August 20, 2018

Copitar 8x35mm 10度 Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00091 コピターの双眼鏡は国内でも多数出回っているブランドの一つですが、そもそもは昭和29年5月に荒川区日暮里で創業した高久光学工業が名称変更となった会社です。当初、輸出向けの双眼鏡の製造会社でしたが、いつのころからか商社化し、アメリカあたりにもコピターの名前でかなりの双眼鏡を輸出していました。昭和40年代末のドルショックを乗り切り、昭和50年代には内需の拡大にシフトして雑誌などでズーム双眼鏡の広告まで出していましたが、このコピターは現在コピタージャパンとして輸入双眼鏡のネット販売などで存続しています。
そのコピターですが昭和40年代から50年代にかけては板橋のかなり特徴のある会社にOEM生産させた双眼鏡を国内外にコピターブランドで発売しており、けっこうこの中にはOEM製造業者の中では優秀な双眼鏡もあるし、よく名前もしらないような製造業者の双眼鏡もあるという玉石混合状態であることが面白く、コピターブランドの中から玉石の玉を探し出すというのもけっこう面白いと思います。
そのコピターは昭和40年代中ごろから50年代に掛けてはやはりズームタイプの双眼鏡が主流だったようで、当初光機舎あたりがOEM先だったものの50年代には何か写真レンズのように対物レンズ内側に刻印の飾りリングがある特徴的なズーム双眼鏡に変わったと思ったらこれはJ-B56の遠州光学のOEMだったようです。
Dvc00090 中には超広角双眼鏡として各社のOEMがある光機舎のBL型8x35mm11°という玉もあれば凡庸なZタイプ板橋輸出双眼鏡の石っころもあるので、同じコピターの双眼鏡群でもいかに玉を掴むかという面白さがあります。
 このコピター8x35mm10°の広角双眼鏡は先日オクで入札していて、これだけでは送料がもったいないとテルスター2台まとめてと一緒に入札したら、このコピターだけ高値更新され余計なテルスターだけが手元に届いたという因縁の双眼鏡です。そしてこちらは某フリマサイトで660円で購入しました。というのも直前に扱ったLinetのFIELDMASTERそっくりの外見だったので名前はコピターでも中身は某社製ということいを確認したかったということもあります。
 届いたコピターの7x35mm10度の双眼鏡は取り説こそありませんでしたが外箱にソフトケース、キャップ一式にシリコンクロスと接眼レンズに嵌めるタイプの黄色いフィルターまでそろっています。対物レンズの内側が若干曇っているだけのシロモノでしたが、全体的にタバコのヤニでコーティングされているような状態で、外箱は拭くわけにはいきませんが、ソフトケースや本体はまずマジックリンと歯ブラシでヤニのクリーニングから始めなければいけませんでした。
 そしてとりあえず表の送電線鉄塔を覗こうと思ったらフォーカスリングがまったく動きません。多条ネジの部分のグリースが固着しているのかと思い、下陣笠を外してここからチューブを差し込んでCRC-556を少し吹き込んで少し時間を置いてもフォーカスリングはまったく回らず、最後の手段と上陣笠を外してそこから接眼レンズ部分を分解しようと思って真鍮のストッパーネジを外しにかかったら何と昇降軸がぽろりと折れてしまいました。昇降軸は金属の挽きものではなく、何と亜鉛ダイキャストにユニクロメッキかなにかを掛けただけのもので長年湿気にさらされたことによる経年劣化で内側に止めねじを嵌めるためのネジ穴加工された多条ネジ部分が加水分解して膨張し固着。さらに材質自体が湿気の進入で砂を糊で固めたような状態になってしまったためペンチ挟もうとすると崩れてしまうように劣化してしまっています。
 普通だったらここであきらめて送料分含めて大損だったと後悔するのでしょうが、そういうときに部品取りで使えるようにストックしてある本当のジャンクの双眼鏡の中から昇降軸とフォーカスリングを流用してしまえば何とかなりそうだとひらめいて、取り出したのがプリズムの端が欠けていてプリズムが平行に置けないテルスターのSports 120GXとかいう茶テルスターの12x30mmでフォーカスリングの色は違えどもデザインはまったく一緒。昇降軸もこちらは金属の引き物なので寸法さえ合えば流用が可能だと思ったのですが、実際にやってみたらこれがビンゴでした。元の接眼レンズアームビボット部分に残っていたダイキャストの残骸が固着していて抜き出すのが大変でしたがテルスターの昇降軸の寸法は寸部の狂いも無く取り付けることができ、一件落着です。 ただ、昇降軸の受けの部分のスリーブに若干の寸法誤差があるためか、ややガタがある感じがしますが、同寸で加工されていてもメーカーの違いで誤差が生ずるのは仕方が無いでしょう。でもやはり双眼鏡折りたたみ動作のときのバックラッシュは気になります。
 それでこの双眼鏡の製造元はLinet同様に鎌倉光機で間違いないと思います。ただ、対物レンズはまったく同じ濃いパープルとマゼンダのコーティングの組み合わせでしたが接眼レンズのコーティングが異なり、Linetは対物レンズと同じマルチコート風のコーティング。こちらは薄いシアンのシングルコートでした。ただ、Linetが7x35mmの10.5°でこのコピターが8x35mm 10°という違いがありますが、見え方や見える範囲などは双方に違いは殆どありません。何かLinetよりも空が若干狭くなった気がするのですが、それは実視角よりも倍率によるものでしょうか。
 真ん中の解像力はそこそこですが、やはり周辺部は直線が曲線になるのは仕方がありません。
 このコピターは付属品が充実していて接眼部に被せる黄色のフィルターや角付きのゴムアイカップは透明なビニールケースに入れられたままの未使用でした。また両方の接眼部を覆う長円型ゴムの接眼覆いも小雨に遭遇したときなどには重宝しそうですが、こういう細かい付属品をそろえて割りと定価が高めで実売価格はそこそこというビジネスだったのでしょうか。
 コピターは雑誌広告なども行っており、箱のデザインなんかも凝っていますが、いまひとつブランドとしての地位が確立しなかったのは仕入先がバラバラで「これ」という商品イメージがなかったことで高級品になりきれなかったことが大きいかもしれません。何か一つ業界を驚かすような超高級なアポクロマートの天体観測専用双眼鏡などというものが一つでもあったらもっとメーカーとしてのステータスはあがっていたでしょう。企業にとってはこういう企業を代表するイメージリーダー的な商品は必要です。

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August 19, 2018

Kenko 8x30mm 10°Z型広角双眼鏡(大塚光学)

Dvc00093 ケンコーの8x30mm 10°のZタイプ広角双眼鏡です。これ、ケースや説明書、シリコンクロスや説明書・保証書まで揃っているものを某フリマサイトで送料込み1500円で購入したものの、覗いた像が2つに分かれて見えるのとレンズの内側がやや曇っているとのことでしたが、それくらいならオーバーホールと調整で元の状態に戻りそうです。
 そもそもケンコーは光学総合商社のためにさまざまなOEM先からケンコーブランドの光学製品を仕入れており、年代によって仕入先もいろいろと変遷しているために、実際に何を掴んでしまうのかという楽しみがあります。しかし、ケンコーも昭和60年代にはフィリピンの現地工場からの仕入れがメインで、こういう何を掴むかというわくわく感はうせてしまいました。
 そして届いたケンコーブランドの8x30mm 10°の双眼鏡は製造メーカーコードが残っておりそれによるとJ-B46の大塚光学製でした。大塚光学というと自社ブランドDiaStoneで海外でも有名ですが、どうもBLタイプの双眼鏡のイメージが強くてこういうZタイプの双眼鏡は影が薄い感じがします。
 それでも広角10°という双眼鏡は限られたメーカーでしか作れないため、見掛けは平凡ながら秘めた実力のある「羊の皮を被った狼」的な双眼鏡です。
Dvc00092 まず分解を始めてわかったことは、すでに対物セルがプラスチック製でエキセンリングを仕込めないため、筐体に仕込まれたイモネジで視軸調整するタイプの割と新し目の双眼鏡だったことです。それでも保証書の用紙の印刷年が昭和49年1月なのでおそらくは50年代初期の双眼鏡ではないかと思います。オイルショックを経過して原材料高騰のためにコストダウンの工夫が入り込んだことが伺える構造の双眼鏡ですが、いまだ主要部品は金属製のため、妙に安っぽさはなく、重量も550gと普通の8x30mm双眼鏡と変わりません。
 イモネジ部分の貼り革を穿り出してネジを緩めプリズムを外しますが、曇りはあるものの醜いカビ跡はありませんでした。イモネジで視軸を修正するタイプなのでプリズムは弾性のあるゴム系の接着剤で固定されていますが、プリズムを洗浄するためこれを半割り状態にしてしまうため、再度取り付けても元の弾性を失って、なかなかイモネジで視軸を追いきれないことがあります。その場合はイモネジを緩めてもう一度プリズムを取り出し、再度位置決めしてからやり直すとうまくいく場合がありますが、これは上下が追い込めなくて苦労した物件です。
 実際に覗いてみると薄いアンバーコーティングのこともあり、やや視野は青に傾くカラーバランスですがおおむね良好。ただし8倍ということもあり視野角が10度でもさほど空が広いと感じる感動はありません。それでも並みの7.5°の双眼鏡よりは広々していますが、当然のこと視野周辺は直線がぐにゃりと曲がって見える渦巻き収差があるのは仕方がありません。
 中心部ももう少し解像力があればいいのですが、それは35mmと30mmの微妙な違いも影響しているのでしょうか。

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August 16, 2018

Linet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00078 Linetというのはアメリカの仕向け先ブランドの一つで特に広角双眼鏡のFIELDMASTERという名前で日本製の双眼鏡を昭和30年代初期からアメリカ国内で売り出していた商社です。
 そのため、同じLinetネームでもかなりいろいろな製造メーカーの双眼鏡が入っており、画像を見るだけでも光機舎あり、日吉光学あり、そして大塚光学もありという感じで、広角双眼鏡を作れるところからとにかくかき集めたという感があります。
 そして広角はZ型ですむもののやはり超広角ともなるとBL型ではなくてはダメで両方作ることの出来る会社ではないと取引が出来なかったのではないかと思われるような商社ブランドです。
 その中には日吉光学製BL型7x35mm 13.5°という市販手持ち双眼鏡史上一番とも思える超広角双眼鏡もあったそうですが、現物を見たことが無いのでちょっと興味があります。
 そういえばネット上の質問欄にLinetという双眼鏡についてという問い合わせがあり、それに「世界あまたの有名光学メーカーにLinetという会社はなく、ライカのマークに類似しているので登録商標は日本を含めた欧米では取得できないので中国製の安物だ」と自分の思い込みで断定している回答があり、噴出してしまいました。この方、日本の有名双眼鏡メーカーが数多の相手先ブランドのOEMで海外に渡り、貴重な外貨を稼いできたことはご存知ないようで、すべての双眼鏡はNikonみたいに独自の商標で輸出されていたと思われているようです。日吉光学にしても日本の双眼鏡業界ではビッグネームですが,誰がOceanのブランド名を知っているでしょうか?
Dvc00077 その広角専業アメリカブランドのLinet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°というZタイプの双眼鏡ですが、なぜこれが日本に出回ったのかはわからないものの、たまにLinetの双眼鏡は国内からも見つかるようです。画角10.5度はプリズムの大きさに制約のあるZタイプでは限界値かもしれず、Linetでもこれ以上の超広角双眼鏡はBLタイプのようです。先日入手したKenkoブランドのBL型7x35mm 11°があまりにも重くてとても日常使いできないことから軽くて使い勝手が良さそうなことから落札したものですが、果たして実用的にはどうなのでしょう。Linetの双眼鏡は広角、超広角という特徴から板橋でも技術のある上級メーカーのOEMが多く、変なものはつかまないと思いますが、はたしてどうでしょう。
 届いたLinet FIELDMASTER 7X35mm 10.5°の双眼鏡は対物側プリズムの端に明らかなカビのスポットがある以外はおおむね殆ど使用もされていない双眼鏡でした。VIOLET COATEDという表記がありましたが、これ先日どこぞのメーカーの双眼鏡で見たばかりですね。その対物レンズのコーティングは濃いパープルとアンバーコーティングを組み合わせた複雑な色合いのコートで昭和40年代末のマルチコートの写真レンズを見ているよう。後玉が大きな接眼レンズもこのマルチコート風のものが使用されています。接眼レンズはエルフレに間違いないと思うのですがややアイレリーフが長いのでレンズ構成を若干アレンジしたものなのでしょうか。
 この手のZタイプの分解はなれたものなので、まず対物筒から分解し対物側のプリズムを外して無水アルコールで洗浄しましたが、筐体内部は丁寧な反射防止塗装が施され、プリズムのポケットは微動だにしないほど加工精度はいいようです。ただし調整のための錫箔が施されていました。対物レンズはエキセンリングで視軸調整するタイプなので対物筒からレンズを外してレンズ洗浄ついでにエキセンリング部分にグリスアップしておきます。
 つぎに接眼側のプリズムを洗浄するために対物側から昇降軸ストッパーのネジを外して焦点調節リングを回して接眼レンズアッセンブリーを抜居た状態から鏡板のスクリュウ左右で一本ずつ抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、鏡板を外して左右ともにプリズムの洗浄を実施。こちらのプリズムポケットの加工精度良好でしたが、こちらも一箇所錫箔で修正が入ってました。プリズムポケットの加工精度が良いため、エキセンリングのみの小調整で簡単に遠くの送電線鉄塔の天辺を一致させることが出来ましたが、その見え方はKenkoの7x35mm 11°ほどの感動はなく、左右は広くなったのに上下が少々窮屈な感じがします。日吉光学製Simor 7x35mm 10°と比べても0.5°の差などというものは殆どありませんでした。
 肝心の見え方ですが、やはりエルフレを使った双眼鏡がどれも同じようにコントラストとシャープネスがいまひとつながら真ん中の解像力はなかなかのもので、並みの板橋双眼鏡をはるかにしのぎます。端に行くにしたがって像が甘く渦巻き収差がきつくなるのはエルフレの超広角双眼鏡に共通します。まあ像の均一性はありませんが、やはり圧倒的な視野の広さは魅力的です。コーティングのせいでUVとブルーライトがカットされるようで、視野がやや茶色っぽく見えます。
 それで肝心のこの双眼鏡の製造元ですが、鎌倉光機製に間違いありません。なぜならばOEM先に関係ないCAT'S EYEのマークが小さく入っています。鎌倉光機は自社の名前は絶対に入れない代わり、先日のBL型ズーム双眼鏡のようにプリズムプレートのネジを外して取り出したら中にJ-B133の刻印があったり、トリポッドカバーにJ-B133の刻印があったり、必ずどこかに鎌倉光機が作ったことの証明みたいな証拠が隠されているような気がします。筐体内部の加工精度などをみても超広角双眼鏡を作れる技術力を見ても並の板橋双眼鏡組み立て業者に出来るような仕事ではなく、やはり選ばれた双眼鏡製造メーカーの仕事です。製造はシリアルナンバーの捨て番からすると昭和48年製でしょうか?
 しかし、これを中国製の双眼鏡と断定してしまった人は鎌倉光機の製品だなんて想像も出来なかったのしょうが、もしかしてニコン、ビクセン、ケンコーあたりは知っていてもそれをOEMで支える影武者的な鎌倉光機のような会社があること自体知らなかったのでしょうね。

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August 14, 2018

Vision 15x40mm 5°広角M型双眼鏡(成和光学工業)

Dvc00074 盆の入りで今年の6月に亡くなったばかりの叔父の家に行き、釣り道具置き場兼作業場の物置から出てきたものを頂いてきたものがこのビクセンのサブブランドだったVisionのミクロン型双眼鏡です。
 我々が小中学生の時には小型から大型に至るまで多種のミクロン型双眼鏡が作られていましたが「立体視が肉眼よりも縮小される」という欠点から超小型のミクロン型ならまだしも大型のミクロン型は意味が無いと考えて、最初から7x50mmのツアイス型一本やりだったのですから友人のミクロン型は手にすることがあっても自分からミクロン型を選ぶということはありませんでした。
 主目的が天文用だったということもありましたが、プリズムむき出しの双眼鏡は落としたら絶対にダメージが大きいだろうなということは気がついていましたし。
 そのミクロン型をカタログに大量掲載していたのがビクセンです。そのビクセンのカタログに掲載されていたのが俳優川口浩からの感謝のはがきで、確か若くして馬主だった川口浩が調教の様子を確かめるために双眼鏡を常用していたものの、それを軽量のミクロンタイプに変えたところ、肩こりがなくなり、マッサージにも通うことが無くなったというような内容だったと思いますが、今考えたら板橋の出来のよくない視軸のずれた双眼鏡を常用していたからそんなことになったのではないかと思ってしまいますが(笑)
川口浩というと我々世代はキーハンター、もっと若い人は川口浩の探検隊で川口浩が亡くなって30年が経過するもいまだに嘉門達夫の歌のおかげで忘れ去られないという俳優さんでした。
 そのあまり興味が無かったミクロン型(以後M型と省略)ですが、そもそもは大正時代末に日本光学がオリオン(陸軍13年式6x24mm)やノバー(海軍7x50mm7.1°)などとともに設計した民生用双眼鏡です。戦前から輸出されていたようですが、戦時中の製造中止を経て戦後は外貨獲得のために日本光学以外の各社でも製造および輸出を始めましたが、本来超小型双眼鏡であるはずのM型が本家の日本光学以外の手により独自に拡張し始めたのです。まあM型双眼鏡にあまり興味が無かったので記憶があいまいなのですが、最大50x50mmくらいのものがあったような気がしますが、それというのも日本人の高倍率高性能神話によるものでしょう。
 実はこのM型、ワイドだと低倍率ほど光束が太くなるためか大きなプリズムを必要とし、大口径高倍率になるほど光束が細くなるので小さくても済むという性質から30mmタイプの10倍と40mmタイプの10倍のものでは本体の見かけがまったく異なります。ホールド感は低倍率タイプのもののほうが優れるのですが、見掛けは極小タイプに近い本体の40mmタイプのほうが美しい、と個人的には感じます。
 また、このM型双眼鏡は日本光学オリジナルの対物レンズ部を繰り出して焦点調整する方式と、この双眼鏡のように接眼レンズ部分を繰り出して焦点調整する二つの方式があり、どちらが優れているとはいえませんが大型化したM型では対物レンズ筒を固定して接眼レンズ部分を繰り出す方式のほうが強度的にも合理的です。
Dvc00073 このVisionのM型、亡くなった釣り好きの叔父が昔、釣りに持って行き、釣り場のポイントを見つけたり周りの釣果を確認するために使用していたようで、夥しい釣り道具の中にまぎれて出てきたものを頂いてきたものです。JBナンバーが残っておりJ-B93の製造工場の組み立てです。対物レンズ内部カビ少々、プリズム曇りでどっちみち全バラシのうえレンズとプリズムの洗浄が必要なのですが、いままでM型双眼鏡に無関心で、かつBL型でさえこの間初めて分解したというM型初心者です。まず対物筒を取り外し、対物レンズをカニ目で回して取り出しますが、当然のこのタイプにはエキセンリングが組み込まれてなく、単にレンズを前から押さえ込んでいるだけでした。対物筒のネジの切り具合で微妙に焦点が変わるのかレンズ後部に極薄のシム2枚が左右ともに敷かれていました。
接眼レンズアッセンブリは回転軸カバーのアルミキャップを回して外すと軸ストッパーのネジが現れ、焦点調節リングを回して繰り出していくのですが、通常のZタイプと回転が逆。そしてプリズムカバーのネジを外すと長辺方向の2本のイモネジで固定されているプリズムが現れます。イモネジは貼り革で隠されているので左右とも千切れないように慎重にはがして、片側のネジだけ緩めてプリズムを取り外すのかコツです。これ、両側緩めてプリズム外すと後の調整で酷い目に逢います。実際やってしまいました(笑)
また、このネジを外さないでプリズムをこじり出すとイモネジが当たっている部分が欠けて調整不能になるかもしれないので、まずプリズムカバーを空ける前に貼り革をはがしてネジ位置を確認することから始めた方が無難です。またこのイモネジは1.2mmくらいのマイナス精密ドライバーが要ります。プリズム洗浄の後元に戻しますが、このプリズムポケットは短辺にまったく動く幅がなく、縦方向にしか微調整できません。
接眼レンズもそのままでも良さそうなものでしたが分解して洗浄することにします。独立した接眼レンズ筒がなく接眼レンズアッセンブリーのまま後ろからカニ目で押さえのリングを抜くのですが、玉はワイドタイプらしく3群3枚。真ん中が三枚貼り合わせのエルフレではなく、前後のレンズが貼り合わせ、真ん中の玉が単レンズの3群3枚構成の接眼レンズで、これは何という形式なのでしょうか?そのレンズですが分解して洗浄したまでは良かったものの、元に戻して実際に像を見てみると像が斜めに流れていたり接眼レンズ部からカタカタレンズが踊っている音がしていたりという組み立てで非常に苦労した接眼レンズでした。一番外側のレンズが組み立て時にひっくり返ったり、それを押さえるスペーサーがなかなか奥まで入り込まなかったり結構再組み立てで時間を取られた感じです。
 さらに合計4本のイモネジのみで視軸の微調整をしなければいけないM型双眼鏡は大変でイモネジの両側を緩めて取り出したプリズムはどういうわけか像が微妙に傾いていたりして、これをあれこれ調整してピタリとあわせるまでに試行錯誤を繰り返し、何やかんやで2時間はたっぷり掛かったような。像の転倒、水平の不一致というのはZ型以上に調整するのが大変で、最後にエキセンで微調整がない分これを調整する人は一種の名人芸だったような。
 まあ、こういう生産性の悪さと部品のプラスチック化が不能で部品コスト上昇に耐えられなかったというのが今にM型双眼鏡が残らなかった最大の要因ですが。
 この双眼鏡にはJ-B93の刻印が残っていたことは気が付いていましたが、その組み立て工場は板橋区板橋で昭和30年9月に設立された成和光学工業です。栃原光学同様にマイクロ型双眼鏡専業の会社で、おそらくはその殆どがビクセンに収められていたのでしょう。いちおう長谷川シールの痕跡も残っていました。いつごろからビクセンのセカンドブランドのVision名で製品を発売することになったかはわかりませんがおそらくは成和が創業当時、ビクセンがまだ光友社の時代からM型双眼鏡をビクセンブランドで納めていた会社なのでしょう。そのM型双眼鏡ですが、プラスチックに置き換えてコストダウンするという部分がなく、組み立て調整および金属剥き出しの部品にキズが付かないように細心の注意を払わなければいけないなどの理由からビクセンでは昭和50年代中ごろ、栃原光学あたりでも平成に年号が変わるのを待たずして製造中止になり、日本光学のミクロン型誕生から数えて60年余りでM型双眼鏡は終焉を迎えました。その後韓国でミクロン型の生産がされたようですが、鏡筒がプラスチックなどM型の本質的な良さを理解しない劣化コピーぶりで、市場からすぐに消えてしまったようです。
その後ニコンが復刻版のM型オリジナルを技術の継承目的で再発売したのはご存知のとおりです。

 さて、調整の終わったVision M型15x40mm 5.0°ワイドの実力ですが、さすがに15倍ながら視野が広いことは認めますが、中心部解像力はそこそこながらコントラストとシャープネスはほめられたものではありません。また15倍の倍率というのは当方にとっては倍率が高すぎて何の目的に使用したらよいのかの用途がわからないのですが、叔父のように釣りに出かけて離れているところで何が釣れているかどれだけ掛かっているかなどの確認のための双眼鏡としては小型で使いやすくていい双眼鏡だったのでしょう。もしかしたら大手の釣具チェーンかなにかに並んでいたものを購入したのかもしれません。そういう販売ルートのためのサブブランドの存在だったのでしょうか。

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August 13, 2018

Kenko 7x35mm 11°BL型超広角双眼鏡(光機舎)

Dvc00072 1円のゴミ双眼鏡の類ばかり覗いていたら目玉が曇りそうだったのでたまには当時の高性能双眼鏡として今でも人気のある超広角低倍率双眼鏡を入手。実はこの種の双眼鏡は狙っていたのですが、100円双眼鏡のほうが忙しく超広角双眼鏡一台とゴミ双眼鏡10台を計りにかけたらゴミ双眼鏡のほうが重かったということで後回しになってしまっていたのです。
 入手したのはケンコーのおそらくは昭和40年代初期の7x35mm 11°のBL型、いわゆる米軍が使用して進駐軍が日本に持ち込んだボシュロム型です。標準だと7.3°くらいが無理のないところ11°という超広角双眼鏡でこれがおそらく手持ちの双眼鏡の限界値かもしれません。
この手の広角双眼鏡は昭和30年代半ばころから輸出用として作られるようになり、Zタイプの7x35mm10°くらいが広角の限界だったものをBL型にしてプリズムを拡大し、光路を広げて11°まで高めた超広角双眼鏡が現れるようになったのが昭和30年代の末ごろでしょうか。その超広角のBLタイプの双眼鏡が得意だったのが光機舎と大塚光学だったようで、国内の光学各社へもこの2社の超広角双眼鏡がOEMで入り込んでいます。そもそもケンコー自体が光学総合商社として殆どの商品をOEMで国内各社に作らせていたために、種別や年代でいろいろな業者のものにお目にかかる可能性があります。ただ、そのために同じケンコーブランドでも年代種類により出来不出来の差があるようです。
 そのケンコー、現在はレンズメーカーとトキナーと経営統合し、ケンコートキナーになりましたが、そもそもの母体は昭和30年に輸出双眼鏡組立業として世田谷区北沢に設立された研光社(J-B108)なのです。ワルツカメラが倒産したことがきっかけで参入したカメラのフィルターが業界ナンバーワンのシェアを獲得したことを手始めに次々にカメラアクセサリー分野に積極的に進出し、短期間で光学総合商社として急成長した会社です。
 そういう雑多な混成軍の様相のあるケンコー製品ですからピンがくるかキリがくるかの楽しみがあるのですが、今回入手した7x35mm 11°の双眼鏡がキリのわけはなく、刻印されていたナンバーからJ-E25のダイキャストを使用したJ-B21の光機舎の製品であることがわかります。この超広角双眼鏡は他に大塚光学あたりも得意としており、たとえ仕向け先が変わってもだいたいこの光機舎もしくは大塚光学に当たる確立が高そうです。
 この双眼鏡は当時のケンコーの高級双眼鏡に共通した黒の牛革ケースに入った黒の牛革ストラップをまとったBL型双眼鏡で、35mm双眼鏡にしては横幅が大きく巨大な印象を受けます。また非常に重い双眼鏡で重さも960gと50mmのZタイプ双眼鏡よりもわずかに軽い程度の双眼鏡で35mmクラスの双眼鏡としては文句なしのナンバーワンでしょう。ちなみにニコンのマルチコート7x35mm 7.3度のZタイプは600g強しかありません。まだ大塚光学の超広角のBLタイプに行き当たっていませんが、他のズームタイプの双眼鏡の例からすると光機舎の双眼鏡よりも大塚光学の双眼鏡のほうが軽そうです。
この光機舎超広角双眼鏡の筐体は同社の8-15x35のズーム双眼鏡から流用しているようでどうりで大きくて重いわけです。専用のBL型筐体を用意すればもう少し小型化できそうなものの超広角ということから光路に余裕のある大きなプリズムが必要かつアイピースも太くなるため、ズーム双眼鏡と共通というのは必然性があったようです。
Dvc00071 革ケースを開けてびっくり金目鯛のような大目玉を持つ接眼レンズは対物レンズと見まごうほどの大きさ。見口のプラスチックも極端に短いということはアイレリーフが短いということで、これは正真正銘のエルフレが装着されているようです。エルフレというと往年のビクセン天体望遠鏡にエルフレ20mmが付いていたので、その性質はよくわかっていますが、真ん中の解像力はそこそこながら周囲の像は収差が大きく、コントラストが比較的に低いというようなことでしょうか。でも当時超広角というとエルフレあたりしかなく、その視界は驚異的に広かったものの、天体望遠鏡の接眼レンズにエルフレが必要だったかどうかは疑問でした。まあエルフレは低倍率の双眼鏡あたりのほうが使い勝手が良かったのでしょうが、こういう特殊どころの双眼鏡ではないと接眼レンズはケルナー止まり。こだわりの無いユーザー対象の双眼鏡はラムスデンで十分とディスカウント同眼鏡にはけっこう2枚玉のラムスデンが混じっていることがわかり始めましたが、このエルフレは真ん中のレンズが3枚貼り合わせの3群5枚構成です。当然接合面が多い事から光の損失が多く、ラムスデンなんかと比べるとヌケが悪く暗くなりそうな感じです。
 早速覗いてみたら遠くの送電線の鉄塔先端がわずかに分離して見えるのと、やはり長年の放置でグリス類の揮発成分が蒸発してプリズム表面を曇らせていたため、どっちみちオーバーホールです。
 まず、対物レンズ側から分解して対物レンズを取り出しますが、この対物レンズはBL型なのにエキセンリングで保持されていました。最終的には外側から視軸調整が可能なほうが生産性が向上するのですが、BL型のプリズム取り付けプレートのネジによる視軸調整の方法がいかに面倒くさいかということが今回も身にしみてわかりました。対物レンズを洗浄し、エキセンリングにグリスアップして元に戻し、今度は接眼側の分解に入りますが、こちらも通常のCFタイプのZ型同様に下陣笠を外してそこからマイナスドライバーを差込み、視軸シャフトの止めネジを外し焦点調整リングを回せばて接眼アッセンブリーが取り出せます。そして接眼ガイドスリーブをベルトレンチで外し、鏡板のネジ一本を抜いて鏡板を外すとプリズムプレートが現れます。このプリズムプレートの3本のネジを外すことで2つのプリズムが固定されたプリズムプレートを筐体から取り出すことが出来るのですが、このプレートを抜くのも嵌め込むのも少々コツが要り、特にはめ込む際はドツボに入り込んでしまい、なかなか嵌められないという現象に遭遇(笑)
 今回この2対のプリズムは底面も曇っていたためプレートから外して無水アルコールで洗浄することになります。プリズム表面はシングルコートされ、対物側のプリズムには遮光カバーが被せられているのですが、このカバーが黄色い光を放つ黒染めも無いブリキの板で、ダウエルの双眼鏡についていたものと大して変わりません。なぜ遮光カバーかというと広角の双眼鏡は視野がけられるので対物筒に遮光筒が装着できないのです。いままで「遮光筒も省略されているようなコストダウン」などと散々批判してきましたが、8x30mm双眼鏡なら視野角8.5°以上で遮光筒を逆に付けられないようです。これ誤解してました。
 それで洗浄して元の場所に収めたプリズムはプリズムポケットの加工も良好でポケットの端にたがねを入れてピタリとはまり込むようになっているため、それこそ一度外したところでさほど狂いは生じないと思ったのですが、一旦仮組みしてみると、何と左右の水平が無視することが出来ないほど狂っていました。こればかりはエキセンで修正するわけにいかず、けっこう数時間あれやこれやと試行錯誤繰り返したのですが、その間、プレートを再度外してプリズムを付け直してみたり、プレートがすんなり嵌めこめなくなったり問題解決まで本当に半日くらいの時間を費やしたことになります。
 結局はベースプレート上の1.5mmφくらいのイモネジ3本を対象物を観測しながら微妙に調整することで像の倒れと像の離れを解決。エキセンリングも併用して視軸の調整は完璧になりました。このネジ、もう少し調整しやすいように大きくして欲しいのですが、予めこう大掛かりに調整するのではなく、何らかの冶具上でプリズムベースプレートの水平か何かを出しておいてそのまま組み立て、あとはエキセンリングで最終調整するという方法を取っていたのかもしれません。
 調整の終わったこの双眼鏡の実際の見え方は周辺部は歪むののさけられないものの圧倒的に広い視野は大迫力でさすがは超広角というところですが、やはり接眼レンズの構成枚数が多い分だけ光の損失も多く、コントラストとシャープネスはあまり良くありません。真ん中付近の解像力ももう少し欲しいところですが、やはり解像力と像の均一性を求めるか、あくまでも広い視界を求めるかのコンセプトの違いでしょう。エルフレはアイレリーフが極端に短いので全視野を見るにはメガネを外すのは必須ですが、メガネを掛けたままでも並みの双眼鏡以上の視界で見えてしまいます。あと後玉の口径が大きく、曲線を描いているためためにもし後ろに太陽や明るい壁などを背負った場合、コントラストの更なる低下は避けられません。というよりそういう使い方は避けたほうが無難。
 それでも圧倒的に広い視野は星野や野鳥の観察、動きのあるスポーツ観戦や舞台鑑賞などに威力を発揮するのでしょうが、重さだけは避けようがありません。せめてこのクラスの双眼鏡が500gだったら常用しますが、プラスチック多用じゃ光学製品としての愛着は沸きそうもありませんしね。
 今NYヤンキーズで大活躍しているピッチャーの田中将大、駒大苫小牧高校2年のときに夏の北海道大会決勝で9回にリリーフで出て来たのをたまたまニコンの7x35mm7.3°で見ていました。そのときの相手の北照高校のバッターに投げた変化球が視野から消えてしまい、次の瞬間ライト側スタンドに入っていたというリリーフでホームランを打たれるシーンに遭遇しましたが、この双眼鏡ならボールをスタンドまで追い続けられたかもしれません(笑)

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August 11, 2018

HUNTER Gold 50mm x1000 1/10(10倍)Zタイプ双眼鏡

Dvc00069  このHUNTERというブランドの双眼鏡もオークションなどでよく見かける双眼鏡で12台まとめて504円だったかで落札した中の1台です。接眼レンズの表側が金色に蒸着されているのが特徴的な双眼鏡でこれがGold50mmの名前の由来かもしれません。
廉価版双眼鏡としてディスカウント店舗系や通信販売などで主に発売された双眼鏡だとは思うのですが、作られた時期が比較的に古く、プラスチック製のスーパーゼニスなどの双眼鏡と比べると見口のプラスチック以外は総金属製で安物といった風情はありません。
届いた段階で貼り革がまだらに剥げていて非常にみすぼらしい姿だったのですが、靴底の修理剤で部分補修を加えてしまいました。通常J-Bナンバーが入る場所にOMCをデザイン化したようなマークが入っています。これがこの双眼鏡を製造した場所を表す唯一の手がかりです。
 まず対物側から分解してゆきますが、対物レンズは当然のこと硝子のアクロマート2枚あわせでエキセンリングを介して保持されています。気になるカビなどもなくアルコールできれいに洗浄できました。対物筒には反射防止の遮光筒もなく筐体内部は申し訳程度の光沢黒仕上げ。プリズムはノーコーティングで迷光防止処置も一切ありませんでした。プリズムポケットの加工はそれほどガバガバというわけではなく、通常の加工精度でした。下陣笠のネジを外して回転軸止めのネジを外し、マイナスドライバーを対物側からいれて接眼部昇降ネジ止めスクリューを抜き、焦点調整リングを回して接眼レンズアッセンブリーを抜き取ります。そして接眼レンズガイドスリープをベルトレンチで緩めて外し、スクリュー一本を抜いて鏡板を外すとこれもノンコートのプリズムが現れるのですが、そのプリズムの下に二つ穴の開いた黒いプラスチックシートが挟み込まれていました。おそらくは迷光防止のために光路を絞る目的で入れられたのではないかと思ったのですが…。
Dvc00068 プリズムポケットの加工精度もさほど悪くはないと思ったのですが、洗浄後に一旦組みなおして視軸を調整しようと試みたものの、像はお互いに反対に倒れこむは、左右の像上下左右に離れまくるはでとてもエキセンで調整できるようなものではありませんでした。あれこれプリズムの位置を微調整したのですが、左右の像の離れが最後まで解決できず、その後も何度か試みたもののそのまま放置。最後の挑戦だと思って接眼対物側のプリズムを微調整してなんとか水平線も一致し、左右の像もエキセンリングで調整できるくらいになり、最終的にはエキセンリングで送電線鉄塔の先端を左右で一致させて9ヶ月ぶりに調整終了しました。
左右の像がピタリと合うと、真ん中の画像はコントラストは低いものの解像力はなかなか鋭い感じですが、何か視野が狭くて周辺部の像の収差が大きい感じです。接眼レンズの清掃ついでに分解してみると、中身はなんと驚いたことに色消しのない2群2枚のラムスデン!それもレンズは成型品のプラスチックレンズでした。そのプラスチックレンズの外側に金色を蒸着してるのですが、おそらくはラムスデンの色収差を目立たなくすることと、昼間のコントラストの低さを低減する目的だったのでしょうか?またプリズムの下に敷かれた光路絞りの黒シートもラムスデンの収差低減のための対策なのかもしれません。
ライトボディのスーパーゼニスのようなプラレンズのラムスデンですが、収差を隠すためにいろいろ処置を施しているため、改めて指摘されなければ気づかないかもしれません。
Dvc00070_2 金色コーティングでヘイズカットの効果もあるようで、視野はやや青くなりますが中心部は実にシャープで解像力もあるという不思議な双眼鏡。これ、あまり出来のよくないケルナーに変えてしまったら並以下の水準の双眼鏡に成り下がるかもしれません。
でもまあ、接眼部分以外はまともな板橋輸出双眼鏡なのですが、接眼部のラムスデンを含めてコストカット施し方が不自然で、たとえば右接眼部の視度調整は多条ネジで接眼内筒を繰り出すのではなく、接眼外筒内部にネジが刻まれていてそのピッチが荒いので微調整が出来ないなど普通の双眼鏡の常識と異なるちぐはぐさがあります。
もしかしたら接眼部が未完成の半完成状態の双眼鏡が業者倒産でバッタに回り、それを換金するために接眼レンズ部分だけどこかで作ったか流用してとりあえず見えるものを作って市場に換金のため流したのかなぁという印象も受けます。
Hunter名義でアメリカに輸出されていないか調べてみたのですが、該当するものはありませんでした。

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August 09, 2018

Focus 12x40mm5.6° Zタイプ双眼鏡

Dvc00064 ビクセンのセカンドブランドのFokusの12x40mmクイックフォーカス付き双眼鏡です。これも12台まとめて入手したなかの一台です。おそらくは80年代になってからの双眼鏡だと思いますが、当時スーパーゼニスやテルスターなどの実売価格が数千円の双眼鏡が世の中に溢れ、双眼鏡に特段こだわりの無い人は双眼鏡そのものの価格的な価値が数千円という価格破壊を起こしたことで、大手の光学メーカーではさかんにセカンドブランド的なものを作り、旧来のブランドは高級品、セカンドブランドは普及品価格の二本立てで商品ラインナップをそろえ始めたころの製品だと思われます。
 ビクセンでは国内にビクセン光学とアトラス光学の2つの製造子会社がありましたがケンコーなどはいち早くフィリピンに進出してFriendネームの双眼鏡を普及品扱いで国内に大量に売りさばいています。
 このFokusネームの双眼鏡はJapanの表記がないため日本製かどうかはわかりませんが、ビクセン製品では有名なHASEGAWAネームのインスペクションシールが貼られているので国内で組み立てられたか、もしくは輸入の後国内で検品された品質保証付の双眼鏡です。
Dvc00063 まあ、普及品ということもあり、あちらこちらにブラスチック化によるコストダウンが見受けられる双眼鏡で、スーパーゼニス同様に対物レンズ筒はプラスチックですが、対物レンズは嵌め殺しになっているわけではなくちゃんとネジ式のリング締めつけです。その他プリズム固定バネが差し込みだったり左側接眼レンズ筒がプラスチックの成型品だったり筐体のダイキャストが極薄でプラスチックの皮を纏っているなど軽量化やコストダウンの様子は伺えますが、スーパーゼニスのように上下の鏡板や接眼ガイドスリーブ、鳥居やフォーカシング軸やメカまでプラスチック化する訳ではなく、まして接眼レンズ自体がプラスチックなどということもありません。
レンズ各面やプリズム表面もすべてコーティングされているフルコーティング仕様です。
 この60°回転させるだけで無限大から最近接まで焦点調整できるクイックフォーカスメカですが、通常の双眼鏡のように対物側からマイナスドライバーをいれて多条ネジ軸の抜け止めネジを外して接眼レンズアッセンブリを外すのではなく、接眼側の要の中央のメダル(この個体は欠落)をこじって外し、現れたプラスのスクリューを抜いて陣笠を取った下に現れる真鍮の固定ネジを緩めて外すと接眼レンズアッセンブリーが外れるというような分解方法を取ります。接眼レンズアッセンブリーを外してあとは通常のZタイプ双眼鏡同様に接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、鏡板のネジを外して鏡板を取り除けばプリズムが現れるという具合です。
 さほどプリズムの曇りやレンズの曇りが気になる状態ではなかったのですが、いちおうすべて分解して無水アルコールで洗浄。プリズムポケットの精度はやや甘く素で組み立てた後は水平がまるっきり狂っていました。
 視軸は筐体の片側2箇所にあるイモネジでそれぞれのプリズムを微調整する仕組みというのもコストダウンの一環なのですが、慣れるとエキセンリングなどよりも簡単に視軸調整できます。
 いつもの送電線鉄塔の天辺が上下左右で一致するように調整していきますが、イモネジで追いきれないときは一度分解してプリズムの位置を修正しなければいけませんでした。
 さて、肝心の見え方ですが、どうも筐体内部の反射防止が省略されてしまっている関係か、フルコートの光学系にしてはしまりの無いコントラストの低いダルな描写です。同レベルの双眼鏡だったらまだコストダウンの洗礼を受けていない黒テルスターのほうがよっぽどシャープに良く見えます。おまけに12倍の高倍率でクイックフォーカスはかえって微調整がしにくく使い勝手がよくありません。一応はワイドということで画角を稼ぐための40mm口径なのでしょうが、30mmに比べて分解能の良さというものも感じられず、やはり普及品ブランドは普及品に過ぎない価格相応の見え方だというのが正直な感想です。それでも画質は周辺部までさほどかわらず均一な感じでした。
 せめて9倍もしくは10倍だったらもっと使い勝手がよかったのでしょうが、低倍率双眼鏡信者の当方としては12倍の単焦点双眼鏡は使い道に困る倍率の双眼鏡です。

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August 08, 2018

SUPER ZENITH 20x50mm3°Zタイプ双眼鏡

Dvc00062 一時期からか、国内に大量に安く出回ったスーパーゼニスの20x50mm3°のZタイプ双眼鏡です。これも504円で12台入手したなかの1台でした。おそらくは1980年代前半くらいの双眼鏡だと思われますが、まだ東南アジアの生産ではなくJapanの刻印のある双眼鏡です。
 とにかく軽いというのが印象で、さらに50mm双眼鏡の割りに筐体が小さくて対物筒の長い双眼鏡だと思ったら、対物筒や対物セルはオールプラスチックの成型品、筐体はいまだにダイキャストでしたがごく薄く仕上げられていてプラスチックが被さっているような感じの一応は金属製。接眼レンズアッセンブリーは鳥居やシャフト、接眼レンズ筒を含めオールプラスチック、おまけに接眼レンズもプラスチックのレンズがはまっているような双眼鏡でした。
そのため、従来のZタイプ50mm双眼鏡の重さが1kg前後なのにこの双眼鏡は630gしかなく、通常の8x30mm双眼鏡よりやや重い程度という本当のライトウエイトの双眼鏡になっています。

 そのスーパーゼニスというブランドですがうわさではオメガのように板橋双眼鏡業者の共通ブランドという人もいますが、もともとは戦後の早い時期から「ゼニス」ブランドで主に北米方面に輸出された輸出双眼鏡のブランド名です。通常のZタイプの普及クラスの双眼鏡だけではなく、栃原製のミクロン型や明らかに光機舎製のズーム双眼鏡のゼニスブランドやスーパーゼニスブランドもありました。明らかにどこかの輸出商社のブランド名だったのですが、それがどこだったのかは今のところわかりません。
それがどうやら円の変動相場制のあおりで輸出が立ち行かなくなり、その商標がどこの所有になったのかはわかりませんが、急に国内の市場にディスカウント双眼鏡として大量に出回りだしたのはテルスター双眼鏡同様です。
その後スーパーゼニスブランドは平成の時代になってもおそらくは生産国を東南アジアに移行したのちも残ったようで、中には近江屋写真用品のHANSAとのダブルネームの双眼鏡も見かけました。
Dvc00061 スタイル的に対物筒がやたらと長く感じる双眼鏡ですがそれもそのはず、筐体部分が通常の50mmレンズの双眼鏡のものではなく8倍30mmクラスの大きさで、その分焦点距離を稼ぐために対物筒が長いのです。
対物側から分解してみると対物レンズの飾りリングもバヨネット式に外れるプラスチックで対物枠もプラスチックなのですが、これギアのようなギザ状のリングで押さえられており、たぶんこれは接着で分解不能。まあ筐体の芋ねじで視軸を調整するタイプなので対物レンズ押さえが接着でもかまわないのですが対物レンズの裏側を拭き上げるのは大変です。対物筒は革シボ模様まで成型で再現された一体プラスチック製です。
対物側のプリズム押さえはネジ無しの差込式でこの時代の双眼鏡としては一般的なものですが、肝心なプリズムはノーコートでした。筐体内部は反射防止塗装特にナシです。
接眼レンズアッセンブリーは接眼レンズ筒、鳥居やネジシャフト含めてプラスチックの成型品で接眼ガイドスリーブも接眼側鏡板と一体のプラスチック。
驚いたことに接眼レンズもすべてプラスチックレンズでさらにはノーコート。これもギア形状のリングで接着されているため、内部が曇ったとしても分解不能です。プラスチックレンズでノーコートなこともあり無水アルコールでレンズを拭くことは厳禁です。
 見た感じではとても20倍という倍率ではないようなので倍率を実測しました。射出瞳径が真円でなくノギスでの測定範囲を決めるのが難しかったのですが実測値が5.15ミリもあり、口径をこの数値で割ると約9.7倍ですからおおよそ10倍50ミリの倍率詐称双眼鏡ということになります。これも高倍率イコール高級品信仰の国内向けの措置なのでしょう。こういう「倍率詐称双眼鏡に名機なし」なのは言うまでもありません。
 コントラストが低くていかにもしまらない描写でおまけに視界も狭いが視界の周辺部に渦巻き収差はもちろんのこと色収差まであり、見ることのできる範囲はほんの中心部にしかすぎません。視界の端に入った電信柱の左右が青と赤の輪郭線がつくので、おかしいと思って接眼レンズを外し、接着のため分解は出来ないものの外から光を当ててみると接眼レンズの構成はプラスチックなこともさることながら単レンズの凸レンズを組み合わせたラムスデンに間違いないようです。いまどきケルナーじゃなくて色消しにもなっていないラムスデンのそれもノーコートのプラレンズを接眼部を持つ双眼鏡なんかはっきり言ってゴミ双眼鏡。まあ視界の中心部分はまともなのですが。
それでもただでくれるといってもありがたく貰うような双眼鏡ではなく、まともなレンズを持つテルスターのほうがよっぽどありがたみのある双眼鏡です。
 しかし、スーパーゼニスは最初はまともな双眼鏡だったでしょうにいつからそんなゴミ双眼鏡に成り下がってしまったのでしょう?

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August 07, 2018

日本光学New Nover 7x50mm 7.3度Zタイプ双眼鏡

Dvc00057 オメガブランドの双眼鏡の口直しというわけではありませんが、日本光学のNEWノバー7x50mmを(笑)
 日本の7x50mm双眼鏡は大正時代末期に日本光学が開発したノバーの7x50mm7.1°という光学系を基本にしたZタイプのポロプリズム双眼鏡が基本で、戦時中も軍用としての需要で日本光学だけでは生産が間に合わず、その図面が各海軍工廠や光学各社に回っていろいろな7x50mm7.1°の派生型が作られています。
戦後はそれを基本に新たに参入したメーカーも含めて光学的にはまったく同一な7x50mmが輸出用双眼鏡として作られまくったのですが、本家の日本光学では戦後の昭和24年に新たな光学系を使用した7x50mm7.3°の双眼鏡を開発し、防水型のトロピカルと非防水型のNEWノバーとして発売するに至ったわけです。
 当時の板橋輸出用双眼鏡と異なるのはプロユースを想定して可能な限りは双眼鏡内部の内面反射やプリズムの迷光防止のために手間隙を惜しまず手を尽くした双眼鏡で、そのあたりは妥協がありません。
 それというのも主に海上で使用する航海用として使用した場合にはぎらぎら光る逆光の悪条件下で海面に漂う流木などを発見できないと生死に係わることもあるため、自ずからして使用できる双眼鏡はアマチュアが使うようなものではなく、逆に言うとこの日本光学のNewノバーはプロに選ばれた双眼鏡なわけです。
 これは昨年の11月くらいに入手したノバーですが、推定年代は昭和20年代末から30年代初めの製造だと思います。ちょうど日本光学ではニコンS2あたりを製造している時代で、そろそろ民生品は双眼鏡からカメラのほうが主力になりつつある時代の製品。
この時代のノバーはすでにレンズもプリズムもフルコーティング化しています。Newノバーの7x50mm7.3度の光学系は主に接眼レンズの改良で、旧ノバーと比べると接眼レンズの口径が大きく接眼レンズのバレルもかなり太くなっています。射出瞳径は真円で周囲に青いケラレもないことからおそらくプリズムもいち早くBK7からBaK4に硝子材が変わったのでしょう。対物筒に反射防止筒が追加になりプリズムは側面の黒塗りはない代わりに迷光防止のため底面にちゃんと刻みが入れられています。前から覗いても内部は艶がまったくない漆黒の世界です。
さすがは旧海軍相手に商売していただけのことはありますが、戦後は海軍に変わって民間の商船団や漁船団相手に日々改良を重ねてきたのでしょう。トロピカルよりも圧倒的に軽いながら同種の双眼鏡と比べて重いというクレームでもあったのか、日本光学では昭和30年代初めに筐体のダイキャストをマグネシウム合金にして軽量化を計ったフェザーウエイト仕様の7x50mm7.3°ミクロンを発売したようですが、あまり重量軽減には効果が少なかったためかフェードアウトし、すぐに7x50mm7.3度IFの時代になったようです。そのため、あまり7x50mm7.3°のミクロンネームのものは数が残っていないようです。
Dvc00056 それでわずかにカビのスポットとプリズムの曇りがあったこのノバーですが、筐体内部の加工も優秀でアルコール洗浄後のプリズムはがたつきも無く微動だにしません。接眼側のプリズムポケットも加工精度は抜群でしたが、後の7x50mm7.3°IFは鏡板の密閉性を高めるため、黒のパテを使用して筐体との密閉性を確保してあるのですが、この時代のノバーにはまだそれがありませんでした。波飛沫が掛かるような船舶で使用するのならトロピカルを使用せよということなのでしょうか。それでも後になってちゃんとこういうところも改良するのはさすがにプロユースの日本光学です。
 肝心の見え方ですが、マルチコートの明るい視野にはかなわないものの当時としては丁寧に反射防止を施したことによる群を抜いた明るい視野にコントラストのあるシャープな見え方はさすがプロのための双眼鏡で、板橋の輸出双眼鏡が束になってもかないません。というのも悪天候下、悪条件下でもいち早く相手の船や障害物を発見しなければいけない道具なので、言うなれば命が掛かっている道具なわけです。そのため、アマチュアが個人で手に入れるようなものではなく、官公庁や海運会社、大手水産会社などの装備品として償却資産扱いで購入されたものが殆どだったのでしょう。昭和40年代でもニコンの双眼鏡の価格は別格で高価でした。
 解像力分解能至上で描写に味があるかどうかということは論外でしょうが、意外に立体感に乏しく初期のニッコールのようにカリカリの描写に近い感じがします。
 ケースはフラップがバネ式からボタン止めになった茶色の飯盒型牛革ケース。ストラップも茶色の牛革ストラップでした。
 ただ、一つだけ残念なのは戦時中から戦後すぐのころのノバーに使われていた接眼フォーカシングリングのローレット加工がダイアモンドから単純な縦グルービングに変わり、コストダウンを感じさせることでしょうか。

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August 06, 2018

買ってはいけない!? 5ツ星オメガ12x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00053 板橋輸出双眼鏡業者のパブリックドメインならぬパブリックブランドといわれるオメガの商標が付く双眼鏡ですが、昔から技術と品質が保証されていない双眼鏡の代表とされており、その仕事がいかに酷いものだということを知るために各1円で4台送ってもらった双眼鏡の1台として入手。これ、単独だったらたとえ1円でも送料がもったいないから絶対に落札しません。
 このオメガはいろいろいわれる話では税金対策で部品の在庫の所有者を曖昧にして税務署の目を晦ますため、組み立てで預かった部品として各業者が共同の商標を使用したとか、各業者が輸出用の余った部品を換金する目的で、国内に販売するために作った共同の商標とかいろいろ言われていますが、中には従業員が勝手に部品を持ち出して双眼鏡らしきものを組み立て、質入して換金しただのそういう話まで伝わっているほどです。
 まあ、国内にこれだけたくさん残っていることを考えると余剰部品の換金目的もさることながら、業者の倒産による引き上げ品を銘板部分だけオメガのものに取り替えて換金目的で国内に流通させたというバッタものというケースもかなりあったと想像してます。
 こういう双眼鏡だけに実質的な品質の保証も無く、おそらくは最初から左右の像がずれているような不良品もたくさんあったことでしょう。成東商会のダウエルが部品のかき集めのような双眼鏡なのにちゃんと見えるように調整しているのにもかかわらず、オメガは「形だけプリズム式の双眼鏡」でまともに見えないものがかなりの確立で混じっていることを覚悟しなければいけませんが、入手したオメガが「どれだけ酷いもの」だったかを確認するという自虐的な楽しみもあるかもしれません。
 「オメガ各種まとめて10台で1000円」なら怖いもの見たさに入札してしまうかも(笑)
Dvc00054 その1円オメガの12x30mmですが、通称5つ星オメガ。売りやすいように12倍をうたっているものの実質的には8x30mmという倍率詐称双眼鏡です。クリーニング前に遠くの送電線を覗いて見ますが、像が左右にきれいに分かれて見えるのは調整でなんとかなると思っていました。
 そして対物筒を外して対物側のプリズムの曇りを取り除こうと開けてみたら、なんと驚いたことにプリズムが黄色のゴム系接着剤でがちがちに固定されています。あまりプリズムポケットの加工がよくない筐体の双眼鏡でショックでプリズムがずれないように透明なグルーで留めてあるものはありますが、こんなものは前代未聞の素人細工。それも対物プリズム自体が光路を覆いきれないくらい小さいのです。おそらくはミクロンタイプのプリズムを流用したような感じですが、この一回り小さなプリズムの左右だけコーティングが施されていました。
 対物レンズは両面コーティングながら接眼レンズはノーコーティングのようで、接眼レンズ側のプリズムは普通サイズですが、これもノーコーティングでした。
 それで対物側の小さなプリズムの位置が決まらず苦労して水平だけは出したのですが、最初に見たように左右のエキセンリングだけで距離をぜんぜん縮められません。プリズムが黄色いボンド止めのこともあり、最初から左右がきちんと調整されていた保証も無いので、このまま放置決定。
 そのため、針金で調整してあるがとりあえずはちゃんと見えるダウエルを抜いて最低ランク入りどころかランク外の評価になってしまいました。
 でも中には本当に輸出双眼鏡の倒産引き上げ品にオメガの鏡板をつけ直した割とまともなオメガ双眼鏡だってあるのでしょうが、とんでもないものをつかまされる可能性も大きいということで「触るな危険、買ってはいけない双眼鏡」の代表入り。
 オメガほど怪しいものはありませんがオメガのような国内専用共同ブランドのようなものにゼニス、スーパーゼニス、クラウン、イーグルクラウンあたりも広く出回っているところをみる、案外そうなのかもしれません。

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August 05, 2018

Sky-Luc. 10-50X50mm BL型ズーム双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00046 Sky-Luc.という聞いたこともないブランドの双眼鏡だったために、いままで「東南アジア製?」などと思われて粗末にというか、いままでまったく手を付けずに10ヶ月近くも放置されてきたズームの双眼鏡ですが、中を分解してその製造元が判明し、さすがは○○製だと急に株が上がってリスペクトされ始めた双眼鏡です(笑)
 そもそもズームの双眼鏡自体その性能面の制約上から「ズームに名品なし」などという思い込みで興味が無かったのですが、今の東南アジア製の小口径高ズーム比の双眼鏡と異なり、大口径で設計に余裕がある低ズーム比の双眼鏡はそれなりに見えることがわかり、さらにBL型のプリズムユニットの脱着と視軸調整をマスターしたことでやっと手をつける気になったズーム双眼鏡でした。
 この双眼鏡は12台まとめて504円かそれくらいで昨年の10月に入手した双眼鏡群の一台です。その中には鈴木光学やプレシジョンなどの戦後すぐの双眼鏡などが含まれており、大掘り出し物でした。

 このSky-Luc.というBLタイプのズーム双眼鏡は10-50倍というズーム比で口径は50mmですが、光機舎や市川光学工業のズームタイプのBL型よりも設計がかなり新しいようで接眼レンズ筒もすっきりスマートになっており、双眼鏡自体が巨大で重いという印象がありません。実際に重量が900g台なので、かなりプラスチックを多用しているのかと思いきや、プラスチックは接眼レンズのズームカムのガイドになるスリーブと対物セル周囲くらいなもので、筐体もプラスチックではなくダイキャストですが徹底的に重量軽減のためか凹凸をなくして薄く仕上げているようです。もしかしたら素材自体も単なるアルミではなくマグネシウムが混ぜられているかもしれません。
対物レンズは深いブルーコーティングでまさに「深い古井戸を覗いたがごとく」でしょうか。いちおう紫外線カットをあらわす表記があります。BLタイプなので対物レンズ枠にはエキセンリングは仕込まれておらず、対物レンズ外枠は衝撃を和らげる目的かゴム製です。
 接眼レンズユニットを外すために対物側からマイナスドライバーでストッパースクリュウを外したのちにフォーカシングリングを回して接眼レンズユニットを抜き、そのままそれぞれ2本のスクリューを抜いて鏡板を除いたあとで接眼ガイドを緩めて抜きます。
 現れたBL型特有のプリズムユニットはスプリングの付いたスクリュー3本と短いスクリュー3本があり、このスプリングの付いた長いスクリューを三本抜くことでプリズムユニットを取り出すことができるのですが、このスクリューが妙に硬くて頭が舐めそうだったため、何本かインパクトドライバーを使って緩めなければいけませんでした。そしてこのプリズムユニットを取り出して現れたダイキャストの陽刻がJ-B133.。なんと製造元は世界の有名双眼鏡メーカーのOEMを手がけ、いろいろと革新的な技術を提供し、現在も双眼鏡を作り続けている鎌倉光機でした。
 水戸黄門じゃあありませんが、いままで安物のズーム双眼鏡だと思って打ち捨てられていたものがJ-B133のナンバーをそれもプリズムユニットを取り除いた場所から見せ付けられて世界の鎌倉光機とわかり、急に大切に扱われることになったわけです。
Dvc00045 鎌倉光機に関して少々歴史を書いておくと創業は昭和22年5月で会社設立は昭和25年、創業当時は多くの光学関係の会社が集まる板橋のお隣の北区志茂でしたが割りと早い時期に埼玉の蕨市に工場を構え、今では蕨市の地場産業として鎌倉光機の双眼鏡がふるさと納税の返礼品に採用されたこともあるそうな。いままで鎌倉光機のブランドで国内発売されたことがなく、すべてがOEM商品で有名どころではニコン、キャノンやカールツアイスあたりにも製品提供している技術のある会社です。
 そのため、OEMの名前の有名ではない双眼鏡でも製造元が鎌倉光機だと信用できるというか、下手なものは作っていないなという安心感があるのですが、逆に板橋四畳半メーカーのようなとんでもないものに遭遇してしまう面白みに欠けてしまうのは仕方がありません。
 これ、鎌倉光機のオリジナル設計なのかプリズムユニット固定スクリューにバネをかませてありますが、緩まないようにするのと同時に落としたときにプリズムユニットにショックが直接加わってプリズムがずれたり破損したりしない工夫なのでしょう。こういう創意工夫の積み重ねが今の鎌倉光機に繫がっているのでしょう。
 BL型独特のプリズムユニットはプリズムは樹脂で位置決めされているので、プリズムの合わせ面が曇っていたりカビたりしていない限りは外すのは厳禁です。大抵はプリズム押さえのバネを外して表面をふき取るだけで事足りるはずです。そして肝心の視軸合わせですが、この双眼鏡は接眼ガイドの筒を装着したままで鏡板が外れるため、接眼レンズアッセンブリーを装着したままでプリズムユニットのスクリュウーで視軸調整することができます。
 ただし、どうしても三脚に固定して各倍率でのズレを確認しながらの視軸合わせになりますので、すべて組み立てが完了してから外側で視軸あわせが可能なZタイプ双眼鏡より手間が掛かります。
 それでなんとか視軸あわせも完了し、組み立てなおして遠くの送電線鉄塔を覗いた感想は、低倍率10倍ではけっこう破綻のない均一した画質で周辺部もゆがみが少ないのですが、もう少し広い視界が欲しいところです。解像力もシャープネスもそこそこなのですが、ズームなので仕方が無いというところでしょうか。
またズームに従って大きくなる焦点移動と左右の視差がやや大きいのが気になりました。
 実用になるのは30倍くらいまでで50倍まではいらない倍率なのでしょうが、おそらく10-30倍の双眼鏡では売れないのでしょうね。高倍率イコール高性能なんていう図式は7x50mmの双眼鏡から始めたわれわれのような元天文少年なら最初から持ち合わせていない誤った固定観念なのですが。

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August 04, 2018

カートンカスタム8x30mm 8.5度Zタイプ双眼鏡

Dvc00038_2  カートンのカスタム8x30mm8.5°Zタイプ双眼鏡、推定昭和50年代になってからの製品でしょうか。
というのも昭和40年代までのカートンはカタカナでロゴが入っていて少々垢抜けない印象だったのですが、こちらはすっきりした一般的なデザインになりました。
 カートン光学の創業は実に昭和の5年で当時は加藤六次郎商店として浅草に近い下谷の南稲荷町で光学製品卸を始めたことから始まります。昭和30年代末から昭和40年代に掛けては天体観測ブームやレジャーブームに乗ってCartonの名前の入った天体望遠鏡や双眼鏡が全国の眼鏡店などに並んでいましたが少子化による消費層の縮小から現在は実体顕微鏡の販売しかしていないようです。
 カートンは双眼鏡に関しては終始OEMで済ませていたようで、というのも板橋の業者が仕事ほしさに口をあけて待っている状態のときにわざわざ自社で生産ラインを持つ理由もなく、そのため、完成品を自社基準で検品するくらいしかしなかったのでしょう。そのためけっこう雑多なメーカーの双眼鏡が混じっている感じですが、80年代を代表するカートンの高級双眼鏡アドラブリックは宮内光学のOEMだという話です。
 板橋から上尾に移転した工場も20年ほど前に閉鎖し、現在では工業分野に特化した実体顕微鏡などをタイに設立した現地法人から日本に輸入販売する業務に特化してしまったようで、往年の天文少年からしてみると大変寂しい感があります。
 そういえば今年は火星大接近で天体望遠鏡もよく売れたという話ですが、我々が天文に足を踏み入れた昭和46年の火星大接近のときの天体望遠鏡の売れ方とは隔世の感があります。子供の数自体がそもそも違いますが、その時代はカートンやエイコー、ミザールやビクセンなどの中堅ブランドやアストロなどの中堅ブランド、五藤やニコンなどの高級ブランドも選択する自由だけはあったのです。もっとも昭和46年の火星大接近のときは当方まだ自分の天体望遠鏡は持てず、学研の科学の付録の望遠鏡で火星を覗いても他の恒星同様に点にしか見えませんでした。
Dvc00044_2 このカートンの8x30mmは一連の1円ジャンク双眼鏡ではなく690円で落札した双眼鏡です。接眼レンズが大きいことからもわかるとおりやや広角の双眼鏡で、8x35mm11°のような超広角ではないものの通常の視野7.5°の双眼鏡よりも見える範囲がやはり違います。
 おそらく以前から売られていた8x30mmは7.5°なのでしょうから広角シリーズとしてカスタムの名前が付いているのでしょうか。
 届いてすぐに対物レンズ側から分解し、まず対物側のプリズムを外して無水アルコールで曇りを磨きますが、酷いカビのスポットもなくきれいに拭きあげ完了。といのもどうやら対物側プリズムにはコーティングもないようでした。プリズムポケットの加工は優秀でプリズムの位置もピタリと決まりますが、一箇所錫箔による微調整がありました。
 対物レンズはシアンコーティングのシングルコートで対物レンズに遮光筒は装着されていません。筐体内部の塗装もやや艶が気になりました。
 接眼レンズのアッセンブリを外して接眼レンズ側の曇りをクリーニングしますが、こちらのプリズムポケット加工も良好でプリズムの位置もピタリと決まりますが錫箔修正が一箇所ありました。接眼レンズはさすがに口径も大きく一部マルチコートのようなコーティングが施されています。接眼レンズ内部は曇りもかびも無かったため、分解せずにそもままにしておきました。

 再度組み立てなおし、エキセンリングで視軸も容易に修正できましたが、肝心の見え方は視界がさほど広角というわけではないので、割と周辺まで均一な画像ですが、さすがに周囲はうずまき収差があるのは仕方がありません。内面反射やノーコートプリズムの光の損失を気にしていたのですが、意外とコントラストもシャープネスにも優れていて、VISTAの8x30mm双眼鏡のように遠くの送電線鉄塔の鉄骨の奥行きまで感じられるような描写が平面的ではなく立体的に見える双眼鏡です。
 欠点は鏡板をはじめ対物レンズや本体要部分の金具まで黒染めではなく戦中戦後の双眼鏡のように塗装仕上げのため、経年でぽろぽろはがれてくるのが気になります。もっとも当時のカメラの黒も塗装で、塗装の経年劣化ではがれてしまうため、わざわざ黒のリペイントを商売にしている業者もありましたね。

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August 03, 2018

Alps10x30mm Z型双眼鏡

Dvc00037 戦後板橋輸出用双眼鏡のブランド名の中には富士写真機工業に肖った格好かFUJIの付くブランドがいくつかあり、日本一の山が富士なら世界一はエベレストだということでエベレストブランドの双眼鏡やそれならヨーロッパはアルプスだということでアルプスブランドの双眼鏡、山の頂点はサミットだからサミットというような山関連のブランド名がいくつも存在しました。
 今回入手したのはその中でもAlps(アルプス)というブランド名の双眼鏡です。
 ALPSってHANZAやHAKUBAと同じような写真現像用品のブランド名だったような気がするのですが勘違いでしょうか?まあ中古カメラ店の新宿アルプス堂は有名でしたが。
 これも1円で落札した4台の双眼鏡の一台でしたがJ-B259という組み立て業者コードがありながら作った業者がわからないという双眼鏡です。組み立て業者コード設定の昭和34年当時は輸出価格の下落を防ぎ業者間の値下げ競争による品質低下を防ぐため、中小企業調整法とかいう法令の適用を受け、独占禁止法の例外業種として各業者に生産数量を割り当てていたそうで、そのために一目で出自がわかるように輸出双眼鏡は本体の刻印を義務づけられたらしいのですが、どうも個人事業者として個人名で業者コードを申請し、実際にはまったく事業を行わずに月間400台なりの製造割り当て数を他業者に売ってその手数料を稼ぐという手段の商売が横行したために問題になったという話もありますし、昭和30年代前半に雨後の筍のように設立された双眼鏡組み立て業者が昭和30年代半ばに数年の商売で仕事が激減し、不渡りを出して倒産廃業ラッシュが押し寄せたという話もあり、比較的短期間のうちに廃業したために一覧作成したときにはすでに存在しなかったという可能性もあります。けっこうこのコードは欠番や重複などがあり、そのあたりの事情はよくわかりません。
Dvc00036 そのアルプスブランドの10X30mm双眼鏡ですが作りとしてはオーソドックスな板橋輸出クオリティーのZタイプ双眼鏡です。倍率が真正10倍で倍率詐称していないところはそもそも輸出検査に回って輸出されることを前提で作ったのでしょう。対物レンズ表裏および接眼レンズ表はシアン色コーティングですが、プリズムはコーティング無し。内部は野口光学工業の双眼鏡同様に黒の鍍金かアルマイトのような仕上げで光沢があり内面反射が気になります。
 筐体のプリズム加工部分は精度的にも問題なく、プリズムもピタリと位置が決まるのですが、わざわざプリズムがずれないように透明なグルーで接着がありました。左側対物レンズの接着面にほんのわずかバルサム切れが見受けられます。
 それで実際に見た感じではやはり筐体内部の黒鍍金のてかりが影響して微妙にコントラストが低くて視界も暗い感じがします。一キロ先の送電線の鉄塔もどうも平面的に見えてしまい、コントラストとシャープネスは並以下。見え方としては手元にある野口工学工業の双眼鏡とよく似ている感じで典型的な板橋輸出双眼鏡クオリティーの双眼鏡のようです。
 気になって射出瞳径をノギスで計測してみるとおおよそ3.05mmほど。表記の10倍も検査合格範囲内のようでした。

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August 02, 2018

WORLD 8-20x50mm BL型双眼鏡(大塚光学)

Dvc00035 WORLDというこれも聞いたことの無い輸出ブランドの双眼鏡です。見口がゴムということもあり、そろそろブラスチックの部品が構成物に現れた80年代に近い双眼鏡だと思われます。
基本的にズームの双眼鏡は好きではなく、というのも何台かまとめて一梱包の双眼鏡を落札すると好き嫌いに関係なく必ずプラスチックボディの小型ズーム双眼鏡が混じっており、性能を誇示するためかやたらとズーム比が高いにもかかわらず最低倍率にしてもほぼ使い物にならず、すっかりズームの双眼鏡嫌いになってしまったからのようです。
それでもプラスチック以前のズーム式双眼鏡でズーム比が低いものはやたらと大きくて重いという欠点はあるものの、最低倍率でもそこそこは見え、最高倍率でも使えないことはないということがわかり、少しはズームの双眼鏡に興味を持つことが出来るようになったというところでしょうか。
 この双眼鏡は1円双眼鏡まとめて4台のなかの一台でした。左右の連動がギア式のズーム双眼鏡で倍率は8-20倍となっており当時の普通の水準。J-B48の刻印が残っているため、ワイドタイプとズームタイプの双眼鏡でその名を残し、未だに光学会社として存在する大塚光学の製品だとわかりました。
 大塚光学は昭和31年11月に練馬区仲町で操業しており、昭和40年代には練馬区北町、現在では川越市に工場があるようです。昭和40年代に輸出用双眼鏡メーカーが続々と廃業倒産していった時代にも高性能高付加価値の双眼鏡を作り続けていたためか、その当時でも従業員50名以上を抱える板橋双眼鏡業者としても大きな業態の会社でした。
 板橋双眼鏡がNIKONやFUJINONのような自社ブランドで輸出出来なかったなかで自社のDia-Stoneは数少ない板橋双眼鏡の自社ブランドとして海外でも通用したものです。
 その大塚光学の昭和50年代になってからの製品ではないかと思われる8-20X50mmのBL型ズーム双眼鏡ですが、分解前に覗いたところわずかに視軸が狂っていて送電線鉄塔の先端が斜めに分かれて見えました。
そしてズームカム部分のグリスの油分が蒸発してレンズやプリズム表面に付着したのか少々視界が曇っていたため、どっちみちオーバーホール対象機です。
Dvc00034 構造的には対物のセルだけがプラスチックという時代のものですが、面白いことに左右の視差の調整が接眼側の焦点を変えるのではなく右側の対物レンズをヘリコイドで出し入れして調整するという方式こういうのはあまり見たことがありません。対物レンズ接眼レンズともに外側がアンバーコーティング、内側がシアンコーティングのようです。最大径46mmもある接眼レンズ部分のバレルも巨大でさらにBL型の筐体も巨大で重く、とても持ち歩く気にはなれませんが、光機舎のズーム双眼鏡のように筐体下部にカメラの三脚に固定するためのねじ穴が設けられています。これよりも古い光機舎の同ズーム比8-20x50mm双眼鏡と比べるとやや対物レンズの焦点距離が短いのか全長が短くなった双眼鏡で、光学系に新種のレンズを使用したりして屈折率などを高めた結果でしょうか。
BL型の対物側接眼側のプリズムは一個のプレートに収まっていて、このプレートを接眼側から抜くことでプリズムの清掃が可能になります。この双眼鏡の場合は油分が蒸発してプリズム表面を曇らせているだけだったため、プレートからプリズムを取り出すことなく清掃可能だったのですが、プリズム相対部分に曇りやカビが無い限りは極力このプレートからプリズムは外さないほうがいいと思います。
プレートから外さない限りはプリズム同士の視軸の調整は不要なのですが、対物レンズとの視軸の修正はこの3本のねじで調整するようです。この場合対象物を覗きながらでないと調整が困難なので、接眼側の鏡板を閉じないまま接眼レンズのアッセンブリーを取り付け筐体をカメラの三脚に固定し、対象物を覗きながら送電線の鉄塔先端を一致させる作業を行ったのですが、どうやればどういう動きをするという感覚がないままぴたりと合ってしまいました。8倍で調整していたので倍率が変わるとズレも拡大されてダメかとおもったのですが、20倍でも大丈夫です。ただ、これは仕方が無いことですがズームしていくとピントのズレがけっこう気になり、いちいちフォーカスし直さなくなるのがわずらわしいことで。
 8倍時の描写はズームの癖にけっこうシャープで解像力のあり、並みの8x30mm双眼鏡より口径も大きい分分解能も優れているような感じです。光機舎の双眼鏡もそうですが、なんかズーム双眼鏡というと解像力がいまひとつのような先入観がありましたが、ズーム比が割りに低く口径が大きなズーム双眼鏡は調整さえしっかりされていれば実用に問題ないかもしれません。ただし逆光には弱そうでコントラストの低下は否めませんが。
 光機舎のズーム双眼鏡と重量を比べると光機舎が1234gに対して大塚光学が1140gとやはりやや軽いのですが、後の時代のプラスチック多用、おそらく海外製(実は鎌倉光機製でした)の20-50X50mm双眼鏡は963gしかありませんでした。まあこいういう大きさと重さで大型のズーム双眼鏡以前より廃れてしまった訳が何となくわかるというものです。

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August 01, 2018

市川光学工業PHOENIX 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡

Dvc00030 送料がもったいないので双眼鏡4台それぞれ1円で落札し、まとめて送ってもらった双眼鏡の一台だったものです。PHOENIXという商標にはまったく馴染みがなく、おそらくは何処かの輸出ブランドとして板橋で作られた板橋輸出双眼鏡の一台だと思っていたのですが、これがまとめて落札した4台の最大の掘り出し物でした。
JBコードとJEコードの両方が付いていたので昭和30年代中ごろから昭和40年代前半くらいの双眼鏡かと思ったのですが、製造元はJ-B24の市川光学工業でした。
市川光学工業というと戦時中昭和19年の設立で補助的にI.K.K.のマークで13年制式双眼鏡などの製造に携わり、戦後もすぐにオリエント貿易などと組んで相当な種類の双眼鏡をアメリカ本土に送り込んだ由緒ある会社です。
 ネットで拾った情報によるとこの古いPHOENIXブランドの発売元は東京輸出双眼鏡共同組合となっていたそうです。国内に双眼鏡を流通させる場合に個々の製造業者が営業対応できなかったため、まとめてこの団体が窓口になっていたのでしょうか?
 このPHOENIXブランドの双眼鏡はけっこう新しい昭和40年代末製造くらいのものもあるので、普通に市川光学工業のZタイプの双眼鏡のブランド名だったのかもしれません。

Dvc00029 双眼鏡メーカーとしては戦前から存在する会社の製品でもあるため、内部の加工精度や丁寧な内部つや消し塗装などに手抜きが無く、なぜか見え方までカッチリしているように感ずる双眼鏡です。さすがにこのような丁寧な仕事で自分の製品に責任を持たないと、なかなか海外からの大量発注にはつながらなかったでしょう。その市川光学工業も昭和46年頃から始まった円の切り上げならびに昭和48年の円の完全変動相場制移項による円高の影響。また直後に起こったオイルショックによる原材料高騰により名門市川光学工業もまともにその影響を受けたらしく、その後の光学会社としての足跡は見あたりません。
 このPHENIX8x30mm双眼鏡は無理の無い工学系のため、画質も割と均一でコントラストもシャープネスもまあまあ高い部類の双眼鏡でした。
  ただ、最近一番のお気に入りVISTA8x30mmとくらべるとVISTAの双眼鏡は1キロ先の送電線の鉄塔の先端が奥行きまでも感じさせる立体感が際立ったような描写をするのに対して、この市川光学工業の双眼鏡は何か奥行きが感じられない平面的な立体感に乏しい描写をするのです。これは以前新品購入したニコンのマルチコート7x35mmの双眼鏡もVISTAの立体感にはかないません。双眼鏡の描写というのは遠くの像が如何にシャープに結像するかという分解能重視なのでしょうけれど。
これは光学的にどうだというのではなく、レンズの描写の味みたいなものでしょうか。

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July 31, 2018

Telstar Sports 18ex(18x35mm)Zタイプ双眼鏡

Dvc00019 テルスターの通称茶テルスターSPORTS18GXです。実質的には18x35mmの黒テルスターと同一スペックで実倍率が7.29倍の倍率詐称双眼鏡です。
これもカメラ店や眼鏡店でニコンやフジノンの双眼鏡といっしょに並んでいた双眼鏡ではなくどちらかというと家電量販店やディスカウントショップ系のルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。そのため大手光学メーカーの双眼鏡と同等の定価設定で実質販売価格がその1/3から1/4などの売価で売られていた商品なのでしょうか。
 そうなると他の双眼鏡と比べていかに商品としてのアピールが重要で、そのために金属部分が茶色の塗装で貼り革がグレーがかった茶という見てくれの良い双眼鏡になっています。
 黒のテルスターと茶色のテルスターは同時期に売られていてノーマルな黒とファンシーな茶をチョイスできたのかどうかはわかりませんが、製造元は明らかに別で描写も微妙に違っているようです。
 実際の茶テルスターを分解してみた感じではスペック的には殆ど同一ながらややプリズムポケットなどの加工が甘いような感じで黒テルスターよりも精密度が落ちる感じがします。 Dvc00020 見え方もコントラストやシャープネスも黒テルスターと同じで中央部は良いもの周辺部はだいぶ画質が落ち、特に周辺部の渦巻き収差が黒テルスターよりやや大きい感じがします。
まあこの茶テルスターの場合であって製造期間も長く、部品の調達場所も組み立ての会社も時期によって異なるテルスターブランドの双眼鏡は筐体内部の反射防止処置の有無をはじめ、ロットでかなりの見え方の違いがあってもおかしくはありません。
 そのため、一つの個体をサンプリングして総論にするわけにはいかないでしょう。入手した茶テルスターは双眼鏡としてはまだましなものだったことは確かです。

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July 29, 2018

TELSTER(黒) 18x35mm 7°Zタイプ双眼鏡

Dvc00022 通称黒テルスターの18x35mm 7°です。茶テルスターSports 18ex双眼鏡といっしょに入手しましたが、実質的に同口径同倍率の双眼鏡です。
 テルスターはスーパーゼニス同様に日本中に出回っていた廉価版の双眼鏡で、眼鏡店やカメラ店の店頭でニコンやフジノンの双眼鏡と一緒にならぶのではく、どちらかというとホームセンターやディスカウントストアのようなルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。
 流通させた業者も製造した業者もよくわからない双眼鏡ですが、ボディタイプがどうやら30mm/35mmレンズ用と50mmレンズ用の2タイプですべてのバリエーションを作っていたようです。
 よく「手を掛けると見違えるほどよく見えるようになる」などといわれ、内面反射やプリズム迷光防止処置を施す入門用双眼鏡などとされていますが、果たしてノーマルのままではどうなのでしょうか?

 実はこの双眼鏡、これが主目的で入手したものではなかったのですが、コピターの8x35mm超広角を入手しようとして、これだけでは送料がもったいないのでその抱き合わせで一緒に入札したら、コピターを落札しそこないテルスターの2台だけ498円で落ちたというものです。送料のほうが落札金額の3倍も高かったのはいうまでもありません。 でもまあ、いままで真剣に向き合ってきたことがなかったテルスターの本質を探るのにはいい機会です。

Dvc00021 よく言われるのがテルスターは内部に反射防止塗料も施されておらず、ダイキャストの地肌が見えているということが前提で反射防止塗装入門機のような言われ方をしますが、今回の黒テルスター茶テルスターともに内部はやや艶が気になるもののちゃんと反射防止塗装は施されていました。
 対物レンズ筒にはちゃんとブラスチックの反射防止筒も装着されていますし、おそらくは時代がさかのぼったテルスターは徹底的なコストダウンの洗礼も受けず、それなりにまじめに作られた双眼鏡だということを感じました。ただ黒テルスターは18x35mmのところ、実倍率は約7.29倍、茶テルスターのほうも実倍率同じく7.29倍しかありません。結局は倍率詐称双眼鏡に過ぎないのです。
 またこの実倍率からしても実視界がかなり狭い双眼鏡で、その点でも性能的には「並以下」のスペックの双眼鏡です。さらに視界の中の良像面も中心部周辺に限られ、中心部はかなり良い結像ながら周辺部は像もゆがむようです。
 このくらいの画角の双眼鏡ならせめて均一の視界を保って欲しいのですが、価格からするとまあ仕方がないということでしょうか。
 まあ鳥を見る用途にも星を見る用途にも中途半端な双眼鏡ですが、古いテルスターだけにしっかり作られているとこだけは好印象です。また刻印はシルクスクリーンじゃなくてちゃんとした彫刻ですし。

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July 28, 2018

Kenko 8x25mm6° Zタイプ双眼鏡

Dvc00024 ケンコーの8x25mm 6度というZタイプの双眼鏡です。実質的なZタイプのミニマムサイズとなった8x30mm双眼鏡よりも一回り小さな双眼鏡でどちらかというと旧陸軍の13年制式6x25mm双眼鏡に近い双眼鏡です。
時代的には昭和30年代末期から昭和40年代中ごろまでに存在した双眼鏡ですが、前期はケンコーのメーカー名が筆記体、後期はこのようなおなじみのケンコー社名のシルクスクリーン印刷になってます。
外装の接眼側と対物側の鏡板および対物筒リングが黒塗装という当時としては珍しい仕上げの双眼鏡ですがスタンダードから外れたオフサイズの双眼鏡ゆえか有名メーカーの商品にしては世の中に出回っている数が少ないような感じでオフでもあまり見かけません。
数が少ないのにブルファイトのように値段はあまりつかずこちらも100円で落札した双眼鏡です。
 覗いた第一印象が何か像が8x30mmの双眼鏡にくらべて遠くに見えることが気になって射出瞳径を測定したら4.75ミリで口径の25mmを割ると実質倍率5.26倍しかありませんでした。どうりで結像が小さいわけです。また視界も狭いので何かオペラグラスを覗いている感があります。
また30mm口径と25mm口径の解像力の差もあり解像力にも不満が残ります。まあ利点としは小さくて取り回しがいいということがありますが、それならミクロンタイプやダハプリズムタイプのほうに軍配が上がります。
 この中途半端さが数がはけなかった理由でしょうか。でも個人的には小さなZタイプのかわいらしい双眼鏡は大好きです。
Dvc00023 J-E11のダイキャストメーカーの刻印がありますが、J-Bナンバーは入っていません。もっともケンコー自体J-Bナンバーを取得していますし、こちらは国内向けの双眼鏡なので、別に入っていなくともかまわないわけです。
 ケンコー自体は研光社のスタートが双眼鏡の組み立てでしたが、倒産したワルツのレンズ用フィルターに参入したあたりから業態が拡大し、総合光学製品商社になってしまい、製品はすべてが関係業者からの納入品になっています。そのため、時代時代でかなり雑多な商品構成となっており、この商品も果たしてどこの会社のOEM製造なのかもわかりません。
 また同じケンコーの製品でも請け負った製造メーカーの違いにより出来不出来があるようです。
 

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July 26, 2018

GINGA 8x35mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00014_2  GINGAという商標の8x35mm 9°の広角双眼鏡です。ちょっと形の変わった変形Zタイプ双眼鏡とでもいうべきもので、昭和30年代後半から徐々にアメリカ向けに増えてきた35mmの広角双眼鏡の一種です。
 アメリカでは日中使用に最適な双眼鏡は7倍30mmだというような消費者意識があったそうで、どうもこれは軍隊の双眼鏡がこの規格でそれを使った軍隊経験者がそう言うからそうなのだろうというようなものだったのでしょう。それでその規格に近く実視界をワイドにするため口径を35mmにして倍率が7-8倍、実視界が8.5度乃至9度以上という双眼鏡が要望されたとのことです。
 そのため8x30mm双眼鏡では8.5度以上、8x35mm双眼鏡では9度以上という双眼鏡が作られるようになり、中には実視界10度以上、最高で13度という双眼鏡も出現したようです。
  輸出の双眼鏡は厳密に検査が通ったのでしょうから普通の双眼鏡なのに広角をうたったものは不合格ではねられたのでしょうが、国内向けは倍率詐称が横行していましたので、実視界もノーマルの双眼鏡と変わらない広角双眼鏡がありそうなので注意が必要です。

 Galaxyなら日本では製造元を隠して販売する某SAMSUNのスマホですが、このGINGAというブランドはまったく知りません。GINGAといっても別に天体観測用に作られたわけではないのでしょうが、8x35mmで9°という使い勝手が良さそうな広角双眼鏡です。
 この特徴的な筐体を作ったのはどこかわからないのですがHunterブランドをはじめいろいろな名前で売られていたようです。ポロプリズムの組み合わせに外皮をかぶせたらこうなったというZ型やM型双眼鏡と比べるとデザイン優先の双眼鏡でプリズム収納部分には無駄な空間が多いのですが50年代60年代のアメ車デザインのようにアメリカ受けしたデザインの双眼鏡だったのでしょう。
Dvc00013_2 内部の作りこみはつや消し塗装されているものの対物筒に迷光防止の筒はありません。プリズム部の加工はわりとまともでしっかり収まりました。これがだめな双眼鏡は左右のプリズムで水平度さえ出すのがとんでもなく手間だったりどちらかの鏡筒だけとんでもない角度に画像を結ぶものがあります。コーティングはごくオーソドックスなシアン色コーティングで珍しくも焦点調節輪と接眼外枠はダイキャストの金属製でした。
 肝心の見え方はそこそこワイドな視界を持ちますし、周辺部のゆがみのそれほど気になりません。しかし、シャープネスとコントラストおよび視界の明るさなども不足しています。また、通常の8x30mm双眼鏡が500g前後なのに対し650gとやや重いのも気になりました。形がスタイリッシュでも重くなって機動性が悪くなる。まさにアメ車のスタイル優先テールフイン時代みたいな双眼鏡です。
 ダイキャスト業者のJEコードも組み立て調整業者のJBコードもありませんでした。名前の違う兄弟はたくさん居そうなのですが、個性的なゆえか正体のよくわからない双眼鏡です。

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July 24, 2018

ZUIHO 8-20x50mm ズーム双眼鏡(光機舎)

Dvc00016 たぶん国内に出回っていなかったであろう双眼鏡だったので1円で落とした双眼鏡です。1円でも送料がバカにならないので他の出品商品のジャンク双眼鏡とまとめて送ってもらいました。
一応は瑞宝光学の双眼鏡ですがこの形からわかるとおり瑞宝光学で生産したものではなく一時期この手のズーム双眼鏡をOEMでかなりの量を製造した光機舎の双眼鏡です。
 アメリカのコレクターの話ではZUIHOの商標はすでに昭和40年代他社に売却され、それ以降の製品はすでに瑞宝光学の製造ではなくOEMということですが、何かそれを裏付けるようなOEM商品です。
 光機舎は昭和27年5月に大田区田園調布で設立された会社。ボシュロム型双眼鏡専業という珍しい双眼鏡組み立て会社ですが、どうやら朝鮮戦争で大量に使用された軍用のBL型双眼鏡の修理メンテナンスの下請けから製造業者に進出したらしいです。そのため、旧来日本では製造経験がなかったBL型が得意で、のちに連動型ズーム双眼鏡に発展させ、これがありとあらゆる会社のネームで欧米に大量に輸出されています。
 大きいところではペンタックスやチノンなどのカメラメーカーのOEMもありました。初期のズーム双眼鏡としてはザイカやハミカとともにベストセラーだったのですが、その左右の連動方式がギア連動式で大塚光学あたりのズーム双眼鏡が台頭してから淘汰されたようです。

Dvc00015 この瑞宝光学ネームの光機舎製造の双眼鏡は変倍レバーが固着し、分解してみると左右の連動のための金属のベルトが外れているか切れているかの状態でした。そのために最低倍率の8倍にズームのカムを固定。現在8x50双眼鏡になっています。
 世の中いい加減な倍率のズーム双眼鏡が溢れかえっているなかで、さすがに輸出品らしく9-20倍というのは実倍率のようです。ペンタックスのアメリカ向け双眼鏡がそうであったようにやたらと濃いアンバーというか殆ど黄色のコーティングが施されていますが、これはヘイズカットの意味合いがあるそうで、なるほど覗いてみると茶色っぽい曇り空が青っぽく見えます。でもどれくらい霧の中で効果があるものか。
 BL型ゆえにやたらと筐体が大きくて重い双眼鏡でボディに三脚雲台に固定できる穴が開いているのが特徴です。

 覗いた感じは光学系に余裕のある作りゆえなのかズーム双眼鏡特有のなにか省略したような見え方ではなく、意外にかっちりと見えるズーム双眼鏡でした。もっともこれは最低倍率の8倍でのことですが。

 それにしてもまったく軽量化に配慮されていない巨大なボディは日常首からぶら下げる重さではなく、重さと大きさはニコンのトロピカル級というところでしょうか。

 輸出双眼鏡だけに光機舎J-B21の刻印がしっかり刻まれています。

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July 23, 2018

成東商会DAUER 12x50mm IF Zタイプ双眼鏡

Dvc00005 ダウエル光学の成東商会というと昭和40年代から50年代の天文マニアでは知らない人はいないでしょう。
天文ガイドなどの広告におびただしい商品を載せていましたが、その成東商会のカタログ冊子は中学生時代の当方も切手をいくらかか送って入手しました。
そのカタログ冊子が今残っていればいい話のネタにはなるのですが、けっこう物持ちが良い我が家でもさすがに捨てられてしまって探しても出てこないでしょう。

 そのダウエル光学の製品ですが、少なくとも当方の周りではいくら他の光学メーカーよりも割安な製品群だとしても現実に手を出す人間は皆無で、そのためダウエルの製品を実際に手にしたことはありません。
 成東商会に関してはそのスタートは大変早く、戦前から営業していたようなのですが、どういうわけか戦前の光学製品卸から戦後はメーカー化したカートンやエイコー、戦後のケンコーのような名の知れたメーカーに発展することなく、旧態依然の家内工業で光学製品組み立て小売に徹していた会社でした。
 場所は文京区本郷の東大赤門のそばというような話ですが、一般家屋のようなところに部品の箱が山積みになっていて、注文が入るとその部品を組み立てて発送するなどという営業形態で、決して箱に詰め込まれた完成品が幾種類も並んでいるというようなそういう場所ではなかったようです。
 そのダウエル商品ですが、屈折式反射式の天体望遠鏡はもちろんのこと顕微鏡や双眼鏡、そのほか天体望遠鏡の自作に必要な部品類、特に反射鏡を磨くための素材や材料などの用意は相当細かく扱っているようでした。その扱っている商品の豊富さからするととても一軒屋で細々と営業しているような4畳半メーカーには思えないのですが、そこは子供ながらの本質を見抜く感というか、やはり初心者は手を出してはいけないメーカーだということを匂いで嗅ぎ取ったようです。
Dvc00011 成東商会の存在は忘れてはいませんでしたがダウエルの商標名は40年くらい忘れ去っていました。ここしばらく板橋の輸出用の双眼鏡をいじってきて、そこで徐々に気になったのが成東商会のダウエルブランドの双眼鏡です。板橋双眼鏡でもけっこういい加減なものがあるというオメガブランドの双眼鏡と比べてもどれくらいおかしい作りの双眼鏡かということに興味があったのです。それでしばらく探していたのですがさすがにゴミ双眼鏡でこれがなかなか見つからないのです。
 そしてやっと見つかったのがダウエルの12x50mm双眼鏡。それもけっこう古そうなIF(単独繰り出し)のZタイプ双眼鏡で落札額は他の双眼鏡含めて1円でした。もっとも最近1円双眼鏡ばかり集めてますが(笑)
 分解前にいつもの送電線の鉄塔を覗いて見ますと、少しカビてはいるもののまったく見えないというほどもものではなくちゃんと像は1つにまとまってみえるので視軸も合っているようでした。
 とりあえず今回は接眼側から分解し、プリズムを磨くことにしますが、驚いたことに接眼側鏡板の内側に1.6φの針金をループにしてスペーサーとして噛ませてます。たぶん集めてきた部品がすべてマイナス側の誤差になったため、スペーサーとして調整用にかませたもののようです。どんな板橋の双眼鏡にも見られない「針金入り」の双眼鏡に早くもドン引き状態(笑)
 おまけに接眼側のプリズムは左右で角のカットが異なるもの。片方は頂点の片サイドを斜めに削り落としてあるのですが、片側はなぜか両方に削り落としがあります。対物レンズには両面にコーティングがあるようですが、接眼レンズには外側のレンズにしかコーティングは施されていないようです。
 対物レンズ筒がやたらと硬くて本体から外れず、どこかに隠しねじでもあるのかと探したのですが見当たりません。渾身の力を込めてベルトレンチで回すとやっとのことで回ってくれましたがねじ部分に油分がまったくありませんでした。対物レンズをはめ込んでいる枠には黒染めがあるのですが、それを支えているエキセンリングやレンズを抑えるリングは鍍金も黒染めもないもの。これも板橋双眼鏡超えのコストダウンの結果でしょうか。対物遮光筒がない代わりにプリズムに反射防止カバーが装着されていましたが、こちらもブリキの抜きっぱなしで黒染めもありません。やや反射が気になりますが、ちゃんと筐体内部は塗装され、プリズムポケットの加工は意外にというと失礼なことにプリズムがまったく動きもしないほど見事に加工されており、ここだけはニコン並み?
 左側の対物鏡筒がねじ込まれている鏡板にも針金が仕込まれており、接眼側とあわせてこちらは合計3.2mmのプラス焦点調整、右側は接眼部分のみでプラス1.6mmの焦点調整です。
Dvc00010 とりあえずすべての光学系を洗浄してすべてのねじ類をグリスアップし、視軸調整してみると、これが意外によく見えるのです。快晴のアウトドアではコントラストの低下は否めないのでしょうが、解像度はなかなかのもの。ただし、実倍率は7倍しかありません。12x50mm双眼鏡なのですが実は7x50mmなのです。わざわざ7x50mmと12x50mmの双眼鏡を注文したら名板だけ異なる中身が同じ双眼鏡が届けられるのでしょうか?

 「針金を使ってでもちゃんと見える双眼鏡に仕上げる」技術は認めますが、これをつかまされたユーザーはたまったもんではありません。焦点調整といっても対物筒に薄いシムを一枚かませる程度が限度でプラスの3.2mmの調整というのも空前絶後です。

 かなり古い時代の双眼鏡にもかかわらず筐体を作った業者のJEコードは見つからず、成東商会自体輸出業者ではないのでJBコード自体取得されていません。そのため、部品の調達先は不明。

 撮影用にテルスターから見口をトレードしてかぶせてありますが、おそらく見口の材質が悪かったのか両方とも欠損していて、IFの双眼鏡からいろいろ付け替えてみたもののどれも合いませんでした。

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July 20, 2018

東京光学機械TOKO Pride x2.5 オペラグラス

Dvc00008 東京光学機械のトーコープライドという昭和20年代に輸出で外貨を稼ぎまくったありがたい逆ガリレオタイプのオペラグラスです。
このトーコープライドは戦後第一号のアメリカ輸出商品として日本光学のノバーなどとともに承認を受けた輸出第一号名誉の双眼鏡で、その後は鏡筒部分の貼り革の色を変えたり素材を鰐皮やトカゲ革風のものなどのパターンモデルをたくさん生み出し、おびただしい数が海を渡ったものと思われます。
 当然のこと、当時会社として1000人近い従業員を抱えていた東京光学機械としても他の双眼鏡や戦後復興に欠かせない測量機械、さらにはもっと高収益なカメラ開発の部署の要員まで投入するわけにはいかず、戦前に軍用の双眼鏡の部品を製造させていた周囲の光学関係事業者に図面を渡してレンズやプレス部品の製造をさせたり組み立てをさせたりの仕事を外注として出したことで、それ以降これらの業者がこの形式のオペラグラスを独自に製造して輸出するようになるようです。
 というのもこのトーコープライドの原型はツアイスあたりで、それがイギリスでコピーされ、戦前の日本でもすでに手を付けられていたらしく、東京光学機械のオリジナルというわけではなかったことも一因でしょうが、当時の知的財産権なんかなきに等しかった日本では「これと同じものを作ってくれ」と見本を渡せば一月半もあればまったく同じものが2千個ほど箱詰めされて納品されるという時代だったと思います。
Dvc00007_2 そのため、雑多な商標でいろいろなトーコープライドコピーが存在しますので、本家のバリアントを集めるだけではなく、そのコピーモデルまで手を広げるとけっこうなコレクションになりそうな。おまけにオークションの落札金額が1000円以下ですから手を付けやすいという利点もあるかたわら、いつまでも落札されないで残ってしまいがちで、結局は落札者もなく不燃物で捨てられてしまうことも多そうで、最近はあまり掘り出し物が少なくなったような気もします。 また各モデルでケースが異なるので、これもコレクター心をそそられます。
 眼幅固定で調整できないという難点がありますが、折りたたみのオペラグラスを始めとしてプレス製のものは眼幅固定タイプが主流ですからそれは気にはなりません。プレスタイプのオペラグラスと違い、このトーコープライドには視軸の調整があり、対物レンズ側ではなく接眼レンズがエキセンリングを介して固定されているため、ちゃんとこれを調整すればけっこうまともに見えるオペラグラスになるのです。もっともコピーモデルはこれを省略してしまったものもあるかもしれません。
 トーコープライドは輸出が始まった昭和22年からサンフランシスコ平和条約発効の昭和27年4月まではmade in occupied Japan刻印、その後はmade in Japan刻印が付されていますが、実際のトーコーブランドのプライドは昭和30年代くらいで製造を終了し、あとはコピーモデルだけが市場に出回り、昭和60年代前半くらいまでは市場に見られたようです。
 現在ではこのようなコストのかかるオペラグラスは市場に皆無で、数百円で買えるようなものはレンズもボディもプラスチックの一体成型品で視軸も合わせられないようなものが殆どです。

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July 19, 2018

Precision 8x21mm CF Zタイプ双眼鏡

Dvc00001 Precisionという商標の付く古い双眼鏡です。プレシジョンというと我々「鉄」にとっては通称19SEIKOと呼ばれる鉄道用懐中時計のほうが馴染みが深いのですが、現在光学系でPrecisionを検索するとアメリカの医療系光学機器の会社が出てきます。
どうやらこの医療系光学機器の会社は過去に日本から双眼鏡を輸入してアメリカで販売したことはないようです。
 このPrescisionブランドの双眼鏡は8x21mmと8x24mmおよびTOKO Prideコピーのオペラグラスしか見たことがありません。すべてノーコートの双眼鏡ですし、設計が戦前の小さな筐体の双眼鏡を無理してCFにし、8倍に設計変更したような双眼鏡のことからPRINCEなどと同様にどうやら戦後すぐにデパートなどで扱われた光学製品の問屋系ブランド名ではないかと推測しています。
 というのも妙におもちゃっぽいところがあり、たとえば左右の視度調整は右側の接眼レンズを鳥居から筒ごとねじで繰り出すとか、何か眼鏡店などの店頭に並ぶよりもデパートのおもちゃ売り場の片隅に科学教材としてプリンス光学の顕微鏡や天体望遠鏡などといっしょに並んでいたほうが似合いそうな双眼鏡です。まあ作っていた会社というのは4畳半規模の会社だったのは間違いないのでしょうが、その後Precisionの商標を捨てて輸出用双眼鏡のOEM元として設けてビルでも建てたのか、それともこの双眼鏡だけで事業に行き詰まって廃業したのかはわかりません。
 それでもZタイプのポロプリズム双眼鏡としてはミニマムサイズに近い双眼鏡で、何か言うこともできないかわいらしさのようなものがあるコレクター心をくすぐる双眼鏡です。
Dvc01001 筐体は13年制式双眼鏡の流用かと思ったのですが、筐体をふさぐ鏡板は3本のビスで留められるまるで軍用。板の材質も真鍮板の黒塗りです。内部のプリズムも小さなノーコートのプリズムですが、射出瞳径はちゃんと真円でした。カビや曇りを落とし、再組み立て後に苦労して調整したこの双眼鏡の見え方は口径が小さくノーコートだから期待はしていなかったのですが、コントラストも低く解像力もいまひとつながら像は意外に均一な描写で端のほうでも激しく像がゆがむということもありません。
 ただ、機械的部分の精度、特に中央繰り出しのねじの精度などが余り良くなくバックラッシュが大きかったり鳥居のガタが大きくて引っかかり感があったりして、そのをあたりがおもちゃ感を大きくしている理由でしょうか。

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July 18, 2018

SUPER FUJI 12x30mm 5°Zタイプ双眼鏡

Dvc01000  噂どおりにどれだけお粗末な双眼鏡かという興味だけで400円で落札したスーパーフジブランドの双眼鏡です。
名前だけは富士写真光機を超えているのですがそれほど酷い双眼鏡なのでしょうか?
 実は昭和30年代の輸出双眼鏡組み立て業者が板橋に雨後の筍のように設立された時代、フイルム・カメラ・光学製品の総合メーカーの富士写真光機にあやかったのか、それともあたかも富士写真光機の製品と混同されることを意図的に狙ったのか社名に富士の付く会社が4社くらい存在しました。
 ブランドとして今残されてるのはFUJICON、FUJI、SUPER FUJIの3つくらいでしょうか?実際にJBコードを取得している富士ネームの会社は不二という名前も含めて6社存在します。そのうち双眼鏡などを実際に組み立てていた会社は4社ほどでJB8が本家の富士写真光機のほかには本社が渋谷で工場が大宮にあったJB19の不二工芸社、JB28の富士精密機器製作所、JB185の富士光学という会社があります。その他の2社はプリズム製作やプレス部品等の製作がメインだったので除外。そうなると富士写真光機を除く3社がそれぞれFUJICON、FUJI、SUPER FUJIノ製造元だったということなのでしょうか?
 このなかで一番長期間にわたって何種類かの双眼鏡を市場にだし続けていたのは3ブランドの中ではスーパーフジブランドの双眼鏡のようで、輸出にそのままのブランド名で回っていた双眼鏡もスーパーフジだけのようです。
  千葉から届いたスーパーフジの12x30mm5°表記の双眼鏡は対物レンズ裏にカビのスポットやプリズムにも若干のカビと曇りがありましたがそのまままでも使えないこともないようなコンディションでした。
 そのまま遠くの送電線の鉄塔の先端を覗いてみても視軸はぴたりと合ってました。実際に覗いた感じでもそれほどとんでもない双眼鏡には思えませんでした。
Dvc00999 しかし、驚いたことにというか案の定というか12x30mmというのは大嘘で、実際に覗いた視界は他の8x30mm双眼鏡とまったく変わりません。この手の製造元がよくわからない双眼鏡にありがちな倍率詐称双眼鏡です。
そのまま双眼鏡の片方ずつ対物レンズ筒を外し、対物側のプリズムの抜いてカビと曇りを取り除きます。プリズムポケットの精度があまり出ていないのか小さな紙片でプリズムの角度調整が入っています。おまけにプリズムポケットの加工精度が良くなくゆるゆるで、どちら側に追い込んであるかはチェックしておいたものの再組み立てしたのちは像が斜めに結像してました(笑)
プリズムの表面はコーティングもなく、なんと対物レンズは表と裏のレンズのコーティングの色が異なります。表面がアンバーで裏面がシアンコーティングでした。意図的なのかかき集めてきたレンズがたまたまそうだったのかは不明。やや艶が気になるものの筐体内部は黒塗りされています。
接眼レンズ群は表面も内部もまったくコーティングがありませんでした。

 筐体の加工精度がダメでプリズムポケットがゆるゆる。プリズムの微調整で錫箔ならぬ紙片が使用され、レンズは余剰品らしきものをかき集めて8x30mmの部品で12x30mmの倍率詐称双眼鏡を作り上げるなぞ、板橋零細双眼鏡組み立て業者の余剰品換金方そのまままのですが、いちおうスーパーフジブランドの双眼鏡はそのまま米国や英国に輸出されていたようです。
 しかしさすがに倍率詐称は輸出検査に引っかかるようで、30x50mm双眼鏡は7x50mmに、15x35mm双眼鏡は9x35mmに、12x30mm双眼鏡は8x30mmとちゃんと正規の
倍率になっているところが笑えますが、これは日本のユーザーの高倍率イコール高性能という神話がまかり通っていたことにも原因があります。

 実質的には同じ双眼鏡なのに8x30mmと12x30mmが並んでいたら12倍のほうを買うのが心理だったのでしょうから(笑)

 それで苦労してプリズムの位置を何度も修正し、エキセンリングで完全に像を一致させたスーパーフジの双眼鏡の見え方はそんなにコントラストも解像度も悪いというものでもなく、ごく普通の板橋輸出用双眼鏡レベルでしたが、さすがに岡谷のビスタのほうがはるかに良く見えます。

 それでこの双眼鏡の製造元ですが、個人的には作られた期間の長さや輸出の数からしてもおそらくは渋谷区内で創業し、大宮に工場のあったJ-B19の不二工芸社あたりが怪しいような気がします。昭和28年設立の不二工芸社は昭和40年当時でも従業員100名以上を抱える一大OEM双眼鏡業者でした。
 しかし、それほどの規模の会社でも国内向けは倍率詐称するのかと半ばあきれる気もしますが。


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July 16, 2018

東京光学機械EXTRA MONARCH 8x25mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00997 東京光学機械がおそらく戦後昭和20年代末に製作したエクストラモナーク8x25mm双眼鏡です。
おそらくは旧陸軍の将校用双眼鏡13年制式6x24mmの設計を8x25mmにスケールアップした双眼鏡だと思います。そのためにモナークにエクストラの冠詞がついているのでしょうか?
 当時すでに輸出用Zタイプの双眼鏡は8x30mmに移行していましたし、6x24mmクラスの双眼鏡はミクロンタイプが輸出の花形でしたから、この旧軍将校型双眼鏡は輸出には回らず国内にしか出回らなかった双眼鏡でしょう。
 終戦直後はこの手の双眼鏡の未組み立ての残存部材があり、それを組み立てて米軍のPX向けに出荷したことはありましたが、昭和20年代も半ばに達すると残存部材の活用ともいかず、おそらくは本体ダイキャスト等新規で生産したものなのでしょう。
 戦前のTOKO双眼鏡のように本体の鏡板は対物側も接眼側も3本のビス止めで材質は真鍮板で、内部に湿気の侵入を防ぐためか黒のパテで隙間を塞ぐようになっています。対物リングは銅板プレスの黒染めでした。
Dvc00996 対物レンズ接眼レンズおよびプリズムにもコーティングが施されていましたが、ケースに入れたまま何十年も放置状態だったためか内部のカビが酷く、特にプリズムの表面のコーティングがカビで変質してしまい、いくら磨いてもカビ跡は取れませんでした。
 また、東京光学機械には有るまじきような筐体精度でプリズムの位置決めがゆるゆるで、一度バラしたあとはどうやっても左右の像を真ん中に追い込めません。あれこれ何度も行ったものの諦めて現在放置状態です。
 対物レンズの口径も小さく倍率が8倍ということもあり視界はおそらく6°そこそこと今の8倍双眼鏡と比べると視界の狭さは否めません。
 さらにカビ跡などの影響でいまひとつ抜けが良くなく解像力も物足りません。返っておそらく同時代のZ型でミニマムサイズに近いPrecisionの8X21mmのほうが良く見える気がするのですが(笑)

 まあ、この13年制式双眼鏡のサイズ感を懐かしみ、この双眼鏡が戦後少し作られただけでディスコンになったことを惜しむファンも多いのですが、この筐体を使用して高倍率広視角の双眼鏡への発展性がなく、消えてしまったのは当然のことでしょう。

 ケースは牛革の飯盒型でストラップも牛革製。驚いたことに説明書と未開封の小さなシリコンクロスが残ってました。説明書はカタログ的なものではなくごく簡単な双眼鏡の調整と手入れ法の小さな紙片でした。

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July 14, 2018

日本光学NIKKO ノバー7x49mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

Dvc00957  今年はニコン双眼鏡100年だそうで歴代の双眼鏡を集めた展示会が行われたそうです。当時の日本光学というと軍用光学品の国策会社という意味合いが強く、それでも戦前までは当然のこと民生用の光学製品もありました。
 そのニコン、当時の日本光学ですが、終戦後は業態を縮小して完全な民生品の会社となり、存続することをGHQから許可され、大井町の工場でまず外貨獲得のために双眼鏡の生産から始め、のちに35mmカメラの生産に乗り出し、今のニコンに至るという歴史があるようです。
 これは以前、横須賀から入手した戦後すぐの生産の日本光学ノバー7x49mm7.1°の双眼鏡です。
 この50mmではなく49mm表記のノバーは非常に珍しく、というのも戦争末期にバルサム切れした対物レンズがカシメで固定されている対物レンズ枠から外せなく修理できないというクレームから対物レンズを後ろに抜くような改良を施した急拵えの対物枠がわずかに1mmほどレンズを覆ってしまったために49mmなんだそうで、終戦まで有効径49mmになっても50mm表記は変わらなかった(?)ものの、いざ終戦直後に戦時中の残存物をかき集めて輸出用のノバーを組み立てたときにこのままではまずいということで正直に49mmの表記となったらしいのです。その後すぐにエキセンリング付の対物枠に変わって正真正銘の50mmとなってまもなくノバーは光学系が改良され視野が7.1°から7.3°になり今に至るわけです。  Dvc00956 その視野角7.3°のノバーおよび防水型のトロピカルはトレードマークがNIKKO表記からNIKONに変わっていました。
 そんな経緯もあり、さらに戦時中の残存部品をかき集めて作ったノバーはほとんどが米軍のPXで売られた関係もあって国内に残っているシロモノは戦時中のノバーなどに比べても非常に少ないのではないかと思います。おそらくは横須賀から出てきたということからも元は米軍関係者が購入したものかもしれません。米軍のPX向けの商品としてGHQからmade in Occupied Japan表記を追加することが要求され、この双眼鏡もmade in Occupied Japan表記です。

 戦時中の残存部品をかき集めて組み立てたノバーですから各レンズ面はノーコートで対物レンズ鏡筒には遮光筒はない代わりに対物側プリズムに遮光カバーが付きます。鏡筒の貼革、天然樹脂のグッダペルカは皮シボ模様ではなく戦争末期の砂目のようなタイプで、グッタペルカの量を少なく済ますためにごく薄く仕上げてあり、そのために今でははがれて丸裸になった戦時双眼鏡も多いのですが、この固体はヒビと部分的な欠落はあったものほぼきれいな状態を保っていました。しかし、グッダペルカの真ん中付近に経年劣化による縮みで裂け目が出来ており、このままだとこの裂け目からグッダペルカが大きくはがれる危険があります。

Dvc00955 そのグッタペルカの補修をどうしようかと考えたのですが、靴底補修用に黒のチューブ入り樹脂を買ってきて、これを裂け目に沿って塗りこむことで、これ以上裂け目が広がらないように、ここからグッダペルカがはがれないように処置しましたが、この靴底補修財がもともとはゴム系素材との親和性が高くなるように作られており、天然樹脂のグッダペルカとも相性が悪いはずも無く、意外にきれいに補修できました。
 ただ、いつまでたってもべたつき感が残るのと艶が合わないのが難点ですが。それ以後は酢酸ビニール樹脂製の革シボもどきでも貼り革の部分補修にはこの靴底修理剤を使用しています。

 付属していたケースは戦争末期のボール紙芯にキャンバス地を組み合わせたものではなく、ちゃんとした牛革の飯盒型ケースが付属していました。

 戦前のノバーにありがちな対物レンズ貼り合わせのバルサムが一部はがれるバルサム切れを起こしていますが、いまのところさほど見え方には影響がないようです。昔はカナダバルサムを接着剤として使用し、貼り合わせたあとに芯出し加工をしていたそうなので、一度バルサム切れすると再度貼り合わせるときの芯出しが難しいらしいです。現在はバルサムを使用せずに紫外線硬化型の樹脂を使ってレンズ同士を貼り合わせるそうですが、まあ機会があればバルサム切れレンズの再貼り合わせにも一度挑戦してみましょう。

 このノバーはエキセンリングで光軸修正出来るタイプではないようで、さりとてプリズムの可動調整域があるわけではなく、今のところ左右の像を真ん中に追い込めていないのですがこの点は東京光学機械の7x50mmのほうが光軸修正は簡単です。実際に見た像はさすがにまったくのノーコートの双眼鏡ですから視野が暗くコントラストも低いのですが、意外にシャープな結像だと思いました。
 東京光学機械の7x50と比べるとTOKOのほうは対物筒がツアイスを模して二重なこともあり重いのですが、光軸の修正が容易。日本光学のノバーはTOKOよりも軍用としては頑丈さが落ちるものの、軽くて持ち歩くには負担が軽いという違いがあります。やはり陸軍と海軍の仕向け先のニーズの違いが大きかったのでしょうか?

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帝北光学工業TEIKO 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡

Dvc00989 こちらも帝北光学工業の製品で8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、前出の7x50mmよりも若干古いらしく、ケースは失われていましたが茶色い牛革のストラップが付いていました。
 帝北光学工業に関しては前回の7x50mmで詳しく書いたため省略しますが、東京は板橋区の中仙道(R17)と環七が交わる大和町交差点の脇で、主に輸出用の双眼鏡組み立てを行っていた会社です。
 設立は昭和28年ですから当時の大和町交差点は交通量も少なく、当然平面交差だったのでしょうが、現在では中仙道と交差する環七が中仙道を跨ぐ形で立体交差し、さらにその上を首都高速5号線が通り、さらに交差点周囲のビル群によって半閉鎖的な空間になってしまったため、2001年度と2002年度は日本一大気汚染の厳しい交差点という汚名を頂戴したそうです。
 我々子供のときは新宿区の大久保通り牛込柳町交差点というのが大気汚染日本一だったような気がしますが。

 そのような大和町交差点脇に位置していた帝北光学工業ですが、現在でも会社は存続し続けているものの光学製品には係わっていないようで、実質的には自社ビルの不動産管理のための会社でしょうか。
Dvc00988 前回入手したTEIKOの7x50mm双眼鏡よりも年代が若干さかのぼると思われる8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、7x50mmが単独繰り出しだったのにこちらはその当時は標準的になった中央繰り出しです。作りこみは中まで丁寧に黒塗りされており筐体のダイキャストはJ-E7コードのメーカー。7x50mmはJ-E92だったので仕入先が異なるようですが筐体の精度は十分です。
 プリズムもシングルーコートされていますが光学系全面コートではなく接眼レンズの一部にコーティングが省略されているような。
 プリズムを外して曇りを取り除き、対物レンズ裏も無水アルコールで磨いた後、700メートル先の送電線のてっぺんを覗きながらエキセンリングで光軸修正を行いました。ダイキャストの精度が出ているため、光軸の修正はエキセンリングのみで簡単にできました。
 完全調整が終わった後に実際に送電線鉄塔を両目で見た感じは特に不可もなく標準的な画像の結び方をします。しかし、岡谷光学のVISTA8x30mmと比べると、なぜかVISTAのほうは視野が若干黄色っぽいのですが、明るさやシャープネスはVISTAのほうに軍配が上がります。

 ところで帝北光学工業のTEIKOブランドの双眼鏡はこれで7x50mmと8x30mmの二種類が見つかったわけですが、その他の種類がいまだに見つかりません。組み立てていたのが輸出用のこの種類だけで、製品が余剰になったらこの二種類を国内向けに流していたというわけなのでしょうか?

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July 13, 2018

Light 8x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00991  Lightという商標の昭和30年代半ば過ぎくらいに作られた8x30mm双眼鏡です。これ、送料が安いだろうと札幌のリサイクル屋さんから購入したものですが、面白いと思ったのはトレードマークが菱形にFSKというものだったことです。
 トレードマークというのは輸出用商品の荷印という意味で商品にもパッケージにも付されるものですが、双眼鏡に関しては古くからの輸出商品だったこともあり、ブランドが相手向けのOEMでも製造元がわかるというわけです。 例を挙げればI.O.C.は板橋光学、K.O.C.は黒木光学というように3文字アルファベットで表されます。
 それでFSKはもしかしたら富士写真工業でLightは明眸(メイボー)の明かと思ったのですが、それは期待が大きすぎたというものでした。

 届いた双眼鏡はいちおうまともな豚革飯盒型ケースに入っていました。本体にはダイキャストを製作したメーカーコードJ-E11が入っているものの組み立て業者コードが入っていないのでおかしいと思ったら対物レンズの色が違う?
Dvc00990


 何と左はシアン色コーティングながら右側はノーコートレンズがはまっています。接眼レンズ側はノーコートのようでした。これから察するにこの双眼鏡は換金目的でブランドをでっち上げた部品寄せ集め双眼鏡らしいことがわかりました。

 それにしてもJ-E11がどこのダイキャスト屋さんのコードかは知りませんが、この筐体だけは非常にかっちりと良く出来ていて内部の黒塗りは丁寧だしプリズム装着部分の精度も良く、プリズムもはまる込むと微動だにしません。何かこの筐体だけ使って別なもっと良いレンズを移植してしまいたいほどです。
 ダイキャストの精度が良く出来ていることもあり、レンズもプリズムも洗浄したのちの光軸出しは容易でした。
 覗いてみた感じは周辺部はけっこうゆがむものの中心部は意外にシャープな結像をします。まあ部品寄せ集めの双眼鏡ながらダイキャストの精度が良いだけにさほど箸にも棒にもかからないような粗悪な双眼鏡ではないようでした。

 板橋に双眼鏡組み立て業者が雨後の筍のように次々に設立された結果、大手の富士写真工業にあやかったようなFUJIを商標とする業者が数社ありました。中にはSUPER FUJIのように富士写真工業を超越させるようなネーミングの双眼鏡もありましたが、FUJIあやかりネームの双眼鏡はおしなべて本家には足元も及ばないシロモノです。その点、この富士の判じ物みたいなこの双眼鏡は寄せ集めの換金もののなかにあっては筐体の精度のおかげでまあ使えるレベルのものでした。
 ちなみに本家富士のトレードマークはF.P.I.(富士フォトインダストリー)だった由。

 それで後からしつこくあれこれ調べてみたらFSKに該当する会社は昭和22年6月に渋谷区池尻で設立されたJ-B28の輸出業者コードを持つ富士精密機器製作所がかなり怪しいことがわかりました。富士精密機器でFSK。古くから輸出もあったようですからトレードマークとしてFSKはありえないことはなさそうな。この富士精密機器は双眼鏡/オペラグラスの組立が本業の会社だったようですが、その後どうなったのかの資料はまったく見つかりませんでした。当時の商業統計調査などを調べてみる必要がありますね。

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July 12, 2018

ビクセン7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00985 ビクセンの7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡ですが、こちらは昔、当方がお年玉とお小遣いをかき集めて市内の眼鏡店で購入したものです。
昭和48年の1月のことで、購入価格は10,500円だったと思います。確か前年に9,500円から値上げになったと思いました。

 購入のきっかけというのは当時市内の青少年科学センターが開催する天文クラブというのに所属していて毎週土曜日の夜に観察会を開催するのですが、そこに何台か配置されていたのがビクセンの7x50mmだったのです。
 それまで天体観測というと天体望遠鏡以外の道具なんて考えられませんでしたが、実際に望遠鏡を向ける前、肉眼では見つけられない外合間近の金星を見つけたり、肉眼では良く見えない散光星雲や星団を観察するなどの用途に大活躍でした。
 そのため、青少年科学センターの備品以外に自由に使える7x50mmが欲しくて購入したのがこのビクセンの双眼鏡です。さすがにニコンは手が出ませんでしたが普及品クラスの双眼鏡としてはカートンやエイコーの選択肢もあったものの前年に購入した天体望遠鏡が同じくビクセンの名機エータカスタムだったため、選択の余地はありませんでした。
 また、ビクセンは双眼鏡が主力でカタログが充実していたという理由も多少はあったかもしれません。

Dvc00984 購入後は専らの天体観測専用で肉眼では良く見えない星雲星団の観察がメインでしたが、夜中に自転車で家の周りよりも空の暗い場所に出かけ、草原に寝転んで視野いっぱいに広がるアンドロメダを見て、その星の一つ一つが見えるような気がして感動していたものでした。またさそり座いて座方向の銀河に浮かぶ肉眼ではぼんやりとしか見えない散光星雲群が双眼鏡だとたくさ見つけることが出来、夏が来るのが楽しみでもありました。
 
 そんな天体観測も高校進学と同時に天文クラブも卒業ということになり双眼鏡での観測もまったくしなくなってしまい、もっぱらコンサートに持ち出すための双眼鏡に成り果ててしまいましたが。

 それから約四半世紀以上ケースに入ったまま実家にぶら下げられていたのですが、案の定対物レンズ内側にスポット的にカビが発生。グリスの油分が蒸発したのかプリズム表面も曇ってしまったため、あるときフルオーバーホールするjことを決意。
 レンズもプリズムもきれいに洗浄して元に戻したのですが、何と遠くの像が斜めに分解して見えるという。このときプリズムを分解したのちにエキセンリングで視軸を調整するという作業を知らなかったのです。
 しかし、この経験がガラクタ双眼鏡分解調整に入り込むきっかけになりました。

 昔からこればかり使っていたということもあり、当方のすべての双眼鏡の性能の基準はこのビクセンの7x50mmより良いか悪いかということになります。
 以前海上自衛隊観艦式に便乗するために購入したニコンのマルチコート7x35mm 7.3°、これ実に20年ぶりに購入した新しい双眼鏡だったのですが、さすがにマルチコートだけに抜けと視野の明るさはあるものの35mmと50mmの口径の違いによる解像力が物足りないなんて、すべてビクセンの7x50mm基準です。

 このビクセン7x50mm 7.1°の双眼鏡ですが、昭和48年1月購入なので製造は昭和47年。この前年に光友社からビクセンに社名が変わったことを受けてか双眼鏡のロゴデザインが逆アローVixenのものから楕円にVixenに変わり、白だけではなく赤や黄色を使用したカラフルなものになりましたが、スタンダードな双眼鏡はかなり長い間このデザインのままだったような気がします。
 また価格が値上がりしたためではないでしょうが、付属品としてゴムの折込見口が添付になったのもこのころです。

 肝心の性能のほうですが、当時の天文ガイドの双眼鏡性能レポートのような記事が連載されていてニコン、コーワ、フジなどに並んでビクセンも取り上げられていたと思いますが、評価的にはけっこう厳しいものだったと思います。
 プリズム面の反射が多いためか瞳径が真円ではなく周囲に青くケラレがある、筐体内部も黒塗りではなく鍍金かアルマイトの半艶仕上げで内面反射のためコントラストが物足りないなどいろいろの問題が指摘されていたような気がしますが、きちんと調整されたビクセンの双眼鏡の見え方には当時まったく不満はありまんでしたし、今になって比較する板橋輸出用双眼鏡の中になっても上位のクラスに位置する双眼鏡だと思います。

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July 11, 2018

ATLAS 7x50 7.1°Zタイプ双眼鏡(山ノ井光学)

Dvc00987 アトラスというブランドの7x50mm 7.1°Zタイプの双眼鏡です。おそらくは昭和30年代後半から40年代初めのものでしょう。アトラスといってもビクセン製品の製造のために設立された第二工場のアトラス光学とは関係なく、また、新宿区内で双眼鏡組み立てから8mmカメラの製造に手を出したアトラス光学とも異なる、単にブランド名がアトラスということだけの双眼鏡のようです。主にアメリカに輸出されていたようで、アトラスブランドの双眼鏡は何種類か、それも複数のOEM先から納入されていたようです。

 入手したこのアトラスブランドの双眼鏡はJ-B131とJ-E36の二つのコードが打たれていました。それで組み立てを行ったのは昭和23年10月設立の山ノ井光学ということがわかります。もとは鎌倉の大船で設立され、板橋の氷川町に移転してきたという歴史からおそらくは会社設立の前から海軍横須賀工廠の仕事や大船光学の仕事などにも係わっていたのかもしれません。
 ただ、この山ノ井光学に関してはその後どうなったかなどの情報や会社規模などもまったくわかりませんでした。組み立て業者コードによって製品だけはこのように残されているということがわかります。

Dvc00986 なんの変哲もない双眼鏡ですが、ケースのほうが個性的で、珍しくも昔の水筒のキャップみたいにコンパスが取り付けられていました。コンパス付きの双眼鏡ケースというのは初めてお目にかかりました。実はこの双眼鏡、届いてみて初めてわかったのですが、外箱と説明書さえ欠落していましたがまったくの未使用デッドストックものでした。よくもまあ50年近くもこのようなものを放置していたものですが、新しい双眼鏡独特のグリスと貼り革のにおいがまったく失われていないのは驚きでした。まあ今のプラスチック双眼鏡はこのような匂いはしないのでしょうが。
 昔の水筒の蓋みたいなコンパスが付いた飯盒型ケースはボール紙芯に豚革張りの黒ケースで双眼鏡のストラップも黒の豚革製です。さほどちゃちな感じではありませんでした。

 肝心な双眼鏡本体の出来ですが割ときれいに筐体内部も黒塗りされていてプリズムの側面塗装はないもののプリズム面にもしっかりコーティングされているようです。そのためか板橋輸出用双眼鏡の中にあっては内面反射が少ないことを反映してシングルコートレンズにもかかわらず非常に視界が明るくて結像もシャープで見やすい双眼鏡に仕上がっています。昭和48年1月購入のビクセン7x50をはるかにしのぐ位の見え方ですが、そのビクセンの双眼鏡は筐体内部が反射防止の塗装が施されておらず、その違いが影響しているみたいです。

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July 10, 2018

AIKO STANDARD 7x50mm 7.1° Zタイプ双眼鏡

Dvc00972 AIKO STANDARDというおそらくは昭和40年代半ば過ぎくらいの7x50mmZタイプの双眼鏡です。製造元が気になって100円で落札した双眼鏡です。
 この双眼鏡、おそらくは板橋の輸出双眼鏡組み立て業者の手になるものには間違いないのでしょうが、手がかりがまるでありません。
 AIKOだから愛知光学とか相模光学とかそいういう線で探したのですが、見当はずれのようでした。プリズムの曇りを取り除くために対物筒を外してみると筐体内部にJ-78という陽刻があります.。
これが組み立て業者コードだとする根拠は薄いのですが、これが輸出組み立て業者は板橋の富士見町にあった栗林光学製作所という会社のものだということになります。

 この栗林光学製作所というのはペトリブランドの大衆向けカメラを作っていた栗林写真機工業とはまったく異なる板橋の四畳半メーカーです。ペトリの栗林写真機工業が明治時代末の創業なのに対し、こちら栗林光学は戦後の昭和28年の創業で、歴史自体がまったく異なります。板橋区の富士見町に会社を構えていたようなのですが、その規模というのもほんの数人という典型的な板橋輸出双眼鏡組み立て業者だったようです。この栗林光学製作所は残っていないようですが、カメラの栗林写真機製作所も昭和51年のキャノンAE1ショックで売り上げを低下させ、カメラの電子化の勢いについていけず昭和53年に倒産。以後組合管理でコンパクトカメラなどを製造していたものの、これもオートフォーカスの波について行けずカメラの製造を中止し、そのまま消えたのかと思いきや現在は埼玉の杉戸で双眼鏡組み立てをやっているそうです。
 これもまた同じ栗林を名乗るメーカーの不思議な取り合わせです。
Dvc00971_3 このAIKO STANDARD 7x50mmですが、つくりは可も不可もないノバータイプのCF双眼鏡です。モノコートのレンズにノーコートのBK7プリズムを持つこの双眼鏡は筐体内部も黒染めで見た感じもマルチコートの双眼鏡と比べると視野も暗く、像の先鋭度もコントラストも良くはありません。同時代に購入したビクセンの7x50mmのほうがはるかに良く見えるような気がしますが、それなりにまったく使えない双眼鏡ではないようです。

 それにしても栗林光学製作所の製品というのは確証がもてないままで何かもやもやした気分が抜けないのですが、日本でもアメリカでもWEB上にも殆ど画像さえ出回っていないことからしてどうも余剰品もしくは倒産品を換金目的でどこかが横流しした双眼鏡という可能性も捨て切れません。
 知られたメーカーの名前をそのまま流すと足が付くので、それらしいまったく知られていない名前をわざわざつけて出荷した。その当事者の奥さんの名前がアイコだったなんてオチがあるのかもしれません(笑)

 ただ、時代が遡った戦時中、補助的に13年制式双眼鏡を作っていたらしい興亜光機という会社があったらしくそこの双眼鏡の商標がAIKOだったようです。この興亜光機に関しては製品は残っているものの何ら情報は得られませんでした。

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July 08, 2018

Simor 7x35mm 10°Zタイプ双眼鏡(日吉光学)

Dvc00974 SIMORというまったく見たことも聞いたこともないブランドの双眼鏡ですが、輸出製造業者コードのJ-B207が打たれていましたので、これは日吉光学が製造したものでしょう。ただ、J-B207はアポロン光機、常陸光学がそれぞれ同一のコードを持っていて、さらに日吉光学もJ-B56を持っていますので、あとから日吉光学に統合されたのちもこのコードを使い続けていたということなのか、その辺りの経緯は不明です。
 SIMORが何を意味するかはわかりませんが、少なくともシムールと読ませる仏語ではないようです。もしかしたら東京光学機械を中心とした双眼鏡組み立ての中心地である板橋の志村をもじったのではないかと思ってしまいます。

 視角が10°という広角双眼鏡ですが、対物レンズ径30mmクラスの双眼鏡だと8.5°クラスが無理のない性能限界です。こちらは対物レンズ径35mmと若干広げて倍率を7倍に落とし、視角10°という広角双眼鏡にしたものです。
 ニコンにも昔から7x35mmという双眼鏡があり、当方も25年前に普段使い用にマルチコートのニコン7x35mmを新品購入したのですが、こちらはNEWノバーやトロピカルと同じ視角7.3°でしかありません。

年代的には昭和30年代末から昭和40年代初めくらいの製品のようで、ケースは豚革貼りボール紙芯の飯盒型ケース。本体ストラップも豚革製です。Dvc00973  これより年代が少しでも下るとケースはさらにコストダウンされ、ビニール製ボシェット型もしくはビニール貼りボール紙芯の四角いケースになるようです。双眼鏡よりも高級な光学製品の一眼レフでさえもケースは後々合成皮革製になって、今になっては経年劣化でひび割れて粉が吹いています。
 
 当初、製造メーカーが特定できなかったときには、板橋の無名双眼鏡にしてはなかなかのつくりだと思って感心していたのですが、あとから日吉光学の製品とわかってなんとなく納得しました。自社で光学系の設計能力を持たず、昔ながらの板橋クオリティーの双眼鏡を作り続けていたのだったらNIKONやVixenの高級機を初めとした世界中の著名光学メーカーの双眼鏡OEMメーカーとして現在も存続出来たがどうかはわかりません。

 中の反射防止塗装も手抜きはありませんし、プリズム側面の迷光防止の黒塗りこそありませんが、対物筒の遮光筒も当然のこと備えています。
 ニコンのマルチコートの7X35mmと比べるのはいささか酷なのですが、さすがにニコンのほうは視野が明るくクリアなのに対してこちらは視野が若干暗く、視界が広くて気持ちがいいのですが解像力およびシャープネスは物足りません。また視野周辺部はさすがに像がかなりゆがみます。
 視野が広い利点としては動きのある物体を捕らえるような用途には適しているかもしれません。

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July 07, 2018

CLEAR 8x30mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00967 大阪の光学製品販売卸の会社、クリアー光学のブランド名がついた双眼鏡です。
クリアー光学の設立は昭和51年とのことですので、それ以降に作られた双眼鏡であることは確かですが、当時急激な円高やオイルショックを経過してもまだ残っていた双眼鏡組み立てメーカーというのは何社くらいだったのでしょう。
 その円高・オイルショックを乗り切った国内メーカーのOEM商品です。

 光学製品卸専門会社で大阪にかつてあった会社にプリンス光学という会社があり、各地のデパートを中心に天体望遠鏡や顕微鏡の児童用普及機種を卸していた会社でしたが普及品のOEMゆえにその情報はネット上にもほとんど残っていません。デパートに口座を持っていたくらいの会社ですからそれなりに歴史も信用もある会社だったのでしょう。当方、小学校1年のときにデパートで買ってもらった顕微鏡がこのプリンスの商標がついた150倍の単眼顕微鏡で、形は本格的な顕微鏡ながら見え方は最悪。何か自分のまつ毛ばかり見えていたような記憶があります。
 Dvc00968 このクリアー光学ブランドの8x30mmの双眼鏡ですが、昭和50年代の双眼鏡のためか旧態依然の7.5°という視野から広角の9°の視野の双眼鏡になっています。確かに実視界は広いのですが、周辺像は当然のことゆがみ、中心部も周辺部も解像度とコントラストもあまり良くはありません
 対物レンズの遮光筒も省略され、内部の仕上げも半光沢の鍍金処理のようです。またプリズム表面はコーティングされていないような。このような仕上げの双眼鏡ですから所詮コストダウンの産物というような気がします。

 ところで、このクリアー8x30mmはアストロ光学の7x50mmにそっくりなのです。デザインもそうなのですが、貼り革が色も含めて同一の格子模様のもの。ピントリングのデザインだけ異なりますが、もしかしたらアストロ光学の双眼鏡同様にパルス光学の製品でしょうか?ただ、昭和50年代に突入してからの双眼鏡のため、双眼鏡のどこにも輸出業者コードの痕跡もありません。そのため、この双眼鏡を実際に組み立てた会社がどこなのか、特定する証拠はありませんでした。

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アストロ光学 7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00963 アストロ光学の7x50mm 7.1度のZタイプ双眼鏡です
 アストロ光学というと現在は天体望遠鏡製造から撤退して、天体望遠鏡設置のためのドームなどの建設に特化した会社になってしまいましたが、もともとは五藤光学から独立した天体望遠鏡のメーカーでした。
 われわれ、小中学生を過ごした昭和40年代ではアストロ光学製の天体望遠鏡というと価格的にはニコンには及びもしないながらも我々の手が伸びるものではなく、アストロ製天体望遠鏡は買えない小中学生が最初に買ったのはケンコー、カートン、ビクセン、エイコーあたりだったでしょうか。そのうちミザールが10cmの反射赤道儀でヒットを飛ばし、高橋製作所がセミアポの屈折赤道儀を皮切りに業界を席巻していったのにつれて、アストロ光学の相対的な価値は低下していったような気がしますが、アストロ光学としてはアマチュア用というのは主力として力をいれていたわけではなく、どうも主軸を学校や公共機関の天文観測施設納入のほうにしていたような感じがありました。

 そのアストロ光学ですが、各天体望遠鏡メーカーと同じく自社ブランドの双眼鏡をリリースしていましたが、天体望遠鏡と異なり自社製造ではなく、外部委託で調達していたようです。価格的にもビクセンやカートンの同タイプの双眼鏡と比べると数千円高かったような気がします。アストロ光学にしても双眼鏡は天体望遠鏡メーカーとして他のメーカーの双眼鏡を買ってくれとも言えず、とりあえずOEMで調達したというだけで、販売にも力が入っていないようでした。
 そのためか、アストロ光学の双眼鏡に関してはWEB上にもほとんど情報がありません。断片的に拾った画像から見ると基本的なパーツ構成は同一ながら、貼革が黒の革シボタイプのものと、今回のややグレーがかった格子状の貼革、まるで30年代のオリンパスペンの貼革のような2種類が存在するようです。これどちらが新しいのかはわかりませんが、特殊なオリンパスペンタイプの貼革が調達できなくなって通常の黒革シボタイプに変更されたのでしょうか?
Dvc00962  今回入手したアストロ光学7x50mmの視野7.1度双眼鏡は多くの板橋製双眼鏡がそうであったように、旧軍の7x50mm双眼鏡の設計をそのまま踏襲するものです。全レンズおよび全プリズム面にコーティングされたフルコーティングの双眼鏡ですが、特別な光学ガラスなどを使用するようなものではありません。
 鏡体内部のつや消し塗装が省略されているためかコントラストはさほどよいわけではなく、また像も真ん中はそこそこなものの周辺部にいくに従って悪化していく感じです。どうもアストロ光学の名前を付すには物足りない双眼鏡ですが、J-B230というメーカーコードが残っていて、それによるとどうやらパルス光学という会社で委託製造されたものらしいことがわかりました。
 このパルス光学、後発だったこともあり情報が少なすぎてどういう規模のメーカーなのかも判然としませんが、手元にあるCLEARというブランドの8x30mmの双眼鏡が作りや使用している貼り革まで同一なので、おそらくはこのCLEARという双眼鏡もパルス光学製なのかもしれません。
 Dvc00961 アマチュア向きも製造している天体望遠鏡メーカーは双眼鏡は添え物みたいなもので当時自社製造していたのは日本光学ともともとは双眼鏡が主力のビクセンくらいなもので、光学総合商社のケンコー、エイコー、カートンは仕入れメーカーが発注のたびに異なる外部調達のようです。
アストロブランドの双眼鏡も外部発注ですが、どうしてもアストロではなくてはいけないというような指名買いというケースは少なかったようで、世に残っている数がけっこう少なく、もしかしたら一種類につきロット200から300位の発注単位で一回の発注をこなしていたのかもしれません。また、アストロ光学名での双眼鏡輸出は皆無でしょうからすべて国内向けということになります。

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July 06, 2018

帝北光学工業 TEIKO 7x50mm 7.1 IF 双眼鏡

Dvc00964  この双眼鏡は帝北光学工業という板橋は環七大和町交差点脇にある双眼鏡組み立てメーカーの製品です。ブランド名はTEIKOなのですが、おそらくこれば国内向けのみの製品名称でしょう。海外向けの双眼鏡もOEMでいろいろ製造していたはずですが、どういうブランドに化けていたのかは今のところ判然としませんでした。
 板橋区内の双眼鏡組み立て業の会社がことごとく消滅してしまったのに、驚いたことにこの帝北光学工業は現在でも会社として存続しています。実際には光学製品の製造組み立てというのははるか昔に終了していて、それ以降は自社ビルの管理・賃貸が主業務のようです。
 戦後雨後の筍のように多数設立された板橋の双眼鏡組み立て業者としては、儲かるときに自社ビルを建ててしまい、ドルショック・オイルショックで双眼鏡の組み立て調整事業が立ち行かなくなった後も不動産賃貸でなんとか会社が存続出来たいわゆる勝ち組の一社でしょう。
 輸出向けとしてはどういうブランドを手がけていたかはわかりませんが、輸出製造業者コードはJ-B103でした。また国内向けのTEIKO双眼鏡としてもまったく情報が少ないのですが、板橋中小組み立て業者の常で、輸出の余剰になったロットを自社ブランドで国内市場に放出したという程度の数しか出回っていなかったのかもしれません。
Dvc00965 おそらくは昭和30年代末くらいの製品だと推定するTEIKO 7x50mm 7.1°のZタイプ双眼鏡ですが、30年代には珍しくIF(単独繰り出し)の双眼鏡です。当時でも防水機能付の双眼鏡でもない限りIFは珍しい存在です。鏡筒にはプラスチックの遮光筒が嵌められており、プリズム面にもコーティングが施された鏡体内部は丁寧につや消し黒塗装されていますが、プリズムの迷光防止防止措置はありません。
 レンズはシアン色のモノコートです。
 実際に見てみた感じはシャープネス、コントラストともに不満がのこるものの、意外に視界の隅まで像は良好です。
 本体はコストダウンのしわ寄せが少ないもののケースやストラップは真っ先にコストダウンの洗礼を受けたようで、ケースは飯盒型なものの皮もどきの擬皮紙を貼ったボール紙製ケース。ストラップも中に繊維の芯も入っていないビニール紐です。

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July 05, 2018

HEMMI製ボーリングピン2種

Dvc00954 今の人たちは信じられないでしょうが昭和45年あたりから日本国中で空前のボーリングブームというのが起こり、日本中にというよりもかなりの田舎でも36レーンから40レーンなどという大きなボーリング場が次々に建設され、おもに団塊世代の人を中心に盛んにボーリングが行われていました。地方のラジオなんかでは交通情報よろしくボーリング場の混雑状況などというのが定時に放送され、何処の何とかボールは2時間半待ちなどというのが流れていたのも隔世の感があります。
当時ワンゲーム350円くらいだと思いましたがワンゲームで終わるはずはなく、デートコースとして出掛けるレジャーにしてはかなり高額なお遊びだったと思います。

 我々は子供でしたからボーリングブームといっても本物のボーリングには縁が無く、ボーリングブームに便乗しておもちゃメーカー各社が発売したボーリングゲームで遊ぶくらいでしたが、これも安いものでも5千円はしたはずでそのような高価なおもちゃは買ってもらえなかった当方はもっぱら友人の家に出掛けてボーリングゲームで対戦させてもらい、そこでスコアの付け方を覚えたようなものです。
ボーリングブームで一番いけなかったのは、なぜかボーリング場が空に向かってサーチライトを照らすことで、当時天体観測をやっていた仲間内でも空を無用に明るくするボーリング場は目の仇のようなところもありました。それがオイルショックの節電でサーチライト点灯などを真っ先に止め、それ以上に進行が早かったボーリングブームの衰退でボーリング場自体の廃業が相次いだことで日本中の空に僅かながら暗さが戻ったことを歓迎してました。

 そのボーリング場の設備ですが、当時殆どはアメリカからの輸入だったAMFかブランズウィックが主流だったと思います。国内メーカーのものも何社かあったようですがうちの近所ではAMFの機械しか見たことがなかったです。AMFの設備はどこが代理店だったかは知りませんが、ボーリング用品は大沢商会が扱っていたような。

 機械がアメリカ製だったのに比べると消耗品のボーリングピンはAMFとブランズウィックが日本国内でOEM製造させたもののほかにも国内メーカーのJCB(日本ボーリングコミッション)公認ボーリングピンが各種製造されていたようで、その製品ごとにJBCの公認ナンバーというのが設定され、公式戦では公認ピン以外使用しても記録にならないなどの規定があったはずです。もっともボーリングピンの規格は高さも太さも重さも決められていてその規格に合致しないとピンセッターに詰まってしまうなどの不具合が発生します。
 おそらくはAMFやブランズウィックなどでは自社以外のボーリングピンを使用させなかったでしょうから国内メーカーのボーリングピンは国産のピンセッターに限って使われたのでしょうか。そのためかボーリングピン製造に参画したもののボーリングブームの衰退によってすぐに撤退してしまったメーカーばかりです。もしかしたら空前のボーリングブームのさなかでAMFやブランズウィックからのボーリングピンが一時的な供給不足に陥り、ボーリングピンのみ自社以外のものを使用することを黙認されていたのでしょうか?
 現在JBC公認ボーリングピンは設定以来40数年で50何号かまで存在しているようです

 計算尺のヘンミがボーリングピンを一時製造していたというのはよく知られていて計算尺マニアでも必ず一本は持っているというヘンミ計算尺製のボーリングピンですが、実は2種類存在していることを知っていて実際に2種類持っている人は何人いらっしゃるでしょうか?一つ目はJCB認定第5号のHEMMIボーリングピンでどこかで昭和46年認定だとか見たような気がします。
もう一つはJBC認定番号第8号のHEMMI PERFECTで確か昭和48年認定だと思いました。おそらくヘンミ計算尺としても竹製計算尺の衰退で新たなビジネスを模索していたHEMMIがセルロイド竹貼り技術の応用でブームになってきたボーリングビジネスに参画しようとしたのでしょうが、意外にも急速に衰退したボーリングブームによって撤退を余儀なくされたということなのでしょう。
 まあおそらくは自社製造ではなく関連の会社にOEM製造させ、完成品を納めさせただけでしょうからそんなに設備投資なので損失は被らなかったはずです。

 構造は明らかに異なっていてHEMMIの5号は最中状の中がくりぬかれたハードメイプルの2枚をあわせてナイロンで補強し、レジン製のような底板を被せてプラスチックコーティングしたというような構造で、HEMMIパーフェクトの第8号は木工自動旋盤で楓材を削り、中もくりぬいて底板を嵌めるというような野球バットのような構造をしています。HEMMI 5号ピンのほうがヘッドの部分まで空洞で長く使用しているとそのうちボールが当たった瞬間にパカンと真っ二つに割れてしまうような気がします。ポールが当たってヘッドが折れてヘッドが飛んでゆくボーリングピンは珍しくありませんが、さすがに縦に真っ二つに割れるボーリングピンは見たことありません。そういうクレームが実際にあり、パーフェクトという改良ピンがリリースされたのでしょう。
 見た目でもHEMMI 5号はなんとなくでっぷりとした体型なのに対してパーフェクト8号はスリムなシルエットです。
 デカールのデザインは基本的に同じなのですが中がHEMMI 5号が日の丸なのに対してパーフェクト8号はギザギザの太陽です。

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July 04, 2018

エイコーBULL FIGHT 7x21mm M型双眼鏡

Dvc00953  ブルファイトというブランドの広角7x21のミクロン型双眼鏡です
 一応エイコーのE.O.C.ロゴが入っていますが、同型の双眼鏡がビクセンブランドでも売られていたようです。
 光学系は対物レンズの眼幅が対物側よりも狭いミクロン型なのに通常の形状をしている小型双眼鏡で、この手のミクロン型もどきは岡谷光学のVISTAブランドなどにもあるもののデザインの可愛さでもっとも人気のある双眼鏡のひとつです。
 製造はおおよそ昭和30年代末から40年代半ばごろまでだとは思いますが、輸出用の製造業者コードが入っていない双眼鏡です。たぶん国内向けロットと海外向けロットを完全に分けて製造していたのでしょうか?
 また、エイコーとビクセンの刻印違いでまったく同じ双眼鏡が出回っていましたので、おそらくは板橋区内の中小双眼鏡メーカーのOEM商品だったのでしょう。
 昭和30年代末の双眼鏡にしてはコストダウンされておらず、筐体内部はやや艶が目立つもののきれいに塗装を施されており、対物側のプリズムには遮光カバーが装着されています。ケースもこの時代にはもう珍しい分厚い牛皮飯盒型ケースでストラップも牛革です。
 Dvc00952光軸は接眼レンズ側の鏡板を外して内部のねじで調整します。

 7倍なのに視界が広い(10度)のために視野が広くて気持ちがいいのですが、さすがに良像面は真ん中に限られ、周辺部がけっこうゆがむのは仕方がありません。

 エイコーは地方の眼鏡店などでもカートンやビクセンと並んで普通に見かけるブランドでしたが、その前身は戦前の映光社までその歴史がさかのぼるようです。昭和30年代から40年代にかけての天文ブームの底辺を支えてきた光学総合商社でしたが、少子化による国内需要の低迷と円高による輸出の不振により屋台骨を支えきれず、ミザールブランドの日野金属に吸収されました。現在日野金属はミザールテックという社名で相変わらず光学製品をリリースしています。

 このブルファイトブランドの双眼鏡、実は隣町の方から譲っていただいたもので、もしかしらた元は知っている眼鏡店の店頭で売られていたものかもしれません。

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July 03, 2018

岡谷光学 VISTA 8x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00948 言わずと知れた岡谷光学のVISTA 8x30mmポロプリズム式双眼鏡です。 岡谷光学は服部精工舎のセイコー資本によって諏訪湖の畔に設立された会社ですが、現在は諏訪セイコー社が前進のエプソンの子会社になっているようです。

 戦前は同じく服部精工舎資本で設立された東京光学器械の下請けとして軍用の光学器械、戦後は民間用および輸出用の光学製品を製造しており、レンズシャッター式の小型35mmカメラのLordは服部時計店を代理店にして全国的にかなり売れたカメラでした
 双眼鏡も戦後いち早く輸出体制を整え、日本光学や東京光学器械と並んで大手6社の中の一社で、その製造品は一級品と認定され、板橋の四畳半メーカーの双眼鏡とは一線を画した輸出価格も割高の双眼鏡を製造していました。

 また、そもそもの設立が空襲被害からの疎開としての意味合いが強く、東京から遠く離れた地でレンズから筐体まですべて諏訪湖の近辺で調達出来たため、東京の地の利がなくとも部品調達には困りませんでした。
 Dvc00947_2 カメラの製造こそ昭和36年のキャノネット発売による、いわゆるカメラ業界のキャノネットショックでロードマーシャンを最後にすっぱりと撤退してしまいましたが、その後は諏訪精工舎の時計製造と平行して双眼鏡だけは製造が続いていたものの、昭和46年のドル切り下げから採算が悪化し、昭和48年4月のドルの完全変動相場制の以降とまもなく始まったオイルショックのあたりで双眼鏡製造からも撤退したようです

 意外と岡谷光学の双眼鏡はオークションでも安くは無いのですが、この8x30mmはケースなしが敬遠されたのか500円で落としたものです。
 プリズムはそこそこ曇っていたもののさほど酷使されていないシロモノでした。対物レンズをはずしてプリズムを外して見ると、その筐体の加工精度は抜群で、磨いて戻したプリズムは微動だにしません。接岸側のプリズムも同じで曇りを取り除いたのちに元に戻してあとは対物レンズのエキセンリングの調整だけで視軸調整が完了しました。
 各プリズムの表面にはコーティングが施されているものの、対物レンズの鏡筒に反射防止筒が省略され、プリズムの側面に迷光防止の塗装やプリズムに刻みが施されているわけではなく、中の塗装も簡易的に行われているためか、シャープネスはユニオン光学の同型双眼鏡をしのぐもののコントラストはそれほど良いわけではありません。それでも筐体の加工精度がきっちり出来ているためか、一度分解して組み立てたあとも視軸の調整は容易でした。
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 まあ昭和20年代30年代のVISTA双眼鏡と比べると、40年代の双眼鏡はコストダウンのしわ寄せがかなり来ているのでしょうから、そうなると初期のVISTA双眼鏡の実力が気になります。
 しかし、どう贔屓目に考えてもKOWAやFUJIの双眼鏡には肉薄しても昔のNIKONの妥協の無い双眼鏡の作りにはかないそうもありません。 重量は他の8x30mmの同タイプよりやや重く560gありました。

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日吉光学 OCEAN 8x30 Zタイプ双眼鏡

Dvc00945 OCEANというブランド名しかなく、JBコード表示義務以前の古い双眼鏡のため、メーカー特定が難しかった双眼鏡ですが、H.O.C.の表示のあるOCEANブランドの双眼鏡が存在するため、昭和25年12月創業の日吉光学のかなり古い時代の双眼鏡だと判明しました。

 日吉光学は現在でも鎌倉光学同様に自社ではもう双眼鏡製造ラインを持っていない大手光学メーカー(ビクセン・ニコン等)のOEM提供元として盛業中です
 また自社の商標OCEANはいまだに健在でトレードマークは当時と変わったものの日吉光学のホームページに堂々と掲げられています。

 その日吉光学ですが、創業当時神奈川の日吉に工場を構えたことが社名の由来となっているものの、日吉光学に社名が定まったのは昭和32年に本社を板橋の前野町に移転してからのことで、それ以前は別な社名を名乗っていたことが日吉光学のホームページ上の沿革で明らかになっています

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 そのことから推察するとOCEAN H.O.C.のトレードマークは昭和32年以降の製品に、H.O.C.の入らないOCEANのみのトレードマークは本社移転以前の日吉に事業所のあった昭和32年より前の製品ではないかと思われます。
 また、今回のH.O.C.の入らない双眼鏡は厳密に言うと後に日吉光学に社名が変わったメーカーの双眼鏡ということになります 推定昭和30年代初頭の製品のようで、まだコストダウンによるしわ寄せが来ていない製品ゆえにプリズム全面コーティングはもちろんのこと飯盒型牛革ケースに牛革ストラップなど付属品にもコストが掛かっている双眼鏡です ここは組立だけではなく鏡筒などの金属部品の製造を含む双眼鏡の一括生産が可能だったようで、これがいまだに双眼鏡製造が続いている理由のようですが、この双眼鏡も非常に丁寧に作られている印象を持ちました。そのような品質維持が可能でなければ世界的な双眼鏡OEMメーカーにはなれなかったでしょう。

 プリズムのエッジ付近に黴があったため、全プリズムの分解洗浄しましたが、コーティングがあるために黴取り跡が残ってしまいました・プリズムには迷光防止策は取られていないものの対物レンズ枠には金属製黒染めの遮光筒がねじ込まれており、鏡筒に丁寧に施された黒塗りによって逆光下以外ではなかなか鋭い見え方がすると感じられました。しかし古い時代の双眼鏡ゆえに一度外したプリズムの位置決めが難しかったのは同時代の双眼鏡同様です。重量はストラップ抜きでぴったり500gでした。
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 日吉光学が今でも双眼鏡を作り続けているわけですから、おそらくこれを整備調整してくれと送りつけたら応じてくれるのでしょうか?(笑)それとも「うちの製品ではありません」と送り返されるのかな?

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April 04, 2018

JA8DV 古川OM、サイレントキー入り

 我がローカルにおいてアマチュア無線の草分けだったJA8DV、古川鶴雄OMが去る3/22にサイレントキーになられたようです。享年86歳でした。

 実は今年のニューイヤーパーティーのときも14メガでコールバックをいただき、そのときの話では昨年に一度入院されたということで、あまり声に元気がなかったので心配していたところの訃報でした。

 ご高齢ということもあり、葬儀は家族親族で営まれたようで、葬儀広告も出なかったため礼を失してしまいましたが、当局が開局の頃から主に14メガでのCQに対してコールバックをいただき、いろいろと教えていただいた大先輩でした。

 この時代のHAMの方はすべて自作のリグで落成検査を受けて開局された方々ばかりですので、特に受信機にはお詳しく、真空管の再生検波のラジオなどのことも教えていただいたのですが、今ST管の4球再生検波のラジオを2台入手し、そろそろコンデンサーなどの交換に掛かろうとしていたところだったので、もっといろいろとジ情報やノウハウを教えていただきたいところでした。

 昨年は室蘭のJA8DYの井上峰一OMのサイレントキー入りの報に接しましたが、実際にお世話になってきた二文字コールのOMさんの声が聞かれなくなるのはさびしい限りです。

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December 12, 2017

NEPTUNE 8x30mm双眼鏡(板橋光学機械製作所製?)

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 NEPUTUNEブランドの双眼鏡というと日吉光学OEMのSWIFT NEPTUNEブランドの双眼鏡が海外でも有名ですが、それ以前昭和20年代から30年代初期にかけてもNEPTUNE名の双眼鏡は存在しました。それは特定の会社のブランドなのかOMEGAやSUPER ZENITHなどのような仲間内の協同ブランドなのかはわかりませんが、少なくとも昭和20年代初期から中期にかけてのmade in pccupied Japan(占領下の日本製)時代には存在し、I.O.C.すなわち板橋光学機械製造所製のNETUTUNEが見られます。
 パーツなどの共通点も多いため、仮に板橋光学機械製作所もしくはその仲間内の双眼鏡とさせていただきます。


 板橋輸出双眼鏡にしてはまだコストダウンのしわ寄せが来ていない時期の双眼鏡らしく飯盒型牛皮ケースに牛皮ストラップが付属しているのですが、これが昭和30年代に差し掛かると板橋輸出双眼鏡のケースはボール紙芯に豚革張りケースと豚革ストラップに変わり、昭和30年代末以降はそれさえも廃されてビニールケースにビニールストラップに変わってしまいます。
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 このNEPTUNE双眼鏡は防水でもないのにIF(単独繰出焦点調整)で、金属部分は黒染ではなく黒の焼付塗装です。以前紹介した鈴木光学製の8x30双眼鏡とパーツの形状が殆ど変わらないのですが、鈴木光学のほうは金属プレス部分が真鍮製だったのにこちらは軽合金に変わっており全体的に軽量化しています。そのため、鈴木光学の双眼鏡が615gだったのに対し、こちらは500gちょうどと30年代生産の標準的な板橋輸出用8x30mmCF双眼鏡とほぼ変わりません。
 また近代的な双眼鏡らしく各レンズ面にはシアン色のハードコーティングが施され、表示も「FULLY COATED」と表記がありますが、プリズム面はノーコートです。対物レンズには真鍮製黒染の遮光筒が嵌っていますが、プリズムの迷光処理はありません。それでも鏡体内部が丁寧に黒塗装されているせいで、そこそこは見えてくれる双眼鏡だと思いました。
 このNEPTUNEブランドの双眼鏡の視軸調整には相当苦労しました。鏡体プリズム装着部の加工精度の関係か可動範囲が多く取られており、さらに錫箔による微調整箇所が何箇所もあって、プリズムの黴取り後にまともに組み付けると遠くの送電線鉄塔の先端が激しく上下左右にずれており、プリズムの位置を微調整してもなかなか上下の視差が修正できず、しばらく放り出してしまったこともあったくらいです。それでも根をつめて何度も微調整を繰り返し、これならエキセンリングの調整のみで行きそうなくらいに持ってゆくのにどれほど苦労したか。
 錫箔で微調整の入っている双眼鏡はその位置をしっかり把握しておかないと後で調整に相当手間取ることを実感しました。Dvc00613
 板橋光学機械製作所は昭和22年5月と戦後まだ間もない時期に板橋区前野町に設立された双眼鏡などの組立調整屋さんで、made in occpied Japanの時代から輸出向け双眼鏡のOEM製造を始めたようです。
 その種類も一般的なZ型以外にもマイクロ型などの輸出もあり、さらにオペラグラスはもちろんのこと後にはライフルスコープなども手がけているようです。そのあたりは野口光学工業と同様で、自社ではまかないきれない発注は組立調整まで含めて仲間内に仕事を流すなどのブローカー的な仕事もしていたのでしょう。 
 板橋光学機械製作所の輸出メーカーコードはJB22ですが、こちらの双眼鏡は昭和34年以前の双眼鏡には間違いなく,メーカーコードなどの刻印はありません。昭和20年代後期には従業員数20人以上の規模で板橋区常盤台に工場を構えていたようなのですが、昭和40年の主な双眼鏡組立調整業者のなかに名前が無いので、それ以前に何らかの理由があって事業を辞めてしまったのでしょうか?しかしその後に板橋光学工業という会社が新たに板橋区前野町に設立されていますので、そちらが事業を継承したのかもしれません。

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December 10, 2017

ユニオン光学UNION 8x30 7.5°双眼鏡

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  昭和23年創立の工業用顕微鏡メーカーであるユニオン光学の製品らしき双眼鏡です。ユニオン光学は7年ほど前に悪徳ファンドの手に掛かり、仕手筋と共謀して株価操作したファンド出身の社長が逮捕されて一度破産し、それでも金属顕微鏡としては世界的なメーカーとしての技術を買われて現在は新生ユニオン光学としてよみがえっています。
この本来は顕微鏡専門のユニオン光学と双眼鏡製造の係わりですが、どうも昭和40年代半ばまでは双眼鏡を手がけたことがないらしく、そのため双眼鏡製造メーカーコードを取得しておらず、おそらくはJBコードの表示廃止後になって双眼鏡製造を手がけたようなのです。その理由は判然としませんが、廃業した下請け会社の工場を取得したら、双眼鏡製造の職人まで付いてきて新たに双眼鏡製造業務に参入なんて理由だったかもしれません。
 ところが付属のケースなどからして明らかに昭和30年代後半くらいに作られたユニオン名の双眼鏡があり、それらにもJBナンバーが打たれていないことから推定すると、どうも海外の
顕微鏡輸出先からの要望で顕微鏡と抱き合わせで輸出用の双眼鏡を製造もしくはOEM製造させたということもあったのでしょうか?
Dvc00645 手元にある8x30mm7.5°のUNIONネームの双眼鏡もいえる事ですが、UNIONの双眼鏡は板橋輸出双眼鏡の中にあってもけっこうコントラストが高くてクリアな視界は特筆物で、プリズムもBK7を使用しており、取り立てて特別ではないシングルコートを施されたレンズの組み合わせながら切れ味の良さを感じさせる双眼鏡です。プリズムの表面はコーティングさえ施されておらず、FULLY COATEDという表記ではなくCOATED LENSと表記されているのは表記を素直に信じがたい板橋輸出双眼鏡の中では正直な表示です。
 それでなんでコントラストが高く切れの良い見え方をするのか不思議なのですが、おそらくは鏡体内部の反射防止に黒のメッキか何かの処理が丁寧に施されているのが主因でしょうか。まだ逆光でどれほどコントラスト低下するか試してはいないのですが、いままでに10台くらい試した8x30mmクラスの板橋輸出双眼鏡の中では群を抜いています。ただ、他の双眼鏡に比べて妙に画像が小さく見えたので、実倍率を計測したら6倍しかありませんでした。実質的には6x30mm双眼鏡です。まあこのスペックの方が夜間は使いやすいと思いますが(笑)
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 重量はストラップ抜きで480gと軽量なほうの部類でした。このころになると鏡体は精密ダイキャストの成型で肉薄に仕上げられるようになったのでしょうね。

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December 09, 2017

瑞宝光学精機ZUIHO 8x30mm7.5°双眼鏡

Dvc00624 瑞宝光学精機は双眼鏡などの一般向け光学製品のほかにおもにトランシットなどの測量機器を作っていた会社です。創業は戦時中の昭和18年で多くの光学会社がそうであったように戦時中は陸海軍向けの双眼鏡を補助的に生産する業務を行っています。
測量機器メーカーらしく双眼鏡もニコンやフジノンなどには及ばないもののなかなかしっかりとした製品を出していたようです。この瑞宝光学はカメラの生産も行っていたこともあり、コピーライカのHONORはその希少性から一時期相当の高値で取引されていたようです。
 当方も一時期本家のライカ以外にNiccaやLeotax、TanackからYashicaまで相当な台数、それもアメリカ帰りの美品ばかり持っていたのですが、さすがにMelconやHonorは高くて手に入りませんでした。これらは引越し費用を捻出するために新宿のカメラのキムラですべて委託販売に出してしまい、現在本家のライカM3とIIIgしか残っていません。

Dvc00625  戦後、光学メーカーで少し技術力のあったところはより収益性の高いカメラに手を出すところがあり、さすがにニコン・キャノン・ミノルタ・トプコンなど独自に機械もレンズも生産できるメーカーを除き、双眼鏡同様に既製の部品をかき集めて組み立てるのを本業としていたところが多かったようです。それがリコーフレックスで火がついた前玉回転式の2眼レフの製造でしたが、本家のリコーあたりでもリコーフレックスの生産が間に合わずにおそらくは板橋の4畳半メーカーに組立外注というケースもあったのでしょう。それでカメラ製造のノウハウを得た組立調整屋が独自に2眼レフ製造に手を出しその後35mmレンズシャッターカメラ製造に発展していったメーカーもあったのでしょうが、昭和36年のキャノネットの発売、いわゆるキャノネットショックですべて淘汰されてしまいましたが。

 そういうカメラに手を出して結果的に倒産してしまったメーカーが多かったため、瑞宝光学もより複雑なレンズ交換式フォーカルプレーンシャッターカメラに手を出してそれが原因で討ち死にしたのかと思っていたのですが、測量機器製造と双眼鏡組立で昭和40年代後半まで命運を保ったようです。双眼鏡としては主に輸出用として手間のかかるミクロン型などの製造も手がけています。
 手元にある瑞宝光学の双眼鏡は8x30mm7.5°と標準的なもので、プリズムはBK7ながら全面コーティングされています。さらに鏡体内部も黒のつや消し塗装が施され、対物レンズ筒後部にプラスチックの遮光筒も付いているのですが、当然のことプリズムの迷光防止溝や側面つや消し塗装などは施されていません。見え方は標準的な板橋輸出双眼鏡と比べると、さすがにニコンの双眼鏡よりは見劣りしますがなかなか切れ味の鋭い見え方がすると感じさせます。
 重量はストラップ抜きでちょうど500gでした。瑞宝光学はメーカーコードJB-25が与えられており、この個体にもJB-25刻印がありました。そのため昭和34年以降44年以前、付属品からすると昭和40年以降の製品なのでしょう。
 ケースは表面に革シボ風の加工があるビニール製ポシェット型ケースで野口光学工業の双眼鏡のものに似ているのですがジッパーがこちらは樹脂製のものでした。それを見てもさほど古い製品ではないようです。
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このZUIHOネームの双眼鏡は輸出用としてはかなり雑多な種類のものが輸出されており、中小零細の双眼鏡業者に組立てさせたものを自社のブランドをつけて輸出に回したというものも見受けられます。そのため、種類により出来不出来の差がありそうです。アメリカのコレクター情報によるとやはり昭和40年代のZUIHO商標の双眼鏡はどこかが取得してOEMでどこかに作らせていたという話もあります。

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December 08, 2017

鈴木光学精機SUZUKO SILVER 8x30mm双眼鏡

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  昭和2年に創業した鈴木光学精機製8x30双眼鏡です。元来は顕微鏡メーカーとして設立されたようです。
戦時中には補助的に陸軍の6x24mm双眼鏡および海軍用7x50mm双眼鏡を製造しています。
  この8x30mm双眼鏡はおそらくは戦後の製造のものだろうと思うのですが、それというのも戦時中の鈴木工学の双眼鏡はおにぎりマークに光という文字の入ったもので、さらに8x30ということもあり戦後の製品に違いないと思うのですが、右の接眼鏡内部に十字のミルスケールが刻まれています。

 レンズにもプリズムにもコーティングがまだ施されない時代の製品ですが、それというのも昭和25年あたりにはすでに鈴木光学は戦時需要で肥大化した屋台骨を支えきれなかったらしくて富岡光学や第一光学同様に倒産の憂き目に遭ってしまったからのようです。富岡光学の双眼鏡製造部門を大船光学として再出発したように鈴木光学も東洋光学と社名も変わって再出発したようなのですが、その後の動向は把握していません。
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 ところが昭和20年代後半から昭和30年代前半に掛けて同じ鈴木光学というカメラマニアでは知らないものがいない会社が存在し、ローマの休日という映画で使用されたライター型カメラ「エコーエイト」や旭光学のタクマーレンズを使用したプレスパンなどの製造で有名な会社だったのですが、こちらは戦前から存在した鈴木光学とは何ら関わりがありません。エコーエイトの製造元の鈴木光学の社長は戦前から戦時中にかけて35ミリコピーライカを手がけていたカメラ技術者だったようです。

 このSUZUKOブランドマークの8x30mm双眼鏡はSILVERの商標名が刻まれています。後の8x30mm双眼鏡と比べるとやたらに重い双眼鏡で、昭和30年代末ころの製造の8x30mm板橋輸出双眼鏡が500g強の重量なのに対して600g強の重量があります。おそらくは鏡体が金型を起こして成型されたダイキャストというよりもロストワックスによる鋳物なのでしょう。そのため収縮率の関係で肉薄にすることが出来ず、大変に重い鏡体が出来上がったのだと思われます。
鋳物ということもあり、プリズムの収まるポケットは後加工である程度プリズムの可動範囲の余裕寸法が取られているため、プリズム洗浄後の視軸調整はかなり大変でした。こういうのは後の精密ダイキャストの成型品になって、プリズムがピタリと収まり、あとは対物レンズのエキセンリング調整だけで済んでしまう双眼鏡とは隔世の感があります。
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 ノーコートということもあり対物の遮光筒以外の迷光防止もなく、鏡体内部に一部しか黒塗りもされていないせいでコントラストはかなり低いのですが、光軸合わせに相当苦労したこともあってこの双眼鏡で遠くの送電線鉄塔の天辺を見てみると思わず笑みがこみ上げるのです(笑)
 ノーコートとばかり思っていたのですが光に透かしてみるとわずかに対物レンズと接眼レンズ張り合わせ面にのみ薄いシアン色のコーティングが見受けられました。当時ゆえにハードコーティングの技術が無くソフトコーティンングのようで、触れるこのとない対物レンズと接眼レンズの接合面にのみコーティングを施したということでしょうか。

 実は昭和28年2月に同名の鈴木光学精機という会社が江戸川区の西瑞江に設立され、双眼鏡製造に携わったようです。戦前の鈴木光学精機との関連性は判明せず、どういうブランドの双眼鏡も作っていたかも判然としないのですが、板橋からかなり距離の隔たった千葉県に近い場所で部品の輸送にも時間がかかるところでなぜ双眼鏡組立屋を始めたのかその理由を知りたいところです。
 さらにややこしい事には昭和35年板橋区前野町にも鈴木光学という会社が操業し、双眼鏡組立調整を行っていたようですが、商業統計などを調べると従業員はたったの2名のまさに4畳半メーカー。おそらくは旦那と奥さんもしくは父親と息子の家内工業だったのでしょう。鈴木姓は日本で2番目に多いだけに光学関係でもこれだけの会社が双眼鏡製造に関わっていて歴史を複雑にしています。

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December 07, 2017

HANSA 8x30 7.5°双眼鏡(三和光学製)

Dvc00635 HANSAブランドで有名だった近江屋写真用品は戦前から富士フィルムの有力代理店のひとつで、フイルムの各販売店への卸業務が収益の柱だったものがデジカメの台頭でフイルム需要の激減により富士フィルムが代理店から直接販売に切り替えるという発表を受けて2004年に特別清算手続の地裁決定を受けて廃業してしまいました。
 フイルムカメラの時代には現像用品から引き伸ばしの機器や薬品類までありとあらゆる種類の写真用品がつきものだったのですが、デジカメの時代になった途端にそれらの需要もまるっきり減ってしまって、まさにデジカメに倒産させられたようなものでした。

その近江屋写真用品ですが、古くから自社のHANSAのブランドをつけた双眼鏡をカメラ店ルートに乗せて販売しており、古くは昭和30年代の板橋輸出双眼鏡メーカーから、新しくはオールプラスチックの中国製と思しき双眼鏡にHANSA/SUPER ZENITHのダブルネームの双眼鏡までありました。
 そんなわけで昭和30年代から40年代初期に掛けてOEM製造されたJBコード付きの双眼鏡を製造元が知りたくて100円で入手しました。
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 岩手から届いたHANSAブランドの双眼鏡はこちらも板橋輸出双眼鏡クオリティーには違いなく、BK7材のプリズムはいちおうコートはされており、シアン色モノコートの対物レンズには遮光筒もあるものの鏡体内部はダイキャストの銀色の地肌がそのままです。そして許せないのはプリズムのひとつの端のほうに、おそらく机の上から床に落としたときに硬いものにでも当たったのか小さな貝殻上の割れがあったことです。見え方には影響は無いものの、おそらく逆光などではフレア発生の原因になってしまうでしょう。
 こんな仕事をした組立屋がどこなのかと思ったらJB82というコードから三和光学という会社が作ったものとわかりました。

 この三和光学という会社は板橋からやや離れた中野区の鷺宮に存在した輸出双眼鏡組立の会社で、創業は昭和30年7月と零細輸出双眼鏡業者が雨後の筍のように乱立しはじめる時期にあたります。当時すでに部品分業体制が確立しており、足りないのは組立調整の人手が一番かかる部分だけとの状態だったため、組立調整屋がつぎつぎに開業していった時代だったわけですが、この零細組立調整屋のうえに国内流通業者や貿易業者に営業を仕掛けて仕事を取ってくる周旋業者がいて、従業員4人から6人くらいの組立調整屋はその双眼鏡製造ギルドの中に組み入れられていたのでしょう。
 そのようなわけで、国内写真用品卸大手のHANSAと三和光学との間には中間業者が存在したことは確かで、HANSAブランドの双眼鏡に一貫性がないことから見ても発注のたびに一番手空きの組立調整屋に仕事を回していたふしがあります。 Dvc00633

 この三和光学製のHANSAブランド8x30mm視界7.5°双眼鏡ですが、製造はおそらく昭和40年代前半くらいでしょうか。国内大手写真用品卸が発注元だったためにプリズムのコーティングまで省略されるほどのコストダウンはされていないものの鏡体内部は塗装もされておらず、高級品にはなれなかった板橋輸出双眼鏡の流れを汲むものには違いない双眼鏡ですが、そのままでもそこそこは使える双眼鏡です。迷光防止対策として鏡体内部やプリズム側面のつや消し塗装を施せばおそらくもっとコントラストが高くなるのではないかと思うのですが、いかんせん光路に影響がないもののプリズムの欠けた部分が逆光では迷光発生の原因となり、見え方に影響するのは必至です。
 今だったら一発クレームもので、品質管理を問われて仕事が激減しそうな事態ですが、当時は員数合わせのほうが優先されたのでしょう。
 ケースはHANSAのエンボスロゴが入ったピニール製ポシェット型ソフトケースでした。

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December 06, 2017

輸出双眼鏡製造の野口光学工業TOKUTATARONICA 8x30mm双眼鏡

Dvc00627_2  今から30年ほど前の夜の新宿西口路上のこと。にわかに色とりどりに着色されたプリズムを並べた露店が並んだことがありました。それは円高不況で輸出専業業者が大打撃を被り、倒産廃業が相次いだあとだったため、直感的に輸出用の双眼鏡をやっているところが倒産してバッタものとして流れたものだと思いました。
それでも一個一個は換金性に乏しい双眼鏡部品ですからせめてプリズムくらいは着色すれば幾ばくかは売れると思ったのでしょうか。1個300円ほどで売られていた双眼鏡用のプリズムは見た目はたいへんにきれいなのですが、それを買ってどういう用途に使用するかということを買い手に丸投げしてもペーパーウエイトくらいにか使いようもなく、売れているところをついにぞ一度も見たことがなく、しばらくしたのちそのプリズム売り自体見かけなくなりました。
Dvc00628_2  戦後、輸出産業の花形のひとつだった光学機器、特に双眼鏡は外貨獲得の手段として重要な輸出商品でした。 その殆どは東京都の板橋区の零細光学部品屋とそれを統括する組立調整屋によるものでした。最盛期の昭和40年前後にはそういう双眼鏡関連部品や組立調整屋が板橋区内だけでも二百数十軒存在していたそうですが、昭和46年12月のスミソニアン合意による円の切り上げならびに昭和48年4月の円完全変動相場制移行により円の対ドルレートが一年半の間に100円も下がったことにより輸出に大打撃を被り、さらにその後のオイルショックによる部材の高騰によって産業自体が成り立たなくなったために零細の双眼鏡関連業者は廃業を余儀なくされたのです。
 その後も円高不況は続き、昭和60年のプラザ合意により円が250円から200円に高騰したことで日本の双眼鏡輸出は止めを刺され、倒産した部品屋からプリズムがバッタに出回り、新宿西口の露天に並ぶことになるのです。
Dvc00629_2 その少しあとのことですが、当時勤めていた玩具製造メーカーに板橋の双眼鏡屋と称する人から売込みがありました。その人は野口光学工業の野口さんという方でした。その野口さんが少々パンチパーマっぽい髪型にイタカジ風のいでたちで、当時まだ狂乱バブルも訪れていなかった時期にBMWを乗り回すというおおよそカタギっぽくない方でしたが、話を聞くと板橋でも老舗の双眼鏡屋だということでした。
 ところがその名刺に書かれてあるTOKUTATARONIKAという登録商標が冠された双眼鏡というのは見たことも聞いたこともありません。それでAR-18とAR15用の特殊なマウントのライフルスコープをオファーしたのですが、これをアメリカに輸出したのが野口さんだということです。このそれぞれ特殊なスコープマウントも仲間の部品屋の手になるものなので、1ヵ月少々あれば完成品として納品できるとのこと。
 それで高価なものなので1ロット200個で発注したと思いますが、意に反してすぐに売り切れてしまいました。
 その後他のメーカーや問屋にも通常のライフルスコープの売り込みに成功したようで、今残っていてオークションに出てくるTOKUTATARONICAの商標の光学製品はこの当時エアガン用に売り込まれたライフルスコープが殆どです。また、話によるとどうもこの野口さんは現在自社組立は行っておらず、仲間の光学部品屋に仕事を取ってくるというブローカー的な仕事を専業にしているようでした。
  その野口光学工業の野口さんとは主にうちの工場のほうに納品となったために2度ほどしか接触がなかったのですが、工場のほうでは若いのが「モロボシ・ダン隊長」などとすぐに陰でニックネームをつけられたくらいの見かけが個性的な人でした。当方、あまり森次晃嗣に似ていらしたとは思わないのですが(笑)

 そんなことも忘れかけて30年も経過しましたが、オークションでTOKUTATARONICAネームの入った双眼鏡を入手してしまいました。普通このクラスの板橋輸出双眼鏡というと500円程度が相場なのですが、陣笠が一部欠けているのにもかかわらず2000円もしました。届いた8x30 7.5°のZタイプの双眼鏡は典型的な板橋クオリティーのもので、対物レンズも接眼レンズもシアンのモノコートながらBK7のプリズムの一応はコートされていました。鏡体内部は黒メッキをかけたようで、反射防止としては手間もコストも掛かっていないものです。鏡体のプリズムが納まる部分の加工精度はあまり正確に出ていなかったようでプリズムとの接触面に錫箔により修正箇所がありました。しかし、たがね打ち込まれプリズムが踊らないように加工されたプリズムポケットはしっかりしています。後の怪しげな海外製品とは異なりニコンやフジノンなどに及びもしないながらちゃんとまじめに作られた製品です。ただし実用的には迷光防止処置が甘いのでそれがコントラストなどに影響して少々コントラストとシャープネスに不満はありますが、一般的な水準の板橋クオリティーの双眼鏡です。
 野口光学工業は輸出双眼鏡製造業者としてJB-171の識別コードが割り当てられていましたが、この個体には組立業者を表すJBコードも鏡体を製造した業者を表すJEコードも打たれていなかったことや、接眼見口が眼鏡用に折込が可能なゴム見口ではなかったことなどから昭和40年代半ばの製品だと思われます。野口光学工業の商標が打たれた双眼鏡を殆ど見たことが無いため、おそらくは輸出用として製造したもののキャンセルを食ったとかそういう理由で自社ブランド品として国内に流したような事情があったのでしょう。
ケースはこの当時に8x30双眼鏡などに一般的だったビニールのソフトケースですが、ピカピカの安っぽい黒ビニールではなく革もどきのシボが入ったポシェット型ケースでした。

 その野口光学工業ですが、最近調べたところによると創業は何と昭和の6年で板橋ではトプコンの東京光学機械より古い会社です。全盛期の昭和40年には板橋に200坪の組立工場と従業員20人を抱えた板橋の零細双眼鏡組立調整工場にしては中堅以上の規模を誇っていたようです。他の組立調整業工場は八百屋のような建物の一階が資材倉庫兼機械置き場、階段を上がった二階が調整場で300mほど先の風呂屋の煙突の先端を見ながら光軸修正を行うなどという規模の工場が殆どだったようです。それも親方と奥さんに職人2人から4人という4人から6人というのが普通でした。またこれらの工場はいちおう独自の商標は持っていたものの自分のところの商標を使った双眼鏡を製造するということはごく一部を除いては稀で、納入先や貿易商社の指定する商標を冠したOEM製造が殆どでした。
 このあたりの板橋双眼鏡産業事情に関してはビクセン光学にいらした斉藤氏が詳しく書かれていますが、クラウンやセドリックはおろか、外車を乗り回すほど羽振りの良かった双眼鏡屋さんたちも円の切り上げや完全変動相場性以降で輸出が立ち行かなくなったあたりで廃業が相次ぎ、野口光学工業さんも昭和47年ころには早くもブローカー専業となったようです。 早くから自社の建物を建てたところは未だに会社は存続しているものの40年以上不動産賃貸業としての実態しかないような会社があるようです。すなわち板橋輸出双眼鏡組立屋の勝者というのは輸出双眼鏡組立で得た儲けで自社ビルでも建て光学製品から足を洗い、不動産賃貸業に転業した組立屋さんだということです。

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June 15, 2017

予想より早かったTSSの保証認定

Dvc00006_2  5月の1日にTSS宛てにTS-830S、TS-520S、FT-101Eの固定局3台追加の変更申請の保証認定願いを提出しました。14年間の長きに渡り固定局は100Wの真空管機FT-101ZDの1台しか使用していませんでしたがWARKバンド付きのリグであったため、特に不満もなくそのま「変更なし」で2度再免許を受けました。
ところがスプリアス規制のためにJARDがサンプリング調査した結果、FT-101シリーズは後継機のTF-101ZシリーズであってもFT-102であってもスプリアス確認保証の対象機とはならず、最大で平成34年の11月30日までしか使用できないという原則が適用されることになります。
 そのため、このままでは再免許は受理されるものの第一送信機のみの送信機構成では免許期限自体平成34年11月30日までに短縮される可能性もあります。
 それでスプリアス確認保証対象機のTS-830SとTS-520Sの両方を入手し、スプリアス確認保証対象機外のFT-101Eとあわせて3台を追加変更申請することにしました。
 現在技適機以外の保証認定業務はJARDとTSSの2業者が行っていますが、TSSの対応が遅すぎるという書き込みをよく見かけます。そのため、昨年デジタルモード追加のための付加装置付きのTS-690Sを含めた10台の保障認定申請はJARDのほうに出したのですが、スプリアス認定保証作業に人手をとられていたこともあったのか書類を見て問い合わせがメールで来たのが1ヵ月後。そのメールでの回答が催促してさらに1ヵ月後という状態だったため、申請から免許が下りるまで3ヶ月もかかってしまいました。
 それならTSSの書き込みでも同じことだし、さらに複数台数の保証料3000円と5000円の違いは大きいです。さらに今回は付加装置もなく、デジタルモードの小難しい周波数帯幅がどうのこうのという追記事項もなく、ストレートに送信機だけの保証申請のため、申請書の記載さえ間違い、記入漏れさえなければ書類が受理されて保証認定が出るのは意外に早いのではないかと思いました。
 それで最近は電子メール添付での申請が主流かと思いますが、受け入れ側としては紙で印刷して郵送で申請してくれたほうがこちらでの修正が効くので早く処理できるというのでそれに従い、今回はTSS宛て申請書郵送申請で5月1日に簡易書留で申請書を発送しました。
 連休の後半が絡んでいるのでさらに遅れることが予想され、免許状到着まで少なくとも2ヶ月以上は掛かると目論んでいたのですが、TSSから5月19日に「5月12日付けで保証認定が下り、管轄総合通信局へ書類が回ったのでそれから約1ヶ月で免許状が郵送される」との通知が入っていました。今年は3日から7日まで休みだったのに何か超速保証認定が降りて拍子抜けというかうれしい誤算でした。

 TSSから北海道総合通信局あてに回った変更申請ですが、今回28MHzを50Wから100Wに変更しました。それで当初電波防護指針の規定内にあるかどうかの計算書を新たに添付しておくかどうか迷ったのですが、14年前の固定局開局時に一度提出していることもあり保証認定には関係ないためあえて添付せずにしておきましたら北海道総合通信局から6月2日付けの分厚い書類が6月5日に郵送されてきました。
中身は電波防護指針ガイドと計算法の分厚いコピーと電波防護指針規制値内であることの計算書とアンテナ、敷地境界線見取り図、などを提出するようにとの要請書です。
 14年前はJARLの技術ページなどを参照しながら手計算しましたが、今は局免印刷という便利なソフトがあり、それに諸元を入力するだけで計算書は完成します。さすがにアンテナ設置見取り図と近隣建物との距離を表す敷地見取り図は手書きしましたが翌6日に電波防護指針規定内証明の書類を総合通信局に提出。9日付けの免許状が12日に届きました。
 
 届いた免許状を見て意外に思ったのは1.9MHzの部分がデジタルモード無しの電信しか申請しておらず旧免許状ではA1A表記だったのに3MAに変わったことです。1.9MHzが3MA表記の人はデジタルモードも許可されているという目安だと思っていたのですが、どうやら1.9MHzがデジタルモード解禁後はたとえA1Aしか許可されてなくとも3MA表記に変更になったのでしょうか?申請ではA1Aと表記して提出したのですが、自動的に修正されて免許状が降りてしまったようです。

 それで予想していたよりもかなり早く免許状が降りた関係で夏のハイバンドが好調のシーズンに新たな真空管無線機の許可が間に合いました。
 
 とはいえ今年の11月30日以降は新技適機以外申請できなくなるため、自作無線機でスプリアス規制基準適合証明された無線機およびすでに許可されたまたは新技適機に付加装置を追加するというケースしか保証認定業務がなくなり、業務の大幅縮小が予想されます。

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June 14, 2017

IC-551再度のご奉公

Dvc00364  昨年11月のJARDスプリアス確認保証の認定漏れしていた6mモノバンド機のIC-551(10W)が4月の追加認定されました。
 当局の運用スタイルとしては6mは独立したアンテナから独立したリグがつながっているのが理想的でどうもHFと50MHzが合体したリグが使いづらく、ましてHFと50MHzのアンテナを切り替えるのにいちいちリグの後部まで腕を伸ばしてスイッチを切り替えなくてはいけないような機種はダメです。
昨年シーズン、IC-551が認定漏れしたことと、移動局のメインをTS-690Sにしたことで早々にIC-551を撤去してしまったのですが、デジタルモードの付加装置を追加したTS-690Sその他まとめて10台の保証認定をJARDに提出するもののJARDで保証認定まで2ヶ月掛かり、さらに総合通信局から免許状が届くの1ヶ月の合計3ヶ月を要し、結局免許状が届いたのが9月の半ばでした。
 そのため、昨シーズンは何かいつまでも懸案事項が解決しないことに嫌気がさしてHFも6mも交信数ゼロ。ニューイヤーパーティーからニューイヤーパーティーまでの間の交信数がたったの2局のみというそういう情けないアクティビティーだったのです。

 しかし、4月の保証可能機種にIC-551が追加されたことにより平成34年11月30日を超えても確認保証さえ受ければ使い続けられる目処がたち、今年の6月になってIC-551を元に戻して2エレのHB9CVのアンテナと再接続しました。
 今シーズンの初交信は6月5日の午前中。2年ほど前からどうも夕方よりも午前中にオープンすることが多くなった6mですが今シーズンは午前中にリグの前に座る機械があれば極力6mをワッチするようにしています。スキャッターによる近接Eスポというほどの距離ではありませんが、今シーズンすでに7エリアの宮城岩沼市と山形市に繋がっており、どこまで北のほうまで繋がって距離を縮められるかという6mやり始めのときのようなわくわく感がいまさらながらよみがえりました。
 ところで快調に使用していたIC-551でしたが、以前とくらべて表示が出て音が出るのにタイムラグがあり、そのうち周波数が勝手に初期値に戻る、SSBの復調がおかしくなってスイッチを入れなおすととたんに沈黙してしまいました。内蔵のスイッチング電源がついにいかれたようです。ファイナルを飛ばしたときもそうでしたが一番6mが開くシーズンに限って何らかのトラブル巻き込まれます。でもスイッチング電源だけのトラブルなら外部の電源から13.8Vを供給すれば使えるはずです。実はIC-551を入手した直後にIC-551用の純正DCコードを入手しており、そのありかもすぐに判明したために外部電源を繋いですぐに復活しました。
内蔵スイッチング電源はコンデンサーチェックするためにすでに外してあり、これが無いだけでけっこう放熱には有利かもしれません。
 ただ、内蔵電源だとコードを繋いでいる限りはメモリーが維持されて事前に使用した周波数がキープされているのですが、外部からの電源供給だと外部の安定化電源のスイッチを切ると周波数が50.1000に戻ってしまうのが超わずらわしいのですが、これは慣れの問題でしょうか?

 ちなみに4月の保証可能機器の追加リストによるとTS-520V、TS-820V、TS-820Xの真空管ファイナルの10W機3機種があらたにスプリアス保証可能リスト入りしました。3機種とも持っていないので関係ありませんが(笑)

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February 11, 2017

前川合名会社教材用クラニー灯

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 これは炭鉱とはまず縁の無い岡山の津山から手に入れたクラニー灯ですが、実は最初から炭鉱用として作られたものではなく、学校教材用として作られた種類のクラニー灯と目論んで入手した代物です。学校教材と炭鉱用安全灯とは関連性がよくは浮かびませんが、物理化学の分野で網のなかの炎に外部の可燃性ガスが引火しないというハンフリー・デイヴィーの実験成果の検証でもしていたのかもしれません。もっとも過去に入手した学校教材用と思われる本多のデーヴィー灯は実際に火をつけた形跡も無く、富山の統合されて今はない高校の備品ラベルが付いていた本多のクラニー灯にも火をつけた形跡も無いため、おそらくは教科書だけではなく現物がこうであるという「形あるもの」を見せて実際には実証実験をしないで終わってしまったのではないかと思われます。

 本多製のデーヴィー灯もクラニー灯も一度は明治時代に実際に炭鉱の坑内で使用するために作られた本物ですが、世の中には教材用として作られた実際の坑内ではあぶなくてとても使用に耐えないような安全灯が存在します。おもに大阪の教材メーカーが大阪市内の安治川あたりの船燈製作所に作らせたもので、確認しているところでは大阪寶文館(ほうぶんかん)機械店とこの前川合名会社の2社です。
寶文館機械店は現在大阪の北区大淀中に宝文館機械株式会社として盛業中ですが、この前川合名会社は戦前の南区塩町通(現中央区南船場)に存在した総合教材商社だったものの戦後の情報がないため、おそらく戦災で廃業したものと思われます。他にも教材用の安全灯を製作していたところもあったかもしれませんが、関東のほうでは本多商店製作のちゃんとまともな旧型デービー灯やクラニー灯が教材用として出回っているのに対し、なぜ大阪がこういう教材用の安全灯モドキをわざわざ作らせていたのかが謎です。
 考えるに昭和に入ってからは本多商店あたりでも明治の安全灯をわざわざ小ロットの発注には応じてくれなくなり、防爆性能は怪しくとも学校の実験程度には使用できる安価な安全灯を安治川近辺の船灯業者に作らせたということなのでしょう。その教材用安全灯が一種類だけではなく今のところ異なる教材会社による二種類が存在し、仕様も構造も共通ではないという事も特筆されます。おそらく別々の船灯製造所で作られたものなのでしょう。
 
 この前川合資会社というのは戦前昭和13年ごろに発行した学校向け教材の目録をネット上で目にすることが出来ますが、ありとあらゆる理科実験器具や運動用具とともに学校教練用の歩兵銃や機関銃などというものもあり、実際に軍から払い下げられた廃銃のサンパチ式のほかに教練用にわざわざ作られた銃などもあったようで、サンパチ式の教練銃が30円の値段をつけているのが目を引きました。それ以上の情報はネット上でもうかがい知れず、大阪空襲後にどうなったかのかも判然としません。塩町通が南船場のどの辺りに位置するのかはよくはわからないのですが、昔の取引先が松屋町筋にあって何度か心斎橋の駅から松屋町筋まで歩きましたので、その道すがらだったのでしょうか?資料によると戦前塩町通には名前どおりの塩屋ではなくなぜか砂糖問屋が多かったとのこと。いろいろ塩町通を調べてみましたが、やはりこの界隈は昭和20年3月13から14日の大阪大空襲で殆どの建物が壊滅してしまい、古い建物は鉄筋コンクリートの一部のものしか残っていないそうです。このときの空襲の模様はNHK朝ドラの「ごちそうさん」の中で地下鉄心斎橋の駅に逃げ込んで地下鉄電車で梅田に避難し難を逃れるというエピソードで見たことがあります。
 この前川の教材用クラニー灯は腰ガラスに部分が寸詰まりでメッシュガーゼ部分が長いために一見して不恰好です。通常の本多クラニー灯の腰ガラスが外国のものの寸法を踏襲しているため約5.8センチ超の高さがあるのにくらべてわずか3.8センチしかないのが原因です。またガーゼメッシュの部分のガードピラーが3本なのはまだ許せますが、腰ガラスのガードピラーも3本しかなく、どのクラニー灯でもこの部分は5本のガードピラーを使用しているため、教材用とはいえ実用のクラニー灯とは異なります。また、本来分解されないための安全灯なのに外に露出したナットを外すことによって分解可能で、またロック機構がありません。ガーゼメッシュは二重ですが吸気は一枚メッシュのところから内部に入り、排気はミュゼラー式のような金属のチムニーではなくメッシュのチムニーを通って二枚のメッシュを通して抜けるというマルソーでもない変な方式です。芯の繰り出しはウルフ灯のように丸いノブが付いているので繰り出し式かと思いきや、ウィックピッカーで引っ掛けて芯を上げ下げする前時代的な方式です。時代が下っているだけに本多のデーヴィー灯やクラニー灯のように種油を使用するものではなく灯油が使えるタイプだと思います。

 学校では実験器具扱いだったようで、実験器具にふさわしく総クローム鍍金仕上げになっています。元はおそらく顕微鏡のように個別の木箱にでも入れられていたのでしょうか。

 内陸の津山市から出てきたものですが、この手の安全灯は考案者ハンフリー・デービーの発明として教科書で扱われていたためか底に備品名「デーヴィー氏安全灯」と書かれたラベルが貼付けられていました。

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February 09, 2017

スプリアス規制後までの無線局延命作戦その3

 固定局の開局時に用意したHF無線機は八重洲の真空管ファイナルの無線機FT-101ZDの後期型WARCバンド付きです。本来ノッチが加わった最終型が欲しかったのですがタイミングが悪く見つかりませんでした。1エリアの現役ハムの方から入手したのですが、本人の物ではなく知り合いからの委託品とのこと。実は違法CBに使用していたらしく10メーターバンドの二個の水晶が入れ換えられていました。また長い間縦方向で押し入れのなかに保管されていたからか、πマッチの要であるギロチンのコアが出入りするプラスチック部品が変形していてコアが引っかかるという問題を抱えていて、やんわりクレームを申し上げると中古部品代相当の5千円値引きして返金してくれたというシロモノです。この変形したギロチンのプラスチック部品は同寸のドリルで入り口を円形に整形することで事後の調整なしにいままで正常に働いていました。またWARCバンド付きなのにWARCが10MHz以外送信解除されておらず、ジャンパー線をカットして送信解除する必要がありました。固定局開局当初はよく夕方の24MHzなどに出ていましたが、FT-101でWARCバンドに出ているというとZシリーズを知らないOMさんからすごい改造を施したなどと勘違いされることもありました。
 このような1970年代後期の骨董的無線機ですが、混信除去能力はさすがに今の無線機には劣り、アナログVFOゆえにQRHがあって、暖まるまで100Hz単位で周波数が上がって行くという当時としては当たり前ながら今は許容できない欠点があります。また真空管無線機ゆえに無線機の電源と真空管のヒーターのスイッチを両方入れてもしばらく経たないと電波を出せない、バンドを移動するたびに同調を取り直さなければ行けないということも今のハムの人たちには煩わしいだけだと思います。それでも真空管特有の野太い変調は概ね好評で、受信音もがさがさしておらずに長時間でも大変聞きやすい無線機でした。

 しかし、このFT-101ZDは最終的にスプリアス確認保証の認定対象機には入りませんでした。同じくうちでは夏場の稼ぎ頭で唯一の6m機であったIC-551が、同じく2mオールモード機IC-290がスプリアス保証認定対象外となりました。真空管機はすべてダメだと思っていたのですが、八重洲はそれこそ101シリーズも901シリーズもそして国内最終真空管ファイナル無線機のFT-102までが全滅だったのに対し、トリオはなんとTS-520SからTS-820S、TS-530VおよびTS-530S、TS-830VおよびTS-830Sの合計6機種がスプリアス認定保証対象機として残ってしまったのです。そうすると移動局で最初に入れたTS-830Vはスプリアス認定保証さえ取得すればそのまま使えるということなのですが、今やオンエアしている局は最低3アマ50Wが標準になってしまって、アンテナがプアなうちでは心もとない出力です。

 そうなったら真空管ファイナルの無線機操作の伝統芸保存(笑)のためにもジャンクでもいいからとりあえずこの6機種の中から固定局に保証認定を取って増設申請することを目論みました。そして動作確認無しのジャンク扱いのTS-830Sを手に入れましたが、忙しさにかまけてどういう状態かまったく見ていません。一台生きているTS-830Vがあるので、いざとなったら部品の食い合わせでも何とかなりそうです。そして最近なんと函館の現役HAMの方からいちおう可動状態のTS-520Sまで入手してしまいました。TS-820のほうは中途半端感が否めなく興味がありませんでしたが、TS-830SとTS-520Sの二台があればたとえFT-101ZDが使用不可になる日が訪れても真空管ファイナル機のチューニングという伝統芸は継承出来ますし、TS-520Sのファイナル管は松下のS-2001Aながら6146Bをそのまま2本差し替えても使用可とのことなので、TS-830Sとの共用が可能ですし、期限が来て使用出来なくなったFT-101ZDから流用することも可能です。
 固定局はこのTS-830SとTS-520Sを増設扱いで保証認定を申請し、変更届を出す準備を行う予定ですが、第一送信機のFT-101ZDに関しても再免許申請は受理されるものの「第○送信機は平成34年11月30日を超えて使用出来ません」との但し書きが局免に印刷されるようです。

 ところで、うちには6JS6Cという真空管がまったくの箱入り新品NECのものが2本、東芝グリーンベルトの中古管2本、NECの中古管2本の合計6本のストックがあるのにも関わらず、それを使う無線機が一台もないという状況がすでに十数年続いています。しかし、スプリアス規制でこれらを死蔵させるのも忍びなく、短い期間でも使えればいいやとのことで、実は昨年3月に最終型に近いFT-101Eを入手してありました。7MHzあたりでの感度も申し分なく120Wくらい出るケースだけところどころさびのスポットがあるもののものすごくきれいなFT-101Eです。これも新スプリアス規制に適合しませんので最長で平成34年の11月30日までしか使用出来ませんが、これもいちおう増設として保証認定を取って変更届を出すつもりでいます。だた押し入れに入れられていた期間が非常に長かったようで、14MHzから上の周波数の感度が落ちしているようです。そのため再調整をしなければいけないのですが忙しさにかまけていまだに何もしていません。最近はオークションでもFT-101はどんどん出品されているようです。マイクのインピーダンスもわかっていない人が手を出しても変調が浅いとかなんとか変な事を言い出しそうですが、実は古い真空管機はハイインピーダンスのマイクを使用しなければいけません。うちに現在あるものではFT-101EとTS-520Sが該当します。FT-101Eは八重洲の600Ω-50kΩ切換え式のスタンドマイクYD-148とプリモのUD-844がありますし、TS-520SはスタンドマイクのMC-50がハイローの切換え式ですから心配はありません。しかしスタンドマイクは取り回しが聞かないのでハイインピーダンスのハンドマイクが欲しいところですが、こちらのほうはオークションでも殆ど見なくなりました。

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