黒金具のHEMMI No.250
HEMMIのNo.250というとヘンミの両面計算尺中にあってはもっとも人気が無い計算尺といわれるかもしれません。その全て片面計算尺に納まりそうなシンプルな尺種類のルーツは、ヘンミ最初の両面計算尺・ユニバーサル型のトップバッターNo.150を√10切断ずらし系にした新系列2600系のNo.2600です。このNo.2600は昭和15年に皇紀2600年を記念して付けられた型番で、同時期にNo.2640などの√10切断ずらし系片面計算尺も発売されています。このNo.2600はユニバーサル型の旧No.150のようにナローボディだったらとてもかわいらしい計算尺だったのでしょうが、昭和15年頃から両面計算尺もNo.153と同じボディサイズに統一され、いささかボディの幅を持て余したような計算尺になりました。同時期にNo.150のほうも幅が拡大されます。そのNo.2600が昭和25年頃にモデルチェンジし、CIF尺を追加した計算尺がNo.250です。No.250は計算尺末期の昭和40年代末まで作られたようで、ケースだけでも緑の貼箱で刻印違い2種類・紺帯模様入り貼箱・プラケースの4種類がある割にはゲージマークなどの刻印書体違いがあるくらいで基本的な尺配置などには変更が無く、そのためコレクション対象として面白みに欠けるためかコレクターにも重要視されず、それを真に受けて嫌う人も多いのかも知れません。でも個人的にはシンプルな戦前計算尺が好きなので、その血を受け継ぐNo.250も嫌いなわけがありません。そのNo.250の唯一なメジャーバリエーションのタイプの一つが黒金具付きのNo.250の存在なのです。この黒金具は他の両面計算尺には見られないもので、なぜNo.250にだけ、さらになぜ一部のNo.250にだけ存在するのかは一つのナゾです。この黒金具のNo.250はPAUL ROSS氏によると10%の割合で黒金具があるらしいとのことですが、実際にはもっと少ないような感触です。その黒金具のNo.250は昭和20年代から40年代の初め頃まで存在していたようで、40年代も中期末期の生産のものには見当たりません。ケースから見ると紺帯の貼箱が付属する年代まで存在するようです。
今回兵庫県は芦屋市からやってきた黒金具のNo.250は緑箱入りの刻印「OE」ですから東京オリンピック開催直前の昭和39年5月の製造です。緑箱入りでさほど使われずに箱に入れたまま放置されたようで、カーソル金具に着いた指紋をそのままにしたためか、カーソル金具のメッキが少し錆びていました。また両面計算尺によくありがちですが両端のセルが黄変しているのはケースの内側に貼っていたスポンジが経年分解してガスを発生させたからでしょう。殆ど使われなかっただけあって狂いもなく滑尺の滑る溝もきれいな計算尺でした。黒金具というのは塗料の焼き付けかと思ったのですが、擦れて剥げたりしたものを見たことがないので、何かやはり化学的な処理を施された一種の黒いアルマイトのような処理なんでしょうか?ナイフで削っても中まで黒かったら恐いでしょうね(^_^;) しかし、なぜNo.250に限って黒金具が存在するのか、さらに色々な年代に渡ってぱらぱらと出現するのはその理由がわかりません。箱にNo.250を示すシールにが貼ってありますが、そこにも黒金具であることの区別何ぞまったくありませんでした。また、作られた年代もばらばらなので、たまたま金具の納期が間に合わず、仕掛品の金具を黒く塗装して出荷したという偶然性に起因する理由付けもつじつまが合わないと思われます。この黒金具のNo.250、試しに昭和44年7月製造の「TG」刻印のものと比較すると、少しは違いがあるものでゲージマークの「ρ」が昭39年のものが短く逆に昭44年のものが長くて右に巻いています。これはNo.2664Sとは逆の現象です。また、尺種類を表す記号刻印が昭44のものは一回り小さくなっていました。それはカーソルバー上の「HEMMI JAPAN」の刻印にも言えるようです。滑尺上の三角関数ではTI1の尺の目盛が昭44製造のものはより細かく刻印されるようになってます。いろいろと細かい改良があったようで、こうなったら昭和30年代初期のNo.250とも比較してみたいですし、いつからTI1尺の目盛の変更があったかも確かめたいですね。ここまで書いたら人気薄のNo.250でも少しは興味を持ってもらえたでしょうか?(笑)
HEMMI No.250 一般事務・技術用(黒金具)表面拡大画像はこちら
HEMMI No.250 一般事務・技術用(黒金具)裏面拡大画像はこちら
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