May 05, 2022

俳優渡辺裕之氏との思い出

 今から37-8年ほど前のことですが、結婚詐欺師クヒオ大佐も出入りしていた当時勤めていた渋谷のお店に何度も来ていただきました。見た感じは少々威圧感はあったものの、腰が低くてかっこよくて気さくで明るいナイスガイ。当時代々木2丁目近辺のマンションにお住まいで、そこからハーレーダビッドソンでやってきて、たまに電車の中吊りのパルコ系ポスターで見かける外人モデルさんを後ろに乗せて同伴で来店されてました。実は当方は当時テレビを持っていなくてラジオばかり聞いていた関係で渡辺裕之さんという名前は存じ上げなかったのですが、他のお客に「勝野洋とリポビタンDのファイト一発やってる人」と教えてもらい、そんな俳優さんらしくない人柄に驚いてしまったものでした。「今度勝野さん連れてきますよ」と何度か言われていたのですが、あるとき本当に勝野洋さんを連れて店に現れたのにも驚きました。勝野さん当時としても超有名人でしたし、忙しいなかでわざわざ連れてきていただけるなんて思ってもいなかったものですから渡辺さんのその信義の厚さ、誠実さにも驚かされました。その渡辺裕之氏も俳優として忙しくなり、当方も店先に出ることもなくなり、没交渉になってしまったのですが、その後何年かして原日出子さんとの結婚報道を聞き、あの外人モデル乗せてハーレー転がしていた渡辺さんが変われば変わるものだと思ってしまったのです。その後、奥さんが映画で相手の俳優さんとそういうシーンを演じるに当たり、相手の俳優さんから許諾の電話がないと怒るほどの愛妻ぶりを聞いて、そういう人なんだなぁと妙に納得したものです。なぜ亡くならなければいけなかったのか、これを書いている時点でまだはっきりしたことはわかりませんが、また縁のあったお方が一人亡くなって寂しい思いをするとともに故人様のご冥福を深くお祈り申し上げます。

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April 17, 2022

半纏・雪の花酒造(小樽市)

 雪の花酒造は小樽の勝納川の沿いに明治の時代に創業発展した北の誉の野口本家などの酒造場と比べると比較的に新しい昭和4年創業の桶売り専門蔵の酒造免許を昭和36年に引き継いで創業したという若い酒蔵でした。もともとは自社ブランドで日本酒を販売していたわけではなく、他社への桶売りや観光地の名前を冠したOEMに徹していた営業方針の酒蔵でしたが、日本酒の需要後退とともに平成に入ってから自社ブランドを前面に出した営業戦略に転換したものの、売上の減少には抗しきれず、一度はスポンサー企業(旧苫小牧臨床検査センター系)の経営参入で息を吹き返した様子も見たものの、そのスポンサー企業の経営分割分社化により資金援助が絶たれ新たな仕込みを中止。在庫のみで営業を継続していたものの2011年7月に経営破綻し、雪の花のブランド名とともに消滅してしまいました。数年後には合同酒精を中核とするオエノングループの一部門になっていた北の誉の野口本家も小樽での醸造を中止して旭川に拠点を移設。野口本家に委託醸造していた山二わたなべの北寶も廃業してしまいました。勝納川沿いに発展した酒蔵は現在では宝川の田中酒造の亀甲蔵のみという現状です。
 明治24年に北の誉の野口本家酒造が小樽で最初の日本酒の蔵として開業しましたが、それ以降勝納川沿いの地域に日本酒の蔵が集中したというのはひとえに水、それも天狗山からの伏流水が日本酒醸造に最適だったからといわれています。当時の小樽は北海道における金融・商業・交通の中心地で、本州からの物資や人を受け入れた玄関口のような町でした。そのため、ここ小樽を拠点に野口本家が旭川や札幌にまで醸造所を設けるほど隆盛を極めたわけですが、今や野口本家と神谷酒造が中心になって設立したアルコールプラントの合同酒精の持株会社のオエノングループの一部門に組み込まれ、小樽から完全撤退したというのも時代の流れかもしれません。
 この雪の花酒造の半纏は黒襟に紺木綿生地という組み合わせで、背には雪の花酒造のマークがあしらわれています。さほど古いものではありませんがざっくりとした大きめの半纏です。仙台物ではないようで、もしかしたら旭川あたりの染工場で作られたものかもしれません。

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April 03, 2022

HEMMI No.80K 10"電気用初期型「HD」

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 HEMMIの電気用計算尺No.80KのルーツはJ.HEMMI時代のNo.3にまで遡りますが、No.3自体はA.W.FABERのNr.368 Elektroのまるまるデッドコピーでした。というのもHEMMIの創業者の逸見治郎はあくまでも目盛職人で計算尺の原理原則などわかるはずもなく、あくまでも渡された見本を忠実に作ってみせることには長けていたものの、それ以外のことは不得手で、あるとき西洋の文字で書かれた手紙が猿楽町の逸見治郎の作業場に舞い込んだとき、彼は学校の先生なら何が書かれているかわかるだろうとさっそく近所の小学校にくだんの手紙を持ち込み助力を求めると発送先はイギリスのロンドンからで、サンプルを至急3本送られたいという内容だったということがわかったとのこと。当時のイギリスは第一次大戦でドイツからの計算尺供給が途絶え、新たな計算尺の供給元が早急に必要だったのでしょう。その後、どのような手段でロンドンの会社とやり取りしたのかは知りませんが、おそらくその会社から同じものを作ってほしいと送られてきたサンプルがこのA.W.FABERのNo.368だった可能性もあります。そして大正時代の前半にはマンハイムタイプの計算尺しかなかったところにいきなり加わったのがNo.3なわけなのです。ちなみにこのロンドンの会社が逸見治郎の猿楽町の工場に手紙を出さなければ。また逸見治郎が近くの小学校に駆け込まなければ。そしてロンドンとの取引が始まらなければ、そのロンドンでヘンミの計算尺を後のヘンミ製作所社長となる大倉龜が見つけることもなく、おそらくヘンミ計算尺は大正14年の工場火災とともに途絶えてしまったかもしれません。そしてヘンミ計算尺は大田スター計算尺や竹内式計算尺同様に時代の徒花となり、以後の日本の計算尺は河井精造が正式に理化学研究所の資本投下をうけて会社化した「理研計算尺」というものが設立され、戦前戦後の日本の計算尺界をリードしていた可能性だってあるのです。逸見治郎が英語がわからないからとその手紙を放置せず、取引の始まったロンドンでその製品を目の当たりにした大倉龜が経営参加を申し出、いろいろな人材が自分のアイデアを猿楽町の事務所に持ち込むために集まり、結果として次々に新しい計算尺が発売されていったのです。
 そのHEMMI No.3電気用ですが、コピー元のA.W.FABERがNr.398にモデルチェンジしたことでいささか陳腐化し、べき乗尺、逆尺などを備えたNr.398コピーがHEMMIのNo.80です。発売当初はNo.3同様のナローボディだったという話を聞きますが、その後すぐにNo.64同様のワイドボディ化し、両端にセル剥がれどめの鋲が無くなったと同時に延長尺を備えるようになったのが戦前から戦後の昭和27年頃まで続いたNo.80になります。その戦前のNo.80ですが、べき乗尺を備える片面尺が他になかったためNo.153と同様に電気関係者だけではなく、機械技術関係者にまで広く使われたためか、今でもかなりの数が残っており、決して珍しい存在ではありません。No.50系統を除き、技術用の計算尺としてはリッツのNo.64に次いで多用された片面計算尺かもしれません。そのNo.80の滑尺溝内のモーター・ダイナモ効率尺度を廃し、表面に持ってくることにより特殊な構造の滑尺インジケータをやめ、No.2664などと共通化したボディを使用し、さらに二乗尺のK尺を下固定尺側面にあらたに追加したのがNo.80Kになります。そのNo.80K電気用ですが、他の延長尺を持つNo.64やNo.130等と同様に延長尺の始点の違いで初期型と後期型に分類されるのはあまり気にはされていないと思います。というのもNo.80系統は戦後に多種多様な計算尺が発売されたおかげで戦前に比べるとNo.64同様に相対的に重要度が下がったため、さほど数がさばけなくなったのか数が少ないため、目にする機会も少ないためだと思います。現にNo.130の初期型でさえ昨年立て続けに2本入手しましたが、それまでは現物を目にすることさえ出来なかったのですから。この延長尺の始点が旧タイプはA,B尺C,D尺それぞれ0.785と0.890だったものが0.8と0.9に短縮されています。旧タイプはなぜ、このように半端な数値の始点だったかというと、コピー元のA.W.FABERがそうだったからということしか言いようがありません。同じドイツのNESTLERあたりも似たような延長尺始点なので、おそらくは意味のある数値であったとは思うのですが、当方はよく理解していません。後に0.8と0.9にしてしまったわけですから最初からあまり意味のなかった数値かもしれません。HEMMIの延長尺トリオNo.64、No.80K、No.130のうちで延長尺が一番長かったのはNo.130初期型のそれぞれ0.7と0.84で、後期型とは見た目ですぐに違和感がわかるのですが、No.64とNo.80Kは言われなければわからない人が多いのではないでしょうか。その初期型No.80Kですが、開始価格1000円スタートで出品されたものの送料一律1500円を嫌がったのか誰も入札者がなく、開始価格が下げられて出品され続け、400円になり送付方法もメール便210円に下げられたところで落札したものです。入手先は東京都内です。
 デートコード「HD」ですから昭和32年4月製なので、この初期型では最後の製造年度になると思います。最初期型のHコードのNo.2664S等と同様に裏側固定尺真ん中にSUN HEMMI のトレードマークとデートコード、右の端に形式名が入っているのがこの年までのHEMMI片面計算尺の共通仕様です。手元にあるデートコード「OH」の後期型との違いは構造的には裏板のネジ止めの有無くらいなものですが、あとは表面延長尺部分の数字の色、D尺上にCおよびC1ゲージマークが無くなったくらいしか変更はありません。πマークも釣り針足形で変更がありません。ただ、D尺のCとC1ゲージマーク廃止は後期型でも中途の変更だったらしく昭和36年製造年の「L」にはちゃんと残っているのです。

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March 29, 2022

技研 No.206 8"検定試験初級用(朝日新聞ノベルティー)

 かつて山梨の甲府でプラスチック計算尺を主にOEM生産していた技研工業の8インチ検定試験初級用計算尺とタイトルが付いているNo.206は以前に未使用新品を入手していますが、今回は入手済みのNo.206と内容的には変わらないものの、裏側の成型色が違うという興味だけで入手したものです。おまけに朝日新聞のノベルティーもしくは優秀新聞配達少年への表彰の賞品として発注でもされたものか、朝日新聞・ASAHI EVENING NEWS・科学朝日のロゴが赤で入れられたノベルティー品でした。そしてケースは以前のものと同様に今回も昭和38年以前の技研計算尺に多い黒の貼り箱です。内容的にはHEMMIの8"学生用計算尺のNo.45Kと尺度その他変わりのない√10切断ずらしの計算尺ですが、プラスチック製ということでNo.45Kと比べると竹を使わないだけコストダウン出来たのでしょう。しかし、技研計算尺は自社ブランドとしての計算尺販売期間も短いこともあり、計算尺研究会参加記念とか競技会参加記念などのものは見かけますが、コマーシャルなノベルティーもしくは名入れのものというのは見たことがありませんでした。
 ところで、当初は気がついていませんでしたが、以前入手した技研の検定初級用No.206と今回の朝日新聞ノベルティーのNo.206は尺度こそ同じながらデザインはまったく異なります。以前のNo.206は技研のマークも形式名も通常の技研のデザインと異なり、裏側に申し訳程度、目立たないようにスタンプされています。また、デザイン的にはHEMMIの8インチ学生尺No.45Kのような印象です。今回のものは表面に技研マークと形式名が入る標準的なデザインですが、広告入りということもあるのか裏面が白です。カーソルも微妙に異なります。時期的には今回の朝日新聞ノベルティーのほうが早いような気がしますが、なぜデザインがこうも異なるのかは一つの謎。まあ技研計算尺末期の混乱が伺われるような2種類の計算尺でした。

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March 13, 2022

ザイペル式揮発油安全灯 WILHELM SEIPPEL Z.L.630A(炭鉱用カンテラ)

Dvc00486  最近のキャンプブーム到来でキャンパー人口が激増したからか当然のことながらキャンプギアの人気も高まっています。そのキャンプギアの中でもコレクターズアイテムとしてプレミアムが付くのがキャンプングストーブとランプのようで、特に人気のあるものがコールマンのオールドガソリンシングルバーナーストーブやオールドガソリンマントルランタンでしょうか。当方、キャンピングストーブにはあまり興味はないものの、叔父の形見でコールマンの502とホエーブスの旧タイプ625を所持していましたが、アルミのコンテナ付き502は向かいに引っ越してきたキャンプ好きの若夫婦に進呈してしまいました。さすがはキャンプギアマニアでコールマン好きとあり、夫婦でものすごく喜んでくれましたので、こういうものは死蔵させておくよりも好きな人に受け継いでもらったほうがいいような。502も625もパッキンやグラファイトなんかの消耗品は交換済みでちゃんと使えるように整備済みでしたが、なにせインドア派にはキャンピングストーブなんか利用価値がありません(笑)というキャンピングブームによるキャンピングギアマニア人口の増加もあって、ここ2-3年はキャンピングギア的には変化球ながらアメリカ本国からケーラーやアメリカンウルフの炭鉱用揮発油安全灯が多数日本国内に持ち込まれるようになり、それらがキャンプギアマニアの手に渡るようになってケーラーやウルフはすでに日本では珍しくなくなりましたが、ヨーロッパの炭鉱用安全灯はアメリカ物の安全灯と比べるとタマ数も情報もまだまだ少なく一般的ではありません。
 そんなヨーロッパの炭鉱用安全灯を久々に入手しました。通算3台目のドイツ製SEIPPEL揮発油安全灯です。以前、このザイペル式安全灯に関してはあまりにも情報がなかったため、未確定情報しか書くことが出来ませんでしたが、今回オランダからもたらされたかなり詳しい情報によりより詳細なヒストリーを書くことが出来ました。Dvc00488
 WILHELM SEIPPEL GmbHは創業者WILHELM SEIPPELが1858年にルール工業地帯にあるウエストファーレン州ボーフムに開店した金物屋にルーツを持ちます。1841年に開鉱した炭鉱から産出させる石炭がルール工業地帯の鉄鋼産業を支えたことからボーフムの町は年々発展を遂げ、ウィルヘルム・ザイペルは小さな工場を建設して最初は炭鉱用の金物類やオープンタイプの灯油のカンテラ。まもなく炭鉱用安全灯などの製造に乗り出しました。安全灯としてはザイペルの工場には取り立てて有能な設計者も技術者も存在しなかったようで、ベルギーあたりのクラニータイプ安全灯を参考にしたような油灯式クラニー安全灯なのですが、ベインブリッジのように下のリングに蜂の巣状に穴を開けて吸気効率を高めた安全灯が見受けられます。ただ、この吸気リングの裏側にはベインブリッジ同様に金網も張っていないので、メタンガスへの引火の安全性には少々疑問ながらガス気の少ない亜炭がメインのドイツの炭鉱ではこれでも通用したのかも知れません。またドイツの安全灯に共通の特徴。すなわちメタンガスの通気にさらされるリスクが少ないためか金網部分に風よけのボンネットがないというのは終始一貫していました。まあ国内で必要のないものを着けないというのはドイツの合理性ですが、そういう事情を理解できない商社が明治の末期に日本に輸入したサイペル式安全灯と称するものにもボンネットがなく、構造的にもクラニー灯を揮発油灯にしただけのものということもあり、すでに輸入されていたウルフ安全灯に取って代わるようなものではありませんでした。ただしザイペル式でもベルギーあたりのガス気の多い炭鉱用にはちゃんとボンネット付きの安全灯を輸出していたようです。Dvc00489
 そのザイペル社は1906年に息子のロベルト・ザイペルの時代になってウルフ式安全灯の特許喪失部分も応用した改良型の揮発油安全灯を作りますが、同時にカルシウムカーバイドを燃料とした安全灯も発売。第一次世界大戦後の1919年に会社を売却し、以後の事業はザイペル家の手を離れ、戦勝国英国の蓄電池式安全灯の雄であるCEAG(シーグ)社に買収されます。営業拠点はボーフムから南西の鉄鋼の街であるドルトムントに移転してしまったようです。この揮発油安全灯がドイツでいつ頃まで使われたのかという話はよくわからなくて1925年に蓄電池灯以外禁止になったという話もあれば、1960年に炭鉱研修生として渡った日本人(その実、西ドイツの労働力補間)の話では「日本ではもう見かけなくなった旧式の揮発油安全灯を持たされて坑内に入り、歩くときは腰に下げ、それを適当なところに吊るしての作業に驚いた」などという話もありますので、戦後にもかなり長い間使われていたということは確実のようです。
 今回神奈川から入手したザイペル揮発油安全灯は構造的には前回入手した無刻印のものと変わりありませんが、社名とZL630Aの形式名が残ってました。前回のもとと異なる点は安全灯のトッププレートとガードピラーが真鍮ではなく鉄製であること。また油壺もウルフ灯なんかと同様に真鍮の中子に鉄を被せたものです。まあ、真鍮製というとレプリカ臭が強くて敬遠してしまいがちですが、カンブリアンランタンと違ってザイペルまでレプリカを大量に作ったかどうかは知りません。ただしこちらの方も1985年に開催された何らかの技術会議の記念品だったようです。それで、以前入手したSEIPPEL式安全灯との比較で気がついたのですが、このSEIPPEL式揮発油安全灯は後にウルフ式揮発油安全灯の形式を踏襲して下部の空気吸入口から金属メッシュを通して取り入れた空気により燃焼し、上部のカーゼメッシュを通過して筒外に出るというドラフトではなく、上部のカーゼメッシュを通して取り入れた空気が燃焼し、カーゼメッシュ上部を通して筒外に抜けるという「非ウルフ形式」の揮発油安全灯で、言うなればマルソー形式の揮発油安全灯だということです。その形式というのは20世紀に入った頃から安全灯の終末期まで変わらなかったということになります。また特徴的なの再着火装置(Relighter)のメカニズムがウルフ式とまったく異なり、真ん中に棒芯のガイドステムが出る穴の空いた懐中時計のような円盤にすべてのメカニズムが収められており、給油の際はこの再着火装置の円盤をすっぽり外し、ガイドステムをカニ目で緩めて外すことにより油壺に注油するというものです。この再着火装置の円盤は油壺を貫通するシャフトとはまり込み、底のツマミを回すことによってメカニズムが動作するようになっています。またロッキングシステムはケーラーあたりと同様のマグネットロックです。Dvc00487
その炭鉱の町ボーフムですが、1943年3月に始まったルール工業地帯爆撃の標的になりました。というのもエッセンにあったクルップ社の鉄鋼工場が最重要目標だったものの、そこに石炭を供給するボーフムも例外ではなく1943年の3月5日のエッセン初空襲に続き、早くも3月29日に初空襲を受けています。それから5月6月と定期的に爆撃の目標になり、連合軍の空爆で市街の40%が被害を受けたそうです。戦後のボーフムは炭鉱の閉山が相次ぎ、1970年までにすべての炭鉱が操業を停止したとのことですが、その炭鉱跡地に1962年から自動車のオペルが工場を開設し、第一工場から第三工場までのすべてが炭鉱跡地に設けられたものだったとか。そのボーフムにはドイツ炭鉱博物館と鉄道博物館があるそうで、どういう経緯かは知りませんが茨城のつくば市と姉妹都市を締結しているのだそうな。またこのボーフムはザイペル以外にも同程度の規模の安全灯製造メーカーが複数存在したようですが、日本にはザイペル以外は研究用にしても輸入されたことがないのでまったく馴染みのないメーカーばかりでした。

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February 25, 2022

HEMMI No.66 6"システムリッツ技術用

 ありそうであまり出てこない6インチのシステムリッツHEMMI No.66ですが、これはDELTA計算尺の抱合せで足利市から入手したものです。残念ながらカーソル割れなのでカーソル裏面からテープ補修していますが、この6インチ専用3本線カーソルの入手の可能性は限りなく「永遠のゼロ」なので、久しぶりにポリカーボネイト板を使ってカーソルグラスを作らなければいけません。幸いにも他にも健全なNo.66が2本あるので、寸法出しと3本線カーソルの再現は可能でしょう。このNo.66は滑尺を抜いた内側に目盛が刻まれており、この部分に"SUN" HEMMI MADE IN JAPANが刻まれているNo.66としては戦争前の輸出にも供された改良型ファーストモデルとでも言うべきものです。A型カーソルからA型改良カーソルに変更になり、さらにセルロイドの貼り方が変更になったためか金属のスタッドが廃止されています。それ以外にはゲージマークを含めて変更点は見当たらないようです。ただし、双方ともに馬の歯型目盛なのですが、これが昭和15年以降のいつ頃からか物差し型目盛りに変更になり、滑尺溝のスケール目盛が廃止され、一時的に尺度記号が入ったセカンドモデルに変更になります。ただ、この尺度記号も戦時型から廃止され、以後は踏襲されなくなったようです。こちらの物差し型目盛のセカンドモデルも随分昔に入手しているのですが、どこに入り込んでしまったのか肝心なときに出てこない(笑)ファーストモデルセカンドモデル共に革のサックケースに入っているのですが、スタッド付きのほうはフラップに「BAMBOO SLIDE RULE "SUN"HEMMI」の金箔押しがあるのにこちらのモデルはコストダウンのためかのっぺらぼうです。セカンドモデルは標準で黒疑革紙貼りの黒紙ケースでした。
 同じくポケット型の5"サイズのシステムリッツにNo.74があるのですが、情報的には戦前から作られていることがPAUL ROSS氏のカタログに書かれているものの、今まで見た一番古いものはMADE IN OCCUPIED JAPAN時代のものです。おそらくはNo.2634同様に戦後になって初めてラインナップに加わり、戦前のポケットタイプとしてはNo.66が携帯用としては標準だったということでしょうか。

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February 24, 2022

信和工業 HATO No.800 8"生徒用

 信和工業のHATO No.800という生徒用8インチ計算尺ですが、これはおそらくは山梨のあるプラスチック計算尺のOEM専門メーカーにより提供された計算尺の一つだと考えていました。というもの、ほぼ仕様が同じ計算尺でプランドだけが違うものが数社確認されているためですが、印象としてはどうやら技研系や富士計算尺系ではなく、まったく別の山梨系統の計算尺のような気がします。ところが考えてみると、今を去ること15年も前に金属板で目盛が逆に陽刻された計算尺の原版のようなものが一度に多数出品されたことがあり、その原版は大阪の業者だったヘブン計算尺のHEAVENのものに混じってHATO No.800の原版のあり、合わせてHEAVENのポケット計算尺で尺全体が拡大レンズになっているものやHATO No.800の箱にも入っていないむき出しの完成品が多数含まれていたのです。当然、山梨のどこかの下請け業者から流れたのかと思っていたのですが、その出処は神戸。ヘブン計算尺が大阪だということもあり、もしかしてこれらは山梨ではなく関西のどこかにプラ尺の製造元があって、そこから高級な計算尺はないものの、8インチの学生尺や5インチの名入れノベルティー専用計算尺などを作っていた可能性がありそうなのです。そうでもなければ山梨で使っていた原版が関西から大量に出てくる道理がないような気がします。ただ、ヘブン計算尺を除いて信和工業にしてもその類似尺のパイロットの計算尺にしてもそのOEM先は殆どは東京の業者なのです。まだ新幹線も開通していなかった時代にわざわざ東京から大阪に計算尺の発注が出ることがあったのかは疑問ですが、その当時ノベルティー名入れ専用クラスのチープな計算尺はHEMMI計算尺や富士・技研系の計算尺メーカーではベースになるモデルがなくて、この時期、在関西の、それもプラスチック加工のメッカである東大阪あたりの工場が一手に生産を担っていたという可能性は大いにあったと思います。考えてみれば東京の興洋商事の名入れ計算尺もベースは関西メーカーのものだったかもしれません。
 そんな関西のプラ尺専門メーカーOEMと考えられる信和工業のNo.800ですが、この手の計算尺に共通の説明書はまるで風邪薬の説明書のようなペラ一枚を折りたたんだもので、発売元の所在地も電話番号もないというシロモノです。尺度はK,A,[B,CI,C,]D,L,の7尺で滑尺裏はブランク。またカーソルはバネこそ入っているものの一枚のアクリル板を曲げて裏側に折り返しているだけの単純なものです。紙の筒型ケースは2種類あるようで、今回のものはブルーグレーの張り箱でした。姉妹品に√10切断系のNo.820があるようですが、それ以上の発展はなかったようでこの2種類以外にHATOブランドの計算尺は見たことがありません。入手先は東京の大田区からでした。

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February 23, 2022

OZI SEISAKUSHO 「DELTA」5インチ 計算尺

 終戦後の昭和24年前後に出現し、他に発展することなく消えてしまった日本ではその類例を見ない全金属製計算尺のOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺ですが、いまだにその正体がまったくわからない計算尺です。15年ほどの間でも知っているだけで5本もオークションには出ていないと思いますが、その間でわかったことは基本は同一ながら裏側にdB尺があるバリアントが存在すること。また、「日本カーボン」の社名と電話番号が刻まれたおそらくはノベルティー商品ではなく会社備品が存在することの2点しかわかっていません。社名でさえも王子製作所なのか王寺製作所なのかもわかりませんし、その会社がどこに存在したのかさえもわからないのです。
 唯一つ言えることは町の零細業者が手掛けるようなシロモノではなく、おそらくは高度なプレスや機械加工の技術をもつ会社ではないと出来ない加工の製品であることから、たぶん戦時中に軍需品を手掛けた大手の工場の一つで、戦後の財閥解体で分社化され、一時期OZI SEISAKUSHOを名乗ってこのような民需品を手掛けていたものの、昭和20年代後半には元の大手の傘下に戻って社名が消滅した会社ではないかと思うのです。さらに「DELTA」というネーミングから旧三菱の関連会社か?などとも考えたわけですが、いままでそれに対するエビデンスは何一つ発掘できていません。
 ともあれ、戦後の物資不足から軍が本土決戦用に溜め込んでいた兵器用のジュラルミンが放出になり、様々な日用品の鍋や釜やパン焼き機、火鉢やバケツなどがジュラルミンで作られました。我が家にもジュラルミン製のバケツや電熱器、火鉢などが実際にありましたので、けっこう日本中にほんの一時期だけ広く出回ったようなのですが、このジュラルミン製品が溢れた昭和23-4年ごろを称して「ジュラ紀」などとも言うそうです。また戦時中に金属製品が供出され、瀬戸物の製品が代用品として出回った時代を「白亜紀」と称することもあるそうです(笑)
 その放出ジュラルミンを加工して元軍需品製造の会社が作り上げたのがこのDELTA計算尺ではないかと思われるのですが、その証拠としてこの計算尺はMade in Occupied Japanが刻まれており、そのジュラルミンは一年ほどで使いつくされたことや、朝鮮戦争が勃発してからは金属類の高騰でとてもこのような総金属製の計算尺は作ることが出来なかったため、朝鮮戦争以前のほんの短期間にだけ作られたとしか考えられないのです。また、おそらくは航空機用かなにかの薄板を巧みにスポット溶接で組み合わせ、薄板だけの構造でこれだけのものを作り上げた設計者は只者ではないはず。しかし、このような構造的には画期的な計算尺なのにも関わらず、宮崎治助氏の計算尺発達史の戦後の計算尺にも一切紹介されておらず、いままでオークション上に出てきた数からしても総数2000-3000本くらいの間で入手した放出ジュラルミン板の分だけしか製造されず、しかも市販はなく旧財閥グループ企業の間で社用に出回ったとしか考えられないのです。どうもこれだけ手の込んだ総金属製計算尺を市販しようとしても同じものを竹で作った計算尺と比べるとその定価が何倍になるかも想像がつかないほどで、絶対的に商業的には成功はしないはずですし、この計算尺の製造元もこれを発展させようという気はまったくなかったでしょう。それを考えるにつけ、この薄板のみを巧みに組み合わせた計算尺の構造を設計した人が後にどういうものを設計したのか興味が尽きないのです。
 そのOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺は最初に入手したものが裏面にdB尺がついていて、カーソルのポインターで目盛りを読むというものでしたが、今回栃木の足利市から入手したのがこのように裏面がなにもないもので、こちらのほうが一般的なOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺になります。2本の違いですが、以前入手した裏面にdB目盛があるものが改良品と仮定すると、今回のDELTA計算尺には表面にDELTAのブランド名とOZI SEISAKUSHOの文字ならびに上下の固定尺を繫ぐブリッジにPAT.PEND.NO.14015の打刻がありますが、裏側には一切刻印もありません。これに対して裏dB目盛付きのほうは、表面にはDELTAのブランド名だけで、メーカー名は裏に移動し新たにMADE IN OCCUPIED JAPAN表記が追加されました。さらに逆尺の尺度と数字ならびにDELTAのブランド名が赤入れになりました。裏dB目盛り付のほうは固定尺と滑尺ともに25の打刻があり、今回のものは35の打刻があります。ゲージマークは双方ともにπがあるだけで特に差異はありません。双方ともに滑尺はお互いに入れ替えても寸分の隙間も出来ないほど精密な加工精度があります。

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January 18, 2022

☆Relay☆ No.R-816 8"学生用計算尺

 ダブルスター時代のRelay No.R-816 学生用です。このアルファベットが頭につく品番はアメリカへの輸出品番と言われていますが、この昭和20年代末期から30年代には国内にも広く出回っており、必ずしも輸出専用というわけではないようです。この「R」が練習用とか生徒用を表し、800番台は8インチの片面計算尺を表します。ただ、アメリカでは昔から生徒用も10インチの片面計算尺が主流でしたので、この一連のR800番台8インチ尺が輸出されていたのかというと2、3のOEMブランドがあったのみで、さすがに8インチ計算尺はオフサイズ扱いだったようです。この8インチというサイズの計算尺はアメリカのほうが出現が早かったのですが戦前に早くも淘汰されてしまいました。
 日本では戦時中、旧制中学での教育のために作られたHEMMIのNo.2640が標準になったため、学生用計算尺というと8インチ片面尺というのが標準化してしまいましたが、この8インチというのは当時の教科書を開いたときにはみ出さないサイズということになっています。ただ、戦時中ということもあり、材料を節約するために2インチ短い計算尺を標準にしたという動機のほうが大きかったはずです。
 そのような8インチ学生用計算尺に√10切断ずらしが採用されたのは昭和25年頃にリリースされたHEMMIのNo.45だと思われますが、RelayではHEMMIに遅れてR-806とR-816という2種類の計算尺がほぼ同時にリリースされています。R-806はおそらく当時各社でよく作られた表面しかなく裏側に三角関数はおろかセルロイドも貼られていないというチープな初心者用ですが、このR-816はHEMMIのNo.45に対して表面にK尺まで加わった豪華版。当然のことながら裏面にも三角関数もL尺もあるのは昭和36年リリースのHEMMI No.45の改良版No.45Kよりもかなり早かったということになります。ただ、HEMMIのNo.45は相当な数が残っているのにも関わらず、このRelay R-816は珍尺に近いくらい数が少ないことからもわかる通り、HEMMI No.456の競争相手にはならなかったようです。また、滋賀のKIM氏も言われている通り、このR-816も例外ではなくセルロイドの経年劣化で左右の基線が一致しないのです。というのも剥がれかけたセルロイドをめくってみると、HEMMIでは竹の表面を接着剤の食いつきを良くするために加工してあるのにRelayは表面がつるつるのまま。それがどうやらセルロイドの収縮防止には何の配慮もなかったために、65年以上の経年で縮んでしまったということなのでしょう。また、このR-816は竹は組み合わせられておらず、単純に切ってみぞを加工しセルロイドを張っただけです。そのため、ある程度のエージングもなしに市場に出されたことも容易に想像されます。これも目盛のズレに影響しているはずです。表面はK,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺で滑尺裏はS1,L,T1の3尺ですが三角関数はインバースではなく順尺です。ポケット計算尺のように携帯を意識した豚革製サックケースが標準で付属しているところが学生尺としては珍しいのですが、こちらも輸出を意識してのことでしょうか?当時のダブルスターリレー独特の弁当箱にような黄色いアルマイト処理がされた裏板で、表面セルロイドも光沢仕上げというのが目を引きますが、本当に計算尺として品質が上がるのはRelay末期のNo.84を待たなければいけなかったのかもしれません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。発掘場所は愛知県内からでした。

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January 17, 2022

HEMMI No.254W-S Stadia 10"両面別製学生用(工業高校土木科向)

 今の測量というと急速に発展したレーザー測距とマイクロコンピュータと無線LANを内蔵したトータルステーションの取って代わられて久しく、今や測量現場は一人で行うことができるものですが、30年ほど前までは助手が持った標尺をトランシットもしくはセオドライトと呼ばれる三脚の上に乗った望遠鏡で覗き、2本の線の間に見える標尺の目盛り長さや角度を割り出して距離を測るということが街の中でも当たり前に行われたのです。その角度と距離の関係はスタジア表と呼ばれる数表や計算機を叩いて求めるのですが、以前はスタジア計算尺というものがあり、これにより数値を求めることも行われたのです。ただ、目視による測定は当然のこと誤差があり、さらに目視で角度目盛りを読むときにも誤差が生じ、さらに計算尺で数値を読み取るのにも誤差があるアナログ的な測量法なわけですから、GPS衛星が地球の周りをカバーしている時代には基本的な測量法ではあるものの正確さを担保しきれなくなってしまいました。そのため、この目視によるスタジア測量法というのは土木科目の基本的な測量実習と測量士補や測量士の試験問題の中でしかお目にかからなくなりました。
 当方、まったく土木分野には縁がなく、トランシットは覗かせてもらったくらいなのですが、相当昔に航空写真測量の基本が知りたくて測量士補の教科書を入手したことがあります。まあ、スタジア測量の項目はすっかり忘れてしまいましたが、大学の工学部土木専攻の男が測量事務所のアルバイトに出かけ、夏の炎天下の中で標尺抱えて熱中症になりかけたとか、標尺抱えてふと横を見るとマムシに注意の看板があってゾッとしたとかそんな話が伝わってましたが、大学で測量実習の単位をもらい、卒業して測量士補かなにかの資格がもらえたのだったかどうかはうろ覚えです。そんな土木では必須の基本技術のスタジア測量は現場の土木技師を養成する工業高校の土木科でも当然のこと行われており、実習で単位を取得すれば卒業時に測量士補の資格要件が与えられたはずですが、今や工業高校の工業化学科あたりでも完全週休二日制の通常授業だけでは単位が足りないのか、昔は卒業時にもらえた一般毒劇物取扱責任者資格も補習を受けないともらえないという話も聞きますので、今はどうなのでしょうか?そんな工業高校土木科の先生の要求でNo.254Wにスタジア目盛を追加した別注品バージョンのNo.254W-Sです。おそらくは各学校に営業を掛けていた内田洋行のみの扱いだと思います。数ある工業高校科目別別注品No.254W-Sの中でも土木科専用スタジアというのは土木科以外には必要なかったわけで、全国の工業高校土木科、しかもある一部の先生の要求だけで作られた計算尺だけに数は少ないと思われます。個人的な感覚としてはこの工業高校科目別の別注品No.254W-Sは東日本よりも西日本、特に大阪、兵庫、京都あたりから出てくる例が非常に大きいような気がするのですが、どうやら関西圏では戦前からの老舗教材社と各学校とのつながりが深く、内田洋行とのつながりの深いHEMMIよりもRICOHの取り扱いが大きかったような気がします。そのため、関西圏に食い込みたかった内田洋行が高校の担当教諭の「こんなものがあったらいいのに」を具現化しものが科目別No.254W-Sなのではないか、なんて考えたりもするのです。それだったらNo.269という選択肢だってあるのでしょうが、さすがに土木科全生徒に購入させるということから価格的なしばりもあったのでしょうか。いつのタイミングか工業高校の計算尺もポケコンに様変わりしました。「子供が工業高校に入学したので購入させられたが、2ヶ月で退学したので不要になった」などという親が出品したポケコンをオクで見ると、なんか「親の心子知らず」を実感させられます(笑)
 このNo.254W-Sのスタジアは出現数がここ15年ほどで両手の数よりも少ないほどだと思うのですが、それだけNo.254Wのスタジアのバリアントを要求するような先生が少なかったのでしょうか?入手先もやはり関西圏の神戸市でした。
このNo.254W-Sスタジアのの表面は普通のNo.254Wと共通でLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1ですが、裏面がK,A,[SIN,COS,COS^2,TI,SI,C,]D,DL,L,となります。デートコードは「TB」と「UB」の実は2本まとめてで、それぞれ昭和44年2月と昭和45年2月のものです。どういうわけで一年違いのものが2本まとめて出てきたのか理由はわからないのですが、年子の兄弟が一年違いで同じ高校の土木科に入学したのだったら話はわかります。一年違いじゃお下がりというわけにはいきませんものね(笑)またこのスタジアバリアントは上下滑尺が同長のヨーロピアンスタイルのものがなく、K&E型のスタンダードスタイルのものしか見つからないようです。時代が下るに従い、わざわざ同長型を用意する意味と手間を失ったのでしょうね。次世代のフルログログ化したNo.254WNは当然のことK&Eスタイルオンリーです。

Hemmi254wsstag
Hemmi254wsstad

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December 31, 2021

NESTLER Nr.11M  5"マンハイム型計算尺

 ドイツのAlbert Nestler社はA.W.Faber社とArist社と並ぶドイツ計算尺3大巨頭の一角を担う歴史のある会社です。第二次大戦前は世界の60カ国に輸出しておりましたが、その輸出先には日本は含まれておらず。というのも大正末期から日本は計算尺を輸入するのではなく輸出する側の国になってしまったため、明治の末期ならともかく日本にドイツ製計算尺が入る余地はありませんでした。そのNestler社はシステムリッツやダルムスタットの計算尺を最初に市販した会社です。第一次大戦前のNestler計算尺はドイツが英国のように植民地からマホガニー材を入手するわけにはいかず、西洋梨という固くて緻密な木材を使用しているため、かえって丈夫で狂いのない計算尺を作ることが出来たようで、大正初めころにシーメンス社が海軍の送信施設の受注を狙って日本支社を設立し、ノベルティーとして関係者に配ったシーメンスシュケルトマーク入りのNestler5インチポケット尺は100年間日本の高温多湿の環境下にさらされてもまったく狂いはありませんでした。
 そのNestler社ですが、ドイツの南西部、ライン川沿いのラールという街に大工場を構えていたものの、連合軍の空襲被害により尽く破壊されてしまったとのこと。戦後、焼け残った建物に移転して生産を再開させたものの、新たな工場の再建は11年後の1956年まで待たなければいけなかったとのこと。そのときにはすでにほぼプラスチック製計算尺製造の方にシフトしていたようです。これは3社共通なのですが、最初にプラ尺に手を付けたのがAristだったそうで、それはすでに第二次大戦中のことだったという話です。
 戦前の西洋梨製のNestler計算尺の良さを知っているだけになんともチープで情けない計算尺ですが、それはそのはずで、これは裏側に宣伝用の社名などを入れるために作ったプラ製計算尺なのです。日本でいうと興洋商事の計算尺のように名入れギフト業者で扱う計算尺なのですが、ケースだけはやたらに立派な革製だということでまだ救われています。尺度も逆尺もないA,B,C,D尺に滑尺裏S,L,Tのみ。この形式番号Nr.11Mというのは末尾の記号で電気やリッツなどの頭文字でバリアントがあるようで、MはおそらくはマンハイムのMでしょう。入手先は愛知県の知多市近辺からでした。このNestlrtは1978年に計算尺の生産を終えましたが、晩年は山梨の富士計算尺か技研のOEMのプラ尺に移行していたようです。この工場は今では一部が記念館になって貴重な資料の展示場になっているそうな。

Nestler11m
Nestler11m2

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December 30, 2021

Keuffel & Esser No.4081-3 LogLog Duplex Decitrig 10"両面技術用

 久々のアメリカはK&Eの両面計算尺No.4081-3 Log Log Duplex Decitrigです。おそらくは戦前に入手したものがずっと日本の家庭のタンスの中に眠っていたようで(と思っていたのですが)、何年かに一度くらいこういう国内の埋蔵輸入計算尺にいきあたります。K&EのNo.4081-3はK&Eとしては初めてのログログデュープレックスで、1937年の発売ですから昭和12年。当時はまだヘンミ計算尺にはまだこういうタイプの両面計算尺がなかったために機械技術者にも電気尺のNo.153などが多用されている時代でしたが、元のオーナーがアメリカ帰りだったのかそれとアメリカ帰りの方からのいただきものだったのかその真相はわかりませんが、当時物のK&Eのケースや本体に日本人名が刻まれたものがまれに発掘されることがあります。このNo.4081-3はバリアントのNo.4080-3とともに戦争を挟んで十数年という決して長くはないモデルイヤーの後、1955年あたりまで続いたのですが、戦争というあらゆる産業が軍需という名のもとに人が駆り出された時代でしたからかなりの数が製造され、アメリカ国内に残っているようです。そのため、些細な違いだけでコレクターに4種類の分類が確定されているようですが、日本ではヘンミ計算尺さえも同一モデルの年代別分類が確定していないところがなんとももどかしいところです。
 このK&E No.4080-3とNo.4081-3のようなπ切断系両面計算尺に関してはかの宮崎治助氏が自著の計算尺発達史の中にも項目を設けてπ切断尺の非合理性に触れられているのですが、氏によるとNo.4080-3は三角関数が60分割の分・秒で刻み、No.4081-3が10分割のデシマルなんだそうで、当初から用途別で2種類用意しているところがさすがはアメリカの国力ということなのですが、誰の話だったか1939年頃からアメリカ本土では計算尺と計算機などが市場から一斉に姿を消したという話があります。ヨーロッパでの戦争と太平洋での戦争によって軍需産業が拡大することをすでに予測して密かに政府が確保に走ったのかも知れません。そのため、戦前のNo.4080-3及びNo.4081-3には兵器や軍需品開発に多用された、なにやら戦争の匂いが染み付いているような気もします。日本でいうと戦時尺のNo.153やNo.64みたいなものでしょうか。 実は相当昔にK&Eの4081-3を入手していたのですが、ケースからしておそらくは戦後のものらしく上質な茶皮のケースが付属していました。ところが例のK&Eカーソルバー腐れ症候群に罹っており、カーソルバーは粘土を固めたもののようにばらばらに砕けてしまい、便宜的にHEMMIのNo.251のカーソルを取り付けた段階でそのままダンボール箱行となってしまったため、その型番すら忘れていていました。
内容的にはHEMMIのNo.251以上No.259未満ですが、このNo.4080-3は基本が同じながら三角関数が分割されて細密計算できるものや、双曲線関数を備えるような型番違いが複数存在し、軍需産業でもジャンル別に対応できるようになっていたのが戦時中不要不急計算尺をどんどん減らしていった日本とは異なりますが、戦後もこの路線の延長で行き、新たな両面計算尺を出さなかったところにPIKETの各種両面計算尺やPOST No.1460 Versalogの市場での台頭を許してしまったのでしょうね。特に技術用として戦後は金属製でさらに多くの尺度を詰め込んだPIKETTに完全に取って変わられたという感があります。もちろんPIKETTはK&Eのシェアを奪うため、K&Eの両面尺をかなり研究して金属製というで多尺度詰め込みという独自の両面尺を作り上げたのでしょう。アポロ計画で月に行ったのも歴史のあるK&Eの計算尺ではなくPIKETTの計算尺でしたし。
 今回入手したK&E No.4081-3は前回のものと異なり皮もどきのケースが付属しており刻印の分類も1939年から1948年までのセカンドモデルです。シリアルナンバーは207162なのでまさに戦時中モデルということになり、そうなると戦前入手というよりも戦後進駐軍の払い下げ物資のなかに混じっていた一種のアメジャンの可能性が高いようですが。というのも入手先が八王子市近辺なので「16号線沿線アメジャン説」が成り立つような(笑)当然のことカーソルバーが腐れ症候群に罹っていてバラバラになりかけているのでネジを外さずそのままにしておきます。また以前入手した国内モノの4088-3もそうでしたが、カーソルバネが抜け落ちて喪失しやすいのかこの4081-3も皮シムが隙間にはめ込まれてバネの代わりにされていました。誰か3DプリンターでK&Eのカーソルバー作った人いませんか?

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December 16, 2021

技研計算尺 No.250S 10インチ片面高級検定用

 計算尺検定試験用に特化して各学校の先生たちの意見を取り入れて「検定用計算尺」を各種取り揃えていた山梨は技研工業の片面高級検定用計算尺の最終進化型、技研No.250Sです。No.250の滑尺上にB尺を追加してA尺B尺相互の計算が可能になっただけで、内容的にはまったくかわらないのですが、個人的にはNo.250は未使用新品で所持しているため、1尺追加の違いだけのNo.250Sに手を出すのは忸怩たるものがありました。それでもNo.250Sにしてもその残存数は非常に少なく、ここ15年ほどでオークションに出てきたものは両手の指の数にも満たないものがあります。ただ、つい最近オークション上に技研計算尺の未開封品デッドストックが次々に出品されていますので、やや有り難みは少なくなりました。そのオークションとはどうやら同じ鉱脈の出らしいのですが別ルートで入手したものです。技研計算尺の考査は以前、No.250のときに書き尽くしましたのでばっさりとカットしますが、昭和38年を境に旧型番と新型番が存在し、同形式番号でも違う計算尺が存在すること。昭和38年版の冊子型説明書に「大正計算尺」の記述の箇所に二重横線をして「技研計算尺」にスタンプを押したものが後に活字を「技研計算尺」に組み替えた改訂版が存在すること。昭和40年頃に一旦会社を清算させ、東京の富士計算尺の販売会社主導で設立された新会社富士計器工業に乗っかって新会社「技研産業」を設立し、以後は独自ブランドの販売をやめてFUJI計算尺やHEMMIの学生尺などのOEM製造専業になったという流れがあるようです。昭和46年にはドラフターなどの製図用品ムトウの傘下に入り、ドラフタースケールなどを製造しながら今に至りますが、20年ほど前まで会社には以前製造したものの納品しそこなったのかFUJIやHEMMIはおろか、技研ブランドの計算尺まで倉庫に転がっていたらしいというmyukiさん情報もあるのですが…。ただ最近、技研産業の情報が流れてこないので、もしかしたらこのコロナ禍もあってプレートなどの精密彫刻の需要も減り、開店休業状態かと心配しているのですが、その際、残留物が換金のため今回市場に流れたものであったら悲しいものがあります。富士計器工業の系統だったフジコロナ精器も中国製環境家電の輸入会社に業態変更したものの10年以上前に廃業に至ったようですし、山梨の計算尺に関わった会社の最後の牙城として存続していてほしいものです。
250s この技研No.250Sは高級検定用計算尺として発売していたNo.250の発展型でSはHEMMIの型番末尾のSを真似して「SPECIAL」のSなのでしょう。別にNo.250の別製で高校からの特注品というわけではなく、単なるNo.250のマイナーチェンジ版だと思うのですが、表面の滑尺上にB尺が加わっただけではなく、滑尺裏の三角関数尺の配置が変わり、さらにC尺が加わったことで滑尺を裏返してD尺DI尺と三角関数絡みの計算の利便性をより高めたということなのでしょう。尺度が表面L,K,A,DF,[CF,CIF,B,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の14尺。滑尺裏がST,T2,T1,S,C,の5尺で合計19尺に対し、No.250はL,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の13尺で滑尺裏がT2,T1,ST,S,の4尺ですからNo.250Sが2尺増えて合計19尺に対してNo.250は合計17尺です。上下の固定尺側の尺度に差はなく、滑尺の表裏だけ新しい目盛金型を起こしただけのことですが、19尺といえばRICOHの高校生用両面計算尺No.1051Sあたりと同じコンテンツなので、ここまで片面計算尺に詰め込む必要があるのかどうかははなはだ疑問です。まあ、追随して同様の計算尺を作ったメーカーもなく、FUJIにしてもNo.2125を高校生用として継承した程度ですから技研に生まれて進化を極め、技研で絶滅した片面計算尺の恐竜のようなものなのかもしれません。幅も5cmと両面計算尺のFUJI No.1280-T並の片面計算尺としては異例の幅広計算尺です。また、No.250は普通の蓋付きの貼り箱に入っていたものの、このNo.250Sだけは昔の筆入れのようなボール紙を芯にしたビニール製ケースに入っています。このケースのデザインは誰が設計したのか計算尺のケースとしては秀逸で、ケースのフラップを開けると上面下面に同じ形の窓が空いていて、この窓で計算尺の本体を親指と人差指でつまんで少し引き出してやれば楽にサックケースから本体を引き抜くことができるのです。逆さにしただけで蓋ごと本体が落下してカーソルを破損させたりしない細かいアイデアがすごいと思うのですが、このケースの形状はどのメーカーも継承しなかったのはなんとも残念なことで。製造年代は昭和39年に入ってからだと思うのですが、取説の巻末価格表は昭和38年1月1日現在のもの。ピンク色っぽい入山形の表紙で大正計算尺表記を技研計算尺表記に活字を組み替えた版のものなのですが、No.250Sの価格は掲載されておらず、マイナーチェンジ前のNo.250が高級検定用計算尺として掲載されていました。入手先は甲州街道沿いの府中市から。以前に技研計算尺が多く発掘されたのが同じく甲州街道沿いの千歳烏山だったので、もしかしたら甲府から東京に至る20号線沿線に技研計算尺のデッドストック鉱脈が未だに存在するかも(笑)

技研工業No.250S高級検定用(昭39年ころ)

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技研工業No.250高級検定用(昭和38年ころ)

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December 13, 2021

呪いのアンテナ再度設置

 こちら8エリアは例年に比べて根雪になるのが遅く、さらに日中も最高気温が10度くらいまで上がる日もあったため、例の呪いのダイポールアンテナを一度降ろしました。そしてローディングコイルの接続部分やバランとエレメントの接触部分などどうせ組み立ててから一度も整備していないだろうことも容易に想像出来たので、接続部分を磨いて表面酸化部分を落とし、ステンレスの5x15mmのボルトやナットはすべて新品にして導電コンパウンドを塗った後に再組み立てし、バランの部分からエレメント末端の導通を確認しました。
 そして、再び屋根に上げて逆Vに張り直したのちにリグに接続し、リグに火を入れ(真空管機なもんで)て、SWRのチェックを始めると、7MHzは見事に落ちましたが3.5MHzが落ちてくれません。ちょっと「がっかりだよ!」なのですが、もはや原因としては接触不良意外に考えられず、ワイヤーエレメントとローディングコイルを接続するための金具は2本のビスで止められているものの、本来はエレメントを抜いて磨き直してしまうところ、たぶん大丈夫だろうとビスの頭に導電コンパウンドを塗っただけですませてしまったところに根本的な問題があるようです。このワイヤーエレメントと金具の接続箇所は左右のエレメントで4箇所。更に寒さをもたらす発達した低気圧もやってきて、もう屋根に上るのも嫌だなあと思っているところに雪まで薄っすらと積もってしまいました。こりゃやはり春までダメそうな。
 それでも7MHzのダイポールアンテナとしては使えますけど、それじゃあ以前の自作7MHzダイポールアンテナを張っていた環境と変わりありません(汗) それでも出力を掛けなければ3.5MHzのワッチ用としては申し分なく、以前のCP-6では地元のOMさんが相手をしている局の信号がノイズに掻き消されてまったくわからなかったものが、今やかなり弱い信号でも聞き取れるようになりました。ただ、受信だけでは何の意味もありませんが、3エリアあたりでじじいの世間話的なローカルラグチュー‎に使われている実態はよくわかりましたぞ(笑)

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December 08, 2021

HEMMI No.257L 10"両面化学工学用

 当方、化学系の専門教育を受けているわけではなく、化学系の資格としてはたぶん一番下位の化学屋資格である一般毒物劇物取扱責任者しか所持していませんが、資格試験の勉強にあたっては改めて有機化学の勉強を1からやり直しました。まずベンゼン環にどういう物質がどう結合したらどうなるのかという分子式の問題や分子量、さらに濃度の問題などはかなり手こずりました。まあなんとか一度の試験で合格出来ましたが、その時の合格率は22%くらいだと思います。受験した当時にしても計算尺も計算機も持ち込みは出来ませんでしたが、確かそのあとでHEMMIの化学用計算尺のNo.257を入手しています。このNo.257は分子量の計算などに便利かというとさほどでもなく、電子用のNo.266よりも実用性は???という感じでした。そういえば高校時代2年間化学を担当していた先生が教頭先生で、さらに東大出身であり化学の分子量やモル濃度の計算などは生徒にやらせる時間を惜しんでHEMMIの片面計算尺を使って自分で計算してしまう先生で、よくその口癖の「計算はまかせといてちょうだい」や、計算尺を使って答えを導き出したときの「こんなもんだね」が生徒に真似されてました。「答え一発カシオミニ」ではありませんが、計算尺で導き出す数値が「こんなもんだね」というアナログ感は今の子はわからないでしょう(笑)その最初に入手したNo.257は「GD」刻印ですから昭和31年4月製という大変に古いもので、スモールロゴ時代の緑箱に入っていました。そんなNo.257は日本では唯一の化学用計算尺としてそこそこの数が出回っていましたが、なぜか計算尺末期の昭和40年代半ば頃になってNo.257Lにモデルチェンジしています。 このNo.257Lは計算尺衰退期に差し掛かった時期の新製品でもあり、No.257に比較するとかなり数も少なく、中古品よりも文房具店で売れ残った未開封新品のほうが出回ることが多い印象があるものの、かなり高額で取引される計算尺です。そのため、No.257を入手してから16年も経過して入手したのがこのNo.257Lです。しかし、K尺が加わったのになぜ末尾にLが付いたのかを今までずっと理解していなかったのです(笑)No.257とNo.257Lの何が違うのかというと、表面に2乗尺のK尺が加わり、裏面の尺度の配置が僅かに変わった意外には差がないものの、新たに加熱体と受熱体の対数平均温度差を求める対数平均(logarithmic mean)の尺度が加わり、その頭文字のLが元からの形式名No.257の末尾に付いてNo.257Lになったというのが今回始めて理解しました。ただ、初級ボイラー資格持ちでしかない当方は、いまだかつて対数平均温度差なる言葉にも行き当たった経験はありませんが(笑) 
 しかし、もう計算尺も400本近いはずですが、よくもまあ今までコレクションに入らなかったというのはNo.257と比べて高額落札になるのに比べて魅力に乏しいの一言に尽きます。それほど熱心なコレクターではないので、どうしても入手しなければならないという気もなく、16年の歳月が経過してしまいました。ところで、いったいいつぐらいにNo.257からNo.257Lにモデルチェンジが行われたかという問題ですが、一応紺帯箱と青蓋のポリエチレンケースが存在することから、おそらくは昭和45年あたりと考えています。ただ、今回入手したものが初物ですから比較検討も出来ず、証明することが出来ませんが、今回のものは紺帯の紙貼り箱でした。また、長らくアメリカで代理店をしていたFREDERIC POSTが昭和42年末に当時マイクロエレクトロニクスと制御システムの優秀な会社を次々に買収して巨大なコングロマリットを形成しつつあったTELEDYNE社に買収されてTELEDYNE POSTブランドに変わるまではHEMMIのNo.257はPOST No.1491としての扱いはあったものの、TELEDYNE POST時代には計算尺の種類も大幅に整理され、No.1460 Varsalog II 以外はほぼ安物のプラ尺ばかりになっていたようで、モデルチェンジしたNo.257Lは見当たりません。海外OEMブランドとしてはフィリピンのODELCO No.257Lがおそらくは唯一の存在のようです。ちなみにこのODELCOというのはフィリピンのDE LEON IMPORT & EXPORT Co.という貿易商社のトレードマークで、1952年以来フィリピン国内の教育機関等に欧米から優秀な文具や教育機器などを輸入して供給した日本で言えば戦前の内田洋行的な(規模はまったく異なりますが)会社らしく、会社の沿革には特に日本のHEMMIから計算尺の供給を受けてフィリピン国内に供給したことがはっきり記載されています。それだけHEMMIとの独占代理店契約はこの会社にとっては重要な意味合いを持つ事柄だったのでしょう。No.257の尺度は表面L,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1で、裏面が二分割のCh(アルファベット順列)M1,[M2,華氏F度,摂氏C度,絶対温度K度,LM,]mmHg,Kg/cm2,in.Hg Vac,tω、が刻まれます。このNo257Lの入手先は兵庫の西宮市でデートコードは「VC」ですから昭和46年3月の製造。取説は「7109Y」で、これも昭和46年9月の印刷のようです。

HEMMI No.257L(VC)

Hemmi257l

Hemmi257l_20211208141501


HEMMI No.257(GD)

Hemmi257
Hemmi257_20211208141601
 画像でもわかりますが、No.257Lは表面にK尺が加わった関係でスペースが無くなり、形式名が裏面に移動しました。そのため、表面に形式名があるのがNo.257。裏面に形式名があるのがNo.257Lという判別がつけられると思います。

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November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、当然のこと周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。当方すでにNo.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

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November 28, 2021

トラップコイル?ローディングコイル?

Dvc00339  それで実際にこのトラップコイルのLを測定してみると相当大きな数値であることがわかりました。昔から使っている(主に電解コンデンサの容量チェックにしか使っていませんでしたが)LCRメーターが出てこないので、3年ほど前に購入したオートマチックのトランジスタチェッカーを使用しました。レンジなと切り換えること無くLCRも自動判別され、そこに表示された値はなんと0.8mH。普通に自作する7MHzトラップコイルではこんなに大きな値は使わないはずです。それでHEMMIのNo.266を大昔に厚木のオリジナルJA1コールのOMさんから譲っていただいた本来の目的通りに7MHzに同調するLが0.8mHのときのCがどれくらいかとまず滑尺の右端を7MHzに合わせた後、カーソルを移動して下固定尺のLを0.8mHに合わせ。滑尺上のCの値を読み取るとなんと1pFよりも小さい値の0.65よりもやや右寄りなので0.64pFくらいに読めるのですが、実際に1/(2π√LC)で計算機を叩くと単位換算が面倒くさいのですが7.08MHzに同調する切れの良い数字で0.63pFと出ました。計算尺侮ることなかれですが、0.64と0.63の差なんて実際のキャパシタの誤差からしたら意味のない違いです。
Dvc00345  そもそも7MHzのトラップコイルを自作しようとしたらLは1μHくらいに設定してCは50pFくらいに設定するのではないでしょうか?0.8mHのコイルを7MHzに同調させようとしてもLが大きい分だけCの値が少し狂っただけで同調周波数が大きく狂ってしまうのです。やはりこの呪われたアンテナのコイルはトラップコイルにあらず、単なる3.5MHzダイポールアンテナのローディングコイルであり、7MHzに同調させてコイルより先を遮断するのではなく、常に3.5MHzのアンテナとして動作し、また2倍波の7MHzもちゃんと同調するように設計されているということらしいです。そうなるとSWRが怪しいのはエレメントの断線や接触不良、さらにはバラン内部で巻線が焼ききれていないかなどのチェックですが、もう雪が積もったり解けたりを繰り返す季節になり、とてもこれから屋根に登って降りての作業をする気にもなりません。こいつは春までダメそうだ。しかし残念なのは今回もディップメーターの出番がなかったこと…。材料ありますからこないだ階段脇から発見した塩ビの排水管の切れ端使って7MHzのトラップコイルを冬ごもり中に実際に自作してみましょう。

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November 27, 2021

呪われたダイポールアンテナのコイル修復

 先日、雪が来る前にとりあえず上げてしまった7/3.5のダイポールアンテナはやはり呪われてました。なんとなくおかしいなとは思っていたのですが、上げてからSWRなんか測ればいいやと思っていたものの、トラップはLCで構成されていなければいけないのに経年劣化かそれとも出品者に知識がなくて見栄えが悪いから取ってしまったのか、それともそもそも受信用にしていただけのアンテナだったのか。それで手動式のアンテナチューナーを使うにしても7MHzはとんでもなく離調したポイントでなんとかSWRが落ちるものの、3.5MHzはまったくダメ。なんとコイルに「C」に該当する物がありませんでした。コイルのL巻線が切れてはいないと思うのですが(わかりませんが)、C分を追加して7MHzに同調させるようにしないとダメです。そのため、アンテナを一旦降ろしてトラップコイル部分のLを測定して、7MHzに同調するようなCの容量を計算しなければいけないわけで。同調周波数を求める計算は1/(2π√LC)というのは上級ハム試験の無線工学でも基本中の基本公式なので知らない人はいないと思うのですが、これがLをどう動かしたらCがどう変わるのかというのをいちいち数値を当てはめながら計算するというのは非常に面倒くさいものです。その同調周波数を設定してしまえばLとCの組み合わせが連続して直読出来るというのは計算尺に限ります。それも何ら単位の読み換えなし値が読めるのはHEMMI計算尺のNo.266の独壇場です。(ただ大体の目安にしかならないので、ピンポイントな目的周波数に対するLCの組み合わせの正確な数値は実際に計算機を叩いてみる必要があります。)
 その操作というのも滑尺を引いて右端f0を7MHz(うちのNo.266は2本ともMcですが)に合わせ、滑尺上のCfと固定尺のLにそれぞれの値が読み取れるというもの。そのため、コイルのLを測定器で測定さえすれば計算尺上にそれに合致したCの値が読み取れ、同軸ケーブルを使ったキャパシタでそれを製作するということ。おおよその目安として5D2Vが1cmあたり容量1pFらしいので、大体の長さを切り出して芯線と網線間の容量をカットアンドトライで測定し、目標値のCを得ればよいわけです。それでLCが組み合わさればあとはディップメーターを使って同調周波数を測定するというプロセスですが、そもそもこのNo.266を厚木のJA1コールのOMさんの好意で譲ってもらったのも、ディップメーターを入手したものそもそもは自作のトラップコイルを作りたかったゆえなのです。しかし、いつのまにやら計算尺のほうが面白くなってしまって本末転倒、今まで本来の目的のトラップコイル作りを放り出してしまっていたわけなのですが、呪いのアンテナのおかげで今になってトラップコイルに手を出さなければいけなくなったというのは夏休みの最終日になって宿題が終わらなくてバタバタしている要領の悪い小学生のようなものでしょう(笑)それでどうも市販のトラップコイルだと同軸コンデンサーくらいでは間に合わなさそう。というのもLは予め決まっているので、同調を取るにはCで調整しなければいけません。セラミックコンデンサを使用するにしてもかなりの耐圧を要求され、並3の同調バリコンは入手難ですし、防水性にも問題があります。そうなると同軸コンデンサ頼みになるのですが、まさか何十センチも必要になるとなると、それにも問題があります。
 さらにもうすでに雪がちらつくようになった陽気の中で、また屋根に登ってアンテナ下ろすのが面倒なこと。どうせ最近はHFなんざちっとも使わないのだから春になって暖かくなってから、なんていうズボラな気持ちが出かかっていますが。ところで最近は安い中国製のマルチメータでさえLCRの測定もトランジスタのhFE測定も出来たような気がするのですが、肝心な我が家のLCRメータ、最近使わないからどこへ入ってしまったかわからない(笑)

 えっ!市販の2バンドワイヤーダイポールアンテナのトラップコイルって設計上L成分しかなくて共振回路を形成していないんですか?なにせ市販品って見たこと無いので、当然LCで共振回路を形成してそれがトラップだと思っていたのに。そうなったらまた別な問題化かあ。こいつは春に雪が解けるまでダメそうだ。

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November 17, 2021

7/3.5の逆Vワイヤーダイポールアンテナに張り替える

 貧乏無線局ゆえにHF増設時に合わせてHFマルチバンドのGPアンテナをオークションで落札したものの、あとが続かずバランを自作してワイヤーダイポールアンテナを作ったり50MHzの2エレHB9CVをトマトの支柱を使用し同軸ケーブルをコンデンサかわりにマッチングに使用したものを自作したりしたのですが、このトマトアンテナのエレメントは紫外線劣化で外皮にヒビが入り、そこから錆びだして導通が悪くなってほぼ2年毎に作り直さなければいけないというのが煩わしくて4回ほど作り直した後に市販のHB9CVを上げてしまいました。それでもこのトマト支柱アンテナのみで50MHzでJCCの500市を達成したのですからたいしたもの(笑) それで現在まで残っていた自作アンテナは7MHzモノバンドのダイポールアンテナのみ。それもおおよそ18年位上げっぱなしだと思うのですが、この自作アンテナレポートは当時のCQ誌の読者サロンのようなコラムに掲載されて図書券500円ほど頂いた記憶があります。徹底的に廃品を使用して作ったアンテナでバランに使用したのは手持ちのトロイダルコアと掃除機のモーターを分解して取り出したエナメル線を使用して100均で3個くくりで売られているタッパーの防水容器とし、道端で拾った塩ビの水道管と組み合わせて自作したもの。エレメントは盆栽などに使用する1.6mm径の裸銅線。碍子は同じく拾った塩ビ管を切ったもので、当初は両側からテンションかけるとどんどん伸びるため、落ち着くまで苦労してマッチングを繰り返し、SWRも1.1くらいにまで追い込んだものでした。屋根から東西に逆Vに張ったのですが、固定先は庭のイチイの植木でした。自作のエンテナ故に本当に電波が飛ぶのかどうかというのが当初ドキドキで、たまたま1エリアから強い電波で入感していた局が一局しかなかったので、試しに呼んだら一発でとってもらった初交信局が当時7メガの有名局のセブロン氏。すでにこのアンテナは永久に呪われたかどうかは知りませんが、その後バランの防水ケースが紫外線劣化でバラバラになってコアがむき出しになっても動作は問題なく18年の間上げっぱなしでした。その間7MHz帯が倍に拡張されてもフルサイズゆえのブロードさで新たにマッチングの必要もなかったということもありましたが。また10MHzが飛びはともかくそのまま乗るため、21MHzで交信していたOMから10MHzのCWの要求があって、このアンテナで交信したこともありました。実はこのアンテナは当初から拡張計画があり、7MHzのトラップコイルを自作して7MHzと3.5MHzのデュアルバンドのダイポールにすることです。というのも垂直系のアンテナで3.5MHzは短縮率が大きすぎてまったく飛ばず、交信したのは同一エリアのみ。アンテナチューナーで7MHzダイポールで電波を出しても似たようなものだったので、3.5MHzのダイポールはローバンドの課題だったのです。そのため、2.2mm径のPEW線をリールごと一巻き(たぶん340mくらいの残)を購入したり、ディップメータを譲ってもらったり、水道管を購入して7MHzのトラップの材料は揃えたものの、急に意欲を失ってしまったものだったのがほぼ15年くらいそのまま。先日、階段脇に塩ビの排水管を切ったものが転がっていたのに、なぜこんなものがあるのか全く覚えがなく、いまになってトラップコイルの材料だったことを思い出しました。こういうのは情熱があるときに一気にやってしまわないと永久にそのままという見本のようなものです。自作アンテナ時代の話なのですが、実は以前から顔しか存じ上げなかったものの亡くなった父親のキリスト教集会のお仲間にNさんという方がいて、この方に父親の葬儀の司会なんかをお願いしたのですが、実は父親の葬儀の際にこの方が元JA8CWさんという大OMだったことがわかりました。このNさん、元NTTのOBで、若い頃は名寄、北見、落石など何年かおきに転勤を繰り返し、転居先で知り合った2桁コールの方たちのアンテナやシャックなどの様子を克明に写真にしたものをアルバムにしており、後日ご自宅にご挨拶に伺った際に見せていただきました。今はもうサイレントキーになられた2桁OMさんのほうが圧倒的に多いのですが、その中でも有名なのがJA8AAの濱OM。確か通信電設関係の会社の2代目とかなんとかというお話で、当時北海道電力の送電線の鉄塔を改造したアンテナタワーに自作のビームアンテナを上げている昭和40年代の写真がありました。しかし、当時一般的に自作されていたのがNさんを含めて丸太を組んだ骨組みの2エレキュービカルクワッドアンテナを木製のはしごタワーに上げたもの。防風雪で壊れたりするので2年に一度は新しく作りなおしたなんて話でしたが、そういえばうちの近所にも丸太をバッテンに組んだ木製のキュービカルクワッドを上げた家が2軒ほどありました。しかし、その後既製品のスプレッダーを使用して半自作のキュービカルクワッドを上げる時代をへて、既製品のタワーやビームアンテナといえば既製品の八木アンテナの時代になって久しく木製や竹製のスプレッダーを組んでキュービカルクワッドを上げたという話は半ば伝説の世界でしょうか。JA8CWのNさん、開局当時はもちろん自作のリグを製作し、落成検査を経てようやくコールサインをもらったのが昭和31年だというお話でしたが、現役時代は長くドレークの愛用者だったそうです。現在は岩見沢の幌向から雪の少なく娘さんの嫁ぎ先でもあるウチの街に移住してきて高層アパートの住人になり、住環境重視で無線環境には恵まれないため、無線局復活はないようです。それでもデジタルモードには興味があるようなのですが。
 話は変わって某フリマサイトで詳細がまったく記されていないため、何メガのアンテナかもわからない市販品の中古ダイポールアンテナを入手。それは蛇の道は蛇でトラップコイルが着いているため2バンドであることもわかりますし、トラップコイルの大きさを見れば何メガのトラップコイルかも見当がつきます。それでこれは7/3.5MHzの2バンドダイポールアンテナと思ったらもちろんこれはビンゴ。バランの上の部分の紐などで吊るす穴が経年劣化で脱落していて紐で吊るすようになっているため、もしかしたら当方で3オーナー目くらいの古さはありそうですが、ものは昔のコメットの2バンドダイポールアンテナのようです。とりあえずは卸っぱなしで整合もとれているだろうと判断し、18年経過した自作のダイポールアンテナを撤去し、さっそくこちらを上げてしまいました。それに先立ちエレメントの伸びる方向に蔓延る蔓などを徹底的に刈り取るなどの作業を行い、これが結構な手間だったのですがなんとか経路を確保。西側はまだ余裕があったのですが、東側は3.5MHzのエレメントが延長になった分従来のイチイの木に縛り付けるわけには行かず、敷地ギリギリのアオモリヒバの2.5m高の部分に縛り付けました。まだ詳しい整合状態はチェックしていないものの、バンドをワッチしてみたところ、7MHzは自作アンテナと変わらないものの、3.5MHzは垂直系の短縮率が高いアンテナではノイズにまみれてまったく受信できない信号がさすがにノイズもなく浮き上がって聞こえてくるのには驚かされました。整合チェックや送信に関する飛びのチェックなどはこれからですが、卸っぱなしを再度上げただだけだからそれほど問題ないんじゃないかとは思いますが。この品物、いつまでも荷物の番号が登録にならないのでおかしいと思ったら同一市内の東の営業所から西の営業所に回っただけの同一市内配達。もしかしたら市内でサイレントになった局のものを某OMが撤去して片付けてそれをフリマに出したのを当方が購入したのかも?しかし、某OMの出品物だったらアンテナのバンドの詳細くらい絶対に記載するでしょうし、これは一種の謎。でもアマチュアのアンテナは天下の周りものとはいえまた「呪われたアンテナ」だけは嫌かもしれない。しかし、新品アンテナ買う気にはぜったいにならないのが貧乏無線局ゆえの思想です(笑)

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November 13, 2021

ボタンが反応しないケンウッドTH-F7の修理

 このKENWOODのTH-F7は4アマ取得直後にとりあえず開局してコールサインを取得するための手段としてうちの貧乏無線局としては唯一新品で購入したものです。とりあえず局免を取得してしまえばあとは中古の安い無線機をオークションで落札し、保証認定を受けて段階的に出られるバンドを増やしていこうという目論見でした。しかしこのTH-F7は購入したものの1アマを取得するまで電波を出すことを封印してしまいました。というのも運用にうつつをぬかすと勉強とモールス受信練習が疎かになって上級免許を取るモチベーションが上がらなくなるということを信じていたからなのですが。それで4アマ取得後1年かけてモールス受信スキルをなんとか獲得し、3アマを取得後さらに3ヶ月で2アマを取得したころには今と同じQRVバンドが整備されたものの、相変わらず各バンドをワッチすることしかしませんでした。その間もTH-F7の役目と言うと専らラジオと消防波受信としての用途がメインで、当時バーアンテナ内臓でAMラジオの感度も良いというハンディ機は唯一ということもあり毎日充電放電を繰り返した結果、3年ほどで充電能力が低下してしまい、乾電池ケースもあったもののこれだと最大500mwしか出ないこともあり、一線を退きました。充電池を上京の際に秋葉原で購入したのはそれから5年の後。電池を交換した後もめったに使われることはありませんでした。というのも消防波がデジタル化したのが大きかったかもしれません。というかハンディ機自体がかんたんな修理調整で直す事自体にしか興味が無くなってしまったからなのですが。
 それで家に増殖したハンディ機のうち一部のものがボタンの反応が鈍くなったり効かなくなってしまったものが出てきたのはわかっていたのですが、触りもせずに今まで放置していました。ところが先日久々にハンディ機どうしで交信したことと、IC-μ3の分解をしたことがきっかけでこちらの方にも手を付けることになりました。そのなかでTH-F7も各ボタンの反応がにぶいことは数年前には感じていたので、分解してボタンの接点と基板の接点を洗浄し、復活させる作業に着手しました。
 TH-F7の分解は比較的に簡単です。電池パックを外し、アンテナ基部とボリュームスケルチ基部のナットを外し、電池パックを外したときにあわわれる本体裏側下部のネジ2本を外して本体前面のプラスチック部分とダイキャスト部分をこじると基板と前面パネルの部分が分離しますが、スピーカー部分のコネクターを外すのを忘れないようにしなければいけません。ポタンは裏側に導電ゴムのチップが付いた一体型のゴムシートで、このチップ部分と基板側の接点をエレクトロクリーナーを染み込ませた綿棒で十分洗浄し、さらにボタン部分の接点はグラスファイバー芯を束ねたコンタクトクリーナーで擦っておきます。そしてもとに組み立て直したTH-F7はすべてのボタン操作がスムースに行われることを確認して一件落着。
 ところが翌日、電源ボタンを入れようとしたらまったく反応しなくなりました。もしかしてしばらく放っておいたリチウム電池パックがもう充電能力が無くなったのかと思いきや、満充電状態で8.4V出ているのでどうも電源のせいではないよう。それならばと、前面だけ外した状態で電池パックを装着し、ピンセットのお尻でで電源スイッチ部分の基板を短絡させるといきなり起動しました。どうも一番使った電源スイッチ部分の3mm径の導電ゴムだけが寿命だったようです。ここの部分はどう洗浄してもダメでした。通常のメーカー修理ならばボタンのゴムシートをまるごと交換しなければいけないのですが、こういうゴムスイッチの交換用ゴムのタブレットもちゃんと市販されているので、これを接着することで部分補修出来るものの、こんなもので密林(amazon)を使うのももったいない。それで素材として使ったのが単なる台所用のアルミホイル。これを円形に切り抜いて瞬間接着剤で導電ゴムの上から貼り付け、瞬間接着剤が乾いたところでもとに組み立て直し、電源ボタンを入れるとあっさりと起動しました。この導電ゴム補修にアルミホイルを貼り付ける修理法は他のボタンの反応が鈍くなったリモコンの補修にも広く使えそうな裏技的なものでしょうか。

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November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)更に良く調べましたら実は以前NIKKEI No.250は福岡から入手済でした。そのNIKKEI No.250は裏側にセルが貼っていない滑尺はおろか、固定尺まで反りまくって抜き差しもままならない状態だったので、「狂い絶無・破損しないカーソル・断然値段が安い」のキャッチフレーズは偽りだろうと文句を言いながらそのままどこかのコレクションボックスに放り込んでしまったため、特に印象が薄かったらしいので仕方がないかも(笑)


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November 08, 2021

成東商会ダウエル 7x50mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

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 久しぶりに駄双眼鏡を購入しました。とはいえ戦後に雨後の竹の子のように、というよりもキノコのように出現しては消えていった板橋の四畳半メーカーと異なり、いちおうは戦前から存在した東大そばの文京区西片の成東商会ダウエルブランドの双眼鏡です。扱う商品は天体望遠鏡から顕微鏡、双眼鏡に至るまで多種な光学製品と望遠鏡鏡自作のための部材など多種多様にわたり、カタログだけ見れば同じく戦前派の総合光学商社のカートンやエイコーあたりとかわりありませんが、その実体は一軒家のような社屋に部品の箱が山と積まれていて、注文があるたびに部品を組み立て調整して送り出すというような業務形態だったようで、決して大きな倉庫に完成品のダンボールが山と積まれていて出荷を待つという業態ではなかったようです。
というのもどうやら中間マージンをまったく廃して戦前から一貫してコンシューマーに直接通信販売という形態をとっており、そのため業者に中抜きされる輸出光学製品などは扱っておらず、一時期輸出双眼鏡に刻印を義務付けられていた輸出メーカーコードを取得した形跡もありません。また国内の光学製品問屋の扱いもなかったため、けっこう昔の天文少年たちにとっては一度は切手を送ってカタログを入手したものの、実際に購入した天体望遠鏡や双眼鏡はケンコー、ビクセン、カートン、エイコーなどを地元の眼鏡店でというケースばかりだったような気がします。というのもその時代はまた雑誌広告などの通信販売というのは親の世代にまだまだ拒否感があり、お年玉などを貯めて通販で現金書留送ろうとしたら「足りない分は出してあげるから地元の眼鏡店で買え」などと親ストップが掛かったというケースもけっこう多かったのではないでしょうか。ネットを見て製品の評判を調べてポチで完結する現代とは隔世の感があります。そのためか名前が知れている割には今に残っている製品はあまりないようで、天体望遠鏡に輪をかけてダウエルの双眼鏡は見たことがありません。数年前にたまたまダウエルのかなり古いIFの12x50mmのZタイプ双眼鏡を入手しましたが、分解しなければわからないもののなんと1.6mm径の針金をシム代わりに焦点調整している部品かき集めででっち上げた中身の実態にどん引きしたことがありましたが、それでも調整はちゃんと出来ていて下手な輸出双眼鏡よりもぜんぜんよく見えるというところにこのメーカーの実態がよくわかるような気がしますが、全般的には「割安だが部品の精度不足や調整不足もあって性能の個体差が激しく、買って後悔するメーカーの代表」のような評判が常につきまとっていたような。昔はこういうネガティブ情報がネット上を駆け巡るということもないのですが、やはり天文少年の直感で手を出したらいけないメーカーということを悟っていたような感じで、周りでダウエルの天体望遠鏡、双眼鏡を実際に購入した仲間はさすがにいません。
Dscf4258以前入手したダウエルの双眼鏡は時代的には昭和30年代くらいは遡ると思われるものでしたが、12x50mmの表示ながら実倍率が7倍しか無いというもので、ダウエルまで倍率詐称双眼鏡を普通に供給したというのがちょっと意外でした。今回の双眼鏡はずっと時代が下っておそらくは昭和40年代後半から50年代はじめくらいの製造と推測出来ます。というのもネジが黒染めのプラスネジになり、モノコートながらコーティングも厚くなったような至極まともな双眼鏡に変わったようですが、実態はどうなのでしょう。 静岡の熱海にあるリサイクルショップから届いたダウエルの7x50mm、7.1度のZタイプ双眼鏡はひどく黴びている様子は無いものの、接合部のグリスの油分が蒸発してプリズムや対物レンズの表面を曇らせていました。どっちみちフルオーバーホールするつもりで分解していったののですが、分解前に500mほど先にある送電線の鉄塔を見てみると左右は若干開いていたような気がしますが上下の視軸はぴったりと合ってました。分解してみてわかったことは、部品をかき集めてでっち上げたというものではなく、まともな板橋輸出双眼鏡レベルのもので、プリズム面はちゃんとコーティングされてますし遮光筒を備え、内部も黒塗装がされています。対物レンズは全面コートですが、接眼レンズは外側だけのコートでした。また外部ネジはプラスネジを使用しておりましたが、プリズムはタガネ打ちによる固定です。それから推測するとこの双眼鏡は昭和45年から50年くらいにかけてのものではないかということ。そして、おそらくは成東商会内部で組み立てられたものではなく、板橋のどこかの業者に製造を丸投げして納められた外注品だったのではないかと推測できるのです。ダイキャストはC-3とかいう陽刻が内部にあり、これは確かビクセンの7x50mmと同じもののような記憶があるのですが。考えるに昭和46年の火星大接近などをきっかけとして天体望遠鏡需要バブルが起きて天体望遠鏡の組立調整が一時的に忙しくなり、双眼鏡の組立まで手が回らなくなって板橋の業者に外注に出してしまったのでしょう。双眼鏡屋にしてみれば円の切り上げや変動相場制移行で輸出が立ち行かなくなり、一過性の事とはいえ天体望遠鏡需要バブルで双眼鏡の需要まで生まれたのはありがたいことだと思います。これ、注文取りに出かけたのが当時すでにブローカー的な役回りだった野口光学工業の野口社長だったら話は面白いのですが。
 それでクリーニングが終わって再組み立てし、エキセンリング調整で気持ちよく上下左右の画像が合ったダウエルの双眼鏡はコントラストは足りないものの解像力はそこそこの実力を発揮。さすが20mmの口径の違いだけで8x30mmの双眼鏡とは一線を画します。ただし、同年代のニコン7x50mm 7.3度のトロピカルと比べてみるとさすがに視野はニコンが圧倒的に明るくコントラストも解像度も段違いです。まあ比べる対象としてはフェアではないでしょうけど。 それにしても以前のダウエル12x50mmのように噴飯ものの裏技を期待していたのですが、今回は見事に裏切られました。これなら買って後悔するようなものではありませんが、子供時代にビクセンじゃなくてダウエルの双眼鏡なんか持って天文クラブの活動に参加していたら馬鹿にされたんじゃないか、なんて思ってしまいます。子供同士ってそういうのに敏感でしたし。

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November 04, 2021

初めて実交信に使用したスタンダードのC520

 ここ一年半のコロナ自粛生活でのんきに移動運用で全国を回って歩くというのはさすがに憚られたようで、昨年夏と今年の夏の6m移動運用のおなじみさんたちも自分のローカルの外に出ることを自粛していたようで、伝搬コンディションもあり寂しい夏だったようです。しかし、ここへ来てのコロナの感染状況改善に伴い10月の末あたりから観光客の移動が急増し、苫小牧や小樽にフェリーで8エリア入りする他エリアコールサインのモービル局と交信する声もちらほらとワッチされるようになりました。また、このコロナ自粛の巣ごもりで無線局の再開局や新規開局が増えたそうで、JARL会員も減る一方だったのが減少に歯止めを掛けて増加に転じたそうで。そういえばうちのローカルでも2mのアクティブ局はコロナ禍で復活コールサインで再開局した人が何人かいます。
 そんな中で、以前机の上から猫が叩き落としたアイコムの430MHzモノバンドハンディ機IC-μ3の落ちどころが悪くて硬いものの角にあたったらしく、外装が大きく欠けてしまったのですが、これはちゃんとJARDのスプリアス認定保証も受けた個体だったため、ジャンク品から前面のプラスチック部分を交換するべくジャンク品を漁ることすでに2年。これ、液晶部分が液漏れして真っ黒になり、周波数表示が全く見えないものもけっこう高いのです。でも待てば海路の日和ありで、10月の頭に本体100円送料620円でIC-μ3を入手。このジャンクは動作も正常で液晶も端に黒染みは出ていたもののきれいな個体で、表面だけの外装取りするのはもったいないのですがPTTボタンや裏側に傷が多かったため、迷わず表の部分だけ交換用に使ってしまいました。交換はさほど難しくはなくバッテリーケースを外して底面のネジを4本外し、側面のネジを一本外してフロント部分を引き出し、スピーカーのリード線をはんだごてで外せば交換が可能です。
 どうもハンディ機を久しぶりに分解したことがきっかけになり、何台かキーの導電ゴムの接触不良で反応しないボタンのあるハンディ機を分解し、接点の洗浄と導電ゴム部分の表面をグラスファイバーの繊維を束ねて芯にし、繰り出し式のペンになっている接点クリーナーでまんべんなく擦ってやりました。これで問題なく元の状態に復活しましたが、当初は移動運用のためにTVの300Ω並行フィーダーを使ってJ型アンテナを作り、ハンディ機で少々高いところに登って電波を出してみようなんて思っていたものが、そもそもの出不精でおまけにでかい猫2匹が飼い主の外出を妨害するにいたり、ハンディ機は修理調整の対象でしかなくなってしまいました。それでも修理調整の完了した古い技適以前のハンディ機はすべてJARDの保証認定受けてJARD経由で相通局に無線機追加の変更申請を出し、さらにJARDのスプリアス確認保証も受けてますが、移動局の無線機の台数が第18無線機まで及び、そのスプリアス確認保証の保証料だけで昔JARDから頂いた4級アマチュア無線技士講習の講師料1日分がすべてちゃらになった計算でした(笑)そんなハンディ機の数々ですが、いちども交信したことのないものばかりで、そもそもハンディ機で交信したのは果たして何年前でしょうか。おそらくは10年以上前ではきかないかもしれません。
 そんなハンディ機群でしたが、何かの暗示でもあったのかたまたま前日に充電器にかけて久しぶりにフル充電したスタンダードのC520。電源を入れてみるとローカルのOMが千歳の局とラグチューしている声が聞こえ、他のチャンネルでもあまり聞き覚えのないコールサインの局がローカル同士でラグチューしているのがフルスケールで入ってきます。久しぶりにハンディ機の短いアンテナでも十分に聞こえるQSOをワッチできた感じでしたが、これも祝日前日の夜ということもあったのでしょうか。翌日、文化の日は午前中にたまに強い雨に見舞われ、祝日だと言うのにたまにモービル局が入って来るくらいでしたが、午後だいぶ遅くなって樽前山頂の東山1022mからハンディ機を使用して移動運用されていた函館からの移動局を確認しました。勝手知ったるローカル交信ポイントで、見通しも開けており過去何度もハンディ機同士のQRPで交信したこともあって、こりゃこちらも固定機を使うまでもないと前日フル充電したスタンダードのC520で自宅2階の北側の窓からコールを入れました。念の為純正の短いアンテナからよりゲインの高いダイアモンドのRH901というアンテナに交換してのコールで、C520の7.2V充電池の144MHzの出力は確か2.8Wほど。それでもお互いにフルスケールで入感するほどの良好な交信でしたが、考えてみれば直線距離で20kmほどしか離れておらず、さらに1022mと海抜6mの場所との交信とあらば当然の結果(笑)おそらくは500mW出力同士で交信したとしても十分だったでしょう。奇しくもこれが9年ほど前に修理しながらいままで一度も交信に使用したことのなかったスタンダードのC520の初交信になってしまったというお話。その後、駅裏側のマンションのリビングから同じくハンディ機で呼んでいる局があり、その局の信号はこちらでもフルスケールで入感するほど。最近のハンディ機はリチウム電池が携帯電話のおかげで進歩したため、標準で5W出るものが当たり前になりましたが、たとえ32年前のニッカド電池内臓のハンディ機といえども修理調整さえすれば十分役に立つわけで、いくらデジタル時代に突入したとしても新しいハンディ機は買う気にさえなれず、ただひたすらジャンク品の修理調整とたまにチャンスがあったら交信、しか興味が湧きそうにありません(笑)

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November 03, 2021

いつの間にやら無線局開局20周年経過

 まったく意識しなかったのですが、うちの無線局がコールサインをもらって今年で20年経っていました。というのも7月の末にスプリアス確認保証が唯一通らないIC-290を撤去して移動局の更新免許を申請し、変更申請受理の局免と更新申請受理の局免が届いたのが8月の初めで、局免の期限がいつだったのかも意識しないまま時間が過ぎてしまいましたが、いちおう10月の16日にあらたな5年の移動局免許が発行したため10月16日が20周年記念日だったようです。そんなこと、まったく知りませんでした(笑)
 というのもどうも2011年の東日本大震災のときに果たして悠長に無線なんかで遊んでいていいのだろうかという意識に苛まれてからアクティビティーがバリ下がりして、一年のうちでワッチを欠かさないのは6月から7月にかけての6mだけというのが何年も続きました。そしてお正月のニューイヤーパーティー後、夏場の交信が1件もなく、次の年のニューイヤーパーティーに突入という年も珍しくもない状態。たまに交信をすると15年ぶりとか10年ぶり2度めなんという交信が頻繁に。そんなアクティビティーですから古い真空管時代の無線機は使わないとリレーの接点が劣化したりして、何かと調子が悪くなってしまいます。本来は頻繁に使い続けて状態を常に把握して置かなければならないのですが。
 その開局当時に局免申請のために新品で購入したのが当時の最新機種にして広域帯受信機能を有したKENWOODのデュアルバンドハンディ機TH-F7です。なにせ4アマ講習会で取得した4アマでの開局でしたから当時の局免は144と430のF3のみ。とりあえずはコールサインもらうための局免だけだったような感じですが。一年半後に1アマを取得するまで交信は一切しないと自分に縛りを課していたため、初交信は1アマ取得後です。4アマ取得後1年かけてモールス受信をマスターし3アマ取得でHF機を導入。その後すぐに2アマを取得し14MHzを追加。その後も1アマ取得までひたすらワッチに徹し、初更新は1アマ取得後の局免取得から実に1年半ののち。周波数は上級アマしか割り当てられていないHFの14Mhz。相手は福岡の記念局でした。その後固定局免許を取得し、100W運用を始めたのは初交信から2ヶ月の後です。なにせ貧乏無線局でしたからオークションで相場が安い20年落ちの無線機をかき集めてQRVのバンドを増やしていった雑多な無線機群は今だに変わりません(笑)ただ、いいところもあって、オールバンドの無線機よりもモノバンドの無線機が専用アンテナにつながっている方が断然使いやすいのです。
 それで最近は主流になりつつあるデジタルモードですが、前回の免許更新直前にTS-690とパソコン装置によるデジタルモードをJARD経由で保証認定出して変更申請したものの、いまだにデジタルモードには馴染めずに交信回数はゼロ。またデジタルモードも年々そのエンコード技術が進歩していちいちそのたびに保証をJARD経由で申請しなくとも一度装置とモードが総通で受理されていればオンラインでモード追加の変更申請が可能になりましたが、それらの日々の進歩にまったくついていけないアナログ頭です。やはりいまだにアナログ電話か電信で交信したい保守派なのかもしれません(笑)

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October 07, 2021

HEMMI No.130 (BK) 10"片面技術用(ダルムスタット)初期型再び入手

 ここ数ヶ月の間は何かHEMMIのNo.130に縁が続き、2度あることは3度あるということで、今年3本目のNo.130ダルムスタットを捕獲しました。それも前回と同じ最初期型の延長尺が長く、逆尺が赤いという戦後発売されてからほんの2年少々しか製造されなかった希少種です。画像が表面の半分しかなかったので、延長尺が長いというだけで落札してしまったNo.130です。前回入手したNo.130がデートコード「BK」でしたからそれより古いものを期待していたのに届いてみればまったく同一のデートコード「BK」で昭和26年11月製の御年まもなく70歳のロートル(ってほぼ死語ですが)。おまけにその70年の間をわずかに使用されただけでずっとタンスに仕舞い込まれていたようで、ケースも本体も非常にきれいなもの、裏板の一部が戦前尺のように高温多湿が原因で腐食しかけていて、端のほうの溝を押し上げ、やや変形しているほど。それでもごく初期型の希少種ですし、送料込みでかなり安かったので文句は言いません。本音からすると製造月が一月くらいずれていてくれればという思いもありますが…。ケースがきれいなだけに定価のラベルが残っていて\1,450の値段が付いています。入手先は東京都の小平市でした。

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October 06, 2021

コンサイス No.27N 円形計算尺(東陽通商ノベルティー)

 久しぶりに捕獲した企業ノベルティーもののコンサイスNo.27Nです。昭和40年代中期に入りHEMMIの計算尺も、たとえプラ尺とはいえコストがジワジワと上がり、展示会や見本市で配るには負担が大きくなってきたときに、一気にこの需要のシェアを奪ったのがコンサイスのA型単位換算器やこのNo.27Nでした。計算尺を企業の宣伝に配るような見本市や展示会と言うと科学や工業分野で使用される測定器や実験器具、機械工具などの製品を扱うものが多かったようで、そこに集まるのも研究者や技術者と相場が決まっています。そのため、今の世に残るこれらのコンサイス円形計算尺のノベルティーものの殆どは測定器や実験器具、機械工具などのメーカーや商社のものです。また、実験器具や測定器のメーカーは一般消費者向けの商品ではないものの企業や教育機関などの一定の需要があり、さらに技術の進歩に従って買い換え需要もあるため、その社名は一般の人には馴染みがないものの、いままでずっと商売を続けている会社が多いのも特筆されます。家電メーカーだとそういうわけにはいきません。
 今回入手したNo.27Nは東陽通商という会社で、類似の東陽や東洋がつく会社は古今東西掃いて捨てるほどありますが、この東陽通商という会社は昭和28年に機械工具輸入を目的に設立され、後に測定器などの総合商社として現在は東証一部上場の東陽テクニカです。その東陽テクニカが東陽通商時代のおそらくは昭和40年代後半くらいのアナログ測定器時代に参加した展示会見本市で配られたものなのでしょう。こういう展示会は貴名受けという名刺のポストなんか置いてあって、名刺と引き換えにこういうノベルティーがもらえて、企業側はどんな会社のどんな担当者が来場していたかを把握し、営業の対象を定めるという仕組みでしたが、うちの会社あたりでも当然決裁権のある管理職の顔は事前に把握していて、ヒラの参加者はボールペンあたりでごまかしても役付きの大物用には特別な来場記念品を用意するという差別ではなく区別は当然行ってました(笑) 今のデジタル時代の展示会見本市の来場記念品はどういう形態に変わっているのでしょうか?一時期は企業の名入りUSBメモリーなどが多かったようですが…。
 展示会見本市の性格上、海外からのバイヤーなど集まるせいか、このNo.27Nは裏面の換算表が国内ものは日本語表記なのに対して英語表記で、さらにメトリックではなくポンドヤードインチ表記がメインになっているところが特徴です。入手先は神奈川の横須賀からでした。

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October 04, 2021

☆Relay☆ No.DB-808 8"両面型事務用?

 珍しいダブルスターリレー時代の何と8インチの両面計算尺☆Relay☆No.DB-808です。すでに手元にある計算尺は400本近くに及ぶと思いますが、8インチの両面計算尺というのはもちろん類似のものを含めて一本も所持していません。現物は見たことありませんが、確かリレーの時代には6インチの両面型計算尺No.650があったはずです。これらのちょっと存在意義が問われそうなオフサイズの両面計算尺は昭和30年代末のRICOH計算尺の時代には継承されなかったようですが、それは当然でしょう。外国の例からするとK&EのNo.4088-2などの例があるのですが、やはり10インチの両面計算尺に比べると少数派だったようで、遅くとも世界恐慌の時代に淘汰されて後には残らなかったようです。ちなみにK&Eの4088シリーズは4088-1が5"両面、4088-2が8"両面、4088-3が10"の両面で尺度は同じ。もちろん一番先にフェードアウトしてしまったのは8"の4088-2でした。
 昭和20年代のダブルスターリレー時代の計算尺は自社デザインと言うよりもアメリカのバイヤーからの要求でデザインされたような計算尺が大半です。どうもこのDB-808はOEM先ブランドでリリースはされていないようで、そのまま☆Relay☆No.DB-808として輸出主体で生産されたものなのでしょうか。DB-808の意味は輸出品番でDBはDuplex Businessで両面型事務用を意味し、800番台は8インチの計算尺を意味します。
 商品が届くまで裏側の尺度がまったくわからず、用途が特定出来なかったのですが、裏側は一年365日および730日までを2本に分割した日数計算尺となっており、表面には利率のような尺度が2分割されており、一般計算は√10切断の尺度を持つというものでした。さらに利率部分は割・分・厘。毛などの漢字が使用されているために、型番は輸出用品番なのにもかかわらず、このDB-808は国内専用計算尺ということになるようです。しかし、昭和の20年代に技術や研究以外にこのような事務用途の使用に特化した計算尺をわざわざ購入するという需要はまったくなかったようで、この計算尺も実用にはまったく供されなかったらしく、日焼けして色焼けしやすい紺色ケースもまったく退色しておらず、中身の計算尺も当時のダブルスターリレー時代の計算尺どおりにクリーム色がかった艶のあるセルロイドがそのまま残っていました。尺度としては表面がF1,DF,[CF,CI,C,]D,F2。裏面がN1,[d,]N2なのですが、裏面のN1は365日、N2は365日から730日までの2分割日数尺で、dはDと誤認されないようわざわざ小文字にしたdayを表し、31日を繰り返しているようですが、逆尺を含めて詳しい見方がわかりません。カーソルバネがこの時代はりん青銅ではなく当時の安全剃刀同様に鋼で、すっかり弾力を失っており、曲げようとしてあっさりと折れてしまいました。しばらくカーソルバネの再生を行っておらず、どこに材料が迷い込んだか出て来ないのですが、作り直さないといけません。幅がたったの2.8cmでおそらく両面尺としてはもっともナローな部類の計算尺で、5"のNo.550Sよりも幅が狭いのに厚みがあるというもの。サイズ感としては世の中に溢れかえっている8インチの片面学生用計算尺とほとんど変わりません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製です。ケースに型番ラベルが残っていて、そこに価格が印刷されており、1,150円という価格は学生尺が150円から300円くらいの時代にけっこう高価な計算尺です。ただ、汎用性がないばかりにほとんど使用された痕跡もなく、60数年経過して世の中に出てきたわけですが、これを最初に購入した人はよほど生活に余裕があった人は別にして後悔したことでしょう。まあ、普通は計算尺に詳しい友人知人に相談してその用途にふさわしい計算尺を一大決心の思いで購入したのでしょうから、このようなものを選ぶバクチに近い極端な選択はしなかったと思いますけど(笑) 入手先は東京都内からでした。

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October 03, 2021

HEMMI No.256(KK) 10”両面電気通信技術用

 15年ぶりくらいに電気通信技術用計算尺のHEMMI No.256を入手しました。このNo.256は昭和14年に芝浦製作所と合併直前の東京電気とHEMMIの研究部部長平野英明氏との共同開発で完成した通信用計算尺に若干の改良を加えて戦後になって一般向けに発売したものです。この発注元の東京電気というのは明治23年に国産初の白熱電球の製造も目指した藤岡市助の白熱舎が嚆矢で、後に米国のジェネラルエレクトリックの51%資本参加により東京電気となってから日本におけるジェネラルエレクトリックの特許や商標を使って電灯以外にもマツダブランドの真空管などの製造も始め、同じくウエスチングハウスと技術提携した三菱電機とともに大正末期から昭和初期にかけての通信放送機械部品製造の代表的な弱電製造会社となっていました。
 その東京電気が同じくジェネラルエレクトリックと提携関係にあった芝浦製作所と合併し、東京芝浦製作所(東芝)となったのは同じく昭和14年7月のことですから、計算尺が出来上がって主に使用開始となったのは東京芝浦製作所以降ということでしょうか。それでも弱電の東京電気、強電の芝浦製作所と技術陣は棲み分けが出来ていたでしょうから、この通信用計算尺は旧東京電気側の東京芝浦電気マツダ支社の技術陣で使用されたことは確かです。計算尺に刻まれている社名は「東京電気無線株式会社」ですが、これは昭和10年川崎市内に無線関係の事業を行う会社を分離設立したためで、こちらは後に東京電気株式会社に改称されています。この通信用計算尺は表面がL,X,[T2,S2,T1,S1,YI,Y,]Z,LL3,LL2,LL1で裏面がΓ,[R,F,]λとなっており、一般的な計算もこれ一本でこなす汎用性に乏しいため、戦後新たに表面をほぼ一般の計算などに特化させて裏面も尺度を整理したNo.256が一般発売されるわけですが、名前も高級電気通信用と何故か「高級」の接頭辞がついていた時代もあったような。この通信用計算尺の表面尺度はあまり見かけない記号ですが、Xは二乗尺でK尺に等しく、Y,ZはC尺D尺。YI尺はYの逆尺ですからCI尺に該当します。この尺度は社内のみで使われていた記号なのでしょうか?また電気的に言うと裏面Γは角度、Rはレジスタンス、Fは周波数、λは波長ですが現物を持っていないため、それぞれどういう組み合わせで使用するのか今一わかりません。
その戦前の通信用計算尺の改良型であるNo.256も昭和30年代に入ると通信機器が真空管からトランジスタの時代を迎え、通信も短波から超短波、極超短波そしてマイクロウエーブの多重無線が主流の時代を迎えます。そのため真空管時代のNo.256はいささか陳腐化し、新たにソニーと共同開発された電子用計算尺のNo.266が発売に至るわけですが…
 入手したNo.256はデートコード「KK」ですから昭和35年の11月製。以前入手したNo.256よりも2年ほど古い製造になりますが、この頃はまだNo.266は発売されておらず通信系計算尺というと唯一の存在です。同様な用途のRelay/RICOH No.156がすでに発売されていたかもしれませんけれども。

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September 06, 2021

HEMMI No.254WN(ZB) 10"両面高校生用

 HEMMIの高校生用両面計算尺のNo.254WNです。少し前に入手したのはKENTとのダブルネームのHEMMI No.254WNでしたが、今回入手したものはごくごく一般的なNo.254WNです。別に何ら他のNo.254WNと変わらないのですが、デートコードが「ZB」というところが最大の売りで。というのもHEMMIで一般的な計算尺の製造を止めた最終年である昭和50年2月の製造である「Z」コードの計算尺であるということです。
 それ以降に工業高校に特納された計算尺はこの「Z」のイヤーコードを持つものかイヤーコードさえないものが出回っていたらしいのですが、そういう意味でもAから始まってZで終了した最後の計算尺は同じ種類の計算尺でも何か特別感があります。とはいえ、このZ刻印の最終製造年を示すデートコードが付いた計算尺というものがすべての種類に存在するわけではなく、例えば市場在庫が多いNo.259DやNo.2664SなどのものにはおそらくはZコードが存在せず、計算尺末期にあっても一定の需要があった高校生用計算尺No.254WNやNo.274、No.641系の発売年が新しいプラ系計算尺や一部特別生産品の計算尺に限って存在するような気がします。数あるうちの計算尺の中でもZ刻印は他に一本くらいしかありません。ケースは青蓋角ケース、入手先は埼玉県内からでした。

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August 03, 2021

RICOH No.1051S-I 10"両面高校生用

 三角関数が逆尺のRICOH No.1051S-I は割と早い段階で未開封品を入手していますが、今回はカーソル違いの開封品No.1051S-Iを入手しました。未開封品はデートコード「WS-3L」に対して今回は「US-2」ですから昭和47年2月の佐賀製。クリーンCIF尺で金属フレーム枠カーソル付きですが、この昭和47年内に金属フレームカーソルから小型プラ枠カーソルの最終形態に変化したようです。滑尺表に「47M162」の電車の編成番号のような刻印があるのが珍しいのですが、これはもしかして理振法準拠品の目録番号かなにかと思ったらケースにM47松田のマジックインキ書きがあるので、おそらくは昭和47年入学の学籍番号かなにかの刻印をわざわざ刻んであるようで、Mは工業高校機械科の略号でしょう。この学籍番号刻印入のRICOH計算尺は他にも持っていたような気がしますが、RICOHの学校納入計算尺には個人名がわざわざ刻印されたものも何本か持っていますので、おそらくはHEMMIしか扱わない内田洋行に対して在阪教材商社はRICOHを積極的に学校に売り込むため、「学籍番号刻印」や「個人名刻印」サービスという付加価値をつけて関西以西の学校に売り込んでいた事実があったのかもしれません。もちろん地元の教材店を通してですが、高校時代の吹奏楽部の後輩がその教材店の息子で、自分はあとを継がず大手銀行に就職し、弟が実家の商売を継いでいます。その教材店というのも昭和の時代と比べると少子化によって扱いは数の面では相当少なくなっているものの、どこかの番組ではありませんが、シーズンになると運動着を一手に学校に納入する地元のスポーツ用品店同様に「つぶれない店」の部類に入るようです。オクに出てくるRICOHの学校用計算尺は圧倒的に西日本からが多いのですが、こちらも島根県内から出たものです。このころはHEMMIの計算尺との整合性をとるためかRICOHの計算尺も高校納入品は三角関数逆尺が標準になりつつあるのがわかります。よくRICOHの計算尺の両端が茶色に変色しているものを見かけますが、これも例外ではなく変色部分はメラミンスポンジで落ちますが、原因が何かと思ったらRICOHの計算尺はケースの中で踊らないよう割と厚めのスポンジが蓋と底にはめ込まれており、長年ケースに入れっぱなしにしておくとこのスポンジが加水分解して発生したガスが計算尺の両端を茶色く変色させるということらしいです。RICOHにはあってもHEMMIにはない現象である理由はここにありそうです。


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August 02, 2021

HEMMI No.130 10”片面技術用(ダルムスタット)最初期型

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 6月に十数年ぶりに入手したNo.130でしたが、類は友を呼ぶという例えはたぶん意味が違うと思いますが、二度あることは三度あるの例えどおりに1ヶ月も経たないうちに3本目のNo.130を入手してしまいました。ところが今回入手したNo.130はいままでの2本と見かけが異なる不思議なNo.130です。何が異なるかというと、逆尺が赤くなっており、右の延長尺部分がA尺B尺が通常は0.8に対して0.7、CI尺が11.2に対して12、C尺D尺が0.9に対して0.84まで延長されています。というのも下固定尺側面の三角関数尺が5°からのスタートと延長されており、それに対応するために各尺の延長部分も拡張されているのです。この延長尺の起点違いというのはリッツのNo.64や電気尺のNo.80Kにもあり、変更年は不詳ながら昭和28年頃に右延長部分がA,B尺は0.785が0.8に、C,D尺が0.89から0.9に変更になっていますが、おそらくはこのNo.130もこのあたりでNo.64やNo.80Kに習って延長尺部分の起点と三角関数尺の起点を改めたのでしょう。ということは新たに目盛りの原盤を起こしたことになるのですが、戦前に発売を予告しながら不要不急の新製品としてお蔵入りしたNo.130が戦後やや落ち着きを取り戻した昭和25年頃に戦前用意した目盛り原盤を使用して新たに発売したものの、たった3年余りで新たな目盛り原盤を制作してリニューアル発売したということになります。

Hemmi130sintg_20210802143901  しかし、3年余りでまだ損耗もしていない目盛り金型を廃棄して新たに金型を作ったことと、そのときにNo.64やNo.80Kのように物差し型目盛にせず、なぜ馬の歯型目盛を踏襲したのかなど、まだまだ謎が多い存在のNo.130ですが、逆尺の赤入れをやめて延長尺部分を赤目盛、逆尺は数字だけ赤というのはNo.64やNo.80K同様の統一ルールにしたからだと思われます。

 それだけ延長尺部分が長く、逆尺の目盛が赤いNo.130は製造期間も短い激レアNo.130で、いままでにその存在に気がついていなかったということはよほど数も少ないということなのでしょう。あと細かいことですが新旧で逆尺の数字刻印が目盛に対して正反対に刻まれ、旧にだけ逆尺にπゲージが存在する。新No.130にはC尺上にC1ゲージマークが追加されるなどの違いがあります。刻印は同時代の片面計算尺同様に裏面右端に形式名のNo.130が刻まれ、真ん中にDARMSTADT SUN HEMMI JAPAN のあとにデートコードの「BK」が入れられており、昭和26年の11月製です。後のNo.130のようにSYSTEM DARMSTADT刻印ではなく単なるDARMSTADTです。今回改めて15年分のNo.130オークション出品歴を調べてみると、同様に延長尺の長い「BD」コードのものが一本、さらに黒ケース銀ロゴのmade in Occupied Japanものも一本ありましたので、さらに生産初年は遡りそうな感じでした。延長尺が短くなったのはやはり昭和28年頃で、形式名が右側にオフセットされていたものがNo.2664S同様に真ん中に移動し、デートコードが刻印になって左に小さく打刻されるようになったのは「ID」コード以後のようです。

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June 20, 2021

民放AMラジオ局2028年に殆ど廃止

 以前から話は出ていましたが、全国の民放ラジオ放送局が2028年にAM放送を完全停波し、FM放送に完全移行することを発表しています。それというのも広告収入の減少により老朽化した放送設備を維持できなくなってきたため、比較的放送設備が簡単なFM放送に完全移行するということで、その際はTVの地上デジタル化で空きになった90MHz帯で専有周波数帯幅の広いFM波での放送に完全移行し、現在のAM放送視聴範囲はFM中継局を設置してエリアアカバー(90%)するということらしいです。ただし、完全FM化しても現在の放送エリアををカバーしきれない北海道(HBCとSTV)ならびに秋田(ABS)の3局だけは2028年以降もAM放送を継続するということなのですが、この3局もWFM局での放送はすでに始めていてAM放送と同じ内容の放送を90MHz帯で放送していますので、中継局全域カバーの問題さえ解決できればAM放送停波ということも十分考えられるのです。ただ、北海道は周辺海域で操業している漁船の聴取も考慮しなければいかず、全面的にワイドFM化してAM廃止ということは現実的ではないかもしれません。 諸外国の実情はドイツとフランスではすでにAMラジオ放送は2015年に廃止され、FMラジオ放送しか行われていないとのこと。EUを離脱したイギリスではまだAMラジオ放送は安泰なもののFM放送に移行した地域もあるようです。アメリカでは逆にAMを停波してFMのみの放送完全移行をFCCに申請したラジオ局にFCCが許可を出さなかったなどという話もありますし、アメリカは国土も広いため、AM放送局はいまのところは安泰のようです。同じように国土の広い中国やロシアでもAM廃止ということは考えられません。ああいう国は垂直アンテナより断然高利得の巨大な指向性アンテナを全方向カバーで展開して1000KW級超の出力で全領土に電波を飛ばす広い土地もあるでしょうし(笑) そういえば、ドイツやフランスの国内向け自動車のラジオは当然FMしか受信できないものを搭載しているのでしょうか?あまり話題にもなりませんが、今はナビなどと統合されたオーディオシステムで音声で操作なんてことも当たり前でしょうからAM受信機能が密かになくなっていたとしても、知らない人は気が付かないかもしれません。
 とはいえ、今の世代はタブレットやスマホで、もしくはAI スピーカーでradikoを介して放送は聞くことはあっても、そもそもまともにラジオなんざ持っていない人のほうが多いのではないでしょうか?どういう統計を取ったのかはわかりませんが、今の所90MHz超のWIDE FMを聴取可能のラジオの普及率は53%だといいます。これ、radikoでの聴取者数も反映されているのかどうかはわかりませんが、うちの普通の古いAMモノバンド真空管ラジオがダメなことは当然として、FMのあるラジオでも一時期流行ったTVの音声が3chまで聞けるというラジオはたぶん大丈夫ですが、古いラジカセに2台くらいあったかしら?KENWOODの広域帯受信機能付きのTH-F7もいけそうですが、そもそも現居住地が北海道なのだからAM停波問題は地元放送局に関しては関係ありませんし、ほんの2kmくらいしか離れていないところにSTVのAM中継局の高いアンテナが立ってますし、戦時中の再生検波のラジオであろうと、古い通信機型ラジオであろうと今の所は心配ありません。
 しかし、今の若者はスマホでradikoを使ってであろうと、週にどれだけラジオを聞いているのでしょうか?好きなアーティストや芸人のオールナイトニッポンなんかはタイムフリーの聞き逃し受信を使って好きな時間に再生することはあっても自分のライフスタイルの中にラジオのリアルタイム聴取している若い人がどれだけいるのやら。その若者のラジオ離れというのが深刻な問題になり、さらに新型コロナウィルスによる飲食店営業自粛などのあおりを受け民放ラジオ局運営の生命線であるローカルCMスポンサーは軒並み撤退。さらに大手のCMスポンサーはネット広告に流出してしまって収支が成り立たなくなり、結果として設備維持も成り立たなくなってしまったということなのでしょう。実は今はどうかは知りませんが、昔からラジオのCMというのはTVには出てこないような独特なものが多く、というのもTVは家族で見るもの(今は違いますが)ですが、ラジオは基本個人で部屋に籠もって聞くもの。まだ宵の口から鶴光が「注射まだでっか?」なんてやっていたので、CMも圧倒的に若者向けの商品が多く、昭和50年代初期には計算尺に変わって爆発的に普及した関数電卓のSHARPピタゴラスのラジオCMなんかがありましたし、若者向け出版物、レコードの新譜、秋葉原の家電量販店、コンタクトレンズのCMも多かった。平成に入ってからはマイルーラなんていう避妊具や包茎手術のCMまでやっていたのはTVには真似のできないところ。そのラジオCMというのはビジュアルがなく「言葉で聞かせる」ものですから一種独特で、小芝居がらみが多かったのが特徴でしょうか。
 現在ラジオ放送への依存度が高いのは高齢者で、NHK R-1のラジオ深夜便を一晩中つけっぱなしという人も多いのでしょうが、実は当方もラジオ深夜便からマイあさに至るまで40年も前に秋葉原で購入した古いラジオのつけっぱなしの習慣がついてしまっています。というのも学生寮出てアパート暮らしになってから2年以上もTVがなくて、アパートに帰ってからはもっぱらラジオ生活であったことからTVを見るよりラジオを聞く生活が身についてしまったことと、ラジオで緊急地震速報が放送されるようになってからしばらくして東日本大震災が起こり、それが契機となって防災上、一晩中ラジオ点けっぱなしが習慣になってしまったのです。胆振東部地震のときは揺れ始めてから緊急地震速報が鳴りましたが、それでも飛び起きたため崩れた本の下敷きになるのを免れました。タイムラグのあるradikoでの受信だとこういうわけにはいきません。また緊急地震速報発報に関してはエリアメールや地元の防災無線の速報音よりも断然早かったような気がします。そういう防災上の観点からNHKは現在のR-1,R-2の2局放送を1局に統合するもののAM放送は継続することとされています。そのため、戦時中はNHKも2局が1局に統合され、全国同じ放送が流れていたわけですから戦時中の再生検波のラジオも元の1局時代に戻るわけです(笑)そういえば在京中に組み立てたゲルマニウムダイオードを使ったラジオはバンド内のどこもTBSが混信しているというシロモノでした。それをIFT使ってダブルスーパーにするとなぜ選択度が上がるのか、などがそもそものラジオの初歩なのですが、全国的に民放ラジオ局がAMから撤退すると中破の電波伝搬理論などとともに非常にわかりにくいものになってしまいそうな。秋の夜中に入り始める関西系のAMラジオ番組のローカルCMを聴いて「おお、さすがは実利の関西!」なんて体験することも今後は無くなってしまうのも惜しいのですが、それ以上に各ローカル放送局に受信報告入れてベリカード貰うたのしみも過去のものになります。当方QLSカード発行のほうが忙しいので放送局に受信報告書は送ったことないのですが、昔のBCL全盛時代は過去のものになり若者のラジオ離れの現在、ベリカード収集を趣味にしている層というのはどれくらいの人口があるのでしょうか?
 そういえば1エリアから8エリアに引っ込んでしまい、一番残念だったのはFEN(現AFN)がどうやっても聞こえなかったことでした。なにせ一時はFEN流しっぱなしにしていた時期もあり、12時のアメリカ国歌の放送でやっと一日が終わったと実感していた時期があったのです。場所的に三沢の放送が聞こえないかと思ったもののほんの基地周辺エリア向けに小出力で放送しているというので土台無理というもの。それで何年か経ってネットでも聞くことが出来ることを知り、今ではタブレットに専用アプリをダウンロードして聞くことが出来る時代になりました。驚いたのはジャンることに何chもあることと、基地ごとに独自の放送も行っているということ。ただ、810kHzの表示を見ながらラジオで受信するAFNとネットで聴くAFNはなにかやはり別物という感じがして今は頻繁には聴きません。このAFNも今後のAM放送はどうなってしまうのでしょうか?AFNの送信所はしばらく前にアンテナなども更新されたため、地方ローカル民放送信所のようにただちに設備老朽化することはありませんし、そもそも米国の軍事予算で運用されているため、広告収入減少は関係ありません。またAFN Tokyoの和光送信所は横田厚木座間横須賀の南西方向に指向性をもたせた放送を行っているため、千葉県在住中も「こんなに電界強度が低くなった」などと思ったほどで、どうりで北海道では深夜帯であっても810kHzがまったく受信できなかったわけです。

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June 15, 2021

同番異尺のRICOH No.503 5インチ学生用?

 5インチのポケットタイプ計算尺のRICOH No.503ですが、このポケット計算尺は戦前IDEAL RELAY商標の東洋特専興業で製造されて理研光学から発売されていたものに遡ります。表面はA,[B,CI,C,]D,で、裏面はS,L,T,の尺度を持つポリフェーズドマンハイム型。戦前HEMMIのNo.34R相当のポケット尺なのですが、HEMMIあたりでも戦前すでに表面にK尺を追加したNo.34RKが主流となり、Relayブランドでもおそらく戦後にK尺追加のNo.505にモデルチェンジしていつの頃からかNo.503はフェードアウトしてしまったようなのです。そのため、戦後生産もののNo.503はなかなかお目にかからないものなのですが、今回入手したのは紛れもないRICOH時代のNo.503です。ところがこのNo.503は√10切断尺が採用され、さらに5インチのポケット尺の通常の形状とは異なり、No.84などの学生尺と同じくスケールがなくて本体は単なるスクエアの断面を持ち、裏側や側面も8インチ学生尺同様に竹の断面が露出したニス塗りのものです。さらに滑尺裏はセルロイドこそ貼られているものの三角関数尺などを持たない単なるブランク。そのため、尺度が表面のみのDF,[DF,CI,C,]D,A,のたった6尺しかない計算尺です。
 用途としてはやはり学生用なんでしょうね。ただ、5インチの学生用ポケット尺の存在意義があったのかどうかは甚だ疑問で、どうしても√10切断尺の5インチポケット尺が欲しければNo.512を購入すればいいと思うのですが。学生用でありながら8インチではないために500番台の型番を付けなければいけないということはわかるものの、新しい型番を付けずに欠番になった型番を踏襲するという意味もよくわかりませんが、Relay/RICOHの計算尺は往々にして同一品番ながら内容が異なるという計算尺が何種類か存在するので驚くにはあたらないかもしれません。
入手先は熊本の山鹿市鹿本町でしたが、この山鹿市は訪れたことさえないものの、同じ職場で数年間毎日顔を合わせていたデザイナーの二瀬氏の生まれ故郷。彼は父親の介護の都合で若妻とまだ物心つかない息子を連れて横浜から山鹿に引っ込んですでに音信不通30年ですが、そんな山鹿市からやってきた訳わからのNo.503。もしかしたら5インチの学生尺を作ったものの、売れる宛もなくて試作品だけ製造元の佐賀周辺県にばら撒いたなんてこともあったんのでしょうか?どっちにしても珍尺なことは確かです。なお、デートコードは刻印されていませんでした。また、赤いカーソルバーにカーソルの盤面が接着されているというプラカーソルも珍しいと思います。

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June 12, 2021

HEMMI 星座早見盤

Dscf4251  我が家には物心がつく頃から星座早見盤というものがあり、幼稚園に入る以前からおもちゃとしていじくり回していたような気がしますが、その星座早見というのは金属の円盤の上に赤いビニールに透明楕円窓が色抜きされていたものでした。おそらくは三省堂が発売した天文学会編新星座早見という星座早見盤だったと思います。これは後に学研の科学を購読する学年あたりから本来の使い方を覚え、天文少年時代の重要なツールとして円盤が反って透明部分がすだれ状に傷が入るまで酷使されました。街の青少年科学センターで開催される天文クラブの美品はお椀型の星座早見盤だったのですが、その早見盤より大きくて、より暗い(?)恒星まで描かれているというのが使い勝手がよく、全天恒星図を買ってもらうまで、星図代わりにも使っていました。その三省堂の新星座早見がなぜ家にあったかというと、どうやら父親の蔵書の中に野尻抱影氏のものが何冊かあり、その著作を理解するために本屋に並んでいたものを衝動買いしたのではないかと思いますが、真相はわかりません。
 その星座早見盤ですが、一般向けとしては明治末期の1907年に三省堂から発売された日本天文学会編の星座早見が嚆矢らしいのです。それまでは舶来の星座早見があったとしても、その緯度が当該国の標準であるため、北緯35度基準の日本では使いづらく、日本独自の星座早見が必要だったからではないかと思います。しかしその星座早見は長らく天体に興味のある学生や研究者のものであり、一般大衆に普及するものではありませんでした。その星座早見盤があまり天体に縁のない人たちにも爆発的に普及したのは、どうやら昭和30年代になってスプートニク打ち上げ成功をきっかけとした人工衛星や有人宇宙船などがつぎつぎに打ち上げられたことや池谷関彗星などの日本人アマチュア天文家の新天体発見などの活躍により、一種の天文ブームが到来した事ではないかと思います。そのため、昭和35年ころからこの星座早見に参入する業者が増えました。その星座早見盤の代表格が明治末から製造し続ける三省堂と戦後参入組の渡辺教具製作所で、特にお椀型の渡辺教具製作所は地球儀メーカーらしく全天を半球に見立てたお椀型の星座早見盤を製作しはじめたのは昭和30年あたりとのこと。当初渡辺教具は天体望遠鏡メーカーへのOEMも多く、地元の天文クラブで使用していた半球形星座早見盤もエイコーブランドだったような気がします。この半球お椀型星座早見盤は渡辺教具製作所が特許を取得したとのこと。
 その昭和30年代の天文ブーム以前にヘンミ計算尺が星座早見盤を作っていたのはあまり知られていません。というのも天文関係には関わりのないヘンミ計算尺が昭和30年代の天文ブームに乗って新たな製品展開を考えたというのなら話はわかるのですが、どうも昭和23年にはHEMMI星座早見盤が完成していたようで、それを証明するようにヘンミ計算尺株式会社の会の字が「會」になっていたり、本体表記のあちらこちらに旧字体が存在するのです。すでに市場で発売されていた星座早見の本体は紙製であったのに、ヘンミ製星座早見は本体は白色セルロイド盤の印刷で、楕円に透明抜きされた円形セルロイド盤が回転するという現在総ての星座早見が等しく備えている特徴があり、その構造で実用新案を申請したようです。大きさがコンサイス円形計算尺のような直径12cmというポケットサイズですが、もしかして日付の基線長が10インチということにこだわったのか、いかにも小さくて使いづらいもの。当時は一般的な緯度は北緯35度用で、日付の目盛は一月が3等分。時間は一時間が二等分する目盛しか施されていないというもので、昭和30年代の天文ブーム以降に発売されていたものと比べるといかにも簡易的な感が否めません。また昭和30年代の三省堂赤盤新星座早見は緯度の補正のためのサークルが印刷されていて北緯42度のうちの地方では非常に重宝しましたが、そういう配慮もまったく見られないのです。そのため、昭和30年代になったときには他に新しい星座早見が色々出来てきて時代遅れとなり、そのうち本業の計算尺製造販売が最盛期を迎えたため、本業以外のものをあっさりと切り捨てたということでしょうか?まあ考えようによっては戦前すでにこのHEMMI星座早見盤は組み立て前のパーツの状態で出来てはいたものの、戦争で不要不急の商品として発売することが出来ず、戦後の社会がやや落ち着いた頃に戦前すでに完成していた部品を組み立て、換金目的で発売した、というのかもしれません。戦後になって新製品として製造したのなら、もっと数が多く残っていて然るべきですし、改良版も一度くらい出てもいいような気もします。おそらくは昭和30年代に差し掛かり、三省堂から大幅な改訂版の赤版新星座早見や渡辺教具のお椀型が発売に至り、市場での存在価値がないと製造を止めてしまったのでしょうか?
 そういえば、昔の星座で気になっていたことがあったので、検証してみるとその予想は的中しました。このHEMMIの星座早見盤はなんとアルゴ座が分割されずにそのまま印刷されているのです。アルゴ座は領域が広いために国際天文学連合の取り決めで3分割し、それぞれほ座、りゅうこつ座、とも座になったというのは小学生のときにすでに知っていたのですが、このヘンミの星座早見盤はそのままアルゴー座表記になっています。このアルゴ座分割の取り決めは第一次大戦後で世界に落ち着きが戻った1922年にイタリアのローマで開催された第一回国際天文学連合の総会で決議されたことだそうです。このときに星座の境界線などの国際基準も規定されたそうです。日本でいつ頃からアルゴ座が消えてほ座、りゅうこつ座、とも座の表記が一般的にも認知されたのかはわからないのですが、少なくとも昭和30年以降の出版物や星座早見盤などでアルゴ座の表記は見たことがありません。また星座の表記も旧字体の漢字表記が多く現在のインディアン座が印度人表記だったり、そのため、何かコピー元になるような古い星座早見があって、それをそのまま縮小サイズに設計し直したものの、もともと設計者があまり最新の天文情報などに通じてはおらず、アルゴ座が分割されていない表示が古いなどという考えもなかったのかもしれません。それを戦後そのまま売り出したものの、改訂版を作ろうという人材も意欲もなくて、本業に専念するため切り捨てたというのが真相でしょう。
 でも、個人的にはポケットサイズの星座早見盤もありだと思うのですが。ただし、薄いセルロイド製星座早見は学習雑誌の付録なみのクオリティでいただけません。直径12cmの星座早見盤はいかにも小さいような気がしますが、以前新宿のヨドバシカメラで購入したシチズンの2代目コスモサインと比べれば、実用度は上だと思います。ただ、コスモサインは自動的に23時間56分で星座部分が一回転し、常にその日月のその時間の星座を表示してくれるという先進性がありましたが。

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June 05, 2021

HEMMI No.130 10"片面技術用 システムダルムスタット

 システムダルムスタットの片面計算尺であるNo.130は昭和40年代中頃にNo.130Wにモデルチェンジするまで唯一クラシカルな馬の歯型目盛で発売され続けた計算尺です。というのも昭和15年位に一度発売が予告されたものの、日中戦争拡大と太平洋戦争開戦により不要不急の新製品としてお蔵入りしたものを、戦後になってからそのまま発売したため、デザインは昭和15年以前のNo.80やNo.64と同一のドイツ尺を模した馬の歯型目盛であるということらしいのです。これはドイツの代表的なダルムスタット型片面計算尺Nestler No.21そのままです。ただ、軍需産業などで多用されたリッツのNo.64は戦時中すでに目盛の原版が消耗したのか新しい物差し型目盛に改修され、同じく戦時中に多用された電気尺のNo.80も戦後に目盛原版を物差し型目盛に改めたのに、まったく使用されなくて消耗していない目盛原版だったNo.130は戦前のままのデザインで新製品として売り出したということなのでしょう。ただ、このNo.130が爆発的に普及したのであれば早々に消耗した馬の歯型目盛原版を物差し型目盛り原版に差し替えることも出来たのでしょうが、時代はすでに両面のログログ尺も完成しており、片面尺は√10切断尺が主流となって、国内ではNo.130は「あってもなくてもどうでも良い目蒲線」状態になっていたのだと思います。そもそも片面計算尺のリッツやダルムスタットというのはA.Nestlerで発売されたのが最初のようですが、リッツはおおよそ1903年頃に対してダルムスタットは1925年頃ということで20年以上のタイムラグがありました。その新しい方のダルムスタットは宮崎治助氏によると欧州のある地域では教科書で取り扱われるほどの教育用標準計算尺として採用されるところもあったほど戦前の一時期隆盛を極めということです。1925年といえばすでに大正の末期。その一部欧州地域でのダルムスタットを輸出も念頭に15年余りで発売に漕ぎつけたものの、輸出先に見込んだ欧州はすでに戦乱の地となり、そもそもダルムスタットに縁がないアメリカに大量輸出が成り立つわけもなく、結局は太平洋戦争開戦で不要不急の新製品扱いで発売中止。そんな余裕があったら軍需産業や教育現場で定着したNo.64やNo.80、両面尺ではNo.153を増産するということだったのでしょう。
 そんなNo.130は10年のお蔵入り期間を経て昭和26年頃にめでたく再発売されるのですが、すでに流行期の過ぎたダルムスタット片面計算尺に需要がそれほどあるわけでもなく、輸出自体もどれほどの引き合いがあったのかもわかりません。その後も牛の涎のようにずるずると発売が続くのですが、側面三角関数尺があるために専用のカーソルが必要なため、昭和40年代も半ばを過ぎて三角関数尺を表面に持ってきて、物差し型目盛として近代化したNo.130Wにモデルチェンジします。小ロットながらも欧州向けの輸出があったのでしょうか?そのNo.130Wとほとんど同じ尺度のものがRicohによってNo.121というモデルで新たに発売されるのですから驚いてしまいますが。このNo.130WもNo.121も国内では本当に見つかりません。大半が輸出として外国に出回ってしまったのでしょう。16年ぶりくらいに愛知県の知立市から入手したNo.130はケース欠品ながらとてもきれいな個体で、デートコードは「OH」ですから昭和39年8月製で本来ならラージロゴの緑箱入りです。ヘンミ計算尺としては一番油が乗っていた時代の製品だけに工作・仕上げともに非の打ち所がありません。同時代のNo.2664Sと比べると目盛原版が消耗していないためなのか目盛の彫りもすっきりくっきり濃いように感じます。その後、マイナーチェンジで形式名メーカー名とSYSTEM DARMSTADTの文字が表面に移動したものが発売になります。

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June 04, 2021

住友電工イゲタロイ切削速度計算尺

 住友電気工業(現在は分社化した住友ハードメタルの扱い)が戦後70年以上に渡って製造してきた「ダイアモンドの次に硬い合金」とうたわれるイゲタロイを使用した切削用バイトに対する切削速度計算尺です。イゲタロイとはおなじみ住友マークの井桁とアロイとの造語らしいのですが、あの住友マークは北海道人からすると住友の炭鉱ヘルメットマークを連想してしまう世代はもう50代以上?(笑) まあ、住友赤平炭鉱は平成に入ってもまだ稼働していたわけですが。ちなみにこの住友ハードメタルの北海道における営業拠点は唯一うちの街にあるようです。というのもうちの街の周辺部にトヨタ関連の自動車部品メーカーが集中しているためで、これが札幌あたりに営業拠点を構えているといくら高速が繋がっているとはいえ、時間的に細かい対応ができないということなのでしょうね。電話かけて30分以内に納品してくれないと部品製造業は大きな損失になりますので。
 そのイゲタロイ切削速度計算尺ですが、その作りは滑尺が移動するだけのスライドチャート的なもので尺度は[被切材外形(mm)、回転数(r.p.m)、]切削速度(m/min)。一番下は被削材外形を測るための10cmスケールです。裏面は各種被削材に対するバイトの適合表と切削馬力の計算式が印刷されているという状態。この切削速度計算尺はいつ頃に作られたということが判然としないのですが、新しいものではなさそうで、概ね昭和50年代前半くらいのものでしょうか?こういう切削速度計算尺は汎用品を計算尺メーカーが作っても概算値を表すものしか作れないため、切削バイトを製造販売しているメーカーごとに正確な切削時間を計算する専用計算尺を作ったわけです。どのメーカーの切削速度計算尺も計算尺自体の製造メーカーの手がかりがまったくありません。おそらくは工具のオマケ的な扱いで安く大量に必要だったのでしょうからHEMMIのような計算尺専業の会社ではなく、定規あたりを作っているメーカーの手によるものなのでしょう。入手先は神奈川の相模原市南区からでした。

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May 10, 2021

Kenko 7x18mmミクロンタイプ双眼鏡(東亜光学)

 Dscf4229 ミクロン型双眼鏡の元祖は戦前日本光学の6x15mmですが、この双眼鏡はオペラグラスほどの大きさながら視野角や倍率などもオペラグラスの比ではなく、戦前戦後を通じて貴重な外貨獲得手段となりました。しかし、戦後は7x50mm7.1°のノバー型同様に日本光学の設計を元に色々な会社が製造に参画し、板橋双眼鏡生産の拡大に貢献するとともに、本来はポケットに入るほどの小型双眼鏡であることからミクロン型だったはずなのに口径や倍率なども年々拡大して後には口径50mmで18倍というような大型のものまで登場するようになりました。
 しかし、このミクロン型の双眼鏡も円の変動相場制後の円高とオイルショックにおける材料費高騰による板橋輸出双眼鏡の業者淘汰により衰退し、昭和の末期にミクロン型専業の栃原オプチカル製作所の製造撤退とともに日本での製造は途絶えました。だた、今世紀に入ってからニコンが6x15mmのミクロンタイプを限定生産したことがありましたが、そのころはカメラのS3やSPの再生産で大いに話題をさらったニコンも2021年に国内でのカメラ生産を終了させるとのこと。そりゃ今や半導体露光装置のほうが売上が大きいでしょうし。
 久々に入手したkenkoのミクロンタイプ7x18mmですが、これは以前入手した東亜光学Cometの7x18mmと同倍率です。ただ、以前のものが昭和30年代製造と推定されるミクロンタイプの双眼鏡で、鏡筒なども真鍮を削り出したものにメッキを掛けてある作りで、かなりのコストが掛かっていることが伺われました。さすがは1ドル360円時代の双眼鏡で、コストダウンの気配は微塵もありません。それに比べて今回のKenko7x18mmミクロンタイプは鏡胴が軽合金の引き抜きにメッキを掛けたもので、プリスムのカバーなどの軽合金プレスにメッキを掛けたもの。全体的にコストダウンが明らかでそのため妙に軽く、東亜光学Comet7x18mmが重量250gもあるのに対してこちらの方は190gしかありません。まあ、見え方自体は差がさるわけではないのですが、30年代生産ものがある意味見事に手間が掛けられているのにそれを知ってしまうとこちらの方は少々情けなく思えてくるのです。ビクセンの斎藤氏の言葉を借りれば「ミクロン型生産継続のための涙ぐましい努力」なのだそうですが、「金属の軍艦部だとばかり思っていたカメラが実はプラスチックにメッキを掛けていた軍艦部だった」並のがっかり度は否定できません。フォーカシングは対物レンズ側を動かして焦点調整するニコンタイプで、本体に製造メーカーを表す刻印も見当たらなかったため、栃原オプチカルのOEM製造でKenkoの名前が付けられたものだとばかり思っていたのですが、今回再度虱潰しに観察すると、鏡筒根本の黒い部分JAPAN刻印の上にうっすらと「J-B001」のメーカー刻印があり、なんと栃原のOEMではなく前回と同じ東亜光学のものであることはわかりました。東亜光学でもかなり後までミクロン型の製造が続いていたことがわかりました。現在の東亜光学は双眼鏡からは撤退して久しく、医療光学機器関連部品の製造にシフトしているようです。


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May 08, 2021

中一コース・中一時代付録の計算尺(紙製5インチ)

 旺文社の中一時代新年号と学研の中一コース新年号付録の計算尺です。中1コースのものは昭和37年新年号のもので、中一時代は昭和40年新年号もの。尺度記号の書体に若干差があるものの(学研のほうはCIがC1の誤植になっている)実質的には同一の紙製逆尺付き5インチマンハイムタイプの計算尺です。こういう紙製の付録は後世に残るものではなく、本物の計算尺を購入した時点で打ち捨てられてしまうため、内容的にはチープな計算尺ですがかなりのレア物です。ちなみに昭和40年代に入ってからのこれらの付録計算尺は同じく紙製ながら√10切断のずらし尺をそなえ、HEMMIの名前が入ったものもあります。この逆尺付きマンハイムタイプは昭和40年代初期までのものなのでしょう。別途中一時代昭和43年2月号に付録として入っていた「計算尺使い方ハンドブック」という説明書があり、こちらはすでにずらし尺の操作の説明になっています。
 ところで、当方の世代でも年間購読特典の万年筆目当てに中一コースか中一時代を書店に予約するというのは当たり前の時代で、当時は出入りの書店の配達員がボテ箱乗せた自転車で届けに来てくれてました。そして月末に他の雑誌などと一緒にまとめて集金に来てくれるというシステムだったのです。小学校のときには6年の科学と学習(これは書店扱いではなかった)の両方を購読していたのですが、中学に入ってからは旺文社の中一時代のほうを年間購読し、予約特典の「帝金の万年筆」をもらいました。学研の中一コースの万年筆はどこのメーカーのものだったのかは記憶にありません。この年間予約特典は時代とともにラジオになったりカメラだったりデジタル時計などというものもあったようですが。しかし当方の世代には(昭和47年入学)すでに新年号にも計算尺の付録はありませんでしたし、小学校5年6年と2年間は学研の科学も学習も両方購読していた当方の記憶では前年昭和46年度の6年の学習にも計算尺はありませんでした。ちょうど当方の世代が学習雑誌からも計算尺が消えた境目の学年なのかもしれません。
そういえば我々が中学に上がる当時はこの手の学習雑誌や参考書のコマーシャルなどというのはテレビのチャンネルを捻れば(ここだけでも世代がわかりますが…)いつでも頻繁にあったものですが、少子化の進行により平成に入った頃に中学生以上の学年別学習雑誌は次々に廃刊になったようで、学習参考書専門の出版社も今は殆ど残っていない状態です。TVコマーシャルといえば、今や家庭教師派遣のトライや進学塾のCMばかり(笑)
 参考までに√10ずらし尺に変わった中1時代計算尺取説画像も貼っておきます。

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May 02, 2021

TAIYO 油圧/空気圧計算尺

Photo_20210502132801  油圧、空気圧シリンダーの中堅メーカーだった太陽鉄工の油圧・空気圧計算尺です。大阪で昭和8年創業の太陽鉄工はバブル崩壊時の金融引締の煽りを食って債務超過に陥り、一度会社更生法の適用を申請し倒産。86億円の債務を38%に圧縮して15年で債務を返済する再建計画を立てたものの、なんと4年半で債務を返済して会社更生手続きを終了し、その後東証2部に上場するという会社更生のお手本のような回復ぶりをした企業だったのですが、そこに目をつけた外資のパーカーハネフィンと当初は業務提携を締結し、後にTOBで株式を取得され、現在は米国パーカーハネフィンの完全子会社になっています。その親会社は古くから航空機の部品を製造しており油圧アクチュエーターなどをロッキードやボーイングに供給しているというお話。その太陽鉄工がおそらく昭和50年代くらいにリリースしたのがこの油圧・空気圧計算尺です。2つ折りのケースの中に説明書と本体が収められているというなかなかの優れものですが、本体はカードタイプのスライドチャートにカーソルが付いたという簡易的なものです。計算尺としては少々頼りない感があり、ケースから出た裸の状態ではおそらく惜しげもなく捨てられてしまって残存しないことで、逆に希少性があるようで、15年ほどでオークション上に上がったのがおそらくは5本以下。大抵は何本かのセットの中にあるような出品のされかたをしていますが、何年か前に単独で出品されたとき、確か25k円くらいの落札金額がついたことがありました。計算できる項目は説明書によると油圧関連が1.ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5.シリンダー容積の算出 6. シリンダー作動に対する必要油量(ポンプ吐出量)の算出 7. シリンダー速度の算出 8. 電動機出力の算出 9. 配管内径の算出 10. 管内径における流量の算出 11. アキュムレータの容量計算 とあり、空気圧関連が 1. ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5. シリンダー容量の算出 6. 消費空気量の算出 7. コンプレッサ出力の算出とあります。同様の計算尺は油圧関係としてHEMMIで製作された不二越の油圧計算尺があり、けっこう数も多く出回っているのですが、太陽鉄工は油圧と空気圧のシリンダー双方とも製造している関係で双方の項目を一本に納めなければいけないため、このような計算尺になってしまったのでしょう。通常の計算尺と違い基線長何インチの計算尺と分類できませんがおおむね5インチ計算尺相当で、全長19cm、幅6.6cmの幅広計算尺です。製造はHEMMIでないことは確かなのですが正確な製造元は不明。売価2000円とありました。入手先は兵庫県の明石市からです。

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April 24, 2021

HEMMI 機械試験所式工具寿命計算尺

 HEMMIの機械試験場式という形式名がなくタイトルだけが付いた5インチ両面計算尺です。これ、ATOMさんのコレクションか何だかPaul Rossさんのところに掲載されているくらいしか知られていない大変珍しい計算尺だったのですが、3年ほど前にまとめて何十本もの未開封品が出てきて一気に普遍化しました。ただ、その時に出てきた計算尺は倒産して民事再生法手続きを受けた本間金属工業という新幹線の車輪削正機械などを一手に手掛けていた機械メーカーのノベルティーで、何らかの財産整理で市場に出てきたものだと思いますが、今回入手したものは無印の市販計算尺です。機械工具の切削バイトなどの工具寿命に特化した計算尺に類するものだと思われます。機械試験所というのは当時の通産省工業技術院傘下の産業機械技術の試験研究に携わる国の機関で、メイドインジャパンの工作機械が欧米の工作機械の水準に並ぶことが出来ず、そこから生まれる製品が安かろう悪かろうの時代からメイドインジャパンが耐久性信頼性の代名詞になることをけん引していった組織です。昭和46年に通産省工業技術院機械試験所から機械技術研究所に名称変更し、昭和55年には東京の杉並区井草からつくば学園都市に移転。そして現在は独立行政法人の産業技術総合研究所の一組織になっています。40年ほど前に当時学芸大学駅近辺に住んでいた知り合いの父親が機械技術研究所の技官で、確かつくば移転直後くらいに定年で退官したはずですが、けっこう海外への出張などが多かった人でした。専門分野が何だったかは聞いていませんが「パリの町は小汚くて、まず店のシャッターを開ける前に大量の犬の糞を掃除する」などというフランス出張のときの話だけを妙に覚えています。まさかこの計算尺の設計に係わっていたわけではないでしょうけど、そんな機械試験所との関りが少しだけあるということです(笑)
 少し以前に三菱金属の切削計算尺について書いたときに本気でHEMMIが切削計算尺を作ったことがなさそうだというのは誤りで、自社設計ではないもののこういう計算尺を作っていた事実は特筆ものでしょう。しかもNo.149Aと同じ形のポケット型両面計算尺という付加価値もあり、これが昭和45年以降の新規製造ならば、おそらく山梨に丸投げされてコストの安いNo.P35Sのようなプラスチック製両面計算尺になってしまったはずです。説明書によるとこの計算尺の目的はやはり「生産工場に置いて所定の材料に旋盤加工を施すに際し、どの程度の切削条件を選ぶべきかの目安をうるためのものである。本計算尺の基をなす方程式は長期に渡り機械試験場において実施してきた切削作業超順の設定に関する研究で得られた結果を最大公約数的に丸めたものである。したがって総ての場合に厳密に適合するものではなく、あくまでも第一近似的目安を与えるものであり、その値を出発点とし、生産途上でこれを理想的に近づけることをたてまえとする。そのためになるべく簡単化して使いやすいように心がけた」とあり、より正確な切削速度などを得るためにはやはり各工具メーカーで出している専用切削計算尺のほうがより有効なのでしょう。本計算尺の適応範囲というものが記されていてそれによると1.作業の種類:旋削加工 2.工具の種類:超硬合金 3.切削材の種類:鋼系(オーステナイト系ステンレス及び耐熱鋼を除く)及び鋳鉄系とあります。
尺度は表面がT,N,K2/V,[K2/DΦ,CI,C,]D,A,Lの9尺このうちN:主軸回転数(rpm) V:切削速度(周速)(m/min) DΦ:工作物の直径(mm) T:工具寿命(min) K1:毎分あたりの直接人件費+経費(作業員及び補助作業員の人件費+設備保全費+動力費+償却費+保険費等)(\/min) K2:工具一刃当りの工具費(工具価格/廃却まで使用できる総切刃数〈または廃却までの総研削回数〉+1切刃あたりの工具ホルダー償却費+1切刃当りの再研削費+1切刃当りの工具交換費)、ここに工具交換費は(毎分当りの直接人件費+経費)×工具交換時間(min)であるとあり、工業簿記の素養があって原価計算などの業務に精通している人ではないとなんのことだかさっぱりわからないかもしれません。
 裏面尺度は赤字でδB2(鋼),青字でδB1(鋼),HB(鋳鉄),[fH,fδ2,TH.Tδ2,]VH,Vδの計8尺です。このうちfδ2(赤字),fδ1(青字):一回転当りの送りで、鋼計の場合のみに用い、それぞれδB2(赤字…送り0.2mm/rev以上の場合)尺とδB1(青字…送り0.2mm/revより小さい場合)尺を使用した場合に対応する(mm/rev)、TH:工具寿命で、鋳鉄系の場合にのみ用いる(min),Tδ2(赤字),Tδ1(青字):工具寿命で、鋼系の場合のみに用い、それぞれfδ2(赤字)尺とfδ1(青字)尺を使用したときに対応する(min)、VH:鋳鉄系の切削速度(m/min),Vδ:鋼系の切削速度(m/nin) だそうですとしか言いようがありません。
 実際にこの機械試験所式工具寿命計算尺が届いて驚いたのは、なんとNo.149Aなどと違って、本体がプラスチック製だったことです。もちろんのこと固定尺をつなぐブリッジは金属製ですし、カーソルもNo,149Aと変わらないのですが、こういう少数生産の特殊尺は当時から山梨丸投げOEM生産だったのでしょうか?入手先は千葉県内でデートコードは「RI」ですから昭和42年の9月の製造ということになります。残念ながら革のサックケースが欠品でした。

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April 12, 2021

RICOH No.550S 5インチ両面型一般技術用

Ricoh550s_20210412103901  Relay/RICOHのポケット型両面計算尺の製造はHEMMIよりもかなり時代が遡った昭和20年代後半のリレー産業時代ダブルスターリレーNo.550までさかのぼります。当時の日本では片面尺の5インチ両面計算尺というものがなく、当時のことゆえに10インチの両面計算尺さえ個人ではなかなか手を出すことができないほど高価で、さらにサブユースの5インチ両面計算尺まで携帯用に購入するという需要がまだまだなかったのでしょう。この☆Relay☆のNo.550もアメリカのバイヤーからのアイデアで製造が始まったものだと理解してます。
 そのNo.550ですが、のちの5インチ両面尺のスタンダードとなった等長型の、いわゆるFaber-Castelスタイルではなく、10インチの両面尺をそのままのスタイルで縮小したK&Eスタイルのものです。K&Eスタイルの計算尺は5インチ化してもけっこう大ぶりになるのは否めなく、のちのNo.551ではちゃんと固定尺滑尺が等長化したFaber-Castelスタイルになりましたし、他のプラ製ポケット型両面計算尺もほとんど等長型が主流でしたから、国内では珍しい存在のポケット型両面計算尺になります。
 No.551の前身のNo.550はダブルスターリレー時代の昭和20年代末期にすでに輸出が始まっていますが、意外にOEMで相手先のブランドになっているものが少ないようで、当方の知る限りではENGINEER'SのNo.5500あたりくらいしか見つけられません。そのうちHEMMIからフルログログデュープレックスのNo.149が昭和34年ごろに出てきたことから陳腐化し、No.550Sにモデルチェンジするとともにフルログログ化したNo.551につながるわけですが、このRelayNo.551はNo.550と異なりかなりの相手先名ブランドが多いことで知られています。
 というのも5インチ両面尺としてはNo.550が17.6cmあるのに対しHEMMIのNo.149は固定尺滑尺同長のNo.17cmに納まっています。この0.6cmというのがポケット尺においては意外に取り回しに影響し、必然的にケースも大きくなってしまうことと、アメリカあたりでは10インチの両面尺を革のケースに入れてベルトからぶら下げるなんて使い方も厭われなかったためか、中途半端なポケット型両面計算尺などあまり相手にされなかったというのがOEM製品が少なかった原因でしょうか。
 そのNo.550SはNo.550にCIF尺とDI尺が加えられたものでSはHEMMIでいうところのSPECIALのような意味合いでしょうか。尺度は表面がDF,[CF,CIF,CI,C,]D,L,で裏面がK,A,[B,S,T,C,]D,DI,と普通に使うのに必要なものはすべて含まれているのですが、No.149AやNo.551と比べてしまうとちょっと見劣りがしてしまいます(笑)
 またこのNo.550Sのカーソルランナーはネジが結合するスリーブとの肉厚が非常に薄く、この個体はヒビが入っていてそれが原因でカーソルを押し出し、ネジが一本抜けて欠品でした。デートコードは「SS-8」なので昭和45年8月佐賀製。Relay/RICOHの5インチ両面計算尺はNo.551が主流になったあとも、どういう需要があったのかよくもまあここまで長く作り続けられたものですが。

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April 10, 2021

鋼板重量計算器 (コンサイス製)

Photo_20210410100101  板金加工のシヤリングというとストーブ煙突の曲がりのようなギザギザを施して鉄板を曲げる加工のイメージがあったのですが、実際は鋼板などをシヤリングマシンという機械で鉄板に刃物を押し当てたり、ガスやレーザーで切断加工する鉄板切断の方法だということを今回始めて知りました。その扱う鋼板は鉄骨などに使うような分厚いものから屋根に使うような薄いトタンのようなものまでいろいろあり、その中で主に3mm以上の鋼板を切断加工する工場の団体である「全国シヤリング組合」というところが規格の鋼板の長さ厚さおよびそれに対する重量を計算するためにコンサイスに特注した重量計算器が今回入手した鋼板重量計算器になります。これと似たものは相当以前に入手した同じくコンサイスのロール鋼板重量計算器がありました。この「全国シヤリング組合」というのは厚板鋼板を切断することを生業とする業者151社が集まって昭和37年3月に結成した任意団体で、オイルショック後の不況期の昭和51年8月に全過半の311社を集めた「全国厚板シヤリング工業組合」という中小企業団体の組織に関する法律に基づく法人に改組されています。そのため、この「全国シヤリング組合」の名前で特注されたこの鋼板重量計算器は昭和37年から昭和51年までの間に作られて加入会員に有償頒布でもしたものなのでしょう。
 Photo_20210410100002 ビニール未開封の未使用品でしたが、説明書は自前で作られたなんと謄写版印刷のわら半紙を畳んだもの(笑)和文タイプ打ちしたタイプ用謄写版原紙を使用したがり版印刷らしく、そうなると昭和45年以前の代物。これが昭和45年を過ぎると原稿をドラムに巻きつけ、一線一線スキャンして原紙を作る謄写ファクスを使用する謄写版印刷が主流になります。この謄写版というのは堀井謄写堂とか萬古という会社がシェアを握っており、当方が小学生のころは学級新聞など小学生自身でガリ版の原紙をヤスリに当てて鉄筆で切るという作業もあったのですが、当方字下手のため、一度も鉄筆を握らせてもらえなかったのでガリ版切りは未経験です(笑)以前、計算尺や製図器をまとめで落札した中に萬古の未使用鉄筆セットが入っていましたので、鉄筆だけは手元にありますが。
 内容的には鋼板の厚さと幅を合わせ、次に長さを読むと一枚あたりの重量が出てくるので、カーソルを一枚あたりの重量に合わせ更に任意の枚数をそのカーソル線に合わせるとその総重量が矢印上に出るという至極簡単な仕組みです。

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April 01, 2021

HEMMI No.254WN 10インチ両面高校生用計算尺

 HEMMIの高校生用計算尺No.254WNはN(ニュー)が示すとおりNo.254Wをフルログログ化させたモデルチェンジ版です。内容的にはほぼNo.259Dに等しく、高校生専用No.259Dとでもいう存在です。ただ発売が新しいだけあり、No.260同様に尺の右側に計算式を刻んでいるのはRICOHのNo.1053を意識してのことでしょうか。どうもこのNo.254WからNo.254WNへのモデルチェンジは代理店の内田洋行からの要求が大きかったことが伺われ、というのもNo.254Wをリリースした直後にRICOHからはNo.1053が発売されて、高校とのつながりの強さから内田洋行扱いのNo.254WはNo.1053に対して販売数では比べられないほどのシェアを得たものの、フルログログ化したモデルチェンジ版をずっと目論んできたのでしょう。実はうちの計算尺資料ではこのNo.254WNが長らく欠品していました。というのも内容的にはNo.259Dに等しく、No.259やNo.259Dはなぜかたくさん所持していて、いくらカテゴリーが違うとはいえ出品数がさほど少なくないNo.254WNには食指が動きにくかったのと、その気になればいつでも入手できそうだという希少感のなさも影響しているかもしれません。同じようなパターンが5インチ両面尺のNo.149Aにも言えたのですが、こちらは3年前に年代別未開封品をまとめて3個頂いてクリアになりました。とはいえ同じNo.254WNでもKENTとのダブルネームものと別製No.254WN-Sは別格で、チャンスを逃すと次回いつ出てくるかということも予想できません。今回は運良くこのKENTダブルネームのNo.254WNを入手しました。デートコードは「WA」ですから昭和47年1月に仕込まれたベースボディのもので、残念ながらケースは滅却したので以前処分してしまったのと事ですが、年代的には青蓋のポリエチレンケース入りのNo.254WNだったのでしょうか。これ、高校入学時に買わされたものだったそうですが、すぐに関数電卓を使用するようになり、あまり使わなかったとのことです。そうすると昭和47年4月入学ではなく2年ほどあとに高校入学されたかたかもしれませんが、そこまで込み入ったことはお聞きしていません。
 見かけも内容もRICOHのNo.1053によく似ていていますが、RICOHのNo.1053のほうが5年位早くリリースされています。No.1053同様に右側に逆数の計算式が刻まれているのが特徴で、世代の新しい両面計算尺らしくなっています。
 尺度は表面LL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1の12尺、裏面がLL/0,K,A,[B,TI2,TI1,SI,C,]D,DI,L,LL0と12尺の内容は裏面のレイアウトは若干異なるものの内容はNo.259Dに同じです。ただレイアウト的にはこちらのほうが新しいだけあって使い勝手はこちらのほうが上だと思います。それでKENTとHEMMIのダブルネームの件ですが、これは唯一No.2664S-SとこのNo.254WNにだけ存在し(実はNo.254WN-Sにもあるらしい)なぜこの2種類だけに存在するかの理由ですが、当方の見解ではどうも理振法がらみで対象商品として登録されたのがこのNo,254WNとNo.2664SーSだったことからそれを区別するためにKENTの名前も入れて自社商品として扱われたからだろういうものです。特にNo.2664S-SのKENTネームのものは裏側に「48116」と刻まれているナンバーは昭和48年度の理振法準拠品カタログナンバーの116番目の商品だという意味合いだと思うのですが、このNo.2454WNのKENTネームのものには余計な刻印を増やす隙間がなく、このようなナンバーは刻まれていません。
 ただ、学校備品としての特納というわけではなく、新入生が教科書を購入すると同時に個人持ちの計算尺として購入出来たようですが。ただそういう絡み以外に普通に文房具店でKENTネーム入りの計算尺が購入出来たわけではなさそうです。このNO.254WNはNo.254Wに代わり特に工業高校用のスタンダードな両面計算尺として昭和50年以降も寿命を長らえますが、昭和53年ごろに工業高校も関数電卓にシフトしたのちも主に計算尺原理主義の保守的な先生により特納品扱いで納品されていたようです。その終焉は昭和56年ごろという話を聞いてますし、確かに昭和54年の新学期に地元工業高校の教科書を扱っていた薬局にアルバイトで駆り出された同期が関数電卓と計算尺の両方扱っていたという話も聞いてます。当時すでに機械科とか電気科の担当教師の裁量で計算尺にするか関数電卓にするかの2択だったのでしょうか。その最末期のNo.254WNはついにグリーンCIF化したという話ですが、現物はまだ目にしたことがありません。
 鹿児島からはるばるやって来たNo.254WN(デートコードWA)はおまけにサンスケ(三角スケール)が一本付いていたのですが。、その縮尺が1/100とか1/200とかおおよそ機械の設計で使う縮尺ではなかったので、おそらくは工業高校土木科あたりで使用されたものでしょう。

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March 19, 2021

地元防災無線がアナログからデジタルLPWA化

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 うちの街は東西に非常に長く(約40km)市の東西に渡りすべて海岸線に面しており、津波のリスク範囲が広範囲に渡ることと、樽前山という活火山に接していて、火山活動に伴う火砕流などのリスクも有り、地形的にすべての範囲で広報車等による避難連絡をくまなく伝えることが無理で、火山災害リスクの大きい市の西部を中心に音声で避難等の情報を伝える防災スピーカーを25基整備して市役所からの防災無線電波を受信して音声で拡声するというシステムを備えていました。しかし、北海道の気密性の高い家屋では外の音が十分聞こえないということもあり、東日本震災を期に家の中でも防災無線をキャッチして音声を復調する戸別受信機の整備を始めたのが平成25年度のこと。
 市では市民生活部危機管理室が平成25年に防災行政無線の戸別受信機を3期に渡り、まずはハザードマップによる津波浸水被害予想地域や火山災害予想地域の要支援者のいる家庭や公共施設などから配布を始め、その他の地域住民は希望者に個人負担金1,000円で防災行政ラジオを配布しました。この防災行政ラジオはリズム時計の9ZQA07、通称「おにぎり君」という特徴的な防災行政ラジオで受信周波数は69.5MHzのF3E波。いわゆるアナログのFM音声波の受信機だったわけですが、オートスケルチ内臓で、電波が入らないときは音が出ず、またFMやAMのラジオ受信中に防災行政無線の電波を感知すると自動的にこちらの回路が優先されるという仕組みです。市役所に近い地域では市役所屋上の電波塔からの直接波が、また市内の西部を中心に25基の防災無線拡声器が設けられいて、そこの中継機からも防災行政無線が中継されるというシステムだったようです。また、普段は外部電源をつけっぱなしにしておいて、停電すれば内部の乾電池に電源が切り替わるというものでしたが、実際にこの防災行政ラジオからの緊急地震速報で手近のヘルメットをかぶって落下物に注意したのは2回ほど。普段寝るときはNHKラジオがつけっぱなしなので、こちらのほうが先に緊急地震速報の警報音を鳴らすほうがタイミング的に早いようです。さらに胆振東部地震のときは防災行政無線から緊急地震速報が鳴ったときにはすでに大揺れしてましたし、先にNHKラジオの警報音で飛び起きていたあとでした。北朝鮮のミサイルが頭の上を飛んだときのJアラートは空襲警報を連想させてもう二度と聞きたくもないのですが。
Dvc00935  そんなアナログ防災行政無線の戸別受信機も国の政策で令和4年までに全国で完全デジタル化移行するべく国が特別交付金を付けたため、うちの街でも総事業費約15億円の予算を付けて防災無線のデジタル化を推進し、今年度末までにアナログ防災行政無線をデジタルに切り替える事業が進んでいます。そのため、従来配布されてきたアナログの戸別受信機は3/14日で使用不可になるのですが、今では緊急エリアメールが発信されるため、個別の受信機のニーズは従来よりも低くなったものの情報弱者を切り捨てるわけにも行かず、要支援者や福祉施設、学校や公共の施設に対しては戸別受信機10,000台無償配布、その他の希望する世帯は1世帯1台に限り3,000円で有償貸与するということです。
 防災無線のデジタル化は東日本震災で津波被害を受けた地方自治体を中心に60MHz帯アナログをデジタル260MHzに移行した音声通信の形式で、地域くまなく建てられた防災放送スピーカーならびにそこから再送信されるデジタル波を屋内で受信できる戸別受信機がすでにかなりの自治体で整備されています。ただ、津波被害のリスクが少ない内陸部などの自治体は防災放送スピーカーまでは完全デジタル化は達成しても、コストの高いデジタル戸別受信機をくまなく配布できる自治体はまだまだ限られているようです。
 当自治体が採用したデジタル防災行政無線のシステムはLPWA(低出力広域通信)という最新の技術を使用しており、NTTドコモの閉域ネットワークと携帯電波網及び準天頂衛星みちびきとのダウンLINKを使用し、市内に130基新たに設けられたパンザマストにドコモの携帯波と衛星の電波受信装置と拡声スピーカー及びLPWA電波送出装置を設けるものです。このLPWAは無線LAN等と同様に無線局免許状や無線主任技術者の専任がいらないようで、従来のアナログF3Eなどと異なり、文字情報のみを送信して端末側でそれを合成音声で復調するシステムとのこと。従来の屋外スピーカー設置塔もこのシステムに改修して再使用するでしょうから合計150基あまりのLPWA送出設備で東西に長い市全域をカバーできるのかどうかは試験電波を出さないとわからないことも多いのでしょうが、電界強度が低くてLINKできない地域では窓に貼るような形の外部アンテナを有償配布するとのこと。その使用周波数はどうも920MHz帯を使用しているようで、アナログの中継機の再送出出力が100mWだったのに対して10mWで周囲1kmを超えるカバレッジがあるという話なものの2.2GHzや5GHzの無線LANなど比べて伝送速度が圧倒的に遅く、今のところは文字情報送出くらいしか実用出来ません。電波の飛びは段違いだということはわかるものの、今後の920MHz帯の電波利用やLPWAの技術革新の可能性などに関しても完全に浦島太郎状態のアナログ電波技術者の当方にはよくわかりません(笑)
Dvc00934  この新たなデジタル防災無線戸別受信機(LPWA受信機)は平成30年から総務省主導で各メーカーが参加して基本的な3つの仕様が決められましたが、コストの高い安いに関わらず2波ラジオ内蔵、自動録音機能、聴覚障害者のための警報ランプ点滅、外部電源と電池の自動切り替えなどの機能が必須らしいです。そのためアナログの戸別受信機よりも調達価格がかなり上がり、調達数で値段がかなり変わるものの単価の平均は46,000円あまり。アナログ受信機の単価が29,000円ほどなのでかなりの価格アップということになります。うちの街では10,000台での調達単価が29,800円。アナログの調達価格が7,980円だったので市の負担も大きいのですが、どれくらいの割合で国の交付金が付いたものなのやら。そのLPWA送信装置付きの防災無線スピーカーパンザマストですが、基本市有地に建つわけですから小中学校のグラウンドの隅とか児童公園とかそういう場所に増設するのだと思ったら、なんとうちの家とアパート一軒及び道路を一本挟んだ公園内に知らない間に建ってました。昨年8月中頃から建設をし始めたらしいのですが、この公園には11月くらいに公園内のトイレの改修と同時期ぐらいに建設されたらしいのです。うちとの距離はおそらく30mくらいとローケーションは抜群ですから家のどこに戸別受信機を設置してもLINKされないということは考えられません。なにせこの距離だと我が家のWIFIの電波さえ到達するくらいの距離なのですから(笑) ただ、パンザマストの接合部分がまだ自己重量で十分締まっていないらしく、スピーカー設置部分の頂上が風でゆらゆら揺れているが気になりました。なお、LPWA再送信設備は低出力広域送信技術なので、その必要電力は文字通り極小のため、万が一停電で外部電力が供給不能になっても、内蔵電源で何日も送信し続ける事ができるというサバイバビリティーが高いことは言うまでもありません。ただドコモ側のサーバーが使用不可になったときは動作することはできませんが、万が一そんな災害が発生したら市から直接電波を発するシステムだってダウンはまぬがれません。東日本震災時に南三陸町の防災庁舎が津波で浸水し多くの犠牲者を出して機能を喪失しましたが、そういうことにならないようドコモの閉域ネットワークと携帯電波を使用したLPWAの再送出システムというのはサバイバビリティーに対してはかなり有効だと思われます。万が一市役所の親局システムがダウンしても消防庁や気象庁が発信する準天頂衛星みちびきを利用した緊急情報を衛星通信リンク各再送信装置が直接受信し、防災スピーカーで合成音声での放送を行うとともに緊急地震速報携帯のエリア速報メール同様にLPWA網で再送信が可能なのですから。しかし、あの放送冒頭のアナログ制御信号のキュラキュラ音が聞こえなくなるというのも時代の流れでしょうか。そして防災においても資格不要の無線ネットワークの普及というのはますます無線有資格者の肩身を狭めてきます。
 
アナログの防災無線が停波したのが予定通り15日。そして新しいLPWA個別受信機が送られてきたのが19日でした。やはり受信機はNTTデータのもので形式がCLT-100というものでした。市役所から送られて来るのかと思ったらNTTデータ北海道の名前で札幌郵便局扱いで送られてきたようです。一切の初期設定はユーザーがする必要もなくアンテナを接続して乾電池を入れ、外部電源をつなぐだけでLINKが成立し日付も時刻も自動的に修正されます。電波強度は携帯電話のように棒3本で表示され、なにせ隣の公園にLPWAの送出アンテナがあるので強度はバリ3なのは当然でした。ただ、ラジオのFMロッドアンテナが内蔵されていないため、ラジオ受信用のワイヤーアンテナが付属しているのですが、実際に地震で停電になったときはラジオだけが情報源ということもあったので、これから設備保守が大変なAM放送を廃止してFMだけにしようという時代にいざというときワイヤー伸ばしてFM放送を聞くという悠長なことができるかどうか。まあスマホがガラケーを駆逐して100%普及すればこのような戸別受信機も基本不要で、スマホですべて完結ということになるのでしょうけど。
 追記:戸別受信機を受け取った市内の各所からラジオがまったく聞こえないというクレームが市役所の危機管理室に寄せられているそうで。というのも実は当方も対策に関して電話したのですが、説明によるとデジタルとアナログ混在の回路の関係で弱電界の地域ではラジオが聞こえない(?)ので、現在メーカーとその対策を協議予定だが、LPWAのリンクの機能に関しては問題なく、とりあえずそのまま使用し続けてほしいとのことでした。そうなるとリズム時計のおにぎり君(9ZQA07)も新しい電池を入れてそばに置いておかないと、万が一胆振東部地震時のような長時間の停電に見舞われた時はラジオで被害の情報も把握できなくなります。
 また、このNTTデータCLT-100の通電開始後時間積雪量1cm程度の雪や雨がありましたが、再送信装置のパンザマストと数十メートルしか離れていないのにも関わらず、表示電界強度が3本から2本、1本しか立たない時間もあり、降雨降雪での920MHz電波の減衰というのはかなり問題になり、時間100mmくらいの豪雨になったときはほんのわずかな距離しかLINKが成立しないのではないかという懸念も伝えておきました。いちおうはそういうことも勘案してパンザマストの設置場所は検討されているということですが、LPWAは新しい技術だけにまだ実用的な問題がこれからもいろいろと露呈してくる可能性は大いにあります。
 再追記:最初の防災無線試験放送がありましたが、予定時間を過ぎてもなかなか戸別受信機が鳴り始めることがなく、しばらくしてから隣の公園に設置された防災スピーカからの放送が鳴りだしてから相当のタイムラグ(10秒ほど?)があったのちに戸別受信機からも音声が鳴り始めました。テキストベースのパケットを全受信したのちにそれをデコードし、音声に合成する現在のシステムではこれが限界なのでしょうか?準天頂衛星みちびきから中継されるJアラートなどの警報はまた違ってくるのでしょうが、正直携帯に発信されるエリアメールでの緊急速報のほうに伝達速度的には敵わないようです。翌日、正午の第2回目の試験放送。あいかわらすラジオの時報より時刻表示に数秒のタイムダグがありますが表示時刻が12:00になる直前に11:59の表示のまま試験放送の音声が発出されました。まあこれくらいのタイムラグだったら良しとしますが、前回試験放送時と何の変化が生じたのでしょうか?しかし、いまのところはこのLPWA戸別受信機はアナログ防災行政無線時代のように、戸別受信機の作動状態を確認するため毎日正午にメロディー(うちの街はエーデルワイス)が送出されません。音楽を鳴らすためにはテキストベースのMIDIファイルで音を鳴らす音源チップが必要なのですが、今のシステムではプリセットされた警報音は当然あるものの、そこまでのことは考えられてはいません。また戸別受信機の作動状態は「ON LINE」の表示のみで確認するのですが、急にエーデルワイスの曲が流れななくなったというのも何か寂しいものがあります。

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March 13, 2021

技研 No.2510 10インチ片面標準一般形

 山梨の技研計算尺製No.2510という10インチ片面計算尺です。このNo.2510という型番は昭和38年1月1日の技研計算尺価格表によると両面計算尺の型番となっていますので、昭和38年よりも前の型番ということになります。この旧型番の技研計算尺は他に一本あるのですが、残念ながら旧取説が無いので、昭和38年よりも前に技研ではどういう型番でどんな種類がリリースされていたのかということがわかりません。昭和38年1月1日付け以降の説明書なら色違いで3種類もあるのですが。
 その旧型番のNo.2510ですが、尺度が微妙に後の技研計算尺と異なり、どうやら旧型番のみの存在の技研計算尺のようです。その後の後継機種はNo.252という標準一般形のタイトルの10インチ片面計算尺のようですが、尺度が微妙に異なり、こちらはL尺が裏側に移動して下固定尺にDI尺が加わったRelayのNo.116とほぼ同じ内容の計算尺です。なぜNo.2510を廃してNo.252を新たにリリースしたのは言うまでもなくHEMMIのNo.2664S同様の操作性を得るためなのでしょう。そのため、廃版のNo.2510は滅多に見かけることがない計算尺です。もっとも技研の計算尺自体オリジナルブランドでリリースしていた期間が非常に短く、技研計算尺自体がレアな存在ですが。
 尺度は表面がK,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,A,Lで、裏面がS/Cos,T2,T1、逆尺は尺種と数字のみ赤入れされているというシンプルなデザインです。三角関数の尺度の末端部分の分割はちゃんと1°が6分割で刻まれていてRelayのNo.116同様にHEMMIの片面尺より細かく刻まれているという特徴を持ちます。この時代の技研計算尺の貼箱はHEMMI同様の緑一色で、のちの技研計算尺のような白っぽい緑の貼箱ではありません。これも昭和38年より前にリリースされた技研の旧型番計算尺の特徴でしょうか。この時代の技研計算尺の欠点として塩化ビニールの可塑剤の影響で目盛に入れた塗料がすっかり柔らかくなってしまい、ふき取ると目盛がほとんど見えないほど薄くなってしまうのです。そのため、なるべく触らずにそのままにしておくか、すっかりふき取ってパステルか何かで再度色入れする必要があります。入手先は千葉県ですが、この技研の計算尺は東日本から出てくるケースが多く、西日本、特に大阪以西から出てくるケースが少ないように感じます。西日本は当時、Relay/RICOH計算尺の地盤。その強固な商圏に販売力で劣る技研が食い込むことは難しかったのでしょうか。そのため、技研計算尺は「計算尺検定需要」をもくろんだラインナップを用意して、その需要を掘り起こそうとしたのですが…

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March 10, 2021

RICOH No.1053-I 高級(両面型)計算尺 逆尺付

 HEMMIの計算尺は戦時中に発売されたNo.2664の三角関数が逆尺として設計された以降は戦後、新たに発売されるずらし尺を備える計算尺は両面尺も片面尺も基本的には三角関数逆尺で発売されています。これは連続計算手順を含めたトータルの使い勝手を考えたヘンミ計算尺研究部長平野英明氏のアイデアで国内の特許を取得したといわれていますが、他社ではこれに追従した形跡は見当たりません。しかし、昭和30年代あたりから盛んになった計算尺競技大会などのスピードレースにおいては連続計算が一手増えるというアドバンスは大きく、その当時の計算尺競技の標準モデルHEMMIのNo.2664Sに対してRelayでは表面にDI尺を1尺増やして何とかNo.2664Sに対抗したNo.116を発売するに至るわけですが。そのRelayからRICOHにブランドが変わっても三角関数逆尺は採用されることはありませんでしたが昭和47年ごろになって「-I」という枝番が付いた三角関数逆尺の計算尺が発売されたということはあまり知られていません。学校教育用用途の品種に限られ、市販品があったかどうかはわかりませんが、今までは知られていたのはRICOH No.116-IとNo.1051S-I及びNo.1051SE-Iの3種類でしたが、今回初めてNo.1053-Iを発掘しました。
 発掘先は香川の高松で、この手の高校で使用されたRICOHの計算尺は大阪以西が圧倒的に多いのですが、西日本では内田洋行の勢力があまり及んでいなかったのでしょうか?もっとも大阪には戦前から営業する老舗の教材業者が何軒もありましたし大連から引き上げてきて大阪にも拠点があったものの、所詮本社が東京になった関東者の内田洋行の商売はなかなか関西には浸透しにくかったのかもしれません。このNo.1053-Iのデートコードは「SS-12」で昭和45年12月の佐賀製です。「-I」の逆尺付き計算尺が昭和45年には作られていたことがわかります。この時期のNo.1053は大型金属枠カーソル付きながらCIFはグリーンという過渡期の仕様で、ケースは前年頃に透明塩ビケースから青蓋ポリエチレンケースに変更になってあり、この個体も当然ながらブロー成形の青蓋ポリエチレンケースです。ぱっと見であまりNo.1053らしさが薄いなと思ったら、なんと各尺度の末端の計算式がすっぱり無くなっています。あるべきところに数式がないNo.1053というのは何か間が抜けて見えるのは当方だけでは無いと思いますが、数式削除の理由は判然としません。HEMMIのNo.254WNに先駆けての様式を同じ形式を名乗りながらなぜ削除してしまったのでしょうか?またNo.1053にまで三角関数逆尺のバリアントを用意したという理由はやはり高校の教師側からの要求に従ったのでしょうが、No.1051SE-Iなどが意外に普通な存在なのに対し、No.1053-Iは話に聞いたことがあったものの現物を見たのは初めてです。
奇しくも現在所持している4本のNo.1053中で3本までがデートコード「S」の昭和45年製です。その3本中すべてが青蓋のポリエチレンケース入りで金属枠カーソル付きですが、2月製造分のπ切断No.1053がノングリーンCIFなのに11月製造分及び12月製造分はグリーンCIF付という変更期の境目が昭和45年だったということがわかります。このグリーンCIF化はNo.116などと比べるとやや早く転換したことが伺えます。

 追記:この逆尺付きのNo.1053-Iは過去帳を参照してみたところ、当方の把握しているところではオクに出てきた数は16年余りで片手の指の数に満たないくらいの数量です。その中にNo.1053最初期フレームレスカーソル付きで丹頂クリーム色貼箱の昭和39年から40年にかけての製造品が一点ありました。そうなるとどうやら「-I」付のRICOH両面計算尺は昭和40年代も半ばを過ぎて現れたのではなく、当初から用意されていたということがわかります。もっともそこまで逆尺を要求する声はほとんどなかったということなのでしょうが、グリーンCIF化するまではカーソルやケースだけアップデートして古いデートコードのベースボディを出荷し続けていたのかもしれません。そんな例、無印のNo.1051にもありましたよね(笑)

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March 09, 2021

RICOH No.1053 高級(両面型)計算尺 最終型

 RICOHの10インチ両面計算尺のNo.1053は「高級(両面型)計算尺」という扱いですが、その実No.1051系統などと同様に高校生需要を狙って作られた計算尺です。No.1051がHEMMIでいうとNo.P253やNo.264相当になのに対してNo.1053はNo.254Wの対抗馬ながらフルログログデュープレックスで発売されており、HEMMIではNo.254WNになってやっとフルログログ化しています。No.254WNまで5年間のアドバンスがあったもののNo.254Wは内田洋行という強力な代理店があり、高校の先生の好みでいろいろな仕様の別製に応じられる柔軟な受注体制もあって、RICOHのNo.1053は数量的にはNo.254Wの敵ではありませんでした。
 また、No.1051系統は型番に枝番が付いたバリアントが各種存在するのにNo.1053は同一型番で√10切断とπ切断が存在するくらいのバリアントしか見かけません。ただ、世の中に出ている数がNo.254Wなどに比べて少ないだけにまだ知られていないバリアントがありそうで、No.1053が出てくるとついつい注目してしまうのですが。
 しかしRICOHでは高校の教育用としてNo.1053はある程度の推し商品だったようで、わざわざOHP(オーバーヘッドプロジェクタ:透過投影機)用の計算尺まで作っていたことからもうかがえます。
 そのNo.1053ですが製造初年がおそらく昭和39年。最終の製造がRICOH計算尺最終期の昭和50年ごろだと推測していたのですが、今回小型カーソル付きでグリーンCIF化した個体を持っていないことを思い出して入手したのが今回のNo.1053。なんとこれがおそらくは最終製造ロットの昭和50年製造のNo.1053でした。
デートコードが「XS-3L」ですから昭和50年3月の佐賀製。末尾のLはLast Issueの意味合いでしょう。おそらくは工業高校に入学したときに買わされたもののあまり使われずに放置されたものらしく、青蓋ポリエチレンケースは埃っぽかったものの中味は表面のざらつきがまだ残るほどの極上に近いものでした。
 後発である高校生用両面計算尺HEMMI No.254WNと比べると尺度はレイアウトなどに若干違いがあるものの内容的にはほぼ同じです。ただし、HEMMIの三角関数尺はほとんどの物が逆尺ですが、RICOHは特別なものを除いて順尺。また、HEMMIのNo.254WN発売後にNo.1053はいち早くグリーンCIF化したもののHEMMIのNo.254WNは工業高校への特納のみの扱いになった昭和50年代も半ば近くになって初めてグリーンCIF化したものが現れたという話だけは聞いていますが。またこのNo.1053のグリーンCIFは大型金属枠カーソルの物と小型プラメッキ枠カーソルの両方に存在し、その境目が昭和47年あたりではないかと推測しています。
 RICOHの高校生用計算尺のNo.1051が豊富なバリエーションを有するのにこちらNo.1053は型番の変わらない√10切断とπ切断があるのみだと長年思い込んでいましたが、最近枝番付きのものも見つけましたので、これは後日改めて取り上げます。

RICOH No.1053(XS-3L)

Ricoh1053
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RICOH No.1053(SS-11)
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RICOH No.1053 [π切断](SS-2)
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February 19, 2021

HEMMI No.P35S 5インチ携帯用(川崎製鉄ノベルティー)

 HEMMIのNo.P35Sという主に企業ものノベルティーとして広告入れを主目的に作られたプラスチック製の計算尺ですが、No.P35に比べると圧倒的に少数派で、なかなか見かけない5インチポケット計算尺の一つです。
P35とP35Sで何が違うかというとそもそも構造が全く異なり、8インチの学生尺でいうとNo.P23やP24とNo.P45Sの違いというのがわかりやすいでしょうか。ブリッジで上下の固定尺をつなぐ構造を廃してバックプレートを上下の固定尺にそのまま接着する構造に変わっています。
その出現時期もどうやらNo.P45Sに切り替わった昭和44年あたりからの変更ではないかと思うのですが、あまりにも個体数が少なく検証出来ていません。またこのNo.P35Sにはこのような滑尺が白いものとP45S同様に淡いブルーに着色されたものの2種類が存在しますが、まあこの計算尺自体が「広告宣伝用としてただで配られる」種類の物ゆえか、注目度は格段に低いのが残念ですが。
ただ、現物はまだお目に掛かっていませんが、通常はブランクで何も刻まれていない滑尺裏にLog尺が刻まれたダルムスタットバリアントがアメリカ向けに別製として存在しているようです。さしずめNo.P35S-SPECIALというところですが、特別な型番は刻まれていません。
 このベースボディは昭和40年代末から現在に至るまで企業からの特注品計算尺として使い続けられているようです。デートコードは「VK」なので昭和46年11月製。その後滑尺がブルーに着色したものが出て来たようですがこちらは未入手。おそらくは多くのプラ尺がそうであるように、山梨への丸投げOEM商品でしょう。これは日本鋼管と合併して現在JFEスチールとして社名が変わった旧川崎製鉄のノベルティーもののNo.P35Sで、裏に川崎製鉄の商標。合成皮革のサックケースにも川崎グループ共通のマークと川崎製鉄のプレススタンプが施されています。

Hemmip35s
Hemmip35p

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February 08, 2021

リコー計算尺の歩みとNo.116の系譜

RICOH/Relayの計算尺は昭和10年に後のリコーグループ創業者となる市村清氏が個人で東京のKAWAI 計算尺を製造していた河井精造の計算尺工場を買収し、大日本文具という会社を設立たのが始まりです。リコー創業者市村清は理研感光紙の一代理店経営者の身から理化学研究所の総帥大河内所長のたっての希望で理研の特許を製品化して理研の研究費に充当するための企業である理化学興業入りしたものの、理研生え抜きではなく、大した学歴もない佐賀の田舎者である市村の理研入社は古参の社員や幹部から相当反発をくらったらしく、市村は職務をボイコットして無為無策を決め込んだなどという話を聞いています。結局は大河内所長の英断により理化学興業の感光紙部門を独立させ、理研感光紙工業という新会社を設立して専務に収まったのが昭和11年2月のことで、このときがリコー三愛グループの創立とされているのですが、市村の個人会社である日本文具の設立がそれをさかのぼること半年あまり前であり、この会社が理研とはまったくかかわりがなく、リコー三愛グループの歴史から黙殺されているのはこのあたりの経緯にあるのかもしれません。
 理研感光紙工業はオリンピックカメラを買収して昭和13年に理研光学工業と名前が変わります。この理研光学工業が今に続く世界のリコーとなるわけです。話は河井式計算尺の工房を買収で設立された日本文具に戻りますが、当初この日本文具に移行した当初は河井式計算尺そのままのラインナップで「ストロング印計算尺」という商標で売られたらしく、昭和12年の玉屋商品目録に特徴的な河井式のカーソルが着いた姿でイラストが載せられています。しかし、いまだにストロング印の計算尺の現物は目にしたことが無く、河井式計算尺の工房買収は計算尺作りのノウハウを得ることが目的で、ストロング印の計算尺は河井式計算尺の仕掛品を捌くための臨時の商標で、仕掛品がなくなったと同時に消滅してしまったのかもしれません。
 昭和15年ころにIdeal-Relayの商標の計算尺が、市村の故郷佐賀で設立された東洋特専興業で製造され、発売されるまでストロング印の計算尺が製造し続けられていたとすると、現物が何種類か発掘されてもよさそうな気がします。また日本文具はシャープペンシルや万年筆の製造も行っており、佐賀に本格的な計算尺製造設備が稼動する以前は、売り上げの主体はそちらのほうだったようで、河井式計算尺の仕掛品が尽きてから佐賀で本格的にRelay計算尺の製造が始まるまで、日本文具では一時的に計算尺の製造は途絶えていたのかもしれません。
 その東洋特専興業の計算尺ですが、この会社は市村の個人会社であり、理研コンツェルンの基本理念である理研の特許により製造されたものを研究費に還元するということにはまったく寄与していないのにも関わらず、販売はれっきとした理研グループである理研光学の販売ルートを使用して販売したらしく、初期の計算尺は理研光学マークと理研の商標、のちには理研光学発売の刻印で売られるものが多くあります。この市村の公私混同とも思える姿勢は後になっても理研生え抜きの幹部とは軋轢を生んだようで、「市村は理研を私物化している」や「市村は原料仕入れ先から現金を受け取っている」などの文書が大河内理事長のもとに届くようなこともあったようです。そもそも佐賀の東洋特専興業の工場自体がれっきとした理研グループの飛行機特殊部品の佐賀工場に寄生していたようで。というのも佐賀に飛行機特殊部品の工場を建設したこと自体が佐賀出身の市村の意向が強く表れているわけですし、この点でも公私混同のそしりを受けてもしかたがありません。
 その市村清は大河内理事長と他の役員との間で昭和17年の新年会の席で意見の相違から対立し、理研グループ12社の社長・役員の席のすべての辞表を大河内理事長に提出します。しかし冷静になった大河内理事長は市村の才覚と今までの実績を惜しみ、理研グループの理研光学、旭無線、飛行機特殊部品の3社を市村に託して理研グループから独立させることで、市村は理研の意向に左右されることなく、また理研に研究費名目での利益を提供することなく独自に商売することが可能になったことで、結果的に戦後の理研系企業の財閥解体の影響を受けなかったことが終戦後いち早く商売を拡大できたのでしょう。

おそらく戦前Ideal-Relay No.100

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 その戦前のIdeal-Relay時代の計算尺ですが、両面計算尺は今のところ見当たらず、100系の10インチ片面計算尺、400系5インチ片面計算尺、500系4インチ、600系の6インチ片面計算尺がラインナップされています。そのうち100系の計算尺は戦前戦中にNo.100からNo.109まで発売されていたようですが、どれもヘンミ計算尺の亜流で取り立ててどうのこうの評価に値するものではないのですが、No.106の坑道通気計算尺とNo.109の航空計算尺が戦後に継承されなかった計算尺のようです。またNo.108はその存在自体、未だ確認していません。
戦後に東洋特専興業は日本計算尺に名称を変更したのち、旧飛行機特殊部品に併合されてリレー産業に改組されたのが昭和25年のことだそうです。日本計算尺という会社は昭和20年代から30年代にかけて東京の世田谷に同名の会社が存在し、独特の構造をした片面計算尺と、どういうことかHEMMIに自社のマーク(日本水産の旧社章と同一)を付けたOEMの両面計算尺を輸出していますが、この東洋特専興業母体の会社とはまったく別の会社です。リレー産業に改編された頃から☆Relay☆のダブルスターリレーの商標とともに本格的な対米輸出を開始。ほぼ輸出で外貨を稼ぐことに専念していたようで、ヘンミ計算尺が戦前から特定の代理店を総代理店としていたのに対してダブルスターリレーはありとあらゆる業者のOEM製造元として多数の相手先を持っていたことが特筆されます。またヘンミ計算尺が相手先の要求で設計したのはNo.258のバーサログだけでしょうが、ダブルスターリレーは相手先の要求で設計した独自のものが多く、それを基にして輸出用型番では先頭にDが付くものが両面用、Tが付くものは技術用、Bが付くものが事務用、Rが付くものが学生用などの区別があり、国内では戦前から継承された100番台の一部と戦後新系列の110番台が10インチ片面計算尺、150番台が10インチ両面計算尺、400番台が4インチ片面計算尺、500番台が5インチ片面計算尺、550番台が5インチ両面計算尺、80番台が8インチ学生用計算尺という命名の法則が出来上がった頃です。リレー産業は昭和33年に三愛計器に、昭和38年にリコー計器に社名が変更になっています。リコー計器に社名変更された時点で計算尺もRelayからRICOHに変更になりました。
 ただ、これは1957年ごろにダブルスターリレーブランドからリレーブランドに変化するとともにこの形式番号は数字のみに統合され、以後リコーブランドになるまで継承されています。
 ここでNo.116の話に入ることができるのですが、この116以前に☆Relay☆B-1006とRelay No.114というものがあり、こちらが直接のルーツとなります。そのB-1006とNo.114というのはHEMMIでいうとNo.2664に相当する√10切断ずらし系の初めての10インチ片面計算尺です。しかしNo.2664が戦時中のものより三角関数が逆数のインバースだったのにもかかわらず、こちらは三角関数は順尺という違いがあります。この三角関数の逆尺はヘンミ研究部部長の平野英明氏の考案と宮崎治助氏が記述していますが、先に米国でこの三角関数逆尺を採用する計算尺があったものの元の順尺に戻されて以後三角関数逆尺の採用がなかったとあり、どうやら輸出主体のリレー計算尺はπ切断ずらしのNo.112も同様に米国での習慣を覆して三角関数を逆尺にする理由がなかったということなのでしょう。そのNo.114にCIF尺を追加することになったのは昭和32年にHEMMIがNo.2664をモデルチェンジし、No.2664Sを発売したことによるのでしょうが、このときNo.114にCIF尺を追加しただけでは解決できない問題が生じます。というのもこのころ盛んになってきた計算尺競技大会のようなスピードレースにおいて連続計算においては連続計算手順でNo.2664Sに敵いません。というのも三角関数の逆尺というのはその使用手順も含めて平野英明氏のトータルプロデュースの成果なのですが、それと同じような使用手順を三角関数逆尺を採用しないで達成するため、No.114にCIF尺を追加するだけではなくDI尺を追加してしまった新しい計算尺がNo.116です。
 そのためにNo.2664Sが8尺だったものが、No.116はDI尺分が増え、表面9尺となりました。そういうわけでHEMMIのNo.2664S-Sに先んじてDI尺を追加したというわけではなく、逆尺を採用せずにNo.2664Sと同じ連続操作を実現するための苦肉の策で1尺増えたというのが実情のようです。以前は逆尺の特許回避の手段と思っていたものの、平野氏の考案であれば当然特許はすでに失効していたでしょうから、作ろうと思えば逆尺も採用できたでしょうし、そこにDI尺まで付けたらNo.2664S-S相当物が出来上がったはずです。でもこのNo.116の発売がHEMMIのNo.2664S-SPECIALの発売に繋がったきっかけになったことは否めませんが。
 そのNo.116ですが、赤蓋黒ケース時代のものが見当たらず、緑一色の貼箱のものが初回製造分のようです。逆にNo.114は緑箱以降の物が見当たらないので、No.2664からNo.2664Sへのモデルチェンジ同様にある時点で円滑に生産が切り替わったということなのでしょう。
実は手持ちのNo.116及びNo.114、B-1006を探したところ、No.116としてはもっとも古いRelay時代の緑箱のものが無いことがわかり、そうなるとこの企画は頓挫してしまいそうだったものの、なんと運良く緑箱のNo.116が出てきて入手出来たため、辛うじてこの企画が継続できることになりました。
 まずはHEMMIのNo.2664をコピーしたNo.114およびB-1006ですが、リレー産業時代の☆Relay☆時代のものと三愛計器時代のRelayのものとはそのデザインが微妙に異なります。☆Relay☆時代のものはDF,CF尺の末端が√10ですっぱりカットされているのにも関わらず、三愛Relayはそれぞれ延長部分が付き、左が3、右が3.3まで延長されています。また☆Relay☆時代のものはCI尺が数字だけ赤で入るのに対し、三愛RelayのCI尺は目盛も数字も赤です。なお、☆Relay☆時代のB-1006とNo.114とはC尺D尺の1から2の間の目盛のデザインに差があり、なぜ差別化したのがの理由がよくわかりません。双方とも缶詰缶の内側のような黄色い表面処理がされています。

  ☆Relay☆B-1006(デートコードなし)



Relayb1006
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☆Relay☆ No.114(BS-2)
Relay114
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 そこでやっとのことRelay No.116の登場です。それ以前の三愛計器製Relay片面計算尺が赤蓋黒胴の配色だったものが、この時代のNo.116や両面尺のNo.252などから蓋も胴も緑の貼り箱に変わりました。このRelay No.116はデートコードが(J.S-4)と昭和36年4月の佐賀製。あまりRelayブランドのNo.116はお目にかかったことがないので、初回生産分が昭和35年まで遡るのかどうかは確認していませんが、少なくともデートコード「L.S-*」の時代にはすでにRicohブランドに変わってますので、Relay時代のNo.116はほんの2年ほどの間にしか存在しなかったということになります。No.2664Sならこの時代のものは一番数が多いくらいの生産数だった時期なので、後発とはいえ生産数は比べるとかなり少なかったであろうことが伺えます。 このNo.116になり初めてCIF尺が加わり、さらに操作の連続性でNo.2664Sに劣らないようにDI尺を追加しましたので、やや下固定尺の尺度が込み入りすぎたきらいがあります。基本的には直前のNo.114とCIF尺DI尺追加以外には変わらないのですが、No.114がDF尺CF尺に√10の記号がなく、延長部分も同じ黒目盛だったものをNo.116はちゃんと√10を刻み、延長部分は赤目盛になります。また滑尺裏のT1、T2尺の順序が逆になりました。あとSの微小角部分の目盛が6分割から12分割とより細密に刻まれています。構造がHEMMIと異なりポケット尺のように薄いプラスチックシートとアルミ板を組み合わせ、上下の固定尺と鋲で留める構造で、鋲の数は片側10本。両端の鋲の間隔が狭いのは透明セルロイド副カーソル線を止めるためのものです。換算表はNo.116のために新たに起こされたものですが、それ以前の片面計算尺同様脱落防止の突起がプレスで裏板に設けられているもののあまり効果はないようです。この基本構造は最終生産品まで変更はなかったようです。
Relay No.114(H.S-1)

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Relay No.116(J.S-4)

Relay116
滑尺裏の比較(上:Relay No.116、下: HEMMI No.2664S)

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 次のNo.116はリコー計器に社名も変わるデートコード「L.S-3」で、昭和38年4月の佐賀製。この時代は当然ブランド名もRicohに変わり、箱も丹頂クリーム貼箱になります。このケースの配色は旧国鉄151系こだま型特急電車かなと思ったのですが。もしかしたら昔の丹頂型電話ボックスの配色からヒントを得たのかもしれません。しかし、のちの青蓋プラケースが新幹線カラーなので、鉄道つながりというのも無いとは言い切れない。時を戻そう、なのです。基本的にはメーカー刻印とデートコードの位置が右から左に変わり、黒の色入れがなくなったくらいで、尺度などは同一金型継続中のためまったく変化はありません。
Ricoh No.116(L.S-3)

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 次のNo.116、デートコード「M.S-1」ですがこちらは昭和39年1月の佐賀製。なんとこの個体から下固定尺側面のインチ目盛がなくなり、上部の25cmフルスケールのセンチ目盛だけになりました。この時代以降のNo.116系列は下固定尺側面が終末期までブランクです。ある意味青蓋ポリエチレンケース時代のNo.2664Sに先駆けること5年前からすでに退化が始まったとも言えます。その他尺度などに変更は見当たりません。
Ricoh No.116(M.S-1)

Ricoh116_2
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 RicohのNo.116(デートコードN.S-4昭和40年4月佐賀製)ですが、なぜか同時代のNo.84などの8インチ学生尺のようなプラスチック一体型のカーソルが付属したものです。同様のプラスチックカーソル付きのものはほかに一点しか見たことがありませんが、おそらくは8インチ学生尺同様に10インチもプラ一体型カーソルにしようとしたものの、ヘンミがその傾向に追従しないため、元の金属フレームカーソル付属に戻してしまったのかもしれません。おそらく出回ったのは試作的にごく少数だったはずです。内容的には前年生産のものと変更点は見当たりません。
Ricoh No.116(N.S-4)

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 次はNo.116DとD記号が付いたNo.116バリアント(デートコード「N.S-2」昭和40年4月佐賀製)なのですが、このあたりから同じNo.116の名前を語っても独自の進化を遂げたものが現れるようになります。このNo.116Dは明らかにそのベクトルがHEMMIのNo.2664SからなんとNo.2662に向かいました。No.2662の目的どおりに滑尺を裏返すことで√10切断ずらし尺からA,B,C,D,の尺度に変更が可能で、1本で2本分の機能を持つことになります。そのため、L尺が滑尺裏から表面した固定尺に移動し、滑尺裏にB,C尺が加わったためT尺が1本にまとめられたという弊害もあります。また、目盛の方は当然新しいものが起こされ、No.2662同様に細かい数字が追加されるなど、No.116の形式にDが付いただけではない、まさに別物の計算尺になりました。Dはデシマルの意味で、角度が60進ではなく10進で刻まれていいることを意味します。電気や測量などの分野ではかえってデシマルは使いにくいかもしれません。この時代からケースが透明塩ビケースになりましたが、このケースが経年劣化でバリバリに割れてしまい、評判が悪かったと見えて後にブロー成形の青蓋ポリエチレンケースに変わります。確かこのNo.116Dがオークションで入手した第一号の計算尺だったはずです。
Ricoh No.116D(N.S-2)

Ricoh116d
Ricoh116d_20210208140501
 次のNo.116Sはさらに時代が下ってデートコード「SS-7」ですから昭和45年7月の佐賀製となります。このころからデートコードの間にピリオドがなくなったようです。No.116D同様にHEMMIのNo.2662に寄せた片面計算尺で、こちらも滑尺を裏返してA,B,C,D尺度の計算尺として使用する「片面計算尺で両面計算尺の機能を持つ」というコンセプトの片面計算尺ですが、Dと異なりSの三角関数は10進ではなく60進となっています。そのため、滑尺の裏面さえ変更すればNo.116DにもNo.116Sにもなるわけなのですが、双方ともにHEMMIのNo.2662以上に「無いわけではないけれどあまり見かけない」種類のNo.116バリアントです。この昭和45年というと万博の年ですがあの耐久性がなく評判の悪い透明塩ビケースを廃して両面尺も片面尺も青蓋のポリエチレンブロー成形ケースに変わりました。また、いつの間にか裏のアルミ板に施されていた換算表脱落防止の突起がなくなりました。あまり脱落防止には役立っていなかったので、あってもなくとも支障はないようです。
同じ型番のNo.116Sも昭和46年末から昭和47年初頭にグリーンCIF化と上部スケールの起点がかわりました。
                   Ricoh No.116S(SS-7)
Ricoh116s_20210208140501
Ricoh116s_20210208140502
 次はおそらくNo.116の終末期のもので、ここでやっとCIF尺がグリーンになりました。また上部のスケールのスタート位置が以前は各尺度の起点といっしょだったものの、ヘンミ同様にやや左よりからのスタートに変更され、おそらくはこの期に及んで新しい目盛の金型を起したか、No.116DやNo.116Sの原版流用のようです。デートコードは「WS-8」ですから昭和49年の8月。リコーの計算尺生産としても事業の整理期に入ったころの生産です。それで最終期に入り、以前のNo.116と比べて細かい数字などが刻まれる新しい金型にしたのに、相変わらず三角関数はインバースを採用せずに順尺のままです。ただ、同時期に逆尺付きのものも発売され、No.116-Iという新たなバリアントを生み出しています。残念ながら今の所、このNo.116-Iは所持していませんがこのNo.116-IもグリーンCIF化してますので、おそらくはこのNo.116もNo.116-Iも昭和47年あたりからごく短い間だけに生産された最終形態なのでしょう。なお、このNo.116は10インチの計算尺でありながらノベルティー品というかなり珍しいパターンのNo.116です。
Ricoh No.116(WS-8)

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February 03, 2021

コンサイスA型単位換算器(千代田化工建設社内用)

 コンサイスのA型単位換算器ですが、これは過去にもノベルティーものとして配られたものを取り上げています。ところが今回のA型換算器は特殊な業務用途として本体裏面に見たことのないオリジナルの換算表及び換算式が。それも微妙に尺貫法がごちゃまぜになっているものです。
このA型単位換算器の発注者は国内外の石油ブラント建設などで日揮、東洋エンジニアリングとともに「エンジニアリング御三家」の一社、千代田化工建設です。なるほど、石油関係だとバレルだとかガロンとかの単位が慣習的に混在使用されてますから、こういう特殊な換算表付きの計算尺が業務上必要なのだということがわかります。ちなみに原油の1バレルは42ガロン(米国)で158.9882リットル。1kリットルは6.2899バレルなんて計算が必要なのは商社と石油化学系に限られるでしょうね(笑)
正直当方も1バレルが一体何リットルなのかはいままで正確にはわかっていませんでした(^^;) その他表面の単位種類の表記が後の物と相違があったり、ケースが透明ポケット付きの二重になっていたりしており、おそらくは昭和30年代末から40年代初期あたりまで時代がさかのぼったものなのでしょうか。入手先は兵庫の神戸市からで送料込み400円でしたが、社用の特注品であるためかなりの珍品なことは確かです。

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