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January 19, 2006

DL用スチームジェネレータ

 最近また寒気が日本列島に入り込んで冷凍庫のなかにいるような真冬日が続きますので、鉄ヲタ歴史研究家として列車暖房の話をひとつ。最近、列車暖房用蒸気発生装置「SG4」系統のマニュアルを入手しまして、それに合わせて列車のスチーム暖房の歴史などを改めて検証してみました。
 今の鉄道車輌では全ての列車が「電気暖房」となっておりますが、それ以前の明治の時代には北海道の鉄道の「石炭ストーブ」を除いて列車には暖房装置がありませんでした。そのため、冬場は優等車の乗客に限って「湯たんぽ」を貸し出すなどという対処がされていましたが、本格的な列車の暖房が始まったのは、「鉄道百年略史」によると、明治33年12月の東海道本線優等列車にスチーム暖房が取り付けられたのが最初とのことです。この時代はまだ蒸気機関車からの高圧蒸気をそのまま客車のスチーム管に引き回したために、客車の編成中、前の車輌では大変に暑く、後ろの車輌では寒くてたまらないと言う温度差が激しかったのですが、その後スチーム暖房は徐々に他の路線にも波及していきます。当時の蒸気機関車は飽和式蒸気機関車でしたので、直接客車にスチームを引き回すことは問題なかったのですが、後の大正時代になって過熱式蒸気機関車の時代になると高圧の蒸気を客車に引き回すことが出来なくなり、レギュレータで減圧した蒸気を客車ごとに分配するという方式となりました。大正時代に首都圏から始まった電化によって通勤電車はスチームを発生することができないために電気暖房となりましたが、これらの電化区間を当時輸入が始まった電気機関車で客車を牽引する場合、夏場は問題がありませんが、冬場は電気機関車に蒸気を発生する手だてがありませんから暖房するのに困ります。そのため、客車に電気暖房を取り付けたりしましたが、電化路線と非電化路線をまたいで運行する列車の場合、電気暖房だけでは都合の悪い状況が生じます。そのために冬場だけ「マヌ」という暖房蒸気発生のためだけの石炭ボイラ搭載車輌を連結したりしましたが、その暖房車の運用だけでもいろいろとコストが嵩みます。そのために戦前から電気機関車の中に小型のボイラを置いて、そのボイラで発生させた蒸気を客車に送って暖房とするという計画が立てられました。そして戦前の旅客用電気機関車EF56からEF57の2形式に新製時から蒸気発生用ボイラが備えられましたが、この小型ボイラのことをスチームジェネレータ、略してSGといいます。このEF56と57に搭載されたSGは重油燃焼の煙管式ボイラだったと言われておりますが、その図面を見たことがないのでどういう構造だったかわかりません。おそらく縦型の炉筒煙管ボイラだったのでしょう。ところが戦争に突入する時代の産物だったために暖房用の重油が鉄道に回ってくるはずもありません。この暖房用SGは殆ど使われない装置だったと思われます。
 戦時中に設計され、戦後製作された旅客機のEF58は当初SGを持たないデッキ付き電気機関車として製作されましたが、昭和24年のドッジプランによる引き締めで一旦製造が中止されました。ところが朝鮮戦争による輸送量増加で昭和27年に新たに製造を再開され、このときから暖房用のSGが搭載されるようになりました。このときのSGが形式名「SG−1」といわれる物です。このときのSGは水管式の重油ボイラとなり、戦前のEF-56,57に搭載されたSGが専任の機関士が必要だったにもかかわらず、半自動制御となったためにボイラ専任者が必要なくなりました。ところがこのSG−1がよく故障して、上越線筋のEF58牽引列車などはよく暖房無しで乗客が凍える思いをしたなどということがあったようで、昭和32年に制御回路の信頼性を増したSG−1Aというものが出来たことによってEF58もやっと「冷凍機関車」の汚名を挽回し、SG−1装備の機関車も順次改良型に換装されていったそうです。
 ところが、昭和34年に冷暖房装備の20系客車が登場し、電源車を連結した電気式冷暖房客車だったために優等列車牽引機関車はSGを装備する必要がなくなりました。また、東北など路線によっては客車の電気暖房化が進みましたので、他の機関車には波及することなく、このためにSG−1Aを搭載した機関車はEF58にとどまります。その後スチームジェネレータは蒸気機関車の置き換えとして無煙化路線に登場したディーゼル機関車と電気機関車に受け継がれます。資料がないので定かではありませんがSG−2は重油燃焼水管ボイラでDF50形式のディーゼル機関車に、SG−3は軽油燃焼の貫流式ボイラでEF61,ED72,76に搭載されたのではないかと思うのですが間違っておりましたら誰かご指摘下さい。余談ですが、中央本線の客車列車はかなり後まで暖房用蒸気発生車の「マヌ」が残っていたようで、このボイラは日露戦争によって大量に輸入されたC型タンク機関車「B6」のボイラを転用した石炭焚き煙管ボイラを持つ車輌でした。当方の育った北海道では30年前まで蒸気機関車が現役だった土地ですから、こういう暖房車も白いスチームに包まれる電気機関車も生で目にしたことがないのですが、かなり特異な風景に見えたことでしょう。
 今回入手したマニュアルはディーゼル機関車用スチームジェネレータのSG4A−SとSG4B−Sについて書かれたものでした。SG4AはDD51とDD54用、SG4BはDE10用の蒸気発生装置です。両者共にほぼパッケージ型の貫流ボイラなんですが、DE10用はSG本体に全ての付加装置があるのにも係わらず、DD51用は給水ポンプなどを車輌側に装着しなければいけないという違いがあります。燃料はディーゼルエンジンと同じく軽油。貫流ボイラというのは瞬間湯沸かし器のように水の通るパイプが螺旋状にぐるぐる何重にも巻いていて、そこをバーナーで加熱するとその中を通った水が蒸発して蒸気になるという仕組みのボイラで、炉筒煙管ボイラや水管ボイラに比べてさらに熱効率の高いボイラです。しかし、純水に近い物を使わなければ内部にスケールが貯まりやすく、さらに発生した蒸気に水分量が多いために乾燥した蒸気を得るためには気水分離器を通す必要があり、給水にはイオン交換樹脂などを通した水などが必要になりますが、要は瞬間湯沸かし器の巨大なものみたいな物ですから、自動制御の方法が容易で、保水量が少ないために万が一事故で破裂しても大事故に陥る危険性が低くなっています。そのために法令ではボイラ技士の資格を必要としないで伝熱面積12平米未満の大きさのものが扱えるはずですが、ここいらはうろ覚えです(^_^;)
 今回の資料は53年3月の発行。私がちょうど上京した年で、まだ上野発黒磯行き普通列車は茶色い旧型客車をEF58が牽いてましたし、東海道本線貨物列車はハカイダーカラー(笑)のEH10が現役でした。そして南武線も横浜線も茶色い73系電車が健在。2年ちょっと前に蒸気機関車の終焉を見送ったばかりでしたので、これら旧型電気車にはまったく興味が持てずに、今考えると写真の1枚も取らなかったことが惜しい気もしますが。この資料にはSG本体の伝熱面積の記載がないんですね。考えるに国鉄の動力車運転関係はボイラの資格持ちには事欠かなかったのに、だんだん蒸気機関車乗務経験のないものが増えたため、ボイラの資格を取らせるよりも資格が不要で実技講習程度で扱える小型の貫流ボイラをSGに採用したのではないかと。昭和53年頃から急速に茶色い旧型客車が淘汰され、赤い50系客車に置き換えられますが、50系客車は電気暖房/蒸気暖房併用型がありました。個人的には朝一番で乗ると足下は暖かくても車体が冷え切っている電気暖房よりも温もり感がまったく違うスチーム暖房の時代の方が好きでした。特に極寒地の北海道はやっぱりスチームに限ります。さらにスチームの放熱器でカップ酒の燗をつけるという汽車酒の楽しみ方も出来ますが(^_^;) しかし、送気の初め頃は放熱管がウォータハンマでカンカン鳴ってうるさいのがスチーム暖房の欠点です(笑)
 貫流ボイラはゴーという燃焼音やその他けっこう騒音があってうるさく、狭いキャビンの中でSGを動作させたときの環境では難聴になりそうですが、そのためDD51やDE10のSG搭載車には列車無線を聞き逃さないように車内にトランペットスピーカが付いていたようでした。

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