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May 30, 2007

理研光学工業発売の4"計算尺

 リコー創業者市村清の計算尺製造への参入は、出身地である佐賀県の孟宗竹を使用して地元の産業振興を図るという意味合いが強かったと思われます。ところが当方も勘違いしていましたが市村清が計算尺製造の会社として昭和10年12月に設立した日本文具という会社は市村の個人会社であって、翌年2月に設立される理研感光紙株式会社よりわずかに早く、しかも理研コンツェルン傘下の会社ではないのです。理研感光紙は理化学研究所の大河内所長の好意により市村に経営を任されますが、市村が社長というわけではなく大河内が会長で社長が空位、市村が専務という役員構成でした。さすがに直参ではない言わば足軽上がりの市村をすぐに一刻一城の主にすえることは他の役員の手前憚られたのでしょう。理研感光紙は翌昭和12年3月に理研光学工業株式会社となり、感光紙の他に買収した旭物産のオリンピックカメラを始め、後に護国/リコールなどのベスト版フォーカルプレーン式カメラなどの生産に乗り出しますが、他の理研系企業の役員を兼任していた市村が理研トップの大河内と他の理研系役員との意見の衝突から理研系企業のすべての役員を辞し、結局理研光学系三社が理研コンツェルンから独立したのは昭和17年のことのようです。その間、計算尺製造の日本文具は昭和15年に東洋特専興業株式会社に名前を変え、戦後の昭和23年に日本計算尺株式会社に名前が変わるまで戦中戦後を通して東洋特専興業の刻印の入った計算尺を製造しています。そのため、理研コンツェルン傘下の企業として計算尺の製造には直接手を染めていないのにも係わらず、個人企業である日本文具の計算尺を理研光学の感光紙販売のルートに乗せるため、「理研光学工業株式会社 発売」の刻印を入れて販売されたものが今回入手した4インチマンハイム型計算尺なのでしょう。いままで東洋特専興業の刻印の入った計算尺は何点か目にしていますが、日本文具という刻印が入った計算尺を見ないのはこういう所に原因があったのかもしれません。
 リコー創業者の市村清に関しては数々の評伝がネット上にもあり、詳しくはそちらの方を参照していただくとして、少年から青年時代には紆余曲折があり相当苦労の連続だったようです。苦学して叩き上げで上り詰めた銀行重役の席を金融恐慌で失い、そこから生命保険の一勧誘員から再度身を起こし、理研感光紙の売り上げトップに立つ代理店経営から理研コンツェルンの重役に抜擢されるのですが、割と官僚主義的と思われる理研コンツェルンの役員の中には、木下藤吉郎的な市村の出世に対してそれを快く思わない敵も多かったようです。その市村ですが、感光紙販売の拡大でますます大河内の信任を得、複数の理研コンツェルンの経営に参画しますが、日米会戦後、一度その恩人大河内と意見の衝突を起こし、部下を庇って全重役のポストの辞表を提出するのですが、大河内もさすがに市村の才覚を惜しむあまり、理研光学を初めとする3社を理研コンツェルンから分離独立させ、市村に経営を任せることになり、ここに後のリコーグループの基礎が出来ました。
 というわけで、計算尺製造は当初から市村の個人事業であり、理研グループが係わっていないことがお解りだと思います。しかし、その個人事業の製品に理研グループ企業販売の刻印を入れ感光紙販売のルートに乗せるなんざ公私混同も甚だしい気もしますが、やはりそこはちゃんとマージンをしっかり理研光学に落としていたのでしょう。というか、営業形態的にはOEMの走りだったかもしれません。日本文具刻印の計算尺を目にしたことがないのは、開戦前までは輸出向けOEMが多かったからでしょうか?それで開戦前になって欧米への輸出が止まったので仕向け先を国内と東南アジアにして「東洋特専興業」なんかに換えたのであれば、何となくつじつまが合うような(笑)
 入手先は神奈川県の秦野からです。4インチの何の変哲もないマンハイムタイプ計算尺で、見るからに戦前のHEMMI No.30のコピー。戦前尺ゆえにCI尺はありませんので表がA,[B,C,]D の4尺、裏が[S,L,T,] の3尺です。上部には4インチまでのインチスケール、下固定尺側面には10センチのメトリックスケールが打たれています。カーソルは軽合金にメッキを掛けた金属枠にガラスを嵌め込んだもの。ケースは戦後の薄い物より幾分ましな茶色の牛革ケースが付いています。しかしこの皮ケースが仇となってまんべんなく湿気を引いたためかバックプレートのアルミが腐食して崩壊寸前でした。裏の目安線カーソル窓は、HEMMIのNo.30同様に一カ所です。換算表は英語です。上のスケールがインチであるのにも係わらずmade in Japan刻印はどこにもありません。「理研光学工業 発売」の刻印位置は奇しくも後の「東洋特専興業」刻印と同じく裏側にオフセットされた状態で打たれているのが「関係性」を臭わすような(笑)
Riken_4

Riken_4_1

戦前理研光学工業発売4"マンハイム尺表面拡大画像はこちら
戦前理研光学工業発売4"マンハイム尺裏面拡大画像はこちら

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May 25, 2007

トマト支柱アンテナの寿命

 6mの本格的なEスポシーズンを控え、相変わらず今シーズンもトマトの支柱で自作した2エレのHB6CVとIC-551の10WでのQRVとなりますが、最近接触不良と思われるSWRが上がったり下がったりという症状とCWで特定のTVチャンネルに急にIを来すようになり、とりあえず点検のために屋根に登りました。一月前は何の異常もなかったトマト支柱アンテナですが、驚いたことに樹脂の皮膜がひび割れて下地の鉄がまんべんなく赤錆ているところが出ているのを発見しました。このトマトアンテナは3シーズンに渡って活躍してくれ、フェージングの谷間でバーチカルアンテナでは落ちるとまったく聞き取れない信号でもそこそこ復調可能で、50メガのJCCをWKDで200そこそこから440近くまで伸ばしてくれた立て役者でした。2シーズンも使わないうちにおそらく大風でバラバラになってしまうのではないかという予想を覆して瞬間最大風速32メートル以上の突風にも耐えたトマトの支柱アンテナでしたが、3シーズン目突入となりどうやら「寿命」となったようです。トマトの栽培などに使用される園芸用支柱は鉄のパイプの上に緑色の樹脂を被せたものですが、ホームセンターあたりで1本80円くらいで売られているものは中国製で、おそらく屑鉄を再生して作ったものか品質があまり良くなく、樹脂を剥がすと最初から錆びている物などが見受けられます。また樹脂の耐紫外線性能もまったく考慮されていないようで、内部の錆と樹脂の紫外線劣化で被膜にヒビが入り、そこから雨水も浸入して接合部の接触不良を来していったものだと思います。本来、アンテナ用として風雨に何年もさらすことを目的に作られた物ではありませんが、その点は1本だけエレメントに混じって使用していた値段が倍以上する「タキロン」という商標の日本製園芸用支柱は紫外線で樹脂の退色があるもののまったくひび割れたりしていません。ただし樹脂部分と中の鉄パイプが中国製のものより固く、工作加工性が悪いのが難点です。
 屋根から降ろしたトマト支柱HB9CVは接合部分をバラして見るとここにも水が回ったらしく導電コンパウンドが錆で泥のように茶色になっています。当初この泥のような導電コンパウンドを洗浄して内部を割り箸に紙ヤスリを巻いた物で磨き、導通の回復を図ろうとしました。しかし高周波はやっかいなもので、SWRが下がったと思って外に出して取り付けるとまたダメになったりを繰り返しましたが、接合部が多いためにきりがありません。すでにEスポシーズンに突入してますので1日でもアンテナのない状態は耐え難く、結局は昨年3エレのHB9CVを作りながら重量過多で上げるのを諦めてしまったエレメント部分を引っ張り出して載せ替えることで解決しました。3エレ用に作り、今までの物より同調点を少し下げるように寸法だししたアンテナなので50.200付近ではSWRが1.5未満にはなっていませんが、何せ調整点が多くて再度調整するには半日仕事になってしまうんだよなぁ(^_^;) 今の季節にそんなこと悠長にやってられませんからしばらくはそのまま使います(笑)
 とはいえ、今週になってハイバンドのEスポ伝搬ははかばかしくなく、6mの8エリアに限っては今週は23日水曜日の夕方に突発的に1,2,3エリアが短時間開いただけで後は静かなものでした。そろそろ朝夕に連日開いてもよさそうな物ですが、やっぱりサイクルの谷間から少しだけ登っただけの状況を反映しているのでしょうか?

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May 24, 2007

炭鉱用携帯バッテリーランプ

 炭鉱の坑内で可燃性ガスの引火の危険のない安全な灯火具として蓄電池式の安全灯を考案したのはかの発明王エジソンでした。それというのも2人の熱心な鉱山技師の熱意に押される形で坑内で働く炭鉱夫の安全のためにこの蓄電池式安全灯の発明に至ったようです。Honda_bl_1 エジソンが発明したのは実は彼が以前に発明していたアルカリ蓄電池の鉱山用へのアレンジだったようですが、形態としては現代の鉱山用キャップランプ同様にバッテリー部分とコードでランプ本体に繋がっている蓋の部分が分離する2分割構造で、坑内で分解されないようにバッテリーと蓋の部分がロックされ、地上で専用のキーを使わないと分解できない構造になっています。さらにランプ本体も分解には特殊なキーが必要で、万が一ランプのガラスを破損させた場合には可燃性ガスに引火するのを防ぐため電球がスプリングで飛びだす構造になっているようです。我が国では大正時代の中期くらいから大手の炭鉱で輸入のエジソン蓄電池式キャップランプが使用されるようになり、その明るさと手軽さによって明かりとしてのウルフ揮発油式安全灯を駆逐していきます。昭和に入ると国産の蓄電池式キャップランプが作られるようになり、その代表格が湯浅(YUASA)、日本電池(GS)、本多(HONDA)などの蓄電池式キャップランプでした。炭鉱用の蓄電池式キャップランプは、使用している電池の種類により鉛蓄電池式とアルカリ蓄電池式の2タイプがあり、それぞれ電極1対の電圧が2Vと1.5Vの違いがあります。また前者は完全放電すると寿命が縮まり、後者は逆に完全放電しないとメモリー効果で持続時間が低下するなどの違いがあって、取扱の方法が異なります。通常は使用後のキャップランプを使用者自身がセルフサービス式といわれる充電台のマウントにランプ部分を引っ掛けることにより充電が開始されるようになっており、大きな炭鉱では60人用や100人用の充電台が何基も安全灯室という部屋に設置されていました。
 本多式の本多商店は明治時代からの灯火器関係製造・販売元で、当初は鉄道用の灯火から始まり、徐々に炭鉱用のカンテラなどの製造に乗り出します。国産のウルフ揮発油式安全灯も製造しており、戦後になっても簡易メタンガス検知機として本多式ウルフ安全灯は製造し続けられます。しかし、炭鉱が斜陽になると鉱山関連用具の需要も減り、現在は安川電機の子会社化して名前も本多電気から本多産業に変わり、産業用ロボットやポンプなどの販売に事業がシフトしてます。実は我が町にも営業所が存在します。
 さて、その炭鉱用蓄電池式安全灯ですが、キャップランプ式のほかに携帯式のランプがあり、かの英国でも手提げの油灯式安全灯に換わって同様な形態の筒型蓄電池式安全灯が各種作られています。日本ではその筒型蓄電池式安全灯は本多商店などで製造もされましたがまったく普及せず、坑内の個人用灯火器としてはキャップランプが炭鉱と金属鉱山を問わず使用されました。しかし、採炭だけではなく設備の点検などに手持ちの灯火が必要であり、安全上の見地から防爆構造の手提げ灯が作られたのが今回の手提げ安全灯です。この手の防爆安全灯というのは油灯式の時代から可燃物を積載する船舶などでも使われ、火薬類を扱う軍艦は言うに及ばず可燃性ガスの発生する商船や粉塵爆発の可能性のある粉体輸送船などにも備え付けていたようです。そのために本来は炭鉱の坑内で使われるべき英国オルダムのカンテラ型蓄電池安全灯が外国船の出入りする港町あたりから出てくることもあるようです。今回の本多製バッテリーランプも道南の港町から出てきたもので旧運輸省の認定番号の銘板がありました。おそらく船舶関係の備品にされていたものなのでしょうが、炭鉱で使用されるものと同一です。ランプの筐体はむやみに分解できない炭鉱のキャップランプと同一でバッテリーケースも現場で分解されないように特殊なキーが必要なロックタイプになっています。このキーボルトがウルフ燈みたいに四角柱だったらラジオペンチで頭をつかんでひねる事は出来るのですが、このバッテリー灯のロックボルトは正三角形の断面の三角柱でした。これじゃペンチでつかんでひねることもできません(T_T) どうやってこの三角ボルトをひねろうかと頭を悩ませていたのですが、何と電気工事用のリングスリーブの小が似たようなサイズであることを発見。このリングスリーブをプラハンマーで打ち込むと ボルトの正三角柱を包み込むように変形してくれ、外に飛び出した部分をペンチで反時計方向にひねるとポコンという音と共にロックが外れて蓋とバッテリーケースの部分が分離しました。中には四角いアルカリ蓄電池が2コ横に納められており、電極を繋いで直列3.0Vでランプを点灯させているようです。鉛蓄電池式は電極直列で4.0Vのようですから互換性はありません。キャップランプの場合はキャップランプ本体を充電架にセットすることでコードを通じて電池本体を充電しますが、このバッテリーランプはランプ本体が分離しないためにセルフサービスの充電台には掛かりません。おそらく電池部分をキーで外して充電のコードが伸びた充電用の蓋でも取り付けて充電したのでしょうか?
 おまけに炭鉱にベークライト製のヘルメットが導入される前に使用されていた布製坑内帽を紹介しておきます。Kounaibou_1 これは大正末期から戦後に掛けて炭鉱や鉱山で広く使われていたもので、前方にキャップランプを取り付けるプレートが布の帽子に装着されており、2重に仕込まれた天井パッドと共にそのプレートが頭部の保護の役目をしているものです。このような布の坑内帽の他にも外国の保護帽をコピーしたカッパ型などといわれる頭の天辺にキャンパスを樹脂で固めて積層にしたお皿を被せたような坑内帽もありました。入手した布製坑内帽は別子銅山が閉山したのち、会津のほうの住友系鉱山に移られた「先祖代々の友子」という方から譲っていただいたもので、キャップランプを取り付けるプレートに大きな住友のマークを剥がしたあとがありました。なんでも坑内のバッテリーロコの運転掛かりの人から譲ってもらった物らしく、もちろん閉山時までこのような物が使用され続けていたわけではありません。金属のプレートに製造所の刻印がありまして、それによると筑豊は直方市の三ツ星坑帽製作所という筑豊ローカルの会社が周辺の炭鉱用のために作っていた物のようです。北海道あたりの炭鉱は大会社が多かったからかタニザワの保安帽あたりが早くから使われたようですが、筑豊の小炭鉱あたりは昭和30年代になるまでこのような物が使われ、租鉱権炭鉱でも古洞の残炭あさりのようなヤマでは布製坑内帽にカーバイドランプの裸火を使用していたような所も見受けられたようです。

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May 18, 2007

HEMMI No.251レイトタイプのごく初期型

 何か古そうな両面計算尺と明らかにNo.2664Sの2本が混じった、まるで内容物の種類に脈絡のないがらくた一式を入手してしまいました。中には小型の鉄瓶、陶枕、昔の駆虫剤のアルミ缶まで含まれてます(苦笑)。まったく画像が不鮮明で表側の尺の本数くらいしか判断材料が無く、さすがに今回はまったく型式の判断が付かなかったために一種のバクチになりましたが、届いた両面計算尺はかなり古いHEMMIのNo.251でした。スリムな姿から戦前の両面尺ならいいなぁと思ってはいたのですが、残念ながらNo.251でも尺のレイアウトが異なる昭和20年代のアーリータイプではなくレイトタイプじゃあないですか。桜塚やっくんじゃありませんが「がっかりだよ!」と言いそうになりましたところ、よくよく観察すると後のNo.251とは尺配置こそ同一ですが見かけが異なる部分もあり、なかなか興味深い一本になりました。
 No.251は戦後新たに発売された同時期の両面計算尺No.255,No.259同様に初期のモデルと後期のモデルでは型番が同一ながら尺配置の異なることが知られています。平たく言ってしまえばLL尺が表にあるか裏にあるかの違いですが、表にこれがあるなしによってかなり見かけが異なります。おそらくこの3種類の計算尺はある時期に揃ってLL尺を表面に持ってきたのではないかと想像していますが、その時期が正確に何年を境にして行われたということに以前から興味があったのです。
 この後期タイプ(レイトタイプとする)は、PAUL ROSS氏によると1958年すなわち昭和33年あたりからだろうと推測されています。ところが今回のNo.251は刻印が「HF」ですから昭和32年の6月にすでに新しいレイアウトで作られたレイトタイプになっていました。いろいろ過去の物を調べてみると昭和31年製のG刻印のものはアーリーモデルしか出て来ないようなので、おそらく昭和32年の中で変更があったことなのでしょう。No.259に関してはうちのコレクションが「HC」刻印で昭和の32年3月製ながらアーリータイプでした。No.255もNo.259もNo.251もすべて一斉にレイトタイプに製造が切り替わったとすると、もしかしたら年度が切り替わった昭和32年の4月製造分からなのかもしれません。
 さて、そのHF刻印(とはいっても短波じゃありません)のNo.251ですが、以前から所有していた「WA」ですからほとんど末期の昭和47年1月製 No.251と比べると尺配置こそ同一ながら細部がいろいろと異なっておりますので比較してみます。まずπマークがHFの刻印のほうは釣り針のようなJ足付きの古いタイプなのが目を引き、さらに自然対数eゲージマークがεになってます。WAのNo.251はC尺D尺DI尺の2以下の単位にすべて数字が刻印されていますが、HF刻印のものにはなく全体的にすっきりした印象を受けます。HF刻印の物はカーソルが段付きカーソルながら初期型が装着されていますので、カーソルバネが後期の一点で接触しているものではなく2点で接触するタイプです。目盛の切り方には差異が無いようでした。全体的に刻印など少々戦前を引きずった「格好の良い」No.251だと思います。一緒に手に入れたNo.2664Sは刻印が「NB」で緑箱入りの昭和38年2月製。手持ちの昭和39年10月製のものと比べても換算表や尺の固定法などにもまったく差異がありませんでした。もっともNo.2664Sも40年代にはいると換算表から図形がなくなったり換算表がネジ止めでなくなったり形式が表面に刻印されたりしてこの時代のものとは差異が出てきますが、当方はNo.2664Sのバリエーションを全て集めてみようなどというコレクターではありませんので念のため(笑)
Hemmi251hf

HEMMI No.251 昭32.06製表面の拡大画像はこちら
HEMMI No.251 昭32.06製裏面の拡大画像はこちら
参考までに
HEMMI No.251 昭47.01製表面の拡大画像はこちら
HEMMI No.251 昭47.01製裏面の拡大画像はこちら

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May 17, 2007

HEMMI No.P265ビジネス用計算尺

 昭和30年代末期に発売された商業用計算尺のことに関しては以前に書いてます通り、外貨の換算機能があったために日本における変動相場制実施とイギリスポンドの10進法移行により昭和46年早々からこれらの機能が無意味になるのを見越して作られたと思われる計算尺がこのHEMMI No.P265ビジネス用計算尺です。英ポンド換算尺が消えて単位と時間の換算尺に置き換えられたような計算尺ですが、特筆すべきはNo.P263がベストセラーであるNo.P253と同じボディを使用していたのにも係わらずまったく新しい上下の固定尺と滑尺の長さがまったく同じプラのボディになったことです。おそらく山梨の技研が製造に係わったと思われますがベースはFUJIのNo.102あたりでしょう。FUJIのNo.102は片面計算尺ですが、HEMMIのNo.P265は両面を使用しますので当然の事ながら両面使えるカーソルが付属します。このカーソルはHEMMIのものとしてはあまり見ない3本ネジを使用しているカーソルです。昭和40年代半ばのHEMMI製プラ計算尺の多くが薄いブルーの成形色の滑尺を備えますが、このP265もご多分に漏れず滑尺が薄いブルーです。
 このHEMMI No.P265 ビジネス用計算尺は計算尺末期に差し掛かった頃に発売されたことと、ビジネスの現場には卓上電卓がすでに普及し始めていたこともあり、他の専門分野の計算尺と異なり、あまり売れなかった部類の計算尺のような気がします。そのためか各地の文房具店のデッドストックとして未開封新品で発掘される計算尺の代表格であり、かえって中古で出てくるケースの方が珍しいような気がします。一時はNo.P263コマーシャルよりいい値段がしていたようですが、最近は牛の涎のようにつぎつぎと出てくる関係で相場が下がり、1,000円くらいに落ち着いてきましたので、やっと我が手中にもP265が落ちました。あまり使用された形跡はありませんが開封品の中古です。未開封品を入手したらスキャナーに掛けられませんから(笑)発掘場所は栃木は宇都宮で、製造刻印は「S1」ですから昭和43年の9月。No.P265としてはごく初期の生産ロットなのかもしれません。手に持った最初の印象は、P263などよりも更に薄いということでした。実際にNo.P263よりさらに薄く厚さは4ミリほどしかありません。驚いたことにこの初期の生産ロットと思われるこのP265の固定尺を繋ぐブリッジは、よく知られている鮮やかなアイスブルー色ではなく、滑尺と同じブルーグレーの成型品になっています。こんなP265は始めて見ました。固定尺の上下には両方とも溝が切られていてカーソルの突起がその溝に嵌って左右に移動するのはFUJIのNo.102同様の手法です。どちらにしてもこのNo.P265はヘンミらしいところがまったく無く、FUJIの計算尺そのものではないでしょうか?
 内容的にP263との相違点は外貨換算機能とダースの換算などを省略し日数の計算機能の他に月日と曜日の換算機能と時間の換算機能が強化されています。更に単位の換算機能は全て日本語で単位が刻まれたので直感的に操作が可能になりましたが、まさかこの計算尺がこのまま輸出に供されたわけではないでしょうから国内専用の計算尺ということになります。商業分野の計算は双方とも複利の計算、利益率、成長率などの機能を備えて同等です。キャッチフレーズは「ビジネスマンのハンド・コンピューター」ですが、どちらにしても今のご時世、ビジネスの世界に再登場出来るようなビジネスツールではありません(笑)
Hemmip265

HEMMI No.P265ビジネスの表面画像はこちら
HEMMI No.P265ビジネスの裏面画像はこちら

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May 16, 2007

NTT東日本・回線障害の影響

 昨日、18:35頃にフレッツADSL経由でnifのメールサーバをチェックし、風呂に入った後19:20分頃からインターネットにアクセスしようとしても回線が繋がりません。以前にも1度ありましたが、当初は下の階に置いてあるADSLモデムの電源が抜けたのかと思って点検しに行くとちゃんと電源が入ってます。それなら何かの拍子にアクセスの情報を飛ばしてしまったのかと思い、再度接続情報を入れ直してアクセスしても「接続に失敗しました」のアラートしか出てこないのです。もうこうなったら意地ですから窓機とMacのLANを組むために購入しながらしばらく放ってあったバッファローのブロードバンドルーターを用意して接続のウィザードに従って設定を行い、プロバイダにアクセスしようとしてもエラーが出てアクセス不能。結局ADSLモデムでの単独の接続に繋ぎ直して再度アクセスしても結局回線は繋がりませんでした。これはブロバイダ側のサーバーが何らかの理由でトラブルを起こしたのではないかと考え、電話回線でダイヤルアップにて接続し、情報を取ろうとしても今の時代、何処のプロバイダでもダイヤルアップサービスなんか終了してしまってます。結局1時間くらいすったもんだの末に20:30のNHKラジオで「東日本から東北・北海道の広範囲にわたり、NTT東日本のBフレッツと光電話・フレッツADSL・ISDNの回線に障害が発生し、接続しにくくなっている」という報道が流れ、始めて回線業者側のサーバトラブルか何かによる接続回線の障害と判明。むだに費やした1時間を返せ!!!<NTT東日本(−_−#)
 その後も15分おき位にそろそろ障害も回復したかと思ってアクセスするたびに繋がらず、オークションの終了時間のゴールデンタイム21時台にもまったく入札できず、嘘のようにインターネット回線に再度接続できたのは22:40頃でした。21時台から22時台にかけてのウオッチリストはすでにすべて終了してました。やはり入札不能に陥った人が多かったからか落札相場が1万円を超えるのが普通の物が開始価格の1,800円で終了などというものが目白押し。WEBでニュースなどを見ると回線数で実に数百万回線が不通になり、その間に光電話では当然の事ながら110番も119番も使用できなくなったと言うことです。まあ、ブロードバンド回線がダウンしても携帯電話網が生きていれば事足りるのでしょうが、やはりサーバートラブルなどを考えてしまうと光電話のサバイバビリティは普通の音声電話の回線に比べると「低い」としか言いようがありません。それなのに最近はADSL混在との解消を目指してかNTT直接もしくはNTTの代理店と称するところからのBフレッツへの変更の勧誘が続いています。
 しかし、契約上の免責事項に「回線不通の際に生ずる附帯的な損害を弁済しない」などという一文がどうせ入れられているのでしょうが、今回の数時間に渡るブロードバンド回線の普通は直接的、間接的にどれくらいの損害を生じたのでしょうか?

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May 14, 2007

28メガのラジアル修理完了

 ハイバンドの伝搬コンディションが上がる時期が昨シーズンよりも早くなっているようです。これは交信する局が例外なく共通に漏らす感想なので、どうやら当方が感じているだけのことでは無さそうです。4月は8ではまだ雪の積もる14日に6mが開いたきりで、オールJAの時もGWのときも6mは宮崎ビーコンすら聞こえず、これは5月も20日を過ぎないとダメだろうなんてローカルと噂をしあっていたのですが、GW明けの8日ごろから急にハイバンドの伝搬が好調に転じたようです。特に10日は夕方から18時くらいに1エリアが開き、12日13日の週末もかなりのコンディションに恵まれました。主に午前中10時くらいまでがかなり広いエリアに渡ってEスポ伝搬が楽しめたようですが、夕方までどこのエリアかが必ず聞こえていたというような状況だったようです。12日13日共々6mのピークを過ぎた頃にのこのことリグに向かったため、あまり局数は出来ませんでしたが、その分24メガと28メガの方から主にCQを出していました。
 ところで、垂直のマルチバンドアンテナの28メガ用のラジアルが1月の大風でアンテナごと倒れたおかげで破損し、短縮コイルから先が分断したまま修理もせずそのままになっていたのですが、28メガが入感し始めたこともあり土曜日にようやく修理にかかりました。2つに折れたパイプの断面を丸く成形し、中にぴったり収まる7.5センチ長のアルミパイプを根本に打ち込み2本のパイプを接合するという方法であっけなく修理完了。接合部にはもちろん防水のためテープ巻を施しておきます。この接合作業が完了したラジアルをアンテナ本体にねじ込み、中心周波数が28.50付近になるように長さを調節し、SWRもチューナー無しで1.2以下に追い込んで調整終了。ラジアルが無いとSRWが2.8くらいだったものが見事に整合が取れました。試しに翌13日、10W機のTS-830Vでそのまま10Wの出力で28.568の周波数でCQを出すと、1エリアから2エリアに掛けての局に次々に呼ばれ20分で7局ほどと交信できました。やっぱりEスポが出ているときは6m同様に10mも50Wなんて出力は必要なく垂直アンテナの10Wで国内は十分のようです。そういえば13日は電離層反射の悪戯で近接Eスポがあったらしく、こちらでもほんの1分間ほど21メガで同じ8の釧路管内標茶の局がメーター振り切れで7エリアの局を呼んでいるのが聞こえた事があります。やっぱ5月は50メガにしても21メガにしても近接Eスポに要注意である月なので、ヒマがあったらワッチだけは欠かさないようにしなければいけません。でもそのおかげで見ていないドラマの録画が溜まる一方なんだよなぁ(^_^;)

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May 08, 2007

28メガAMキロワット局?

 6mが開き始めるのはもう少し先の事だろうとたかを括っていたら、本日はかなり長時間に渡って6mがオープンしたようでした。今日は昼までに地元の裁判所に提出する書類の作成と発送というまったく臨時の手間が入ったため、朝からそれにかかりっきりだったのですが、11時頃に簡易書留で提出書類の発送を終え、帰ってきてから何気なくIC-551のスイッチをいれるとJA6YBRビーコンがメーター振り切れで入感しているではありませんか(@_@;) SSB帯の周波数に上がると主に鹿児島と熊本の局がいくつかメーター振り切れで入感してます。慌てて熊本の局にコールバックを入れましたが、この局は先日のオールJAコンテストで始めて14メガで交信した方で、2バンドのQSOとなりました。話を聞くと朝からの日差しが照りつけて28度まで気温が上がっているとのこと。我が町ではやっと桜が咲き始め、札幌では満開になったということをお話ししたら少し驚いておられたようでしたが。このときすでにコンディションが落ちかけていたようで、フェージングがかなり深くなり、こちらの10Wの信号は落ちると殆ど聞こえないようになったということで交信終了。その後、試しにCQを掛けると毎年交信している岡山の局からコールバックがあり交信成立。このときCQLOGのデータをデュープで登録してしまったために一件削除しようとして誤って登録番号のフィールドごと削除してしまい、その修復に何と1時間かかりっきりになってしまってその後はYBRビーコンは聞こえてもSSBでCQを掛けている声は我がトマトの支柱の2エレアンテナでは聞こえませんでした。
 デルタデンマークエックスレーが27メガで聞こえるのではないかと思って試しに受信機で聞いてみるとあれだけの取り締まりにもかかわらず相変わらずバンドの切れ目無く出てますなぁ(^_^;) しかし最近は電波探索よけに違法CB機の水晶を全部入れ換えて28メガのアマチュア帯に改造するのが流行らしく、3〜4年前まで28メガ帯にAM局が出てくるのは稀だったのに最近はバンドプランも関係なく出没するようで、特にSSB帯でよく使われる28.500近辺で抑圧の混信を掛けてくるのが特に迷惑です。もっともDURASよけの為だけに27メガから28メガに移動してきた人たちですからやってることは27メガの違法CB時代と変わりなく、28メガでもキロワット級のパワーでお互いに潰し合いでもしているんでしょうか?秋から冬にかけてのうるさい中国の違法FM電波といい28メガも住み難いバンドになったものです。また国際的にも「日本の28メガアンカバキロワットを何とかしろ」などと抗議が入らないうちに何とか対策が出来ないものでしょうか?違法CB機は水晶の入れ換えをして28メガアマチュア帯に改造したところでスプリアスの強度など技術基準に適合出来るとは到底思えないんですが…

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May 06, 2007

銀接点の腐食?

 季節はハイバンドがそろそろ好調になり始める5月に突入しましたが、巷のQSOをタヌキして情報を聞いていても昨年に輪を掛けてコンディションが上がらないという話ばかりです。6mの伝搬状況もここ8エリアでは宮崎大のビーコンが聞こえることさえ稀で、21メガ辺りも広く開ける時間帯が昨年よりさらに少ないことも実感されます。29日のオールJAコンテストも21メガ以上はここ8エリアではまったくダメだったようで、14メガも午前8時台までは1エリアが何とか限定的に開いていたものの、その後は低調に推移したようです。なんかサイクルのボトムに近いところのコンテストは参加人数も減少するような…。いつもコンテストの14メガにいる常連さんのコールが少なかったのは、当日のコンディションのせいだけではあるますまい。
 GW中もあまり良いコンディションではありませんでしたが、5日土曜日の午前中に限っては21メガが広範囲に開いたようで賑やかだったようです。さらに夜になっても18メガから下のバンドでも国内局が良く聞こえたりして、いくらサイクルのボトムからさほど経過していない状態でも夏至に向かって少しずつコンディションが上昇基調にあるのでしょう。試しに去年のログを調べると、当地で24メガが夕方からオープンしだしたのがちょうど今頃、50メガが本格的にオープンし始めたのが20日に近かったようです。その前年は5月10日頃から50メガが本格的にオープンし始めています。それを考えたらそれほどあせることもないかな?
 5日夕方、ある5エリアの記念局が10メガでCQ出してまして、10メガというとやはり絶対的な人口が少ないため、殆ど聞こえる範囲の局が交信済となったためか、ちっとも応答する局がありません。それでFT-101ZDのほうに火を入れ、KATUMIのエレキーEK-150に繋いだマニピュレータでコールバックを打ったのですが、何か短点の出方が変で、短点が出なかったりする症状が出ました。何とかごまかして交信を成立させ、ダミーに切り替えて符合を打ってみても短点も長点も出たり出なかったりするわけで、一番最初に頭に浮かんだ理由はやはりどこかの接触不良。マニピュレ外して単独でEK-150を使ってもまったくその症状が出てこずにきれいな符合を打ち出します。そこでもしやと思ってマニピュレの長点・短点の接点を外してみると黒い皮が被ったように酸化していて、どうやらこれで接触不良の兆候が出たようなのです。縦振り電鍵にはこんな症状が出たことがないので、考えてみたらどうやら縦振りの電鍵はしばらく使わなくてもカチカチとある程度力が掛かってオペレートすることで、たとえ銀接点に黒い酸化皮膜が生じようともセルフクリーニングの効果を生じるのに対して、横振りのマニピュレは左右に接触させることしかしないため、このセルフクリーニングの効果を生じないのでしょう。また、長い間シャックの飾り物になっていたMK-702だったため、譲ってもらった当初から酸化皮膜を生じていたのでしょう。それをそのままクリーニングしないで使っていたほうも悪かったのですが。また、あまり直射日光に当てておくのも良くないのかな? 処置としては外した本体側の接点を、CRC-556をしみ込ませたケント紙の上で転がし、レバー側の接点も同様に磨くと接点もピカピカになり、組立直すと嘘のようにきれいに動作するように…。しかしこのように動作するのが当たり前の物が動かない原因は案外こんな単純な所にあるのかもしれません(^_^;)

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