誕生日が美空ひばりの命日に(T_T)
実は24日は私の誕生日です。同じ日に生まれた有名人というと、ギターのジェフ・ベックが6月24日生まれということはエレキギター小僧の時から知っていましたが、ネット検索が簡単になって6月24日生まれの有名人を捜してみると出てくるわ出てくるわ。アンブローズ・ビアス って「悪魔の事典」の作者ですな。ピート・ハミルというと、「幸福の黄色いハンカチ」の脚本の元になった詩人。与那嶺 要氏というと日系2世の巨人軍選手で、中日の監督時代巨人の9連覇を阻んだ監督。エリスン・オニヅカ氏というとスペースシャトルの発射事故で亡くなった鬼塚大佐です。上甲 正典氏って地元苫小牧駒沢高校と昨年甲子園決勝で死闘を演じた愛媛斉美学園の上甲監督ですな?ナポレオンズのパルト小石 も作詞家の康 珍化も6月24日生まれか?清水 圭、おやおやちょうど2年違いで同じ誕生日やん(笑)野々村 真?こいつと同じ誕生日とは、ちょっとショックだぞ(^_^;) 中井 広恵というと同郷の女流棋士。サッカーの中村 俊輔、これは何となく自慢できそうだけど、19歳違いだよ。ということで、いままでジェフ・ベックしか知りませんでしたが、改めて顔ぶれを見渡すと、ちょっとクセのありそうな人間が揃っているではありませんか。とりあえず6月24日生まれのみなさん、お誕生日おめでとうございます。
ところで、私を含め6月24日生まれの皆さんは、そのおめでたいバースデーが、ある日を境にある有名人が亡くなったことによってそれ以後「命日」と呼ばれるようになりました。これは私にとっても誕生日が命日と呼ばれることに大変ショックを受けました。その有名人というのが美空ひばりだったのです。忘れもしない1989年の6月24日。その日確か土曜か日曜で会社が休みだったために、節目の誕生日にこれから一生残っていくような記念品を買いに出掛け、前から目を付けていたライカのIIIgというその時すでに御歳32歳のクラシックなカメラを購入しました。その足で下北沢の馴染みの店に飲みに行って、それだけで誕生日が終わってしまったんですが、午後からかなり強いにわか雨に見舞われた雨の東京となりました。家に帰ってラジオか何かで美空ひばりが亡くなったことを知りましたが、その意味することがその時は深く飲み込めていませんでした。その日を境に6月24日を迎えるたび、マスコミでは「美空ひばりさんの○回目の命日」って報道されるようになったのです。これからも一生、更に私が死んでからも後に至るまで、6月24日が「美空ひばりの命日」という言われ方以外に変わることは無いのでしょうね(T_T)
さて、6月24日は6mが午前中から昼に至るまで、8エリアでは九州から山口あたりまでがスポット的に開いたようです。宮崎ビーコンは朝から強力に聞こえてましたので、出がけにちょっとだけ50.175近辺でCQをかけると鹿児島県姶良郡、熊本県天草郡、福岡県宗像市からコールバックをいただきました。九州の末端部分から開け出すのは割とレギュラーなEスポの開き方ですけど、こういう開き方をし始めるともうEスポも盛りを過ぎて終わりの方向に向かいつつあるというような感じがします。昨年のログを引っ張り出すと、10時台から14時過ぎまで大オープンしており、10時台には8エリアのこちらから7エリア釜石と平泉町が近距離Eスポで開くなど、なかなか素晴らしい電波伝搬状況に遭遇したのですが、今年は夏至の前後に至ってもちょっと寂しいですね。6mよりも21メガの方が広範囲に開いていて、けっこう楽しめるような様子でした。夕方からは昨日同様にハイバンドは全くダメ。わずかに21メガで厚木のアンリツのAMCがCQかけているのをスキャッタで聞いただけです。6mも夕方からは宮崎ビーコンさえ聞こえなくなりました。そういえば最近、宮崎大学のビーコンが送出定形文を入れ換えたみたいで、ちょっと長い文章に変わったみたいです。なんかこれからの上級試験の通信術練習用に2分で50文字くらいの送信に気を利かせて変えたのでしょうか?そういう意図だったら宮崎大AMCあっぱれ!でもいつから変わったのか気が付かなかったけど結局いつから?
ちょっとピントが甘いんですが、これが節目の誕生日の記念品のはずが、美空ひばりの死去した日に重なってしまったMYライカIIIgです。あとからSBLOOとズミクロン35mm/f2.0のスクリューマウントをおごり、さらに極めつけはエルマリート90mm/f2.8のスクリューマウントレンズを備え付けました。なにせIIIgはファインダーにパララックスが補正される90mmのフレームが出ているんですから90mmのレンズを使わないと勿体ない。特にスクリューのエルマリート90mmを持っていないのは「正宗を持っていない大名家」みたいなもので、IIIg使いの人は1本は欲しかったもの。その他IIIg時代にM用レンズをベースに新たにスクリューマウントとして作られたレンズに固定鏡胴のズミクロン50mm/f2.0があったんですけど、その希少性もさることながら30万近い値段に恐れをなして、結局入手出来ませんでしたね。標準レンズはカラーバランスに優れて描写に潤いのあるキャノン50mm/f1.8を使うことがありましたが、ライカボディにライカでないレンズを使うことは「げだう」なんだとか(^_^;)でもレオタックル用トプコール50mm/f2.0とかフジノン50mm/f2.0なんかもいいレンズでした。タナックのタナー50mm/f1.9はちょっとコントラストの甘いレンズだったな。黒はちまきニッコール50mm/f2.0のスクリューはもう設計が古すぎて、良いレンズとは言えませんでしたが、ニッコール35mm/f1.8スクリューはその希少性もさることながら、描写・カラーバランスも現代出来のレンズにひけをとりませんでした。売り払って引っ越し費用に化けましたが。
このカメラ、ミノルタCLEと共に何回も外国その他、旅をしてきましたが、ここ7年くらいはずっと防湿庫の肥やし状態になってます。そういえばライカビットを持っていたのですが、このカメラのシャッター幕交換に出してからふんどしの長さの微妙な違いでライカビット1回の動作でシャッターが巻き上げられなくなり。面倒くさくなってオークションに出したら福岡の人に落札され、三味線の皮の張り替え代に化けてしまいました(笑)
実は実家にあった唯一のカメラがミノルタのモデルIIIという似たようなフォーカルプレーンレンジファインダーカメラで、子供の頃そのカメラでさんざん蒸気機関車、あまつさえニセコ1号C62の2号機なんかも撮影しましたので、この手のカメラにはまったく違和感がありませんでした。しかし、このカメラは宮部甫さんの手によるものだったか、ライカを脱却して裏蓋開閉式だったわ距離計ファインダー一体式だったわで、底ブタ式のライカとは操作感の異なるものでしたが。ライカ本家の底ブタ式のフイルム装填は慣れないうちはフイルムの装填に苦労しました。常にフイルムをカットするために鋏の付いた小型のスイスアーミーナイフを持ち歩いてましたが、後にはテレホンカードをフイルムレールと圧板の間に靴べら代わりに差し込んで、一発装填可能となりました。まあ、バルナック型であり、底ブタ式なのに圧板がヒンジで横に開閉するニッカ5型なんかは確かにフイルム装填は楽でしたが、その分分厚くなって持った感触が悪くなりました。
ライカIIIgの良いところは、IIIfやM3・M2は常にジャーナリズムの最前線で実用品として使い尽くされてきたのに比べて、まったくそのような使い方はされずに常に趣味的に愛用されてきた非実用品というところではないでしょうか?唯一の例外は黒塗りのスウェーデン軍用スリークラウンのIIIgです。
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Comments
IIIgとは渋いですね。私はM6の出番が減ったので売ってしまいました。父親の形見のキヤノンVLはまだありますが、シャッター速度がちゃんとしているかどうか、ちょっと不安です。
Posted by: 秋山 | June 27, 2005 01:13 PM