玉屋/逸見式改良計算尺の謎解き
先代金馬師匠「たがや」の枕に「橋の上 玉屋玉屋の人の声 なぜか鍵屋と言わぬ情(錠)無し」などという江戸狂歌が引用されていますが、花火の玉屋は文化五年(1808)に鍵屋の手代、清七が独立し、新たに花火屋を起こしたものです。それから大川(隅田川)の花火は上流は玉屋が、下流は鍵屋が担当しましたが、清七を改名した玉屋市兵衛は技術が優秀で柳・流星などの新たな花火を次々に考案し、本家の鍵屋をしのいで江戸っ子のハートをがっちりと掴んだようで、そこから花火の誉め言葉というと「玉屋〜」というのが定着したんだそうな。先代金馬師匠は「誉めやすい」と言う点を強調しておりましたが、この玉屋は天保十四年五月(1843)に自宅から出火し、廻りの半町を焼くという「特大の花火」を打ち上げてしまい、江戸から所払いとなってしまったようです。幕府によって強制的に廃業させられた玉屋に対する江戸っ子の「権力への反発心」とか「判官贔屓」いうのもあったのでしょうが、それ以降大川の花火はずっと鍵屋が戦前まで仕切っていたのにも係わらず、相変わらずかけ声は「玉屋〜〜〜〜〜〜〜〜〜(ジュッ)」が続いていたわけです。玉屋の営業期間はわずかに一代35年間でした。「玉屋だと 又またぬかすわ と鍵屋云い」(江戸川柳)
この誰もが知っている花火の玉屋に対して、測量や航海関係の人たちにしか馴染みの無いのが今回の計算尺に係わってくる玉屋です。その創業は何と江戸時代も初期の延宝三年(1675)で、江戸市中は現在の松屋デパート前に玉屋藤左衛門が玉屋の屋号で眼鏡店を開いたのがそもそものルーツらしいです。その玉屋が江戸時代の歴史に名を記しているのは日本全図を作成した伊能忠敬が和時計師大野弥三郎規周の製作した測量器を玉屋を通じて入手した史実などがあります。その時期にしても花火の玉屋が創業する以前の事だといえば如何に歴史のある老舗かということがお解りだと思います。この眼鏡の玉屋は江戸時代約200年間を無事に乗り切り明治の時代にはいると玉屋商店として外国製の測量機器系諸機器の輸入販売を手がけたのを手始めに測量器の国産化に着手、明治26年には度器の製造免許を得、明治34年には千駄ヶ谷工場を建設し本格的な測量機器の製造を開始したのと同時に合名会社玉屋商店に改組しました。昭和7年には株式会社化し池上工場を増設、航海用六分儀などの航海測器も手がけるようになります。昭和58年にタマヤ計測システム株式会社という新会社を立ち上げて営業権譲渡し、現在タマヤ計測システム株式会社は株式会社エプソンの100%子会社です。330年の玉屋の歴史をざっと辿ってみましたが、実は逸見治郎が作り上げた計算尺は当初この玉屋商店が流通に乗せており、欧米に輸出をしたのもこの玉屋商店によってでした。逸見治郎と玉屋商店のつながりに関しては当方もよくわからないのですが、計算尺製造以前に中村測量計器製作所の目盛職人として仕事をした商品が玉屋商店で取り扱われたことでしょう。製造した物を販売ルートに乗せるために逸見治郎が計算尺を銀座の玉屋商店に持ち込んだことは疑いありません。
このあたりの歴史を株式会社ヘンミの沿革から抜粋すると
1895 逸見治郎が計算尺の製作研究に入る(中村浅吉測量器械店)
1909 逸見治郎、竹材(孟宗竹)を組み合わせた計算尺を完成させる
1912 竹材の組合せ合板計算尺の特許を取得(PAT.No.22129)
1917 英仏で特許を取得
1920 中国・米国・カナダで特許を取得
この頃から独逸製計算尺に替わり欧米からの発注拡大
独自の機械切刻法を案出して大量生産を可能とする
1924 大倉龜がロンドンでヘンミ計算尺を目撃する
逸見治郎商店の猿楽町にあった本社兼工場焼失
1925 大倉龜が逸見治郎を尋ね経営参加を申し出る
1926 海外への輸出を考慮した大正15年型計算尺の販売開始
1928 合資会社逸見製作所設立
1929 ユニバーサル(両面)計算尺発売
(商標がJ.HEMMIから"SUN"HEMMIに換わる)
1933 逸見製作所を株式会社に改組
このような経緯をたどって計算尺製造の個人商店から大倉龜の力により製造販売及び輸出まで手がける会社に発展していったことがよくわかると思います。玉屋商店の取扱商品目録にいつ頃から逸見治郎の計算尺が載ったのかは把握しておりませんが、少なくとも1913年発行のものには掲載されているようで、これは国内パテントを取った1年後のことになります。この当時は10"と5"のマンハイム尺本体にカーソル違いのバリエーションしかありませんでした。この玉屋商店の製品目録を見たことがないのでどういう刻印があったか(もちろん図版はイラストでしょうから刻印なんか省略してあったでしょうが)わかりません。これは想像ですが後の「J.HEMMI」という商標は入らずTAMAYAの商標のみで売られていたのではないかと考えます。J.HEMMIと"SUN"の商標が計算尺に刻印されるようになったのはいつ頃からでしょうか?これも想像ですが当初は独自に販売ルートを持たなかった個人商店の逸見治郎はJ.HEMMIの刻印を本体に入れず、「逸見式改良計算尺」という刻印が社名代わりとなり、1917年に英国のパテントが降り、本格的な輸出用として英国パテントナンバーが表に入れられるようになってからJ.HEMMI "SUN"とmade in Japanが始めて表に入れられ、日本国パテントナンバーと逸見式改良計算尺の刻印が滑尺溝のバックプレート部分に移動したのではないでしょうか?まあ、あまりにも見た事のある個体数が少ないので確証はありません。(実はTAMAYA刻印以前で1912年の特許取得以前にJ.HEMMIならぬJ.HENMI.TSUKIJI.TOKYO.JAPANの刻印のものがあるらしく、また特許取得直後でまだパテントナンバーが入らないころに、以前逸見次郎が仕事をしていた中村浅吉測量器械店向けのA.NAKAMURA.NIHONBASHI.TOKYO刻印の逸見式計算尺があるそうな…)
さて、「TAMAYA」の刻印を見かけて入手した今回の計算尺ですが、ケースとカーソルが失われれてました。新しい計算尺だとよっぽど希少な計算尺でもないとカーソル無しの計算尺は食指を動かされないのですが、今回はまったくの別格です。届いた計算尺はカーソルが無いのでNo.1かNo.2として発売されたかは判然としません。表面には「TAMAYA & Co.」と逆文字旧字体で「専売特許 逸見式改良計算尺」と刻まれただけで、J.HEMMI "SUN"のトレードマークもありません。滑尺を抜いた溝に「PATENT No.22129」とのみ刻まれております。このことから製造年代を推測すると1913年から1917年に掛けての製造ではないかと考えられますが、手持ちの1922年頃のNo.2や他の人のコレクション入りしているNo.1あたりと比べると、今回入手の計算尺は何とCD尺に「π」マークが無く、πはAB尺上にだけ刻まれています。まさか刻印を入れ忘れたエラー物ということはないと思いますので、このC,D,尺にπゲージが無いものがかなり初期の逸見式改良計算尺ということが出来ると考えます。又πゲージやMゲージマークの書体や大きさが異なり、1922年頃のNo.2と比較しても数字の大きさや書体などが一部異なります。目盛の機械切刻法で量産されたNo.1よりかなり手作りの部分を感じさせるような計算尺で、これらを総合して推測するとやはり1913年に限りなく近い頃に作られたNo.1かNo.2ということが出来るのではないでしょうか?さらに滑尺を抜いた溝の部分にはスケールが刻まれていますが、単位はメトリックで国内向けのものでした。しかしこのスケールに打たれている数字の打ち方も後のものとは異なっています。
また、この時代の逸見式改良計算尺はどれを見ても竹がむき出しの部分が茶色く、当初は経年変化で茶色に変色したのではないかと思いましたが、表面のセルがまんべんなく焼けて黄色くなっている個体も殆ど新品同様にセルが白いままの個体も同じように茶色い竹がむき出しであり、さらにセルが剥げた部分も似たような色をしていることから、当初は竹の積層合板を元になった外国のマホガニー材の代用と考え、わざわざマホガニー材に見せかける為に竹材を茶色く着色する工程を施していたのではないでしょうか?
まあ、比較する個体も資料も少ないだけにこういう現物を目の当たりにするのは貴重な体験でした。
(追記)2014.4.17
ところで、玉屋扱いの逸見式改良計算尺と同時代と思しき「K.HATTORI」刻印の逸見式改良計算尺が1点、2年ほど前にオークション上に出たことがありました。そのときはあまり気にもしなかったのですが、よくよく調べてみると、K.HATTORIは服部時計店および精工舎の創業者服部金太郎の名前で、逸見次郎は逸見式改良計算尺の販売先として少なくとも中村浅吉測量機械店と玉屋、ならびに服部時計店の三社に仕向け先ネームのいわゆるOEMとして計算尺を卸してしたことになります。さらに服部時計店は1917年〔大正6年)に株式会社化するので、このK.HATTORIのネームは個人商店時代の服部時計店のもので、株式会社化以前に逸見次郎が持ち込んだものに間違いありません。しかし、逸見次郎が逸見式改良計算尺として完成させたはいいが、販売ルート開拓でなかなか苦労していたことが伺われて、なかなか興味深い事実でした。
玉屋/逸見式改良計算尺表面拡大画像はこちら
玉屋/逸見式改良計算尺裏面拡大画像はこちら
玉屋/逸見式改良計算尺滑尺溝拡大画像はこちら
玉屋/逸見式改良計算尺滑尺裏面拡大画像はこちら
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Comments
じぇいかんさん
いつも勉強させて頂いてます。
先日、No.4 を入手したのですが、滑尺下にある「逸見式改良計算尺」の刻印以外に商標の記載がありませんでした。特許の記載は、日本の特許の22129のみ。
ネジ無しの位取りカーソルだったので、J.HEMMIを期待していたのですが。
今晩、WEBに記事を載せる予定ですので、ご興味があればご覧になってください。
Gwankai
Posted by: ぐゎんかい | April 16, 2014 11:28 PM