炭鉱用携帯バッテリーランプ
炭鉱の坑内で可燃性ガスの引火の危険のない安全な灯火具として蓄電池式の安全灯を考案したのはかの発明王エジソンでした。それというのも2人の熱心な鉱山技師の熱意に押される形で坑内で働く炭鉱夫の安全のためにこの蓄電池式安全灯の発明に至ったようです。 エジソンが発明したのは実は彼が以前に発明していたアルカリ蓄電池の鉱山用へのアレンジだったようですが、形態としては現代の鉱山用キャップランプ同様にバッテリー部分とコードでランプ本体に繋がっている蓋の部分が分離する2分割構造で、坑内で分解されないようにバッテリーと蓋の部分がロックされ、地上で専用のキーを使わないと分解できない構造になっています。さらにランプ本体も分解には特殊なキーが必要で、万が一ランプのガラスを破損させた場合には可燃性ガスに引火するのを防ぐため電球がスプリングで飛びだす構造になっているようです。我が国では大正時代の中期くらいから大手の炭鉱で輸入のエジソン蓄電池式キャップランプが使用されるようになり、その明るさと手軽さによって明かりとしてのウルフ揮発油式安全灯を駆逐していきます。昭和に入ると国産の蓄電池式キャップランプが作られるようになり、その代表格が湯浅(YUASA)、日本電池(GS)、本多(HONDA)などの蓄電池式キャップランプでした。炭鉱用の蓄電池式キャップランプは、使用している電池の種類により鉛蓄電池式とアルカリ蓄電池式の2タイプがあり、それぞれ電極1対の電圧が2Vと1.5Vの違いがあります。また前者は完全放電すると寿命が縮まり、後者は逆に完全放電しないとメモリー効果で持続時間が低下するなどの違いがあって、取扱の方法が異なります。通常は使用後のキャップランプを使用者自身がセルフサービス式といわれる充電台のマウントにランプ部分を引っ掛けることにより充電が開始されるようになっており、大きな炭鉱では60人用や100人用の充電台が何基も安全灯室という部屋に設置されていました。
本多式の本多商店は明治時代からの灯火器関係製造・販売元で、当初は鉄道用の灯火から始まり、徐々に炭鉱用のカンテラなどの製造に乗り出します。国産のウルフ揮発油式安全灯も製造しており、戦後になっても簡易メタンガス検知機として本多式ウルフ安全灯は製造し続けられます。しかし、炭鉱が斜陽になると鉱山関連用具の需要も減り、現在は安川電機の子会社化して名前も本多電気から本多産業に変わり、産業用ロボットやポンプなどの販売に事業がシフトしてます。実は我が町にも営業所が存在します。
さて、その炭鉱用蓄電池式安全灯ですが、キャップランプ式のほかに携帯式のランプがあり、かの英国でも手提げの油灯式安全灯に換わって同様な形態の筒型蓄電池式安全灯が各種作られています。日本ではその筒型蓄電池式安全灯は本多商店などで製造もされましたがまったく普及せず、坑内の個人用灯火器としてはキャップランプが炭鉱と金属鉱山を問わず使用されました。しかし、採炭だけではなく設備の点検などに手持ちの灯火が必要であり、安全上の見地から防爆構造の手提げ灯が作られたのが今回の手提げ安全灯です。この手の防爆安全灯というのは油灯式の時代から可燃物を積載する船舶などでも使われ、火薬類を扱う軍艦は言うに及ばず可燃性ガスの発生する商船や粉塵爆発の可能性のある粉体輸送船などにも備え付けていたようです。そのために本来は炭鉱の坑内で使われるべき英国オルダムのカンテラ型蓄電池安全灯が外国船の出入りする港町あたりから出てくることもあるようです。今回の本多製バッテリーランプも道南の港町から出てきたもので旧運輸省の認定番号の銘板がありました。おそらく船舶関係の備品にされていたものなのでしょうが、炭鉱で使用されるものと同一です。ランプの筐体はむやみに分解できない炭鉱のキャップランプと同一でバッテリーケースも現場で分解されないように特殊なキーが必要なロックタイプになっています。このキーボルトがウルフ燈みたいに四角柱だったらラジオペンチで頭をつかんでひねる事は出来るのですが、このバッテリー灯のロックボルトは正三角形の断面の三角柱でした。これじゃペンチでつかんでひねることもできません(T_T) どうやってこの三角ボルトをひねろうかと頭を悩ませていたのですが、何と電気工事用のリングスリーブの小が似たようなサイズであることを発見。このリングスリーブをプラハンマーで打ち込むと ボルトの正三角柱を包み込むように変形してくれ、外に飛び出した部分をペンチで反時計方向にひねるとポコンという音と共にロックが外れて蓋とバッテリーケースの部分が分離しました。中には四角いアルカリ蓄電池が2コ横に納められており、電極を繋いで直列3.0Vでランプを点灯させているようです。鉛蓄電池式は電極直列で4.0Vのようですから互換性はありません。キャップランプの場合はキャップランプ本体を充電架にセットすることでコードを通じて電池本体を充電しますが、このバッテリーランプはランプ本体が分離しないためにセルフサービスの充電台には掛かりません。おそらく電池部分をキーで外して充電のコードが伸びた充電用の蓋でも取り付けて充電したのでしょうか?
おまけに炭鉱にベークライト製のヘルメットが導入される前に使用されていた布製坑内帽を紹介しておきます。 これは大正末期から戦後に掛けて炭鉱や鉱山で広く使われていたもので、前方にキャップランプを取り付けるプレートが布の帽子に装着されており、2重に仕込まれた天井パッドと共にそのプレートが頭部の保護の役目をしているものです。このような布の坑内帽の他にも外国の保護帽をコピーしたカッパ型などといわれる頭の天辺にキャンパスを樹脂で固めて積層にしたお皿を被せたような坑内帽もありました。入手した布製坑内帽は別子銅山が閉山したのち、会津のほうの住友系鉱山に移られた「先祖代々の友子」という方から譲っていただいたもので、キャップランプを取り付けるプレートに大きな住友のマークを剥がしたあとがありました。なんでも坑内のバッテリーロコの運転掛かりの人から譲ってもらった物らしく、もちろん閉山時までこのような物が使用され続けていたわけではありません。金属のプレートに製造所の刻印がありまして、それによると筑豊は直方市の三ツ星坑帽製作所という筑豊ローカルの会社が周辺の炭鉱用のために作っていた物のようです。北海道あたりの炭鉱は大会社が多かったからかタニザワの保安帽あたりが早くから使われたようですが、筑豊の小炭鉱あたりは昭和30年代になるまでこのような物が使われ、租鉱権炭鉱でも古洞の残炭あさりのようなヤマでは布製坑内帽にカーバイドランプの裸火を使用していたような所も見受けられたようです。
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Comments
はじめまして。
偶然見つけたこのページですが、なかなか見られない、貴重な史料ですね。谷沢のカッパ型保安帽自体は以前より知っていたものの、布製坑内帽を含め、これに付随するものは初めてでした。
>北海道あたりの炭鉱は大会社が多かったからかタニザワの保安帽あたりが早くから使われたようですが
谷沢の業界シェアは現在4割弱で、これだけでもトップとなるのですが、特に北海道でのシェアが高い理由がここで判りました。
加えて、谷沢が現在保護帽を製造するメーカーとなった理由もまた鉱山に関するところからであり、商社マンで鉱山用の機械を輸入販売していた創業者が「保護帽の国産化ができないか」と考えたところが起源であるそうです。それまではMSAなどの製品を輸入していました。
Posted by: とおりがかり | February 22, 2009 08:13 PM