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December 30, 2006

HEMMI No.2640 中學校生徒用計算尺

 HEMMIのNo.2640はどうにも影の薄い学生用計算尺です。どうやら昭和40年代半ばまで作られていた8インチ計算尺らしいのですが、昭和30年代から中学生用としてはNo.45やNo.43のほうが多く使われたのは歴然としています。そのため、新しい時代のNo.2640よりも古い時代のNo.2640のほうの出現率のほうが圧倒的に高いような感じで、最末期のプラカーソル青白塩ビケースの未使用品が学生用8インチ尺にしてはけっこういい値段が付いたりすることもあるのですが、中古のNo.2640のほうは千円まで値段を付けることの方が珍しいような不遇の計算尺です。戦時中から昭和40年代半ばという長期間にわたって作られた計算尺ゆえに、カーソルやケースなどにも製造年代なりに色々なバリエーションがありますが、基本的には表l,A,[B,CI,C,]Dの6尺、滑尺裏はS,K,Tの3尺という8インチ計算尺で、品番の2600番台が示すとおり紀元2600年(昭和15年)以降に発売された計算尺であることがわかります。さらに8インチの計算尺としてはもっとも初期の発売に属し、以前は旧制中学用として使われたNo.40の10インチが戦時体制のおり材料節約で8インチになり、その分尺を増やした旧制中学用計算尺がNo.2640ではないかと想像したら、いくら影の薄い計算尺でもそれなりに興味を引かれます(笑)
さて、戦中の2640に特徴的な点としてCI尺が「逆C」と表記してあることが上げられます。cyno_yさんのブログでこのあたりの経緯を詳しく取り上げておられますが、おそらくいままで旧制中学で使用されたNo.40あたりはA,B,C,Dのみのマンハイム尺だったために馴染みのないCIとするよりも逆Cとしたほうがわかりやすかったからではないかと思います。学生用計算尺ゆえの配慮ではないでしょうか。初めて戦前のNo.40を手にしたときにC,D尺と三角関数の尺とが合わないためになぜかと思ったらA,B尺の方に三角関数尺が対応していたためにちょっと面食らいましたが、このNo.2640の一番上のl尺というのもA,B尺に対応したL尺ということなんですね。C,D尺に対するDb尺と同じ事なんですが、最初見たときにはなんで戦前の学生尺の一番上にDb尺が載っているのかと首を傾げてしまいました
(^_^;) 戦中モデルのNo.2640は裏面の副カーソル線セルロイド窓が一つですがこれは戦前No.40同様です。物資の乏しい戦時中ゆえに逆Cのロゴも尺の数字も黒で入れられていますが、これが戦後すぐの製品になると逆Cロゴも数字も赤くなり、裏の副カーソル窓も左右の2つ開けられるようになります。更に戦時中のNo.2640が甚だ簡単な紙サックのケースに入っているのに比べ、戦後の2640のケースはまともな蓋付きのケースが復活しているようです。裏に各種換算表が付いていて、この換算表にもいろいろなパターンがあるのですが、最終モデルのプラケース入りNo.2640に限り、No.P45S同様に別添えの換算カードとなっており本体に換算表は装着されていません。カーソルがプラスチックになったのはNo.45Kが出たあたりの昭和37年頃からでしょうか?ところが、今回届いた戦中モデルのNo.2640はケースこそ簡単な疑皮紙の紙サックなんですが、裏の副カーソル線セルロイド窓がちゃんと2つ開いているのですから、こういう分類もあてになりません。印刷の消えかかったラベルがケースに残っていてそこには「ヘンミ計算尺 中學校生徒用計算尺 NO.2640 ○傳\4.00(税込)」というように解読できます。
 実はこの戦時モデルのNo.2640は例の戦前尺売り立て品のうちの一本で、他のNo.96やNo.91などが落札されたときに売れ残ったもので、2回目に入札したもののこちらもあまり高い入札をしなかったものですから他の人にさらわれてしまった計算尺でした。ところが当初の落札者から連絡が無く、次点入札者も入札辞退したために終了から10日目にして次々点入札者の当方の所に回って来たものでした。こういうケースでオクの落札が回ってきたのは初めてのケースですが、ここしばらくオークションの入札は登録だけでIDを取得できるため、新規IDによる落札トラブルが絶えないそうで、今回もそういう落札者だったのかもしれません。18年4月まで600万人のIDが無料登録の効果でいまでは1800万人分あるそうで、そもそも日本の人口の16パーセント分もオークションIDがあること自体がおかしいような気がします。まあそのおかげでというわけではありませんが、今年最後の計算尺として720円でNo.2640とおまけの塩ビケースのNo.45K(但し中身とケースの年代が合わず本体刻印 NC)の2本を入手しました。さすかにこれが今年最後の計算尺入手となります(^_^;)
 そういえば東京タワーの設計者である内藤多仲が使用していた計算尺がこの8インチの学生尺No.2640だったということが某会議室で話題になっていましたが、8インチ学生尺の有効性を主張し続けてきた当方の言い分も馬鹿にした物ではないことが証明されたような(笑)
Hemmi2640
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December 29, 2006

HEMMI No.256 電気通信用計算尺

256 一般的にHEMMIの電子工学用計算尺No.266と近い用途だと考えられているようなHEMMIの電気通信用計算尺No.256ですが、その実力以上に価値を過大評価されているためか、そんなに希少な計算尺でもないのに高価な値段がつく計算尺の代表です。そんなNo.256は今年は12月までに8本あまりオクに出品され、出品頻度からしても完全に希少尺落ちしたNo.256でしたが、なぜか尽く最後の競り合いで落札を逃してしまいました。ところがおそらく今年最後の出品であろう9本目のNo.256をほぼ当時の定価に近い価格で入手したのですからヒルマン監督じゃありませんが「シンジラレナ〜イ」(^_^;) 待てば海路の日和ありでしょうか?(笑)とはいってもNo.256は無線系の技術者にとってはNo.266ほど「あれば便利」という程の計算尺ではありません。長らく緑の貼箱のものが市販されていましたが、紺帯の貼箱に変わって間もなくフェードアウトしたらしく、周波数単位の表記がMC(メガサイクル)のものはあってもMHz(メガヘルツ)の刻印になっているものはないようです。この点が計算尺末期まで残ったNo.266と異なり、No.266は昭和40年代中期から周波数単位の表記がMHzに変わっています。
 電気通信用計算尺として特徴的な裏面ですが、誘導性リアクタンスと容量性リアクタンスの尺があり、それなりにLとCの組合せで共振周波数の概数が読めたりするのですが、No.256の発売時期からして「5球スーパー」ラジオ時代の真空管時代の計算尺ですから、やはりトランジスタ回路時代に突入した時期に発売されたNo.266の「何でもかんでもてんこ盛り」状態の裏面から見るとやはり見劣りがします。化学をやっている人間がNo.257の原子量・分子量尺がまったく必要ないようにアマチュアを含めて無線技士系にはλとFの換算尺もいらないよなぁ(^_^;) こういうものは観念的に頭に刻み込まれているもんだし、それを除くと何があると便利な計算尺だというのでしょうか?まあ、電力何ワットから何ワットに減少したときに一体マイナス何デシベルに減衰したかという計算は電波でもオーディオでも付き物で、そのため表にDb尺があるのは電気尺なら当たり前でしょうし、こんなものかなぁ?No.256は昭和40年代前半には製造が終わっているようで、青蓋の塩ビケースに入ったものがありません。そのため、おそらく昭和39年末に出てきたNo.266が後継機種ということになるのだと思います。いちおう「電気通信用」と「電子工学用」という用途の区別がされていますが、本質的に使用対象業種に区別はなかったと思われます。ただ、日進月歩の電子工学系の世界に於いて、真空管ラジオの設計あたりの用途に使用される計算尺がトランジスタ時代の高周波回路の設計に便利かというと、さすがにそれは時代からして少々利便性に欠け、より利便性が高まったものに淘汰されたのは当然のことでしょう。電気・電力系の技術が完成されたものであり、電気系計算尺のNo.153が昭和一桁代から昭和40年代半ば過ぎまでそのまま作られたのとは一線を画します。このため、HEMMIの250番台両面計算尺中では唯一40年代半ば以降まで残らなかった計算尺のようです。流通在庫は残ったようで、今でもたまにそれらが発掘されたりしますが。
 今回入手したNo.256は茨城からでした。日立市ではありませんが茨城県下の日立企業城下町の一つに数えられる町で、その関係からこういうものが出てきたのでしょうか?意外にこういう企業城下町の文房具店あたりには計算尺のデッドストック発見率も高そうです。このNo.256の出品者の方は少し前にNo.266も出品されていましたので、やはりその関係の仕事をされていたのでしょう。届いたNo.256は緑の貼箱も割ときれいで、中身のほうもさほど使われていないような感じ。木口も溝の部分もきれいな竹が見えてました。酷使された計算尺は真っ黒になっているものもあります。刻印のほうは「MK」でしたので昭和37年11月の製品。まだ電子工学用 No.266が発売される以前の計算尺ということになります。あまり気にしてはいなかったのですが、No.266はA,B,C,D尺なのにNo.256はπ切断系ずらし尺だったんですね。電気数学的には二乗の絡む計算が特に多いので、後発のNo.266は一見すると古いA,B,C,D尺を採用したのでしょう。No.266は2πなんてゲージマークがあり、いかにも電気数学系の計算用という感じですが、一般の計算にはπ切断のNo.256のほうが使いやすいというのは皮肉です。又、No.256のゲージマークはCとRのみでπすら刻まれていません。いくらπ切断ずらしとはいえ、πマークくらい刻んでもそんな手間にもならないのでしょうに。さらにNo.266のほうのC,D尺の4〜5の目盛間隔は他の一般的10インチ両面尺と同じく1/20刻みで0.5に対し、No.266のほうは1/50刻みの0.2となります。とはいえ、No.266同様に無線従事者国家試験には持ち込めない部類の計算尺であることは確かです。
 このNo.256で今年の計算尺は最終だと思ったのですが、予想しない事態であと2本の計算尺が舞い込んできたのですがさて…。
Hemmi256_2
 特殊用途の計算尺にしてはちょっと寂しい裏面
 国立大学の工学部に急速に進歩したトランジスタ等の半導体回路を扱う「電子工学科」のカリキュラムが正式に組まれるのが1960年頃のことらしく、やはりNo.266はそれ以後の電子工学に対応した新しい計算尺ということが出来るようです。
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December 24, 2006

ジュラ紀のDelta 計算尺

Delta
 この計算尺に関しては今まで記述として遺されたものを見たことが無く、まったく手がかりのない計算尺ですが、made in occupied Japanの刻印があるために終戦後からサンフランシスコ講和条約締結までの短い間に輸出も視野に入れて作られたものであることがわかります。特徴としてはアルミかジュラルミン系の軽合金で出来た総金属製計算尺で、まるでPICKETTのアルミ製計算尺のようですが、これは戦後の昭和21年から23年頃に掛けて戦時中の航空機製造のためにため込まれていたジュラルミン等の軽合金類が一気に民需用に放出され、巷にジュラルミン製品が溢れた時期があり、このころに作られたものかもしれません。うちにもジュラルミン製のバケツやヤカンがありましたが、63系の電車なとにも鋼製車体ならぬジュラルミン製の車体が現れ、「ジュラ電」などと言われた時代があります。なにせ終戦直後は戦後復興のために粗鋼生産などが必要だったものの、石炭不足で思うようにならず、また傾斜生産方式や戦時賠償としての指定もあったのでしょうが国民生活には鉄製品が出回らず、手っ取り早く戦時中に航空機生産用として備蓄されたジュラルミンが日用品用として放出されたのでしょう。しかし、このジュラルミンはアルミを主体とする合金であるため、アルミ同様の欠点があり、表面が素のままでは空気中の水分で表面がすぐに腐食し、輝きをすぐに失うんですね。しかし、その酸化した表面で中が守られるためなのか、60年近く前のジュラルミンバケツが未だに形を保っていたりしますが。この放出ジュラルミン製品は多岐に渡る日用品が製作され、鍋・釜・やかん・バケツ・火鉢はおろか、進駐軍放出小麦粉の配給を主食とするためのパン焼き器・湯たんぽ・アイロン・すり鉢・下駄あたりまでが鉄の代用品として作られたようです。戦後間もない時代に戦時中の金属供出で失ったこれらの日用品の希少な材料がこのジュラルミンでした。また、ジュラルミンよりエボナイトやセルロイドなどの合成樹脂のほうが貴重だった事の証明として、電車のつり革の輪が樹脂じゃなくてジュラルミンで作られたものがこの時期にあったそうです。戦時中は金属供出で何もかもが木・竹・陶器の代用材料で造られた時期から数年を経ずしてその日用品がジュラルミンという代用材料に変わったという言うのも滑稽な気がしますが、金属供出で日用品が白い陶器類の代用品になってしまった戦中末期を「白亜紀」、戦後すぐの日用品がなんでもジュラルミンを使用して供給された時代を「ジュラ紀」なんて呼ぶ人もいますが、うまいこといいますね(^_^;) しかし間もなく始まった朝鮮戦争による金属材料の高騰の前に放出ジュラルミンの枯渇で終戦直後の日用品が尽くジュラルミンで供給された「ジュラ紀」は終焉を迎えます。
 この終戦直後の時代は、旧財閥が戦争に加担したとされてGHQによって財閥解体が行われ、財閥系の軍需産業は地方工場ごとに独立させられて、かつ平和産業に転換させられたため、当初は飛行機を作っていた工場が鍋や釜を作っていたというそのような時期がありました。どうやらこの計算尺はちょうどその時期に飛行機用ジュラルミン板の放出品を使用して作られた計算尺のようです。それも計算尺メーカーの手によるものではなく、以前航空機部品などを作っていた工場が加工技術を生かして糊口をしのぐために作ったものかもしれません。「OZI SEISAKUSHO」としかメーカーを知るための手がかりが無く、どこにあった工場なのかを知る手がかりがまったくありません。ただ戦前、東京北区の王子・赤羽あたりには陸軍の火薬廠を始めとする兵器工廠が林立し、周辺には機械加工を業とする中小工場も沢山あったとのことで、安易に地名をメーカー名にしたのかなぁ?
Ozi_moj
 届いた計算尺は航空機用ジュラルミン外板の1ミリ厚のものを加工して作られている5インチ尺で、尺の真ん中に赤の筆記体で「Delta」の商標が打たれていました。デルタという計算尺も他にまったく聞いたことがありませんが、尺の種類は表がDF,[CF,CI,C] Dの5尺でずらし尺度は何とπ切断。構造的に滑尺裏に複カーソル線を付けるわけにいかないのと、滑尺を裏返す事も構造上無理なの三角関数が省略されていますが、主カーソルの裏にインジケーターをつけてこれで裏側のDb尺の目盛を指し示すようになっています。 薄板の既製品を使って計算尺にするために特別な設計がなされており、滑尺の真ん中にプレスで横真一文字に溝が付けられ、滑尺は両ブリッジに渡されたクロームメッキのバーとこの溝が嵌り合うことによって滑尺が左右に動く構造になっています。上下の固定尺は同じ厚さのバックプレートに止められていますが、バックプレートの真ん中にも滑尺の溝と干渉しないようにプレスで溝が付けられています。驚いたことに上下固定尺とバックプレートの接合はそれぞれ4箇所のスポット溶接なんですが、終戦直後の町工場でジュラルミン板のスポット溶接が出来るところがあったでしょうか?正真正銘 Made in occupied Japan 時代の計算尺なんですが、設計自体も薄いジュラルミン板を巧みに組み合わせる構造からしてオリジナリティが感じられ、この計算尺の設計者はただ者ではないような気がします。それを考えてもこの計算尺を作ったメーカーは当時としても最新の技術と設計センスを持ち合わせていた、終戦で軍需の仕事が無くならなければこんな計算尺の生産などやる気もおこらないような会社だったのでしょう。目盛はおそらくエッジングか何かで入れられたのか、ちゃんと溝が刻まれており、擦れても目盛が不鮮明になることはありません。カーソルグラスは更に薄いおそらくアルミ製薄板プレスの枠に入ったプラスチック板で、これも照準器や計器用として備蓄された軍用品の転用かもしれません。カーソル枠にはちゃんとバネまで入っています。ケースは旧陸軍の革製品と同じ茶色のおそらく犬皮とおぼしきもので、牛革と違って水に濡れたらベロベロなってしまいそうな代用品です。形状はまるで洗面道具入れの中に入っているようなコームのサックそのもの(^_^;)
 戦後のこの頃には木工所や指物工場なんかが作ったような木の表面に白ペイントを塗り、黒のペイントで目盛を入れ、バネのないセルロイドを折り曲げただけのカーソルが付いたような計算尺でも物不足のおり、それなりに売れたのでしょうが、それらの粗製濫造期の学習用計算尺と比べてもこのデルタ計算尺は技術的にも精度面でも一線を画します。ただ残念なのはこのOZI製作所が朝鮮戦争特需以降はたぶん本来の機械加工業に立ち戻ったのでしょう、計算尺製造の世界には未練なく足を洗い、日本のPICKETTにならずに終わったことです。金属製計算尺専業でラインの一つくらい残してくれていたら、HEMMI・RELAY/RICOH・技研/FUJIに並ぶ第4のメーカーになっていたかもしれません。
Ozi_delta
 OZI SEISAKUSHOのDelta計算尺が掲載されているHPがありましたが、さすがに詳細がわかりません。たぶんアメリカの計算尺コレクターに知られているのもこれだけかな?しかし、ここに掲載されているDelta計算尺は裏側にDb尺がなくカーソル枠の裏側にポインターもありません。こんな計算尺ですがちゃんとした改良版が作られたことがわかりましたが、しかしなぜに「Db」尺が加えられたのかが謎として残りました。ところでデルタっていう商標はもしかしたらGHQによって解体された旧三菱系一族の製品であることを暗示しているのではないでしょうね?(笑)

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December 20, 2006

RICOH No.505 5インチポケット計算尺

 新たな計算尺を入手するのも久しぶりになります。というのも函館の某氏の戦前片面計算尺によってオク上は賑わいましたが、自分に手が出そうな物にはなかなか遭遇しなかった為でした。他にはイソメ式計算尺という円形換算尺がアンテナに引っかかったことがあったのですが、油断していたら戦前ものコレクターで計算尺には関係ない人に攫われてしまいました。そんなこんなで久しぶりに入手したのがこのRICOHの5インチポケット尺で、ほぼ相場の希望落札価格が付いていたために希望落札額で入手したものです。このRICOHのマンハイム尺No.505はRELAY時代のものを含めて意外に出品数が少なく、いままで出た数点もすべて皮ケースが欠品だったということも入手の動機となりました。このRICOH No.505は言うなればHEMMIのNo.34RKのコピー商品と言ってもいいくらいのもので、RELAY計算尺の輸出が増え始めた昭和20年代後半から存在するこの手の計算尺は、相手先の要求によってこのような節操のない丸コピーが多いような感じです。さらにHEMMIのNo.34RKと比べると裏の補助線窓が一つだけに省略され、コストダウンされているためにHEMMIよりも値段が少々安いのが取り得だけかと感じさせる計算尺でした。後のRELAY/RICOHはHEMMIに比べても面白い計算尺を発売しているのですが、いくらRICOH計算尺好きの当方でも、RELAY時代の計算尺の殆どは30年代初めまでHEMMIの亜流の域を出なかったといわれてもまったく否定のしようがありません(^_^;)
 あの何とも言えない緑色の皮ケースが付属していなかったらおそらくスルーしてしまったNo.505ですが、実はこないだ入手した√10切断5インチ尺のNo.512と兄弟尺と言えるかも知れません。No.512が表DF,[CF,CI,C]D,A、裏S,L,Tに対して、No.505は表A,[B,CI,C]D,K、裏S,L,Tになっています。尺種類としては512が√10切断系尺、505がABCDのマンハイム系尺となりますが、表6尺のデザインはこの2本を普通の人が見たら同じ計算尺にされてしまうかもしれません。
 届いたNo.505はRS-11刻印ですから昭和44年の11月製となります。うちにはこのRS-11刻印のRICOH製計算尺がもう一本有り、それは宮崎からちょうど1年前に入手したRICOHの学生用両面尺のNo.1051Sでした。このNo.505は皮ケースに入れられておそらく三十年以上も放置されてきたからか、古い計算尺に良くありがちな裏のアルミ盤の下固定尺との境目が腐食し始めていました。この計算尺のカーソル線は「黒」でした。オリジナル状態で黒だったのかは判然としませんが、過去の例からすると昭和49年製の未開封品だったRICOH No.116のカーソル線が黒で入れられていたために、このNo.505の黒カーソル線もオリジナルだったかもしれません。緑の皮ケースは毛穴の荒い材質からすると豚皮だということがわかり、そのチープなクオリティを少しでも上げようとして緑の染色というかペイントのようなものをかけたのではないかと想像します。同種の40年代HEMMI5インチポケット尺の皮ケースと比べても一段とチープな感じは拭い切れません(笑)
 RICOHのNo.505は、RELAYのNo.505時代にはなぜか無かったCマークが加わったくらいで、これといって何か差別化する特徴というものもありませんが、このRS-11刻印のものはCI尺C尺D尺の2未満の部分に刻印されている数字の前にピリオドが打たれていて1.2〜1.9であることを明確にしているということが特徴でしょうか。このピリオド付の数字は、RELAY時代はおろかRICOHに入ってからも打たれてこなかったので、No.505でも後期になって付けられた相違点なのかもしれません。
Ricoh505
上:RICOH NO.505 下:RELAY No.512

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December 16, 2006

春型コンディションに突入の兆し

 10月末から12月に掛けての電波伝搬コンディションは確実にサイクルのボトムにあることを感じさせるような、特にハイバンドの国内が何も聞こえないような状態が続きました。そんな状態ですから土日に各バンドをワッチする時間も極端に減り、おまけに10月の上旬から右肘の痛みが起きて縦振れの電鍵はもちろんのこと、手首を返すことが出来ないために横振りの電鍵も操作出来ない始末でしたので、ますます無線からも遠ざかってしまう原因にもなりました。この右肘痛、一種の四十肩のようなものであることがわかっていて、おとなしく湿布をしておけばそのうち直ることは経験上わかっていたのですが、初期の段階で整形外科に飛び込んで適切な処置を受けていれば2週間程度で全快したであろうものを、忙しさにかまけて湿布でお茶を濁してしたら、ひと月はおろかふた月を過ぎてやっと痛みを感じなくなってきたほどで、全快には3ヶ月程度掛かりそうなそのような状態です。初期段階でダンベルストレッチしたのが返って悪化させた原因か?(^_^;)
 そんな状態でしたが、久しぶりに本日土曜朝9時前に18メガを入れますと9エリア近辺がピンポイントで開き初めていました。18メガで日本語が聞こえるのは久しぶりのような感じでしたが、聞いた話では2日ほど前から急にハイバンドで国内が聞こえ出す時間が出来るようになったとのこと。21メガを聞いてみると1エリアの茨城と埼玉、2エリアの岐阜と6エリア福岡などの声が聞こえます。断続的にしかワッチ出来ませんでしたがその後、14メガ辺りはかなりの国内局が聞こえさらに21メガも広い範囲に渡って開いていたような感じです。ここ2年ほどの伝搬状況を調べても12月の15日過ぎにハイバンドのコンディションの上昇が始まるのか、10月の全市全郡以降まったくなかった交信がこのあたりから再開し、ニューイヤーパーティに繋がってゆくというのがパターンになってしまっていますが、どうやら電波伝搬上の季節変化からすると、冬至を待たずしてその上昇が緩やかに始まり春型のコンディションに変化しつつあるのかもしれません。ワッチばかりしていましたが、試しに18メガで5分くらいCQを出しても応答局ゼロでした(T_T)

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December 02, 2006

最終月に突入するも相変わらず…

 8エリアのQSLカード転送は奇数月の月末であるため、帳尻を合わせるわけではないでしょうが、ちょうど11月30日に今回は佐川のパック便にてカードが転送されてきました。一年の殆どの交信を5月末から8月の頭にかけてのほんの二ヶ月少々の間にだけアクティブに行っているだけみたいなものですから、だいたい今頃から1月末にかけてのカード到着数が増加します。今回送られてきたカードは正確には枚数は数えていませんが、ざっと300枚少々だったのではないでしょうか。移動運用に頻繁に出掛ける局だったらほんの数時間くらいの交信局数ですが(^_^;) そろそそろ7月から8月に運用したJAIAボーナス局運用にからむカードが混じってきましたので、普段まったくCQを出さなかった21メガのコンファーム数がだいぶ増えてきたのに比べて、50メガのコンファーム数が交信局数の割にはまったく増えません(T_T) いちおうFM,AM,SSB,CWミックスで軽くコンファーム数JCC-300は超え、SSBのみでも300は更新しているのですがそれからがなかなか増えません。なにせ普通50メガのGWが届く領域が2エレの自作アンテナではまったくダメで、対岸の青森とは今年も未交信。岩手県内はけっこう5月末に電離層伝搬で繋がるのに秋田県内も今年はダメでした。28,24,21は秋田県内と繋がるのに50の壁は今年も厚かったということで、21メガは普段まったく出ないのにも係わらずJAIAアワード絡みで全都道府県と交信済なのに、内心主力だと思っている50メガが今年も青森・秋田・沖縄の3県を残してしまったのは、楽しみをまた来年に残しておくということで良かったのか悪かったのか…。
 サイクルの一番の谷底にいるような状態では面白い電波伝搬を望める状況ではなく、全市全郡コンテスト以来ワッチもしていないような状況ですが、相変わらず21メガ辺りの国内伝搬もここ8エリアからは日本列島をそのままスキップし、本日午前中に久しぶりに聞いてみると久米島と石垣島の局が8エリアの局と交信しているくらいで、なかなか九州の福岡あたりまでが聞こえてきません。同時刻、18メガはスキャッタで広島の局のCQがわずかに聞こえ、14メガは安定して6エリアの局が7エリアあたりの局と交信中。10メガは鳥取あたりの移動局のCQが聞こえて来ましたが相対的にコンディションは相変わらずPOORです。12月に入りましたがこの調子ではまた今月も交信局数ゼロを記録してそのままニューイヤーパーティに突入しそうな雰囲気です(^_^;)
 そういや12月期の上級アマ試験まであと1週間を切ったのですね。今回の試験がそうなるという保証はまったくありませんが、最近の試験というと歯ごたえのある計算問題もさほど無い状態なので、計算尺をわざわざ持参する必要も薄れてきたようです。計算尺の示す値と5択問題の一つの数値が一致したときの快感を味わいたい人を除いては(笑)

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