January 13, 2021

HEMMI No.43A 8"学生用

 HEMMIの8インチ学生用計算尺のNo.43Aですが、この珍しくもない8インチ学生尺がいままでなぜ取り上げていなかったかというと、同じ尺度で近代的なプラ尺のNo.43Sをすでに所持していたことと、これだけを目的に送料まで掛けて落札する気にならなかったからです。他の8インチ学生尺もそうですが、10把からげで入手したもののなかにたまたま紛れ込んでいたということでなければ自分の意志では購入しない計算尺の一つでした。今回入手したのは10把ではないものの4本まとめての購入の中に紛れ込んでいたものです。
 この竹製ニス塗り8インチ学生尺はかなり以前から山梨に製造委託に出ていたようです。というのも昭和30年代の初期から中期に掛けての団塊世代の大量進学にあたり、とてもHEMMIの生産ラインだけではその需要をすべて満たすことは出来ず、当然のこと他社のアウトソーシングが必要となったことだと考えていますが、もしかしたらHEMMI本工場では10インチの片面尺両面尺をメインに製造し、学生尺やプラスチックのポケット尺などは当初から山梨に製造させていたのかもしれません。
 このNo.43Aは√10切断のNo.45Kなどと違ってどうも教科書準拠の計算尺と異なるためか、No.45Kと比べると製造数はかなり少なめのような気がします。それでもプラ尺化してもNo.43Sとして作り続けられたわけですから、教える先生によってはこのK尺付きポリフェーズドマンハイム尺じゃないといけないとでも言うような信者がいたのでしょうか。尺度は表面がA,[B,CI,C,]D,K,の6尺、滑尺裏がT,L,S,の3尺の合計9尺です。
 どちらにしても授業で数回使用しただけで放り出された類の計算尺のようで、中のビニール袋もちゃんと残っていたきれいな計算尺でした。デートコードは「QB」ですから昭和41年2月の製造。これがプラ尺化してNo.43Sになったのは知る限りではデートコード「T」の昭和44年製造分からのようです。ケースは緑帯の貼箱入りでした。

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January 11, 2021

HEMMI 8"片面砲兵計算尺

 結構なレアモノのHEMMIの砲兵計算尺です。この計算尺は昭和17年にリリースされたと言われていますが、この計算尺に対して陸軍が独自で教本を製作した様子はなく、砲兵用計算尺の解説書は同じく昭和17年にHEMMIから大井勇という人による「砲兵計算尺教程」というものがリリースされており、砲兵計算尺という軍用分野の計算尺ながら、設計から教本まですべてHEMMIという民間主体で行われたことが特筆に値します。宮崎治助氏の記述によるとこの砲兵計算尺も後の苗頭計算尺もヘンミ計算尺研究部部長の平野英明氏の設計だということです。
 ただ、この計算尺は内容を見てもわかると思いますが、ある程度の理論や数学的な素養のある旧制の中等学校を卒業してそれ以上の上級学校や砲術の専門教育を受けたもの対象だと思われる計算尺です。おそらくは下士官兵ではなく将校ではないと使いこなせないと思われる計算尺で、そのためのちに極力理論的なことは廃して、数字が振られた順番通りに使用するようになっている苗頭計算尺に取って代わられ、下士官兵でも使えるようなものに変わったのだと思います。
 またこの砲兵計算尺は中等学校計算尺のNo.2640同様に8インチというオフサイズの計算尺です。これは陸軍の公式書類のB5が収納出来る革製の図嚢に収まるサイズということで8インチを採用したのでしょうが、No.2664と同じベースボディで8インチというオフサイズの計算尺を特別に用意するのは生産効率が悪いので、のちの苗頭計算尺はNo.2664と同じベースボディの10インチ計算尺になっています。
特徴的なのは三角関数の360度を6400分割するmil単位を使用していることで、これは1km先の1mの長さの見かけ角度に該当し、軍用の13年制式双眼鏡や89式双眼鏡、それにカニ目と呼ばれた砲隊鏡などに刻まれる十字のメモリの単位milと共通です。うちの陸軍対空監視所で使用されたという東京光学の89式や大戦末期の鈴木光学8x30mmの双眼鏡には十字形milメモリが。戦後の日本光学7x50mmのトロピカルにはL型のmil目盛が刻まれていますが、今の時代にはこの目盛はあまり利用価値もありませんが。
 このHEMMI砲兵計算尺は昭和17年の製造ということであの薄いアルミの灰色アルマイトの裏板が使用されており、この灰色アルマイト板の表面と内部が金属の鋲で貫通することと、それに湿気が加わることにより一種の電池のようになり、電位差でどんどん酸化・腐食していき、ボロボロになって脱落するという重大な欠陥があります。これが戦争末期になるとこの灰色アルマイト処理もなくなるのでこのような電食酸化状態の裏板にはお目にかかりません。また悪いことに酸化で体積が膨張してしまい、裏板が嵌っていた溝を押し広げて変形させるということになり、入手した砲兵計算尺も例外ではありませんでした。おそらくは何十年もケースに入れたままタンスの奥にでも入っていたのでしょう。また割れた3本線カーソルは副カーソル線が8インチの基線長の専用品でNo.64などと共用することが出来ません。試してはいませんがNo.66用カーソルだったら交換は可能でしょうか?それってNo.66はNo.64をそのまま短縮したわけではないのでムリですね…
 尺度はL1,DF,[CF,L2(L1),C(CI),]D,Aで裏面がT1,T2,S1,S2,とありますが、上面スケール部分に1-10,600-0の等間隔目盛、裏面固定尺部分に0-200の等間隔目盛と5-∞の対数目盛が存在します。さらに√10切断のずらし尺を供える計算尺としてはNo.2664よりも先行していますが、それはNo.2664にこの灰色アルマイトのものが見当たらないことからもわかると思います。しかし、果たしてHEMMIの√10切断ずらしの片面計算尺で一番最初にリリースされたものは何だったのでしょうか? 固定尺裏に「サツマ中イ」の彫り込みがありますから下士官ではなく将校の持ち物だったことが証明されますが、これが軍からの支給品なのか自弁で調達するようなものだったのかはわかりません。将校用の装備というのは被服から双眼鏡、軍刀や拳銃まですべて自前で購入しなければならず、拳銃はブローニングM1910が50円、コルト32オートが60円ほどに対し軍刀は80円から150円くらいしたそうです。そのような状態ですからおそらくこのHEMMI砲兵計算尺も軍からの支給品ではなく偕行社などを通じで自費で購入したものなのでしょう。それを証明するようにケースも当時の市販品と全く変わらない黒の蓋付き紙ケースです。おそらく苗頭計算尺は下士官に対する軍の支給品ということが砲術に関する2種類の計算尺が存在した理由なのでしょう。

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December 31, 2020

戦時中HEMMI No.2664の構造分析

 HEMMI計算尺のNo.2664は同時期に中等学校生徒用として誕生した8インチのNo.2640同様に、上級学校の旧制高等学校や工業高等学校生徒の教育用を目指して作られた計算尺です。しかし、学校教育の垣根を超えて事務用ビジネス用としての用途が広がり需要が高まりますが、戦争が激しくなるとともにアルミなどの金属資源が枯渇し、さらにバージンセルロイドではなく再生セルロイドなどを使用せざるを得なくなり、終戦を迎えるまで様々に構造を変えていった苦労が伺われる構造変更のパターンがいろいろ見受けられます。現在所持しているもの以外に末期のタイプが2パターンほど存在するようですが、備忘録的に手持ちのNo.2664でその変遷を記録しておきます。さすがにIdeal-Relayの戦争末期のような竹枠カーソルのものは見つかっていません。それは軍納、政府納のものがあったために軍需用として金属の特配があったのかもしれませんが、もしかしたら竹枠カーソルも用意しておきながら使用しないまま終戦になってしまったのかもしれません。

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 まずこちらが発売当初のオリジナルだと思われるNo.2664で便宜的にNo.1を振っておきます。L尺がハーフレングスの折返しで下固定尺のA尺に沿う形で設けられている、滑尺裏にL尺がなく、Tl尺SI尺が二分割というのは戦前からOCCUPIED JAPANになるまでの期間共通ですが、発売当初のNo.2664(No.1)はアルミの総裏板で副カーソル線窓はハーフオーバルの切り欠き。これは戦後のNo.2664からNo.2664Sに至るまでの共通仕様です。逆尺のCI尺記号とCI尺の数字すべてが赤文字で入っています。ケースは戦時中ですからすでにボール紙に黒の疑革紙を貼ったサックケースで、これが使用されているのが戦時尺の特徴でしょうか。裏側の真ん中に"SUN" HEMMI No.2664が刻まれています。裏板と尺をつなぐ鋲の数は片側6本です。 おそらく裏板はアルマイト処理が省略され、そのおかげで金属鋲による電位差で腐食することなく残っています。それは戦時中のNo.2664に共通しています。推定製造年度は昭和18年というところでしょうか。
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  次のパターン、No.2664(No.2)は同じくハーフオーバル副カーソル線窓は同じなものの裏側には"SUN" HEMMIという商標しか刻印が入っていないもの。カーソル枠は鉄に変更になり、粗末なメッキ処理のためややサビが浮いているような状態です。でもまだこの時期にはアルミの総裏でCI尺とその数字は赤で入れるという余裕がまだあった時代です。ケースは漆黒ではなくやや紺色掛かったボール紙製サックケースに入っていました。固定尺と裏板をつなぐ鋲の数は片側6本と変更ありません。これも昭和18年あたりの製造だと思います。
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 次のパターン、No.2664(No.3)はそろそろ工程数も材料も減らしに掛かってきた次期のパターンで、構造的にはポケット尺同様に裏板のセルロイド厚板を挟む構造を止めて、副カーソル線窓兼用の全長に及ぶ透明セルロイドとオーバル窓を打ち抜いたアルミ薄板の組み合わせのパターンです。このころから手間のかかる逆尺への朱入れもやめて尺も数字も真っ黒になり、いかにも戦時尺の様相を呈してきています。セルロイドの裏板が省略されたためか構造上やや細い鋲が増えて、片側13本になりました。このNo.2664(No.3)は後の時代のカーソルに交換されていましたが、当然鉄枠メッキカーソルが付属していのがオリジナルでしょう。ケースは戦前革サックケースに入っていました。下固定尺側面の左に"SUN"HEMMIの商標、右にNo.2664と形式が入れられたタイプです。製造は昭和19年に入ってからでしょうか。
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 次のパターンNo.2664(No.4)ですが、こちらもオーバル副カーソル線窓のタイプですが、鋲が増えて結果的に工程が少なくならなかったことをあらため、アルミ板側から鋲を打つ形式に改めたもの。そのためかどうかはわかりませんが、アルミのセンター部分にパンチングで中抜きされています。鋲の数は片側7本に減りました。カーソルは鉄枠メッキカーソルです。No.3同様に下固定尺側面左右に商標と形式名が入れられるパターンです。このあたりからかなり表面に貼られたセルロイドが薄くなっていて、裏側の接着剤が波打って見えるほどに。実際に剥がしてノギスで厚さをしらべてみたいくらいですが、この個体かなり程度がいいのでもったいなくてそんな気になれません(笑)
こちらも製造は昭和19年頃だと思われます。
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 次のパターンは裏板に使用するアルミの板も枯渇し、苦労して作り上げた末期型の構造なのですが、今の所手元にこのパターンのNo.2664が無いので同時期のHEMMI苗頭計算尺で代用します。裏側はセルロイドのオーバル窓が開いただけの裏板で固定尺をつないでいるのですが、これでは滑尺ギャップの調整が出来ないので、この個体は三ヶ所にハガネの帯を入れてバネのテンションを掛けている構造です。ただし、このハガネの板は固定尺と鋲で止まっているわけではなく、単に挟み込まれているだけのようです。カーソルは鉄枠メッキ。鋲の数は片側たったの4本と必要最低限で、まさにここまで追い込まれても計算尺を作り必続けなければいけないのかと痛々しさをひしひしと感じる構造です。
これはおそらく製造年が昭和19年末から終戦の昭和20年あたりの製品ではないでしょうか。

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 このパターンNo.2664(No.5)は本当の物資枯渇期、おそらくは終戦直前くらいのもので、苗頭計算尺同様に裏側セルロイド板と鋼の板の組み合わせですが、鋼の板は裏側に回り、両端の2枚のみ。さらにセルロイドが極薄になり、接着剤の食いつきをよくするために竹の表面に施した鑢目がしっかり見えてしまうほどの物です。この鋼の板が後ろに回ったことも影響するのか、相当の握力の持ち主でもないと滑尺溝のギャップ調整は無理というもの。せめてセルロイド裏板の真ん中に溝でも施してくれればと思うのですが、それは戦後になってのことです。なお、正規の長さのセルロイドが揃わないためか、セルロイドの裏板が左右2分割というものも存在します。カーソルは後年のものに付け替えられています。
メーカー名及び型番は下固定尺側面左右に刻まれています。
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 おまけは通称兵学校計算尺と呼ばれるNo.2664の簡易型。おそらくは政府関係官公庁専用だった感じで、それが軍の教育機関にも流れたのでしょう。ただし、陸軍の学校関係では砲兵以外の一般兵科に計算尺教育があった節はなく、そんな暇があったら地雷抱えて敵の戦車に飛び込む訓練にでも勤しんでいたのでしょうが、海軍はちゃんと兵学校にこの√10切断の新計算尺の教本が独自に作られていたのですから、海軍兵学校計算尺と呼んでも差し支えは無いと思います。こちらはオーバル副カーソル線窓のアルミ総裏で、固定尺側から鋲を打ち込むNo.3のパターンに近い構造の計算尺です。鋲の数も片側7本でそれはNo.4のパターンに近いようで、セルロイドもかなり薄くなって波打って見えるのもNo.4に近い感じです。ケースは黒のサックケースでカーソルは後年のものに換えられていましたが、オリジナルは鉄枠カーソルでしょう。こちらは製造が昭和19年末だと思われます

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December 30, 2020

戦前HEMMI No.152 両面電気技術者用

 HEMMIの最初の両面型計算尺として昭和4年に発表されたユニバーサル型両面計算尺3種類(No.150,No.152,No.154)中の一つ、No.152電気技術電気技術者用計算尺です。どうもその2年後くらいに発売されたNo.153が2尺多くなり、そちらのほうがスタンダードな電気技術者用計算尺となってしまったために、2年で一気に影が薄くなってしまった気の毒な存在のユニバーサル型計算尺ですが、それでもNo.153と同様に終戦時まで併売されていたようです。製造された数はNo.153のほうが圧倒的に多いため、このNo.152は滅多に見つからない両面計算尺の一つです。No.153の方は昭和40年代末期の青蓋ポリエチレンケース時代まで発売され続けていたわけですからやはりNo.153に比べて2尺少ないという同じ用途の計算尺は定価の設定をやや安くするという以外に存在価値を失ったということでしょうか。その価格差というもの当時で50銭にも満たないくらいだと思いますが、その差だったら誰もがNo.153を買ってしまったのでしょうね。このNo.152はNo.150同様に発売当初はフレームレスカーソル付きで発売されていたようですが、破損が多いためかまもなく金属フレームタイプのカーソルに変更になったようです。
No.152の尺度は表面 K,A,[B,CI,C,]D,T,の7尺、裏面はNo.153と共通のθ,Re,P,[Q,Q',C,]LL3,LL2,LL1,の9尺の合計16尺です。No.153と比べて表面のL尺とGθ尺の2尺が無いということもあり、ややレイアウト的に余裕があったためか、No.153はA尺より下の尺種に刻まれる数字はすべて級数が同じなのですが、No.152のT尺の数字は特別に大きな級数が使用されています、またT尺下に余裕があるため、その余白に"SUN" HEMMI U.S.PATENT NO.1459857 MADE IN JAPANが刻まれていますが、No.153はレイアウト的に余裕なく尺が詰まったため、トレードマークや社名、パテントナンバーが右端に移動してしまいました。
 またゲージマークは後発のNo.153のほうが豊富で、No.152の方はC尺D尺上にC,π,C1,2πがあるのみ。A尺B尺上にはπ,Mの2つしかなく、いささか寂しい感じですが、No.153のほうは分秒の微小角計算のためのゲージやR,G,などのゲージまで新たに加わりました。裏側は数字の級数や目盛の刻み方にも差異がないので、目盛を刻む原版は共通だと思われます。
 このNo.152とNo.153の二乗尺目盛ですが、日本ではヘンミ計算尺大倉龜(ひさし)名義で出願され、日本では特許は降りたもののアメリカに輸出するにあたって、アメリカ国内に先にパテントが出願されており、そのままではアメリカで販売できないので、そのアメリカ特許の出願者から特許権自体か特許の独占的実施権を買い取ったのだそうです。
 その二乗尺目盛の考案者とされている宮崎治助氏は、自身の考案がすべて会社名義で取得されることについて、社長の大倉龜には言わずともけっこう不満が溜まっていたようで、宮崎卯之助氏の家族に「龜(カメ)にぜんぶ取られた」としばしば愚痴をこぼしていたそうです。宮崎治助氏考案の特許は計算尺よりも後の大倉電気の関連のもののほうが多数に上るようですが、やはりそのアイデアが金銭面にあまり反映されなかったのが不満だったのか、昭和7年頃に大倉電気の仕事ばかりになって計算尺考案に関われなくなったのが不満だったのか、どちらだったのかはよくわかりません。ヘンミ計算尺研究部の部長は昭和10年に宮崎治助氏から平野英明氏に交代になっていたのは周知のことですが、それは大倉龜が宮崎治助を計算尺考案に専従させるよりも計算尺詳解などの解説書を書かせ、教職だった平野英明氏を計算尺設計に専従させるための人事処置だったのかもしれません。当時、宮崎治助は電気式計算機のアイデアを持っており、それは戦争のためと非常に高価になったため商品化することはありませんでしたが、こちらの方向性を探るために設立した別会社が大倉電気だといわれています。ここにNo.152とNo.153に関する宮崎治助氏が昭和39年に記した「想像と偶然」というコラム記事のなかに興味深い記述があったので、引用させていただきます

 「昭和6・7年頃のことではあるが、その当時、日本独自の非対数尺度を中心としたヘンミNo.152は、新しい目盛配列のものとしてアメリカなどでもかなり評判になったのであるが、欲を言えば、この計算尺で双曲線関数を簡単にすることが出来ない。どうにかして、この問題を打開する策がないかと、日夜考え詰めた時代が相当長く続いたことがある。この2・3年前の1929年にはアメリカのK&E社から発売されたロッグロッグヴェクトル計算尺には双曲線関数の対数尺度ShやThがつけられていることを知ってはいたが、悲しいことにヘンミNo.152にはこれをつけるほどのスペースがない。つけられる目盛はせいぜい1本が限度である。これは実に筆者にとっては相当こたえた難問題であった。この救済策は不図したことから、いとも簡単に解決されることになった。それは昭和6年にマサチューセッツ工科大学(MIT)のケネリー教授が来朝し(当方補足:アーサー・エドウィン・ケネリー、当方でもその名は知る1861年インドの南ムンバイ生まれの著名な電気学者で電離層ケネリーヘビサイド層(E層)などにも名を遺す1939年マサチューセッツ州ボストンで没)、早稲田講堂で「交流工学に対する双曲線関数の応用」という講演をしたのであるが、その講演の中で言われたグーテルマンの角の話が電撃的にわたしのアタマに響いたのである。飛ぶようにして家に帰ったわたしは、その日からこの面積角の尺度化に没頭しつづけた結果としてGθ尺度の考えにたどりつき、この尺度をNo.152に添加するだけで円関数と双曲線関数の交流を可能とするヘンミNo.153の創造に成功することになったのである。今にして思えば、あの日、ケネリー教授の講演をきく機会がなかったならば、この工夫は永久にわたしの頭脳に湧いてくることがなかったのではないか。Gθ尺度は偶然の所産ということができるかもしれない。」

 以上で分かる通り、No.152は宮崎治助氏が苦労してGθ尺を考案したNo.153が出来た時点ですでにオワコン化してしまい、どうでもいい存在になってしまったため、その後はもしかしたら在庫分だけ牛の涎のように出荷し続けていただけの計算尺だったのかもしれません。実際にNo.153との価格差は2円50銭くらいあったようですが、この金額でわざわざ安いNo.152を選ぶか、No.153を選ぶかは微妙なところです。今でいうアルバイトの一日分の賃金は50銭くらいだったそうですから。

 このHEMMI No.152は北陸富山の魚津市からの入手で、糸魚川のNo.153同様に水力発電所関連で使用されたものだったのでしょうか?

追記:「二乗目盛、反数目盛及び角目盛を併用する計算尺」の特許は大正14年8月29日付で特許65414号が宮崎治助個人で取得されていますが、宮崎敏雄氏によるとこのアイデアは秋田の荒川鉱山から岡山の吉岡鉱山に転勤後、こちら岡山時代に考案したものだそうです。岡山内陸部の夏の猛暑には秋田人の治助氏の体が合わなかったのかどうか、その後三菱鉱山を退職、上京し、東京で短期間電気関係の仕事に就いたのち、つてで三菱電機に職を得たとのこと。特許取得後にこのアイデアを持って渋谷町猿楽町の逸見計算尺工場事務所を訪ねたそうなのですが、その時にはすでに何人か自分の考案した計算尺のアイデアを持ち込む今でいう計算尺ヲラクが何人もいたそうで、その中には宮崎達男氏、本田織平氏、別宮貞俊博士、平野英明氏などの後に計算尺界に名前を残す方もいたそうです。ところでこの宮崎治助氏が苦労して考案したGθ目盛は「グーデルマニアン目盛」として昭和8年6月19日付で特許101458号が大倉龜名義で取得されています。このことに関して宮崎卯之助氏の家族に「カメに取られた」の愚痴が出ていたのでしょうか?それまでのヘンミ計算尺の特許は考案者が誰にも関わらず「逸見治郎」名義で取得されています。しかし、大倉龜と宮崎治助の関係は晩年まで良好だったようです。片や帝大出身の元官僚、片や秋田の工業学校出の鉱山電気技師ながら同じ明治24年生まれでなぜか馬が合ったということもあったのでしょうか。宮崎敏雄氏によると昭和35年に大倉龜が亡くなったとき、宮崎治助氏は心身ともに憔悴してしまったのだとか。

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December 24, 2020

HEMMI No.2664S SPECIAL

 HEMMIの永遠のスタンダード片面計算尺のNo.2664SにDI尺が加わり、A尺を上固定尺のK尺の下に移動させたレイアウトの片面計算尺がNo.2664S-Sです。もともとNo.2664にグリーンのCIF尺を追加したため、別製No.2664という意味合いでSPECIALのSの意味合いだったはずなのですがNo.2664S-Sは発売当初の初期型のみNo.2664S SPECIAL名で発売されていますので、No.2664S-SはNo.2664に対してNo.2664SPECIAL-SPECIALの二重のSPECIALが被ってしまうためか、いつのまにかNo.2664S SPECIALを止めてNo.2664S-Sにネームチェンジしたようです。このNo.2664S-SはオリジナルのNo.2664Sと比較すると圧倒的に少なかったようで、オークション上に登場する点数からするとNo.2664Sが30本あったら1本出てくるようなそれくらいの数の違いがあるような感じですが、果たして生産数はどれくらいの違いがあるのでしょうか?特筆されるのはNo.2664S-SはHEMMIと内田洋行の商標KENTのダブルネームの物が存在し、このKENTとのダブルネームはこのNo.2664S-SとNo.254WNの2種類しか知られていません。No.2664S-Sの年代による差異というのはNo.2664Sとまったく同じで、ケースは登場時の緑貼り箱ラージロゴ、緑帯貼り箱、青蓋ポリエチレンケースの3種類。換算表が2パターン。下固定尺側面がフルスケールのセンチもしくはインチ目盛、0-13-0の目盛と無地の3パターン。形式名は裏面中央から表面下固定尺右に移動などです。
 このNo.2664S-SにDI尺が加わった理由ですが、RelayやRicohのNo.116と異なり、滑尺裏の三角関数が逆尺になっているため、表面のD尺で直読出来るのでNo.116には必要でもNo.2664S-Sには不要なのです。ただ、連続計算のための利便性のためのDI尺追加で、それは昭和36年辺りから急に全国的に盛んになった計算尺競技会に対する競技用用途というのが大きいような気がします。その競技用計算尺の流れというのは、時代とともにNo.651からNo.640Sを経てNo.641に至りますが、ある程度No.2664S系で計算尺競技に慣れてしまうとかえって新しいタイプの計算尺に変えることはできなくともNo.2664S-Sだったら大丈夫だろうなという感じもします。個人的にはA尺がK尺の下に来たNo.2664S-SのほうがNo.2664Sより直感的に取り扱えるような気がします。
 そのNo.2664S-Sはかなり長い間専用の説明書がなく、No.2664Sの説明書に補足説明のペラが一枚加えられた状態でしたが、後にNo.2664SSのタイトルで専用説明書が出来ています。
 今回のNo.2664S SPECIAL刻印のNo.2664S-Sは緑箱時代だけに存在し、さほど珍しいものではないものの絶対数が少ないからか、のちの緑帯時代のNo.2664S-Sや青蓋ポリエチレンケースのNo.2664S-Sと、比べると極端に数が少ない印象です。形式名が表面に移った緑帯箱時代のものが製造の期間としては長かったからか数が多い印象ですが、意外に青蓋ポリエチレンケースのものも数が多く、これは昭和47年新学期の高校入学に合わせて購入させられたという話がけっこうあるので、学校用需要というところが大きいのでしょう。KENTダブルネームのNo.2664S-Sは「高校生用」というラベルがあったような。
 ところで当方は裏側にNo.2664S SPECIALではなくNo.2664S-S刻印のものにはいまだお目にかかったことがないのですが、もしそのようなものが存在するのであれば、それこそレアモノなのかもしれません。
 今回入手した緑箱のNo.2664S SPECIALは神奈川の箱根町から入手したもので送料込み1.2k円でした。デートコードは「MA」ですから昭和37年の1月製。前年のデートコード「L」のものを確認していますので、その頃に製造・仕込みされたものが最初期にあたるもののようです。

 ところで、KENTとのダブルネームのNo.2664S-SとNo.254WNの2種がなぜ存在したかの問題ですが、確信はないものの内田洋行扱いでこの2種類だけ理科教育振興法の指定機種として登録されていたのではないかと推測しています。理科教育振興法というのは戦後の昭和28年に制定された法律で、理科数学の教育を後押しして国家の産業基盤をささえる人材を育むために各学校に理科数学教具実験器具備品などの購入予算を振り分けたものです。その購入備品は理科教育振興法の指定商品であればその購入はある程度各学校の裁量で決められることになっており、けっこう年に一度くらいしか使わない顕微鏡や昼間の授業中は使わない天体望遠鏡などが理科準備室にホコリを被っているような例はよくありました(笑) 顕微鏡なども光学会社のブランドではなくKENTブランドで入っていましたので、そういう理振法のからみで数学教具としてまとまった数量を学校の備品として納入する指定機種にKENTのブランドを刻んだのかもしれません。KENTブランドの計算尺は市販されてはおらず、個人持ちの計算尺と区別するためのダブルネームだったのかもしれません。そう考えるのが合理的なような気がします。

 

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December 12, 2020

Concise No.27 (SONY ノベルティー)

 コンサイス円形計算尺のアンダーラインの片面計算尺の27シリーズですが、これはNがつかないオリジナルのNo.27です。No.27Nとの違いは内側のディスクがNo.27Nと異なって分厚く、外周が斜めに落とされてそこまで目盛が回り込んでいるため、そこが手がかりとなって内側ディスクが非常に回しやすくなっていることと、カーソルがディスクをまたいでいて、その頂点にカーソルバネが仕込まれているということでしょうか。そのため、アンダーラインの製品にしてはコストが掛かりすぎていてNo.27Nにモデルチェンジしたのでしょう。尺度は双方ともに変わりはなく、外周からD,[C,CI,A,K,]の5尺で裏側は換算表。No.27Nはノベルティー商品として使われることが多く、このNo.27も同様でこれは昔のソニーのノベルティー商品です。ところがその度合が半端なく、表側に当時のオールトランジスタの主力商品のテレビジョン、テープレコーダー、ラジオの文字が入り、カーソルに赤字でSONYのロゴが。ビニールケースにはSONYの金箔押しで、驚いたことに説明書の半ページに「RESARCH MAKES THE DIFFERENCE SONY」の広告が入るという徹底ぶりで、これくらい徹底した企業ノベルティーものの計算尺は今だかつて見たことがありません。
 先日なんか革ケースにNKK(日本鋼管)マークが入ったHEMMIのNo.30を入手したのですが、計算尺本体裏側にもなにか特別なマークが入っているかと思って期待していたら、中身はノーマルのNo.30ということがありました。かなり以前に入手したケースに日本板硝子のマークが入ったNo.30も本体はノーマルでしたし、企業ものノベルティーはケースだけ特別というのもが多い中でコンサイスがここまで徹底的に相手の要望を取り入れることが出来たというのも画期的なのかもしれません。HEMMIのノベルティー用に多く使われたライバル商品はNo.P35あたりでしょう。実際に本体に企業名やマークを入れた特注商品としてどちらのほうが安かったのでしょうか?
 思い出したのですが確か以前に東芝真空管、半導体とケースに箔押しされたNo.27を入手していて、これ今回どこに入り込んでしまったのか出てこなかったのですが、こちらのほうはカーソルこそディスクを跨ぐタイプながら、内側と外側のディスクは段差のない同一面でこれは後のNo.27Nに近いのです。そうするとどうもNo.27な内側ディスクの違いで前期型と後期型の2種類が存在することになります。まあアンダーラインの片面円形計算尺ということもあり、当方を含めてまったく注目されたことは無いと思いますけど、出てきた限りは分類するしか仕方がありません(笑)
 それで初期型の内側ディスクの形状と尺度は同じくコンサイスのA型換算尺に似ています。同然直径は異なりますが。

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Concise27

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November 28, 2020

三菱金属ダイヤチタニット切削速度計算尺

 三菱金属(現三菱マテリアル)から発売されていたダイヤチタニットという超硬合金を使用した切削工具用に製作した切削速度を計算するための計算尺です。この計算尺は素材の直径(D:mm)、旋盤の回転数(N:rev/min.)、切削速度(V:m/min.)の三要素しかありませんが、工業簿記的にみると、この切削時間というのが製品が時間あたりどれくらい製造できるかということと機械の減価償却など原価計算の重要な要素になっており、これらがおろそかになると製品の価格も設定できないということなのです。 このような切削速度計算尺というのは日本では専ら切削工具メーカーのサービス品のような扱いで、他には東芝系のタンガロイなどの切削計算尺もありますが、その全てが薄いプラスチックで作られたカーソルも不要なスライドチャート的なものしか出てきません。
 しかし、欧米には計算尺メーカーによる切削速度計算尺というのがちゃんと存在し、うちにもドイツのNestler No.26がありますし、他にもAW FaberからNr.348や1-48なども発売されています。諸外国では1970年辺りまで存在した切削速度計算尺ですが、日本の主な計算尺メーカ2社ではこの分野にまったく手を付けた様子がありません。これが非常に不思議な感じがしますが、これは当時の工業的な成熟度の違いで、日本では旋盤職人の親方の仕事に合理的な切削速度を計算する必要は無かったでしょうし、大メーカーはこういう挽き物のパーツは下請け孫請け町工場の仕事で、原価計算には部品仕入れの値段しか必要なかったという産業構造がこの手の計算尺が大手で作られなかった原因かも知れません。ただ、金属製円形計算尺の藤野式にNo.2557号として工作機械用マニシストコンピュータという工作時間計算尺発売の予告が出ていたことがあるのですが、玉屋発売の片山三平著の「最新計算尺原理及使用法」の藤野式計算尺使用法の部分は、版を重ねても一向にNo.2557号が出てこず、今だかつて現物を目にすることもなかったため、もしかしたらなんらかの理由でお蔵入りしてしまったのかもしれません。このNo.2557号が発売されたら我が国最初の素材と切削時間に特化した工作時間計算尺になったはずですが、この藤野式計算尺No.2557号は戦後、藤野式円形計算尺が元になったコンサイスの工作時間計算機として世に出ますから、こちらが日本で最初の工作時間計算機になるのでしょう。
このダイヤチタニット切削速度計算尺は製造したのがどこかの手がかりはありませんが、おそらくは山梨系のメーカーの仕事でしょうか?

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November 27, 2020

HEMMI No.153両面電気技術者用計算尺の戦前戦後

 HEMMIの両面計算尺であるNo.153は昭和4年に発表されたユニバーサル型計算尺としてNo.150やNo.152に続いて昭和6年から発売された電気技術用計算尺です。特徴としては宮崎治助が考案して特許をとった二乗尺P尺Q尺を使用するベクトルの絶対値を簡単に求められるなどの交流電気技術に特化した計算尺ですが、べき乗尺を備えた両面尺の嚆矢だったこともあり、戦前は電気以外にも広く機械技術部門の設計者などにも使用されたため、戦前のNo.153は戦後に発売されたNo.153よりもはるかに多い数が世の中に出回ったような印象があります。もっとも戦後には分野別に専門の両面計算尺が続々と発売されて、相対的にNo.153の需要が減ったということが大きいのでしょうが、このNo.153は青蓋プラケースの昭和40年代後半まで実に40年近く製造され続けたHEMMIにあってはもっとも寿命が長かった計算尺の一つです。この青蓋プラケース入りの未開封品No.153を秘蔵していたのですが、なぜかデートコードが見当たらず、謎のNo.153でした。これは十分に検証を進めないうちに祖父の従兄弟で宮崎一族の卯之助氏のお孫さんの基彰さんに進呈いたしましたので、今は手元にありません。基彰さんは当方よりも10歳ほど年長ですが、幸いにも受け継いでくれるお孫さんもおり、宮崎一族の治助氏が考案した計算尺として引き継いでくれるはずです。
そのため、我が家には戦前のNo.153しか残っていなかったのですが、今回中古の昭和30年代もののNo.153を入手しましたので、両者の違いを検証してみたいと思いました。基本的には尺度や尺配置などには変更が無いのですが、一番目立つ変更点はC尺D尺の4-5の目盛が戦前は1/20、戦後のものはオキュパイドジャパン時代にすでに1/50刻みに変更になっています。ちなみにHEMMIの両面計算尺のこの部分の目盛が1/50のものはNo.250、No.P253、No.254Wの一部、No.254WN、No.264、No.266、No.274などがあり、1/20刻みの主なものはNo.251、No.255及びNo.255D、No.256、No.257、No.259及びNo.259D、No.260、No.P261、No.P267などがあり、主に事務用や学生用が1/50刻み、技術用が1/20刻みである傾向があるようです。あえて戦後すぐにNo.153がこの部分を変更したのはなぜだったのか、興味があるところですが、その他には戦前物はL尺末端の数字がちゃんと「10」なのに戦後物は「1」と0を省略。C尺D尺上の微小角計算用のゲージマークが異なり、戦後物は2から5の間の0.5単位でアローが付されています。また、戦前もののGθ尺も末端の数字は6なのに対して戦後、おそらく30年代になってから4部分に付番。戦前物はA,B,尺上にMゲージマークがあるのに戦後物は省略。戦前尺CI尺の1-2の部分は1/10ごとにすべて赤の数字が刻まれているのに戦後物は1.5部分に入るのみ。戦前物は裏面Q尺折返しのQ'尺の尺種記号も数字も赤で入っているのに戦後尺は記号も数字も黒で入れられています。またLL1尺の1.02から1.05までの間は中間部分にアローが入れられるも戦前ものには無し。戦前もののπマークは足が釣り針足なのに戦後型はJ型足ですが、これは世界的な流行に従っているのでしょう。しかし、当方はクラシカルな釣り針足のπマークにデザインの妙を感じるタイプです(笑) 戦前は革ケース裏に形式シールが貼られていたので本体に形式を刻んでいませんが、戦後物になって始めて本体に形式名が刻まれるようになりました。また尺種記号は戦前モノのほうが圧倒的に大きく、このベースボディーにはトータルデザイン的にマッチしているような気がするのですが、戦後物はこの記号のポイントが両面尺で統一されてしまったのか、いささか小さすぎるきらいもあります。また、カーソルは戦前物は当然枠に段なしのカーソルバネが八の字型で、戦後は20年代が段なし、20年代後半から段付きカーソル枠になったもののバネはまだ両端が接する八の字型。昭和30年代なかばに達して段付きカーソル枠でカーソルバネがV型の頂点一点で接するタイプに変更になりました。ちなみに最初に発売されたものだけフレームレスカーソルが付いていたらしく、オークション上で見たことがあります。
戦前のものが一本だけになってしまったため、今回入手したNo.153は昭和30年代中期以降のものらしく段付きカーソル枠でV字カーソルバネ付きのものでケースは緑の大型HEMMIロゴのもの。デートコードは「LI」と昭和36年9月の仕込みのもの。入手先が新潟の糸魚川市だったのですが、ケースにかなり古い時代に補強で貼られたと思われる紙のクラフトテープが汚らしいので、それを溶剤で慎重に剥がすと、ケースの裏側に「S37年購入大所川発電所用」というマジックインキ書きが現れました。調べたところ、なんと糸魚川市の青海にあるデンカの青海工場に電力を供給するために姫川に大正12年に建設された企業用水力発電所だったのです。奇しくも電気化学工業の前身北海カーバイト工業は王子製紙苫小牧工場に電力を供給する千歳川第一発電所の余剰電力を利用して石灰石と木炭をからカルシウムカーバイトを製造する工場を当時の苫小牧町に建設したのがそもそもの創業で、そのカーバイト工場は大正末期に王子製紙の拡張で余剰電力が得られなくなったため、創業から12年ほどで自前の水力発電所を建設した糸魚川市の青海に移転したという関係があるのです。今でも苫小牧市白金町の王子紙業という再生パルプの製造工場の敷地内に「デンカ創業の地」の小さな記念碑が立っています。そのような苫小牧から移転したデンカの自社水力発電所で使用されたNo.153が創業の地苫小牧に帰ってきたのですから、その不思議な巡りあわせにに驚くばかり(笑) しかも我が家と縁のある宮崎治助氏の考案のNo.153というのも何か出来すぎという感じもします。ただ、うちの苫小牧では昔カーバイド工場があったという話は亡くなった父親世代しか知らない話で、後に王子製紙に引き継がれたカーバイド工場の社宅やカーバイド工場に勤めていてのちに王子製紙の従業員に配置転換した人の「元カーバイドにいた○○さんの息子が…」なんて話が通じる人は現在では皆無になってしまいました。

(上からユニバーサル型時代の戦前No.153表、裏、戦後「デートコード:LI」のNo.153表、裏、ケースの書き込み)

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S37年購入のはずが「購」の字が間違えて講義の「講」の字になってます。「昔は貝が貨幣の代わりにされ、貝で買うから購入なのだ」って学校で習いませんでした?しかし60年近く経過して誤字を指摘されるなんて間違えた人も立つ瀬がありません(笑)

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November 21, 2020

HEMMI No.641 一般技術用

Hemmi641_20201121141302  これもいただきもののHEMMI No.641ですが、うちのNo.641としては2本目になります。用途としては一般技術用となっていますが、明らかに計算尺検定や計算尺競技会に特化しています。片面計算尺の√10切断尺ながら表面にA,B,尺を有し、さらに裏の三角関数は逆尺ですが、表面のD尺DI尺を使用して連続計算ができるなどの操作を減らして答えをなるべく早く行うことを最大の目的にして出来上がった計算尺なのでしょう。それ以前に同じような用途でNo.651というものがありましたが、オフサイズの竹製計算尺で専用のベースボディを持つため、他に転用出来ないというウィークポイントがあり、これを止めて早々に山梨の技研系の会社に委託製造させて出来たのがこの一連のバックプレートプラスチックで固定尺ネジ接合の計算尺なのでしょう。
そのNo.251の直系計算尺がこのNo.641ですが、それ以前に検定上級用という扱いで技研や富士の山梨勢が販売してきたNo.251やNo.2125のほうが一日の長があり、これらのオールプラスチック製計算尺のほうがHEMMIのNo.641よりも製造期間も長く、市場に残っている数もはるかに多いのを見てもNo.641の発売は遅きに期したという以外に言いようがありません。
 でも実際に計算尺競技の手練の方にとってはこういう尺がごちゃごちゃ込み入った計算尺は競技大会ではかえって煩わしいのだそうです。よりシンプルなNo.2664Sが一本あれば尺度の誤認もなく、より多くの操作が必要でもこちらのほうが早いのだとか。まあ、その計算尺にいかに慣れて自分の道具になっているかどうかが問題なのでしょうけど。そのNo.641ですけど山梨系のプラ尺とくらべて唯一のアドバンテージはわざわざ竹芯構造にし、固定尺と滑尺の摺動部は竹どうしのため、滑尺の動きがスムースなことです。これがプラスチックどうしだとどうしても動き始めにやや噛りつきがあり、動きのスムースさや滑尺さばきは竹の計算尺に勝るものがありません。そういえば以前、地元出身のmyuki氏からいただいたタレコミ情報によると、昭和40年に再スタートしてムトウのドラフタースケールなどを製造していた山梨の技研産業に2000年代前半にいまだNo.641が残っていたそうです。そのほかにもいろいろなヘンミ計算尺の山梨OEMの残滓があったそうなので、この事実からもこのNo.641はヘンミの工場を離れて山梨で製造されていたことが裏付けられるようです。不思議なことに山梨OEMとは思えないようなNo.2662やNo.2664S-S、あと両面尺のNo.264などもあったということで、昭和40年代にはヘンミでの竹製片面計算尺の製造ラインは縮小されて、かなりの種類の製造が山梨に移管されていたことが伺えます。
 このNo.641の説明書は初期のものはNo.2662,No.251共用の冊子型にオレンジ色の補足ペラが一枚挟まったものが使用されていたのですが、のちに一般技術用No.641と専用になった冊子型に変わります。このNo.641に付属していた説明書のデートコードは7307TOと昭和48年7月の印刷のようで、本体のデートコードはどこを探しても打たれていませんでした。このNo.641も競技大会の商品なのですが、外箱なしで説明書だけが添えられていたそうで、なぜか本体裏のゴム足が最初から無かったそうです。これ昭和50年以降の競技大会商品だったようですが、HEMMIにしてみれば半端モノかき集めて賞品名目で在庫一掃したのでしょうか?(笑)

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November 08, 2020

HEMMI No.266 電子用の利便性は?

 HEMMIの電子工学用計算尺No.266の2本目を実に16年ぶりに2K円で入手しましたので、その後に判明したことや使い勝手などいろいろ含めておさらいしようと思います。
 No.266以前にはHEMMIにはNo.256という通信用計算尺が存在しましたが、このNo.256の原型というのが太平洋戦争直前に重電の芝浦工作所と合併して東芝になる前の弱電メーカー東京電気が発注した通信用計算尺がルーツです。確か昭和14年位にリリースされたと思いますが、それが戦後にNo.256に発展したものの、急速に広がった回路のトランジスタ回路などの要素がなく、特に回路に重要になってくるフィルターなどで使用する同調周波数を簡単に計算するという要求に答えることはできませんでした。しかし、さすがにHEMMIでは自前でこれらを設計する技術者はおらず、このNo.266は当時トランジスターラジオの小型化で世界を席巻したソニーが昭和36年に設計したものだと言われています。それは確かヘンミサークル誌かなにかで見たような情報ですが。
 このような新しい計算尺のため、発売期間中にケースが3パターン(緑、紺帯、青蓋ポリ)あるくらいで、本体には目立った変更点が無いのですが、唯一周波数の国際単位の変更があり、日本では1972年の7月1日から施行されたサイクルからヘルツへの変更で、このNo.266に刻まれた周波数の単位もMcからMHzに変更になっています。その時期に関してはデートコードがU(昭45年)より前のものには見当たらずU以降のNo.266から周波数単位が変更されたようです。厳密には2年のエージング期間があったと思われますので、昭和45年発売のものがそうだったわけではなく、昭和47年発売のものから新しい単位が刻まれて発売になったということなのでしょう。ちなみにうちのNo.266説明書(6606Y)は当然のことMc表記です。ただ、輸出用に限っては昭和47年以前から変更されていた可能性は否めません。というのもこのNo.266は新しいジャンルの計算尺ということもあり、世界的に重宝されたようで、特にベトナム戦争中の米軍用の備品としても使用されています。うちに以前からあるNo.266は厚木在住のJA1のOMさんからわざわざ譲っていただいたものですが、このNo.266が実は米軍放出品のいわゆるアメジャンとして出たもので、金属部分に備品番号がしっかり刻まれているという珍しいもの。その同じカテゴリーナンバーがワイズの複素数計算尺という大変珍しいスミスチャートを円筒にした相模原から発掘された計算尺にも刻まれていました。米軍のどの部署で使用されていたのかは不明ですが、奇しくもこの2つの出どころは同じでしょう。
 このNo.266の表面べき乗尺はD尺ではなくてA尺に対応しているのが特徴で、そのためにこのような形態になっています。また電気の計算では2πを多用するため、A,B尺C,D尺にも2πのゲージマークが多用されてますが、表面で計算する必要がないためか1/2πや4πなどは見られません。それらの絡む計算は裏面で行うようになります。このNo.266を日常の計算に使用しやすいかというとそれは否で、やはり√10切断やπ切断ずらしを備えている方が使いやすいことは確かです。裏面は各種電気系の計算に使用しますが、まずr1,r2を使用した並列抵抗、直列容量の計算ですが、こんなもの回路図見ただけで頭の中でぱっと計算できないと電気系の試験なんざ合格点もらえません。なのでまったくの不要。インピーダンスだってリアクタンスだって問題用紙の余白に計算式書けば簡単に計算できるから不要。同調周波数計算と言っても基準点から終点の10インチの間に10の何乗もの範囲があるわけで、大まかな数字しか出ないうえには実際に計算するしかないため、これも不要。波動インピーダンス、時定数、限界周波数などといっても公式に数字を当てはめれば計算は難しくないからこれも不要。ってまあ専用計算尺なんて毎日同じ業務をこなさない限りは片面計算尺のNo.2664Sが一本あれば済む話ですから、このNo.266なんかはかえって煩わしいです。
さらに単位の範囲が10の何乗にも及ぶため、かなり誤差のある概数しか読み取ることが出来ず、ちゃんとした答えを要求される試験などにも使いにくいです。
 ただ、ある程度は電気の初歩の初歩くらい齧り、原理原則がわかっていて計算式が頭の中に入っていなければいけませんけど。
 まあ、常に同調周波数などを計算する回路上のフイルターなんかを設計する人だけには有用かもしれませんが、おそらくトランジスタラジオメーカーのソニーの回路設計の利便性のために設計したものですからこういう回路設計に縁のない人は無用の長物。計算式に数字を当てはめていくのであれば、1/2π,2π,4πなどのゲージマークを備え、π切断ずらしのHEMMI No.254W-Sとか√10切断ですがRICOH OD-151の高校電子科向きのもののほうがかえって使いやすいと思いますが…。でも人はなぜかNo.266をけっこうな金額払って欲しがります(笑)
 ちなみにこのNo.266はヘンミに在庫として2002年頃まで残っていて、この頃は他の両面計算尺同様にケースが枯渇してしまったため、黒のビニールサックケースに入り、説明書はコピーを製本したものだったそうです。ちなみに今回入手のNo.266はデートコード「SG」で昭和43年7月の紺帯箱時代のものです。

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November 07, 2020

HEMMI No.70 20"リッツタイプ精密技術用の戦前戦後

Hemmi70_20201121143101  HEMMI No.70は20‌インチの計算尺としてHEMMIでは一番数が多く作られた計算尺だと思われます。というのも戦前から戦時中にかけて軍用兵器や軍需品などの設計に多用されたということもあり、戦後のものよりも戦前のものが数多く残っているようです。当方もかなり以前に山口の徳山から戦前のNo.70と80/3をセットで入手しましたが、この二本は同じ持ち主のもので、おそらくは徳山に存在した海軍燃料廠関係の技術者の持ち物だったのではないかと思っています。
 このように戦時中は普段使いでNo.80を、精密計算用にNo.70をというような組み合わせで使う技術者が意外に多かったようで、その組み合わせが時にはNo.153であったりNo.64であったりもしたのでしょうが、No.70は外せなかったようです。
No.70の戦前モデルのパターンの違いに関しては前回に書きつくしており、改めてその時の記述を読み直してそうだったのかと思い出すことも多いのですが、基本的に戦前モデルはスケール部分を除いた上固定尺から下固定尺までの幅が34mmのナロータイプ。戦後モデルは40mmのワイドタイプ。戦前モデルの目盛は馬の歯型。戦後モデルの目盛は物差し型という見かけの違いがあります。見た目やカーソルの美しさからNo.70は戦前モデルという人も多いですが、当方もリッツタイプなら物差し型目盛よりも馬の歯型目盛のほうが。さらにセルの剥がれどめのスタッドピン付きがより好みですが(笑)
 戦後ワイドボディにモデルチェンジしたNo.70も20インチ計算尺の中では多用されたようですが、それというのも両面タイプの20インチ計算尺よりもかなり割安で、ある計算の精度を出すための計算のみに使用し、普段は10インチの計算尺を使用するというような組み合わせでよく使われたのでしょう。
 このHEMMI No.70はワイドボディの戦後型で、さらに昭和40年代の片面計算尺同様に緑帯箱入りで、ビニール未開封の未使用品ですが、デートコードは探しても見当たりませんでした。面白いことに昭和34年の片面計算尺にのみ存在した裏板が黄色いまるでアルミのヤカンみたいな黄色いアルマイト加工されたものが使用されていて、少々驚いてしまいましたが、ベースボディの仕込みはこの時期のものだったのでしょうか?
 比較のために戦前のNo.70の画像も掲載しておきますがリッツタイプの20インチ尺はこの馬の歯型目盛のほうがやはり美しい(笑)個人的な好みですけど。

 これ、外箱は無かったものの冊子型で精密用(技術)No.70,74のタイトルの説明書が付属しており、説明書のデートコードは7401Yと昭和49年1月印刷のものだということはおそらく説明書としては最末期のものです。もっともNo.70よりもポケット型のNo.74のために増刷したのでしょうが。

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November 06, 2020

HEMMI No.201 20"両面超精密用

Dvc00788  いただきものの未開封新品HEMMI No.201です。このNo.201は超精密計算尺の部類に入る20インチ計算尺ですが、発売されたのが昭和40年代も中頃にさしかかる時期になってからということもあり、製造された数も期間も非常に短かったらしくかなり貴重な計算尺です。さらにそれがまったくの未開封新品となりますとおいそれと開封するわけにもいきません。日中戦争から太平洋戦争にかけて兵器や軍需品の設計が盛んになるにつれて10インチ計算尺よりもさらに精密な計算尺の必要性が高まり、HEMMIから発売されたのが超精密計算尺のNo.200でした。このNo.200はC,D,尺のみ16インチの長さの目盛りを6分割して両面に配置したものでその基線長は96‌インチとわずかに4インチの差で100インチに足りません。なぜ100インチにしなかったというのが不思議な感じですが、20インチ尺を5本並べる計算尺の本体を作れないというような特別な事情でもあったのでしょうか?

Hemmi201 それに比べてこのNo.201は目盛1本の長さは20インチながら基線長が80インチと16インチも短くなり4分割に減ったかわりにC,D,尺に加えてL,A,K尺が加わり、利便性が高まったものです。単純に96インチの基線長が100インチになったのかと思っていたのですが、実際にはやや精度が落ちた代わりL尺A尺K尺が加わったりしたリニューアルではなくまったくの別物計算尺ということがわかりました。というのもNo.200は20インチの両面計算尺No.275DやNo.279Dなどと比較すると、ベースボディがやや短いワンオフの専用サイズで、それだけ別に追加生産するのが大変だったのか、コストダウンのため20インチ計算尺のボディを統一するために出来上がったものがこのNo.201なのでしょう。しかし、発売された時代が悪く、ちょうど電卓などが台頭してきた時期に重なったため、もしかしたら唯一ワンロットくらいしか製造されなくて、それがずっと流通在庫として残っていたかもしれません。まだ探せばどこかの廃業寸前の地方文房具店の奥に在庫として残っているところもあるのでしょうか?一時期ほどではないにしろ未開封新品でオークションに出品されたらさぞかし高額の落札金額になるでしょう。ちなみにこのHEMMI No.201は中古品でも概ね10万円前後。2年前に発掘された未開封新品は25万5千円以上で落札されています。発売当時の定価は何と14,000円もしました。
 このNo.201は計算尺競技会の北海道地方大会優勝賞品として獲得したものだそうです。優勝した事実のほうが嬉しくてまったくこの商品には興味がなく、50年近くそのままになっていたというもの。そんなものを当方が開封するわけにもいかなく、そのまま資料として保管せざるを得ませんでした。
 これを見せられたときには思わず「おお、何とNo.201ですか」と声が出てしまったことを正直に告白します(笑)
 デートコードは「PJ」で昭和40年10月製造のベースボディを使用したものです。説明書のデートコードは6801Yでした。ちなみにうちにある同じベースボディのHEMMI No.275Dのデートコードは「QE」で昭和41年5月。20インチの両面で紺帯箱ケースのものはだいたいこの時期に集中して仕込みをされたものなのでしょうか。

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November 05, 2020

HEMMI No.136 6"ダルムスタット機械技術携帯用

 HEMMIのダルムスタットタイプの10"計算尺であるNo.130の6"版No.136です。需要と供給の関係からかHEMMIの6"計算尺というのはかなり希少な存在で、No.66にしてもNo.86Kにしても市場に出回った数は少なく、オークションでもなかなか見かけない存在ですが、このNo.136はさらに輪をかけて見つからない6"計算尺です。十数年前、奇跡的に未使用で10本くらい立て続けに出品されたのが本当に最後だったかもしれません。というのもダルムスタットタイプの計算尺自体、リッツ同様に1910年代から1940年代くらいまでに欧州で技術用として普及した片面計算尺で、その後両面尺のLogLog尺が普及してくると、それをわざわざ使う理由がないため、急速に廃れていたタイプの計算尺だからです。ましてHEMMIでは昭和15年頃にダルムスタットタイプのNo.130の発売を予告していたものの、太平洋戦争勃発で発売を見送り、戦後になってから発売されたもので、すでに商機を失っていたような存在でした。そのかわりといいますか、戦時中に多用されたのは電気用No.80で、べき乗尺があることからNo.64のリッツや電力用両面尺のNo.153とともに軍事開発用として多用されたためか、戦前尺がよく出てきます。
 そのNo.130は戦後発売の計算尺にも関わらず戦前に出来上がった目盛の型を使用していたためか、戦後新たに発売になった片面計算尺中、たぶん唯一目盛が馬の歯型目盛というまるで1920年代までの計算尺のようなデザインの計算尺ですが、このNo.136は戦後に新たに型を起こしたようで、物差し型目盛で発売されています。No.130同様に下固定尺側面にS尺T尺を配置し、カーソルはこのためのインジケータとカーソルグラスには副カーソル線が付く専用品です。このカーソルは予備品が手に入る可能性が奇跡に近いレベルなので、もしカーソルなしの本体が手に入ったとしても、新しいカーソルと合体するのは「永遠のゼロ」かもしれません。
 尺配置はNo.130同様でL,K,A,[B,CI,C,]D,Cos,で側面にSin,Tg,、滑尺裏面がLL1,LL2,LL3,の全13尺。尺種の記号が刻まれないのはこちらも戦前尺の割り切りを踏襲しているのでしょう。延長尺の基点がNo.86Kのように差があるものが存在したかどうかは情報はありませんが、おそらくは発売当初から変化が無かったのではないかと思います。この個体のデードコードは「TB」ですから昭和44年の2月。あまり要求がない6インチのボディをこの期に及んで仕込むというのも不思議な感じですが、何か特注の専用計算尺などに使用するため、6インチベースボディはちゃんと用意しておく必要があったのでしょうか?説明書はNo.130と兼用のデートコード67-06Yの短冊形と古いものの使い回しのようです。No.130は昭和40年代前半にNo.130Wにマイナーチェンジし、側面のSin,Tgを表面にもってきて側面尺を廃止し、たた幅広の計算尺になりましたが、さすがに6"のNo.136はそこまでの需要もなく、在庫が尽きるまでそのまま売られたようです。
 このNo.136は昭和40年代末期にヘンミ主催の計算尺競技会の地区大会入賞の商品だったそうで。HEMMIにしてみればあまり需要のない在庫のものを厄介払いしたような感じだったのではと思っています。そのため未開封の新品で、外箱のラベルにはNo.136機械技術携帯用\2500のラベルがありました。

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October 30, 2020

HEMMI No.254W-S 10"両面型 別製高校電子科向き

 先日入手したRICOHのOD-No.151Dとまったく同じ工業高校電子科用の別製として作られたHEMMI No.254W-Sの再考査です。
このNo.245W-SのデートコードはPIで昭和40年9月製。出荷まで2年の差があるのが普通なので、おそらくは目盛を刻んで出荷されたのが昭和43年の新学期というところの高校生用計算尺なのでしょう。このHEMMI No.254Wは内田洋行の計算尺課の要望がいろいろと取り入れられており、高校生のかばんの中で教科書と教科書の間に挟まれても押しつぶされて壊れにくい横方向が補強された特製ケースや、授業前に固定尺滑尺の基点校正が可能なようなプレートドライバーが標準で付属するなど、現場の声を汲み取らなければ採用されないような細かい気配りがあり、さらに各固定尺・滑尺の目盛の型をセパレートにすることで、現場の教師の好みやこだわりで「別製」の注文が内田洋行を通じて可能だったことです。この「別製」は一般に市販されず、各高校指定業者を通じて教科書などと一緒に販売されたのみだったらしく、その総数は少ないものの数々のバリエーションが発掘されてきました。
 ちなみに教科書と教材の指定業者というのは一般に地元の書店なのですが、うちの街では工業高校だけさる薬局の扱いで、というのもその書店の娘が薬局に嫁入りした関係で書店だけの人員では短期間に裁けない各学校の教科書教材のうち工業高校の分だけ親戚になった薬局で扱うことになったらしいのです。実はその嫁入りした書店の娘というのが同級生の祖母にあたり、同級生と同期の一人がシーズンになるとその薬局の工業高校生教科書販売アルバイトとして店頭に立っていたらしく、当初は計算尺も必須教材として販売していたのに途中の年度から関数電卓になったという切り替えの時期にあたっていたらしいです。
 そのHEMMI No.254W-Sの現在まで見つかっているバリアントは大抵は表側が√10切断かπ切断かのチョイスは出来たものの皆同じですが、裏側のパターンがいくつかあり、P尺Q尺のあるNo.153ミックスのものやスタジア、さらにはT尺2分割のものや単に表面がπ切断のものまで便宜上別製扱いでーSが付されたようですが、このバリエーションだけは表面の滑尺にST尺をもってきたり裏面にK尺A尺の逆尺があったり、LdB複合尺やP尺まで備えるというまさに別製にふさわしいもの。備える尺数も26尺とかなり詰め込まれか感のある計算尺です。その別製が盛んだったのは昭和40年代でも昭和43年から46年あたりまでのようで、団塊世代の高校進学が一段落し、計算尺の生産にも余裕が出てきた時期にあたるのではないかと。その後No.254WNの時代になると-S付きは格段にその種類が少なくなりますが、これからNo.254WN-Sの新しいバリアントが発掘される可能性はどうなのでしょうか?
 おさらいにこのNo.254W-Sの尺配置は表面がLL/1,LL/2,LL/3,DF,[CF,CIF,ST,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1の13尺、裏面がKI,K,AI,A,[b,S,T,CI,C,]D,LdB,P,DIの13尺の合計26尺でこれ以上このベースボディに新たな尺を配置する余裕はまったくありません。
 ところでNo.254Wで話題になるのは通常型と同長型の違いについてですが、これは年代的に同長型が古くて通常型が新しいということはまったくありません。というのも昭和38年10月に仕込みされた通常型No.254Wが出てきているからです。おそらくは仕込んであった同長型ベースボディNo.254W以上に注文を集めてしまったため、通常型で仕込んであったベースボディを急遽流用せざるを得なかったということなのでしょう。天然の竹を使用している関係でエージングなどにも時間がかかり、すぐには増産できないというお家事情があったことが伺われます。

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October 29, 2020

旧ソ連のLSLO 5167-72 10"ダルムスタッド片面型計算尺

 旧ソビエト社会主義連邦共和国時代の計算尺で、LSLOというウクライナのキエフで作られた5167-72という形式の計算尺です。250-14Pというカテゴリーナンバーが付いていて、これは基線長250mmの計14尺を持つプラスチック製計算尺という意味らしいです。
 多分ドイツFaber-Castellの57/89あたりを参考に作られたダルムスタッドの計算尺で、同じものが1972年から80年台中頃まで作られたようです。これは4年位前にミリタリーカテゴリーに弾道計算尺として出たような気がしましたが、特定の砲の弾道計算尺にはカーソルが無いものもあるものの、こいつは明らかにカーソルが欠品です。しかし、旧ソ連時代の計算尺が国内で出てくる機会というのは稀で、とりあえずは捕獲しておきました。
 幅がちょうど5cmで長さが30cmという、いかにも共産圏らしい割り切りの寸法で、これがHEMMIのNo.645Tになると幅は約5.3cm長さは29.4cmというインチ由来の寸法なのかメトリックでは「なぜ?」という寸法になります。材質は技研計算尺などと同様に塩化ビニールが使用されているのでしょう。
尺配置は上からK,A,[B,BI,CI,C,]D,S,ST,T3,L,の11尺、滑尺裏がLL1,LL2,LL3,の3尺の合計14尺です。プラ尺なのにも関わらず、当時流行の尺種によって色を着けるということはなく、わずかに逆尺 BI,CI,尺だけ数字も目盛もまっ赤赤。ちなみにロシア語で猿のことを「マカーカ」というらしく日露戦争のときなど日本兵を侮蔑する意味でロシア兵は「マカーカ」を連発していたようですが、猿のおケツはまっ赤赤っていうのは偶然にしては面白いかもしれません。
 1980年というと世界ではすでに計算尺を生産しているのは共産圏に限られ、日本の教育用計算尺も終了しようという時期にソ連はまだ計算尺を製造し、それで設計した宇宙ステーションのミールなんかも飛ばしてしまうのですから、ある意味コンピューターがなくとも時間さえ厭わなければ計算尺と手動計算機でちゃんと欧米列強と同じことができるという証明みたいなものでしょうか。いちおうカーソルがないと間が抜けて見えるので、HEMMI No,642Tからカーソルをトレードして画像にしました。ただ、642Tのほうがほんの僅か幅広なのでゆるゆるです。オリジナルカーソルも副カーソル線付きだったようです。
 ケースは緑色のポリエチレンケースですが、ケースの蓋を抜いたところに値段が4ルーブル20コペイカと陽刻で入っており、共産主義国家だけあって統制価格で売られていたことがわかりますが、物のない社会主義国家でほんとうにこの価格で買えたのかどうかということは甚だ疑問です。そもそも外貨獲得のための外国人専用の店にはいろいろと物が存在したのでしょうが、ロシア人用の店先に品物が豊富に並ぶなどなかったでしょうし、物があっても裏で倍の価格にウォッカ1本とタバコ2箱くらい袖の下として付けないと売ってもらえなかったかも知れませんし、さらにそれを転売して儲けが出るというような共産主義国家特有の「金はあるけど物がなくて買えない」現実があったかもしれません。

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スティーブンス ラリーインジケーター(ラリー用計算尺)

 元祖ラリー用計算尺、スティーブンスのラリーインジケータNo.25、通称「円盤」です。これは初期の国内ラリーシーンにおいてもわざわざ輸入され、当時価格で7500円ほどしたらしいのですが、さすがに自家用車を乗り回し、ラリーに現を抜かしているのはいいところのボンボンくらいしかいなかったでしょうから、これくらいの金額は屁でもなかったでしょう。というのも当時は一般庶民出身は2輪レース。いいところのお金持ちは4輪レースと相場が決まっていたようで。ヘルメットとウエアはレスレストン。ナルディーのステアリングに換装したロータスエランなんてどうひっくり返っても手が出るものではありません。
このスティーブンスのラリー計算尺はマイル(mph)主体ということもあって、km/hに換算しなければいけないのですが、さすがにそれはラリー計算尺だけあって針の角度変更で読み替えは可能です。わざわざkm/hの国配慮のラリー計算尺は作ったことはないようですが裏にmphとkm/hの換算表などが印刷されています。このスティーブンスラリー計算尺は6インチの携帯用と9インチのこのタイプのものの2種類が作られていたようですが、視認性が求められるラリー用の円盤はこの大きなタイプが殆どだったようで、日本には携帯型は輸入されていなかったかも知れません。
しかし、ラリーというと泥だらけの山岳の悪路をときにはドリフトしながら正確な時間で疾走するようなイメージがあるのですが、このスティーブンスの円盤が出た1950年代から1970年代のアメリカというと、フルサイズのV8エンジンの車がどこまでも続く舗装道路を長距離に渡って走るイメージで、とても泥だらけの悪路を走るラリーのイメージはありません。そもそもサスペンションふわふわで最低地上高も低いアメ車で悪路を走ったら轍にハマってお腹の支えた亀みたいに動くことができなくなるのではないかと思うのですが。まあ、アメリカでどのようなラリーがおこなわれていたかの情報はありませんが、おそらくは映画キャノンボールのようなものすごい長距離をチェックポイントごとに正確なタイムで走り抜けるような形態で、もしかしたら大陸横断ラリーみたいなものもあったのかもしれません。そうなったらやはりフルサイズまではいかなくともV8エンジンのタフな車が活躍するようなラリーだったのかも。
 それでこのスティーブンスのラリーインジケーターはアメリカの計算尺コレクターにとっては一個は所持しているというマストアイテムです。それだけ数も出回っているのでしょうから今では想像できないくらいラリーというモータースポーツは盛んだったのでしょうね。
 国産のスティーブンスコピーのラリー計算尺とくらべると円盤に刻まれた目盛にはまったく差がないのですが、mphとkm/hのレシオは87:140だそうで、そのため計算尺上部が常用速度で主に使用するためなのかスティーブンスの起点は5時方向、国産コピーの起点は2時30分方向で、スティーブンスの場合は頂点が40mhpとして使えるように、国産コピーは頂点が60km/hで使用できるような配慮があるようです。

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October 27, 2020

RICOH OD-No.151D 別製10"両面型高校電子科向け

 Relay/RICOHで延長尺を保ち、10インチの両面計算尺ながら長さ35cmというオフサイズのものは日本国内ではNo.151の技術用とNo.159の電気用の2種類があったようですが、No.159のバリアントは無かったものの、No.151は高校教育用の現場から特注扱いのものがあった事実はあまり広くは知られていないようです。この形式名の前にODが付くのがcyno-yさん説ではオーダー品を表す略号ではないかということですが、たぶんそうでしょう。このRICOH OD-No.151Dはnorihito4さんが所持しているというお話を聞いたのはすでに14年も昔のことでしたが、現物を見るのは始めてでした。おそらくは工業高校電子科のこだわりのある先生の特注品という形で製造され、一般に市販はされてなかったものだと思われます。
 通常のRICOH No.151に関してはうちに小型カーソル付青蓋ポリエチレンケースのものがあります。デートコードがUS-7Lと刻まれており、昭和47年7月の佐賀製。たぶんこの月にこのオフサイズの両面計算尺のボディが最後に仕込みに入ったということでしょうか。No.1051SやNo.1053がこの時期にはグリーンCIF化していますがNo.151は小型カーソル化してもグリーンCIFのものは見当たらず仕込んだボディが尽きたところで通常のNo.1053サイズのNo.2501にモデルチェンジしたのでしょう。しかし、高校生用の別製品No.254W-Sのバリアントは国内コレクター諸氏の鵜の目鷹の目捜索でかなりの種類が見つかりましたが、これは各支店に計算尺課まで設け、各高校に直接営業を掛けていた内田洋行の力が大きいかったようです。各高校にコネクションが弱かったRICOHの計算尺に特注品が少ないのはそのあたりのファクターが大きかったような気がします。
このRICOH OD-No.151Dが通常のNo.151と比べて見かけで激しく異なるのはまるでNo.1053のように尺目盛りの右側に計算式が付いたこと。そのため、あの特別に長いNo.151の右側にさえメーカー名形式名を入れられなくなり、No.1053同様に滑尺右横に縦にメーカー名形式名が入れられたことです。さらに逆尺はすべて数字も目盛も赤で刻まれており、以前大阪から入手した工業高校電子科特注品らしいNo.254W-Sに見かけがそっくりです。
 表面からLL1-,LL2-,LL3-,DF,[CF,CIF,ST,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1,の13尺、裏面がKI,K,AI,A,[B,S,T,CI,C,]D,LdB,P,DI,の13尺の合計26尺。あまり尺を詰め込みすぎてST尺が前面に押し出されたのは手持ちのHEMMI No.254W-Sと同じ。また表面C,D尺には4π,1/2π,2πなどのゲージがフル装備になっていることからもわかる通り、これは電子系教科の特注品だということがわかります。さらに三角関数は10進のデシマルで、そのために末尾にDが付くのは角度の絡む電気の計算問題は10進で出てくることが多かったかどうかはもう記憶にありませんが。一応高校教育用だけあってずらし尺は√10切断ですがこのDF,CF尺双方とも延長尺があるので、ちゃんと目盛を読まないとπ切断なのか√10切断なのか判断しにくいところがあります。それに比べると手持ちのHEMMI No.254W-Sはπ切断で三角関数も60進でした。このRICOH OD-No.151Dのデートコードは「TS-10」ですから昭和46年の10月佐賀製。この頃までは小型カーソル化していないことがわかります。残念ながらケースとカーソルネジ1本欠品でした。固定尺・滑尺横切断面に「カシオ」とボールペン書きされているのですが、まさか計算機のカシオの備品ってことは無いと思いますけど、計算尺使って関数電卓の設計をし、結果的に計算尺の息の根を止めたのだとしたら話は面白いのですが…(笑)

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October 26, 2020

HEMMI No.642T 10"システムリッツ技術用

Hemmi642t_20201121143001  最近立て続けに出品が在ったため、思わず入札しそうになってしまいましたが、実は3年前にいただいていたことをすっかり忘れてしまったHEMMIのNo.642Tです。このNo.642Tは640Sシリーズの新しいタイプの計算尺の一つですが、その構造は山梨の技研計算尺を祖とする構造が踏襲されており、おそらくは山梨県内でOEM生産されたものではないかと思います。しかし固定尺と滑尺の芯に竹を使用していて、張ってあるものは技研系の塩化ビニール系プラスチックのように見えるのですが一応はセルロイドでしょうか?。内容的にはシステムリッツの計算尺ですので、No.64Tの進化系という形になるのでしょう。リッツ系とダルムスタッド系の計算尺は戦前が全盛期ですから、ここに及んで新しいリッツの計算尺がどれくらいの需要が在ったのかはわかりませんが、新たに滑尺にBI尺が加わったことでAB尺を使用して計算する際の利便性が増したようです。まあ世界中の計算尺の中でリッツタイプの最後を飾った新製品というとこは間違いないところでしょう。しかし1970年代に入ってからまったく新しいリッツの計算尺をリリースする意味があったのかということが非常に不思議な気がします。リッツの計算尺が世界の学術系・技術系で大量に使用されたのは1920年代から1940年代くらいで、そのリッツの計算尺で計算・設計されたものの恩恵は計り知れないものがあるのですが、どうも√10切断の片面尺No.2664の出現と専用両面計算尺が台頭してからのリッツ片面尺の需要は往年の勢いを失い、日本でも戦後のNo.64よりも戦前のNo.64のほうが圧倒的に数が多い傾向があります。それでも戦後になってもこのリッツ尺を偏愛する技術者や教育者の方はいたらしく、うちの第1号No.64でわざわざダルムスタッドNo.130のカーソルがついたものは、某PCコンクリートの鋼線設計技師のTさん。そしてもう一本は旧北海道自動車短期大学の計算尺教育で有名な先生の教え子が学校用に買わされたものです。その戦後のNo.64から64Tそして642Tとなるわけですが、果たして64Tと642Tはモデルチェンジに見合う数が売れたのでしょうか?そういえば、No.64TにしてもこのNo.642Tにしても使用されたものではなく、デッドストックで発見されるケースのほうが多いような感じがします。  

表面からK,A,[B,BI,CI,C,]D,DI,L,の9尺、滑尺裏がT2,T1,ST,S,の4尺の合計13尺です。カーソルは他のリッツ尺同様に副カーソル線付き。ケースは角青蓋のポリエチレンケースです。
 このNo.640S系の計算尺のセルロイドは接着がペロンと剥がれやすく、これも固定尺右上が浮き上がっています。薄い両面テープか何かで接着し直さなくてはいけない個体が意外に多いようです。また裏側のネジ隠しの蓋がすべて欠落していました。説明書は一般機械技術用No.642Tと書かれた冊子型の単独説明書で、デートコードは7311Yと昭和48年11月の印刷。本体のデートコードはあるべきところに見当たりませんでした。

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October 25, 2020

計算尺が登場したCM (パチンコ大王グループ2004年)

 このパチンコ店グループのCMはけっこう夕方近辺のローカル情報番組やドラマ再放送の時間帯に頻繁に流れていました。

そのため、当時の番組を録画したようなVHSのビデオテープを探せば出てくる気がしたのですが、膨大なテープを片っ端から探すのも面倒でそのままになり、さらに地デジで録画して重複したものなどはかたっぱしからテープを分解して分別し、ゴミに出してしまったためもう探す機会も失ったのですがさすがはようつべ。昔は上がってなかったのに半年前にアップされたようです。

https://www.youtube.com/watch?v=-6MsJuIMuyg

然して、この元になった動画は著作権の切れた(当時は50年超)なにかの映画からでしょうか?

  さあ、使われている計算尺は何でしょう?(笑)

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October 23, 2020

HEMMI No.274-S 高校生用(別製)10"両面型

Dvc00740  HEMMIのNo.274は高校生用の計算尺で、それはNo.264のリプレース版です。というのも計算尺の需要も昭和40年も後半になると学校教育用以外は電卓が幅を利かせるようになり、事業・研究用としての用途が減少してきた結果、新規の計算尺は山梨へのOEMでプラ尺製造委託を拡大させ、No.264などのナローな両面尺は新規の材料仕込み・エージングをやめ、No.259のようなワイドな両面計算尺に集約した結果として生まれたのがNo.274だと推測しています。それがだいたい昭和48年くらいの時期だと思うのですが、一部No.264とNo.274が混在していた期間があったようです。そのNo.274ですがデートコードからすると昭和48年以前のものは見当たらないようで、おそらくは青角蓋ポリエチレンケースのものしか見かけませんがNo.264は紺帯貼箱も青角蓋ポリエチレンケースも存在します。
 このNo.274は高校特納品なのか一般市販もさせたものなのかはわかりませんが、用途からして輸出はまったくされなかった計算尺です。時期も時期ですし、No.254WNという高校生用計算尺も存在したため、存在感も薄く、数も少ない計算尺ですが、RICOHの高校生用No.1051Sあたりと内容はほぼ同じですので、高校生用としてある程度の需要はあったのでしょう。そのNo.274ですがさすがに高校用だけあってNo.254Wほどではないにしてもちゃんと使用側の要望で「別製」というオーダー品が存在しNo.274-Sのスペシャルを表す「-S」があるということは、わずか2年ほど前にその存在が知られたばかりのことなのですが、実はうちには3年前にこのNo.274-Sが転がり込んできています。しかもPaul Ross氏のカタログに掲載されたものは通常のNo.274にdB尺が追加になったものですが、こちらはさらに交流のベクトル、力率などを計算するのに必要な角度換算尺(度とラジアン)が追加になっているNo.274-Sです。おそらくは工業高校の少々こだわりのある電気科あたりの先生からの特注品でしょうか?
 表面は上からL,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1,の10尺で裏面がdB,K,A,[B,TI2,TI1,SI,C,]D,DI,x,θ,の12尺の合計22尺です。√10切断ずらし尺の両面計算尺です
 これ、まったくの未使用未開封品でとてもではありませんが袋を開封してスキャナーに掛ける気がしません。そのため、袋のまま画像にしましたがご勘弁あれ。デートコードはXFで昭和48年6月ですが、説明書は7502Yと2年の開きがあります。デートコードは製品完成というよりも目盛を刻まない状態でエージングに入ったのかいつかという確認用になっているようで、通常説明書の2年の開きがあるのが普通ですから実際に目盛を刻んで説明書が付き、完成品となって出荷されたのは昭和50年の新学期ということになるのでしょう。

 実はこのNo.274-Sのバリアントの中にはデートコードZ刻印で、おそらくは昭和52年以降に工業高校に納品されたものなのでしょうが、なんとCIF尺がグリーンに化けただけでNo.274-Sのスペシャルコードが付いた、まるでP-253SPECIALのようなバリアントが昨年発掘されました。まだまだ各種のバリアントが発掘される可能性が残っているNo.274W-S、侮りがたい注目株です。

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October 22, 2020

HEMMI/OVAL 流量計算尺?

 株式会社オーバル(旧社名オーバル機器工業)は昭和24年創業。そもそもは楕円歯車を製造するために設立された当時のベンチャー企業で、社名とマークはそれに由来していますが、現在は本社を新宿に構える東証一部上場の流量計測器のトップメーカーです。
 イメージ的には水道やガスのメーターなのですが、その違いは容量ではなく流量計測に特化していてあらゆる粘度や密度や温度の液体や気体の正確な流量を計測するため、製造機器やプラントには欠かせないもので、現在はそのデーターを一括で管理する制御機器とそれを表示するモニターなどとともに重要度と応用範囲はあらゆる産業において年々増している状態です。
 その旧社名オーバル機器工業時代にHEMMIに特注された流量計算尺と思われる計算尺です。ベースとしてはNo.34RKなのですが、新たな尺種のマークとK尺にかわり下固定尺には圧力を表すであろうP(kg/cm2)が刻まれているというもの。滑尺裏はブランクです。流体力学は全くの門外漢なのですが、断面積あたりの圧力を計算する用途のごくごく単純なものでしょうか?
 デートコードはKCで昭和35年の3月ですからかなり古い専用計算尺です。また豚革サックケースに旧オーバル機器工業の楕円歯車をあしらったマークが型押しされていました。

入手先は静岡の函南町。隣接の三島市や沼津市周辺は織機由来の精密工業が盛んな地域だけあってけっこう古くて珍しい計算尺が発掘される土地です。以前、OHTA STAR計算尺という大珍品を発掘したのも実は函南町でした。

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October 21, 2020

無銘のJ.HEMMI No.6の謎

 逸見治郎が当時の豊多摩郡渋谷町猿楽町に工作所を移した直後のおそらくは大正2~3年の製品と思しきJ.HEMMIのNo.6です。しかも非常に興味深いことにまったくの無印良品ノーブランド。こういう100年ものの計算尺というのは付喪神となって意思を持って共鳴し合うらしく、先日玉屋商店OEMのNo.6系統のNo.9が来たばっかりですが、No.9に呼ばれて世に姿を表し、我が家にやって来ることになったのでしょうか?(笑)
 内容的には前回のNo.9とまったく同じで(但しNo.9の目盛は10インチ計算尺と同じ刻み方の精密計算尺)、滑尺に逆文字で特許の文字、滑尺を抜いた溝にPATENT.No.22129が入れられているのみ。No.9の上固定尺に刻まれたスケールはインチで、今回のNo.6はセンチという違いがあります。しかもよくよく観察すると上下の固定尺左右に刻まれている読み換えの指標がありません。なのにも関わらずπマークはA,B尺とC,D尺の両方にすでに刻まれています。裏側の換算表がないのは経年で失われることが多いものの、計算尺の程度からすると不自然で、最初からなかった可能性もあります。もしかしたら職人逸見治郎が目盛りの仕上がりが気に入らなくて名前を入れないまま廃棄した半完成品を、悪い使用人がいてそれを外部に持ち出し換金したことだってあるかもしれません。ブランド名がないのでその後の足がつかず、好都合だなんて廃棄品転売を繰り返していたら…ってどこかのHDDデータ消去会社じゃありませんけど。そんなことを想像するくらい、この無印J.HEMMI No.6は別な興味を掻き立てるものです。また、この時代はまだまだ舶来嗜好が高かったでしょうから国産でこういう完コピー商品作ってもなかなか売り先に恵まれず、職人に給料を払えなくて現金の代わりに現物支給したものなどと戦後の路上の万年筆売みたいな話を想像するのもなかなか楽しいことです。
 まあ、それだけ特許が降りた直後の逸見治郎の計算尺製作場は渋谷の猿楽町に工作所を移しただけでもかなりの資金が必要だったでしょうし、計算尺の需要がまだまだ限られた当時の社会状況で、なかなか計算尺製造販売のための回転資金を得るのは容易ではなく、相手先OEMブランドというのが必須だったとともに、このような無印のものが出回ったという事実に興味がつきません。カーソルにヒビがありますが、この時期のJ.HEMMI計算尺のカーソルガラスは単なる青板ガラスを切り抜いたものだったのか、特別に弱いような感じです。入手先は群馬県からでした。ところで滑尺右に刻まれている文字は「ヤミ」?ヤミの深さは超一級ですけど…

追記:これを譲っていただいた方からのご指摘で、この刻まれている文字はその方の名字の頭の「さ」ではないかとのこと。たぶんお祖父様の持ち物だったらしいとのことで、そうするとずっとその家に受け継がれてきたものですから疎かには出来ません。また、無銘で思い出しましたが、atom氏がロンドンのコレクターから譲り受けたNo.1がこれと同じく無銘で特許の逆文字入のものでした。海外に無銘のJ.HEMMI初期の計算尺が渡っているということは、もしかしたらJ.HEMMI”SUN"を刻み、海外で取得したパテントなどを刻む以前には輸出先でどうブランドを刻んでもいいように「無銘」で輸出していた可能性があります。 それを裏付けるように滑尺溝に刻まれているのはインチですし、滑尺を引いて全体の長さを図るスケールとして使用するのも主にインチを単位として使用している国への輸出が主目的と考えられますし。しかし、なぜ国内に出回ったのか、売り主様のお祖父様がどういう経緯で入手したのかという疑問と興味は残ります。

追記#2:古い玉屋の商品目録から拾った画像ですが、大正初期、おそらく大正十年あたりまでは5"の計算尺はこのように普通にノーブランドで出回っていたらしいのです。それが玉屋扱いだけなのか、他もそうであったのかはわかりませんが、やはり輸出が絡んでいただけにあえて日本のメーカー名を刻まず、国籍不明のノーブランドとして玉屋扱いで輸出に出されるのと同じものも国内に出回ったと考えたほうがよさそうです。このころまではJ.HEMMIなどという名称はまだ何の付加価値も生み出せなかったということでしょうか。

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October 20, 2020

コンサイス ラリーメイトDX

 コンサイスも以前はラリー用の計算尺、通称円盤を作っていたことが知られています。時代はまだまだ公道ラリーなんかが盛んだった昭和40年代初期から50年代初期ごろにかけてだと思いますが、コンサイスのラリー用計算尺は新旧の3種類あり、最初がラリーメイト、その次がラリーメイトll、その最終進化型がラリーメイトDXだそうで、初代ラリーメイトはアメリカの元祖ラリー用計算尺スティーブンスをコンサイス流にアレンジして独自のインジゲーターを装着し、使いやすくしたもの。ラリーメイトllはラリーメイトのインジケーターを金属から透明なアクリルにし、視認性を高めさらに内周円が回転する円形計算尺になったもの。ラリーメイトDXはメーター指示速度と実速度の補正が10%までしか対応できなかったものを25%にして、内周円のエッジを黄色に着色し、さらに盤の厚みを増して耐久性を高めたもののようです。現在残っているものの殆どはラリーメイトDXで、ラリーメイトは過去1枚だけしか見たことがなく、ラリーメイトIIもあまり数は出てきません。
 当時、まだまだ軽自動車さえなかなか庶民の手には届かなかった時代、ラリー用の自家用車を持つなんて会社を経営している父親がいる金持ちのボンボンくらいしかおらず、さらにラリーやレースにうつつを抜かしているなんてお金持ちの道楽くらいな感覚だったでしょうか?そのため、そのラリーの必須の道具としてのパイロットのP-1計算機やこのラリーメイトDXだってけっこうな金額の装備だったのです。いつの定価なのかは定かではありませんがラリーメイトDXの値段は8,800円だったそうで。
 このラリーメイトDXは当方2枚めのラリー用円盤なのですが、長い間ガレージの中で放置されていたのを発掘したらしく、ケースが油混じりのホコリで煤けていたような汚さでした。それでも中身はけっこうきれいなもので、そりゃ実戦でしか使わないでしょうから使用回数なんかたかが知れてます。円盤の直径は約23cm。目盛りの基線長約64cmで25インチに該当しますので20インチ計算尺を超えます。ただ、これは時間距離の精密さが要求されるのもさることながら視認性という問題も大きいのでしょう。真ん中につまみが起倒できるナットになっていてこれを締め付けることで2つのディスクを固定することが出来ます。スティーブンスの円盤の速度表記がmphだったのにくらべてkm/hになり直感的に使えるようになったと思いますが、輸出は考慮されていなかったのかmphのものは見当たらず、裏側に印刷されているインストラクションは日本語表記のみのようです。
 このラリーメイトDXは中身には差が無いようですが収納する袋が二種類あるようで、割と厚めで上から円盤を入れる黄色いビニール製の袋とブルーグレイの正面に横に口が開いたタイプがあるようです。どちらが古いのかはわかりませんが、今回のものには黄色いものが付属。ご丁寧に当時のレーシングチーム名(大手芸能プロダクション名と同じ)がマジックインキで書かれています。ちなみにこのラリーメイトという名前はコンサイスの登録商標だそうですが、これは「間違いだらけの車…」の徳大寺有恒氏が昭和40年代に経営されていたカーアクセサリーメーカー「レーシングメイト」のパクリでは?ってレーシングメイトのほうが逆にパクったのかな?(笑)

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October 16, 2020

ミクラ精機ミックラー小型加減算機M-6型

Photo_20201115122801  これも相当前に入手したものですが、ジャンル違いであまり調べる気も起きなかったため、いまままで放り出してあったものです。東京の板橋区大山東町にあったミクラ精機株式会社というところから発売されたミックラー小型加減算機という手動加算器の初期型です。というか改良型(M-7型というらしい。ってウルトラQか?)のほうが知られていないとは思うのですが、改良型のほうを先に入手しています。双方ともにあまりお目にかかるシロモノではありませんが。定価は当時価格で4500円だったようです。
 おそらくこれも昭和30年代末期から昭和40年代初期にかけてスタイラス計算尺に変わる歯車繰り上がり式ラック引き計算器として主に輸出用として作られたものなのでしょう。東京都優良輸出品認定を受けていると説明書に書かれていますが、認定番号は昭和41年度のもの。昭和40年代前半にはMGCのモデルガンも東京都優良輸出品認定を受けていましたから優良がイコール優秀かどうかはわかりません。モンドセレクション金賞みたいなものでしょうか?
 このタイプのラック引き計算器はスタイラスによるラック引き計算器と比べて繰り上がり繰り下がりが自動になったのが特徴です。加算はそのまま黒の数字を引いていけばいいのですが、減算が面倒くさくて、たとえば置いた数字から25を引くとすると一番下の金具を左にずらして左の桁から0,0,0,2,5,の赤い数字を全部下まで引かなければならないのです。そして金具をずらすことで5ではなく6が引かれることになるのですが、さすがにそれは面倒だと思ったのでしょう。改良型では金具がなくなり、最後にもう一度1を引くように記号で指示があります。そのような構造ですから加算減算が交互に来る計算などは数字が直感的に下が加算、上が減算のホイール式SOLOの敵ではありません。さらに計算速度はそろばんの足元にもおよびません。強いて利点を探すとSOLOがデスクトップ加算器と割り切っており、形状的に持ち運びするようなものではありませんが、ミックラー加算器は持ち運びが可能なポータブルの加算器だということです。もっともポケットタイプとは言い難いくらいの大きさで、重量も510gもあります。なんと普通のプリズム式8x30mm双眼鏡の重さです。そこで上下が長くて重いこの初期型を無駄を排除し、特に重くて使いにくかったリセットのメカニズムの動作方向を変え、さらに極力金属を使用しないでプラスチックを多用したミックラー計算器が昭和46年の発売と言われるM-7型という改良型らしいです。この改良型の重量は300gまで減りましたが、それでも大きさと厚みはまるで下駄のよう(笑)まあ、これだけの大きさの甲斐あって数字の視認性と操作性はかなり良くなったのですが、これが発売されたころにはもうこういう手動加算器の時代ではなかったのでしょう。この改良型は初期型に輪をかけてあまり見かけません。なにせまもなくカシオミニが発売されるのですから。

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関西機械貿易「手のひら計算機ソロ(SOLO) 」

 このSOLOという手動計算器はさほど珍しいものではないものの、どうも出自がわからないとつまらないので、しばらく前に説明書はないものの箱付きカバー付きで初めて入手したものです。関西機械貿易という大阪方面の会社が扱っていたもので、もちろん自社製造ではなく東大阪あたりに製造委託、もしくはどこかの企業の持ち込みなのでしょうね。他の歯車繰り上がり式手動計算器同様に日本ではそろばんの計算速度にはついて行けず、よほどそろばんの苦手な人以外には見向きもされなかったのでしょうが、庶民でも手が届く電卓のカシオミニが出てくるまでそこそこの需要はあったようですが、大部分、海を渡ってそろばんの無いアメリカに輸出され、貴重な外貨を稼いだようです。SOLOにはボディカラーがグレーとこのグリーンの2色が存在したようで、桁を間違えないように3桁ごとにホイールの色を変えてあるのが実にわかりやすいです。さらにミックラー加算器のようなラック引きのタイプはマイナスの計算のときは一番大きな桁から0を引いていき、さらに最後に1を引くという動作をしなければ正しい数値が表示されないものの、このホイールタイプは引きたい数値はその数字を逆に上の方に回すだけ。なので加減が交互に来るような計算には圧倒的に強いという利点があります。「手のひら計算機」がキャッチフレーズのソロですが、机の上に置いておき、普段は付属のビニールカバーを掛けておくというのは、当時のタイガー計算機あたりと同じような扱いだったのでしょうか。

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October 14, 2020

J.HEMMI No.9(TAMAYA No.1900) 5インチ技術用(精密目盛入)

 TAMAYAブランドのJ.HEMMI時代の計算尺は過去においてたったの一本しか捕獲に成功していませんが、創世記のJ.HEMMI時代の計算尺はこのTAMAYA、A.NAKAMURA、K.HATTORIの当時の代表的な計測器販売店名義のOEMとして売られていたということは、まだまだJ.HEMMIブランドで広く販売できるような実績も知名度もなく、そもそも逸見治郎は職人であって商売人ではなかったため、竹製計算尺を完成させたはいいが、どうやって販売していくかに苦労したことを感じさせます。ちなみにTAMAYAは江戸時代から続く銀座の玉屋商店。A.NAKAMURAは築地の中村浅吉測量器械店。K.HATTORIは服部金太郎を創業者とする銀座の服部時計店です。この国内OEM販売は大倉龜という商売人が逸見計算尺にかかわったことから徐々に解消し、"SUN"HEMMIブランドが確立した昭和4年ころには完全消滅したようです。このあたりはもう少し検証作業が必要ですが、OEMものがなかなか出てこないので絞りきれないというのが本音です。
 Jhemmi9_20201014132301 その中で久しぶりに発掘したのがTAMAYAブランドのJ.HEMMI No.9。5"のJ.HEMMI No.6の位取り付きでさらに10インチ尺同等の精密目盛が刻まれたために拡大レンズ入りカーソルのついた豪華版です。さらに発掘先が同じく北海道内で、ケースの内側にS.Y.の略号および室蘭発電所のスタンプとエビナの記名があるというもの。地元胆振で使われたものが出てきて、それを入手するというのはこんなにうれしいことはありません。No.6でフレームレスカーソルに変わったJ.HEMMI時代末期のものだったらかなり昔に終戦時海軍軍医大佐の持ち物だったというかなり程度の良いものを入手していますが、今回のTAMAYA No.1900/J.HEMMI No.9はそれよりもおそらく10年ほど時代が遡った大正2-3年頃の製品で、No.6系5"ポケット計算尺としては最初期に属するものです。一応竹製計算尺構造のPAT.22129が降りたのちの製品ですが、パテントナンバーは滑尺を抜いた溝のセルの部分に控えめに刻まれ、表面には逆字で特許の文字しかありません。またA,B尺にしかπマークが無い仕様というのは、うちにある他の計算尺でいうとJ.HENMI(not J.HEMMI)TOKYO JAPANの刻印のある逸見治郎が豊多摩郡渋谷町猿楽町に工房を移した直後の製品と思しきNo.1と全く同じです。しかし、このNo.6シリーズは後のNo.30系のポケット計算尺と異なり、厚みは普通の10インチ計算尺と同じで、それはやはりドイツのNESTLERやA.W.FABERの5インチポケット計算尺のような重厚感があり、一生使えそうな道具感を強く感じます。内藤多仲博士が恩師のドイツ土産にもらった5インチポケット尺をカーソルがバラバラになりながらもずっと使い続けることが出来たのもうなずける話なのですが、これが後の薄い5"ポケット尺ではこうはいきません。また、おそらくこの最初期に属すると思われるNo.9は拡大レンズが左端にオフセットされており、当然カーソル線もカーソルグラスの真ん中ではなく左側にオフセットされています。後のNo.9は素直に真ん中に収まりましたので、最初期型だけの特徴でしょうか?カーソルグラスの右端に半月型の割れがあるのですが、その価値を毀損するものではありません。あと、他のNo.6系では見かけない目盛というよりも馬の歯型の升目が刻まれていて、これはまったく意味不明です。
 ところで、この室蘭発電所の正体の解明は非常に困難を極めまして、のちの室蘭電燈という電力会社とは数年ほど年代も合わず、おそらくは北海道炭礦鉄道が鉄道事業の国有化の際に莫大な補償金を得て、それを原資に建設した輪西製鉄所(現日本製鐵)内の火力発電所のことではないかと思うのですが、確証はありません。S.Yはもしかしらた英語ではなくてローマ字読みで石炭ヤード、すなわち貯炭場の意味だったのでしょうか?

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October 13, 2020

A.W.FABER Nr.378 10”電気用 再び

 A.W.FABERのNr.378電気用です。これは以前に讃岐のさる旧家から出てきたという殆ど未使用に近いような程度の良いものを入手済みだったのですが、同じくA.W.FABERの古い計算尺ということがわかっていたものの形式がわからず、届いてみたら同じNo.378だったために調べる項目もなくダンボール箱の中に収められてしまったもの。おそらくは数年以上前に金額は700円なのにもかかわらず誰も見向きもしなかったのでかわいそうになってサルベージしたもので、発掘先は忘れました。以前のNr.378と比べると相当に使い込まれたもので、ケースはボロボロ、カーソル剥がれどめの木鋲は1本抜けてますし、カーソルグラスもヒビが入っています。それでも本来の役目を果たした計算尺の凄みのようなものを感じてしまいますが…
 このNr.378は逸見治郎によりJ.HEMMI No.3電気用としてフルコピーされ、折しも第1次世界大戦が勃発し、ドイツからの計算尺の輸入が途絶えた連合国側に輸出されて外貨を稼いだわけです。当然のこと根っからの目盛職人である逸見治郎は、その電気尺の目盛りやゲージマークなどの意味することはまったく理解はしていなかったでしょう。ただ機械的にNr.378をコピーしてしまったのでしょうが、本国ではまもなく逆尺付きのNr.398に生産がシフトしていきます。そういう計算尺の世界的な流行のようなものがわからなかった逸見治郎は大倉龜からの経営参加申し入れが無く、宮崎治助のような理論派が製作に参加せず、旧態依然の計算尺を作り続けていたとしたら、日本の計算尺が世界を席巻するという歴史はなかったかもしれません。
 今回のものは以前のNo.378同様に明治末期から大正の初期に銀座の玉屋商店によって輸入されたもので、年代も一緒なら目盛やゲージマークにも全く差がないのは当然です。それだけ比較による興味をひかれるポイントがまったくないのですが、それでも日本にやってきて100年はゆうに経過している計算尺です。器物100年超えると付喪神となって化けて人をたぶらかすそうですからおいそれとはうっちゃっておけないそうです(笑) さて、計算尺はどのように化けるのかと水木しげる先生的に考えると、おそらくはムカデみたいに足が生えてそこいらを這い回る「妖怪ゲージゲージ」になってしまうのではないかと(笑)
 とりあえず化けられては困るので、機会があったら抜けた木鋲を竹で作り直し、カーソルグラスを移植するか、ポリカーボネート板で作り直すかしなければいけません。
 ところで、この時代のドイツの計算尺は英国尺がマホガニー製だったのに対して西洋梨材を使用した木製尺が多いのです。英国が植民地から豊富な木材資源が入ってきたのに対し、ドイツはマホガニー材を産出するような植民地資源に乏しく、そのため国内調達の可能で材質が緻密な西洋梨材を選んだのでしょう。
 このNo.378も日本にやってきてから軽く100年を経過しながら長年の湿気による反りや狂いなどがまったくありません。これはすごいことだと思いましたがよく観察すると2本の固定尺ともに表面に対して直角に金属の帯板が入っているのが見えます。これのおかげで100年経っても狂いが来ない木製計算尺を実現していたのでしょうが、贔屓目にはやはり竹を色々組み合わせて狂いのこない計算尺を考案した逸見治郎の業績は偉大です。

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特殊計算尺研究所蔓巻ばね計算尺&総合ばね計算尺

 桐生の特殊計算尺研究所の蔓巻ばね専用計算尺と総合ばね計算尺の2種セットで入手したもので、おそらく数年前にヤクオフで入手したものだと思いますが、入手先は忘れてしまいました。もうかなり以前に機械設計を本業とするJA1コールのOMさんから総合ばね計算尺を入手しましたが、この計算尺の細工と質は最高で、まさに近代計算尺の最高峰とでもいうべきものでしたが、個人企業のこの会社がすべてを製造できるわけはなく、おそらくはどこかの計算尺メーカーに外注したものだとは思うのですが、そのセルロイドの質感、メッキの光沢などを見るとどうも昭和30年代のリレー計算尺が怪しいような気がしました。佐賀は遠いから川越に通って仕様を煮詰めて完成させたものなのでしょうか。
 それに引き換え、今回のものは内容的にはまったく同じものの、本体が樹脂、いわゆる塩化ビニール(PVC)で製造は山梨技研系のプラスチック計算尺メーカーに変わった感じです。竹製のほうは道具としても素晴らしい名品の風格がありましたが、それがプラスチックに変わり、いささか道具としては愛情を注げないものになりました。もちろん計算するための道具ですからその本質はまったく変わらないのですが、どうしてもそういう見方をしてしまうのです。
 前回総合ばね計算尺を下さったJA1コールのOMさんが昭和45年ころに桐生のその研究所に電話を掛けたところ、奥さんが出てきてもうばね計算尺のビジネスには関わっていなくて別な研究をしていると言われたとのことでした。桐生というと昔は機業が盛んで織物機械の音が街中に絶えなかった場所ゆえに機械的な技術を持つ人が当然多かったのでしょうが、一時期パチンコ台の製造が集中していたことがあり、それ関連の考案でもしていたのでしょうか?
JA1コールのOMさん曰く「日常ばねばかり設計しているばね屋ならいざしらず、たまにばねの設計しなければいけないという程度の機械設計屋にとってはかえって煩わしく、机の中から取り出す機会はあまりなかった」とのことですが、大抵のばね計算尺というものは徹底的に使い込まれたものいうのは少なく、きれいなものが多い傾向があります。この2本も殆ど使い込まれてはいなかったものでした。
 蔓巻ばね計算尺はいわゆるコイルスプリンクの押し引きの力を主に計算するもの。総合ばね計算尺はその他のねじりばね、板ばね等のトルクやたわみ荷重などを計算するもので、当然のことばねの材質により数値が異なるため、材料ごとの補正目盛りがあります。説明書が入手できなかったJA1コールのOMさんが独自に探求した計算法のメモ書きをいただいたのですが、それを使用して実際の計算を行ったことは一度もありません(汗)
 今回の2本の計算尺は内袋も説明書もついた完品だったのですが、なぜか双方ともに蔓巻ばね専用計算尺の説明書がついていました。定価4300円に横線を入れて4800円になっていますが、説明書自体は竹製の時代のものと変わりません。年代的には昭和45年以前のおそらくは43年位の製品でしょうか。
 面白いことにこのプラ製ばね計算尺はカーソルのネジはマイナスネジなのですが、これ以前の竹にセルロイドのものにもカーソルネジ等はプラスネジのものがあります。

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October 11, 2020

HEMMI No.51/3 10インチ片面技術用

 このHEMMI No.51/3は宮崎治助氏のお孫さんの宮崎敏雄さんからのいただきものです。
実際に宮崎治助氏が使用していたものではなく、宮崎敏雄さんが宮崎治助氏の宮崎家のルーツや足跡をたどるうちに資料として入手した3本のうちの1本のようです。宮崎家のルーツに関してはもう少し機が熟してから書きたいと思いますが、そもそもは江戸時代から秋田の荒川鉱山に関わる仕事に携わっていた家系です。うちの祖父の従兄弟である宮崎卯之助氏は宮崎家に婿養子に入ったらしく、当家と宮崎治助氏は直接の血縁関係は無いとのことですが、計算尺という因縁で目に見えない繋がりがあるような気がします。
 宮崎治助氏は明治24年に秋田県の現在は大仙市にある荒川鉱山の生まれで、荒川鉱山で電気技師として働き始めたころには岩手の個人から三菱鉱山に経営が移ってから久しく、これにより鉱山の設備も近代化し、アメリカから巻き上げの電動機や排水ポンプ、それに電力を供給する発電機なども設置され、荒川鉱山は秋田市内よりも先に電灯が灯った場所だったのだそうです。宮崎家は江戸時代からの鉱山を労働力請負業、いわゆる飯場を経営していて、その一族には小説家の松田解子さんがおり、この松田解子さんは宮崎治助氏の継母の孫娘にあたるのだとか。この松田解子さんの「おりん口伝」の中に当時の荒川鉱山の様子と宮崎家の飯場の様子などが生々しく書かれています。当家の祖父の従兄弟の宮崎卯之助氏は小学校卒業するかしないかの歳でこの宮崎家の飯場に年季奉公に出され、本人も「タコ部屋に入れられて苦労した」などと自嘲的に話していたらしいのですが、元来真面目で器用だったこともあり、荒川鉱山のポンプやモーターなどを取り扱う電気技師になり、それを治助氏継母の「これからは電気」という考えから継母の実の孫娘の養子にさせられたというのが宮崎家に連なった理由らしいのです。
 当時秋田県は全国でも有数の短命県で男子の平均寿命は40歳もいっていなかったらしく、それというのも保存食としての塩魚や漬物の類で塩分を大量に摂取し、さらに名だたる日本酒の生産県ですから酒量消費も多く、さらに冬の寒さが厳しいということで、高血圧が原因での脳卒中による死というのが多かったことが短命を決定づけており、その壮年男子の死というのが宮崎家の家系を複雑にしています。松田解子氏からすると宮崎治助氏は義叔父にあたり、直接の血縁ではないですが本人はずっと従兄弟だと思っていたそうで、同じく宮崎卯之助氏の奥方も宮崎治助氏は同じく義叔父にあたるのですが、本人はやはり従兄弟だと思っていたというのは卯之助氏を含めて年齢は10歳程度しか差がなかったからなのでしょう。
 HEMMI No.51/3に戻りますが、うちにはNo.51/1ならあったものの、No.51/3にはいままで縁がなく初の一本になりました。おそらくは昭和一桁台末期から昭和13,4年あたりのセカンドモデルとでも言うべきもので、目盛は馬の歯型のままですがセル剥がれ止めの鋲がなくなりややすっきりした姿に変わったものです。後にものさし型目盛と改良A型カーソルに変わったサードモデルに比べればまだ滑尺を抜いたセルの部分にものさしとして使う目盛も刻まれてますし、まだまだJ.HEMMI時代を引きずるというか、元になったA.W.FABERの古い意匠を継承している感があります。しかし、この滑尺を抜き差しした全体の長さを物差し代わりにするという仕組みは本当に役に立ったのでしょうか?

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HEAVEN No.82 8"学生用

Heaven  おそらくは山梨のどこかのメーカーがOEM元として関わったのではないかと思われるHEAVENのNo.82です。これは以前10把からげで入手した学生用計算尺の中にも1本入っていたのですが、本体に刻印その他メーカーに関わるものが一切見当たらず、唯一コームケースのような茶色いビニールサックケースからHEAVENのNo.82と判明したもの。一度底板と上下固定尺の接着が剥がれてバラバラになったものを黄色いゴム系のボンドで汚く貼り直したようなシロモノでした。
 今回デザインが特徴的な外箱はなかったものの、ちゃんと説明書が付属していたため送料込みで500円で入手したものです。さすがにこの計算尺に高い金額は付けられません。冊子型の真四角な説明書が付属していましたが、どこにもメーカー所在地や電話番号などの記載もなく結局はどこの会社だったのかは不明のまま。このHEAVEN計算尺はこのNo.82と同じくややコストが安そうな竹製8インチ学生用計算尺の2種類しか知られていません。
 そういえばもう十数年前のことですが、この学生用計算尺の目盛原版がまとめてオークションに掛かったことがあって、その中にHEAVENとHATOや技研っぽいものまでまとめて出てきたため、おそらくは同一の製造所で使われたものだとは思います。こういうものを目にすること事態、珍しいことでした。
 考えるに団塊の世代が中学や高校に進学する時期である昭和30年代中期あたりに空前の8インチ学生用計算尺バブルが発生し、HEMMIやRelayではまかないきれない状態なのに需要はそれを上回り、とにかく作れば右から左に売れるという時期があったのでしょう。そのため山梨に学生用計算尺専門のOEM製造所があって幾多の注文主指定のブランドで8インチ計算尺を収めていたということでしょうか。その注文主も専門の会社ではなくて、儲かりそうだから扱うけどクレームは御免と所在地もわからないようにして商売をしていたのでしょうか。でもまあ紙っペラ一枚の説明書ではなく、このHEAVENのようにまともに冊子型の解説書が付属しているだけでもマシというものです。
 おそらくはセルロイドではなく塩化ビニールを竹の芯にサンドイッチした上下の固定尺をプラスチックの裏板に接着しただけの構造ですが、わざわざ竹を使う必要があったものかどうなのか、竹の部分が皮目方向に湾曲して反ってしまっています。HEMMIやRelay/Ricohはエージングをきっちりやりますし、ちゃんと複数の竹を組み合わせますからまずよほど保管が悪いということがない限り8インチの学生尺でも経年劣化で反ってしまって滑尺が抜き差しできないということは考えられません。
 尺種は表面K,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺。滑尺裏はS,L,T,の3尺の合計10尺を備えますが、このHEAVENの名前のつく計算尺は双方ともに√3切断のずらし尺を備えるものです。
 そういえばこのコームサック型起毛ビニールケースは以前のものと入り口のカットが異なるので、どちらが先かは知りませんが二種類存在することになります。

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October 10, 2020

RICOH No.1051V 10インチ両面高校生用

 RICOHの高校生用両面計算尺はそのバリアントが実にややこしくて、先日書いたように無印のNo.1051に小型カーソルがついて青蓋ポリエチレンケースで出現するなどと枚挙に暇がないのですが、家の中の青蓋ポリエチレンケースをふと空けてみたら、その中から出てきたのはNo.1051V。しかもグリーンCIFで小型カーソル付き仕様なのです。数日前に「No.1051Vは旧型の赤蓋ベージュ貼箱のものしか見たこと無いので、もしかしたら途中で無印1051に変更になったのか」などと推測していたら、その説を覆す、しかもぐんと時代が下ったものがこともあろうに家の中から出てくるとは…
 これ、どこからどういう手段で入手したのかということがまったく記憶にないのです。まさに「記憶にございません」なのですが、果たして無印No.1051とこのNo.1051Vがどう異なるのかということが実証できることになるとは思ってもいませんでした。
それで、結論としては同じくπ切断ずらしのNo.1051系両面計算尺のNo.1051の無印の三角関数目盛はデシマルで1度は10分割、No.1051Vの三角関数目盛はは1度が60分で6分割という違いだけです。その他はゲージマークなどにまったく違いがありません。また三角関数は双方ともに順尺でした。
わかりきったことですが、まあ一応No.1051Vのレイアウトは表面がLL1,L,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2の10尺、裏面がK,A,[B,S,T1,T2,C,]D,DIの9尺の合計19尺で、滑尺部分だけ新しく型を起こしてグリーンCIFなり、小型カーソルがついたのですが、これだけで近代化したような感があります。デートコードはVS-1Lで昭和48年の1月佐賀工場製。末尾のLはこれもLast Issueの意味でしょうか?
 しかし、No.1051Vは金属枠のカーソルがついた中期型がまったく見当たらないのですが、どこにいってしまったのでしょう?またNo.1051の無印小型カーソル付きも中期型は見かけたことがないような気がします。


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RICOH No.1015SE-I 10インチ両面高校生用

 つい最近までRICOHのNo.1051シリーズのNo.1051S-Iの末尾部分を数字の1だとばかり思っていたのですが、過去に入手したものや今回入手したものを見ても明らかに逆尺付きのインバースを表すアルファベットの「I」であることを今更ながら気が付きましたので、認識を訂正しておきます。
 過去にNo.1051シリーズを次々に入手したのは15年前ですが、そのなかの未開封で小型カーソル付きグリーンCIFでNo.1051S-1としていたものはどう見てもNo.1051S-Iの間違いです。なぜか15年ぶりにNo.1051の仲間たちやそのルーツになったご先祖さままで矢継ぎ早に入手することになったのがそもそものきっかけです。
 その中の一本であるRICOH No.1051SE-I両面高校生用ですが、画像がよくわからなかったためグリーンCIFと金属フレームカーソルを見てグリーンCIFの開始時期と金属フレームカーソルから小型カーソルに変わる境界線を知る参考になるのではないかという単純な考えで入手したもの。届いてみたらNo.1051SE-Iで三角関数が逆尺になったことと、裏側DI尺下に新たにdB尺が加わり、合計20尺になったことがNo.1051Sと異なります。同じくHEMMIの高校生用No.254Wに対する別製仕様のNo.254W-Sみたいな感じでしょうか? RICOHの高校生用計算尺というと東日本よりも西日本から出てくる例が圧倒的に多く、こちらは大阪から出てきたものです。
 他のNo.1051系の計算尺と比べても三角関数が逆尺になったこととdB尺が加わった以外に目盛の細密度や尺の順序などの変更はまったく見当たらないようです。ただ、No.1015SE-IはK尺上ではなくC尺上の6.2の位置にVゲージマークが加わっているのですが、このVゲージはどういう計算法に使うのでしょうか?
 このVゲージマークはNo.1051SE-Iに限らずどうやらグリーンCIF化したNo.1051Sなどにも共通なようです。
 デートコードはTS-12ですから昭和46年12月製造。やや特殊なNo.1051系ですが、このころまだ金属フレームカーソルが使われていたということでしょうか?

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Relay No.DT-1015 10インチ両面技術用

 国内ではあまり見かけないダブルスターリレー時代のRelay DT-1015です。このDTという形式名は輸出用のものでDがDuplex、TがTechnicalの意味で両面技術用を意味します。この時代のダブルスター時代のRelay両面計算尺は殆どがアメリカ向けの輸出に当てられ、国内にはその殆どが8"と10"の片面計算尺しか見かけません。そのため、輸出品番の両面計算尺が国内にあることはあるのですが、HEMMIなどに比べると非常にレアケースで、多分このDT-1015はここ15年ほどで10本はオクにも掛かっていませんが国内に残っている種類としては一番多く、国内で正規に市販されていたことがわかります。。ダブルスター時代のRelay計算尺の両面型はアメリカ代理店のOEMが非常に多く、かえって自社☆Relay☆で輸出された数のほうが少ないようなのですが、OEMものはOEM先の要求でデザインが決められていたようで☆Relay☆の型番に該当しない物も多いようですが、逆にこのDT-1015はOEM先の名前で発売されたものが見つかりません。どうやら当時のリレー産業のオリジナルデザインのようです。
 この計算尺をぱっと見て感じたことはRICOHのNo.1051に非常に似ていることで、例えば表面のLL1尺とL尺の順番が違ったり三角関数尺は一部異なったり、さらに延長尺があるなどの違いがあるものの内容的にはNo.1051にほぼ同じです。言うなれば高校生用として多用されたNo.1051のルーツになった計算尺なのでしょう。
内容的には表面L,LL1,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,の10尺で裏面がK,A,[B,S,ST,T,C,]D,DI,の9尺の合計19尺です。ちなみに無印のRICOH No.1051がLL1,L,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,の10尺、裏面がK,A,[B,S,T1,T2,C,]D,DIの9尺の合計19尺でほぼ同じ。型番も1015の下二桁がひっくり返って1051になったと考えれば納得がいくもの。しかしまあ高校生計算尺の定番のルーツが輸出専用尺にあったとは驚きました。延長尺の分だけNo.1051よりもやや長く出来ておりNo.1051が全長32cmに対して33cmあります。No.151や159が35cmですからどちらにも分類されない不思議な計算尺です。ケースはダブルスターリレーの昭和20年代紫色ケースと異なり、30年代リレー計算尺の両面計算尺用と共通の緑の貼り箱入りですが箔押しは「HIGH CLASS☆Relay☆BAMBOO SLIDE RULE」です。製造刻印は見当たりませんがおそらくは昭和30年代初期のリレー産業時代の製品でしょう。

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October 05, 2020

HEMMI No.34RK 5インチ片面技術用 富士電機ノベルティー

 富士電機はドイツのシーメンスシュケルト社と古河財閥の古川電気工業が合弁で昭和3年に設立した会社で、変圧器や発電機などの重電部門と電話機などの通信機器を製造するための会社でした。そののち昭和10年頃に電話機などの製造部門を富士通信機として独立させますが、現在でも富士電機は国内重電8社(日立製作所、東芝、三菱電機、富士電機、明電舎、日新電機、ダイヘン、東光高岳)の一つで、業界内では4位の営業規模を誇っているそうです。
 シーメンス社は現在でも電力、通信、交通、医用機器などの国際的な大企業ですが、もともと電信などの通信インフラの会社シーメンス・ハルトゲが重電のシュケルト社と1892年に合併し、シーメンスウントシュケルト社となったことで通信と重電などを合わせた電気機器の大メーカーとなったわけです。世界で初めて電気機関車を作ったのはシーメンス・ハルトゲです。日本では明治時代から通信・電力で進出してきましたが、明治33年にシーメンスウントシュケルトの日本支社を設立。各地に発電・変電設備や通信インフラを売り込みました。古河財閥とのつながりはまず明治中期に足尾銅山の運搬用電気設備を納入したことに始まり、電気精錬用の日光発電所の受注などに続きますが、シーメンスウントシュケルト日本支社は大正8年の海軍の船橋通信所のテレフンケン式無線設備納入に絡む海軍高官への贈収賄事件発覚。その後の第一次大戦勃発での交戦国となったこともあり「シーメンス」の名前がマイナスイメージとして日本人の頭に刻み込まれたイメージダウンのため、単独では商売がやりにくくなって古河財閥との合弁企業設立に動いたのでしょうか。
 今でこそ英語読みのシーメンス社というのが日本でも通り名になってますが、昔の日本では「ジーメンス」と濁ることが普通で、うちの父親世代の技術者も普通にジーメンスと呼んでました。本国読みでも「ズィーメンス」の濁るのが普通でした。その富士電機のフジは古河のふとジーメンスのジの合成語だそうです。旧富士電機のマークも丸に小文字のfとsを組み合わせたもので、さらにスピンアウトした富士通信機はそこにTの字が加わるというわかりやすさ(笑)
 その富士電機の旧マーク付HEMMI No.34RKです。デートコードはTLで昭和44年の12月のもの。旧マーク廃止してロゴマークに変更する直前のものになりますが、もうこの時代だったらノベルティー用のものだったらP35などの系統が主流で、あえてコストの高いNo.34RKを採用したってところが点数高いですね。
 入手先はたぶん見たこともない34RKもどきとともに静岡県の函南町からやってきましたが、以前この函南からはOHTA STAR計算尺などという大珍品が発掘された場所です。

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HEMMI No.51/1 10インチ片面技術用

 戦前ポリフェーズドマンハイム計算尺の代表選手No.50の位取カーソル付きのNo.51/1です。
取り立てて何の変哲もない、世の中にはかなりの数が残っている珍しくもない計算尺ですが、入手先が福岡筑豊の川崎町からでした。
このあたりで戦前にこんなものが必要な業種というと炭鉱しかありません。それも大手の田川炭鉱や大任炭鉱の周辺部でとくに中小の炭鉱が数多く存在した場所です。そういう歴史的なことを考えると、たとえ数が多く出回っている計算尺であっても疎かにはできないというものです。
 自作の目の荒い防水のキャンバス地のケースに収められていたこのNo.50/1はそのキャンパスに含浸されていた薬品の影響でセルロイドがかなり茶色く変色していました。このキャンバス地というのは機械の駆動ベルトに使用していたものか何かはわかりませんが、おそらくは機械設備用の何らかのものを流用したのでしょう。ボール紙のサックケースがボロボロになった後もこういう自作ケースに入れられて大切に使われていた様子は技術者にとっての武士の刀のような扱いだったことがわかります。内藤多仲博士は「船頭の櫂みないなもの」と称していましたが(笑) 裏側に「フカエ」の名が刻まれています。このフカエさん、どこの炭鉱の技師だったのでしょう?
 内容的にはセル剥がれ止めスタッドのない馬の歯型目盛の標準タイプということで、年代的には昭和一桁台の末から昭和12-3年あたりの製品でしょうか?その後目盛の切り方が変わってものさし型目盛に変わりますが、やはりNo.50系統はクラシカルな馬の歯型目盛のほうが似合う感じがします。また馬の歯型目盛タイプの50系統は滑尺を抜いた溝にも目盛が刻まれて滑尺を抜き差しした全体の長さでものさし代わりに使用できるのですが、これもものさし型目盛のNo.50系統では省略されてしまいましたし… またこの個体は上固定尺はインチ目盛、下固定尺側面はセンチ目盛で、滑尺の抜き差しで測れる長さもセンチです。

Hemmi511
Hemmi501

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October 04, 2020

RICOH No.116 10インチ片面事務用(プラスチックカーソル)

 こういう計算尺が出てくるというのは妙に心地が悪い感がありますが、これは何の変哲もないRICOHのNo.116です。Relay時代から作られた片面計算尺でHEMMIの大定番No.2664Sの対抗馬なのですが、三角関数の逆尺がHEMMIの特許だったらしくこのNo.116には使用できなかったため、表面下固定尺にDI尺が追加され、No.2664S同様の操作性を備えるのですがそのためNo.2664Sが表面8尺なのにこのNo.116は1尺多い9尺を備えています。
 うちの一番新しいNo.116のデートコードはWS-3Lで、昭和49年3月佐賀工場製。No.116は昭和45年頃にCIFもグリーンに変わり、同時に上部スケール(25cm)の開始位置がK尺ロゴ上からだったものが中央寄りに変わりましたが、最終型に限るのかDF,CF尺の延長部分がDF尺のみになり赤から黒に変わるなどの変更がありました。しかし終始一貫カーソルは金属フレーム入りのガラスカーソル(但しカーソル線が赤から黒に変更)です。
 実はこのNo.116は何の変哲もないと書いたように昭和40年代前半のNo.116なのですが、なぜかカーソルがプラスチックの一体成型もの。それもRICOH No.84学生用の最終型プラスチックカーソルのようにカーソル上下側面にギザギザが成形されているというシロモノです。同種のプラスチックカーソル付きのNo.116は過去に1本しか見たことがありません。それは丹頂ベージュタイプのリコー初期型貼箱入りのNo.116Dで、殆ど使用されていない状態のものでしたからおそらくはオリジナルのカーソルなのでしょう。そのカーソルの形状は今回取り上げた普通のNo.116付属のプラカーソルとまったく同じで側面両側に指掛かりのギザ山が成形されたものです。そうすると年代は30年代末期から40年代初期なのですが、この普通のNo.116のデートコードはN.S-4ですから昭和40年4月の佐賀工場製。年代的には一致するようです。あと何本かこのプラカーソル付属のNo.116とデートコードを見てみたい気がするのですが、どうやら昭和40年頃に突発的にプラスチックカーソルで出荷したNo.116シリーズがあったものの何らかの理由ですぐに金属フレーム入りのガラスカーソルに戻したとしか今のところはいいようがありません。
 学生用8インチ計算尺のカーソルならいざ知れず、このサイズの10インチ片面計算尺用のプラカーソルは見たことがありませんし、ほかからの流用ではないのは同じカーソルが付属したものがあることからこれは出荷時のオリジナル仕様のようです。

Ricoh116
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RICOH No.1051 10インチ高校生徒用

 青蓋ポリエチレンケース入りのRICOH No.1051の無印ですが、この無印のNo.1051は高校生用1051系統の中でも数量的にはかなり少数派の計算尺です。
1051系のバリアント収集・分析に関しては京都のItoh氏にかないませんが、今回取り上げたNo.1051無印は実に興味深いことに各パーツの年代が著しく異なるのです。というのも青蓋ポリエチレンケースは昭和44年あたりからそれ以前の透明プラケースから変更になり、さらに小型の新型カーソルは昭和46後半以降、さらにグリーンCIFも昭和45年辺りから出現し始めるというようなもので、こと1051系に限っては小型カーソル付き以降のものは原則グリーンCIFでなくてはいけません。
 ところがこのNo.1051無印は青蓋ポリエチレンケース入で小型カーソル付きなのにCIFはグリーンではなく旧タイプの赤字黒目盛が刻まれています。本来だったらありえない組み合わせなのですが、そんなことも気が付かずに実に6年以上も箱の中で塩漬けになっていました(笑)
 今回その矛盾に気がついてデートコードを改めて確認するとO.S-2であり、昭和41年の2月佐賀工場製。おそらくはπ切断ずらしの目盛を刻まれたばかりに工業高校需要の主流になれず、なかなか発注が来なくて日の目を見ることもなく、やっとアッセンブルされたときにはすでに大阪万博も終わっていたということなのでしょうか?そうなると少なくとも5年近くも目盛を刻まれたままいつか完成品になる日を夢見て半完成状態で眠っていたということになります。
 それでV切断ずらしのNo.1051は1051Vで世の中に出回っている数のほうが多いような気がしますが、当方の知る限りではNo.1051Vは初期型フレームレスカーソル付きで丹頂ベージュ色の貼り箱の初期型しか存在しないような気がしますが、どうなんでしょう? そのNo.1051Vが昭和41年頃に1051無印に化けてしまったような気がするのですが、なぜV記号が消滅して無印になったのかがわかりません。刻印その他No.1051VとNo.1051無印は差が無いような気がするのですが、じっくり比べたことがないためよくはわかりません…

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October 03, 2020

HEMMI No.91 10インチ片面スタジア測量用計算尺

 戦前逸見計算尺で最初のスタジア測量用計算尺のNo.90シリーズの位取りカーソル付きのNo.91の初期型です。これ、いつどこの地域から入手したかはまったく忘れてしまいましたが、裏のアルミ板が少々腐食しかかっているもののセル剥がれどめのスタッドピン付き副カーソル線付きA型カーソル付きでNo.90としては一番見栄えのするタイプのスタジア尺です。
 スタジア尺は超レアな技研No.9590からややレアなRICOHのNo.104は2本も所持しているのですが、これまでHEMMIのスタジア尺は2690を含めてまったくなかったジャンルの計算尺です。もっとも今は目視で標尺を覗くなどという時代はとっくに過ぎてレーザーを使用したトータルステーションを使用するようになってからも久しく、もはや助手と二人で行っていた作業も一人でこなすような時代になりました。うちにトランシット用の下げフリが未使用箱入りでなぜかたくさんあるのですが今や始末にも困ってしまい、いっそのこと猫のおもちゃにでも改造しようかと。確かほかにも過渡期に出現した超音波測距儀なんていうのもどこかにあるはず(笑)
 Dvc00664 このNo.91は表面がL, D [M1, M2, C] D, A で滑尺裏がS,S&T,T さらに下固定尺側面にK,AI尺が刻まれています。どういう計算でAのインバース尺が必要になってくるのかは今ひとつわかりませんが、この側面尺を読み取るのにフレームカーソルバーにカーソルを刻んだプラスチック片が埋め込まれていて、このカーソルで側面尺を読み取るようになっています。このシステムがなかなか秀逸で90系の特徴になっていますが、このスタジアのみの特別なカーソルを製造するのが大変だったのか戦後のNo.2690には継承されなかったのが残念です。
 90系スタジア尺の中でも個人的にはこのスタッドピン付きの初期型のNo.91がまとまりがあるというか一番見栄えがいいような気がします。おそらくこのスタッドピン付きのNo.91は昭和7年から2年間くらいの製造で、他のNo.64のスタッドピン付き等と同様にセルロイドの貼り方を改良したのかピンなしになってしまい、いささか見かけが寂しくなってしまいました。太平洋戦争が激しくなると生産ラインナップも物資枯渇で整理され、昭和18年頃の価格表にはNo.90と20インチのNo.96の2種類だけになってしまいます。そして戦後となっても90系統は復活せずヘンミのスタジア尺は新しいNo.2690が発売されるまで5年以上の間欠番になっていました。空襲で焼け野原になった日本の国土を新たに測量し、建物を建設するのにスタジア尺は不可欠だと思うのですが、なぜ欠品が続いたのかということに関しては一つの謎ですが、個人的にはヘンミの工場があった和光周辺には成増飛行場を始めとする軍の施設が多く、空襲の恐れがあったため、おそらくは生産設備の一部や彫刻原版などを山梨近辺に疎開させる準備をしていたのではないかと。その過程で90系の彫刻原版が輸送途中かなにかで戦災に遭ったか紛失したかして戦後すぐに再生産できず、新たにNo.2690を生産するまで時間が掛かったのではないか、なんて想像しています。 また戦時中に山梨に疎開させた生産機械で8インチ学生尺のNo.2640の製造をすでに始めていて、それが戦後すぐに山梨で独自に8インチの学生尺の製造販売のきっかけになっていたという話も想像してみると面白いのですが(笑)

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Hemmi91_20201003060201

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October 02, 2020

RICOH No.2501 10インチ両面技術用

 あまりオークション上にも登場しないRICOHのNo.2501です。おそらくはRelay時代から製造されてきたNo.151のリプレーズ版だと思いますが、No.151は昭和48年の製造で青蓋のポリエチレンケース入りのものまで知られておりそれ以降の製造だと想像していました。
 三年前に大阪の個人から入手してそのままだったため、今回改めてデートコードを見るとWS-4Lとあり、おそらくは昭和49年4月の佐賀工場製で最後のLは諸説ありますがこれで製造終了を示すLast Issueの意味合いではなかったかと想像しています。
 No.2501に関してはあまり詳しく取り上げた方もいないため、他にどんなデートコードがあったかもわかりませんが、どうもこの時一回限りの製造ではなかったかと。それも海外からのオファーがあったもののすでにNo.151のオフサイズのすぐに目盛りが刻めるベースが尽きていたため、No.1053サイズの本体にNo.151のデザインを少々近代的にアレンジして新しいフルログログデュープレックスの計算尺を作り上げてしまったのではないかと思います。
 その余剰品が国内にも出回ったのではないかと思いますがこのRICOHの4桁両面計算尺は技術用No.2501、電子用No.2506、電気用No.2509の三種類があったようです。
 実は以前RICOHのOEM先にアメリカのENGINEER'Sという会社があり、そこの発注品かとも思ったのですが、このNo.2501は単にENGINEERですからあえて使用用途の技術用の意味合いだったのでしょう。No.2506はELECTRONICS、No.2509にはELECTRICの刻印があります。アメリカに渡ったNo.2501を探したのですがそれに該当するものは出てきませんでした。計算尺末期の製品とはいえ、あまりにも出てくる数が少ないような気がします。この3種類の中でもNo.2506がかなり玉数が少なく、No.2509は十数年前には廃業文房具店発掘モノの未開封品を含めてけっこう出てきた時期があったのですが、最近はさっぱりです。
 表面からLL1-,LL2-,LL3-,DF,【CF,CIF,CI,C,】D,LL3,LL2,LL1の12尺、裏面はLL0-,L,K,A,【B,S,ST,T,C,】D,DI,P,LL0の13尺の合計25尺、π切断ずらしでCIFは近代的なグリーンCIFです。ケースはこの末期の両面計算尺にか使用されていないボール紙芯のビニールケースでご丁寧にも裏側に赤い別珍、いわゆるビロード地が張られていますが、かえって湿気を引いてしまい計算尺保管用としてはあまり適してはいません。カーソルは両面計算尺としては最後期型に属する小型のフレームがメッキプラスチック成形品、同じくアクリルの成形品カーソル板のはまったものです。

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October 01, 2020

KSSCばね設計計算尺(SPLING DESIGN CALCULATOR)

Dvc00657 Dvc00656   このバネ設計用計算尺は直径18cmもある大型の円形計算尺で、アメリカで開発設計されたものを日本で輸入販売するにあたり、日本語の説明書を添付したのかと思っていたのですが、メーカーを示す刻印はなくただ裏側にSJC(Spring Junior Club)とKSSCという印刷しかないので、どうやらSJCによって設計され、ケーエス産業株式会社というところから発売されたSPLING DESIGN CALCULATORというバネ設計用円形計算尺のようです。
 ケーエス産業は昭和50年に設立された標準規格ばねの専門商社で現在は台東区蔵前に自社ビルを構えています。外側ボール紙ケースに所在地中央区日本橋本町とご丁寧にも地図が印刷されています。本社ビルが千代田区から中央区日本橋本町に移転したのが昭和59年、台東区蔵前に移転したのが昭和63年ですからこの計算尺はその間の4年間に発売されたようです。
 現在はバネの設計というのは完全にパソコンのソフトウエアーに依存しており、昭和末期からパソコン普及期までのほんの短い間に需要があった計算尺なのでしょう。以前日本特殊計算尺製のバネ計算尺を譲っていただいた専門の設計者の方に聞いたところ、普通の機械設計屋でたまにばねの絡む計算しかしない技術屋には専門のバネ計算尺はかえって使いにくく、あまり出番はなかったとのことで、このバネ設計用計算尺もまったく使用された形跡のない未使用品でした。
 使用用途は説明書によると圧縮コイルばね、引張コイルばね、ねじりコイルばねの設計、応力の検討、またすでに設計されたばねの確認(但し断面は円形)となっており、各尺種記号はd:材料の直径(線径)mm、D:コイル平均径 [(コイル外径+コイル内径)/2]、N:有効巻数、G:横弾性係数、E:縦弾性係数、P:ばねに掛かる荷重、M:ばねに作用するねじりモーメント(トルク)、F:ばねのたわみ、T:ばねのたわみ角度、R:ばね定数、S:応力、D/d:ばね指数となってます。
 このばね設計用計算尺は計算尺としてはかなり新しいということもあり、現役のばね設計屋さんの机の中にはけっこう残っているという話も聞きます。もっとも日常で使用するのはエクセルだそうですが…


 

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September 30, 2020

星円盤計算器(STAR SLIDING DISK) No.1660

Dvc00655   北陸富山市内で開発発売された星円盤計算器のフルLogLog版No.1660です。
これは同じく富山市内在住の現在72歳の現役技術者の方が工業高校進学の際に購入したもので、卒業後に関数電卓などを購入したものの、簡単な計算は手慣れた計算尺のほうが使い勝手が良くて今まで手元に残しておいたものだそうです。
 そのご当人は同一市内の稲垣測量機械店で開発発売されたものだということはまったくご存じなく、そのことをお話したら大変に驚いておられました。
Dvc00654  団塊世代の方ですから高校進学は昭和40年前後だと思いますが、稲垣測量機械店のことをご存知ないとしたら、そのときすでに星円盤計算器の製造は止まっていて、流通在庫しか残っていなかったということでしょうか?
 さすがにずいぶんと使い込まれた計算尺で、カーソルは擦り傷だらけ。カーソルバーは一般的なコンサイスのようにバネで押さえているものではなく、おそらく溝に貼ったフェルトのフリクションで止まっているものがそれがすっかり擦り切れてカーソルがブラブラになり、中心ねじ軸に不格好なシムを何枚か重ねてカーソルが止まるようになっているというシロモノでした。まさに満身創痍の歴戦の勇士という感じですが、不思議とそういう使い込まれた計算尺には何か役目を終えたすがすがしさのようなものを感じます。
 星円盤計算器では最も尺種の多い計算尺で24種を数えます。表面外側からLL3,LL2,LL1,LL0,K,A,D,C,CI,EI、EIは1から√3と√3から10を一周とする2本の逆尺です。またカーソルがD,A,上に副カーソル線を持つため、主カーソル線がオフセットされておりカーソル上にもすべての尺種が赤字で刻まれています。
 裏面は外側から-LL3,-LL2,-LL1,-LL0,L,DI,D,T,S,T,S,T,ST,となっており、微小角もゲージマークなど使用せずにかなり正確に読み取れるということは、元々が測量機械店の開発であるということのこだわりでしょうか?tanの配分は4.5°-84°、5°45'-45°、35'-5°43'の三分割、sinは5°45'-90°、35'-5°45'、最微小角はもうtanと変わらないレベルとのことでTS目盛りとなり共用の10'-35'となってます。ここまで三角関数の微小読み取りにこだわった計算尺は本当に珍しいようです。ちなみに画像のように表面はカーソル下向きがカーソル上に刻まれた尺種類記号が正立する正位置で、裏面はそのまま裏返してカーソルが上向きなのか正位置です。
 何せ使い込まれた計算尺ですからクリーニングと傷消しも大変でした。まずカーソルの真ん中のねじを外し、さらにカーソルバーから片側三本のねじを外してばらばらにし、本体はマジックリンで磨くと当時の職場環境もあったのでしょうけどたばこのやにのコーティングが取れてほぼ元のセルロイドの風合いに戻りました。素材はコンサイズのような塩化ビニールではなくセルロイドで間違いないようです。カーソルは裏側に簾のように付いた擦り傷を久しぶりに用意したアクリルサンデーのアクリル専用研磨剤でひたすら磨き倒すとほぼほぼ目立たないようなレベルになりました。
 カーソル裏は毛糸状のもの、実は手近に転がっていたランタンマントルの締め付け糸の切れ端を挟むと、これが見事にフィット。きつからず緩からずでちょうどいい感じになり、組み立ててそこそこ見ることのできる星円盤計算器No.1660のクリーニング終了。
 この前所有者の方、高校入学の時に購入したというお話でしたが、高校の授業ではやはり棒状計算で授業が進められるでしょうし、円形計算尺はその内側ディスクのとっかかりの無さから計算尺さばきが遅くなり、スピード計算に向かないという致命的な欠陥があります。村上次郎氏のように円形計算尺で工業高校教育用に食い込もうとした革新的な思想の計算尺教育者もいますが、当時はやはりスピードと正確さが競技として盛んだった時代にこの一連の円盤計算尺が食い込もうとしたのは無理があったような。
 国内では北陸三県と長野辺りからしか出て来ない星円盤計算器ですが、実はアメリカに輸出されていたことを今回調べて初めて知りました。もちろんどこかの輸出業者が仲介して輸出に及んだのでしょうが、当然のこと英語版の箱ラベルと英語版の説明書が付属しており、No.120、No.130、No.250の3種類の存在が確認されていてNo.1660はまだ見つかりません。
 もしかしたら稲垣測量機械店の廃業後に仕掛品や在庫が他社にわたり、それがアメリカに換金のため渡ったのでしょうか? 何せ個人商店規模の会社の製品のため、そういうこともあったのかもしれません。


 

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September 20, 2020

サイクル25開始、極小期は2019年12月

 NASAとNOAA(アメリカ海洋大気局)の専門家グリープで構成されるサイクル25予想パネルはサイクル25の活動周期が始まったことを発表しています。
現在はサイクル24から25への移行期と考えられており、前後6ヶ月も含めた13ヶ月の太陽黒点相対数の最小値を記録したのは2019年の12月という結果をもってサイクル24からサイクル25への転換期が2019年12月であったということが推測できるとのこと。
 そうなると現在(2019年9月)はサイクル25の始まりから9ヶ月経過したことになり、サイクルが11年周期であることを考えるとサイクル25のピークは2025年の7月あたりになることが推測できるとのこと。
 サイクル24はこの100年でもっとも活動が弱く、1755年からの11年周期の太陽黒点活動期においても4番めに弱かったといわれておりますが、アマチュア無線家同士が顔を合わせるたびに「なんにも聞こえない」が挨拶みたいになっており、どうもサイクル24の低調がアマチュア無線局減少に拍車を掛けたと誰しも考えているようです。それでもPoorな無線環境にもかかわらず、いまだにアマチュア無線にしがみついている当方みたいなのがいるのは、サイクル23のときのまだそこそこ活発な伝搬でいい思いをしているのと、次のサイクル25こそ再び活発な伝搬があるのではないかという期待からみたいなものですが、サイクル25の活動状況はサイクル24と同程度のものではないかと専門家は予想しているようです。

 サイクル24のPoorなコンディションにおいてアマチュア無線界で飛躍的に発達したのはデジタルモードによる文字通信でしたが、やはり「世界中のハム仲間とリアルタイムで会話が出来る」というような伝搬コンディションにならないと世界的にも無線人口はなかなか増えていかないような気がしますし、「インターネットでリアルタイムで会話出来る時代になぜ無線なのか」ということが明確に自己分析できない層がアマチュア無線に参入してくることはないでしょう。

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July 28, 2020

昭和期のDIETZ No.80 BLIZZARD ハリケーンランタン

Dvc00553 Dvc00552 Dvc00554   世の中は空前のキャンプブームだという話です。キャンプ芸人なるジャンルが出来て、それぞれそれだけでゴハンが食べられるくらいにキャンプというのが社会的にバズって来たようですが、当方はまったくのインドア派。
おまけに家の猫を放置して頻繁にキャンプに出かけられるような環境でもないのですが、それでも中学時代の昭和40年代後半には同好の志数人と光害の少ない所を求めてテントを張り、2泊3日くらいの日程でペルセウス流星群観測に出かけるのが恒例で、それくらいのキャンプ経験はあります。その時に購入したのが今は無きホープのLサイズのコッヘル。コンロはケロシンストーブなどを買う余裕もなく、缶入りのテムポの固形燃料を使用してご飯を炊き、おかずは缶詰かレトルトのカレーを食べながら、夜はもっぱら流星観測。そのため照明は赤いセロハンを張った懐中電灯と乾電池式のランタンくらいしか必要なく、マントル式のランタンなんか誰も使い方さえ知りませんから当然そんなものありません。なにせレジャー目的のキャンプではないわけですから(笑)
 それから20年くらい経過して当時のNIFTY酒フォーラムのメンバー有志に誘われて参加したキャンプはすでにテントや明かりも調理器具もコールマンに占領されていて、ホープやエバニューしか知らない当方には隔世の感がありました。調理はコールマンのツーバーナー2台、明かりもコールマンのツーバーナーマントルランタンが複数台で、灯油ランプしか知らない当方にとってはキャンプサイトが目が眩むほど明るい(笑)
そういう近代的なキャンプの洗礼を受けたものの、当方コールマンのガソリンランタンにはまったく興味がなく、明かりと言えばもっぱら明治大正昭和の吊りの石油ランプ及び炭鉱用安全燈に対する歴史資料的な興味しかわかなかったのです。
 そういうコールマンコレクションから始まるランプマニアとは一線を画す当方ですがどうしても欲しかったのが大型ハリケーンランタンのDIETZ No.80 BLIZZARD。それも無残にコストダウンされた現行品ではなく40年近く前のNo.80にしか興味が持てないのです。というのも米国本国のR.E.DIETZは1992年に廃業していますし、1956年に設立されたR.E.DIETZ in HONG KONGがすべてのDIETZランタンの製造を1971年以降、行っていますが、その香港DIETZは香港内での人件費高騰から1982年以降はDIETZランタンのすべてを中国国内の製造に移行させています。そのため、広州月華や上海光華牌などの安価なハリケーンランタンを作っていたメーカーがDIETZの商標がついたランタンも並行して製造するというようなことになり、安価なランタンを未だに製造し続けることが出来たというか、逆に言うとコストダウンと妥協の産物になってしまい、もはや同じ型番の製品ながら「DIETZの商標のついた中国製ランタン」でしかなく、道具として愛着が湧かず、単なる消耗品に近い存在に思えてしまうのです。
 DIETZきっての大型ハリケーンランタンNo.80にしても香港で製造していた時代のホヤはDIETZが陽刻ですし、ホヤの左右にガードにはまり込む突起が着けられていますが、今のすべてのDIETZランタンはDIETZマークはシルクスクリーン印刷で済まされて、No.80のホヤも突起のない単なるらっきょう型ホヤになってしまいました。また中国にありがちですが、正規品として香港DIETZを通さない形でヤミのDIETZが正規品以上に大量に出回っているような節があります。

 このNo.80を入手したのはもう15年も前で、それなりに使い込まれていてサビなどもあり、見てくれも悪いのですが古いDIETZのハリケーンランタンには違いありません。おそらくEVERNEWが輸入した時期の製品だと思うのですが本体にはMade in HongKongなどの刻印やシールはありませんでした。ビニールハウスの保温用に使用されていた個体だったらしいのですが、今はビニールハウス保温に特化したランプがありますからこんなものをわざわざ買って使う農家はいないでしょう。ちなみにEVERNEWは大小様々なハリケーンランタンを自社ブランドで発売していましたが、中身は香港DIETZあり、中国本土のランタンメーカーの製品ありで玉石混交でした。80年代初頭、すでにHOPEは廃業していましたがTOKYO TOPも同じように中国製ランタンを自社ブランドで輸入発売していたようです。

 No.80は芯の幅が約21mmあまりのいわゆる7分芯で、昔の一般家庭では5分芯の吊りランプの下で家族が生活していたことを考えればそれなりに明るいランプです。それにしても一般のキャンプで使われるような300CPや500CPのマントルランプの光に比べたら豆電球並の明るさの感覚しかありません。
 ゆえに今更キャンプでメインの明かりとして活躍することはなく、単なるノスタルジーに浸るための小道具の一つでしかないと言えるのかもしれませんが、そのありがたみと有効性を改めて感じたのは胆振東部地震による「ブラックアウト」と呼ばれた北海道全道停電事故でした。
 実は地震前日に本州、特に近畿地方で暴風被害が大きかった台風が夜中に通過するということを知り、停電に備えてハリケーンランタン2個に給油して置いたのですが、台風による停電被害はなく、翌日夜中に起きたのが隣の厚真町で震度7を記録した胆振東部地震でした。
 うちの街では震度5強の記録でしたが寝室は落下物で瓦礫の山を築き、ドアが開かないので屋根伝いに脱出して階下に降りるとまだ水道も電気も通じていたのでありったけの容器に水を確保し、風呂桶にも水を貯めました。そのうちに停電で真っ暗になり、マグライトを探し出してリビングにぶら下がっていたDIETZのNo.80に火を入れましたが、その間も余震が収まらずそのNo.80を持って逆のルートで猫二匹が待つ2階の寝室まで戻りました。
 しかし、街全体がブラックアウトしているときにNo.80の光はなんと明るいことだったでしょうか。朝を迎えて明るくなるまで一時間半あまり、余震に怯える猫どもをなだめながらNo.80ハリケーンランタンの光で電池の残量を気にすること無く過ごしたのです。
 翌日、ホームセンターなどでは乾電池やカセットガスボンベ、飲料水を求めて長蛇の列が出来ましたが、当方灯油ランプは売るほどの数を所持していますし、そもそも家がプロパンガスのままなので明かりと煮炊きにはまったく心配がありませんでした。
「空き缶とアルミ箔、ティッシュの芯で即席のサラダ油ランタンを作る」くらいだったら万が一に備えてハリケーンランタンを一個購入し、給油したままどこかに吊るしておくのがいかに有効であるか、一度は考えてみましょう。
 うちの町内は地震後11時間で停電が復旧し、暗い夜を再びNo.80とともに過ごすことはありませんでしたが、うちの市の半分以上は翌朝まで、札幌は場所により4晩くらいまっ暗な夜を過ごさなければいけなかったところもあったようです。当方は余震を警戒して一週間近く、リビングに簡易ベッドを広げて再度の停電に備えランタン吊りっぱなしで寝てました。




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July 13, 2020

Patterson HCP炭鉱用高輝度安全燈(炭鉱用カンテラ)

Dvc00536 Dvc00535  Dvc00534イギリスはニューカッスルに存在したパターソン社のミュゼラータイプの安全燈A3型は当方が入手した2番めの安全燈でした。このパターソンA3型は二重ガーゼメッシュの中にチムニーが存在するマルソー型とミュゼラー型のいいとこ取りのような存在の安全燈で、英国の鉱山監督局の検定を通った近代型の安全燈のはしりのような製品でした。しかし、アーネスト・ヘイルウッドが設計した一連の安全燈と比べると目新しい仕組みなどもなく、ロックシステムは旧態依然のリードリベットロック。芯の繰り出しも先が曲がった針金で平芯を引っ掛けて上下させるというウィックピッカー式などと取り立てて工夫のない油燈安全燈です。
 それから何年か経過して突然登場したのがこのパターソンHCPというランプです。HCPの意味はHIGH CANDLER POWERの略で、高輝度安全燈を意味します。というのも1915年頃を境に英国内の炭鉱でも手提げの蓄電池安全燈であるシーグやオルダム、ニッフェなどが普及しはじめ、その明るさは旧態依然の油燈式安全燈がかなうようなものではなく、そのため油燈式安全燈で蓄電池式安全燈には及ばずとも明るい高輝度の安全燈を作ろうという試みから生み出されたものです。

 光量はウルフ燈のような棒芯燈よりも平芯燈のほうが炎が大きい分単純に明るいのですが、同時に発熱量も多く、さらに棒芯などよりも燃焼により多くの空気流入量が必要なため、さらなる高輝度のためには根本的に空気の流入なども含めた安全燈の再設計が必要でした。そのため、ガラスのインナーチムニーを用いて空気の流入経路を一方通行にし、よくはわかりませんがボンネット内部で一種のホットブラスト化して外部からの吸気を高め、燃焼効率を上げてより多くの光量を得たのがこのPatterson HCPランプのようです。

 ただ、小型の石油ストーブ並みにボンネット部分が高熱になり、石炭採掘現場の坑内員の半裸の作業環境では肌に触れると即火傷という事故を免れることが出来ず、外側に放熱を兼ねたコルゲート状のシールドが取り付けられているのですが、それがいかにも頭でっかちというか不自然で、おそらくは当初の設計にはなく後付で追加されたものなのでしょう。この高熱問題は後々まで後を引き、温度を多少和らげたHCP9という改良版が最終版なのですが、その間にもインナーチムニーの保持などを変更した改良が次々にほどこされていったようです。年代的には1920年代後半から1930年ころまでの製品らしいのですが、設計がそもそも誰だったのかなど、詳しいことはよくわかりません。
 着火は据え置き型の蓄電池とイグニッションコイルを使用した再着火装置を接続し、火花を発生させて着火させる「電パチ」です。このリライターのパテントはアーネスト・ヘイルウッドが取得していたと思いますが、その当時はすでにパテントも失効し、自由に使用できたものだと思われ、各メーカーでも普通にこの電気式リライターシステムを使用しています。古い時代の安全燈と同様にガードピラーが一本だけ長くて油壷を取り付けるとボンネット下部にはまり込む仕組みのボンネットロックが着いています。また油壷のロックは取り去られていましたが、おそらくはヘイルウッドがパテントを取った油壷下部からのプランジャーが腰ガラス下部のガードピラーリングの内側のギザギザに噛み込む仕組みで、油壷下部に磁石を当ててプランジャーを引っ込めて解錠する磁気ロックシステムだったのでしょう。

 それでこのパターソンHCPは日本にあったものではなく、英国で使用されていたものを日本に輸入した方から入手したものです。年代的にも1930年というと昭和の5年ですから日本の炭鉱でも明かりとしての揮発油安全燈はまだ数は残っていたもののほぼ用済みで、よほど小さな石炭鉱山でもない限り帽上蓄電池燈にほぼ切り替えが完了しつつあったころです。そのためこの手の油燈の高輝度安全燈を試験名目でも輸入したことはありません。
 よく外国船の備品として搭載された安全燈と思しきものが神戸や横浜の古い港町から発掘されることもありますが、このパターソンHCPは船舶搭載用の防爆燈としては少々使いにくく、そのルートから日本に入ってきたこともなさそうです。

 

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June 25, 2020

アマチュア局の終活・タワー撤去工事

  Dvc00484 Dvc00483  アマチュア無線の人口構成も年々高齢化が進み、就活ではなく終活に突入するOMさんも多くなり、局免の期限が来たら廃局するなどという話をよく聞きます。その時に一番の問題になるのがタワーの撤去。昔だったら「バラしてくれるんだったらただであげるよ」なんて声をかけると喜んで仲間を呼んで撤去して持って行ってくれたものですが、最近は分解済みのタワーでさえくれるといっても貰い手がない時代になりました。終活中にきれいにタワーまで始末してくれればいいものですが、問題はタワーを残して本人が亡くなってしまったケース。生前にタワーの始末をどうやってつけるか、誰に頼めばいいかの指示を家族に告げておけばまだいいのですが、それもないまま無線にまったく興味もない家族が困り果てるというケースも多いのです。
 そこで最近はアマチュア無線のタワー撤去を本業にして全国各地を回っているご夫婦もいますし、送電線などの鉄塔の建塔・解体を本業とする業者がアマチュア無線タワー撤去の業務を行うチームを持っているところもあり、全国的にもアマチュア無線タワーの撤去問題は無線人口の高齢化とともに深刻さを増してきているようです。なお、建物解体を本業とする業者や電気工事業を専門とする業者に頼んでもアマチュア無線のタワーはクレーンなどが入り込めない場所などに立っているケースが多く、腐食の度合による危険度もわからないので撤去工事は断られるケースが多いそうです。
 今回は生前からすべての無線関係の始末を頼まれていたJA8EHPのタワーの撤去で、廃局は当方が書類を作成し遺族に提出してもらい廃局は済んだものの、本来は「遅滞なく空中線撤去」しなければいけないものの、新型コロナウィルスによる社会活動自粛の影響でチーム作業することが出来ず、タワーの撤去が6/14にずれ込んだもの。
 撤去はJA8YKS解体チーム3人と当方の4人。この中でもう半数が70歳越えですから当然タワーに登るのはUGI局と当方の2名。まずUGI局がGPとダイポールアンテナ外しに上に上がり、U字ボルトからダイポールのマウントが外れないトラブルなどもあり、最初のアンテナ外しに1時間くらいかかりました。 そののち2名でタワーに上がり、アンテナマストとローテーターを外して滑車とロープで下に下ろし、そののちは1セクション40分ほど掛けてボルト撤去ののち滑車で下ろすを繰り返し、昼休みを挟んで4時過ぎまでに土台部分のセクションをサンダーで切り落として撤去完了。 当日は6月の当地にしては珍しく最高気温が25度超えの夏日で夏の日差しが照り付け、おまけに昼前から少々風が強くなりあまつさえ3時過ぎにはにわか雨まで降るという天候。暑さでボーとして安全帯の胴綱の掛け方を間違えないように注意。安全帯は縦の補助吊り併用で胴綱を掛け換えるときに無吊りにならないように柱上安全帯にあらかじめ追加しておきました。誰だってタワーから落ちて死にたくはないものです。
 それでアマチュアのタワーからの落下事故というのはたまに起きることで、タワーに登る限りは柱上安全帯は必須です。最近は普及率は高いと思います。それでも縦の補助吊り併用というのは必ずしておきたいことで、上まで登ってから無吊りの状態で胴綱をタワーに回すというケースがいまだに多いのではないでしょうか?
 このJA8EHP局タワー撤去工事の5日後、札幌北区で自局のタワー撤去中だったのかタワーの下でさるOMさんが柱上安全帯締めたまま意識不明で発見され、病院に搬送されたというNHKのローカルニュースがありました。タワーから落下したのか落下物に当たったのか不明とのことですが、おそらくは補助吊りはしていなかったのでしょう。
年齢も79歳ということでしたが、やはり無線の終活中の事故だったのでしょうが終活中にタワーの最上段のワンセクションだけ下ろして本人も落ちたのだったらしゃれにもなりません。死にたくなかったらどこかのタワー撤去チームに撤去依頼したほうが賢明だったでしょう。


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May 22, 2020

ドイツ製ウルフNo.856鉱山用カーバイドランプ

Dvc00427  日本で工業的にカーバイドの大量生産を開始したのは最近アビガンのマロン酸ジエチル原料再生産でも名前が出てきた化学メーカー「デンカ」の母体になった会社で場所は北海道の苫小牧市でした。時は明治の末期、木材資源や水力発電の好立地が近く、鉄道もつながっていた苫小牧市に王子製紙の苫小牧工場が建設されますが、その水力発電の余剰電力と王子製紙の工場内でも製薬に使用される石灰石が共同で購入でき、さらに日高方面から豊富に調達できる木炭があったため、この電力・石灰石・木炭を使用して北海カーバイド工場が設立されたことに始まります。アセチレン発生源としてのカーバイド生産というよりも炭化カルシウムと窒素を反応させて農業用肥料として生産がほとんどだったとは思いますが、この苫小牧におけるカーバイドの生産は大正末に王子製紙の拡張で余剰電力が得られなくなったために新潟の糸魚川に移転。そのカーバイド工場の社宅や職員以外の職工たちは王子製紙苫小牧工場に転職しました。
 我々の世代はカーバイド工場があったことさえ年寄りからの又聞きでしかありませんが、昔は「元カーバイドにいた〇〇さんの息子が…」なんて会話が普通にあったものです。現在、王子紙業という回収紙から再生パルプを生産する会社の敷地内に「デンカ発祥の地」という小さな記念碑があります。
 日本におけるカルシウムカーバイドを使用したカンテラですが、当初は灯具もカーバイドも輸入品で高価なものでしたが、取り扱いの容易さと旧来の油燈カンテラよりも光度があり、明治の末頃から主に金属鉱山を中心に普及してゆきます。明治末期にはカーバイドランプを専門に製造する会社も何社か出現し、どういう経緯か規格品24号とか言う真鍮製のカンテラを等しくどこのメーカーでも作り始め、全国の金属鉱山に急速に広まったという歴史があります。
 それ以前に使用された輸入品のカーバイドカンテラは主にアメリカ製の真鍮プレス製のものが使用されていたようですが、日本では西欧諸国のように帽子を被る習慣がないため、米国のような小型のカーバイドキャップランプというものはなく、中型サイズ以上の取っ手付きのものが坑内巡視の職員の手によって使用されたという程度だったためか、今になって残る輸入品のカーバイドカンテラは大変希少な存在です。
 Dvc00426 このカーバイドカンテラは日本国内にあったもので、おそらくは明治の末期から大正初期にかけて国内に持ち込まれたものらしいのですが、正体がわからず、また炭鉱で使用されたカンテラではないため鈎の形状から旧ドイツ製ということはわかるものの入手以来3年ほど放り出していたものです。
 今回、ドイツ製カーバイドランプで画像検索して得た結論は、なんとウルフ揮発油安全燈の製造元であるドイツはフリーマン・ウルフ商会で製造されたNo.856というカーバイドランプらしく製造は1910年から1920年らしいのです。得体のしれないカーバイドランプがウルフの名前を冠することがわかって俄然興味が湧いてきたとは我ながらお恥ずかしい限りですが。
 形状は炭鉱用のウルフ揮発油安全燈と比べるといかにも無骨でデザインの美しさの微塵も感じさせませんが、そのメカニズムの秀逸さとして、本体タンク部分のロックシステムにあります。金具を引っ掛けて取っ手を起こせば本体とタンクが圧着して気密がたもたれる仕組みで、ネジで締め付けるものと比べるとその設計の巧みさはさすがはウルフ氏の手に掛かった灯火器という感じがします。この圧着システムは前製品のより効率的な改良システムです。
 材質もウルフ揮発油安全燈同様にスチール外皮ですが、ウルフ揮発油安全燈のように真鍮の中子は必要がなく、タンク部分は単なるカーバイトを格納するスチールプレス製圧力容器です。。この辺りは真鍮のプレスや鋳物の加工でしかカーバイト燈を製造できなかった明治から大正期の日本とは基礎工業技術の差を感じさせます。
このウルフカーバイドランタンはアメリカに輸出されたものが日本に再輸出されたのではないかと思われますが、このNo.856の時代にはちょうど第1次世界大戦が勃発し、炭鉱用のウルフ揮発油安全燈もこのウルフカーバイドランタンもアメリカへの輸出が止まってしまいました。日本でもウルフ揮発油安全燈同様に輸入が止まってしまい、カーバイドカンテラ本体の国産化が推進されるきっかけになったのでしょう。それ以後外国製のカーバイドランタンが日本で輸入・使用された形跡は残念ながらありません。
 入手先はたぶん群馬県内だったように記憶していますが、売主は舶来の油さし容器だと思っていたような。おそらくは防炎を兼ねた反射板を取り付けられるようになっていたのでしょうが、その取り付け金具のロウ付けがはがれて欠落してしまったようです。
 ちなみにドイツのウルフ商会では炭坑用に揮発油ではなくカーバイドを使用するカーバイド式安全燈も製造していました。しかし、灯油などと違って灯火器用カーバイドの入手はまだまだ困難な国が多かったためかまったく普及しないで終わってしまったようです。

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March 24, 2020

オリンピックの聖火を運ぶランタンはどこのメーカーの製品か?

 オリンピック発祥の地ギリシャから航空自衛隊松島基地に降りたオリンピックの聖火。 そのときにチャーター機から降り立ったランタンがどこのランタンであるか、売っていたらほしいなどというキャンピングランタンマニアがあれこれツィートしているのを見かけて少々WW

 あのランタン、英国製のトーマスウイリアムスなどの灯油使用の炭鉱安全燈レプリカではなくて、英国製Protector lamp & Lighting社のEcless揮発油安全燈Type 6のレプリカ、オフィシャルオリンピック仕様でしょう。 油壺のロックシステムの形状を見れば炭鉱安全燈マニアはすぐにわかるW もともと創業1873年の英国ランカシャーの安全燈メーカーだったのですが、Type 6は英国の鉱山保安局の検定を通った本物の炭鉱安全燈です。オリジナルは鉄製ボンネットの油燈Type6がいつのころからかボンネットを鉄から真鍮に変更したいかにもレプリカ然とした揮発油燈になったものを、どこかの会社が社名Protector lamp & LightingとEclessの名前を継承して製造しています。

 そのProtector & LightのEclessオリンピックランプはすでに30年ほどの採用実績があるようで、大会ごとに微妙に姿を変えているようですが、一貫して腰ガラス(明治の炭鉱用語)側面に鎖でつながれたプラグが付いていて、ここから火種を取り出せるようになっているのが特別仕様の証拠。 燃料は国内ではおそらくどこでも手に入るジッポのライターオイル(粗製ガソリン=ナフサ)を使用するのでしょうか?再着火のためのリライターシステムが付いており、なぜか外側からラックが刻まれたピンを差し込んでライター石のホイールを回すという特異なシステムを備えます。チャーター機から降りてきた大きなループ状の取っ手のついた安全燈と各地を巡回する炭鉱安全燈の姿そのものの真鍮フックが付いたものの2種類が使用されているようです。 実は、56年前の東京オリンピック時にギリシャから聖火を運び、各地を巡回した安全燈は当時の国産本多電気製(旧本多商店)の本物のウルフ揮発油安全燈と予備にハッキンカイロが使われたんだそうで。 今や日本国内でこんなものを作る機械も技術も継承されなくなってしまい、技術立国日本の聖火が国産安全燈ではなく英国製レプリカ安全燈だっていうのが少々釈然としないとは当方だけでしょうか。それだけ炭鉱技術という忘れ去られた負の遺産は顧みられないのでしょうね。

 なお、オリンピックマークなどをあしらったトータルデザインは吉岡徳仁さんというデザイナーさんらしいので、まったく同じデザインの物を入手するのは無理なようで。 

 ベースになったProtector & Lighting Co. Ecless Type 6レプリカは英国FOBで£299.00くらいらしいです。どうしても欲しい人は
https://www.protectorlamp.com/olympic-torch-relays/ 

に問い合わせてみましょう(笑)

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March 14, 2020

津田式體格計

 體格計(体格計)というと解剖標本や生理体力測定器の老舗だった山越工作所の大串式體格計が知られており、当方も新旧2枚の大串式を入手していますが、大串式体格計の考案者が大串菊太郎という非帝大出身英国留学帰りの解剖学者でれっきとした医学博士だったのに対して、こちらの津田式體格計は軍医出身で在野の開業医だった津田侃二の3点の特許を基に作られた身長体重胸囲によって発育の良不良などを合理的に導き出すためのれっきとした計算尺です。この津田侃二医師が大正2年に開業した津田医院は子息の2代目院長の代を経て、現在は広島医療生活協同組合の津田診療所として広島市安佐北区可部町に現存しています 今年2020年で開業107年目に入るそうです。 

 この津田式體格計は陸軍軍医時代に円形のものを開発して特許を取ったのが最初のものらしく、この計算尺式のものは学校教育の現場でも校医だけではなく教師でも容易に使用し、年齢なりの体格に育っているかどうか判定できるために開発した改良品のようです
 特許が3点降りておりNo.32891が大正7年5月、No.37613が大正9年11月、No.37817が大正9年12月の許可です。

 実は大正9年7月に文部省訓令第9号というものが出て、その「発育概評決定基準」というものがいかに不合理であるかということを訴え、体格判定基準には年齢なりの身長・胸囲・体重の三要素が基準に判定されるべきということを説いた津田侃二の小冊子が国会図書館でデジタルアーカイブ化されており、その発刊が大正10年ですからこの津田式體格計もおそらくはその前後製品、というよりも今に残った数からして特許を取得するために実際に製造したものと古巣の陸軍に買い上げられたものなどの「非常に限られた数」しか製造されなかったのではないでしょうか?
 というのも、この津田式體格計の材質は間違いなく「黒檀」です。紫檀や黒檀、紅木などの三味線の棹素材には特に目利きの三味線弾きでもある当方の見立てですから間違いはありません。黒檀(エボニー)というのもいろいろな種類があり、今ではワシントン条約の関係で輸入できないものが多いのですが、こちらに使用されている黒檀は間違いなく特に重量の重いいにしえに高級仏壇に使用された最高級に近い黒檀素材です。 それだけに超ヘビーな計算尺なのですが、おそらくは本当に仏壇などを製造していた指物師に作らせたものなのでしょう。目盛りを刻んだ薄いセルロイド板を固定尺・滑尺にニスかニカワで張り付けるタイプの構造をしています。そのため、長年の湿気のためかセルロイドは縮み、最大で8mmほど短くなっていますが、そろそろ100年近く前の計算尺ですから致し方ありません。
 また相当分厚い黒檀の板の一枚板を見事に削り出した細工なのですが、それも湿気のせいかややセルロイドの縮む側に反っており、そのためやや滑尺の動きを阻害している感じです。しかし、滑尺は両面にセルロイドが張り付けられているため、反りもなく良好な形態を保っていました。
 下固定尺には津田式體格計 PATENT.No.32891. No.37613. No.37817. TSUDA'S CORPORIMETER No.788の刻印があります
 形状は当時のA.W.Faberなどによくある形状でカーソル枠なども同一ですので、A.W.Faberの計算尺をサンプルを実際に見せ「こういう形状で作ってくれ」と仏壇の指物師に製造させたのでしょう。
 当初はその縦横のバランスから5インチのポケット尺かと思い、届くまでこれほど大きな計算尺とは思わなかったのですが、実際の大きさは横が31.4cm、縦が6.5cmと横幅は10インチの両面計算尺並みですが、縦はそれを遥かにしのぎます。滑尺が3本あるという国産の計算尺としてはかなり特殊な計算尺で、上から年齢,[男胸囲(尺)],年齢[男体重(貫)],身長(尺),[評点]となっており、滑尺裏は性別が女、評点の滑尺裏は劃(画)度(標準からどれほどずれているか) の目盛りがl刻まれています。
 対象年齢は学童年齢の7歳から壮丁21歳までで、文部省が大正9年に交付した「発育概評決定基準」に対する矛盾点を科学的にではあるもののやや感情的に批判する冊子が残っていることから、その主眼は学童教育の現場での使用を目指して開発したものであることは確かなようです。それでも冊子の中で陸軍軍医としての勤務中に甲種合格者の体格体力のばらつきからそれらを合理的に判定することがそもそもの体格計開発のきっかけというようなことが書かれているようなので、最初の円形計算尺はそのような徴兵目的のための体格判定が主眼だったのかもしれません。 形式番号かと思われるNo.788の謎解きですが、どうもNo.7という刻印が先に刻まれ、あとから88が打たれた、ような節があります。そうするとNo.7が最初のパテントが降りた大正7年を意味する番号、88は製造番号なのかもしれません。おそらく材料も手間もかかる、また用途も限られる計算尺を大量に製造することができず、おそらく100本前後の数しか作られず、しかも広島ローカルの範囲内にしかでまわっていないのかもしれません。また古巣の陸軍の買い上げも多少はあったのでしょうか。この個体の入手先も広島市内でした。
 この個体は計算尺のみの発掘でしたが、以前に最初期の逸見計算尺同様に立派な木製のクラムシェル型ケースに入ったものを一点だけ見かけたことがあります。
  開発者津田侃二医師は可部町の開業医として地域住民の信頼も厚く、診療所は2代目の津田医師に受け継がれ、今も診療所として地域医療に貢献しているようなのですが、実は昭和20年8月6日の広島原爆投下の際に主に可部町に搬送された被爆者たちの治療に他の可部町内の開業医を率いて治療に当たったそうで、医薬品の不足している中で治療に苦労されたという話が残っています。また当時ひどいやけどで搬入された患者に水を飲ませてはいけないという方針に反して水分補給をふんだんに行ってそれによって命を救われた被爆者も多かったという話も伝わっています。

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February 29, 2020

JA8EHP 奥克之氏サイレントキー

Dvc00049-1 元JARL胆振日高支部長のJA8EHP奥克之氏が2月26日サイレントキーされました。享年78歳でした。
苫小牧市で音羽治療院という鍼灸マッサージ業を今年で50年も営んでいた通称「先生」はご存知の方も多いとは思いますが、全盲のブラインドハムです。
赤十字無線奉仕団とかいう団体の関係だったからか、JA8ATG原先生の要請でなり手のなかったJARL胆振日高支部を引き受けたのですが、地域クラブ単位の集まりである胆振日高支部の支部長を引き受けざるを得なかったということから、何ら引き継ぎもなかった支部の会計報告や事業計画などに関して支部大会で理不尽にも追及される目に遭ったとのことでした。
そんなことで翌年の2006年支部大会前にJA8XWY久保田氏に支部運営を手伝ってくれと言われてお宅に伺ったのがJA8EHP奥先生とのおつきあいの始まりでした。
支部長職は先生の健康上の理由で2期4年で当時の伊達クラブの会長に引き継ぎましたが、当時JARLは公益社団法人目指して盛んに無線関連のボランティア活動を要求され始めた時期でした。そのため、青少年に対する教育活動の一環として2月に行われる支部のニューメディア交流会というの通して小学生へのラジオ組み立て教室を行ったり、無線局公開運用。特小機を
使用した無線機体験。および支部員対象に有力講師を招いてPSK-31教室を開いたり、Z-LOGを使ったパソコンモールス通信の基礎と実践、オシロやスペアナを使った測定の方法などの行ったことがあります。
そんなニューメディア交流会でしたが支部長が交代した時から「初期の目的は達した」という理由で廃止され、代わりに支部会員同士の親睦会のような行事開催に変わってしまったのは残念でしたが。
また、当時は今のように無料で使えるBLOGやSNS開設の手段というのが限られていたので、アメブロを使用して支部のブログを開設し、支部活動や会議の結果などの情報発信に努めたのですが、残念ながら現在では他支部と比べて支部活動の透明化に関してはどうなのかな?なんて考えてしまいますが。
 支部活動のおつきあいは3年でしたが、その間札幌での支部長会議に車を運転して先生を会議にお連れしたり、渡島桧山支部の支部大会に合わせて開催された韓国KARL釜山支部との交流会に招待され、先生おつきのお世話係として一泊二日で函館に出かけたというのも今では楽しい思い出です。
支部活動は3年のおつきあいでしたが、先生一家とのおつきあいはその後も続き、無線機やオーディオ機械の修理、調整を引き受けたり何かと便利屋的なことのお手伝いをしていたのですが、自身最大の貢献と自負するのは先生に盲人でも使える音声用ソフトとパソコンを勧めて中古のパソコンを用意し、ソフトウエアは生活用品補助の制度を利用して自己負担を最小で導入してあげたこと。
まあ導入以前の半年前に盲人パソコン教室に週一で通ってもらってキーボードの配置などを覚えてもらう前段階がありましたが、勘のいい先生のこと、盲人用の音声読み上げソフトからメール、その他のソフト一式の使い方をすぐに覚えて、日常生活で使いこなすようになったのですからたいしたものです。
でも自宅へのパソコン導入後、2か月くらい夜の7時くらいから9時くらいまで集中的に使い方の講義をしましたが、こちらも盲人用のソフトの使い方に関しては素人なので、一緒に試行錯誤でお勉強したというのが本音です。
当時はWindows7が出て間もないころだと思いましたがパソコンは企業のリース落ちで値段がこなれているPentium4搭載機でOSはWindowsXP。というのも当方もそろそろMacintoshだけではHamLogも使えないので、安いXP搭載機しか導入出来ず、Windows7はおろかVista搭載機も触ったことがないという事情もありました(笑)
先生は煙草も吸わないのに数年前に肺がんの診断を受け、手術のために入院。どこの病院だということを聞かないまま市立病院の5階にお見舞いに行ったら、聞いていた病室の番号は女性部屋でした。そこで病院を間違えたことに気が付き、慌てて王子病院に駆け付けたという間抜けな思い出もあります。その後抗がん剤治療のため再度入院したこともあったのですが、その後もばりばり仕事をこなし、朝から晩まで患者さんをこなしていました。2年ほど前から水曜の午後と土曜日は原則的に休診ということにしていました。
パソコンは当方のように常に中古パソコンOSなしを安く買って現役にするようなこともなく、その後DELLのノートパソコンをリビング用と治療室用の2台導入。OSはWindows7とWindows8.1となり、それぞれ音声読み上げソフトが専用になるなど、そのたびにインストールや調整のお手伝いをしましたが、昨年夏くらいから頻繁にパソコンとルーターの接続が落ちるという現象が頻発し、そのたびにルーターの再接続設定なんかを行ったことと、OCNメールのセキュリティー対策で従来の接続設定が使えなくなるという情報を先生自身が知らず、ある日から突然メールが接続できなくなったなどの複合的なトラブルが発生し、結局はルーターを新しいものに交換。メールソフトの接続も暗号化のやり取りが可能な設定に変更し、この際なので1月にサポートが切れるWindows7と3年後にサポートが切れるWiondows8.1をまとめてWindows10にアップデートすることを提案し、そのための準備の最中の昨年10月末に先生は軽い脳梗塞を起こし入院することになってしまいました。でも持ち前の体力と運の強さもあってか、後遺症もなく11月には仕事にも復帰するスーパーマンぶりを発揮していたのですが、12月には原則どうしてもという人だけの治療になり、今年に入ってからは治療もやめて横になっていることも多かったです。
Dvc00069  1月にはいってからは2台のパソコンともにWindows10にアップグレードも完了し、音声読み上げソフトも昨年にリリースされたばかりのPCTalker-Neoが入ったのですが、それが完了したのもつかの間、2月16日に再度入院、26日に帰らぬ人となってしまいました。
 先生は努力の人ですから盲人とはいえ上級の2級アマチュア無線従事者免許持ちでしたが、数年前に1級を取ってみたいなどということも言ったことがあります。中学を卒業して市内の洋服店に勤めるも18歳で国鉄に転職し、主に苫小牧近辺の保線工事に携わっていたそうです。国鉄時代には日高本線のパラストにピーターを振りかざす毎日だったそうですが、尾籠な話、停車中は客車のトイレは使ってはいけない、というのも当時のトイレは線路への垂れ流し式のため、ホームの下の線路に落し物が氷点下の冬場にこんもりと凍ってしまい、一日何度かホームの下の線路をつるはしを使って掘り出さないと車輪が脱線することもあり、その作業は落し物の飛沫をあびるので嫌でつらくてたまらなかったのだけど、駅弁屋がホームの下に落とす小銭の余禄があった、などと当時の作業に従事した人ではないと知らないようなことを教えてもくれましたが、国鉄奉職中の22歳に時に事故で全盲になりました。家で寝ていた時に聞いたラジオで函館に盲学校が開設されるのを聞き、全寮制の盲学校に入学。最初は白杖を使用して歩く訓練とか点字の訓練と平行に職業訓練としてのマッサージ、のちに鍼灸の専門教育を受け、5年掛かって資格を取得し、苫小牧に帰って来たそうです。
 その函館の盲学校在学中、何かの機会に函館の支部大会に誘われ、その大会でのオープニングにステージの左右からモールスの音がどっと流れてくる演出に感動しアマチュア無線免許を取得しようと函館市内で開催されるアマチュア無線養成講習に申し込むも、全盲者の養成講習は前例がないからと門前払いされたそうです。しかし、そこであきらめるような人ではなく、国家試験で口頭試問により合格すると無線従事者免許が取得できることを知り、協力者に無線教科書をテープに録音(当時なのでオープンリール)してもらってこれを繰り返し学習し、ついに電話級の無線従事者試験に合格。見事従事者免許を取得しトリオのポータブル機で昭和42年にJA8EHPのコールサインを取得したそうです。その一年後、同様の努力で電信級の免許も取得。治療院開業当時、苫小牧工業高校の先生だったJA8FK氏が近所に住んでいて、FK氏にYAESUのFT-101Sに音で聞いて真空管の同調が取れる付加装置をつけてもらい、CWを始めたという話を聞いたような。
昭和61年には2級アマチュア無線免許も取得し、TS-940Sで100Wの固定局も開局しますが、並大抵の努力ではできないということは誰でも想像できると思います。
その先生ですが棺に納められたのは真新しいケーシースタイルの白衣に新しい鍼灸の道具、好きなCDなどでしたが、無線関係のものを入れてあげることができず、少々心残りではありました。
改めて長年のご厚誼感謝するともに深くご冥福をお祈りいたします。

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February 24, 2020

国産バタフライランタン炎上の原因?

 Dvc00275 一昨年に亡くなった叔父の釣具小屋から従妹が持ってくれたホエーブスとコールマンの40年以上は経過したガソリンストーブ2台と一台のバタフライランタン。奇しくも真鍮タンクでオリンピック釣具のロゴが入ったビニールキャリングケース入の国産バタフライランタンでした。
 夜釣りの照明用としてカーバイド燈のリプレース用としてでも買ったのでしょうか?こちらとしては中国製のバタフライランタンだったらそのまましまい込んでしまおうと思っていたものの、かなり作りの良いバタフライランタンであったことと、パッキンやニップル、マントルなどの消耗品や工具などもそのままだったことからがぜん整備して使う気になり、しばらくは初冬の夜の明かりとして部屋の真ん中にフックで吊るして室内照明代わりとして使う(キヤンプにいかないのでこれくらいしか使いようがない)などしていたのですが、さすがにしばらく使わなかったランタンだったこともあり、ジェネレーターバルブやポンプバルブなどからの灯油漏れ、鉛パッキンからの圧力漏れ灯油漏れなども次々に起こして、そのたびに今出来の部品(おもにシーアンカー用)などと交換調整を繰り返し、加圧式ケロシンランタンの泥沼に足を踏み入れたような格好になってしまいました。
 使用中にタンクの底を伝って灯油がポタポタ垂れてカーペットを汚すような事もなくなり、しばらく毎日2時間ほど快調に使っていたのですが、2ヶ月ほど経ったのち、点火一時間ほど経過してからマントルの高度が急に落ち始め、やがて煤だらけになってしまうというトラブルが発生。それ以降、マントルを交換しようがギャップの再調整しようが、ニップルやニードルの交換をしようが、マントルは最初から煤だらけで、しまいにはプレヒート中にも炎上を繰り返してしまうことが重なり、まあ春が近くなって日が長くなって来たこともあってそのまま放置してしまい、代わりに部屋で使用されたのはアラジンのマントルランタンでした。
 アラジンのマントルランタンは灯油のハリケーンランタンなどと比べると光度はかなりありますし、加圧が必要ないので手頃だということと燃焼音がないため静かだということがいいのですが、アラジンはマントルが振動やショックでポロポロ欠損して穴が開きやすく、マントルも昔は1800円くらいだったものが今では3000円近い値段がついています。また部屋全体を照らすにはアラジンに加えて8分芯くらいの吊りランプがほしいところですが、それでも光度はバタフライランタン一個にまったく歯が立ちません。

 そんなわけで今回再度バタフライランタンの調整に着手したのですが、今回はガスチャンバーとニップルは高耐久性の削り出し別注品に交換。マントルはバタフライ用の旧製品を使用していつもより長めにプレヒートして点火するも相変わらずマントルは赤い炎に包まれてみるみる煤が溜まっていき、そして炎上してしまうというのも相変わらずです。ギャップの調整も出来ているし、通常の倍以上プレヒートしてもプレヒート不足のような状態に陥って、そして炎上してしまうのです。その答えを得るのにさらに一月ほど考えてしまいました。

 そのうち、中国製のシーアンカーランタンの未使用品をひょんなことから送料別800円で入手。もうこうなったらこのシーアンカーを部品取りにしてタンク以外すべてシーアンカーに付け替えればいいと思い、とりあえずアッパーヴァボレーターを流用してしまおうと交換に着手したのですが、ミリ単位で長さが合わず、ニップルにニードルの頭が出てきませんし、ミキシングチューブが付くインナーキャップが浮き上がってしまいます。
 どうやらアッパーヴァボレーターの中で十分に燃料が気化しきれないことは想像できたのですが、どうもヘビーユーズしていたバタフライのリング状のヴァボレーターの表面が灯油の不純物成分のためか、それともマントル由来の物質の気化により表面が石化してしまい、熱効率が著しく下がってしまってプレヒートを長時間しても灯油が気化しきれないのが原因ではないかと思い、アッパーヴァボレーターを外してワイヤーブラシと紙やすりできれいに磨き上げました。
 アッパーヴァボレーターのリング部分を特に真鍮の地が出るまできれいに磨き上げ、元通りに組みつけて点火に再挑戦。するといくらプレヒートしてもマントルが赤い炎に包まれて黒く煤がたまり、挙句の果てには炎上してしまう状態が治らなかった国産バタフライランタンが元通りに正常に光るようになりました。その時点でマントルに穴が空きかけて痛々しいアラジンは片付けられ、部屋の照明としてバタフライランタンが復活。
 数日使用していたらオリジナルのプレヒートバーナーが不調でプレヒート中に立ち消えするようになりました。ノズルの詰まりはないようなのですが、これ、実は燃料を吸い上げるパイプのストレーナーの通りが悪くなっており、シーアンカーのプレヒートバーナーのアッセンブリーをもう一年以上前に購入してあったのですが、あえてオリジナルのまま使用を続けていたのです。しかし、実用にするならもう潮時と思い、思い切って今回交換しました。まだ組み付けたばかりのプレヒートバーナー、あたりが出ていないためか手でレバーを戻してしっかり閉めないとノズルからガスが少々漏れてしまう様子。それ以外は問題なく流用出来ています。

 部品取りで落札したシーアンカーランタンでしたが、今回は部品も一切流用されずまるごとひとつ残ってしまいました。国産のバタフライランタンと比べるとその出来やメッキの質などは歴然とした差があり、とくに切削加工で作られているものが極力プレスで作られていて、同じプレス部品でもプレス工程を省いて形が同じでも極力コストを下げて形だけ似たようなものを作ろうとしているのが見えてきます。これがメイドインジャパンとメイドインチャイナのクオリティーの差なのでしょう。重さも正確に測ってはいませんがタンク材質などの違いがあり、やや軽いという印象を受けます。

 

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