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April 08, 2006

岡田有希子自殺から20年

 そういえば今日が「あの日」からの20年目の節目の日にあたる。あの日とは、その後に若い子が不可解な後追い自殺を繰り返したために「ユッコシンドローム」などと言われる発端になったアイドルの岡田有希子が四ッ谷交差点のビルから飛び降り自殺した日なのだ。しかし、あれから20年も経つというのは我ながらムダに歳を重ねたものであるが、当時は玩具製造に参入するきっかけとなったフルオートガスガンの出始めのころで、土曜の21時頃に完成品が入荷し、その日のうちに梱包を済ませ、日曜には予約分を裁いて月曜には他社に出荷という週単位のスケジュールをもう何ヶ月も繰り返して、水曜日が休みというような勤務状況だった。その頃やっとパソコンが業務に入り始めて売り掛けが電算処理を始められた頃である。そんな休みの水曜日はいかに睡眠時間を確保するかが重要で、休みの日だけは千歳烏山駅近くの6畳一間の風呂無しトイレ共同の安アパートで昼まで寝ていて「笑っていいとも」と同時に起き出し、カップ麺で昼食を済ませた後、けだるい午後をワイドショーか何かを見て過ごし、4時に近くの銭湯が開いたらさっさと入りに行くというような、実に非生産的な休日の過ごし方をしていたのであったが。
 四月に入って陽気も良くなり、もうカレーの作りだめは出来ないな、などと思っていた休みの水曜日、春のうららかなよい天気だったのにも係わらずいつもの通り昼ごろに起き出して「笑っていいとも」を最後まで見ていた。どんなコーナーがあったかは覚えていないが、エンディングでタモリが回って来たメモを見て「えっ、岡田有希子ちゃんが飛び降りた?!」と叫んだのは今でもはっきりと覚えている。「飛び降りた」という客観的な事実に対して、なんで高校を卒業したての18歳がビルから飛び降りなければいけなかったのか自分でも整理がつかなく、出来ることならば生きていて欲しいという願いもむなしく、その後のワイドショー報道で死亡が確認されたという報道が流れた…。
 前月3月はおかしな陽気だった。桜が咲こうというときに東京では大雪が降り、交通網が1日遮断された。その大雪の1週間前、いつもの通り混雑する京王線の急行電車を避けて先発の各駅停車の新宿行き電車に乗る。最後尾の車輌に座って本を読んでいると上北沢停車中に車掌が急に「あっ、人が接触した」と大声を上げ、列車無線で運行指令に連絡を入れた後すぐさま救助のためにホームに走ったのだ。反対ホームを通過する快速電車に接触してホームを飛んだらしく、自分の乗っている車輌のすぐそばまで跳ね飛ばされたらしい。このときは接触だから大事に至らないという思いと、快速に跳ね飛ばされたのだから命はあるまいという両方の思いが交錯した。すぐに駅員・救急隊員・警察などが駆けつけたが車掌は列車無線で即死と伝えていた。こちらの電車は当事者ではないので15分遅れくらいで発車したが、ホームでは遺体にシートこそ掛けられていたものの、あちこちに豆腐を細かくしたような灰色の物体が散らばっているのを見てしまった。人間の頭が割れるとこのように脳が飛び散るのを目の当たりにして、それからしばらくメシが喉を通らず、スーパーでパック入りの鳥のモツの見ただけでしばらくは吐き気がした。
 歌番組を殆ど見ない自分が岡田有希子の姿を初めて見たのは事もあろうに民放深夜に流れる「歌う天気予報」という番組だったと思う。ファーストデートという曲を歌っている場面に天気予報のテロップが流れるというそれだけの番組だったが、日によっては「じょんがら天気予報」などというわけのわからんお天気番組に変わっていた。岡田有希子の歌う天気予報の前任は、何と「スターボー」だったと思う。チープなテクノのメロディでの歌う天気予報は、海岸でマスクを掛けたスターボーの3人が星の形の全身タイツみたいのをまとって、暴走族のようにメンチ切って見せるというような噴飯もののビデオクリップであった。まあ宇宙から来たインベーダだから仕方がない。そのスターボーの後の歌う天気予報抜擢だったので余計に岡田有希子という名前が印象づけられたのかも知れないが、アイドルマニアの友人がファーストアルバムのテープをくれ、そのテープをグアムに持っていったのを覚えている。
 四ッ谷交差点の大木戸ビル前には1週間後の水曜日にオートバイで出掛けた。出掛けたというよりついでに訪れたというのが正解だ。堆く積まれた花束の前にひれ伏すユッコファンさえすでに姿を消したが、花束の山はそのままだった。あの日の上北沢のホームのように、まだ若い脳の断片を散らした固いアスファルトはその染みさえ見つけることは困難だった。テープをくれた友人はその日のうちにこの現場を訪れ、「さらば青春」と涙を流しながらオートバイであてもなく走り回ったそうである。今も昔も自分はそこまで人にも物にも感情移入することは出来ない。でも岡田有希子のLPはいまでもすべて持ち続けている自分は一体…。この日を境に自分はアイドルとは絶縁しておニャン子クラブなどとも無縁の人生を歩むことになる。

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Comments

あれから20年ですかぁ。早いですね。当時高校2年生だった自分は部活の最中にこの“事件”を知りました。それもアマ無線部のヤツが「無線で言ってた」と。「無線はウソは言えないからね」との一言で「あぁホントなんだ」と悲しい思いになったのを覚えてます。特にファンだったわけでもないんですがね…。それから2年後、就職した後に仕事でたまたまこの“ビル”の前を通ったおりにしみじみと眺めてしまいました。心の中で「合掌」したのは言うまでもありません。

Posted by: アマチュア特殊無線技士 | April 08, 2006 03:25 PM

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