October 29, 2018

エアコンスターダクトメジャー(コンサイス製)

 横浜の現在旭区にある空調部品製造業者のエアコンスターという会社が発売したダクトメジャーという流量計算尺です。なんと現在でもこの会社に注文すると入手出来る現行商品らしいです。さらに直径11センチの小型と直径15センチの大型の二種類があり、小型は7500円、大型は12000円なんだとか。そして裏側にはコンサイス謹製と書かれてある通り、企業の特注によりコンサイスで作られた製品であることがわかります。
 こちらは15センチの大型ダクトメジャーで、表面は冷暖房のための空気配管用、裏面は温水冷水配管用の計算を行うものです。目盛は配管の太さ、温度、圧力、流量などを相互に計算直読するもので、ある条件を変化させることによりすぐに相互の変化の値が読めるため、いまだにこういうアナログな計算尺が重宝される数少ない業界が空調関係かもしれません。
 まあ流量計算というのは当方の専門外なので、それを知りたい方はこちらを参照下さい。
 このダクトメジャーの特許はこのエアコンスター社が所有している特許で計算尺に書かれている所在地も旭区に移転する以前の横浜市港北区の住所が記載されているため、一度ミニマムの数量でコンサイスに発注した物がいまだにほぼ不良在庫として残っているみたいな感じです。
こういうものは古くなっても使えなくなるわけでもなく、今後も在庫が尽きる迄売り続けられるのでしょうが、はたして直近では年間何件くらいの問い合わせがあるのでしょうか?何か人ごとながら気になってしまいます。
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彫刻家藤戸竹喜さんのこと

 阿寒湖畔で長年活躍されてきた彫刻家の藤戸竹喜氏が亡くなりました。
竹喜さんとは今から35年近く前の当方20代前半のときに東京の渋谷でお会いしたのが最初で最後だったのですが、そのときのことを少々書いておきます。

 当時渋谷の店の日給月給のアルバイト時代で、おそらくは人生で一番貧乏で将来の夢も希望も持てないような生活の時代でしたが、ある平日の朝、店の開店準備をしようとしていたときにふらっと店の中に現れた後姿の大きな人がいました。
くるりと振り向いたのは堂々たる体躯のぎょろりとした目を持つりっぱなアイヌ民族の人でした。
 そしてうちでアメリカから直接買い付け、1ヶ月先に到着予定で予約を受け付けていたアメリカのフライトジャケットCWU-45/Pのことをどこから聞きつけていたのか北海道から上京したついでにうちの店にやってきたとのこと。
 まだ予約を取るためにマネキンに着せてある見本が一枚しかなく、それをどうしても売ってくれとご所望。最後には「同じ北海道人だべや」なんて言われて社長に相談して結局は見本で一枚しかないCWU-45/PのLサイズを渡してしまいました。マネキンから見本をはがして持っていったのは竹喜さんと有名な結婚詐欺師クヒオ大佐の二人だけです。
 そのときいただいた経木の名刺に「彫刻家 藤戸竹喜」と書かれており、阿寒湖畔に工房を持っているということで、今と違ってネット検索できるわけでもなく、てっきり観光客むけの熊の木彫りのおやじかと思っていて有名な彫刻家だとは思ってもみませんでした。その藤戸竹喜という名前を良く目にするようになったのは北海道に帰って来てからの事です。
 そして竹喜さんがジャケットを送って欲しいというので、どこに送ればいいかとたずねると「北海道阿寒湖畔、藤戸竹喜で荷物は届く」と言い残して店を後にされました。
 半信半疑で宅急便の伝票に北海道阿寒湖畔、藤戸竹喜とだけ書いて荷物を出したのですが、それで無事に届いたのは言うまでもありません(笑)
 3年後の5月、ユースホステルを泊まり歩いて道東旅行に出かけた際、阿寒湖畔の竹喜さんの工房に寄ったのですが、残念ながらご不在でした。

 まあ、こんな思い出しか当方に書くことは出来ませんが、彫刻家として人生を全うされた竹喜さんのご冥福をお祈りします。

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October 28, 2018

日本製らしい真鍮タンクのバタフライランタン

Dvc00248  関西の大きな被害をもたらした平成30年台風21号が北海道を通過した9月5日の翌日6日未明に胆振地方東部で最大震度7を観測する地震がありました。
震源から40キロ近く離れたわが町でも震度5強を観測しましたが、最初小さな縦揺れからいきなり大きな横揺れになり、手近においてあるヘルメットを被る暇も猫を抱き上げる暇も無く本や無線機やパソコンまで落下しました。
ベッドの上も床も落下物の山になり、10キロに成長したメインクーンのベルクもラグドールのうにも下敷きになって圧死したと思い、急いで電気をつけるとベルクはベッドと壁の間に頭をつっこみ、胴体も本の直撃を免れ、うにはたんすとベッドの間の安全空間に潜り込んでいたためにこちらも物の直撃を免れて奇跡的に無傷でした。部屋のドアを開けようにもドアの外側に物が落下してドアが開かず、仕方が無いので二階の屋根伝いに階段踊り場に窓を開けて進入し一階に下りてまずありったけの容器に水を確保し、風呂桶にも水をためるということをしました。
そうこうしているうちに停電してしまい、ミニマグライトの場所がわかっていたので手探りでマグライトを探し出して点灯し、つぎに前日の台風の停電対策用に石油を入れてあったうちで一番大きなDIETZのハリケーンランタンNo.80ブリザートにマッチで火を灯し、それを持って一階に降りたのと逆ルートで二階に戻り、この灯油ランタンの明かりでその後も頻繁に起こる余震の揺れを気にしながら明るくなるまでの一時間半あまりを過ごしました。
 しかし、このすぐ使えるハリケーンランタンが在ったのは実に心強く、電池のなくなる心配をしなくとも済み、災害時にはツナ缶で明かりを取るよりもハリケーンランタン1個備えておくのがいかに有効かということが身にしみました。
 家の周囲では余震を恐れて道端で懐中電灯を照らしながら明るくなるまで外で過ごしているアパートの住民などけっこういましたが、ポケットラジオさえ用意していないようでした。
 近所の発電所が地震の影響で深刻な被害を被り、そのために北海道全体が停電し、いつ停電が解消するかわからないという情報だったので、3日は停電すると思って朝には石油の吊りランプをはじめ3基くらいに給油して停電の夜に備えたのですが、被災地優先措置だったのか停電は地震から9時間後の14時すぎに解消し、電気の無い夜を過ごさないで済んだことは言うに及ばずその日の晩には炊飯器も使え風呂のお湯も沸かせるというおおよそ被災地ではないような日常に戻ってしまいました。
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 それでも市内では停電が解消した地区は半分にも満たず、停電が解消しなかった地区では携帯電話の充電場所を探し回り、ホームセンターにカセットガスのボンベと乾電池と飲料水を求めて何時間も並び、夜は懐中電灯の明かりでカセットコンロで沸かしたお湯でカップ麺を啜っていた家が多かったようです。停電が翌朝まで解消しなかった妹宅では車はPHVなのでそこからリールを引っ張り、まず冷蔵庫の中身が解けないように電源確保し、余剰電力で電磁調理器を使って煮炊きしたそうです。新しい停電対策として今後こういうやり方が増えていくのでしょう。
 その地震による停電が9月の初めだったために暖房の心配はありませんでしたが、北海道は電気を使わないと作動しない石油ストーブやましてオール電化の家が多いため、地震以降冬場の災害による停電を懸念して電気を使わなくとも使用できるポータブルの石油ストーブが飛ぶように売れて家電量販店でもホームセンターでも手ごろな価格のものは売り場から姿を消しています。
 うちは反射式の古い石油ストーブは2台ありますが、まだ朝晩しか暖房を使用しない時期にはリビングでアラジンの石油ストーブを使用しています。その他カセットボンベを使用するガスストーブもありますし、ランプは売るほどあるので、また停電に見舞われても大丈夫でしょう。 
 ただ、灯油ランプはLEDなどのランプと比べるといかにも暗く、こんな明るさじゃゴハンも食べられないという人もいるのでしょうが、昔のひとはこの豆電球くらいの明るさの下で夜は生活していたのです。
 そこにいきなり加わったのが灯油使用の加圧式マントルランプ。これ、6月に亡くなった叔父の釣り道具小屋を整理していた従妹が持ってきてくれた代物でバタフライランタンです。香港製かと思って別にありがたみも感じてはいなかったというのが正直なところでしたが、ダメな加圧式ランタンの代表みたいに言われるバタフライランタンにしては作りこみも悪くなく、さらに良く見るとまだ西ドイツ時代の工業硝子メーカーショット社の風防硝子がついています。また最初からリフレクターがはめ込まれていました。
俄然よく調べてみる気になり、ネット上の情報を検索するとバタフライランタンは中国製だけではなくどうやら日本で組み立てられたものも存在するらしく、その識別法はタンクが真鍮製か鉄製の違いがあるとのこと。ためしに磁石を当ててみると確かに磁石がくっ付かないためにタンクは真鍮製のようです。さらに風防硝子はmade in West Germanyなので統合前の西ドイツ製であることから、おそらくは30年はゆうに経過している古いシロモノのようです。
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 そうなると自身は炭鉱の安全灯の専門でキャンプ用の灯具にはまったく興味がないとはいえ、そのまま放っておくには忍びなく、整備する気になってしまったのですが、工具や消耗品は一部が欠品ながら黒のビニールレザーの収納ケースの中にマントル5枚と一緒に入っていました。とりあえずはポンプが固着していてまったく動かないため、パッキンを交換する必要がありますが、ポンプの革パッキンは予備の部品が入っていました。ネットの情報とyoutubeの実際の取り扱い動画などを見ながら圧力漏れや各部の緩みが無いことを確認。なにせ数回くらいしか使われた形跡が無い個体だったのでそのままいけると思い、何十年もそのままだった黄色に変色した灯油をタンクから排出して新しい灯油を500cc補充。メーターを見ながらポンプで加圧してプレヒートバーナーを点火しようとするとどうもガスの出が良くないようで、ノズルが少々つまり気味のようですが、徐々にガス圧も安定してきて盛大に炎を上げます。
 そしてコックを下に回すとマントルに着火するものの半分くらいしか明るくなりません。さすがに古いままのマントルではダメなようで一旦圧を逃がして消火し、冷えるのを待ってトップを外し、新しい500CPのマントルを取り付けます。
 そして再度プレヒートバーナーで一度マントルを焼き、再度プレヒート1分少々でコックを下に回すと見事マントルにやや黄色っぽい光が点りました。
 よく新しい中華製シーアンカーなどのランタンが炎上するという情報や動画を見ましたが、炎上することもなく、ポンプの革パッキンを交換しただけで殆ど手が掛からなかったのはもともと出来が悪くなかったからでしょうか?
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 そしてこの日本製らしいバタフライランタンの正体ですが、プレヒート用アルコール皿が付属していて、さらにトップの作りが違うのでフシミ製作所で作られたものではないようです。そして付属していたのが紙箱ではなくビニールレザーのキットケースになっており、それはオリンピック釣具名義で発売したものに近いのですが、ケースにオリンピックのロゴがなく、バタフライのエンボスしかありません。叔父が釣り道具の一つとして買い求めたものなので、おそらくは釣具店で昔買い求めたものに間違いはなさそうです。山用品やキャンプ用品の専門店に出かける人ではないので。そのため、オリンピック釣具のバタフライランタンを手がけたメーカーの製作ながらオリンピック釣具とは異なったルートで販売されたものだと断定できるかもしれません。 国産品のバタフライランタンには間違いないようです。
 ところで、これをもってきてくれた従妹からこんなものも出てきたけどいるなら捨てないで確保しておくというメールとともに送られてきた画像は何と古いホエーブスとコールマンのケロシンストーブ。
 こういうのもありがたがってオークションで競り合う趣味はないのですが、とりあえず確保だけお願いしておきました。しかし、双方ともにさほどは使用しないまましまい込んでしまっていたようですが、見る人間が見たらとんだお宝が転がっていたと思うかもしれません(笑)
 

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October 26, 2018

教育計算尺研究所電気用No.100(コンサイス)

 たしか蔵前工業高校を最後に定年退職され、計算尺の解説などの書籍を多数執筆し、昭和30年代はHEMMI計算尺の出張講師などもされていた杉浦次郎氏が晩年自身が主催されていた教育計算尺研究所名義でリリースしていた円形計算尺の一つNo.100電気用計算尺です。他にNo.120一般型、電子用のNo.380などがありました。
 またこの一連の計算尺はすべて杉浦次郎氏が考案・設計したものなのでしょうが、なぜかコンサイス刻印が入っているものと入っていない物があり、さらにNo.380のように説明書は教育計算尺研究所なのに計算尺自体にはコンサイスのメーカー名以外ないというものなど、いろいろなパターンが存在するようです。
 このNo.100はC,D尺の直径が約6.5cmと小型の一般用計算尺No.27の精度に等しく、直径はNo.27の8cmに対して9cmと一回り大きな計算尺です。それでもコンサイス製の円形計算尺としてはやや小さめの計算尺です。
 表面はいきなり交流の力率やベクトルなどに絡む計算に使用する尺がメインで外周部分がP2,R2の二分割、2乗どうしを計算するP1,内周部分にQとラジアン、度の換算目盛を備えます。裏側は外周部分にCos.Sin尺、A尺、内周部分にB尺、Tan尺、C尺が並びます。
 まあ言うなれば目はずれのないHEMMI No.153のポケットタイプみたいな感じでしょうか。
 表面にいきなり交流系の電力などのベクトル計算などの尺を持って来たのはちょっとやり過ぎで、表面と裏面のレイアウトが逆だったらまだ使い勝手が良かったような気がするのですが。
 その教育計算尺研究所リリースのNo.100,No.120,No.380のうち、No.380の電子用は説明書もコンサイスのものに改められて再リリースされていますが、他は代替するものが多いので、あえてコンサイスブランドにすることなくディスコンになってしまったのでしょうか?
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October 25, 2018

技研 No.206 8" 検定試験初級用計算尺

 山梨の甲府に存在したプラスチック製計算尺を主にOEM生産していた技研工業のNo.206 検定試験初級用計算尺です。多くの技研計算尺同様にこちらも未使用のデッドストックで出て来たものです。
 8インチサイズの√10切断の計算尺で2乗尺3乗尺を備える取立てて特徴に無い学生用計算尺ですが、何をして検定試験初級用としたのか、その意図がよくわかりません。内容的にはNo.45にK尺が加わったHEMMIのNo.45Kに変わりません。
 構造的にはバックプレートにアルミの板を芯にしたプラスチックの3層構造を持つプラスチック製計算尺で、いまだに狂いも無く滑尺もスムースに動きます。このアルミのバックプレートが加わり、滑尺さばきを自由に調製出来るのでスピード勝負の計算尺検定に向いているということなのでしょうか。
 説明書の商品リストの価格は昭和38年1月現在とありましたので、その前後の製造ということになります。というよりも技研が自社の名前で計算尺を販売したのは昭和37年から昭和40年頃迄に限られるので当然ですが。
 面白いのはC尺とCF尺の1と10を表す目盛の1に逆ベース型の囲みが付いていることで、これはほかに見た事がないような。位取りを間違えないようにしろというコーションの意味合いなのでしょうか?ケースは黒の擬革紙の貼り箱です。
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October 24, 2018

NIKKO No.5 8"学習用計算尺

 NIKKO No.5という8インチの学習用計算尺です。
 おそらくは戦後の混乱期を経た昭和20年代中頃くらいの製品ではないかと思いますが、粗製濫造期の計算尺にふさわしく固定尺が木材、滑尺が竹でそこにビニールでラミネートさせた目盛を印刷した紙を貼付けるという計算尺で、カーソルもセルロイドを曲げただけの簡単なものが付属しています。木製の固定尺は何となくワンピースのような感じで、そこに滑尺のはまり込む溝を加工してあるのですが、おそらくはこういう構造の方が固定尺を別に作って接着するよりもコストが安いのでしょう。たぶん売価150円というのが決まっていて、各社それに見合った計算尺を作り合ったということなのでしょうが、HEMMIは150円でNo.22を作り、ニッコーは木と竹を使って印刷した紙を貼ったNo.5を作ったということになります。滑尺はセルロイドを使っていないためセルロイドが縮んで激しく反るということはないものの張り合わせ構造ではないため、やや緩く反ってはいます。また、固定尺と滑尺のギャップ調製が出来ないため、素材の収縮で隙間が広がってしまったのは致し方が無いことでしょう。
 滑尺が上下固定尺よりも長いというのは固定尺と同長に削り込む際に滑尺の目盛と固定尺の目盛をピタリと合わせる手間を省いたためで、このような粗製濫造計算尺にはありがちな形体です。
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October 23, 2018

AKEBONO No.820 学習用計算尺

 AKEBONOブランドのNo.820というオールプラスチックの学習用計算尺です。
素材はベースプレートを含めてすべてプラスチック製という計算尺で下固定尺と上部分の滑尺の2ピースしかありません。いわゆるHEMMIのNo.22と同構造の計算尺なのです。だだHEMMIのNo.22と異なるのはK尺が追加されて合計5尺に増えていることと、滑尺と固定尺が同長になっていること。さらにカーソルがNo.22よりもややまともなバネ入りのカーソルになっていることでしょうか。 それでもカーソルのバネはHEMMIの戦時尺のようにカーソル半分の長さしかありません。また、8インチサイズのHEMMI No.22より基線長が短く、7と3/4インチという妙なサイズの計算尺です。
ただ、驚いた事にKIMさんコレクションのAKEBONO No.820はHEMMIのNo.22と同じ4尺なのです。いつのまにかK尺が増えてしまったのに型番が同じNo.820とはこれ如何に?K尺が増えたことによってもともと刻まれていたメーカー名や型番が横のスペースに移動しています。
 また、裏側には副カーソル線窓が開いているのですが滑尺が反らないように真ん中に樋が通っているため滑尺裏には目盛を刻むことが出来ず、実質的に無意味な細工です。
 このAKEBONOというブランドですが他に8インチの学生用計算尺や10インチの計算尺などもリリースしており、その薄い構造や目盛の刻み方からして個人的にはどうもその供給先を山梨の技研系に求めていたのではないかと推測しています。ただ、リアルな技研の計算尺と比べるとプラスチック計算尺としてその構造がまだプリミーティブな点があるので、その製造年代は昭和30年代初期から中頃まで遡るかもしれません。まあ、それ以上は解明することが困難な計算尺メーカーです。
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Akebono820


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October 22, 2018

HEMMI No.P35 新幹線開業記念見本品

 新幹線開業記念品として現場の国鉄職員や建設などに関わった建設会社の職員などの関係者に対して配られたのが開業日やJNRマークが入ったNo.2634の5"ポケット計算尺ですが、出て来る数からしてもおそらく相当な数が配られたのではないかと思われます。たぶん数百という単位ではなく2-3000本くらいは作られないとオークション上に何本も出てこないと思われます。
 そして今回出て来ましたのが何と新幹線開業記念品としてヘンミ計算尺が国鉄本社に提案したのにも関わらず、見事に不採用になったP35です。まあこんな物が出てこなければP35も開業記念品としてヘンミから提案されていたなどということも知りませんでしたし、おそらくは見本品として数本もしくは多くても1ダースくらいしか作らなかったのではないでしょうか。もちろん物品税の課税対象外とするためかSAMPLEの赤文字がしっかり刻まれています。
 P35というとそのほとんどは企業のノベルティーとして裏側に社名やマークなどをスタンプするのに適しているためか、昭和40年代前半から半ばくらいにかけて企業向けの物がオークションでも結構な種類、出回っています。コレクション対象にはその種類を集めるのはいいのですが、使うほうにしてみれば三角関数がばっさりと省略されているため、技術計算用としてポケットに忍ばせるというわけにもいかず、それが新幹線開業記念品として不採用になった理由だとも考えています。No.2634のほうがP35なんかよりもけっこう割高だったはずですが、そこは当時新幹線計画をリーダーシップで推し進め、新幹線や国鉄の質の改善の最大の功労者だったのにも係らず、三河島事故で引責して辞任し、新幹線開業式に招待もされなかった十河信二国鉄総裁の職員に対する親心だったかもしれません。三井物産出身の新総裁石田礼助は当時新幹線に関しては懐疑的だったと言われていますが、彼なら紅白饅頭でも配ればそれで良いなどと言い出したかもしれません。
 そして開業記念品として配られたNo.2634は赤いJNRマークに東海道新幹線開業記念1964.10.1の文字が入り、皮ケースにもJNRマークが打たれた品物です。
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October 21, 2018

ACU MATH No.1240 5"ポケット計算尺

 アメリカの計算尺メーカーACU MATHのNo.1240、5インチのプラスチック製片面計算尺です。
ACU MATHは社名がACU MATHに変わる以前からチープな木製計算尺を製造する会社でしたが、経営母体が何度か変わり、このNo.1240を製造した1965年ころにはスターリングプラスチックという会社の実質的な傘下にあったと思いました。その後スターリングプラスチックの完全子会社になり、ACU MATHの名前も消滅してStarlingの商標に変わってしまうのですが、1969年に再度ボーデンに身売りされた後1972年迄計算尺の製造が続いたという話です。
 メーカーとしてのACU MATHは全期間を通じて初心者用、学生用の計算尺生産に徹していたところがあり、特殊計算尺の製造なども見あたりませんが、1940年代後半から1950年代後半までに製造していたマグネシウム芯にプラスチックを貼付けた構造の両面計算尺が唯一特色のある見るべき計算尺です。
ACU MATHの商標はスターリングプラスチックの傘下に入ったのちに消滅し、以後はスターリングの商標でチープな学生用計算尺の生産が続きます。
 このACU MATH No.1240は片面7尺を持つ計算尺で、上からK,A,[B,CI,C,}D,Lの内容で裏面はなし。三角関数絡みの計算はすっぱりと切り捨ててしまった内容はいくら初心者用としても日本では受け入れられなかった内容かもしれません。このような薄くてチープなプラ製計算尺ですが、さすがにアメリカ製だと思うのは薄いながらも本物の牛革シースタイプのケースが付いていることでしょうか。日本だったら絶対にビニールのサックケースになってしまいます。似たようなプラ製の計算尺にHEMMIのP35がありますが、P35よりこちらのほうが薄くてへなへなした感じで有り難みもあまり感じません。こちらもHEMMIのP35同様に企業のノベルティー需要を狙って作られたものだたのでしょうか?
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October 20, 2018

CPU-26A/P 米軍航法計算盤(フライトコンピュータ)

Cpu26p 主に固定翼機で比較的に小型の単座複座の米軍機で使用されたCPU-28A/Pという形式の付いた航法計算盤です。形体と内容は第二次大戦中に開発されたE6Bという航法計算盤の改良版ですが、狭い機体の中でも使用できるように小型化されているのが特徴です。ちなみにE6B系統の円盤部分の直径が5インチなのに対してCPU-26A/Pの円盤部分の直径は3,1/4インチほどしかありません。計算尺にしていうと10インチ尺に対する5インチポケット尺という位置づけでしょうか。s
 おそらくはクラムシェル式に蓋が開いて物が収納できるニークリップボードに合わせたサイズなのだと想像しています。また黒いプラスチックのアイレットが設けられていますが、機体の機動でGが掛かってどこかに飛んでいかないように、また胸のポケットからすぐ取り出せるように首からランヤードでも掛けていたのでしょうか?軍用ゆえに簡単なブラスチック製というわけではなく総金属製の航法計算盤です。 
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 使われた期間も長く、数も多かったためか製造メーカーは何社かあるようで、この個体はFELSENTHAL INSTRUMENTS Co.という会社が米軍に納めたものであり、MIL.SPEC.No.MIL-C-27216AとCONTRACT No.AF36(600)-16489 FEDERAL STD.No.FSN6605-064-6911、ならびにちゃんと官有物を表すU.S.PROPERTYの刻印が打たれています。メーカーによってビニール製のシースの形状色合いが微妙に異なっているようです。
 E6Bで出来る事はすべて網羅していると思われます。AIRスピードの表示によって固定翼機用と回転翼機用があるらしいのですが、詳しくはないので同種の回転翼機用の形式名はわかりません。
 これは以前大阪の軍装品屋から入手したもので、おそらくは中古のフライトジャケットのポケットあたりから出てきた余禄だと思われます。昔、学生時代のアルバイトで払い下げ品の仕分けしていた経験があるので、こういう衣料品関係からガムやキャンデーはもちろんのことポケットナイフやライターなどの小物が出てくることは何度かありました。PORNO雑誌の頁を切ったものなんていうのもありましたね(笑)

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October 19, 2018

HALDEN'S CALCULEX 懐中時計型計算尺

Halden HALDEN'S CALCULEXという英国製の懐中時計型円形計算尺です。こちらは正真正銘日本に昔からあった品物で、東京の某所旧家の片付けの際に出て来た品物だということですが、売り主に何か計算用具らしきものという認識しかなかったので、苦もなく1.5k円で入手したものです。
 5年程前ですがオークションで旧ソ連時代のKL-1という懐中時計型の円形計算尺が多数出回ったことがありましたが世界的にはこの懐中時計型計算尺は1900年代初めから1915年あたりまでに流行し、多くの国で作られたものの、1920年代後半には廃れてしまった計算尺の1ジャンルです。
 さすがにこの時代、まだ精密にこれだけの目盛を実用に堪えるだけ正確に刻むのは無理だったとみえて、日本ではこの懐中時計型計算尺を作ろうとしたり、実際に売り出されたという話は聞いた事がありません。この懐中時計型計算尺は銀座の玉屋商店や中村浅吉商店などの測量用品などの輸入を手がける会社が少数輸入しただけです。明治43年の玉屋商店商品取扱目録中にAW.FABERの計算尺などとともにHALDEN CALCLEXが出ていますので、興味のある方は国会図書館を検索してみましょう。
 それほど暇ではない方に玉屋の目録を当用漢字に直してみると「専売特許円形計算尺 Patent Circular Slide Rule :本器は金属板の両面に対数の尺度を目盛し、縁は輪状の金属製にして指線を有する硝子を以て金属板の側面を覆い而して尺度金属板は蛇目型の板と其板の内縁に接する円形板とより成り蛇目型金属板円形金属板とは普通の計算尺の本尺と滑尺との如き関係を有し此所に掲げたる円は即ち本器の表面並びに側面を原寸にて顕わしたるものなり。
Halden_5
表面には5種の尺度を有し、外辺に接して第一は対数の尺度にして第二及び第三は普通計算尺のA及びB尺に該当するするものなり。内辺の第四及び第五はB尺の平方根なり。
裏面には六種の尺度を有し、外辺に臨みて第六は角度にして第七及び第八は計算尺の尺度即ちA尺B尺なり。内辺に位して彫まれたる第九第十及び第十一はB尺に対しての立方根なり。
 前述の如く本器は他の計算尺には見る事を得ざる立方根の目盛を有するを以て普通の計算尺に於いて不便を感ずる立方根の計算に際して本器を用ゆる時は直ちに算出する事を得るべし。
X計算尺は最も有要なるものにして且つ叉だ信頼す可き器具なりとは世人の等しく認識する所なれども未だ一二の不便なる点を有するに至っては実に遺憾とする所なり。即ち吾人の懐中用として携帯に不便なると且つ叉た其使用に対し如意活用せしむる事を知るの難事とるとの二点なり。
 然るに本器は図に示すが如き小型なるを以て前者の不便を補い且つ叉た此後者とる難事を除去せんが為に特に此円形計算尺の袋中に納め得る形状寸度に調製せられたる土木、建築、機械、電気、工学上必要となる諸公式より銀行、会社、消火に於いて日常使用する諸計算の表に至る迄で網羅する約二寸角にして厚一分位の小冊子を添え共にチョッキのポケットに入れて携帯し、必要に応じて取り出し何時にでも本器と個小冊子とを合わせて活用する事を得るの便利なるは実に他の計算尺に於いて見るを得ざる独特の長所にして、一度本器を此小冊子と共に併用し其携帯に便なると此小冊子の有益なる事との妙味を感じ給わば恐らく一日も携帯せざるを得ざるに至るべし。故に試しに一器購い使用せられん事を切に希望する所なり。小型円形計算尺 P`atent Circular Slide Rule ,wity little use full table and fomular book in morocco case  8.000円(明治43年)」
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 まあ明治の文語調の言い回しは回りくどくてわかりにくいのですが計算尺マニアなら言っている事はすべて理解出来るでしょう。しかし、他の掲載商品に比べてこの懐中時計型計算尺の説明はまるまる一頁を使用していて、玉屋商店のなみなみならぬ販売意欲を感じてしまいます。発注単位としてワンロット数百個も押し付けられたのでしょうか?(笑)
 懐中時計型の円形計算尺ですがこの文章の通り持ち運びに便利でかさばらないため、いつでも携帯出来るというのが最大の利点なのですが、小型ゆえに基線長が稼げず精度が見込めないことと、それこそハズキルーペでもないと誤認しそうな細かい目盛間隔、スピード計算・連続計算にに向かないなどのこともあり、学術計算分野では棒状の10インチ計算尺に押されて廃れてしまったのでしょう。
 その懐中時計型計算尺を80年代前半くらいまで作っていた旧ソ連もすごい国ですが、そのソ連のKL-1はいったいどんな職業の人が使用していたのでしょう?
 メーカーはJ.Halden & Co.、イギリスはマンチェスターに存在していた会社ですが、マンチェスターにはほかにFlowerという別な懐中時計型計算尺を製造していた会社があり、そちらのほうがいろいろな種類が存在していたようです。なぜマンチェスターという地方都市に数少ない懐中時計型計算尺のメーカーが2つも存在していたのか、おそらくは偶然ではなく、何かしらの理由があったはずです。もしかしたら実際に製造に携わった工場は同一かもしれません。このHALDEN'S CALCULEXは 1900年に製造が始まり製造中止は1925年だということを聞いています。他にデスクトップ型の直径12cmほどのものもあったようですが、さすがに日本には輸入されてはいないでしょう。


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October 04, 2018

Kenko 7x35mm 11°BL型超広角双眼鏡(大塚光学)

Dvc00214 Kenko 7x35mm 11°の超広角BLタイプ双眼鏡です。こちらは以前の光機舎製のKenko 7x35mm 11°超広角よりも年代的には新しく、製造はDia-Stoneブランドの大塚光学のOEM商品です。
 光機舎のものとスペックは同じもののデザインを含めてこちらはかなり近代的な双眼鏡で、それというのも筐体がこちらは金型による射出成型品になったようで、上下二分割の金型から成型品が抜けやすいように考えられた構成の設計になっており、おそらくは対物側と接眼側の二分割の金型が使用されているようで、筐体は内部が釣鐘状でがらんどうな印象を受けます。
 上下二分割の金型のためかストラップ吊りが本体に鋳込むことが出来ず、後付になっているのが特徴です。また型抜けを容易にするためか、はたまたデザイン上の特徴とするためか、筐体の接眼側の左右がななめ45°にすっぱり切り落とされており、その部分を覆うかたちで接眼側鏡板が回り込んでいます。そのため妙に左右が長くて大きいという印象がなく、ごろりとした感じはあるものの割とコンパクトにまとまっている双眼鏡です。
 また、これもデザイン上の特徴か焦点調節の輪が転輪が軸全体を覆っていて、両手で持った際に握りなおさずに右手の中指で焦点調節できるというメリットがあります。コーティングは薄いアンバー色の全面コートです。
Dvc00213 分解する前にいつもの通り遠くの送電線鉄塔の天辺を覗いてみるときれいに左右と上下がずれていましたのでオーバーホールついでに調整することにします。対物側から内部を光に透かしてみたところでは経年でプリズムの表面にやや曇りはありますが、カビのスポットなどはなさそうです。
 対物側のレンズの裏側は曇りも無くクリアだったので、今回は対物側を分解せず接眼側から分解。対物側から昇降軸ストッパーネジを抜き、転輪を回して接眼レンズアッセンブリーを抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて抜き、側面ネジ各1本を抜いて左右の鏡板を取り外すとプリズムアッセンブリーが現れます。このプリズムアッセンブリーの3本のスクリューを抜くとアッセンブリーごとプリズムを外すことが出来、プリズムを外して無水アルコールで洗浄。左右のアッセンブリーのプリズム洗浄後に筐体にアッセンブリーを戻した後、鏡板をつけずにガイドスリーブだけねじ込み、接眼レンズアッセンブリーを戻して視軸の確認をすると上下左右にずれており、対物レンズセルに仕込まれたエキセンリングでも修正しきれないため、プリズムアッセンブリーの3本のネジを僅かに緩め、その隣にあるマイナスのイモネジを調整し、遠くの送電線が一致するように調整していきますが、その際エキセンリングはニュートラルに戻しておくことを忘れないようにしないと最終的にエキセンリングの調整しろが無くなり、微調整できなくなります。
Dvc00212 また、視軸の調整は人間の視差ずれを脳内で一致させる能力により左右のずれがなかなか合っているのかどうかわからないことはありますが、その際は転輪を回してアウトフォーカスにした際に左右がずれているかどうかではっきりわかると思います。また、片側の視度をずらしてみても左右が一致してるかずれているのがわかるはずです。
 最終的にエキセンリングで微調整しなくともプリズムアッセンブリーの3本のイモネジの微調整で視軸は一致しました。この際にわかったことですが、この双眼鏡は三脚に固定する手段がまったくありません。ヒンジ部分のカバーをはずしても三脚ネジなどは存在しませんし、そもそもヒンジ軸全体を覆う転輪のためにこの部分にも三脚アダプターを噛ませる余地がないのです。そのため、BL型は三脚固定でプリズムアッセンブリーのイモネジを微調整して視軸調整するのですが、この双眼鏡は手持ちで調整するしかありませんでした。
 さて、同じくKenkoブランドの光機舎性7x35mm 11°との比較ですが、覗いてみると光機舎の双眼鏡のほうが視野が圧倒的に明るいのがわかります。どうも大塚光学のこの双眼鏡は時期が新しいということもあり、筐体内部の反射防止が手抜きされ、また対物側のプリズムカバーも省略されてしまい、内部反射が光機舎のものよりも多いのが原因でしょうか。しかし、視野周囲の像のゆがみは光機舎のものが超広角ゆえにかなり大きいのに比べ、こちらの大塚光学のほうはけっこう小さく許容できる範囲だという違いがあり、見ていて疲れないのは大塚光学のほうでしょう。中心部解像力に関しては光機舎のほうが良く、大塚光学のほうはやや見劣りするのですが、これは全像面の均一性を取るか、周辺部を捨てて中心解像力を取るかのコンセプトの違いでしょうか。
 重量は光機舎960gに対して大塚光学は920gです。筐体切り欠きの分だけ軽いのかもしれませんが実際の重量以上に軽く感じられます。
 また接眼レンズ外玉径は光機舎のほうが圧倒的に大きく、光機舎28mmに対して大塚光学22mmとなっており、後ろからの映り込みや逆光で接眼側から漏光し、コントラスト低下の原因にはなりにくいようです。J-B46のコードが筐体接眼側ブリッジに刻印されていました。
 さて、この大塚光学製7x35mm 11°双眼鏡の年代ですが、構造からすると金型の放電加工機の普及によって精密なダイキャストの成型品が手軽になった70年代末から80年代にかけての製品でしょうか。光機舎が輸出双眼鏡製造から退いた後に大塚光学に生産シフトされたカテゴリーの商品でしょうが、そこは大塚光学らしくただのBL型ではなくオリジナルデザインになったことは意義があったと思いますが、なんか筐体が平板で持った手によくフィットするかというと、どうもそうではないようです。ちょっと後のカメラの人間工学的な握りやすさとは同じ光学製品でも逆行してますね。
 接眼レンズのトリイの真ん中の陣笠部分にφ28mmのプラスチックのメダリオンが嵌っていたはずなのですが、これは欠落していてこれが実にマヌケに見えてしまい、なにか革シボ表面の黒い樹脂でも削ってはめ込んでおきたいところです(笑)

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September 25, 2018

日吉光学OCEAN 7x35mm 10°BLタイプ広角双眼鏡

Dvc00201 日吉光学のOCEAN 7x35mm 10°のBL型双眼鏡です。これが輸出用であれば相手先のブランドになるのでしょうが、国内向けということで、オリジナルのOCEANのトレードマークが付いてメーカーのコードもまったく付いていない製品です。年代的には昭和40年代初めくらいの製品でしょうか。
 以前にも書いたとおり昭和30年代になるとアメリカの消費者の嗜好から7倍もしくは8倍のBLタイプで広角の双眼鏡が作られるようになり、その中でも光機舎、大塚光学、日吉光学などは超広角双眼鏡を各種製造し、相手先ブランドで大量に輸出していました。
 市販輸出用超広角双眼鏡のレコードホルダーはLinetブランドの日吉光学製造視野角13°だそうですが、同じくこの日吉光学のBL型双眼鏡は視野角10°ながらさほど無理のない設計ゆえに実用的にはこれくらいが最適なのではないかと思わせる双眼鏡です。
 同じく日吉光学製造のSimourブランドの7x35mm 10°のZ型双眼鏡があり、その双眼鏡との見え方の比較なども面白いと思って手に入れたものです。さすがに落札額はごみ双眼鏡と次元が違いますが(笑)
Dvc00200 この日吉光学の7x35mmBL型は前回入手したKenkoブランドの光機舎7x35mmBL型と比べると視野角は1°狭いものの大きさは変わりません。ところが重量がかなり軽くなっており、光機舎が1000gに近い重さでとても常用できる重さではないのに対してこちらは780gとかなり軽く仕上がっているのが特徴です。そのため8x30mmクラスの双眼鏡に比べてしまうとかなり重いのですが、それでも7x50mmクラスの双眼鏡よりはだいぶマシというレベルです。
 おおよそ製造年が昭和40年前後らしく、各コーティングもシアンのモノコートですが、さほど視野の暗さというのも気になりません。BL型ですが、対物セルにエキセンリングが組み込まれており、最終的にはエキセンリングで視軸を微調整するタイプです。
 かなり長年タバコの煙に晒されていたようで、貼側の表面などがヤニでコーティングされており、中性洗剤を薄めたものをつけた歯ブラシで何度もこすっては拭きを繰り返すと今度は貼革の艶がなくなり、今度はシリコンの艶出しスプレーを布に染み込ませて塗布。
 対物レンズは裏側が若干曇っていた程度でカビのスポットはありませんでしたが、対物側から内部を覗いてみるとプリズムに若干カビのスポットが見受けられました。そのため、まず対物レンズを外して表裏を洗浄し、組み付けた後に接眼レンズアッセンブリーを抜いて接眼ガイドスリーブをベルトレンチで外し、鏡板のスクリューを抜き鏡板を外すとBL型特有のプリズムアッセンブリーが現れます。
 このプリズムアッセンブリー板をスクリュー3本を抜いて筐体から外し、対物側、接眼側のプリズムを外してプリズム面を磨きますが、対物側には遮光板は入れられており、こちらはちゃんと黒染めされています。プリズムにもちゃんとモノコートされていますが、カビによる変質で若干スポットが残ってしまいました。
 接眼レンズも曇りがありましたので分解洗浄しましたが構成は3群5枚構成で対物側と接眼側が2枚構成の張り合わせ、真ん中は単玉でした。各面にはちゃんとモノコートされています。
 再組み立てして遠くの送電線鉄塔の先端で視軸のずれを確認し、エキセンリングで修正を試みるも左右は合わせられるも上下のずれがどうしても合いません、そのため、一旦接眼レンズアッセンブリを抜いて鏡板を外し、プリズムアッセンブリ板の3本のネジで上下の視軸を調整することになりますが、この際は筐体に止めてある3本のスクリュウーを少し緩め、その隣にあるやや細いスクリュウを調整してあわせます。上のスクリュウーを僅かにねじ込むことで視軸の上下はピタリと合いました。
 実際に視軸を修正したこの日吉光学の7x35mm10°とKenkoブランドの光機舎の7x35mm11°と比較してみると、光機舎のような圧倒的な視界の広さに驚くという感動は日吉光学のほうにはありませんが、それでも視野が広々としており、コントラストもシャープネスもそこそこ不満も無く、視界の端のほうの視界のゆがみもそれほど気になることはありませんでした。
 殆ど光学系は同一で筐体形式の違いしかないSimorブランドの日吉光学7x35mm 10°のZタイプと比較してみると、視角や視野の明るさなどは殆ど変わりませんが、SimorブランドのZタイプのほうが視野周辺部のゆがみがやや大きく、解像力がやや落ちるような印象がありました。プリズムの大きさが影響しているのでしょうか。
 ただ、SimorブランドのZタイプのほうが重量が610gに対してOCEANブランドのBLタイプは780g。日常使いにこの重量差が許容できるかどうかがどちらを常用するべきかの分岐点になりますが、個人的にはこの重量差なら丈夫なOCEANブランドのBLタイプのほうを使うと思います。
 また冒頭でも書いたとおり、この日吉光学OCEAN双眼鏡は国内向けの出荷のためJ-BナンバーもJ-Eナンバーも最初から付いていません。

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September 01, 2018

Kenko マイクロズーム5.5-10x20mm Mタイプ双眼鏡(東亜光学)

Dvc00102 ケンコーのちょっと変わったマイクロズームという双眼鏡で、ツアイスタイプのような筐体の実はミクロン型でさらにズームという双眼鏡です。形態的にはエイコーのブルズアイがズームになってより一層不恰好になったような双眼鏡です。ミクロン型のズームが珍しいのではないかと思いましたら今のプラスチックの皮が被った小型ズーム双眼鏡はみなミクロン型ですからその今の小型ズーム双眼鏡を先取りしていたということでしょうか。
 この双眼鏡はケンコー自身が製造したものではなく当然のことOEMで作った会社は輝けるJBナンバーのファーストナンバーを獲得したJ-B1の東亜光学です。この会社は現在東京都の三鷹市で医療機器を製造している東亜光学と同一だと思われますが、その前身は戦時中に補助的に陸軍の13年制式6x24双眼鏡を製造していた東亜光学研究所で、戦後は昭和20年12月に発足した日本光学機器工業組合のメンバーに名前を連ねています。
 終戦後早いうちからミクロンタイプの双眼鏡を製造し、その殆どが海を渡りましたが昭和20年代から30年代前半は本家の日本光学だけではなくこの東亜光学のようにかなりの業者がミクロンタイプの製造に携わっていたようです。というのもZタイプの双眼鏡部品同様にミクロンタイプのパーツも分業体制が出来上がっていて、おそらくは部品ブローカーに何百台というよう発注をかけると過不足無くすべての部品が納品され、あとは組み立てて調整するだけの仕事だったのでしょう。
Dvc00100 この時代には基本はミクロン型ながら少しスタイリッシュな外殻を被せたニコンのルックのような小型双眼鏡が大流行し始めた時代にあえてツアイスタイプの外殻を持つミクロンタイプが意味があったかは知りませんが、この時代にズームのメカを格納するためにはまだ内部にも余裕があるこの形でなければいけなかったのでしょうか?ズーム連動機構はギアではなく鳥居の部分に溝が刻まれており、このスリットの中を左右を連動させるための細い金属のベルトが入るもので、ズームもレバーではなく視度調整のようにリングを回して変倍させるものです。
 某フリマサイトで購入したこのケンコーのマイクロズームは送料込みながら当方としてはやや高めの購入金額でした。まあこれを使用するという目的はまったく無かったのですが、分解前にいちおう覗いてみると遠くの送電線鉄塔がきれいに左右に分かれています。対物レンズは小口径ながらエキセンリングが仕込まれていてこれで視軸調整するらしいですが、はたしてこの口径の小さな対物レンズのエキセンリングだけで左右に離れた像を追い込むことができるのかどうか?
 対物レンズ筒を外し、対物レンズ枠を外してモノコート2枚合わせのレンズを磨きますが、取りきれないカビのスポットはありませんでした。エキセンリングにグリスアップして元に戻し、対物側鏡板を止めているネジを抜いてこれを外すと対物側のプリズムが現れます。このプリズムは対物径の小ささゆえにかわいらしい大きさですが頂点が平らに削られていて台形をしたプリズムです。プリズムにもシングルコートが施されていますが、迷光防止のための処置はまったくありませんでした。小口径ゆえにあまり心配ないものなのでしょうか?
Dvc00101 次に接眼レンズアッセンブリを抜くために対物側のビポット部分からマイナスドライバーで昇降軸抜け止めネジを外したのちにフォーカシングリングを回して接眼レンズ部分をすっぽりと抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、接眼側鏡板のネジを一本抜くと接眼側プリズムに達しますが、この双眼鏡はズームの連動メカニズムと視度調整双方ともに右の接眼部にあるため、左右の接眼筒の大きさが異なり、接眼スリーブガイドも右が太くて左が細いという違いがあります。接眼側のプリズムも対物側と同じく頂点がカットされた台形方プリズムです。
 接眼レンズ部分は曇りもカビも無く割と状態が良好だったため、分解はせず、左右の連動がややきつかったためにベルトの摺動部分に給油しただけでよしとしました。
 組み立てなおしたのですが、対物のエキセンリングだけでは左右の像を一致させることが出来ず、またプリズムは鏨で位置を固定され、殆ど動きしろがない状態のため、この鏨の打痕をミニルーターで削ってプリズムの位置をずらしたかったのですが、現在この筐体に入るような適当な工具が無くて、現状での視軸調整は断念しました。
 まあ、あまりこういう無骨な形のミクロンタイプ、さらにズームというのが無く、コレクター心をそそられる双眼鏡なのですが、実用的にはこのサイズでズームというのも不要で、単焦点のエイコーブルファイトのようなもののほうが多く残っていることを見てもまあ技術とコンセプトの先走り感が強い双眼鏡です。製造番号の捨て番から推察すると昭和41年の製造となるでしょうか?
 それで戦時中からの老舗双眼鏡メーカー東亜光学ですが、昭和46年12月に始まったドルショックおよび昭和48年からのオイルショックによる材料費高騰で双眼鏡の製造からは縁を切って業種転換に成功したようで、双眼鏡と縁を切ったことがいまだに命脈をつなぐ結果になった賢い選択だったようです。
 

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August 31, 2018

アース光学スーペリアオペラグラス(2.5x25mm?)

Dvc00110 アース光学という会社は戦前に広く普及品のオペラグラスを多数発売していた会社ですが、どちらかというと昭和13年発売のグッチという豆カメラのほうが有名かもしれません。このグッチは20mmx20mmの画面を持つ裏紙式の独自のフィルムを使用するもので、特に少年向きのおもちゃカメラ的なものだったようですが、オペラグラスのほうも少年が小遣いを貯めれば購入できる程度の普及品が多かったようです。それでも中には対物レンズが2枚合わせの色消しになったものも存在したようです。
 その普及品の製造に徹したアース光学ですが、戦時中は民生品の製造が禁止になり、海軍の艦載用大型双眼鏡や陸軍13年制式似の6x24mmのIFおよびCFの双眼鏡をGELBONの商標で製造していたりしたようですが、昭和20年3月の空襲で灰燼に廃してしまったのか、戦後にそのアース光学の直系の会社は存在していないようですし、終戦直後の昭和20年12月に設立された日本光学機器工業会15社の中にも名前を連ねてはいませんでした。
 また豆カメラのグッチのほうも部品のプレス型を持っている会社は無事だったようで、戦後すぐに別な名前でアース光学以外の会社により再発売されたようです。
 そのアース光学の戦前発売のおそらく2.5倍25mmくらいのオペラグラスですが、アース光学のオペラグラスとしてはアンダーラインに属するような普及品で小型のものであり、対物レンズも接眼レンズも単玉レンズのような構造のオペラグラスです。それでも戦前の余裕のある時代の製品か革巻きも本物のシボ皮ですし、付属のケースも分厚い牛革ケースです。光学的には極小サイズのトーコープライドあたりのオペラグラスと変わりないのですが、それでもヨーロッパ発信のオペラグラスのコピーですから優雅な趣があり、今出来のプラスチックの成型品でレンズもプラスチック製のオペラグラスとは一線を画します。
Dvc00109 また現在ではどんな複雑精密な金型を作ることが出来ても、すでにこういうものの部品を全てプレス加工で作る技術というのは絶えてしまったようで、二度とこういうもを作るノウハウが無くなってしまったというのは何か寂しいような。
 何せ製造後に80年近く経過した製品ですので元はどうだか知りませんが、今は遠くの送電線がきれいに分かれて見えてしまいます。特にこの時代のオペラグラスには視軸を調整するようなネジの類は存在しないので、おそらくは木の中子のようなものをはめ込んで、木槌で叩いて直接鏡筒の視軸を変えてしまうのではないかと思ってます。まあ低倍率ですが、そういう視軸調整は勘と経験が要るかなりの名人芸だったでしょう。
 それで対物も接眼も色消しのない単玉だとしましたが、鏡筒内部に遮光絞が入っており、これによって迷光を防止してコントラストを確保し、色収差も目立たなくしているのでしょうか?筐体内部には丁寧な黒塗りが施されていました。

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August 25, 2018

東京光学機械陸軍89式7x50mm7.1°双眼鏡

Dvc00104 日本の軍用双眼鏡はコアなマニアがいるためにオクでも当方が首を突っ込むような落札価格ではないのですが、こちらは希望落札額が付いていたためにタイミングよくゲットした物件です。出品者はどちらが本命と思ったのかは知りませんがミノルタ版EOS KISSのようなプラボディのオートフォーカスフイルムSRLカメラと交換レンズ2本の抱き合わせでしたが、この時代のプラスチックカメラにはまったく興味が無くレンズも内部カビ玉だったためこちらは完全放置状態。
 いわゆる陸軍の監視用双眼鏡である89式7x50mm7.1°ですが、兵庫県内の対空監視所もしくは高射砲部隊で使用されたらしく、ボール紙にカーキ色のキャンバス地を被せた布ケースが付属していました。このケースは以前入手した88式7.5cm高射砲の付属物である砲金製弾道計算尺のケースと作りと同じです。
 この東京光学機械製89式双眼鏡は日本光学のノバーの光学系を採用しながら対物筒などにアレンジが加えられ、当時のツアイスの双眼鏡のように対物筒が二重になっています。そのため、海軍用のノバーよりは衝撃などに対して丈夫なのでしょうがやや重い双眼鏡です。これを手持ちで敵機の来襲を監視していた兵はさぞかし大変だったと思います。陸軍の砲隊鏡などと同様に右の接眼部に十字のMILスケールが刻まれています。
 東京光学機械、後のトプコンは昭和の7年に陸軍の要請で服部時計店の資本で昭和8年に板橋区の志村に設立された光学会社です。それというのも日本光学は海軍主体の海軍色の強い会社だったため、非常時に光学兵器を滞りなく入手するためには日本光学とは別の会社が必要だということだったのでしょう。これが後に陸軍の御用光学会社集まりである八紘会に繫がってゆくようです。
Dvc00103 戦時中は東京光学機械では捌ききれない受注を抱え、この八紘会の光学会社が補助的に13年制式6x24mmなどの双眼鏡を生産してゆくのですが、板橋の志村周辺にはそれらの双眼鏡の部品の外注業者が数多く集まり、戦後はそれらの外注業者が輸出用双眼鏡の生産を始めるという歴史がありました。
 その東京光学機械製89式7x50mm双眼鏡ですが、多くの戦前戦中双眼鏡と同じくグッダペルカ(天然樹脂)で作られた貼革がほんの僅かしか残っていません。まあ少しでも残っているだけマシなんでしょうが、この素材は代替品がないので困ってしまいます。今出来の酢酸ビニール製の皮もどきは厚みが薄すぎて本体の重厚感に負けてしまいます。鏡板などのプレスパーツは肉厚の真鍮製で少々のことでは凹みそうもないのはさすがに陸軍用だけのことはありそうです。
 この双眼鏡、対物筒の外筒が斜めに無理やりねじ込まれていて内筒がなかなか抜けず、構造も理解していなかったため苦労しましたがとりあえず対物側のプリズムを取り出せるまで分解することに成功。戦時中の双眼鏡なのでレンズにはまだコーティングがなく、少しでも内面反射を抑えてコントラストを高めるために内部は丁寧な反射防止塗装がなされ、プリズムには遮光カバーが被さります。コーティングがないおかげでレンズもプリズムもきれいに拭きあげることができましたが、日本光学のノバーのようにバルサム切れはありませんでした。このバルサムはカナダバルサムで戦前に輸入したものを消費していたらしいですが、本当の戦争末期になると代替品として国産の松脂から精製したバルサムでも使用していたのでしょうか?それを考えるとまだ物資が枯渇し切る前の製品かもしれません。グッダペルカも分厚い革シボ模様の入るものでしたし。
 プリズムポケットは対物側も接眼側も工作精度は良好でした。接眼レンズは外側が2枚貼り合わせの2群3枚のケルナータイプで右側の接眼筒に十字のスケールが刻まれた硝子がはめ込まれています。
 実際に遠くの送電線鉄塔の先端を見ながらエキセンリングで視軸はピタリとあわせることが出来ました。ノーコートのレンズ・プリズムの組み合わせですから反射ロスで視野が暗いのは仕方がありませんし、日中のコントラストも低いのですが、シャープネスはその割りに高くて解像力もある感じはあります。
 まあ光学兵器の類ですからこの双眼鏡で敵機を見落として空襲警報が遅れるわけにはいかないため、押さえる部分は押さえてあるという感じでしょうか。これ、レンズすべてとプリズム類を今出来のものと取り替えてしまうことも可能ですが、それをやってしまうと戦時資料としての価値が無くなるので、これはそのままにしておいたほうが利口でしょう。
 それで今回気が付いたことなのですが、この89式双眼鏡の見口はベークライト素材でネジ部分は金属が埋め込んであるなどとても手間の掛かった作りなのですが、どの見口も合わなかったダウエルのIF双眼鏡にぴったりでした。微妙にネジのピッチが合わなかったのですが、実はダウエルの成東商会は戦前双眼鏡の部品などを貯めこんでいて注文があるたびにそれを引っ張り出して使用していたのでしょうか?プリズムカバーなども戦前双眼鏡の手法ですし、貼革も妙にごつごつな感触なので本物のグッダペルカかもしれません。もしかしたらこのダウエルの双眼鏡は戦時中の部品をどこからかかき集めてきてそれを組み立てていたのかもしれませんな(笑)

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August 20, 2018

Copitar 8x35mm 10度 Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00091 コピターの双眼鏡は国内でも多数出回っているブランドの一つですが、そもそもは昭和29年5月に荒川区日暮里で創業した高久光学工業が名称変更となった会社です。当初、輸出向けの双眼鏡の製造会社でしたが、いつのころからか商社化し、アメリカあたりにもコピターの名前でかなりの双眼鏡を輸出していました。昭和40年代末のドルショックを乗り切り、昭和50年代には内需の拡大にシフトして雑誌などでズーム双眼鏡の広告まで出していましたが、このコピターは現在コピタージャパンとして輸入双眼鏡のネット販売などで存続しています。
そのコピターですが昭和40年代から50年代にかけては板橋のかなり特徴のある会社にOEM生産させた双眼鏡を国内外にコピターブランドで発売しており、けっこうこの中にはOEM製造業者の中では優秀な双眼鏡もあるし、よく名前もしらないような製造業者の双眼鏡もあるという玉石混合状態であることが面白く、コピターブランドの中から玉石の玉を探し出すというのもけっこう面白いと思います。
そのコピターは昭和40年代中ごろから50年代に掛けてはやはりズームタイプの双眼鏡が主流だったようで、当初光機舎あたりがOEM先だったものの50年代には何か写真レンズのように対物レンズ内側に刻印の飾りリングがある特徴的なズーム双眼鏡に変わったと思ったらこれはJ-B56の遠州光学のOEMだったようです。
Dvc00090 中には超広角双眼鏡として各社のOEMがある光機舎のBL型8x35mm11°という玉もあれば凡庸なZタイプ板橋輸出双眼鏡の石っころもあるので、同じコピターの双眼鏡群でもいかに玉を掴むかという面白さがあります。
 このコピター8x35mm10°の広角双眼鏡は先日オクで入札していて、これだけでは送料がもったいないとテルスター2台まとめてと一緒に入札したら、このコピターだけ高値更新され余計なテルスターだけが手元に届いたという因縁の双眼鏡です。そしてこちらは某フリマサイトで660円で購入しました。というのも直前に扱ったLinetのFIELDMASTERそっくりの外見だったので名前はコピターでも中身は某社製ということいを確認したかったということもあります。
 届いたコピターの7x35mm10度の双眼鏡は取り説こそありませんでしたが外箱にソフトケース、キャップ一式にシリコンクロスと接眼レンズに嵌めるタイプの黄色いフィルターまでそろっています。対物レンズの内側が若干曇っているだけのシロモノでしたが、全体的にタバコのヤニでコーティングされているような状態で、外箱は拭くわけにはいきませんが、ソフトケースや本体はまずマジックリンと歯ブラシでヤニのクリーニングから始めなければいけませんでした。
 そしてとりあえず表の送電線鉄塔を覗こうと思ったらフォーカスリングがまったく動きません。多条ネジの部分のグリースが固着しているのかと思い、下陣笠を外してここからチューブを差し込んでCRC-556を少し吹き込んで少し時間を置いてもフォーカスリングはまったく回らず、最後の手段と上陣笠を外してそこから接眼レンズ部分を分解しようと思って真鍮のストッパーネジを外しにかかったら何と昇降軸がぽろりと折れてしまいました。昇降軸は金属の挽きものではなく、何と亜鉛ダイキャストにユニクロメッキかなにかを掛けただけのもので長年湿気にさらされたことによる経年劣化で内側に止めねじを嵌めるためのネジ穴加工された多条ネジ部分が加水分解して膨張し固着。さらに材質自体が湿気の進入で砂を糊で固めたような状態になってしまったためペンチ挟もうとすると崩れてしまうように劣化してしまっています。
 普通だったらここであきらめて送料分含めて大損だったと後悔するのでしょうが、そういうときに部品取りで使えるようにストックしてある本当のジャンクの双眼鏡の中から昇降軸とフォーカスリングを流用してしまえば何とかなりそうだとひらめいて、取り出したのがプリズムの端が欠けていてプリズムが平行に置けないテルスターのSports 120GXとかいう茶テルスターの12x30mmでフォーカスリングの色は違えどもデザインはまったく一緒。昇降軸もこちらは金属の引き物なので寸法さえ合えば流用が可能だと思ったのですが、実際にやってみたらこれがビンゴでした。元の接眼レンズアームビボット部分に残っていたダイキャストの残骸が固着していて抜き出すのが大変でしたがテルスターの昇降軸の寸法は寸部の狂いも無く取り付けることができ、一件落着です。 ただ、昇降軸の受けの部分のスリーブに若干の寸法誤差があるためか、ややガタがある感じがしますが、同寸で加工されていてもメーカーの違いで誤差が生ずるのは仕方が無いでしょう。でもやはり双眼鏡折りたたみ動作のときのバックラッシュは気になります。
 それでこの双眼鏡の製造元はLinet同様に鎌倉光機で間違いないと思います。ただ、対物レンズはまったく同じ濃いパープルとマゼンダのコーティングの組み合わせでしたが接眼レンズのコーティングが異なり、Linetは対物レンズと同じマルチコート風のコーティング。こちらは薄いシアンのシングルコートでした。ただ、Linetが7x35mmの10.5°でこのコピターが8x35mm 10°という違いがありますが、見え方や見える範囲などは双方に違いは殆どありません。何かLinetよりも空が若干狭くなった気がするのですが、それは実視角よりも倍率によるものでしょうか。
 真ん中の解像力はそこそこですが、やはり周辺部は直線が曲線になるのは仕方がありません。
 このコピターは付属品が充実していて接眼部に被せる黄色のフィルターや角付きのゴムアイカップは透明なビニールケースに入れられたままの未使用でした。また両方の接眼部を覆う長円型ゴムの接眼覆いも小雨に遭遇したときなどには重宝しそうですが、こういう細かい付属品をそろえて割りと定価が高めで実売価格はそこそこというビジネスだったのでしょうか。
 コピターは雑誌広告なども行っており、箱のデザインなんかも凝っていますが、いまひとつブランドとしての地位が確立しなかったのは仕入先がバラバラで「これ」という商品イメージがなかったことで高級品になりきれなかったことが大きいかもしれません。何か一つ業界を驚かすような超高級なアポクロマートの天体観測専用双眼鏡などというものが一つでもあったらもっとメーカーとしてのステータスはあがっていたでしょう。企業にとってはこういう企業を代表するイメージリーダー的な商品は必要です。

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August 19, 2018

Kenko 8x30mm 10°Z型広角双眼鏡(大塚光学)

Dvc00093 ケンコーの8x30mm 10°のZタイプ広角双眼鏡です。これ、ケースや説明書、シリコンクロスや説明書・保証書まで揃っているものを某フリマサイトで送料込み1500円で購入したものの、覗いた像が2つに分かれて見えるのとレンズの内側がやや曇っているとのことでしたが、それくらいならオーバーホールと調整で元の状態に戻りそうです。
 そもそもケンコーは光学総合商社のためにさまざまなOEM先からケンコーブランドの光学製品を仕入れており、年代によって仕入先もいろいろと変遷しているために、実際に何を掴んでしまうのかという楽しみがあります。しかし、ケンコーも昭和60年代にはフィリピンの現地工場からの仕入れがメインで、こういう何を掴むかというわくわく感はうせてしまいました。
 そして届いたケンコーブランドの8x30mm 10°の双眼鏡は製造メーカーコードが残っておりそれによるとJ-B46の大塚光学製でした。大塚光学というと自社ブランドDiaStoneで海外でも有名ですが、どうもBLタイプの双眼鏡のイメージが強くてこういうZタイプの双眼鏡は影が薄い感じがします。
 それでも広角10°という双眼鏡は限られたメーカーでしか作れないため、見掛けは平凡ながら秘めた実力のある「羊の皮を被った狼」的な双眼鏡です。
Dvc00092 まず分解を始めてわかったことは、すでに対物セルがプラスチック製でエキセンリングを仕込めないため、筐体に仕込まれたイモネジで視軸調整するタイプの割と新し目の双眼鏡だったことです。それでも保証書の用紙の印刷年が昭和49年1月なのでおそらくは50年代初期の双眼鏡ではないかと思います。オイルショックを経過して原材料高騰のためにコストダウンの工夫が入り込んだことが伺える構造の双眼鏡ですが、いまだ主要部品は金属製のため、妙に安っぽさはなく、重量も550gと普通の8x30mm双眼鏡と変わりません。
 イモネジ部分の貼り革を穿り出してネジを緩めプリズムを外しますが、曇りはあるものの醜いカビ跡はありませんでした。イモネジで視軸を修正するタイプなのでプリズムは弾性のあるゴム系の接着剤で固定されていますが、プリズムを洗浄するためこれを半割り状態にしてしまうため、再度取り付けても元の弾性を失って、なかなかイモネジで視軸を追いきれないことがあります。その場合はイモネジを緩めてもう一度プリズムを取り出し、再度位置決めしてからやり直すとうまくいく場合がありますが、これは上下が追い込めなくて苦労した物件です。
 実際に覗いてみると薄いアンバーコーティングのこともあり、やや視野は青に傾くカラーバランスですがおおむね良好。ただし8倍ということもあり視野角が10度でもさほど空が広いと感じる感動はありません。それでも並みの7.5°の双眼鏡よりは広々していますが、当然のこと視野周辺は直線がぐにゃりと曲がって見える渦巻き収差があるのは仕方がありません。
 中心部ももう少し解像力があればいいのですが、それは35mmと30mmの微妙な違いも影響しているのでしょうか。

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August 16, 2018

Linet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°Z型広角双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00078 Linetというのはアメリカの仕向け先ブランドの一つで特に広角双眼鏡のFIELDMASTERという名前で日本製の双眼鏡を昭和30年代初期からアメリカ国内で売り出していた商社です。
 そのため、同じLinetネームでもかなりいろいろな製造メーカーの双眼鏡が入っており、画像を見るだけでも光機舎あり、日吉光学あり、そして大塚光学もありという感じで、広角双眼鏡を作れるところからとにかくかき集めたという感があります。
 そして広角はZ型ですむもののやはり超広角ともなるとBL型ではなくてはダメで両方作ることの出来る会社ではないと取引が出来なかったのではないかと思われるような商社ブランドです。
 その中には日吉光学製BL型7x35mm 13.5°という市販手持ち双眼鏡史上一番とも思える超広角双眼鏡もあったそうですが、現物を見たことが無いのでちょっと興味があります。
 そういえばネット上の質問欄にLinetという双眼鏡についてという問い合わせがあり、それに「世界あまたの有名光学メーカーにLinetという会社はなく、ライカのマークに類似しているので登録商標は日本を含めた欧米では取得できないので中国製の安物だ」と自分の思い込みで断定している回答があり、噴出してしまいました。この方、日本の有名双眼鏡メーカーが数多の相手先ブランドのOEMで海外に渡り、貴重な外貨を稼いできたことはご存知ないようで、すべての双眼鏡はNikonみたいに独自の商標で輸出されていたと思われているようです。日吉光学にしても日本の双眼鏡業界ではビッグネームですが,誰がOceanのブランド名を知っているでしょうか?
Dvc00077 その広角専業アメリカブランドのLinet FIELDMASTER 7x35mm 10.5°というZタイプの双眼鏡ですが、なぜこれが日本に出回ったのかはわからないものの、たまにLinetの双眼鏡は国内からも見つかるようです。画角10.5度はプリズムの大きさに制約のあるZタイプでは限界値かもしれず、Linetでもこれ以上の超広角双眼鏡はBLタイプのようです。先日入手したKenkoブランドのBL型7x35mm 11°があまりにも重くてとても日常使いできないことから軽くて使い勝手が良さそうなことから落札したものですが、果たして実用的にはどうなのでしょう。Linetの双眼鏡は広角、超広角という特徴から板橋でも技術のある上級メーカーのOEMが多く、変なものはつかまないと思いますが、はたしてどうでしょう。
 届いたLinet FIELDMASTER 7X35mm 10.5°の双眼鏡は対物側プリズムの端に明らかなカビのスポットがある以外はおおむね殆ど使用もされていない双眼鏡でした。VIOLET COATEDという表記がありましたが、これ先日どこぞのメーカーの双眼鏡で見たばかりですね。その対物レンズのコーティングは濃いパープルとアンバーコーティングを組み合わせた複雑な色合いのコートで昭和40年代末のマルチコートの写真レンズを見ているよう。後玉が大きな接眼レンズもこのマルチコート風のものが使用されています。接眼レンズはエルフレに間違いないと思うのですがややアイレリーフが長いのでレンズ構成を若干アレンジしたものなのでしょうか。
 この手のZタイプの分解はなれたものなので、まず対物筒から分解し対物側のプリズムを外して無水アルコールで洗浄しましたが、筐体内部は丁寧な反射防止塗装が施され、プリズムのポケットは微動だにしないほど加工精度はいいようです。ただし調整のための錫箔が施されていました。対物レンズはエキセンリングで視軸調整するタイプなので対物筒からレンズを外してレンズ洗浄ついでにエキセンリング部分にグリスアップしておきます。
 つぎに接眼側のプリズムを洗浄するために対物側から昇降軸ストッパーのネジを外して焦点調節リングを回して接眼レンズアッセンブリーを抜居た状態から鏡板のスクリュウ左右で一本ずつ抜き、接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、鏡板を外して左右ともにプリズムの洗浄を実施。こちらのプリズムポケットの加工精度良好でしたが、こちらも一箇所錫箔で修正が入ってました。プリズムポケットの加工精度が良いため、エキセンリングのみの小調整で簡単に遠くの送電線鉄塔の天辺を一致させることが出来ましたが、その見え方はKenkoの7x35mm 11°ほどの感動はなく、左右は広くなったのに上下が少々窮屈な感じがします。日吉光学製Simor 7x35mm 10°と比べても0.5°の差などというものは殆どありませんでした。
 肝心の見え方ですが、やはりエルフレを使った双眼鏡がどれも同じようにコントラストとシャープネスがいまひとつながら真ん中の解像力はなかなかのもので、並みの板橋双眼鏡をはるかにしのぎます。端に行くにしたがって像が甘く渦巻き収差がきつくなるのはエルフレの超広角双眼鏡に共通します。まあ像の均一性はありませんが、やはり圧倒的な視野の広さは魅力的です。コーティングのせいでUVとブルーライトがカットされるようで、視野がやや茶色っぽく見えます。
 それで肝心のこの双眼鏡の製造元ですが、鎌倉光機製に間違いありません。なぜならばOEM先に関係ないCAT'S EYEのマークが小さく入っています。鎌倉光機は自社の名前は絶対に入れない代わり、先日のBL型ズーム双眼鏡のようにプリズムプレートのネジを外して取り出したら中にJ-B133の刻印があったり、トリポッドカバーにJ-B133の刻印があったり、必ずどこかに鎌倉光機が作ったことの証明みたいな証拠が隠されているような気がします。筐体内部の加工精度などをみても超広角双眼鏡を作れる技術力を見ても並の板橋双眼鏡組み立て業者に出来るような仕事ではなく、やはり選ばれた双眼鏡製造メーカーの仕事です。製造はシリアルナンバーの捨て番からすると昭和48年製でしょうか?
 しかし、これを中国製の双眼鏡と断定してしまった人は鎌倉光機の製品だなんて想像も出来なかったのしょうが、もしかしてニコン、ビクセン、ケンコーあたりは知っていてもそれをOEMで支える影武者的な鎌倉光機のような会社があること自体知らなかったのでしょうね。

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August 14, 2018

Vision 15x40mm 5°広角M型双眼鏡(成和光学工業)

Dvc00074 盆の入りで今年の6月に亡くなったばかりの叔父の家に行き、釣り道具置き場兼作業場の物置から出てきたものを頂いてきたものがこのビクセンのサブブランドだったVisionのミクロン型双眼鏡です。
 我々が小中学生の時には小型から大型に至るまで多種のミクロン型双眼鏡が作られていましたが「立体視が肉眼よりも縮小される」という欠点から超小型のミクロン型ならまだしも大型のミクロン型は意味が無いと考えて、最初から7x50mmのツアイス型一本やりだったのですから友人のミクロン型は手にすることがあっても自分からミクロン型を選ぶということはありませんでした。
 主目的が天文用だったということもありましたが、プリズムむき出しの双眼鏡は落としたら絶対にダメージが大きいだろうなということは気がついていましたし。
 そのミクロン型をカタログに大量掲載していたのがビクセンです。そのビクセンのカタログに掲載されていたのが俳優川口浩からの感謝のはがきで、確か若くして馬主だった川口浩が調教の様子を確かめるために双眼鏡を常用していたものの、それを軽量のミクロンタイプに変えたところ、肩こりがなくなり、マッサージにも通うことが無くなったというような内容だったと思いますが、今考えたら板橋の出来のよくない視軸のずれた双眼鏡を常用していたからそんなことになったのではないかと思ってしまいますが(笑)
川口浩というと我々世代はキーハンター、もっと若い人は川口浩の探検隊で川口浩が亡くなって30年が経過するもいまだに嘉門達夫の歌のおかげで忘れ去られないという俳優さんでした。
 そのあまり興味が無かったミクロン型(以後M型と省略)ですが、そもそもは大正時代末に日本光学がオリオン(陸軍13年式6x24mm)やノバー(海軍7x50mm7.1°)などとともに設計した民生用双眼鏡です。戦前から輸出されていたようですが、戦時中の製造中止を経て戦後は外貨獲得のために日本光学以外の各社でも製造および輸出を始めましたが、本来超小型双眼鏡であるはずのM型が本家の日本光学以外の手により独自に拡張し始めたのです。まあM型双眼鏡にあまり興味が無かったので記憶があいまいなのですが、最大50x50mmくらいのものがあったような気がしますが、それというのも日本人の高倍率高性能神話によるものでしょう。
 実はこのM型、ワイドだと低倍率ほど光束が太くなるためか大きなプリズムを必要とし、大口径高倍率になるほど光束が細くなるので小さくても済むという性質から30mmタイプの10倍と40mmタイプの10倍のものでは本体の見かけがまったく異なります。ホールド感は低倍率タイプのもののほうが優れるのですが、見掛けは極小タイプに近い本体の40mmタイプのほうが美しい、と個人的には感じます。
 また、このM型双眼鏡は日本光学オリジナルの対物レンズ部を繰り出して焦点調整する方式と、この双眼鏡のように接眼レンズ部分を繰り出して焦点調整する二つの方式があり、どちらが優れているとはいえませんが大型化したM型では対物レンズ筒を固定して接眼レンズ部分を繰り出す方式のほうが強度的にも合理的です。
Dvc00073 このVisionのM型、亡くなった釣り好きの叔父が昔、釣りに持って行き、釣り場のポイントを見つけたり周りの釣果を確認するために使用していたようで、夥しい釣り道具の中にまぎれて出てきたものを頂いてきたものです。JBナンバーが残っておりJ-B93の製造工場の組み立てです。対物レンズ内部カビ少々、プリズム曇りでどっちみち全バラシのうえレンズとプリズムの洗浄が必要なのですが、いままでM型双眼鏡に無関心で、かつBL型でさえこの間初めて分解したというM型初心者です。まず対物筒を取り外し、対物レンズをカニ目で回して取り出しますが、当然のこのタイプにはエキセンリングが組み込まれてなく、単にレンズを前から押さえ込んでいるだけでした。対物筒のネジの切り具合で微妙に焦点が変わるのかレンズ後部に極薄のシム2枚が左右ともに敷かれていました。
接眼レンズアッセンブリは回転軸カバーのアルミキャップを回して外すと軸ストッパーのネジが現れ、焦点調節リングを回して繰り出していくのですが、通常のZタイプと回転が逆。そしてプリズムカバーのネジを外すと長辺方向の2本のイモネジで固定されているプリズムが現れます。イモネジは貼り革で隠されているので左右とも千切れないように慎重にはがして、片側のネジだけ緩めてプリズムを取り外すのかコツです。これ、両側緩めてプリズム外すと後の調整で酷い目に逢います。実際やってしまいました(笑)
また、このネジを外さないでプリズムをこじり出すとイモネジが当たっている部分が欠けて調整不能になるかもしれないので、まずプリズムカバーを空ける前に貼り革をはがしてネジ位置を確認することから始めた方が無難です。またこのイモネジは1.2mmくらいのマイナス精密ドライバーが要ります。プリズム洗浄の後元に戻しますが、このプリズムポケットは短辺にまったく動く幅がなく、縦方向にしか微調整できません。
接眼レンズもそのままでも良さそうなものでしたが分解して洗浄することにします。独立した接眼レンズ筒がなく接眼レンズアッセンブリーのまま後ろからカニ目で押さえのリングを抜くのですが、玉はワイドタイプらしく3群3枚。真ん中が三枚貼り合わせのエルフレではなく、前後のレンズが貼り合わせ、真ん中の玉が単レンズの3群3枚構成の接眼レンズで、これは何という形式なのでしょうか?そのレンズですが分解して洗浄したまでは良かったものの、元に戻して実際に像を見てみると像が斜めに流れていたり接眼レンズ部からカタカタレンズが踊っている音がしていたりという組み立てで非常に苦労した接眼レンズでした。一番外側のレンズが組み立て時にひっくり返ったり、それを押さえるスペーサーがなかなか奥まで入り込まなかったり結構再組み立てで時間を取られた感じです。
 さらに合計4本のイモネジのみで視軸の微調整をしなければいけないM型双眼鏡は大変でイモネジの両側を緩めて取り出したプリズムはどういうわけか像が微妙に傾いていたりして、これをあれこれ調整してピタリとあわせるまでに試行錯誤を繰り返し、何やかんやで2時間はたっぷり掛かったような。像の転倒、水平の不一致というのはZ型以上に調整するのが大変で、最後にエキセンで微調整がない分これを調整する人は一種の名人芸だったような。
 まあ、こういう生産性の悪さと部品のプラスチック化が不能で部品コスト上昇に耐えられなかったというのが今にM型双眼鏡が残らなかった最大の要因ですが。
 この双眼鏡にはJ-B93の刻印が残っていたことは気が付いていましたが、その組み立て工場は板橋区板橋で昭和30年9月に設立された成和光学工業です。栃原光学同様にマイクロ型双眼鏡専業の会社で、おそらくはその殆どがビクセンに収められていたのでしょう。いちおう長谷川シールの痕跡も残っていました。いつごろからビクセンのセカンドブランドのVision名で製品を発売することになったかはわかりませんがおそらくは成和が創業当時、ビクセンがまだ光友社の時代からM型双眼鏡をビクセンブランドで納めていた会社なのでしょう。そのM型双眼鏡ですが、プラスチックに置き換えてコストダウンするという部分がなく、組み立て調整および金属剥き出しの部品にキズが付かないように細心の注意を払わなければいけないなどの理由からビクセンでは昭和50年代中ごろ、栃原光学あたりでも平成に年号が変わるのを待たずして製造中止になり、日本光学のミクロン型誕生から数えて60年余りでM型双眼鏡は終焉を迎えました。その後韓国でミクロン型の生産がされたようですが、鏡筒がプラスチックなどM型の本質的な良さを理解しない劣化コピーぶりで、市場からすぐに消えてしまったようです。
その後ニコンが復刻版のM型オリジナルを技術の継承目的で再発売したのはご存知のとおりです。

 さて、調整の終わったVision M型15x40mm 5.0°ワイドの実力ですが、さすがに15倍ながら視野が広いことは認めますが、中心部解像力はそこそこながらコントラストとシャープネスはほめられたものではありません。また15倍の倍率というのは当方にとっては倍率が高すぎて何の目的に使用したらよいのかの用途がわからないのですが、叔父のように釣りに出かけて離れているところで何が釣れているかどれだけ掛かっているかなどの確認のための双眼鏡としては小型で使いやすくていい双眼鏡だったのでしょう。もしかしたら大手の釣具チェーンかなにかに並んでいたものを購入したのかもしれません。そういう販売ルートのためのサブブランドの存在だったのでしょうか。

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August 13, 2018

Kenko 7x35mm 11°BL型超広角双眼鏡(光機舎)

Dvc00072 1円のゴミ双眼鏡の類ばかり覗いていたら目玉が曇りそうだったのでたまには当時の高性能双眼鏡として今でも人気のある超広角低倍率双眼鏡を入手。実はこの種の双眼鏡は狙っていたのですが、100円双眼鏡のほうが忙しく超広角双眼鏡一台とゴミ双眼鏡10台を計りにかけたらゴミ双眼鏡のほうが重かったということで後回しになってしまっていたのです。
 入手したのはケンコーのおそらくは昭和40年代初期の7x35mm 11°のBL型、いわゆる米軍が使用して進駐軍が日本に持ち込んだボシュロム型です。標準だと7.3°くらいが無理のないところ11°という超広角双眼鏡でこれがおそらく手持ちの双眼鏡の限界値かもしれません。
この手の広角双眼鏡は昭和30年代半ばころから輸出用として作られるようになり、Zタイプの7x35mm10°くらいが広角の限界だったものをBL型にしてプリズムを拡大し、光路を広げて11°まで高めた超広角双眼鏡が現れるようになったのが昭和30年代の末ごろでしょうか。その超広角のBLタイプの双眼鏡が得意だったのが光機舎と大塚光学だったようで、国内の光学各社へもこの2社の超広角双眼鏡がOEMで入り込んでいます。そもそもケンコー自体が光学総合商社として殆どの商品をOEMで国内各社に作らせていたために、種別や年代でいろいろな業者のものにお目にかかる可能性があります。ただ、そのために同じケンコーブランドでも年代種類により出来不出来の差があるようです。
 そのケンコー、現在はレンズメーカーとトキナーと経営統合し、ケンコートキナーになりましたが、そもそもの母体は昭和30年に輸出双眼鏡組立業として世田谷区北沢に設立された研光社(J-B108)なのです。ワルツカメラが倒産したことがきっかけで参入したカメラのフィルターが業界ナンバーワンのシェアを獲得したことを手始めに次々にカメラアクセサリー分野に積極的に進出し、短期間で光学総合商社として急成長した会社です。
 そういう雑多な混成軍の様相のあるケンコー製品ですからピンがくるかキリがくるかの楽しみがあるのですが、今回入手した7x35mm 11°の双眼鏡がキリのわけはなく、刻印されていたナンバーからJ-E25のダイキャストを使用したJ-B21の光機舎の製品であることがわかります。この超広角双眼鏡は他に大塚光学あたりも得意としており、たとえ仕向け先が変わってもだいたいこの光機舎もしくは大塚光学に当たる確立が高そうです。
 この双眼鏡は当時のケンコーの高級双眼鏡に共通した黒の牛革ケースに入った黒の牛革ストラップをまとったBL型双眼鏡で、35mm双眼鏡にしては横幅が大きく巨大な印象を受けます。また非常に重い双眼鏡で重さも960gと50mmのZタイプ双眼鏡よりもわずかに軽い程度の双眼鏡で35mmクラスの双眼鏡としては文句なしのナンバーワンでしょう。ちなみにニコンのマルチコート7x35mm 7.3度のZタイプは600g強しかありません。まだ大塚光学の超広角のBLタイプに行き当たっていませんが、他のズームタイプの双眼鏡の例からすると光機舎の双眼鏡よりも大塚光学の双眼鏡のほうが軽そうです。
この光機舎超広角双眼鏡の筐体は同社の8-15x35のズーム双眼鏡から流用しているようでどうりで大きくて重いわけです。専用のBL型筐体を用意すればもう少し小型化できそうなものの超広角ということから光路に余裕のある大きなプリズムが必要かつアイピースも太くなるため、ズーム双眼鏡と共通というのは必然性があったようです。
Dvc00071 革ケースを開けてびっくり金目鯛のような大目玉を持つ接眼レンズは対物レンズと見まごうほどの大きさ。見口のプラスチックも極端に短いということはアイレリーフが短いということで、これは正真正銘のエルフレが装着されているようです。エルフレというと往年のビクセン天体望遠鏡にエルフレ20mmが付いていたので、その性質はよくわかっていますが、真ん中の解像力はそこそこながら周囲の像は収差が大きく、コントラストが比較的に低いというようなことでしょうか。でも当時超広角というとエルフレあたりしかなく、その視界は驚異的に広かったものの、天体望遠鏡の接眼レンズにエルフレが必要だったかどうかは疑問でした。まあエルフレは低倍率の双眼鏡あたりのほうが使い勝手が良かったのでしょうが、こういう特殊どころの双眼鏡ではないと接眼レンズはケルナー止まり。こだわりの無いユーザー対象の双眼鏡はラムスデンで十分とディスカウント同眼鏡にはけっこう2枚玉のラムスデンが混じっていることがわかり始めましたが、このエルフレは真ん中のレンズが3枚貼り合わせの3群5枚構成です。当然接合面が多い事から光の損失が多く、ラムスデンなんかと比べるとヌケが悪く暗くなりそうな感じです。
 早速覗いてみたら遠くの送電線の鉄塔先端がわずかに分離して見えるのと、やはり長年の放置でグリス類の揮発成分が蒸発してプリズム表面を曇らせていたため、どっちみちオーバーホールです。
 まず、対物レンズ側から分解して対物レンズを取り出しますが、この対物レンズはBL型なのにエキセンリングで保持されていました。最終的には外側から視軸調整が可能なほうが生産性が向上するのですが、BL型のプリズム取り付けプレートのネジによる視軸調整の方法がいかに面倒くさいかということが今回も身にしみてわかりました。対物レンズを洗浄し、エキセンリングにグリスアップして元に戻し、今度は接眼側の分解に入りますが、こちらも通常のCFタイプのZ型同様に下陣笠を外してそこからマイナスドライバーを差込み、視軸シャフトの止めネジを外し焦点調整リングを回せばて接眼アッセンブリーが取り出せます。そして接眼ガイドスリーブをベルトレンチで外し、鏡板のネジ一本を抜いて鏡板を外すとプリズムプレートが現れます。このプリズムプレートの3本のネジを外すことで2つのプリズムが固定されたプリズムプレートを筐体から取り出すことが出来るのですが、このプレートを抜くのも嵌め込むのも少々コツが要り、特にはめ込む際はドツボに入り込んでしまい、なかなか嵌められないという現象に遭遇(笑)
 今回この2対のプリズムは底面も曇っていたためプレートから外して無水アルコールで洗浄することになります。プリズム表面はシングルコートされ、対物側のプリズムには遮光カバーが被せられているのですが、このカバーが黄色い光を放つ黒染めも無いブリキの板で、ダウエルの双眼鏡についていたものと大して変わりません。なぜ遮光カバーかというと広角の双眼鏡は視野がけられるので対物筒に遮光筒が装着できないのです。いままで「遮光筒も省略されているようなコストダウン」などと散々批判してきましたが、8x30mm双眼鏡なら視野角8.5°以上で遮光筒を逆に付けられないようです。これ誤解してました。
 それで洗浄して元の場所に収めたプリズムはプリズムポケットの加工も良好でポケットの端にたがねを入れてピタリとはまり込むようになっているため、それこそ一度外したところでさほど狂いは生じないと思ったのですが、一旦仮組みしてみると、何と左右の水平が無視することが出来ないほど狂っていました。こればかりはエキセンで修正するわけにいかず、けっこう数時間あれやこれやと試行錯誤繰り返したのですが、その間、プレートを再度外してプリズムを付け直してみたり、プレートがすんなり嵌めこめなくなったり問題解決まで本当に半日くらいの時間を費やしたことになります。
 結局はベースプレート上の1.5mmφくらいのイモネジ3本を対象物を観測しながら微妙に調整することで像の倒れと像の離れを解決。エキセンリングも併用して視軸の調整は完璧になりました。このネジ、もう少し調整しやすいように大きくして欲しいのですが、予めこう大掛かりに調整するのではなく、何らかの冶具上でプリズムベースプレートの水平か何かを出しておいてそのまま組み立て、あとはエキセンリングで最終調整するという方法を取っていたのかもしれません。
 調整の終わったこの双眼鏡の実際の見え方は周辺部は歪むののさけられないものの圧倒的に広い視野は大迫力でさすがは超広角というところですが、やはり接眼レンズの構成枚数が多い分だけ光の損失も多く、コントラストとシャープネスはあまり良くありません。真ん中付近の解像力ももう少し欲しいところですが、やはり解像力と像の均一性を求めるか、あくまでも広い視界を求めるかのコンセプトの違いでしょう。エルフレはアイレリーフが極端に短いので全視野を見るにはメガネを外すのは必須ですが、メガネを掛けたままでも並みの双眼鏡以上の視界で見えてしまいます。あと後玉の口径が大きく、曲線を描いているためためにもし後ろに太陽や明るい壁などを背負った場合、コントラストの更なる低下は避けられません。というよりそういう使い方は避けたほうが無難。
 それでも圧倒的に広い視野は星野や野鳥の観察、動きのあるスポーツ観戦や舞台鑑賞などに威力を発揮するのでしょうが、重さだけは避けようがありません。せめてこのクラスの双眼鏡が500gだったら常用しますが、プラスチック多用じゃ光学製品としての愛着は沸きそうもありませんしね。
 今NYヤンキーズで大活躍しているピッチャーの田中将大、駒大苫小牧高校2年のときに夏の北海道大会決勝で9回にリリーフで出て来たのをたまたまニコンの7x35mm7.3°で見ていました。そのときの相手の北照高校のバッターに投げた変化球が視野から消えてしまい、次の瞬間ライト側スタンドに入っていたというリリーフでホームランを打たれるシーンに遭遇しましたが、この双眼鏡ならボールをスタンドまで追い続けられたかもしれません(笑)

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August 11, 2018

HUNTER Gold 50mm x1000 1/10(10倍)Zタイプ双眼鏡

Dvc00069  このHUNTERというブランドの双眼鏡もオークションなどでよく見かける双眼鏡で12台まとめて504円だったかで落札した中の1台です。接眼レンズの表側が金色に蒸着されているのが特徴的な双眼鏡でこれがGold50mmの名前の由来かもしれません。
廉価版双眼鏡としてディスカウント店舗系や通信販売などで主に発売された双眼鏡だとは思うのですが、作られた時期が比較的に古く、プラスチック製のスーパーゼニスなどの双眼鏡と比べると見口のプラスチック以外は総金属製で安物といった風情はありません。
届いた段階で貼り革がまだらに剥げていて非常にみすぼらしい姿だったのですが、靴底の修理剤で部分補修を加えてしまいました。通常J-Bナンバーが入る場所にOMCをデザイン化したようなマークが入っています。これがこの双眼鏡を製造した場所を表す唯一の手がかりです。
 まず対物側から分解してゆきますが、対物レンズは当然のこと硝子のアクロマート2枚あわせでエキセンリングを介して保持されています。気になるカビなどもなくアルコールできれいに洗浄できました。対物筒には反射防止の遮光筒もなく筐体内部は申し訳程度の光沢黒仕上げ。プリズムはノーコーティングで迷光防止処置も一切ありませんでした。プリズムポケットの加工はそれほどガバガバというわけではなく、通常の加工精度でした。下陣笠のネジを外して回転軸止めのネジを外し、マイナスドライバーを対物側からいれて接眼部昇降ネジ止めスクリューを抜き、焦点調整リングを回して接眼レンズアッセンブリーを抜き取ります。そして接眼レンズガイドスリープをベルトレンチで緩めて外し、スクリュー一本を抜いて鏡板を外すとこれもノンコートのプリズムが現れるのですが、そのプリズムの下に二つ穴の開いた黒いプラスチックシートが挟み込まれていました。おそらくは迷光防止のために光路を絞る目的で入れられたのではないかと思ったのですが…。
Dvc00068 プリズムポケットの加工精度もさほど悪くはないと思ったのですが、洗浄後に一旦組みなおして視軸を調整しようと試みたものの、像はお互いに反対に倒れこむは、左右の像上下左右に離れまくるはでとてもエキセンで調整できるようなものではありませんでした。あれこれプリズムの位置を微調整したのですが、左右の像の離れが最後まで解決できず、その後も何度か試みたもののそのまま放置。最後の挑戦だと思って接眼対物側のプリズムを微調整してなんとか水平線も一致し、左右の像もエキセンリングで調整できるくらいになり、最終的にはエキセンリングで送電線鉄塔の先端を左右で一致させて9ヶ月ぶりに調整終了しました。
左右の像がピタリと合うと、真ん中の画像はコントラストは低いものの解像力はなかなか鋭い感じですが、何か視野が狭くて周辺部の像の収差が大きい感じです。接眼レンズの清掃ついでに分解してみると、中身はなんと驚いたことに色消しのない2群2枚のラムスデン!それもレンズは成型品のプラスチックレンズでした。そのプラスチックレンズの外側に金色を蒸着してるのですが、おそらくはラムスデンの色収差を目立たなくすることと、昼間のコントラストの低さを低減する目的だったのでしょうか?またプリズムの下に敷かれた光路絞りの黒シートもラムスデンの収差低減のための対策なのかもしれません。
ライトボディのスーパーゼニスのようなプラレンズのラムスデンですが、収差を隠すためにいろいろ処置を施しているため、改めて指摘されなければ気づかないかもしれません。
Dvc00070_2 金色コーティングでヘイズカットの効果もあるようで、視野はやや青くなりますが中心部は実にシャープで解像力もあるという不思議な双眼鏡。これ、あまり出来のよくないケルナーに変えてしまったら並以下の水準の双眼鏡に成り下がるかもしれません。
でもまあ、接眼部分以外はまともな板橋輸出双眼鏡なのですが、接眼部のラムスデンを含めてコストカット施し方が不自然で、たとえば右接眼部の視度調整は多条ネジで接眼内筒を繰り出すのではなく、接眼外筒内部にネジが刻まれていてそのピッチが荒いので微調整が出来ないなど普通の双眼鏡の常識と異なるちぐはぐさがあります。
もしかしたら接眼部が未完成の半完成状態の双眼鏡が業者倒産でバッタに回り、それを換金するために接眼レンズ部分だけどこかで作ったか流用してとりあえず見えるものを作って市場に換金のため流したのかなぁという印象も受けます。
Hunter名義でアメリカに輸出されていないか調べてみたのですが、該当するものはありませんでした。

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August 09, 2018

Focus 12x40mm5.6° Zタイプ双眼鏡

Dvc00064 ビクセンのセカンドブランドのFokusの12x40mmクイックフォーカス付き双眼鏡です。これも12台まとめて入手したなかの一台です。おそらくは80年代になってからの双眼鏡だと思いますが、当時スーパーゼニスやテルスターなどの実売価格が数千円の双眼鏡が世の中に溢れ、双眼鏡に特段こだわりの無い人は双眼鏡そのものの価格的な価値が数千円という価格破壊を起こしたことで、大手の光学メーカーではさかんにセカンドブランド的なものを作り、旧来のブランドは高級品、セカンドブランドは普及品価格の二本立てで商品ラインナップをそろえ始めたころの製品だと思われます。
 ビクセンでは国内にビクセン光学とアトラス光学の2つの製造子会社がありましたがケンコーなどはいち早くフィリピンに進出してFriendネームの双眼鏡を普及品扱いで国内に大量に売りさばいています。
 このFokusネームの双眼鏡はJapanの表記がないため日本製かどうかはわかりませんが、ビクセン製品では有名なHASEGAWAネームのインスペクションシールが貼られているので国内で組み立てられたか、もしくは輸入の後国内で検品された品質保証付の双眼鏡です。
Dvc00063 まあ、普及品ということもあり、あちらこちらにブラスチック化によるコストダウンが見受けられる双眼鏡で、スーパーゼニス同様に対物レンズ筒はプラスチックですが、対物レンズは嵌め殺しになっているわけではなくちゃんとネジ式のリング締めつけです。その他プリズム固定バネが差し込みだったり左側接眼レンズ筒がプラスチックの成型品だったり筐体のダイキャストが極薄でプラスチックの皮を纏っているなど軽量化やコストダウンの様子は伺えますが、スーパーゼニスのように上下の鏡板や接眼ガイドスリーブ、鳥居やフォーカシング軸やメカまでプラスチック化する訳ではなく、まして接眼レンズ自体がプラスチックなどということもありません。
レンズ各面やプリズム表面もすべてコーティングされているフルコーティング仕様です。
 この60°回転させるだけで無限大から最近接まで焦点調整できるクイックフォーカスメカですが、通常の双眼鏡のように対物側からマイナスドライバーをいれて多条ネジ軸の抜け止めネジを外して接眼レンズアッセンブリを外すのではなく、接眼側の要の中央のメダル(この個体は欠落)をこじって外し、現れたプラスのスクリューを抜いて陣笠を取った下に現れる真鍮の固定ネジを緩めて外すと接眼レンズアッセンブリーが外れるというような分解方法を取ります。接眼レンズアッセンブリーを外してあとは通常のZタイプ双眼鏡同様に接眼ガイドスリーブをベルトレンチで緩めて外し、鏡板のネジを外して鏡板を取り除けばプリズムが現れるという具合です。
 さほどプリズムの曇りやレンズの曇りが気になる状態ではなかったのですが、いちおうすべて分解して無水アルコールで洗浄。プリズムポケットの精度はやや甘く素で組み立てた後は水平がまるっきり狂っていました。
 視軸は筐体の片側2箇所にあるイモネジでそれぞれのプリズムを微調整する仕組みというのもコストダウンの一環なのですが、慣れるとエキセンリングなどよりも簡単に視軸調整できます。
 いつもの送電線鉄塔の天辺が上下左右で一致するように調整していきますが、イモネジで追いきれないときは一度分解してプリズムの位置を修正しなければいけませんでした。
 さて、肝心の見え方ですが、どうも筐体内部の反射防止が省略されてしまっている関係か、フルコートの光学系にしてはしまりの無いコントラストの低いダルな描写です。同レベルの双眼鏡だったらまだコストダウンの洗礼を受けていない黒テルスターのほうがよっぽどシャープに良く見えます。おまけに12倍の高倍率でクイックフォーカスはかえって微調整がしにくく使い勝手がよくありません。一応はワイドということで画角を稼ぐための40mm口径なのでしょうが、30mmに比べて分解能の良さというものも感じられず、やはり普及品ブランドは普及品に過ぎない価格相応の見え方だというのが正直な感想です。それでも画質は周辺部までさほどかわらず均一な感じでした。
 せめて9倍もしくは10倍だったらもっと使い勝手がよかったのでしょうが、低倍率双眼鏡信者の当方としては12倍の単焦点双眼鏡は使い道に困る倍率の双眼鏡です。

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August 08, 2018

SUPER ZENITH 20x50mm3°Zタイプ双眼鏡

Dvc00062 一時期からか、国内に大量に安く出回ったスーパーゼニスの20x50mm3°のZタイプ双眼鏡です。これも504円で12台入手したなかの1台でした。おそらくは1980年代前半くらいの双眼鏡だと思われますが、まだ東南アジアの生産ではなくJapanの刻印のある双眼鏡です。
 とにかく軽いというのが印象で、さらに50mm双眼鏡の割りに筐体が小さくて対物筒の長い双眼鏡だと思ったら、対物筒や対物セルはオールプラスチックの成型品、筐体はいまだにダイキャストでしたがごく薄く仕上げられていてプラスチックが被さっているような感じの一応は金属製。接眼レンズアッセンブリーは鳥居やシャフト、接眼レンズ筒を含めオールプラスチック、おまけに接眼レンズもプラスチックのレンズがはまっているような双眼鏡でした。
そのため、従来のZタイプ50mm双眼鏡の重さが1kg前後なのにこの双眼鏡は630gしかなく、通常の8x30mm双眼鏡よりやや重い程度という本当のライトウエイトの双眼鏡になっています。

 そのスーパーゼニスというブランドですがうわさではオメガのように板橋双眼鏡業者の共通ブランドという人もいますが、もともとは戦後の早い時期から「ゼニス」ブランドで主に北米方面に輸出された輸出双眼鏡のブランド名です。通常のZタイプの普及クラスの双眼鏡だけではなく、栃原製のミクロン型や明らかに光機舎製のズーム双眼鏡のゼニスブランドやスーパーゼニスブランドもありました。明らかにどこかの輸出商社のブランド名だったのですが、それがどこだったのかは今のところわかりません。
それがどうやら円の変動相場制のあおりで輸出が立ち行かなくなり、その商標がどこの所有になったのかはわかりませんが、急に国内の市場にディスカウント双眼鏡として大量に出回りだしたのはテルスター双眼鏡同様です。
その後スーパーゼニスブランドは平成の時代になってもおそらくは生産国を東南アジアに移行したのちも残ったようで、中には近江屋写真用品のHANSAとのダブルネームの双眼鏡も見かけました。
Dvc00061 スタイル的に対物筒がやたらと長く感じる双眼鏡ですがそれもそのはず、筐体部分が通常の50mmレンズの双眼鏡のものではなく8倍30mmクラスの大きさで、その分焦点距離を稼ぐために対物筒が長いのです。
対物側から分解してみると対物レンズの飾りリングもバヨネット式に外れるプラスチックで対物枠もプラスチックなのですが、これギアのようなギザ状のリングで押さえられており、たぶんこれは接着で分解不能。まあ筐体の芋ねじで視軸を調整するタイプなので対物レンズ押さえが接着でもかまわないのですが対物レンズの裏側を拭き上げるのは大変です。対物筒は革シボ模様まで成型で再現された一体プラスチック製です。
対物側のプリズム押さえはネジ無しの差込式でこの時代の双眼鏡としては一般的なものですが、肝心なプリズムはノーコートでした。筐体内部は反射防止塗装特にナシです。
接眼レンズアッセンブリーは接眼レンズ筒、鳥居やネジシャフト含めてプラスチックの成型品で接眼ガイドスリーブも接眼側鏡板と一体のプラスチック。
驚いたことに接眼レンズもすべてプラスチックレンズでさらにはノーコート。これもギア形状のリングで接着されているため、内部が曇ったとしても分解不能です。プラスチックレンズでノーコートなこともあり無水アルコールでレンズを拭くことは厳禁です。
 見た感じではとても20倍という倍率ではないようなので倍率を実測しました。射出瞳径が真円でなくノギスでの測定範囲を決めるのが難しかったのですが実測値が5.15ミリもあり、口径をこの数値で割ると約9.7倍ですからおおよそ10倍50ミリの倍率詐称双眼鏡ということになります。これも高倍率イコール高級品信仰の国内向けの措置なのでしょう。こういう「倍率詐称双眼鏡に名機なし」なのは言うまでもありません。
 コントラストが低くていかにもしまらない描写でおまけに視界も狭いが視界の周辺部に渦巻き収差はもちろんのこと色収差まであり、見ることのできる範囲はほんの中心部にしかすぎません。視界の端に入った電信柱の左右が青と赤の輪郭線がつくので、おかしいと思って接眼レンズを外し、接着のため分解は出来ないものの外から光を当ててみると接眼レンズの構成はプラスチックなこともさることながら単レンズの凸レンズを組み合わせたラムスデンに間違いないようです。いまどきケルナーじゃなくて色消しにもなっていないラムスデンのそれもノーコートのプラレンズを接眼部を持つ双眼鏡なんかはっきり言ってゴミ双眼鏡。まあ視界の中心部分はまともなのですが。
それでもただでくれるといってもありがたく貰うような双眼鏡ではなく、まともなレンズを持つテルスターのほうがよっぽどありがたみのある双眼鏡です。
 しかし、スーパーゼニスは最初はまともな双眼鏡だったでしょうにいつからそんなゴミ双眼鏡に成り下がってしまったのでしょう?

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August 07, 2018

日本光学New Nover 7x50mm 7.3度Zタイプ双眼鏡

Dvc00057 オメガブランドの双眼鏡の口直しというわけではありませんが、日本光学のNEWノバー7x50mmを(笑)
 日本の7x50mm双眼鏡は大正時代末期に日本光学が開発したノバーの7x50mm7.1°という光学系を基本にしたZタイプのポロプリズム双眼鏡が基本で、戦時中も軍用としての需要で日本光学だけでは生産が間に合わず、その図面が各海軍工廠や光学各社に回っていろいろな7x50mm7.1°の派生型が作られています。
戦後はそれを基本に新たに参入したメーカーも含めて光学的にはまったく同一な7x50mmが輸出用双眼鏡として作られまくったのですが、本家の日本光学では戦後の昭和24年に新たな光学系を使用した7x50mm7.3°の双眼鏡を開発し、防水型のトロピカルと非防水型のNEWノバーとして発売するに至ったわけです。
 当時の板橋輸出用双眼鏡と異なるのはプロユースを想定して可能な限りは双眼鏡内部の内面反射やプリズムの迷光防止のために手間隙を惜しまず手を尽くした双眼鏡で、そのあたりは妥協がありません。
 それというのも主に海上で使用する航海用として使用した場合にはぎらぎら光る逆光の悪条件下で海面に漂う流木などを発見できないと生死に係わることもあるため、自ずからして使用できる双眼鏡はアマチュアが使うようなものではなく、逆に言うとこの日本光学のNewノバーはプロに選ばれた双眼鏡なわけです。
 これは昨年の11月くらいに入手したノバーですが、推定年代は昭和20年代末から30年代初めの製造だと思います。ちょうど日本光学ではニコンS2あたりを製造している時代で、そろそろ民生品は双眼鏡からカメラのほうが主力になりつつある時代の製品。
この時代のノバーはすでにレンズもプリズムもフルコーティング化しています。Newノバーの7x50mm7.3度の光学系は主に接眼レンズの改良で、旧ノバーと比べると接眼レンズの口径が大きく接眼レンズのバレルもかなり太くなっています。射出瞳径は真円で周囲に青いケラレもないことからおそらくプリズムもいち早くBK7からBaK4に硝子材が変わったのでしょう。対物筒に反射防止筒が追加になりプリズムは側面の黒塗りはない代わりに迷光防止のため底面にちゃんと刻みが入れられています。前から覗いても内部は艶がまったくない漆黒の世界です。
さすがは旧海軍相手に商売していただけのことはありますが、戦後は海軍に変わって民間の商船団や漁船団相手に日々改良を重ねてきたのでしょう。トロピカルよりも圧倒的に軽いながら同種の双眼鏡と比べて重いというクレームでもあったのか、日本光学では昭和30年代初めに筐体のダイキャストをマグネシウム合金にして軽量化を計ったフェザーウエイト仕様の7x50mm7.3°ミクロンを発売したようですが、あまり重量軽減には効果が少なかったためかフェードアウトし、すぐに7x50mm7.3度IFの時代になったようです。そのため、あまり7x50mm7.3°のミクロンネームのものは数が残っていないようです。
Dvc00056 それでわずかにカビのスポットとプリズムの曇りがあったこのノバーですが、筐体内部の加工も優秀でアルコール洗浄後のプリズムはがたつきも無く微動だにしません。接眼側のプリズムポケットも加工精度は抜群でしたが、後の7x50mm7.3°IFは鏡板の密閉性を高めるため、黒のパテを使用して筐体との密閉性を確保してあるのですが、この時代のノバーにはまだそれがありませんでした。波飛沫が掛かるような船舶で使用するのならトロピカルを使用せよということなのでしょうか。それでも後になってちゃんとこういうところも改良するのはさすがにプロユースの日本光学です。
 肝心の見え方ですが、マルチコートの明るい視野にはかなわないものの当時としては丁寧に反射防止を施したことによる群を抜いた明るい視野にコントラストのあるシャープな見え方はさすがプロのための双眼鏡で、板橋の輸出双眼鏡が束になってもかないません。というのも悪天候下、悪条件下でもいち早く相手の船や障害物を発見しなければいけない道具なので、言うなれば命が掛かっている道具なわけです。そのため、アマチュアが個人で手に入れるようなものではなく、官公庁や海運会社、大手水産会社などの装備品として償却資産扱いで購入されたものが殆どだったのでしょう。昭和40年代でもニコンの双眼鏡の価格は別格で高価でした。
 解像力分解能至上で描写に味があるかどうかということは論外でしょうが、意外に立体感に乏しく初期のニッコールのようにカリカリの描写に近い感じがします。
 ケースはフラップがバネ式からボタン止めになった茶色の飯盒型牛革ケース。ストラップも茶色の牛革ストラップでした。
 ただ、一つだけ残念なのは戦時中から戦後すぐのころのノバーに使われていた接眼フォーカシングリングのローレット加工がダイアモンドから単純な縦グルービングに変わり、コストダウンを感じさせることでしょうか。

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August 06, 2018

買ってはいけない!? 5ツ星オメガ12x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00053 板橋輸出双眼鏡業者のパブリックドメインならぬパブリックブランドといわれるオメガの商標が付く双眼鏡ですが、昔から技術と品質が保証されていない双眼鏡の代表とされており、その仕事がいかに酷いものだということを知るために各1円で4台送ってもらった双眼鏡の1台として入手。これ、単独だったらたとえ1円でも送料がもったいないから絶対に落札しません。
 このオメガはいろいろいわれる話では税金対策で部品の在庫の所有者を曖昧にして税務署の目を晦ますため、組み立てで預かった部品として各業者が共同の商標を使用したとか、各業者が輸出用の余った部品を換金する目的で、国内に販売するために作った共同の商標とかいろいろ言われていますが、中には従業員が勝手に部品を持ち出して双眼鏡らしきものを組み立て、質入して換金しただのそういう話まで伝わっているほどです。
 まあ、国内にこれだけたくさん残っていることを考えると余剰部品の換金目的もさることながら、業者の倒産による引き上げ品を銘板部分だけオメガのものに取り替えて換金目的で国内に流通させたというバッタものというケースもかなりあったと想像してます。
 こういう双眼鏡だけに実質的な品質の保証も無く、おそらくは最初から左右の像がずれているような不良品もたくさんあったことでしょう。成東商会のダウエルが部品のかき集めのような双眼鏡なのにちゃんと見えるように調整しているのにもかかわらず、オメガは「形だけプリズム式の双眼鏡」でまともに見えないものがかなりの確立で混じっていることを覚悟しなければいけませんが、入手したオメガが「どれだけ酷いもの」だったかを確認するという自虐的な楽しみもあるかもしれません。
 「オメガ各種まとめて10台で1000円」なら怖いもの見たさに入札してしまうかも(笑)
Dvc00054 その1円オメガの12x30mmですが、通称5つ星オメガ。売りやすいように12倍をうたっているものの実質的には8x30mmという倍率詐称双眼鏡です。クリーニング前に遠くの送電線を覗いて見ますが、像が左右にきれいに分かれて見えるのは調整でなんとかなると思っていました。
 そして対物筒を外して対物側のプリズムの曇りを取り除こうと開けてみたら、なんと驚いたことにプリズムが黄色のゴム系接着剤でがちがちに固定されています。あまりプリズムポケットの加工がよくない筐体の双眼鏡でショックでプリズムがずれないように透明なグルーで留めてあるものはありますが、こんなものは前代未聞の素人細工。それも対物プリズム自体が光路を覆いきれないくらい小さいのです。おそらくはミクロンタイプのプリズムを流用したような感じですが、この一回り小さなプリズムの左右だけコーティングが施されていました。
 対物レンズは両面コーティングながら接眼レンズはノーコーティングのようで、接眼レンズ側のプリズムは普通サイズですが、これもノーコーティングでした。
 それで対物側の小さなプリズムの位置が決まらず苦労して水平だけは出したのですが、最初に見たように左右のエキセンリングだけで距離をぜんぜん縮められません。プリズムが黄色いボンド止めのこともあり、最初から左右がきちんと調整されていた保証も無いので、このまま放置決定。
 そのため、針金で調整してあるがとりあえずはちゃんと見えるダウエルを抜いて最低ランク入りどころかランク外の評価になってしまいました。
 でも中には本当に輸出双眼鏡の倒産引き上げ品にオメガの鏡板をつけ直した割とまともなオメガ双眼鏡だってあるのでしょうが、とんでもないものをつかまされる可能性も大きいということで「触るな危険、買ってはいけない双眼鏡」の代表入り。
 オメガほど怪しいものはありませんがオメガのような国内専用共同ブランドのようなものにゼニス、スーパーゼニス、クラウン、イーグルクラウンあたりも広く出回っているところをみる、案外そうなのかもしれません。

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August 05, 2018

Sky-Luc. 10-50X50mm BL型ズーム双眼鏡(鎌倉光機)

Dvc00046 Sky-Luc.という聞いたこともないブランドの双眼鏡だったために、いままで「東南アジア製?」などと思われて粗末にというか、いままでまったく手を付けずに10ヶ月近くも放置されてきたズームの双眼鏡ですが、中を分解してその製造元が判明し、さすがは○○製だと急に株が上がってリスペクトされ始めた双眼鏡です(笑)
 そもそもズームの双眼鏡自体その性能面の制約上から「ズームに名品なし」などという思い込みで興味が無かったのですが、今の東南アジア製の小口径高ズーム比の双眼鏡と異なり、大口径で設計に余裕がある低ズーム比の双眼鏡はそれなりに見えることがわかり、さらにBL型のプリズムユニットの脱着と視軸調整をマスターしたことでやっと手をつける気になったズーム双眼鏡でした。
 この双眼鏡は12台まとめて504円かそれくらいで昨年の10月に入手した双眼鏡群の一台です。その中には鈴木光学やプレシジョンなどの戦後すぐの双眼鏡などが含まれており、大掘り出し物でした。

 このSky-Luc.というBLタイプのズーム双眼鏡は10-50倍というズーム比で口径は50mmですが、光機舎や市川光学工業のズームタイプのBL型よりも設計がかなり新しいようで接眼レンズ筒もすっきりスマートになっており、双眼鏡自体が巨大で重いという印象がありません。実際に重量が900g台なので、かなりプラスチックを多用しているのかと思いきや、プラスチックは接眼レンズのズームカムのガイドになるスリーブと対物セル周囲くらいなもので、筐体もプラスチックではなくダイキャストですが徹底的に重量軽減のためか凹凸をなくして薄く仕上げているようです。もしかしたら素材自体も単なるアルミではなくマグネシウムが混ぜられているかもしれません。
対物レンズは深いブルーコーティングでまさに「深い古井戸を覗いたがごとく」でしょうか。いちおう紫外線カットをあらわす表記があります。BLタイプなので対物レンズ枠にはエキセンリングは仕込まれておらず、対物レンズ外枠は衝撃を和らげる目的かゴム製です。
 接眼レンズユニットを外すために対物側からマイナスドライバーでストッパースクリュウを外したのちにフォーカシングリングを回して接眼レンズユニットを抜き、そのままそれぞれ2本のスクリューを抜いて鏡板を除いたあとで接眼ガイドを緩めて抜きます。
 現れたBL型特有のプリズムユニットはスプリングの付いたスクリュー3本と短いスクリュー3本があり、このスプリングの付いた長いスクリューを三本抜くことでプリズムユニットを取り出すことができるのですが、このスクリューが妙に硬くて頭が舐めそうだったため、何本かインパクトドライバーを使って緩めなければいけませんでした。そしてこのプリズムユニットを取り出して現れたダイキャストの陽刻がJ-B133.。なんと製造元は世界の有名双眼鏡メーカーのOEMを手がけ、いろいろと革新的な技術を提供し、現在も双眼鏡を作り続けている鎌倉光機でした。
 水戸黄門じゃあありませんが、いままで安物のズーム双眼鏡だと思って打ち捨てられていたものがJ-B133のナンバーをそれもプリズムユニットを取り除いた場所から見せ付けられて世界の鎌倉光機とわかり、急に大切に扱われることになったわけです。
Dvc00045 鎌倉光機に関して少々歴史を書いておくと創業は昭和22年5月で会社設立は昭和25年、創業当時は多くの光学関係の会社が集まる板橋のお隣の北区志茂でしたが割りと早い時期に埼玉の蕨市に工場を構え、今では蕨市の地場産業として鎌倉光機の双眼鏡がふるさと納税の返礼品に採用されたこともあるそうな。いままで鎌倉光機のブランドで国内発売されたことがなく、すべてがOEM商品で有名どころではニコン、キャノンやカールツアイスあたりにも製品提供している技術のある会社です。
 そのため、OEMの名前の有名ではない双眼鏡でも製造元が鎌倉光機だと信用できるというか、下手なものは作っていないなという安心感があるのですが、逆に板橋四畳半メーカーのようなとんでもないものに遭遇してしまう面白みに欠けてしまうのは仕方がありません。
 これ、鎌倉光機のオリジナル設計なのかプリズムユニット固定スクリューにバネをかませてありますが、緩まないようにするのと同時に落としたときにプリズムユニットにショックが直接加わってプリズムがずれたり破損したりしない工夫なのでしょう。こういう創意工夫の積み重ねが今の鎌倉光機に繫がっているのでしょう。
 BL型独特のプリズムユニットはプリズムは樹脂で位置決めされているので、プリズムの合わせ面が曇っていたりカビたりしていない限りは外すのは厳禁です。大抵はプリズム押さえのバネを外して表面をふき取るだけで事足りるはずです。そして肝心の視軸合わせですが、この双眼鏡は接眼ガイドの筒を装着したままで鏡板が外れるため、接眼レンズアッセンブリーを装着したままでプリズムユニットのスクリュウーで視軸調整することができます。
 ただし、どうしても三脚に固定して各倍率でのズレを確認しながらの視軸合わせになりますので、すべて組み立てが完了してから外側で視軸あわせが可能なZタイプ双眼鏡より手間が掛かります。
 それでなんとか視軸あわせも完了し、組み立てなおして遠くの送電線鉄塔を覗いた感想は、低倍率10倍ではけっこう破綻のない均一した画質で周辺部もゆがみが少ないのですが、もう少し広い視界が欲しいところです。解像力もシャープネスもそこそこなのですが、ズームなので仕方が無いというところでしょうか。
またズームに従って大きくなる焦点移動と左右の視差がやや大きいのが気になりました。
 実用になるのは30倍くらいまでで50倍まではいらない倍率なのでしょうが、おそらく10-30倍の双眼鏡では売れないのでしょうね。高倍率イコール高性能なんていう図式は7x50mmの双眼鏡から始めたわれわれのような元天文少年なら最初から持ち合わせていない誤った固定観念なのですが。

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August 04, 2018

カートンカスタム8x30mm 8.5度Zタイプ双眼鏡

Dvc00038_2  カートンのカスタム8x30mm8.5°Zタイプ双眼鏡、推定昭和50年代になってからの製品でしょうか。
というのも昭和40年代までのカートンはカタカナでロゴが入っていて少々垢抜けない印象だったのですが、こちらはすっきりした一般的なデザインになりました。
 カートン光学の創業は実に昭和の5年で当時は加藤六次郎商店として浅草に近い下谷の南稲荷町で光学製品卸を始めたことから始まります。昭和30年代末から昭和40年代に掛けては天体観測ブームやレジャーブームに乗ってCartonの名前の入った天体望遠鏡や双眼鏡が全国の眼鏡店などに並んでいましたが少子化による消費層の縮小から現在は実体顕微鏡の販売しかしていないようです。
 カートンは双眼鏡に関しては終始OEMで済ませていたようで、というのも板橋の業者が仕事ほしさに口をあけて待っている状態のときにわざわざ自社で生産ラインを持つ理由もなく、そのため、完成品を自社基準で検品するくらいしかしなかったのでしょう。そのためけっこう雑多なメーカーの双眼鏡が混じっている感じですが、80年代を代表するカートンの高級双眼鏡アドラブリックは宮内光学のOEMだという話です。
 板橋から上尾に移転した工場も20年ほど前に閉鎖し、現在では工業分野に特化した実体顕微鏡などをタイに設立した現地法人から日本に輸入販売する業務に特化してしまったようで、往年の天文少年からしてみると大変寂しい感があります。
 そういえば今年は火星大接近で天体望遠鏡もよく売れたという話ですが、我々が天文に足を踏み入れた昭和46年の火星大接近のときの天体望遠鏡の売れ方とは隔世の感があります。子供の数自体がそもそも違いますが、その時代はカートンやエイコー、ミザールやビクセンなどの中堅ブランドやアストロなどの中堅ブランド、五藤やニコンなどの高級ブランドも選択する自由だけはあったのです。もっとも昭和46年の火星大接近のときは当方まだ自分の天体望遠鏡は持てず、学研の科学の付録の望遠鏡で火星を覗いても他の恒星同様に点にしか見えませんでした。
Dvc00044_2 このカートンの8x30mmは一連の1円ジャンク双眼鏡ではなく690円で落札した双眼鏡です。接眼レンズが大きいことからもわかるとおりやや広角の双眼鏡で、8x35mm11°のような超広角ではないものの通常の視野7.5°の双眼鏡よりも見える範囲がやはり違います。
 おそらく以前から売られていた8x30mmは7.5°なのでしょうから広角シリーズとしてカスタムの名前が付いているのでしょうか。
 届いてすぐに対物レンズ側から分解し、まず対物側のプリズムを外して無水アルコールで曇りを磨きますが、酷いカビのスポットもなくきれいに拭きあげ完了。といのもどうやら対物側プリズムにはコーティングもないようでした。プリズムポケットの加工は優秀でプリズムの位置もピタリと決まりますが、一箇所錫箔による微調整がありました。
 対物レンズはシアンコーティングのシングルコートで対物レンズに遮光筒は装着されていません。筐体内部の塗装もやや艶が気になりました。
 接眼レンズのアッセンブリを外して接眼レンズ側の曇りをクリーニングしますが、こちらのプリズムポケット加工も良好でプリズムの位置もピタリと決まりますが錫箔修正が一箇所ありました。接眼レンズはさすがに口径も大きく一部マルチコートのようなコーティングが施されています。接眼レンズ内部は曇りもかびも無かったため、分解せずにそもままにしておきました。

 再度組み立てなおし、エキセンリングで視軸も容易に修正できましたが、肝心の見え方は視界がさほど広角というわけではないので、割と周辺まで均一な画像ですが、さすがに周囲はうずまき収差があるのは仕方がありません。内面反射やノーコートプリズムの光の損失を気にしていたのですが、意外とコントラストもシャープネスにも優れていて、VISTAの8x30mm双眼鏡のように遠くの送電線鉄塔の鉄骨の奥行きまで感じられるような描写が平面的ではなく立体的に見える双眼鏡です。
 欠点は鏡板をはじめ対物レンズや本体要部分の金具まで黒染めではなく戦中戦後の双眼鏡のように塗装仕上げのため、経年でぽろぽろはがれてくるのが気になります。もっとも当時のカメラの黒も塗装で、塗装の経年劣化ではがれてしまうため、わざわざ黒のリペイントを商売にしている業者もありましたね。

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August 03, 2018

Alps10x30mm Z型双眼鏡

Dvc00037 戦後板橋輸出用双眼鏡のブランド名の中には富士写真機工業に肖った格好かFUJIの付くブランドがいくつかあり、日本一の山が富士なら世界一はエベレストだということでエベレストブランドの双眼鏡やそれならヨーロッパはアルプスだということでアルプスブランドの双眼鏡、山の頂点はサミットだからサミットというような山関連のブランド名がいくつも存在しました。
 今回入手したのはその中でもAlps(アルプス)というブランド名の双眼鏡です。
 ALPSってHANZAやHAKUBAと同じような写真現像用品のブランド名だったような気がするのですが勘違いでしょうか?まあ中古カメラ店の新宿アルプス堂は有名でしたが。
 これも1円で落札した4台の双眼鏡の一台でしたがJ-B259という組み立て業者コードがありながら作った業者がわからないという双眼鏡です。組み立て業者コード設定の昭和34年当時は輸出価格の下落を防ぎ業者間の値下げ競争による品質低下を防ぐため、中小企業調整法とかいう法令の適用を受け、独占禁止法の例外業種として各業者に生産数量を割り当てていたそうで、そのために一目で出自がわかるように輸出双眼鏡は本体の刻印を義務づけられたらしいのですが、どうも個人事業者として個人名で業者コードを申請し、実際にはまったく事業を行わずに月間400台なりの製造割り当て数を他業者に売ってその手数料を稼ぐという手段の商売が横行したために問題になったという話もありますし、昭和30年代前半に雨後の筍のように設立された双眼鏡組み立て業者が昭和30年代半ばに数年の商売で仕事が激減し、不渡りを出して倒産廃業ラッシュが押し寄せたという話もあり、比較的短期間のうちに廃業したために一覧作成したときにはすでに存在しなかったという可能性もあります。けっこうこのコードは欠番や重複などがあり、そのあたりの事情はよくわかりません。
Dvc00036 そのアルプスブランドの10X30mm双眼鏡ですが作りとしてはオーソドックスな板橋輸出クオリティーのZタイプ双眼鏡です。倍率が真正10倍で倍率詐称していないところはそもそも輸出検査に回って輸出されることを前提で作ったのでしょう。対物レンズ表裏および接眼レンズ表はシアン色コーティングですが、プリズムはコーティング無し。内部は野口光学工業の双眼鏡同様に黒の鍍金かアルマイトのような仕上げで光沢があり内面反射が気になります。
 筐体のプリズム加工部分は精度的にも問題なく、プリズムもピタリと位置が決まるのですが、わざわざプリズムがずれないように透明なグルーで接着がありました。左側対物レンズの接着面にほんのわずかバルサム切れが見受けられます。
 それで実際に見た感じではやはり筐体内部の黒鍍金のてかりが影響して微妙にコントラストが低くて視界も暗い感じがします。一キロ先の送電線の鉄塔もどうも平面的に見えてしまい、コントラストとシャープネスは並以下。見え方としては手元にある野口工学工業の双眼鏡とよく似ている感じで典型的な板橋輸出双眼鏡クオリティーの双眼鏡のようです。
 気になって射出瞳径をノギスで計測してみるとおおよそ3.05mmほど。表記の10倍も検査合格範囲内のようでした。

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August 02, 2018

WORLD 8-20x50mm BL型双眼鏡(大塚光学)

Dvc00035 WORLDというこれも聞いたことの無い輸出ブランドの双眼鏡です。見口がゴムということもあり、そろそろブラスチックの部品が構成物に現れた80年代に近い双眼鏡だと思われます。
基本的にズームの双眼鏡は好きではなく、というのも何台かまとめて一梱包の双眼鏡を落札すると好き嫌いに関係なく必ずプラスチックボディの小型ズーム双眼鏡が混じっており、性能を誇示するためかやたらとズーム比が高いにもかかわらず最低倍率にしてもほぼ使い物にならず、すっかりズームの双眼鏡嫌いになってしまったからのようです。
それでもプラスチック以前のズーム式双眼鏡でズーム比が低いものはやたらと大きくて重いという欠点はあるものの、最低倍率でもそこそこは見え、最高倍率でも使えないことはないということがわかり、少しはズームの双眼鏡に興味を持つことが出来るようになったというところでしょうか。
 この双眼鏡は1円双眼鏡まとめて4台のなかの一台でした。左右の連動がギア式のズーム双眼鏡で倍率は8-20倍となっており当時の普通の水準。J-B48の刻印が残っているため、ワイドタイプとズームタイプの双眼鏡でその名を残し、未だに光学会社として存在する大塚光学の製品だとわかりました。
 大塚光学は昭和31年11月に練馬区仲町で操業しており、昭和40年代には練馬区北町、現在では川越市に工場があるようです。昭和40年代に輸出用双眼鏡メーカーが続々と廃業倒産していった時代にも高性能高付加価値の双眼鏡を作り続けていたためか、その当時でも従業員50名以上を抱える板橋双眼鏡業者としても大きな業態の会社でした。
 板橋双眼鏡がNIKONやFUJINONのような自社ブランドで輸出出来なかったなかで自社のDia-Stoneは数少ない板橋双眼鏡の自社ブランドとして海外でも通用したものです。
 その大塚光学の昭和50年代になってからの製品ではないかと思われる8-20X50mmのBL型ズーム双眼鏡ですが、分解前に覗いたところわずかに視軸が狂っていて送電線鉄塔の先端が斜めに分かれて見えました。
そしてズームカム部分のグリスの油分が蒸発してレンズやプリズム表面に付着したのか少々視界が曇っていたため、どっちみちオーバーホール対象機です。
Dvc00034 構造的には対物のセルだけがプラスチックという時代のものですが、面白いことに左右の視差の調整が接眼側の焦点を変えるのではなく右側の対物レンズをヘリコイドで出し入れして調整するという方式こういうのはあまり見たことがありません。対物レンズ接眼レンズともに外側がアンバーコーティング、内側がシアンコーティングのようです。最大径46mmもある接眼レンズ部分のバレルも巨大でさらにBL型の筐体も巨大で重く、とても持ち歩く気にはなれませんが、光機舎のズーム双眼鏡のように筐体下部にカメラの三脚に固定するためのねじ穴が設けられています。これよりも古い光機舎の同ズーム比8-20x50mm双眼鏡と比べるとやや対物レンズの焦点距離が短いのか全長が短くなった双眼鏡で、光学系に新種のレンズを使用したりして屈折率などを高めた結果でしょうか。
BL型の対物側接眼側のプリズムは一個のプレートに収まっていて、このプレートを接眼側から抜くことでプリズムの清掃が可能になります。この双眼鏡の場合は油分が蒸発してプリズム表面を曇らせているだけだったため、プレートからプリズムを取り出すことなく清掃可能だったのですが、プリズム相対部分に曇りやカビが無い限りは極力このプレートからプリズムは外さないほうがいいと思います。
プレートから外さない限りはプリズム同士の視軸の調整は不要なのですが、対物レンズとの視軸の修正はこの3本のねじで調整するようです。この場合対象物を覗きながらでないと調整が困難なので、接眼側の鏡板を閉じないまま接眼レンズのアッセンブリーを取り付け筐体をカメラの三脚に固定し、対象物を覗きながら送電線の鉄塔先端を一致させる作業を行ったのですが、どうやればどういう動きをするという感覚がないままぴたりと合ってしまいました。8倍で調整していたので倍率が変わるとズレも拡大されてダメかとおもったのですが、20倍でも大丈夫です。ただ、これは仕方が無いことですがズームしていくとピントのズレがけっこう気になり、いちいちフォーカスし直さなくなるのがわずらわしいことで。
 8倍時の描写はズームの癖にけっこうシャープで解像力のあり、並みの8x30mm双眼鏡より口径も大きい分分解能も優れているような感じです。光機舎の双眼鏡もそうですが、なんかズーム双眼鏡というと解像力がいまひとつのような先入観がありましたが、ズーム比が割りに低く口径が大きなズーム双眼鏡は調整さえしっかりされていれば実用に問題ないかもしれません。ただし逆光には弱そうでコントラストの低下は否めませんが。
 光機舎のズーム双眼鏡と重量を比べると光機舎が1234gに対して大塚光学が1140gとやはりやや軽いのですが、後の時代のプラスチック多用、おそらく海外製(実は鎌倉光機製でした)の20-50X50mm双眼鏡は963gしかありませんでした。まあこいういう大きさと重さで大型のズーム双眼鏡以前より廃れてしまった訳が何となくわかるというものです。

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August 01, 2018

市川光学工業PHOENIX 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡

Dvc00030 送料がもったいないので双眼鏡4台それぞれ1円で落札し、まとめて送ってもらった双眼鏡の一台だったものです。PHOENIXという商標にはまったく馴染みがなく、おそらくは何処かの輸出ブランドとして板橋で作られた板橋輸出双眼鏡の一台だと思っていたのですが、これがまとめて落札した4台の最大の掘り出し物でした。
JBコードとJEコードの両方が付いていたので昭和30年代中ごろから昭和40年代前半くらいの双眼鏡かと思ったのですが、製造元はJ-B24の市川光学工業でした。
市川光学工業というと戦時中昭和19年の設立で補助的にI.K.K.のマークで13年制式双眼鏡などの製造に携わり、戦後もすぐにオリエント貿易などと組んで相当な種類の双眼鏡をアメリカ本土に送り込んだ由緒ある会社です。
 ネットで拾った情報によるとこの古いPHOENIXブランドの発売元は東京輸出双眼鏡共同組合となっていたそうです。国内に双眼鏡を流通させる場合に個々の製造業者が営業対応できなかったため、まとめてこの団体が窓口になっていたのでしょうか?
 このPHOENIXブランドの双眼鏡はけっこう新しい昭和40年代末製造くらいのものもあるので、普通に市川光学工業のZタイプの双眼鏡のブランド名だったのかもしれません。

Dvc00029 双眼鏡メーカーとしては戦前から存在する会社の製品でもあるため、内部の加工精度や丁寧な内部つや消し塗装などに手抜きが無く、なぜか見え方までカッチリしているように感ずる双眼鏡です。さすがにこのような丁寧な仕事で自分の製品に責任を持たないと、なかなか海外からの大量発注にはつながらなかったでしょう。その市川光学工業も昭和46年頃から始まった円の切り上げならびに昭和48年の円の完全変動相場制移項による円高の影響。また直後に起こったオイルショックによる原材料高騰により名門市川光学工業もまともにその影響を受けたらしく、その後の光学会社としての足跡は見あたりません。
 このPHENIX8x30mm双眼鏡は無理の無い工学系のため、画質も割と均一でコントラストもシャープネスもまあまあ高い部類の双眼鏡でした。
  ただ、最近一番のお気に入りVISTA8x30mmとくらべるとVISTAの双眼鏡は1キロ先の送電線の鉄塔の先端が奥行きまでも感じさせる立体感が際立ったような描写をするのに対して、この市川光学工業の双眼鏡は何か奥行きが感じられない平面的な立体感に乏しい描写をするのです。これは以前新品購入したニコンのマルチコート7x35mmの双眼鏡もVISTAの立体感にはかないません。双眼鏡の描写というのは遠くの像が如何にシャープに結像するかという分解能重視なのでしょうけれど。
これは光学的にどうだというのではなく、レンズの描写の味みたいなものでしょうか。

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July 31, 2018

Telstar Sports 18ex(18x35mm)Zタイプ双眼鏡

Dvc00019 テルスターの通称茶テルスターSPORTS18GXです。実質的には18x35mmの黒テルスターと同一スペックで実倍率が7.29倍の倍率詐称双眼鏡です。
これもカメラ店や眼鏡店でニコンやフジノンの双眼鏡といっしょに並んでいた双眼鏡ではなくどちらかというと家電量販店やディスカウントショップ系のルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。そのため大手光学メーカーの双眼鏡と同等の定価設定で実質販売価格がその1/3から1/4などの売価で売られていた商品なのでしょうか。
 そうなると他の双眼鏡と比べていかに商品としてのアピールが重要で、そのために金属部分が茶色の塗装で貼り革がグレーがかった茶という見てくれの良い双眼鏡になっています。
 黒のテルスターと茶色のテルスターは同時期に売られていてノーマルな黒とファンシーな茶をチョイスできたのかどうかはわかりませんが、製造元は明らかに別で描写も微妙に違っているようです。
 実際の茶テルスターを分解してみた感じではスペック的には殆ど同一ながらややプリズムポケットなどの加工が甘いような感じで黒テルスターよりも精密度が落ちる感じがします。 Dvc00020 見え方もコントラストやシャープネスも黒テルスターと同じで中央部は良いもの周辺部はだいぶ画質が落ち、特に周辺部の渦巻き収差が黒テルスターよりやや大きい感じがします。
まあこの茶テルスターの場合であって製造期間も長く、部品の調達場所も組み立ての会社も時期によって異なるテルスターブランドの双眼鏡は筐体内部の反射防止処置の有無をはじめ、ロットでかなりの見え方の違いがあってもおかしくはありません。
 そのため、一つの個体をサンプリングして総論にするわけにはいかないでしょう。入手した茶テルスターは双眼鏡としてはまだましなものだったことは確かです。

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July 29, 2018

TELSTER(黒) 18x35mm 7°Zタイプ双眼鏡

Dvc00022 通称黒テルスターの18x35mm 7°です。茶テルスターSports 18ex双眼鏡といっしょに入手しましたが、実質的に同口径同倍率の双眼鏡です。
 テルスターはスーパーゼニス同様に日本中に出回っていた廉価版の双眼鏡で、眼鏡店やカメラ店の店頭でニコンやフジノンの双眼鏡と一緒にならぶのではく、どちらかというとホームセンターやディスカウントストアのようなルートで売られていた双眼鏡なのでしょう。
 流通させた業者も製造した業者もよくわからない双眼鏡ですが、ボディタイプがどうやら30mm/35mmレンズ用と50mmレンズ用の2タイプですべてのバリエーションを作っていたようです。
 よく「手を掛けると見違えるほどよく見えるようになる」などといわれ、内面反射やプリズム迷光防止処置を施す入門用双眼鏡などとされていますが、果たしてノーマルのままではどうなのでしょうか?

 実はこの双眼鏡、これが主目的で入手したものではなかったのですが、コピターの8x35mm超広角を入手しようとして、これだけでは送料がもったいないのでその抱き合わせで一緒に入札したら、コピターを落札しそこないテルスターの2台だけ498円で落ちたというものです。送料のほうが落札金額の3倍も高かったのはいうまでもありません。 でもまあ、いままで真剣に向き合ってきたことがなかったテルスターの本質を探るのにはいい機会です。

Dvc00021 よく言われるのがテルスターは内部に反射防止塗料も施されておらず、ダイキャストの地肌が見えているということが前提で反射防止塗装入門機のような言われ方をしますが、今回の黒テルスター茶テルスターともに内部はやや艶が気になるもののちゃんと反射防止塗装は施されていました。
 対物レンズ筒にはちゃんとブラスチックの反射防止筒も装着されていますし、おそらくは時代がさかのぼったテルスターは徹底的なコストダウンの洗礼も受けず、それなりにまじめに作られた双眼鏡だということを感じました。ただ黒テルスターは18x35mmのところ、実倍率は約7.29倍、茶テルスターのほうも実倍率同じく7.29倍しかありません。結局は倍率詐称双眼鏡に過ぎないのです。
 またこの実倍率からしても実視界がかなり狭い双眼鏡で、その点でも性能的には「並以下」のスペックの双眼鏡です。さらに視界の中の良像面も中心部周辺に限られ、中心部はかなり良い結像ながら周辺部は像もゆがむようです。
 このくらいの画角の双眼鏡ならせめて均一の視界を保って欲しいのですが、価格からするとまあ仕方がないということでしょうか。
 まあ鳥を見る用途にも星を見る用途にも中途半端な双眼鏡ですが、古いテルスターだけにしっかり作られているとこだけは好印象です。また刻印はシルクスクリーンじゃなくてちゃんとした彫刻ですし。

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July 28, 2018

Kenko 8x25mm6° Zタイプ双眼鏡

Dvc00024 ケンコーの8x25mm 6度というZタイプの双眼鏡です。実質的なZタイプのミニマムサイズとなった8x30mm双眼鏡よりも一回り小さな双眼鏡でどちらかというと旧陸軍の13年制式6x25mm双眼鏡に近い双眼鏡です。
時代的には昭和30年代末期から昭和40年代中ごろまでに存在した双眼鏡ですが、前期はケンコーのメーカー名が筆記体、後期はこのようなおなじみのケンコー社名のシルクスクリーン印刷になってます。
外装の接眼側と対物側の鏡板および対物筒リングが黒塗装という当時としては珍しい仕上げの双眼鏡ですがスタンダードから外れたオフサイズの双眼鏡ゆえか有名メーカーの商品にしては世の中に出回っている数が少ないような感じでオフでもあまり見かけません。
数が少ないのにブルファイトのように値段はあまりつかずこちらも100円で落札した双眼鏡です。
 覗いた第一印象が何か像が8x30mmの双眼鏡にくらべて遠くに見えることが気になって射出瞳径を測定したら4.75ミリで口径の25mmを割ると実質倍率5.26倍しかありませんでした。どうりで結像が小さいわけです。また視界も狭いので何かオペラグラスを覗いている感があります。
また30mm口径と25mm口径の解像力の差もあり解像力にも不満が残ります。まあ利点としは小さくて取り回しがいいということがありますが、それならミクロンタイプやダハプリズムタイプのほうに軍配が上がります。
 この中途半端さが数がはけなかった理由でしょうか。でも個人的には小さなZタイプのかわいらしい双眼鏡は大好きです。
Dvc00023 J-E11のダイキャストメーカーの刻印がありますが、J-Bナンバーは入っていません。もっともケンコー自体J-Bナンバーを取得していますし、こちらは国内向けの双眼鏡なので、別に入っていなくともかまわないわけです。
 ケンコー自体は研光社のスタートが双眼鏡の組み立てでしたが、倒産したワルツのレンズ用フィルターに参入したあたりから業態が拡大し、総合光学製品商社になってしまい、製品はすべてが関係業者からの納入品になっています。そのため、時代時代でかなり雑多な商品構成となっており、この商品も果たしてどこの会社のOEM製造なのかもわかりません。
 また同じケンコーの製品でも請け負った製造メーカーの違いにより出来不出来があるようです。
 

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July 26, 2018

GINGA 8x35mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00014_2  GINGAという商標の8x35mm 9°の広角双眼鏡です。ちょっと形の変わった変形Zタイプ双眼鏡とでもいうべきもので、昭和30年代後半から徐々にアメリカ向けに増えてきた35mmの広角双眼鏡の一種です。
 アメリカでは日中使用に最適な双眼鏡は7倍30mmだというような消費者意識があったそうで、どうもこれは軍隊の双眼鏡がこの規格でそれを使った軍隊経験者がそう言うからそうなのだろうというようなものだったのでしょう。それでその規格に近く実視界をワイドにするため口径を35mmにして倍率が7-8倍、実視界が8.5度乃至9度以上という双眼鏡が要望されたとのことです。
 そのため8x30mm双眼鏡では8.5度以上、8x35mm双眼鏡では9度以上という双眼鏡が作られるようになり、中には実視界10度以上、最高で13度という双眼鏡も出現したようです。
  輸出の双眼鏡は厳密に検査が通ったのでしょうから普通の双眼鏡なのに広角をうたったものは不合格ではねられたのでしょうが、国内向けは倍率詐称が横行していましたので、実視界もノーマルの双眼鏡と変わらない広角双眼鏡がありそうなので注意が必要です。

 Galaxyなら日本では製造元を隠して販売する某SAMSUNのスマホですが、このGINGAというブランドはまったく知りません。GINGAといっても別に天体観測用に作られたわけではないのでしょうが、8x35mmで9°という使い勝手が良さそうな広角双眼鏡です。
 この特徴的な筐体を作ったのはどこかわからないのですがHunterブランドをはじめいろいろな名前で売られていたようです。ポロプリズムの組み合わせに外皮をかぶせたらこうなったというZ型やM型双眼鏡と比べるとデザイン優先の双眼鏡でプリズム収納部分には無駄な空間が多いのですが50年代60年代のアメ車デザインのようにアメリカ受けしたデザインの双眼鏡だったのでしょう。
Dvc00013_2 内部の作りこみはつや消し塗装されているものの対物筒に迷光防止の筒はありません。プリズム部の加工はわりとまともでしっかり収まりました。これがだめな双眼鏡は左右のプリズムで水平度さえ出すのがとんでもなく手間だったりどちらかの鏡筒だけとんでもない角度に画像を結ぶものがあります。コーティングはごくオーソドックスなシアン色コーティングで珍しくも焦点調節輪と接眼外枠はダイキャストの金属製でした。
 肝心の見え方はそこそこワイドな視界を持ちますし、周辺部のゆがみのそれほど気になりません。しかし、シャープネスとコントラストおよび視界の明るさなども不足しています。また、通常の8x30mm双眼鏡が500g前後なのに対し650gとやや重いのも気になりました。形がスタイリッシュでも重くなって機動性が悪くなる。まさにアメ車のスタイル優先テールフイン時代みたいな双眼鏡です。
 ダイキャスト業者のJEコードも組み立て調整業者のJBコードもありませんでした。名前の違う兄弟はたくさん居そうなのですが、個性的なゆえか正体のよくわからない双眼鏡です。

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July 24, 2018

ZUIHO 8-20x50mm ズーム双眼鏡(光機舎)

Dvc00016 たぶん国内に出回っていなかったであろう双眼鏡だったので1円で落とした双眼鏡です。1円でも送料がバカにならないので他の出品商品のジャンク双眼鏡とまとめて送ってもらいました。
一応は瑞宝光学の双眼鏡ですがこの形からわかるとおり瑞宝光学で生産したものではなく一時期この手のズーム双眼鏡をOEMでかなりの量を製造した光機舎の双眼鏡です。
 アメリカのコレクターの話ではZUIHOの商標はすでに昭和40年代他社に売却され、それ以降の製品はすでに瑞宝光学の製造ではなくOEMということですが、何かそれを裏付けるようなOEM商品です。
 光機舎は昭和27年5月に大田区田園調布で設立された会社。ボシュロム型双眼鏡専業という珍しい双眼鏡組み立て会社ですが、どうやら朝鮮戦争で大量に使用された軍用のBL型双眼鏡の修理メンテナンスの下請けから製造業者に進出したらしいです。そのため、旧来日本では製造経験がなかったBL型が得意で、のちに連動型ズーム双眼鏡に発展させ、これがありとあらゆる会社のネームで欧米に大量に輸出されています。
 大きいところではペンタックスやチノンなどのカメラメーカーのOEMもありました。初期のズーム双眼鏡としてはザイカやハミカとともにベストセラーだったのですが、その左右の連動方式がギア連動式で大塚光学あたりのズーム双眼鏡が台頭してから淘汰されたようです。

Dvc00015 この瑞宝光学ネームの光機舎製造の双眼鏡は変倍レバーが固着し、分解してみると左右の連動のための金属のベルトが外れているか切れているかの状態でした。そのために最低倍率の8倍にズームのカムを固定。現在8x50双眼鏡になっています。
 世の中いい加減な倍率のズーム双眼鏡が溢れかえっているなかで、さすがに輸出品らしく9-20倍というのは実倍率のようです。ペンタックスのアメリカ向け双眼鏡がそうであったようにやたらと濃いアンバーというか殆ど黄色のコーティングが施されていますが、これはヘイズカットの意味合いがあるそうで、なるほど覗いてみると茶色っぽい曇り空が青っぽく見えます。でもどれくらい霧の中で効果があるものか。
 BL型ゆえにやたらと筐体が大きくて重い双眼鏡でボディに三脚雲台に固定できる穴が開いているのが特徴です。

 覗いた感じは光学系に余裕のある作りゆえなのかズーム双眼鏡特有のなにか省略したような見え方ではなく、意外にかっちりと見えるズーム双眼鏡でした。もっともこれは最低倍率の8倍でのことですが。

 それにしてもまったく軽量化に配慮されていない巨大なボディは日常首からぶら下げる重さではなく、重さと大きさはニコンのトロピカル級というところでしょうか。

 輸出双眼鏡だけに光機舎J-B21の刻印がしっかり刻まれています。

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July 23, 2018

成東商会DAUER 12x50mm IF Zタイプ双眼鏡

Dvc00005 ダウエル光学の成東商会というと昭和40年代から50年代の天文マニアでは知らない人はいないでしょう。
天文ガイドなどの広告におびただしい商品を載せていましたが、その成東商会のカタログ冊子は中学生時代の当方も切手をいくらかか送って入手しました。
そのカタログ冊子が今残っていればいい話のネタにはなるのですが、けっこう物持ちが良い我が家でもさすがに捨てられてしまって探しても出てこないでしょう。

 そのダウエル光学の製品ですが、少なくとも当方の周りではいくら他の光学メーカーよりも割安な製品群だとしても現実に手を出す人間は皆無で、そのためダウエルの製品を実際に手にしたことはありません。
 成東商会に関してはそのスタートは大変早く、戦前から営業していたようなのですが、どういうわけか戦前の光学製品卸から戦後はメーカー化したカートンやエイコー、戦後のケンコーのような名の知れたメーカーに発展することなく、旧態依然の家内工業で光学製品組み立て小売に徹していた会社でした。
 場所は文京区本郷の東大赤門のそばというような話ですが、一般家屋のようなところに部品の箱が山積みになっていて、注文が入るとその部品を組み立てて発送するなどという営業形態で、決して箱に詰め込まれた完成品が幾種類も並んでいるというようなそういう場所ではなかったようです。
 そのダウエル商品ですが、屈折式反射式の天体望遠鏡はもちろんのこと顕微鏡や双眼鏡、そのほか天体望遠鏡の自作に必要な部品類、特に反射鏡を磨くための素材や材料などの用意は相当細かく扱っているようでした。その扱っている商品の豊富さからするととても一軒屋で細々と営業しているような4畳半メーカーには思えないのですが、そこは子供ながらの本質を見抜く感というか、やはり初心者は手を出してはいけないメーカーだということを匂いで嗅ぎ取ったようです。
Dvc00011 成東商会の存在は忘れてはいませんでしたがダウエルの商標名は40年くらい忘れ去っていました。ここしばらく板橋の輸出用の双眼鏡をいじってきて、そこで徐々に気になったのが成東商会のダウエルブランドの双眼鏡です。板橋双眼鏡でもけっこういい加減なものがあるというオメガブランドの双眼鏡と比べてもどれくらいおかしい作りの双眼鏡かということに興味があったのです。それでしばらく探していたのですがさすがにゴミ双眼鏡でこれがなかなか見つからないのです。
 そしてやっと見つかったのがダウエルの12x50mm双眼鏡。それもけっこう古そうなIF(単独繰り出し)のZタイプ双眼鏡で落札額は他の双眼鏡含めて1円でした。もっとも最近1円双眼鏡ばかり集めてますが(笑)
 分解前にいつもの送電線の鉄塔を覗いて見ますと、少しカビてはいるもののまったく見えないというほどもものではなくちゃんと像は1つにまとまってみえるので視軸も合っているようでした。
 とりあえず今回は接眼側から分解し、プリズムを磨くことにしますが、驚いたことに接眼側鏡板の内側に1.6φの針金をループにしてスペーサーとして噛ませてます。たぶん集めてきた部品がすべてマイナス側の誤差になったため、スペーサーとして調整用にかませたもののようです。どんな板橋の双眼鏡にも見られない「針金入り」の双眼鏡に早くもドン引き状態(笑)
 おまけに接眼側のプリズムは左右で角のカットが異なるもの。片方は頂点の片サイドを斜めに削り落としてあるのですが、片側はなぜか両方に削り落としがあります。対物レンズには両面にコーティングがあるようですが、接眼レンズには外側のレンズにしかコーティングは施されていないようです。
 対物レンズ筒がやたらと硬くて本体から外れず、どこかに隠しねじでもあるのかと探したのですが見当たりません。渾身の力を込めてベルトレンチで回すとやっとのことで回ってくれましたがねじ部分に油分がまったくありませんでした。対物レンズをはめ込んでいる枠には黒染めがあるのですが、それを支えているエキセンリングやレンズを抑えるリングは鍍金も黒染めもないもの。これも板橋双眼鏡超えのコストダウンの結果でしょうか。対物遮光筒がない代わりにプリズムに反射防止カバーが装着されていましたが、こちらもブリキの抜きっぱなしで黒染めもありません。やや反射が気になりますが、ちゃんと筐体内部は塗装され、プリズムポケットの加工は意外にというと失礼なことにプリズムがまったく動きもしないほど見事に加工されており、ここだけはニコン並み?
 左側の対物鏡筒がねじ込まれている鏡板にも針金が仕込まれており、接眼側とあわせてこちらは合計3.2mmのプラス焦点調整、右側は接眼部分のみでプラス1.6mmの焦点調整です。
Dvc00010 とりあえずすべての光学系を洗浄してすべてのねじ類をグリスアップし、視軸調整してみると、これが意外によく見えるのです。快晴のアウトドアではコントラストの低下は否めないのでしょうが、解像度はなかなかのもの。ただし、実倍率は7倍しかありません。12x50mm双眼鏡なのですが実は7x50mmなのです。わざわざ7x50mmと12x50mmの双眼鏡を注文したら名板だけ異なる中身が同じ双眼鏡が届けられるのでしょうか?

 「針金を使ってでもちゃんと見える双眼鏡に仕上げる」技術は認めますが、これをつかまされたユーザーはたまったもんではありません。焦点調整といっても対物筒に薄いシムを一枚かませる程度が限度でプラスの3.2mmの調整というのも空前絶後です。

 かなり古い時代の双眼鏡にもかかわらず筐体を作った業者のJEコードは見つからず、成東商会自体輸出業者ではないのでJBコード自体取得されていません。そのため、部品の調達先は不明。

 撮影用にテルスターから見口をトレードしてかぶせてありますが、おそらく見口の材質が悪かったのか両方とも欠損していて、IFの双眼鏡からいろいろ付け替えてみたもののどれも合いませんでした。

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July 20, 2018

東京光学機械TOKO Pride x2.5 オペラグラス

Dvc00008 東京光学機械のトーコープライドという昭和20年代に輸出で外貨を稼ぎまくったありがたい逆ガリレオタイプのオペラグラスです。
このトーコープライドは戦後第一号のアメリカ輸出商品として日本光学のノバーなどとともに承認を受けた輸出第一号名誉の双眼鏡で、その後は鏡筒部分の貼り革の色を変えたり素材を鰐皮やトカゲ革風のものなどのパターンモデルをたくさん生み出し、おびただしい数が海を渡ったものと思われます。
 当然のこと、当時会社として1000人近い従業員を抱えていた東京光学機械としても他の双眼鏡や戦後復興に欠かせない測量機械、さらにはもっと高収益なカメラ開発の部署の要員まで投入するわけにはいかず、戦前に軍用の双眼鏡の部品を製造させていた周囲の光学関係事業者に図面を渡してレンズやプレス部品の製造をさせたり組み立てをさせたりの仕事を外注として出したことで、それ以降これらの業者がこの形式のオペラグラスを独自に製造して輸出するようになるようです。
 というのもこのトーコープライドの原型はツアイスあたりで、それがイギリスでコピーされ、戦前の日本でもすでに手を付けられていたらしく、東京光学機械のオリジナルというわけではなかったことも一因でしょうが、当時の知的財産権なんかなきに等しかった日本では「これと同じものを作ってくれ」と見本を渡せば一月半もあればまったく同じものが2千個ほど箱詰めされて納品されるという時代だったと思います。
Dvc00007_2 そのため、雑多な商標でいろいろなトーコープライドコピーが存在しますので、本家のバリアントを集めるだけではなく、そのコピーモデルまで手を広げるとけっこうなコレクションになりそうな。おまけにオークションの落札金額が1000円以下ですから手を付けやすいという利点もあるかたわら、いつまでも落札されないで残ってしまいがちで、結局は落札者もなく不燃物で捨てられてしまうことも多そうで、最近はあまり掘り出し物が少なくなったような気もします。 また各モデルでケースが異なるので、これもコレクター心をそそられます。
 眼幅固定で調整できないという難点がありますが、折りたたみのオペラグラスを始めとしてプレス製のものは眼幅固定タイプが主流ですからそれは気にはなりません。プレスタイプのオペラグラスと違い、このトーコープライドには視軸の調整があり、対物レンズ側ではなく接眼レンズがエキセンリングを介して固定されているため、ちゃんとこれを調整すればけっこうまともに見えるオペラグラスになるのです。もっともコピーモデルはこれを省略してしまったものもあるかもしれません。
 トーコープライドは輸出が始まった昭和22年からサンフランシスコ平和条約発効の昭和27年4月まではmade in occupied Japan刻印、その後はmade in Japan刻印が付されていますが、実際のトーコーブランドのプライドは昭和30年代くらいで製造を終了し、あとはコピーモデルだけが市場に出回り、昭和60年代前半くらいまでは市場に見られたようです。
 現在ではこのようなコストのかかるオペラグラスは市場に皆無で、数百円で買えるようなものはレンズもボディもプラスチックの一体成型品で視軸も合わせられないようなものが殆どです。

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July 19, 2018

Precision 8x21mm CF Zタイプ双眼鏡

Dvc00001 Precisionという商標の付く古い双眼鏡です。プレシジョンというと我々「鉄」にとっては通称19SEIKOと呼ばれる鉄道用懐中時計のほうが馴染みが深いのですが、現在光学系でPrecisionを検索するとアメリカの医療系光学機器の会社が出てきます。
どうやらこの医療系光学機器の会社は過去に日本から双眼鏡を輸入してアメリカで販売したことはないようです。
 このPrescisionブランドの双眼鏡は8x21mmと8x24mmおよびTOKO Prideコピーのオペラグラスしか見たことがありません。すべてノーコートの双眼鏡ですし、設計が戦前の小さな筐体の双眼鏡を無理してCFにし、8倍に設計変更したような双眼鏡のことからPRINCEなどと同様にどうやら戦後すぐにデパートなどで扱われた光学製品の問屋系ブランド名ではないかと推測しています。
 というのも妙におもちゃっぽいところがあり、たとえば左右の視度調整は右側の接眼レンズを鳥居から筒ごとねじで繰り出すとか、何か眼鏡店などの店頭に並ぶよりもデパートのおもちゃ売り場の片隅に科学教材としてプリンス光学の顕微鏡や天体望遠鏡などといっしょに並んでいたほうが似合いそうな双眼鏡です。まあ作っていた会社というのは4畳半規模の会社だったのは間違いないのでしょうが、その後Precisionの商標を捨てて輸出用双眼鏡のOEM元として設けてビルでも建てたのか、それともこの双眼鏡だけで事業に行き詰まって廃業したのかはわかりません。
 それでもZタイプのポロプリズム双眼鏡としてはミニマムサイズに近い双眼鏡で、何か言うこともできないかわいらしさのようなものがあるコレクター心をくすぐる双眼鏡です。
Dvc01001 筐体は13年制式双眼鏡の流用かと思ったのですが、筐体をふさぐ鏡板は3本のビスで留められるまるで軍用。板の材質も真鍮板の黒塗りです。内部のプリズムも小さなノーコートのプリズムですが、射出瞳径はちゃんと真円でした。カビや曇りを落とし、再組み立て後に苦労して調整したこの双眼鏡の見え方は口径が小さくノーコートだから期待はしていなかったのですが、コントラストも低く解像力もいまひとつながら像は意外に均一な描写で端のほうでも激しく像がゆがむということもありません。
 ただ、機械的部分の精度、特に中央繰り出しのねじの精度などが余り良くなくバックラッシュが大きかったり鳥居のガタが大きくて引っかかり感があったりして、そのをあたりがおもちゃ感を大きくしている理由でしょうか。

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July 18, 2018

SUPER FUJI 12x30mm 5°Zタイプ双眼鏡

Dvc01000  噂どおりにどれだけお粗末な双眼鏡かという興味だけで400円で落札したスーパーフジブランドの双眼鏡です。
名前だけは富士写真光機を超えているのですがそれほど酷い双眼鏡なのでしょうか?
 実は昭和30年代の輸出双眼鏡組み立て業者が板橋に雨後の筍のように設立された時代、フイルム・カメラ・光学製品の総合メーカーの富士写真光機にあやかったのか、それともあたかも富士写真光機の製品と混同されることを意図的に狙ったのか社名に富士の付く会社が4社くらい存在しました。
 ブランドとして今残されてるのはFUJICON、FUJI、SUPER FUJIの3つくらいでしょうか?実際にJBコードを取得している富士ネームの会社は不二という名前も含めて6社存在します。そのうち双眼鏡などを実際に組み立てていた会社は4社ほどでJB8が本家の富士写真光機のほかには本社が渋谷で工場が大宮にあったJB19の不二工芸社、JB28の富士精密機器製作所、JB185の富士光学という会社があります。その他の2社はプリズム製作やプレス部品等の製作がメインだったので除外。そうなると富士写真光機を除く3社がそれぞれFUJICON、FUJI、SUPER FUJIノ製造元だったということなのでしょうか?
 このなかで一番長期間にわたって何種類かの双眼鏡を市場にだし続けていたのは3ブランドの中ではスーパーフジブランドの双眼鏡のようで、輸出にそのままのブランド名で回っていた双眼鏡もスーパーフジだけのようです。
  千葉から届いたスーパーフジの12x30mm5°表記の双眼鏡は対物レンズ裏にカビのスポットやプリズムにも若干のカビと曇りがありましたがそのまままでも使えないこともないようなコンディションでした。
 そのまま遠くの送電線の鉄塔の先端を覗いてみても視軸はぴたりと合ってました。実際に覗いた感じでもそれほどとんでもない双眼鏡には思えませんでした。
Dvc00999 しかし、驚いたことにというか案の定というか12x30mmというのは大嘘で、実際に覗いた視界は他の8x30mm双眼鏡とまったく変わりません。この手の製造元がよくわからない双眼鏡にありがちな倍率詐称双眼鏡です。
そのまま双眼鏡の片方ずつ対物レンズ筒を外し、対物側のプリズムの抜いてカビと曇りを取り除きます。プリズムポケットの精度があまり出ていないのか小さな紙片でプリズムの角度調整が入っています。おまけにプリズムポケットの加工精度が良くなくゆるゆるで、どちら側に追い込んであるかはチェックしておいたものの再組み立てしたのちは像が斜めに結像してました(笑)
プリズムの表面はコーティングもなく、なんと対物レンズは表と裏のレンズのコーティングの色が異なります。表面がアンバーで裏面がシアンコーティングでした。意図的なのかかき集めてきたレンズがたまたまそうだったのかは不明。やや艶が気になるものの筐体内部は黒塗りされています。
接眼レンズ群は表面も内部もまったくコーティングがありませんでした。

 筐体の加工精度がダメでプリズムポケットがゆるゆる。プリズムの微調整で錫箔ならぬ紙片が使用され、レンズは余剰品らしきものをかき集めて8x30mmの部品で12x30mmの倍率詐称双眼鏡を作り上げるなぞ、板橋零細双眼鏡組み立て業者の余剰品換金方そのまままのですが、いちおうスーパーフジブランドの双眼鏡はそのまま米国や英国に輸出されていたようです。
 しかしさすがに倍率詐称は輸出検査に引っかかるようで、30x50mm双眼鏡は7x50mmに、15x35mm双眼鏡は9x35mmに、12x30mm双眼鏡は8x30mmとちゃんと正規の
倍率になっているところが笑えますが、これは日本のユーザーの高倍率イコール高性能という神話がまかり通っていたことにも原因があります。

 実質的には同じ双眼鏡なのに8x30mmと12x30mmが並んでいたら12倍のほうを買うのが心理だったのでしょうから(笑)

 それで苦労してプリズムの位置を何度も修正し、エキセンリングで完全に像を一致させたスーパーフジの双眼鏡の見え方はそんなにコントラストも解像度も悪いというものでもなく、ごく普通の板橋輸出用双眼鏡レベルでしたが、さすがに岡谷のビスタのほうがはるかに良く見えます。

 それでこの双眼鏡の製造元ですが、個人的には作られた期間の長さや輸出の数からしてもおそらくは渋谷区内で創業し、大宮に工場のあったJ-B19の不二工芸社あたりが怪しいような気がします。昭和28年設立の不二工芸社は昭和40年当時でも従業員100名以上を抱える一大OEM双眼鏡業者でした。
 しかし、それほどの規模の会社でも国内向けは倍率詐称するのかと半ばあきれる気もしますが。


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July 16, 2018

東京光学機械EXTRA MONARCH 8x25mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00997 東京光学機械がおそらく戦後昭和20年代末に製作したエクストラモナーク8x25mm双眼鏡です。
おそらくは旧陸軍の将校用双眼鏡13年制式6x24mmの設計を8x25mmにスケールアップした双眼鏡だと思います。そのためにモナークにエクストラの冠詞がついているのでしょうか?
 当時すでに輸出用Zタイプの双眼鏡は8x30mmに移行していましたし、6x24mmクラスの双眼鏡はミクロンタイプが輸出の花形でしたから、この旧軍将校型双眼鏡は輸出には回らず国内にしか出回らなかった双眼鏡でしょう。
 終戦直後はこの手の双眼鏡の未組み立ての残存部材があり、それを組み立てて米軍のPX向けに出荷したことはありましたが、昭和20年代も半ばに達すると残存部材の活用ともいかず、おそらくは本体ダイキャスト等新規で生産したものなのでしょう。
 戦前のTOKO双眼鏡のように本体の鏡板は対物側も接眼側も3本のビス止めで材質は真鍮板で、内部に湿気の侵入を防ぐためか黒のパテで隙間を塞ぐようになっています。対物リングは銅板プレスの黒染めでした。
Dvc00996 対物レンズ接眼レンズおよびプリズムにもコーティングが施されていましたが、ケースに入れたまま何十年も放置状態だったためか内部のカビが酷く、特にプリズムの表面のコーティングがカビで変質してしまい、いくら磨いてもカビ跡は取れませんでした。
 また、東京光学機械には有るまじきような筐体精度でプリズムの位置決めがゆるゆるで、一度バラしたあとはどうやっても左右の像を真ん中に追い込めません。あれこれ何度も行ったものの諦めて現在放置状態です。
 対物レンズの口径も小さく倍率が8倍ということもあり視界はおそらく6°そこそこと今の8倍双眼鏡と比べると視界の狭さは否めません。
 さらにカビ跡などの影響でいまひとつ抜けが良くなく解像力も物足りません。返っておそらく同時代のZ型でミニマムサイズに近いPrecisionの8X21mmのほうが良く見える気がするのですが(笑)

 まあ、この13年制式双眼鏡のサイズ感を懐かしみ、この双眼鏡が戦後少し作られただけでディスコンになったことを惜しむファンも多いのですが、この筐体を使用して高倍率広視角の双眼鏡への発展性がなく、消えてしまったのは当然のことでしょう。

 ケースは牛革の飯盒型でストラップも牛革製。驚いたことに説明書と未開封の小さなシリコンクロスが残ってました。説明書はカタログ的なものではなくごく簡単な双眼鏡の調整と手入れ法の小さな紙片でした。

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July 14, 2018

日本光学NIKKO ノバー7x49mm 7.1度 Zタイプ双眼鏡

Dvc00957  今年はニコン双眼鏡100年だそうで歴代の双眼鏡を集めた展示会が行われたそうです。当時の日本光学というと軍用光学品の国策会社という意味合いが強く、それでも戦前までは当然のこと民生用の光学製品もありました。
 そのニコン、当時の日本光学ですが、終戦後は業態を縮小して完全な民生品の会社となり、存続することをGHQから許可され、大井町の工場でまず外貨獲得のために双眼鏡の生産から始め、のちに35mmカメラの生産に乗り出し、今のニコンに至るという歴史があるようです。
 これは以前、横須賀から入手した戦後すぐの生産の日本光学ノバー7x49mm7.1°の双眼鏡です。
 この50mmではなく49mm表記のノバーは非常に珍しく、というのも戦争末期にバルサム切れした対物レンズがカシメで固定されている対物レンズ枠から外せなく修理できないというクレームから対物レンズを後ろに抜くような改良を施した急拵えの対物枠がわずかに1mmほどレンズを覆ってしまったために49mmなんだそうで、終戦まで有効径49mmになっても50mm表記は変わらなかった(?)ものの、いざ終戦直後に戦時中の残存物をかき集めて輸出用のノバーを組み立てたときにこのままではまずいということで正直に49mmの表記となったらしいのです。その後すぐにエキセンリング付の対物枠に変わって正真正銘の50mmとなってまもなくノバーは光学系が改良され視野が7.1°から7.3°になり今に至るわけです。  Dvc00956 その視野角7.3°のノバーおよび防水型のトロピカルはトレードマークがNIKKO表記からNIKONに変わっていました。
 そんな経緯もあり、さらに戦時中の残存部品をかき集めて作ったノバーはほとんどが米軍のPXで売られた関係もあって国内に残っているシロモノは戦時中のノバーなどに比べても非常に少ないのではないかと思います。おそらくは横須賀から出てきたということからも元は米軍関係者が購入したものかもしれません。米軍のPX向けの商品としてGHQからmade in Occupied Japan表記を追加することが要求され、この双眼鏡もmade in Occupied Japan表記です。

 戦時中の残存部品をかき集めて組み立てたノバーですから各レンズ面はノーコートで対物レンズ鏡筒には遮光筒はない代わりに対物側プリズムに遮光カバーが付きます。鏡筒の貼革、天然樹脂のグッダペルカは皮シボ模様ではなく戦争末期の砂目のようなタイプで、グッタペルカの量を少なく済ますためにごく薄く仕上げてあり、そのために今でははがれて丸裸になった戦時双眼鏡も多いのですが、この固体はヒビと部分的な欠落はあったものほぼきれいな状態を保っていました。しかし、グッダペルカの真ん中付近に経年劣化による縮みで裂け目が出来ており、このままだとこの裂け目からグッダペルカが大きくはがれる危険があります。

Dvc00955 そのグッタペルカの補修をどうしようかと考えたのですが、靴底補修用に黒のチューブ入り樹脂を買ってきて、これを裂け目に沿って塗りこむことで、これ以上裂け目が広がらないように、ここからグッダペルカがはがれないように処置しましたが、この靴底補修財がもともとはゴム系素材との親和性が高くなるように作られており、天然樹脂のグッダペルカとも相性が悪いはずも無く、意外にきれいに補修できました。
 ただ、いつまでたってもべたつき感が残るのと艶が合わないのが難点ですが。それ以後は酢酸ビニール樹脂製の革シボもどきでも貼り革の部分補修にはこの靴底修理剤を使用しています。

 付属していたケースは戦争末期のボール紙芯にキャンバス地を組み合わせたものではなく、ちゃんとした牛革の飯盒型ケースが付属していました。

 戦前のノバーにありがちな対物レンズ貼り合わせのバルサムが一部はがれるバルサム切れを起こしていますが、いまのところさほど見え方には影響がないようです。昔はカナダバルサムを接着剤として使用し、貼り合わせたあとに芯出し加工をしていたそうなので、一度バルサム切れすると再度貼り合わせるときの芯出しが難しいらしいです。現在はバルサムを使用せずに紫外線硬化型の樹脂を使ってレンズ同士を貼り合わせるそうですが、まあ機会があればバルサム切れレンズの再貼り合わせにも一度挑戦してみましょう。

 このノバーはエキセンリングで光軸修正出来るタイプではないようで、さりとてプリズムの可動調整域があるわけではなく、今のところ左右の像を真ん中に追い込めていないのですがこの点は東京光学機械の7x50mmのほうが光軸修正は簡単です。実際に見た像はさすがにまったくのノーコートの双眼鏡ですから視野が暗くコントラストも低いのですが、意外にシャープな結像だと思いました。
 東京光学機械の7x50と比べるとTOKOのほうは対物筒がツアイスを模して二重なこともあり重いのですが、光軸の修正が容易。日本光学のノバーはTOKOよりも軍用としては頑丈さが落ちるものの、軽くて持ち歩くには負担が軽いという違いがあります。やはり陸軍と海軍の仕向け先のニーズの違いが大きかったのでしょうか?

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帝北光学工業TEIKO 8x30mm 7.5°Zタイプ双眼鏡

Dvc00989 こちらも帝北光学工業の製品で8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、前出の7x50mmよりも若干古いらしく、ケースは失われていましたが茶色い牛革のストラップが付いていました。
 帝北光学工業に関しては前回の7x50mmで詳しく書いたため省略しますが、東京は板橋区の中仙道(R17)と環七が交わる大和町交差点の脇で、主に輸出用の双眼鏡組み立てを行っていた会社です。
 設立は昭和28年ですから当時の大和町交差点は交通量も少なく、当然平面交差だったのでしょうが、現在では中仙道と交差する環七が中仙道を跨ぐ形で立体交差し、さらにその上を首都高速5号線が通り、さらに交差点周囲のビル群によって半閉鎖的な空間になってしまったため、2001年度と2002年度は日本一大気汚染の厳しい交差点という汚名を頂戴したそうです。
 我々子供のときは新宿区の大久保通り牛込柳町交差点というのが大気汚染日本一だったような気がしますが。

 そのような大和町交差点脇に位置していた帝北光学工業ですが、現在でも会社は存続し続けているものの光学製品には係わっていないようで、実質的には自社ビルの不動産管理のための会社でしょうか。
Dvc00988 前回入手したTEIKOの7x50mm双眼鏡よりも年代が若干さかのぼると思われる8x30mm 7.5°の双眼鏡ですが、7x50mmが単独繰り出しだったのにこちらはその当時は標準的になった中央繰り出しです。作りこみは中まで丁寧に黒塗りされており筐体のダイキャストはJ-E7コードのメーカー。7x50mmはJ-E92だったので仕入先が異なるようですが筐体の精度は十分です。
 プリズムもシングルーコートされていますが光学系全面コートではなく接眼レンズの一部にコーティングが省略されているような。
 プリズムを外して曇りを取り除き、対物レンズ裏も無水アルコールで磨いた後、700メートル先の送電線のてっぺんを覗きながらエキセンリングで光軸修正を行いました。ダイキャストの精度が出ているため、光軸の修正はエキセンリングのみで簡単にできました。
 完全調整が終わった後に実際に送電線鉄塔を両目で見た感じは特に不可もなく標準的な画像の結び方をします。しかし、岡谷光学のVISTA8x30mmと比べると、なぜかVISTAのほうは視野が若干黄色っぽいのですが、明るさやシャープネスはVISTAのほうに軍配が上がります。

 ところで帝北光学工業のTEIKOブランドの双眼鏡はこれで7x50mmと8x30mmの二種類が見つかったわけですが、その他の種類がいまだに見つかりません。組み立てていたのが輸出用のこの種類だけで、製品が余剰になったらこの二種類を国内向けに流していたというわけなのでしょうか?

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July 13, 2018

Light 8x30mm Zタイプ双眼鏡

Dvc00991  Lightという商標の昭和30年代半ば過ぎくらいに作られた8x30mm双眼鏡です。これ、送料が安いだろうと札幌のリサイクル屋さんから購入したものですが、面白いと思ったのはトレードマークが菱形にFSKというものだったことです。
 トレードマークというのは輸出用商品の荷印という意味で商品にもパッケージにも付されるものですが、双眼鏡に関しては古くからの輸出商品だったこともあり、ブランドが相手向けのOEMでも製造元がわかるというわけです。 例を挙げればI.O.C.は板橋光学、K.O.C.は黒木光学というように3文字アルファベットで表されます。
 それでFSKはもしかしたら富士写真工業でLightは明眸(メイボー)の明かと思ったのですが、それは期待が大きすぎたというものでした。

 届いた双眼鏡はいちおうまともな豚革飯盒型ケースに入っていました。本体にはダイキャストを製作したメーカーコードJ-E11が入っているものの組み立て業者コードが入っていないのでおかしいと思ったら対物レンズの色が違う?
Dvc00990


 何と左はシアン色コーティングながら右側はノーコートレンズがはまっています。接眼レンズ側はノーコートのようでした。これから察するにこの双眼鏡は換金目的でブランドをでっち上げた部品寄せ集め双眼鏡らしいことがわかりました。

 それにしてもJ-E11がどこのダイキャスト屋さんのコードかは知りませんが、この筐体だけは非常にかっちりと良く出来ていて内部の黒塗りは丁寧だしプリズム装着部分の精度も良く、プリズムもはまる込むと微動だにしません。何かこの筐体だけ使って別なもっと良いレンズを移植してしまいたいほどです。
 ダイキャストの精度が良く出来ていることもあり、レンズもプリズムも洗浄したのちの光軸出しは容易でした。
 覗いてみた感じは周辺部はけっこうゆがむものの中心部は意外にシャープな結像をします。まあ部品寄せ集めの双眼鏡ながらダイキャストの精度が良いだけにさほど箸にも棒にもかからないような粗悪な双眼鏡ではないようでした。

 板橋に双眼鏡組み立て業者が雨後の筍のように次々に設立された結果、大手の富士写真工業にあやかったようなFUJIを商標とする業者が数社ありました。中にはSUPER FUJIのように富士写真工業を超越させるようなネーミングの双眼鏡もありましたが、FUJIあやかりネームの双眼鏡はおしなべて本家には足元も及ばないシロモノです。その点、この富士の判じ物みたいなこの双眼鏡は寄せ集めの換金もののなかにあっては筐体の精度のおかげでまあ使えるレベルのものでした。
 ちなみに本家富士のトレードマークはF.P.I.(富士フォトインダストリー)だった由。

 それで後からしつこくあれこれ調べてみたらFSKに該当する会社は昭和22年6月に渋谷区池尻で設立されたJ-B28の輸出業者コードを持つ富士精密機器製作所がかなり怪しいことがわかりました。富士精密機器でFSK。古くから輸出もあったようですからトレードマークとしてFSKはありえないことはなさそうな。この富士精密機器は双眼鏡/オペラグラスの組立が本業の会社だったようですが、その後どうなったのかの資料はまったく見つかりませんでした。当時の商業統計調査などを調べてみる必要がありますね。

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July 12, 2018

ビクセン7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00985 ビクセンの7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡ですが、こちらは昔、当方がお年玉とお小遣いをかき集めて市内の眼鏡店で購入したものです。
昭和48年の1月のことで、購入価格は10,500円だったと思います。確か前年に9,500円から値上げになったと思いました。

 購入のきっかけというのは当時市内の青少年科学センターが開催する天文クラブというのに所属していて毎週土曜日の夜に観察会を開催するのですが、そこに何台か配置されていたのがビクセンの7x50mmだったのです。
 それまで天体観測というと天体望遠鏡以外の道具なんて考えられませんでしたが、実際に望遠鏡を向ける前、肉眼では見つけられない外合間近の金星を見つけたり、肉眼では良く見えない散光星雲や星団を観察するなどの用途に大活躍でした。
 そのため、青少年科学センターの備品以外に自由に使える7x50mmが欲しくて購入したのがこのビクセンの双眼鏡です。さすがにニコンは手が出ませんでしたが普及品クラスの双眼鏡としてはカートンやエイコーの選択肢もあったものの前年に購入した天体望遠鏡が同じくビクセンの名機エータカスタムだったため、選択の余地はありませんでした。
 また、ビクセンは双眼鏡が主力でカタログが充実していたという理由も多少はあったかもしれません。

Dvc00984 購入後は専らの天体観測専用で肉眼では良く見えない星雲星団の観察がメインでしたが、夜中に自転車で家の周りよりも空の暗い場所に出かけ、草原に寝転んで視野いっぱいに広がるアンドロメダを見て、その星の一つ一つが見えるような気がして感動していたものでした。またさそり座いて座方向の銀河に浮かぶ肉眼ではぼんやりとしか見えない散光星雲群が双眼鏡だとたくさ見つけることが出来、夏が来るのが楽しみでもありました。
 
 そんな天体観測も高校進学と同時に天文クラブも卒業ということになり双眼鏡での観測もまったくしなくなってしまい、もっぱらコンサートに持ち出すための双眼鏡に成り果ててしまいましたが。

 それから約四半世紀以上ケースに入ったまま実家にぶら下げられていたのですが、案の定対物レンズ内側にスポット的にカビが発生。グリスの油分が蒸発したのかプリズム表面も曇ってしまったため、あるときフルオーバーホールするjことを決意。
 レンズもプリズムもきれいに洗浄して元に戻したのですが、何と遠くの像が斜めに分解して見えるという。このときプリズムを分解したのちにエキセンリングで視軸を調整するという作業を知らなかったのです。
 しかし、この経験がガラクタ双眼鏡分解調整に入り込むきっかけになりました。

 昔からこればかり使っていたということもあり、当方のすべての双眼鏡の性能の基準はこのビクセンの7x50mmより良いか悪いかということになります。
 以前海上自衛隊観艦式に便乗するために購入したニコンのマルチコート7x35mm 7.3°、これ実に20年ぶりに購入した新しい双眼鏡だったのですが、さすがにマルチコートだけに抜けと視野の明るさはあるものの35mmと50mmの口径の違いによる解像力が物足りないなんて、すべてビクセンの7x50mm基準です。

 このビクセン7x50mm 7.1°の双眼鏡ですが、昭和48年1月購入なので製造は昭和47年。この前年に光友社からビクセンに社名が変わったことを受けてか双眼鏡のロゴデザインが逆アローVixenのものから楕円にVixenに変わり、白だけではなく赤や黄色を使用したカラフルなものになりましたが、スタンダードな双眼鏡はかなり長い間このデザインのままだったような気がします。
 また価格が値上がりしたためではないでしょうが、付属品としてゴムの折込見口が添付になったのもこのころです。

 肝心の性能のほうですが、当時の天文ガイドの双眼鏡性能レポートのような記事が連載されていてニコン、コーワ、フジなどに並んでビクセンも取り上げられていたと思いますが、評価的にはけっこう厳しいものだったと思います。
 プリズム面の反射が多いためか瞳径が真円ではなく周囲に青くケラレがある、筐体内部も黒塗りではなく鍍金かアルマイトの半艶仕上げで内面反射のためコントラストが物足りないなどいろいろの問題が指摘されていたような気がしますが、きちんと調整されたビクセンの双眼鏡の見え方には当時まったく不満はありまんでしたし、今になって比較する板橋輸出用双眼鏡の中になっても上位のクラスに位置する双眼鏡だと思います。

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July 11, 2018

ATLAS 7x50 7.1°Zタイプ双眼鏡(山ノ井光学)

Dvc00987 アトラスというブランドの7x50mm 7.1°Zタイプの双眼鏡です。おそらくは昭和30年代後半から40年代初めのものでしょう。アトラスといってもビクセン製品の製造のために設立された第二工場のアトラス光学とは関係なく、また、新宿区内で双眼鏡組み立てから8mmカメラの製造に手を出したアトラス光学とも異なる、単にブランド名がアトラスということだけの双眼鏡のようです。主にアメリカに輸出されていたようで、アトラスブランドの双眼鏡は何種類か、それも複数のOEM先から納入されていたようです。

 入手したこのアトラスブランドの双眼鏡はJ-B131とJ-E36の二つのコードが打たれていました。それで組み立てを行ったのは昭和23年10月設立の山ノ井光学ということがわかります。もとは鎌倉の大船で設立され、板橋の氷川町に移転してきたという歴史からおそらくは会社設立の前から海軍横須賀工廠の仕事や大船光学の仕事などにも係わっていたのかもしれません。
 ただ、この山ノ井光学に関してはその後どうなったかなどの情報や会社規模などもまったくわかりませんでした。組み立て業者コードによって製品だけはこのように残されているということがわかります。

Dvc00986 なんの変哲もない双眼鏡ですが、ケースのほうが個性的で、珍しくも昔の水筒のキャップみたいにコンパスが取り付けられていました。コンパス付きの双眼鏡ケースというのは初めてお目にかかりました。実はこの双眼鏡、届いてみて初めてわかったのですが、外箱と説明書さえ欠落していましたがまったくの未使用デッドストックものでした。よくもまあ50年近くもこのようなものを放置していたものですが、新しい双眼鏡独特のグリスと貼り革のにおいがまったく失われていないのは驚きでした。まあ今のプラスチック双眼鏡はこのような匂いはしないのでしょうが。
 昔の水筒の蓋みたいなコンパスが付いた飯盒型ケースはボール紙芯に豚革張りの黒ケースで双眼鏡のストラップも黒の豚革製です。さほどちゃちな感じではありませんでした。

 肝心な双眼鏡本体の出来ですが割ときれいに筐体内部も黒塗りされていてプリズムの側面塗装はないもののプリズム面にもしっかりコーティングされているようです。そのためか板橋輸出用双眼鏡の中にあっては内面反射が少ないことを反映してシングルコートレンズにもかかわらず非常に視界が明るくて結像もシャープで見やすい双眼鏡に仕上がっています。昭和48年1月購入のビクセン7x50をはるかにしのぐ位の見え方ですが、そのビクセンの双眼鏡は筐体内部が反射防止の塗装が施されておらず、その違いが影響しているみたいです。

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July 10, 2018

AIKO STANDARD 7x50mm 7.1° Zタイプ双眼鏡

Dvc00972 AIKO STANDARDというおそらくは昭和40年代半ば過ぎくらいの7x50mmZタイプの双眼鏡です。製造元が気になって100円で落札した双眼鏡です。
 この双眼鏡、おそらくは板橋の輸出双眼鏡組み立て業者の手になるものには間違いないのでしょうが、手がかりがまるでありません。
 AIKOだから愛知光学とか相模光学とかそいういう線で探したのですが、見当はずれのようでした。プリズムの曇りを取り除くために対物筒を外してみると筐体内部にJ-78という陽刻があります.。
これが組み立て業者コードだとする根拠は薄いのですが、これが輸出組み立て業者は板橋の富士見町にあった栗林光学製作所という会社のものだということになります。

 この栗林光学製作所というのはペトリブランドの大衆向けカメラを作っていた栗林写真機工業とはまったく異なる板橋の四畳半メーカーです。ペトリの栗林写真機工業が明治時代末の創業なのに対し、こちら栗林光学は戦後の昭和28年の創業で、歴史自体がまったく異なります。板橋区の富士見町に会社を構えていたようなのですが、その規模というのもほんの数人という典型的な板橋輸出双眼鏡組み立て業者だったようです。この栗林光学製作所は残っていないようですが、カメラの栗林写真機製作所も昭和51年のキャノンAE1ショックで売り上げを低下させ、カメラの電子化の勢いについていけず昭和53年に倒産。以後組合管理でコンパクトカメラなどを製造していたものの、これもオートフォーカスの波について行けずカメラの製造を中止し、そのまま消えたのかと思いきや現在は埼玉の杉戸で双眼鏡組み立てをやっているそうです。
 これもまた同じ栗林を名乗るメーカーの不思議な取り合わせです。
Dvc00971_3 このAIKO STANDARD 7x50mmですが、つくりは可も不可もないノバータイプのCF双眼鏡です。モノコートのレンズにノーコートのBK7プリズムを持つこの双眼鏡は筐体内部も黒染めで見た感じもマルチコートの双眼鏡と比べると視野も暗く、像の先鋭度もコントラストも良くはありません。同時代に購入したビクセンの7x50mmのほうがはるかに良く見えるような気がしますが、それなりにまったく使えない双眼鏡ではないようです。

 それにしても栗林光学製作所の製品というのは確証がもてないままで何かもやもやした気分が抜けないのですが、日本でもアメリカでもWEB上にも殆ど画像さえ出回っていないことからしてどうも余剰品もしくは倒産品を換金目的でどこかが横流しした双眼鏡という可能性も捨て切れません。
 知られたメーカーの名前をそのまま流すと足が付くので、それらしいまったく知られていない名前をわざわざつけて出荷した。その当事者の奥さんの名前がアイコだったなんてオチがあるのかもしれません(笑)

 ただ、時代が遡った戦時中、補助的に13年制式双眼鏡を作っていたらしい興亜光機という会社があったらしくそこの双眼鏡の商標がAIKOだったようです。この興亜光機に関しては製品は残っているものの何ら情報は得られませんでした。

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July 08, 2018

Simor 7x35mm 10°Zタイプ双眼鏡(日吉光学)

Dvc00974 SIMORというまったく見たことも聞いたこともないブランドの双眼鏡ですが、輸出製造業者コードのJ-B207が打たれていましたので、これは日吉光学が製造したものでしょう。ただ、J-B207はアポロン光機、常陸光学がそれぞれ同一のコードを持っていて、さらに日吉光学もJ-B56を持っていますので、あとから日吉光学に統合されたのちもこのコードを使い続けていたということなのか、その辺りの経緯は不明です。
 SIMORが何を意味するかはわかりませんが、少なくともシムールと読ませる仏語ではないようです。もしかしたら東京光学機械を中心とした双眼鏡組み立ての中心地である板橋の志村をもじったのではないかと思ってしまいます。

 視角が10°という広角双眼鏡ですが、対物レンズ径30mmクラスの双眼鏡だと8.5°クラスが無理のない性能限界です。こちらは対物レンズ径35mmと若干広げて倍率を7倍に落とし、視角10°という広角双眼鏡にしたものです。
 ニコンにも昔から7x35mmという双眼鏡があり、当方も25年前に普段使い用にマルチコートのニコン7x35mmを新品購入したのですが、こちらはNEWノバーやトロピカルと同じ視角7.3°でしかありません。

年代的には昭和30年代末から昭和40年代初めくらいの製品のようで、ケースは豚革貼りボール紙芯の飯盒型ケース。本体ストラップも豚革製です。Dvc00973  これより年代が少しでも下るとケースはさらにコストダウンされ、ビニール製ボシェット型もしくはビニール貼りボール紙芯の四角いケースになるようです。双眼鏡よりも高級な光学製品の一眼レフでさえもケースは後々合成皮革製になって、今になっては経年劣化でひび割れて粉が吹いています。
 
 当初、製造メーカーが特定できなかったときには、板橋の無名双眼鏡にしてはなかなかのつくりだと思って感心していたのですが、あとから日吉光学の製品とわかってなんとなく納得しました。自社で光学系の設計能力を持たず、昔ながらの板橋クオリティーの双眼鏡を作り続けていたのだったらNIKONやVixenの高級機を初めとした世界中の著名光学メーカーの双眼鏡OEMメーカーとして現在も存続出来たがどうかはわかりません。

 中の反射防止塗装も手抜きはありませんし、プリズム側面の迷光防止の黒塗りこそありませんが、対物筒の遮光筒も当然のこと備えています。
 ニコンのマルチコートの7X35mmと比べるのはいささか酷なのですが、さすがにニコンのほうは視野が明るくクリアなのに対してこちらは視野が若干暗く、視界が広くて気持ちがいいのですが解像力およびシャープネスは物足りません。また視野周辺部はさすがに像がかなりゆがみます。
 視野が広い利点としては動きのある物体を捕らえるような用途には適しているかもしれません。

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July 07, 2018

CLEAR 8x30mm 9°Zタイプ双眼鏡

Dvc00967 大阪の光学製品販売卸の会社、クリアー光学のブランド名がついた双眼鏡です。
クリアー光学の設立は昭和51年とのことですので、それ以降に作られた双眼鏡であることは確かですが、当時急激な円高やオイルショックを経過してもまだ残っていた双眼鏡組み立てメーカーというのは何社くらいだったのでしょう。
 その円高・オイルショックを乗り切った国内メーカーのOEM商品です。

 光学製品卸専門会社で大阪にかつてあった会社にプリンス光学という会社があり、各地のデパートを中心に天体望遠鏡や顕微鏡の児童用普及機種を卸していた会社でしたが普及品のOEMゆえにその情報はネット上にもほとんど残っていません。デパートに口座を持っていたくらいの会社ですからそれなりに歴史も信用もある会社だったのでしょう。当方、小学校1年のときにデパートで買ってもらった顕微鏡がこのプリンスの商標がついた150倍の単眼顕微鏡で、形は本格的な顕微鏡ながら見え方は最悪。何か自分のまつ毛ばかり見えていたような記憶があります。
 Dvc00968 このクリアー光学ブランドの8x30mmの双眼鏡ですが、昭和50年代の双眼鏡のためか旧態依然の7.5°という視野から広角の9°の視野の双眼鏡になっています。確かに実視界は広いのですが、周辺像は当然のことゆがみ、中心部も周辺部も解像度とコントラストもあまり良くはありません
 対物レンズの遮光筒も省略され、内部の仕上げも半光沢の鍍金処理のようです。またプリズム表面はコーティングされていないような。このような仕上げの双眼鏡ですから所詮コストダウンの産物というような気がします。

 ところで、このクリアー8x30mmはアストロ光学の7x50mmにそっくりなのです。デザインもそうなのですが、貼り革が色も含めて同一の格子模様のもの。ピントリングのデザインだけ異なりますが、もしかしたらアストロ光学の双眼鏡同様にパルス光学の製品でしょうか?ただ、昭和50年代に突入してからの双眼鏡のため、双眼鏡のどこにも輸出業者コードの痕跡もありません。そのため、この双眼鏡を実際に組み立てた会社がどこなのか、特定する証拠はありませんでした。

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アストロ光学 7x50mm 7.1°Zタイプ双眼鏡

Dvc00963 アストロ光学の7x50mm 7.1度のZタイプ双眼鏡です
 アストロ光学というと現在は天体望遠鏡製造から撤退して、天体望遠鏡設置のためのドームなどの建設に特化した会社になってしまいましたが、もともとは五藤光学から独立した天体望遠鏡のメーカーでした。
 われわれ、小中学生を過ごした昭和40年代ではアストロ光学製の天体望遠鏡というと価格的にはニコンには及びもしないながらも我々の手が伸びるものではなく、アストロ製天体望遠鏡は買えない小中学生が最初に買ったのはケンコー、カートン、ビクセン、エイコーあたりだったでしょうか。そのうちミザールが10cmの反射赤道儀でヒットを飛ばし、高橋製作所がセミアポの屈折赤道儀を皮切りに業界を席巻していったのにつれて、アストロ光学の相対的な価値は低下していったような気がしますが、アストロ光学としてはアマチュア用というのは主力として力をいれていたわけではなく、どうも主軸を学校や公共機関の天文観測施設納入のほうにしていたような感じがありました。

 そのアストロ光学ですが、各天体望遠鏡メーカーと同じく自社ブランドの双眼鏡をリリースしていましたが、天体望遠鏡と異なり自社製造ではなく、外部委託で調達していたようです。価格的にもビクセンやカートンの同タイプの双眼鏡と比べると数千円高かったような気がします。アストロ光学にしても双眼鏡は天体望遠鏡メーカーとして他のメーカーの双眼鏡を買ってくれとも言えず、とりあえずOEMで調達したというだけで、販売にも力が入っていないようでした。
 そのためか、アストロ光学の双眼鏡に関してはWEB上にもほとんど情報がありません。断片的に拾った画像から見ると基本的なパーツ構成は同一ながら、貼革が黒の革シボタイプのものと、今回のややグレーがかった格子状の貼革、まるで30年代のオリンパスペンの貼革のような2種類が存在するようです。これどちらが新しいのかはわかりませんが、特殊なオリンパスペンタイプの貼革が調達できなくなって通常の黒革シボタイプに変更されたのでしょうか?
Dvc00962  今回入手したアストロ光学7x50mmの視野7.1度双眼鏡は多くの板橋製双眼鏡がそうであったように、旧軍の7x50mm双眼鏡の設計をそのまま踏襲するものです。全レンズおよび全プリズム面にコーティングされたフルコーティングの双眼鏡ですが、特別な光学ガラスなどを使用するようなものではありません。
 鏡体内部のつや消し塗装が省略されているためかコントラストはさほどよいわけではなく、また像も真ん中はそこそこなものの周辺部にいくに従って悪化していく感じです。どうもアストロ光学の名前を付すには物足りない双眼鏡ですが、J-B230というメーカーコードが残っていて、それによるとどうやらパルス光学という会社で委託製造されたものらしいことがわかりました。
 このパルス光学、後発だったこともあり情報が少なすぎてどういう規模のメーカーなのかも判然としませんが、手元にあるCLEARというブランドの8x30mmの双眼鏡が作りや使用している貼り革まで同一なので、おそらくはこのCLEARという双眼鏡もパルス光学製なのかもしれません。
 Dvc00961 アマチュア向きも製造している天体望遠鏡メーカーは双眼鏡は添え物みたいなもので当時自社製造していたのは日本光学ともともとは双眼鏡が主力のビクセンくらいなもので、光学総合商社のケンコー、エイコー、カートンは仕入れメーカーが発注のたびに異なる外部調達のようです。
アストロブランドの双眼鏡も外部発注ですが、どうしてもアストロではなくてはいけないというような指名買いというケースは少なかったようで、世に残っている数がけっこう少なく、もしかしたら一種類につきロット200から300位の発注単位で一回の発注をこなしていたのかもしれません。また、アストロ光学名での双眼鏡輸出は皆無でしょうからすべて国内向けということになります。

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