HEMMI No.70 20"精密用
10インチ計算尺の有効桁は1〜2までが4桁、2〜10までが3桁であることはよく知られていますが、その読取精度を高めようとするとその目盛の基線長を長くする必要があります。そのために精密用として基線長を倍の長さにした20インチの計算尺が各種作られました。20インチ計算尺の読取精度は10インチ計算尺の倍と言われているようですが、10インチ計算尺の有効桁数を1桁上げようとすると遙かに長い100インチの基線長が必要で、それを5分割した目盛を20インチ計算尺に刻むか、OTIS KINGのように円筒の上にスパイラルに目盛を刻んでいく円筒計算尺しかないようです。市販された超精密用計算尺は80インチの基線長の目盛を4分割したものが存在します。また100インチの長さの計算尺を仮に作ったとしてもたわみの問題などもあり実用的ではありません。戦艦大和の設計は4メートルの計算尺を特注して使用したなどと言われていますが、おそらく4mの基線長の目盛を8本の尺に分割して20インチの計算尺に搭載したものを使用したのでしょうか。ところが東京タワーなどを設計した内藤多仲博士は8インチの学生尺であるNo.2640を使用して各地の電波塔を設計しているので、名人にとっては必ずしも20インチの精密計算尺が必要なわけではなさそうです。
もちろん常用には有効桁3桁の読みとり精度の計算尺で十分でしたから、10インチの計算尺に比べると20インチの計算尺は特別に希少な存在になります。HEMMIでは戦前から昭和40年代の計算尺末期まで用途別に片面/両面各種の20インチ計算尺が製作されましたが、他のRICOHやFUJIにあっては20インチ計算尺の存在を知りません。その20インチ計算尺の中でも比較的よく出てくるのが今回入手したHEMMIのNo.70 なのです。このNo.70はシステムリッツの計算尺で、No.64およびNo.74と兄弟尺ということになるようです。昭和一桁台から昭和40年代前半まで作られた計算尺ですが製造時期により色々なパターンのものが知られており、大まかには戦前から戦後までのスケール部分を除いた尺幅が35ミリのナローモデルと戦後から昭和40年代までの40ミリのワイドモデルがあるようです。35ミリというとNo.2664Sあたり、40ミリというとNo.651より幅広で、他の片面尺に該当がありません。また、戦前から戦後に掛けてのNo.70はカーソルや裏の副カーソル窓などに色々なパターンがあったようで、最初期モデルはカーソルが2個着けられ、裏の副カーソル窓が楕円のようです。目盛はJ.Hemmi時代の計算尺のようなボックスタイプの目盛が刻まれ、裏に換算表がなかったようです。その後のモデルはカーソルが副カーソル線付きの横長のタイプ1個になります。金属枠入りのガラスカーソルが基本ですが、もしかしたら初期のものは樹脂のカーソルバーにカーソルグラスがネジ止めされたものがあったかもしれません。戦時中から戦後にかけてのNo.70には目盛がボックス型ではなく普通型で、オーバーレンジが刻まれておらず、そのためカーソルも副カーソル線のないものが着けられたものがあり、副カーソル窓も後の片面計算尺同様に「⊃⊂」型になっているようです。換算表も後のワイドタイプ同様に1枚の長いものが装着されているようです。またPAUL ROSS氏によるとHEMMI No.2670という型番を持つ20インチのシステムリッツ片面尺が終戦直後の昭和24年にのみ作られたようで、これは既にワイドタイプのものですが、延長尺が無く尺の左側に尺種類を刻印しているという点がNo.70と異なります。なぜNo.2670を止めて元の型番であるNo.70で新たな20インチ尺を作ったのかは謎ですが…。
入手したNo.70は「ナロータイプ・副カーソル線付き横長カーソル・裏窓楕円型・ボックス型目盛」というような特徴の戦前の標準型です。日中戦争から太平洋戦争開戦直前まで作られた「"SUN"」表記で、輸出のための「MADE IN JAPAN」付きのものでした。おそらくこの時期は軍需産業などの生産が拡大し、このような精密計算尺の需要も増大したのでしょう、一番多く世の中に残っている20インチ計算尺が戦前のこの時期の物のようです。ケースもボール紙を丸めて黒い擬皮紙をあしらった断面が楕円形に見える貼箱です。尺の配置はNo.64同様に上からK,A,[B,CI,C,]D,L で、裏が[S,S&T,T] というシステムリッツで、入手したものはAB尺、CD尺の両端に赤い延長目盛を備えます。カーソルの副カーソル線は円の断面積およびhpとkWの変換をするために使いますが、有効基線長が長くなったためにNo.70のカーソルはNo.64のカーソルより横長になっています。なお、戦前型No.70と戦後型No.70は計算尺自体の身幅が異なるようでカーソルの互換性がありません。どちらにしても代わりのカーソルを入手することはコレクターの手持ちを融通してもらう以外には望みがないかもしれません。入手先は山口県からで戦前の10インチ片面電気尺No.80とセットでとんでもない安価で入手したものです。噂によるとHEMMIの20インチ計算尺はNo.96のスタジア尺を最後にすべて入手したという某氏の入札が入っていたために諦めた人が多かったのでしょうか?20インチの計算尺にしてはあまりにもかわいそうな金額だったので、それなりの金額で入札したら開始価格の100円アップですんなり落ちてしまったものでした。まあNo.70というと20インチ計算尺にしては数も一番多い為か、他の20インチ計算尺に比べるとべらぼうな値段が付くことはありません。20インチ計算尺としては一番手頃なタイプでしょう。届いたNo.70は材料があまり良くない時代に差し掛かった頃に生産されたものらしく、裏の金属バックプレートの一部が腐食で固定尺と分離しかけた部分があります。出た場所が旧徳山の周辺からなので、海軍燃料廠関係か造船関係で特攻艇や人間魚雷の設計に係わった計算尺かもしれません。戦後になってからまったくケースから出されることもなく60年もそのままで、その間にケースの中で湿気を引いて腐食にいたったのかもしれません。
それにしても「技術者ならわかって当然」というがごとく、尺種類の記号がまったく刻まれていないのはNo.64同様で、No.64やNo.74のシステムリッツに慣れていない初心者には難しい計算尺だと思われます。当方、2本目に所有することになった計算尺が10インチのNo.64のために慣れ親しんだタイプの計算尺になります。当方システムリッツの兄弟であるNo.64とNo.74を所有しておりましたが、No.70まで入手してシステムリッツ3兄弟が揃い踏みするとは思いもよりませんでした。実際にNo.64と比較して目盛の精密度を確認したいと思いますが、何せNo.70はA尺B尺の1から10までの長さがNo.64のC尺D尺と同じ10インチもあるのですから、No.70ではA尺B尺の計算精度がNO.64のC尺D尺の計算精度と同じということになるのですね(@_@;) 同じ尺種で比較するとNo.70のC尺D尺はNo.64の倍の長さで、目盛の刻み方は戦前のNo.70は1から2までが1/200分割に対して戦後のNo.64は1/100分割、No.70の2から5までは1/100分割に対してNo.64は2から4までが1/50、No.70の5から10までが1/50に対してNo.64の4から10までは1/20の刻みになっています。
ところで、この戦前型No.70のすぐ後に何とUK刻印ですから昭和45年11月製の未開封新品のNo.70がオクに登場しました。片面尺なので緑帯でベージュというかクリーム色の貼箱に入っています。説明書がすでに冊子型のものが入っており、この時点ではNo.64がスーパーリッツNo.64Tもしくはプラ/竹構造のNo.642Tに発展してフェードアウトしてしまったため、本来短冊形では3機種共用で書かれていたものが、No.70とNo.74の2機種共用の表記になっています。う〜みゅ、なかなか興味深いなんて思っていたら、No.74の未開封新品は珍しく無いはずなので、今までNo.74添付の説明書のタイトルが2機種表記だったことに気が付かなかっただけのようです。さらに戦後の緑箱のNo.70まで続けて出てきましたが、何かこういうものは連鎖反応的に出現するようです(笑)
しかし、無線従事者国家試験に20インチの計算尺を持ち込んで試験官に確認を取ってもらおうとしたら、試験官はどういう顔をするでしょう? 顔見知りとなってしまった試験官の困惑するというか、あきれ顔見たさにまた別な無線従事者国家試験を受けてみたくなります(笑)
HEMMI No.70 精密用の左側画像はこちら
HEMMI No.70 精密用の右側画像はこちら
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