
 尺配置はNo.130同様でL,K,A,[B,CI,C,]D,Cos,で側面にSin,Tg,、滑尺裏面がLL1,LL2,LL3,の全13尺。尺種の記号が刻まれないのはこちらも戦前尺の割り切りを踏襲しているのでしょう。延長尺の基点がNo.86Kのように差があるものが存在したかどうかは情報はありませんが、おそらくは発売当初から変化が無かったのではないかと思います。この個体のデードコードは「TB」ですから昭和44年の2月。あまり要求がない6インチのボディをこの期に及んで仕込むというのも不思議な感じですが、何か特注の専用計算尺などに使用するため、6インチベースボディはちゃんと用意しておく必要があったのでしょうか?説明書はNo.130と兼用のデートコード67-06Yの短冊形と古いものの使い回しのようです。No.130は昭和40年代前半にNo.130Wにマイナーチェンジし、側面のSin,Tgを表面にもってきて側面尺を廃止し、たた幅広の計算尺になりましたが、さすがに6"のNo.136はそこまでの需要もなく、在庫が尽きるまでそのまま売られたようです。
 このNo.136は昭和40年代末期にヘンミ主催の計算尺競技会の地区大会入賞の商品だったそうで。HEMMIにしてみればあまり需要のない在庫のものを厄介払いしたような感じだったのではと思っています。そのため未開封の新品で、外箱のラベルにはNo.136機械技術携帯用\2500のラベルがありました。

Hemmi136
Hemmi136_20201105122101
Dvc00785

| | | Comments (0)

October 30, 2020

HEMMI No.254W-S 10"両面型 別製高校電子科向き

 先日入手したRICOHのOD-No.151Dとまったく同じ工業高校電子科用の別製として作られたHEMMI No.254W-Sの再考査です。
このNo.245W-SのデートコードはPIで昭和40年9月製。出荷まで2年の差があるのが普通なので、おそらくは目盛を刻んで出荷されたのが昭和43年の新学期というところの高校生用計算尺なのでしょう。このHEMMI No.254Wは内田洋行の計算尺課の要望がいろいろと取り入れられており、高校生のかばんの中で教科書と教科書の間に挟まれても押しつぶされて壊れにくい横方向が補強された特製ケースや、授業前に固定尺滑尺の基点校正が可能なようなプレートドライバーが標準で付属するなど、現場の声を汲み取らなければ採用されないような細かい気配りがあり、さらに各固定尺・滑尺の目盛の型をセパレートにすることで、現場の教師の好みやこだわりで「別製」の注文が内田洋行を通じて可能だったことです。この「別製」は一般に市販されず、各高校指定業者を通じて教科書などと一緒に販売されたのみだったらしく、その総数は少ないものの数々のバリエーションが発掘されてきました。
 ちなみに教科書と教材の指定業者というのは一般に地元の書店なのですが、うちの街では工業高校だけさる薬局の扱いで、というのもその書店の娘が薬局に嫁入りした関係で書店だけの人員では短期間に裁けない各学校の教科書教材のうち工業高校の分だけ親戚になった薬局で扱うことになったらしいのです。実はその嫁入りした書店の娘というのが同級生の祖母にあたり、同級生と同期の一人がシーズンになるとその薬局の工業高校生教科書販売アルバイトとして店頭に立っていたらしく、当初は計算尺も必須教材として販売していたのに途中の年度から関数電卓になったという切り替えの時期にあたっていたらしいです。
 そのHEMMI No.254W-Sの現在まで見つかっているバリアントは大抵は表側が√10切断かπ切断かのチョイスは出来たものの皆同じですが、裏側のパターンがいくつかあり、P尺Q尺のあるNo.153ミックスのものやスタジア、さらにはT尺2分割のものや単に表面がπ切断のものまで便宜上別製扱いでーSが付されたようですが、このバリエーションだけは表面の滑尺にST尺をもってきたり裏面にK尺A尺の逆尺があったり、LdB複合尺やP尺まで備えるというまさに別製にふさわしいもの。備える尺数も26尺とかなり詰め込まれか感のある計算尺です。その別製が盛んだったのは昭和40年代でも昭和43年から46年あたりまでのようで、団塊世代の高校進学が一段落し、計算尺の生産にも余裕が出てきた時期にあたるのではないかと。その後No.254WNの時代になると-S付きは格段にその種類が少なくなりますが、これからNo.254WN-Sの新しいバリアントが発掘される可能性はどうなのでしょうか?
 おさらいにこのNo.254W-Sの尺配置は表面がLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,ST,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1の13尺、裏面がKI,K,AI,A,[b,S,T,CI,C,]D,LdB,P,DIの13尺の合計26尺でこれ以上このベースボディに新たな尺を配置する余裕はまったくありません。
 ところでNo.254Wで話題になるのは通常型と同長型の違いについてですが、これは年代的に同長型が古くて通常型が新しいということはまったくありません。というのも昭和38年10月に仕込みされた通常型No.254Wが出てきているからです。おそらくは仕込んであった同長型ベースボディNo.254W以上に注文を集めてしまったため、通常型で仕込んであったベースボディを急遽流用せざるを得なかったということなのでしょう。天然の竹を使用している関係でエージングなどにも時間がかかり、すぐには増産できないというお家事情があったことが伺われます。

Hemmi254ws
Hemmi254ws_20201030125601


 

| | | Comments (0)

«旧ソ連のLSLO 5167-72 10"ダルムスタッド片面型計算尺