大正時代のJ.HEMMI No.2
HEMMIブランド以前のJ.HEMMIブランドの逸見式計算尺については語るべき蘊蓄を持ち合わせておりません。というのもさほどの計算尺コレクターというわけでもなく、戦前の「"SUN"HEMMI」刻印計算尺の持ち合わせもそれほどなく、まして昭和初期を通り越して大正期の計算尺となると触ったこともないのです(笑)まあ、この時代の計算尺の雰囲気を味わおうとするとCI尺すらない戦前のNo.40辺りを持ち出すことになるのですが(^_^;)
とはいえ、逸見治郎のネームを冠したJ.HEMMIの計算尺は特別な存在で、とりわけ後のヘンミ計算尺の社長になる大倉龜が逸見治郎に経営参加を申し入れる以前の個人商店としての計算尺は今となっては貴重な存在です。昔の文献資料を持ち合わせていないので、正確な歴史考証は他の人に任せますが、明治の末に竹を組み合わせることによって狂いのない計算尺を完成させた逸見治郎は大正の始めに日本国の特許を取得し1917には英仏で、1920年には中国・米国・カナダでの特許も取得します。その間、第一次大戦中と戦後に独逸で計算尺の生産が途絶したことと、尺への独自機械切刻法を開発したことで大量生産が可能になり、測量器や航海計器で有名な玉屋商店により欧米に輸出されたようです。その輸出された計算尺をロンドンで見かけた大倉龜が後に逸見治郎に経営参加を申し入れるのですが、1924年に渋谷の猿楽町にあった逸見の木造二階建て本社工場が火災に遭い、生産が一時滞ります。翌年その苦境下の逸見治郎の元へ月桂冠の大倉酒造の女婿である大倉龜が訪れ、経営参加を申し入れたことにより、ヘンミ計算尺は個人商店から合資会社を経て株式会社の道をたどるのですが、生産される計算尺も個人商店時代のJ.HEMMIから"SUN"HEMMIの商標に変わり、欧米のコピーから抜けだし独自の計算尺が次々に生まれる事になります。簡単に要約するとこのような概略になりますが、コレクション的な目線からするとJ.HEMMIの計算尺は同一品番でも大正期の工場被災以前と被災以後昭和初年ころまでカーソルなどにいろいろ違いが見受けられ、カーソルにしても初期金属枠バネ無し、金属枠にネジ止め、樹脂カーソルバーに直接ネジ止めのフレームレス、逆Cカーソルにネジ止めなどの変遷が伺われます。どのカーソルがどの時期に当てはまるかは資料派の人に任せるとして、この中でもネジ無し金属枠カーソルが付いているものが一番古く、大正期の生産であることは間違いのないところでしょう。年代的な指標としては以前、創業30年記念の紙箱に入ったNo.1/1が出てきて、創業30年というと1925年すなわち大正14年に該当しますが、そのNo.1/1に装着されたカーソルは金属枠で4箇所ネジ止めのPATENT NO.51788の刻印の入った物でした。それゆえにネジのない四角いカーソルの着いたものが大正14年より古い物であることは疑いないでしょう。
今回入手したNo.2と思われる計算尺は、尺本体はNo.1と同一のマンハイム型計算尺ですが、カーソルに位取りをメモリーするためのポインターが付くために別品番になった計算尺です。このポインター付きカーソルもネジのない物、ネジのある物、逆Cタイプのものまであり、同じNo.2の中でもNo.2/1の品番があったのかもしれませんが品番を示す刻印が本体に無いため特定が難しくなっている物ばかりです。近年発掘されたJ.HEMMIのNo.2は2年前の5月に出たcyno_yさんの落札品しか把握していませんが、カーソルとカーソルバーがネジ止めのもので、今回のものと異なります。とはいえ、今回のものは逸見製作所になる以前の個人経営時代の計算尺に間違いないようです。この当時の計算尺はセルロイドを平面的に組み合わせており接着法もまが不完全だったからか固定尺滑尺の末端を鋲で留めてあるのが特徴的で、この製作法は昭和10年ころまで継承されるようです。ケースはボタン留めの短いべろが付いたシースタイプのケースで、茶色いボール紙の外箱に入れて販売されていたようです。福岡県からの落札ですが、入手先は以前訪れた茨城県内の旧水海道市内骨董店とのことです。捜せば骨董店などからも古い計算尺が見つかる物なんですねぇ(^_^;)売り主は80年以上経過した計算尺と知らなくて、その事実を知り逆に驚いてました。このJ.HEMMIの計算尺はアルミのような軽合金のプレスで作られたポインター付きカーソルが付属しているためにNo.2の品番に分類されていますが、単なる四角いカーソルが付いたものがNo.1となります。この1番から18番までの形式を持つ計算尺は確定的な事は言えませんが昭和3年までで終了し、同年から以降は系統的に分類された20番以降の型式番号と"SUN"HEMMIの商標に変わった計算尺が発売されます。しかし例外的にNo.1、No.5、No.8の3種類だけ開戦前まで輸出用として生産されたようですが、カーソルがJ.HEMMI時代のものとは異なるようです。J.HEMMI時代のNo1の後継機種はCI尺を加えた"SUN"HEMMI時代のNo.50、No.2の後継はNo.51ということになり、後から出来たNo.47は形態的にはNo.1に似ていますがあくまでもNo.40のスケール付きというポジションでしょうか?この大正期のものにはカーソルにはバネが入っていませんし、カーソル線は黒線のようです。身幅が28mmなのでバネ付きの戦前No.40カーソルがそのまま使えます。試しにNo.40の滑尺をNo.2に入れることは出来るのですが、凹凸の溝の寸法がJ.HEMMIのほうが広いため上下にガタが生じます。またなぜか同じ10インチ尺なのにNo.40のほうがスケールが1mmほど短いのはなぜでしょう。又、No.40のバネ付きカーソルの方が使いやすいのですが、これをNo.2に装着するとチープな学生尺のように見えてありがたみが薄れます(笑)ゲージマークもCD尺上にC,π,C1、AB尺上にπ,Mを備えるのは戦前のNo.40とまったく同じです。上部のスケールはインチ目盛、下部側面のスケールはメトリック目盛、また滑尺を抜いた溝の中のスケールもメトリックでしたので、国内向けのものであったことは間違いないでしょう。ご丁寧に上面と側面のスケール部分の両端もリベット留めになっています。ケースはボール紙の芯に擬皮紙を貼っているのではなく防水布のような薄い布を貼ったような構造になっており、後のサック式のケースより丈夫な感じがします。残念なことに上のインチスケール右側にどういう訳かセルロイドが円形に切り取られています。欠けたというよりまさに切り取ったようでミステリーサークルですよ、こりゃ(^_^;)
ところで、J.HEMMI時代の初期モデルの実用性ですが、カーソルにバネが無く溝との摩擦でカーソルを留めている状態であり、ガラスがまともに計算尺表面と接触するため、滑尺操作でカーソルがとかく微妙にずれ易く、今となっては後代の計算尺に比べると実用性は乏しいです。こののち試行錯誤を繰り返しながらカーソルが幾パターンにも改良されていったのがわかるというものでしょう。また、当時のマンハイム系計算尺は三角関数のsinがD尺ではなくA尺で計算するようになってますので、お間違いのないように(笑)
J.HEMMI No.2の表面拡大画像
J.HEMMI No.2の裏面拡大画像
J.HEMMI No.2の滑尺溝拡大画像
J.HEMMI No.2の滑尺裏面
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