理研光学工業発売の4"計算尺
リコー創業者市村清の計算尺製造への参入は、出身地である佐賀県の孟宗竹を使用して地元の産業振興を図るという意味合いが強かったと思われます。ところが当方も勘違いしていましたが市村清が計算尺製造の会社として昭和10年12月に設立した日本文具という会社は市村の個人会社であって、翌年2月に設立される理研感光紙株式会社よりわずかに早く、しかも理研コンツェルン傘下の会社ではないのです。理研感光紙は理化学研究所の大河内所長の好意により市村に経営を任されますが、市村が社長というわけではなく大河内が会長で社長が空位、市村が専務という役員構成でした。さすがに直参ではない言わば足軽上がりの市村をすぐに一刻一城の主にすえることは他の役員の手前憚られたのでしょう。理研感光紙は翌昭和12年3月に理研光学工業株式会社となり、感光紙の他に買収した旭物産のオリンピックカメラを始め、後に護国/リコールなどのベスト版フォーカルプレーン式カメラなどの生産に乗り出しますが、他の理研系企業の役員を兼任していた市村が理研トップの大河内と他の理研系役員との意見の衝突から理研系企業のすべての役員を辞し、結局理研光学系三社が理研コンツェルンから独立したのは昭和17年のことのようです。その間、計算尺製造の日本文具は昭和15年に東洋特専興業株式会社に名前を変え、戦後の昭和23年に日本計算尺株式会社に名前が変わるまで戦中戦後を通して東洋特専興業の刻印の入った計算尺を製造しています。そのため、理研コンツェルン傘下の企業として計算尺の製造には直接手を染めていないのにも係わらず、個人企業である日本文具の計算尺を理研光学の感光紙販売のルートに乗せるため、「理研光学工業株式会社 発売」の刻印を入れて販売されたものが今回入手した4インチマンハイム型計算尺なのでしょう。いままで東洋特専興業の刻印の入った計算尺は何点か目にしていますが、日本文具という刻印が入った計算尺を見ないのはこういう所に原因があったのかもしれません。
リコー創業者の市村清に関しては数々の評伝がネット上にもあり、詳しくはそちらの方を参照していただくとして、少年から青年時代には紆余曲折があり相当苦労の連続だったようです。苦学して叩き上げで上り詰めた銀行重役の席を金融恐慌で失い、そこから生命保険の一勧誘員から再度身を起こし、理研感光紙の売り上げトップに立つ代理店経営から理研コンツェルンの重役に抜擢されるのですが、割と官僚主義的と思われる理研コンツェルンの役員の中には、木下藤吉郎的な市村の出世に対してそれを快く思わない敵も多かったようです。その市村ですが、感光紙販売の拡大でますます大河内の信任を得、複数の理研コンツェルンの経営に参画しますが、日米会戦後、一度その恩人大河内と意見の衝突を起こし、部下を庇って全重役のポストの辞表を提出するのですが、大河内もさすがに市村の才覚を惜しむあまり、理研光学を初めとする3社を理研コンツェルンから分離独立させ、市村に経営を任せることになり、ここに後のリコーグループの基礎が出来ました。
というわけで、計算尺製造は当初から市村の個人事業であり、理研グループが係わっていないことがお解りだと思います。しかし、その個人事業の製品に理研グループ企業販売の刻印を入れ感光紙販売のルートに乗せるなんざ公私混同も甚だしい気もしますが、やはりそこはちゃんとマージンをしっかり理研光学に落としていたのでしょう。というか、営業形態的にはOEMの走りだったかもしれません。日本文具刻印の計算尺を目にしたことがないのは、開戦前までは輸出向けOEMが多かったからでしょうか?それで開戦前になって欧米への輸出が止まったので仕向け先を国内と東南アジアにして「東洋特専興業」なんかに換えたのであれば、何となくつじつまが合うような(笑)
入手先は神奈川県の秦野からです。4インチの何の変哲もないマンハイムタイプ計算尺で、見るからに戦前のHEMMI No.30のコピー。戦前尺ゆえにCI尺はありませんので表がA,[B,C,]D の4尺、裏が[S,L,T,] の3尺です。上部には4インチまでのインチスケール、下固定尺側面には10センチのメトリックスケールが打たれています。カーソルは軽合金にメッキを掛けた金属枠にガラスを嵌め込んだもの。ケースは戦後の薄い物より幾分ましな茶色の牛革ケースが付いています。しかしこの皮ケースが仇となってまんべんなく湿気を引いたためかバックプレートのアルミが腐食して崩壊寸前でした。裏の目安線カーソル窓は、HEMMIのNo.30同様に一カ所です。換算表は英語です。上のスケールがインチであるのにも係わらずmade in Japan刻印はどこにもありません。「理研光学工業 発売」の刻印位置は奇しくも後の「東洋特専興業」刻印と同じく裏側にオフセットされた状態で打たれているのが「関係性」を臭わすような(笑)
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