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August 09, 2005

スピグラなんてどうでしょう?

 カメラというものはまったくアマチュアの世界でしか使われないものが殆どで、プロ用と言われるカメラの中にもアマチュア用とプロ用という垣根は殆ど無くなってしまったように思われますが、このカメラだけはその終焉までアマチュアに手にされることが無く、言うなれば「プロのための道具としてその使命を負えた」希有な存在だったと思います。さらにこのカメラは、毎日新聞社の長尾靖カメラマンが捉えた社会党委員長浅沼稲次郎の刺殺の映像を始め、多くのピューリッツァー賞に輝く映像を残しました。そのカメラこそ数多くの35mmフィルムカメラが機動性を生かして広くプレス関係で使用される以前、プレスカメラマンの象徴として世界各国の新聞社や通信社で使用されたスピードグラフィック、通称「スピグラ」です。日本では戦後、進駐軍によってもたらされ、その軍用スピグラを手に入れるために、各新聞社とも「夜中に基地の塀からロープで吊してもらい、やっと1台手に入れた」というような、いまでは笑い話のような涙ぐましい努力で手に入れたとのこと。以後、報道系カメラマンの象徴として、事件現場でもこのスピグラを抱えていると、警察の阻止線でもお構いなしに自由に出入りできたというような、大変なカメラだったことがありました。30年代からは逐次日本製の35mmカメラに取って変わられ、とくにニコンFとモータードライブの組合せにとどめを刺された感じになりましたが、一部昭和40年代半ばまで新聞社で使われていたと思います。特に昔の大相撲は今のように相撲協会の専属カメラマンから各新聞社が写真の配信を受けるわけではなくて、各新聞社がそれぞれ砂かぶりにスピグラを構えた新聞記者を配して写真を撮っていたのをご記憶の方も多いのではないでしょうか?このスピードグラフィックは使用するフイルムのサイズによって色々と種類がありますが、圧倒的に使われたのが4×5(しのご)のシートフイルムを使用するスピグラです。最近では手札判とか名刺判とかのオフサイズのフイルムの入手が困難ですが、4×5のシートフイルムだと、未だに入手には苦労しません。ただし、当時使用されていたパックフイルムというベースの薄いスピードローディングが可能なフイルムパックが姿を消して25年経ちますので、速写するためには「グラフマチック」というシートフイルムを6枚セットできる特別なフイルムパックを使わないといけません。でも今時、高い4×5のフィルムを速写しようなんて人はいないでしょうが。また、スピードグラフィックにはピントグラスの前にフォーカルプレーンシャッター幕が付いており、大型のために幕速はさほど早くないのですが、最高1/1000まで露光できるんだったかな?35mmのセルフキャッピング(こんな言葉、知ってるかな?)のシャッターと違って、幕にスリットが切っているだけなので、基本的に35mmカメラと扱いが違いますが、大型カメラで唯一高速シャッターが切れるカメラのため、特殊用途、学術用途でも使われた用です。もう少し開口部が大きければ、シャッター内蔵以前の古典大型レンズをソルトン無しに使うことが出来るんですけどねぇ(^_^;)
 そういえば、戦後はレンズシャッターの精度も向上し、フォーカルプレーンシャッターもあまり使われなくなったために、クラウングラフィックというフォーカルプレーンシャッターを省略し、レンズシャッターのみのモデルも通称「スピグラ」などといわれますが、フォーカルプレーンシャッターを省略したために軽量化されたのはいいものの、あくまでもクラウングラフィックであって、スピードグラフィックじゃありませんから食指が動きませんでした(笑)もっともスピードグラフィックが製造中止になったあとも2年くらいクラウングラフィックの方が長生きしたようですが。
 写真のスピグラはグラフレックスの全盛期である戦後から昭和29年にかけての製品で、カラートの距離計が縦に付いているタイプです。昭和29年に距離計横置きでフレームファインダーがワイヤーのタイプにモデルチェンジしましたので、あえて「旧型スピグラ」などといわれることもありますが、スピグラがプレス系カメラの王座にあったときの製品らしく、工作、品質とも出来は一番良いのではないでしょうか?報道系のスピグラは広角系のエクター127mmが付いていることが多いのですが、このカメラは珍しくエクター150mmf4.5が付いていました。アイオワのタイル工場の備品として長く使われてきたらしく、フードやガン、フードを介して装着するコダックラッテンフィルター、それに6×9のブローニーフィルムを使うためのウォーレンサック90mmレンズがそのまま一式揃っていましたが、ロールフィルムホルダーが欠品でした。本体は木製で、金属フレームで補強され、上質の獣皮で覆われていますが、50年以上経っても未だに皮の匂いが漂うような上質な細工で、最近のすぐに剥がれてしまうようなリンホフ・マスターテヒニカとは比べようもありません。シャッターはフラッシュにシンクロし、連動するソレノイドで切ることが出来るようになっており、大ガイドナンバーのフラッシュキューブを使ってレンズを絞って撮影することにより、シャープなネガを得られるようなそういう使い方をしたようです。本体左のボタンを押すと前蓋がぱたんと開き、その際レンズを引き出すときに10フィートとなるように自動的にセットされるのが優れた機構です。また、あえて大きな4×5が多く使われた理由は、4×5画面の一部を大延ばしすることによって望遠で捕らえたようなネガを得るための4×5だったようで、これはニコンFと望遠レンズの組合せに取って代わられたことがスピグラの報道第一線からの引退を決定づけたようです。
 リンホフに比べると、あおりの機能が「あおりが出来るという程度」のために、基本的に物取りに適するカメラではなく、もっぱらその軽さを生かすためにロケーションフォトに特化したカメラといえるかもしれません。特に車を使わずに手持ちで移動できる4×5のカメラとしてはスピグラの重さが限界ではないでしょうか?グラフマチックを3個くらい一緒に持ち歩くと、けっこう無敵かもしれません。もっともロケではフィルムコストがリーズナブルな6×9判のGSW-690ばかり使ってましたけどね(^_^;)でも、デジタルカメラの台頭で、富士は中判カメラの生産を止めてしまうし、札幌のヨドバシカメラに出掛けても、カメラ売り場は2階の片隅に追いやられ、感光材料も以前の半分以下、4×5のシートフィルムも富士のリバーサルしか在庫していないとはどういうことでしょう?そういえば一度も使っていないジョボの4×5用デーライト現像タンクがあるはずだから、じっくり4×5モノクロの写真でも撮ってみましょうか(笑)しかし、4×5を引き延ばせないのもつまりませんが、実はスピグラ本体を簡易引き延ばし器に変えてしまうライトとコンデンサのハウジングキットがあったんだそうです(@_@) こういうことは35mmカメラでは考えられないようなシステムですね。確かミランダのオリオン光機で作ったとかいう話を聞いたような聞かないような…
SPIGRA


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