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January 31, 2006

NYPシールとQSLカード届く

 週末にニューイヤーパーティ参加シールと別口でQSLカードが届きました。QSLカードは相変わらず6月前後の50メガと24メガが牛の涎のように届き続けますが、年間では567月の3ヶ月しか積極的にCQを出さない方ですから、年間でいうと11月に届くカードが一番多く、その他の時期には激減します。とは言っても今回は160枚あまりのカードが郵便ではなく佐川急便で運ばれてきました。夏至前後の交信のカードが殆どなので、興味としては6mでどれだけJCCとJCGが延びるかということと、24メガでどれだけカードが帰ってきたかという2点です。サイクルの谷間に向かって6mのほうはますますコンディションが低調になり、昨シーズンはその分を24メガに力を入れましたのであんまり期待は出来ませんが、11月に届いたカードでも6mのJCCは240に達した物の200を超えてからのJCCはなかなか増えていきません。週末は公開運用の事があり、日曜は2回目の3アマ講習のこともあって、カードの集計に入れませんでしたが、週が明けてやっとチェックだけ入れると、現在QSLカード回収分で6mはJCCが270、どんどん減りつつあって今後ともなかなか増えないJCGは140になりました。24メガは回収分でやっとJCCが74、JCGが25というところで、まだまだ番付では序の口なんですが、6mよりも同一箇所と繋がることが多く、さらにアンテナが無いと言うことでQRVしていないという人が多いのも数字が延びない原因のようなんですけどねぇ(笑)同一地点がダブっても構わないWARC24メガ-100のアワードだったらすぐにでも申請できますけど。
 今回届いたNYP参加シールでやっと3枚目。昨年のNYPと打って変わって今年のNYPは石狩後志支部の幹事が「2mノルマ50局」のお達しがあって、札幌近辺では盛況だったようですが、その熱気に当てられたか、カブリに圧倒されたか当方では早々に2mを諦める局が多かったみたいです(笑)当局も40分お付き合いしてたったの6局だったかな?その後HFが珍しくハイバンドで開いていたために21/18/14と次々にQSYして例年の倍の局数をやりましたけど「2mでNYP」にはちっとも貢献できませんでした(^_^;) やっぱり屋根よりちょっと高いだけのモービルホイップ並のGPと一応オールモード機ながら25年前の10W機じゃムリです。またときどきPLLのロックが外れてメインに戻ったりしてビックリするし(笑)
 記念局の運用も本日含めて2日となり、午前中車で通りかかったついでに覗いてみると中学の後輩でもある支部総務幹事が1人だけ。7メガでも低調になったので、14メガが18メガで声を出してみてと言われ、14メガでCQを出すとコールバックしてきた6エリア福岡の局が両方とも知っている局でした。そのうち八女の局長さんは12月にもお話ししたばかりのキュービカルクワッドを自作した元電力マンのOMさんで、60を過ぎて1アマを取得された努力家の人です。紙ログだったので、交信履歴をすぐに思い出せませんでしたが、当方の無線資格チャレンジ歴を2年の交信ブランクの間、忘れずに覚えておられた方でした。もともと記憶が宜しかったんでしょうね。1アマの60文字のモールスがなかなか取れなくて、根を詰めてやりすぎ、メニエル氏症候群を発症させながらの還暦すぎ1アマ取得というお話しでしたが、通信術免除になってのこのこ試験に出てきた人に聞かせてやりたい1アマ取得体験談の持ち主でした。

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January 29, 2006

3アマ講習会第2ラウンド

 地元で2回目となる3アマ養成講習が開催されました。今回は前回の3アマ講習に落ちたら恥ずかしいとやら仕事が忙しいと言って申込を先延ばししていたら、早々にトラックの運転関係の人で58人の定員が埋まってしまったために参加出来なかった地元の4アマアクティブ諸氏が定員の1割強くらい集合しました。今回も年末までにはすべて予約で埋まってしまったために、けっこう間に合わなかった人が多かったと思ったのですが、是非とも取って欲しかったローカル局が申込に間に合ったために「支部として積極的に3アマ講習を推奨して支部会員の資格の底上げを図りたい」という当初の目的をかなりの部分で達成しつつある感じです。まあ、相変わらずトラック運転関係者が殆どを占めることには変わりなく、話を聞いたら製紙工場用の木材チップのトレーラをうちの近所で毎日牽いているトラクタのあんちゃん集団がいて、「誰だかが取ったから自分も3アマを取る」という、別に3アマで無ければいけないことの目的もなく、「無線やっている者の一種のステータス」としての3アマ養成講習参加という話でした。今回の講習の参加者中1/3が日高山脈を越えた十勝・釧路方面のトラック関係者とのことで、そちらの方面で行われた講習に間に合わなくて荷下ろし先の我が町での講習参加になったようです。3アマの短縮講習ですから全員電話級もしくは4アマの従免を持っていますが、平均的にも4アマ取得後8年から10年くらいのベテランが多く、見開きの30数年前の免許証を持ってくる人もいたようです。中には昨年9月の発給ですから確か8月の4アマ講習で4アマ従免を取得してもう3アマ講習に現れたおにいちゃんもいましたが、モービルのベテラン揃いなので、過去に電波法検挙歴のある人も何人も(笑)10年以上前に違法CBでとっ捕まって、それからまじめに4アマ免許を取得して10年経つんですから、3アマ免許発給に関してはお咎めナシでしょう。とにもかくにも3アマ講習の人気たるや、今や4アマ講習の実施予定数を遙かに上回り、4月からの新年度からの実施予定数も3アマ講習のほうが上回っているというように試験執行者の方が言っていましたけど、今現状で開局している4アマ従事者免許所持者の半分以上は1年以内に3アマ短縮講習によって3アマ化することも現実味を帯びてきました。現に前回と今回の3アマ講習によって地元の老舗地域クラブは4アマ所持者は数人を残すだけとか。今回夫婦揃って3アマ講習参加って人も何組かいましたしね(^_^;)

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January 26, 2006

血圧計の修理

 オムロンの血圧計の修理を頼まれました。人差し指を根本まで突っ込むハンディタイプの簡易血圧計です。修理とはいっても内部は電子部品の固まりみたいなもので、素人電気屋が部品もなく修理なぞ出来ませんが、締め付けのベルト部分がスライダーを動かしても締まらないという故障だけで、あとは正常に作動するとのこと。ベルトがスライダーのつまみから外れたのではないかと、とりあえず分解しますが、今出来のプラスチックケースですからはめ込みでどこが留まっているのかをよく見ないとはめ込みの爪を折ってしまうので、慎重に時計裏蓋分解用のハガシで爪位置を探りながら分解していきます。そして2つにケースを割ってわかったことは、何と締め付けのベルトが経年劣化で切れていました。しかも真ん中の部分はバラバラに(^_^;) ここで「部品が無いから直りません」では提灯屋の名前が廃ります。提灯屋とは江戸時代に「なんでも器用にこなすが結局一芸に秀でることもなく、結局は提灯を作って糊口をしのいでいる人」を嘲っていう言葉ですが、逆に時代が要求しなかったアイデアマンという意味に受け取れば、江戸時代でも提灯屋も誉め言葉でしょう。ということで、お金は無いがアイデアだけは常に大切にしなければつまらない人間になってしまいますから、ここは何かの材料を使って代用品のベルトを「作る」ことにします。バラバラになったベルトはどうやら医療用関係のシリコンラバー系統の素材のような感じがしますが、もちろんそんな素材は入手出来ませんから家にある素材を捜すも、昔と違って最近は包装紙やひもでさえ取っておくなんてことはしませんから使えそうなものがありません。それで素材探しで数日間そのまま放ってありましたが、ふと思い出して近所の100円ショップに出掛けると、ベルトの素材として塩化ビニールの軟質カードケースが使えそうな感じ。どのサイズでも同じ100円なので、また何かに使えるように一番大きなB4サイズのケースを購入しました。そしてバラバラになったベルトで残っている部分を外し、大体この寸法だろうという「型紙」を起こして、穴位置なども書き入れ、その型紙に従ってカードケースを切り抜き、穴をパンチで抜き取れば一丁上がり。早速組み付けますが、喪失部分を長く見積もりすぎてスライダーを動かし切っても締め切れない。ここでエアバッグのはまる穴位置をずらして再度組み付けると、今度は成功。さっそく本体を元通りに組立て、動作させると正常に作動するようになりました。100円で直したとは我ながら上出来です。しかし、しばらく血圧なんか測っていませんでしたが、連日寒いからか最高血圧がちょっと高めということがわかりました(T_T) 酒飲まなくなってからずっと安定していたのになぁ……

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January 25, 2006

NYPログ発送忘れに注意

 養成講習会とか記念局運用なんかの雑事が色々重なり、ニューイヤーパーティのログを出すのをしっかり忘れていて、なにせ交信したバンド数も多かったんですが、バンド別のログを6バンド分も添えてサマリーシートをやっと発送しました。せっかく参加したのですから、今年でもらえるシールが途切れてしまうのもつまらないですから、まだ出していない人は急いで出しておきましょう。締切はJARLニュースによると2月1日当日消印有効だそうです。
 今年のシールをもらえるとやっと3枚目(笑)なにせ開局してから2回のチャンスを「ある程度成果を出さないうちは声を出さない」を貫いたためにふいにしました。しかし、この4倍の期間を費やさないとアワードをもらえないんですなぁ。なんか気が遠くなる気がしますが、あと9回は正月にリグ無しのところには出掛けられないわけです。でも芸能人じゃないんで「正月にハワイ」なんてことはこれからの人生でまったく考えられないために問題ありませんが(^_^;)
 ところで、地元から発信の8J8NSTは今週の日中からローカル毎日サンデー局に運用が移って主に7メガで運用されてます。今日の午前中にYKSのSさんの交信する様子を聞く機会がありましたが、相変わらず7メガは局が集中しているためか、特定局にコールバックを入れても指定を無視して自分のコールを叫ぶ局やQRL中に自分のコールを繰り返すお行儀の悪い局が目立ちますが、そういう局を毅然として無視し、モービル局やQRP局を次々にコールバックするSさんに拍手(笑)
 

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January 22, 2006

8J8NSTで14メガ運用

 地元の地域クラブ局メンバーがスケジュールに従って持ち回りで運用に当たることになっている冬季国民体育大会特別記念局の8J8NSTは、22日の日曜に地元クラブの新年会と重なったために運用可能メンバーが出払い、仕方が無くHFの運用のために召集されてしまいました。先週は4アマ養成講習、今週は記念局、来週は3アマ講習と3回も日曜を潰してしまい、休みの日に落ち着いて個人局の運用が出来ませんが、JARLからの下げ渡しのリグとビームアンテナが使えるというのでのこのこと運用場所に電鍵持って出掛けました。実は前日の土曜日に7メガと10メガでCWの運用しか行われなかったために、いちおう日曜は電話の運用をしようという申し合わせがされていましたが、最悪14メガから上がまったく開けなかったらCWをやらざるを得ないということで、一番使い慣れてどんな速度でも打ち分けられるHK-808を持参していったのです。
 JARLから下げ渡されたリグはHFが50WのFT-1011、50から上のV/Uが10WのFT-736でした。もう少し新しいIC-706MK-IIあたりかと思ったのですが、期待はずれ(^_^;) でもまあ、FT-1011あたりだと真空管機になれている自分でも直感的に十分使いこなせます。周波数ドリフトの全くないデジタルVFOとまったくチューニングの必要がなくクイックQSYが可能なリグというのも初めて使いましたが(笑)1番の問題は運用場所のアンテナが14/21/28/50の4エレ八木で、7メガに出ることが出来なかったのです。日曜の記念局運用に7メガ電話が無いというのも4アマの方には申し訳のないような次第ですが、アンテナがこういう構成なので仕方がありません。まず10時20分から21メガでCQを開始しました。すると間もなくマレーシアからコールバック。どうやら国内は完全にスキップしているようです(^_^;) そんでもとりあえず30分は21メガを使えという指示なので、CQを出し続けましたがGWで同じ8からバックでコールバックもらったり市内からのコールバックで3局だけ…。20分でギブアップし、14メガにQSYです。14メガは20分開いたと思うと30分まったく聞こえず、さらに20分開くというようなことを繰り返しましたが、九州から中国・四国を中心に多くの方からコールバックを頂きました。その中では個人コールで一度お話しをしたことのある局が半分以上含まれていました。新居浜太鼓祭りのJA5コールのOMさんと再度繋がりましたし、八代のKさんには「もしかして声がそうだからじぇいかんさんでしょ?」なんて記念局運用なのに声バレしてしまい、横で聞いていたXWYが「ローカルの2m局同士じゃあるまいし、2回しか話したことない局に、もう声バレかい?」なんて呆れられましたが(^_^;) 残念ながら紙ログ記入だったためにホームのようにいちいち交信履歴が確かめられませんでしたので、よっぽど印象深いコールサインの局としか個人コールでの交信履歴の話は出来ませんでしたが、何局か「お久しぶりで…」というような会話がありました。その中で1局、福岡の田川郡の局ですが、そうだと思って家に帰ってコールを確かめるとビンゴ(笑)実は6月に6mで繋がって、このOMさんの要求でAMで再度交信したのですが、またSSBに戻ろうとしたらAMで他の局に次々に呼ばれて小パイルを食ったというそのきっかけになったOMさんでした(笑)その時に確かめられていれば、面白いやり取りが出来たのですが(^_^;)
 13:30分から食い付きが急に悪くなり一旦QRT。再度バンドが少し賑やかになったのは40分後の14:20あたりからで、このときも30分に渡り九州・沖縄から次々に呼ばれてまた再度30分間の沈黙が訪れました。もうコンディションが戻ってこないと思ったら再び30分後に何と1エリア栃木は小山の局がスキャッタで入感。次に鳥取の局から呼ばれたかと思ったら次は小田原の局でした。もっと1エリアが開ければ局数が増えたのですが、その後は2エリア4エリアの局がメインで30分後の16:10分で本日の運用をCLとしました。14メガは30〜40分のインターバルが何回もありましたので局数は稼げませんでしたが10時20分から16時10分までで21メガの3局を含めて58局と交信しました。V/UはXWYが仕事の合間に何回かCQを出したのですが、場所的に札幌までの見通しが遮られているために、あまり局数が出来なかったようです。
 18:00過ぎには本来のクラブメンバーに免許状その他一式が渡って、まずはV/Uの1200/430/144の3波運用が行われたようでした。
 しかし、JARLの記念局であるのにも係わらず、ビートや口笛で妨害する人間がいるんですよ。まあ、驚きましたけど別に無許可オーバーパワーでやってるわけじゃありませんがな! 日曜に7メガ電話で記念局運用しなかった腹いせに、もしかしたら7メガから紛れ込んできた人のテロ攻撃でしょうか?(^_^;) あたしゃオーバーパワー局ばかりの7メガは好きじゃないと公言はしておりますが、今日は純粋にアンテナが無かっただけですって。「7メガのアンテナが無いんだわ」と言われて「しめた」と思ったのは確かです(笑) 
 でもやはり4エレの14メガは50Wとはいえかなり強力ですねぇ。うちのアンテナ設備が14メガ4エレ化することなんかあるのかなぁ?でも心底思ったのは「恵まれた無線設備で飛ぶのが当たり前の状況になったら、きっとつまらないだろうな」ということでした。やっぱり自分に合っているのは真空管無線機をいじり回して、ワイヤーDPだの垂直系アンテナだのを作ったり壊したりを繰り返し、電波が飛んだ飛ばないに一喜一憂することのようです。そうじゃないと貧乏電波研究所の看板を降ろさなくてはいけませぬ(笑)

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January 20, 2006

コニカ・ミノルタカメラの終焉

 コニカ・ミノルタがフイルムとカメラ事業から完全撤退するというニュースにはニコンに引き続き「ブルータスよ、おまえもか?」状態なのですが、合併して一つの会社になったとはいえ、一度に2つの老舗カメラメーカーの名前が消滅してしまうというのは、時代の流れとは言えなんだかなぁという感じです。しかし、デジタルカメラってそんなにいい物でしょうか?最終的に自分が外に持ち出してまじめな写真を撮るためのカメラというと、ブローニーの中版カメラか4×5のフィールドカメラというフイルムカメラになってしまいます。
 考えてみたらコニカのカメラもミノルタのカメラも変化球的な物しか使ってはいませんでした。まずコニカはパールのIV型、こいつはいいカメラでしたが、普段使うセミ版はフジのGS-645ばかりでコレクションと化し、引っ越し費用を捻出するための貴重な資源になりました。あとは1眼レフのFS-1くらいかなぁ。ミノルタは家にあったMODEL3というレンジファインダーカメラとは小学生のときからの付き合いで、去年自分でファインダー回りのオーバーホールをしたばかりです。他に貰い物の古いマニュアル1眼レフ2台とあとは珍しく未使用新古品で揃えたライカMマウントのCLEでしょうか?このなかで一番使ったのはCLEで、1眼レフより圧倒的にかさが少ないためによく海外に持ち出しました。まあ、その程度の付き合いですからコニカにもミノルタにも売り上げ的には殆ど貢献していませんでしたけど。
 しかし、かつてキヤノネットの出現によって多くのレンズシャッター機メーカーが倒産・廃業に追い込まれ、さらにキャノンAE1の出現によって電子化に付いていけなかったメーカーが淘汰されていったように、デジタルカメラの時代になって多くの家電メーカーが参入したデジタルカメラ戦国時代の到来により、半導体製造技術や画像処理技術に遅れたフィルムカメラメーカーはデジタルカメラの市場に食い込めずにフィルムカメラ事業もデジタルカメラ事業からも撤退と相成ることとなった次第です。しかし、かつてのキャノネットショック、AE1ショックの様相が、デジタルカメラにより老舗の小西六と千代光だったコニカ・ミノルタで繰り返されるとは思いもしませんでした。コニカ・ミノルタはレンズでは他社には絶対に負けないはずです。ところがデジタルカメラはCCDの感度を上げて豆カメラのような暗いレンズでも構わないわけで、レンズがよいだけではデジタルの世界ではやっていけなくなりました。デジタルカメラはレンズで選ぶという話はあまり聞きません。そのため、老舗のカメラメーカーではなく家電メーカーのデジタルカメラもすんなりユーザーに受け入れられるようです。なにせこの世界にデジタルカメラを普及させたのは計算機屋の印象の強いカシオですからねぇ(^_^;) しかし、これでまた大手カメラ量販店のフィルムカメラコーナーの品揃えがますます寂しくなります。いい加減ヨドバシカメラ・カメラのサクラヤ・ビックカメラはヨドバシパソコン・パソコンのサクラヤ・ビックパソコンに社名変更しなければ。すでにカメラ売り場なんて店の片隅のほんの狭いスペースしか宛われておりません。とはいえ、ベトナム戦争で沢田教一がライカのM3を手放さなかったように、自然環境の厳しいところで最後に生き残るのはフイルムの機械式カメラであることは変わらないと思います。もっとも自然環境の厳しいところに1台だけどんなカメラを持って行くかという「究極の選択」を迫られたら……おそらく旧タイプのニコノスでしょう(^_^;) ところで、コニカとミノルタの戦後60年の名機を選ぶとしたらどんなものが出てくるでしょうか? コニカだったら迷わずパールIV型、コニカF、35III型、FS−1、ジャスピンコニカ、ビックミニ、などが上げられ、ミノルタだったらミノルタ16、オートコードIII、SR−101、ミノルタCLE、α-7000、あたりでしょうか?総合カメラメーカーらしく35ミリ1眼レフから2眼レフ、レンズシャッター機、ミニカメラに至るまでその幅の広さはニコンの及ぶところではなかったようです。でもこの中で百万台単位で売れたのはもう20年前のミノルタα-7000シリーズだけかな? 忘れていましたが、ミノルタ製品といえば当方、スポットメータなんかの露出計ユーザーなんです。もちろん新品で購入し、ブローニーや4×5撮影のために国内はおろか海外まで持ち歩き、数千カットで済まないくらい撮りましたが、これらも製造中止なんでしょうね。デジタルカメラでスポットメータ使って露出補正計算している人間なんか見たこと無いもんね(^_^;) でもこのスポットメータFが壊れてしまったら、いったいあたしゃどうすりゃいいのか?

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January 19, 2006

DL用スチームジェネレータ

 最近また寒気が日本列島に入り込んで冷凍庫のなかにいるような真冬日が続きますので、鉄ヲタ歴史研究家として列車暖房の話をひとつ。最近、列車暖房用蒸気発生装置「SG4」系統のマニュアルを入手しまして、それに合わせて列車のスチーム暖房の歴史などを改めて検証してみました。
 今の鉄道車輌では全ての列車が「電気暖房」となっておりますが、それ以前の明治の時代には北海道の鉄道の「石炭ストーブ」を除いて列車には暖房装置がありませんでした。そのため、冬場は優等車の乗客に限って「湯たんぽ」を貸し出すなどという対処がされていましたが、本格的な列車の暖房が始まったのは、「鉄道百年略史」によると、明治33年12月の東海道本線優等列車にスチーム暖房が取り付けられたのが最初とのことです。この時代はまだ蒸気機関車からの高圧蒸気をそのまま客車のスチーム管に引き回したために、客車の編成中、前の車輌では大変に暑く、後ろの車輌では寒くてたまらないと言う温度差が激しかったのですが、その後スチーム暖房は徐々に他の路線にも波及していきます。当時の蒸気機関車は飽和式蒸気機関車でしたので、直接客車にスチームを引き回すことは問題なかったのですが、後の大正時代になって過熱式蒸気機関車の時代になると高圧の蒸気を客車に引き回すことが出来なくなり、レギュレータで減圧した蒸気を客車ごとに分配するという方式となりました。大正時代に首都圏から始まった電化によって通勤電車はスチームを発生することができないために電気暖房となりましたが、これらの電化区間を当時輸入が始まった電気機関車で客車を牽引する場合、夏場は問題がありませんが、冬場は電気機関車に蒸気を発生する手だてがありませんから暖房するのに困ります。そのため、客車に電気暖房を取り付けたりしましたが、電化路線と非電化路線をまたいで運行する列車の場合、電気暖房だけでは都合の悪い状況が生じます。そのために冬場だけ「マヌ」という暖房蒸気発生のためだけの石炭ボイラ搭載車輌を連結したりしましたが、その暖房車の運用だけでもいろいろとコストが嵩みます。そのために戦前から電気機関車の中に小型のボイラを置いて、そのボイラで発生させた蒸気を客車に送って暖房とするという計画が立てられました。そして戦前の旅客用電気機関車EF56からEF57の2形式に新製時から蒸気発生用ボイラが備えられましたが、この小型ボイラのことをスチームジェネレータ、略してSGといいます。このEF56と57に搭載されたSGは重油燃焼の煙管式ボイラだったと言われておりますが、その図面を見たことがないのでどういう構造だったかわかりません。おそらく縦型の炉筒煙管ボイラだったのでしょう。ところが戦争に突入する時代の産物だったために暖房用の重油が鉄道に回ってくるはずもありません。この暖房用SGは殆ど使われない装置だったと思われます。
 戦時中に設計され、戦後製作された旅客機のEF58は当初SGを持たないデッキ付き電気機関車として製作されましたが、昭和24年のドッジプランによる引き締めで一旦製造が中止されました。ところが朝鮮戦争による輸送量増加で昭和27年に新たに製造を再開され、このときから暖房用のSGが搭載されるようになりました。このときのSGが形式名「SG−1」といわれる物です。このときのSGは水管式の重油ボイラとなり、戦前のEF-56,57に搭載されたSGが専任の機関士が必要だったにもかかわらず、半自動制御となったためにボイラ専任者が必要なくなりました。ところがこのSG−1がよく故障して、上越線筋のEF58牽引列車などはよく暖房無しで乗客が凍える思いをしたなどということがあったようで、昭和32年に制御回路の信頼性を増したSG−1Aというものが出来たことによってEF58もやっと「冷凍機関車」の汚名を挽回し、SG−1装備の機関車も順次改良型に換装されていったそうです。
 ところが、昭和34年に冷暖房装備の20系客車が登場し、電源車を連結した電気式冷暖房客車だったために優等列車牽引機関車はSGを装備する必要がなくなりました。また、東北など路線によっては客車の電気暖房化が進みましたので、他の機関車には波及することなく、このためにSG−1Aを搭載した機関車はEF58にとどまります。その後スチームジェネレータは蒸気機関車の置き換えとして無煙化路線に登場したディーゼル機関車と電気機関車に受け継がれます。資料がないので定かではありませんがSG−2は重油燃焼水管ボイラでDF50形式のディーゼル機関車に、SG−3は軽油燃焼の貫流式ボイラでEF61,ED72,76に搭載されたのではないかと思うのですが間違っておりましたら誰かご指摘下さい。余談ですが、中央本線の客車列車はかなり後まで暖房用蒸気発生車の「マヌ」が残っていたようで、このボイラは日露戦争によって大量に輸入されたC型タンク機関車「B6」のボイラを転用した石炭焚き煙管ボイラを持つ車輌でした。当方の育った北海道では30年前まで蒸気機関車が現役だった土地ですから、こういう暖房車も白いスチームに包まれる電気機関車も生で目にしたことがないのですが、かなり特異な風景に見えたことでしょう。
 今回入手したマニュアルはディーゼル機関車用スチームジェネレータのSG4A−SとSG4B−Sについて書かれたものでした。SG4AはDD51とDD54用、SG4BはDE10用の蒸気発生装置です。両者共にほぼパッケージ型の貫流ボイラなんですが、DE10用はSG本体に全ての付加装置があるのにも係わらず、DD51用は給水ポンプなどを車輌側に装着しなければいけないという違いがあります。燃料はディーゼルエンジンと同じく軽油。貫流ボイラというのは瞬間湯沸かし器のように水の通るパイプが螺旋状にぐるぐる何重にも巻いていて、そこをバーナーで加熱するとその中を通った水が蒸発して蒸気になるという仕組みのボイラで、炉筒煙管ボイラや水管ボイラに比べてさらに熱効率の高いボイラです。しかし、純水に近い物を使わなければ内部にスケールが貯まりやすく、さらに発生した蒸気に水分量が多いために乾燥した蒸気を得るためには気水分離器を通す必要があり、給水にはイオン交換樹脂などを通した水などが必要になりますが、要は瞬間湯沸かし器の巨大なものみたいな物ですから、自動制御の方法が容易で、保水量が少ないために万が一事故で破裂しても大事故に陥る危険性が低くなっています。そのために法令ではボイラ技士の資格を必要としないで伝熱面積12平米未満の大きさのものが扱えるはずですが、ここいらはうろ覚えです(^_^;)
 今回の資料は53年3月の発行。私がちょうど上京した年で、まだ上野発黒磯行き普通列車は茶色い旧型客車をEF58が牽いてましたし、東海道本線貨物列車はハカイダーカラー(笑)のEH10が現役でした。そして南武線も横浜線も茶色い73系電車が健在。2年ちょっと前に蒸気機関車の終焉を見送ったばかりでしたので、これら旧型電気車にはまったく興味が持てずに、今考えると写真の1枚も取らなかったことが惜しい気もしますが。この資料にはSG本体の伝熱面積の記載がないんですね。考えるに国鉄の動力車運転関係はボイラの資格持ちには事欠かなかったのに、だんだん蒸気機関車乗務経験のないものが増えたため、ボイラの資格を取らせるよりも資格が不要で実技講習程度で扱える小型の貫流ボイラをSGに採用したのではないかと。昭和53年頃から急速に茶色い旧型客車が淘汰され、赤い50系客車に置き換えられますが、50系客車は電気暖房/蒸気暖房併用型がありました。個人的には朝一番で乗ると足下は暖かくても車体が冷え切っている電気暖房よりも温もり感がまったく違うスチーム暖房の時代の方が好きでした。特に極寒地の北海道はやっぱりスチームに限ります。さらにスチームの放熱器でカップ酒の燗をつけるという汽車酒の楽しみ方も出来ますが(^_^;) しかし、送気の初め頃は放熱管がウォータハンマでカンカン鳴ってうるさいのがスチーム暖房の欠点です(笑)
 貫流ボイラはゴーという燃焼音やその他けっこう騒音があってうるさく、狭いキャビンの中でSGを動作させたときの環境では難聴になりそうですが、そのためDD51やDE10のSG搭載車には列車無線を聞き逃さないように車内にトランペットスピーカが付いていたようでした。

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January 18, 2006

資本と時間

 アマチュア無線というのは、社会一般的にはなんの貢献にもならない純粋に趣味の世界ではありますが、その世界に入り込む為には資格と許可の両方が必要というのは珍しい趣味だと思います。
 よく車が趣味という人もいますが、移動手段という趣味の範囲外として実用で車を使うことだってあるはずですし、ましてパソコンを扱うのにライセンスも許可も必要ありませんし、フィギアのコレクションにおいても然りです。趣味の世界というのはその正否が「いかにつぎ込める資本と時間があるか」が鍵になっていますが、アマチュア無線に限っては「資本と時間」があっても資格がそれに着いていかないと成就しないはずでした。しかし、いつの間にか他の趣味と同じように勘違いする人が増えたのか、資格に関係なくその正否を左右するのはそこに費やす「資本と時間」ということになってしまっていたようです。
 何せ自分が所持している免許に関係なく無線機はどんな物でも購入できますし、資本投下の度合いが大きければ高いアンテナタワーを建てて高利得のビームアンテナを付け、パイルを破るためにリニアアンプなどという電力増幅器も備えれば1年ほどみっちり運用するだけで全世界の200地域ほどと交信して一端のDXサーと呼ばれることもあるでしょう。おまけにDX専門にやっていると、交信内容は英語でも定形文の交信なので、端から聞くと英語がペラペラのように感じられます。やってる本人はますます自己満足に浸ることが出来たのです。ところが、それまでは無線の世界でも資格に関係なく費やす投下資本と時間が成果に直結していた(大いなる勘違いですが)と思われていたものが、ある日を境に状況が変化してきました。インターネットで総務省のコンピュータから免許情報が検索されるようになったからなんです。この処置によって、その世界では名だたるDXサーと思われていた人が、実は電話級10Wの局免しか無かったとか、キロワット局で運用していると公言していた人が電信級50Wの局免だったとか、5バンドDXCCを取った人の14メガの許可が無かったとか、そういう事実が次々に発覚してしまったのです。
 この事態によって「金さえ掛ければ誰でもヒーローになれる」時代は終わりを告げ、派手に免許外の運用を行っていた人たちは上級免許取得に走るか、それとも息を潜めてほとぼりが冷めるのを待つという状態でした。けっこうDXの世界では有名で、カリブの島々にまで電話で電波を飛ばしてインタネットクラスタの常連コールサインで免許情報発覚後、まったく声が聞こえない有名人ってけっこういますよね(笑) 何年くらい前でしたかねぇ、免許情報公開後のことでしたが、北米向きに7メガ電話で喋っている茨城の局がうちの垂直アンテナでもメーターが振り切れるほど入感していたので、試しにコールサインで検索かけたら4級10W局。その局に同じ1エリアの局がインチキ野郎とののしると、この茨城の局が怒り始めて、「おまえの信号なんか針がちっとも振れていないぞ、このオカマ野郎」とかいうニュアンスの罵詈雑言から始まって、「悔しかったら50メータのタワーを上げて5キロワットくらい出して見ろ」という言葉から放送禁止用語の類までありとあらゆる事を1人で10分くらい公共の周波数でしゃべりまくった元自衛隊員とかいう人がいましたので、あまりにも非道いから80条報告上げようかと思いました。そのあとで関西コールの2文字局が「まあまあ」となだめに入っていたのですが、こんな局(有名なDXサーらしい)を擁護する2文字のOMの気持ちがわかりませんでした。こういう設備出力至上主義者は電信をやらない電話バカ共通の症状のようです。
 いるんだいるんだここにもあそこにも、処置無しっと(C)ドクターハロー
 でもねぇ、針金切ったり繋いだり、園芸用支柱組み合わせたりしてアンテナ作って、10Wで全国の知らない人と交信する創意と工夫による交信は、金で揃えた出来合の設備で、資格外の運用をしてカリブの島々と電話で話をするのとはまったく志が違うんですけどねぇ。でもまあ、いまだに「自分の無線環境さえ良ければ、他の人間のことなど知ったことではないし、資格その他、他人にとやかく言われる筋合いはない」という人間が多すぎて困ります。とりあえず1アマ試験もモールス免除で一度に500人以上も合格者を出したことですし、設備に資格を近づけることは容易になり(本末転倒ですが)、ますます資格外運用が叩かれることになるかもしれません。
 しかし上級取ったら取ったで、今までの自分のやって来た事は棚上げし、途端にオーバーパワー糾弾、上級資格擁護に回りがちなのは何でだろ〜う何でだろ?(^_^;)

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January 16, 2006

禁酒禁煙5年目に突入

 どうやら本日で禁酒禁煙4周年記念日となったようです。その間といえば、若くして奥方をガンで亡くし傷心旅行で札幌にやってきたFSAKE時代の友人に付き合い禁酒3年4ヶ月目で2杯だけ日本酒飲んだことと、親父の節目の誕生日に日本酒を杯で1杯つき合ったことで正確には「記録が途切れた」ことになるのですが、日常飲酒に戻らなかったから禁酒が続いているといっても良いでしょう(笑)そのおかげでモールスを覚えるヒマも上級試験を勉強する時間も出来て、無線だけではなくその他の資格試験に手当たり次第に挑戦するきっかけになったのですから良かったといいましょうか。その代わり「飲まない」と酒の席に呼ばれてもつまらないから出掛けないを押し通すと、そのうち呼ばれもしなくなり、酒席の付き合いもなくなってそれ以来忘年会にお座敷が掛かったことすらありません(^_^;) 
 最初の頃は酒を飲まないだけでいくらかスリムになり、昔の服が着られるようになったと喜んでいたのに、最近は飲まないのに元に戻ってしまったようです(笑)最近のアメリカの学者の研究によると、毎日少しずつアルコールを摂取する人間の方が、まったくアルコールを摂取しない人間より太りにくいんだそうな。どうりで、酒を飲まないと、そんなに食べていないのに食べたもの全てが体内に取り込まれているようなそんな気さえしてきます(笑)
 でもまあ、酔っぱらっている時間がないから、時間だけは有効に使えるのは確かです。目論見通り年を取っても病院知らずでいられるかどうか……_| ̄|○

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January 15, 2006

ニコンの撤退

 13日朝刊に掲載され「ニコン、フイルムカメラから事実上撤退」という報道は少なからずショックを受けました。フイルムカメラはF6ともう1機種を残し、交換レンズも大幅に整理して製造を終了させ、新たな開発はデジタル1眼レフに振り向けるということですが、これも時代故に仕方がないことなんでしょうか…。しかし、デジタルカメラがここまで急速にフイルムカメラに取って換わられることを誰が想像したでしょうか?報道の世界ではすでに画像をリアルタイムで転送できる速報性ゆえにとっくにデジタルカメラの独壇場で、フィルムカメラなんぞ第一線に残っていません。報道といえばスピグラがまだ蔵前国技館で使われていた時代を知る自分にとっては隔世の感がありますが、報道からもフイルムの消費がなくなり、コマーシャルの世界からもフイルムの消費がなくなると、これからは新たな高性能のフイルム開発も止まり、フィルム自体も「注文」しなければ手に入らない事態も十分考えられることも覚悟しなければいけません。
 しかし、機械式カメラの技術継承で複雑カメラの代表「ニコンSP」を復刻させたかと思ったら、今度はフイルムカメラからの事実上の撤退ですか?何かポリシーが一貫しない感じがしますが、現在ニコンではカメラ事業自体が収益の柱から外れつつあるのですから致し方がない事でしょうか。我々が現ニコンである日本工学に抱くイメージというのはキャノンやオリンパスとはまったく違った「精密工学会社」のイメージで、さながらドイツの「ツアイス」のような感じでした。8センチの屈折赤道儀付天体望遠鏡がビクセンの光友社あたりが6万くらいだったときに同じ8センチの赤道儀が日本光学のものだと何と16万8千円(@_@) 事、光学製品に限ってはなんか日本光学製というだけで特別な「プロのための道具」という感じであり、何となく殿様商売というか宣伝が下手だったイメージがあるのは、そもそも三菱系の企業で官僚主義の経営が支配している会社だったからでしょうか? それが30年くらい前から大衆化してしまいキヤノン、ミノルタ、オリンパスと同じ土俵に立ってしまってからは「日本光学」ではなく単なる「ニコン」になってしまいました。しかし、大ニコンがフイルムカメラからの事実上の撤退といえば、残る国内メーカーにも波及することは必至でしょう。まあ、考えてみれば未だデジタルカメラなんて発展途上であり2年3年でどんどん買い換えられる商品ですが、フイルムカメラなんてそうは買換需要が見込める物ではありません。当方なんか外に持ち出すメインカメラといえば未だに20年前のT-90ですよ(笑)それだけ「写る」という本質はもう何十年も変わっていないものなのです。14日放送の「ウルトラマンMAX」に40年前の撮影シーンということで、16ミリのアリフレックス16Mが出てきました。ウルトラQの3人が揃ったのもすごいことでしたが、事もあろうにアリフレックスが怪獣にたたき落とされて壊されてしまうシーンがありました。今のデジタルムービーしか撮らないクルーは、アリフレックスに何の思い入れもないでしょうから、というよりアリフレックスがどれだけ高価な機材だったかまったく知らない世代だから、いくら時代考証に忠実でも(だったら16STを出すべき)こんな破壊シーンに登場させたのでしょうか?当方から見たらリンホフやディアドルフも知らないデジタルカメラ世代の世代が、これらのジャバラのカメラを焚き付けにするシーンを取っているようなものです。どうせ壊すんだったらアリフレックスじゃなくてキャノンスクーピック16あたりにしろって、それじゃウルトラシリーズと時代が合わない
(゚o゜)☆\バキ

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January 14, 2006

IC-551のVOXユニット

「6mは6mのモノバンド機で運用するのが王道」なんて6mモノバンドリグに固執していますので、壊れない限りは今年もIC-551を使い続けるつもりです。IC-551はオプション無しの状態では6mリグとしては異例のコストパフォーマンスが高いモデルでしたが、オプションが3点あって、FMユニットとパスバンドチューニングユニット、それにVOXユニットをフル装備すると、HFのリグが買えるほどの値段になってしまうために、FMユニットを入れるだけでフルオプション化を諦めてしまった人が多いのではないでしょうか?それにしても25年も昔のリグですが(笑)当方もFMは自分からCQを出すことはありませんが、いちおうFMユニットだけは装備したIC-551を入手しました。しかし、パスバンドチューニングユニットのない素のIC-551では混信対策にまったく無防備で、さらにVOXユニットがないとCWを要求されたときにいちいちTRANSMITのスイッチを送信受信と切り替えないといけないために、更に100ヘルツ以下でCWに正確にゼロイン出来ないのでまったく使い心地の悪い無線機でした。今はオークションで何でも手に入る時代ですが、IC-551本体に比べてこれらの3種のオプションの出品数は極めて少なくレアなオプションです。FMユニットはオクでも値段がけっこう高騰しますが、割に手に入り入りやすいようです。それに比べてその他2種はオクにも年に何回も出てくるものではありません。P.B.Tユニットは以前運良く入手しましたが、CW運用時に必須なVOXユニットがどうしても手に入らず、フルオプションリーチで2年間もそのままの状態で運用を続けていましたが、正月に何気なく思い出して検索掛けたら何と一件ヒット!ひたすら終了5分前を待ち続け5分前に一気に入札、信じられないような安い値段でこのまま終了かと思いきや終了30秒前に伏兵登場で6分の延長線に入り、入札額も千円ほど上がりましたがそのまま落札になりました。おーやった、これでIC-551のフルオプション化竣工です(笑)
 これで長年の懸案だったIC-551のフルオプション化が完了してVOXユニットによるCWのセミブレークインも可能になったために、今年は又更に6mに力を入れねば。といいつつサイクルの谷間に向かって去年より一段とコンディション低下は免れないでしょうねぇ。手っ取り早くアンテナの自作3エレ化と50Wのリニアアンプ製作でも考えなければいけませぬ。球で作りたいけど6mとなったらやっぱり石かなぁ?

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January 12, 2006

HEMMI No.2662

 久しぶりに計算尺ネタを書けるので、なんかうれしいような気がしてますけど、これだけインターバルが空いたのはどうも年末にかけての計算尺の出物が少なかったという理由があったからなんですねぇ。ところが新年明けてからけっこう希少な計算尺が出始めまして、コレクター諸氏が少しだけ目の色を変えるようなHEMMIの#274なんかは別にどこかに納まればいいのですが、自分にとっては1本だけ欠けていたNo.2664Sの3兄弟であるNo.2662だけはどうしても欲しかったので新年第1号として入手してしまいました。別に同一尺度のRICOH No.116Dがありますし、2662と比較しても116Dのほうが好みなんですが(笑)では、何で2662が必要だったかというと、なぜ2664Sをあれだけ出荷しながら尺度が少し増えただけのパターンモデル2662が必要だったのか、その答えを見つけようと思ったからなんです。実は以前、116Dを入手したときに「おそらくHEMMIのNo.2662とほぼ同一尺度なので、RICOHのNo.116Dがその尺度を真似したコピー商品だったのではないか」と書きました。ところが、どうも「そうだ」と断定はできないようなのです。
 HEMMIは2664から2664Sに変わった頃、RICOHの前身RELAYではNo.111からHEMMIの2664をコピーしたNo112に発展させますが、RELAYは110シリーズを更にどんどん改良し、√10切断系π切断系AB尺系の3種類を用意するにとどまらず、HEMMIが2664Sを計算尺のベストセラーにしてどんどん単一モデルで量産し続ける間にRICOHに社名変更になったRELAYでは昭和の38年頃にNO.116を発売し、一気にCIF尺だけではなくDI尺まで備えた計算尺に発展させます。いわゆるHEMMIモデルであればNo.2664S-Sじゃないかと言われるところなんですが、実は2664S-Sとして発売されるのは後のことなんですね。そして昭和39年には表にL尺も備えたNo.116Dも発売され、HEMMIの2664Sに比べると一気に尺度が増えた片面計算尺が出回るわけです。RICOHの116より2664S-Sと2662が先行した存在と思っていたのですが、アメリカのHEMMIコレクターであるポール・ロス氏によると、No.2664S-Sの製造は昭和42年から、No.2662に至っては昭和44年前後とされているのですね。でもちょっとまっちくり、確か30年代の緑箱でNo.2664S-SPECIALっていう刻印のNo.2664S-Sと同じDI尺付きの2664Sを見たことあるぞ。確かにDI尺付きの全9尺だけど、どう説明してくれんねん。さらに30年代の緑の貼箱入りで、表ではなく裏の中央にネームのあるNo.2662も見たことがあるからNo.2662が昭和44年前後に作られたというのも明らかに間違いで、そうなると9尺10尺と片面計算尺でどんどん尺数が増えていったのはRICOHがオリジナルでありHEMMIが後からのマネっこ商品だとも言えません(^_^;) 一つ言えることは、HEMMIは日本でも世界でも圧倒的なシェアを持っていたために、たとえRICOHの計算尺がHEMMIの同等モデルに対して意識的に尺数を1つ増やそうとも、別に対抗することもなく横綱相撲に終始したということではないでしょうか?その反面RICOHはHEMMIと比べて何か違いを出さないと値段以外に市場での存在意義がなかったということなんでしょうね。しかしHEMMIはあれだけ2664Sを売っていながらわずかな違いの2664S-Sと2662を作る必要があったのでしょうか?そこに何となくシェアの低いメーカーに対し、その存在に対する無言の圧力として意図的に市場に少数流した商品のような気がしてきました(笑)でも、その計算尺の巨人HEMMIに対抗して「何か違いを出そうと必死にあがいた」跡が見受けられるRICOHの計算尺って個人的には好きですよ(^_^;)まあ、最後までHEMMIのコピーから抜け出せなかったシリーズもありますが。
 入手したHEMMI No.2662は岐阜の方から入手した計算尺です。40年代のベージュに緑帯の貼箱に入っていてUD刻印だから日産ディーゼルじゃなくって昭和45年4月製です。ちょうど大阪万博が始まって太陽の塔に過激派学生が立てこもったあの年の4月の製造なんですねぇ。ご多分に漏れず計算尺末期に差し掛かった時期の製品ですから、殆ど使用されずにしまい込まれたようです。さすがに尺が表に10尺もあるとびっしりと込み入った印象を受けますが、116Dが2以下の目盛にいちいち1.1とか1.2などの数字を振ってあって、かえってごちゃごちゃして見にくいのにもかかわらず、2662のほうがスッキリして見やすい感じです。両者を並べてみて初めて気が付きましたが、RICOHの116Dのほうが若干短かいのは、左右の余白の関係でしょうか。無線資格国家試験に使う計算尺でも触れましたが、表にL尺が出た計算尺の方がデシベル計算の多い無線工学では使いやすいので、一般の√10切断系ずらし尺のHEMMI片面計算尺ではお薦め度1番なんですけどいかにも出回っているタマが少ない。それでL尺が滑尺裏の配置ながらタマも値段も豊富な厨房尺を無線試験に持って行けとお薦めしているわけですが、今回12月期の1アマ試験に関しては問題を見ても、計算尺が1本あれば便利とまで言える問題はまったくなかったようです。今までの電気物理の計算重視の傾向から明らかに「アマチュアは原理原則の理解度確認」とでも言うがごとく、今までの2アマ試験の出題傾向に近づいた感じがしました。電気数学ヲタに近い自分にとっては残念です(^_^;)
1162662
 上がRICOH No.116D(NS-2刻印)で下がHEMMI No.2662(UD刻印)です。
 両者の違いは殆ど間違い探しの世界ですな(^_^;)
 但し、入手したNo.2662は後発らしい配慮でCI尺上にもπマークがあるのが電気関係の計算が多い自分にはちょっとだけ使いやすい配慮かな。ところがこの2662はC尺上にCマーク以外のゲージマークが無くなりました。電線の断面積を計算するためCマーク以外は普段使いませんが、なんでρマークを大胆にカットしてしまったんでしょう?そう思って滑尺裏を見ると三角関数の他にB尺C尺が刻まれており、これを裏返して使うとC尺にρマークがちゃんと出てくるんですね。116D同様に滑尺を裏返すとオーソドックスなABCD尺としても使えるとは…。2662侮りがたし(笑)
HEMMI No.2662の表面拡大画像はこちら
HEMMI No.2662の裏面拡大画像はこちら

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January 10, 2006

手配書が出ていたカーボンヒータ

 暮れの31日に支部のブログに掲載する支部長の写真を撮りに伺ったところ、また首振りのカーボンヒータの修理を頼まれ、大晦日の夜に故障部位を探っていました。支部長宅からの暖房機の修理は3回目ですが、今回のカーボンヒータは知り合いからもらったそうで、また例によって何回も使っていないのに通電しなくなったそうです。よくよく暖房機の壊れる家ですが、このカーボンヒータ自体は今回も中国製で、部品不良か何かで又温度ヒューズが切れたのかと思いました。前回のハロゲンヒータと違うのはリモコンで首の上下から左右の首振り、さらにオンオフから強弱の切換まで出来る複雑なメカになっており、IC不良だったらお手上げだと思いながら防護ネットを外して発熱体のところまで分解し、通電して発熱体の接続部の電圧を測ると強で100V、弱で50Vの電圧が来てます。これで発熱体であるガラスヒーター管が切れていることがわかりましたが、説明書によるとこの部品は消耗品らしく、ガラスヒーター管だけ発注すれば修理可能と判断し、説明書の輸入元URLを開いても該当がありません。おかしいなあと思ってメーカー名と形式名で検索をかけると、恐ろしげなことが判明しました。独立行政法人製品評価技術基盤機構の事故情報特記ニュース#66の2005.4.28によると、このカーボンサークルヒータは発熱体の不良によりガラスヒータ管が使用中に破損し、飛び散った高温の石英硝子で床やカーペットを焦がす火災未遂が5件起こっているらしいのです。輸入元の総合技研は製品の無償点検と修理を行っていましたが、東京地方裁判所に破産宣告を受けて現在では製品の回収修理が行われていないために、未回収品の事故が未だに起きているらしいです。今回は発熱体が破損せずに内部のカーボン線が切れただけで済みましたが、最悪の場合にはぼや騒ぎに至っていた可能性もあり、ナショナルの石油暖房機のように大々的に会社から回収修理が周知徹底されれば事故も防げますが、新聞広告を一度出しただけで輸入元が潰れ、未だに火災の可能性のある暖房機が未回収のまま市中で使い続けられていること自体が恐ろしいような気がしますが…。ちなみに対象商品は綜合技研株式会社から平成15年9月から平成16年2月に販売されたカーボンサークルヒータの形式名S-700CLとS-600CMの2種類です。製品評価技術機構によるとこのどちらかをお持ちの方で、綜合技研株式会社の行った無償点検・修理を受けていない場合には直ちに使用を中止して欲しいとのことです。しかし、メカの部分はリモコンもしっかり生きていますので、そのまま粗大ゴミにするのも忍びないんですが、なんか利用価値はありませんかねぇ?これでパラボラアンテナ作るわけにもいかんでしょうし、電球のソケットを付けて首振りライトなんて意味のないものを作ってもしょうがないし(^_^;)

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January 07, 2006

上海と14メガで

 今月は無線的には4アマ養成講習、記念局8J8NSTの運用調整、ニューメディア交流会準備などもあって、土日に無線をやっているほど時間がありません。今日も打ち合わせに出掛けたのですが、帰ってからどうせハイバンドもひらいていないだろうと思って期待もせずにリグの電源を入れました。21メガで国内どこかが聞こえたんですが、どうもうまく復調出来ませんでした。別に21メガでLSBモードでしゃべっているわけじゃないのですが、雪の影響で電離層波の偏波が妙に狂ったなんてことはないでしょうね?(^_^;)
 そして14メガに降りてくると、我がマルチバンドの垂直アンテナなのに14メガで振り切れるくらいの強さで入感していた/BYなので、中国からCQを掛けているJH3コールの局がありました。こんなに強力に入感しているのにCQを3度ほど掛けても応答するJAの局がまったくありません。据え膳食わぬは何とやらですから我が垂直アンテナから応答すると一発でしかも59で取ってくれました。まあ出力は100ワットですが、あのコンディションでしたら10Wでも十分だったでしょうね。京都の局長さんで上海の老舗無線クラブBY4AAからの運用でした。ちなみに中国は1982年までアマチュア無線は禁止されていたそうで、確か中国で3番目に許可になった無線局がBY4AAのようです。今では中国のアマチュア無線も成熟期を迎えましたが、アマチュア無線の発展途上でのネット社会の出現で、その後の中国のアマチュア無線人口は順調に増えているのでしょうか?

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January 05, 2006

計算尺の貼箱工作

 別に計算尺を蒐集するのが目的ではなく、とりあえず自分の両分とする分野に使用して見たいという観点から計算尺を集めてきましたので、中には箱が欠品というものまで何本かあります。そのまま埃だらけにするのも忍びないので、ヘンミの計算尺と同じ手法で「貼箱」を作ってみることにしました。最近こそお菓子の箱にしても組み立て式の箱ばかりが使用されていますが、昔はお菓子や贈答品の箱というとこの貼箱という手法が使われた「たたむことの出来ない紙箱」ばかりだったんですが、今や絶滅寸前のテクノロジーというものかもしれません。ボール紙の上をきれいな紙で覆って組み立てられた箱のことです。
 計算尺の箱は「内筒・外筒・蓋」の大まかに3つのパーツで構成されており、この3点を合体させて計算尺の箱が出来上がってます。そのためにまず内筒を作りますが、きちんとした寸法を出すためには「木型」が必要で、この木型を用意するのが面倒くさいのですが、木型を使わないとしまりのない貼箱しか出来ませんので、この木型を省略するわけにはいきません。たまたま100円ショップに出掛けると工作用の定形寸の木材が売られており、これが使えそうだと購入して帰ると、何とヘンミの両面尺用の箱の内面にきついながらもピッタリおさまりました。こうなったらあとはやるしかありません。ところが年末は人並みに忙しく、年を越してお正月の工作大会になりました。こちらは正月といえども酒を飲むわけではないので、NYPが終わると案外ヒマなんです(笑)
 用意します材料はクラフト紙と厚めのボール紙に伝統的なチューブ入りの澱粉糊、それに木型と輪ゴムに貼箱の外側に使う包装紙ですが、30年代のヘンミ計算尺貼箱本来の皮もどきみたいな紙が手に入らないので、クリスマスギフト用の包装紙を用意しました。ボール紙もティッシュペーパーの外箱みたいなヘナヘナなものはダメで、その3枚分以上の厚さが必要です。まず内筒を作るために木型にクラフト紙をきつく巻いて端を糊付けします。底を折り畳んできっちり糊付けし、木型に巻かれた筒状のクラフト紙の表裏と側面、底に正確に切り出したボール紙を糊でしっかり貼り付け、輪ゴムで何カ所かを巻いて固定して糊が乾くまでしばらくおきます。さらにこのボール紙で装甲された内筒の外側に糊をたっぷり付けて更にクラフト紙を外側に張り付け、輪ゴムで固定してしばらくおいておき、一旦木型を抜いてボール紙からはみ出したクラフト紙を鋏で切り取れば内筒が完成します。再度木型をはめ込むと今度は内筒自体が木型の役目をするので、今度は内筒を木型にして蓋の部分を同じようにクラフト紙とクラフト紙の間にボール紙の芯を挟み込むような形で糊付けして形を作ります。そして蓋が出来たら今度はまったく同じ要領で外筒を作り、最後にきれいな包装紙で外側を覆って内筒の部分にも蓋がはまる部分に包装紙をあしらって内筒と外筒を合体。木型を使っているのできっちりとはまりこむのは言うまでもありません。という要領で「計算尺の貼箱」の工作が完成です。材料費は木型に使った木材の購入費と糊代だけです。クラフト紙は要らない定形外封筒を、ボール紙はもらった笹カマボコが入っていた箱をバラバラにし、包装紙はクリスマスギフトの包み紙。貼箱の外側に貼る紙は糊の水分で皺になることが無いような紙なんですが、単なる包装紙は糊の水分でピンと貼ったつもりでも皺が多少寄ってしまうのは致し方ないでしょう。ヘンミの両面尺は間違いなくピッタリ納まるのですが、リコーの両面尺はネジの出っ張りが引っかかってスムースに出し入れ出来るというほどではありません。あと木型の厚みを2ミリ大きく取れば良かったんですが、なにせ既製品を使いましたからね(笑)内筒・外筒・蓋のボール紙部分を切り出す「型」を起こせば、同じものを何個も苦労せず作ることが可能なんでしょうが、こんなもの作っても欲しがる酔狂な人はいないでしょうしねぇ、まともに抜き型起こして量産するつもりはありません(^_^;) とりあえずあとヘンミの片面尺用貼箱の木型も考えておこうっと。ちなみに貼箱表面紙の見本を検索すると、しっかり30年代ヘンミの緑と40年代のベージュっぽい表面に似たようなものがありました。どこか数枚単位で小売りしているところはないかなぁ?
RULEBOX


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January 02, 2006

ニューイヤーパーティ進行中

 ここ2年ほど2mバンドでのニューイヤーパーティ参加局がめっきり減って、応答に回っているだけだと20局集めるのも困難なために、十二支が完成した人も何とかNYPに参加して欲しいと地元支部関係に要請したところ、隣接支部でも「2mに参加せよ」という命令が下ったようで、例年になく「かぶり全開の2mニューイヤーパーティー」になったようです。2mで20局終わった人の交信をタヌキしていたら「今年はかぶりで大変だった」なんて言っていたみたいですが、まあそれでいいじゃないですか(笑)
 こちらも短いモービルホイップ並ゲインのGPアンテナながら、言いだしっぺがCQ出さないわけにはいかず、10分前から145.12でCQを出し続け、9:00からCQニューイヤーパーティーコールに切換え、30分はCQを出し続けましたが、コールバックもらったのはローカルの3局だけ(^_^;) いちおう義理は果たしたとCQ出している側に呼びに回り、間もなく早々にHFの方にQSYして21メガ14メガで20局を確保してしまいました。
 まあ、2mでCQ出して情けなかったのは、白老から明らかに50W級のコールバックがあったのに応答したら、相手は同一周波数で運用していた室蘭の局へのコールバックだったこと。こちらと室蘭が同一周波数で運用していても問題は殆どありませんが、距離的に真ん中の局が出てくると、とりあえず問題が。昔は屋根の上にGPアンテナ上げる程度の局同士が交信するだけでしたけど、最近はごく普通にタワーを建ててそのトップに3段GPもしくはスタックの八木なんて当たり前ですからね。
 これは隣接支部ともいろいろ調整しなければいけませんが、高さのある高利得のアンテナでただ不用意に50Wの最高出力で呼ぶんじゃなくて、混むことはわかっているはずなので「業務に必要な最小の出力」で、50W局も20W以下で運用してもらえるように協議してみましょう。そうすれば少しはかぶりの問題も軽減するでしょう。移動局も固定局も一律5W以下のQRP運用に限るなんて事になったら、それはそれで面白いのですが(笑)
 HFでは21メガ18メガ14メガともこの時期にこんなに局数が聞こえるなんてあり得ないと思うくらいの盛況ぶりで、コンディションにも恵まれたようです。おかげで福岡県福津市・熊本県宇城市・鹿児島県いちき串木野市などの未交信市が取れました。でもすでにアルコール変調のオペレーター氏に遭遇し、サフィックスがなかなか覚えてもらえなくて弱りました(^_^;) これから夜の部に出陣し、2mでCQ出してローカルのニューカマーの交信相手にでもなりましょう(笑)

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