昭和初期のJ.HEMMI No.1/1
表面にA,B,C,D尺しかないマンハイム型のJ.HEMMI時代の10インチ計算尺は、CI尺を有するいわゆる大正15年型計算尺(旧100系)が加わった後も生産され、大正15年型計算尺が昭和に入ってから間もなくNo.50シリーズに発展的製造中止の後も輸出用として息を長らえ、おそらく昭和10年以降まで生産がなされたような感触があります。No.1/1は何と昭和14年1月の製品定価表にも製造中止の在庫限りの商品として掲載されてますが、ほぼ同じ尺種類の練習用10インチ計算尺のNo.40が昭和14年当時2円80銭だったのに対してNo.1/1は7円80銭、No.50/1が9円ですからわざわざNo.1/1を買う人間もおらず、ずるずると何年も不良在庫化してしまっていたのかもしれません。
ともあれ、逸見次郎が色々な素材で試行錯誤を繰り返しながら計算尺の試作を行っていた時代から一貫して同一のレイアウトの計算尺が開戦直前まで残っていたわけですから、息の長い計算尺であったことは確かです。ヘンミのNo.1はJ.HEMMI時代からJ.が取れた"SUN"HEMMI時代に至るまで大まかに外見の異なるものが2種類知られており、前期型・後期型などと言われているようです。前期型は1912年に限りなく近い時代のNo.1と1922年頃のNo.2を入手してましたが、後期型と言われるNo.1を入手するのは今回初めてとなります。外見的には後期型は尺の左末端にA,B,C,Dの尺種類が刻まれるようになり、マホガニー風に着色されていた竹のむき出しだった裏面がちゃんとセルロイドが被せられるようになりました。更にスケール部分もリベット留めが省略されています。又、0.5刻みで数字の刻印が追加、ラジアンと度分秒変換用ゲージマークが追加などがあり、さらに裏面の補助線窓は前期型がオーバルタイプなのに後期型は「⊃⊂」に変わっています。当然、"SUN"HEMMI MADE IN JAPAN時代の計算尺かと思ってましたら、何とこれでもJ.HEMMI "SUN" 時代のものでした。J.HEMMIというと遅くとも昭和3〜4年辺りまでの製品と言うことになります。この時代のものであればPAT#51788のばね入りカーソル(おそらくフレームレスタイプか?)もしくはA型カーソル(逆C字型カーソル)が付いていたはずなのですが、残念ながら後代のA型改良カーソル(普通の四角枠カーソル)に交換されていました。このカーソルが付いているゆえにチープな練習用10インチ計算尺No.47のように見えてしまい損をしています。まあそのおかげで我が手中に落ちてしまったのかもしれませんが(笑)練習用計算尺No.47との違いですが、表面に関してはこの後期型のNo.1/1は刻印以外殆ど見分けがつかないほど良く似ています。しかし、基本的にNo.1/1の裏面補助線窓が左右2つであるのに、No.47は1つ、目盛が箱形か物差し形かという違いがありますが、形式名が本体に刻印されているわけではないので、知らない人に製造時期違いの同じ計算尺と分類されても仕方がないかもしれません。ちなみにNo.47は昭和14年当時4円50銭でしたから売れ残りのNo.1/1とは3円30銭の違いがあり、No.47にNo.30を合わせた金額にほぼ相当しました。
出所は京都市からで、さすがは西の学都だけあってまだまだこういうものが市中に埋もれているのかも知れません。でもまあ、古都千年の歴史からするとこんな計算尺なんぞ、たかだか80年ですから単なる中古品ですけどね(^_^;) しかし御年80歳の計算尺にしてはセルの欠けもなく上の部類の計算尺でした。大正期のヘンミ計算尺同様にボール紙の上に布を被せたようなフラップ付きのシースに入ってますが、ケースのロゴ刻印が大正期のものは「J.HEMMI'S SLIDE RULE」と太陽に挟まれた"SUN"のマークが大きく入れられていたのに対し、昭和期に入ったこのNo.1/1のケースは同じ構造ながらフラップの長さが長くなり、そのフラップに横向きで「PATENT HEMMI'S SLIDE RULE」のロゴだけになりました。本体上部にはインチのスケールが、下部側面にはメトリックのスケールが刻まれていますが、滑尺を抜いた溝にもメトリックのスケールが刻まれているために国内仕様ということになります。滑尺を抜いた溝には逆文字で「専売特許二二一二九 逸見式改良計算尺」と刻まれているのは大正期のNo.1同様です。また、下固定尺の表に刻んである刻印は大正期のものと同じですが、ロゴの大きさや数字の大きさなどに細かい差異があるので、興味のある人は比べて見て下さい。
この滑尺がはまる溝に刻まれたスケールがなぜ中途半端な数字が刻まれているのを不思議に思う人もいるでしょうが、これは下のメトリックのスケールの延長になっていて、滑尺を引き抜いたときの滑尺を含めた左から右までの全体の長さを表すのが滑尺のはまる溝の中の数字になります。すなわち滑尺の左端が40の目盛に重なるとき、全体の長さが40センチということになり、大体の長さを知るときには便利なのですが、固定尺に刻まれたスケールならともかく、滑尺とバックプレートの組合せで長さを測定するとなると、精度的に正確さを欠き、後の計算尺には無い仕組みなのでしょう。明治の末頃に逸見式改良計算尺が出た当初は市中では曲尺、鯨尺しか必要なく、メトリックの物差しすら珍しかったのでしょうから、それなりにこの延長スケールの仕組みも意味があったのかも知れません。
No.47じゃありませんよ(^_^;)
J.HEMMI No.1/1の表面拡大画像はこちら
J.HEMMI No.1/1の裏面拡大画像はこちら
J.HEMMI No.1/1の滑尺溝拡大画像はこちら
J.HEMMI No.1/1の滑尺裏面拡大画像はこちら
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