カメラの分解はパズルだ
オートボーイJETの分解ならびにジャンクから取り出した部品の交換、ヤシカ35の分解ならびに巻き止めスプリング製作あたりからカメラの軍艦部の分解にけっこうはまり、というのもプラスチック製でない年代物のカメラの軍艦部ははめ込みで止まっているようなものはなく、一種のパズルのようにあちこちのネジを緩めて部品を外すことに初めて分解にいたるわけですが、設計者の設計意図をくみ取ってどこにネジが隠れているかなどを推定しながらカメラを分解してゆくのは、実に楽しいお遊びだということを発見しました(笑)その後けっこう曇り始めたファインダーのカメラが耐えられなくなり、ミランダセンソレットのファインダー清掃、ミノルタ35IIの軍艦部分解によるファインダー清掃、FD200/F4.0の3枚目の玉の白内障手術、s用ニッコール85/F2.0のヘリコイド分解とグリスアップなどを行いました。
ミランダセンソレットは1眼レフ専業のミランダが出した唯一のレンズシャッターコンパクトカメラです。確か73年あたりに「ストロボと取り付けて本体にガイドナンバーをセットすると距離に従って絞りを自動的に変化させるとともに、絞りの値をファインダー内に表示させる」メカニズムによって「日本の歴史的なカメラ」に選ばれたような気がします。「日本の歴史的なカメラ」を系統的にコレクションするマニアにとっては必須のカメラなんですが、ミランダ好きの自分にとっては、手元のミランダセンソレットは実は2台目のセンソレットです。というのも先代のセンソレットはアメリカ帰りのものを松阪屋カメラからタイミング良く平日金曜日に5,000円で奪い取ってきたのにも係わらず、取り引きしていた成形工場の火災でその被災状況を「写るんです」代わりに同僚に持たせたままになって喪失してしまいました。その後都内のカメラ屋を巡って歩くも縁がなく、オークションなどある時代でもなかったために、4年余りに渡って捜していたのに入手出来ず、押上界隈に営業に出た帰りに錦糸町の光カメラのショーケースの中に入っているのを発見し捕獲に成功したものです。値段は皮ケースと純正ハンドストラップ付きで15,000とまずまず高額でしたが、そんなことより足で歩いて4年見つからなかったものが再び入手できてうれしかったことのほうが大きかった15,000でした。アメリカ帰りのセンソレットと違って入手当初から若干ファインダーが曇り気味でした。それから10年以上経ち、ファインダーの清掃を思い立って軍艦部を分解。ファインダー曇りの原因はファインダー周りのショックアブソーバーとして入っているモルトブレーンが分解し、そのガス分がファインダーを曇らせていたようです。30年代のカメラはモルトに起因する曇りは殆どないんですが、40年代以降のカメラは比較的に多いですね。MマウントカメラでもM3はいつまで経ってもクリアなファインダーなのに、CLEはモルトプレーンの分解に起因して10年余りでファインダーが曇り始めました。センソレットは作業時間30分少々で耐えられるファインダーに変わって作業終了。ミノルタ35II型は、うちの母親が嫁に来るときに持ってきた由緒正しいカメラで、実は町田在住の兄の持ち物だったものを、新しいカメラの購入のために買い取ってやったといういわれのあるものでした。長い間うちのカメラとしては唯一のもので、昭和48年にキャノンのFTbに変わられるまでは現役であり続け、わたくし小学生の時には1眼レフの砲列のなかをこのカメラで急行ニセコのC62 2号機を追ったりしてます。ということで、場合によってはライカのIIIgよりも大切なカメラですが、東京に持ち帰る前に長い間押入の天袋に保管されていたために、ファインダー系統にカビが侵入し、見るに耐えられなくなっていたため今回思い切ってオーバーホールです。シャッター速度変更つまみなど細かいネジが多く分解が大変ですが、まずアクセサリーシューから外して巻き上げノブ、巻き戻しノブ、シャッターリング&シャッターボタン、シャッター速度変更つまみなどを取り外してあっさり軍艦部が分解出来ました。接眼アイピースは引き抜けば外れます。そこでプリズムやミラーをクリーニングペーパーで磨き、カビの部分は爪楊枝を平たく削ってクリーニング液を浸してこそげ取るように磨きます。その甲斐あって信じられないくらいにきれいになり、元通りに戻して完成です。ファインダーがきれいになると途端にフイルム入れて撮ってみたくなりましたが、この附属の4.5cm/F2.8の通称「梅鉢」といわれるレンズは、ミノルタの「仙人」といわれた斉藤氏が非点収差の計算式を一部間違えて、絞ってもなかなか均一性が良くならない迷レンズだったようで。ボディ設計は宮部甫氏ですが、基本設計が古いので、後のライカモドキのカメラと比べても精密度その他見劣りがしますが、ライカコピーに走らずまったくの独自設計のカメラなのでその独自性は評価できるでしょう。実は当初ホットシュー付きだったのですが、フラッシュキューブの暴発事故が続出し、ホットシュー無しに改めたのだとか。現にアクセサリーシューを外したらしっかりホットシュー用の穴が軍艦部に開いていましたし、後面に設けられたDINタイプのシンクロ接点はリード線で繋がっているのではなくて、このホットシュー基部と接点で接触していましたので、軍艦部を外すときにはんだごての必要がありませんでした。これは新たな発見でしたね。しかし、こんなボデイにライカのズミクロンなんか付けた日には、完全な「げだう」に陥ってしまいますな(^_^;) 古いFD 200/F4レンズは前から3枚目のレンズに曇りが発生し、絞りの基部から油が蒸発して曇らせているのだろうと思って殆ど20年放り出していたものですが、開けてみてびっくり。何と3枚目のレンズ後面のコーティングの変質で曇っていたっものでした。研磨剤で一皮剥く覚悟で磨いたんですが、あまり改善せず、洗浄してそのまま組み立ててしまいました。S用ニッコール 85/F2.0は実力の割に過大評価され、偉くいい値段が付いていますが、17年くらい前の松屋デパートのカメラショーでヘリコイドに引っかかりがあり、前玉に拭きキズが多い真鍮にクロームメッキのタイプのレンズを16,000で入手したものです。それいらい防湿庫の肥やしになっていましたが、パズルにはまってしまったために分解してヘリコイドのグリスアップに挑戦。余計なところまで分解してしまいましたが基本的には前群と後群のユニットをはずせばヘリコイドのグリスアップ部分が露出します。50年以上経ってすっかりヘリコイドに油分がなくなりがさがさした状態でしたので、薄くグリスアップして何回かヘリコイドを回すことによって入手以来初めてまともなレンズに生まれ変わりました。これ、ニコンSPに装着すると見栄えがいいので、少し町の中を持ち歩こうかしら?そういえばSシリーズで85mmのフレームがあるカメラってニコンSPだけなんですってね。そんなこととんと忘れてましたが、ニコンSPの再生産に合わせてこの85mmもますます相場がアップしたのでしょうか?。
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