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July 29, 2007

黒金具のHEMMI No.250

 HEMMIのNo.250というとヘンミの両面計算尺中にあってはもっとも人気が無い計算尺といわれるかもしれません。その全て片面計算尺に納まりそうなシンプルな尺種類のルーツは、ヘンミ最初の両面計算尺・ユニバーサル型のトップバッターNo.150を√10切断ずらし系にした新系列2600系のNo.2600です。このNo.2600は昭和15年に皇紀2600年を記念して付けられた型番で、同時期にNo.2640などの√10切断ずらし系片面計算尺も発売されています。このNo.2600はユニバーサル型の旧No.150のようにナローボディだったらとてもかわいらしい計算尺だったのでしょうが、昭和15年頃から両面計算尺もNo.153と同じボディサイズに統一され、いささかボディの幅を持て余したような計算尺になりました。同時期にNo.150のほうも幅が拡大されます。そのNo.2600が昭和25年頃にモデルチェンジし、CIF尺を追加した計算尺がNo.250です。No.250は計算尺末期の昭和40年代末まで作られたようで、ケースだけでも緑の貼箱で刻印違い2種類・紺帯模様入り貼箱・プラケースの4種類がある割にはゲージマークなどの刻印書体違いがあるくらいで基本的な尺配置などには変更が無く、そのためコレクション対象として面白みに欠けるためかコレクターにも重要視されず、それを真に受けて嫌う人も多いのかも知れません。でも個人的にはシンプルな戦前計算尺が好きなので、その血を受け継ぐNo.250も嫌いなわけがありません。そのNo.250の唯一なメジャーバリエーションのタイプの一つが黒金具付きのNo.250の存在なのです。この黒金具は他の両面計算尺には見られないもので、なぜNo.250にだけ、さらになぜ一部のNo.250にだけ存在するのかは一つのナゾです。この黒金具のNo.250はPAUL ROSS氏によると10%の割合で黒金具があるらしいとのことですが、実際にはもっと少ないような感触です。その黒金具のNo.250は昭和20年代から40年代の初め頃まで存在していたようで、40年代も中期末期の生産のものには見当たりません。ケースから見ると紺帯の貼箱が付属する年代まで存在するようです。
今回兵庫県は芦屋市からやってきた黒金具のNo.250は緑箱入りの刻印「OE」ですから東京オリンピック開催直前の昭和39年5月の製造です。緑箱入りでさほど使われずに箱に入れたまま放置されたようで、カーソル金具に着いた指紋をそのままにしたためか、カーソル金具のメッキが少し錆びていました。また両面計算尺によくありがちですが両端のセルが黄変しているのはケースの内側に貼っていたスポンジが経年分解してガスを発生させたからでしょう。殆ど使われなかっただけあって狂いもなく滑尺の滑る溝もきれいな計算尺でした。黒金具というのは塗料の焼き付けかと思ったのですが、擦れて剥げたりしたものを見たことがないので、何かやはり化学的な処理を施された一種の黒いアルマイトのような処理なんでしょうか?ナイフで削っても中まで黒かったら恐いでしょうね(^_^;) しかし、なぜNo.250に限って黒金具が存在するのか、さらに色々な年代に渡ってぱらぱらと出現するのはその理由がわかりません。箱にNo.250を示すシールにが貼ってありますが、そこにも黒金具であることの区別何ぞまったくありませんでした。また、作られた年代もばらばらなので、たまたま金具の納期が間に合わず、仕掛品の金具を黒く塗装して出荷したという偶然性に起因する理由付けもつじつまが合わないと思われます。この黒金具のNo.250、試しに昭和44年7月製造の「TG」刻印のものと比較すると、少しは違いがあるものでゲージマークの「ρ」が昭39年のものが短く逆に昭44年のものが長くて右に巻いています。これはNo.2664Sとは逆の現象です。また、尺種類を表す記号刻印が昭44のものは一回り小さくなっていました。それはカーソルバー上の「HEMMI JAPAN」の刻印にも言えるようです。滑尺上の三角関数ではTI1の尺の目盛が昭44製造のものはより細かく刻印されるようになってます。いろいろと細かい改良があったようで、こうなったら昭和30年代初期のNo.250とも比較してみたいですし、いつからTI1尺の目盛の変更があったかも確かめたいですね。ここまで書いたら人気薄のNo.250でも少しは興味を持ってもらえたでしょうか?(笑)
Hemmi250

HEMMI No.250 一般事務・技術用(黒金具)表面拡大画像はこちら
HEMMI No.250 一般事務・技術用(黒金具)裏面拡大画像はこちら


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July 27, 2007

FUJI No.2125C 工業高校用計算尺

 富士計算尺が国内向けに正式に計算尺の製造を止めたのは昭和53年のことで、製造を主に担当した技研産業株式会社はドラフタースケールなどを生産しながらプラスチック加工業として現在も山梨に存続してますが、販売元の富士計算尺株式会社がどうなったかという事についてはわかりませんでした。ところがひょんな事からこのことが判明し、元の富士計算尺は現在ではフジコロナという社名に改名して、現在ではレーザーレベルなどの測定器具販売から環境家電品の輸入販売などを手がける商社として東京で盛業中らしいのです。フジコロナのホームページによると操業は終戦の年「1945年に富士計器工業株式会社として甲府で計算尺の製造を開始し、1970年に計算尺の目盛技術を利用して製図設計用各種スケールの製造に乗り出し、1978年に東京営業所を別法人として新たにフジコロナ精器株式会社を設立・電卓の普及で計算尺終焉にともない製図用品の国内販売並びに輸出の拡大を目的とする」とありますので、富士計算尺の東京営業所が現在のフジコロナの母体となったことがわかります。現在のフジコロナ取扱商品を見ますと、殆どはホームセンターやアイデア商品の店で出逢いそうな台湾や中国のプラスチックを主体とする商品が多いのですが、その中で「三角スケール」や「ドラフタースケール」あたりが昔のフジコロナ精器時代を引きずっているような。
 さて、愛知県から未使用説明書外箱揃いのFUJI No.2125Cを入手しました。この計算尺は技研時代のNo.251から引き継がれたシリーズで、片面11尺という幅広の計算尺です。技研時代は「検定試験上級用」などという扱いでしたが、No.2125Cは単に「工業高校用」となっているのは両面計算尺のNo.1280-Tあたりと同じです。このNo.2125シリーズはオクに出るときには頻繁に出てくるものの、それが途絶えると何故か間が空いてしまい、既に2125と2125Dは持っているもののNo.2125Cは今回初めて入手しました。3本が揃ったことで細かな比較が可能になりました。以前はBの枝番の付くものがあるかどうか気になっていたのですが、B付きの2125は今まで見たこともないので、おそらく2125の次は2125C、その後に2125Dにモデルチェンジしたようです。それにしてもFIJIの計算尺はDとかTとかなぜそうなのかのか由来のわからない枝番があります。2125と2125Cの相違点ですが、まず滑尺の色が薄い緑色に着色されたのが目新しく、さらにカーソルが異なります。又、2125CはA,DF,CF,CIF,L尺を除いた尺に全てπゲージが追加されたのが便利です。さらに2125Cには自然対数のεゲージや体積のVゲージが追加され、2125のゲージマークの書体が戦前のヘンミ計算尺のようなクラシックなデザインだったものが、新しいデザインに改められてます。滑尺裏は2125ではCOSとして赤の数字が独立して入れられてましたが、2125CではT1,Sの目盛に逆目盛として赤く数字が入れられるようになり、COSの表示は省略されています。滑尺裏にもC尺があり、裏返して使った際に便利なように全てゲージマークが入れられていることは2125も2125Cも共通です。2125は灰色で形式名まで入っているビニールのケースでしたが、2125Cは本体のサイズが同一であるのになぜか二回り大きくなった緑一色のビニールケースに入れられてました。厚みもあるので、両面計算尺と共用にしたのでしょうか?さらに2125Dになると滑尺裏の右側に数式の刻印が追加になりC尺D尺に2πというゲージマークが追加、カーソルが変わったりしてますが、果たして品番を換える必要がある程の変更かどうかは疑問です。裏の換算表は2125が英語表記、2125Cと2125Dのものは同一で、三角関数の図形などを追加した日本語表記で、ここ辺りが「検定試験上級用計算尺」から「工業高校用計算尺」に用途変更になった結果でしょうか?2125シリーズには裏のネジ頭隠し兼すべり止めゴムにも数々の変遷があり、技研時代はすべり止めが無く、何も付かないNo.2125は初期が細長い波打ったゴムが貼られて「すべり止めゴム付き」を唱われていましたが、加工コスト削減かすぐに円形のゴムシートに換えられたようです。このゴムシートはHEMMIのNo.640S同様のものでしたが、さらにNo.2125Dになるとネジの入る穴の径より少し大きいだけの盲蓋状の小型のものになりました。これは1280-Tなどのネジ頭隠しと同様です。
今回のNo.2125Cはおなじみのデザインの外箱と短冊形の説明書が付属してましたが、外箱は緑の印刷ではなくいわゆる赤箱でした。定価は1,800円で、FUJI計算尺が計算尺販売から撤退する直前のNo.2125Dの定価にしても3,200円ですから、HEMMIのスタンダードNo.2664Sと比べても如何にお買い得で高機能な計算尺だったかお解りだと思います。もっとHEMMIを押しのけて工業高校需要のシェアに食い込んでも良かったと思うのですが、さすがに生産量の差かFUJIの計算尺は少数派だったというのが実感です。
 FUJIのNo.2125Cの使い勝手ですが、√10切断系ずらし尺なのにも係わらず、主要な尺にすべてπゲージが存在するので、意外と電気系の計算などには使いやすく、さらに表にA尺B尺まであり、滑尺をひっくり返してもC尺がちゃんと刻まれていて三角関数を含む乗除計算もそのまま出来、DI尺もあるのでベクトルの計算も可ということで、その機能はべき乗計算を除けば簡単な両面計算尺にも匹敵し、普段使うのであれば何の不満も無いと思われます。欠点といえばあまりにも幅広くなってしまい机の上では邪魔くさいことくらいでしょうか?そういえば入手したNo.2125Cは換算表が上下逆に接着されてました(^_^;)
Fuji2015c

FUJI No.2125C工業高校用計算尺の表面拡大画像はこちら
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July 25, 2007

交信中に停電(@_@;;)

 今年はいつまでもコンディションに恵まれないと思いつつ気が付いてみればすでに夏至を折り返すことひと月が過ぎました。そのうちに九州から近畿地方まで梅雨明けしたようで、電波伝搬的にはすでに例年の8月末みたいな感じです。幾ら梅雨前線という大気圏の現象が10倍の高層で形成されるスポラジックE層の発生に関係する科学的な根拠がないといっても、何となく今年のハイバンド及び6m伝搬の低調さは例年と違う今年の梅雨前線の具合と関係あるのではないかと思いたくもなるものですが。
 さて、15日から始まったJAIAアワードのボーナス局運用ですが、例年の7月ならEスポ2日で予定数終了といくところが今年は苦戦してまして、特に50メガは7月14日の午後にどかんとオープンした後は殆どダメ。そのため21メガで開いたときにのみこまめにボーナス局運用を行うことを繰り返している状態です。21ばかりやってますとたまには面白い伝搬に遭遇することもあり、午前中休みにした23日は各地で近接電離層伝搬があり、当方も電離層伝搬で海を挟んだ上北郡の横浜町から59でコールを受けたときには驚きましたね。昨年は青森市からコールを受けたことがありましたが、必ず相手局に「電離層伝搬ですよね?」なんて聞いてしまいます(笑)この日は6mで山形市からもコールを受けましたからかなり7-8エリア間の電離層密度が濃くなったのでしょう。しかし今年は7エリアから6mのコールバックがある機会も極端に減りました。
 そういえば21メガで交信中に町内が停電になり、当然のこと無線機の電源もパソコンも落ちてしまって往生しました。別にリニアとエアコンを同時に使って(両方ともある訳がない)ブレーカーが落ちたわけではないのですが、念のため下の配電盤を見に行くと何でもないため、停電であることに気が付きました。葉山町の戦時中に乗船した船舶通信士のOBの方と3BAND目の交信中で、こちらが喋っている最中に電源が落ちた物ですから、一瞬何が起きたのか理解できず、結局は電気がなければただのがらくたの集まりです。3分ほどで復旧しましたがここ数年間で1回しかなかった停電に、しかも交信中に見舞われるなどということは初めてでした。しかし、固定設備で使っている限りは、電気が来なければ完全にアウトですね。再通電してからその船舶通信士OBのコールを呼んだのですが応答無し。きっと交信中に触雷して遭難信号を打つ間もなく沈没したと思われた…そんなわきゃないでしょうが、前回の交信でFT-101ZDを使っていることが知られているはずなので、たぶんリグが交信中に昇天してしまったのだろうと思われているかもしれません(^_^;)

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July 22, 2007

HEMMI No.2664S(末期型)

 HEMMIの計算尺は本体がプラスチック製で40年代発売のものは最初から塩ビのブロー成形で作られたプラスチックケースに入れられて発売されましたが、従来から発売されていた竹製の両面計算尺も片面計算尺も計算尺末期に製造されたものは塩ビのプラスチックケースに入れられて発売されてます。それというのも相次ぐ資材と人件費の高騰で、HEMMIの計算尺も40年代にはいると段階的に値上げされるのですが、ついに包装資材のコストダウンをせざるを得なくなり、紙製の貼箱を廃して自動成型器でどんどん出来る塩ビのブロー成形のケースを採用したのでしょう。ヘンミの従来型両面および片面計算尺が塩ビのプラケースに変わった時期は昭和47年で、昭和47年前半生産のものには紺帯・緑帯の紙製貼箱で生産されたものがあるので、おそらく年度が改まった47年半ばから全面的に切り替えられたのかもしれません。この塩ビのケースが高校特納用以外の計算尺の生産が終わった昭和50年まで変更がありませんでした。しかし片面計算尺用のプラケースは表面に模様の無いものと両面計算尺用のプラケースのようにすべり止めのためか模様の加工を施されているものの2種類があるようです。片方しか手元にないので、なぜ2種類のプラケースが存在するのか、時代に差があるのかはわかりかねます。プラケースへの変更はすでに計算尺が活躍表舞台から去りつつある時期だったからか、各地の文房具店から発掘される計算尺はこの青蓋プラケースの付属したものが意外に少なくて、それ以前の紺帯・緑帯の紙箱入りのほうが圧倒的に多いような感触です。このプラケースの付属したモデルの外箱蓋部分には追加で「プラケース入」のシールがわざわざ貼られているものがあります。なお。RICOHの計算尺が耐久性に劣った透明スチロール樹脂から塩ビの成型品に変わったのはHEMMIより早く、だいたい昭和43年から44年ころの出来事だと思われますので、RICOHの計算尺に限っては塩ビの青蓋ケースはごく普通の存在なのですが、末期の両面計算尺の一部はフラップ付きのビニールシース付きで売られたモデルもありました。
 我が手元にあるHEMMIの片面計算尺の中でもこの末期の青蓋プラケース付きのモデルは昭和47年製のNo.2664Sの1本だけです。何故かって、そりゃ中古の計算尺しか買いませんからねぇ(笑)このNo.2664Sは計算尺空白地帯と思われる西伊豆のとある小さな町のリサイクル屋さんからやってきたもので刻印が「WI」ですから昭和47年9月の生産になります。さすがに計算尺末期のものだけあって殆ど使われた形跡のない計算尺でしたが、30数年動かされたことの無かったカーソルがセルと接触していた部分が茶色く変色してました。この部分をカルナバ入りのクリーナーで磨くと見た目では殆どわかりませんがほんのわずかだけセルが肉痩せしてしまいました。形態的には末期型のNo.2664Sで40年代半ばのNo.2664Sにまで刻まれていた下固定尺側面の13-0-13のスケールが省略され換算表のネジ止めが無くなり、換算表抜け留めの突起がアルミのプレートに施されています。それくらいの違いしか無いだろうとたかを括っていたら、実は40年代の後期モデルとこの末期モデルはゲージマークの書体が異なっていました。中期後期モデルはゲージマークに関しては一貫して同一でしたが、末期型はπの書体が小さくなり、更にラジアン度変換用のρの尻尾が極端に短くなります。だからどうしたと言われると返す言葉が見つかりませんが、まあ興味ある方は比べてみてください。また、このゲージマークの変更がプラケース付属と同時に行わたのかということはわかりません。たぶん緑帯貼箱が付属していた頃にすでに変更があったかもしれません。また、カーソル上の刻印が長い間、上に「JAPAN」下に「SUN HEMMI」だったものが、この末期型のカーソルは上に刻印が無くなり、下のみ「HEMMI JAPAN」と入るようになってます。このカーソル刻印の変更は少なくとも昭和45年には行われていたようです。下固定尺側面のスケールが省略されたのも昭和45年あたりからでしょうか?そうなるとこの末期モデルは昭和45年頃には出現していたかもしれません。
 換算表ネジ止めがいつ無くなったかの考査ですが、実は同じNo.2664S系統でも手持ちのNO.2664S-Sの「SA」(昭43年1月)はネジ止め無しなのにも係わらず、No.2664Sの「TE」(昭44年5月)はネジ止めになってます。NO.2662の「UD」(昭45年4月)はネジ止めがありません。機種に違いがあるとはいえ、これじゃこのネジ止め工程をいつ省略したのかもわかりませんな(^_^;)
No2664s_1
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July 19, 2007

昭和初期のJ.HEMMI No.1/1

 表面にA,B,C,D尺しかないマンハイム型のJ.HEMMI時代の10インチ計算尺は、CI尺を有するいわゆる大正15年型計算尺(旧100系)が加わった後も生産され、大正15年型計算尺が昭和に入ってから間もなくNo.50シリーズに発展的製造中止の後も輸出用として息を長らえ、おそらく昭和10年以降まで生産がなされたような感触があります。No.1/1は何と昭和14年1月の製品定価表にも製造中止の在庫限りの商品として掲載されてますが、ほぼ同じ尺種類の練習用10インチ計算尺のNo.40が昭和14年当時2円80銭だったのに対してNo.1/1は7円80銭、No.50/1が9円ですからわざわざNo.1/1を買う人間もおらず、ずるずると何年も不良在庫化してしまっていたのかもしれません。
 ともあれ、逸見次郎が色々な素材で試行錯誤を繰り返しながら計算尺の試作を行っていた時代から一貫して同一のレイアウトの計算尺が開戦直前まで残っていたわけですから、息の長い計算尺であったことは確かです。ヘンミのNo.1はJ.HEMMI時代からJ.が取れた"SUN"HEMMI時代に至るまで大まかに外見の異なるものが2種類知られており、前期型・後期型などと言われているようです。前期型は1912年に限りなく近い時代のNo.1と1922年頃のNo.2を入手してましたが、後期型と言われるNo.1を入手するのは今回初めてとなります。外見的には後期型は尺の左末端にA,B,C,Dの尺種類が刻まれるようになり、マホガニー風に着色されていた竹のむき出しだった裏面がちゃんとセルロイドが被せられるようになりました。更にスケール部分もリベット留めが省略されています。又、0.5刻みで数字の刻印が追加、ラジアンと度分秒変換用ゲージマークが追加などがあり、さらに裏面の補助線窓は前期型がオーバルタイプなのに後期型は「⊃⊂」に変わっています。当然、"SUN"HEMMI MADE IN JAPAN時代の計算尺かと思ってましたら、何とこれでもJ.HEMMI "SUN" 時代のものでした。J.HEMMIというと遅くとも昭和3〜4年辺りまでの製品と言うことになります。この時代のものであればPAT#51788のばね入りカーソル(おそらくフレームレスタイプか?)もしくはA型カーソル(逆C字型カーソル)が付いていたはずなのですが、残念ながら後代のA型改良カーソル(普通の四角枠カーソル)に交換されていました。このカーソルが付いているゆえにチープな練習用10インチ計算尺No.47のように見えてしまい損をしています。まあそのおかげで我が手中に落ちてしまったのかもしれませんが(笑)練習用計算尺No.47との違いですが、表面に関してはこの後期型のNo.1/1は刻印以外殆ど見分けがつかないほど良く似ています。しかし、基本的にNo.1/1の裏面補助線窓が左右2つであるのに、No.47は1つ、目盛が箱形か物差し形かという違いがありますが、形式名が本体に刻印されているわけではないので、知らない人に製造時期違いの同じ計算尺と分類されても仕方がないかもしれません。ちなみにNo.47は昭和14年当時4円50銭でしたから売れ残りのNo.1/1とは3円30銭の違いがあり、No.47にNo.30を合わせた金額にほぼ相当しました。
 出所は京都市からで、さすがは西の学都だけあってまだまだこういうものが市中に埋もれているのかも知れません。でもまあ、古都千年の歴史からするとこんな計算尺なんぞ、たかだか80年ですから単なる中古品ですけどね(^_^;) しかし御年80歳の計算尺にしてはセルの欠けもなく上の部類の計算尺でした。大正期のヘンミ計算尺同様にボール紙の上に布を被せたようなフラップ付きのシースに入ってますが、ケースのロゴ刻印が大正期のものは「J.HEMMI'S SLIDE RULE」と太陽に挟まれた"SUN"のマークが大きく入れられていたのに対し、昭和期に入ったこのNo.1/1のケースは同じ構造ながらフラップの長さが長くなり、そのフラップに横向きで「PATENT HEMMI'S SLIDE RULE」のロゴだけになりました。本体上部にはインチのスケールが、下部側面にはメトリックのスケールが刻まれていますが、滑尺を抜いた溝にもメトリックのスケールが刻まれているために国内仕様ということになります。滑尺を抜いた溝には逆文字で「専売特許二二一二九 逸見式改良計算尺」と刻まれているのは大正期のNo.1同様です。また、下固定尺の表に刻んである刻印は大正期のものと同じですが、ロゴの大きさや数字の大きさなどに細かい差異があるので、興味のある人は比べて見て下さい。
この滑尺がはまる溝に刻まれたスケールがなぜ中途半端な数字が刻まれているのを不思議に思う人もいるでしょうが、これは下のメトリックのスケールの延長になっていて、滑尺を引き抜いたときの滑尺を含めた左から右までの全体の長さを表すのが滑尺のはまる溝の中の数字になります。すなわち滑尺の左端が40の目盛に重なるとき、全体の長さが40センチということになり、大体の長さを知るときには便利なのですが、固定尺に刻まれたスケールならともかく、滑尺とバックプレートの組合せで長さを測定するとなると、精度的に正確さを欠き、後の計算尺には無い仕組みなのでしょう。明治の末頃に逸見式改良計算尺が出た当初は市中では曲尺、鯨尺しか必要なく、メトリックの物差しすら珍しかったのでしょうから、それなりにこの延長スケールの仕組みも意味があったのかも知れません。
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 No.47じゃありませんよ(^_^;)
J.HEMMI No.1/1の表面拡大画像はこちら
J.HEMMI No.1/1の裏面拡大画像はこちら
J.HEMMI No.1/1の滑尺溝拡大画像はこちら
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July 18, 2007

再びHEMMI No.2664S(最初期型)

Ealyhemmis 誰しも認める計算尺の永遠のスタンダード、HEMMIのNo.2664Sは昭和32年から計算尺の生産が途絶える昭和50年頃まで作り続けられた計算尺で、その生産量は計算尺の総生産数に対してもかなりの割合に登ったと思われます。基本的には戦前からあるNo.2664の後期型にグリーンで刻まれたCIF尺が加わり、三角関数に逆尺の数字が加わったためにNo.2664のSPECIAL版のS追加というイージーな命名なんですが、後に片面計算尺の標準品になってしまったためにSTANDARDのSだと思っている人が本当にいるかもしれません(笑)その生産期間中、メーカー名と形式名の刻印位置違いと下側面スケール、換算表の違い以外にはケースの違いが4種類あるにすぎませんが、ごく初期の生産のものに限ってNo.2664同様の古風なデザインのゲージマークを備えるものがあります。正にNo.2664の後期型にCIF尺が加わっただけのデザインで、No.2664のSPECIAL版にふさわしいのですが、この最初期型というのには本当にお目に掛かるのが稀で、おそらく50本のNo.2664Sがあったのならこの最初期型は1本も混じっていないというくらいレアな存在だと思われます。当方も何本もNo.2664Sを所有しているのにも係わらずもちろんこの最初期型No.2664Sは現物さえ見たことがありませんでした。というか、あまりにもNo.2664Sの存在が普通すぎてしまって、No.2664Sに注目することすらしませんでした。そういえば以前、誰かNo.2664Sの刻印違いを全部集めて比較検討を加えてくれる酔狂なコレクターがいないだろうかと書きましたが、当方の意図するしないに係わらず手元にいつのまにかNo.2664Sが増殖してしまい、30年代緑箱、40年代緑帯ベージュ箱、40年代最末期塩ビ青白ケースのものまで集まる始末。そうなったら自らNo.2664S全パターン研究といきたいところなんですが、この最初期型のみ入手の可能性が薄く、ムリだと思ってました。しかしその最初期型の入手は思わぬ形で実現しました。
 No.2664Sという計算尺は「計算尺入門用として必須」などと言われたからか、計算尺としては学生尺並に大量に世の中に存在しているのにも係わらず、以前はオクでも数千円までせり上がっていました。ところが、最近は中古のNo.2664Sが常に出品され、さらにデッドストックの未開封品が20本単位で3回も出品されるにいたって、現在相場が最安値に下落しています。そんなわけで中古のNo.2664Sが千円で出品されても殆ど注目されない計算尺になりました。そんな中で100円の希望落札額で出品してくれていた人がいたので、カーソル取りにしてもいいと思って落札したのが今回のNo.2664Sです。大阪は枚方市から届いたNo.2664Sは又30年代後半の緑箱のものかと思って届いた包みを開封すると、箱の箔押しが「SUN HEMMI BAMBOO SLIDE RULE」という昭和20年代から30年代初期のロゴが入ってました。そのためNo.2664Sを落札したつもりで古いNo.2664を落としてしまったのかと思って中身を取り出してみると、確かにグリーンCIFが刻まれているので間違いなくNo.2664Sでした。でも何となく雰囲気が違うと思って製造刻印を見ると「II」。アイアイと言っても飯島愛でもなければお猿さんでもありませんが昭和33年9月製です。No.2664Sの製造開始は昭和32年と把握しているので最初期型に属する時期の生産となり、この時期のものはゲージマークが異なるという話を聞いていたため、昭和38年2月製造の「NB」刻印のごく普通のNo.2664Sと比べると、πマークの足が旧タイプの釣り針型で、ラジアン換算用のρマークの足も右側に巻いている古いタイプでした。さらに下側面のゲージは後のNo.2664Sが13-0-13のメトリックゲージであるのに対してこの最初期型の下側面はインチで10インチのゲージが刻まれてました。又、刻まれている数字の書体も異なり、2の末端が跳ねていたり、4の足に横棒があったりします。この最初期型は上下のK尺A尺と中程のCIF尺CI尺の書体に対してDF尺CF尺C尺D尺の書体が異なっていますが、後のNo.2664Sはすべて同じ書体の数字が使われています。構造的には最初期型のNo.2664Sは当時の他の片面尺同様にアルミバックプレートの両端2箇所が固定尺とのネジ止めですが、後代のNo.2664Sは換算表ネジ止め以外はピン接合になりました。基本的に尺の目盛の刻み方にはまったく差異は認められません。あとどうでもいい細かいことかも知れませんが、カーソルフレーム上のJAPAN刻印の方向が上下正反対でした。最初期型No.2664Sの全体的な印象は「後期のNo.2664にCIF尺を刻んだだけ」という印象ですが、滑尺裏の三角関数尺に逆目盛の数字が赤で加わり、No.2664のSPECIALというよりNO.2664SUPERのほうが合っているかも知れません(笑)
 ところがややこしいことにこのNo.2664Sの最初期型は昭和32年製造のものと昭和33年のもので若干刻印の相違があり、最も早い昭和32年製造分「H」刻印のものは裏面の真ん中に「SUN HEMMI JAPAN H○」と商標と製造刻印が黒で入り、形式のNO.2664Sが右端にオフセットされて刻まれています。これは元になったNo.2664の後期モデルの刻印そのままです。それに対して昭和33年製造分「I」刻印のものは真ん中に「SUN HEMMI JAPAN NO.2664S」と刻まれ、製造刻印は後の片面尺同様に左端に打刻だけされ、色が入らないものになりました。この昭和33年を境にする刻印方の変化はNo.130などの他の片面計算尺も同様です。これだけの違いがありますから最初期型の中にも前期と後期の2タイプに分類したほうがいいかもしれませんが、そうなると「最初期型の後期型」なんて訳の分からない分類になってしまいますね(^_^;)
2664sealy

HEMMI No.2664S最初期型表面拡大画像はこちら(II 昭和33年9月製)
HEMMI No.2664S最初期型裏面拡大画像はこちら(II 昭和33年9月製)
参考までにNo.2664S中期型表面拡大画像はこちら(OJ 昭和39年10月製)
さらにNo.2664S中期型裏面拡大画像はこちら(OJ 昭和39年10月製)
だめ押しでNo.2664S後期型表面拡大画像はこちら(TE 昭和44年5月製)
ついでにNo.2664S後期型裏面拡大画像はこちら(TE 昭和44年5月製)
挙げ句の果てNo.2664S末期型表面拡大画像はこちら(WI 昭和47年9月製)
これでお終いNo.2664S末期型裏面拡大画像はこちら(WI 昭和47年9月製)


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July 14, 2007

JAIAアワードのQSLカード到着

Jaia2007 今年も7月の15日から8月の末までJAIAアワードが始まりますが、それに先立ちJAIAより今年のQSLカードが届きました。昨年は初めてのJAIAアワードボーナス局で当初届いたQSLカードは最低ラインの200枚だったものが、今年は黙って500枚が送り届けられました(^_^;) それというのも昨年はカードの追加を2回行い、結局900交信超を記録し、自らSクラスのアワード申請を出してちゃんと交信実績を作ったからでしょうか。それにしても6月からのこのPOORなコンディションを7月も引きずって、我が貧乏電波研究所のタワーすらない無線設備ではどれくらいで500枚さばけるかが心配です。
 さて、三連休という人も多いでしょうがかなり大きな台風が日本列島を縦断しそうな様子で、アンテナが飛ばされないかどうか心配なアマチュア局も多いでしょう。6mのJA6YBR/bが朝から聞こえているのですが、6エリアからCQがあんまり聞こえないのは、台風で無線どころではないのでしょうか。と思っていたら長崎は南島原の局のCQが聞こえてきました。長崎はあまり差し迫った危険は無かったのでしょうか?

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July 11, 2007

異地点2局24/28メガ2バンド同時交信

 最近、夕方からハイバンドの伝搬が戻り始めたような感じです。電波伝搬的には例年からすると5月の末から6月の中旬くらいに戻ったような感触です。8エリアに関しては6mで言うと16時台から18時台にかけて6エリアだけではなく3エリアから1エリアまでが広範囲にオープンすることに頻繁に遭遇するようになりました。
 10日は18時前にリグの前に座ることが出来、さっそく6mのビーコンを聞いてみると、普段はJA6YBR/bくらいしか聞こえないものの、珍しく我がトマトの支柱アンテナでもJA2IGY/bがフルスケールで入感してます。慌ててSSB帯をワッチすると不思議なことに50.200付近でラグチューしている声しか聞こえません。試しに50.223でCQを出し続けたのですが、まったく反応がありませんでした。どうやらスポット的に開いているような感じでしたので、CWに切り替えてキーを叩くといきなり静岡市清水区の局からコールバックがあり交信成立。この局とは今期初で3回目の交信にして初めてのCWでした。さらに数分ほどCQを出しましたが反応がないためSSBでCQを出すと下伊那郡の局からコールバックがあり交信成立。どうやら静岡から長野の天竜川流域あたりにしか電波が落ちていないような感じでした。休日でしたらこの地域からもコールバックが沢山あるのでしょうが、平日の夕方だけあってその後数分CQを掛けても全くダメ。しばらくして24メガSSB帯にQSYするとかなりのQSBを伴いながら数局のCQが聞こえていて、その中でも交信歴のない千葉県は柏市のモービル半固定運用局にコールバックし交信成立。しばらくして28メガSSBをワッチしていると、何とこの局が28メガでCQを出しているのに遭遇し、すぐに10Wでコールバックして交信成立。同一地点でほぼ同一時刻の24/28メガ2バンド交信はさほど珍しいことではありませんが、この偶然はその後も続き、京都は城陽市のおなじみの局に24メガでコールバックを入れ、最初10Wで呼んだのですが、さすがにQSBの谷間ではコールが取りきれないらしく、100Wに切替えこの局との3バンド目の交信が成立。この局が直後に28メガにQSYしたために、まさか28メガでは聞こえることはないだろうと思って28メガSSBをワッチすると、この局がピーク59で入感してました。そのため今度は最初から50Wでコールバックを入れて4バンド目の交信が成立しました。1エリアと3エリアでほぼ同一時間帯に24/28メガの2バンドQSOがそれぞれ成立したのはさすがに初めての経験です。
 その後1時間半ほどの中座の後、20時過ぎに50.244のSSBでCQを出すと茨城は笠間市の局からコールバックがあり、この局からCWのリクエストがあり、CWでも交信成立。50.176でフルスケールで入感するCW局がいたのでコールバックを入れる交信成立。東京は島嶼のJCG#だったので八丈島かと思ってクラスタに載せたら大島でした(^_^;) さらにその後50.244に戻ってSSBでCQを出すと神奈川の逗子、大阪の羽曳野の局からコールバックがあり交信成立。まだCQを出せばコールバックしてくる局がありそうでしたが、バンド内で聞こえる局もまばらになったためにその日はQRTしました。これからしばらく夕方から宵の口のハイバンド及び6mは要注意です。

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July 09, 2007

歓迎される人・されない人

 地元のJARL支部大会に「6m & DOWNコンテストがあるから断固欠席!」と声を大にするも、既に半年前に却下されてしまい、100キロほど離れた開催地に朝の7時集合・7時15分出発で連れて行かれました。当方が参加し始めてから支部大会はいつも雨降りだったのですが8日の日曜日はこの季節の太平洋岸にあっては奇跡と思われるほどの良い天気で、会場も深い森に囲まれた静かな蝉の声と鳥のさえずりが入り交じり、緑の森を渡ってくる風が大変に心地よい場所でした。地元地域クラブも家族総動員でお世話いただき、大変にアットホームないい総会だったのですが、ただ1点だけ不快に思ったのは来年のJARL選挙絡みで、毎回ごと立候補して落ちているとかいう有名人(初めて顔を見ましたが)が越境して地元の支部大会に潜り込み、今年の全国大会で何を発言したのどうのこうのとか、今のJARLが如何に何も出来ない人間の集まりであるかを片っ端から人を捕まえて、相手にされようがされまいが、わざと廻りに聞こえるように声高々にまくし立てていたことでした。もちろん公式にスピーチされる義理も理由もありませんけど、他人の家に入り込んでおとなしくしているのならまだしも、傍若無人に振る舞うのは選挙対策どころかますます敵を増やすことを本人は理解出来ないような。いつも抽選会で頂いてばかりで悪いからと、抽選会用の賞品まで提供下さった隣接支部のSさんご夫妻のような方とはえらい違いでした。しかし選挙前年の支部大会にはどこの支部でもこういう選挙絡みで歓迎されない「お客さん」が増えそうな感じですな(^_^;) 
 支部大会は意外に早く終了しましたが、家に帰るとすでに15時を過ぎていて6m & DOWNコンテストは終了してました。ところがこの後16時くらいから6mがかなり濃いEs伝搬に遭遇してメーターフルスケールで入感する局が続出。バンド中に隙間がないほどでしたので、50.283でCQを開始すると相模原市の局を皮切りに岡山、大阪、埼玉、鹿児島、広島、三重、愛知と、かなり広範囲に渡って次々に呼び出され20分で12局ほどと交信しました。日曜日ということもあり初交信局が殆どだったのが収穫です。用事で1時間半ほど中座し、18時台半ばになってもまだ3エリア大阪方面が聞こえていて2局ほど呼びだして交信しました。朝からのEスポの状態が気になったので、いろんな局から情報を集めるとコンテスト開催時間中は殆どいい伝搬に恵まれず、コンテスト終了後に急にEスポでかなり開けてきたということでした。その中にはコンテスト居残りで移動先からコールくれた局も何局かありました(笑)まあ支部大会に出ないで家でコンテストに参加していてもそれほどスコアは伸びなかったということですね(^_^;)

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July 08, 2007

ついに50メガで沖縄局と交信

 1アマ取得後になって始めて運用を開始したアマチュア無線ですが、その直後に50メガの運用を本格的に始めてまだ10日+4シーズン目です。その間にGPから自作の2エレHB9CVアンテナにグレードアップしたりして交信を重ね、電離層反射波による交信で残す都道府県は同一エリアの北海道内と近距離の青森県・秋田県、さらに遠距離の沖縄県となりました。秋田と青森は函館近辺の標高500メートル内外の地点に移動して多素子アンテナのビームを向ければ比較的簡単にGWで交信できそうな感じなのですが、まったく移動せずにトマトの支柱で作った2エレのアンテナで10Wの出力で運用する限りはサイクル24のピークを待たなければチャンスに恵まれないかもしれません。遠距離の沖縄県ですが、3年前に大分の局と交信を終えた後にその局を呼ぶ沖縄は那覇の局の声がはっきり聞こえたのが唯一の経験で、今まで一度も交信に至ったことがありません。8エリアから入感情報クラスタに載ることもしばしばありましたが、どの局も15m以上のタワーに6エレ以上のビームアンテナを使用しているようで、サイクルのボトムの時期にあっては屋根よりちょっと高いだけの南固定2エレアンテナで8エリアから沖縄まで交信することはムリではないかと思ってました。
 今年の6m & DOWNコンテストはメインの日曜日がちょうど地元の支部大会と重なり、新ひだか町まで出掛けなくてはいけないため、今年の6m & DOWNの参加は7日の21時からの夜間だけの参加になりました。この夜間の運用さえ、前夜新ひだか町宿泊というのを同行者のスケジュールが空かなかったことをいいことにムリに当日直行にしてひねくりだした時間です。これも4大コンテストの参加が1つでも欠けると参加証で日本列島地図が集まらなくなるからです。そのためだけの参加ですから1局あればいいのですが、せめて5局くらいと交信できればFBだと思ってました。21時のコンテスト1時間前くらいには弱いながらも開いていた6mでしたが21時近くになるとフェードアウトして聞こえない局ばかりで、ついに九州北部の局からも我が2エレのトマトアンテナでは識別できなくなりました。21時のコンテスト開始時点でSSBで識別できた信号は南九州の局と一局だけ強く聞こえる1エリアの移動局だったんですが、その強く聞こえた局がぬぁ〜んと「うちな〜」からの運用局でした。10日+4シーズン目にして始めての沖縄移動局だったので、素早く応答してコンテストナンバーを交換し、QSLカードの交換も厚かましくお願いしてしまいました(^_^;) しかしまあ、南九州がスキップしかけてから沖縄が強力に聞こえるなんて21メガの伝搬じゃないんですから「ありえない」と思ってましたが、Eスポの状況次第でこういうことも出くわすことがあるのですね。この状況は30分くらい続いてその後フェードアウトしてしまいました。考えるに8から2エレ程度のアンテナでも沖縄と十分交信できる季節と時間があるのにも係わらず、うちな〜んちゅは夜間は国内向けに6mの運用なんかする人が少ないから、いままで交信チャンスがなかったのかもしれません。これで50メガ帯においては岩手以南の都府県は全て交信済となり、残りは青森と秋田だけになりました。函館に移動を掛ければGWで一辺に50メガ特記のWAJA達成になる可能性は大きいのですが、そういう楽しみは後に取っておきましょう。結局この沖縄の局を含めて3局と交信してバンド内が静かになりそれ以上の局とは交信できませんでした。

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July 07, 2007

HEMMI No.2664前期型(戦中型)

 皇紀2600年(昭和15年)を記念して2600番台の型番を持つヘンミ計算尺の中で最初に売り出されたモデルの中の一本がこのNo.2664で、形態的には√10切断ずらし尺のDF、CF尺を持つ10インチ片面計算尺です。当時一般用途として目外れのないずらし尺を持つ計算尺がヘンミには無かったためによく数が売れた計算尺のようですが、すぐに物資欠乏時代の太平洋戦争に突入したため、一般に残っているNo.2664は戦後のOccupied Japan以降のものが多いように思われます。製造された時期は昭和15年から昭和32年12月頃までに及び、その後CIF尺が付いて更に目外れに強い名機No.2664Sにマイナーチェンジして計算尺末期まで製造されました。誰しもNo.2664Sがおそらく一番身近な計算尺だと思うくらいですからNo.2664SがHEMMI計算尺としてかなりの数が作られたことは確かです。それに比べるとNo.2664は一般の所得からするとまだまだ高価な時代の物であったようで、コレクターにとっても学生用8"計算尺のように、「望む望まずに係わらずいつのまにか手持ちの数が増えていく」ような計算尺ではありません。しかし、No.2664Sが刻印や裏板接合ネジ、換算表などのほんの些細なバリエーションしかないのと比べ、No.2664は基本的な尺種類の違いを始め、目安線窓、裏板、刻印などの違いがあってNo.2664Sよりはかなり面白いコレクション対象であることは確かです。
 大まかには前期型と後期型に別れておりその境目は確かな事は断言できませんが、おおよそ昭和22年あたりで区別されるようです。又前期型には発売当初の裏面目安線窓が「〇 〇」のオーバルタイプと後の「⊃ ⊂」の切り欠きタイプがあり、さらに戦争の進展に従って物資欠乏時代に突入したあたりには裏面が竹のむき出しでニス塗りで出荷されたものもあるようです。上下の固定尺とバックプレートの接合もピンのみのものからネジを併用した物も見受けられるようです。前期型と後期型の大きな違いは尺配置の相違で、このあたりはatom氏のホームページで解説されているとおり、前期型のNo.2664は表面のA尺が5インチ分刻まれ、後の半分は1から5、5から10で折り返すL尺になっていることです。このような配置になった訳は滑尺裏の三角関数尺がTI1, TI2, SI2, SI1と4種類刻まれ、TI2, SI2尺で6度以下の微小角を計算するため、本来ならば滑尺裏に10インチのフルレングスで刻まれるべきL尺の行き場が無くなったということなんでしょう。A尺が半分しかない理由はD,DF尺に対して二乗を読み取るならば精度的に半分あれば良いということで、同様にログの数値も足し引き算なので等間隔であるL尺も半分の長さがあれば計算出来るということなんでしょう。世界的に見てこのハーフレングスのA尺L尺はどの会社の計算尺からコピーしてきたのでしょうか?後期型は後の2664SからCIF尺を除いたのと同じ尺種類と配置になり、A尺もL尺も10インチのフルレングスとなりL尺は滑尺裏に移動しました。その代わりSI2が無くなりSI尺のみになります。後期型の6度以下微小角の計算は2664Sの説明書を持っている人が多そうなので省略しますが、与えられた数値を一度ラジアンに変換して、出した値がsinθもtanθもほぼ同じとしても実用上差し支えないという計算法だったと思います。また前期型のCI尺にはπゲージが刻まれていましたが、後期型ではCI尺のπゲージは省略されてしまいました。さらに前期型のCF、DF尺は双方とも延長部分があり左末端が3.0、右末端が33となっています。基本的に√10ずらし尺であることには代わりがないのですが、前期型には√10表示はどこにもありません。このような差異がありますので「No.2664SからCIF尺が無くなっただけ」の後期型よりも前期型のほうが個性的に見えてしまうのは当方だけではないでしょう。また前期型は刻印バリエーションも豊富で、初期のMADE IN JAPAN表示のものから戦時中の原産国表示無し、再びMADE IN JAPAN時代を経てGHQの命令でMADE IN OCCUPIED JAPANに至ります。裏の換算表は発売当初が英語表記で開戦と共に日本語表記になり、戦後になって英語表記に戻るようです。オクでよく出てくるNo.2664は戦後の黒もしくは緑の貼箱入りの後期型でオキュパイドもしくはそれ以降のものが多いようです。そのため、A尺L尺が同尺の前期型に興味があったもののいままで入手する機会はありませんでした。今回のNo.2664の入手先は福岡の刀屋さんからで、三角スケールとセットで500円だったので、押さえて置いたシロモノです。生産国表示のない前期型の戦中品ですが、裏目安線窓は「⊃⊂」型で裏側にもセルロイドが被さったものでした。戦時中片面計算尺に共通に見られる粗末な紙製の筒に黒い疑皮紙を張り合わせたサックに入っていました。換算表とセルロイドの目安線窓の一つが欠品でした。形態的には戦時中でも昭和19年以降の物に思えるのですが、なぜこの時代になっても裏までセルロイドが使われていたのか不明です。又、もしかしたら戦争の末期には換算表を付属させる余裕が最初からなかったのかもしれません。戦争末期の日本では不要不急の品物はすべて製造を中止させられ戦争の遂行に必要のない物は市場から消えていきますが、計算尺は軍需品の設計や生産に不可欠だったために材料の特配を受けて製造が終戦まで続いたようです。そもそも竹は金属や木材の代用資材ですから他の材料に換わりようが無かったのですが、金属が入手しづらくなったからか他社の計算尺ではカーソル枠も竹で作られたものもあるようです。さすがにヘンミの計算尺は竹製カーソル枠のものは見たことがありませんが、戦争末期のものはカーソル枠のメッキも薄く、さらに表面に張られたセルロイドが通常のものよりかなり薄いものを使用したような感じです。なにせセルロイドの厚さを半分にすれば倍の計算尺を製造することが出来るわけですから。又、この時代のセルロイドの品質もかなり悪かったようで、おしなべて黄色く変色してしまった物が多く見られるような気がします。セルロイドは古くからリサイクルされて石鹸箱や靴べらなどに加工され直していたそうですから、戦時中に使用された計算尺のセルロイドはバージンではなく回収されたセルロイドがかなり混ぜられていたからなのかもしれません。
Hemmi2664
 カーソルグラスの上端が少し欠けているのも残念!
HEMMI No.2664前期型の表面拡大画像はこちら
HEMMI No.2664前期型の裏面拡大画像はこちら
HEMMI No.2664前期型の滑尺裏拡大画像はこちら

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July 02, 2007

6m近接Esキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

 6月のハイバンド伝搬コンディションは昨年を遙かに下回るpoorな状況だったようで、集計してみると過去2年間の6月交信数の1/3という有様でした。特に6mがEスポで開いている時間が例年の6月と比べて極端に回数も時間も短く、午前中はおろか夕方になってもJA6YBR/bさえ聞こえない日のほうが多かったような状態です。6月中は夏至直後の週末。23日24日が爆発的に良かったようですが、両日とも記念局運用の張り付きだったために自局の運用が2日とも欠落して、この2日間に自局運用をしていれば過去2年の平均交信数の2/3くらいまでいけたかもしれませんが。
 このようなPOORなコンディションの中でまったくダメだったのが6mでの7エリア及び21メガでの同一エリア電離層反射波交信で、例年であれば5月の末くらいにそのチャンスが巡って来る確率が高いのですが、今年は6mでの交信では白河の関を越えて7エリアとの交信機会が全くないという悲惨な状況でした。そのために今年は「6m電離層反射波交信最短距離記録更新」など諦めていたのですが、その機会は意外な形でやってきました。
 先週末の土曜日は朝方はさほどコンディションが良くなかったのですが、10時台前半から急に6mのCQの声が浮き上がり、こちらも久しぶりに50.244でCQ開始。千葉県松戸市からの応答を皮切りに20分で11局ほどと交信し、その後急激にコンディションが低下しました。その後は6エリアの声が微かに聞こえる程度で推移し、夕方からもコンディションが上がらずにその日もお終い。翌日の日曜はまるで8月も末のような状態で21メガも数局しか聞こえません。夕方からもコンディションが戻らず今日は1日ダメかと思った18時台後半に6mで数局交信する声が聞こえます。その一局が7エリア岩手局だと聴いて思わず腰を抜かしそうになりましたが、フェードアウトしないことを願いつつ、現在交信してる相手が長っ尻で交信地点がどこだか理解できなくて何度も「どこのあたりか?」などと聞く始末で、このままフェードアウトしてしまったら絶対に「祟る」などと思いながらも、応答一発で交信成立しました。相手の移動地は何と岩手県の県境は二戸市です。これまでの電離層反射波最短交信が岩手県の旧西根町でしたから奥中山の十三本木峠を越えて青森の県境に迫るところ約10キロというところです。フェージング混じりで上がり下がりが激しい状態でしたがピーク59のレポートでした。同時に山形の上山市の局も聞こえていましたが交信機会を逸してフェードアウト。上山市は昨年6mで交信済なので執着はしませんが(笑)それにしても二戸市というと同一緯度でいうと秋田の大館市あたりで、こちらも青森県との県境に近い場所ですから6m空白地帯の秋田県局が北にビームを向けて欲しいところですが、未だに6mでは秋田県との交信機会がまったくありません。しかし5月の末に遭遇しやすい6mの近接Esが7月の頭に遭遇するとは思いませんでしたが、今年はそのような気象状況なのでしょうか。ここ数日間は7エリアコールの局に要注意かもしれません。20時台後半に6mバンド上でこの局しか聞こえていなかった静岡は御前崎市の局と交信成立してます。御前崎市は6mで取れていなかったからラッキー(笑)

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