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August 24, 2007

HEMMI No.50/1 機械用計算尺(戦前型)

 10インチマンハイム型計算尺のHEMMI No.50のルーツはJ.HEMMIのNo.1に逆尺のCI尺が追加された、いわゆる大正15年型計算尺のJ.HEMMIの旧No.100がルーツのようで、HEMMI計算尺が逸見次郎の個人会社から、大倉龜が経営のトップに就任した後の合資会社逸見製作所設立の過程に於いて、さらにK尺が加わって出来た旧NO.102が新型式番号体系に移行して出来たのがこのNo.50のようです。後の片面計算尺を見慣れた目から見ると、マンハイムのA,B,C,D尺に逆尺のCI尺と3乗尺のK尺が加わっただけの表面6尺で、後の学生用8インチ尺より寂しい内容と言われても仕方がありませんが、当時としてはこれでも世界基準のスタンダードな内容の計算尺だったわけです。旧NO.102に交代して昭和一桁台から昭和26年頃に10インチ片面計算尺の筐体が共通化され幅広型のNo.50Wにモデルチェンジするまで長い間、片面計算尺のスタンダードとして生産され続けましたが、時代の進行により色々なバリエーションがあり、初期の物はセルロイド両端が鋲止めでA型カーソル付き(見かけが逆C型カーソル)で、3本線付きの/3も平行して生産され、昭和2桁に入るとセルの両端に鋲が無くなり、更に時代が下るとA型改良カーソル(四角い金属枠カーソル)付きになりました。また、太平洋戦争開戦直前か、目盛が従来からの馬の歯型から単なる縦線のみで刻まれた普通の物差し型に変わりますが、これは物資不足時代に突入して塗料を少しでも節約する配慮からでしょうか?(笑)位取りの為のインジケーター付きのカーソルが付属した物はNo.51/1、51/3として区別されていますが筐体は同じです。このNo.50には「薄手型」と称するNo.50/1Fとπ切断ずらし尺を持つNo.50/1πの2つの同名異尺がありますが、薄手型はともあれ、π切断ずらし尺を持つNo.50/1πのほうは、当時あまりCF,DF尺の馴染みがなかったためか、はたまた技術屋には普通のマンハイム型のほうが好まれたためか、あまりお目に掛かる事のない計算尺です。昭和14年の逸見計算尺価格表によると、50/1型は9円、50/1Fは7円80銭、50/1πは10円の価格設定でした。ちなみに両面型のNo.153は17円50銭で、双方ともに日払いの日当が50銭くらいの時代にとても高価な物であったことには変わりありません。このNo.50はA型カーソル(逆C型カーソル)が付属した美品ではないとあまり値段が付かない計算尺です。ポケット型で兄弟尺のNo.30やNo.34RKあたりよりも値段が付かないのは納得できませんが、10インチの片面計算尺にしては後の2664Sあたりと比べると内容が寂しすぎるからでしょうか?でもNo.50はこれでいいのです。個人的には初期型の鋲止めでA型カーソル付きがよかったのですが、久々に出てきた今回のNo.50はA型改良カーソル付きで、目盛も普通の物差し型です。実用性は増したもののやはりコレクション的にはちょっと損をしています。年代的にはA型カーソルが付属していながら物差し型目盛が刻まれているNo.50/1が存在するので、それより後の開戦直後あたりの製造ではないでしょうか。まだこの頃は戦前の楕円形断面の黒い貼箱が付属していますが、戦争末期になると単なる黒い紙箱のケースになり、裏の換算表も省略されてしまったようです。京都から届いたNo.50/1はmade in Japan刻印もない開戦直後の生産を証明する個体のようですが、ぬぁぁぁんと裏のアルミ板が腐食して喪失してました。 裏板のない計算尺掴んじゃった〜〜、あ゛〜〜〜ヘタこいたぁぁ〜〜○| ̄|_ と誰かのネタじゃありませんが。裏側にアルミテープを貼って換算表を嵌めたら見かけはごまかせるかもしれないって「そんなの関係ねぇ〜、そんなの関係ねぇ〜」(呆)
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HEMMI No.50/1 戦前型表面拡大画像はこちら

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August 23, 2007

HEMMI No.80K 電気用計算尺

 HEMMIの片面電気尺の歴史は意外に早く、逸見次郎の個人商店時代の大正中期に作られたNo.3が最初ですが、これはドイツのA.W.FABERの殆ど丸コピーで、それというのも第一次大戦の敗戦でドイツの計算尺生産が一時的に途絶え、そのため欧米からA.W.FABERの電気尺そのものを作るように要求されて出来たのがJ.HEMMIの電気尺No.3だからです。そのため、FABERの滑尺溝の部分に刻まれたダイナモとモーターの効率を計算する尺と、インジケーターを先端にもつ本体より少し短い滑尺がそのままコピーされ、以後HEMMIの片面電気尺の外見的な特徴になっていました。そのJ.HEMMI時代のNo.8は昭和に入り"SUN"HEMMI時代にはいるとNo.80に発展して幅が拡大したり、延長尺が設けられたり副カーソル線付きのカーソルが設定されたりしましたが、このNo.80は片面計算尺にありながらべき乗尺を持つからか、ユニバーサル型のNo.153同様に電気関係の技術者以外にも広く愛用されたようです。そのため、戦前のNo.80/1およびNo.80/3は比較的に数が多く残っているようです。
 数ある片面計算尺のなかにあって、戦前のNo.80は戦後のNo.130と共に当方の好きな計算尺の一本で、特に昭和10年以前の延長尺なし、セル六ヶ所鋲止めのNo.80が古風な風情を残していて一番好きな片面尺です。このNo.80は昭和ふた桁の年代に突入するとセルの接着法が改良されて滑尺インジケーター以外の鋲止めが無くなり、更に戦後のMade in occupied Japan時代を経て昭和26年頃に新たな計算尺が続々と発表されるのに合わせてNo.80Kにモデルチェンジしました。筐体を他の10インチ片面尺と共用にしたため、滑尺溝のダイナモ・モーター効率計算尺を滑尺溝に刻むのを止め、上固定尺に持ってきました。さらに3乗尺のK尺を入れるスペースがさすがに無いため、下固定尺の側面にK尺を刻み、カーソルのインジケーターでK尺の値を読むようになっています。このK尺が追加された意味でNo.80Kという形式が付きました。このNo.80Kは旧ロコの緑箱で発売され、新ロゴ緑箱を経て紺帯の模様入り貼箱まで確認してますが、青蓋のプラケース入りのものを確認していないので、少なくとも昭和47年までに生産を終えていたような感触があります。このHEMMI No.80Kが発売された時期はいろんな用途の計算尺が揃い始めたころになり、戦前のように電気系技術者以外にも多く使われたということは無く、戦前のNo.80に比べると数がそれほど出ていないようで、意外なことにNo.130などと同様に中古尺があまり出てこない専用計算尺の一本です。
 このHEMMI No.80Kは他のHEMMIの片面計算尺同様に時代によってメーカー名・形式名などの位置に差があり、昭和32年の「H」刻印までは裏側センターにメーカー名と製造刻印が黒で、オフセットされた右側に形式が黒で入れられているのは他の片面尺同様です。昭和33年から裏側センターにメーカー名と形式が入り、製造刻印は左側に入れられ、色が入らず打刻だけになりました。この様式がしばらく続き、40年代に入ってからメーカー名と形式名は表側上固定尺左に移っています。また初期のタイプではゲージマークの違いだけでなく、赤いオーバーレンジの左の開始位置が0.785から始まっているものがあるようですが、比較サンプルが少ないのでいつ頃どのように変わったのかは当方では掴めていません。ところでA.W.FABERのコピーの系統であるNo.80Kには更に他メーカーによる孫コピーがありまして、それは技研のNo.2502からFUJIのNo.108に至る技研系電気尺とRELAY/RICOH系のNo.107電気尺です。双方の計算尺共にK尺を固定尺側面に持ってくるような姑息な手段は講じずに技研系電気尺はK尺を一番トップに配置し、RELAY/RICOH系はちょっと変わっていて表の滑尺上にK尺を配置しています。RELAY/RICOHの電気尺No.107は若干オリジナリティが感じられ、HEMMIのNo.80Kと違って三角関数を下固定尺に、べき乗尺を滑尺裏に配置したダルムスタッド尺になります。おかげで滑尺裏はL,LL1,LL2,LL3、まで刻んだ豪華版です。
 入手したHEMMI No.80Kは大阪からで、外箱と説明書がありませんし、ビニールは入手時に開封されてしまいましたが、一応未使用品です。刻印は「OH」で東京オリンピックが間近に迫る昭和39年8月製。大きくHEMMIのロゴが入った緑の貼箱入りです。メーカー名と型式名は裏のセンターに入れられたタイプ。延長尺の開始点は0.8から始まるNo.80Kとしては一番ポピュラーなタイプでしょうか。このNo.80Kは米英に輸出されたものとメトリックの国々に輸出されたものとは上部のスケールとカーソルが異なり、それぞれインチとメトリック、Kwとhpが異なるために副カーソル線の間隔が異なるという違いがあるようです。当然の事ながら国内で販売された物はメトリックの国々に準じたもののようです。
 しかし、実際に使うとなると下の固定尺に申し訳程度に追いやられたLL1,LL2尺が非常に見にくいのが残念ですが、技術用の計算尺として尺種類さえ刻印していないのは相変わらずです。「技術屋がわかりきったこと訊くんじゃねぇや、べらぼうめ」とでも言いたいが如くで、もしかして江戸前計算尺の証明でしょうか。とはいってもルビコン河ならぬ白子川を渡ると埼玉ですが(笑)
Hemmi80k
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August 21, 2007

またもや21メガ近距離伝搬に遭遇

 8月も10日を過ぎて急速にハイバンドの開ける日が少なくなりました。全国4地点の臨界周波数イオノグラムを見てみると国立上空における臨界周波数がなかなか伸びてこないにも係わらず、稚内の臨界周波数が未だに上昇する頻度が高く、やはり電離層の電子密度が気象条件に左右されているような気さえ起こします。というのは1エリアは夏の太平洋高気圧に覆われて大気が安定し、逆に8エリアは梅雨前線崩れの停滞前線が居座ったり、太平洋高気圧の縁を通る大陸からの低気圧の通り道になったりして、大気が不安定な日が多くありました。また、北海道まで太平洋高気圧の勢力下にあり、各地で35度以上を観測した大気的に安定したお盆の帰省シーズン中はハイバンドがまったく開かず、逆に大陸から冷たい大気が流れ込んで関東あたりまで気圧が不安定になると朝夕にハイバンドが開き出すという現象も起きています。
 さて、そのような8月のお盆も過ぎた17日から19日までJARLのローカル支部コンテストがありましたが、48時間でVHFの6mも含めてハイバンドがまったく開かず、HFでは7メガの運用を強いられるも、悲しいかな屋根より低いワイヤーダイポールだけに、CQ掛けている最中に3エリアあたりの局が300Hzしか離れていないところでチェックをかけ始め、QRLだと叫べども聞こえないからかそのままCQを始められて収穫無く撤退を強いられるということを何度も繰り返し、CWではここぞと思った周波数でしばらくワッチしてQRL?を打つと、ロシアの局にQRLを3回打たれて、もう出る隙間も見つからず撤退などということもありました。しかし、ロシアのCW局がかなり出現しているのが聞こえていましたが、北海道からロシアに掛けての伝搬がかなり良かったようです。
 しかし、まったくハイバンドの伝搬に恵まれなかったコンテストの翌日20日、朝から6mを含めてハイバンドの伝搬が戻りましたが、こういうのはコンテストには付き物ですよね(^_^;) 20日の日中どれくらいハイバンドが開いたかはわかりませんが、夕方にリグの前に座る時間が出来て21メガをワッチすると1エリアから6エリアの局まで聞こえています。6mは6エリアの九州北部の局がかなり強力に聞こえてました。21メガにて20分ほどの運用で10局あまりと交信しましたが、その中でひときわ強力に入感してきた局があったので応答すると何と同じエリアの富良野市の局でした。相手のJA8コールの方のほうが21メガの近距離電離層伝搬に驚いていましたが、30年以上の経験者でも直線距離100キロ以内の近距離伝搬に遭遇するのは稀な事だったのでしょうか?今年はまるっきりダメだと思っていた21メガ同一エリア内近距離電離層伝搬には7月の末からたびたび遭遇しましたが、全て夕方からの交信でした。けっこう8エリア内で電離層電子密度が上昇している証拠でしょうか。この日の夕方の21メガの伝搬は30分ほどでDXから呼ばれる声がした後、急速にコンディションが低下して静かになりました。

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August 18, 2007

NKK 薄板鋼板ロール重量計算器 By CONCISE

Nkk_weight コンサイスの円形計算尺は現行でも入手できる唯一の計算尺で、目外れのない円盤状であることが最大の特徴ですが、どうもいつでも入手できるという安心感があり、いままで一枚も入手していませんでした。このコンサイスの重量計算器かと思って入手したのが今回の計算尺ですが、何か様子が違うので他のコンサイスの特殊計算尺と比べてみたらどうやら特殊用途の重量計算器だったようです。英語でCOILED STEELと書かれていましたが、当方鉄鋼関係者ではないので日本語で何のことか考えてしまいました。どうやらTVのニュースなどで見た自動車などに大量に消費される薄板鋼板がロール状にされて出荷される様子を思い出し、この薄板鋼板ロールの重量計算用換算尺ではないかと推定しました。何せ旧日本鋼管・NKKの刻印が入っておりますので、日本鋼管が自社用と薄板の出荷先に対して配布するためにコンサイスに特注で作らせた計算尺ではないでしょうか。コンサイスでは金属重量計算尺およびJISの鉄骨用の重量計算尺は昔から定番商品として存在していましたが、薄板鋼板ロール用の重量計算尺は、当方がコンサイスの円形計算尺に疎いと言えども、初めて見る計算尺です。入手先はまたもや計算尺空白地帯と思っていた伊豆半島のとある町からで、前回プラケースのHEMMI No.2664Sを入手した町の北隣に位置する所でした。直径10.8cmのタイプで、ビニール入りの未開封品。どれだけの幅の薄板をどれだけのロールにした場合の重量をメトリックおよびヤードポンドの両方で計算するようになっているようです。面白いのはカーソルにHOTとCOLDの2本のカーソル線があり、当然のこと灼熱しているロールと冷却しているロールは同寸だと5%の重量差を生じるための工夫になっています。裏側は特殊な番手のヤードポンド/メトリックの換算表です。当然の事ながら鉄鋼関係はまったくの門外漢なので、正確な使い方は想像の域を出ませんし、シロウトにとってまったく「使いようのない計算尺」なんですけどね(笑)でもまあ、コンサイスにも知られていないような特殊計算尺がまだまだあるかも知れず、そちらのほうに興味を引かれてしまいますが(^_^;)
 これ、開封してスキャナーに掛けようとしたら、つくばから帰省してきた一技一通一アマで、これまた計算尺好きの同級生に「もったいない」と言われて、今回は半透明のビニールを透しての画像になりますが、ご了承あれ。
NKK薄板鋼板重量計算尺by CONCISE表面の拡大画像はこちら
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August 17, 2007

HEMMI No.2664 後期型

 前回に戦前から戦後にかけて発売されていたHEMMIのNo.2664のことを取り上げましたが、今回のNo.2664は最初期型のNo.2664Sと比較検討を加えるために入手したNo.2664としては最末期に属する製品です。初期型のNo.2664がA尺とL尺が一本の尺の半分ずつを共用したハーフレングスの尺を持っていたり、滑尺裏に6度以下のSIN/TANの微小角を計算する尺がそれぞれ独立していたりして、少々個性が感じられたのですが、後期型のNo.2664は「No.2664SからCIF尺を取っただけ」などと口の悪いマニアに言われるように、No.2664Sを見慣れた目からするとCIF尺が無いことと滑尺裏の三角関数尺に赤文字の逆数は入っていない事くらいでしょうか。ゲージマークなどにも最初期型のNo.2664Sと差異は認められません。製造刻印はGDで昭和31年の4月です。翌年のH刻印まで製造刻印は裏側固定尺のセンターSUN HEMMI JAPANの後に黒で入れられていました。形式のNO.2664はオフセットされた右側に打刻されています。片面計算尺用の換算表はこの時代はNo.64やNo.130用の長さや重量換算がメインのものと、学生尺のように図形が入ったこのNo.2664用のものがありましたが、40年代にはいると10インチ片面計算尺は練習用を除きNo.64やNo.130と同じ換算表に統一されています。ケースはNo.2664Sの最初期型同様にSUN HEMMI BAMBOO SLIDE RULEと小さくロゴの入った緑の貼箱入りで、No.2664がこの箱が最終のタイプとなります。もはや戦後ではないと言われた時期の製品だけに品質・加工などもその後の時代のHEMMI計算尺と遜色は無く、正にHEMMIの最盛期を迎えるにふさわしい品質の計算尺でした。
Hemmi2664

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August 13, 2007

RELAY No.150 10"両面型

 RELAY時代の計算尺は昭和20年代末期からRELAYネームかOEMブランド名を問わず、かなりの数がアメリカに輸出されたようで、そのせいか昭和30年代半ばまで国内向けの計算尺販売には今ひとつ力が入っていなかったような感じさえ受けます。それも向こうのバイヤーが要求する計算尺の様式を忠実にモデルにして品種を増やしていったようで、その点は製造元が開発の主導権を握るHEMMI計算尺の開発姿勢とまったく異なり、その結果どう用途が異なるのかわからない似たような計算尺でありながら独立した品番を持っている計算尺が多いと思うのは当方だけでないでしょう。そのRELAY時代でも「ダブルスター印」の時代には輸出用計算尺の型番の頭にRやDなどの用途別記号がアルファベット一文字で付番されていましたが、それが取れて型番が整理されたとき、両面計算尺は150,151,152,153,157,158の6種類が揃っていました。その後154,155,159が加わった後、RICOH時代になり4桁の型番に発展しますが、150番台の計算尺も40年代末期までRICOHブランドとして生き残ったものがあります。
 アメリカの熱心なRICOH計算尺コレクターによると、No.150が最初にアメリカにOEMブランドの計算尺としてもたらされたのは昭和28年頃、最後のモデルは昭和46年頃ということですが、RICOHブランドになってからは殆ど国内向きとしては出荷されていなかったのではないでしょうか。尺種類は表面がL,LL1,DF,[CF,CIF.CI.C]D,LL3,LL2、裏面がLL0,LL00,A,[B,K,CL,C]D,S,ST,Tの21尺ですが、これは言うなればHEMMIのNo.P261と同じダルムスタット尺ということになるのでしょう。またDF,CF尺はπ切断ずらしで、用途的には機械技術用途の計算尺です。他のRELAY/RICOHの両面計算尺では三角関数尺が固定尺上に刻まれたものが見当たらないのでこれがNO.150番台のRICOH計算尺の中でのNo.150の存在意義の一つなのでしょう。三角関数尺の中にST尺が存在するので6度以下の微小角におけるSINとTANの計算に有利になっています。
RELAY No.150の身幅はHEMMIのNo.153やNo.251などと同様にナロータイプになりますので、20尺から21尺を詰め込むのが限界なのでしょう。No.150は限界まで詰め込んだ感があります。このRELAY No.150は埼玉県からやって来ましたが、RICOHの初期の赤蓋ベージュ貼箱に入っていたために、箱だけ後から別のものに換えたのかと思っていました。ところが刻印を見ると「M.S-3」ですから昭和39年3月の佐賀製ということになり、前年に三愛計器がリコー計器に名称変更したため、当然RICOHのブランドが刻印されていなければいけないはずです。おそらくRELAYの刻印が入った滑尺の仕掛品があったのか、RELAY刻印の完成品としてのデッドストックでもあったのでしょう。そこに新たにRICOH時代の製造刻印を打ってRICOHブランドの紙箱に入れられ「RICOH No.150」として出荷されたのかもしれません。さほど使われずにしまい込まれた計算尺だったらしくセル表面もカーソルもきれいな計算尺だったのですが、ケース内側両端に張られていたウレタンスポンジがすっかり分解して両端に茶色くこびりつくという現象が生じてまして、これを除去するのに結構手間がかかりました。箱にK.YOSHIOのサインが入っていましたが、まさか小島よしおさんの持ち物じゃないんでしょうね?そんなの関係ねぇ〜そんなの関係ねぇ〜(笑)
Relay150
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August 04, 2007

HEMMI-BENIYA宅建計算尺8"

 この宅建用計算尺というのは不動産関係者向きに作られた特殊計算尺の一種で、長さと面積の換算および面積の計算に特化した計算尺です。表面にのみ6本の尺を持つ計算尺で、ポケット用の5"のものと通常用途の8"の計算尺が発売されてました。今回入手したものは8"のもので、本体はプラスチック製です。ベースになったモデルは8"のプラ製学生尺HEMMIのNo.P45Kで、製造は山梨の技研の系統でしょう。No.P45Kや初期のNo.P253と共通のエンジンターン模様のような薄緑の貼箱に入っていました。
 面積の計算以外は換算用となりますので、計算尺と言うより換算尺に近いかもしれません。年代的には30年代末から40年代初めくらいでしょうか。40年代も半ば以降の発売となると、ベースモデルもHEMMIのP45Dあたりに変わっていたでしょう。ベニヤ商事という会社とヘンミ計算尺の共同開発で、そのためかヘンミの特殊計算尺系400番台の品番がないのですが、ベニヤ商事が流通に乗せただけではなく、ヘンミ計算尺の販売ルートにも流通していたような。しかし田辺経営との共同開発の経営計算尺がP402とP403の品番を正式に持つのに「なぜ宅建計算尺には品番がないのか?」という疑問が残ります。もしかしたら宅建計算尺は継続して製造されたわけではなく、ベニヤ商事の発注によってスポット的に1度だけ作られた特注品なのでしょうか?
 あまり計算尺としては面白みのない特殊計算尺ですが、唯一興味深いのは一般のC尺D尺にあたる部分の左が3から始まることで、これは考えるに一般の土地取引は一坪が単位であり、一坪が3.3平方メートルに相当することから3以下を廃して3から始まることで3から10の範囲の精度を高めているのではないかと。右端は30になります。製造記号は「ヘPD」ですから昭和40年4月製でした。このヘの記号については諸説紛々いろいろあるようですが、おそらく山梨の下請けの中でも特定の工場を区別するために打たれたのではないでしょうか。ヘの付番はうちの計算尺の中でもP261とかP270などの特定のプラ尺にのみ出てきます。この宅建計算尺は紙の外箱に入れられて売られたわけではなくビニールに入れられただけで売られたようで、そのビニール袋に「宅建計算尺●長さ20cm/プラスチック製/定価1,000 」の印刷がされてました。説明書は学生用計算尺よりなお簡単な一枚物のペラを貼箱に巻き付けて外装ビニールの中に入れられてました。当然外国に輸出されるような計算尺ではなく、海外では珍尺の部類だと思うのですが、今ひとつ海外で認知度が低いのは品番が無いためヘンミの計算尺として認めてもらえないからでしょうか?
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August 02, 2007

ついに8月に突入

 本州もついに梅雨明けしてしまったようで、梅雨前線がどこにいったのかと思ったら稚内方面に引っかかってました(^_^;) どうもEスポで広範囲にハイバンドが開ける回数も減り、開いたとしてもごく短時間になりました。何かいつまでたっても太陽の黒点数は増加に転じないらしく、サイクルのボトムを脱したという情報は何か糠喜びだったようで、今の情報ではサイクルのボトムは来年の始めじゃないかということで、それなら昨年に輪を掛けて良くない電波伝搬コンディションも納得できるような。まあ、Eスポの発生頻度と太陽活動の関連性ならびに梅雨前線とは「関係ない」とは言われますけど、それにしても今年は昨年の半分も交信数が行っていないのがコンディションの悪さを物語ります。
 さて、7月の末にすでにNICTのイオノグラム上の臨界周波数を見ると沖縄から国分寺までまったく上がってこないのですが、稚内だけは臨界周波数が上昇する頻度があがり、北のほうでEスポの発生が多くなったようですが、その電子密度の濃い電離層のおかげで7月の末にスキャッタによる21メガ同一エリア内電離層伝搬のチャンスが高まりました。今年はすでに海を挟んだ向こうの青森は横浜町と交信しましたが、今期同一エリア内のスキャッタで交信したのは羅臼町、標茶町および広尾町でした。この時期ならではの同一エリア内電離層伝搬交信です。同一エリア内伝搬が納まって静かになりかけたと思ったら突然V8のブルネイから59で呼ばれてビックリしたりしました。
 そういえば臨界周波数イオノグラムやJJYなどで我々も常に世話になっている独立行政法人情報通新機構、通称NICTの国分寺の施設が一般公開されたようで、そのNICTのクラブ局から21メガのコールバックをもらいました。イオノグラムにいつもお世話になってますと言うと、何かピンと来なかったようなので、このクラブ局のオペレーター氏は無線の運用と電離層観測の直接の関連性は想像が付かなかったようでした。

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