天野滋、「さようなら」で旅立つ
天野滋の訃報が流れました。実は3日にNHKのBSで「おーい日本、今日はとことん岩手県」が放送されて、そういえば一ノ関出身の天野滋のことを思いだしていたのですが、そのときすでに帰らぬ人になっていて、おそらく近親の方の間で葬儀がおなわれていたであろうことを本日知ったのですから皮肉な物です。
天野滋と言えば、我々中学生時代の末期に井上陽水に代わりフォーク小僧の間の神様的存在であったNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)のリーダーで、クラスの男女を問わず全員が「夕暮れ時はさびしそう…」の大合唱を行うというおぞましい風景を何回も見ております。こちらはフォークブームのムーヴメントに反発したい一心でハードロックしかやりませんでしたが、NSPのレコードもテープも持っていないのにもかかわらず、NSPライブの中のMC「一ノ関にはこんなでっけぇスズメがいてよ」とか「納豆・空豆・ピーナッツ」なんていうのは台詞は30年経っても覚えているんですから、一種のすり込みですな(^_^;)
NSP活動中から他のアーティストに作詞家として作品を提供していたらしく、NSPメンバーがポニーキャニオンのディレクタに転身した関係か、ポニキャニのアイドル関係の楽曲に多数作品を提供しておりました。それも鳴り物入りのデビュー曲などというものは全くなく、ちょっとそのアイドルが勢いを失い掛けた3曲目に、秋本康と後藤次利コンビが手を引いてしまったような、そういう「会社としてはセールス的にどうでもよい」ようなレコードやCDに顔を出すのが常で、世間的にはまったく知られていないような作品が多いようです。ところが、そういう作品でもしっかり「天野ワールド」が出来上がっているんですねぇ。
個人的に天野滋の作品を再認識したのは95年くらいの「メロディー」というアイドル3人組のアルバムに作詞者としてその名前を見つけた事でした。当時のニフティのアイドル系パティオに「メロディごときに天野滋の作品なんざ10年早い」なんて書き込んだらメロディ・ヲタから「そんなこと言わんでくれ」なんて泣き言がはいりましたけどね(笑)でもアルバム中の「ねぇ、ダーリン!」という曲が大好きになり、中年のおっさんがこういう若いカップルの、悪く言えば青くさい青春の1ページの心象描写がなぜ書けるのか感心しました。とてもわたくしにはマネできません。さすがは「外づらを良くしようと虚勢は張るが、内向的で性格が暗い」なんて言われることのある南部人の天野滋、強いて言えばそれを代表する宮沢賢治のような人たちにしか出来ない仕事なのかもしれません。NHKのフォーク大集合で、再結成後のNSPを何回か見ましたが、白糠で倒れ、釧路で客死した高田渡のように、その姿が永遠に見られなくなるのは残念です。あの曲どおり「さ〜よ〜なら〜」で天野滋は彼岸に旅立ちました。
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