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December 31, 2005

八戸漁業無線局のモールス符号

 ラジオの「行く年来る年」で珍しく八戸の青森県無線利用漁業協同組合(JFS)が年賀電報を取り扱うシーンを放送していたのですが、「CQ CQ DE JFS」と繰り返し打ってる符合の短点長点が独特の長さで、長点が思いっきり長いので、アマチュアでこういう符合を打たれたら思わず応答するのをためらうようなモールス符号でした。アマチュアでもこういう符合を打つ人がいますけど、この長点が思いっきり長めの符合っていうのは漁船と漁業無線局との間でよく交わされる独特の符合ですな
(^_^;) 実はこの八戸の通信士さんが実際にモールスを打つ映像をみたことがあるのですが、使っていたキーはHIMOUNDのバグキーBK-100でした。それもキーイングでキーが動かないように英語の辞書をその上に載せて使っていましたが、こちらもなかなかバグキーで短点長点が正確な符合を打つのが上達しないのに、こういう符合だったら簡単に打てますわ(笑) まあ、空電バリバリの時は長点を長めにして短点とはっきり区別が付くようにこういうモールス符合を打つようですが、電電公社からNTTになった銚子のJCSの通信士はこんな記号は打ちませんでしたよね?モールスによる電報の取扱はこの衛星通信の時代になっても大西洋で操業するマグロ漁船やニュージーランド沖で操業するイカ釣り船などから250通も取扱があったそうです。いまでも漁船に乗っている通信士がいるんですねぇ。商船からはとっくの昔に専門職の通信士はいなくなり、航海士が3海通を取って兼任してますが。


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December 30, 2005

FRSとGMRSの電波監視

 新聞報道によると北海道総合通信局は12月、国内で使用が禁止されているアメリカ国内用小型ハンディトランシーバ、FRS(FAMILY RADIO SERVIVE)とGMRS(GENERAL MOBILE RADIO SERVICE)の電波監視に着手し、29日までに札幌など道内3都市で合計51台の使用を確認、電波法に基づき使用中止を指導したようです。
 このトランシーバはそれぞれ出力が0.5Wから5Wとアマチュア無線機並の出力があり、日本で許可されている特定小電力無線機の50倍以上で、さらに日本では許可されていない周波数帯を使用するために、中継放送用電波に混信を与え、テレビ中継の現場付近で使用すると、交信中の音声が放送に紛れ込む可能性も高く、また防災無線でも同様に混信の恐れがあるために、災害発生時に混乱を招きかねないという指摘もあるようです。
 北海総合通信局では12月から電波監視に着手し、札幌・深川・北広島で使用例を特定し、工事現場の作業員やホテルの清掃担当者、タクシー運転手などが使用していたとのことですが、インターネットで普通に売られていたために、違法な無線機とは知らずに使用していたとのこと。いずれも一度は合法な特定小電力無線機を使用していたが、会話が頻繁に途切れたりして使い勝手が良くないために、特定小電力無線機よりもはるかに安くて電波の飛ぶ米国製トランシーバをインターネットで購入して使用していたとのことでした。
 この手のトランシーバはネットで大量に売られていて、そのどれもが「日本国内では電波法によって使用できない」とはうたわずに、電波の最大到達距離が大きいことを売り物に2台で1万円を切る値段が付いています。中には腕時計型のFRSなんかもあって、使う方の購買意欲をそそるような商品構成です(笑)北海道総合通信局では道内に1,000台以上出回っていると推計しているようですが、レジャー用・業務用としてもっと出回っているのではないでしょうか?
 一時期スキーヤーがアマチュアのハンディ機を持ってスキー場にいくのが流行した時期があったようですが、今は手軽で値段の安いFRSとかGMRSにシフトして、ずいぶんと仲間内の連絡用として数が出回っているのではないでしょうか?
 どっちにしろアマチュア無線の従事者免許を持っていて、一応電波法の最低限の知識がある人はこんなものに手を出すことはないでしょうが、違法市民ラジオ(CB)同様に使う方だけ罰せずに、売る側にも罰則を設けて日本国内から駆逐してもらいたいものです。
 道内にはすでに27箇所に電波監視施設があり、24時間体制でFRSとGMRSの電波監視をしているそうですから、これからも使用中止の指導件数が増えることでしょう。場合によってはスキー場での電波検問もありでしょうか?(^_^;) なお、北海道総合通信局では使用中止の指導に従わずに使用を続けていたことが判明した場合には電波法違反「総務大臣の許可なく無線局を開局した…」として北海道警察と合同で摘発することもありうると警告しています。電波法違反で無許可開局の罪に問われると「懲役1年以下、罰金100万円以下」の罰則を科せられますが、飲酒運転で事故を起こし道交法違反に問われるよりも遙かに重い刑罰です。

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December 29, 2005

21メガで南鳥島

 仕事納めが終わったからといって、この年末に一日中リグの前に座っていられる人は家の中でもよっぽど「偉い」人か、もはや家庭内では無視された存在の人かも知れませんが、当方も水回りの掃除から窓拭き、換気扇周りの油汚れ落としに至る大掃除から正月用品の買い出しまで家の中の仕事が山積してますので、この年末の昼間リグの前に座る時間さえありませんが、15時くらいに21メガをワッチする機会があり、南鳥島の局が聞こえました。南鳥島は無線解禁後のかなり早い段階で18メガというWARCバンドでJD1YBJと交信し、QSLカードも貰っているのですが、今回の局長さんは個人コールで/JD1の運用でした。一般の人が自由に滞在できる島ではないので、おそらく海上保安庁関係のロラン保守のために送り込まれた人なのでしょう。南鳥島はDXに関してもかなり場所のいい所らしく、本土では難しいアフリカのカントリーなんかが、いとも簡単に増えて行くらしく、無線好きの関係者にとっては天国で、かなりアクティブに電波を出される方の転属が続きます。15時台、10分くらいよく聞こえていたのですが、その後急に弱くなり、我が垂直アンテナでは聴き取ることが困難になりました。ところが、その南鳥島を呼ぶ相模原の局がかなり強く59+で入感しており、200W局なのですが今の時間に1エリアの局が21メガではっきり聞こえるというのもだんだん春が近づいてきた証拠かもしれません。でも気候的には冬至を折り返して1週間で、今日の最低気温もマイナス15度(^_^;) 寒さはまだまだ続きますが、日の入りがちょっとだけ長くなったのがわかるほどになり、北国に住む者にとっては少しだけうれしいかも(笑) 18メガで広島の移動局がCQを出しているのが聞こえましたが、この年末に移動運用かい?(^_^;)

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December 28, 2005

加藤紀子も…

 年末は芸能記者から追いかけられる心配がなく、ワイドショー番組も年始まで休業状態になるためか、例年芸能人の結婚・離婚が狙ったように多発するようです。しかし、加藤紀子ちゃんまで年上のおっさんにさらわれてしまって、篠原涼子に続いて「加藤紀子よ、おまえもか…」状態なんですが、篠原涼子は東京パフォーマンスドール時代から、紀子ちゃんは桜っ子クラブ時代から知っているわけですから、何か胸中は複雑ですね。フジテレビの乙女塾出身者に比べると、桜っ子クラブ出身者は小粒のような気がしましたが、でも現在TVで活躍するのは桜っ子クラブ出身者のほうが多いようで、代表選手は菅野美穂と中谷美紀でしょう。井上晴美や持田真樹、中條かな子や加藤紀子らもいて芸能界では活躍した方だったんですが、大山アンザや中山博子はどうなった?(^_^;)
 しかし、中谷美紀はキーウエストクラブという2人組ユニットでの歌手デビューだったんですがこの中では一番大化けしましたね。今じゃ知らない人はいない電車男のエルメスさんです(笑)「恋をしよう」で歌手デビューだった菅野美穂も久しぶりに見たこないだの玉置浩二とのドラマはよかったぞい(^_^;) 菅野美穂のシングルCDも3枚目まで買ったんだけど、知り合いの大学英語講師のロバートがフアンだっていうから上げちゃった。
 ところで話は加藤紀子に戻りますが、県立鈴鹿高校を卒業してからのデビューなんで、桜っ子クラブの中では割と年輩だった気が。確か事務所が森高千里と同じアップフロントエージェンシーで、事務所で経理なんかやってた娘が知り合いだったんで、デビューの話はよく知ってますが、森高「今度私どこかに連れていって下さいよ」なんて長いタイトルの曲でのデビューでした。もらったデビュー告知ポスター、まだ持ってるよ(^_^;) 
 んで、桜っ子クラブの番組でピンで歌う加藤紀子の印象は「ハスキーボイスのミス眉毛」(笑)細く剃らずに眉毛のたくましい娘に悪い子はいないかどうかは知りませんが、当方割と声の第一印象に惚れるたちなもんで、三浦理恵子ちゃん同様にすぐにCD買ってってしまったな(^_^;) その後すぐに番組は終わってしまい、桜っ子クラブメンバーもそれぞれバラバラに仕事をするわけですが、2枚目のCDが出るのに1年くらい間があったような気がします。確かTV東京のゲーム番組か何かのタイアップだったはずですが、TVでもラジオでもその曲は耳にしたことはありませんでした。そのうち、何とJR東日本の車内吊りポスターで加藤紀子を見かけるようになり、TVでもJR東日本のCMで加藤紀子の歌がひっきりなしに流れるようになって、やっとメディアでの認知度もあがってきました。そしてあの日テレ・マジカル頭脳パワーでは驚異的な才能を発揮し、北野大教授とともに番組に欠かすことの出来ないレギュラーになり、ドラマでは靴職人の佐野史郎の妹役の安藤夏としてワンクール主役もこなしました。その後マジカル頭脳パワーの終了とともに、加藤紀子の才能を発揮させる場所が他にあるのかどうか危惧してました。2年間のフランス語学留学のために芸能界を休業し、その後はマイペースで仕事をこなしていたようです。しかしそこにはもうあの歌手加藤紀子はいませんでしたが。そして本日の結婚発表と。
 たぶんJR東日本CMタイアップの最後の曲だったと思うのですが「元気でいるよ」という曲がありまして、これ編曲がムーンライダースの江戸前ギタリスト奇才白井良明氏の手になる唯一の加藤紀子への提供曲なんですね。白井良明氏アレンジのアイドルポップスっていうのはとにかく一度聞いたら耳から離れないような独特な世界の白井節で、そのリズムに乗りきれないへたくそなアイドルを翻弄するのを楽しんでいるような(堀ちえみのWaショイ!等、その数知れず)アレンジの数々なんですが、その白井ワールドをしっかり加藤紀子が自分の物にしている「元気でいるよ」は、自分の曲にはかならずギターで出演する白井良明氏のギュイーンというギター演奏と共に自分的には「名盤」の一つです(笑)そういえば白井良明氏、新年から始まる新しい仮面ライダーの悪役としてブラウン管に登場ですか?ああ、最近はブラウン管に登場っていうのも死語になりつつありますから「液晶画面に登場」ですな(笑)

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December 27, 2005

上級アマ試験結果通知書発送される

 12月期上級アマ国家試験の結果通知が26日に発送になったようです。早いところはすでに届き始めたようで、各地から喜びの声が上がっているようですが、みなさんは如何でしたでしょうか?
 やっぱり通信術が免除になり、筆記試験にだけ没頭できた学習効果は確かにあったようで、「4アマ取得して1年目で2アマ1アマダブルで合格」なんて話を聞くと、通信術があったために4アマ取得から1アマ取得まで1年半だったわたくしのケースは、かなりの最短距離という自負は確かにあったのですが、これからは「なんだ1年半も掛かったのか?」なんて言われてしまいますねぇ(^_^;) ちょっと悔しいなぁ(笑)
 でもまあ、モールスで交信するもしないも以前の試験では通信術に合格しないと免許はもらえないわけですから、そのときやった通信術訓練のおかげでモールスの聞き取りはしっかり身に付きました。今回の上級試験合格者でこれからモールスの自己訓練にどれだけの人が精を出すかはわかりませんが、アマチュアの本分は「自己訓練」にあるので、電鍵くらいは手元に揃えておいてもらいたいですね。無線局設備に電鍵なくして「1.9MHz」の周波数割当はおかしいですぜ(笑)
 しかし、難解な計算問題がなかったとはいえ、まったく勉強してない人まで「合格」通知をくれるほどの甘い試験ではありませんが、確かに「原理原則だけしっかり理解出来ていれば正解を導き出すことの出来る」工学問題だったことは確かなようで、その分「一言一句正確に覚えていないと正解を導き出せない」法規のねちねちした引っ掛け問題に戸惑った人が多かったようでした。けっこう「法規は1日で済ませた」などという人が多かったみたいでしたが、「重箱の隅を楊子でほじくり出す」ような出題が1アマ法規なので、初級アマ試験の「電波法の大まかな原則」程度の考えで法規をおろそかにして、法規試験でしっぺ返しを食わされた受験者が多かったんじゃないの?(^_^;) ともあれ、3アマ所持で通信術が免除された初めての上級アマ試験の結果が通知されて、確実に上級アマ所持者が増えました。そのおかげで、これから14メガ電信電話部門のコンテストライバルが増えて、自分的には「軽くヤバい」状況になりつつあります(笑)

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December 24, 2005

12/24日で本線終煙30周年

 本日12月24日は国鉄の本線上から蒸気機関車の最終運行が行われて30年目の日となりました。30年前の当日はD51 241の夕張線最終貨物列車の6788レの追分駅到着を迎えることもなく、その日は同じ高校の合唱部によるクリスマスイブコンサートに顔を見せざるを得ず、追分駅には出掛けませんでした。それでも3日前の12月21日に追分機関区に出掛け、一足先に機関庫内のD51たちに別れを告げましたので、さほど歯がゆい思いをしたわけではありません。自分にとっての蒸機との惜別の儀式は3日前にすでに終わっていました。12月21日に追分機関区に降り立ったときは、さほどマニアの姿は見ることが出来ませんでした。線路を渡り機関区に行くとすでに火を落としている9600やD51もありましたが、機関庫内は白い蒸気のまとわりつく火の入った機関車ばかりで、あと3日でこの機関車達がすべて火を落としてDD51に取って代わられるということがまったく信じられない程でした。ひっきりなしに牽引任務を終えたD51が帰ってきますし、機関庫からもD51が出てきて転車台で方向を変え、牽引任務に出てゆきます。入換の9600も忙しそうに駅の構内を走り回っておりました。まったく以て蒸気機関車が「余力を持ちながらの強制的な幕引き」にさらされたような印象をさらに強めたような感じでした。
 追分機関区の蒸気機関車は入れ換えの9600を残してすべてこの昭和50年12月24日を以て全て火を落としました。9600型だけは翌年の3月まで追分駅構内の入換作業に従事しておりましたが、全道各地から保存を目的に追分機関区の扇形庫に集結されていた機関車の多くは、翌年4月の追分機関区の火災によって新造のディーゼル機関車とともに焼失してしまいました。国立博物館に展示される予定だった最後の本線牽引蒸機D51 241もこの火災に遭遇し、残っておりません。すでに火の気の無くなった機関庫で全ての機関車が焼け落ちるような火災がなぜ起こったのか未だに原因はわかっておりませんが、国鉄労使関係の対立が頂点にあった頃ですし、ディーゼル機関車転換による人員配置上の問題もあり、「放火か?」という噂もありながら、結局は有耶無耶になってしまったようでした。新聞には「蒸気機関車の焼身自殺」などと書かれたものもあったようですが、剥製のようになりどこかの公園に雨ざらしで放置され、ガラスは割られて部品も盗まれ錆びて穴だらけの躯を晒して「危険」という理由で、結局は解体されてしまうより、そのまま終焉の地で機関車として荼毘にふされたほうが結局は良かったのではないかと考えています。
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         昭和50年12月21日の追分機関区

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December 23, 2005

14メガでまったりQSO

 23日は祝日でしたが、12月の忙しいときに3連休でもなかろうと休日返上で仕事に出た局が多かったからか、空の上では相変わらずの7メガを除いてさほどCQを出している局も多くはなかったようでした。18メガと21メガをワッチしても国内で聞こえている局がありません。込んでいる7メガの隙間に入り込んでCQを出す気にもなれないために、14メガをワッチすると、そこそこ4,5,6エリアの局が聞こえるようなので、FT-101ZDに火を入れてチューニングを取ります。今の機械に比べるとアナログVFOのドリフトがあるために交信中も周波数がずれて来ますので、そのつど微妙に戻しながらの交信ですが、アナログVFO機の使ったことのない人から見たら、「なんでこの局は喋りながらどんどん周波数がずれてゆくのか」と不思議に思うでしょうか?(笑)さすがにVFOの周波数安定度はFT-101ZDよりも後発のアナログ機最末期のTS-830のほうが優秀ですけど、当局の周波数がだんだんずれてくるのは故障じゃなくてアナログVFOのせいですから、だんだん聞きにくくなったらクラリファイアもしくはRITで追いかけてくださいね(^_^;) いちおう気を付けてドリフトに合わせてVFOを微調整してますが。同級生世代はTS-520あたりからHFの世界に入っていった人間が多かったんですが、こちらのほうが周波数ドリフトはまだ大きかったみたいです。デジタルカウンターで周波数を直読出来なかったために、自分も相手もRITで周波数を追いかけ合うのは当たり前だったようですが、最近はSSBのセンターに正確にゼロイン出来ない人の声を追いかける以外には本当に使わない回路になりました。
 ということで、14.133にて9:30くらいからCQを出し始めると3回目くらいのコールで四国は新居浜のJA5コールのOMさんと繋がりました。新居浜は別子銅山を背後に抱える住友財閥の企業城下町であり、別子銅山から新居浜に掛けて鉱石を輸送するための軽便鉄道が国鉄の予讃線が開通する以前にすでに開通していた場所でもあって、産業考古学上大変に興味のある町でした。実際に現地はいったことがないのですが、なぜか神田の古書店で購入した予讃線開通以前の明治時代の古地図「1/50,000 新居浜」が家に転がっていますので、その別子鉄道の端出場とか惣開などの地名の事や、ニュースで見た神輿をぶつけ合う太鼓祭りのことを話しましたら、新居浜生まれの新居浜育ちで自分も住友系企業に勤められていたそのOMさんのほうが驚いてしまったようです。そのOMさんの話だと子供の時はその別子鉄道のすぐ線路脇で育ち、人口がとても多かった別子銅山のほうに何度も蒸気機関車に牽かれた客車に乗って出掛けたことがあるそうですが、とても急な坂を上るために途中で機関車が動かなくなって乗客がみな降りて後ろから客車を押したなんてことも何度もあったようです。こういう生の体験談を思いがけなく聞くことが出来るのも無線のいいところですね。「レポート59,カードビューロー」だけの交信じゃなかなかこういう事を知ることも出来ませんし、昼間の14メガは比較的に安定してますから局数はともかくロングでいろいろな話を聞くにはいいバンドです。あと太鼓祭りは「四国三大祭り」に徳島の阿波踊りと高知のよさこいと共に数えられるようですが、その二つと比べると北海道ではほとんど知る人もいませんが、その勇壮さにかけては岸和田の「だんじり」よりもすごいものがあるかもしれません。最後の太鼓台同士がぶつかり合う迫力はまさに迫真の物があり、OMさんの話だと韓日共催サッカーワールドカップでわざわざ韓国まで遠征して日本の祭りとして披露したようです。企業城下町新居浜の歴史と伝統で15分以上も長話してしまいました。30分くらい間を空けて、14.128でCQ出し始めるとコールバックしてきたのは前回まではお互いに偶然に繋がることが「盲亀の浮木」状態だった八代のK氏でした。一度繋がると間をおかずに二度三度と繋がることになるのは「マーフィーの法則」みたいなものでしょうか?(笑)九州も予想通りに北から南までまんべんなく雪が降ったようで、殆ど夏タイヤしかなくチェーンさえ持っていない南九州の交通はかなり一時的に麻痺状態になったようで。しかし暖房がエアコンだけっていうのもうらやましい。いちおう当方三種冷凍機持ちですが、北海道のエアコンはヒートポンプは役に立たず冬場はガスとか石油燃焼による暖房が備わったエアコンじゃないとダメなんですよ(^_^;) 15分くらい交信して次回3.5メガででも繋がったらと言われましたが3.5メガはどうなんでしょ?伝搬データまったく取っていない(ワッチも続けたことがない)ために、今の時期九州が何時台で繋がりやすいかもよくわかっていません。23時台っていわれたのかな?その時間は石油がもったいないから既に寝てますね(笑) K氏との交信の後、さらにCQを出しますが食い付きが無いためにQRTしようとしましたら八女市の局からコールバックがありました。ログの検索を掛けたらちょうど1年半ほど前に交信してます。名前を見て以前どんなお話しをしたのかおぼろげながらしか覚えていませんでしたが、相手の方は20も年輩なのに以前の交信の内容を詳細に覚えておられて恐れ入谷の鬼子母神です。当方が通信士免許を含めていろいろな免許を取りつつあるころの交信だったために、そのことなどもしっかり覚えておいででした。強電関係の技術者で60過ぎての1アマ取得で通信術で苦労したというお話しを聞いて14メガキュービカルクワッドのOMさんだったことを思い出しました。確かノイズを拾わずに静かなアンテナを突き詰めていったところ、結局はキュービカルクワッドに落ち着いたという話と、台風の時はやはり壊れそうなのでロープでがんじがらめに固定するなどというCQアンテナなりの苦労話などお聞きしたような気がします。今回は試験制度が変わって上級アマが12月期試験で大量に生まれそうなので、14メガあたりも少しは賑やかになるのではないかというお話しや、3アマが講習会によって数千人規模で生まれそうな話などをしましたが、このOMさんの意見でも14メガあたりがどんどん活性化し、さらにCWに出てくる3アマが増えるのも大歓迎とのことです。最近はDX交信のために駅前留学しているそうな。頭が下がりますね。そんなこんなのお話しで30分も交信してしまいました。14メガで一旦話し始めると長くなってCQ掛けても局数は稼げないんですが、こういうQSOなら自分的には大歓迎です。

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December 22, 2005

参加JL8コール2局だけのFDコンテスト

 JARLのWEB上で8月に行われたフィールドデーコンテストの結果が発表になったようです。このコンテストは移動する局が主役のコンテストで、電源も取れないような場所から移動運用する局が高得点を取れるようなルールになっており、当方のように移動設備も用意出来ない万年固定運用の局は交信相手も「移動している局」に限られてしまうために、移動運用局とは得点差が大きくなってしまうコンテストです。じゃあおまえも移動運用しろと言われると二の句が告げませんが(^_^;) 来年はハンディ機1個持って安い外部バッテリーたくさん用意し、山にでも登りましょうか?そのまえに体力鍛えるのが先決ですが(笑)
 というころで、あまり本気になって参加するコンテストじゃありませんし、相変わらず14メガの電信電話でサマリーを出しましたが、結果15位で後の方にはほんの数局やっただけでサマリーだけ出した局しかいませんでした。あと数年は8月のハイバンドの伝搬も期待できませんし、どうも最近のコンテスト参加もマンネリで惰性で参加しているだけですな(^_^;)
 一つ気になって5年も割当が続いている8エリアでは現行の「JL8」コールの局がどれくらい参加しているかと思い検索をかけたら、1エリアで10ギガの電信で参加していたすごい局を除いて、なんと当方1局だけでした。その時点で約4900局ほど割り当てられていた「JL8」コールの中でたった2局しかFDコンテストに出てこないのです。せっかくニューカマー部門なんていうのを設けても、コンテストの参加方法、ログやサマリーの書き方などを教えてくれる人もいないので8エリアではニューカマーの参加者も1人もいないのです。まあ、そんな方法はネットをググればわかることなんですが、そこまで自分で調べてまでコンテストに参加しようという人間がいないということは、コンテストの面白みのほうを教えてくれる人もいないってことなんでしょうね。
 支部コンテストにしてもそうなんですが、支部内ではコンテストに新たに参加してくれるニューカマーがまったくいなくて、以前から参加している局が年々減り続け、じり貧状態になってきているので、なんとか参加者を増やす方法を考えているのですが、どうも最近は間違った平等教育のおかげか「順位をはっきり付ける事を敬遠する」傾向にあるような気がして、若い人のコンテスト離れがますます進むのではないかと危惧しています。こういう人たちにコンテストの「戦略的なおもしろさ」を伝えるにはどうしたらいいものでしょうか?

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December 21, 2005

遭難信号を打った大馬鹿者

 15時台後半にたまたまリグの前に座る時間があり、この時間7メガでどの辺りが聞こえるか全くわからないのでリグのスイッチを入れてみると、7.056付近で一度聞いたことのあるようなコールサインが聞こえていたので、慌ててヒータースイッチをオンにし、パソコン立ち上げて確認すると、今年の5月に1度交信している局だとわかり、真空管が暖まったところで急いでチューニングを取りましたが、幸いにもまだCQが出ておりましたので、応答すると1発で取ってもらえて交信成立。かなりフェージングがあって、さらにこちらは雪が降り出しノイズと空電も加わり、あまりコンディションの良い状態ではないので、レポート交換もそこそこに、又他のバンドでの再会を約束してファイナルを送りました。たまたまこの局は相模原の局だったのですが、他をワッチしてみると、横須賀あたりの局も聞こえるのですが、6mの開け方同様に「16号線の法則」が」成り立つのでしょうか?(笑)
 夜もあまりコンディションが良くなく、3.5メガで相手になるような局も見つかりませんでしたが、青梅の500W局が喋っているときに同一周波数でその局のコールサインで「SOSとOSO」をCWで打っている大馬鹿者がいたようです。妨害もさることながら虚偽の遭難通信と非常通信を発放したら、どれくらいの罪に該当するか大馬鹿者にはわからないらしい。業務通信の世界じゃ遭難通信はGMDSSにシフトしてモールス通信が無くなったので、関係ないとでも思っているのでしょうか?最近は電波監視も厳しくなっていますから、どういう結果になるか、あなおそろしや〜(^_^;) そういやこないだ函館近辺から衛星を通じてGMDSSの遭難信号がキャッチされ、海上保安庁の航空機や船舶が捜索に出て大騒ぎになりましたが、発信先を特定すると何と陸の上で、ある廃材置き場から遭難信号が出ていたとのこと。これ廃船になったイカ釣り船の解体部品にGMDSSの送信機がバッテリーも外されずに紛れ込んでいて、何らかの原因で作動して衛星に向かって電波を発信したようです。アマチュアごときの安易な考えで、たとえモールスにしても遭難信号を送出するなんていう妨害がどういうようなことになるか、よく考えて欲しい物ですが、上級の法規を勉強したらそんな恐ろしいこと出来ませんって。

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December 20, 2005

1年3ヶ月ぶりの3.5メガ

 自作の7メガフルサイズV型ダイポールアンテナにトラップコイルを自作してエレメントを追加延長し、3.5メガも出られるようにする計画だったのですが、秋口から初冬にかけて忙しく、ついにそっちの方面に着手することなく雪の季節を迎えてしまいました。ということで、相変わらず3.5メガは短縮率のめちゃめちゃ高い垂直アンテナ1本でのQRVで、SWRの2.0以下に落ちる範囲もわずか15kHzくらいで、バンドのエッジからエッジまで運用しようと思うとアンテナチューナが必須です。100Wの出力を掛けようが有効にアンテナから放出される電波は、アンテナの短縮率の高さもあって10W機のフルサイズダイポール使用の局に負けるかもしれません(^_^;)
 そんなわけで、コンテストなんかで呼ぼうがまともに取ってもらえることも稀なためにどうしても運用から遠ざかってしまい、殆ど運用もワッチもしないバンドです。そして7メガ同様に「4アマ違法高出力局」が幅を効かすバンドなので、7メガ同様にあまり好きではないバンドなのですが、今の季節は夕食後にシャックに上がっても7メガでさえ国内がスキップしてしまい、8から聴くと沖縄の局がよく聞こえるような感じで、7メガさえ交信チャンスがありません。
 そこで19時すぎに久しぶりに3.5メガをワッチすると、8の道内局が何局か出ていました。3.5メガで道内局は過去に釧路・帯広方面の局と何局か交信履歴があります。その中で厚岸郡浜中町の局がフェージング混じりながら素晴らしく強力に入感してきたので、浜中だったら交信出来ると思いチューニングを取りましたが、その局の運用周波数がアンテナのSWR調整したちょうどその谷間の周波数でCQを出してくれていたためにアンテナチューナ無調整でそのまま応答すると一発でコールバックがありました。それで5分ほど雪の状況などの話をしましたが、3.5メガでQSOするのは何と1年3ヶ月ぶりです(笑) しかし、余りにも強い信号なので、どういう局なのか無線局情報検索かけたら10W局でした。アンテナによって10W局でも200W局並の強さで聞こえるんですねぇ、驚きました。なんちゃって、そんなまじめに10W運用なんて信じてませんが(^_^;)

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December 19, 2005

盲亀の浮木・優曇華の花

 10月の全市全郡コンテストの後は新釧路市誕生特別記念局の8J8Kに一度応答しただけで、何とまるまる2ヶ月間運用していませんでしたし、ハイバンド伝搬の季節でもないために、ローバンド系アンテナのPOORな当局は最近はワッチもせずにリグの電源さえ入りませんでした。これだけ間が抜けてしまったのは1アマを取得して運用を解禁してから初めての事でした。このままではローカルのOM諸氏のように実質的QRTの道へ真っしぐらということを危ぶんで、土日に何とか電波を出そうとするも、17日土曜日は吹雪の悪天候で更に大カミナリ大会でしたからノイズと空電が我慢できなく、誘導雷食ってリグがパーになるのもつまらないので同軸も外してしまいました。18日は嵐も去り、好天にも恵まれたので、FT-101ZDに久しぶりに火を入れて十分ウオームアップし、チューニング取ってダミーロードに向かって声を出したらマイクから埃が盛大に飛び立ちました(^_^;) リグの中にも蜘蛛の巣が張っていたのじゃないでしょうねぇ?(笑)
 十分にリグのウオームアップが終わったところで14.129付近でCQを開始しました。14メガでCQは殆ど出したことはありませんし、14メガの運用も最近はコンテスト以外まったく出ておりませんでした。コンディションはそこそこという感じで、ちょうど6エリアがだんだんスキップして4エリア3エリアが聞こえ出す時間帯に入っています。先週Sさんが日中7メガ以外全然ダメって言っておりましたが、どうして日曜ともなるとけっこう聞こえる局が多いじゃないですか。
 CQを開始してすぐに神戸のFさんから応答をいただきました。殆ど1年ぶり3回目の交信で、話題といえば今回の寒波到来による雪の話とかもっぱら天候関係の話題ですが、神戸は氷点下に近いながらも雪がまったく無いとのことで、高い山が背後に控えていると我が町同様に西からの季節風を遮って雪は殆ど降らないようです。10分ほどお話しをして、次に応答いただいたのは京都は宇治市のTさん。宇治は珍しく積雪があったようで、朝方動けなくなった車が何台も出たようです。15分ほど雪の話題をして次に声を掛けていただいたのは愛知県は豊田市のKさん。愛知県は珍しく大雪でそのときも現在進行形で雪が降り続いていたようですが、椅子に座りながらにして東海から近畿・中国地方の雪の情報がリアルタイムで取れるっていうのも面白いですね(笑)
 一旦、下に客が来たために5分中座し、少し上の14.300でCQが掛かっていたので応答すると岡山のAさんでした。岡山は雪がまったく無く、気温だけが今年1番ともいえるくらい低いだけという話でした。年末に雪のない岡山から旭川に飛んで2泊3日でレンタカーを組み入れたパック旅行で道内を回るそうなんですが、道産子の我々でさえ冬の道内長距離移動は遠慮したいくらいですから、1日300キロの移動は十分お気をつけ下さいと雪道運転の注意情報をお話しして20分くらい交信しました。
 14メガの食い付きも悪くなってきたので、18メガの様子をワッチすると先週まであれだけ強力に入っていた中国のラジオ放送の混信がウソのように無くなってます。そのためだけではないでしょうけど18メガ帯にも国内の局が何局か聞こえておりますので、リグのチューニングを取り直し、18.147でCQを出しますと東広島市のHさんから応答をもらいました。神戸から岡山までは雪がないのに広島近辺は大雪だそうで、20センチも積もったと言うことでした。どうやら広島のあたりは季節風を遮る中国山地の標高が低すぎて、まともに雪をもらったようです。さらにCQを続けると熊本は八代市のKさんから応答をいただきました。コールサインに聞き覚えはないのに、当方を知っているようなことを言われて、やっと八代とK氏の名前ですぐに思い出しました。ブログ見てコメントいただき、何度かメールのやり取りをしたK氏だったのですね。交信したあとでブログを見ていただき、再度交信したときにその話題に触れる方はいらっしゃるのですが、ブログにいただいたコメントで知り合いになって、偶然に空の上で遭遇するなんていうのは前代未聞で、まさに、あな珍しや「盲亀の浮木・優曇華の花(もうきのふぼく・うどんげのはな)」状態です。盲亀の浮木は「目の見えない亀が、大海を漂う木材の穴を通ることの出来る確率」、優曇華の花は「3千年に一度しか花が咲かない優曇華の花が咲く確率」ほど「希な事」を表す意味で使われますが、落語では「花見の仇討ち」なんかに出てくる親の敵に出逢ったときの決まり文句ですね(笑)別に空の上で親の敵に遭遇したわけではありませんが、こちらも2ヶ月ぶりで電波を出すくらいの低アクティビティー状態ですし、相手のKさんも仕事が忙しくて同じような状態ですし、そんな二人がしかも18メガで遭遇するとは、まさに「盲木の浮木・優曇華の花」状態です(笑)九州も山の方は相当な雪になったようでした。Kさん、また他のバンドでもゆっくりお話ししましょう。
 昼を過ぎて14メガに戻りましたが、午前中よりも出ている局が少なくなりましたが、局地的に非常によく聞こえる局が何局かあります。まだ大丈夫だと思ってCQ掛けると富士宮のMさんからお声を掛けていただきました。他は2エリアの局はまったく聞こえなくなったのですが、Mさんのヘンリーの古いリニアに助けられ10分ほどお話ししました。その後、CQの声に応答してくれた局は松任市から白山市に変わった9エリアのSさんでした。Sさんは2年前のオールJA9コンテストの時にコンテストサービスして以来、2度目の交信で、長々と20分ほどお話しさせていただきましたが、やはり例年になくすごい雪ということで、それでも白山市のほうは能登半島で雪をもらってしまう為か、富山や福井あたりよりも雪はまだマシとのことでした。それでも町のあちこちで雪に突っ込んで動けなくなったFR車が続出しているとのお話し。月曜には富山まで車で走らなければいけないということですが、当方も自分の車は積雪15センチでエンジンやシャシー下が雪で持ち上げられて走行不能になり、冬場は恐ろしくて雪の少ない我が町の近辺から外には走り出せません。もっぱら冬場は親父のフルタイム4駆のカローラじゃないとつるつるの交差点ではスタートもままならないんで、「北海道の車は乗用車でもフルタイム四駆が多い」なんて話をしましたが。なにせ我が愛車、札幌のディーラーにエアコン修理に出したときに受付の女の子から「冬でも走るんですか?」って驚かれましたが、確かに札幌あたりじゃ1歩裏道に入ったら走行は無理ですな(^_^;)
 局数は8局と少ないながらも平均で10分以上も長話が出来ましたので、久しぶりに十分アマチュア無線のいいところを堪能したような充実感を味わいました。

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December 18, 2005

ディア・オールド・ストックホルム

 最近、故大塚博堂氏の名曲「ダスティンホフマンになれなかったよ」の歌詞によく似たことを知り、少しだけ自分の周りの「時の流れ」だけが遅すぎたような感覚に陥って、さらに雪に閉じ込められるような冬の季節を迎えて少しだけ心の弱気にかかってしまいました。普段の自分じゃあんまりコンプレックスの持ち主だとは思わないんですが、季節的にも何か心に弱気の虫が走り、こんな時酒でも飲んでわいわい騒ぎ、気分転換を図ろうにも酒とはすっぱり縁を切って間もなく4年ですから、酒で気分転換を図ることも出来ません。そうなったら徹底的にセンチメンタルな曲を聴いて徹底的に落ち込むことによっての逆療法です。こういうときは演歌じゃいけません。もっとも日本のソウルミュージック・都はるみを除き、大部分の演歌はどれもこれもパターン化されていてみな同じ曲に聞こえますし、自分はまったく演歌という柄じゃありません。冬の雪に閉ざされた夜に聴くにはジャズが一番。それも明るいメジャー調のスタンダードじゃなくてマイナー調のスタンダード曲が良く似合います。編成はトリオ以下に限ります。クインテット以上だとそれぞれの楽器が主張し合ってうざい。となるとピアノトリオの中から思いっきりセンチメンタルな曲を捜しますが、スタンダードの曲解釈によっても様々に印象が違ってくるので難しいところですが。「枯葉」は季節的に遅すぎますし、エバンスもウイントン・ケリーの演奏でもちょっと落ち込めない。徹底的にセンチメンタルな曲というと、レイ・ブライアントによる「ゴールデン・イアリングス」あたりがいい線を行っていると思いますが、昔からあんまり聴きすぎて耳に馴染んでしまってダメ。マイ・ファニー・バレンタインはチェット・ベーカーを始めとして取り上げられた事も多いのですが季節が早すぎるし、中にはアート・ペッパーみたいなセンチメンタルに陥れないマイ・ファニー・バレンタインもあります。モンクのラウンドミッドナイトは神々し過ぎという事で、しばらくぶりで聴いた曲は「ディア・オールド・ストックホルム」というスタンダード曲。この曲は原曲はスウェーデンの民謡のようですが、季節的にも雪に閉ざされた今の「全ての物の色彩が白一色に変えられた季節」に聴くのにぴったりです。どこか頭の奥に染みついているメロディだと思ったら、スメタナの「モルダウ」の原型にもなったほど昔から伝わる曲なんですな。ジャズ界でもスタンゲッツを始めマイルス・デイビスやポール・チェンバースのBN1569、コルトレーンからエディ・ヒギンズあたりにまで取り上げられていますが、少し弱気になった自分の心に見事にはまってしまったのは、アケタの店でも有名な明田川荘之氏の「室蘭・アサイ・センチメンタル」の中の2曲目のディア・オールド・ストックホルムでした。これ、いつ頃買ったのかまったく覚えていませんし、日本のジャズメン自体、山下洋輔氏以外のCDはあまり買ったこともないはずでしたが(考えてみたら日野皓正のハイノロジーとか藤、渡辺貞夫なんかの昔のLPがどこかに30年も放りだしてあるはず)。この16分近くに渡るピアノトリオの演奏でディア・オールド・ストックホルムという曲のテーマが頭脳に焼き付いてしまい、どこまでも白い雪景色を想像すると、このテーマが頭の中に流れて来るのですからかなりはまりました。アケタのCDはなかなか扱っているところが少ないのですが、今ではネットで入手可能ですし、なによりアケタの「ディア・オールド・ストックホルム」だけ音楽配信でダウンロード出来るんですから時代は変わった。とはいえ、うちの音楽環境自体もiTunesを作動させたMacintoshとアナログオーディオをデジタルオーディオプロセッサ介して結んでいるだけで、3500曲ほどのコンテンツをジュークボックス状態で再生しているだけですが、Macのファンの作動音が気になるので、出来ればファンレスのMacが専用で欲しいところです。何か巨大なiPod状態といえば話が早い(笑)
 しかしジャズはやっぱりスタンダードに限ります。去年の「SWING・GIRLS」という山形の女子高校生達のジャズビッグバンドの映画があり、最近TVで放映されましたが、朝ドラの「ファイト」にも出ていた本仮屋ユイカちゃんが、交差点で盲人用信号音のスコットランド民謡「故郷の空」を聴いて「これってジャズ?」って上野樹里達に尋ねるシーンがありましたが、あれはリズムの話ですが、どんな曲でもジャズのテーマとしてスタンダードになる可能性は山下洋輔氏の「仙波山」でも証明されていますよね(笑)何回もディア・オールド・ストックホルムを聞き直して、急にジャズピアノを弾いてみたくなりましたが、肝心のピアノは30年近くも調律もされず、物とか本とかが積まれているような状態ですから、寒いピアノ部屋でピアノと格闘するよりは、KORGのX2でも自室で弾けるようにセットアップでもしてみましょうか。

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December 17, 2005

JL8コール再免許率と2mの活性化

 北海道の現行割当プリフィックス「JL8」コールですが、ちょうど半分の割当を超えたところであたまの方が5年の局免期限を迎え、今年の6月から再免許の発給が始まりました。11月までにJL8AAAからJL8AZZまでのサフィックスAのコールがすべて局免期限を迎えたために、はたして免許状をうけて5年経って再免許の申請がどれくらいの割合で行われるのか全676局を調査してみました。それによると、全676局中で再免許の申請を出したのは322局です。再免許申請率にして約47.6%という数字になり、5年にして半分以上の局が再免許を申請せずに「廃局」に至ったことがわかると思います。
JARLはここ半年の会員数の推移と3アマ講習などの盛況ぶりを見て「JARL会員減少には歯止めが掛かった」と判断して一定数以下になった地方支部の統合案を突然撤回しました。12月の上級試験の受験者数を見てもその思いを更に強くしたと思います。ところが現実には開局5年の局免喪失率が5割を超える現状をJARLの幹部はどう分析しているのでしょうか?
 過去何度も書いてきたことですが、せっかく4アマ養成講習で免許を取ってハンディ機もしくはモービル機の144/430FM2波で開局しても、トラック同士のお声掛け以外に今やバンド中で今やアマチュア局のCQの声も掛からず、新規開局者は声を出すこともなく5年の免許期限を迎えて廃局というケースが多いと思われます。その新規開局者に対して、いかにフォローするかを考えなければいけないはずなんですが、それに対するガイドラインはまったく示されておりません。
 4アマ養成講習で大量に従免所有者を生み出してきながら「廃局数に新規開局数が追いつかない」現状は、新規開局者に対するアフターフォローをまったく考えずに放置しておいたことが原因です。30年前であれば、同年代の無線仲間のようなものが出来て、その中での情報交換を通じ、またローカルOMなどの指導もあり、そこから自己努力で育ってゆくニューカマーが多かったのですが、今や技術指導にも優れるようなローカルOM氏はとっくに無線で電波を出すこと止め、未だにメンコ集めに精を出すコンプライアンスのカケラもない電話級オーバーパワー局の7メガ電話馬鹿OMだけが相変わらずアクティブで、無線の興味による自己訓練が本分のアマチュアのニューカマーは、世代的にも「与えられなければ何も出来ない」マニュアル世代となり、何かしてもらわないと自分から電波を出すこともなくそのまま5年で廃局に至るというパターンが出来上がってしまいました。
 かなり活動的な地方支部にあってはこのニューカマー対策の必要性に気がつき、「2mで毎晩、誰かがCQを出してニューカマーの相手になり、ニューカマーが電波を出せるような体制を作る」という対策を立案した支部もあります。当方でも「2m活性化の提言」と称して、支部総会で同様の内容をぶちあげましたが、まだまだ具体的な活動が取れずにそのままになっておりますが、ニューカマーの中には将来的に地域の中核になるアクティブなハムになる原石が多数含まれているはずですので、それらの人たちを「相手がいないから5年で廃局」に追い込まないように、JARL本部が具体的に何も出来ないのだったら、地方支部が積極的に「2mの活性化策」を考えて実行していかなければいけません。とりあえず、12支完成の人が多くなり、ここ2年ばかり全くCQの声が出なくなった「ニューイヤーパーティ」で2mでCQを出して貰えるように、地元クラブのメンバーにお願いしてほしいと会長のSさんにお願いしておきましたが。また、ニューカマー局に参加してもらえるような定期的なロールコール実施なども検討課題でしょう。

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December 16, 2005

RICOH No.1051S 両面計算尺

 この計算尺ははるばる九州は宮崎の都城近辺からやってきた計算尺です。先週未開封のNo.1051S-1を手に入れましたが、その比較検討用に入手した「-1」のつかない単なるNo.1051Sです。殆ど使わないうちにしまい込まれた(20回程度)とのことですが、箱がかびでも生えてボロボロになったのでしょうか、箱なし説明書なしでした。それでも殆ど使っていないと言うのは本当らしく、リコー計算尺独特のあとからスチールウールで磨いたようなつや消しの肌合いをそのまま残している計算尺でした。でもこれ固定金具の周りはつやの消し残したところがあるので、本当に組み立ててからつや消しをしているような感じです。リレーの時代はつや消しとはいえないような半光沢の肌合いでしたが、いつの時代からこういうつや消しになったのでしょうねぇ。少なくとも昭和40年製のNo.116Dも同じようなつや消しでした。確かに電灯の下で細かい目盛を透かして見るときはヘンミの尺よりは遙かに見やすいと思います。
 さて、このNo.1051Sの刻印は「RS-11」と見えますから昭和44年の佐賀工場製でしょうか?先週のNo.1051S-1よりも4年ほど古い製造になります。この計算尺には金属の枠にはまったプラスチック成型品のカーソルグラスがはまっていて、例の固定尺にカーソル面が擦れ合わないようにするために突起を設けたものになっており、カーソル面が擦れて擦り傷が入らないようになっております。カーソル枠を止めるランナーは以前のカーソルのプラスチック板を直接ネジ止めしたタイプの金型を改良して「指掛かりのグルービングを掘った」もののようです。横幅はどうしても大きくなるんですが、どうして片方の親指で微妙にカーソルを左右に動かすことも出来て具合がいいのですが、何であとから小型の四角いカーソルに変えてしまったのでしょね?
 この計算尺の生産に係わった佐賀市内のリコー計器は、リレーの時代はリレー産業という名前でリコー三愛グループ企業の一つでしたが、時代と共にリコーの資本率が強まったのか、三愛計器という社名を経て現在もリコー計器としてリコーのOA機器の部品としての小型高圧電源、人体感知センサ、コントローラ等の電子部品の製造で盛業中です。計算尺から電子部品製造への転業はヘンミも似たようなものですが、昔のリレー産業の時代はもしかして本業は継電器(リレー)の製作で、計算尺はその片手間の仕事だったのでしょうか?(^_^;) 現在は他社向けの仕事や独自の営業をしていないためか、リコーの関連会社の中では珍しくWEBページも開設しておりません。そのために詳しい会社の沿革がわかりませんので、いつごろまで計算尺を生産していたのかもよくわかりませんでした。ラインナップ中には手動の「加算機」なんていう製品もあったようです。計算尺よりこっちのほうがレアでしょうか?
 このRICOHのNo.1051Sのカテゴリーは√10切断系のためか「高級(両面型)計算尺」という扱いのようですが、実際には工業高校の学生の計算尺検定用という需要が多かったような気がします。HEMMIでいったらNo.P253の競合商品といったところでしょうか。1051SはP253に比べると尺の配置は違えども尺の種類はまったく同じ。裏面は基本的には尺の種類も配置も変わらないのですが、リコーなりの差別化で滑尺にC尺が追加されていて尺種類が1つ多い構成になっております。日本人は「一個増量で価格据置」とか「数が増えても値段は断然お得」とかそういうのに弱いんですよね(笑)もっともリコーの計算尺シェアがヘンミに比べると微々たるものだったために、尺を一つ増やしたくらいでP253に勝る売り上げを上げた効果があったわけではありません。たぶん「周りの人間が持っている計算尺と違う計算尺を使いたい」という心理に付け入った販売戦略といったらおおげさでしょうが(笑)
 実際に1051Sと1051s-1の両方が手に入ったので、詳細に比較検討すると、S-1のほうはカーソルが小型になってCIF尺が緑色に色分けされ、裏面のS,T1,T2尺が逆目盛になった以外は、やはり変更点は見つかりません。ヘンミだったらモデルナンバーを変えるまでもないマイナーチェンジの類なんですが(^_^;) それはさておき、使うのがもったいないようなきれいな状態の計算尺なんですが、「使ってなんぼ」のものなので、実用にします。昨夜の会議でAAAからAZZまでのサフィックスで割り当てられる総無線局数を計算していかなかったために、計算尺を取り出しアルファベット26文字の2乗を計算して676局の数値をはじき出してもあまり受けませんでしたね。どうやら学校でさんざん計算尺を使わされた世代の集まりだったので、「なにをいまさら計算尺」と思われたのでしょうか(笑)そういえばこの関係の7月に開催された支部総会お楽しみ抽選会で当たった商品が「電卓」だったのよ(^_^;)
No
 旧新2タイプのリコー両面計算尺用カーソルです。こののちヘンミ同様の四角い小振りなタイプにマイナーチェンジします。明らかに旧タイプはカーソル線が太〜い。この太さで連続計算すると誤差がどこまで拡大したものでしょう?(笑)
RICOH No.1051Sの表面拡大画像はこちら
RICOH No.1051Sの裏面拡大画像はこちら

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December 15, 2005

新上級アマ合格者のCW訓練

 今回上級試験を受験したその約9割までもが通信術免除者だったという話です。ということは2アマ所持で欧文45文字/分2分間通信術通過者の1アマ受験はともかく、大部分の人が3アマ所持による上級試験通信術免除者だったようで、CWをやるために3アマを取得して現役バリバリのCWerなら話は別ですが、まったくCWをやることもなく3アマから上級になってしまった人のことが心配です。もっとも「CWなんかやる気もないし興味もない」という人も当然いるでしょうが、周りの目としては「上級だったら最低限のCW交信は出来て当たり前」ですから、それに対して「CW出来なくても上級は上級」という開き直りの態度は、少しばかり恥ずかしいのではないかと思います。
 まあ、以前からすると本末転倒なことなのですが、上級を取得したのだったら早く45文字/分の段階から60文字/分、さらには実用レベルの80文字/分あたりまでの段階を踏んで、まず打てなくとも聞いて何を言ってきているのかどうかわかるくらいに耳を慣らしてゆく「受信練習」の自己訓練を勧めます。その中にはフリーソフトのパソコン用CW練習ソフトがありますが、それを経てからは実際に飛び交っているCW波をワッチして、コールサインだけでも確実に捉えられるように訓練をしてゆけば宜しいと思います。また、電鍵を一台入手し、平行して送信練習をしてゆくだけで、受信の能力のほうも飛躍的に上昇していきますので、出来れば電鍵を1台入手することをお薦めいたしますが、法律を厳密解釈すると「免許を申請する無線設備として出すことの出来ない電波の形式を申請することは出来ない」ために、電鍵を備え付けていないとA1Aモードは申請できないはずですぞ(^_^;) もっとも「おいらは、電線を直接くっつけたり離したりしてA1A電波出すから余計なお世話」といわれりゃ反論できませんが(笑)
 エレキー内蔵のリグを使用しているんでしたらやっぱり横振れの電鍵から入るほうがいいようです。というのも縦振れでキーイングをしている人で、短点長点やスペースの長さを正確にリズムを刻んできれいな信号を送ることが出来るのは相当のベテランです。自己流キーイングの人でどこまでが符合の切れ目なのかわからず、さらに短点の連続がスムースに打てずにそこだけ速度が低下し、全体的に「早くなったり遅くなったり」の符合をうち続ける人がいて、その人のコールサインを聞いたらけっこうなOMさんだったりする人がいます(笑)また、縦振りの電鍵で速度の速い符合を正確にうち続けるのは相当の訓練とリズム感が必要です。また速度的にもエレキーには絶対にかないません。初心者はエレキーを使って正確なスペースの符合を打つことが出きるようになってから縦振れ電鍵に手を出すほうが宜しいでしょう。じゃあ何で縦振れ電鍵をやる必要があるのか? はっきり言って必要ありません。自己訓練の一環としてマスターするという、そういう理由だったらエレキーに慣れて交信も出来るようになった後で縦振れ電鍵に挑戦してきれいな符合を打つスキルを得ることは意味があると思いますが。では自分がなぜHK-808という縦振れ電鍵を使っているかというと、自分が思ったことをすぐにCWにして打ち出すには縦振れのほうが合っているような気がすることと、符合の速度を自由自在に打ち分けることができるというそういう理由でしょうか?あと、自分が無線に触れた時代には縦振れとバグキーしかなかったために、無線免許を取ることが出来なかった少年時代に回帰すると、自ずから2つの選択しかありせん。今じゃ両方使ってます(笑)それにどっちみちうちの2台の真空管式HF無線機はエレキーなんぞ内蔵してませんから(自爆)でもちゃんとカツミの外付けエレキーは持ってますよ。
 とりあえずCWの符合を聴き取ることが基本です。その速度が上がってゆけば送信のほうも問題なく出来るようになるとは思いますが、経験上から言って何らかの楽器の経験者のほうが確実に「受信も送信も上達が早い」ような気がします。というのも楽譜を見て楽器を演奏する、また意識しないで自然に楽器を演奏する能力を司る頭脳がCWを聞き、または送信する能力を司る頭脳に共通しているような気がするからです。また楽器演奏者は一定の速度でリズムを刻む訓練も出来ていますし、正確な符合のスペースを取ることもすぐに会得できる人が多いように思います。コールサインは古いが符号間隔バラバラで早くなったり遅くなったりの符合を平気で打ってくる人は、かなりの音痴じゃないかと思うんですが(笑)
 さて、コールサインも取れるようになったし、ある程度正確な符合も打てるようになったらCWをやってみないと上達しません。その前に実際にCWで行っている交信を何度もワッチしてどういう交信をしているかを掴まないといけません。最初からうまい人なんか1人もいませんが、とにかく最初は「599 BK」だけで構いませんからとにかく応答してみましょう。初心者はよく「ラバースタンプ」とかいって、自分もよく理解していないような定形文をよく打ちたがりますし、そのため「どういう文章を用意しておけばいいか」なんて質問がよく出るようですが、自分の身にならないこんな定形文を打つ必要もありませんし、相互会話にならない無意味な定形文を相手も要求してきません。「5NN BK」と「TU」の2つだけ打てれば十分ですし、そういう交信しかしてない相手を狙って交信すれば良いのです。そのために10メートルの飛び込み台からプールに飛び込むような覚悟でまず応答する場所としては「コンテスト」が一番良いと思います。もっともコンテストナンバーの交換はしなくてはいけないので、コンテストのスコアを出すつもりがないのなら、相手のコンテストナンバーなんか聴き取る必要はなく、こちらから正確なコンテストナンバーさえ送れればよいので、まず飛び込む場所としては最適でないかと。また、相手は得点にからむ貴重な交信相手だと認識してますから、少々へたくそな符合でも真剣に聴こうとしますので、速度に関係なく正確なコールサインとレポートを送ればそれ以上は何も要求されません。あと飛び込むのが比較的に楽なのは10メガのCWだと思います。ここの移動局も殆ど「5NN BK」だけの交信ですから「局数をこなしてCW交信の度胸をつける」のには最適なバンドではないかと。ただし、珍移動地からの局だとパイルに陥りやすいので、コンテストほど相手がよく聴き取ってくれるということはありません。また、カードの交換の約束がなくとも10メガの移動局はカード交換が原則ですので、少なくとも相手からのカードのもらいっぱなしではだんだん交信相手が少なくなりますよ(笑)
 とにもかくにも「符合を聴いて慣れる」事が肝心で、最低でも60文字くらいの速度でコールサインくらい聞き取れるようにならないと交信になりません。じっくりと時間をかけて徐々に聴き取り速度を30から45文字/分、それから60文字から80文字にまで上げるように、しっかりフリーソフトでモールスの聞き取り練習を開始しましょう。

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December 14, 2005

最後のSL旅客列車から30年

 本日12月14日は特別な記念日です。とはいっても雪の本所松坂町吉良邸討ち入りではありません。日本で最後まで残った蒸気機関車旅客列車(C57 135牽引225レ)が終焉を迎えた昭和50年12月14日から数えて30年目の記念日なのです。当時、まだ地元にいて蒸気機関車の終焉に立ち会えたのは、蒸気機関車マニアの端くれとしてはまったくもって幸運なことでした。また、この日まで旅客列車も貨物列車もその殆どが蒸気機関車牽引だった室蘭本線の沿線に育った自分にとっては、蒸気機関車というのは特別な存在ではなく、ごく日常の風景だったのにも係わらず、12月14日には旅客列車が、12月24日からは貨物列車からも蒸気機関車が引退し、それまではだんだんDD51に置き換えられて細々と運行されていた蒸気機関車が徐々に姿を消していったのではなくて、蒸気機関車はその前日まで当たり前のようにひっきりなしに走っていたものがその日を境にぷっつりと姿を消したというか「動力近代化」のポリシーのもとにまだ余力を残しながら強制的に引退されられたというような印象でした。追分機関区では入換えのためのDE10が揃わずに翌年3月まで9600型が煙を上げ続けていたのは有名な話です。
 最後まで残った蒸気機関車牽引旅客列車は室蘭本線の室蘭と岩見沢を結んでいました。岩見沢に親戚がいた関係で、苫小牧から岩見沢まではこの客車列車に何度も乗りましたが、鋼体化改造客車と鋼体客車の寄せ集めで、近代化改装済の青色客車は末期に編成に混じることはあっても40年代初めはニス塗りの茶色い客車ばかりでした。中には「オハニ」とかいう半分荷物車になった客車もありました。優等列車がなかった室蘭本線ではかなり遅くまでこの古い客車に似つかず車内販売も行われており、沿線の追分駅でもアイスクリームや追分饅頭の立ち売りが、栗山駅でも栗饅頭の立ち売りがあった時代がありました。40年代までは白いグローブのついた白熱灯照明でしたが、いつの間にか旧白熱灯の台座にサークラインを配した蛍光灯照明に変わりました。室蘭から岩見沢までの中間地点がちょうど苫小牧で、ホームの先端に蒸気機関車の炭水車に給水する給水塔が立っており、旅客列車が入るたびに燃料掛の職員がテンダに上がって給水と石炭のかき寄せをしたものです。ちょうどホームから岩見沢寄りに40年代の始めまで駅前から支笏湖方面に向かう道路の踏切があって、以前は踏切警士がいて踏切の開閉をおこなっていたのですが、1キロほど先に陸橋が出来たためにこの踏切が廃止になり、その変わりに人道跨線橋が出来ました。この跨線橋が絶好の列車観察ポイントでホームからは離れていますが、貨物列車はすぐ目の前で停止して給水をし、乗務員交代などが行われるために、その作業を見るために飽きずに通ったものでした。乗務員交代の時は機関車を降りてきた乗務員が黒い学生鞄のようなものに挟んでいた小さなヘッドのハンマーを取り出し、ロッドの辺りをカンカンたたき始めるのですが、この作業がなんか格好良くてね(笑)小学生の時は将来断然「蒸気機関車の機関士」志望だったのですが、その時すでに数年後に廃止で、大人になるときまで保たない職業だった
(^_^;) 結局DLは蒸機を廃止に追い込んだ敵だった為DL運転士にはなりたくなかったし、国鉄も赤字続きで鉄道員にはなりませんでした。
 昭和50年になってからは北海道内でも蒸気機関車廃止路線が次々に出てきて、旅客列車では一足先に宗谷本線の普通列車から蒸気機関車が引退し、夏にはここ室蘭本線にC57 38,44,57,135,144が残るだけとなりましたが、列車によってはDD51牽引になったり、C57の員数調整でD51牽引の列車に変わったりして、そういう列車に乗り合わせると何か損をしたような気になりました。貨物列車は比較的に当時はまだ石炭貨物列車が多かったために根室本線芦別から赤平、滝川を経て岩見沢に至る滝川機関区のカマ、歌志内、上砂川を経て同じく岩見沢に至る滝川・岩見沢第一機関区のカマ、幌内線から岩見沢に至る岩見沢第一機関区のカマ、夕張からと岩見沢から苫小牧を経て室蘭までに至る追分機関区のカマなどが未だに健在でした。また、各操車場では9600型が未だに煙をあげておりましたが、地元の苫小牧機関区は日高本線からすでにC11が引退し、苫小牧貨物ヤードの石炭貨車入換えもDD13により無煙化が一足先に済んでおり、寂しいものになっておりました。昭和40年代初めには苫小牧は九州の若松を抜いて貨物取扱高200万トンを超える日本一の貨物取扱高を誇ったことがあります。というのも従来は明治時代からの長きに渡って室蘭港から積み出していた石炭を距離の短い苫小牧から積み出すことを計画して、砂浜海岸を人工的に掘削して「掘込式の港」を築き、石炭埠頭を設置したことによります。そのために苫小牧操車場は広大な敷地を擁し、上り線から到着した石炭貨車を臨港鉄道のロッド式DLが受け取って石炭埠頭に送り込み、広大な貯炭場でストックされたのち、本州の火力発電所に向けて船積みされるという作業を延々と繰り返していたのです。そのため、ヤードに多くの入換用機関車が必要になって、昭和44年当時の最盛期には「苫」の区名札を着けた9600が9両ほどもおり、さらに日高本線貨物用にC11が何両もいて、あのときが苫小牧機関区の最盛期だったのでしょうね。その後だんだんDD13が増えて、気がつくと9600は1両もいなくなってしまいました。苫小牧貨物ヤードには上下の本線をまたぐオーバークロス跨線橋が設けられており、本線を塞ぐことなく空になった石炭貨車を下り線側に移動できるなっており、現在はその土台部分の一部が残っていて当時のなごりを目にすることが出来ますが、それだけ石炭貨車の取扱量が凄まじかったということですね。全盛期石炭取扱高300万トンを30トン積みのセキに換算するとのべ10万両分ですか?(@_@) 1日の取扱両数にしても270両近いですねぇ。その石炭輸送のおかげで室蘭本線は当時の輸送コスト高の国鉄路線では珍しく黒字の優良路線だったのです。岩見沢・追分方面から苫小牧ヤードで貨車を開放したD51は単機で苫小牧駅への側線を進行し、苫小牧駅構内のターンテーブルで方向を変え、給水を済ませてヤードに戻り、空のセキを牽いて追分・岩見沢方面に戻るという繰り返しで、苫小牧駅のホーム西側にはそんなD51が4〜5両かたまって駐泊しておりました。こんなことが苫小牧では1年365日24時間ぶっ通しで続いていたわけです。そんな苫小牧ヤードにも石炭産業の斜陽化によって40年代後半には空の側線ばかりが目立つようになり、石炭埠頭の広大な貯炭場は出番を失ってぺんぺん草が生えているような状況になりつつありました。石炭埠頭はその後コンテナ埠頭に変わり、現在では東港にコールセンタが設置され、積み出すのではなくオーストラリアからの石炭を運搬船から降ろし、道内各火力発電所に石炭を供給するための60万トン規模の貯炭場と化しております。
 C57さよなら列車の写真ですが、これは苫小牧駅の例の人道跨線橋から撮った写真です。室蘭出発は雪の中の出発だったそうですが、苫小牧は朝からいい天気でした。新聞社や放送局の飛行機やヘリコプが飛び交う中で、到着1時間前から寒い中を立って待っていましたが、もちろん1番乗りでした。三々五々人が集まり出しますが、到着予定の9時半近くになっても一向に煙が見えてきません。そのなかでやっと50分遅れくらいでC57 135号機に牽引された最後の旅客列車が苫小牧駅に到着いたしました。入換え作業および予定時刻通過列車はウヤ状態だったんでしょうね。今のように頻繁に特急列車が走る時代では考えられませんが、駅構内にこんなに人が立ち入って溢れることは未だかつてありませんでした。そして225レはいよいよ出発の時を迎え、汽笛と共に最後の旅客列車が走り始め、周りの人たちは拍手でそれを迎えました。人道跨線橋を懐かしい石炭と蒸気の混じり合った匂いとドラフト音で包み込みながら、C57さよなら列車は客車のボギー台車が鳴らすタタンタタンというポイントを渡る音を残して、永遠の世界に走り去りました。そして12月24日、クリスマスイブの夜に夕張線上でD51の貨物列車が最終運行を迎え、この日を以て日本の鉄道路線上から蒸気機関車牽引列車が消滅しました。以後、復活蒸気機関車の運行にも興味が無く、近づいたことさえありません。ただ、東京に出て20年目にして初めて交通博物館でC57 135と再会しましたが、体温の感じられない蒸機の躯はセミの抜け殻みたいでもの悲しかったです。また、各地で蒸気機関車の復活運転が行われるようになりましたが、動物園の人寄せパンダみたいで、「働いている蒸気機関車」らしさがまったく感じられません。やっぱり蒸気機関車は煤にまみれて、またブレーキ粉の赤サビで汚れ、時には「スト権奪還」や「団結」のペイント跡も生々しく文句も言わずに走り回る「生き物」であって欲しいものです。
c571351


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December 12, 2005

規制緩和か?新上級アマ試験終了

 先週の土日に行われたアマチュア無線史上初めての旧3アマ並通信術上級試験は、各地で1アマでここ毎回の平均受験者数の約3倍強、2アマで2倍ほどの受験者が集まって行われました。なにせ3アマ以上所持で通信術が免除になったために、実際に通信術を受けた人間は1割ほどしかいなかったようです。東京では通信術ありの受験者が晴海、通信術免除の受験者が澁谷に分けられたほど人間が集中したようで、東京に限っては1アマ受験者は5倍ほども集まったような。それも受験年齢層が以外に高く、40代より上の世代がかなりたくさん集まったというお話し。この年齢層の人たちが通信術免除で1アマ試験に押し寄せる理由が今ひとつわかりません。若い人ならいざ知らず、無線界ではかなり有名人なOM氏なのに、「通信術免除で取得した白免」だと格好つかないでしょう(^_^;)
 それにしても今年度のBDHコードの1アマ免許所持者は気の毒です(笑)通信術あり、実質なしの免許とも同じ免許コードで発給されるんですから(^_^;)
 ところで、今回の上級試験は大方の予想を裏切って1アマ2アマ共に殆ど過去問題から出題され、難しい計算問題が殆ど出題されずに、過去にこんなに点数の取りやすい問題は出題されたことがなかったというくらいの大サービス問題だったらしいです。そのため、1アマでも2アマでも無線工学は殆ど満点に近かったという受験者の声が続出しております。割と制度が変わった第一回目の試験問題は難易度が低くなる傾向があるという噂はありますが、無線工学で合格点に達しなかったという話が殆ど聞こえてこない(落ちたら言わないだけ?)ために、この噂というのも信憑性がありそうです。また、1アマ2アマの双方を受験した人の話を総合すると、今回の無線工学に関しては殆ど難易度に差を感じられず、過去問を一通りやっただけで楽に合格点に達することが出来たと言うことでした。
 今回の上級試験から実質的に通信術がなくなったも同じになり、通信術に明確な差が存在しなくなった以上、1アマと2アマのボーダーさえ怪しくなってきました。以前は1アマと2アマには通信術で明確な差があり、無線工学でもデシベル等の対数計算、ベクトル、複素数によるインピーダンス計算、磁界強度電界強度の計算、キルヒホッフによる閉回路の計算等で中学の数学レベルと高校の数学レベルとの違いがあったのですが、これらの計算問題を極力廃して「基本原理原則の理解度を問う」試験に変化したら、もはや2アマの存在意義なんてまったくないでしょう。当方、いままで上級試験は2アマを取得してから1アマを取得するべしと訴えてきましたが、今後こういう状況が続く限りは「2アマの試験なんか時間のムダだから、迷わず1アマを最初から目指すべし」にポリシーを変更しなければいけませんな(^_^;) どうやらこんなアマチュア上級試験には計算尺も必要ないようです(笑)でも情報によると、ヘンミの計算尺が入手できないからコンサイスの円形計算尺をネットで入手して持ち込んだとか、検算用にヘンミのポケット尺を持ち込んだなんていう人もいたそうで、試験官もかなり熱心に計算尺のチェックを行っていたような試験地もあったようです。もし自分が上級試験を受けるとしたら「無線試験計算尺で突破同盟」の主宰として各種計算尺を20本くらい持ち込んで、それ全部に「使える・使えない」のお墨付きをもらって来たいのですが(笑)「夕陽のガンマン」というマカロニウエスタンで、黒ずくめのリー・バンクリーフ演じる賞金稼ぎが馬の鞍から丸めた毛布のロールみたいのをほどくと、各種ライフルがずらりと格納されており、その中からバントラインスペシャルみたいな長銃身のシングルアクションアーミーにストックを装着してお尋ね者を狙撃するというシーンがありましたが、無線従事者試験で、ケースをほどくと各種計算尺がずらりと出てきて、唖然とする試験官に「早いところ使っていいものと悪いものを選り分けろ」なんて言ってみたい(^_^;) ただ、そのためだけにもう一度上級試験を受験する気はさらさらありませんが、自分はあの試験という殺伐とした雰囲気に慣れてしまって、一種の中毒症状を来すくらい好きなんだなぁ。
 8エリアでは当初のほぼ予想通り1アマ受験者が79名、2アマ受験者が34名、そのうち1アマの通信術受験者が約10名、2アマの通信術受験者はたったの3人だったようです。これを見てもほぼ「ノーコード試験」と化した上級試験でしたが、通信術免除になってのこのこ上級試験に出てきた40代より上のベテランと思われる人たちが札幌会場でも多かったようです。知り合いに首尾を尋ねても「ほぼ楽勝」という声しか聞こえてきません。今回の上級試験は1アマも2アマもことによると通信術のあった3アマ試験並の合格率になるかもしれませんし、事によると約65%の合格率の4アマ試験より高い合格率をはじき出す事だって考えられます。そうなったら「4アマ試験より1アマ試験のほうが出題範囲が限られるので簡単」なんて言い出すヤシが出やしないか?(^_^;)
 ともあれ、1アマの免許をもらったのだったら「CWやる気がないからモールス覚える気もない」電話バカじゃしょうがありませんし、落成検査自己点検資料の数値の計算さえ出来ないのも困りものですが、それを恥と思わない自己訓練意識のない人にはつける薬がありませぬ…orz
 又、今回1アマを受験した人の中からも「何のために公式を覚えたのかわからんから、1アマ試験はもっと計算問題を重視するべきだ」なんていう声も上がっているんですね(^_^;) よっぽど拍子抜けして、今までの努力をどうしてくれるのかとでも言いたいのでしょうか?そりゃあ受験者の中にはいくら実質ノーコード上級アマでも、誰でも合格してしまうような出題に反発して、あまり努力しなかったヤシと結果が一緒なのは納得できないという人も中にはいるようです(笑)さて、今回試験の結果では4月期に3アマ2アマさえスキップして4アマ所持からいきなり1アマ試験にやってくる人間が大量発生する予感。それでもいいんです。大学入試と違って定員があるわけじゃないし、3アマだって各地でだいたい60人単位で大量に生まれているんですから。そうなると、一旦引っ込んだ資格統合の噂が、そして上級アマ養成講習講座の話なんかが浮上してくるのかな?しかし、1アマの養成講習なんか始まったら誰が講師やるの?そうなったら単に1アマ所持ではダメで無線工学は1陸技、法規は1総通の資格の枠がはめられ、1アマ2アマ資格だけの養成講師は用済みです(笑)でも、うちのローカルにはそんなやつ居らへんやろ〜ということで、JA8コールのブラスバンドの同期が文部科学省技官退官してつくば市から帰ってこないと1アマ養成講習講師のなり手がない。こいつだったら1総通1陸技でおまけに1アマ持ちの教職持ちだから講師には申し分ないでしょう(^_^;)

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December 09, 2005

RICOH No.1051S-1

 アマチュア無線技士試験が法令改正で通信術試験が旧3級(電信級)同様に緩和され、4アマ以外の従事者免許があれば通信術免除となる初めての国家試験が10日11日に行われ、通信術が簡単なら上級試験も取れそうだと目論んだ人たちでいつもの3倍以上の受験者が集まりそうですが、ここのブログで「上級試験の計算問題は計算尺で突破しろ」と発破を掛けた影響で、1アマ試験会場に計算尺を持ち込む人が何人くらいいたでしょう?(笑)少なくともその中の1人にHEMMIの45Kを提供しているんですが、そのご本人自身、計算尺を使いこなすことを覚えるよりも既出問題の解法を覚える方が先と、計算尺を使わなかったんじゃないの?(^_^;)上級試験で計算尺を使っている人を見かけましたらたれ込み情報お願いします(笑)
 このRICOH No.1051S-1計算尺は大阪から入手しました。ビニールの袋がヘンミと違って口が熱着させており、それが破られていない密封品です。-1(ダッシュワン)なんてついているのが何となく旅客機の改良番号みたいですが(笑)これは(ハイフン1)って読むのが本当だと思うんですが、旅客機の世界ではなぜハイフンがダッシュなん?ダッシュだったら「'」がほんまやないの?
 リコーの計算尺はその全容がよくわかりません。系統立ててコレクションして研究している人も少なく、どのモデルが何年頃に出たのかということもわからないので、いままで目にしたリレーとリコーの計算尺の比較で推定するしかありません。今回入手したリコーのNo.1051系統は計算尺末期まで改良されながら作り続けられたようです。大まかには末尾にSのつくNo.1051Sが√10切断系、VのつくNo.1051Vがπ切断系という2系統が作られたようで、No.1051Sが「高級(両面)型計算尺」、No.1051Vが「工高生用計算尺」という区別らしいです。同一モデルなのに√10とπ切断の選択肢があるというのはHEMMIにはない(正確には同じ工業高校生尺の254WNあたりにあるらしい)配慮です。また計算尺末期まで作られただけあって、まずリレー以来のプラスチックカーソルが同一モデルナンバーでありながら途中で金属枠のカーソルに変わりました。使っているうちに傷だらけになるリコーの両面計算尺のカーソルグラスはこれだけでかなりのマイナスポイントだったんですが、やはりカーソルを改良して欲しいという要望が大きかったのでしょう。金属枠がはまっているタイプなんですが、成形プラスチックの端の固定尺と擦れる部分に突起を設け、カーソルを動かしても固定尺、滑尺とカーソルグラスが直接擦れ合わないようになっているのです。頭いいなあ(^_^;)カーソル枠には中期の大振りなタイプと末期のヘンミそっくりな小振りの四角いものがあるようです。今回の計算尺には四角い小振りなものがついていました。外箱は初期はクリームと臙脂色の2トーンカラーの紙箱。のちにHEMMIそっくりの青いキャップの付いたブロー成形のポリエチレンのケースに変わり、今回入手したものはそのポリエチレンケース入りのものです。刻印は「WS-3L」で昭和49年製でしょうか?リコー計算尺としても最末期に近い製品だと思われます。基本的には表がLL1,L,DF,〔CF,CIF,CI,C〕D,LL3,LL2で裏がK,A,〔B,S,T1,T2,C〕D,DIの19尺でマイナスのLLがない所を勘案すると、HEMMIのNo.P-253を意識して作られたような感じです。リコーの両面計算尺の中では比較的にルート10切断ずらしのNo.1051Sがよく出てきますので、P-253もしくはNo.264同様に工業高校生あたりの計算尺検定受験者を対象にして製造されたのかもしれませんな。これがNo.1053になりますと-LL1,-LL2,-LL3尺まで備えた全部で尺数24個のHEMMIでいうとNO.259D相当の機械技術用計算尺に昇格するようですが、No.1051Sに輪をかけて市場からは見つかりません。ところがこのNo.1053のずらし尺はルート10切断系なんですが、これにもπ切断系のものがあったのでしょうか?個体数が少ないだけに比較検討するサンプル数がなく、謎が深まります。
 さて、ただのNo.1051SとNo.1051S-1の違いはどこにあるのかというと、カーソルの違いとケースの違い以外には尺の種類も増減はありませんし、あとどこが違うのかと殆ど間違い探し状態でよく見ると、CIF尺が-1になって緑色に変わったというこれくらいしかわかりませんでした。CIF尺が緑色?どこかで見たようなと思ったらHEMMIのスタンダードであるNo.2664Sの配色を真似したんかい
(^_^;) あと無理矢理に近い形で見つけた間違い探しは裏の滑尺がNo.1051Sが〔B,S,T1,T2,C〕だったものがNo.1051S-1になって〔B,SI,TI1,TI2,C〕に変わってました。どうせどっちも逆目盛も振ってあるのだから、正に「どうでもいいですよ」(C)だいたひかる の世界です(^_^;) しかし、リレーからリコーまでの両面計算尺は結局ガラスカーソルのものが作られなかったんですね。片面尺はガラスなのに、プラスチックのカーソルは果たして今後何年保存に耐えるのか、それが心配です。
1051S-1


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December 08, 2005

HEMMI P-253の丸洗い

 今回入手いたしました計算尺はプラスチック尺のHEMMI No.P-253です。この計算尺は金園社版の「計算尺の使い方」という書籍の表紙にも登場していまして、計算尺1級検定まで使える計算尺としては値段もリーズナブルでしたので、なかなか人気があり、長い間に渡って作られてきたようです。「計算尺の使い方」の表紙によると透明なプラスチックの筆入れのようなケースに納まっておりますが、入手したものは30年代のHEMMI計算尺の紙箱とはちょっと異なる「VECTOLOG」のネームが入った薄い緑の貼箱に入っておりました。このNO.P-253はたぶんHEMMIにおけるプラスチック製計算尺の走りだったと思いますが、従来の竹を組み合わせてセルロイドを貼る計算尺の製造コストが昭和30年代にだんだん上がり、それに対する一つの答えがプラスチック製計算尺だと思うのですが、当方が想像するにどうやら和光のヘンミ工場で作られたものではなくて、どこかのOEMだったのではないかと想像しているのですが。それではどこで作られたのかと想像しているかというと、山梨の技研工業ではないかと(^_^;)技研OEMではなくとも、技研が作らせていた同じ山梨県内の下請けの工場の一つに発注していたということも考えられます。プラスチック尺がOEMではなかったかと考えた理由というのも、当方もプラスチックの加工なんかを外注していた仕事に携わっていたことがあり、プラスチックの成形と加工はそれなりのノウハウを蓄積したしたメーカーではないと精密に成形加工することが難しく、プラスチック加工のノウハウがない会社がいきなり製品ラインを構築して製品を作り出すことなどできなかったのではないかと。又、山梨というと水晶加工から始まって印材なんかに正確に彫刻する技術がある工場が多かったようです。それに昭和30年代末は団塊の世代の進学時期と重なり、国内では計算尺の需要が頂点に達していたためにHEMMIでは新たなプラスチック加工ラインに人員を割けなかったのではないかと思います。更にこのP-253の紙箱は技研計算尺のある種の紙箱の柄に似ているような気がするんですけど(笑)またこのP-253のデザインは昭和30年代の日本の工業デザイン界の作品っぽくありません。おそらくアメリカの業者が自国もしくはドイツあたりの計算尺等を参考にして、HEMMIに送ったラフスケッチかなにかを元にデザインされたのではないかと思います。昭和30年代の日本には外国のデザインをパクることはあっても、ここまでのデザインと、特にVECTOLOGのロゴなんかをデザインできるインダストリアルデザイナーがはたしていたでしょうか?こういう同業他社に外注するOEM形態は自動車業界では昔から行われておりましたが、真実はいかに? しかし、この他のプラスチック尺で外国輸入元のブランドが付けられて売られている場合にはHEMMIがOEMで作らせたアメリカの会社のOEMという複雑な関係になりますが(笑)
 さて、このP-253はNo.250にLL1,LL2,LL3を足して本体をプラスチックにしたといえばわかりやすいでしょうか、そのためNo.250では挑戦できなかった計算尺検定上級にも挑戦できる尺度を備えておりますが、実際に高校生用に多く使用されたのはNo.254系のほうでしょうか?254系の方にはさらにLL/1,LL/2,LL/3の尺度まで備えられていて、検定1級でもまったく不足のない機能を持ち、このまま技術者として就職しても使えるほどの計算尺でしたし、高校で集団購入するとけっこう安い価格で手に入ったのでしょう。
 このP-253の入手先は先週の2664S-Sと同じ所からでした。最初からあまり程度が良くないことはわかっていて、手が掛かることは覚悟しておりましたが。届いたケースを見てびっくり。JA1コールのさる川崎在住のOM氏のコールサインが書かれていました。コールサイン付き計算尺はこれで通算3本目です。やっぱり昔から無線従事者と計算尺は切っても切れない関係にあったのでしょう。その無線従事者と計算尺の縒りを戻そうと「上級試験には計算尺を使え」運動をしているのですから、なんか不思議な因縁を感じます。そしてそのコールサインは4年前のコールブックにはしっかり載っており、そのため3年前からの再割当対象にはならなかったのですが、総務省の免許情報検索をしたら該当がありませんでした。40年近く維持したコールサインが消えたということは、どうやらサイレントキーになられたようですね。
 入手したP-253の刻印はMFですからミドルフリクエンシー(中波)じゃなくって昭和37年6月ですからP-253の製造年としてはかなり初期のタイプになります。本体もカーソルもプラスチックなのでカーソルグラスは裏も表も傷だらけ、おまけに滑尺のはまる溝には埃が貯まっているという状態で、コレクションとしての価値は「下の中」くらいですが、こういう汚い計算尺をきれいにする作業を最近は楽しんでおりますので、こちらは「いい素材が手に入った」としか感じておりません(笑)カーソルグラスは外してアクリル研磨剤で擦り傷を消す作業を行うためにネジを外して分解しますが、リコーの分厚いプラスチックカーソルと違って、段付きの成型品のためにはっきり言って端の方が磨きにくく、大変な作業でした。また、P-253用のカーソルは本体の厚みが薄いために専用品だったんじゃないかな?この形状ではアクリル板を削ってはめ込むわけにはいきませんね。このプラスチックカーソルも材料劣化でネジ穴の周囲が崩壊しそうなので、あまり強くネジを締めないように配慮しなければいけません。本体は上下の固定尺が分解出来ない構造なので、滑尺を外した状態で中性洗剤を入れたぬるま湯につけ込み溝を歯ブラシでごしごし擦ると、見違えるようにきれいになり、尺の表面も汚れが落ちてきれいな状態になりました。オールプラスチックの計算尺だからなせる技ですが、「計算尺の丸洗い」をしたのはこれが初めてです(笑)表面をカルナバ蝋でワックス掛けして一丁完成です。
 しかし、上下が固定されていて調整が利かないために滑尺の動きがどうなるかと思いましたが、実にスムースに動きます。上下の固定尺が同寸で滑尺だけが長いデザインもかえってこっちのほうが使いやすいと思うのですが、全体を眺め回して感じることは、やっぱりこれは日本人のデザインではないという事です。表は机の上に置いても使えるが、裏は机の上では使えないというデザインを多くの日本人が果たして受け入れたのでしょうか?機能より値段で売れた計算尺のような気がします。
P-253
HEMMI No.P253の表面拡大画像はこちら
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December 07, 2005

プラスチックカーソルの傷消し

 RELAYやRICOHの両面計算尺はHEMMIに比べて数も少ないためにけっこう注目しているのですが、カーソルがプラスチックの両面のために酷使されたこれらの計算尺は固定尺、滑尺と擦れるところがすだれ状に傷が入り、透明度を失って磨りガラスじゃなくて磨りプラスチックになっているものを多く見かけます。これだけでもRELAYとRICOHの計算尺を嫌う理由にもなるのですが、RICOHの両面計算尺はこれではダメだと思ったのか、同一モデルでも後期には金属枠のグラスカーソル附属にマイナーチェンジされたモデルもあります。逆にHEMMIは昭和40年代に入って竹の加工コストが上がったせいか、コストダウンのためグラスのカーソルからプラスチック一体成形のものにチェンジされたモデルが多く出てきました。HEMMIのプラスチックカーソルは捜せば見つからないこともないので、新しいプラスチックのカーソルに換えればすむことなんですが、RELAYやRICOHのカーソルがデッドストックでおいそれと見つかるわけがありません。これらはあまり数のない計算尺ですからなんとか再生しようと思えば、アクリル板を買ってうまくサイズを合わせ、カーソル線を入れることになりますが、そこまでの加工技術も道具もないときは、傷を研磨して消すことを考えた方がよさそうです。
 過日、大阪から入手したRELAYのNo.252ですが、カーソルグラスがもう磨りガラス状態で目盛を透かして見てもだいぶ透明度が落ちている感じで、なんとか磨き倒して実用上問題のない状態に持って行きたいと思い、方法を探ってみました。本体を磨くのに使う酸化珪素粒子入り研磨剤では粒子が大きすぎてもっと透明度が落ちそうです。金属磨きを使うのを除外して自動車用のコンパウンドを使おうかと考えましたが、値段が少々張ります。やはりプラスチックを磨くものが最適と考えて、その手のものを捜したところ、ホームセンターのアクリル板の素材コーナーに置いてあった「アクリルサンデー研磨剤」というアクリル板なんかの細かい傷を消すための磨き剤が見つかり、やはり専用のそれに勝るものはないだろうと考えて1本購入してきました。値段も税込みで428円とお得。中身はピカールなんかの金属磨きと同じ酸化珪素系研磨剤を使ったものなんですが、プラスチックの研磨用に最適の細かさになっており、決して「かえって傷を増した」ということにはならないような専用品です。これ、米軍の戦闘機のキャノピー磨きにも似たようなものがあったと思います。ネジを外してバラバラにしたプラスチックカーソル板の内側を布に付けた研磨剤で磨いていきますが、このときは傷と直角の一定方向にのみ磨きます。決して円を描いたり傷と同じ方向に布を動かしてはいけません。また電動工具なんかを使って一気に磨こうとすると表面に熱を持ってプラスチックの表面が融けてたいへんなことになりますからご注意を(^_^;) そして時々乾いた布で拭き、傷の状態を確かめます。砂粒でこすったような深い傷はさすがに消すのは困難ですが、そこそこきれいになり、実用上まったく障害はなくなりました。このプラスチックカーソルの傷の克服により、また「汚い計算尺」への興味が増したような感じです(笑)

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December 05, 2005

仲間を引きずり込む3アマ講習

 地元で11月20日に開催された初の3アマ養成講習は58人誰1人としての不合格者も出さずに全員合格という事になりましたが、次回は1月29日日曜日に第2回目の3アマ養成講習が開催されます。前回は少しでも運用の現状に近づいて欲しいようなローカル4アマ局が、何らかの理由を付けて殆ど参加せずに早々に遠来のトラック運転手で予約が埋まってしまいましたが、次回の講習はローカル局も少なくない人数がやってくるような話です。というのも1回目の講習を受けた人間がどうやら仲間を盛んに誘っているというか引きずり込んでいるようで、開局2年目くらいの地元クラブに所属しているトラ運が、開局8年目くらいの4アマのクラブ先輩に対して3アマ講習がいかに簡単かということを自慢げに話するわするわ。携帯メールでこんな問題が修了試験に出たなんて送ったりして、大人だからあからさまに態度には出しませんが、自分が3アマを取ったというアドバンスを強調したくてたまらない様子で、聞いていてこっちが恥ずかしいくらいでした(^_^;)
 免許状144/430のFMだけで、3アマ取ってどうするのって突っ込みたいくらいでしたが、やっぱり4アマ集団の中にあっては3アマになることにかなりのステイタスを感じる人が現実に多いようですね(笑)まあ、そのコンプレックスをうまく利用して各地で大盛況なのが3アマ短縮養成講習なんですが、今回の58名全員合格ということは、8エリア過去数年間における平均の年間3アマ合格者数より1回の養成講習で輩出される3アマのほうが遙かに多いというわけです。全員、3アマは前から欲しかったけどモールスやる気も覚える気もなく、まして試験なんか受けたくないっていう人たちばかりなんでしょう(^_^;) でもこのトラ運氏、モールスは事前に全部覚えたって言っていたな。
 そういえば当方が受けた4アマ講習以降に地元講習会出身者で3アマを試験で受けて現3アマになっているのは当方含めて2人だけです。その1人というのがコンテストで当方がちっとも敵わない相手なんですねぇ(笑)彼の場合はCWがやりたいから3アマを試験で取ったという話ですが、彼がCW打っているのは聞いたことがないな。それでも25文字/分の通信術とはいえ、現上級アマと同じ通信術をこなしたんですから、3アマを取得するにしても法律が変わって短縮講習に通信術も無くなったから3アマを取得するという人の志とは違うでしょう。今回、彼が2アマもしくは1アマまで受験するのかどうかはわかりませんが、たぶん酒飲まずに勉強に専念しろといってもむりな性分だと思われますが(笑)
 ところで、当方の場合は何で3アマを取り、その後半年で2アマ1アマまで取ったのかよく考えてみると、別にCWがやりたかったとか、運用上有利だとかどういう動機じゃなかったような気がします。単に「資格が欲しかっただけ」かもしれません。そうすると志としては3アマ講習に群がる人たちとまったく変わりませんな(^_^;)
 でも少しだけ言い訳させてもらえば、出力とか周波数の制限を受けるのがばかばかしいと思ったからで、早く「アマチュア無線局の操作」だけの操作範囲の資格になりたいという事のファーストステップが3アマ取得だったのかもしれません。また、30年前に中学の同級生達が、電話級を取得した後に間をおかずに電信級を取得していた姿を見ていて、正しいハムはこうあるべきという固定観念があったことも動機の一つかも。そんな訳で自分が3アマであった期間というのはたったの2ヶ月間だけでした(笑)

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December 03, 2005

時計の修正

 アマチュア無線局から業務日誌と時計が無線局運用規則上の備付け義務から消えてからかなりの時間が経ちましたが、業務局では相変わらず業務日誌と時計は備え付けなければならないもので、その中でも時計は1日1回は正確な時刻に修正することは無線局運用規則の中で定められております。ところが、時計を見ながら紙ログを付けるのならまだしも、最近のアマチュア局はコンピュータログソフトを使ってログの記録からQSLカードの発行までをこなす局が多いのですが、届くQSLカードの中には交信時間と20分ずれているカードはかわいいほうで、中には2時間以上も交信時刻がずれているカードがあります。原因はコンピュータのクロック修正にあまりにも無頓着で、おそらく導入してから一度も時刻の修正をしていないというのが原因なのでしょう。コンピュータの内部クロックはクオーツ腕時計同様に水晶発振子の基準発振周波数に依存して時刻を刻んでいるのでしょうが、時計と違ってその精度は発振周波数の違いからか、時刻を刻むのが専門の時計と比べると精度的にかなりラフです。コンピュータログを導入することは一向に構わないのですが、正確に内部時計を修正しておかないと、とんでもない交信時間が記録されてしまいます。便利ばかりでコンピュータに依存しずぎると、落とし穴が待っているという見本であるばかりではなく、いくらアマチュアが「時計は1日に一回正確な時刻に修正する」という義務が課せられなくなっても、移動運用に出掛ける前くらいはロギング用コンピュータの時刻を正確に修正したいものですし、「電波時計機能付きパソコン」なんかが出てくれることを期待してます。当方、移動に出掛けて紙ログを書く場合はクオーツの通称19 SEIKOという鉄道懐中時計を使ってまして、この時計は放ってあっても1ヶ月でだいたい4秒くらいしか狂いません。機械式の鉄道時計も持っていますが、こちらは毎日同じ時間にゼンマイを巻いて、日差で10秒狂うかどうかというレベルです。そういや一度年号が1900年のカードをもらった事があったような(^_^;) パソコン内部クロックバックアップの電池も切れていたのでしょうか?(笑)

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December 02, 2005

HEMMI No.2664S-S

 先週、また畑違いな試験を受験してきましたが、10月から11月にかけてかなりの忙しさにかまけて受験準備が遅れ、今回はテキスト抜きの問題集だけさらっと流しての受験でしたから結果はけっこう悲惨なものかも知れません。とくに基礎的な電子工学の問題はいままでの蓄積で頭に入っていることを前提にまったくやりませんでしたから、けっこうRLC回路のインピーダンス計算でさえ、なかなか答えが出てこなかったりして、電気関係の筆記試験は1年半ぶりということで、頭が半分ボケかかってました。また普段から計算尺で連続計算ばかりしていると、いざ計算機も計算尺も持ち込めない試験(こっちのほうが多いでしょうが)になると筆算能力が落ちているのがよくわかります。普段はあまり計算尺に頼らずに暗算もしくは筆算能力を高めないといけませんな(^_^;)
 さて、なぜかいままで入手していなかったHEMMIの偉大なるスタンダードモデルNo.2664Sに続いて、今週入手したのはHEMMIのNo.2664S-Sという10インチ片面計算尺です。どうやら2664SにDI尺が加わったことによるSPECIALという意味合いらしく、古いものでは裏面にモデルナンバーNo.2664S-SPECIALと書かれたものもあるようで。後にはDI尺が加わったモデルは255にしても259にしても「D」を加えるのがルールになったようですが、このモデルはそれ以前から存在するのでそのルールには合致しないのでしょう。2664Sは母体となった2664から始まって兄弟尺がこの2664S-SのほかにNO.2662、NO.651があります。NO.2662はNO.2664S-SのDI尺の他にL尺が表に出てきて10尺、No.651はさらに表面にB尺が加わって11尺になるも、2664Sの幅では納まりきらず、わずかに幅広の計算尺です。どの尺も若干の尺配置に差はあっても操作方法に関しては殆ど同じですが、No.651は見たことないなぁ。しかし、ちまちまと尺を1尺ずつ増やすだけの違いでよくもまあ4種類のモデルも発売したもんですねぇ(^_^;) 数としては圧倒的にNo.2664Sが多くて他のモデルは少ないようです。普通の片面計算尺の用途では、1尺2尺増えたことによる他モデルの存在意義はさほど感じられなかったということでしょう。なんか、後の世の計算尺コレクターを喜ばせる戦略でしかなかったような気がしますが(笑)実際にDI尺がなければ困る人って言うのはどういう用途に計算尺を使う人なんでしょうか?電子工学系でデシベルと真数の変換が多いようなわたくしみたいな用途にはNo.2662のように表にL尺があったほうが便利っていう人はいるとは思うんですが…。
 入手先は以前のNo.257と同じ所からでした。見かけは日に焼けたのか煙草のヤニの影響なのかまんべんなく黄色のコーティングを被っているようでしたが、ピケットのアイセービングていうわけじゃないんですから、意図的に黄色くして「目に優しくした」わけではありません(笑)刻印はSAで、昭和43年1月製ということになりますか。例によってバラバラに分解し、カーソルグラスはレンズクリーニング液で磨き、本体は酸化珪素粒子入りサビ取りペーストで磨きますが、ここまで黄色くなると一皮剥いてもまだ黄色っぽいような。まあ、程々にしてやめておきますが、未使用の2664Sと比べるとやはり黄ばみが目立ちます。モデルにより、また同じモデルでも生産時期によりセルロイドが磨かずとも真っ白なものもありますし、黄ばみが目立つものもありますが、どういう理由による差なんでしょう。しかし、黄ばんでる計算尺でしたが歯ブラシで溝を掃除して組み立てると殆ど狂いも来ていませんし、滑尺も蝋引きすることなくスムースに動きます。この年代の計算尺の多くがそうであったように、程なく電卓が出現して、何年も使われないうちにしまい込まれてしまったのでしょう。
 ということで、No.2664Sがあれば単に-Sが付くモデルはまったく必要ないんですが、どうも安くて汚い計算尺が転がっていて、あまり数が無さそうだとサルベージしたくなってしまうのは「notコレクター」と言い訳しても通用しなくなって来ているような(^_^;) でも何せ「説明書なし付属品なしで汚い」計算尺は「未開封未使用品」を求めるコレクターに見向きもされないんで、実用品としてはそんなもので一向に構わない当方にもコレクターというわけではないのにそこそこの計算尺が集まってきました。しかし、電子工学、電気、化学の資格持ちで、それに関連する計算尺は所持していてもCIVIL ENGINEERING尺に手を出さないのは「免許状の範囲内の運用」です(笑)免許状の範囲にない計算尺に手を出したら、その瞬間から計算尺コレクターに転落かも(^_^;)
2664S-S

 この3本の違いがわかりますか? 一番下は本来なら同じHEMMIのNo.2662を登場させたいところですが、持っていないので替わりに代打としてRICOH No.116Dに出てもらいました(笑)上からNo.2664S,No.2664S-S,No.116Dです。
 この3本を比較してみると固定尺に妙に目盛が少ないNo.2664Sはいかにも寂しい感じがしますが、同じ幅に尺を10種類も詰め込んだらかえって見にくい感じがして、別な目盛を見て誤った答えを出しそうです(^_^;)
 この世の中に出回っている数からいえばNo.2664Sがこの3本の中で99%以上を占めるはずですが、実際に使うんだったらどんな道具でも「シンプル・イズ・ベスト」ってことでしょうか。日本人の悪い癖で使わない機能までたくさん詰め込んだ「七徳ナイフ」のような多機能性がもてはやされますが、操作性を犠牲にすると本末転倒であり、優秀な道具とは言えないということでしょう。だからこの幅の片面尺だとNo.2664Sが一番?でも本当のお薦めはCIF尺こそないものの、あとは殆どNo.2664Sと同じ8インチ厨房尺のNo.45KかP45のほうでしょ。何せ「安いし世の中に大量にあるし、どこかに置き忘れても惜しくもない」んですから(笑)
HEMMI No.2664S-Sの表面拡大画像はこちら
HEMMI No.2664S-Sの裏面拡大画像はこちら

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December 01, 2005

2枚目のSWLカード

 11月も最終日になってビューローからQSLカードが届きました。今回届いたカードは6月の夏至前後に交信したものが多かったので定形外ではなく佐川急便が運んできましたが、中を開けると250枚ほどのカードが入っていました。移動運用はしませんからダンボール箱でQSLカードが届くということはありません(^_^;)そのため紙ログとコンピューターログをチェックし始めましたが、250枚ほとどもなるとけっこうな手間です。けっきょくチェックをすれどももう画像登録はやめておこうと思いました(笑)今回は圧倒的に6月分のカードが多いので、その殆どは6mと24メガのカードです。交信地をチェックすると6mでJCCは240近辺、JCGは140近辺になりましたが、今年になってもさほどは延びませんでしたね。あんまり6mのコンディションが良くないので24メガに力を入れていたのが原因でもあるのですが、24メガの方もQSLカード到着分でJCCは60、JCGがまだ20くらいですからアワードにはまだまだです。政令指定都市交信がけっこうあるので、局数的には100局を超えているのですが。早く24メガでJCC-200、JCG-100くらい行きたいものです。WARCバンドは、ベテランOMでもまだまだ開発途上のバンドのようで、けっこう我が町を初めて24メガで捉えたので喜んでいるというような感想が書かれているカードが目立ちました。こっちとしてもお役に立ってなによりと思いましたが、メインストリームの7メガとか21メガをやり尽くしたOMさんがWARCバンド(といっても4アマじゃ24メガしか出られませんが)のアワード獲得に精を出しているというような感じがしました。専用のビームアンテナを持っている人はまだまだ少なく、21メガのアンテナにチューナを使ったり、ロングワイヤーにチューナーという記載が目立ちましたので、24メガだと我が貧乏電波研究所でも条件は限りなく一緒ということで、来年も5月6月は24メガのQRVが増えるかな?サイクルの谷間に向かってますます6mのコンディションは期待できませんしね(笑)
 ところで、今回SWLカードが1枚混じってました。24メガで大田区の局と交信したものを聞いていたようです。SWLカードをもらったのは長くない無線運用歴で2回目なのですが、前回の開局前の少年と違って、どうもSWL界ではかなりの有名な方らしいのです。それが証拠にJARL主催のコンテストのSWL部門にドナーとしてトロフィーか何かを出していました。使っている機材も前回の少年みたいに7メガSSB専用ラジオと違ってIC-703っていうんですから無線機ですよね?ということはコールサイン持ちでありながら趣味でSWLもやるのでJARLの準会員ナンバーも持っているということでしょうか?それとも終身会員から準会員に格下げになったOMさん?(^_^;) けっこうSWLに関してはうるさそうなので、ちゃんとQSLカードをSWLカードに書き直して送らなければ突き返されそうな(笑)
 

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