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April 25, 2007

大正時代のJ.HEMMI No.2

 HEMMIブランド以前のJ.HEMMIブランドの逸見式計算尺については語るべき蘊蓄を持ち合わせておりません。というのもさほどの計算尺コレクターというわけでもなく、戦前の「"SUN"HEMMI」刻印計算尺の持ち合わせもそれほどなく、まして昭和初期を通り越して大正期の計算尺となると触ったこともないのです(笑)まあ、この時代の計算尺の雰囲気を味わおうとするとCI尺すらない戦前のNo.40辺りを持ち出すことになるのですが(^_^;)
 とはいえ、逸見治郎のネームを冠したJ.HEMMIの計算尺は特別な存在で、とりわけ後のヘンミ計算尺の社長になる大倉龜が逸見治郎に経営参加を申し入れる以前の個人商店としての計算尺は今となっては貴重な存在です。昔の文献資料を持ち合わせていないので、正確な歴史考証は他の人に任せますが、明治の末に竹を組み合わせることによって狂いのない計算尺を完成させた逸見治郎は大正の始めに日本国の特許を取得し1917には英仏で、1920年には中国・米国・カナダでの特許も取得します。その間、第一次大戦中と戦後に独逸で計算尺の生産が途絶したことと、尺への独自機械切刻法を開発したことで大量生産が可能になり、測量器や航海計器で有名な玉屋商店により欧米に輸出されたようです。その輸出された計算尺をロンドンで見かけた大倉龜が後に逸見治郎に経営参加を申し入れるのですが、1924年に渋谷の猿楽町にあった逸見の木造二階建て本社工場が火災に遭い、生産が一時滞ります。翌年その苦境下の逸見治郎の元へ月桂冠の大倉酒造の女婿である大倉龜が訪れ、経営参加を申し入れたことにより、ヘンミ計算尺は個人商店から合資会社を経て株式会社の道をたどるのですが、生産される計算尺も個人商店時代のJ.HEMMIから"SUN"HEMMIの商標に変わり、欧米のコピーから抜けだし独自の計算尺が次々に生まれる事になります。簡単に要約するとこのような概略になりますが、コレクション的な目線からするとJ.HEMMIの計算尺は同一品番でも大正期の工場被災以前と被災以後昭和初年ころまでカーソルなどにいろいろ違いが見受けられ、カーソルにしても初期金属枠バネ無し、金属枠にネジ止め、樹脂カーソルバーに直接ネジ止めのフレームレス、逆Cカーソルにネジ止めなどの変遷が伺われます。どのカーソルがどの時期に当てはまるかは資料派の人に任せるとして、この中でもネジ無し金属枠カーソルが付いているものが一番古く、大正期の生産であることは間違いのないところでしょう。年代的な指標としては以前、創業30年記念の紙箱に入ったNo.1/1が出てきて、創業30年というと1925年すなわち大正14年に該当しますが、そのNo.1/1に装着されたカーソルは金属枠で4箇所ネジ止めのPATENT NO.51788の刻印の入った物でした。それゆえにネジのない四角いカーソルの着いたものが大正14年より古い物であることは疑いないでしょう。
 今回入手したNo.2と思われる計算尺は、尺本体はNo.1と同一のマンハイム型計算尺ですが、カーソルに位取りをメモリーするためのポインターが付くために別品番になった計算尺です。このポインター付きカーソルもネジのない物、ネジのある物、逆Cタイプのものまであり、同じNo.2の中でもNo.2/1の品番があったのかもしれませんが品番を示す刻印が本体に無いため特定が難しくなっている物ばかりです。近年発掘されたJ.HEMMIのNo.2は2年前の5月に出たcyno_yさんの落札品しか把握していませんが、カーソルとカーソルバーがネジ止めのもので、今回のものと異なります。とはいえ、今回のものは逸見製作所になる以前の個人経営時代の計算尺に間違いないようです。この当時の計算尺はセルロイドを平面的に組み合わせており接着法もまが不完全だったからか固定尺滑尺の末端を鋲で留めてあるのが特徴的で、この製作法は昭和10年ころまで継承されるようです。ケースはボタン留めの短いべろが付いたシースタイプのケースで、茶色いボール紙の外箱に入れて販売されていたようです。福岡県からの落札ですが、入手先は以前訪れた茨城県内の旧水海道市内骨董店とのことです。捜せば骨董店などからも古い計算尺が見つかる物なんですねぇ(^_^;)売り主は80年以上経過した計算尺と知らなくて、その事実を知り逆に驚いてました。このJ.HEMMIの計算尺はアルミのような軽合金のプレスで作られたポインター付きカーソルが付属しているためにNo.2の品番に分類されていますが、単なる四角いカーソルが付いたものがNo.1となります。この1番から18番までの形式を持つ計算尺は確定的な事は言えませんが昭和3年までで終了し、同年から以降は系統的に分類された20番以降の型式番号と"SUN"HEMMIの商標に変わった計算尺が発売されます。しかし例外的にNo.1、No.5、No.8の3種類だけ開戦前まで輸出用として生産されたようですが、カーソルがJ.HEMMI時代のものとは異なるようです。J.HEMMI時代のNo1の後継機種はCI尺を加えた"SUN"HEMMI時代のNo.50、No.2の後継はNo.51ということになり、後から出来たNo.47は形態的にはNo.1に似ていますがあくまでもNo.40のスケール付きというポジションでしょうか?この大正期のものにはカーソルにはバネが入っていませんし、カーソル線は黒線のようです。身幅が28mmなのでバネ付きの戦前No.40カーソルがそのまま使えます。試しにNo.40の滑尺をNo.2に入れることは出来るのですが、凹凸の溝の寸法がJ.HEMMIのほうが広いため上下にガタが生じます。またなぜか同じ10インチ尺なのにNo.40のほうがスケールが1mmほど短いのはなぜでしょう。又、No.40のバネ付きカーソルの方が使いやすいのですが、これをNo.2に装着するとチープな学生尺のように見えてありがたみが薄れます(笑)ゲージマークもCD尺上にC,π,C1、AB尺上にπ,Mを備えるのは戦前のNo.40とまったく同じです。上部のスケールはインチ目盛、下部側面のスケールはメトリック目盛、また滑尺を抜いた溝の中のスケールもメトリックでしたので、国内向けのものであったことは間違いないでしょう。ご丁寧に上面と側面のスケール部分の両端もリベット留めになっています。ケースはボール紙の芯に擬皮紙を貼っているのではなく防水布のような薄い布を貼ったような構造になっており、後のサック式のケースより丈夫な感じがします。残念なことに上のインチスケール右側にどういう訳かセルロイドが円形に切り取られています。欠けたというよりまさに切り取ったようでミステリーサークルですよ、こりゃ(^_^;)
 ところで、J.HEMMI時代の初期モデルの実用性ですが、カーソルにバネが無く溝との摩擦でカーソルを留めている状態であり、ガラスがまともに計算尺表面と接触するため、滑尺操作でカーソルがとかく微妙にずれ易く、今となっては後代の計算尺に比べると実用性は乏しいです。こののち試行錯誤を繰り返しながらカーソルが幾パターンにも改良されていったのがわかるというものでしょう。また、当時のマンハイム系計算尺は三角関数のsinがD尺ではなくA尺で計算するようになってますので、お間違いのないように(笑)
Jhemmi_2
J.HEMMI No.2の表面拡大画像
J.HEMMI No.2の裏面拡大画像
J.HEMMI No.2の滑尺溝拡大画像
J.HEMMI No.2の滑尺裏面

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April 20, 2007

HEMMI No.P270 大気汚染用

 昭和45年の7月に杉並区の高校で体育の授業中に目や頭の痛みを訴えた生徒が次々に倒れて40数人が救急車で病院に運ばれた事件は、翌日に早くも都の公害研究所が光化学オキシダントによる光化学スモッグが原因と発表し、子供心にも「いよいよ日本も公害で人間の住めない国になる」なんて思いました。その月末には旅行で始めて北海道から上京したのですが、都会の夏でも靄が掛かったような空に浮かぶオレンジ色の太陽を見て、いつ光化学スモッグにやられるかと思って、居心地が悪い気がしました。その後、車の排ガス規制や工場の排出規制などの法令整備が功を奏して「光化学スモッグ警報」が出ることも珍しくなりましたが、2002年の7月に全国では18年ぶり、千葉では28年ぶりとなる光化学スモッグ警報が千葉県西部の船橋・市川・浦安界隈に出されています。
 その公害被害の一番激しかった昭和45年、公害問題を根本的に克服するために、国会で公害対策基本法の改正や、大気汚染防止法、水質汚濁防止法などの14法案が一夜にして改正、成立し、翌年の昭和46年6月、工場内に公害防止に関係する専門知識を有する人的組織の設置を義務付けた特定工場における公害防止組織の整備に関する法律が施行されます。この時に各工場に公害防止管理者としての有資格者を置くことを義務づけましたが、それに先立ち昭和46年に第1回目の公害防止管理者の国家試験が行われました。実は我が父親も社命でこの第一回目の試験を何かの部門で受験させられ、No.2634を持参して道庁の赤煉瓦の一室で受験したようなんですが、帰宅後、一杯飲んでからの勉強ではさすがに歯が立たなかったらしくて1回のみの受験でそのままになりました。
 そのような時代背景の昭和46年に生まれたのがこのHEMMIのNo.P270 大気汚染用計算尺です。計算尺の時代がもっと続いたのであれば大気汚染関係だけではなく、水質汚染関係、騒音振動関係、粉塵関係、ダイオキシン関係の各資格部門専用公害計算尺が開発されたかもしれませんが、残念ながら発売に至ったのは大気汚染関係のP270 POLLUTION Aだけのようです。水質汚染用はPOLLUTION W (WATER)、騒音振動関係はPOLLUTION NV (NOISE & VIBLATION) ダイオキシン関係はPOLLUTION Dなんていう名称がついていたかもしれませんが(笑)形態的にはP253系統のプラ尺で、おそらく山梨の技研系でOEMされた計算尺でしょう。新しい発売のプラ尺のため、滑尺が薄いブルーに着色され、固定尺を留めるブリッジとカーソルバーもブルーの成型品で構成された、見た目も近代的なセンスの計算尺です。
 このHEMMI No.P270は当ブログにもコメントを下さるnさんからの落札品で、開封はしてありますが外箱も説明書もすべて揃ったものです。刻印は「ヘVE」ですから昭和46年の5月。公害防止管理者設置のための法律施行1ヶ月前の製造ですから正に公害防止管理者とともに誕生した計算尺であることがわかるというもの。そういえばこの公害関係の法律強化によって地元の製紙工場でも火力発電の煙突が70mと100mから一気に200mの高さの煙突が追加され、新たなランドマークとなったのもこの頃です。計算尺の製造刻印は46年の5月でしたが取り説の発行は昭和47年5月と一年ほど後の物で、各工業都市における硫黄酸化物の排出基準(K値)が47年1月と48年1月の新基準まで一覧が載ってました。説明書によると、このP270は通産省工業技術院公害資源研究所の理学博士横山長之氏の指導により設計された物らしく、可能な計算は「大気汚染防止法に規定する有効煙突高度の式(Bosanquetの第一式)」「Suttonの拡散式・最大着地濃度とその出現距離」「Hollandの上昇式」「硫黄酸化物の排出基準」「シグマ式(排煙拡散の一般式)」「排ガス量の任意温度への換算」「固体、液体燃料の高発熱量の計算」「排ガスの分析計算」および一般の計算として「乗除・比例・反比例・平方・平方根・常用対数・自然対数・べき計算」となっています。\5,500のプライスが外箱に印刷されていますが、どんどんと製造コストが上がっていた時期だったため、すぐに\6,000への価格改定シールが貼られたようです。計算尺末期に差し掛かった頃に発売された計算尺であり、更に使用対象者がごくごく限られていますが、特殊計算尺の400番台ではなく両面計算尺250番台で土木用 No.269の次の番号を与えられています。しかし、No.266やNo.269 などの専門系計算尺と比べると圧倒的に数が少なく、文房具店系デッドストックでも見つからない計算尺の一つです。ケースは角の丸い青蓋の塩ビブローケース入りでした。このNo.P270は外箱のデザインも秀逸なので、もし入手するのであれば、外箱まで揃っているほうが断然いいでしょう。しかし「大気汚染用計算尺」なんて、考えてみれば当方みたいな下級汽罐士(ボイラー技士の旧名)には関連はあれども必要ない分野ばかりだなぁ(笑)
Hemmip270
HEMMI No.P270 表面の画像
HEMMI No.P270 裏面の画像

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April 16, 2007

HEMMI No.70 20"精密用

 10インチ計算尺の有効桁は1〜2までが4桁、2〜10までが3桁であることはよく知られていますが、その読取精度を高めようとするとその目盛の基線長を長くする必要があります。そのために精密用として基線長を倍の長さにした20インチの計算尺が各種作られました。20インチ計算尺の読取精度は10インチ計算尺の倍と言われているようですが、10インチ計算尺の有効桁数を1桁上げようとすると遙かに長い100インチの基線長が必要で、それを5分割した目盛を20インチ計算尺に刻むか、OTIS KINGのように円筒の上にスパイラルに目盛を刻んでいく円筒計算尺しかないようです。市販された超精密用計算尺は80インチの基線長の目盛を4分割したものが存在します。また100インチの長さの計算尺を仮に作ったとしてもたわみの問題などもあり実用的ではありません。戦艦大和の設計は4メートルの計算尺を特注して使用したなどと言われていますが、おそらく4mの基線長の目盛を8本の尺に分割して20インチの計算尺に搭載したものを使用したのでしょうか。ところが東京タワーなどを設計した内藤多仲博士は8インチの学生尺であるNo.2640を使用して各地の電波塔を設計しているので、名人にとっては必ずしも20インチの精密計算尺が必要なわけではなさそうです。
 もちろん常用には有効桁3桁の読みとり精度の計算尺で十分でしたから、10インチの計算尺に比べると20インチの計算尺は特別に希少な存在になります。HEMMIでは戦前から昭和40年代の計算尺末期まで用途別に片面/両面各種の20インチ計算尺が製作されましたが、他のRICOHやFUJIにあっては20インチ計算尺の存在を知りません。その20インチ計算尺の中でも比較的よく出てくるのが今回入手したHEMMIのNo.70 なのです。このNo.70はシステムリッツの計算尺で、No.64およびNo.74と兄弟尺ということになるようです。昭和一桁台から昭和40年代前半まで作られた計算尺ですが製造時期により色々なパターンのものが知られており、大まかには戦前から戦後までのスケール部分を除いた尺幅が35ミリのナローモデルと戦後から昭和40年代までの40ミリのワイドモデルがあるようです。35ミリというとNo.2664Sあたり、40ミリというとNo.651より幅広で、他の片面尺に該当がありません。また、戦前から戦後に掛けてのNo.70はカーソルや裏の副カーソル窓などに色々なパターンがあったようで、最初期モデルはカーソルが2個着けられ、裏の副カーソル窓が楕円のようです。目盛はJ.Hemmi時代の計算尺のようなボックスタイプの目盛が刻まれ、裏に換算表がなかったようです。その後のモデルはカーソルが副カーソル線付きの横長のタイプ1個になります。金属枠入りのガラスカーソルが基本ですが、もしかしたら初期のものは樹脂のカーソルバーにカーソルグラスがネジ止めされたものがあったかもしれません。戦時中から戦後にかけてのNo.70には目盛がボックス型ではなく普通型で、オーバーレンジが刻まれておらず、そのためカーソルも副カーソル線のないものが着けられたものがあり、副カーソル窓も後の片面計算尺同様に「⊃⊂」型になっているようです。換算表も後のワイドタイプ同様に1枚の長いものが装着されているようです。またPAUL ROSS氏によるとHEMMI No.2670という型番を持つ20インチのシステムリッツ片面尺が終戦直後の昭和24年にのみ作られたようで、これは既にワイドタイプのものですが、延長尺が無く尺の左側に尺種類を刻印しているという点がNo.70と異なります。なぜNo.2670を止めて元の型番であるNo.70で新たな20インチ尺を作ったのかは謎ですが…。
 入手したNo.70は「ナロータイプ・副カーソル線付き横長カーソル・裏窓楕円型・ボックス型目盛」というような特徴の戦前の標準型です。日中戦争から太平洋戦争開戦直前まで作られた「"SUN"」表記で、輸出のための「MADE IN JAPAN」付きのものでした。おそらくこの時期は軍需産業などの生産が拡大し、このような精密計算尺の需要も増大したのでしょう、一番多く世の中に残っている20インチ計算尺が戦前のこの時期の物のようです。ケースもボール紙を丸めて黒い擬皮紙をあしらった断面が楕円形に見える貼箱です。尺の配置はNo.64同様に上からK,A,[B,CI,C,]D,L で、裏が[S,S&T,T] というシステムリッツで、入手したものはAB尺、CD尺の両端に赤い延長目盛を備えます。カーソルの副カーソル線は円の断面積およびhpとkWの変換をするために使いますが、有効基線長が長くなったためにNo.70のカーソルはNo.64のカーソルより横長になっています。なお、戦前型No.70と戦後型No.70は計算尺自体の身幅が異なるようでカーソルの互換性がありません。どちらにしても代わりのカーソルを入手することはコレクターの手持ちを融通してもらう以外には望みがないかもしれません。入手先は山口県からで戦前の10インチ片面電気尺No.80とセットでとんでもない安価で入手したものです。噂によるとHEMMIの20インチ計算尺はNo.96のスタジア尺を最後にすべて入手したという某氏の入札が入っていたために諦めた人が多かったのでしょうか?20インチの計算尺にしてはあまりにもかわいそうな金額だったので、それなりの金額で入札したら開始価格の100円アップですんなり落ちてしまったものでした。まあNo.70というと20インチ計算尺にしては数も一番多い為か、他の20インチ計算尺に比べるとべらぼうな値段が付くことはありません。20インチ計算尺としては一番手頃なタイプでしょう。届いたNo.70は材料があまり良くない時代に差し掛かった頃に生産されたものらしく、裏の金属バックプレートの一部が腐食で固定尺と分離しかけた部分があります。出た場所が旧徳山の周辺からなので、海軍燃料廠関係か造船関係で特攻艇や人間魚雷の設計に係わった計算尺かもしれません。戦後になってからまったくケースから出されることもなく60年もそのままで、その間にケースの中で湿気を引いて腐食にいたったのかもしれません。
 それにしても「技術者ならわかって当然」というがごとく、尺種類の記号がまったく刻まれていないのはNo.64同様で、No.64やNo.74のシステムリッツに慣れていない初心者には難しい計算尺だと思われます。当方、2本目に所有することになった計算尺が10インチのNo.64のために慣れ親しんだタイプの計算尺になります。当方システムリッツの兄弟であるNo.64とNo.74を所有しておりましたが、No.70まで入手してシステムリッツ3兄弟が揃い踏みするとは思いもよりませんでした。実際にNo.64と比較して目盛の精密度を確認したいと思いますが、何せNo.70はA尺B尺の1から10までの長さがNo.64のC尺D尺と同じ10インチもあるのですから、No.70ではA尺B尺の計算精度がNO.64のC尺D尺の計算精度と同じということになるのですね(@_@;) 同じ尺種で比較するとNo.70のC尺D尺はNo.64の倍の長さで、目盛の刻み方は戦前のNo.70は1から2までが1/200分割に対して戦後のNo.64は1/100分割、No.70の2から5までは1/100分割に対してNo.64は2から4までが1/50、No.70の5から10までが1/50に対してNo.64の4から10までは1/20の刻みになっています。
 ところで、この戦前型No.70のすぐ後に何とUK刻印ですから昭和45年11月製の未開封新品のNo.70がオクに登場しました。片面尺なので緑帯でベージュというかクリーム色の貼箱に入っています。説明書がすでに冊子型のものが入っており、この時点ではNo.64がスーパーリッツNo.64Tもしくはプラ/竹構造のNo.642Tに発展してフェードアウトしてしまったため、本来短冊形では3機種共用で書かれていたものが、No.70とNo.74の2機種共用の表記になっています。う〜みゅ、なかなか興味深いなんて思っていたら、No.74の未開封新品は珍しく無いはずなので、今までNo.74添付の説明書のタイトルが2機種表記だったことに気が付かなかっただけのようです。さらに戦後の緑箱のNo.70まで続けて出てきましたが、何かこういうものは連鎖反応的に出現するようです(笑)
 しかし、無線従事者国家試験に20インチの計算尺を持ち込んで試験官に確認を取ってもらおうとしたら、試験官はどういう顔をするでしょう? 顔見知りとなってしまった試験官の困惑するというか、あきれ顔見たさにまた別な無線従事者国家試験を受けてみたくなります(笑)
Hemmi70
HEMMI No.70 精密用の左側画像はこちら
HEMMI No.70 精密用の右側画像はこちら

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April 15, 2007

吹雪の中の6mオープン

 サイクルのボトムから上昇に転じたと言われますが、たかだか2ヶ月少々ではコンディションの上昇を感じるべくもなく、例年だったらそろそろ21メガ辺りでも電離層の散乱でかなり近くのエリアまで聞こえる時間がありそうなものなのに、相変わらず低調な伝搬コンディションに推移していると思ってました。ちなみにここ8エリアの太平洋側は2月の末まで殆ど雪が積もらず、暖かい日が続いたため、そのまま春になってしまうのかと思いきや、3月の中旬過ぎから急に寒さがぶり返し、そのまま4月を迎えました。4月1日には一面の雪景色となりましたが、雪もこれで終わりと油断して冬タイヤから夏タイヤに換えた車が多かったようですが、4月も半ばのこの土日は急に雪の天気に逆戻りし、こちらも一面の雪景色に逆戻り。新学期が始まってからの積雪は我が町では記憶がありませんし、戻ってきてからももちろん始めての経験です。重い湿った雪で水分を多く含むためかダイポールアンテナのエレメントワイヤーにからみついてエレメントが垂れ下がっていました。これで強風が吹き荒れた日には各地の送電線で断線やショートが起きる事故が続出します。
 そんな4月というのに冬に逆戻りした雪景色の8エリアでしたが14日土曜日の午前中はEスポに恵まれたらしくハイバンドのコンディションが素晴らしかったようです。21メガがかなり開いていていることに気が付いたのがすでに10時半近く。よもや吹雪の日に6mが開いているとは思いませんでしたが、試しに宮崎大のビーコンに周波数を合わせると、何とフルスケールで入感しているから驚いてしまいました(@_@;) SSB帯に周波数を合わせると鹿児島から熊本に掛けての複数の局と少し飛んで岡山県内の局が聞こえていますので、まず鹿児島は知覧町の移動局と交信成立。つぎにいつも鹿児島県内をよく移動運用しているおなじみの局の鹿児島市内の常置場所運用で交信成立。つぎに熊本は球磨村移動局と交信しましたが、その後急速にEスポ伝搬が上がり掛けてきてすでに岡山県内局は聞こえません。福岡の局で昨年は交信チャンスが無かった局がCQを掛けていましたが、ここは合併で新市に変わったため、ちょっとしたパイルアップとなったため、交信チャンス無し。その局が応答しているのを聞くと、福岡では1エリアから8エリアまで開いていたようです。ちょっと24メガに浮気したくなって24メガにQSYするとまったく聞こえる局がありません。試しに24.955でCQを掛けると香川県内の局から応答があり交信成立しました。その後10分ほどCQを掛けるも反応がありませんでした。50メガに戻るも交信済の局しか聞こえませんでしたが、さらにコンディションが落ちてきたようで、正午過ぎにはいつもの通り沈黙のバンドに返ってしまいました。
 翌15日も朝から雪が降る8エリアでしたが、Eスポ2日続かずの例え通り、18メガから上のバンドは何にも聞こえません(^_^;)

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April 14, 2007

HEMMI No.80 10"電気用

 HEMMIの10インチ片面電気計算尺のルーツはJ.HEMMI時代のNo.3まで遡るようですが、HEMMIオリジナルというわけではなく、外国の片面電気尺のコピーとして製作されたようです。おそらく独逸への留学生が帰国して持ち込んだFABER CASTELLあたりの電気用計算尺をコピーしたようですが、オリジナルが固定尺と固定尺間スペースのバックプレート上に電圧とダイナモ・モーターの効率を計算する尺が付いているため、それに習ってHEMMIのNo.3もこの溝の中に同じ尺が着けられ、滑尺先端にインジケータを装着するため、上下固定尺より滑尺のほうが短いという特徴も本家FABER CASTELL同様です。たぶんHEMMIの片面計算尺の中で滑尺溝のなかにも目盛が存在するのはこの系統の電気系片面尺だけだと思いますので、不揃いの滑尺を持つ片面計算尺を見たら、まず戦前戦後の電気尺と思って間違いないでしょう。戦後の電気系片面尺はこのダイナモとモーターの効率を計算する尺が滑尺上に移動しましたので、不揃いな滑尺の電気尺はありません。J.HEMMIのNo.3は大正期から昭和の始めに掛けて国産唯一の電気尺として発売されていたようですが、まもなくモデルチェンジして発売されたのがこのNo.80シリーズです。No.80シリーズの10インチ尺は戦後の昭和26年頃にNo.80Kにモデルチェンジされながらも昭和40年代中頃まで発売され続けましたから、電力系の技術というのが電子工学系に比べていかに枯れたというか完成された技術だということがわかります。両面電気尺のNo.153が昭和一桁から計算尺末期まで生き残ったのも同様です。基本的にはFABER CASTELLの電気尺をコピーしたNo.3からNo.80KにいたるHEMMIの電気尺ですが、こともあろうにコピーのコピーが存在し、それは技研のNo.2502からFUJIのNo.108に至る山梨系プラ製片面電気尺がそうです。また、Relay/RICOHのNo.107も同じく片面電気尺ですが、尺配置など若干の違いはあるにしてもやはりコピーのコピーということが言えるでしょう。昔の日本は外国製品の模倣は否定されていなかったようです(^_^;)
 HEMMIのNo.80は基本的にはJ.HEMMI No.3のネーム変更ですが、製造時期によって形式名で3種類、形態的には4種類ほどに分類されているようです。最初のNo.80はJ.HEMMI No.3と同様の尺種類で、尺部分の幅が32ミリの身幅の狭いナロータイプだったようですが、すぐに滑尺に逆尺のCI尺が加わり、身幅も34ミリに拡大したモデルになったようです。その後AB尺、CD尺の両端にオーバーレンジが加わり、カーソルも副カーソル線付きの逆Cカーソル付きのものから四角い金属枠に副カーソル線付きガラスが嵌ったものに変わります。また、初期のものはカーソル溝にあるE,F尺が離れていて、後のモデルは中程に寄り添うため、滑尺の先端に着けられたインジケータが初期モデルのみ「コ」の字型、後のモデルは「┤」型となっています。初期のモデルは竹からセルロイドが剥がれないようにするためか、固定尺滑尺に鋲のような物が打たれていましたが、後のモデルにはインジケータ金具を滑尺に留める鋲以外にはなくなりました。モデルネームはNo.80、No.80/1、No.80/3が確認されているようですが、この時代は本体に型番が刻印されておらず、型番を記載したラベルがケースの方に貼られていただけだったので、このラベルを失ったNo.80は正確な型番がわからなくなってしまうために、分類上困ってしまうことになります。でも、オーバーレンジ無しで逆Cカーソルのこれより一つ前のモデルもNo.80/3の品番が付くものがあるらしく、確定的なことは言えません。また、位取りのためのインジケータ付きカーソルを備える物などは同じ10インチ尺でもNo.80から独立した型番を持っています。オリジナルのNo.3は片面尺ながらべき乗尺のLL2とLL3を備えますが、これはHEMMIの計算尺にべき乗尺が備えられた最初のものだと考えられます。それは当然の事ながらNo.80にも受け継がれましたが、電気尺ながらNo.153同様に他の分野でも好んで使用されたような節があります。ちなみに/1と/3の区別は同一形式で副カーソル線付きのものを区別するためだそうで、/1は普通の1本線カーソル、/3は副カーソル線付きの3本カーソル付属のことを意味するそうですから、3本線カーソル付属の設定のある計算尺の形式にのみ付けられる枝番のようです。
 今回のNo.80の入手先は山口県からで、No.70と2本セットで購入した物です。どちらも製造時期が近い戦前のものらしいので、おそらく同一箇所から出た物と思ったらバックプレートに小さく同じ名前が刻まれてました。尺部分の幅34ミリ、スケール部分を含めると身幅40ミリでオーバーレンジ無しリベット留め、ボックス目盛、四角カーソル副カーソル線付きの物です。今回のものは戦前のもので、その後のリベットが無くなったオーバーレンジ付きモデルは昭和20年代中頃まで作られ、側面にK尺の加わったNo.80Kに引き継がれました。戦前の断面に角がないオーバルタイプの貼箱に納められていましたが、奇跡的に型式を示すラベルが残っていました。そのラベルにはNo.81/1となっていましたので、おそらく本来は逆Cタイプの位取りインジケータ付のものだったのでしょうが、戦後に副カーソル線付きの四角カーソル(made in occupied Japanでした)に付け替えられたのでしょう、中身がNo.81/1転じてNo.80/3相当になってしまっています(笑)それでもNo.80一族としてはかなり古いものであることは確かで、戦前のNo.80でも今回の物は目盛が疎なボックスタイプ。滑尺の溝の中にあるE尺F尺のインジケータは┤型ですが、固定尺と滑尺の両端はリベット止めになっているタイプです。この戦前初期タイプは平板なセルロイドを竹に張っている構造のため、剥がれ止めのためにリベットによる固定が必要だったのでしょう、後の計算尺は接着法が変わった為か省略されてしまっています。また裏側はセルロイドを張っているわけではなく白い塗装を掛けているため、端の方が擦れて竹の地が見えてました。四角い副カーソル線付きカーソルは真ん中のカーソル線が青、左右の副カーソル線が赤で目盛られているようです。裏側の副カーソル窓は目安線のみでまだセルロイドが嵌っていない時代の物です。上部には27センチのメトリックスケール、下部側面には10インチのインチスケールが付きます。CI尺の数字のみ赤というシンプルな色使いの計算尺です。A尺B尺に2.87の定数が刻まれていますが、これは電線の電圧降下を計算するときの銅線の伝導率Cの定数ですが、7.36の定数は何かな?
 Hemmi80
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HEMMI No.80 裏面拡大画像はこちら
HEMMI No.80 中面拡大画像はこちら
HEMMI No.80 滑尺裏面拡大画像はこちら

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April 10, 2007

CQLOG to HAMLOG/WIN データーコンバート

 日本のハム愛好者の中ではコンピュータロギングソフトというとTURBO HAMLOG/Win、いわゆるハムログのユーザーが大半なわけですが、Macintosh一筋そろそろ16年目の当方にしてみると、そのグラフィカルなデザインのまったくないDOS時代と変わらないスタイルにMacのフリーウエアとはまったく異質な印象を受けます。Macintosh用のロギングソフトというとJS1CJW 岡田氏の手によるCQLOG ver2.3というのがありまして、さすがはMac用のグラフィックユーザーインターフェースを多用したカラフルなデザインのロギングソフトで、DOS時代からの発展形であるハムログがビジネス系データーベースソフトのような印象であることと正反対のフリーウエアなのですが、残念ながらMacの代表的なデーターベースソフトであるファイルメーカーProのプラグインで、高価なファイルメーカーを持っていないと使うことできないために、アマチュア無線家の中ではあまり使用している人の話を聞きません。でも元ソフトが優秀なファイルメーカーProであるゆえに、その機能性と高速検索性においては何ら不満もありませんでしたが、そもそもファイルメーカーPro ver3.3のプラグインであり、現在のファイルメーカーProはインターネットと融合してネット上の情報を検索したり取り込むことが出来るのに対していかにも機能的には古くなってきたようです。その点はユーザーの意見を採り入れて日々どんどん進化しているハムログに対して遅れを取っていることは否めませんし、平成の大合併以後のバージョンが作者多忙のため発表されていないようなので、当方の使用しているCQLOGはすべてアップデート情報をデーターベース上から手修正して使用しているような状態ですから、少々ファイルメーカーPro自体に知識が必要ともなってきます。
 しかし、サフイックス3文字入力で一瞬のうちに過去交信歴を一括表示するオペレーション画面、コールサインから一瞬で交信相手を25万件のコールブックから高速検索し、データーとして表示する作業、運用市町村の検索などがマウスでのアイコンクリックと最小のキーボード操作で行えます。さらにコンテスト書類の作成から各社のQSLカードに対応したカード印刷機能、受け取りQSLカードの画像登録と表示、JCC/JCGのWKD/CFMの管理などは日本列島地図上の県をクリックすると、その県の市と郡における各周波数での交信状況がカラフルな一括表で出てくるなどという交信管理機能、グリッドロケータを算出して交信相手との距離と方位を計算する機能など、旧バージョンのハムログをかなり意識してなおかつMacintoshらしいグラフィカルなログソフトです。ただ、元のファイルメーカーの機能に依存するため、どうしてもハムログのように細かな交信/未交信市町村を一括して表示したり、各周波数を複数マージしてJCCやJCGがどれだけいったのかを表示させたり、エリア別に各バンドの交信数がどうなっているかを表示させたりする「アワードハンター」向けの機能が弱いため、たとえば「50メガで実交信市郡とカード受領済み市郡、カード未着市郡を把握し、さらに未交信市郡を把握」することがCQLOG上では難しいのです。そのためにどうしても「カード受領済み」の市郡数のみ把握しているわけですが、その中でも特定バンドにおけるモードごとのコンファーム数はわかっても、モードミックスでトータル何市何郡コンファームしているかというのが掴めません。そのあたりはハムログの独壇場で、ハムログはアワード集めに執念を燃やして珍市珍郡からの移動局を追っかけている人たちに取っては、かゆいところに手が届くようなログソフトだと思います。まあそのアワード集めに便利な機能性ゆえに、並の場所からのCQには見向きもしないが、珍QTHからの移動局には「魔法の箱」のスイッチをオンにしてサフイックスを連呼する「俺様ハム」を増加させているのかどうかは判断が付きかねますが(笑)
 当方、十数年前はMacintosh 4台をメインにPC-98からDOS/V、X-68000にいたるまでAmiga以外は「とりあえずどんなゲームでも動かせる状態」のために異なる4つのPC環境を整えていたのですが、すぐにハードがマシンパワー的に時代遅れになり、窓機もWin95を使ってDOSの呪縛から逃れられないWIN95のそのあまりの使い勝手の悪さについにMacintoshがメインの座から滑り落ちることはありませんでした。そのため、窓機に出来てMacに出来ないことは目をつぶる状態だったのですが、無線系フリーウエアで日本語を扱えるものはもはや窓機以外に考えられないため、日本語でPSK-31をどうやろうかと思案していたら、たまたまPCの入れ換えのため古いVAIOをくれるという人が居て、まあ少々古くても無線系のフリーウエアを扱うのならマシンパワーもさほどいらないと思い、ありがたくその申し出を受けることにしました。VAIOノートをくれるのだとばかり思って出掛けたら、そこに鎮座していたのは巨大な17インチCRTモニター付きミドルタワーのAV機能付きVAIO (^_^;) 一瞬粗大ゴミを押しつけられたと思いましたが引くに引けずにそのまま巨大なVAIO一式を持ち帰るハメに。しかたがなく、自室に2台並んでいたMacの17インチモニターの1台をかたづけて巨大VAIOをセットアップしてしまいました。
 昨年のCQ誌に無線系ソフトの集大成のCD-ROMが付属していたことを思い出し、さっそくTURBO HAMLOG/WIN をインストールしてみました。何のデーターが入っていないハムログをいじるのも無意味なので、何とかMac用のCQLOGからデーターを取り込む手段を考えます。どうやらハムログが外部のデーターベースからデーターを取り込むためには.CVSでコンバートするのが一般的のような感じなのですが、Mac用ファイルメーカーProのコンバート形式を見ると.CSVがありませんが実質的に1つのフィールドを「""」でセパレートしたコンマ区切りテキストというコンバート形式が.CSVのようです。そのためファイルメーカーでコンマ区切りテキストで書きだしたテキスト書類に.CSVの拡張子をつけ、そのままFDにコピーしてVAIOのハムログ側でデーターを取り込むことで見事COLOGからハムログへのデーターコンバートが成功しました。コンマ区切りテキストで書き出す際には、ハムログ側の形式でデーターの順序を取るのは当然のことですが、ハムログにはCQLOGで扱っていないグリッドロケータのフィールドがあるため、そこにはCQLOG側で何も記載されていないブランクなデーターフィールドをどれか1項目、順番通り割り振る必要があります。またCQLOGのQSLカード発行と受け取りのチェックはそれぞれ独立したフィールドで、ハムログは1つのフィールドで発行受け取りを扱う違いがあるため、ここの部分だけはうまくコンバートする事が出来ません。エディタで1つのフィールドに編集してしまおうかと思いましたが、3600交信分も編集したら一度で目が悪くなりそうだったため、受け取りの「1」だけ生かしてあとはハムログ上で1交信1交信の発行受取りフィールドを手修正することにしました。それにしても、最初からデーターを手入力することを考えたらとんでもなく楽な仕事です。この手修正はそもそも元からGUI環境のMacではマウスを使わずにキーボードショートカットのみで入力していくのは難しいのですが、流石は窓機だけあってキーボードのみで次々にデーターを修正していけるため、数時間の作業でカードの発行受取りのフィールドの修正が完了しました。
 たまたま3月末にJARLからQSLカードが300枚ほど転送されてきたので、それも合わせて受取り済入力を済ませると、各バンドにおける最新のWkd/Cfmの一覧が表示できるようになりました。それによると、50メガのJCCコンファームが前回372からついに400を超えて403、去年まで殆ど運用していなかった21メガもJCCコンファーム183から200を超えて223となりました。こういう交信済の管理に関してはCQLOGでは一括表示できません。50メガでついにJCC400超えしたことを把握しましたが、やはり一瞬でこういうことが把握出来るということは紙切れハンティングに血道を上げる人が出るのもわかるよなぁ(^_^;) まあ、自分としてはアマチュア無線の本来の目的を見失わないように自戒しなければ…。
Cqlog1
CRTからのピックアップなので見にくいですが、これがMac用CQLOGの各種ウインドウを開いた状態です。

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April 01, 2007

RELAY No.505 5"ポケット計算尺

 最近はどうも上級のアマ無線国家試験も高度な計算力を要求されない試験が続いたためか、「わざわざ1アマ試験に計算尺を持ち込んだが計算尺を使うまでもなかった」というような体験が多く語られ、「計算尺をわざわざマスターするくらいだったら、その時間を過去問マスターに当てるのが得策」というのが1アマ受験の定説になってしまい、無線国家試験計算尺活用推進派の当方としては少々寂しい思いをしています。最近は「上級試験突破のため計算尺が欲しい」という知り合いからのオファーも絶えて久しいのですが、考えてみたら当方もアマの試験と通信士試験の両方とも計算尺を持ち込まずに試験に合格しているのですから、アマと初級通信士試験の計算尺活用は「普通に分数の乗除が出来る人」にとっては不要なんでしょう。 それでも当方も経験がありますが、問題用紙の余白に細かい文字でちまちまと筆算していくと、つまらないところでケアレスミスして、どう計算していっても5つの解答の数値に近いものが出て来なかったりして、その問題にだけ時間をとられて焦りまくる事態に陥ったことがありますから、検算をかねて計算尺が1本あることで、実際に使う使わないに係わらず精神的なお守りみたいなものになるのではないでしょうか。しかし、最近は計算尺も上級アマ試験受験者からも見捨てられてしまったからか、オクでは特に何の変哲もない片面計算尺の相場下落が激しく、こないだのRICOH No.116Sは300円、先日落札したRICOHのNo.116はたったの220円です。8インチの学生尺なんぞは500円以上値段が付いていたらもう誰も入札しません(@_@;) 当方同じ計算尺が何本もあるのに、まあ製造年が違えばそれでもいいやと思って、ついこういうかわいそうな計算尺に手を出してしまうのですが…。
 今回入手したRELAY時代の5インチ片面尺No.505は、後年のRICOH時代で緑色の皮ケースに入った同じNo.505を入手しているのにも係わらず手を出してしまったもので、何よりも通常は皮ケースに入って販売されているものが、8インチ10インチ計算尺と同様の丹頂黒貼箱入りだったもので、思わずその箱のかわいらしさに引かれて入手したものです。入手先は徳島県で、以前にNo.P263を入手した人からでしたので、こちらも廃業文房具店から一括して入手した在庫の一部なんでしょう。外箱と取り説は欠品でしたが未使用品でした。過去にも書きましたがこのNo.505はダブルスター印時代からRICOH計算尺末期まで作り続けられていた5インチマンハイム型計算尺で、HEMMIでいうとNo.34RKということなのですが、34RKが裏面のカーソル窓を2つ持つのに505は1つしか持たないというように初期のRELAYの計算尺設計の定石通りにHEMMIより安くするためのコストダウンが優先された時代の計算尺になっています。尺配置は34RKとまったく同じ5尺で上から A,[B,CI,C,]D,Kの6尺、滑尺裏も逆尺の刻まれていないS,L,Tの3尺でこれも34RKとまったく同じです。表の上部にメトリックのスケールが刻まれていますが、34RKは14センチなのに505は13センチという違いがあります。HEMMIのNo.34RKは40年代に入るとプラスチックの成型品で出来たカーソルにコストダウンされますが、No.505はRICOH時代末期までガラスカーソルだったようで、更に末期の505はカーソル線が黒で目盛らせていたようです。この黒カーソルはなぜか片面計算尺のみに存在したようで、当方の所有物では最末期昭和49年製No.116、昭和45年製No.116Sと昭和44年製NO.505が黒カーソル線でした。届いたNo.505は刻印が「G.K-4」でしたので昭和33年4月製です。5インチポケット尺ではあまり馴染みのない丹頂黒貼箱入りで、550円のラベルが残っていました。当時のRELAYポケット尺はビニールのような茶色の薄い皮ケースのもののほうがよく知られており、この紙の貼箱入りのものと2本立てで売られていたのでしょうか?まあ、ポケット尺とは持ち歩くための短縮化ということを考えると皮ケースに入っていることがごく自然であり、紙箱入りのポケット尺というのは存在自体が「外道」のような気がします(笑)でも、そのケースが実にキュートなんだからまあいいことにしておきましょう。
Relay505

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