August 17, 2022

Royal ロイヤル計算尺 10"ダルムスタット型技術用?(内田洋行輸出用?)

Royal Plastics Slide Ruleというお目に掛かるのは初めてのプラスチック製計算尺なのですが、国内にはまったくこのロイヤル計算尺の情報はなく、辛うじてアメリカから「内田洋行のUK向け輸出用ブランド名」という情報があるだけです。考えてみれば内田洋行といえば戦後にわざわざ計算尺課という部署を作り上げ、HEMMI計算尺の最有力なディストリビューターとして全国の教育機関にHEMMI計算尺を売るだけではなく、計算尺普及のための教育や指導、ならびに文部省検定の制定などに多大な貢献を行った会社ですが、こと輸出に関しては欧米には個人商店時代からのHEMMIの代理店が存在し、HEMMI計算尺を輸出品として扱うことが出来ないというジレンマがあったのではないかと想像してます。
 そのためかどうかはわかりませんが、山梨のプラ尺メーカーの輸出向け既製計算尺を、自社から輸出するためのブランドとして使用したのがこのRoyalというブランドではないかと思われます。それで今回入手したRoyalブランドの計算尺は構造的にはHEMMIのP45Dなどと共通ですので、おそらくはFUJI計算尺のOEMではないかと思われますが、ケースはある時期の技研計算尺にも似ています。時期的には昭和40年代中頃よりも古いのではないかと思われますので、もしかしたらFUJIからOEM専業になっていた技研工業のほうに回された仕事かもしれません。
 ケースにはRoyal Plastics Slide Ruleの表示はあるものの、本体にはメーカー名も形式名もまったくありません。それで、FUJIの輸出用計算尺にも同尺度のものがあるだろうと調べてみるとFUJIのNo.201Pがそっくりです。カーソルの形状もFUJIのNo.2125Dあたりと同じカマボコ状のものです。ただし、No.201PはDI尺がP尺に変わってますが。このRoyalはFUJI計算尺の滑尺が薄いグリーンに着色される以前のものらしく、のちのFUJI No.201Pは滑尺がグリーンです。ケースも紙製ですからのちのポリエチレンケース一辺倒になったFUJI計算尺よりも年代的には古そうな。尺度はLL1,LL2,LL3,A,[B,BI,CI,C,]D,P,K,LL0の12尺。滑尺裏がT2,T,L,S,の4尺の合計16尺ですが、裏側に副カーソル線窓が空いていないため、三角関数の計算は滑尺を裏返さないと計算できません。この裏側に副カーソル線窓がないFUJI製輸出向き計算尺は割りに種類があるようですが、単に単価を下げるためのコストダウンの産物なのでしょう。それだけ輸出用計算尺ともなると仕切価格が厳しかったのでしょうがこれだけ尺を詰め込んで副カーソル線窓も開いていない計算尺は国内では受け入れられなかったでしょう。またUK向けのブランドと言う情報ですが、英連邦のシンガポールあたりの息がかかった東南アジア方面にももしかしたらこのロイヤル計算尺は出回っていたかもしれません。同じくFUJI計算尺がOEMで製造に関わった輸出ブランドHOPEと同様に。入手先は大分県内からですが、輸出先の都合か何かでキャンセルになったものが換金のためHOPE同様に国内に出回った例もあったのでしょうか?まあ天下の内田洋行の販売網からすれば、販売報奨金代わりにHEMMIの学校納入用計算尺のバーターで末端の教材問屋に配ったという可能性もありますが、今までまったく姿も形も国内からは見つからない計算尺というのがHOPE同様に不思議な感じがします。入手先は大分県内ですが都内からなら換金説も成り立つものの、大分から発掘されたという事実が何となくバーター説というのもありうる話。おそらくは既製品のFUJI No.201Pを無刻印の状態で輸出用に手当したものの、なんらかの理由で余剰になったものが国内に出回ったのは確定的のようです。もちろん国内用の説明書の用意なんかなかったでしょうから中箱と本体だけで出てきたものですが、中身は未使用品でした。入手先は大分市内です。それでまたそっくりさんを発見したのですが、それは件のHOPEの輸出用No.65-Gというもの。こちらのほうは尺度もほぼ同じですが、表面A,B,尺とC,D,尺が印刷でグリーンに着色されています。RoyalにしてもHOPEにしても輸出用なのに国内からひょっこり出現するという怪しさは共通かも(笑)

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August 15, 2022

☆Relay☆ E-1001 10インチ電気技術用

 ☆Relay☆E-1001というダブルスターリレー時代の輸出品番電気用計算尺です。RelayとRicoh時代の電気用計算尺No.107は所持しているのですが、昭和30年前後の輸出用電気尺には初めてお目にかかりました。当時のリレー産業時代のRelay計算尺はほどんど輸出で成り立っていたことが伺え、かなりの仕向け先ブランドを抱えていたのは国別の有力な代理店1社に絞って計算尺を輸出していたヘンミ計算尺とは異なります。また、仕向け先からの要求で作り上げた国内には出回っていない尺度の計算尺も多く、その点でも興味は尽きないのですが、ことRelayブランドの計算尺にあっては日本国内向けと同様のものが輸出用品番を付番して自社ブランドで輸出されたものが多いのです。それも後のRelayやRicohの同型式のものと比べると微妙に尺度のレイアウトが異なっていたりして、そういう差異をほじくり出すのも面白いのです。
そもそもRelayの100番代片面計算尺は戦前のIdeal Relayブランドの時代には成立していて、おそらくはNo.107も軍需産業用の用途として戦時中にすでに発売されていたとは思うのですが、Ideal Relay時代の一般のマンハイムタイプの計算尺は珍しくないものの用途別計算尺は航空用計算尺のNo.109を2本所持しているだけで戦前モノのNo.104のスタジアやNo.106の坑道通気、No.107の電気などは過去オークション上に登場したかどうかも定かではありません。特筆すべきは戦争終末期にいよいよ金属の枯渇により計算尺のカーソル枠まで代用品の竹で作ったのはRelayだけで、HEMMIは軍納があったためかカーソルのバネをハーフサイズにして金属節約したものはあったものの、最後まで学生用のNo.2640でさえ金属製カーソル枠で作り続けられています。まあ戦後になってさすがに耐久性に劣る竹枠カーソルは新しい金属枠のカーソルに交換されたようで、確認できたものはいままで3点ほどしかありません。残っていないのではなくて残らないというのが正確なような。
 そのダブルスターブランド時代のNo.E-1001ですが、尺度のコンテンツはのちのRelay No.107やRicohのNo.107と同じものの、レイアウトが全く異なります。No.107はべき乗尺をすべて滑尺裏に集めたのに、このE-1001はべき乗尺が表面にあります。どちらもダルムスタット型の片面尺なのですが、ここまで見た目が異なるというのは全く知りませんでした。E-1001は表面がE,LL2,A,[B,K,CI,C,]D,LL3,V,の10尺、滑尺裏がS,L,T,の3尺で、合計13尺です。これに対してNo.107は表面がE,V,A,[B,K,Ci,C,]D,S,Tの10尺で、滑尺裏がLL3,LL2,LL1,L,の4尺の合計14尺とL尺が増えています。べき乗尺が滑尺裏に集められて、より利便性が増したような気がします。、このダブルスターブランド時代のNo.107や、未だ現物がない戦時中のアイデアルリレーブランドのNo.107のレイアウトが果たしてこのE-1001と同じなのか、それとものちのNo.107のほうと同じなのかはいまのところわかりません。ところが今回のE-1001よりも新しいGK-2刻印の国内向けNo.107の情報があり、こちらはE-1001とまったく同じでした。そうすると他のRelay計算尺にもありがちですが、同一型番なのにいつのまにやらまったく見かけの異なる計算尺にマイナーチェンジしてしまったようです。その境目はやはり昭和33年から昭和34年に掛けてでしょうか?そうなると、おそらく戦時中に発売されたと思われるIdeal Relay時代のNo.107はこのE-1001とまったく同じものであったことが推測出来ると思います。戦時中、HEMMIのNo.80が両面尺のNo.153同様に電気技術を離れて広く軍事産業分野で多用されたのはべき乗尺があったからではないかと思うのですが、おそらくIdeal RelayのNo.107も当初からそのあたりの需要を狙ったのかもしれません。ただ、当初から3本線カーソルは用意されていなかったようです。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。ダブルスターリレー計算尺時代にありがちの象牙色っぽい光沢表面のセルロイドと黄色いアルマイトの裏板が使用された計算尺です。入手先は都内からでした。

☆Relay☆ E-1001 電気技術用(CS-3)

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Relay No.107 電気技術用(J.S-3)

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June 18, 2022

HEMMI No.269 10"両面高級土木技術用「SK」

 おそらく10年ぶりになりますが、3本目のHEMMI 土木用計算尺のNo.269を入手しました。奇しくも最初のNo.269同様に福岡県内から出たものですが、決め手としては3本目にして初めて説明書が付属したものだったからです。電気とか電子に関してはある程度の資格持ちなので、その専用計算尺は尺度の意味するところはある程度は分かるのですが、土木分野はまったくの素人なので、いままで2本のNo.269の操作に関しては皆目わかりませんでした。まあ、スタジア測量に関する尺度は測量士補の教科書を入手したのでそれだけはかろうじて理解出来ます。そのHEMMIの高級土木工学用と記されるNo.269ですが、実に21世紀を迎えた2000年代になってもNo.251とともに2種類だけ普通にHEMMI本社に在庫があり、伊東屋などを通じて入手出来た両面計算尺です。逆にいうと、それだけ売れ残りが多く生じた両面計算尺だったということですがNo.P267同様に土木建築の分野にはかなり急速に電算機が普及し、昭和40年代中期から末期にかけてオワコンになるのが早かったという事情があったような気がします。それで説明書の能書きによると従来の土木用計算尺のNo.2690を両面に拡張して全面改良したものということで、なるほどそれで型番のNo.269という数字の言われというのもわかるというもの。No.2690は戦前のNo.90系同様にスタジア測量に特化した片面計算尺でしたが、No.269は特徴として1.簡単な曲線敷設(curve setting)用の特殊目盛を備えている。2.スタジア測量の目盛(sin cos cos^2尺)を備えている。3.マニング(Manning)の流量公式を処理するためのに滑尺上のK'尺及びF尺を備えている。またこの目盛は立方関係、4乗関係の計算にも便利に使用できる。以上のほかNo.2690になかった目盛としてK尺、B尺、DI尺および範囲1.01~2200のLL尺を備えており、その用途は広く検定試験の一般受験も可能である、などということが記されています。このマニングの流量公式というのは土木の基本である水路や道路の側溝、下水道などの水を通す溝の敷設に関する重要なファクターの公式です。まあ、当方はこの言葉だけしか知らなかったのですが、簡単に言うと溝の横幅が狭ければ同じ量の水の流速は早くなり、広くすると遅くなる。水路の勾配が急であれば流速は早くなり、緩慢であれば遅くなる。水路底の形状がなめらかだと流速は早まり、ゴツゴツした抵抗があれば遅くなるという3要素の関係を公式にしたものです。このマニングの公式による計算というのは単純に2乗3乗4乗の関係する計算故にこのNo.269では表面のA尺B尺に加えて3乗尺K尺と4乗尺のF尺があれば事足り、ゆえにこの計算は電卓でも簡単に叩けますし、数値を当てはめれば答えが出てくるという単純なプログラミングで事足りるということもあって、昭和40年代なかば以降には現場から急速に姿を消したのではないかと。そういう事情もあって21世紀を跨いでもまだ注文すれば在庫が出てくるという理由になったのではないかと思われます。また、単曲線敷設の計算として裏面上段のCL,SL,TL,及び滑尺上のR尺を使用し、単純なカーブの起点終点の距離を算出するのに使用するのですが、曲線敷設でも鉄道や高速道路などの高い精度を必要とするものには使用できず、林道や農道の計算や検算、すでに敷設しているカーブの検算に使用するとあります。まあ、それこそ単純に曲線半径250mで線路を90度角度を変えるのにどれくらいの距離が必要かということになると、まあ考えただけでも内側と外側では距離が異なるわけですし、そこにカントをどれくらい取るかなどという要素が絡むともう計算尺の精度ではお手上げということなのでしょう。まあ、機械設計や電気・電子などの分野と比べると土木の世界は伝統的なスタジア計算を除くとあまり相性が良くなく、「これがないと仕事にならない」などと内藤多仲博士のドイツ製5"ポケット尺のようにNo.269を使い潰すほど多用したという人の話は聞いたことがありません。逆に最初のNo.269を譲っていただいた福岡の大手ゼネコン支社に昭和42年に入社した方のように「No.269を買ったけど、数回使用しただけで机の引き出しにしまい込み、あとは計算機を叩いていた」というのが実情だったのではないでしょうか?そのため、あまり酷使されたようなものは少なく、ケースはボロボロでも中身はそこそこきれいという個体が多いような気がします。表面からL,F,A,[B,K',CI,C,]D,LL3,LL2,LL1,の11尺で、A尺はマニング公式の流速V(m/s)、F尺は勾配I、Bはマニングの粗度係数n、K'尺は径と深さのSARにアサインされています。裏面はCL,SL,M,TL,[R,ST,T,S,C,]D,DI,SIN,COS,の13尺で主に単曲線敷設に関する計算とスタジアに関する計算に使用します。デートコードは「SK」なので昭和43年11月製の説明書は冊子型で6904Yのコードが付いていたため、おそらくこの個体は昭和44年4月以降に発売されたもの。ケースは紺帯箱でした。入手先は最初の一本と同じく福岡県の那珂川市。ところで特徴的な「Civil」の赤いデザインロゴが入れられていますが、単純にCivilだけだと「民間の」とか「市民の」を意味するのでこれだけだと軍用や政府用に対する民間用の意味。土木だとすると「Civil engineering」と入れないと通じないのではないかと思うのですがどうなんでしょう?「Civil WAR」を土木戦争なんて訳す人はいないでしょうし(笑)ちなみに軍隊の土木や敷設などを担当するのは工兵科ですが英語ではEngeneering CorpでCivil Engineeringと区別するためかMilitary Engineeringとする例もあるようです。その違いは武装の有無?もっとも日清・日露戦争のときの工兵は銃装させてもらえず、砲兵や輜重兵なんかと同じく剣(砲兵刀:30年式銃剣とは別物)しか持たせてもらえなかったのだとか…

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June 10, 2022

秋田の鉱山で使用された鉄製燈火器(鉱山用カンテラ)

Photo_20220610104101  これはかなり以前に弘前の古道具屋から落札したもので、その古道具屋の話では秋田のほうから仕入れたという急須型の鉄製カンテラです。正式な標準和名は知りません。紛れもなくカーバイドランプが出てくる明治末まで秋田のどこかの鉱山で実際に使われていたカンテラで、その証拠としてどこかの鍛冶屋がこしらえた坑木に打ち付けて吊るすのに使うひあかし棒という鈎がついています。かなり使いつくされたカンテラで、本来あるべき鉄製の蓋は失われて単なる木の栓で蓋がされ、錆止めのため漆を塗られた表面もサビだらけ。木栓を開けて中を覗くと乾いた種油のテカリがまだ残っていました。こういう吊りの急須型カンテラは幕末から明治の初期までにあっては真鍮製と鋳物製の二種類が見られますが、新品同様のきれいな欠品などもちろんなく、芯挟みもちゃんと残っている完品がいいのか。それとも実際に鉱山で使用されたことが明白なものの、他人から見たら小汚い欠品だらけのものが良いのか。資料価値としては断然後者のほうが勝っていると思います。
 秋田ということもあり、おそらくは弘前と峠を挟んだ大館の近所には小坂鉱山や花岡鉱山。もっと内陸に入れば江戸時代には一時期、日本で一番銅の産出量が多かった阿仁鉱山などがあり、その周囲にも明治時代には稼働していた小鉱山も星の数ほどは大げさにしてもたくさんあったのが秋田ですから、どこの鉱山で使用されていたのかはこのカンテラにしかわからないこと。この急須型のカンテラはおそらく文化文政期あたりの幕末に長崎を通じてもたらされたヨーロッパ製の燈火器を日本でデッドコピーしたもので、そのときに「カンテラ」という外来語も入ってきて、今でも携帯用の燈火器を意味する普通に通じる外来語になりました。そもそもはラテン語のろうそくを意味し、英語のキャンドルも同意語ですが、ポルトガルやオランダでは手持ちの燈火器も意味したようで、その言葉がそのまま日本語にもなったものです。以前から存在した李朝鉄製燈火器よりも鋳物技術が向上して肉薄で軽い燈火器で、使い勝手も良かったため明治に入ってからもしばらく使われたようですが、明治時代には新しく西洋からもたらされたブリキの板を板金加工した安価なブリキ製のカンテラに取って代わられたようです。そして明治の末から鉱山用燈火器にはカーバイド燈の出現という一大革命がおき、大手の経営する鉱山から光度が高くて立ち消えしにくいカーバイド燈に一気に取って代わられたのは、日本国内で電気分解法によるカルシウムカーバイドの工業的生産が可能になったからこそに違いありません。それで一気にお役御免になった油燈のカンテラですが、坑木に打ち付けてカンテラを吊るすために使われた鉄製の鈎、通称ひあかし棒のみカーバイド燈に付け替えられて使われている例が多く見られます。鉱山でも炭鉱同様に蓄電池式の帽上灯が普及し始めてからもカーバイド燈は一部使われていて、これは金属鉱山は炭鉱と違ってメタンガスなどの可燃性ガスの爆発という危険はないものの、坑道内にはところどころ酸素の欠乏空間があり、危険なのでカーバイド燈の炎が小さくなったら直ちに退避するという酸欠事故防止のための検知器として使用されたのだとか。それにしても本来あるべき蓋や芯ハサミもなくなっているわ、種油の燃え残った不純物がタール状になってかたまっているはで、本来だったらきれいにして漆もカシューで代用して塗り直てきれいにしたほうが万人受けするのでしょうが、実際に秋田の鉱山で使用されていたという史実と過酷な労働を物語る証人としてもこのままにしておくことにします。さて、この燈火器の産地ですがすでに江戸時代から鉄器の製造が盛んだった南部地方や羽前山形もしくは仙台近辺の作という線が強そうです。まあ上方で作られたものが北前船で運ばれてきた可能性も大いにありますが、鉄器類の見立てはまったくの門外漢です(笑)

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June 09, 2022

幕末江戸時代鉱山用鉄製カンテラ(一名:李朝鉄製燈火器)

Dvc00575  江戸時代から明治の初期くらいまで使われてきた鉄製鉱山用燈火器です。この燈火器は骨董の世界では「李朝鉄製燈火器」などと言われることもあるようですが、李氏朝鮮時代に江戸時代の日本の金山や銅山のような本格的な坑内掘りの鉱山技術があったという話は聞いたことがありません。欧米の安全燈コレクターは「China」のランプとしているようで、鎖国して鉱山技術も、まして取り立てて重要な鉱山資源もなかった朝鮮の「李朝鉄製燈火器」とするのは一寸無理のような感じがします。ともあれ、この鉱山用燈火器は日本の各地から発見されているようですから簡単な作りと相まって幕末期には蝦夷地を除く全国に普及していたようです。この幕末期の鉱山用燈火器は一番安価で簡単なものはサザエの殻に灯芯を立てたもの。もっとましなものは陶器や磁器で出来た灯明皿や片口のようなもの。そして坑夫が持ち歩けるようないわゆるポータブルの燈火器がこのような鉄製燈火器となり、幕末期には急須のような形の鉄製、欧米でレンチキュラーランプと呼ばれる分厚い凸レンスのような胴体に火口と蓋を付けた鉄製、そしてこのカラスの頭のような鉄製燈火器のの三種類があったようです。どうやら最初の2種類は欧州がルーツで幕末に長崎から入ったものを日本で真似て作ったもの。カラス頭型鉄製燈火器はそれ以前にこれも長崎から入った支那渡りの燈火器を国産化したものなのでしょう。構造が一番簡単なので蝋で原型を作り砂型で鋳鉄を流し込んで一度に何個も作っていたようです。それにしても華やかな場所で使われた美しい灯火器というわけでもなく、地底で使われた無骨で地味な真っ黒い灯火器ということもあって、いつ頃どこから渡ってきて主にどこで作られたかという情報もまったくないのです。個人的には江戸時代からの鉱山技術を友子親について3年3ヶ月と10日を修行期間として技術を習得し、友子親から盃をもらい、坑夫自助組織の友子取り立て式を受けて晴れて友子になった坑夫のうち、各地の鉱山を渡り歩いた「渡り坑夫」たちが持ち歩いた道具の一つだったのではないかと考えています。鉱山労働供給元の飯場や納屋といういわゆるタコ部屋においても仕事の道具は自弁で、道具を持たない年季奉公の坑夫は食費から道具から何から何まで天引きされ、飯は立ったまま食わされたという話もありますが、技能者で渡りの坑夫の自友子は自前の道具は持っており、飯場での待遇も年季奉公の坑夫とはまったく違って酒も自由に飲めたし、外出もお構えなしだったとか。その独り者の渡りの自友子が亡くなるとその亡骸はその鉱山の共同墓地に友子同士の互助金で葬られ、道具は食費や宿泊費の精算分として飯場の所有になったのではないかと思うのですが、この灯火器も渡りの自友子の移動とともに全国に散らばり、そして明治の時代になっても一部は使用されたのか北海道からも出てきたことがありました。 しかし、地底で使われて文字通り日の目を見なかった道具ゆえか、どうもこの灯火器の正式名がわかりません。道具である限りはちゃんとした標準和名があるはずなのですが、古美術の範疇に入らず、長らく単なる汚い古道具扱いだったためでしょうか?それが「李朝鉄製灯火器」と名前が変わっただけで格付けされ、取引価格が一桁以上上がってしまうというのは解せません(笑) 発掘先は茨城県で、茨城は水戸藩以前の佐竹氏の時代まで遡り、後に日立鉱山と名前を変えた赤沢鉱山などの古くからの鉱山が点在しています。そのため、いにしえから渡りの友子が江戸の昔から集まっていたのでしょう。その渡り友子の忘れ形見だとしてもちっともおかしくないのです。もちろんのこと、本来は鉱山用目的に作られたわけではなく、携帯用の灯火器として作られたものを鉱山の坑内用として転用したものですが、なぜ坑内でロウソクが使われなかったかというのは江戸時代のロウソクは蜜蝋もしくは木蝋を使用した和蝋燭で、非常に高価なものであったためです。そのため、庶民は行灯などの燃料に種油を使用したものの、この種油も高価だったため、一部イワシなどから取られた魚油と混ぜて使われたりしたものの非常に臭くて盛大に油煙が生じたのだそうで。イメージ的にはもっと小ぶりで小さなものかと思ったのですが、意外に大きく一般的な急須型の燈火器よりもやや大きいほど。油壺の容量が極端に少なくて、作業の途中で火が消えてしまっては困りますし、ある程度のミニマムの容量があったのでしょう。さらに構造的に言うと作りがかなりプリミーティブな鋳物で、おそらくは蝋で上下2ピースの原型を作り、油壺部分をくり抜いて中に粘土を詰め込み、蝋の原型を一つにした後に外側を砂で覆って砂型を作り、湯口を作ってそこに溶けた鉄を流し込み、後から中子の粘土を掻き出すという奈良時代の大仏鋳造方法と何ら変わらない方法で作られたものですが、技術的に肉を薄くすることは無理だったようで、かなり肉厚で重い燈火器です。それに比べると急須型の灯火器は鉄瓶づくりの技術のフィードバックもあるのか肉薄で軽く仕上げっていることから時代的にはこちらのほうが断然古い、時代が遡った燈火器なのは確かのようです。

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June 05, 2022

超・久しぶりに430MHzで交信

 前回、430MHzで交信したのが何年前なのかもわからないくらい久しぶりに市外の局と交信してしまいました。というのもどうも430MHzはあまり相性が良くないみたいで、どちらかというと今の季節の興味は50MHzでEスポが開いているかどうかというほうに傾いてしまいます。そのため、430MHzのメインチャンネルをつけっぱなしにしていることなどまったくというほどなく、モービルこそ20W機ですが、シャックで使用している無線機は古い10WのFM専用モービル機のみ。そして430MHzは平日はトラックドライバーのコールサインを言わない無駄話の広場になり、休日は沈黙のバンドに思えるのはアンテナ等の原因で当方があんまり電波を拾えていないだけではありますまい。その「沈黙のメインチャンネル」の430MHzは現在では144MHz以上にこちらではアマチュア無線に常用されていない気がします。もっとも八木の4本スタックでも立ててダクト発生時の遠距離通信を狙うという楽しみ方もありますが、相変わらずの貧乏無線局向きの運用ではありません。ただ、モービルアンテナと変わらない利得の屋根上GPアンテナで9月から10月の始めころ、海水温と大気温度の逆転現象でダクトが発生した際に対岸7エリアの局とがんがん交信できた430MHzならではの経験もあり、こういう非日常が体験できる周波数帯としても面白いとは思うのですが。その430MHzで久しぶりに交信しました。というのも何年か前にNYPで2局くらい交信した事はあったものの、市外の比較的遠距離との交信は15年以上間が空いていると思います。というのもあまりにも使っていない無線機に火を入れてメインチャンネルワッチで一分もしないうちにCQの声が聞こえたのです。それもかなり遠くからのようだと思ったら道南は七飯町ポータブルと言っているので10Wで届くかどうかわかなかったもののコールバックを入れました。おそらくは道南エリア最高峰の横津岳山頂からのハンディ5Wの運用だそうで相手信号52。こちらの信号は57で交信成立。本格的に山頂に居座って運用というわけではなくハンディ機をお供に登山にやってきたという感じらしく数局と交信してQRTしてしまいましたが、さすがは道南で、ハンディ機で7エリアの青森市あたりとハンディのアンテナで交信できていたようです。まあ横津岳に登らないまでも函館郊外にはきじひき高原という移動局運用スポットがあり、50MHzあたりでGWが伸びれば7エリアのかなり奥まで電波が届いているらしく、平担地ばかりで市内の移動運用先に窮するうちの街とは大違い。この移動運用最適地の有無が函館エリアに無線人口数が多い一つの原因にもなっているようなのです。実に羨ましい(笑)

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June 02, 2022

CONCISE No.300とSTAR No.1660円形計算尺を徹底比較!

 コンサイスNo.300は今でも継続して作り続けられているのか、それとも以前の在庫が残っているのかいまだに普通に購入できる計算尺なのですが、当方は円形計算尺があまり好きではありません。というのも目ハズレがない、同じ基線長の棒状計算尺よりもコンパクトで携帯に便利である利点は認めるものの、指の摩擦で内円を回転させて動作する以上計算速度では棒状計算尺に遥かに劣り、外周と内周の基線長が異なる宿命上、中心に近づくほど精度が劣ること。そして棒状の計算尺は慣れると滑尺を引いた全体のフォルムである程度、置数やどこに目盛が一致しているかという見当がつくものの、円形計算尺はそれがわかりにくくてどうしても一致点を目で追わなければならず、目盛の速読性に欠けるというのもどうも円形計算尺に馴染めない理由です。そのため、現行品ということもありコンサイスのNo.300は今まで入手したことはなく、コンサイスの興味としては展示会などで来場記念品として配られた測定器などの企業ものノベルティーや、企業が自社や関係各社のために特注した特殊用途の計算尺に限られています。
 そこで今回、このコンサイスとしては一番尺度の多いNo.300と往年の星円盤計算尺STAR No.1660のフラグシップ計算尺同士を無謀にも比較検討するためにNo.300を入手しました。片や全国ブランドの現行品。片や地方発の絶滅商品で、さらに計算尺界においてもその実態はほとんど語られたことがないという円形計算尺です。
コンサイスのNo.300はコンサイスの円形計算尺としては大型で直径は約11.2cm、これに対してSTAR No.1660はさらに一回り大きい直径約12.8cmもあります。コンサイスのNo.300は表面も裏面も独立して内円が回転する唯一のコンサイスで、そのため表面裏面が単独で計算することが可能なのに対してSTAR No.1660は表面の内円のみ回転可能です。コンサイス No.300は塩化ビニール素材ですが STAR No.1660は金属板をサンドイッチしたセルロイドの円盤です。コンサイスは中心軸のフリクションでカーソルの動きを止めているものの、STAR No.1660はカーソルバーが独立していてカーソルバー内側のフェルトのフリクションでカーソルの動きを止めています。またSTAR No.1660のカーソルには尺度記号が印刷されています。重要な点ですがC尺D尺の部分の直径が双方ともに約8.2cmで、基線長がともに約26cm相当で精度的には10インチの計算尺に合致。しかし、それより内周の尺度は当然のこと基線長が短くなるために、そこに配置された三角関数はコンサイス No.300がT尺2分割でNo.1660がS尺2分割でT尺はなんと3分割で精度を補完し、ともにST尺を備えるというものです。大きさは異なるもののC,D,尺の基線長が同一のため、精度的には何ら変わらず、STAR No.1660はCD尺の外周にLL尺を重ねていったために大きさがコンサイスのNo.300よりも一回り大きくなっているのです。コンサイスNo.300は表面が外周からK,A,D,[C,CI,B,L,] の7尺。裏面がLL3,LL2,D,[C,S,T1,T2,ST,] の8尺で合計15尺。STAR No.1660は表面がLL3,LL2,LL1,LL0,K,A,D,[C,CI,EI,E,]の11尺。裏面が-LL3,-LL2,-LL1,-LL0,L,DI,D,T,S,T,S,T,ST,の13尺の計24尺となっているいわゆるフルログログ計算尺です。HEMMIの両面計算尺でいうと、尺度は一致するわけではないものの用途と機能からするとコンサイスのNo.300はHEMMI No.P253やRICOH No.1051S相当。STAR No.1660はHEMMIのNo.259相当というのが言えるのではないでしょうか。双方とも目外れのない円形計算尺ゆえにCIF尺をあえて入れないのは当然です。また、他ではあまり見たことがない尺度のSTAR No.1660のE尺EI尺は√10から10までの順尺逆尺なのですが、説明書がないためどういう用途でどの尺に対応させて使用するのか当方はわかりません。
 コンサイスは戦前に玉屋が発売元だった藤野式計算尺が改良・発展していったもので、特に金属製だったゆえに戦時中製造が絶えた金属重量計算器をいち早く改良・発売し、産業の活性化とともに相当数を売ったようで、昭和30年代には一般用の計算尺やノベルティー物、企業からの特殊用途計算尺の特注も受ける余裕も生まれ、HEMMIやRICOHに次ぐ計算尺メーカーに発展しました。それに比べるとSTAR計算尺は北陸富山市の稲垣測量機械店という個人商店が開発・販売した地方ローカルの計算尺です。それゆえ片や全国ブランドで広く出回ったコンサイスに比べるとSTAR計算尺は北陸3県を中心に新潟、長野あたりまでしか出回っていなかったため、全国的にはまったく知られなかった計算尺です。資本力と宣伝力、販売網のないSTAR計算尺は昭和30年代末には会社とともに消滅してしまったようで、これを昭和40年頃に工業高校進学と同時に購入した富山市内の元設計エンジニアの方は稲垣測量機械店のこともSTAR計算尺が富山市内で生まれたこともご存知ありませんでした。いくら優秀なものを作ったとしても資本力と宣伝力の差で勝ち組、負け組が明確になってしまうのはまさに経済原理ですが、それゆえ負け組の製品が高機能で優秀だっただけに人知れず消えてしまったのは惜しい気がするのです。

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May 29, 2022

HEMMI No.257 10インチ化学工学用「TJ」

 最近入手した2本目のHEMMI No.257、化学工学用計算尺です。化学工学用計算尺はすでにNo.257とNo.257Lの2種類を所持しているのですが、No.257のほうは製造が昭和30年代の前半の「GD」(昭和31.4月)と早く、昭和40年代に入ってからの、出来ればNo.257Lに切り替わる直前の末期型No.257とゲージマークの書体などの違いを詳細に観察してみたいという欲からつい「ポチッとな」してしまったのです。ケースが紺帯時代のものなので、昭和41年から昭和45年あたりのものだと思っていたのですが…。届いたNo.257はデートコード「TJ」だったので昭和44年の10月生産品です。昨年入手したNo.257Lがデートコード「VC」の昭和46年3月生産品」で、紺帯箱入りでしたからその年代差は一年半以内ということになり、目論見通りNo.257としてはマイナーチェンジ直前の最終仕様ということが出来ると思います。
 基本的には尺度などの差はないもののはやり単位の書体などに些細な差は認められます。まず、GDのL尺の数字はそのままですが、TJのほうは数字の前に小数点が存在すること。よくあるπゲージマークの違いは双方にほとんど差はないように見えます。裏面単位系の書体などにはけっこう見かけ上の差があり、ますGDのCh尺のhの末端が跳ねているのにTJは下がったまま。また、GDがαtmという単位に対してTJは素直にatmgとあり、さらにGDがLbs/in2 Gage(ポンド/スクエアインチ)に対してTJはlb/in2 gageになっていました。そして一番気になっていたのが物質名の追加が無かったかどうかでしたが、TJのほうにはMo(モリブデン)のあとにさり気なくI(ヨウ素)が追加されているようです。入手先は兵庫県に姫路市で、ビニール袋は開封されていたもののまったく使用した跡のない未使用品でした。
実は昨年、HEMMI No.257Lを落札した際に発送時は無事だったカーソル枠が破断して届き、ありがちなことなのでいちおう売り主に話だけして、昭和30年代中頃のNo.259のジャンクからカーソル枠だけトレードして交換したのですが、たまたまケースを逆さまにしたら蓋がゆるくて本体が30cmくらいの高さから絨毯に落下。それだけでカーソル枠の同じ箇所が破断してしまいました。10年くらい古いカーソル枠でも同じ箇所が破断したとなると、もう寸法公差がプラスに傾いているカーソル硝子のせいだとしか思えません。カーソル硝子が標準よりも縦か横の寸法が大きくて常にカーソル枠を押し広げている状態になっていて、温度低下の金属収縮と衝撃でカーソル枠が破断してしまうのが原因と結論付けました。
 このNo.257も届いた当初は何でもなかったのに、数時間後に見てみると同じくカーソル枠上部左端が破断。30年代のカーソル枠には起きない現象が昭和40年代中頃のカーソルには起きているということは、カーソル枠自体の寸法誤差ではなく、どうもこの時代にカーソル枠を破断させるカーソル硝子が混じっているとしか思えないのです。念のためノギスで寸法を測ってみるとどうやら1/10mmくらいのプラスの誤差で仕上がっているものがありこれが怪しいのです。たとえカーソル枠をハンダ付けしたところでこのカーソル硝子をはめるといつかはハンダ付け部分が取れることは目に見えているので、まずはカーソルグラスをオイルストーンなどで砥いで硝子の寸法を誤差の範囲内に収める作業から開始。そしてカーソル枠は0.6mm直径の表面実装部品用共晶ハンダで100Wクラスの板金用ハンダゴテを使用し、フラックスも銅板などの専用フラックスを使用しました。なにせ接着面積が極小で、ハンダ付け向きの作業ではないのですが、カーソルグラスを削ったことでカーソル枠に負担をかけなくなって、何とか納まりがついた感じです。カーソル枠を破断させた人は、カーソル硝子を砥石で砥いで正寸に整形することがマストです。それをやらないとハンダ付け部分はいつか必ず剥がれます。また、ハンダを盛りすぎるとカーソル硝子が嵌らなくなりますからハンダの量は必要最低限で手早くハンダ付けしなけばいけません。まあ、日常ハンダ付けに慣れている人じゃないと難しい作業なのは確かです。

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HEMMI No.257(TJ)

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HEMMI No.257(GD)

 

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May 26, 2022

HEMMI No.P267 10インチ構造設計用「ヘWJ」

 実に14年ぶり2本目のHEMMI No.P267構造設計用計算尺です。No.P270の大気汚染用計算尺とほぼ同時代の昭和46年以降に発売された新系列の計算尺で、当時すでに製造はHEMMIが直接関わらず山梨の技研系列のメーカーに丸投げOEMで製造されたもので、当時のFUJIの計算尺などと同様に着色されて発売されました。ただ、FUJIの計算尺の滑尺はFABER CASTELLがそうであったように緑色(FABER CASTELLのシンボルカラー)だったことを世界のHEMMIが嫌がったためか、薄いブルーに着色されており、このブルーの滑尺は学生尺のP45SやP45Dなどにも採用されていて、後期のHEMMIプラ尺のアイデンティティーになったような感があります。中にはこの時代まで製造されたNo.P261のようにブリッジとカーソルバーが緑で滑尺が白のものがブリッジ、カーソルバー、滑尺まですべてブルーにマイナーチェンジし、全く違う印象の計算尺になったものもあります。当時はすでにHEMMIに特殊計算尺を設計する人材がおらず、400番代の特殊計算尺はすべてヘンミ計算尺自身で設計されたものではなく外部の技術者の考案によるものです。また昭和30年代から盛んにヘンミサークル誌を通して計算尺論文等を募集しており、その中から計算尺のアイデアをもつ人材を探していたのでしょう。そんな投稿者の一人が当時不二サッシ工業設計部強度計算係勤務の伊藤次朗氏で、このNo.P267は氏の考案が製品になったものです。当時、伊藤次朗氏はカーテンウォールの構造設計の第一人者で、氏のおかげもありその後霞が関ビルを始めとする高層ビル群が誕生するきっかけになりました。氏は「朝、会社に着いてまっさきに計算尺に触れると全身に血が巡るような気がする」などということも言っていたほどの計算尺ヲタクで、日頃から自分なりの計算尺の設計アイデアを練っていたその情熱は大正末期に猿楽町の逸見の事務所にさまざまな考案・意匠を持ち込んで入り浸っていた往年の計算尺ヲタクたちと何ら変わりません。しかし、その構造設計計算尺のアイデア発表から発売に至るまで数年のインターバルがあり、大手ゼネコンでも構造計算はIBMか富士通のコンピュータが急速に普及しました。以前No.269を譲っていただいた昭和42年入社の大手ゼネコン地方支社社員の方でさえ「No.269を買ったけど、数回使用しただけであとは計算機叩いていた」という時代の変換期に発売された計算尺だったのです。説明書におそらくは伊藤氏の言葉で「最近、コンピュータや電子式卓上計算機などの進歩、普及はめざましいばかりです。ややもすると計算尺は軽視されがちですが、計算尺にはそれなりの長所があります。とくに、構造設計の場合は、計算尺の精度で十分であることと、ファクターとファクターの乗除計算をする場合が多いので、計算尺が非常に適当しています。コンピュータと共にご愛用下さい」などと書かれていましたが、当時のモーレツサラリーマンが仕事に追われ、特殊な新しい計算尺を習得する時間もなく、わざわざ後発の専用計算尺を使おうという人も少なかったのでしょう。用途が限られるということもあって発売したはいいけれども「売れなかった計算尺」の代表みたいなものです。追加生産分は在庫が積み上がっていたようで、実に西暦2000年になる直前まで注文すると入手可能だったという話も聞いています。同じようにNo.269の土木用も21世紀に入るまで在庫があったそうですから、機械設計や電気技術以上に建築や土木はコンピューター化で計算尺の引退が早かったのでしょうね。実はこのNoP267のあとに同じく伊藤氏の設計のサッシデザイン/カーテンウォール構造計算尺も出来ていたものの試作のみで、一般向けに市販されなかったのはNo.P267の在庫の山に懲りたからでしょうか?長野の塩尻市からやってきたNo.P267はデートコードが「ヘWJ」で昭和47年10月製。頭のへの字は製造委託先が当時ドイツ製プラ尺なども製造していた関係で発注先を区別するためヘンミのヘの字を付けたのでしょう。ちなみに最初に入手したものはデートコード「UL」昭和45年12月製。おそらくはP267の初回生産ロット品だと思われます。尺度や特徴に関しては14年前に詳しく書きましたのでそちらを参照ください。

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May 22, 2022

HEMMI No.149A 5インチ両面機械技術用

 Dvc00553_20220522133001 HEMMIの代表的なポケットタイプの両面計算尺、HEMMI No.149Aですが、今まで3本入手しているもののたまたま3本とも未開封品だったため、恐れ多くて開封することを憚り、安心して使用できる中古品を探していたものの、No.149Aはそれなりに落札額が高いのです。それだけ計算尺に関わる人間ならば高周波素人でも欲しがる電子工学用No.266同様に誰もが最初のコレクション段階で少々金額が張ったとしても入手する計算尺ということが出来ます。以前は何か計算尺の精密度を鑑賞するという妙な人間がいて、その人達は尺度の数が多いほどその計算尺は「偉い」んだそうで、そういう人たちはNo.266を崇め奉り、No.250などは「あの何もない空間に腹が立つ」などと軽んずる輩も出てくる始末(笑) そういう計算尺鑑賞派にとっては最高の愛玩物がこのNo.149Aで、結果的に高額取引されることは否めません。それでなんとか今回、中古品で心置きなく使用できるNo.149Aを1本入手できました。1.5K円でドイツ製のポケットタイプ金属三スケが3本おまけで付いてきました。
 No.149Aは機械技術用計算尺のNo.259のサブセットの両面計算尺で、No.279Dが20インチ、No.259Dが10インチ、No.149Aが5インチのそれぞれ両面計算尺という存在です。この両面計算尺で3種類の長さが揃うのはこのシリーズのみで、あと3種類揃うのは片面計算尺のNo.72、No.2664S、No.2634。4種類あるのがNo.70、No.64、No.66、No.74と2シリーズしか無いのではないでしょうか?
 10インチと5インチがあるのは数多くの組み合わせがあるのですが、5インチで両面計算尺のNo.259DシリーズサブセットというのはNo.149Aが唯一です。それだけポケットタイプの計算尺としてのユティリティーが高かったために数多く作られて残っている数も多いはずなのですが、それにしても落札額は未だにけっこう高額です。
 戦後の日本で5インチ6インチの両面計算尺を最初に作ったのはどうやらダブルスター時代のRelayNo.550やNo.650だったようですが、その形状はK&Eタイプの10インチ両面計算尺をそのままスケールダウンした形状でした。ポケットタイプの両面なりにLL尺などが省略された必要最小限の両面計算尺だったものにHEMMIがぶつけて来たのがNo.149で、DI尺のない当時のNo.259と比較するとST尺が無い22尺、No.259及びDI尺が加わったNo.259Dは三角関数が順尺なのに比べるとNo.149は三角関数が逆尺です。DI尺がない分の工夫なのでしょう。このNo.149は上下の固定尺が同長のファーバーカステルスタイルで、当時まだこれだけの薄い竹にセルロイドを被せる技術が確立していなかったためか、セルロイドはサンドイッチ構造で上下は竹が見えています。そのNo.149が市場に投入されたのがおおよそ昭和34年と推定しています。というのも上下に竹がむき出しのNo.149は残存数が少なく、というよりも当時の経済事情でポケット尺の両面計算尺を買うのだったらまず10インチの両面計算尺のほうが優先という事情もあったようで、そのためかNo.149まで手が出ないということもあったのでしょう。東京オリンピックに向けたインフラ整備などもあった高度成長期の昭和30年代後半にはすでにNo.149Aにモデルチェンジしており、給与事情も好転したためかこちらのほうが圧倒的に残存数も多いですし、未開封新品のデッドストックも各地の鉱脈から豊富に発掘されます。そのため、希少性は全く無いのに落札額が高額になる計算尺の代表です。
Dvc00542-2  説明書は短冊型と冊子型があり、もちろん冊子型のほうが新しいのですが、その冊子型を2つ折にして革ケースに入った計算尺本体といっしょに外箱に納めるため、外箱の厚みが増しています。説明書は手持ちのものはデートコードが6807Yと6907Yがまだ短冊型で、7112Yが冊子型となっており、この間に変更があったようです。今回入手したものは本体のみで説明書はもちろんありませんでしたが、本体のデートコードが「VE」(昭46.5月)のため、どちらの説明書が付属していたかが微妙な境目にあるようです。それでいつNo.149からNo.149Aにモデルチェンジしたのかというと、おおよそ昭和37年から38年の間ではないかと考えているのですが、なぜセルロイドをエッジにかぶせただけで律儀に「A」の記号を追加して別物にしたのかというのも謎です。Relay/RICOHあたりなら同じ型番なのにまったく違う計算尺なんかけっこうあるのですが、Aの意味はAdvancedあたりの、日本語でいうと単なる「改」くらいの意味合いでしょうか?よく軍用機にあるマイナーチェンジごとに末尾にAから順番に付番していくような乗りだったのかもしれません。HEMMIのNo.149はRelay/RICOHでいうとNo.149にやや遅れて発売されたNo.551ですが、こちらはNo.149を2尺上回る24尺装備です。これは三角関数が順尺のため、DI尺を入れざるを得なかったのと、差別化のためにP尺を追加したためです。こちらもアメリカの業者のOEMブランドで相当数を売ったようですが、計算尺の出来栄えとしてはやはりNo.149/149Aのほうに分があるようで、カーソルグラスがアクリルかガラスかの質感の違いも大きいようです。
ちなみに今回のNo.149A(VE)は本体のみで革ケースもなかったのですが、たまたま以前にRICOHのNo.550Sの2本目を入手したときにそれが入っていた何故かHEMMI刻印の革サックケースがジャストフィットしました。ところがHEMMIにはこの形状の5インチ両面用ケースは無く、カーソル部分まで覆って保護するタイプの革ケースが普通なのですが、いったいこのケースは何用に作られたものでしょう?ちゃんと149Aのブリッジの跡が付いているし、素人がハサミでフラップ部分をちょん切ったという感じではないのです。ポケットから落下してカーソルグラスを割るリスクはあるものの、本体を取り出すのには非常に使い勝手がいいのです。どなたか何用のケースなのか教えて下さい(笑)

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May 05, 2022

俳優渡辺裕之氏との思い出

 今から37-8年ほど前のことですが、結婚詐欺師クヒオ大佐も出入りしていた当時勤めていた渋谷のお店に何度も来ていただきました。見た感じは少々威圧感はあったものの、腰が低くてかっこよくて気さくで明るいナイスガイ。当時代々木2丁目近辺のマンションにお住まいで、そこからハーレーダビッドソンでやってきて、たまに電車の中吊りのパルコ系ポスターで見かける外人モデルさんを後ろに乗せて同伴で来店されてました。実は当方は当時テレビを持っていなくてラジオばかり聞いていた関係で渡辺裕之さんという名前は存じ上げなかったのですが、他のお客に「勝野洋とリポビタンDのファイト一発やってる人」と教えてもらい、そんな俳優さんらしくない人柄に驚いてしまったものでした。「今度勝野さん連れてきますよ」と何度か言われていたのですが、あるとき本当に勝野洋さんを連れて店に現れたのにも驚きました。勝野さん当時としても超有名人でしたし、忙しいなかでわざわざ連れてきていただけるなんて思ってもいなかったものですから渡辺さんのその信義の厚さ、誠実さにも驚かされました。その渡辺裕之氏も俳優として忙しくなり、当方も店先に出ることもなくなり、没交渉になってしまったのですが、その後何年かして原日出子さんとの結婚報道を聞き、あの外人モデル乗せてハーレー転がしていた渡辺さんが変われば変わるものだと思ってしまったのです。その後、奥さんが映画で相手の俳優さんとそういうシーンを演じるに当たり、相手の俳優さんから許諾の電話がないと怒るほどの愛妻ぶりを聞いて、そういう人なんだなぁと妙に納得したものです。なぜ亡くならなければいけなかったのか、これを書いている時点でまだはっきりしたことはわかりませんが、また縁のあったお方が一人亡くなって寂しい思いをするとともに故人様のご冥福を深くお祈り申し上げます。

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April 17, 2022

半纏・雪の花酒造(小樽市)

 雪の花酒造は小樽の勝納川の沿いに明治の時代に創業発展した北の誉の野口本家などの酒造場と比べると比較的に新しい昭和4年創業の桶売り専門蔵の酒造免許を昭和36年に引き継いで創業したという若い酒蔵でした。もともとは自社ブランドで日本酒を販売していたわけではなく、他社への桶売りや観光地の名前を冠したOEMに徹していた営業方針の酒蔵でしたが、日本酒の需要後退とともに平成に入ってから自社ブランドを前面に出した営業戦略に転換したものの、売上の減少には抗しきれず、一度はスポンサー企業(旧苫小牧臨床検査センター系)の経営参入で息を吹き返した様子も見たものの、そのスポンサー企業の経営分割分社化により資金援助が絶たれ新たな仕込みを中止。在庫のみで営業を継続していたものの2011年7月に経営破綻し、雪の花のブランド名とともに消滅してしまいました。数年後には合同酒精を中核とするオエノングループの一部門になっていた北の誉の野口本家も小樽での醸造を中止して旭川に拠点を移設。野口本家に委託醸造していた山二わたなべの北寶も廃業してしまいました。勝納川沿いに発展した酒蔵は現在では宝川の田中酒造の亀甲蔵のみという現状です。
 明治24年に北の誉の野口本家酒造が小樽で最初の日本酒の蔵として開業しましたが、それ以降勝納川沿いの地域に日本酒の蔵が集中したというのはひとえに水、それも天狗山からの伏流水が日本酒醸造に最適だったからといわれています。当時の小樽は北海道における金融・商業・交通の中心地で、本州からの物資や人を受け入れた玄関口のような町でした。そのため、ここ小樽を拠点に野口本家が旭川や札幌にまで醸造所を設けるほど隆盛を極めたわけですが、今や野口本家と神谷酒造が中心になって設立したアルコールプラントの合同酒精の持株会社のオエノングループの一部門に組み込まれ、小樽から完全撤退したというのも時代の流れかもしれません。
 この雪の花酒造の半纏は黒襟に紺木綿生地という組み合わせで、背には雪の花酒造のマークがあしらわれています。さほど古いものではありませんがざっくりとした大きめの半纏です。仙台物ではないようで、もしかしたら旭川あたりの染工場で作られたものかもしれません。

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April 03, 2022

HEMMI No.80K 10"電気用初期型「HD」

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 HEMMIの電気用計算尺No.80KのルーツはJ.HEMMI時代のNo.3にまで遡りますが、No.3自体はA.W.FABERのNr.368 Elektroのまるまるデッドコピーでした。というのもHEMMIの創業者の逸見治郎はあくまでも目盛職人で計算尺の原理原則などわかるはずもなく、あくまでも渡された見本を忠実に作ってみせることには長けていたものの、それ以外のことは不得手で、あるとき西洋の文字で書かれた手紙が猿楽町の逸見治郎の作業場に舞い込んだとき、彼は学校の先生なら何が書かれているかわかるだろうとさっそく近所の小学校にくだんの手紙を持ち込み助力を求めると発送先はイギリスのロンドンからで、サンプルを至急3本送られたいという内容だったということがわかったとのこと。当時のイギリスは第一次大戦でドイツからの計算尺供給が途絶え、新たな計算尺の供給元が早急に必要だったのでしょう。その後、どのような手段でロンドンの会社とやり取りしたのかは知りませんが、おそらくその会社から同じものを作ってほしいと送られてきたサンプルがこのA.W.FABERのNo.368だった可能性もあります。そして大正時代の前半にはマンハイムタイプの計算尺しかなかったところにいきなり加わったのがNo.3なわけなのです。ちなみにこのロンドンの会社が逸見治郎の猿楽町の工場に手紙を出さなければ。また逸見治郎が近くの小学校に駆け込まなければ。そしてロンドンとの取引が始まらなければ、そのロンドンでヘンミの計算尺を後のヘンミ製作所社長となる大倉龜が見つけることもなく、おそらくヘンミ計算尺は大正14年の工場火災とともに途絶えてしまったかもしれません。そしてヘンミ計算尺は大田スター計算尺や竹内式計算尺同様に時代の徒花となり、以後の日本の計算尺は河井精造が正式に理化学研究所の資本投下をうけて会社化した「理研計算尺」というものが設立され、戦前戦後の日本の計算尺界をリードしていた可能性だってあるのです。逸見治郎が英語がわからないからとその手紙を放置せず、取引の始まったロンドンでその製品を目の当たりにした大倉龜が経営参加を申し出、いろいろな人材が自分のアイデアを猿楽町の事務所に持ち込むために集まり、結果として次々に新しい計算尺が発売されていったのです。
 そのHEMMI No.3電気用ですが、コピー元のA.W.FABERがNr.398にモデルチェンジしたことでいささか陳腐化し、べき乗尺、逆尺などを備えたNr.398コピーがHEMMIのNo.80です。発売当初はNo.3同様のナローボディだったという話を聞きますが、その後すぐにNo.64同様のワイドボディ化し、両端にセル剥がれどめの鋲が無くなったと同時に延長尺を備えるようになったのが戦前から戦後の昭和27年頃まで続いたNo.80になります。その戦前のNo.80ですが、べき乗尺を備える片面尺が他になかったためNo.153と同様に電気関係者だけではなく、機械技術関係者にまで広く使われたためか、今でもかなりの数が残っており、決して珍しい存在ではありません。No.50系統を除き、技術用の計算尺としてはリッツのNo.64に次いで多用された片面計算尺かもしれません。そのNo.80の滑尺溝内のモーター・ダイナモ効率尺度を廃し、表面に持ってくることにより特殊な構造の滑尺インジケータをやめ、No.2664などと共通化したボディを使用し、さらに二乗尺のK尺を下固定尺側面にあらたに追加したのがNo.80Kになります。そのNo.80K電気用ですが、他の延長尺を持つNo.64やNo.130等と同様に延長尺の始点の違いで初期型と後期型に分類されるのはあまり気にはされていないと思います。というのもNo.80系統は戦後に多種多様な計算尺が発売されたおかげで戦前に比べるとNo.64同様に相対的に重要度が下がったため、さほど数がさばけなくなったのか数が少ないため、目にする機会も少ないためだと思います。現にNo.130の初期型でさえ昨年立て続けに2本入手しましたが、それまでは現物を目にすることさえ出来なかったのですから。この延長尺の始点が旧タイプはA,B尺C,D尺それぞれ0.785と0.890だったものが0.8と0.9に短縮されています。旧タイプはなぜ、このように半端な数値の始点だったかというと、コピー元のA.W.FABERがそうだったからということしか言いようがありません。同じドイツのNESTLERあたりも似たような延長尺始点なので、おそらくは意味のある数値であったとは思うのですが、当方はよく理解していません。後に0.8と0.9にしてしまったわけですから最初からあまり意味のなかった数値かもしれません。HEMMIの延長尺トリオNo.64、No.80K、No.130のうちで延長尺が一番長かったのはNo.130初期型のそれぞれ0.7と0.84で、後期型とは見た目ですぐに違和感がわかるのですが、No.64とNo.80Kは言われなければわからない人が多いのではないでしょうか。その初期型No.80Kですが、開始価格1000円スタートで出品されたものの送料一律1500円を嫌がったのか誰も入札者がなく、開始価格が下げられて出品され続け、400円になり送付方法もメール便210円に下げられたところで落札したものです。入手先は東京都内です。
 デートコード「HD」ですから昭和32年4月製なので、この初期型では最後の製造年度になると思います。最初期型のHコードのNo.2664S等と同様に裏側固定尺真ん中にSUN HEMMI のトレードマークとデートコード、右の端に形式名が入っているのがこの年までのHEMMI片面計算尺の共通仕様です。手元にあるデートコード「OH」の後期型との違いは構造的には裏板のネジ止めの有無くらいなものですが、あとは表面延長尺部分の数字の色、D尺上にCおよびC1ゲージマークが無くなったくらいしか変更はありません。πマークも釣り針足形で変更がありません。ただ、D尺のCとC1ゲージマーク廃止は後期型でも中途の変更だったらしく昭和36年製造年の「L」にはちゃんと残っているのです。

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March 29, 2022

技研 No.206 8"検定試験初級用(朝日新聞ノベルティー)

 かつて山梨の甲府でプラスチック計算尺を主にOEM生産していた技研工業の8インチ検定試験初級用計算尺とタイトルが付いているNo.206は以前に未使用新品を入手していますが、今回は入手済みのNo.206と内容的には変わらないものの、裏側の成型色が違うという興味だけで入手したものです。おまけに朝日新聞のノベルティーもしくは優秀新聞配達少年への表彰の賞品として発注でもされたものか、朝日新聞・ASAHI EVENING NEWS・科学朝日のロゴが赤で入れられたノベルティー品でした。そしてケースは以前のものと同様に今回も昭和38年以前の技研計算尺に多い黒の貼り箱です。内容的にはHEMMIの8"学生用計算尺のNo.45Kと尺度その他変わりのない√10切断ずらしの計算尺ですが、プラスチック製ということでNo.45Kと比べると竹を使わないだけコストダウン出来たのでしょう。しかし、技研計算尺は自社ブランドとしての計算尺販売期間も短いこともあり、計算尺研究会参加記念とか競技会参加記念などのものは見かけますが、コマーシャルなノベルティーもしくは名入れのものというのは見たことがありませんでした。
 ところで、当初は気がついていませんでしたが、以前入手した技研の検定初級用No.206と今回の朝日新聞ノベルティーのNo.206は尺度こそ同じながらデザインはまったく異なります。以前のNo.206は技研のマークも形式名も通常の技研のデザインと異なり、裏側に申し訳程度、目立たないようにスタンプされています。また、デザイン的にはHEMMIの8インチ学生尺No.45Kのような印象です。今回のものは表面に技研マークと形式名が入る標準的なデザインですが、広告入りということもあるのか裏面が白です。カーソルも微妙に異なります。時期的には今回の朝日新聞ノベルティーのほうが早いような気がしますが、なぜデザインがこうも異なるのかは一つの謎。まあ技研計算尺末期の混乱が伺われるような2種類の計算尺でした。

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March 13, 2022

ザイペル式揮発油安全灯 WILHELM SEIPPEL Z.L.630A(炭鉱用カンテラ)

Dvc00486  最近のキャンプブーム到来でキャンパー人口が激増したからか当然のことながらキャンプギアの人気も高まっています。そのキャンプギアの中でもコレクターズアイテムとしてプレミアムが付くのがキャンプングストーブとランプのようで、特に人気のあるものがコールマンのオールドガソリンシングルバーナーストーブやオールドガソリンマントルランタンでしょうか。当方、キャンピングストーブにはあまり興味はないものの、叔父の形見でコールマンの502とホエーブスの旧タイプ625を所持していましたが、アルミのコンテナ付き502は向かいに引っ越してきたキャンプ好きの若夫婦に進呈してしまいました。さすがはキャンプギアマニアでコールマン好きとあり、夫婦でものすごく喜んでくれましたので、こういうものは死蔵させておくよりも好きな人に受け継いでもらったほうがいいような。502も625もパッキンやグラファイトなんかの消耗品は交換済みでちゃんと使えるように整備済みでしたが、なにせインドア派にはキャンピングストーブなんか利用価値がありません(笑)というキャンピングブームによるキャンピングギアマニア人口の増加もあって、ここ2-3年はキャンピングギア的には変化球ながらアメリカ本国からケーラーやアメリカンウルフの炭鉱用揮発油安全灯が多数日本国内に持ち込まれるようになり、それらがキャンプギアマニアの手に渡るようになってケーラーやウルフはすでに日本では珍しくなくなりましたが、ヨーロッパの炭鉱用安全灯はアメリカ物の安全灯と比べるとタマ数も情報もまだまだ少なく一般的ではありません。
 そんなヨーロッパの炭鉱用安全灯を久々に入手しました。通算3台目のドイツ製SEIPPEL揮発油安全灯です。以前、このザイペル式安全灯に関してはあまりにも情報がなかったため、未確定情報しか書くことが出来ませんでしたが、今回オランダからもたらされたかなり詳しい情報によりより詳細なヒストリーを書くことが出来ました。Dvc00488
 WILHELM SEIPPEL GmbHは創業者WILHELM SEIPPELが1858年にルール工業地帯にあるウエストファーレン州ボーフムに開店した金物屋にルーツを持ちます。1841年に開鉱した炭鉱から産出させる石炭がルール工業地帯の鉄鋼産業を支えたことからボーフムの町は年々発展を遂げ、ウィルヘルム・ザイペルは小さな工場を建設して最初は炭鉱用の金物類やオープンタイプの灯油のカンテラ。まもなく炭鉱用安全灯などの製造に乗り出しました。安全灯としてはザイペルの工場には取り立てて有能な設計者も技術者も存在しなかったようで、ベルギーあたりのクラニータイプ安全灯を参考にしたような油灯式クラニー安全灯なのですが、ベインブリッジのように下のリングに蜂の巣状に穴を開けて吸気効率を高めた安全灯が見受けられます。ただ、この吸気リングの裏側にはベインブリッジ同様に金網も張っていないので、メタンガスへの引火の安全性には少々疑問ながらガス気の少ない亜炭がメインのドイツの炭鉱ではこれでも通用したのかも知れません。またドイツの安全灯に共通の特徴。すなわちメタンガスの通気にさらされるリスクが少ないためか金網部分に風よけのボンネットがないというのは終始一貫していました。まあ国内で必要のないものを着けないというのはドイツの合理性ですが、そういう事情を理解できない商社が明治の末期に日本に輸入したサイペル式安全灯と称するものにもボンネットがなく、構造的にもクラニー灯を揮発油灯にしただけのものということもあり、すでに輸入されていたウルフ安全灯に取って代わるようなものではありませんでした。ただしザイペル式でもベルギーあたりのガス気の多い炭鉱用にはちゃんとボンネット付きの安全灯を輸出していたようです。Dvc00489
 そのザイペル社は1906年に息子のロベルト・ザイペルの時代になってウルフ式安全灯の特許喪失部分も応用した改良型の揮発油安全灯を作りますが、同時にカルシウムカーバイドを燃料とした安全灯も発売。第一次世界大戦後の1919年に会社を売却し、以後の事業はザイペル家の手を離れ、戦勝国英国の蓄電池式安全灯の雄であるCEAG(シーグ)社に買収されます。営業拠点はボーフムから南西の鉄鋼の街であるドルトムントに移転してしまったようです。この揮発油安全灯がドイツでいつ頃まで使われたのかという話はよくわからなくて1925年に蓄電池灯以外禁止になったという話もあれば、1960年に炭鉱研修生として渡った日本人(その実、西ドイツの労働力補間)の話では「日本ではもう見かけなくなった旧式の揮発油安全灯を持たされて坑内に入り、歩くときは腰に下げ、それを適当なところに吊るしての作業に驚いた」などという話もありますので、戦後にもかなり長い間使われていたということは確実のようです。
 今回神奈川から入手したザイペル揮発油安全灯は構造的には前回入手した無刻印のものと変わりありませんが、社名とZL630Aの形式名が残ってました。前回のもとと異なる点は安全灯のトッププレートとガードピラーが真鍮ではなく鉄製であること。また油壺もウルフ灯なんかと同様に真鍮の中子に鉄を被せたものです。まあ、真鍮製というとレプリカ臭が強くて敬遠してしまいがちですが、カンブリアンランタンと違ってザイペルまでレプリカを大量に作ったかどうかは知りません。ただしこちらの方も1985年に開催された何らかの技術会議の記念品だったようです。それで、以前入手したSEIPPEL式安全灯との比較で気がついたのですが、このSEIPPEL式揮発油安全灯は後にウルフ式揮発油安全灯の形式を踏襲して下部の空気吸入口から金属メッシュを通して取り入れた空気により燃焼し、上部のカーゼメッシュを通過して筒外に出るというドラフトではなく、上部のカーゼメッシュを通して取り入れた空気が燃焼し、カーゼメッシュ上部を通して筒外に抜けるという「非ウルフ形式」の揮発油安全灯で、言うなればマルソー形式の揮発油安全灯だということです。その形式というのは20世紀に入った頃から安全灯の終末期まで変わらなかったということになります。また特徴的なの再着火装置(Relighter)のメカニズムがウルフ式とまったく異なり、真ん中に棒芯のガイドステムが出る穴の空いた懐中時計のような円盤にすべてのメカニズムが収められており、給油の際はこの再着火装置の円盤をすっぽり外し、ガイドステムをカニ目で緩めて外すことにより油壺に注油するというものです。この再着火装置の円盤は油壺を貫通するシャフトとはまり込み、底のツマミを回すことによってメカニズムが動作するようになっています。またロッキングシステムはケーラーあたりと同様のマグネットロックです。Dvc00487
その炭鉱の町ボーフムですが、1943年3月に始まったルール工業地帯爆撃の標的になりました。というのもエッセンにあったクルップ社の鉄鋼工場が最重要目標だったものの、そこに石炭を供給するボーフムも例外ではなく1943年の3月5日のエッセン初空襲に続き、早くも3月29日に初空襲を受けています。それから5月6月と定期的に爆撃の目標になり、連合軍の空爆で市街の40%が被害を受けたそうです。戦後のボーフムは炭鉱の閉山が相次ぎ、1970年までにすべての炭鉱が操業を停止したとのことですが、その炭鉱跡地に1962年から自動車のオペルが工場を開設し、第一工場から第三工場までのすべてが炭鉱跡地に設けられたものだったとか。そのボーフムにはドイツ炭鉱博物館と鉄道博物館があるそうで、どういう経緯かは知りませんが茨城のつくば市と姉妹都市を締結しているのだそうな。またこのボーフムはザイペル以外にも同程度の規模の安全灯製造メーカーが複数存在したようですが、日本にはザイペル以外は研究用にしても輸入されたことがないのでまったく馴染みのないメーカーばかりでした。

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February 25, 2022

HEMMI No.66 6"システムリッツ技術用

 ありそうであまり出てこない6インチのシステムリッツHEMMI No.66ですが、これはDELTA計算尺の抱合せで足利市から入手したものです。残念ながらカーソル割れなのでカーソル裏面からテープ補修していますが、この6インチ専用3本線カーソルの入手の可能性は限りなく「永遠のゼロ」なので、久しぶりにポリカーボネイト板を使ってカーソルグラスを作らなければいけません。幸いにも他にも健全なNo.66が2本あるので、寸法出しと3本線カーソルの再現は可能でしょう。このNo.66は滑尺を抜いた内側に目盛が刻まれており、この部分に"SUN" HEMMI MADE IN JAPANが刻まれているNo.66としては戦争前の輸出にも供された改良型ファーストモデルとでも言うべきものです。A型カーソルからA型改良カーソルに変更になり、さらにセルロイドの貼り方が変更になったためか金属のスタッドが廃止されています。それ以外にはゲージマークを含めて変更点は見当たらないようです。ただし、双方ともに馬の歯型目盛なのですが、これが昭和15年以降のいつ頃からか物差し型目盛りに変更になり、滑尺溝のスケール目盛が廃止され、一時的に尺度記号が入ったセカンドモデルに変更になります。ただ、この尺度記号も戦時型から廃止され、以後は踏襲されなくなったようです。こちらの物差し型目盛のセカンドモデルも随分昔に入手しているのですが、どこに入り込んでしまったのか肝心なときに出てこない(笑)ファーストモデルセカンドモデル共に革のサックケースに入っているのですが、スタッド付きのほうはフラップに「BAMBOO SLIDE RULE "SUN"HEMMI」の金箔押しがあるのにこちらのモデルはコストダウンのためかのっぺらぼうです。セカンドモデルは標準で黒疑革紙貼りの黒紙ケースでした。
 同じくポケット型の5"サイズのシステムリッツにNo.74があるのですが、情報的には戦前から作られていることがPAUL ROSS氏のカタログに書かれているものの、今まで見た一番古いものはMADE IN OCCUPIED JAPAN時代のものです。おそらくはNo.2634同様に戦後になって初めてラインナップに加わり、戦前のポケットタイプとしてはNo.66が携帯用としては標準だったということでしょうか。

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February 24, 2022

信和工業 HATO No.800 8"生徒用

 信和工業のHATO No.800という生徒用8インチ計算尺ですが、これはおそらくは山梨のあるプラスチック計算尺のOEM専門メーカーにより提供された計算尺の一つだと考えていました。というもの、ほぼ仕様が同じ計算尺でプランドだけが違うものが数社確認されているためですが、印象としてはどうやら技研系や富士計算尺系ではなく、まったく別の山梨系統の計算尺のような気がします。ところが考えてみると、今を去ること15年も前に金属板で目盛が逆に陽刻された計算尺の原版のようなものが一度に多数出品されたことがあり、その原版は大阪の業者だったヘブン計算尺のHEAVENのものに混じってHATO No.800の原版のあり、合わせてHEAVENのポケット計算尺で尺全体が拡大レンズになっているものやHATO No.800の箱にも入っていないむき出しの完成品が多数含まれていたのです。当然、山梨のどこかの下請け業者から流れたのかと思っていたのですが、その出処は神戸。ヘブン計算尺が大阪だということもあり、もしかしてこれらは山梨ではなく関西のどこかにプラ尺の製造元があって、そこから高級な計算尺はないものの、8インチの学生尺や5インチの名入れノベルティー専用計算尺などを作っていた可能性がありそうなのです。そうでもなければ山梨で使っていた原版が関西から大量に出てくる道理がないような気がします。ただ、ヘブン計算尺を除いて信和工業にしてもその類似尺のパイロットの計算尺にしてもそのOEM先は殆どは東京の業者なのです。まだ新幹線も開通していなかった時代にわざわざ東京から大阪に計算尺の発注が出ることがあったのかは疑問ですが、その当時ノベルティー名入れ専用クラスのチープな計算尺はHEMMI計算尺や富士・技研系の計算尺メーカーではベースになるモデルがなくて、この時期、在関西の、それもプラスチック加工のメッカである東大阪あたりの工場が一手に生産を担っていたという可能性は大いにあったと思います。考えてみれば東京の興洋商事の名入れ計算尺もベースは関西メーカーのものだったかもしれません。
 そんな関西のプラ尺専門メーカーOEMと考えられる信和工業のNo.800ですが、この手の計算尺に共通の説明書はまるで風邪薬の説明書のようなペラ一枚を折りたたんだもので、発売元の所在地も電話番号もないというシロモノです。尺度はK,A,[B,CI,C,]D,L,の7尺で滑尺裏はブランク。またカーソルはバネこそ入っているものの一枚のアクリル板を曲げて裏側に折り返しているだけの単純なものです。紙の筒型ケースは2種類あるようで、今回のものはブルーグレーの張り箱でした。姉妹品に√10切断系のNo.820があるようですが、それ以上の発展はなかったようでこの2種類以外にHATOブランドの計算尺は見たことがありません。入手先は東京の大田区からでした。

Hato800

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February 23, 2022

OZI SEISAKUSHO 「DELTA」5インチ 計算尺

 終戦後の昭和24年前後に出現し、他に発展することなく消えてしまった日本ではその類例を見ない全金属製計算尺のOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺ですが、いまだにその正体がまったくわからない計算尺です。15年ほどの間でも知っているだけで5本もオークションには出ていないと思いますが、その間でわかったことは基本は同一ながら裏側にdB尺があるバリアントが存在すること。また、「日本カーボン」の社名と電話番号が刻まれたおそらくはノベルティー商品ではなく会社備品が存在することの2点しかわかっていません。社名でさえも王子製作所なのか王寺製作所なのかもわかりませんし、その会社がどこに存在したのかさえもわからないのです。
 唯一つ言えることは町の零細業者が手掛けるようなシロモノではなく、おそらくは高度なプレスや機械加工の技術をもつ会社ではないと出来ない加工の製品であることから、たぶん戦時中に軍需品を手掛けた大手の工場の一つで、戦後の財閥解体で分社化され、一時期OZI SEISAKUSHOを名乗ってこのような民需品を手掛けていたものの、昭和20年代後半には元の大手の傘下に戻って社名が消滅した会社ではないかと思うのです。さらに「DELTA」というネーミングから旧三菱の関連会社か?などとも考えたわけですが、いままでそれに対するエビデンスは何一つ発掘できていません。
 ともあれ、戦後の物資不足から軍が本土決戦用に溜め込んでいた兵器用のジュラルミンが放出になり、様々な日用品の鍋や釜やパン焼き機、火鉢やバケツなどがジュラルミンで作られました。我が家にもジュラルミン製のバケツや電熱器、火鉢などが実際にありましたので、けっこう日本中にほんの一時期だけ広く出回ったようなのですが、このジュラルミン製品が溢れた昭和23-4年ごろを称して「ジュラ紀」などとも言うそうです。また戦時中に金属製品が供出され、瀬戸物の製品が代用品として出回った時代を「白亜紀」と称することもあるそうです(笑)
 その放出ジュラルミンを加工して元軍需品製造の会社が作り上げたのがこのDELTA計算尺ではないかと思われるのですが、その証拠としてこの計算尺はMade in Occupied Japanが刻まれており、そのジュラルミンは一年ほどで使いつくされたことや、朝鮮戦争が勃発してからは金属類の高騰でとてもこのような総金属製の計算尺は作ることが出来なかったため、朝鮮戦争以前のほんの短期間にだけ作られたとしか考えられないのです。また、おそらくは航空機用かなにかの薄板を巧みにスポット溶接で組み合わせ、薄板だけの構造でこれだけのものを作り上げた設計者は只者ではないはず。しかし、このような構造的には画期的な計算尺なのにも関わらず、宮崎治助氏の計算尺発達史の戦後の計算尺にも一切紹介されておらず、いままでオークション上に出てきた数からしても総数2000-3000本くらいの間で入手した放出ジュラルミン板の分だけしか製造されず、しかも市販はなく旧財閥グループ企業の間で社用に出回ったとしか考えられないのです。どうもこれだけ手の込んだ総金属製計算尺を市販しようとしても同じものを竹で作った計算尺と比べるとその定価が何倍になるかも想像がつかないほどで、絶対的に商業的には成功はしないはずですし、この計算尺の製造元もこれを発展させようという気はまったくなかったでしょう。それを考えるにつけ、この薄板のみを巧みに組み合わせた計算尺の構造を設計した人が後にどういうものを設計したのか興味が尽きないのです。
 そのOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺は最初に入手したものが裏面にdB尺がついていて、カーソルのポインターで目盛りを読むというものでしたが、今回栃木の足利市から入手したのがこのように裏面がなにもないもので、こちらのほうが一般的なOZI SEISAKUSHO DELTA計算尺になります。2本の違いですが、以前入手した裏面にdB目盛があるものが改良品と仮定すると、今回のDELTA計算尺には表面にDELTAのブランド名とOZI SEISAKUSHOの文字ならびに上下の固定尺を繫ぐブリッジにPAT.PEND.NO.14015の打刻がありますが、裏側には一切刻印もありません。これに対して裏dB目盛付きのほうは、表面にはDELTAのブランド名だけで、メーカー名は裏に移動し新たにMADE IN OCCUPIED JAPAN表記が追加されました。さらに逆尺の尺度と数字ならびにDELTAのブランド名が赤入れになりました。裏dB目盛り付のほうは固定尺と滑尺ともに25の打刻があり、今回のものは35の打刻があります。ゲージマークは双方ともにπがあるだけで特に差異はありません。双方ともに滑尺はお互いに入れ替えても寸分の隙間も出来ないほど精密な加工精度があります。

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January 18, 2022

☆Relay☆ No.R-816 8"学生用計算尺

 ダブルスター時代のRelay No.R-816 学生用です。このアルファベットが頭につく品番はアメリカへの輸出品番と言われていますが、この昭和20年代末期から30年代には国内にも広く出回っており、必ずしも輸出専用というわけではないようです。この「R」が練習用とか生徒用を表し、800番台は8インチの片面計算尺を表します。ただ、アメリカでは昔から生徒用も10インチの片面計算尺が主流でしたので、この一連のR800番台8インチ尺が輸出されていたのかというと2、3のOEMブランドがあったのみで、さすがに8インチ計算尺はオフサイズ扱いだったようです。この8インチというサイズの計算尺はアメリカのほうが出現が早かったのですが戦前に早くも淘汰されてしまいました。
 日本では戦時中、旧制中学での教育のために作られたHEMMIのNo.2640が標準になったため、学生用計算尺というと8インチ片面尺というのが標準化してしまいましたが、この8インチというのは当時の教科書を開いたときにはみ出さないサイズということになっています。ただ、戦時中ということもあり、材料を節約するために2インチ短い計算尺を標準にしたという動機のほうが大きかったはずです。
 そのような8インチ学生用計算尺に√10切断ずらしが採用されたのは昭和25年頃にリリースされたHEMMIのNo.45だと思われますが、RelayではHEMMIに遅れてR-806とR-816という2種類の計算尺がほぼ同時にリリースされています。R-806はおそらく当時各社でよく作られた表面しかなく裏側に三角関数はおろかセルロイドも貼られていないというチープな初心者用ですが、このR-816はHEMMIのNo.45に対して表面にK尺まで加わった豪華版。当然のことながら裏面にも三角関数もL尺もあるのは昭和36年リリースのHEMMI No.45の改良版No.45Kよりもかなり早かったということになります。ただ、HEMMIのNo.45は相当な数が残っているのにも関わらず、このRelay R-816は珍尺に近いくらい数が少ないことからもわかる通り、HEMMI No.456の競争相手にはならなかったようです。また、滋賀のKIM氏も言われている通り、このR-816も例外ではなくセルロイドの経年劣化で左右の基線が一致しないのです。というのも剥がれかけたセルロイドをめくってみると、HEMMIでは竹の表面を接着剤の食いつきを良くするために加工してあるのにRelayは表面がつるつるのまま。それがどうやらセルロイドの収縮防止には何の配慮もなかったために、65年以上の経年で縮んでしまったということなのでしょう。また、このR-816は竹は組み合わせられておらず、単純に切ってみぞを加工しセルロイドを張っただけです。そのため、ある程度のエージングもなしに市場に出されたことも容易に想像されます。これも目盛のズレに影響しているはずです。表面はK,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺で滑尺裏はS1,L,T1の3尺ですが三角関数はインバースではなく順尺です。ポケット計算尺のように携帯を意識した豚革製サックケースが標準で付属しているところが学生尺としては珍しいのですが、こちらも輸出を意識してのことでしょうか?当時のダブルスターリレー独特の弁当箱にような黄色いアルマイト処理がされた裏板で、表面セルロイドも光沢仕上げというのが目を引きますが、本当に計算尺として品質が上がるのはRelay末期のNo.84を待たなければいけなかったのかもしれません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製。発掘場所は愛知県内からでした。

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January 17, 2022

HEMMI No.254W-S Stadia 10"両面別製学生用(工業高校土木科向)

 今の測量というと急速に発展したレーザー測距とマイクロコンピュータと無線LANを内蔵したトータルステーションの取って代わられて久しく、今や測量現場は一人で行うことができるものですが、30年ほど前までは助手が持った標尺をトランシットもしくはセオドライトと呼ばれる三脚の上に乗った望遠鏡で覗き、2本の線の間に見える標尺の目盛り長さや角度を割り出して距離を測るということが街の中でも当たり前に行われたのです。その角度と距離の関係はスタジア表と呼ばれる数表や計算機を叩いて求めるのですが、以前はスタジア計算尺というものがあり、これにより数値を求めることも行われたのです。ただ、目視による測定は当然のこと誤差があり、さらに目視で角度目盛りを読むときにも誤差が生じ、さらに計算尺で数値を読み取るのにも誤差があるアナログ的な測量法なわけですから、GPS衛星が地球の周りをカバーしている時代には基本的な測量法ではあるものの正確さを担保しきれなくなってしまいました。そのため、この目視によるスタジア測量法というのは土木科目の基本的な測量実習と測量士補や測量士の試験問題の中でしかお目にかからなくなりました。
 当方、まったく土木分野には縁がなく、トランシットは覗かせてもらったくらいなのですが、相当昔に航空写真測量の基本が知りたくて測量士補の教科書を入手したことがあります。まあ、スタジア測量の項目はすっかり忘れてしまいましたが、大学の工学部土木専攻の男が測量事務所のアルバイトに出かけ、夏の炎天下の中で標尺抱えて熱中症になりかけたとか、標尺抱えてふと横を見るとマムシに注意の看板があってゾッとしたとかそんな話が伝わってましたが、大学で測量実習の単位をもらい、卒業して測量士補かなにかの資格がもらえたのだったかどうかはうろ覚えです。そんな土木では必須の基本技術のスタジア測量は現場の土木技師を養成する工業高校の土木科でも当然のこと行われており、実習で単位を取得すれば卒業時に測量士補の資格要件が与えられたはずですが、今や工業高校の工業化学科あたりでも完全週休二日制の通常授業だけでは単位が足りないのか、昔は卒業時にもらえた一般毒劇物取扱責任者資格も補習を受けないともらえないという話も聞きますので、今はどうなのでしょうか?そんな工業高校土木科の先生の要求でNo.254Wにスタジア目盛を追加した別注品バージョンのNo.254W-Sです。おそらくは各学校に営業を掛けていた内田洋行のみの扱いだと思います。数ある工業高校科目別別注品No.254W-Sの中でも土木科専用スタジアというのは土木科以外には必要なかったわけで、全国の工業高校土木科、しかもある一部の先生の要求だけで作られた計算尺だけに数は少ないと思われます。個人的な感覚としてはこの工業高校科目別の別注品No.254W-Sは東日本よりも西日本、特に大阪、兵庫、京都あたりから出てくる例が非常に大きいような気がするのですが、どうやら関西圏では戦前からの老舗教材社と各学校とのつながりが深く、内田洋行とのつながりの深いHEMMIよりもRICOHの取り扱いが大きかったような気がします。そのため、関西圏に食い込みたかった内田洋行が高校の担当教諭の「こんなものがあったらいいのに」を具現化しものが科目別No.254W-Sなのではないか、なんて考えたりもするのです。それだったらNo.269という選択肢だってあるのでしょうが、さすがに土木科全生徒に購入させるということから価格的なしばりもあったのでしょうか。いつのタイミングか工業高校の計算尺もポケコンに様変わりしました。「子供が工業高校に入学したので購入させられたが、2ヶ月で退学したので不要になった」などという親が出品したポケコンをオクで見ると、なんか「親の心子知らず」を実感させられます(笑)
 このNo.254W-Sのスタジアは出現数がここ15年ほどで両手の数よりも少ないほどだと思うのですが、それだけNo.254Wのスタジアのバリアントを要求するような先生が少なかったのでしょうか?入手先もやはり関西圏の神戸市でした。
このNo.254W-Sスタジアのの表面は普通のNo.254Wと共通でLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1ですが、裏面がK,A,[SIN,COS,COS^2,TI,SI,C,]D,DL,L,となります。デートコードは「TB」と「UB」の実は2本まとめてで、それぞれ昭和44年2月と昭和45年2月のものです。どういうわけで一年違いのものが2本まとめて出てきたのか理由はわからないのですが、年子の兄弟が一年違いで同じ高校の土木科に入学したのだったら話はわかります。一年違いじゃお下がりというわけにはいきませんものね(笑)またこのスタジアバリアントは上下滑尺が同長のヨーロピアンスタイルのものがなく、K&E型のスタンダードスタイルのものしか見つからないようです。時代が下るに従い、わざわざ同長型を用意する意味と手間を失ったのでしょうね。次世代のフルログログ化したNo.254WNは当然のことK&Eスタイルオンリーです。

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December 31, 2021

NESTLER Nr.11M  5"マンハイム型計算尺

 ドイツのAlbert Nestler社はA.W.Faber社とArist社と並ぶドイツ計算尺3大巨頭の一角を担う歴史のある会社です。第二次大戦前は世界の60カ国に輸出しておりましたが、その輸出先には日本は含まれておらず。というのも大正末期から日本は計算尺を輸入するのではなく輸出する側の国になってしまったため、明治の末期ならともかく日本にドイツ製計算尺が入る余地はありませんでした。そのNestler社はシステムリッツやダルムスタットの計算尺を最初に市販した会社です。第一次大戦前のNestler計算尺はドイツが英国のように植民地からマホガニー材を入手するわけにはいかず、西洋梨という固くて緻密な木材を使用しているため、かえって丈夫で狂いのない計算尺を作ることが出来たようで、大正初めころにシーメンス社が海軍の送信施設の受注を狙って日本支社を設立し、ノベルティーとして関係者に配ったシーメンスシュケルトマーク入りのNestler5インチポケット尺は100年間日本の高温多湿の環境下にさらされてもまったく狂いはありませんでした。
 そのNestler社ですが、ドイツの南西部、ライン川沿いのラールという街に大工場を構えていたものの、連合軍の空襲被害により尽く破壊されてしまったとのこと。戦後、焼け残った建物に移転して生産を再開させたものの、新たな工場の再建は11年後の1956年まで待たなければいけなかったとのこと。そのときにはすでにほぼプラスチック製計算尺製造の方にシフトしていたようです。これは3社共通なのですが、最初にプラ尺に手を付けたのがAristだったそうで、それはすでに第二次大戦中のことだったという話です。
 戦前の西洋梨製のNestler計算尺の良さを知っているだけになんともチープで情けない計算尺ですが、それはそのはずで、これは裏側に宣伝用の社名などを入れるために作ったプラ製計算尺なのです。日本でいうと興洋商事の計算尺のように名入れギフト業者で扱う計算尺なのですが、ケースだけはやたらに立派な革製だということでまだ救われています。尺度も逆尺もないA,B,C,D尺に滑尺裏S,L,Tのみ。この形式番号Nr.11Mというのは末尾の記号で電気やリッツなどの頭文字でバリアントがあるようで、MはおそらくはマンハイムのMでしょう。入手先は愛知県の知多市近辺からでした。このNestlrtは1978年に計算尺の生産を終えましたが、晩年は山梨の富士計算尺か技研のOEMのプラ尺に移行していたようです。この工場は今では一部が記念館になって貴重な資料の展示場になっているそうな。

Nestler11m
Nestler11m2

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December 30, 2021

Keuffel & Esser No.4081-3 LogLog Duplex Decitrig 10"両面技術用

 久々のアメリカはK&Eの両面計算尺No.4081-3 Log Log Duplex Decitrigです。おそらくは戦前に入手したものがずっと日本の家庭のタンスの中に眠っていたようで(と思っていたのですが)、何年かに一度くらいこういう国内の埋蔵輸入計算尺にいきあたります。K&EのNo.4081-3はK&Eとしては初めてのログログデュープレックスで、1937年の発売ですから昭和12年。当時はまだヘンミ計算尺にはまだこういうタイプの両面計算尺がなかったために機械技術者にも電気尺のNo.153などが多用されている時代でしたが、元のオーナーがアメリカ帰りだったのかそれとアメリカ帰りの方からのいただきものだったのかその真相はわかりませんが、当時物のK&Eのケースや本体に日本人名が刻まれたものがまれに発掘されることがあります。このNo.4081-3はバリアントのNo.4080-3とともに戦争を挟んで十数年という決して長くはないモデルイヤーの後、1955年あたりまで続いたのですが、戦争というあらゆる産業が軍需という名のもとに人が駆り出された時代でしたからかなりの数が製造され、アメリカ国内に残っているようです。そのため、些細な違いだけでコレクターに4種類の分類が確定されているようですが、日本ではヘンミ計算尺さえも同一モデルの年代別分類が確定していないところがなんとももどかしいところです。
 このK&E No.4080-3とNo.4081-3のようなπ切断系両面計算尺に関してはかの宮崎治助氏が自著の計算尺発達史の中にも項目を設けてπ切断尺の非合理性に触れられているのですが、氏によるとNo.4080-3は三角関数が60分割の分・秒で刻み、No.4081-3が10分割のデシマルなんだそうで、当初から用途別で2種類用意しているところがさすがはアメリカの国力ということなのですが、誰の話だったか1939年頃からアメリカ本土では計算尺と計算機などが市場から一斉に姿を消したという話があります。ヨーロッパでの戦争と太平洋での戦争によって軍需産業が拡大することをすでに予測して密かに政府が確保に走ったのかも知れません。そのため、戦前のNo.4080-3及びNo.4081-3には兵器や軍需品開発に多用された、なにやら戦争の匂いが染み付いているような気もします。日本でいうと戦時尺のNo.153やNo.64みたいなものでしょうか。 実は相当昔にK&Eの4081-3を入手していたのですが、ケースからしておそらくは戦後のものらしく上質な茶皮のケースが付属していました。ところが例のK&Eカーソルバー腐れ症候群に罹っており、カーソルバーは粘土を固めたもののようにばらばらに砕けてしまい、便宜的にHEMMIのNo.251のカーソルを取り付けた段階でそのままダンボール箱行となってしまったため、その型番すら忘れていていました。
内容的にはHEMMIのNo.251以上No.259未満ですが、このNo.4080-3は基本が同じながら三角関数が分割されて細密計算できるものや、双曲線関数を備えるような型番違いが複数存在し、軍需産業でもジャンル別に対応できるようになっていたのが戦時中不要不急計算尺をどんどん減らしていった日本とは異なりますが、戦後もこの路線の延長で行き、新たな両面計算尺を出さなかったところにPIKETの各種両面計算尺やPOST No.1460 Versalogの市場での台頭を許してしまったのでしょうね。特に技術用として戦後は金属製でさらに多くの尺度を詰め込んだPIKETTに完全に取って変わられたという感があります。もちろんPIKETTはK&Eのシェアを奪うため、K&Eの両面尺をかなり研究して金属製というで多尺度詰め込みという独自の両面尺を作り上げたのでしょう。アポロ計画で月に行ったのも歴史のあるK&Eの計算尺ではなくPIKETTの計算尺でしたし。
 今回入手したK&E No.4081-3は前回のものと異なり皮もどきのケースが付属しており刻印の分類も1939年から1948年までのセカンドモデルです。シリアルナンバーは207162なのでまさに戦時中モデルということになり、そうなると戦前入手というよりも戦後進駐軍の払い下げ物資のなかに混じっていた一種のアメジャンの可能性が高いようですが。というのも入手先が八王子市近辺なので「16号線沿線アメジャン説」が成り立つような(笑)当然のことカーソルバーが腐れ症候群に罹っていてバラバラになりかけているのでネジを外さずそのままにしておきます。また以前入手した国内モノの4088-3もそうでしたが、カーソルバネが抜け落ちて喪失しやすいのかこの4081-3も皮シムが隙間にはめ込まれてバネの代わりにされていました。誰か3DプリンターでK&Eのカーソルバー作った人いませんか?

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December 16, 2021

技研計算尺 No.250S 10インチ片面高級検定用

 計算尺検定試験用に特化して各学校の先生たちの意見を取り入れて「検定用計算尺」を各種取り揃えていた山梨は技研工業の片面高級検定用計算尺の最終進化型、技研No.250Sです。No.250の滑尺上にB尺を追加してA尺B尺相互の計算が可能になっただけで、内容的にはまったくかわらないのですが、個人的にはNo.250は未使用新品で所持しているため、1尺追加の違いだけのNo.250Sに手を出すのは忸怩たるものがありました。それでもNo.250Sにしてもその残存数は非常に少なく、ここ15年ほどでオークションに出てきたものは両手の指の数にも満たないものがあります。ただ、つい最近オークション上に技研計算尺の未開封品デッドストックが次々に出品されていますので、やや有り難みは少なくなりました。そのオークションとはどうやら同じ鉱脈の出らしいのですが別ルートで入手したものです。技研計算尺の考査は以前、No.250のときに書き尽くしましたのでばっさりとカットしますが、昭和38年を境に旧型番と新型番が存在し、同形式番号でも違う計算尺が存在すること。昭和38年版の冊子型説明書に「大正計算尺」の記述の箇所に二重横線をして「技研計算尺」にスタンプを押したものが後に活字を「技研計算尺」に組み替えた改訂版が存在すること。昭和40年頃に一旦会社を清算させ、東京の富士計算尺の販売会社主導で設立された新会社富士計器工業に乗っかって新会社「技研産業」を設立し、以後は独自ブランドの販売をやめてFUJI計算尺やHEMMIの学生尺などのOEM製造専業になったという流れがあるようです。昭和46年にはドラフターなどの製図用品ムトウの傘下に入り、ドラフタースケールなどを製造しながら今に至りますが、20年ほど前まで会社には以前製造したものの納品しそこなったのかFUJIやHEMMIはおろか、技研ブランドの計算尺まで倉庫に転がっていたらしいというmyukiさん情報もあるのですが…。ただ最近、技研産業の情報が流れてこないので、もしかしたらこのコロナ禍もあってプレートなどの精密彫刻の需要も減り、開店休業状態かと心配しているのですが、その際、残留物が換金のため今回市場に流れたものであったら悲しいものがあります。富士計器工業の系統だったフジコロナ精器も中国製環境家電の輸入会社に業態変更したものの10年以上前に廃業に至ったようですし、山梨の計算尺に関わった会社の最後の牙城として存続していてほしいものです。
250s この技研No.250Sは高級検定用計算尺として発売していたNo.250の発展型でSはHEMMIの型番末尾のSを真似して「SPECIAL」のSなのでしょう。別にNo.250の別製で高校からの特注品というわけではなく、単なるNo.250のマイナーチェンジ版だと思うのですが、表面の滑尺上にB尺が加わっただけではなく、滑尺裏の三角関数尺の配置が変わり、さらにC尺が加わったことで滑尺を裏返してD尺DI尺と三角関数絡みの計算の利便性をより高めたということなのでしょう。尺度が表面L,K,A,DF,[CF,CIF,B,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の14尺。滑尺裏がST,T2,T1,S,C,の5尺で合計19尺に対し、No.250はL,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,DI,LL3,LL2,LL1,の13尺で滑尺裏がT2,T1,ST,S,の4尺ですからNo.250Sが2尺増えて合計19尺に対してNo.250は合計17尺です。上下の固定尺側の尺度に差はなく、滑尺の表裏だけ新しい目盛金型を起こしただけのことですが、19尺といえばRICOHの高校生用両面計算尺No.1051Sあたりと同じコンテンツなので、ここまで片面計算尺に詰め込む必要があるのかどうかははなはだ疑問です。まあ、追随して同様の計算尺を作ったメーカーもなく、FUJIにしてもNo.2125を高校生用として継承した程度ですから技研に生まれて進化を極め、技研で絶滅した片面計算尺の恐竜のようなものなのかもしれません。幅も5cmと両面計算尺のFUJI No.1280-T並の片面計算尺としては異例の幅広計算尺です。また、No.250は普通の蓋付きの貼り箱に入っていたものの、このNo.250Sだけは昔の筆入れのようなボール紙を芯にしたビニール製ケースに入っています。このケースのデザインは誰が設計したのか計算尺のケースとしては秀逸で、ケースのフラップを開けると上面下面に同じ形の窓が空いていて、この窓で計算尺の本体を親指と人差指でつまんで少し引き出してやれば楽にサックケースから本体を引き抜くことができるのです。逆さにしただけで蓋ごと本体が落下してカーソルを破損させたりしない細かいアイデアがすごいと思うのですが、このケースの形状はどのメーカーも継承しなかったのはなんとも残念なことで。製造年代は昭和39年に入ってからだと思うのですが、取説の巻末価格表は昭和38年1月1日現在のもの。ピンク色っぽい入山形の表紙で大正計算尺表記を技研計算尺表記に活字を組み替えた版のものなのですが、No.250Sの価格は掲載されておらず、マイナーチェンジ前のNo.250が高級検定用計算尺として掲載されていました。入手先は甲州街道沿いの府中市から。以前に技研計算尺が多く発掘されたのが同じく甲州街道沿いの千歳烏山だったので、もしかしたら甲府から東京に至る20号線沿線に技研計算尺のデッドストック鉱脈が未だに存在するかも(笑)

技研工業No.250S高級検定用(昭39年ころ)

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技研工業No.250高級検定用(昭和38年ころ)

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December 13, 2021

呪いのアンテナ再度設置

 こちら8エリアは例年に比べて根雪になるのが遅く、さらに日中も最高気温が10度くらいまで上がる日もあったため、例の呪いのダイポールアンテナを一度降ろしました。そしてローディングコイルの接続部分やバランとエレメントの接触部分などどうせ組み立ててから一度も整備していないだろうことも容易に想像出来たので、接続部分を磨いて表面酸化部分を落とし、ステンレスの5x15mmのボルトやナットはすべて新品にして導電コンパウンドを塗った後に再組み立てし、バランの部分からエレメント末端の導通を確認しました。
 そして、再び屋根に上げて逆Vに張り直したのちにリグに接続し、リグに火を入れ(真空管機なもんで)て、SWRのチェックを始めると、7MHzは見事に落ちましたが3.5MHzが落ちてくれません。ちょっと「がっかりだよ!」なのですが、もはや原因としては接触不良意外に考えられず、ワイヤーエレメントとローディングコイルを接続するための金具は2本のビスで止められているものの、本来はエレメントを抜いて磨き直してしまうところ、たぶん大丈夫だろうとビスの頭に導電コンパウンドを塗っただけですませてしまったところに根本的な問題があるようです。このワイヤーエレメントと金具の接続箇所は左右のエレメントで4箇所。更に寒さをもたらす発達した低気圧もやってきて、もう屋根に上るのも嫌だなあと思っているところに雪まで薄っすらと積もってしまいました。こりゃやはり春までダメそうな。
 それでも7MHzのダイポールアンテナとしては使えますけど、それじゃあ以前の自作7MHzダイポールアンテナを張っていた環境と変わりありません(汗) それでも出力を掛けなければ3.5MHzのワッチ用としては申し分なく、以前のCP-6では地元のOMさんが相手をしている局の信号がノイズに掻き消されてまったくわからなかったものが、今やかなり弱い信号でも聞き取れるようになりました。ただ、受信だけでは何の意味もありませんが、3エリアあたりでじじいの世間話的なローカルラグチュー‎に使われている実態はよくわかりましたぞ(笑)

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December 08, 2021

HEMMI No.257L 10"両面化学工学用

 当方、化学系の専門教育を受けているわけではなく、化学系の資格としてはたぶん一番下位の化学屋資格である一般毒物劇物取扱責任者しか所持していませんが、資格試験の勉強にあたっては改めて有機化学の勉強を1からやり直しました。まずベンゼン環にどういう物質がどう結合したらどうなるのかという分子式の問題や分子量、さらに濃度の問題などはかなり手こずりました。まあなんとか一度の試験で合格出来ましたが、その時の合格率は22%くらいだと思います。受験した当時にしても計算尺も計算機も持ち込みは出来ませんでしたが、確かそのあとでHEMMIの化学用計算尺のNo.257を入手しています。このNo.257は分子量の計算などに便利かというとさほどでもなく、電子用のNo.266よりも実用性は???という感じでした。そういえば高校時代2年間化学を担当していた先生が教頭先生で、さらに東大出身であり化学の分子量やモル濃度の計算などは生徒にやらせる時間を惜しんでHEMMIの片面計算尺を使って自分で計算してしまう先生で、よくその口癖の「計算はまかせといてちょうだい」や、計算尺を使って答えを導き出したときの「こんなもんだね」が生徒に真似されてました。「答え一発カシオミニ」ではありませんが、計算尺で導き出す数値が「こんなもんだね」というアナログ感は今の子はわからないでしょう(笑)その最初に入手したNo.257は「GD」刻印ですから昭和31年4月製という大変に古いもので、スモールロゴ時代の緑箱に入っていました。そんなNo.257は日本では唯一の化学用計算尺としてそこそこの数が出回っていましたが、なぜか計算尺末期の昭和40年代半ば頃になってNo.257Lにモデルチェンジしています。 このNo.257Lは計算尺衰退期に差し掛かった時期の新製品でもあり、No.257に比較するとかなり数も少なく、中古品よりも文房具店で売れ残った未開封新品のほうが出回ることが多い印象があるものの、かなり高額で取引される計算尺です。そのため、No.257を入手してから16年も経過して入手したのがこのNo.257Lです。しかし、K尺が加わったのになぜ末尾にLが付いたのかを今までずっと理解していなかったのです(笑)No.257とNo.257Lの何が違うのかというと、表面に2乗尺のK尺が加わり、裏面の尺度の配置が僅かに変わった意外には差がないものの、新たに加熱体と受熱体の対数平均温度差を求める対数平均(logarithmic mean)の尺度が加わり、その頭文字のLが元からの形式名No.257の末尾に付いてNo.257Lになったというのが今回始めて理解しました。ただ、初級ボイラー資格持ちでしかない当方は、いまだかつて対数平均温度差なる言葉にも行き当たった経験はありませんが(笑) 
 しかし、もう計算尺も400本近いはずですが、よくもまあ今までコレクションに入らなかったというのはNo.257と比べて高額落札になるのに比べて魅力に乏しいの一言に尽きます。それほど熱心なコレクターではないので、どうしても入手しなければならないという気もなく、16年の歳月が経過してしまいました。ところで、いったいいつぐらいにNo.257からNo.257Lにモデルチェンジが行われたかという問題ですが、一応紺帯箱と青蓋のポリエチレンケースが存在することから、おそらくは昭和45年あたりと考えています。ただ、今回入手したものが初物ですから比較検討も出来ず、証明することが出来ませんが、今回のものは紺帯の紙貼り箱でした。また、長らくアメリカで代理店をしていたFREDERIC POSTが昭和42年末に当時マイクロエレクトロニクスと制御システムの優秀な会社を次々に買収して巨大なコングロマリットを形成しつつあったTELEDYNE社に買収されてTELEDYNE POSTブランドに変わるまではHEMMIのNo.257はPOST No.1491としての扱いはあったものの、TELEDYNE POST時代には計算尺の種類も大幅に整理され、No.1460 Varsalog II 以外はほぼ安物のプラ尺ばかりになっていたようで、モデルチェンジしたNo.257Lは見当たりません。海外OEMブランドとしてはフィリピンのODELCO No.257Lがおそらくは唯一の存在のようです。ちなみにこのODELCOというのはフィリピンのDE LEON IMPORT & EXPORT Co.という貿易商社のトレードマークで、1952年以来フィリピン国内の教育機関等に欧米から優秀な文具や教育機器などを輸入して供給した日本で言えば戦前の内田洋行的な(規模はまったく異なりますが)会社らしく、会社の沿革には特に日本のHEMMIから計算尺の供給を受けてフィリピン国内に供給したことがはっきり記載されています。それだけHEMMIとの独占代理店契約はこの会社にとっては重要な意味合いを持つ事柄だったのでしょう。No.257の尺度は表面L,K,A,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1で、裏面が二分割のCh(アルファベット順列)M1,[M2,華氏F度,摂氏C度,絶対温度K度,LM,]mmHg,Kg/cm2,in.Hg Vac,tω、が刻まれます。このNo257Lの入手先は兵庫の西宮市でデートコードは「VC」ですから昭和46年3月の製造。取説は「7109Y」で、これも昭和46年9月の印刷のようです。

HEMMI No.257L(VC)

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HEMMI No.257(GD)

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 画像でもわかりますが、No.257Lは表面にK尺が加わった関係でスペースが無くなり、形式名が裏面に移動しました。そのため、表面に形式名があるのがNo.257。裏面に形式名があるのがNo.257Lという判別がつけられると思います。

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November 30, 2021

焼津からやってきたHEMMI No.266 電子用(QI)

 7MHzのトラップコイルの共振周波数を計算しているときに偶然新たに静岡の焼津から落札したHEMMIの電子用計算尺No.266です。焼津と言えば今も昔も遠洋漁業の街で無線の街であるということは周知の事実ですが、最近は漁業の幹部が冷凍マグロやカツオの漁獲を中抜きして横領し、自身の水産会社の冷凍倉庫に隠匿していたという負のニュースが伝わっていました。その焼津の漁業無線局は民間漁業無線局としては日本で最初の開局らしく、時期的には大正末のNHK東京のJOAKが放送開始した時期にほぼ一致します。当時の漁業無線局は瞬滅火花式の電信で減幅電波(B電波・ダンプ)と呼ばれるもの。それが持続電波のCWに変わったのはいつ頃でしょうか。コールサインはJFGで現在は静岡県内の清水・御前崎漁業無線局と統合して静岡県漁業無線局となりましたが、いまだに焼津の地に送信・受信設備を構えております。各地の漁業無線局から電信が無くなる中でここはA1Aの1kW設備が稼働中です。ただ、今の世の中。船舶も電信設備なども無く総合通信士ではなく海上無線通信士が乗船するご時世で電信の扱いがどれくらいあるのかわかりません。20年くらい前ならなニュースで公衆電信業務としての新年祝賀の電報取り扱いで大忙しの漁業無線局の映像などがニュースで流れていたのですが。
 また、焼津は日露戦争前に三浦半島との間で海軍の34式それの改良型36式の無線設備の通信実験を行うために別途送受信設備が設けられたそうで、その記念碑がどこかのお寺に設けられているそうです。その36式無線機とB電波の日本海海戦時の活躍は相当昔に記事に書きましたので割愛しますが、これだけ日本の無線の歴史と関わりが深かったのが焼津の街なのです。またビキニ環礁の水爆実験で被爆した第5福竜丸も焼津の所属で、無線長の久保山愛吉さんが被爆治療で仲間とともに東京に送られたときや、久保山愛吉さんが危篤になったときなどは焼津の無線局に仲間の船からの「久保山がんばれ」の電報が殺到したそうで、その模様は新藤兼人監督の映画「第5福竜丸」でも描かれています。所属の漁船が多いとなるとそれに関係する無線関係を生業とする業者も多く、これだけプロの無線屋が多い街はアマチュア無線も非常に盛んだと言う印象があります。というのも船を降りてからアマチュアを開局した人や無線関係の生業をしながら開局した人はその殆どが上級アマ局で、もちろんのこと無線に関する高いスキルやノウハウを持っていますから後から開局した人たちもその影響を受けて自然と地域全体のレベルアップがなされているような印象です。北海道では昔は根室や函館がそのような感じの街でした。でも今や漁船の通信士あがりのOMさんや漁業無線局OBの上級ハム局のOMさんもサイレントキーが増え、この法則はもはや薄れてしまいましたが。
 それで焼津からやってきた当方3本目のHEMMI No.266ですが、おそらくはプロの無線屋さんの持ち物だったのでしょう。通信士系か無線技術系かはわかりませんが、どういう職種のプロが使用したのかを想像するだけでも楽しいものですし、敬意を払わなければいけません。デートコードは「QI」ですから昭和41年の9月の製造。箱は紺帯箱です。厚木のOMさんから譲っていただいた米軍落ちのNo.266が「PK」で昭和40年の11月製の緑箱ですからこの間に緑箱から紺帯箱に変わったことがわかります。時代はウルトラQからウルトラマンに替わり、空前の怪獣ブームを巻き起こした時代のNo.266で、当然のこと周波数の記号はまだMHzではなくMcの時代。当方すでにNo.266も3本目なのですが、いまだMHz表記に変わったNo.266には縁がないようです。

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November 28, 2021

トラップコイル?ローディングコイル?

Dvc00339  それで実際にこのトラップコイルのLを測定してみると相当大きな数値であることがわかりました。昔から使っている(主に電解コンデンサの容量チェックにしか使っていませんでしたが)LCRメーターが出てこないので、3年ほど前に購入したオートマチックのトランジスタチェッカーを使用しました。レンジなと切り換えること無くLCRも自動判別され、そこに表示された値はなんと0.8mH。普通に自作する7MHzトラップコイルではこんなに大きな値は使わないはずです。それでHEMMIのNo.266を大昔に厚木のオリジナルJA1コールのOMさんから譲っていただいた本来の目的通りに7MHzに同調するLが0.8mHのときのCがどれくらいかとまず滑尺の右端を7MHzに合わせた後、カーソルを移動して下固定尺のLを0.8mHに合わせ。滑尺上のCの値を読み取るとなんと1pFよりも小さい値の0.65よりもやや右寄りなので0.64pFくらいに読めるのですが、実際に1/(2π√LC)で計算機を叩くと単位換算が面倒くさいのですが7.08MHzに同調する切れの良い数字で0.63pFと出ました。計算尺侮ることなかれですが、0.64と0.63の差なんて実際のキャパシタの誤差からしたら意味のない違いです。
Dvc00345  そもそも7MHzのトラップコイルを自作しようとしたらLは1μHくらいに設定してCは50pFくらいに設定するのではないでしょうか?0.8mHのコイルを7MHzに同調させようとしてもLが大きい分だけCの値が少し狂っただけで同調周波数が大きく狂ってしまうのです。やはりこの呪われたアンテナのコイルはトラップコイルにあらず、単なる3.5MHzダイポールアンテナのローディングコイルであり、7MHzに同調させてコイルより先を遮断するのではなく、常に3.5MHzのアンテナとして動作し、また2倍波の7MHzもちゃんと同調するように設計されているということらしいです。そうなるとSWRが怪しいのはエレメントの断線や接触不良、さらにはバラン内部で巻線が焼ききれていないかなどのチェックですが、もう雪が積もったり解けたりを繰り返す季節になり、とてもこれから屋根に登って降りての作業をする気にもなりません。こいつは春までダメそうだ。しかし残念なのは今回もディップメーターの出番がなかったこと…。材料ありますからこないだ階段脇から発見した塩ビの排水管の切れ端使って7MHzのトラップコイルを冬ごもり中に実際に自作してみましょう。

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November 27, 2021

呪われたダイポールアンテナのコイル修復

 先日、雪が来る前にとりあえず上げてしまった7/3.5のダイポールアンテナはやはり呪われてました。なんとなくおかしいなとは思っていたのですが、上げてからSWRなんか測ればいいやと思っていたものの、トラップはLCで構成されていなければいけないのに経年劣化かそれとも出品者に知識がなくて見栄えが悪いから取ってしまったのか、それともそもそも受信用にしていただけのアンテナだったのか。それで手動式のアンテナチューナーを使うにしても7MHzはとんでもなく離調したポイントでなんとかSWRが落ちるものの、3.5MHzはまったくダメ。なんとコイルに「C」に該当する物がありませんでした。コイルのL巻線が切れてはいないと思うのですが(わかりませんが)、C分を追加して7MHzに同調させるようにしないとダメです。そのため、アンテナを一旦降ろしてトラップコイル部分のLを測定して、7MHzに同調するようなCの容量を計算しなければいけないわけで。同調周波数を求める計算は1/(2π√LC)というのは上級ハム試験の無線工学でも基本中の基本公式なので知らない人はいないと思うのですが、これがLをどう動かしたらCがどう変わるのかというのをいちいち数値を当てはめながら計算するというのは非常に面倒くさいものです。その同調周波数を設定してしまえばLとCの組み合わせが連続して直読出来るというのは計算尺に限ります。それも何ら単位の読み換えなし値が読めるのはHEMMI計算尺のNo.266の独壇場です。(ただ大体の目安にしかならないので、ピンポイントな目的周波数に対するLCの組み合わせの正確な数値は実際に計算機を叩いてみる必要があります。)
 その操作というのも滑尺を引いて右端f0を7MHz(うちのNo.266は2本ともMcですが)に合わせ、滑尺上のCfと固定尺のLにそれぞれの値が読み取れるというもの。そのため、コイルのLを測定器で測定さえすれば計算尺上にそれに合致したCの値が読み取れ、同軸ケーブルを使ったキャパシタでそれを製作するということ。おおよその目安として5D2Vが1cmあたり容量1pFらしいので、大体の長さを切り出して芯線と網線間の容量をカットアンドトライで測定し、目標値のCを得ればよいわけです。それでLCが組み合わさればあとはディップメーターを使って同調周波数を測定するというプロセスですが、そもそもこのNo.266を厚木のJA1コールのOMさんの好意で譲ってもらったのも、ディップメーターを入手したものそもそもは自作のトラップコイルを作りたかったゆえなのです。しかし、いつのまにやら計算尺のほうが面白くなってしまって本末転倒、今まで本来の目的のトラップコイル作りを放り出してしまっていたわけなのですが、呪いのアンテナのおかげで今になってトラップコイルに手を出さなければいけなくなったというのは夏休みの最終日になって宿題が終わらなくてバタバタしている要領の悪い小学生のようなものでしょう(笑)それでどうも市販のトラップコイルだと同軸コンデンサーくらいでは間に合わなさそう。というのもLは予め決まっているので、同調を取るにはCで調整しなければいけません。セラミックコンデンサを使用するにしてもかなりの耐圧を要求され、並3の同調バリコンは入手難ですし、防水性にも問題があります。そうなると同軸コンデンサ頼みになるのですが、まさか何十センチも必要になるとなると、それにも問題があります。
 さらにもうすでに雪がちらつくようになった陽気の中で、また屋根に登ってアンテナ下ろすのが面倒なこと。どうせ最近はHFなんざちっとも使わないのだから春になって暖かくなってから、なんていうズボラな気持ちが出かかっていますが。ところで最近は安い中国製のマルチメータでさえLCRの測定もトランジスタのhFE測定も出来たような気がするのですが、肝心な我が家のLCRメータ、最近使わないからどこへ入ってしまったかわからない(笑)

 えっ!市販の2バンドワイヤーダイポールアンテナのトラップコイルって設計上L成分しかなくて共振回路を形成していないんですか?なにせ市販品って見たこと無いので、当然LCで共振回路を形成してそれがトラップだと思っていたのに。そうなったらまた別な問題化かあ。こいつは春に雪が解けるまでダメそうだ。

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November 17, 2021

7/3.5の逆Vワイヤーダイポールアンテナに張り替える

 貧乏無線局ゆえにHF増設時に合わせてHFマルチバンドのGPアンテナをオークションで落札したものの、あとが続かずバランを自作してワイヤーダイポールアンテナを作ったり50MHzの2エレHB9CVをトマトの支柱を使用し同軸ケーブルをコンデンサかわりにマッチングに使用したものを自作したりしたのですが、このトマトアンテナのエレメントは紫外線劣化で外皮にヒビが入り、そこから錆びだして導通が悪くなってほぼ2年毎に作り直さなければいけないというのが煩わしくて4回ほど作り直した後に市販のHB9CVを上げてしまいました。それでもこのトマト支柱アンテナのみで50MHzでJCCの500市を達成したのですからたいしたもの(笑) それで現在まで残っていた自作アンテナは7MHzモノバンドのダイポールアンテナのみ。それもおおよそ18年位上げっぱなしだと思うのですが、この自作アンテナレポートは当時のCQ誌の読者サロンのようなコラムに掲載されて図書券500円ほど頂いた記憶があります。徹底的に廃品を使用して作ったアンテナでバランに使用したのは手持ちのトロイダルコアと掃除機のモーターを分解して取り出したエナメル線を使用して100均で3個くくりで売られているタッパーの防水容器とし、道端で拾った塩ビの水道管と組み合わせて自作したもの。エレメントは盆栽などに使用する1.6mm径の裸銅線。碍子は同じく拾った塩ビ管を切ったもので、当初は両側からテンションかけるとどんどん伸びるため、落ち着くまで苦労してマッチングを繰り返し、SWRも1.1くらいにまで追い込んだものでした。屋根から東西に逆Vに張ったのですが、固定先は庭のイチイの植木でした。自作のエンテナ故に本当に電波が飛ぶのかどうかというのが当初ドキドキで、たまたま1エリアから強い電波で入感していた局が一局しかなかったので、試しに呼んだら一発でとってもらった初交信局が当時7メガの有名局のセブロン氏。すでにこのアンテナは永久に呪われたかどうかは知りませんが、その後バランの防水ケースが紫外線劣化でバラバラになってコアがむき出しになっても動作は問題なく18年の間上げっぱなしでした。その間7MHz帯が倍に拡張されてもフルサイズゆえのブロードさで新たにマッチングの必要もなかったということもありましたが。また10MHzが飛びはともかくそのまま乗るため、21MHzで交信していたOMから10MHzのCWの要求があって、このアンテナで交信したこともありました。実はこのアンテナは当初から拡張計画があり、7MHzのトラップコイルを自作して7MHzと3.5MHzのデュアルバンドのダイポールにすることです。というのも垂直系のアンテナで3.5MHzは短縮率が大きすぎてまったく飛ばず、交信したのは同一エリアのみ。アンテナチューナーで7MHzダイポールで電波を出しても似たようなものだったので、3.5MHzのダイポールはローバンドの課題だったのです。そのため、2.2mm径のPEW線をリールごと一巻き(たぶん340mくらいの残)を購入したり、ディップメータを譲ってもらったり、水道管を購入して7MHzのトラップの材料は揃えたものの、急に意欲を失ってしまったものだったのがほぼ15年くらいそのまま。先日、階段脇に塩ビの排水管を切ったものが転がっていたのに、なぜこんなものがあるのか全く覚えがなく、いまになってトラップコイルの材料だったことを思い出しました。こういうのは情熱があるときに一気にやってしまわないと永久にそのままという見本のようなものです。自作アンテナ時代の話なのですが、実は以前から顔しか存じ上げなかったものの亡くなった父親のキリスト教集会のお仲間にNさんという方がいて、この方に父親の葬儀の司会なんかをお願いしたのですが、実は父親の葬儀の際にこの方が元JA8CWさんという大OMだったことがわかりました。このNさん、元NTTのOBで、若い頃は名寄、北見、落石など何年かおきに転勤を繰り返し、転居先で知り合った2桁コールの方たちのアンテナやシャックなどの様子を克明に写真にしたものをアルバムにしており、後日ご自宅にご挨拶に伺った際に見せていただきました。今はもうサイレントキーになられた2桁OMさんのほうが圧倒的に多いのですが、その中でも有名なのがJA8AAの濱OM。確か通信電設関係の会社の2代目とかなんとかというお話で、当時北海道電力の送電線の鉄塔を改造したアンテナタワーに自作のビームアンテナを上げている昭和40年代の写真がありました。しかし、当時一般的に自作されていたのがNさんを含めて丸太を組んだ骨組みの2エレキュービカルクワッドアンテナを木製のはしごタワーに上げたもの。防風雪で壊れたりするので2年に一度は新しく作りなおしたなんて話でしたが、そういえばうちの近所にも丸太をバッテンに組んだ木製のキュービカルクワッドを上げた家が2軒ほどありました。しかし、その後既製品のスプレッダーを使用して半自作のキュービカルクワッドを上げる時代をへて、既製品のタワーやビームアンテナといえば既製品の八木アンテナの時代になって久しく木製や竹製のスプレッダーを組んでキュービカルクワッドを上げたという話は半ば伝説の世界でしょうか。JA8CWのNさん、開局当時はもちろん自作のリグを製作し、落成検査を経てようやくコールサインをもらったのが昭和31年だというお話でしたが、現役時代は長くドレークの愛用者だったそうです。現在は岩見沢の幌向から雪の少なく娘さんの嫁ぎ先でもあるウチの街に移住してきて高層アパートの住人になり、住環境重視で無線環境には恵まれないため、無線局復活はないようです。それでもデジタルモードには興味があるようなのですが。
 話は変わって某フリマサイトで詳細がまったく記されていないため、何メガのアンテナかもわからない市販品の中古ダイポールアンテナを入手。それは蛇の道は蛇でトラップコイルが着いているため2バンドであることもわかりますし、トラップコイルの大きさを見れば何メガのトラップコイルかも見当がつきます。それでこれは7/3.5MHzの2バンドダイポールアンテナと思ったらもちろんこれはビンゴ。バランの上の部分の紐などで吊るす穴が経年劣化で脱落していて紐で吊るすようになっているため、もしかしたら当方で3オーナー目くらいの古さはありそうですが、ものは昔のコメットの2バンドダイポールアンテナのようです。とりあえずは卸っぱなしで整合もとれているだろうと判断し、18年経過した自作のダイポールアンテナを撤去し、さっそくこちらを上げてしまいました。それに先立ちエレメントの伸びる方向に蔓延る蔓などを徹底的に刈り取るなどの作業を行い、これが結構な手間だったのですがなんとか経路を確保。西側はまだ余裕があったのですが、東側は3.5MHzのエレメントが延長になった分従来のイチイの木に縛り付けるわけには行かず、敷地ギリギリのアオモリヒバの2.5m高の部分に縛り付けました。まだ詳しい整合状態はチェックしていないものの、バンドをワッチしてみたところ、7MHzは自作アンテナと変わらないものの、3.5MHzは垂直系の短縮率が高いアンテナではノイズにまみれてまったく受信できない信号がさすがにノイズもなく浮き上がって聞こえてくるのには驚かされました。整合チェックや送信に関する飛びのチェックなどはこれからですが、卸っぱなしを再度上げただだけだからそれほど問題ないんじゃないかとは思いますが。この品物、いつまでも荷物の番号が登録にならないのでおかしいと思ったら同一市内の東の営業所から西の営業所に回っただけの同一市内配達。もしかしたら市内でサイレントになった局のものを某OMが撤去して片付けてそれをフリマに出したのを当方が購入したのかも?しかし、某OMの出品物だったらアンテナのバンドの詳細くらい絶対に記載するでしょうし、これは一種の謎。でもアマチュアのアンテナは天下の周りものとはいえまた「呪われたアンテナ」だけは嫌かもしれない。しかし、新品アンテナ買う気にはぜったいにならないのが貧乏無線局ゆえの思想です(笑)

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November 13, 2021

ボタンが反応しないケンウッドTH-F7の修理

 このKENWOODのTH-F7は4アマ取得直後にとりあえず開局してコールサインを取得するための手段としてうちの貧乏無線局としては唯一新品で購入したものです。とりあえず局免を取得してしまえばあとは中古の安い無線機をオークションで落札し、保証認定を受けて段階的に出られるバンドを増やしていこうという目論見でした。しかしこのTH-F7は購入したものの1アマを取得するまで電波を出すことを封印してしまいました。というのも運用にうつつをぬかすと勉強とモールス受信練習が疎かになって上級免許を取るモチベーションが上がらなくなるということを信じていたからなのですが。それで4アマ取得後1年かけてモールス受信スキルをなんとか獲得し、3アマを取得後さらに3ヶ月で2アマを取得したころには今と同じQRVバンドが整備されたものの、相変わらず各バンドをワッチすることしかしませんでした。その間もTH-F7の役目と言うと専らラジオと消防波受信としての用途がメインで、当時バーアンテナ内臓でAMラジオの感度も良いというハンディ機は唯一ということもあり毎日充電放電を繰り返した結果、3年ほどで充電能力が低下してしまい、乾電池ケースもあったもののこれだと最大500mwしか出ないこともあり、一線を退きました。充電池を上京の際に秋葉原で購入したのはそれから5年の後。電池を交換した後もめったに使われることはありませんでした。というのも消防波がデジタル化したのが大きかったかもしれません。というかハンディ機自体がかんたんな修理調整で直す事自体にしか興味が無くなってしまったからなのですが。
 それで家に増殖したハンディ機のうち一部のものがボタンの反応が鈍くなったり効かなくなってしまったものが出てきたのはわかっていたのですが、触りもせずに今まで放置していました。ところが先日久々にハンディ機どうしで交信したことと、IC-μ3の分解をしたことがきっかけでこちらの方にも手を付けることになりました。そのなかでTH-F7も各ボタンの反応がにぶいことは数年前には感じていたので、分解してボタンの接点と基板の接点を洗浄し、復活させる作業に着手しました。
 TH-F7の分解は比較的に簡単です。電池パックを外し、アンテナ基部とボリュームスケルチ基部のナットを外し、電池パックを外したときにあわわれる本体裏側下部のネジ2本を外して本体前面のプラスチック部分とダイキャスト部分をこじると基板と前面パネルの部分が分離しますが、スピーカー部分のコネクターを外すのを忘れないようにしなければいけません。ポタンは裏側に導電ゴムのチップが付いた一体型のゴムシートで、このチップ部分と基板側の接点をエレクトロクリーナーを染み込ませた綿棒で十分洗浄し、さらにボタン部分の接点はグラスファイバー芯を束ねたコンタクトクリーナーで擦っておきます。そしてもとに組み立て直したTH-F7はすべてのボタン操作がスムースに行われることを確認して一件落着。
 ところが翌日、電源ボタンを入れようとしたらまったく反応しなくなりました。もしかしてしばらく放っておいたリチウム電池パックがもう充電能力が無くなったのかと思いきや、満充電状態で8.4V出ているのでどうも電源のせいではないよう。それならばと、前面だけ外した状態で電池パックを装着し、ピンセットのお尻でで電源スイッチ部分の基板を短絡させるといきなり起動しました。どうも一番使った電源スイッチ部分の3mm径の導電ゴムだけが寿命だったようです。ここの部分はどう洗浄してもダメでした。通常のメーカー修理ならばボタンのゴムシートをまるごと交換しなければいけないのですが、こういうゴムスイッチの交換用ゴムのタブレットもちゃんと市販されているので、これを接着することで部分補修出来るものの、こんなもので密林(amazon)を使うのももったいない。それで素材として使ったのが単なる台所用のアルミホイル。これを円形に切り抜いて瞬間接着剤で導電ゴムの上から貼り付け、瞬間接着剤が乾いたところでもとに組み立て直し、電源ボタンを入れるとあっさりと起動しました。この導電ゴム補修にアルミホイルを貼り付ける修理法は他のボタンの反応が鈍くなったリモコンの補修にも広く使えそうな裏技的なものでしょうか。

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November 10, 2021

日本計算尺 NIKKEI No.250 8インチ学生用

Nikkei 10年以上ぶり3本目の日本計算尺のNIKKEI No.250です。8インチの学生用と思われる計算尺です。よくRelay計算尺の東洋特専興業が戦後の一時期に名乗った日本計算尺と混同されるケースも多く、外国人コレクターが頓珍漢な説明を加えていることもあるのですが、この日本計算尺は東京の世田谷に存在したまったくの別会社です。それは宮崎治助氏の計算尺発達史中に戦後に製作を始めたメーカーとして出てきますのでこれはファクトでしょう。また、この日本計算尺は自社ブランドで輸出も行っていたようで、なぜかHEMMIの両面計算尺に自社のNIKKEIブランドを付したものの対米輸出もあったことがわかっています。この経緯は良くはわからないのですが、おそらくフレデリックポストに戦前から独占されていた対米輸出をポストの影響力なしに行うため、HEMMIがNIKKEIを利用して風穴を開けようとしたのかもしれません。そのNIKKEI計算尺のトレードマークが漢字の「日」をかたどった太陽マークで、これは旧日本水産の戦前からの社紋と同じ。今のネット社会では一発でクレームが入りそうなものですが、当時にしても缶詰やソーセージと計算尺を同一メーカーと誤認するようなことはなかったでしょう。
 このNIKKEI計算尺は国内向けには5インチと8インチのバックプレートが一体金属で厚みが比較的に薄いものと、HEMMIのNo.45と同様の構造の学生用8インチ計算尺に限られています。両面計算尺の生産が出来なかったというのがこの会社の技術力を物語っていると思います。金属の一体バックプレートを持つ構造は合理的なアイデアでパテントを取得しているようですが、一つ問題があって、裏側にS,L,T,尺を持ってきた場合に副カーソル線窓の移動で最終調整するわけにはいかず、さらに金属の温度変化の伸び縮みで精度が損なわれるのではないかということです。その問題を指摘されないために5インチと8インチという短い計算尺しかないのかと疑ってしまうのですが、さらにそのあたりの事情からか当時ではよくある三角関数尺とL尺を廃して裏側がブランクのものがあるようです。そのため滑尺裏に三角関数があるNo.200は構造的にはHEMMIのNo.45Kあたりとかわらないごく普通の竹製8インチ学生尺です。
 今回入手したのがNo.250という8インチの√10切断の機種です。この時代には5インチのポケット尺が一種類、8インチの学生尺が3種類記載されていますが、すべて√10切断のずらし尺を備えたもの。後にマンハイムタイプのA,B,C,D尺を備えるNo.260が加わったようです。普通は逆だと思うのですが。さらに4尺ですから1.2mの教授用のライナップがあるようで、それだけ学校教育用に食い込もうと試みていた様子。その教授用計算尺のおかげもあったのか、文部省、日本国有鉄道、東京都教育庁からの推薦を受けているということです。
 このNo.250の尺度は表面がK,DF,(CF,CI,C,)D,A,の7尺で裏側は竹の表面むき出しのブランク。それでもちゃんと竹を組み張り合わせている構造のため、反ってしまって抜き差しもままならないということはありません。このNIKKEIブランドの日本計算尺は世田谷区の上北沢1丁目というと今はこれといって特徴もない住宅街ですが昭和20年代から30年代はというと、近所の都立松沢病院を望む畑と雑木林が点在する場所で、近くの桜上水や赤堤にはまだ牛を飼っていた酪農牧場があったようです。以前、朝はさんざん千歳烏山から甲州街道の渋滞を避けて赤堤通りから環七の淡島通りに入り、大橋から旧山手通りに入り、鎗ヶ崎交差点で左折して恵比寿に至るルートを毎日走っていたはずなので、上北沢1丁目は毎朝通過していたもののまったく印象がないのです。昭和30年当時としても都内では割と辺鄙なところですから、単にどこかに計算尺を外注で作らせていたわけではなくて、ちゃんと小規模な製造工場を構えていたのかもしれません。入手先は埼玉の川口市で、ぼろぼろな一枚ペラの長尺折りたたみの説明書きが残ってました。

追記:当時の上北沢1丁目は現在の桜上水4丁目だそうで、昭和30年代は閑静な住宅街だったようです。おそらく現在の上北沢1丁目は当時完全な農業地帯で農家が点在するだけの場所だったのでしょう。なぜこのように地名が移動したのかは不明ですが桜上水には三井財閥の酪農牧場が存在し、後にその跡地が桜上水団地に化けたという話だけは知っています。元京王沿線の世田谷区民なもんで(笑)更に良く調べましたら実は以前NIKKEI No.250は福岡から入手済でした。そのNIKKEI No.250は裏側にセルが貼っていない滑尺はおろか、固定尺まで反りまくって抜き差しもままならない状態だったので、「狂い絶無・破損しないカーソル・断然値段が安い」のキャッチフレーズは偽りだろうと文句を言いながらそのままどこかのコレクションボックスに放り込んでしまったため、特に印象が薄かったらしいので仕方がないかも(笑)


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November 08, 2021

成東商会ダウエル 7x50mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

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 久しぶりに駄双眼鏡を購入しました。とはいえ戦後に雨後の竹の子のように、というよりもキノコのように出現しては消えていった板橋の四畳半メーカーと異なり、いちおうは戦前から存在した東大そばの文京区西片の成東商会ダウエルブランドの双眼鏡です。扱う商品は天体望遠鏡から顕微鏡、双眼鏡に至るまで多種な光学製品と望遠鏡鏡自作のための部材など多種多様にわたり、カタログだけ見れば同じく戦前派の総合光学商社のカートンやエイコーあたりとかわりありませんが、その実体は一軒家のような社屋に部品の箱が山と積まれていて、注文があるたびに部品を組み立て調整して送り出すというような業務形態だったようで、決して大きな倉庫に完成品のダンボールが山と積まれていて出荷を待つという業態ではなかったようです。
というのもどうやら中間マージンをまったく廃して戦前から一貫してコンシューマーに直接通信販売という形態をとっており、そのため業者に中抜きされる輸出光学製品などは扱っておらず、一時期輸出双眼鏡に刻印を義務付けられていた輸出メーカーコードを取得した形跡もありません。また国内の光学製品問屋の扱いもなかったため、けっこう昔の天文少年たちにとっては一度は切手を送ってカタログを入手したものの、実際に購入した天体望遠鏡や双眼鏡はケンコー、ビクセン、カートン、エイコーなどを地元の眼鏡店でというケースばかりだったような気がします。というのもその時代はまた雑誌広告などの通信販売というのは親の世代にまだまだ拒否感があり、お年玉などを貯めて通販で現金書留送ろうとしたら「足りない分は出してあげるから地元の眼鏡店で買え」などと親ストップが掛かったというケースもけっこう多かったのではないでしょうか。ネットを見て製品の評判を調べてポチで完結する現代とは隔世の感があります。そのためか名前が知れている割には今に残っている製品はあまりないようで、天体望遠鏡に輪をかけてダウエルの双眼鏡は見たことがありません。数年前にたまたまダウエルのかなり古いIFの12x50mmのZタイプ双眼鏡を入手しましたが、分解しなければわからないもののなんと1.6mm径の針金をシム代わりに焦点調整している部品かき集めででっち上げた中身の実態にどん引きしたことがありましたが、それでも調整はちゃんと出来ていて下手な輸出双眼鏡よりもぜんぜんよく見えるというところにこのメーカーの実態がよくわかるような気がしますが、全般的には「割安だが部品の精度不足や調整不足もあって性能の個体差が激しく、買って後悔するメーカーの代表」のような評判が常につきまとっていたような。昔はこういうネガティブ情報がネット上を駆け巡るということもないのですが、やはり天文少年の直感で手を出したらいけないメーカーということを悟っていたような感じで、周りでダウエルの天体望遠鏡、双眼鏡を実際に購入した仲間はさすがにいません。
Dscf4258以前入手したダウエルの双眼鏡は時代的には昭和30年代くらいは遡ると思われるものでしたが、12x50mmの表示ながら実倍率が7倍しか無いというもので、ダウエルまで倍率詐称双眼鏡を普通に供給したというのがちょっと意外でした。今回の双眼鏡はずっと時代が下っておそらくは昭和40年代後半から50年代はじめくらいの製造と推測出来ます。というのもネジが黒染めのプラスネジになり、モノコートながらコーティングも厚くなったような至極まともな双眼鏡に変わったようですが、実態はどうなのでしょう。 静岡の熱海にあるリサイクルショップから届いたダウエルの7x50mm、7.1度のZタイプ双眼鏡はひどく黴びている様子は無いものの、接合部のグリスの油分が蒸発してプリズムや対物レンズの表面を曇らせていました。どっちみちフルオーバーホールするつもりで分解していったののですが、分解前に500mほど先にある送電線の鉄塔を見てみると左右は若干開いていたような気がしますが上下の視軸はぴったりと合ってました。分解してみてわかったことは、部品をかき集めてでっち上げたというものではなく、まともな板橋輸出双眼鏡レベルのもので、プリズム面はちゃんとコーティングされてますし遮光筒を備え、内部も黒塗装がされています。対物レンズは全面コートですが、接眼レンズは外側だけのコートでした。また外部ネジはプラスネジを使用しておりましたが、プリズムはタガネ打ちによる固定です。それから推測するとこの双眼鏡は昭和45年から50年くらいにかけてのものではないかということ。そして、おそらくは成東商会内部で組み立てられたものではなく、板橋のどこかの業者に製造を丸投げして納められた外注品だったのではないかと推測できるのです。ダイキャストはC-3とかいう陽刻が内部にあり、これは確かビクセンの7x50mmと同じもののような記憶があるのですが。考えるに昭和46年の火星大接近などをきっかけとして天体望遠鏡需要バブルが起きて天体望遠鏡の組立調整が一時的に忙しくなり、双眼鏡の組立まで手が回らなくなって板橋の業者に外注に出してしまったのでしょう。双眼鏡屋にしてみれば円の切り上げや変動相場制移行で輸出が立ち行かなくなり、一過性の事とはいえ天体望遠鏡需要バブルで双眼鏡の需要まで生まれたのはありがたいことだと思います。これ、注文取りに出かけたのが当時すでにブローカー的な役回りだった野口光学工業の野口社長だったら話は面白いのですが。
 それでクリーニングが終わって再組み立てし、エキセンリング調整で気持ちよく上下左右の画像が合ったダウエルの双眼鏡はコントラストは足りないものの解像力はそこそこの実力を発揮。さすが20mmの口径の違いだけで8x30mmの双眼鏡とは一線を画します。ただし、同年代のニコン7x50mm 7.3度のトロピカルと比べてみるとさすがに視野はニコンが圧倒的に明るくコントラストも解像度も段違いです。まあ比べる対象としてはフェアではないでしょうけど。 それにしても以前のダウエル12x50mmのように噴飯ものの裏技を期待していたのですが、今回は見事に裏切られました。これなら買って後悔するようなものではありませんが、子供時代にビクセンじゃなくてダウエルの双眼鏡なんか持って天文クラブの活動に参加していたら馬鹿にされたんじゃないか、なんて思ってしまいます。子供同士ってそういうのに敏感でしたし。

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November 04, 2021

初めて実交信に使用したスタンダードのC520

 ここ一年半のコロナ自粛生活でのんきに移動運用で全国を回って歩くというのはさすがに憚られたようで、昨年夏と今年の夏の6m移動運用のおなじみさんたちも自分のローカルの外に出ることを自粛していたようで、伝搬コンディションもあり寂しい夏だったようです。しかし、ここへ来てのコロナの感染状況改善に伴い10月の末あたりから観光客の移動が急増し、苫小牧や小樽にフェリーで8エリア入りする他エリアコールサインのモービル局と交信する声もちらほらとワッチされるようになりました。また、このコロナ自粛の巣ごもりで無線局の再開局や新規開局が増えたそうで、JARL会員も減る一方だったのが減少に歯止めを掛けて増加に転じたそうで。そういえばうちのローカルでも2mのアクティブ局はコロナ禍で復活コールサインで再開局した人が何人かいます。
 そんな中で、以前机の上から猫が叩き落としたアイコムの430MHzモノバンドハンディ機IC-μ3の落ちどころが悪くて硬いものの角にあたったらしく、外装が大きく欠けてしまったのですが、これはちゃんとJARDのスプリアス認定保証も受けた個体だったため、ジャンク品から前面のプラスチック部分を交換するべくジャンク品を漁ることすでに2年。これ、液晶部分が液漏れして真っ黒になり、周波数表示が全く見えないものもけっこう高いのです。でも待てば海路の日和ありで、10月の頭に本体100円送料620円でIC-μ3を入手。このジャンクは動作も正常で液晶も端に黒染みは出ていたもののきれいな個体で、表面だけの外装取りするのはもったいないのですがPTTボタンや裏側に傷が多かったため、迷わず表の部分だけ交換用に使ってしまいました。交換はさほど難しくはなくバッテリーケースを外して底面のネジを4本外し、側面のネジを一本外してフロント部分を引き出し、スピーカーのリード線をはんだごてで外せば交換が可能です。
 どうもハンディ機を久しぶりに分解したことがきっかけになり、何台かキーの導電ゴムの接触不良で反応しないボタンのあるハンディ機を分解し、接点の洗浄と導電ゴム部分の表面をグラスファイバーの繊維を束ねて芯にし、繰り出し式のペンになっている接点クリーナーでまんべんなく擦ってやりました。これで問題なく元の状態に復活しましたが、当初は移動運用のためにTVの300Ω並行フィーダーを使ってJ型アンテナを作り、ハンディ機で少々高いところに登って電波を出してみようなんて思っていたものが、そもそもの出不精でおまけにでかい猫2匹が飼い主の外出を妨害するにいたり、ハンディ機は修理調整の対象でしかなくなってしまいました。それでも修理調整の完了した古い技適以前のハンディ機はすべてJARDの保証認定受けてJARD経由で相通局に無線機追加の変更申請を出し、さらにJARDのスプリアス確認保証も受けてますが、移動局の無線機の台数が第18無線機まで及び、そのスプリアス確認保証の保証料だけで昔JARDから頂いた4級アマチュア無線技士講習の講師料1日分がすべてちゃらになった計算でした(笑)そんなハンディ機の数々ですが、いちども交信したことのないものばかりで、そもそもハンディ機で交信したのは果たして何年前でしょうか。おそらくは10年以上前ではきかないかもしれません。
 そんなハンディ機群でしたが、何かの暗示でもあったのかたまたま前日に充電器にかけて久しぶりにフル充電したスタンダードのC520。電源を入れてみるとローカルのOMが千歳の局とラグチューしている声が聞こえ、他のチャンネルでもあまり聞き覚えのないコールサインの局がローカル同士でラグチューしているのがフルスケールで入ってきます。久しぶりにハンディ機の短いアンテナでも十分に聞こえるQSOをワッチできた感じでしたが、これも祝日前日の夜ということもあったのでしょうか。翌日、文化の日は午前中にたまに強い雨に見舞われ、祝日だと言うのにたまにモービル局が入って来るくらいでしたが、午後だいぶ遅くなって樽前山頂の東山1022mからハンディ機を使用して移動運用されていた函館からの移動局を確認しました。勝手知ったるローカル交信ポイントで、見通しも開けており過去何度もハンディ機同士のQRPで交信したこともあって、こりゃこちらも固定機を使うまでもないと前日フル充電したスタンダードのC520で自宅2階の北側の窓からコールを入れました。念の為純正の短いアンテナからよりゲインの高いダイアモンドのRH901というアンテナに交換してのコールで、C520の7.2V充電池の144MHzの出力は確か2.8Wほど。それでもお互いにフルスケールで入感するほどの良好な交信でしたが、考えてみれば直線距離で20kmほどしか離れておらず、さらに1022mと海抜6mの場所との交信とあらば当然の結果(笑)おそらくは500mW出力同士で交信したとしても十分だったでしょう。奇しくもこれが9年ほど前に修理しながらいままで一度も交信に使用したことのなかったスタンダードのC520の初交信になってしまったというお話。その後、駅裏側のマンションのリビングから同じくハンディ機で呼んでいる局があり、その局の信号はこちらでもフルスケールで入感するほど。最近のハンディ機はリチウム電池が携帯電話のおかげで進歩したため、標準で5W出るものが当たり前になりましたが、たとえ32年前のニッカド電池内臓のハンディ機といえども修理調整さえすれば十分役に立つわけで、いくらデジタル時代に突入したとしても新しいハンディ機は買う気にさえなれず、ただひたすらジャンク品の修理調整とたまにチャンスがあったら交信、しか興味が湧きそうにありません(笑)

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November 03, 2021

いつの間にやら無線局開局20周年経過

 まったく意識しなかったのですが、うちの無線局がコールサインをもらって今年で20年経っていました。というのも7月の末にスプリアス確認保証が唯一通らないIC-290を撤去して移動局の更新免許を申請し、変更申請受理の局免と更新申請受理の局免が届いたのが8月の初めで、局免の期限がいつだったのかも意識しないまま時間が過ぎてしまいましたが、いちおう10月の16日にあらたな5年の移動局免許が発行したため10月16日が20周年記念日だったようです。そんなこと、まったく知りませんでした(笑)
 というのもどうも2011年の東日本大震災のときに果たして悠長に無線なんかで遊んでいていいのだろうかという意識に苛まれてからアクティビティーがバリ下がりして、一年のうちでワッチを欠かさないのは6月から7月にかけての6mだけというのが何年も続きました。そしてお正月のニューイヤーパーティー後、夏場の交信が1件もなく、次の年のニューイヤーパーティーに突入という年も珍しくもない状態。たまに交信をすると15年ぶりとか10年ぶり2度めなんという交信が頻繁に。そんなアクティビティーですから古い真空管時代の無線機は使わないとリレーの接点が劣化したりして、何かと調子が悪くなってしまいます。本来は頻繁に使い続けて状態を常に把握して置かなければならないのですが。
 その開局当時に局免申請のために新品で購入したのが当時の最新機種にして広域帯受信機能を有したKENWOODのデュアルバンドハンディ機TH-F7です。なにせ4アマ講習会で取得した4アマでの開局でしたから当時の局免は144と430のF3のみ。とりあえずはコールサインもらうための局免だけだったような感じですが。一年半後に1アマを取得するまで交信は一切しないと自分に縛りを課していたため、初交信は1アマ取得後です。4アマ取得後1年かけてモールス受信をマスターし3アマ取得でHF機を導入。その後すぐに2アマを取得し14MHzを追加。その後も1アマ取得までひたすらワッチに徹し、初更新は1アマ取得後の局免取得から実に1年半ののち。周波数は上級アマしか割り当てられていないHFの14Mhz。相手は福岡の記念局でした。その後固定局免許を取得し、100W運用を始めたのは初交信から2ヶ月の後です。なにせ貧乏無線局でしたからオークションで相場が安い20年落ちの無線機をかき集めてQRVのバンドを増やしていった雑多な無線機群は今だに変わりません(笑)ただ、いいところもあって、オールバンドの無線機よりもモノバンドの無線機が専用アンテナにつながっている方が断然使いやすいのです。
 それで最近は主流になりつつあるデジタルモードですが、前回の免許更新直前にTS-690とパソコン装置によるデジタルモードをJARD経由で保証認定出して変更申請したものの、いまだにデジタルモードには馴染めずに交信回数はゼロ。またデジタルモードも年々そのエンコード技術が進歩していちいちそのたびに保証をJARD経由で申請しなくとも一度装置とモードが総通で受理されていればオンラインでモード追加の変更申請が可能になりましたが、それらの日々の進歩にまったくついていけないアナログ頭です。やはりいまだにアナログ電話か電信で交信したい保守派なのかもしれません(笑)

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October 07, 2021

HEMMI No.130 (BK) 10"片面技術用(ダルムスタット)初期型再び入手

 ここ数ヶ月の間は何かHEMMIのNo.130に縁が続き、2度あることは3度あるということで、今年3本目のNo.130ダルムスタットを捕獲しました。それも前回と同じ最初期型の延長尺が長く、逆尺が赤いという戦後発売されてからほんの2年少々しか製造されなかった希少種です。画像が表面の半分しかなかったので、延長尺が長いというだけで落札してしまったNo.130です。前回入手したNo.130がデートコード「BK」でしたからそれより古いものを期待していたのに届いてみればまったく同一のデートコード「BK」で昭和26年11月製の御年まもなく70歳のロートル(ってほぼ死語ですが)。おまけにその70年の間をわずかに使用されただけでずっとタンスに仕舞い込まれていたようで、ケースも本体も非常にきれいなもの、裏板の一部が戦前尺のように高温多湿が原因で腐食しかけていて、端のほうの溝を押し上げ、やや変形しているほど。それでもごく初期型の希少種ですし、送料込みでかなり安かったので文句は言いません。本音からすると製造月が一月くらいずれていてくれればという思いもありますが…。ケースがきれいなだけに定価のラベルが残っていて\1,450の値段が付いています。入手先は東京都の小平市でした。

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October 06, 2021

コンサイス No.27N 円形計算尺(東陽通商ノベルティー)

 久しぶりに捕獲した企業ノベルティーもののコンサイスNo.27Nです。昭和40年代中期に入りHEMMIの計算尺も、たとえプラ尺とはいえコストがジワジワと上がり、展示会や見本市で配るには負担が大きくなってきたときに、一気にこの需要のシェアを奪ったのがコンサイスのA型単位換算器やこのNo.27Nでした。計算尺を企業の宣伝に配るような見本市や展示会と言うと科学や工業分野で使用される測定器や実験器具、機械工具などの製品を扱うものが多かったようで、そこに集まるのも研究者や技術者と相場が決まっています。そのため、今の世に残るこれらのコンサイス円形計算尺のノベルティーものの殆どは測定器や実験器具、機械工具などのメーカーや商社のものです。また、実験器具や測定器のメーカーは一般消費者向けの商品ではないものの企業や教育機関などの一定の需要があり、さらに技術の進歩に従って買い換え需要もあるため、その社名は一般の人には馴染みがないものの、いままでずっと商売を続けている会社が多いのも特筆されます。家電メーカーだとそういうわけにはいきません。
 今回入手したNo.27Nは東陽通商という会社で、類似の東陽や東洋がつく会社は古今東西掃いて捨てるほどありますが、この東陽通商という会社は昭和28年に機械工具輸入を目的に設立され、後に測定器などの総合商社として現在は東証一部上場の東陽テクニカです。その東陽テクニカが東陽通商時代のおそらくは昭和40年代後半くらいのアナログ測定器時代に参加した展示会見本市で配られたものなのでしょう。こういう展示会は貴名受けという名刺のポストなんか置いてあって、名刺と引き換えにこういうノベルティーがもらえて、企業側はどんな会社のどんな担当者が来場していたかを把握し、営業の対象を定めるという仕組みでしたが、うちの会社あたりでも当然決裁権のある管理職の顔は事前に把握していて、ヒラの参加者はボールペンあたりでごまかしても役付きの大物用には特別な来場記念品を用意するという差別ではなく区別は当然行ってました(笑) 今のデジタル時代の展示会見本市の来場記念品はどういう形態に変わっているのでしょうか?一時期は企業の名入りUSBメモリーなどが多かったようですが…。
 展示会見本市の性格上、海外からのバイヤーなど集まるせいか、このNo.27Nは裏面の換算表が国内ものは日本語表記なのに対して英語表記で、さらにメトリックではなくポンドヤードインチ表記がメインになっているところが特徴です。入手先は神奈川の横須賀からでした。

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October 04, 2021

☆Relay☆ No.DB-808 8"両面型事務用?

 珍しいダブルスターリレー時代の何と8インチの両面計算尺☆Relay☆No.DB-808です。すでに手元にある計算尺は400本近くに及ぶと思いますが、8インチの両面計算尺というのはもちろん類似のものを含めて一本も所持していません。現物は見たことありませんが、確かリレーの時代には6インチの両面型計算尺No.650があったはずです。これらのちょっと存在意義が問われそうなオフサイズの両面計算尺は昭和30年代末のRICOH計算尺の時代には継承されなかったようですが、それは当然でしょう。外国の例からするとK&EのNo.4088-2などの例があるのですが、やはり10インチの両面計算尺に比べると少数派だったようで、遅くとも世界恐慌の時代に淘汰されて後には残らなかったようです。ちなみにK&Eの4088シリーズは4088-1が5"両面、4088-2が8"両面、4088-3が10"の両面で尺度は同じ。もちろん一番先にフェードアウトしてしまったのは8"の4088-2でした。
 昭和20年代のダブルスターリレー時代の計算尺は自社デザインと言うよりもアメリカのバイヤーからの要求でデザインされたような計算尺が大半です。どうもこのDB-808はOEM先ブランドでリリースはされていないようで、そのまま☆Relay☆No.DB-808として輸出主体で生産されたものなのでしょうか。DB-808の意味は輸出品番でDBはDuplex Businessで両面型事務用を意味し、800番台は8インチの計算尺を意味します。
 商品が届くまで裏側の尺度がまったくわからず、用途が特定出来なかったのですが、裏側は一年365日および730日までを2本に分割した日数計算尺となっており、表面には利率のような尺度が2分割されており、一般計算は√10切断の尺度を持つというものでした。さらに利率部分は割・分・厘。毛などの漢字が使用されているために、型番は輸出用品番なのにもかかわらず、このDB-808は国内専用計算尺ということになるようです。しかし、昭和の20年代に技術や研究以外にこのような事務用途の使用に特化した計算尺をわざわざ購入するという需要はまったくなかったようで、この計算尺も実用にはまったく供されなかったらしく、日焼けして色焼けしやすい紺色ケースもまったく退色しておらず、中身の計算尺も当時のダブルスターリレー時代の計算尺どおりにクリーム色がかった艶のあるセルロイドがそのまま残っていました。尺度としては表面がF1,DF,[CF,CI,C,]D,F2。裏面がN1,[d,]N2なのですが、裏面のN1は365日、N2は365日から730日までの2分割日数尺で、dはDと誤認されないようわざわざ小文字にしたdayを表し、31日を繰り返しているようですが、逆尺を含めて詳しい見方がわかりません。カーソルバネがこの時代はりん青銅ではなく当時の安全剃刀同様に鋼で、すっかり弾力を失っており、曲げようとしてあっさりと折れてしまいました。しばらくカーソルバネの再生を行っておらず、どこに材料が迷い込んだか出て来ないのですが、作り直さないといけません。幅がたったの2.8cmでおそらく両面尺としてはもっともナローな部類の計算尺で、5"のNo.550Sよりも幅が狭いのに厚みがあるというもの。サイズ感としては世の中に溢れかえっている8インチの片面学生用計算尺とほとんど変わりません。デートコードは「CS-3」ですから昭和29年3月の佐賀製です。ケースに型番ラベルが残っていて、そこに価格が印刷されており、1,150円という価格は学生尺が150円から300円くらいの時代にけっこう高価な計算尺です。ただ、汎用性がないばかりにほとんど使用された痕跡もなく、60数年経過して世の中に出てきたわけですが、これを最初に購入した人はよほど生活に余裕があった人は別にして後悔したことでしょう。まあ、普通は計算尺に詳しい友人知人に相談してその用途にふさわしい計算尺を一大決心の思いで購入したのでしょうから、このようなものを選ぶバクチに近い極端な選択はしなかったと思いますけど(笑) 入手先は東京都内からでした。

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October 03, 2021

HEMMI No.256(KK) 10”両面電気通信技術用

 15年ぶりくらいに電気通信技術用計算尺のHEMMI No.256を入手しました。このNo.256は昭和14年に芝浦製作所と合併直前の東京電気とHEMMIの研究部部長平野英明氏との共同開発で完成した通信用計算尺に若干の改良を加えて戦後になって一般向けに発売したものです。この発注元の東京電気というのは明治23年に国産初の白熱電球の製造も目指した藤岡市助の白熱舎が嚆矢で、後に米国のジェネラルエレクトリックの51%資本参加により東京電気となってから日本におけるジェネラルエレクトリックの特許や商標を使って電灯以外にもマツダブランドの真空管などの製造も始め、同じくウエスチングハウスと技術提携した三菱電機とともに大正末期から昭和初期にかけての通信放送機械部品製造の代表的な弱電製造会社となっていました。
 その東京電気が同じくジェネラルエレクトリックと提携関係にあった芝浦製作所と合併し、東京芝浦製作所(東芝)となったのは同じく昭和14年7月のことですから、計算尺が出来上がって主に使用開始となったのは東京芝浦製作所以降ということでしょうか。それでも弱電の東京電気、強電の芝浦製作所と技術陣は棲み分けが出来ていたでしょうから、この通信用計算尺は旧東京電気側の東京芝浦電気マツダ支社の技術陣で使用されたことは確かです。計算尺に刻まれている社名は「東京電気無線株式会社」ですが、これは昭和10年川崎市内に無線関係の事業を行う会社を分離設立したためで、こちらは後に東京電気株式会社に改称されています。この通信用計算尺は表面がL,X,[T2,S2,T1,S1,YI,Y,]Z,LL3,LL2,LL1で裏面がΓ,[R,F,]λとなっており、一般的な計算もこれ一本でこなす汎用性に乏しいため、戦後新たに表面をほぼ一般の計算などに特化させて裏面も尺度を整理したNo.256が一般発売されるわけですが、名前も高級電気通信用と何故か「高級」の接頭辞がついていた時代もあったような。この通信用計算尺の表面尺度はあまり見かけない記号ですが、Xは二乗尺でK尺に等しく、Y,ZはC尺D尺。YI尺はYの逆尺ですからCI尺に該当します。この尺度は社内のみで使われていた記号なのでしょうか?また電気的に言うと裏面Γは角度、Rはレジスタンス、Fは周波数、λは波長ですが現物を持っていないため、それぞれどういう組み合わせで使用するのか今一わかりません。
その戦前の通信用計算尺の改良型であるNo.256も昭和30年代に入ると通信機器が真空管からトランジスタの時代を迎え、通信も短波から超短波、極超短波そしてマイクロウエーブの多重無線が主流の時代を迎えます。そのため真空管時代のNo.256はいささか陳腐化し、新たにソニーと共同開発された電子用計算尺のNo.266が発売に至るわけですが…
 入手したNo.256はデートコード「KK」ですから昭和35年の11月製。以前入手したNo.256よりも2年ほど古い製造になりますが、この頃はまだNo.266は発売されておらず通信系計算尺というと唯一の存在です。同様な用途のRelay/RICOH No.156がすでに発売されていたかもしれませんけれども。

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September 06, 2021

HEMMI No.254WN(ZB) 10"両面高校生用

 HEMMIの高校生用両面計算尺のNo.254WNです。少し前に入手したのはKENTとのダブルネームのHEMMI No.254WNでしたが、今回入手したものはごくごく一般的なNo.254WNです。別に何ら他のNo.254WNと変わらないのですが、デートコードが「ZB」というところが最大の売りで。というのもHEMMIで一般的な計算尺の製造を止めた最終年である昭和50年2月の製造である「Z」コードの計算尺であるということです。
 それ以降に工業高校に特納された計算尺はこの「Z」のイヤーコードを持つものかイヤーコードさえないものが出回っていたらしいのですが、そういう意味でもAから始まってZで終了した最後の計算尺は同じ種類の計算尺でも何か特別感があります。とはいえ、このZ刻印の最終製造年を示すデートコードが付いた計算尺というものがすべての種類に存在するわけではなく、例えば市場在庫が多いNo.259DやNo.2664SなどのものにはおそらくはZコードが存在せず、計算尺末期にあっても一定の需要があった高校生用計算尺No.254WNやNo.274、No.641系の発売年が新しいプラ系計算尺や一部特別生産品の計算尺に限って存在するような気がします。数あるうちの計算尺の中でもZ刻印は他に一本くらいしかありません。ケースは青蓋角ケース、入手先は埼玉県内からでした。

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August 03, 2021

RICOH No.1051S-I 10"両面高校生用

 三角関数が逆尺のRICOH No.1051S-I は割と早い段階で未開封品を入手していますが、今回はカーソル違いの開封品No.1051S-Iを入手しました。未開封品はデートコード「WS-3L」に対して今回は「US-2」ですから昭和47年2月の佐賀製。クリーンCIF尺で金属フレーム枠カーソル付きですが、この昭和47年内に金属フレームカーソルから小型プラ枠カーソルの最終形態に変化したようです。滑尺表に「47M162」の電車の編成番号のような刻印があるのが珍しいのですが、これはもしかして理振法準拠品の目録番号かなにかと思ったらケースにM47松田のマジックインキ書きがあるので、おそらくは昭和47年入学の学籍番号かなにかの刻印をわざわざ刻んであるようで、Mは工業高校機械科の略号でしょう。この学籍番号刻印入のRICOH計算尺は他にも持っていたような気がしますが、RICOHの学校納入計算尺には個人名がわざわざ刻印されたものも何本か持っていますので、おそらくはHEMMIしか扱わない内田洋行に対して在阪教材商社はRICOHを積極的に学校に売り込むため、「学籍番号刻印」や「個人名刻印」サービスという付加価値をつけて関西以西の学校に売り込んでいた事実があったのかもしれません。もちろん地元の教材店を通してですが、高校時代の吹奏楽部の後輩がその教材店の息子で、自分はあとを継がず大手銀行に就職し、弟が実家の商売を継いでいます。その教材店というのも昭和の時代と比べると少子化によって扱いは数の面では相当少なくなっているものの、どこかの番組ではありませんが、シーズンになると運動着を一手に学校に納入する地元のスポーツ用品店同様に「つぶれない店」の部類に入るようです。オクに出てくるRICOHの学校用計算尺は圧倒的に西日本からが多いのですが、こちらも島根県内から出たものです。このころはHEMMIの計算尺との整合性をとるためかRICOHの計算尺も高校納入品は三角関数逆尺が標準になりつつあるのがわかります。よくRICOHの計算尺の両端が茶色に変色しているものを見かけますが、これも例外ではなく変色部分はメラミンスポンジで落ちますが、原因が何かと思ったらRICOHの計算尺はケースの中で踊らないよう割と厚めのスポンジが蓋と底にはめ込まれており、長年ケースに入れっぱなしにしておくとこのスポンジが加水分解して発生したガスが計算尺の両端を茶色く変色させるということらしいです。RICOHにはあってもHEMMIにはない現象である理由はここにありそうです。


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August 02, 2021

HEMMI No.130 10”片面技術用(ダルムスタット)最初期型

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 6月に十数年ぶりに入手したNo.130でしたが、類は友を呼ぶという例えはたぶん意味が違うと思いますが、二度あることは三度あるの例えどおりに1ヶ月も経たないうちに3本目のNo.130を入手してしまいました。ところが今回入手したNo.130はいままでの2本と見かけが異なる不思議なNo.130です。何が異なるかというと、逆尺が赤くなっており、右の延長尺部分がA尺B尺が通常は0.8に対して0.7、CI尺が11.2に対して12、C尺D尺が0.9に対して0.84まで延長されています。というのも下固定尺側面の三角関数尺が5°からのスタートと延長されており、それに対応するために各尺の延長部分も拡張されているのです。この延長尺の起点違いというのはリッツのNo.64や電気尺のNo.80Kにもあり、変更年は不詳ながら昭和28年頃に右延長部分がA,B尺は0.785が0.8に、C,D尺が0.89から0.9に変更になっていますが、おそらくはこのNo.130もこのあたりでNo.64やNo.80Kに習って延長尺部分の起点と三角関数尺の起点を改めたのでしょう。ということは新たに目盛りの原盤を起こしたことになるのですが、戦前に発売を予告しながら不要不急の新製品としてお蔵入りしたNo.130が戦後やや落ち着きを取り戻した昭和25年頃に戦前用意した目盛り原盤を使用して新たに発売したものの、たった3年余りで新たな目盛り原盤を制作してリニューアル発売したということになります。

Hemmi130sintg_20210802143901  しかし、3年余りでまだ損耗もしていない目盛り金型を廃棄して新たに金型を作ったことと、そのときにNo.64やNo.80Kのように物差し型目盛にせず、なぜ馬の歯型目盛を踏襲したのかなど、まだまだ謎が多い存在のNo.130ですが、逆尺の赤入れをやめて延長尺部分を赤目盛、逆尺は数字だけ赤というのはNo.64やNo.80K同様の統一ルールにしたからだと思われます。

 それだけ延長尺部分が長く、逆尺の目盛が赤いNo.130は製造期間も短い激レアNo.130で、いままでにその存在に気がついていなかったということはよほど数も少ないということなのでしょう。あと細かいことですが新旧で逆尺の数字刻印が目盛に対して正反対に刻まれ、旧にだけ逆尺にπゲージが存在する。新No.130にはC尺上にC1ゲージマークが追加されるなどの違いがあります。刻印は同時代の片面計算尺同様に裏面右端に形式名のNo.130が刻まれ、真ん中にDARMSTADT SUN HEMMI JAPAN のあとにデートコードの「BK」が入れられており、昭和26年の11月製です。後のNo.130のようにSYSTEM DARMSTADT刻印ではなく単なるDARMSTADTです。今回改めて15年分のNo.130オークション出品歴を調べてみると、同様に延長尺の長い「BD」コードのものが一本、さらに黒ケース銀ロゴのmade in Occupied Japanものも一本ありましたので、さらに生産初年は遡りそうな感じでした。延長尺が短くなったのはやはり昭和28年頃で、形式名が右側にオフセットされていたものがNo.2664S同様に真ん中に移動し、デートコードが刻印になって左に小さく打刻されるようになったのは「ID」コード以後のようです。

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June 20, 2021

民放AMラジオ局2028年に殆ど廃止

 以前から話は出ていましたが、全国の民放ラジオ放送局が2028年にAM放送を完全停波し、FM放送に完全移行することを発表しています。それというのも広告収入の減少により老朽化した放送設備を維持できなくなってきたため、比較的放送設備が簡単なFM放送に完全移行するということで、その際はTVの地上デジタル化で空きになった90MHz帯で専有周波数帯幅の広いFM波での放送に完全移行し、現在のAM放送視聴範囲はFM中継局を設置してエリアアカバー(90%)するということらしいです。ただし、完全FM化しても現在の放送エリアををカバーしきれない北海道(HBCとSTV)ならびに秋田(ABS)の3局だけは2028年以降もAM放送を継続するということなのですが、この3局もWFM局での放送はすでに始めていてAM放送と同じ内容の放送を90MHz帯で放送していますので、中継局全域カバーの問題さえ解決できればAM放送停波ということも十分考えられるのです。ただ、北海道は周辺海域で操業している漁船の聴取も考慮しなければいかず、全面的にワイドFM化してAM廃止ということは現実的ではないかもしれません。 諸外国の実情はドイツとフランスではすでにAMラジオ放送は2015年に廃止され、FMラジオ放送しか行われていないとのこと。EUを離脱したイギリスではまだAMラジオ放送は安泰なもののFM放送に移行した地域もあるようです。アメリカでは逆にAMを停波してFMのみの放送完全移行をFCCに申請したラジオ局にFCCが許可を出さなかったなどという話もありますし、アメリカは国土も広いため、AM放送局はいまのところは安泰のようです。同じように国土の広い中国やロシアでもAM廃止ということは考えられません。ああいう国は垂直アンテナより断然高利得の巨大な指向性アンテナを全方向カバーで展開して1000KW級超の出力で全領土に電波を飛ばす広い土地もあるでしょうし(笑) そういえば、ドイツやフランスの国内向け自動車のラジオは当然FMしか受信できないものを搭載しているのでしょうか?あまり話題にもなりませんが、今はナビなどと統合されたオーディオシステムで音声で操作なんてことも当たり前でしょうからAM受信機能が密かになくなっていたとしても、知らない人は気が付かないかもしれません。
 とはいえ、今の世代はタブレットやスマホで、もしくはAI スピーカーでradikoを介して放送は聞くことはあっても、そもそもまともにラジオなんざ持っていない人のほうが多いのではないでしょうか?どういう統計を取ったのかはわかりませんが、今の所90MHz超のWIDE FMを聴取可能のラジオの普及率は53%だといいます。これ、radikoでの聴取者数も反映されているのかどうかはわかりませんが、うちの普通の古いAMモノバンド真空管ラジオがダメなことは当然として、FMのあるラジオでも一時期流行ったTVの音声が3chまで聞けるというラジオはたぶん大丈夫ですが、古いラジカセに2台くらいあったかしら?KENWOODの広域帯受信機能付きのTH-F7もいけそうですが、そもそも現居住地が北海道なのだからAM停波問題は地元放送局に関しては関係ありませんし、ほんの2kmくらいしか離れていないところにSTVのAM中継局の高いアンテナが立ってますし、戦時中の再生検波のラジオであろうと、古い通信機型ラジオであろうと今の所は心配ありません。
 しかし、今の若者はスマホでradikoを使ってであろうと、週にどれだけラジオを聞いているのでしょうか?好きなアーティストや芸人のオールナイトニッポンなんかはタイムフリーの聞き逃し受信を使って好きな時間に再生することはあっても自分のライフスタイルの中にラジオのリアルタイム聴取している若い人がどれだけいるのやら。その若者のラジオ離れというのが深刻な問題になり、さらに新型コロナウィルスによる飲食店営業自粛などのあおりを受け民放ラジオ局運営の生命線であるローカルCMスポンサーは軒並み撤退。さらに大手のCMスポンサーはネット広告に流出してしまって収支が成り立たなくなり、結果として設備維持も成り立たなくなってしまったということなのでしょう。実は今はどうかは知りませんが、昔からラジオのCMというのはTVには出てこないような独特なものが多く、というのもTVは家族で見るもの(今は違いますが)ですが、ラジオは基本個人で部屋に籠もって聞くもの。まだ宵の口から鶴光が「注射まだでっか?」なんてやっていたので、CMも圧倒的に若者向けの商品が多く、昭和50年代初期には計算尺に変わって爆発的に普及した関数電卓のSHARPピタゴラスのラジオCMなんかがありましたし、若者向け出版物、レコードの新譜、秋葉原の家電量販店、コンタクトレンズのCMも多かった。平成に入ってからはマイルーラなんていう避妊具や包茎手術のCMまでやっていたのはTVには真似のできないところ。そのラジオCMというのはビジュアルがなく「言葉で聞かせる」ものですから一種独特で、小芝居がらみが多かったのが特徴でしょうか。
 現在ラジオ放送への依存度が高いのは高齢者で、NHK R-1のラジオ深夜便を一晩中つけっぱなしという人も多いのでしょうが、実は当方もラジオ深夜便からマイあさに至るまで40年も前に秋葉原で購入した古いラジオのつけっぱなしの習慣がついてしまっています。というのも学生寮出てアパート暮らしになってから2年以上もTVがなくて、アパートに帰ってからはもっぱらラジオ生活であったことからTVを見るよりラジオを聞く生活が身についてしまったことと、ラジオで緊急地震速報が放送されるようになってからしばらくして東日本大震災が起こり、それが契機となって防災上、一晩中ラジオ点けっぱなしが習慣になってしまったのです。胆振東部地震のときは揺れ始めてから緊急地震速報が鳴りましたが、それでも飛び起きたため崩れた本の下敷きになるのを免れました。タイムラグのあるradikoでの受信だとこういうわけにはいきません。また緊急地震速報発報に関してはエリアメールや地元の防災無線の速報音よりも断然早かったような気がします。そういう防災上の観点からNHKは現在のR-1,R-2の2局放送を1局に統合するもののAM放送は継続することとされています。そのため、戦時中はNHKも2局が1局に統合され、全国同じ放送が流れていたわけですから戦時中の再生検波のラジオも元の1局時代に戻るわけです(笑)そういえば在京中に組み立てたゲルマニウムダイオードを使ったラジオはバンド内のどこもTBSが混信しているというシロモノでした。それをIFT使ってダブルスーパーにするとなぜ選択度が上がるのか、などがそもそものラジオの初歩なのですが、全国的に民放ラジオ局がAMから撤退すると中破の電波伝搬理論などとともに非常にわかりにくいものになってしまいそうな。秋の夜中に入り始める関西系のAMラジオ番組のローカルCMを聴いて「おお、さすがは実利の関西!」なんて体験することも今後は無くなってしまうのも惜しいのですが、それ以上に各ローカル放送局に受信報告入れてベリカード貰うたのしみも過去のものになります。当方QLSカード発行のほうが忙しいので放送局に受信報告書は送ったことないのですが、昔のBCL全盛時代は過去のものになり若者のラジオ離れの現在、ベリカード収集を趣味にしている層というのはどれくらいの人口があるのでしょうか?
 そういえば1エリアから8エリアに引っ込んでしまい、一番残念だったのはFEN(現AFN)がどうやっても聞こえなかったことでした。なにせ一時はFEN流しっぱなしにしていた時期もあり、12時のアメリカ国歌の放送でやっと一日が終わったと実感していた時期があったのです。場所的に三沢の放送が聞こえないかと思ったもののほんの基地周辺エリア向けに小出力で放送しているというので土台無理というもの。それで何年か経ってネットでも聞くことが出来ることを知り、今ではタブレットに専用アプリをダウンロードして聞くことが出来る時代になりました。驚いたのはジャンることに何chもあることと、基地ごとに独自の放送も行っているということ。ただ、810kHzの表示を見ながらラジオで受信するAFNとネットで聴くAFNはなにかやはり別物という感じがして今は頻繁には聴きません。このAFNも今後のAM放送はどうなってしまうのでしょうか?AFNの送信所はしばらく前にアンテナなども更新されたため、地方ローカル民放送信所のようにただちに設備老朽化することはありませんし、そもそも米国の軍事予算で運用されているため、広告収入減少は関係ありません。またAFN Tokyoの和光送信所は横田厚木座間横須賀の南西方向に指向性をもたせた放送を行っているため、千葉県在住中も「こんなに電界強度が低くなった」などと思ったほどで、どうりで北海道では深夜帯であっても810kHzがまったく受信できなかったわけです。

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June 15, 2021

同番異尺のRICOH No.503 5インチ学生用?

 5インチのポケットタイプ計算尺のRICOH No.503ですが、このポケット計算尺は戦前IDEAL RELAY商標の東洋特専興業で製造されて理研光学から発売されていたものに遡ります。表面はA,[B,CI,C,]D,で、裏面はS,L,T,の尺度を持つポリフェーズドマンハイム型。戦前HEMMIのNo.34R相当のポケット尺なのですが、HEMMIあたりでも戦前すでに表面にK尺を追加したNo.34RKが主流となり、Relayブランドでもおそらく戦後にK尺追加のNo.505にモデルチェンジしていつの頃からかNo.503はフェードアウトしてしまったようなのです。そのため、戦後生産もののNo.503はなかなかお目にかからないものなのですが、今回入手したのは紛れもないRICOH時代のNo.503です。ところがこのNo.503は√10切断尺が採用され、さらに5インチのポケット尺の通常の形状とは異なり、No.84などの学生尺と同じくスケールがなくて本体は単なるスクエアの断面を持ち、裏側や側面も8インチ学生尺同様に竹の断面が露出したニス塗りのものです。さらに滑尺裏はセルロイドこそ貼られているものの三角関数尺などを持たない単なるブランク。そのため、尺度が表面のみのDF,[DF,CI,C,]D,A,のたった6尺しかない計算尺です。
 用途としてはやはり学生用なんでしょうね。ただ、5インチの学生用ポケット尺の存在意義があったのかどうかは甚だ疑問で、どうしても√10切断尺の5インチポケット尺が欲しければNo.512を購入すればいいと思うのですが。学生用でありながら8インチではないために500番台の型番を付けなければいけないということはわかるものの、新しい型番を付けずに欠番になった型番を踏襲するという意味もよくわかりませんが、Relay/RICOHの計算尺は往々にして同一品番ながら内容が異なるという計算尺が何種類か存在するので驚くにはあたらないかもしれません。
入手先は熊本の山鹿市鹿本町でしたが、この山鹿市は訪れたことさえないものの、同じ職場で数年間毎日顔を合わせていたデザイナーの二瀬氏の生まれ故郷。彼は父親の介護の都合で若妻とまだ物心つかない息子を連れて横浜から山鹿に引っ込んですでに音信不通30年ですが、そんな山鹿市からやってきた訳わからのNo.503。もしかしたら5インチの学生尺を作ったものの、売れる宛もなくて試作品だけ製造元の佐賀周辺県にばら撒いたなんてこともあったんのでしょうか?どっちにしても珍尺なことは確かです。なお、デートコードは刻印されていませんでした。また、赤いカーソルバーにカーソルの盤面が接着されているというプラカーソルも珍しいと思います。

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June 12, 2021

HEMMI 星座早見盤

Dscf4251  我が家には物心がつく頃から星座早見盤というものがあり、幼稚園に入る以前からおもちゃとしていじくり回していたような気がしますが、その星座早見というのは金属の円盤の上に赤いビニールに透明楕円窓が色抜きされていたものでした。おそらくは三省堂が発売した天文学会編新星座早見という星座早見盤だったと思います。これは後に学研の科学を購読する学年あたりから本来の使い方を覚え、天文少年時代の重要なツールとして円盤が反って透明部分がすだれ状に傷が入るまで酷使されました。街の青少年科学センターで開催される天文クラブの美品はお椀型の星座早見盤だったのですが、その早見盤より大きくて、より暗い(?)恒星まで描かれているというのが使い勝手がよく、全天恒星図を買ってもらうまで、星図代わりにも使っていました。その三省堂の新星座早見がなぜ家にあったかというと、どうやら父親の蔵書の中に野尻抱影氏のものが何冊かあり、その著作を理解するために本屋に並んでいたものを衝動買いしたのではないかと思いますが、真相はわかりません。
 その星座早見盤ですが、一般向けとしては明治末期の1907年に三省堂から発売された日本天文学会編の星座早見が嚆矢らしいのです。それまでは舶来の星座早見があったとしても、その緯度が当該国の標準であるため、北緯35度基準の日本では使いづらく、日本独自の星座早見が必要だったからではないかと思います。しかしその星座早見は長らく天体に興味のある学生や研究者のものであり、一般大衆に普及するものではありませんでした。その星座早見盤があまり天体に縁のない人たちにも爆発的に普及したのは、どうやら昭和30年代になってスプートニク打ち上げ成功をきっかけとした人工衛星や有人宇宙船などがつぎつぎに打ち上げられたことや池谷関彗星などの日本人アマチュア天文家の新天体発見などの活躍により、一種の天文ブームが到来した事ではないかと思います。そのため、昭和35年ころからこの星座早見に参入する業者が増えました。その星座早見盤の代表格が明治末から製造し続ける三省堂と戦後参入組の渡辺教具製作所で、特にお椀型の渡辺教具製作所は地球儀メーカーらしく全天を半球に見立てたお椀型の星座早見盤を製作しはじめたのは昭和30年あたりとのこと。当初渡辺教具は天体望遠鏡メーカーへのOEMも多く、地元の天文クラブで使用していた半球形星座早見盤もエイコーブランドだったような気がします。この半球お椀型星座早見盤は渡辺教具製作所が特許を取得したとのこと。
 その昭和30年代の天文ブーム以前にヘンミ計算尺が星座早見盤を作っていたのはあまり知られていません。というのも天文関係には関わりのないヘンミ計算尺が昭和30年代の天文ブームに乗って新たな製品展開を考えたというのなら話はわかるのですが、どうも昭和23年にはHEMMI星座早見盤が完成していたようで、それを証明するようにヘンミ計算尺株式会社の会の字が「會」になっていたり、本体表記のあちらこちらに旧字体が存在するのです。すでに市場で発売されていた星座早見の本体は紙製であったのに、ヘンミ製星座早見は本体は白色セルロイド盤の印刷で、楕円に透明抜きされた円形セルロイド盤が回転するという現在総ての星座早見が等しく備えている特徴があり、その構造で実用新案を申請したようです。大きさがコンサイス円形計算尺のような直径12cmというポケットサイズですが、もしかして日付の基線長が10インチということにこだわったのか、いかにも小さくて使いづらいもの。当時は一般的な緯度は北緯35度用で、日付の目盛は一月が3等分。時間は一時間が二等分する目盛しか施されていないというもので、昭和30年代の天文ブーム以降に発売されていたものと比べるといかにも簡易的な感が否めません。また昭和30年代の三省堂赤盤新星座早見は緯度の補正のためのサークルが印刷されていて北緯42度のうちの地方では非常に重宝しましたが、そういう配慮もまったく見られないのです。そのため、昭和30年代になったときには他に新しい星座早見が色々出来てきて時代遅れとなり、そのうち本業の計算尺製造販売が最盛期を迎えたため、本業以外のものをあっさりと切り捨てたということでしょうか?まあ考えようによっては戦前すでにこのHEMMI星座早見盤は組み立て前のパーツの状態で出来てはいたものの、戦争で不要不急の商品として発売することが出来ず、戦後の社会がやや落ち着いた頃に戦前すでに完成していた部品を組み立て、換金目的で発売した、というのかもしれません。戦後になって新製品として製造したのなら、もっと数が多く残っていて然るべきですし、改良版も一度くらい出てもいいような気もします。おそらくは昭和30年代に差し掛かり、三省堂から大幅な改訂版の赤版新星座早見や渡辺教具のお椀型が発売に至り、市場での存在価値がないと製造を止めてしまったのでしょうか?
 そういえば、昔の星座で気になっていたことがあったので、検証してみるとその予想は的中しました。このHEMMIの星座早見盤はなんとアルゴ座が分割されずにそのまま印刷されているのです。アルゴ座は領域が広いために国際天文学連合の取り決めで3分割し、それぞれほ座、りゅうこつ座、とも座になったというのは小学生のときにすでに知っていたのですが、このヘンミの星座早見盤はそのままアルゴー座表記になっています。このアルゴ座分割の取り決めは第一次大戦後で世界に落ち着きが戻った1922年にイタリアのローマで開催された第一回国際天文学連合の総会で決議されたことだそうです。このときに星座の境界線などの国際基準も規定されたそうです。日本でいつ頃からアルゴ座が消えてほ座、りゅうこつ座、とも座の表記が一般的にも認知されたのかはわからないのですが、少なくとも昭和30年以降の出版物や星座早見盤などでアルゴ座の表記は見たことがありません。また星座の表記も旧字体の漢字表記が多く現在のインディアン座が印度人表記だったり、そのため、何かコピー元になるような古い星座早見があって、それをそのまま縮小サイズに設計し直したものの、もともと設計者があまり最新の天文情報などに通じてはおらず、アルゴ座が分割されていない表示が古いなどという考えもなかったのかもしれません。それを戦後そのまま売り出したものの、改訂版を作ろうという人材も意欲もなくて、本業に専念するため切り捨てたというのが真相でしょう。
 でも、個人的にはポケットサイズの星座早見盤もありだと思うのですが。ただし、薄いセルロイド製星座早見は学習雑誌の付録なみのクオリティでいただけません。直径12cmの星座早見盤はいかにも小さいような気がしますが、以前新宿のヨドバシカメラで購入したシチズンの2代目コスモサインと比べれば、実用度は上だと思います。ただ、コスモサインは自動的に23時間56分で星座部分が一回転し、常にその日月のその時間の星座を表示してくれるという先進性がありましたが。

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June 05, 2021

HEMMI No.130 10"片面技術用 システムダルムスタット

 システムダルムスタットの片面計算尺であるNo.130は昭和40年代中頃にNo.130Wにモデルチェンジするまで唯一クラシカルな馬の歯型目盛で発売され続けた計算尺です。というのも昭和15年位に一度発売が予告されたものの、日中戦争拡大と太平洋戦争開戦により不要不急の新製品としてお蔵入りしたものを、戦後になってからそのまま発売したため、デザインは昭和15年以前のNo.80やNo.64と同一のドイツ尺を模した馬の歯型目盛であるということらしいのです。これはドイツの代表的なダルムスタット型片面計算尺Nestler No.21そのままです。ただ、軍需産業などで多用されたリッツのNo.64は戦時中すでに目盛の原版が消耗したのか新しい物差し型目盛に改修され、同じく戦時中に多用された電気尺のNo.80も戦後に目盛原版を物差し型目盛に改めたのに、まったく使用されなくて消耗していない目盛原版だったNo.130は戦前のままのデザインで新製品として売り出したということなのでしょう。ただ、このNo.130が爆発的に普及したのであれば早々に消耗した馬の歯型目盛原版を物差し型目盛り原版に差し替えることも出来たのでしょうが、時代はすでに両面のログログ尺も完成しており、片面尺は√10切断尺が主流となって、国内ではNo.130は「あってもなくてもどうでも良い目蒲線」状態になっていたのだと思います。そもそも片面計算尺のリッツやダルムスタットというのはA.Nestlerで発売されたのが最初のようですが、リッツはおおよそ1903年頃に対してダルムスタットは1925年頃ということで20年以上のタイムラグがありました。その新しい方のダルムスタットは宮崎治助氏によると欧州のある地域では教科書で取り扱われるほどの教育用標準計算尺として採用されるところもあったほど戦前の一時期隆盛を極めということです。1925年といえばすでに大正の末期。その一部欧州地域でのダルムスタットを輸出も念頭に15年余りで発売に漕ぎつけたものの、輸出先に見込んだ欧州はすでに戦乱の地となり、そもそもダルムスタットに縁がないアメリカに大量輸出が成り立つわけもなく、結局は太平洋戦争開戦で不要不急の新製品扱いで発売中止。そんな余裕があったら軍需産業や教育現場で定着したNo.64やNo.80、両面尺ではNo.153を増産するということだったのでしょう。
 そんなNo.130は10年のお蔵入り期間を経て昭和26年頃にめでたく再発売されるのですが、すでに流行期の過ぎたダルムスタット片面計算尺に需要がそれほどあるわけでもなく、輸出自体もどれほどの引き合いがあったのかもわかりません。その後も牛の涎のようにずるずると発売が続くのですが、側面三角関数尺があるために専用のカーソルが必要なため、昭和40年代も半ばを過ぎて三角関数尺を表面に持ってきて、物差し型目盛として近代化したNo.130Wにモデルチェンジします。小ロットながらも欧州向けの輸出があったのでしょうか?そのNo.130Wとほとんど同じ尺度のものがRicohによってNo.121というモデルで新たに発売されるのですから驚いてしまいますが。このNo.130WもNo.121も国内では本当に見つかりません。大半が輸出として外国に出回ってしまったのでしょう。16年ぶりくらいに愛知県の知立市から入手したNo.130はケース欠品ながらとてもきれいな個体で、デートコードは「OH」ですから昭和39年8月製で本来ならラージロゴの緑箱入りです。ヘンミ計算尺としては一番油が乗っていた時代の製品だけに工作・仕上げともに非の打ち所がありません。同時代のNo.2664Sと比べると目盛原版が消耗していないためなのか目盛の彫りもすっきりくっきり濃いように感じます。その後、マイナーチェンジで形式名メーカー名とSYSTEM DARMSTADTの文字が表面に移動したものが発売になります。

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June 04, 2021

住友電工イゲタロイ切削速度計算尺

 住友電気工業(現在は分社化した住友ハードメタルの扱い)が戦後70年以上に渡って製造してきた「ダイアモンドの次に硬い合金」とうたわれるイゲタロイを使用した切削用バイトに対する切削速度計算尺です。イゲタロイとはおなじみ住友マークの井桁とアロイとの造語らしいのですが、あの住友マークは北海道人からすると住友の炭鉱ヘルメットマークを連想してしまう世代はもう50代以上?(笑) まあ、住友赤平炭鉱は平成に入ってもまだ稼働していたわけですが。ちなみにこの住友ハードメタルの北海道における営業拠点は唯一うちの街にあるようです。というのもうちの街の周辺部にトヨタ関連の自動車部品メーカーが集中しているためで、これが札幌あたりに営業拠点を構えているといくら高速が繋がっているとはいえ、時間的に細かい対応ができないということなのでしょうね。電話かけて30分以内に納品してくれないと部品製造業は大きな損失になりますので。
 そのイゲタロイ切削速度計算尺ですが、その作りは滑尺が移動するだけのスライドチャート的なもので尺度は[被切材外形(mm)、回転数(r.p.m)、]切削速度(m/min)。一番下は被削材外形を測るための10cmスケールです。裏面は各種被削材に対するバイトの適合表と切削馬力の計算式が印刷されているという状態。この切削速度計算尺はいつ頃に作られたということが判然としないのですが、新しいものではなさそうで、概ね昭和50年代前半くらいのものでしょうか?こういう切削速度計算尺は汎用品を計算尺メーカーが作っても概算値を表すものしか作れないため、切削バイトを製造販売しているメーカーごとに正確な切削時間を計算する専用計算尺を作ったわけです。どのメーカーの切削速度計算尺も計算尺自体の製造メーカーの手がかりがまったくありません。おそらくは工具のオマケ的な扱いで安く大量に必要だったのでしょうからHEMMIのような計算尺専業の会社ではなく、定規あたりを作っているメーカーの手によるものなのでしょう。入手先は神奈川の相模原市南区からでした。

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May 10, 2021

Kenko 7x18mmミクロンタイプ双眼鏡(東亜光学)

 Dscf4229 ミクロン型双眼鏡の元祖は戦前日本光学の6x15mmですが、この双眼鏡はオペラグラスほどの大きさながら視野角や倍率などもオペラグラスの比ではなく、戦前戦後を通じて貴重な外貨獲得手段となりました。しかし、戦後は7x50mm7.1°のノバー型同様に日本光学の設計を元に色々な会社が製造に参画し、板橋双眼鏡生産の拡大に貢献するとともに、本来はポケットに入るほどの小型双眼鏡であることからミクロン型だったはずなのに口径や倍率なども年々拡大して後には口径50mmで18倍というような大型のものまで登場するようになりました。
 しかし、このミクロン型の双眼鏡も円の変動相場制後の円高とオイルショックにおける材料費高騰による板橋輸出双眼鏡の業者淘汰により衰退し、昭和の末期にミクロン型専業の栃原オプチカル製作所の製造撤退とともに日本での製造は途絶えました。だた、今世紀に入ってからニコンが6x15mmのミクロンタイプを限定生産したことがありましたが、そのころはカメラのS3やSPの再生産で大いに話題をさらったニコンも2021年に国内でのカメラ生産を終了させるとのこと。そりゃ今や半導体露光装置のほうが売上が大きいでしょうし。
 久々に入手したkenkoのミクロンタイプ7x18mmですが、これは以前入手した東亜光学Cometの7x18mmと同倍率です。ただ、以前のものが昭和30年代製造と推定されるミクロンタイプの双眼鏡で、鏡筒なども真鍮を削り出したものにメッキを掛けてある作りで、かなりのコストが掛かっていることが伺われました。さすがは1ドル360円時代の双眼鏡で、コストダウンの気配は微塵もありません。それに比べて今回のKenko7x18mmミクロンタイプは鏡胴が軽合金の引き抜きにメッキを掛けたもので、プリスムのカバーなどの軽合金プレスにメッキを掛けたもの。全体的にコストダウンが明らかでそのため妙に軽く、東亜光学Comet7x18mmが重量250gもあるのに対してこちらの方は190gしかありません。まあ、見え方自体は差がさるわけではないのですが、30年代生産ものがある意味見事に手間が掛けられているのにそれを知ってしまうとこちらの方は少々情けなく思えてくるのです。ビクセンの斎藤氏の言葉を借りれば「ミクロン型生産継続のための涙ぐましい努力」なのだそうですが、「金属の軍艦部だとばかり思っていたカメラが実はプラスチックにメッキを掛けていた軍艦部だった」並のがっかり度は否定できません。フォーカシングは対物レンズ側を動かして焦点調整するニコンタイプで、本体に製造メーカーを表す刻印も見当たらなかったため、栃原オプチカルのOEM製造でKenkoの名前が付けられたものだとばかり思っていたのですが、今回再度虱潰しに観察すると、鏡筒根本の黒い部分JAPAN刻印の上にうっすらと「J-B001」のメーカー刻印があり、なんと栃原のOEMではなく前回と同じ東亜光学のものであることはわかりました。東亜光学でもかなり後までミクロン型の製造が続いていたことがわかりました。現在の東亜光学は双眼鏡からは撤退して久しく、医療光学機器関連部品の製造にシフトしているようです。


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May 08, 2021

中一コース・中一時代付録の計算尺(紙製5インチ)

 旺文社の中一時代新年号と学研の中一コース新年号付録の計算尺です。中1コースのものは昭和37年新年号のもので、中一時代は昭和40年新年号もの。尺度記号の書体に若干差があるものの(学研のほうはCIがC1の誤植になっている)実質的には同一の紙製逆尺付き5インチマンハイムタイプの計算尺です。こういう紙製の付録は後世に残るものではなく、本物の計算尺を購入した時点で打ち捨てられてしまうため、内容的にはチープな計算尺ですがかなりのレア物です。ちなみに昭和40年代に入ってからのこれらの付録計算尺は同じく紙製ながら√10切断のずらし尺をそなえ、HEMMIの名前が入ったものもあります。この逆尺付きマンハイムタイプは昭和40年代初期までのものなのでしょう。別途中一時代昭和43年2月号に付録として入っていた「計算尺使い方ハンドブック」という説明書があり、こちらはすでにずらし尺の操作の説明になっています。
 ところで、当方の世代でも年間購読特典の万年筆目当てに中一コースか中一時代を書店に予約するというのは当たり前の時代で、当時は出入りの書店の配達員がボテ箱乗せた自転車で届けに来てくれてました。そして月末に他の雑誌などと一緒にまとめて集金に来てくれるというシステムだったのです。小学校のときには6年の科学と学習(これは書店扱いではなかった)の両方を購読していたのですが、中学に入ってからは旺文社の中一時代のほうを年間購読し、予約特典の「帝金の万年筆」をもらいました。学研の中一コースの万年筆はどこのメーカーのものだったのかは記憶にありません。この年間予約特典は時代とともにラジオになったりカメラだったりデジタル時計などというものもあったようですが。しかし当方の世代には(昭和47年入学)すでに新年号にも計算尺の付録はありませんでしたし、小学校5年6年と2年間は学研の科学も学習も両方購読していた当方の記憶では前年昭和46年度の6年の学習にも計算尺はありませんでした。ちょうど当方の世代が学習雑誌からも計算尺が消えた境目の学年なのかもしれません。
そういえば我々が中学に上がる当時はこの手の学習雑誌や参考書のコマーシャルなどというのはテレビのチャンネルを捻れば(ここだけでも世代がわかりますが…)いつでも頻繁にあったものですが、少子化の進行により平成に入った頃に中学生以上の学年別学習雑誌は次々に廃刊になったようで、学習参考書専門の出版社も今は殆ど残っていない状態です。TVコマーシャルといえば、今や家庭教師派遣のトライや進学塾のCMばかり(笑)
 参考までに√10ずらし尺に変わった中1時代計算尺取説画像も貼っておきます。

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May 02, 2021

TAIYO 油圧/空気圧計算尺

Photo_20210502132801  油圧、空気圧シリンダーの中堅メーカーだった太陽鉄工の油圧・空気圧計算尺です。大阪で昭和8年創業の太陽鉄工はバブル崩壊時の金融引締の煽りを食って債務超過に陥り、一度会社更生法の適用を申請し倒産。86億円の債務を38%に圧縮して15年で債務を返済する再建計画を立てたものの、なんと4年半で債務を返済して会社更生手続きを終了し、その後東証2部に上場するという会社更生のお手本のような回復ぶりをした企業だったのですが、そこに目をつけた外資のパーカーハネフィンと当初は業務提携を締結し、後にTOBで株式を取得され、現在は米国パーカーハネフィンの完全子会社になっています。その親会社は古くから航空機の部品を製造しており油圧アクチュエーターなどをロッキードやボーイングに供給しているというお話。その太陽鉄工がおそらく昭和50年代くらいにリリースしたのがこの油圧・空気圧計算尺です。2つ折りのケースの中に説明書と本体が収められているというなかなかの優れものですが、本体はカードタイプのスライドチャートにカーソルが付いたという簡易的なものです。計算尺としては少々頼りない感があり、ケースから出た裸の状態ではおそらく惜しげもなく捨てられてしまって残存しないことで、逆に希少性があるようで、15年ほどでオークション上に上がったのがおそらくは5本以下。大抵は何本かのセットの中にあるような出品のされかたをしていますが、何年か前に単独で出品されたとき、確か25k円くらいの落札金額がついたことがありました。計算できる項目は説明書によると油圧関連が1.ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5.シリンダー容積の算出 6. シリンダー作動に対する必要油量(ポンプ吐出量)の算出 7. シリンダー速度の算出 8. 電動機出力の算出 9. 配管内径の算出 10. 管内径における流量の算出 11. アキュムレータの容量計算 とあり、空気圧関連が 1. ピストン受圧面積の算出 2.シリンダー力の算出 3. シリンダー内径の算出 4. 作動圧力の算出 5. シリンダー容量の算出 6. 消費空気量の算出 7. コンプレッサ出力の算出とあります。同様の計算尺は油圧関係としてHEMMIで製作された不二越の油圧計算尺があり、けっこう数も多く出回っているのですが、太陽鉄工は油圧と空気圧のシリンダー双方とも製造している関係で双方の項目を一本に納めなければいけないため、このような計算尺になってしまったのでしょう。通常の計算尺と違い基線長何インチの計算尺と分類できませんがおおむね5インチ計算尺相当で、全長19cm、幅6.6cmの幅広計算尺です。製造はHEMMIでないことは確かなのですが正確な製造元は不明。売価2000円とありました。入手先は兵庫県の明石市からです。

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April 24, 2021

HEMMI 機械試験所式工具寿命計算尺

 HEMMIの機械試験場式という形式名がなくタイトルだけが付いた5インチ両面計算尺です。これ、ATOMさんのコレクションか何だかPaul Rossさんのところに掲載されているくらいしか知られていない大変珍しい計算尺だったのですが、3年ほど前にまとめて何十本もの未開封品が出てきて一気に普遍化しました。ただ、その時に出てきた計算尺は倒産して民事再生法手続きを受けた本間金属工業という新幹線の車輪削正機械などを一手に手掛けていた機械メーカーのノベルティーで、何らかの財産整理で市場に出てきたものだと思いますが、今回入手したものは無印の市販計算尺です。機械工具の切削バイトなどの工具寿命に特化した計算尺に類するものだと思われます。機械試験所というのは当時の通産省工業技術院傘下の産業機械技術の試験研究に携わる国の機関で、メイドインジャパンの工作機械が欧米の工作機械の水準に並ぶことが出来ず、そこから生まれる製品が安かろう悪かろうの時代からメイドインジャパンが耐久性信頼性の代名詞になることをけん引していった組織です。昭和46年に通産省工業技術院機械試験所から機械技術研究所に名称変更し、昭和55年には東京の杉並区井草からつくば学園都市に移転。そして現在は独立行政法人の産業技術総合研究所の一組織になっています。40年ほど前に当時学芸大学駅近辺に住んでいた知り合いの父親が機械技術研究所の技官で、確かつくば移転直後くらいに定年で退官したはずですが、けっこう海外への出張などが多かった人でした。専門分野が何だったかは聞いていませんが「パリの町は小汚くて、まず店のシャッターを開ける前に大量の犬の糞を掃除する」などというフランス出張のときの話だけを妙に覚えています。まさかこの計算尺の設計に係わっていたわけではないでしょうけど、そんな機械試験所との関りが少しだけあるということです(笑)
 少し以前に三菱金属の切削計算尺について書いたときに本気でHEMMIが切削計算尺を作ったことがなさそうだというのは誤りで、自社設計ではないもののこういう計算尺を作っていた事実は特筆ものでしょう。しかもNo.149Aと同じ形のポケット型両面計算尺という付加価値もあり、これが昭和45年以降の新規製造ならば、おそらく山梨に丸投げされてコストの安いNo.P35Sのようなプラスチック製両面計算尺になってしまったはずです。説明書によるとこの計算尺の目的はやはり「生産工場に置いて所定の材料に旋盤加工を施すに際し、どの程度の切削条件を選ぶべきかの目安をうるためのものである。本計算尺の基をなす方程式は長期に渡り機械試験場において実施してきた切削作業超順の設定に関する研究で得られた結果を最大公約数的に丸めたものである。したがって総ての場合に厳密に適合するものではなく、あくまでも第一近似的目安を与えるものであり、その値を出発点とし、生産途上でこれを理想的に近づけることをたてまえとする。そのためになるべく簡単化して使いやすいように心がけた」とあり、より正確な切削速度などを得るためにはやはり各工具メーカーで出している専用切削計算尺のほうがより有効なのでしょう。本計算尺の適応範囲というものが記されていてそれによると1.作業の種類:旋削加工 2.工具の種類:超硬合金 3.切削材の種類:鋼系(オーステナイト系ステンレス及び耐熱鋼を除く)及び鋳鉄系とあります。
尺度は表面がT,N,K2/V,[K2/DΦ,CI,C,]D,A,Lの9尺このうちN:主軸回転数(rpm) V:切削速度(周速)(m/min) DΦ:工作物の直径(mm) T:工具寿命(min) K1:毎分あたりの直接人件費+経費(作業員及び補助作業員の人件費+設備保全費+動力費+償却費+保険費等)(\/min) K2:工具一刃当りの工具費(工具価格/廃却まで使用できる総切刃数〈または廃却までの総研削回数〉+1切刃あたりの工具ホルダー償却費+1切刃当りの再研削費+1切刃当りの工具交換費)、ここに工具交換費は(毎分当りの直接人件費+経費)×工具交換時間(min)であるとあり、工業簿記の素養があって原価計算などの業務に精通している人ではないとなんのことだかさっぱりわからないかもしれません。
 裏面尺度は赤字でδB2(鋼),青字でδB1(鋼),HB(鋳鉄),[fH,fδ2,TH.Tδ2,]VH,Vδの計8尺です。このうちfδ2(赤字),fδ1(青字):一回転当りの送りで、鋼計の場合のみに用い、それぞれδB2(赤字…送り0.2mm/rev以上の場合)尺とδB1(青字…送り0.2mm/revより小さい場合)尺を使用した場合に対応する(mm/rev)、TH:工具寿命で、鋳鉄系の場合にのみ用いる(min),Tδ2(赤字),Tδ1(青字):工具寿命で、鋼系の場合のみに用い、それぞれfδ2(赤字)尺とfδ1(青字)尺を使用したときに対応する(min)、VH:鋳鉄系の切削速度(m/min),Vδ:鋼系の切削速度(m/nin) だそうですとしか言いようがありません。
 実際にこの機械試験所式工具寿命計算尺が届いて驚いたのは、なんとNo.149Aなどと違って、本体がプラスチック製だったことです。もちろんのこと固定尺をつなぐブリッジは金属製ですし、カーソルもNo,149Aと変わらないのですが、こういう少数生産の特殊尺は当時から山梨丸投げOEM生産だったのでしょうか?入手先は千葉県内でデートコードは「RI」ですから昭和42年の9月の製造ということになります。残念ながら革のサックケースが欠品でした。

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