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August 29, 2005

2m無変調局を探せ!

 調整して周波数のアップダウンがスムースに行くようになったIC-290は、その後メインチャンネル付けっぱなしでも周波数がダウンする症状も現れずにまともに作動しているようです。望むべくは入手当初から感度が若干落ちているようなので、RF段の調整をしたいところですが、回路図的には調整ポイントがよくわかりません。何ともいい加減に省略したような回路図で、部品の交換もままならないような回路図ですけど、モービル機なんてみなこんなようなものだったでしょうか?適当に、とはいってもちゃんとねらいを定めたトリマーを回して元に戻したら、若干感度が鋭くなったような。こういう古い機械はトリマーコンデンサの接触不良ということがよくあるようです。ということで、久しぶりに毎晩2mのメインチャンネルを着けっぱなしにしてますが、相変わらず静かなもので、たまにアンカバのトラック同士がメインと気が付かずに(というか、メインの存在も知らないんでしょうか?)交信しあっているのが聞こえたりしますが、それに注意するアマチュア局もいません。
 支部役員会討議事項に「2mの活性化」という提言を盛り込み、支部大会に提案しました。というのも、4アマ養成講習を受けて従免を取得したニューカマー局は殆ど2mと430の2波で開局しますが、2mにアマチュア局が殆ど出ていない状況なので、トラックの仲間同士でしか会話しない局を除いて交信する相手がまったくいないという現象がずっと続いており、局免取っても殆ど波を出さないうちにQRTしてしまうということで、ニューカマー局が入ってこられるようになるべく支部会員にあっては2mで積極的に波を出してもらいたいというそういう提言を行ったのでした。2mバンド内を多くのアマチュア局が使用することによって、強いては違法局を締め出すなどという理想論をぶち挙げたものの、相変わらずメインチャンネルが静かな夜が続いています。言い出しっぺが実行しないんですから仕方がない(^_^;)
 ところで、その静かなメインチャンネルでどうしたことが28日の夜9時過ぎにかなり長い時間無変調が流れました。なんか最初はBGNを拾って明らかに部屋の中でごぞごぞする音が聞こえ、それからその無変調の主がシャックを離れたのか、まったく変調もなく静かになりましたので、イタズラではなく、PTTが押しっぱなしになっているのに気が付かない固定局のようでした。往年のヤエスの固定機なんかで使われたプリモのスタンドマイクは、底にPTTスイッチがあって、マイクを持ち上げるとPTTが掛かった状態になるので、間違って倒して無変調が出っぱなしになるということがよくあったそうですが、いまだにこんなマイクを、しかも2mの機械に使っている人間はいないでしょう。違法CBみたいにロックマイクを使っているわけでもなさそうです。よくこういう無変調が出ると怒鳴る人間がいますが、シンプレックスで相手が電波を出しているときに怒鳴っても相手が聞こえるわけがありません。それを知ってのことか、日曜の夜は誰もメインを聴いていないからか、無変調は出続けてます。30分以上もそのままだったので、煩わしくなってリグのスイッチを切ってしまいました。誰が無変調を出しっぱなしにしていたのか、なぜそうなってしまったのか訳が知りたいところですが、その術がありません(笑)
 この話は今から35年ほど以前の我が町での2mにおける話ですから、当然わたくしは免許などもっておりませんが、1総通・一陸技まで取得した友人のNFKが小学5年で電話級を取得していて、当時まだ2m運用局がさほど多くなかったときの話としてしてくれた「無変調局ハンティング」事件についてです。当時の無線事情としては、2mのトランシーバーはすべて必要なチャンネルのクリスタルを購入しなければいけなかった時代で、無線機の価格に比べてクリスタルがけっこう高く、お小遣いが貯まるたびに無線機屋に自転車を飛ばしてクリスタルを購入し、チャンネルを増やしていったが、それでも4チャンネルくらいしか出られるチャンネルがなかったとのこと。高校時代にヤツの無線機を見せてもらったことがありましたが、確かトリオのTR-2200とかそういう型番だったような。まだメインチャンネルが145.00でなく、ナロー化もされていない時代のことでした。まあ、その時代から夜な夜な出てくる常連のようなものがあって、同じ市内の人間同士なんでコールサインの後に「何々町」と付けるのが一般的なんだけど、1人コールサインの後に「○○町はネオン街」と必ず名乗るのが1人いたそうな。そのネオン街か誰かはわからないんだけど、誰かがメインチャンネルで無変調出したまま寝てしまって、イビキが聞こえるという始末らしくて、当時のこととてみんなチャンネル数は少ないし、リグも連続送信にどれだけ耐えられるかわからんということで、やれどこが怪しいとか車出せとか固定局とモービル局が連携取り合って、臨時のフォックスハンティングが始まったそうな(^_^;) そんで20分くらい経ってから、そのイビキかいて寝てしまい、メインを塞いだ局から「どうもすまん」というわびの通報が入ったという、その顛末を楽しみにタヌキしていた小学5年がいたんですから我が町の無線事情も今よりぜんぜん潤いがあったような雰囲気ですね(笑)少なくともトラック運転手の手に無線機が渡るような時代じゃありませんでしたし。

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August 27, 2005

24メガも終わりかな?

 8月も末になり、8エリアではお盆を過ぎれば秋風が吹くところが、今年は地元駒沢苫小牧高校の熱戦の影響か、いつまで経っても朝晩涼しくなる気配がありませんでした。やっとここ2-3日落ち着いたかと思ったら、今日はまた夏のような陽気です。でもこれが夏のなごりの最後の陽気でしょうか。
 電波の上では28日の地震によるハイバンドオープンから殆どとりたてて取り上げるようなオープンはありませんでした。本日も朝から昼にかけては21メガ以上のバンドは沈黙しておりましたので、兼ねてから周波数のアップダウンが効かなくなり、さらに周波数のロックが外れるIC-290の調整に入りました。このIC-290はトリオのTR-9000の対抗馬だったのでしょうか?TR-9000が「名機」などといわれるのに対してあまり存在感のない2mオールモードモービル機ですけど、この機械のおかげで2mがオールモード(AM抜き)の電波形式の割当を貰えているので、いくら2mでCWをやらなくとも捨てるわけにはいきません。回路図がありますので、それを見ていますが、殆どブラックボックスと化しているところが多くて、メーカー以外ではロータリーエンコーダーからPLLのユニットまではユーザーが手を加えられる部分がありません。この機械は入手直後からロータリーエンコーダが滑り気味だったために、いわゆるロータリーエンコーダーの回転をうまく検知できないのが主原因と考え、裏蓋を外し、エンコーダー近辺にあるトリマーを回して調整するだけで直ってしまいました(^_^;) これで気持ちよく指先一つでアップダウンが出来るようになりましたが、ロックが外れて周波数が下がる症状は、もう少し使ってみて症状が出てくるかどうか、コンサバに経過を観察(医者みたいですが)しなければいけません。
 13時過ぎに臨界周波数の上昇も見受けられないのにもかかわらず、21メガで6エリア北部から4エリア東部、24メガで鹿児島の南部が開いてました。24メガは姶良郡湧水町の移動局で、昨年、一昨年と別な周波数でQSOしていて今回で3回目の3バンドQSOということになりました。24メガも日本の中心部がスキップして鹿児島の末端以南しか聞こえない季節になりましたが、それもこれからは直接台湾あたりに電波が落ちることになりましょうか?6mと同じで24メガも今シーズン最後の交信だったかもしれません。

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August 24, 2005

Moogシンセとアマチュア無線の関わり

 ロバート・モーグ氏の訃報が流れました。彼が世の中に送り出したモーグ・シンセサイザーは初期のアナログシンセサイザーの傑作として、音楽に革命を起こしたことのみならず、現代のデジタルシンセサイザーをしても絶対にあの太い音が出せないという電子楽器の傑作、というよりテルミン同様に「人間の血の通ったアナログの楽器」を感じさせる最後のものだったように感じます。惜しむべくは、コルピッツ発振回路か何かわかりませんがアナログ発振回路であるVCOの発振周波数が安定しないためにチューニングが不安定ということで、その点では後発のARPオデュッセイに負けていましたが、ARP以上に多くのミュージシャンに愛されたのは、その欠点を押してあまりある独創的な音が自分で作ることができるということではないでしょうか。作曲家富田勲氏がミニムーグ以前の巨大なモジュラー型ムーグシンセサイザー(楽器の方はモーグというより昔からのムーグという言い方じゃないと気分が出ません)をアメリカから個人輸入する際、税関で楽器である事を信じて貰えず、ウォルターカルロス(性同一障害を克服してウエンディーという女性になりましたが)のスイッチト・オン・バッハというレコードを持っていって、やっと楽器として通関してもらったなどという話もありました。
 アナログシンセサイザーというのは、実はVCOで発信させた波をオペアンプで増幅し、色々なモジュレーションを掛けたりフィルターを通したりして波形を加工し、それで色々な音を出すのが基本なんですが、始めにこの構造を見て、なんか単純に無線機みたいだと考えました。それでどうやらロバート・モーグのシンセサイザー発想の基礎になったのは、どうも無線工学の素養があったからだと考え、実は彼はアマチュア無線家だったのではないかという一つの妄想があったのです。まあ、こういうつまらないことから大胆な仮説まで展開するのはわたくしの悪い癖ですが、そんなことは忘れ去っていて10年以上経った今になって、ロバート・モーグ氏の訃報が流れ、そういえば「モーグ氏はコールサイン持ちだったか否か」という疑問を思い出したというわけです。いままで出てきたシンセサイザー関係の文献には氏と無線工学を結びつける記述はなかったと思いますが、10年前と違って、今ではネットでキーワード検索すると、大抵の疑問に答えてくれる世の中になりました。それで英語で「ロバート・モーグ アマチュア無線」の2語で検索すると1997年にロバート・モーグ氏が受けたインタビューが掲載されてあるものがヒットし、それによると、「父親がアマチュア無線無線家で、子供の時に無線機の構造とかそういう無線工学を父親からたたき込まれた」という記述に行き当たりました。やっぱり当たらずとも外れてはいなかったようで、これで昔年の「アナログシンセと無線機の関係」の疑問が氷解しましたが、「ロバート・モーグ氏自信はコールサイン持ちでなかったのにも係わらず、子供の時からアマチュア無線家の父親に無線工学をたたき込まれて、後年それがアナログシンセの開発に繋がった」ということは疑いのない事実でした。後に無線機もシンセサイザーもアナログを脱してPLLを使用したデジタルシンセの時代になって行きますが、なかなかチューニングの安定しないアナログシンセや無線機もその存在価値は未だに失われていないようです。アマチュア無線界に「TS-520サウンド」が存在するように、やっぱり音楽業界には「ミニムーグの音」「プロフェット5の音」っていう定番サウンドが未だに存在するんですから。

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August 23, 2005

4アマ講習を2度受講

 実はわたくしは4アマ養成講習を2度受講しました。とはいっても99.9%不合格者のいない試験に落ちたわけでもなく、途中で受講するのがイヤになって棄権してしまい、次に再受講せざるを得なかったというわけではありません。先週金曜と土曜の夜に地元で開催された4アマ養成講習にオブザーバーとして特別に受講させてもらったのです。たった4年前に自分も同じ会場の席に座って受講していたものを、4年経ってまた同じ場所に戻ってくるのも不思議な感じですが、実は2人いる第1級アマチュア無線技士資格所持の講師のうち、無線工学に目覚めるきっかけを作ってくれた講師がもうお歳のために、そろそろ将来的な視野で講師の後釜としての勉強のため、もう一人の若い講師であるOMの講義ぶりを体験するための特別見学となったわけです。
 当日4年前に配られた養成講習教科書と試験問題集を持参していきますが、前回32名だった受講者が今回の講習は50名の定員一杯でした。それも事前に宣伝するまえに早々に予約で定員一杯になったそうで、それも殆どトラックドライバーで占められ、夏休みの小中学生が締め出しを食らったような格好です。というのも、電波検問での摘発の噂が広がり、不法開局罰金100万円に恐れをなしたトラックドライバーが現在の不法開局状況を合法化するべく近所のHAMショップに押し寄せたのが原因とか。4アマの講習にやってくるのにアンテナ立てた自家用車で乗り入れてくるんですから、「自動車の免許を取りに試験場へ自家用車で乗り付ける」みたいなものでしょうか?(笑)
 毎度の事ながら、書類関係の作成にまったく不慣れな人たちに免許申請書その他を作成させるのは時間が掛かり、20分遅れで法規の授業が始まりましたが、4年前の教科書や問題集と現在のものとは、電波形式の表記が国際標準に変わったことと、罰金が100万円と倍になっただけで、ページ数や順番もまったく変わっていません。頻繁に変わると受講する方は初めてだからわからないでしょうが、講義する方が混乱するからでしょうか?国際通信条約におけるアマチュア局の取扱も変化してきていて「他人の依頼の通信」の取扱や「10分に一度はコールサインを付して出所をはっきりする」などの表記も変わってくるはずですが、そうなると教科書も問題集も大幅改訂ですから「法規・無線工学それぞれ30問の出題パターンには関係ない」ということでしょうか?あと一つ、80条報告の取扱が教科書では「できる限り速やかに文書によって総合通信局長に報告しなければならない」と書かれています。これは修了試験には出ないので覚えなくてもいいという話でしたが、法律的には「総務省令で定める手続きにより総務大臣に報告する」であり、4アマ試験であろうと1アマ試験であろうと出題頻度ナンバーワンの問題で、4アマ完丸終了問題には「総務大臣が電波法に違反した無線局を確認したときにはどうするか」などという珍問題にまで発展してますから、この4アマ養成教科書の80条報告の取扱方法は実質はそうであっても「法規の問題」としては明らかな間違いです。こんな感じで重箱の隅をつつくような見方をすると、怪しい記述が何カ所かありました(^_^;)
 会場は建てられたのが昭和43年でしたから、最初から冷房の設備がありません。普通はお盆過ぎれば秋の風が吹き始めるのに、今年は20日過ぎても蒸し暑く、窓を開けなくては耐えられないような陽気が続いてましたが、蟻の巣別れの季節と重なったからか、窓を開けっ放しにすると灯火に寄せられて羽蟻が大量に飛来しました。蟻を除けながらの4アマ法規受講になりました(笑)

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August 22, 2005

有終の美

 昨日、思いがけず地震の影響による異常伝搬で、支部コンテストの最中にダメだと思っていた6mが大オープンして、30局以上と短時間で交信できたのは、これひとえに57年ぶりに夏の甲子園大会を2連覇した駒沢苫小牧へのお祝いなんて考えてしまいましたが、オープンの最中に彼らが千歳空港に帰ってきたのも何かの因縁でしょう。
 昨日の交信ではコンテストながら、駒苫2連覇の事を話さないわけにはいかず、レポート交換だけではなくけっこう皆さんとお話ししましたが、みなさんから口々におめでとうの言葉を頂きました。昨年「交信のネタ」という記事でも取り上げましたが、今年もしばらくは駒苫2連覇の話で全国各地の方と共通の話題で交信できるようです。ところで、昨日は地震震源地の周辺で電子密度が上がり、それが北に徐々に移動したためか、今までまったく繋がらなかった群馬の内陸部の富岡市、桐生市の局と初めて6mで繋がりました。他でもファーストQSOの方が殆どで、そうでなくとも昨年繋がったのに今年はまだ1度も繋がっていなかった方と何人も繋がりました。そういえば1局、空知の南幌町の移動局からグランドウエーブでコールバックをもらい、南固定ビームのためにバックで交信ということになりました。今年第一発目の交信が長沼町からのグランドウエーブバックでの交信だったために、最後もバックで締めたかなあと(笑)
 6mの伝搬も今後Eスポで繋がることも頻繁には無いと思いますが、何か最後になって有終の美を飾ったような形になり、心おきなく来シーズンの6m運用に期待を寄せられる気になりました。今年度は昨年度と違って、やっと自作の一番簡単なビームアンテナを上げることが出来ましたが、来年度はQRO並びに多エレアンテナの製作を目標にしましょうか。お金がかかるが、車の部品は壊れるし、三味線の皮は破けるし。持ち物のメンテナンスにいろいろ費用が掛かりすぎて、形で残る物がぜんぜん増えません(^_^;)

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August 21, 2005

胆振日高支部コンテストに参戦

 20日21時から21日21時まで胆振日高コンテストが開催されました。このコンテストに関しては、もはや各バンドに固定の参加者が1人ずついるだけで、競技としての意味がまったく無くなってしまったために、競技として成立するようにルールを改訂して来年度はもう少し管外からの参加者が増えるようにするということを、わたくしが提案し、支部総会で承認済です。ということで、旧態依然のルールによる最後のコンテストとして今回胆振日高コンテストが開催されましたが、相変わらず各バンドに1人ずつ専門の参加者がいて、他に参加者がいないためにその1人の参加者が優勝するというのが何年もの通例になってます。まあ、こんな感じでコンテストが始まりましたが、今年は悪いことに隣の渡島桧山支部が支部総会で、VHF,UHFの管外参加者の大票田を失い、HFでもハムフェア開催中ということで、今日はバンド内も幾分静かだったような感じがしました。いちおう、コンテストの参加人数を増やして盛り立てなければいけない立場になりましたので、14メガのシングルバンドで参戦することとし、8時40分くらいからCQ出すも、SSB帯では相変わらず交信中の声が聞こえているのにも係わらず、コールバックがまったくありません。結局昼過ぎまでCQを出し続けたのに、交信してコンテストナンバーを交換したのは10時台の3局のみというとんでもない成績でしたが、これというのも上級のみのバンドという宿命でしょうか?4大コンテストだったらこんなにコールバックがないことは考えられませんが、やっぱりコンテスト自体の知名度が問題でしょう。小田原の人に言われましたが、胆振日高コンテストの声は、他周波数をワッチしてもまったく聴かなかったそうです。そういえばHFシングルオペの管内参加者は去年もいなかったかな?(^_^;)
 ところが11時過ぎにまた新潟で大きな地震があり、そのために国分寺観測点におけるイオノグラム臨界周波数が昼過ぎから急上昇し、13時半くらいにそれに気が付くもなかなかこないだの宮城沖地震のように異常伝搬に繋がってくれません。宮崎ビーコンは559位で聞こえているんですが、なかなか6mのほうもSSBで聞こえてきませんでしたので、諦めて買い物に出掛けてしまいました。
 16時過ぎに6mをワッチすると、1エリアが局所的にEスポでメーター振りきりで入感してきます。慌ててコンテスト周波数に上がって、50.273でCQを出しますと、千葉県鴨川市から折り返しコールバックがあり、コンテストナンバーを交換してまず1局目を確保。次に茨城県鹿嶋市からコールバックがあったあとは横浜市、鎌倉市、千葉市、川崎市、厚木市と次々にコールがあり、14メガの時のようにまったく苦労することなく次々に得点を重ねます。さらに群馬の桐生市、愛知県の碧南市、長野市、小田原市、大阪箕面市などマルチを重ね、チャージの時間ぎりぎりまで粘って実質1時間半で32局をゲット。これだったら支部コンテストとしてもそれほど恥ずかしくないスコアを提出できます。こんな時に地震Eスポが出たことに気が付いた支部のコンテスト参加者が何人いたかわかりませんが、各周波数のスコア提出者が1人ずつしかいないような競技にならないコンテストなので、あわよくば「1位」獲得(今までの最高成績が北海道で3位・全国で7位)なんて欲が出ますけど、インターネットクラスタ見て、どうせ参加者がいないだろうからこれだけのスコアを出せば1位になれると思った昨年の6m and Down「ニューカマー部門」で完璧に目論見をうち砕いてくれた強敵GTE局が載っかっているのも見てしょぼーん。彼の最新型50W無線機と6エレのアンテナの組合せに、25年前のIC-551の10W無線機にトマトの支柱自作2エレHB9CVの組合せはもはやまったく勝負になりません。まあGTE局がコンテストに参加しているかどうかはわかりませんが、クラスタで見ると7エリアまで強力にGWを飛ばして交信していたようです。しかし、お互いにスコアを提出すれば、久しぶりに6mバンドに限っては、完璧に競技成立ですね(^_^;)

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August 18, 2005

3アマ養成講習各地で

 3アマ養成講習というと、現行では通信術の選抜試験に合格した4アマ所持者が電気通信術2時間、法規2時間、工学2時間の講習時間を経て国家試験と同じ25文字/分の2分間モールス受信の通信術と、法規・工学の筆記試験を経て合格者に3アマ従免が与えられたシステムでしたので、事前に選抜試験を受けるという課程を経なければ養成講習に進めないという点がネックになり、さらに修了試験で国家試験と同じ通信術試験を課されることからモールス聞き取りの訓練無しに養成講習に進むことさえ難しく、それだったら直接国家試験を受けた方が手間が掛からないということで開催回数も少なく、地方で開催されることも殆どありませんでした。
 ところが10月1日から無線従事者規則が改正になり、3アマ国家試験からも通信術が廃止されたことに伴って、3アマ養成講習からも事前の選抜試験が廃止され、4アマライセンス所持者なら誰でも受講できるようになりました。また、養成講習からも通信術の講義と修了試験が無くなり講習時間は法規が4時間、工学が2時間で、法規の中でモールスの基本的な知識を講義するという形に変更になりました。
 そのために10月2日の日曜日からさっそく地方でも3アマ講習会が雨後の竹の子のように次々と開催される予定になり、大体定員60名で募集するようですので、今年度後半は3アマ免許所持者が大量に輩出されるようです。我が町でもさっそく11月に3アマ養成講習が開催される予定ですが、これはわたくしが起草した「会員ライセンスの底上げを計ってアマチュア無線の活性化に繋げたい」との支部大会提言に沿った形になったものです。これは他支部に比べて当支部の会員構成が4アマに偏っていることから、暗に「資格を実運用に近づけるようにしろ」ということを言いたかったんですが。
 4アマを講習で取得し、10年以上運用していると、もう感覚が麻痺して実運用50Wであろうと100Wであろうと違法運用しているという感覚がなくなるようです。コンテストの時に平気で「M」の出力区分を送っている4アマ某氏がいるんですから困った物です。またクラブライセンスは50Wだから平気で50W運用して4アマなのに「M」を送っている某氏は「電波関連法規さえ殆どわかっていない」のではないかと思われるほどですが、こういうレベルの4アマ支部会員を3アマ養成講習で再教育するのはいいかもしれません。どうせ合法50Wが目的でCWなんぞ覚える気のない人が3アマ資格を買いにやってくるんでしょうから。でも実運用100Wに近づくには3アマ資格でもまだまだ遠いですねぇ(笑)
 しかしまあ、我が8エリアでは3アマの受験者が毎回3人から4人で、年間でも60人くらいしか増えない3アマなのに、1回開催される講習会で60人も3アマが輩出されるというのも、なんか3アマインフレを起こしそうで妙な感じです。3年前にわたくしが3アマライセンスを取った9月試験のときでも従免番号は26番でしたが、これからは地方エリアでも3アマ免許は4アマ並の3桁の番号にまで達しそうですし、45年間で15万人しか出来なかった旧電信級と3アマが1年で1万人くらいいきなり増殖しそうです。でもまあ、やっぱり14メガの割当が無くとも10W局免と50W局免の違いは大きいですが。実運用は無制限ワット級でも(^_^;)
 でも8エリアみたいに場所が広いところでは試験場の札幌まで出掛けるのに車で8時間などというところがありますから、地方で3アマ養成講習が行われるということは、交通費を考えても「お得」な感じがしますね。場合によっては一時的に4アマ講習と3アマ講習の開催回数が逆転するんじゃないすか?

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August 16, 2005

地震による臨界周波数急上昇発生

 今日は昼前に宮城でマグニチュード7.2レベルの大地震がありましたが、その地震の後から国分寺観測点でのイオノグラム臨界周波数が急上昇しました。極大は15:30分の前後で、臨界周波数が18メガに迫ろうとするくらいまでのレベルに上がり、各地から入感報告がインターネットクラスタ上をにぎわせたみたいです。当方が気が付いたのが16:10分過ぎで、それまで週末の支部コンテストの事とか4アマ講習会の打ち合わせでハム屋に出掛けていたんですから、まったく惜しいことをしましたが、その時でも1エリア茨城近辺がメーター振りきりで入感し、6エリアあたりもそこそこ聞こえていましたので50.273あたりでCQを出すも、もうコンディションが急速に落ちていて1局も取れず、バンド内も沈黙してしまいました。午前中はまったく臨界周波数が上がる様子も見えなかったんですからどうやら明らかに地震によるEスポ発生としか考えられません。普通であれば、震源地近くの臨界周波数が上昇するはずなんですが、今回は地震の規模が大きかったことに加えて関東近辺も1分近く大きく揺さぶられたことにより、岩石の摩擦によってマイナス電荷を帯びた電子が空間に飛び出したことで、急激に電子密度の高い電離層が出来たということしか、説明がつかないと思います。16時を過ぎてから6mはコンディションがそれ以上戻って来ませんでしたが、HFハイバンドは24メガと28メガを含めて日没に至るまで開けていたようでした。惜しむべくは、地震のニュースをいつまでも見ていないで、電波の伝搬が異常を起こしていないか、いち早く各バンドをワッチするべきでしたね(^_^;) いままでの経験から行くと、地震の前に異常伝搬が確認されても、地震の直後から比較的に長い間異常伝搬が記録されたということがありませんでしたので…。

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August 15, 2005

ヤシカ35の巻止め不良修理

 お盆休暇シーズン中はどこかしらの移動局がかならず声を出してくれていましたので、朝方と夕方に6mで交信チャンスが巡ってきて、昨日14日の夕方にも何局かと交信出来ましたが、さすがにシーズン末期らしく、2エリアから北とは交信できるチャンスに恵まれないようです。本日15日は昨日14日よりさらにコンディションが落ちましたが、朝方6mで佐賀県内のみ開け、2局ほど移動局と交信しましたが、8エリアからは夕方はコンディションが戻らず、クラスタの方にも交信報告が上がっていなかったようです。
 さて、このカメラは2眼レフメーカーとして発展した「諏訪の風雲児」牛島社長のヤシカが始めて作った35mmフイルムを使うカメラで、当時のカメラが主にそうであったように外貨を稼ぐために海外に多く販売されたカメラです。外観がコンタックスに似ておりまして、これでライカマウントのレンズ交換式でフォーカルプレーンシャッター付きのカメラだったら、吸収したニッカで作ったYFよりは、現代ではよっぽど人気があったと思うのですが、残念ながら普及機というべきレンズシャッター機にすぎません。でもこの「ヤシカ35」はボディの出来に似合わず、当時のテストからして「レンズの描写が抜群」と評されていて、おそらく新種のガラスを使用した富岡工学あたりのレンズを使用したのではないかと。「レンズを外してライカマウントの鏡胴に移植してしまいたい」などと言われるほどで、その描写は「少し絞り込むと中心部から周囲に掛けても非常にシャープでコントラストも高い均一な像を結ぶ」といわれるようです。一時期2万円を超えるような値段で取引されるようなことがあったようですが、ヤシカのレンズシャッター付きカメラとしては一番相場が高かったんじゃないかしら?レンズは45mm/f2.8と2.0の2種類あったようですが、輸出用としては圧倒的に2.8付きのカメラが多かったようです。このカメラの入手経緯は、もう15年ほど前、松阪屋カメラでアメリカから届いたカメラを店内に並べ始めた木曜の午後に立ち寄り、確保してきたもので、アメリカ帰りということもあり、ファインダー内の曇りもレンズのカビも見あたりませんでした。値段はたったの3,000円。当時、ライカもどきの国産レンジファインダーカメラを集めていたわたくしが、なぜこんな物を持ち帰ったのかわかりませんが、多分コンタックス風で見栄えが良かったから飾りにでも使おうと思って買ったのだと思います。そんで、一度もフィルムを入れる機会がなく、防湿庫が一杯の時はタンスの中に収められたりして数年経って動かしてみると、フイルムを巻いてシャッターチャージしても巻止めが効かないんですね。購入した当初はちゃんと効いていた物が何もしないうちに巻止めが効かなくなるのも釈然としない感じがしましたが、中学生の時に叔父のミノルタA3というレンズシャッター機が巻止め不良になるのを経験しましたので、おそらくシャッターがチャージしたときに巻き上げ軸を止める爪かなにかのスプリングが外れたのではないかと思って、いつか自分でなおしてやろうと思い、そのまま8年ぐらい経過し、2年前にカメラの分解トレーニングついでに軍艦部を取り外し、爪らしきものを発見したのにも係わらず、バネが掛かっている様子もなく、そのまま組立直してガラスケースのオブジェになってました。今回JETの部品交換をしたついでに、この巻止めの効かないヤシカ35をもう一度分解し、巻止めの作用をする爪をもう一度観察すると、髪の毛ほどの細いねじりバネが下部に装着されていて、そのテンションで爪をラッチに押し付けるものが、そのバネの材質不良の為に40年以上という経年劣化ですでにテンションを失って、爪をラッチに押しつけられなくなってしまっているのが巻止め不良の原因だと判明しました。こうなったらテンションを掛けるためのねじりバネを自分で作るしかありません。家の中で手に入るねじりバネの材料といえば、使い古しのノック式ボールペンのコイルスプリングを延ばして使うくらいしか見あたりません。それで細いドライバーの軸にバネ材を巻き付けて、似たような形のスプリングを作りました。いざ装着してみると、テンションが強すぎて、常にギアをがりがり擦ってしまい、とてもフィルムをスムースに巻き上げられるようなものではありません。また、シャッターを切ったら巻き上げをフリーにするための爪の規制梃子のスプリングとのバランスを欠いてしまって、全くダメでした。この爪は常にラッチに対してテンションは掛かるようにしなければいけないが、梃子を押しのけるようなテンションの強さではいけないということで、ここいらのバランスが非常に微妙でこれは明らかに設計ミスというか、ずぼらな設計なんでしょう。それで爪を押しつけるという動きではなく、バネが微妙に元に戻ろうとする寸前のテンションを見つけるのに試行錯誤で何回もバネを作り、結局半日仕事で何とかシャッターを押さなければ確実に巻き上げ軸を止めるところまで持って行き。ついでにファインダーを掃除して元通りに組み立てました。まあバネ一本でけっこうな暇つぶしでしたけど。なんか自分で部品を作ってやっとカメラを修理して完動品に仕上げたというと、なんとなく偉そうに聞こえますね(^_^;) 
 15年間一度もフイルムを入れたことがないので、せっかくだから1本くらい撮ってみましょうか?
YASHI35


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August 14, 2005

オートボーイJETの修理

 巷では民族大移動の様相を呈して、このガソリンの高い時代に高速道路や観光地周辺も大渋滞のようですが、こちらお金の掛からない趣味としてお盆の休み中は、ちょうど部品取りのためのカメラが入手できたりしたために、一気に2台のカメラを分解し、修理などをする暇の潰し方をしてました。このオートボーイJETというカメラは、今から14年ほど前に、会社の社長の息子である専務から「オートボーイJETを買ってくれるんだったらGSW-690と交換してもいい」ということで、2つ返事で承諾したバーター取引のために自分がお金を出して購入したカメラでした。相場を知らないと言うことは恐ろしいことですが、相手は6万円くらいする最新機種の新品カメラと交換したと思ってましたが、そのころすでにオートボーイJETは不人気機種として場所によっては19,800円で売られていたことを相手は知らなかったようです(^_^;)
 そのオートボーイJETで専務が土木の院生時代に論文のスライド作りに親に購入させた、フィルム20本も撮っていないフジの4年落ち位のGSW-690を巻き上げたのですから、正に「エビでタイを釣った」ようなものでした。そのGSW-690は中判のメインカメラとして北海道から九州まで持って歩きましたが、その後エビであったはずのオートボーイJETも「壊れたから捨てる」の一言を聞いて、タダでもらってきたカメラなんです(笑)
 このオートボーイJETが発売された1990年当時、オリンパスを皮切りに「ブリッジカメラ」というコンパクトでズームレンズ固定のSLRが流行したことがありましたが、そのブリッジカメラとも明らかに違う形態で、ズームレンズの本体をそのままカメラにしたような形態の、おおよそカメラの形態とは思えないような、当時としてもかなりエキセントリックなカメラがオートボーイJETでした。確か広告はJETがミサイルよろしく空間を飛んでいるイメージ広告だったと思います。そのカメラとしては常識破りの姿・形のためか日本では全くと言っていいほど受け入れられず、早々に在庫を投げ売りされる状況でしたが、アメリカ方面ではかなり目を引いたらしく、その前持ち主もアメリカに持参したらよくこのJETを売ってくれと言われたとのこと。後継機種としてズームレンズが135mmまで拡大されたオートボーイJET135が出ましたが、その後の後継機種はありませんでした。今は似たような形態のデジタルカメラがありますのでカメラとしての形態の抵抗感はないとは思いますが、15年前ではまだまだカメラの形態としては日本の市場に受け入れられる物ではありませんでした。出現が10年早すぎたカメラと言えるでしょう。本体がこのままでデジタル化してほしいカメラではありますが、その意に反してあまりにも売れなかったカメラのために、この金型が使われてデジタル化されることはありませんでした。このカメラが普通のコンパクトカメラと違って優秀な点は、レンズ部分の収納寸法に余裕があったために、口径比が多く取れ、35mm側でコンパクトカメラには出来ないF2.8という明るさにあります。さらに広角側では並のSLRレンズに匹敵する解像力ですが、ズーム105mm側では35mm側よりかなり解像力が落ちるのはいたしかたがないでしょう。距離に連動してズームする大容量ガイドナンバー25のストロボがヒンジで開くレンズの蓋にビルドインされていて、レンズ近くで発光するためにあまり影を心配することがありません。そのために赤目に陥りやすいのでプレ発光システムが着いています。露出はプログラムのみ。そのため動きのある物を静止させるような撮り方は不適当で、高感度のフイルムを使用するしかありません。往年のキャノネットのようにシャッター速度優先モードが欲しいところです。
 この「壊れたから捨てる」の原因は、電池室の爪が折れて、そこにスペーサーで詰め物をしてあり、フイルム交換の度に電池が外れて年月日のメモリーがクリアになってしまうというもので、それに目をつぶれば使用可能な状態なんですが、入手した当初は何回かオフ会などで使ったものの、いつか修理しようと思って10年間そのままになっていたものです。部品代としては100円そこそこの部品でしょうが、けっこうな工賃を取られそうな気がしてついにそのままでした。ところが先日、部品取りジャンクのオートボーイJETを入手して、電池室爪を交換することを企てました。昔のカメラと違って、プラスチックのパズルである現代のカメラは、ネジを外せば部品が外れるというものではなく、プラスチックの弾性を利用してはめ込んである部品がありますので、それを読みとって時計裏蓋分解用のハガシなどを使って慎重に分解。けっこう隠しネジ的なものもあるので、設計者の意図を読みとりながらの分解になりました。ジャンクカメラの部品取りから修理カメラの分解と部品移植、再組立まで30分程度で済ませ、見事10年ぶりでオートボーイJETがよみがえりました。
 プログラムシャッターのみということで、一般のスナップ写真撮影以上には用途の限られるカメラですけど、普通のコンパクトカメラとは比べ物にならないストロボの容量を生かせばストロボ外付けのカメラ以上に使い物になるはずです。さらに忘れていましたがファインダーは実像式ケプラーファインダーでズームに連動し、さらにウエストレベルで使えるように上からも切換で覗けるようになっており、ローアングルから変わったアングルで写真が撮れそうですが、実像ファインダーゆえか光路上のゴミが拡大されて気になるのが欠点でしょうか。フォーカスも赤外線3点アクティブ式評価測距で、今のカメラと比べては芸がありませんが、当時の安いオートフォーカスカメラと比べて中抜けもなく優秀な部類でしょう。もちろん動体予測機能なんかありませんけどね(笑)
 ただ、マニュアルフォーカス機械式カメラしか使わないこちらとしてはあのタイムラグの大きいシャッターは我慢できません。飲み会なんかのスナップに特化した使い方しかしないと思いますが、意外とモノクロフイルムを詰めて町の風景を切り取るのもいいかもしれません。
 もう一台の暇つぶし用修理カメラはヤシカの35mm第一号「ヤシカ35」の巻止め不良修理です。このカメラは部品を作らないといけないためにたっぶり修理・調整に半日かかりました(^_^;)
ABJET


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August 13, 2005

1ヶ月ぶりに24メガで交信

 13日は久しぶりに朝から6mが楽しめました。というのも、いつもの平日と違って、盆の休暇ということもあり、移動局もさることながら普段いそがしくて殆ど運用していない局が電波を出しているために、相対的に電波を出している局が多く、6mであってもどこかしら聞こえるという状態だったからだと思います。
 6mは9時過ぎにリグの前に配置に着きましたが、そろそろオープン末期だったらしく、それでも長崎県南高来郡、山梨県北巨摩郡、熊本県玉名郡、福岡県三池郡、鹿児島県薩摩川内市などの移動局をゲット。山梨県北巨摩郡はスキャッタですけど未交信地。また福岡県三池郡は、三池炭鉱閉山3日前にわざわざ大牟田の駅からタクシーを飛ばして三池郡高田町の有明鉱まで取材に出掛けた場所なのに、いままで交信歴に恵まれない場所でした。相対的に8エリアを呼ぶ局が多かったみたいで、こちらからは聞こえませんが8は移動局が盛大に各地で運用していたのでしょう。
 10時からは親戚が迎えに来て、墓参りに出掛けましたが、市の郊外だというのに市内からすでに霊園まで渋滞しており、普段だったら40分くらいで済んでしまう墓参りが今日は2時間もかかりました。12時過ぎに家に帰り、HFのリグに火を入れると久しぶりに24メガでCQを出す局が何局か聞こえます。おなじみの奈良県生駒市の局が聞こえてましたので、レポートを送るためにコールバックしました。その局長さんの話によると24メガが久しぶりに開いて、主に8方面がよく聞こえるとのことでしたが、コンディションがころころ変わって、今まで聞こえていた局が急に聞こえなくなったり、かと思ったら自分と同じ周波数でCQを出している局が突然聞こえ出したりとのことで、終始安定はしないものの面白い伝搬状況だったようです。さらに24メガもそろそろ今シーズンは国内が終わりとのことで、その局長さんとは今シーズン24メガで何度もレポート交換をしましたので、名残惜しいのですが、来シーズンまた24メガで再会することを約束してVAを送りました。
 その時点では24メガは淡路市の局、和歌山県有田郡、奈良県生駒市という連なった線で結んだような地点での伝搬でしたが、突然2エリア名古屋の局が強力に入感し始め、お互いに59で交信成立しました。24メガの方も8を呼んでいる局が多かったようですが12時台も後半になるとフェードアウトしてしまったようです。
 ログを開いてみると24メガでの交信は7月2日以来でした(^_^;)

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August 11, 2005

久々の夕方6mオープン

  今日は地区大会決勝戦を札幌の円山球場まで見に行った地元の駒沢高校が甲子園の第2試合に出てきて、早めで遅めの昼休みにして終わりまでTVにかじり付いていましたが、おそらく市民の多くが同じだったのではないでしょうか?(笑)おかげさまで2安打完封5対0で初出場の宮崎ウルスラ学園を下しましたが、昨年の駒沢とは比べることは出来ないので、市民誰しも「連覇」なんていうことは考えてもいないと思いますが。それほど夏の甲子園大会で頂点に立つことは半端ではなく、未だに昨年、白河の関を越えたことがなかった深紅の大優勝旗が我が町にもたらされたことが信じられないほどです(^_^;)
 高校野球はさておき、今日は夕方から久しぶりに6mがオープンしました。それもスポット的ではありますが、高知県安芸郡からのおなじみの移動局がメーター振り切れに近く入感し、今年まだ交信歴の無かった局が熊本の牛深市で移動運用していて、双方とも59で交信成立。これはいけるかもしれないと思い、50.223でCQを出し始めると甲子園の地元西宮の局長さんからコールバックがありました。さらに1エリア熊谷の局からもコールバックがありましたが、1エリアはQSBが深くてちょっと安定していないようでしたね。急にどこも聞こえなくなったと思ったら、6エリア田川市の局が強力に入感し始めてコールバックしました。あとは8エリアを呼ぶ局が多くてCQを出している局がバンド内に見あたらなくなりましたが、牛深市の局だけは終始安定していてこの局だけは19時過ぎまで59オーバーで聞こえてました。イオノグラムに見る臨界周波数はどの地点も上がってなく、最初オープンに気が付いたときは宮崎ビーコンも聞こえてませんでした。まあ、こんなこともあるのですな(^_^;)

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August 09, 2005

スピグラなんてどうでしょう?

 カメラというものはまったくアマチュアの世界でしか使われないものが殆どで、プロ用と言われるカメラの中にもアマチュア用とプロ用という垣根は殆ど無くなってしまったように思われますが、このカメラだけはその終焉までアマチュアに手にされることが無く、言うなれば「プロのための道具としてその使命を負えた」希有な存在だったと思います。さらにこのカメラは、毎日新聞社の長尾靖カメラマンが捉えた社会党委員長浅沼稲次郎の刺殺の映像を始め、多くのピューリッツァー賞に輝く映像を残しました。そのカメラこそ数多くの35mmフィルムカメラが機動性を生かして広くプレス関係で使用される以前、プレスカメラマンの象徴として世界各国の新聞社や通信社で使用されたスピードグラフィック、通称「スピグラ」です。日本では戦後、進駐軍によってもたらされ、その軍用スピグラを手に入れるために、各新聞社とも「夜中に基地の塀からロープで吊してもらい、やっと1台手に入れた」というような、いまでは笑い話のような涙ぐましい努力で手に入れたとのこと。以後、報道系カメラマンの象徴として、事件現場でもこのスピグラを抱えていると、警察の阻止線でもお構いなしに自由に出入りできたというような、大変なカメラだったことがありました。30年代からは逐次日本製の35mmカメラに取って変わられ、とくにニコンFとモータードライブの組合せにとどめを刺された感じになりましたが、一部昭和40年代半ばまで新聞社で使われていたと思います。特に昔の大相撲は今のように相撲協会の専属カメラマンから各新聞社が写真の配信を受けるわけではなくて、各新聞社がそれぞれ砂かぶりにスピグラを構えた新聞記者を配して写真を撮っていたのをご記憶の方も多いのではないでしょうか?このスピードグラフィックは使用するフイルムのサイズによって色々と種類がありますが、圧倒的に使われたのが4×5(しのご)のシートフイルムを使用するスピグラです。最近では手札判とか名刺判とかのオフサイズのフイルムの入手が困難ですが、4×5のシートフイルムだと、未だに入手には苦労しません。ただし、当時使用されていたパックフイルムというベースの薄いスピードローディングが可能なフイルムパックが姿を消して25年経ちますので、速写するためには「グラフマチック」というシートフイルムを6枚セットできる特別なフイルムパックを使わないといけません。でも今時、高い4×5のフィルムを速写しようなんて人はいないでしょうが。また、スピードグラフィックにはピントグラスの前にフォーカルプレーンシャッター幕が付いており、大型のために幕速はさほど早くないのですが、最高1/1000まで露光できるんだったかな?35mmのセルフキャッピング(こんな言葉、知ってるかな?)のシャッターと違って、幕にスリットが切っているだけなので、基本的に35mmカメラと扱いが違いますが、大型カメラで唯一高速シャッターが切れるカメラのため、特殊用途、学術用途でも使われた用です。もう少し開口部が大きければ、シャッター内蔵以前の古典大型レンズをソルトン無しに使うことが出来るんですけどねぇ(^_^;)
 そういえば、戦後はレンズシャッターの精度も向上し、フォーカルプレーンシャッターもあまり使われなくなったために、クラウングラフィックというフォーカルプレーンシャッターを省略し、レンズシャッターのみのモデルも通称「スピグラ」などといわれますが、フォーカルプレーンシャッターを省略したために軽量化されたのはいいものの、あくまでもクラウングラフィックであって、スピードグラフィックじゃありませんから食指が動きませんでした(笑)もっともスピードグラフィックが製造中止になったあとも2年くらいクラウングラフィックの方が長生きしたようですが。
 写真のスピグラはグラフレックスの全盛期である戦後から昭和29年にかけての製品で、カラートの距離計が縦に付いているタイプです。昭和29年に距離計横置きでフレームファインダーがワイヤーのタイプにモデルチェンジしましたので、あえて「旧型スピグラ」などといわれることもありますが、スピグラがプレス系カメラの王座にあったときの製品らしく、工作、品質とも出来は一番良いのではないでしょうか?報道系のスピグラは広角系のエクター127mmが付いていることが多いのですが、このカメラは珍しくエクター150mmf4.5が付いていました。アイオワのタイル工場の備品として長く使われてきたらしく、フードやガン、フードを介して装着するコダックラッテンフィルター、それに6×9のブローニーフィルムを使うためのウォーレンサック90mmレンズがそのまま一式揃っていましたが、ロールフィルムホルダーが欠品でした。本体は木製で、金属フレームで補強され、上質の獣皮で覆われていますが、50年以上経っても未だに皮の匂いが漂うような上質な細工で、最近のすぐに剥がれてしまうようなリンホフ・マスターテヒニカとは比べようもありません。シャッターはフラッシュにシンクロし、連動するソレノイドで切ることが出来るようになっており、大ガイドナンバーのフラッシュキューブを使ってレンズを絞って撮影することにより、シャープなネガを得られるようなそういう使い方をしたようです。本体左のボタンを押すと前蓋がぱたんと開き、その際レンズを引き出すときに10フィートとなるように自動的にセットされるのが優れた機構です。また、あえて大きな4×5が多く使われた理由は、4×5画面の一部を大延ばしすることによって望遠で捕らえたようなネガを得るための4×5だったようで、これはニコンFと望遠レンズの組合せに取って代わられたことがスピグラの報道第一線からの引退を決定づけたようです。
 リンホフに比べると、あおりの機能が「あおりが出来るという程度」のために、基本的に物取りに適するカメラではなく、もっぱらその軽さを生かすためにロケーションフォトに特化したカメラといえるかもしれません。特に車を使わずに手持ちで移動できる4×5のカメラとしてはスピグラの重さが限界ではないでしょうか?グラフマチックを3個くらい一緒に持ち歩くと、けっこう無敵かもしれません。もっともロケではフィルムコストがリーズナブルな6×9判のGSW-690ばかり使ってましたけどね(^_^;)でも、デジタルカメラの台頭で、富士は中判カメラの生産を止めてしまうし、札幌のヨドバシカメラに出掛けても、カメラ売り場は2階の片隅に追いやられ、感光材料も以前の半分以下、4×5のシートフィルムも富士のリバーサルしか在庫していないとはどういうことでしょう?そういえば一度も使っていないジョボの4×5用デーライト現像タンクがあるはずだから、じっくり4×5モノクロの写真でも撮ってみましょうか(笑)しかし、4×5を引き延ばせないのもつまりませんが、実はスピグラ本体を簡易引き延ばし器に変えてしまうライトとコンデンサのハウジングキットがあったんだそうです(@_@) こういうことは35mmカメラでは考えられないようなシステムですね。確かミランダのオリオン光機で作ったとかいう話を聞いたような聞かないような…
SPIGRA


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August 08, 2005

RICOH 計算尺 No.116D

 試験から開放され、晴れて心おきなくCQを出しても後ろめたくない身分となりましたが、暦の上では立秋を迎え、電波伝搬的にはそろそろハイバンドも国内がスキップしてDXがよく入感するシーズンをむかえます。でも、コンディションは昨年とくらべて良くないとは言え、まだまだHFハイバンド及び6mでがんばりますから声が聞こえていましたらコールバック宜しくお願いしますね(笑)
 さて、そろそろ夏休みの長い会社では今週から休暇に入るところも出てくるでしょうが、休み明けの月曜日は朝から6mの宮崎ビーコンが珍しく559で入感です。これはかなりいけるかと思い、朝の出がけのCQを50.223で開始。程なく山陽小野田市のおなじみの局からコールバックがありました。8月に入ってからのEスポの開け方そのもので、まず九州の末端から山口・愛媛あたりにかけて開けてくるパターンで、その後福岡市博多区、長崎市、山門郡瀬高町と10分足らずの内に4局QSOしてシャックを離れてしまいましたが、おそらくこのオープンも長くは続かず、9時過ぎぐらいまでだったんでしょうか?山陽小野田市の局長さん情報によると、昨日も午前に8エリアが30分くらい開け、夜にも20分くらいQSOするのが聞こえたと言うことで、あまり開かないから今シーズンは6mを見限って、最近ずっとワッチを怠っていて、夜なんか6mリグに火も入らないこちらにしてみれば、根気強いというか感心させられましたが。お盆にかけて、もう少し頻繁に開けてくれると、6mも面白いんですけど。
 写真は、JH1コールのOMさんから譲っていただいたリコーのNo.116Dという10インチ計算尺です。ヘンミのスタンダードであるNo.2664Sに比べて、なんか目盛が込み入っていて複雑な印象を受けるのは、表にL尺,DI尺があって尺数が2664Sより2本多いからなんですね。ヘンミの2664Sは長い間作られていたために非常に数が多いのですが、リコーのNo.116Dは三愛リレーNo.116の改良品であり、市場シェアも小さかったのであまり数は見かけないみたいです。よく調べるとヘンミのNo.2662というNo.2664Sと殆ど変わらない計算尺と目盛の配置がまったく同じなんですね。いわゆるコピーに近いような計算尺かもしれません。(後から調べたらヘンミのNo.2662のほうが後発でした)当時ヘンミを使わずわざわざリコーの計算尺を買うなんて、ちょっと変わり者ですよね(^_^;) 刻印はNS-2で昭和40年佐賀工場製と読みとれます。
 このOMさんからおまけで中学生用計算尺ヘンミNO.45Kも頂きましたが、この計算尺も昭和38年の4月製。うちにはなぜか昭和38年製の計算尺が集まりますが、考えてみると団塊の世代が中学に進学し、計算尺の需要が飛躍的に増えたのがこのころだったのでしょうか?そのためにヘンミだけでなくリコーの中学生用計算尺あたりもヘンミだけではまかなえない需要の隙間産業的な生産だったのかもしれません。
 このリコーNO.116Dは日常使用するなら10インチの計算尺ですから精度も小型尺とは比較になりませんし、近代的なルート3切断系の尺なので、目外れの値でもカーソルを移動させて再度計算する必要がありません。4日に受けた試験では、けっこうモル濃度が絡んだ中和のための異なる濃度の溶液をどれだけ使うかなどの問題があり、計算が面倒なので、試験勉強の最中は練習問題を計算尺を使ってぱっぱとかたづけていましたが、本番には計算機も計算尺も使用できないので、時間を取られました。もっとも足して100になる分子量の物質がからむ問題でしたが(笑)
 世の中にはそういう化学の計算に特化したヘンミのNo.257Lという化学技術用計算尺があるそうで、数は少ないんですけど、化学系の資格を目指すわたくしとしては、一度使ってみたいような計算尺です。でもオークションで出てきても電子工学用のNo.266同様にべらぼうに高いんですよね(笑)専門用途の計算尺をコレクション目的で死蔵させるのはよくないぞ(^_^;)
166d
RICOH No.116Dの表面拡大画像はこちら
RICOH No.116Dの裏面拡大画像はこちら

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August 07, 2005

14メガでフィールドデーコンテスト

 夏の風物詩でもあるJARL4大コンテスト・フィールドデーコンテストが6日21時から7日15時に掛けて開催されました。このコンテストでは電源も確保できないような場所で移動運用している移動局が主役で、移動しない局、すなわちアンテナ設備も電源にも苦労していない固定局は移動局と交信しないと点数にならない仕組みになっています。また移動の形態(電源確保の状態)によって係数が掛けられるので、固定局はいくらアンテナが立派で高出力でも移動50w局以上に点数を取ることが難しいようなルールになっています。今年はというよりも、今年も4日まで2件、試験を抱えていてまったく準備もしていなく、どっちみち固定局で移動局に声を掛けることになりましたが、最後まで声を出そうか、それとも1回休みにしようか迷いました。でも基本的にコンテストのあのざわめく雰囲気が好きみたいで、どうしても血が騒ぎ、前日撮り溜めしたビデオを見てから7日朝9時近くになって各バンドのコンテスト周波数帯をワッチしてみると、21メガから上はまださっぱりですが、14メガが1エリアを含めてオープンしていたので、14メガの移動局を狙って声を掛けていきます。まあ、4局くらい交信してログを提出し、参加証もらうだけでいいと思いましたが、ほぼ1ヶ月の間試験のためQRT状態だったので、けっこう声を掛けていくのが楽しくて、特に「ニューマルチが取れました」なんていわれるとうれしく、さらに久しぶりにCWでもコールバックし、14メガで21QSOして、けっこうマルチも取れました。さらにコールサービスで28メガ3局、21メガ1局、2m2局とも交信しています。21メガの1局なんてバリバリの女子高生YLですぞ(笑)知り合いの娘だけど(^_^;)
 ところで、14メガCWで同じ胆振からポータブル8で7エリアのコールサインの局が出ていましたので、コールバックを入れて後で調べたら、なんと5月に上越市の移動局として6mでQSOした局だったんですね。そのときCWを要求されたんですが、まだ6mモノバンドのリグに電鍵を繋いでいなかった(ミニプラグのラインがどこにいったか捜さないと出てこなかった)ために断ったんですが、こんなときに、しかも近所でCWでQSOすることになるとは思いもよりませんでした。まさかフィールドデーコンテストの為に8エリアまでやって来たのではないでしょうが、コンテスト中でもあり、その真相を確かめようもありませんでしたが。
 ということで、競技としてではなく1ヶ月QRTのリハビリとして参加したフィールドデーコンテストでしたが、来年こそはなにかしらの移動設備を用意して、堂々と「ポータブル」で声を出したいですね。どうしてもフィールドデーコンテストでは、固定局からCQ出すのはためらってしまいますから。

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August 06, 2005

TH-F7のリチウムイオン電池外付け

 昨年、リチウム電池の寿命によって、フルチャージとなっても5Wを掛けると電源が落ちてしまうTH-F7のことを書きましたが、あれ以来、寿命のすでに来ているリチウムイオン電池を付けっぱなしで、常に充電コードを引っぱった状態で、相変わらずラジオ代わりに使われていました。
 ところが、あるきっかけで電圧・容量が殆ど同じリチウムイオンバッテリーのパックを見つけ、これが何と一個500円という値段で売られているのです。これは使わない手はありません。さっそく2コ入手しましたが、ニッカド電池と違って、リチウムイオン電池は過充電や過放電で発火や爆発なんかの危険性を秘めており、少し心配だったのは確かです。広告上ではスペックがわかりませんでしたが、当初、純正のリチウムイオン電池の中身と交換できればと考えました。ところが、最近の携帯電話よろしく、純正リチウムイオン電池パックの裏蓋を時計分解用の「剥がし」で剥ぐってゆくと、中身は電池パックのスペースに合わせた四角いリチウムイオン電池が2コ直列で現れたではありませんか。このスペースにはどうやっても入手したリチウムイオン電池は収めることが出来ません。そのために手持ちの乾電池パックなら厚み的にもこのリチウムイオン電池パックが収まりそうだったんですが、実際には電池を収めている紙筒を分解して個別のセルを取り出し、それを整然と並べれば乾電池パックに収まらないことは無さそうなんですが、ショートして発火するのもつまらない為に、電池パックには手を加えずに電池パック本体からコードを這わせて外部電源とすることにしました。しかし、田舎のこととて、昔ならいざしらず今では電気部品の入手はまったくかないません。そのため、8/4日の試験が平日なのをいいことにして、試験終了後に札幌の電気パーツ屋に立ち寄り、コネクタ関係の部品からI対策用の分割コアに至るまで、部品の買いだめをしてきました。ただし、ここには耐圧の高い電解コンデンサなんかの電子回路には殆ど使わないような特殊なパーツが揃っていないことが不便なんですけどね(笑)
 そこで翌日には試験に開放されこともあり、さっそく電池からの線、本体からの線を入手したコネクタで結んで無事終了。リチウムイオン電池の保護回路はそのままにしました。それは純正のリチウムイオン電池にも保護回路が入っていたことからも、これは過充電・過放電での事故を防ぐためには必要だと思われたからです。最初、純正電池を分解した時に、なぜ基板を介して電池が付けられているのか意味がわかりませんでしたが、昨年、5Wを掛けてものの5秒で電源が切れた理由は、電池側のこの保護回路が作動するからとわかり、なるほどと思いましたが。リチウムイオン電池の保護回路は、一般的にも過電流が流れて急激に電圧降下を起こすと切れるシステムが着いているらしいのですが、このTH-F7の電池の場合も電池の寿命が来て5Wハイパワーで電池の電圧降下を起こしても電流が遮断させるようです。再度充電すると復帰するようになっているのが普通ですけど、これで本体の電源スイッチを入れても反応がなく、電源プラグを一旦抜き差ししてから電源スイッチをいれると復帰するのも合点がいきました。純正電池の保護回路のスペックはわかりませんが、入手した電池の保護回路の作動条件を調べると「約4.9Vで過放電電圧保護動作(充電すれば復帰)(個別セルの電圧監視なし、直列2本の電圧で判断) 直列の2つのセルのうちの少なくとも1つが4.35Vに達すると過充電電圧保護動作(放電すれば復帰) 約2200mAで過放電電流保護動作(充電すれば復帰) 過充電電流に関しては保護なしと思われる。 セルバランス機能(充電電流をバイパスして両方の電池電圧を揃える機能)あり 」ということです。電池の品番はJY-SXP-BP10という松下のリチウムイオン電池で、秋葉原に行っても安いパーツ屋では一個400円程度で入手出来るようです。ウエブで検索してみると、けっこうノートパソコンの電池を分解して再生する用途にみなさん使われているようですけど、元々どんな機器に使用されていたのか検索しても出てこないという謎の電池です。ジャンク扱いで大量に出回っているのも不思議な話ですけど、これ、10個買っても純正電池よりまだ安いというのは、たとえ本体から線を出して装着しなくてはいけないにしてもまったく気にならないくらい魅力的なことです。容量も純正電池よりわずかに100mAh大きいだけなのでTH-F7附属の充電器で充電する分には問題ないでしょう。しかしこれを10個持ち出して山の上で電波出し始めたら一体何時間運用できるんでしょう?(^_^;)
 充電してみると、当たり前の話ですがしっかりフルチャージしました。もちろん5Wフルパワーで送信しても保護回路が働くことはありません。山岳運用のエキスパート、Hさんに今度教えてあげよう(笑)
JY-SXP
 夜にさっそく2mでCQを出していた夕張からの移動局がいましたので、コールバックして8分くらい話をしていましたが、自作のJ型アンテナでもフルパワー5Wで変調掛けて別段、保護回路が働く様子はなく、大丈夫でした。送信を続けても電池部分が熱くなることはなく、本体部分が熱くなってくるのですが、本体の元あったリチウムイオン電池を抜いて、パックの部分が空間になったために、断熱効果が出来、手持ちでも連続送信の熱さに耐えられそうな感じがします(笑)

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August 05, 2005

驚異のオペレート上達

 4日、平日なのにも係わらず札幌で殆ど高校時代の化学の試験に近いような某国家試験を受験してきました。これで1週間半のインターバルをおいての2回の国家試験をこなして晴れて無線自粛解除で、やっと夏休みシーズン突入ですが2回の試験がどちらともいわゆる年に一度の「七夕試験」で、落ちると来年まで試験が無いためにいい加減に受験するわけにはいかない試験でした。その点は無線の試験なんて回数的に恵まれすぎていて、今の現状だったら初級アマチュア無線試験は年に4回程度、上級アマチュア無線試験は年に2回でいいんじゃないですか?昔と違って少子化がますます進んでいく現状で、初級アマチュア無線試験がほぼ毎月行われ続けていること自体が不思議な感じがします。特に上級試験はもっと受験機会が少ない方が、内容の濃い勉強が出来るんじゃないすか?(笑)
 さて、本日例のニューカマーK君が21メガでまた8J2AIと交信していましたが、あれからさほど経っていないのにもかかわらず、まったくムダのない的確なオペレートになっていて、その進歩の度合いにこっちのほうが驚いてしまいました。おそらく相手のオペレーターの方は小学生6年の子と交信しているなんて夢にも思わないことでしょう。まさしく大木こだま・ひびきの「腕あげたやないか〜」といいたいくらいでしたが、最初からHFで運用して、良いところだけ吸収したのが良かったんでしょうね。これが2mあたりから入って、2mオペレートの悪い癖をHFに持ち込んでしまうと、後まで修正できない事になります。その後で出てきたローカル電信級で100WのOMのほうが回りくどくて余計なオペレーションでしたから、的確なオペという点ではK君のほうが勝っていました。しかし発信地をJCCで答える技なんて誰から教わったんでしょ?まあ、今の小学6年生は殆ど電脳世代ですから、ネット上を検索して情報を取捨選択し、自分のものとしているんでしょうね。そろそろ電信の勉強でもさせて、3級を受験させる準備でもさせたほうがよさそうな。小学生の頭脳というとその柔軟度と吸収力は我々40代ボケ頭とは比べ物になりませんから、一気に3級、それから中学に入ってから2級は、おそらく「間違いない」かもしれませんよ。

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August 03, 2005

28メガEスポによる迷惑電波

 3日午後、28メガでどこかが聴こえはしないかと思ってリグのスイッチを入れると、普段よくSSBで使う28.50から70辺りにかけてあちこちでモガモガという抑圧がかなり高いレベルで入感してきたので、違法CB機を改造してアマバンドに出始めた連中がEスポでうるさく聞こえているのかと思いました。AMボードのはまっているFT-101ZDに切り替えてAMで聴いてみると、このリグはAMフィルターをSSBフィルターの他に装着出来ないために、SSBフィルターの帯域幅でAMを聴くことになり、再現性としてはあまりよくないのですが、聴いてみると中国語なんですね。どうやらEスポで上海あたりや福建省あたりでアマチュア機を改造して業務用に使っている交信がここまで飛び込んできたようです(^_^;) 
 割と、秋から冬にかけて良く聞こえるはずなんですが、Eスポ伝搬なのでかなり強力に聞こえ、無変調で20デシベルを超えているような局もあります。そもそも28メガの中国違法局がいつ頃からうるさく出始めたのかは詳しく把握していませんが、昔、アマチュア機も作っていた無線機器の会社が中国に生産拠点を移し、従業員1万8千人という大工場に発展させ、そこから盛んに全世界に向けてコードレス電話からハンディトランシーバ、更にはCB無線機からプレジャーボート用船舶無線機に至るまで生産しているのですが、その中国の生産工場から日本の会社の承諾無しに自社ブランドで同じ製品が出ているらしく、その中のAM無線システムが市場に出回って違法にタクシーや漁業無線などとして大量に使用されているらしいとのこと。RR条約によって中国であっても業務のための無線機を使用する場合には一定の資格が必要とされ、開局には許可が必要とされるわけですが、どこの国でもそうですが、安易な手段に走ってしまうのは同じみたいで、28メガのAM機が違法業務用としてあっというまに広まり、なかなかその取り締まりが出来ていないようですね。日本でも30年くらい前にアメリカのFCCの規格が変わって23chのCB機が輸出できなくなり、これを違法に国内に流通させた(使用するのは違法だが販売するのは違法ではないという論理で)ため、今に至るまで違法CBという無線が撲滅できていませんが、中国でも28メガAM機というのが違法業務用に定着してしまうことは十分考えられます。特に国内のSSB帯と重なるので、QSOしていて突然抑圧食うのは気持ちのいい物じゃありませんし、アマチュアバンド防衛のためにも違法業務無線の撲滅を願いたいものです。ところで、昼間ラジオを聴いていると突然中波帯に「○○さん、どうぞー」の声が飛び込んできました。道路から相当離れているはずですがマッチングもクソも取れていない大電力のCBバカトラが通ったものと思われます。普段、ラジオからバカトラの声が飛び込むことはないんですけど、相当な強電界だったとみえて、ラジオの給電線から電波を拾ったんでしょうね。これがSSBとかFMじゃ中波ラジオで復調できませんから確かに違法CB27メガのAM電波です(笑)
 まさか、本州方面からEスポで飛んできた違法CBの電波が直接ここのラジオに飛び込んできたことはないでしょう(^_^;)

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August 01, 2005

試験前なのに…orz

 結局、土日と効率のよくない試験勉強しながら、たまに各バンドのコンディションを確かめていました。土曜夕方から夜にかけてはハイバンドがよく、特に6mは久しぶりにスポット的にですが広範囲に開けたようで、試験さえなければやる気になったんでしょうが、ここはぐっと我慢と思っている内にオープン状態も終息してしまいました。開けて日曜は「Eスポ2日続けて無し」のたとえがあるかどうかはわかりませんが、コンディションも悪く、特に7月31日で合併して消滅してしまう市町村からの運用があったようですが、その電波もまったく聞こえないので、ワッチ自体やめてしまいました。21メガなんかは日本列島がスキップして早くも中国台湾辺りが聞こえていたようですね。
 開けて8月1日、今日から新しい町になったところも多いようですが、出がけに6mのリグのスイッチをいれると宮崎ビーコンが珍しくメーター振りきりで入感です。これはけっこう期待できるかもと思って、SSB帯に上がってワッチしてみると、かなり強く入感している局が何局かありました。その中で特によく聞こえていたのが、昨年1度6mで交信歴のある高知は南国市の局長さんが、今日から合併で新しい町になった吾川郡仁淀川町から運用されていた移動局でした。ほぼ8エリアオンリーでEスポが開いているようで、盛んに呼ぶ8の高出力局に混じってトマトアンテナ10Wで呼ぶと3回目くらいで取ってもらえ、お互いに59レポート交信成立です。その直後コンディションが落ちかけたのかCW運用に代わり、こちらのアンテナで聞いていると、CQを出すこの局を呼ぶ8の局が今日はよく聞こえてました。SSBだとグランドウエーブでも全然聞こえないんですけど、さすがにCWだとバックでもよく聞こえるものですね。何かアンテナを北に向けてCWのCQを出してみたくなりましたが、ローテータ無しの南固定アンテナなので、それは大事です。北固定のトマトアンテナをもう一本作った方が簡単そうな(^_^;)
その仁淀川町移動局も15分くらいでフェードアウトしてしまいました。
 ところで「自粛」という意味は完全禁止を意味することではないような気がしますが、無線自粛中であり、2回目の試験まであと3日しかないのに、こんなことやっていていいのでしょうか?(笑)でもまあ、久しぶりに6mのコンディションが抜群で、新市町村からの運用が59オーバーで入ってくるのにコールバックしない術はないでしょう。そういえばCWで応答していた8の局が続けて2局、免許状は生きていない幽霊でした。何となく同じ場所から発信されていたようなので、たちの悪いイタズラかな?こんなこと、やる理由が今ひとつわかりませんが。
 19時過ぎにイオノグラムの各観測点を見てみると、おおっ、国立観測点が弱いながらも臨界周波数が10メガを超えてます。6mをワッチしてみると確かに3エリア奈良、2エリア局など数局聞こえていますが、さすがに交信は憚られました。21メガの伝搬の方が強力だったみたいですな。

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