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October 29, 2006

FUJI No.102 10インチ片面計算尺

 またもやFUJIのプラスチック製計算尺ですが、FUJIの計算尺もその前身の技研計算尺も8インチの学生尺はその値段の手軽さゆえか、不思議とよく出てきますし、No.2125系統の10インチ検定用計算尺も最近は良く出てきますが、その中間の10インチの一般用片面計算尺が殆ど出てこないのは何ででしょうか。まあ、あまりにも片面計算尺のスタンダートで大ベストセラーのHEMMI No.2664Sが普及しすぎたため、同種の計算尺だったRICOHのNo.116と同じように、単に割安感だけでそのシェアに食い込むことが困難だったのは明らかですが、技研時代の10インチ片面尺ならいざ知らず、FUJI時代でも後期に当たる滑尺が薄い緑に着色された10インチの通常用片面計算尺に遭遇するのは極めて稀です。今回入手したFUJIの10インチ片面計算尺のNo.102は、表がL,DF,[CF,CIF,C]D,A,Kで滑尺裏が[S,ST,T1,T2]の表9尺ですがHEMMIのNo.2664S-SRICOHのNo.116と違う点は表がDの逆尺のDIではなくLを持ってきたことが異なり、言うなればNo.2664Sの滑尺裏のL尺を表に持ってきたというような感じでしょうか。どうしてDI尺でなくてL尺なのかその理由はわかりませんが、技研時代には11尺装備の検定用計算尺No.251以外にL尺が表にある片面計算尺がないので、電子工学その他の対数関係の計算の便を図るためのことだったかもしれません。というよりも、もしかしたら8インチプラ尺でよく似ているNo.82-Dの滑尺裏のL尺を表に持ってきて9尺にアレンジしただけというのが正解かもしれませんが。ということで、L尺が表にあったほうが無線従事者国家試験に持ち込むなら2664S-Sや116よりも都合がいいのですが、1アマ試験に使うためにFUJIのNo.102を選ってまで持ち込める人がいるわけもありません。まあ、最近数のたくさん出てくるFUJIの2125Dなんか、ゲージマークも豊富ですし、2πマークを始めとしてC尺D尺以外にもπマークがあるので、こちらのほうがお薦め機種ですが(笑)欲を言うと1/2πマークあたりがある計算尺が電子工学には便利なんですが、「0.1592」という数字は覚えられないことはありませんので、あえてここまで過保護な計算尺はいらないでしょう。
 入手先は函館からでした。以前函館から古いHEMMIのNo.259を入手したことがありますが、FUJIの計算尺が前回は室蘭のものが、今回は函館からですから意外にFUJIの計算尺は道南方面に出回っていたことになります。滑尺が薄い緑に着色されていますので、昭和40年代でも末期以降の、ひょっとしたら50年代に突入してからの製品だと思われますが、技研もFUJIもまったく製造刻印がないために、詳細な製造年を特定する術がありません。しかし、8インチにはありますがHEMMIの10インチ片面計算尺に滑尺が着色されたものが見当たらない(実は技研が製造したHEMMIの10インチ計算尺に滑尺が青いものがあるようですが)ために、けっこう新鮮に感じられます。この滑尺の緑というのは、オリジナルがドイツのFABER-CASTELLで、向こうが印刷による着色であるのにこちらは樹脂の成型色を緑色にしている違いがありますが。実はこのNo.102は片面計算尺としてはあまり許容出来ない特徴がありまして、実は裏側に目安線がまったくなく、いちいち滑尺を裏返さないと三角関数計の数値が計算できないのです。HEMMIの片面プラ尺シリーズが末期になってコストが見合わなくなってしまったからか、No.P45Dを始めとして裏側に目安線がないモデルが急増しますが、製造元の技研のモデルでも同様にコスト面から裏の目安線を止めてしまったのでしょう。HEMMIはモデルナンバー末尾を変えたり新しいナンバーを付けたりしましたが、技研は更に姑息でNo.82-Dのように同一ナンバーながらいつのまにやら裏側の目安線がないモデルにすり替わってしまったものもありますが、今回のNo.102もそうなのでしょう。そういえばNo.82は8インチ計算尺を意味しますので、No.102は型番からいうとNo.82-Dの10インチ版ということが出来るようです。構造的にはNo.82-Dの後期型の拡大版でしかありませんし。No.82-Dの後期型と同じミントグリーン色のプラスチックブリッジで上下の固定尺が繋がれているだけの構造の片面計算尺で、その手法はHEMMIのプラスチック製両面計算尺と同じです。操作感はHEMMIのNo.P253あたりと同じですが、こちらは片面尺なので上下固定尺と滑尺が同寸です。裏側の上部にスケールがあるのも82-D同様ですが、No.102は長いなりに25センチのスケールになっています。片面計算尺といっても構造的には両面計算尺そのものですから意外に幅広で、幅が4.3センチありますので、これは物差し部分を除いたNo.2125-Dあたりに匹敵しますが、ほんの1ミリほどNo.102のほうが細いのでカーソルが共用できません。しかし、試してみると滑尺が白い最初のNo.2125のカーソルはNo.102のカーソルと同寸で互換性がありました。ケースも縦にグルービングの入った緑蓋白ボディのブロー成形ケースでNo.2125-Dとまったく同じケースに入っていました。それにしてもどういう存在意義のある計算尺かよくわからない計算尺ですが、これで何となく世の中にNo.102は見当たらず、No.2125系統がけっこう沢山ある理由がわかるような気がします。そもそも安い計算尺ですからNo.102とNo.2125なんかそれほど価格差があるわけではないでしょうし、どちらを買うかといったら最上位機種のNo.2125のほうに決まってます。そういえば、以前にFUJIのNo.502という5インチ尺が出てきて、こちらもNo.82-D同様の尺種類を備えてましたので、もしかするとNo.502とNo.82-DおよびこのNo.102の3本は兄弟尺なのかもしれません。さすがにHEMMIのように兄弟に20インチはいませんが、このプラスチックの厚さで20インチ尺を作ったらたわんでしまって使いにくいでしょうし(^_^;)
Fuji102
FUJI No.102の表面拡大画像はこちら
FUJI No.102の裏面拡大画像はこちら

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October 28, 2006

山越工作所大串式体格計(計算尺)

 この円形計算尺は用途的には当方にはまったく関係ないもので、幾ら安くともスルーしてしまおうかと思ったのですが、実は滋賀のKIMさんが最近HP上で公開した山越製作所のKYS比体重・比胸囲・比座高 高速計算器と同じ山越製作所の製品だと気が付いて落札したものです。山越製作所というのは戦前から現在に至るまで体の部位を計測計算する機器を製作している唯一のメーカーのようですが、一般人の我々には会社も製品もまったく馴染みのないものです。製品名は「大串式体格計」となっておりPAT.No.81248と書かれていますが、このパテントの内容を検索してみると、実に昭和3年公告第4849号で公開されたれっきとした計算尺の特許で、その内容は大串菊太郎という人が考案した「体格栄養判定尺」というもの。それによると「体格及び栄養の等位判定に関するものと近似体重算出に関するものとより合成されたる一種の計算尺にして固定尺及び動尺上には身長、矯正身長、胸囲、体重及び適当に配置されたる判定等位分類線並びに支持点を対数にて目盛られ、其の目的とするところは人体の体格及び栄養が如何なる階級等位に属するかを年齢及び性に準じて判定し得るのみならず、之を逆用して不良なる体格及び栄養を改善するために既知身長に適当なる胸囲、腹囲、体重等を指定処方し得るにあり」とされていますが、みなさんお解りでしょうか?(^_^;) 数値算出の根拠になる数式など、このあとに全て書かれていますので興味のある方はパテントナンバーで検索してみてください。兎にも角にも想像していたような「換算尺」程度の物ではなく数々の統計データに裏付けられたかなり複雑な「計算尺」であることは確かです。大串菊太郎という人は明治・大正・昭和初期にかけての解剖学者で、特に古代人から現代人に至るまでの骨格を何千体も調べて、その研究成果によって副次的にこのような計算尺を開発するに至ったようです。余談ですがこの大串菊太郎と同時代、同様に古代人の骨格から現代人の骨格までを虱潰しに調べて現日本人のルーツがどこにあるのかを調べた高名な解剖学者に東京帝大の小金井良精という人がいて、この人はショートショートで有名な星新一氏の母方の祖父。祖母の小金井喜美子は森鴎外の妹に当たる人です。こちら小金井良精に関することは星新一が「祖父・小金井良精」というようなタイトルの本で紹介していて、確か30年ほど前に読んだことがありましたが、その本に同じ解剖学者の大串菊太郎の名前が出てきたかどうか記憶にありません。しかし、同じ「古代人から現代人までの骨格の違い」に着目し、現日本人のルーツが何処にあるかを探求した片や帝大出のエリート学者、片や帝大出にあらず英国で学位を取り、私学を転々とする学者として、大串の方にライバル心が生じていたのかもしれません。
 良くはわかりませんが、KIMさんのコレクションも似たような目的に使用される計算尺だとは思うのですが、今回入手したものはKIMさんのものよりさらに古い物のようで「栄養状態がどうなのか?」の判定を素早くするための特殊な目盛があるものです。また、壊れやすいセルロイドのカーソルではなくメタルのカーソルで、そのエッジで数値を読みとるような円形計算尺になっています。メーカー自体もこちらが「山越工作所」と古い名称になっています。その当初の用途は「徴兵検査」の甲乙丙種をスムースに判定するための目安用として多く使われたような雰囲気で、なんか戦争のきな臭さを感じさせるような。実はこの円形計算尺は先週RELAYのNo.512を出品していた人から再度落札したもので、計算とも尺とも関係ないタイトルの商品ですから、前回にこの人の出品一覧を参照しなかったらアンテナに引っかからずに気が付かなかったはずです。直径は10.8センチほどある円形計算尺ですがずしりと重いので試しに磁石を近づけても吸い付きませんでした。一カ所傷が付いたところが金色に光ったので、材質は真鍮の板にメッキを掛けたもののようです。あまりゴシゴシと磨き上げるとメッキごと目盛が剥げてしまうので、殆ど回転しないカーソルの中心にオイルを差しただけで止めておきました。これで内側のサークルとカーソルは問題なくスムースに動いてます。ということで、誰にも注目されずに開始価格100円でそのまま落札となり、HEMMIのP24の落札金額120円を抜いて当方の最安落札金額計算尺となってしまいました。
 しかし、100円マックじゃないですが、100円でここまで調べて書くことが出来るんですからコーヒー1杯より如何に価値のある100円か(笑)それにしても日常でも非日常でも使うあてのない計算尺ですから、すぐにコレクションボックス行きでしたが。
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October 22, 2006

RELAY No.512 ポケット計算尺

 久しぶりに計算尺ネタになりますが、当方の現在までの50本あまりのコレクションのうち、ポケット型と言われる4インチと5インチの計算尺はほんのわずかしかありません。実際に計算尺を持ち歩いて使うということはないので、精度的に10インチ尺より劣るポケットタイプを揃える必要がないと言うこともありますが、パソコンに至っても今ではノートタイプが一台もなくディスクトップオンリーということで、性格的にもモバイルは何か犠牲になる部分があっていざというときに信用ならないという感が強いのかもしれませんが、計算尺における「いざというとき」ってなんだ?(^_^;)
 ということで、HEMMIのNo.149Aには興味があるものの「1万円以上出すんだったら安い10インチの計算尺を4〜5本落札するほうがいい」というようなポリシーなので、他のポケット尺にも普段はあまり見向きもしません。ポケット尺はなぜかABCD配置のマンハイム尺が多く、どれも似たような物というのも食指が動かない理由でもありますが、今回のRELAY No.512は100円の開始価格で120円にしか上がっていなかったので、別に特段目の色を変える必要はなかったのですが、適当に入札したら220円で落っこちてしまったシロモノです。ところが、よく調べてみるとマンハイムのRELAY No.505はごく普通に出てくるのですが、√10ずらし尺のNo.512は、当方がポケット尺には淡泊なため見落としがあったかもしれませんが、ここ1年半の間はオークションに出てこなかったかもしれません。No.512というナンバーからHEMMIのNo.2664SにおけるNo.2634のように、RELAYのNo.112のサブセットかと思いました。しかし112はπ切断ずらしなのに対して512は√10切断ずらしですから、むしろNo.114に近いのですが、ポケット尺故の差別化かK尺が装備されていないので、10インチ尺のサブセットを意図して作られたわけではなさそうです。さらになぜか外国の計算尺系WEBを検索してもNO.512の情報にヒットしないのですが、もしかしたらOEMブランドで製造した余剰分にRELAYの型番を付けて国内に流したのかもしれません。そのため、国外にはNo.512という品番が存在しないためにヒットしないのかもしれませんが、OEM先名と型番がわかりましたら誰か教えて下さい。
 前回も書きましたが、RELAY/RICOHの型番最初の桁は長さを表しますので、400番台は4インチ、500番台は5インチの意味ですが、これ以前の輸出用にはB-とかE-などの頭文字が付けられ、用途がわかるようになっていました。差詰め、この512に用途別の頭文字を付けるとすると、B-512というところでしょうか。そういえば5インチの両面計算尺で「DB-」の記号が付番されているものを見たことがあります。
 しかし、いくら5インチのポケット尺だとはいえ皮ケース付きで220円はないと思いますが、現在までの最安落札価格がNo.P24の120円ですからそれに次ぐ安値落札でした(^_^;) 刻印はJ.K-2で昭和36年2月鹿島工場製と推察できます。当方、RELAY/RICOHの製造所刻印は「S」が佐賀工場、「K」は同じ佐賀県内の鹿島工場説を採っています。この根拠はリコー創業者、故市村清氏の出身地が佐賀県であり、理化学研究所の感光紙事業を独立させた理研感光紙株式会社/理研光学工業株式会社の設立以前の昭和10年12月に、郷土佐賀県の産業振興のため日本文具株式会社を設立し、それが東洋特専興業→日本計算尺→リレー産業→三愛計器→リコー計器となってゆくわけですが、氏はビジネスの拠点を東京に構えたのちも常に郷土佐賀県のことを考え、佐賀市に体育館を寄付したりして郷土に貢献しているのは、グリコの創業者江崎利一氏と同様です。その市村氏が佐賀を材料調達と製造を一貫して行う計算尺産地にしたわけですから、Kが佐賀市以外の佐賀県内のどこかと考えるのが普通です。ところが佐賀県内にはけっこうKのつく地名が沢山あり唐津市・神崎町・鹿島市などがありますが、RELAY/RICOHの説明書に鹿島市内の印刷工場で印刷・製本された物があって、印刷物だけ佐賀市以外で調達するというのが不自然ですので、計算尺の組立工場が直営か下請けかはわかりませんが鹿島市内に存在したという有力な根拠と考えています。印刷物の打ち合わせや校正を離れた印刷屋とやり取りするのは極めて困難です。ましてFAXなんか無い時代ですから、鹿島市内の印刷屋とつき合う以上は鹿島市内にの生産拠点があって「K」の刻印を区別のために使っていたとするのが妥当でしょう。ましてK刻印の意味するところが、今と違って情報も人の行き来も佐賀と隔絶された埼玉の川越ってことはないでしょう。このK刻印ですが、40年代以降はS以外の刻印が見つからないので、佐賀工場に生産が集約されたと見て構わないようです。ただ佐賀市隣接の神埼町(現、神崎市)にも生産拠点があって、そこの生産物にK刻印を打ってもおかしくないような気がしますが、説明書の印刷が鹿島市内であることからしても、可能性としては鹿島のKの可能性が高そうです。
 5インチの計算尺がうちにはHEMMIのNo.2634とNo.74の2本しかないので、もともとうちにあった父親所有のNo.2634と比較していきますが、2634はK,DF,[CF,CI,C] D,Aの7尺なのに対してこのRELAY No.512は2634と比べると上固定尺上にK尺のない6尺です。もっとも5インチの長さの中でどうやってK尺の目盛を正確に読みとるのかという精度的な問題もありますので、「ポケット尺にK尺なんか無意味だよ」という割り切りだと解釈すれば、それもまた清々しいのですが(笑)1尺足りないからか、幅も2634と比べると若干スリムな計算尺です。2634の上部に刻まれているスケールは14センチなのですが、この時代のRELAY/RICOHの法則通りC尺D尺の1の部分からスケールの0センチが始まっているので、こちら512は13センチしかありません。ところが512の方は下の固定尺横に5インチの長さのインチスケールが刻まれています。HEMMIだったら上部スケールをインチサイズに刻み直して輸出用OEMとするのでしょうが、こちらはこれだけでどちらにも対応できるような配慮でしょうか(笑)2634はそれなりのゲージマークを備えていますが、512のほうはπ以外のゲージマークがありません。512はCマークさえありませんが、なぜかA尺上にもπマークがあります。C尺D尺上の1〜2の間の0.1単位にすべて数字を振ってあるのがRELAY/RICOHっぽい配慮です。さらに5インチ尺なのにも係わらず、512の裏側にはそれなりに使える換算表が備えられています。ケースは2634の方はうちのは30年代のものなので、オープントップの豚皮ケース。これに対して512の方は薄い皮に茶色いビニールコーティングでもしたようなペナペナの、しかしフラップ付きのケースでした。後の時代には緑色の皮ケースというとんでもない色合いの組み合わせとなりますが、それに比べるとマシでしょうか(^_^;)
No512
 上がRELAYのNo.512で下がHEMMIのNo.2634です。

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October 19, 2006

パターソン安全灯(炭鉱用カンテラ)

Patterson
 炭鉱用安全灯といっても我が国ではまったく省みられないアンティークで、船舶用の古いランプと誤認され(発火物や爆発物を搭載する商船や軍艦では使用されましたが…)流通するような有様です。そんな船舶用ランプとして売りに出されていたものを入手したのが今回のマルソー型安全灯でした。イギリスやアメリカでは炭鉱の安全灯(FLAME SAFETY LAMP)はコアなコレクターも多く、今でもレプリカが数多くイギリス本国や台湾などで作られていて、いかにこの炭鉱用安全灯が愛されてきたかの証拠ですが、どうも日本の石炭産業というと「エネルギー転換政策で安楽死させられた産業」の意識があるためか、石炭産業自体にこよなく興味を持つのはある種の廃墟趣味の烙印を押されかねないような(^_^;) とはいえ、夕張市の財政が破綻し、夕張新鉱ガス突出事故からちょうど25年目の日に我が家にこの炭鉱用安全灯がやってきたのは何かの因縁でしょうか。
 今回入手した安全灯はイギリスはニューカッスルのパターソン社の製品でした。ウルフ揮発油安全灯より旧式の油灯式安全灯で、ロッキングシステムもリードリベットロックと呼ばれる鉛のリベットで封印するか南京錠を用いる単純な安全装置です。芯の上げ下げもウィックピッカーという鈎状の針金で動かす原始的なもの。もちろん再点火のための着火装置なんぞありません。構造的には丈夫なスチール製のボンネットが特徴的で、ボンネット下部の丸い穴がサークル状に並んだところから2重の金網を通して吸気し、排気は金網のトップからスチールボンネット上部の穴から抜ける仕組みですが、中にブラスのチムニーを備えており、空気の流れからはマルソー式ながらミューゼラー式の部分も兼ね備えており、双方のいいとこ取りというような構造になっていました。マルソー式というのはガス気の多いフランスで発明された安全灯の形式で、メタンを含む風よけのボンネットと2重のガーゼメッシュを備え、空気はボンネット下部の吸気口からガーゼメッシュを通して吸込み、腰ガラス内の灯芯で燃焼に使われた後ガーゼメッシュのトップを経てボンネット上部から横に抜けるという空気の通路が特徴となるタイプの油灯式安全灯です。その後各国で色々アレンジされたマルソー型安全灯が製作され、このパターソン安全灯も少々構造的にアレンジされたマルソー型安全灯と言えるものです。年代的には1887年前後と推察できますので、軽く100年は経過したアンティークと呼ぶことも出来ますがイギリスでは他国に比べ、揮発油安全灯が開発された後もこの単純な油灯式安全灯が20世紀に入ってもかなり長い間製造され続けたようです。このパターソン社という会社は安全灯の世界では後に高輝度安全灯(HCP:ハイキャンドルパワー)によって名を残しますが、今現在は同名の会社は現在存在していないようで、ニューカッスルのパターソン社で検索すると自動車ディーラーが出てきました(笑)
 厳重に梱包されて到着したこのパターソン安全灯は、先のウルフ安全灯と違ってメタンガス検知の用途としてのみ坑内に用いられるというよりも、実際に明かりとして坑内に用いられた時代の物で、そのため使用痕がいたるところに残っており、最初はきれいに磨き上げ、スチールパーツはリブルーしようかと思っていたのですが、そのままのほうが石炭産業のリリックとしてはふさわしいと思い、スチールボンネットをオイルで錆止め処理しただけであとはそのままにしておきました。ウイック以外は欠品がありませんでしたが、100年も経過してますので2重の外側ガーゼメッシュトップが破れていました。外側から見てもわかりませんがこれは致し方がないでしょう。ウイックの幅はちょうど1/2インチで、これは市販の4分幅のランプ灯芯が使えそうな感じです。燃料は単純に点してみるだけであれば、値段は張りますが灯油ランプ用のパラフィンを使用した方が後の掃除が楽そうです。揮発油安全灯のウルフ灯とは当然の事ながら燃料は共用できません。油壺と腰ガラスから上の部分とはリードリベットロックですが、腰ガラスのガードピラー部分とスチールボンネット部分もネジで分解出来るようになっており、この部分は一本だけ長いガードピラーが油壷を接合することで上に突き出し、スチールボンネット下部の空気穴とはまり込むことで上下が分解出来ないような安全装置が付いていました。
 このように初期のデービー灯やクラニー灯と比べるとメタンを含む空気の流れにも、人為的な取扱ミスにも格段に安全になったと思われる19世紀末の安全灯ですが、それでも高所から落としてより高速な気流に晒すことになったり、機械的に腰ガラスを破損し、結果的に裸火をメタンガスや炭塵に晒すと爆発事故を起こします。このような取扱の不手際によって爆発事故を起こしたことは古今東西に少なからずありました。
 炭鉱では過去の爆発事故によって犠牲者その他が未回収になることが往々にしてあり、大正時代の北炭夕張炭鉱北上坑のガス爆発事故のときの古洞に昭和の29年頃に行き当たったことがあるそうで、古洞といっても夕張では強い盤圧でぺしゃんこになっているような状態。そこで1ヶ月に渡り人骨らしき痕跡や鶴嘴の先などがつぎつぎに出てきて、何か生きた心地がしなかったなどという話を聞いたことがありますが、九州の貝島大之浦炭鉱桐野二坑の大正6年ガス爆発事故でも39年後の昭和31年、採炭中に事故跡に遭遇し、このときも鶴嘴やせっとうなどの遺品が回収されましたがそれらに混じってガス爆発で原型を留めぬほど破壊されたウルフ安全灯の残骸も回収されています。ガス爆発によっても油壷とガードピラーの部分は分離しませんでしたが、ボンネットは吹き飛んで無くなり、恐ろしいことに油壷の底と側が吹き飛んで蓋と芯の調整ネジだけになっているという破壊ぶりのウルフ安全灯でした。これを見ても炭鉱のメタンガスの爆発という物がいかに凄まじいかということがわかると思います。
 炭鉱用安全灯は、調べてみるとイギリスのトーマスウイリアムズ社の油灯式リプロダクションや台湾製レプリカの他に、アメリカの老舗安全灯メーカーのケーラー社(KOEHLER BRIGHT-STAR CO.LTD.)が本来の用途(トンネルやマンホールの簡易メタンガス・酸欠検知)用として発売し続けているようです。このケーラー社は日本でもコアなフラッシュライトマニアの間では知る人ぞ知る存在らしく、日本でも正規の代理店が存在するような。元々アーネスト・ケーラーという人が1912年に地元マサチューセッツ州マルボロタウンの靴の木型工場を買収して生産拠点とし、最初から鉱山用の蓄電池式安全灯と揮発油安全灯を平行して生産してきたような会社らしいですが、鉱山用安全灯メーカーとして生き残っているのは英国のWOLF SAFETY LAMP CO.LTD.同様です。

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October 09, 2006

8は大荒れの全市全郡コンテスト

 先月の9月は以前3ヶ月の反動が急に来たためか交信回数0件を記録しました。まあ夏から秋冬へのコンディションの変わり目と言うこともあるのでしょうが、9月は当方の好きなというか辛うじてストレスなく交信できるハイバンドが全くダメで、急にサイクルのボトムを真剣に感じさせられたような月になりました。いろいろ他で忙しいこともあって、休みの日でもワッチもせずにリグには埃がうっすらと積もる状態です。それで全市全郡コンテストでマイクに向かって声を出したら埃が飛び散りました(^_^;) 夏場活躍する機会の無かったエレキーも埃だらけで悲惨な姿での登場です。
 しかし8エリアは土曜から台風並に発達した低気圧のおかげで全市全郡コンテストどころの騒ぎではなく、最近はめったに停電したことがなかったのに午後にいきなり風のせいか停電に遭遇し、短時間で復帰したものの平均15メートル近い風雨に見舞われて、普段だったら移動局がたくさん出るはずの8エリアもコンテスト開始時には移動運用局が殆どいなかったと思われます。特に釧路根室地方から網走北見紋別地方の風雨が暴風雨になり、根室では最大風速42メートルだったかを記録、停電、河川の氾濫に遭遇したこれらの地方では本当にコンテストどころの騒ぎではなかったと思いますが、日高山脈を境にした東側の胆振地方は、さすがに移動でアンテナを立てるわけにはいかなかったでしょうが、風も雨もさほど激しくならず、翌日8日は朝から晴れました。しかし、相変わらずたまに突風が吹くために、家から全市全郡という局が多かったと思われます。まあ、なんかコンディションもボトムですし、嵐のこともあって今年の全市全郡はまったくCQを出さずにCWと電話の14メガでコンテストサービスに回って10何局かと交信しただけでした。いつもでしたら6時台後半に電話で6エリアが聞こえ始めるはずなのに、今年はまったく聞こえる様子もなく、ゆっくり朝食にして8時過ぎにCWで応答開始。すでにCWでは6エリアから1エリアまで開いていました。更に電話でも同じように開いていてこちらでも応答に回るもやはり例年に比べると聞こえるCQコンテストの声が少ないような。また14メガに出ている局もいつものおなじみの局が多くて、あれだけ上級資格取得者が増えたのにちょっと寂しいような。まあ、おなじみの局ばかりのせいでCWで早いコンテストナンバーを打たれても前回の交信履歴をカンニングすることが出来て楽ですが(笑)こんな調子で、何年かぶりにCQも出さずに十数局交信したところで止めてしまいました。参加証をもらうためだけのコンテスト参加だったような気がしますが、来年は天候にもコンディションにも恵まれる全市全郡コンテストになるかしら?そういえば一昨年だったかも全市全郡のときに伊豆半島に台風が上陸して移動局激減というときがあったような。

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October 02, 2006

ウルフ安全灯(炭鉱用カンテラ)

(警告!このウルフ安全燈の記述を無断でほぼそのまま自身のHPにコピペしてあたかも自分の独自研究のように発表している輩がおります。当記事の無断盗用窃用断固お断り!) Wolf
 メタンガスに引火しない安全な明かりとして安全灯を発明したのはイギリスの大化学者ハンフリー・デービー(ボルダ電池によって盛んに電気分解を行い、主要6元素を発見)ですが、彼は金網の中の炎は外のメタンガスに引火しないことを発見して油灯式のデービー安全灯を作ったのでした。ほぼ同時期にイギリスの医師クラニーや蒸気機関車のスチーブンソンなどが安全灯を考案するも、結局後にデービーの金属メッシュを使うことになり、安全灯の発明者はデービーということになるのですが、デービーの偉かったところは炭鉱労働者の安全と利益を考えてあえて特許を取らなかった点にありました。それ以前にも後の大科学者マイケル・ファラデーを見いだしたこともデービーの偉さですが、これには面白いエピソードがあって、ファラデーは高等教育を受ける家庭環境になく、若くして製本屋に徒弟として出され、そこで本を沢山読むことにより知識を吸収していきますが、当時の国民的英雄であるデービーについて学問を究めたいと思ったファラデーは、ある時デービーの講演を聴きに行き、その講演を活字にして製本し、弟子入り志願の熱烈なラブレターを添えてデービーに送ったことが功を奏して後にデービーの実験助手になることが出来たということなのです。デービーも高等教育を受ける家庭環境になく、努力により各種の実績を作っていったので、ファラデーの身上に共感するところもあったのでしょう。
 そのデービー安全灯ですが、金属のメッシュを被せることにより元の裸火と比べて30%に減光されてしまうのが欠点でした。また、メタンガスを含む空気の流れに晒された場合、燃焼がメッシュの中だけで納まらずにその炎が坑内のガスに引火する危険がありました。そのため、後にクラニーは燃焼部分をガラスで囲いメッシュの部分をその上部に持ってきた構造の改良クラニー安全灯を開発し、光量もデービー灯の3倍になり、メタンガスの引火の可能性も減りますが、その時はすでのデービーはこの世の人ではありませんでした。彼はスイスに招かれたときの実験中の事故により、フッ素ガス中毒で亡くなってしまったためです。このクラニー灯であってもメタンガス濃度が高まって灯火内の炎が伸長し、メッシュを赤熱し始めたところにメタンガスの流れが接触すると一気に引火爆発する危険性があるために、メッシュの部分を筒で囲って可燃性ガスの風よけにしたマルソー灯というのが開発され、広く使われることになります。また、フランスやベルギーでも独自に安全灯はデービー灯から脱却して改良されていきます。というのもフランスやベルギーの炭鉱はイギリスの炭鉱以上にメタンガスの問題が深刻だったからです。ここまでの炭鉱用安全灯は燃料として植物性油や鉱物油を使っていましたが、煤が発生してガラスを汚して光度が低下し、さらに伸長した炎でメッシュの部分に貯まった煤が赤熱されて坑道内のガスに引火する危険性が残り、不完全なものでしたが、1883年にドイツ人炭鉱技術者のウルフ(博士ではありません)によりこのウルフ揮発油安全灯が発明されたことで光度低下と煤の問題が解決しました。ウルフ安全灯は燃料に揮発油(粗製ガソリン=ナフサ)系の燃料を使用するのが特徴で、煤の発生が殆ど無くなり、灯油の安全灯の欠点を克服しました。また金網部分を囲う風よけ(ボンネット)が円筒状の普通型、鎧状の鎧型に分類され、今回のウルフ安全灯は鎧型に属します。イギリスなんかでは比較的にメッシュの風よけが丸い普通型が多いようですが、アメリカでは鎧型、日本でも見かける数の多いものは鎧型ウルフ安全灯のような気がします。
 日本では江戸期から明治期に入り、比較的に地表から浅いところで採炭していた時代には通気と排水の問題はいつでも付いて回りましたが、ガスの問題にはまだ直面しておらず、陶器の油皿やブリキの油壷に灯心を立てた裸火のカンテラで事足りておりました。しかしだんだん深いところで採炭することでしばしばガス爆発事故を起こすようになり、デービー、クラニー、マルソー式などの輸入安全灯が坑内に用いられることになります。当時は専ら明かりとしての利用でした。炭鉱の話に出てくる「カンテラ」というのはこの時代以降の安全灯のことを意味します。また安全灯はその炎の伸長によりメタンガス(沼気)発生とその濃度を知る重要な検知器の役目を果たしました。メタンガス発生を知る手だてがまったくなかった時代には、この恐ろしい無臭で空気よりも軽い可燃性のメタンガスの発生を知るために、坑内に篭に入れたカナリヤやハツカネズミを持って入り、カナリヤが止まり木から落ちたり、ハツカネズミの動きが鈍くなると急いで坑内から脱出するという動物感知器が使用されたようです。
 しかし、日本では炭鉱のカンテラというと炭鉱資本の弱者からの収奪と過酷な炭鉱労働のシンボル的な存在かもしれませんが、かの発明王エジソンが2人の熱心な鉱山技師の願いによって開発した防爆の充電電池式キャップランプにより日本でも大正期から昭和の始めにかけて、大手の山を中心にウルフ安全灯はエジソン式キャップランプに取って代わられ、それ以後は明かりとしてのカンテラの役目から簡易式メタンガス検知器として使われることになります。ガス検知器として使う場合には炎を青火の1.5ミリの高さに調整し、メタンガスに晒された場合にその炎の伸長具合でメタンガスの濃度を測定するというものでしたが、昭和になってから理化学研究所の光学干渉式ガス検知器である理研ガス検知器の登場により、よっぽどの小炭鉱でもないとガス検知器としては使われないものでしたが、ロシアの一部の炭鉱では未だにウルフ燈が唯一のメタンガス検知システムなんていうところも21世紀の世の中になっても存在するようです。金属鉱山では可燃性ガス発生の心配がなく、ウルフ安全灯のような防爆安全灯が必要ありません。そのため、裸火を使うカンテラで事足りて、カーバイドを使ったカンテラが使われましたが、こちらもキャップランプの普及と共にカンテラは明かりの役目を終え、カーバイドランプは酸素欠乏検知器の役目として長く使用されました。マインランプなどといわれる真鍮で出来た小型のカーバイドランプですが、酸素が欠乏した坑内では、カーバイドランプの炎が弱くなったり小さくなったりするのを見て、酸欠の危険回避をするために持ち歩いたもののようで、全国鉱山のない都道府県はなかった(東京も例外ではありません)ため、いまでも全国各地から出てきます。うちにあるマインランプは東京の日本光測機製作所製でこの会社は昭和30年代末までTARONというブランドのレンジファインダー式カメラを作っていた会社と同一だと思われます。元はNKSとかいうシャッターを作っていた金属加工のメーカーのようです。そういえば、トーチランプなんかを作っている栄製機がこのマインランプの復刻版を発売していて、今でも入手可能ですけど、いいお値段のようです。
 このウルフ安全灯は2年半ぶりにオクで発見した物でした。2年半前のオクの時は旭川の古物商から出たウルフ灯が6,000円台勝負で結局降りてしまい、その後まったく検索に引っかかりませんでしたが、どうやら炭鉱のカンテラとでも注釈がなければ、こういうものを炭鉱モノと結びつけるのが無理のようで、この倉敷の骨董屋さんも単なる古いアメリカ製ランタンと検索ワードしか載せていなく、2名ほどコールマンコレクタの入札があったものの2,200円という落札額で入手したものです。前回のウルフ灯が「本多商店製ウルフ式安全灯(注1)」とおぼしき真鍮を素材とした国産だったのに対して、今回入手したウルフ灯は一部鋼鉄板を使用した頑丈な米国製です。ウルフセフティランプカンパニーというのはイギリスの会社で、現在も充電式の携帯用防爆ライトなどを作り続けていますが、今回のウルフ安全灯はこの会社がアメリカに設置した現地法人の製品でした。どういう経緯で日本に輸入されたのかはわかりませんが、おそらく明治の末から大正の始め頃に三井物産を通じて三井鉱山系の炭鉱にもたらされた製品かもしれません。(追記:三井物産はドイツのSEIPPEL式ベンジン安全灯を輸入して三井系の炭鉱を始めとした各地の炭鉱に売りこんだようです。このSEIPPEL灯はメタンガスの少ないドイツの亜炭炭鉱用に作られていて、メッシュを囲うボンネットが無く、日本の炭鉱で使用するにはいろいろと問題があったような…)e-Bayにちょうど同じものでトップが真鍮ではなく黒色の鉄製のウルフ灯が1台出品されていて、その説明によると1915年前後の製品ということです。日本では大正期の製品と言うことになります。
 このウルフ安全灯はメタンガスを検知して筒内で小爆発を起こしたり、何らかの原因で火が消えた時に再着火が分解せずに可能なように、オイルライターの着火システムのようにフリントとヤスリ車を備えており、これを安全灯の外から操作して再点火する事が可能です。また、ウルフ安全灯に使うフリントは、網の外に火花が飛び散って外のメタンガスに引火しないように特殊な物をするという話。カンテラの再着火が可能になり、以前、まだ地表から浅いところで採炭していた頃に、カンテラの火が消えたといっては坑内の火番所というところに出掛けて煙草を吸うため、わざとカンテラの火を消すスカブラ坑夫がいたそうですが、ウルフ灯ではそんなことも出来なくなったようです(実際に文句が出たという話も…)。また、このウルフ安全灯は事故防止のために坑内でむやみに分解できないように、磁石式のキーを使って地上の安全灯室でのみ分解・清掃・給油などを行っていたという話を聞きますが、その構造については詳しくは知りません。さらに時代が下ってメタンガス検知として使用する場合には、専門の係員によって使用されましたが、やはりメタンガスの濃度が高い現場は危険なことには変わりなく、取扱を誤ってガス爆発を起こした事故例もあったようです。そういえば、オリンピックの聖火がギリシャのアテネで太陽から採火され、開催地にもたらされるとき、この炭鉱用安全灯に移されて飛行機に乗せられるのを見たことある人がいるのではないでしょうか?もちろん複製品の安全灯でしょうけど(笑)
 問題の磁石式ロックですが、今回入手したウルフ安全灯は後の時代の製品からか、磁石に依存しない単なる四角い頭の埋め込みアンカーボルトを抜くタイプでした。おそらく柱時計のゼンマイを巻くようなネジ巻きを使うのでしょう。ドライバーで回すことが不可能ですからこれでも坑内でランプを分解される危険性はありません(逆に本多製のウルフ灯は戦後になってからも磁石式ロックでした)。磁石式のロックなんか使わないで最初からアンカーボルト式にしたほうが構造が簡単なのに、とかく設計者というのはこういう技術的な冒険を犯しがちなものなんでしょう。そのために地底の坑夫だけでなく、骨董品として炭鉱用安全灯を手にした人もどうやって油壷とボンネットを分離してよいのかわからず、分解不能に陥っている人が多そうです。それを考えたら完璧な安全装置であることは確かですが(笑)
 注1、現、本多産業株式会社(現、安川電機子会社、安川電機は旧明治鉱業系)

Wolfseibi
北炭夕張鉱でのウルフ安全灯整備作業(北炭の絵葉書から:大正期)
キャップランプ以前の安全灯室です。机の上のおびただしい数のウルフ灯に注目。北炭の女性従業員は袴姿が制服だったんですね。左端の女工さんは大きなオイルタンクより燃料を注入しているような様子です。大正末期になり充電式のキャップランプが使われるようになってからは、このような大がかりな安全灯整備作業は見られなくなりました。鉱山規則で安全灯室はキャップランプの充電室とウルフ安全灯の整備室は区画を仕切って設置することになっています。充電によって発生する可燃性ガスに引火するリスク軽減のためです。


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