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December 24, 2006

ジュラ紀のDelta 計算尺

Delta
 この計算尺に関しては今まで記述として遺されたものを見たことが無く、まったく手がかりのない計算尺ですが、made in occupied Japanの刻印があるために終戦後からサンフランシスコ講和条約締結までの短い間に輸出も視野に入れて作られたものであることがわかります。特徴としてはアルミかジュラルミン系の軽合金で出来た総金属製計算尺で、まるでPICKETTのアルミ製計算尺のようですが、これは戦後の昭和21年から23年頃に掛けて戦時中の航空機製造のためにため込まれていたジュラルミン等の軽合金類が一気に民需用に放出され、巷にジュラルミン製品が溢れた時期があり、このころに作られたものかもしれません。うちにもジュラルミン製のバケツやヤカンがありましたが、63系の電車なとにも鋼製車体ならぬジュラルミン製の車体が現れ、「ジュラ電」などと言われた時代があります。なにせ終戦直後は戦後復興のために粗鋼生産などが必要だったものの、石炭不足で思うようにならず、また傾斜生産方式や戦時賠償としての指定もあったのでしょうが国民生活には鉄製品が出回らず、手っ取り早く戦時中に航空機生産用として備蓄されたジュラルミンが日用品用として放出されたのでしょう。しかし、このジュラルミンはアルミを主体とする合金であるため、アルミ同様の欠点があり、表面が素のままでは空気中の水分で表面がすぐに腐食し、輝きをすぐに失うんですね。しかし、その酸化した表面で中が守られるためなのか、60年近く前のジュラルミンバケツが未だに形を保っていたりしますが。この放出ジュラルミン製品は多岐に渡る日用品が製作され、鍋・釜・やかん・バケツ・火鉢はおろか、進駐軍放出小麦粉の配給を主食とするためのパン焼き器・湯たんぽ・アイロン・すり鉢・下駄あたりまでが鉄の代用品として作られたようです。戦後間もない時代に戦時中の金属供出で失ったこれらの日用品の希少な材料がこのジュラルミンでした。また、ジュラルミンよりエボナイトやセルロイドなどの合成樹脂のほうが貴重だった事の証明として、電車のつり革の輪が樹脂じゃなくてジュラルミンで作られたものがこの時期にあったそうです。戦時中は金属供出で何もかもが木・竹・陶器の代用材料で造られた時期から数年を経ずしてその日用品がジュラルミンという代用材料に変わったという言うのも滑稽な気がしますが、金属供出で日用品が白い陶器類の代用品になってしまった戦中末期を「白亜紀」、戦後すぐの日用品がなんでもジュラルミンを使用して供給された時代を「ジュラ紀」なんて呼ぶ人もいますが、うまいこといいますね(^_^;) しかし間もなく始まった朝鮮戦争による金属材料の高騰の前に放出ジュラルミンの枯渇で終戦直後の日用品が尽くジュラルミンで供給された「ジュラ紀」は終焉を迎えます。
 この終戦直後の時代は、旧財閥が戦争に加担したとされてGHQによって財閥解体が行われ、財閥系の軍需産業は地方工場ごとに独立させられて、かつ平和産業に転換させられたため、当初は飛行機を作っていた工場が鍋や釜を作っていたというそのような時期がありました。どうやらこの計算尺はちょうどその時期に飛行機用ジュラルミン板の放出品を使用して作られた計算尺のようです。それも計算尺メーカーの手によるものではなく、以前航空機部品などを作っていた工場が加工技術を生かして糊口をしのぐために作ったものかもしれません。「OZI SEISAKUSHO」としかメーカーを知るための手がかりが無く、どこにあった工場なのかを知る手がかりがまったくありません。ただ戦前、東京北区の王子・赤羽あたりには陸軍の火薬廠を始めとする兵器工廠が林立し、周辺には機械加工を業とする中小工場も沢山あったとのことで、安易に地名をメーカー名にしたのかなぁ?
Ozi_moj
 届いた計算尺は航空機用ジュラルミン外板の1ミリ厚のものを加工して作られている5インチ尺で、尺の真ん中に赤の筆記体で「Delta」の商標が打たれていました。デルタという計算尺も他にまったく聞いたことがありませんが、尺の種類は表がDF,[CF,CI,C] Dの5尺でずらし尺度は何とπ切断。構造的に滑尺裏に複カーソル線を付けるわけにいかないのと、滑尺を裏返す事も構造上無理なの三角関数が省略されていますが、主カーソルの裏にインジケーターをつけてこれで裏側のDb尺の目盛を指し示すようになっています。 薄板の既製品を使って計算尺にするために特別な設計がなされており、滑尺の真ん中にプレスで横真一文字に溝が付けられ、滑尺は両ブリッジに渡されたクロームメッキのバーとこの溝が嵌り合うことによって滑尺が左右に動く構造になっています。上下の固定尺は同じ厚さのバックプレートに止められていますが、バックプレートの真ん中にも滑尺の溝と干渉しないようにプレスで溝が付けられています。驚いたことに上下固定尺とバックプレートの接合はそれぞれ4箇所のスポット溶接なんですが、終戦直後の町工場でジュラルミン板のスポット溶接が出来るところがあったでしょうか?正真正銘 Made in occupied Japan 時代の計算尺なんですが、設計自体も薄いジュラルミン板を巧みに組み合わせる構造からしてオリジナリティが感じられ、この計算尺の設計者はただ者ではないような気がします。それを考えてもこの計算尺を作ったメーカーは当時としても最新の技術と設計センスを持ち合わせていた、終戦で軍需の仕事が無くならなければこんな計算尺の生産などやる気もおこらないような会社だったのでしょう。目盛はおそらくエッジングか何かで入れられたのか、ちゃんと溝が刻まれており、擦れても目盛が不鮮明になることはありません。カーソルグラスは更に薄いおそらくアルミ製薄板プレスの枠に入ったプラスチック板で、これも照準器や計器用として備蓄された軍用品の転用かもしれません。カーソル枠にはちゃんとバネまで入っています。ケースは旧陸軍の革製品と同じ茶色のおそらく犬皮とおぼしきもので、牛革と違って水に濡れたらベロベロなってしまいそうな代用品です。形状はまるで洗面道具入れの中に入っているようなコームのサックそのもの(^_^;)
 戦後のこの頃には木工所や指物工場なんかが作ったような木の表面に白ペイントを塗り、黒のペイントで目盛を入れ、バネのないセルロイドを折り曲げただけのカーソルが付いたような計算尺でも物不足のおり、それなりに売れたのでしょうが、それらの粗製濫造期の学習用計算尺と比べてもこのデルタ計算尺は技術的にも精度面でも一線を画します。ただ残念なのはこのOZI製作所が朝鮮戦争特需以降はたぶん本来の機械加工業に立ち戻ったのでしょう、計算尺製造の世界には未練なく足を洗い、日本のPICKETTにならずに終わったことです。金属製計算尺専業でラインの一つくらい残してくれていたら、HEMMI・RELAY/RICOH・技研/FUJIに並ぶ第4のメーカーになっていたかもしれません。
Ozi_delta
 OZI SEISAKUSHOのDelta計算尺が掲載されているHPがありましたが、さすがに詳細がわかりません。たぶんアメリカの計算尺コレクターに知られているのもこれだけかな?しかし、ここに掲載されているDelta計算尺は裏側にDb尺がなくカーソル枠の裏側にポインターもありません。こんな計算尺ですがちゃんとした改良版が作られたことがわかりましたが、しかしなぜに「Db」尺が加えられたのかが謎として残りました。ところでデルタっていう商標はもしかしたらGHQによって解体された旧三菱系一族の製品であることを暗示しているのではないでしょうね?(笑)

OZI SEISAKUSHO DELTA 表面拡大画像はこちら
OZI SEISAKUSHO DELTA 裏面拡大画像はこちら

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Comments

こんにちは
じぇいかんさんの物と、ほとんど同じ物なのですが、目盛りにドットが付いているものが手元にあります。
また裏面左側に"44"と刻印されています。少しずつ改良していたのでしょうね。

Posted by: fumi | May 30, 2011 12:34 PM

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