アンテナのある風景(夕張にて)
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この写真は15年くらい前に炭鉱の痕跡を求めてよく夕張に通っていたころのネガの中にあったものを偶然発見したカットです。当時、東京に住んでいたため夕張その他昔の採炭地に写真行脚に出掛けられるのは夏の休暇のときだけで、北海道はお盆休みの期間中はどうも天候が安定しないためにわざわざ休暇を月末に延ばしたりして写真を撮っていました。当時、夕張でも真谷地・楓炭鉱や南大夕張鉱もついに閉山してしまい、夕張に炭鉱が一つもなくなってしまったころでした。そのために炭鉱の施設はおろか、炭鉱住宅などもどんどん壊されていったころで、ずらりと並んだ炭鉱住宅群が1年後には広大な更地になっていたことなど珍しくはありません。
ところで、この写真は清水沢炭鉱の隣接地区に建てられていた炭鉱住宅です。タイプとしてはマンサード型風のルーフであり個別の便所が備えられていますので、戦中戦後の建築でしょう。若菜にあった炭鉱住宅群と同じ作りの木造炭鉱住宅です。ところが炭鉱住宅には場違いなルーフタワーが乗っており、そこに2m用の八木のスタックとHF用の3エレアンテナが設置されています。その古い木造住宅とアマチュア無線用のアンテナがミスマッチであるのか、それとも見事に風景に溶け込んでいるのか、判断が分かれるところですが、個人的には「悪くない風景」だと思ってますけどね。まあ、木造でトタン張りの屋根の上に乗せるアンテナとしてはこれくらいが限界でしょうか?ところで、夕張の炭鉱華やかりし頃は、鉱員は給料も良かったので趣味や道楽にお金をかける人が多くて、色々なものを集める人から芸術方面に走る人までいろいろでしたが、その趣味の一つとしてアマチュア無線を始める人がけっこういて、JA8の2文字コールの人が夕張にはけっこういたらしいのです。ところが相次ぐ閉山で最盛期12万人いた人口が今は1万数千人しかいないため、丁未風致公園でコンテストコールする移動局以外、夕張市からアクティブに電波を出す夕張生え抜きの局長さんがまったく少なくなってしまいました。そのために移動局としての夕張からのQSLカードは沢山ありますが、固定・常置場所としての夕張からのQSLカードはまだ一枚も頂いてません(^_^;) このとき使用したカメラはキャノンのT-90にFD35/f2.0+Y2フィルター、フイルムはT-max400だったと思います。電気式カメラは途中で壊れると撮影行がアウトなので、予備にA-1ボディを常に持ち歩いてました。
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