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September 30, 2007

781系特急すずらん最終日

 北海道専用特急電車として485系1500番台にかわり投入された781系特急電車もついにこの北海道から一度も離れることなく終焉を迎えます。昭和53年に先行量産車が「L特急いしかり」に投入され昭和55年に量産車が増備されて耐雪性能で散々苦労させられた485系1500番台と置き換わり、今日まで30年余りに渡って北の大地を走ってきましたが、特急スーパーカムイ用789系1000番台新型電車登場と余剰になったスーパーホワイトアロー785系のすずらん置き換えにより残念ながら本日限りの運行となりました。全国的にもそうですが、旧国鉄から引き継がれたいわゆる国鉄型車両がどんどんと型式消滅し、プラスチックの成型品を多用したようなオリジナル車両が増えています。
 JRコヒ海道でも例外ではなく、183系ボンネット車も711系も風前の灯火。キハ40系も数年のうちに置き換えが進み、はまなすの14系座席車もそろそろ列車自体の存続も怪しいでしょう。ライラックは廃止セレモニーなどの予定もあったようですが、すずらんの方は特別なお飾りもなく普段通り。市民の関心もそれほどなく、撮影でこの2日間一緒になったのは青葉駅での1人だけでした。1日のダイア改正で785系に置き換えられたすずらんが沼ノ端駅(無人駅ですぜ)に停車することになり、1日の7時30分から記念セレモニーを行うとの張り紙が沼ノ端駅にありました。一般には新しい特急電車への置き換えの方が当然の事ながら歓迎されているようです。あんな785系走るんです特急でインバータノイズがやかましい電車のどこがいいんでしょう(^_^;)
481
 9/30特急すずらん3号青葉駅通過
481_2
 2002年1月1日、お役後免になったのか?先頭車の山・全6両@苫小牧駅
多分年末年始の増結用に中間車を取られて留置されてたんでしょうねぇ(笑)
それにしてもこんなところに放っておくか?(^_^;)

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September 29, 2007

HEMMI No.2664S 初年度製造品

 このNo.2664SはカーソルのないNo.80/1と共に大阪から入手した計算尺で、当初はカーソル取りにでもなれば良いとしか思っていなかったものです。ところが届いてみて驚いたことに、なんとNo.2664S発売当初の昭和32年7月製造を表す「HG」刻印付きで、刻印の打ち方も他の戦後発売の10インチ片面計算尺同様に型式名が独立して裏の固定尺右に入れられているというNo.2664と同じものでした。ついこないだ「II」刻印の翌年生産の最初期型を入手して喜んでいたばかりなのに、それよりも1年以上前の生産のNo.2664Sが迷い込んでくるのですから世の中というものはわからない(^_^;) オクに出ていた「HF」刻印のカーソルも箱もないNo.2664Sに手を出そうと思いましたが、その必要もなくなりました(笑)カーソル取りなどとはとんでもないことで、ありがたくコレクション入りとなりました。50年も経過しているNo.2664Sの割には、使い込まれた計算尺に良くある換算表の文字かすれなども全くない殆ど活用されていない部類の計算尺でしたが、ただ、C尺CI尺に「÷×」の記号が彫り込まれて色まで入れられてました。コレクション的にはこれだけでもマイナスですけど、まあ汚くて狂いの出ている計算尺よりはマシという物でしょうか。最初期型の特徴としてπマークの足が旧タイプの釣り針型で、ラジアン換算用のρマークの足も右側に巻いている古いタイプでした。さらに下側面のゲージは後のNo.2664Sが13-0-13のメトリックゲージであるのに対して最初期型の下側面はインチで10インチのゲージが刻まれています。又、刻まれている数字の書体も異なり、2の末端が跳ねていたり、4の足に横棒があったりします。また最初期型は上下のK尺A尺と中程のCIF尺CI尺の書体とDF尺CF尺C尺D尺と書体が異なっていますが、後のNo.2664Sはすべて同じ書体の数字が使われています。構造的には最初期型のNo.2664Sは当時の他の片面尺同様にアルミバックプレートの両端2箇所が固定尺とのネジ止めですが、後代のNo.2664Sは換算表ネジ止め以外はピン接合になりました。基本的に尺の目盛の刻み方にはまったく差異は認められません。昭和33年9月生産ものと今回昭和32年7月生産ものに関しては裏の刻印配置以外には差が認められませんが、何故か緑の貼箱に貼られている型式名を表すシールが昭和32年もの「HG」が「SUN MADE IN JAPAN NO.2664S」で葡萄色なのに対して昭和33年もの「II」は「SUN HEMMI JAPAN NO.2664S」で赤色となってます。以後はこの赤色シールが継承されますが、なぜこんな物まで変更する必要があったのかあたしゃ理由がわからん(@_@;)
Hemmi_no2664s

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September 24, 2007

HEMMI No.P43S 8" 学生用

 学生用8インチマンハイム型計算尺は長きに渡り各社からいろんな型式が発売されました。そのルーツは戦時中に発売されたNo.2640で、非常時の材料節約の観点から学生用計算尺を8インチと定めたのがそのままになって学生用の計算尺というと8インチというスタイルが定まったようです。戦後、新制中学校の数学に計算尺の項目が正式に加わり、No.2640にあわせてずらし尺を備えたNo.45も使われました。昭和30年代も半ばを過ぎるとマンハイム尺よりもずらし尺の方が多用されたようで、HEMMIでいうとNo.45Kが定番となりますが、同時期に発売されたマンハイム版がNo.43Aとなります。40年代に入ると毎年新学期に多用される竹製計算尺の製造コストが高騰したため、塩化ビニール素材のプラスチック製とした8インチ計算尺が発売されそれぞれNo.P45S及びNo.P43Sとなりました。(30年代発売のプラ尺にP45Kがありますが、P45SはP45Kよりさらにコストダウンを図った物です)製造は山梨の技研系で、末尾にSの付くものは裏に補助カーソル線の窓がありますが、後に発売されたD付きの物は更なるコストダウンで補助カーソル線窓も無くなり、三角関数を計算するためには滑尺を裏返す必要がありました。神戸からNo.50Wと共に入手したNo.P43Sは「ヘTA」刻印ですから昭和44年1月の明らかに山梨製です。この頃の技研系計算尺同様に滑尺部分が薄いブルーに着色されています。ゲージマークは中学生用らしくπマークしかありません。昭和40年代の竹製学生尺同様にカーソルのCI尺C尺部分に「÷×」の記号が加わったプラ一体型のものが装着されています。この時代の8インチ学生尺は竹尺もプラスチック尺も換算表は裏面に貼られず別添えのカードとなり、青蓋の塩ビケースに入っていました。入手価格はたったの100円で、久しぶりの100円計算尺です(笑)しかし、この時代はP43系とP45系の生産数の割合はどれくらいだったのでしょうか?中古市場でも明らかにP45系の方が数も豊富に出回っていたような気がしますが。やはりこの頃になると時代のニーズからか、中学生に購入された計算尺はずらし尺を備えたNo.P45系の計算尺が主流で、そのためにマンハイムのNo.P43系はごく少数派だったのでしょう。そして我々の世代が中学生であった40年代末には計算尺の記述があってももはや世の中では必要とされない技能となり、実際には計算尺の授業が省略されてしまったりして、学校でも一般社会でも計算尺に触れたことのない世代が増えていきます。
Hemmi_nop43s

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September 23, 2007

HEMMI No.50W 10"技術用

 従来のマンハイム型10インチ計算尺にCI尺が加えられた大正15年型計算尺にさらにK尺を加えた旧No.102のネーム変更版であるNo.50は技術用の計算尺のスタンダードとして数多く生産されましたが、戦後昭和26年頃にNo.2664などの10インチ片面尺と本体を共通化するため、ナローボディからワイドボディに生まれ変わったのがこのHEMMI No.50Wです。戦前戦後のNo.50/1はA,[B,CI,C,]D,K,の6尺を納めるには実に適当でよくまとまった計算尺なのですが、部品共通化という流れからワイドボディになったため、少々間延びしたというか格好の良くない計算尺になってしまいました。なにせこの尺本体にはNo.2662のように尺を10本も収めることが出来るのですからNo.2664より更に一本尺の少ないたった6尺装備のNo.50Wが必要以上にワイドな尺本体を使用しているというのが判ると思います。戦前のNo.50/1と並べてみると良くわかりますが、長さもNo.50Wは1cmほど長くなります。これは左右に延長尺を持つNo.64やNo.130などに合わせて尺本体を共通にしたためです。
 神戸から届いたNo.50Wは「DJ」刻印なので昭和28年10月製です。さらに「S」が加わったら当局のサフィックスなんですけどね(^_^;)このNo.50Wは国内物にもかかわらず上部のスケールがインチで下部のスケールがメトリックという米英仕様でした。神戸在住の外国人向けでしょうか?(笑)戦前のナローモデルのNo.50/1と比べるとA,B尺上にMマークが無くなり、C,D尺上のC及びC1マークは上のC尺上のみになります。滑尺裏はS,L,Tで変わりありませんが、戦前のNo.50/1のSINはA,B尺に対応した目盛だったものが、このNo.50WはC,D尺対応の目盛になったのが大きく変わった点です。このC1マークというのはかなり古い時代から存在するゲージマークですが、新しい年代の計算尺には存在しません。何のゲージマークかというと円の断面積を計算するCゲージが目外れを起こすような数のとき、D尺に取った数値をC尺上のC1に合わせ、右基線の示すA尺の数値がその円の断面積となる目外れ対策用ゲージマークなのです。円筒の体積計算などの目外れには有効ですが、桁の読み替えが当然必要になります。延長尺を持ち副カーソル線付きカーソルが出てから影が薄くなったゲージマークのようです。
 裏の換算表はNo.60やNo.130と同じ三角形などの図形が含まれていないもの。裏側には昭和32年までのモデルの例どおりに真ん中に「SUN HEMMIJAPAN DJ」が黒で入れられ、同列右の端に型式名「NO.50W」が入っています。裏のアルミ板固定方法は一部ネジ止め併用で、戦時中からの構造を踏襲、換算表もネジ止めです。しかし、このNo.50WはNo.130やNo.64と異なり、SINやTANの6度以下84度以上の微小角を簡単に求めるのが困難で、それだけでも技術用の看板を掲げるにはちょいと物足りない点です。でもまあ、逆尺K尺付きとはいえシンプルなマンハイム尺に多機能を望む方が間違いでしょうし、これはこれでいいのです。シンプルな片面尺故に無線従事者国家試験でこれを使っちゃいかんという試験官もいないでしょうし、4インチのNo.30を持ち込むよりはよっぽど役に立つと思いますが、これだけNo.2664Sが溢れている世の中、わざわざNo.50Wを捜し出して試験に臨むのもムリがありますけどね(^_^;)
Hemmi_no50w

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September 22, 2007

本多式簡易瓦斯検定器(ウルフ安全灯)

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 ウルフ揮発油安全灯に関しては一年ほど前に詳細を調べて発表しましたので省略しますが、我が国では大正末期から昭和の始めにかけて大手の炭鉱ではエジソン式蓄電池帽上灯の普及により、明かりとしての役目は一旦終えました。しかし、メタンガス濃度の高低を知るための道具としては欠かすことが出来なく、昭和5年くらいから光干渉式の理研製ガス検知器が出来てからもこのウルフ安全灯は坑内で使用され続けます。従来から使用されていた雑多な炭鉱用安全灯は、明治から大正期にかけて安全灯自体の欠陥や取扱の不備によって重大なガス爆発が頻発したことから、直方にあった安全燈試験所から発展した石炭坑爆発予防試験所の検査により、型式認定を受けた物のみが使用されました。その一つがこの旧本多商店製鎧型ウルフ安全燈で、本来は製造銘板に製造年とシリアルナンバーが、もう一つ認定番号の銘板があるはずなんですが、今回の物には一切装着された跡すらありません。さらに本来は欠かすことの出来ない磁気ロックシステムが最初から省かれて、その部分を別な板で埋めるという特別な仕様です。銘板の変わりに「本多式簡易瓦斯検定器」なる刻印が油壷上部のリングになされていて、通気リングは外部からゴム球付きの通気管から測定ガスを内部に導くための外部通気リングが装着されています。そのため一連の安全灯同様に坑内の保安を取り締まる側の鉱山保安監督署関係の備品だったことが推測できます。
 メタンガスは空気よりも比重が軽いため、坑道の底より天井付近に溜まりますが、安全灯を上に掲げて測定しようとすると安全灯の炎で発生する上昇気流の影響で正確なメタンガス濃度が検知できません。また常に目の高さで青炎の高さを測らないと正確な濃度検知が出来ないため、坑道上部からの空気を目線にかざした安全灯内部に導き出す通気管という途中にゴムのポンプ球がついたチューブを通気リングのニップルに繋ぎ、坑道上部に溜まったメタンガスの濃度を検知します。この簡易メタンガス検知は基準炎という測定の基礎になるほんのわずかな微炎を作り出す事が大切です。メタンに曝されるとこの基準炎の上に青炎が被さり、これをガス冠といいますが、メタンガス濃度が高くなるに従い、この青炎が伸張し、ついに爆発濃度に達すると筒内爆発を起こして消灯します。ところがこの基準炎の微炎は通常状態の炎よりガス爆発を誘発しやすいという統計があるらしく、当初はいきなり基準炎を作っておかずに通常炎で青炎の伸張を認めたり筒内爆発で消灯した場合に改めて基準炎を作って簡易的にメタンガスの濃度測定を行ったというような話を聞きます。しかし、このウルフ灯は腰ガラスに目盛が刻んであるわけでもなく、あくまでも測定者の主観で測定値にかなりのバラツキが出てきますので、測定者による誤差を無くすためには光干渉式メタンガス測定器を使用するか、目盛の刻まれたCHESNEAUガス検定灯もしくはPIELERガス検定灯を用いることになるようです。ところでこの本多のウルフ灯は本家のウルフ灯に比べてボンネットのスリットが本家が縦6個に対して本多製は縦4列しかありません。博物館の展示品や当時の写真などのウルフ灯を見ても国産コピーか輸入品かはスリットの数で容易に見分けが付けられます。

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September 21, 2007

戦前型HEMMI No.32 4"計算尺

 この計算尺はたまたま同じ市内から落札した戦前のHEMMI No.32です。オクで市内から品物をそれとは知らずに落札したのは初めてでしたが、相手の方も偶然にも市内の者に出品物が落札されたのは初めてだということでした。戦前より市内で使用された計算尺だとするとおそらく某製紙工場関係者の持ち物だったのでしょう。
 このガラスのレンズカーソルがはまったHEMMIのNo.32は戦後のものと比べると表面にCI尺がないA,B,C,D,の4尺を持つシンプルなマンハイム型4"ポケット尺で、戦後のNo.32がNo.50のポケット版といわれるのに対して戦前のNo.32はNo.1/1のポケット版レンズカーソル付だと思ってました。
No.32はレンズカーソルが付いているかそうではないかの違いで本体はNo.30と共通ですが、昭和一桁台の物は10インチ片面尺同様に表面のセル剥がれ止めのためか固定尺と滑尺の左右に計6個の鋲が打ってあり、その後滑尺の鋲だけ無くなり固定尺4個の鋲の物を経て昭和2桁の時代になるとセルの接着法が改良され鋲止めが無くなります。また、裏のアルミ板に"SUN"の商標や企業名が「打ち抜き」されたものが初期のNo.30およびNo.32に存在し、コレクターズアイテムの一つになっています。逸見次郎の個人商店時代であるJ.HEMMI時代には5インチの計算尺は早くから作られていたものの4インチポケット尺はかなりの後発で、CI尺が加わった10インチ計算尺、いわゆる大正十五年型計算尺の発売と同時期のNo.14のレンズカーソル版No.16のリニューアルモデルがNo.32のようです。 
 届いた戦前型 No.32はMADE IN JAPAN付きの"SUN"HEMMI ですからたぶん開戦前の製品でしょう。糸が崩壊しかけた皮ケースに入っていましたが、この時代のものにしては裏のアルミ板の腐食も殆ど無いのはやはり湿気の少ない北の町で保管され続けたからでしょうか。昭和30年代のガラスレンズカーソル付NO.32と比べると、CI尺が無いのはもちろんですが、πマークが釣り針型のJ足で、Cゲージがありません。1から2までの小数点一桁にすべて数字がふってあります。また上部のスケールはインチで、下部にはメトリックのスケールが両方ともあります。滑尺裏は双方ともS,L,T,の3尺ですが、戦前のNo.32のT尺は20度から35度までは1/10度で刻んでありますが、30年代のNo.32は1/3度刻みです。戦前No.32のカーソルはOCCUPIED JAPANマークが付いていましたが、これはおそらく戦後になってから交換されたのでしょう。
Hemmi_no32
 上が戦前型、下が昭和38年製造ガラスレンズカーソル付きの前期型です
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September 20, 2007

HEMMI No.P253 SPECIAL

 高校生用として多く使われたVECTLOGの愛称で知られるHEMMIのNo.P253の発売は昭和37年の新学期からのようで、生産は山梨の技研系で行われたようなフシがあり、ケースも30年代HEMMI両面計算尺の物とまったく異なるうす緑色の貼箱に入れられた物とプラスチックの筆箱のようなハードケース入りの物が知られています。コスト的に有利なプラスチックのP253は、竹の計算尺に比べると2/3程度の価格で提供されたために瞬く間に普及し、今でも数多くのP253を見かけます。その後ケースは他のプラ尺同様に角の丸い青蓋ケースで提供され、最終型は青蓋の角ケースが付属していたようです。しかしケースのバリエーションに比べると本体の変更点はわずかで、よく知られているのは40年代に入って三角関数関係の目盛がNo.251などと同様に細かくなったことと、昭和44年末頃からCIF尺がグリーンに目盛られ、VECTLOGのマークがデザインされたロゴマークから活字体に変わったことぐらいでしょうか。そんななかで、唯一型式に特別な付番がなされたものがこのNo.P253SPECIALになります。おそらくCIF尺を緑に変えたことで従来の物と区別化してSPECIALの名称を加えたものの、後のロットはすべてCIF尺を緑に変えたため、意味のないSPECIALだろうと言われていましたが、実際はどうなんでしょうか。それにしてもSPECIAL付きのP253は、長きに渡ったP253の生産時期にあってはほんの一瞬の生産であったことは間違いないようです。
 入手もう3本目となる川崎から届いたNo.P253SPECIALは、当初の予想通り昭和45年1月生産分の「UA」刻印でした。VECTLOGのロゴマークはまだ活字体にはなっていなく、デザイン化されたロゴマークです。やはり30年代生産のP253と並べてみると三角関数尺の目盛が細密化しているのは40年代のP253に同じです。30年代のP253は表面に仕上げ加工の工程があったのか、割に光沢のある表面仕上げですが、P253SPECIALは表面のフライス加工の目が判るようなコストダウンがなされた表面です。ケースは角の丸い青蓋ブローケースで型式名をあしらったシールは通常と同じ物が貼られていました。
 このSPECIAL付きのP253は当方では今のところ昭和45年1月から11月の生産のものを把握していますが、この両面計算尺におけるCIF尺のグリーン着色はリコーの両面計算尺のグリーンCIF化の流れに影響を受けたのかも知れません。しかしCIF尺のグリーン化でSPECIALを名乗るのは余りにもおこがましかったため、朝令暮改で新たにSPECIALの文字を削除してVECTLOGのロゴが活字体に変わったグリーンCIFのNo.P253に変わったのではないでしょうか。No.P253は学生用として多用されましたので、SPECIAL刻印付きのものもさほど珍しい存在ではありませんが、No.P253の生産の歴史の中では、全体数に対してやはり1/10以下の存在のようです。
Hemmi_nop253special
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September 19, 2007

ダルムスタッドの電気尺 RELAY No.107

 日本における片面電気用計算尺のそもそもが独製 A.W.FABERの電気尺の代用として欧米からの要求に従い、丸コピされて輸出された経緯は以前に書きましたが、基本的にそのコピーのコピーである存在であるのにも係わらず、かなりの独自性を発揮してけっこうがんばったのが三愛計器時代のRELAY No.107電気用計算尺です。この計算尺は「ダブルスター印」時代の型式がRELAY No.E-1001で、当方が以前見たものは昭和29年製でしたから、それ以前から輸出を主眼に製造されていたものなのでしょう。新形式となり10インチ片面尺の100番台の型式を与えられてNo.107と改名されたようです。
 尺種類は表面がE,V,A,[B,K,CI,C,]D,S,Tで滑尺裏がLL2,LL1,LL,Lと14尺を持つ豪華版ですが、表面に三角関数尺、滑尺裏にべき乗尺を持ついわゆる「システム・ダスムスタッド尺」ということになるのでしょう。この辺りはFUJIのNo.108電気用リッツ尺より個性的ですが、おそらく昭和20年代後半から存在する特殊用途のRELAY計算尺同様にアメリカのバイヤーの要求そのままに作られた計算尺であり、三愛計器独自の設計思想により作られた計算尺ではなさそうです。他の電気用片面計算尺同様にE,V尺はA,B尺と併用されるモーター及び発電機の効率を求める尺。またA,B尺には電線の断面積と長さによっての電圧降下を計算する目盛を備えます。滑尺にK尺を持ってきたのはHEMMIのNo.80Kのように下固定尺側面にK尺を持ってくるには特殊なカーソルが必要なため、使い勝手を無視して無理矢理滑尺にK尺を持ってきたのでしょう。このあたりはDF尺がD尺のすぐ下にあるRELAYの電気用両面尺 No.157 のような違和感がありますが、初期のリレー計算尺にはこのような妙な設計がたまに見受けられます。
 入手先は東広島からで、当時のリレー計算尺の紙箱は薄くてヘンミのものより華奢な作りなためかすでに失われ、本体だけの入手です。届いたNo.107は30年代半ばのものにしては、わりに酷使されたあともなくきれいな計算尺で、製造刻印は「J.S-3」ですから昭和36年3月の佐賀製。なぜか当方のRELAY計算尺は昭和36年の製造の物が多く集まってきます。RICOH時代のNo.107は黒いカーソル線のものが付属していたという話も聞きますが、昭和36年生産物はオーソドックスな赤いカーソル線のものでした。赤い色は逆尺の数字だけに使われたシンプルな色合いの計算尺です。面白いゲージマークとして銅線の電圧降下の定数2.87にΩの逆さまになったマーク(モー:オームの逆数)が用いられており、kWとPSの換算用ゲージマークがWで刻まれています。このWマークには何と7.36と7.46の両方の目盛が刻まれていますが、賢明なる計算尺ヲタの方々は当然その理由はお解りですよね?(^_^;) 下固定尺に配置されたSINとTAN尺は6°以下と84°以上の微小角はラジアンに換算して計算するタイプです。上部にはメトリックで25センチのスケールが、下固定尺側面には10インチのスケールが刻まれています。それにしてもRELAY/RICOHの片面計算尺には副カーソル線付きのものが見当らず、このNo.107も普通カーソル付きですが、それだけがちょっと残念な点でしょうか。しかし、このNo.107が舞い込んできたことでHEMMI,FUJI,RELAYの10インチ片面電気用計算尺が3種揃い踏みとなりました(笑)
Relay107

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September 18, 2007

炭鉱用江戸式安全灯(炭鉱用カンテラ)

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 この典型的な炭鉱カンテラスタイルの安全灯に「江戸式安全燈」という銘板を見たときには驚きました。油壷の厚みからして間違いなく揮発油灯のようでしたが、何せ鉱山技術の文献にはまったく江戸式なる安全灯の記述は見当たりません。実際に明かりとして使われていた時代の製品らしく、おそらく本多商店がウルフ灯を国産化した大正の初めから昭和の初めころの製品なのでしょう。入手先は福岡からで一連の安全灯の中の一つとして入手。鉱山保安監督局の資料として保管されていた安全灯の一つのようでした。実際に坑内で使われてたものらしくボンネットには多数の打ち傷があり、フックは坑木に打ち込みやすいように手製の物に換えられていますが、これが実際に使われていた「炭鉱のカンテラ」らしくていい雰囲気です。なんとちゃんとマグネットロックが生きてまして、使われなくなってからおおよそ7〜80年あまりも分解もされずにそのままだったようです。そのおかげで部品の欠品もなく完全品でした。普通型のボンネットを備えるこの国産安全灯は、未だ各地の石炭記念館等で鎧型のボンネットを持つ本多のウルフ安全灯と一緒に展示してあるのはよく見かけますが、安全灯は蓄電池式キャップランプに変わり、目的が明かりから簡易メタンガス検知という用途に変わってからは専ら本多製のウルフ灯ばかりが使われたようです。この江戸式安全灯は揮発油灯にありながら再着火装置がありません。町工場程度の江戸商会にはそれだけの加工技術がなかったのかもしれませんが、もしかしたら以前から使用されてきた油灯式のクラニー灯などを揮発油灯に置き換えるために安価で供給できるよう再着火装置を省いたのかもしれません。マグネットロックはウルフ安全灯とコンパチでウルフ安全灯のベンチマグネットがそのまま使えそうな感じですが、そんなものは持っていません。油壷のネジに所々四角い溝が彫ってあって、そこにばね仕掛けのラチェットの爪が入り込みロックすることはわかっているのですが、結局数時間いろいろ試して開錠に成功しました。そんなに強力な磁石が必要な訳ではなく(ボード用マグネットではさすがにだめです)「ちょっとしたコツ」があるのです。これは本多のウルフ灯などのマグネットロック解除などにも共通ですが、あえてこの奥義は公開しません(笑)
 分解してこの江戸式安全灯の構造を確認すると下部にメッシュの吸気リングを持ついわゆる「ウルフ型安全灯」でした。本家のウルフ灯と異なる点は腰ガラスをボンネット側に固定しておくリングがあり、そのため油壷を外すと腰ガラスやメッシュのガーゼがごっそりと抜けてくることがなく、掃除が楽なような感じです。また灯心の下にスリットの開いたリング状の導風板があり、このリングの存在が本家ウルフ安全灯と異なり、これが江戸式なる名称の所以なのかもしれません。どんな効果があるのかは判りませんが、少しでも明るさなんかの向上に寄与しているのでしょうか。江戸式安全灯は銘板によると「合資會社江戸商會製作 東京市神田區今川小路」となっています。シリアルナンバーは84067となっておりどこの炭鉱で使われていたのかはわかりませんが漢数字の左右逆字で「二八」の番号が打刻されています。
 神田今川小路というと千代田区鍛治町と中央区本石町の境、今川橋近くに現在でも「今川小路」が存在し、レトロな飲食街になってますが、このあたりは関東大震災による火災ですっかり灰燼に帰しています(さらに戦争末期の空襲でまた灰燼に帰しています)。おそらく合資會社江戸商會は関東大震災で被災し、消滅してしまったのかもしれません。そうなるとこの江戸式安全灯は関東大震災(大正12年)以前の製品ということになります。そのために江戸式安全灯は後世に名前を残すことがなく、我々にその名を知られることもなかったのでしょう。また再着火装置を持たなかったために簡易ガス検定器として使用するには不適で、明かりとしてはエジソン式蓄電池等により日本の炭鉱から駆逐されたことは確かです。

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September 17, 2007

炭鉱用CHESNEAU(シェノー)式メタンガス検定灯

Chesneau
 これはフランスで発明されたCHESNEAUガス検定灯を日本の本多電機がそのままコピーして製造されたメタンガス濃度測定のためのカンテラです。こんなものが国産で存在することなどまったく知りませんでしたし、鉱山関係の技術書を開いてガス検定の項目を捜しても出てきません。あまつさえ落札し損ないましたが同じ本多電機製と思われるPIELARガス検定灯まで出てきました。たぶん一般の炭鉱で使用された測定具ではなくて鉱山保安監督局の備品で、サンプルとして外国のガス検定灯を2種類入手し、そのまま本多電機にコピーさせて納入させたものではないかと考えます。双方ともに明かりとして使用する目的ではなく純粋なメタンガス濃度測定具であるため、使う燃料が揮発油ではなくメタノールを使用するアルコールランプで、メタンガスの濃度が濃くなると青い炎が伸長するその長さを測ってメタンガス濃度を測定する器具です。そのためウルフ安全灯の簡易測定よりもなお精度の高いメタンガス濃度の測定が可能であり、より高濃度の炎の高さを測定するためウルフ灯が10インチ程度の高さなのにCHESNEAUガス検定灯は13.5インチほどの高さがあります。ボンネットの側面には透明な窓と炎の高さによって濃度を測定するための目盛及び温度補正目盛が刻んであります。上下に動く真鍮の筒は一種のカーソルなのでしょう。入手した本多製CHESNEAU灯はバーナー回りのチムニー部品およびガーゼメッシュが欠品ですが、このCHESNEAU灯は1893年にフランスの鉱山保安監督局の長であるCHESNEAU氏によって発明されたためにその名前があり、バーナー回りが欠品のためにその原理を伺い知ることができません。おそらく基部に外気の遮断スリットがあるのでここから金属のメッシュリングを通して吸気し、燃焼熱で膨張した空気が金網からボンネット上のスリットから出続けることで、外部のメタンの大気に引火しないような構造になっているのではないかと思います。またその器具の性質上、ロックシステムと再着火装置がありません。一緒に出てきた本多のウルフ簡易ガス検定灯でさえわざわざマグネチックロックを廃してその部分をプレートで埋めた特別仕様で、認定番号などのプレートも最初から無いような感じでしたから、坑内の保安状況を取り締まる側のお役所の為の測定具であったことは間違いのないところです。ウルフ簡易ガス検定灯と違ってこのCHESNEAUガス検定灯は実際に使用されていたかどうかは少々疑問で、試作させたはいいがお蔵入りしてしまった測定具かもしれません。英国ではトーマス&ウイリアムス社がCHESNEAUガス検定灯のデッドコピーを、英国ウルフ社がPIELERガス検定灯のデッドコピーを生産したらしいですが、本多電機では両方ともデッドコピーして供給したことになります。
 大気の酸素が21%の濃度で含まれていると仮定すると、メタンは4.8%から14.5%の濃度範囲で何かの火が引火すると爆発を起こします。それ以下の濃度でもそれ以上の濃度でも引火しませんが、これを燃焼範囲とか爆発範囲といいます。メタンの濃度が9.5%のときが一番爆発強度が大きいといわれ、それ以上の濃度で爆発すると完全燃焼せずに致死性の一酸化炭素を大量に発生させることになります。また、一カ所のメタンガス爆発で坑内の広い範囲に渡って巻きあげられた炭塵に引火し、連鎖的に炭塵爆発を引き起こし、さらに大量の一酸化炭素を発生させます。一度に何百人の命を奪う炭鉱のガス爆発ですが、日本から坑内堀の炭鉱が無くなっても未だにエネルギー事情がひっ迫している中国やロシアでは信じられないような炭鉱事故が未だに続いているようですが。

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September 16, 2007

北川式一酸化炭素検知器

 この北川式ガス検知器を見て嫌悪感をもった人は、たぶん飲酒検問に引っかかって警官に風船を膨らまされた経験のある人かも知れません(笑)この北川式ガス検知器は検知するガスの種類によって専用のガラス検知管が200種類もあるようで、飲酒検問で使用される検知管はもちろんエチルアルコール用のようです。今回入手した北川式は炭鉱で使用された一酸化炭素専用の備品です。今でも北川式ガス検知器は最も簡単に正確なガス濃度が検出出来る測定器として各産業分野で多用されていますが、試料ガス採取器が昔の物はいかつい金属だったものが、今は測定器を感じさせない3色のカラーバリエーションを持つ樹脂の成型品になっています。また検知管もいろいろと改良されたようで、以前は正確な濃度判定のために温度補正が必要なガスの種類がありましたが、現在ではその必要がないものも多くなっているようです。
 そもそも炭鉱では安定状態では一酸化炭素が発生しないはずなのですが、往々にして採掘跡などの炭層が空気に触れることにより自然発火することによって一酸化炭素濃度が高まることがあります。その自然発火などの状況を早期に発見するために常に一酸化炭素濃度を監視する必要があり、その目的で使用されるのがこの北川式一酸化炭素検知器です。試料ガス採取器に温度計と標準色管(カラーチャート)の二本の管が付属しているのが一酸化炭素用の特徴で、当時の検知管の中身は酸性硫酸パラジウム溶液とモリブデン酸アンモニウム溶液を純白色のシリカゲルに吸着させたもの。この検知管に一酸化炭素を含む空気を毎秒1ccずつ30ccを送入し、一酸化炭素によってモリブデン酸アンモニウムが還元され、青変することで、その変色の度合いにより一酸化炭素の濃度を測定するものです。当時の検知管にはA,B,Cの3タイプがあり(現在種類はもっと増えてます)炭鉱ではエチレンガスの影響による誤差の影響を排除できるB型を石炭の自然発火検知のために、C型を発破ガスの検出用に使用されていました。この北川式一酸化炭素検知器によりごく微量の0.0001%程度までの一酸化炭素が検出可能のため、戦後の炭鉱では必ず備え付けられていた備品です。
 北川式ガス検知器の歴史を知りたい人は光明理化学工業(北川式ガス検知器の歴史)をご覧下さい。ちなみに現在の一酸化炭素用検知管のコストは一箱10本入りで二千円程度のようです。
 福岡から他の物とまとめて入手した北川式一酸化炭素検知器は製造年が昭和44年5月。筑豊では大手炭鉱は日鉄嘉穂炭鉱も明治平山炭鉱も閉山へと向かい、貝島大之浦炭鉱もそろそろ坑内掘り採炭から手を引きかけたころの製品です。検知管は45年7月製造のもの(使用期限は2年間)が紙箱に10本そのまま残っていました。肩からストラップで吊せるようになっている青い金属のケースには「石特」のペンキ書きがあり、売り主の話によると家屋の建て替えに伴う整理品の一つで、その家主の先代がどうやら鉱山関係の役所に勤めていてその関係で仕事上で使用していたものではないかということでした。どうやら筑豊・粕屋炭田から石炭の坑内堀が無くなって以来出番がなくなった測定器具だったのでしょう。いっしょに見たこともない本多製メタンガス検定灯(フランスのCHESNEAU検定灯のコピー?)なんかが何台も一緒に出てきましたので、おそらく坑内環境を測定する鉱山保安監督署関係にいた人の持ち物であったことは間違いの無いようです。
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September 13, 2007

今どき違法CB固定局で逮捕された人

 地元新聞紙の報道によると、美唄市在住の自営業の男と運転手の男が自宅に高出力の違法市民ラジオ局を開設して運用していたのを総合通信局のDURASの電波探査によって発信場所を特定され、総通局から8月21日に美唄署に告発が合ったことから電波法違反でこの2名の逮捕に至ったということです。しばらく前に北見の方で同じく高出力の違法市民ラジオを開設していた固定局が逮捕されましたが、このときはかなり広範囲にTVIを引き起こし、それきっかけとなって電波探査で発信元を特定されたようですが、この短い報道からは電波探査のきっかけは判然としません。しかしまあ、今どき重点監視周波数帯で固定局を運用し、さらにどんなアンテナ設備を使っていたのかもわかりませんが高出力とわざわざ書かれるくらいですから数百ワットから数キロワットの電力でも掛けていたのでしょう。知らないということは恐ろしいことですが、本人達はおそらくどんなシカケで発信場所を特定されて警察に踏み込まれたのかもわかっていないのではないかと思います。最近は直前に電波法違反で罰金刑以上の処分歴がある人でも講習だったら免許が必ずもらえるという話が伝聞しているようですが、今度は捕まらないようにアマチュアの免許を取るという行為が、果たして正しいのかどうか…。
 さらに岡山では局免が失効しているのにもかかわらずアマチュア局の運用を行っていた男が総通局に上がった複数の80条報告により総通局に摘発され、さらに資格外運用(4アマにも係わらず100Wの無線局を運用)も判明して従事者資格の停止66日の処分を喰らったという話を見ました。局免が失効しているので無線局の運用停止処分が出来ずに資格停止という処分に至ったようですが、本人「うっかりして局免の再申請を忘れていた」とでも言い訳したのでしょうか?とりあえず資格を持っているから不法開局の罪に該当せず、約2ヶ月間の資格停止で済むというのも少々処分が軽すぎるような気がします。しかし、電波行政を批判しても某協会の取材者証のように従事者免許を取り上げられる心配はありませんから安心です(笑)

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September 12, 2007

炭鉱用SEIPPEL式安全灯

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 渋谷の温泉施設で爆発事故が起こったとき、すぐに漏れた都市ガスの引火による爆発ではなく地下からのメタンガスの引火による爆発だと気が付いた人は少なくなかったと思われます。あの渋谷の爆発事故はメタンガスの引火による被害の甚大さを現代に見せつけたわけですが、古今東西、炭鉱ではこの見えない臭いもしない恐ろしいガスに如何に苦しめられたことでしょうか。このメタンガスは空気中で約4%の濃度に達するだけで何かの拍子に引火すると大爆発を起こします。昭和30年代から40年代にかけて、国内の炭鉱でもガス爆発が頻発し多くの犠牲者を出しましたが、今回は都会の真ん中で起こったガス爆発ということで、現代ではメタンガスが如何に危険かという意識が欠如していたのでしょうか。都会の真ん中といえども地底千メートル以上の世界は何が出てくるかわからない魔の世界です。
 イギリスの産業革命で急激に需要が増大した石炭採掘により頻発するようになったメタンガスによるガス爆発事故を防止するため、大科学者デービーが金属のメッシュガーゼで炎の部分を囲った油灯式安全灯を発明したことは、以前に書きましたので省略します。デービーの死後、いろいろな発明家によってこのデービー安全灯が改良され、時代と共により安全なものが出来てきましたが、この安全灯はドイツのウルフ式揮発油安全灯の発明を以て炭鉱用安全灯の決定版となった感があります。しかし、国によって石炭の性質に違いがあり、その石炭の性質に合わせて安全灯も独自の進化を遂げた国があります。その中でもドイツからポーランドにかけての炭鉱は主に亜炭ヤマで、比較的にメタンガス突出などの危険が少ないため、そこで使用される安全灯も腰ガラスの上のメッシュの部分をポンネットで囲うことのないタイプのものが使われました。そのドイツの炭鉱で使われた安全灯の一つがWILHELM SEIPPEL社によるSEIPPEL式安全灯です。ドイツ国内で製造されたウルフ式安全灯もSEIPPEL灯も当時のカタログを見た限りでは、仕向け国によりボンネットの有無や形状がいろいろ作られたようですが、主にドイツで使われたものの中にはあまり必要でないボンネットを廃してその分重量軽減しているものが多いようです。SEIPPEL式安全灯は殆どドイツ国内およびポーランド・チェコなどの亜炭ヤマに普及して使用されたようですが、明治の末に三井物産の手により日本に輸入され、本洞・田川・三池の三井系炭鉱で「サイペル式ベンジン灯」として使用されたのを始めとし、国内の他の炭鉱にも売り込まれたようです。ところがいままで使用されてきたクラニー灯同様に日本に入ってきたSEIPPEL式安全灯は、ドイツ本国仕様のボンネットのないタイプだったようで(確証はありませんが)高濃度のメタンガス充満場所で高所から落下させたり天盤崩落で急激な空気の流れが発生する事によりがス爆発を誘発する危険性があり、大正年代に設立された直方の安全灯検査所の試験結果により「ウルフ安全灯」によって、さらにエジソン式蓄電池安全灯が普及することで完全に日本の炭鉱からは駆逐されました。
 SEIPPEL式の読み方ですが、明治の時代には「サイペル式」と言われたようですが、一般的にはセイペル、実際にはザイペルと濁る方が正確のようです。しかし私は独語を選択していなかったのでどちらが正しいのかはわかりかねます。今回入手した揮発油安全灯は戦後の西ドイツ時代のもので、戦争協力企業として解体された(らしい)WILHELM SEIPPEL G.M.B.H.の製品ではなく他社のものになります。何と昭和32年に北極回りで東京とドイツに直行便が初めて就航した記念にドイツの産炭地から日本に贈られた記念品らしく、そのような意味の刻印が油壷にずらりと打刻されてました。ということで、一度も坑内に下がったことのない安全灯ということになり、金属部分はくすんではいるのですが、未使用の安全灯でした。贈答品ということもあり、シロウトにはぜったいに分解できない磁気ロックもわざわざ省略した構造になっていますが、さすがに複製品の油灯式安全灯と異なり、再着火装置を備える揮発油灯独特の複雑な構造はそのままです。ループが開いて先端が鈎状に尖った吊り金具はドイツの安全灯のトレードマークです。とことん鈎(十字)が好きな民族なんですね(笑)当時すでに電気着火式の安全灯も登場していましたが、この安全灯はオーソドックスな100円ライターと同じようなフリント式の着火システムを備えます。底のつまみを回すことで再点火が可能なのはウルフ安全灯と同様です。
 そう言えば昭和32年から3回にわたり全国の炭鉱から選抜された若者が炭鉱技術習得のために西ドイツの炭鉱に渡ったという話は上野英信氏の著作で見たことがありますが、その本の栞の中に昭和35年の第3次派遣で西ドイツの炭鉱に渡ったSさんの証言があり、その言葉によると「照明も日本のようにキャップ・ランプではなく、一昔も二昔も前の旧式な安全灯であった。歩くときにはそれを腰に下げ、仕事中は天井に吊す」とあります。この証言でもわかるように、この頃まで西ドイツの炭鉱では照明として揮発油式安全灯が残っていたことがお解りだと思います。古い物を頑固に使い続けそれを自らの誇りとするドイツ人の性格の現れでしょうか?

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September 06, 2007

函館移動運用での誤算(T_T)

 実は函館に出掛けるにあたり、ただで帰ってくるのももったいないので、交流会終了後に2mでCQでも掛けようかと思い、5Wと3Wの2台のデュアルバンドハンディ機とアンテナフィーダー線で作ったJ型アンテナを持っていきました。ホテルの窓がどちら側に向いているのかは定かではありませんが、窓から垂直にJ型アンテナを垂らせば何局かは応答してくるだろうという打算です。ホテルに着いて部屋に入りロケーションを確かめるとけっこう高い建物に囲まれて見通しが開いていません。さらに窓の下にテラスのような出っ張りがあり、アンテナを下に垂らせないだけではなくエアコンの室外機が並んでいて、けっこうなインバータノイズ源になりそうです。残念ながらアンテナを垂直に吊すフックのような物を忘れてしまい、ホテルの窓枠からJ型アンテナを垂直に垂らす術もありません。
 まあ、こんな状態で交流会から帰り、3Wのハンディ機でバンド内をワッチしてもぜんぜん交信している局が聞こえないんですねぇ。というのも我々まったく酒というものを飲まない(あまつさえ、当方は箸も割らずに帰ってきたので「料理はどうでしたか?」と尋ねられると非常に困るのですが)ため、その後殆どの人が移動した2次会は遠慮して早々にホテルに帰ってしまったのですが、その時点では二次会参加者多数で函館市内のアクティブな無線人口が殆どゼロだった結果だと思われます。そのため、函館近郊の無線局と何とか交信出来ないかとJ型アンテナを上げる手段を講じていたとき、5W機に外付けで取り付けていた7.2V 1,500mWのリチウム電池を取り落とし、電極にリード線を半田付けしていたところが切れてしまってアウト(@_@;) 簡単なペンチとかドライバーの付いたマルチツールは持ってましたがさすがに半田ゴテは持参してなくて復旧不能です。リード線が切れちゃったぁ〜 あ゛〜〜へたこいた〜〜 ○| ̄|_ という状況でしたが、なにせ3次会にまで流れ込んだ人たちが多かったらしく、結局その晩は函館市内に話し相手がぜんぜんいなかった事は確からしいです(T_T)

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September 05, 2007

ライカ仲間?

Photo 支部長の介添役ということで、泊まりがけで函館行きということになり、久しぶりに防湿庫からカメラを取り出しました。最近はどこの集まりでもデジタルカメラばかりで、当方も普段は携帯電話の3メガピクセルデジカメで事足りるのですが、今回は無線趣味人の集まりということで「どんなカメラを持ち出すか」悩んでしましました。こういうときにはSLRなんかよりも知らない人間から見ると「得体の知れない古いカメラ」に見えて、知っている人間には思わず手に取りたくなるようなカメラの方が会話が進みそうです。「スピグラ」じゃこけおどしには最適なのですが、業務用のカメラだし手持ちのシートフイルムはかなり前に期限が切れた物しか残っていません。おまけに重くてとても大荷物を持ち込む気にならず、けっきょくライカのIIIGにズミクロンのスクリューマウント35/F2.0とこれもスクリューマウントのエルマリート90/F2.8に誰かにもらった期限切れだけどずっと冷蔵庫保管だったアグファのVISTAを詰めて函館に出掛けました。
 しかし、以前は底蓋ライカのフイルム装填というと鋏付きのスイスアーミーナイフを持ち歩き、新しいフイルムはリーダー部分を10センチ切らなければうまく装填できないので、必ず鋏でリーダー部分を切り取る儀式が必要だったのですが、今回初めて圧板にテレホンカードを差し込んでフイルムガイドレールに引っかからないようにフイルム装填してみました。今までの苦労は何だったのでしょう。この技は10年前には聞いて知っていましたが、今回初めてやってみたということは、10年間一度もフイルムを入れていなかったという証拠です(^_^;) テレホンカードはCO-COの皮ハーフケースとカメラの間に納めることが出来ますので、いざというときに無くすこともなく、また空港でいくら小型とはいえ警備員とスイスアーミーナイフで揉めることもありません。しかし昔は底蓋ライカやニコンFに何秒でフイルム装填できるか「まじめに練習」したもんです。回転式コルトシングルアクションアーミーに空薬莢を抜いて何秒で実包を6発装填できるかの秒数を競うのと同じノリですね(笑)
 同じテーブルにいた石狩のM支部長はデジタルのSLRでしたがU監査長が商売柄フイルムSLRのα8でした。うちの支部長に食べ物を取り、ちょっと目を離した隙にIIIGはテーブルの上から消え去り、M支部長の手に渡ってさっそくライカ蘊蓄話です(笑)当方実質的にカメラ蒐集から足を洗って10年以上経つので銀塩フイルムカメラ撤退騒動のときの状況は全然知りません。気が付いたら銀塩フイルムカメラが売り場から無くなり、業務用の中版カメラまで撤退が相次ぎ、当方もGSW-690がダメになったらどうしようかと考えることもありますが、GSW-690自体12年ほどフイルムが入っていない計算になります(^_^;)
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 ところが、その会場で当方以外に唯一ライカのフイルムカメラをぶら下げてきたのが韓国はKARL釜山支部の支部長の金さんです。同じ金姓で、さすがにバルナック型とR型との違いはありますが、付いているレンズも単焦点35ミリのズミクロン35/F2.0で同一、おまけに身につけているDUNHILLのベルトまで同じとは恐れ入りました(笑)当方、ライカのR型というとライカフレックス以外にはまったく機械としての興味が無く、近年のR型は見た目で何型とわからないのですが、たぶんREのような感じがしました。銀色のR型でしたが…。当方のM型時代の35/F2.0ズミクロンですが、これも散々使ったM3用のメガネ付35/F2.0よりカラーの発色やコントラストなどがおとなしい気がします。いくら冷蔵庫保管とはいえアグファフォト以前のアグファゲバルト時代の期限切れVISTAでは本来の発色は望むべくもないのでしょうが。
 帰った翌日、近所のショッピングセンターなどに併設されたミニラボを捜すもここ2年くらいのうちにどこもかしこも撤退。40分仕上げで簡単に請け負ってくれるところが見当たりません。そのため少し離れたところの昔からの写真店に依頼して2時間ほどで出来上がりました。写真店にDPEが持ち込まれず、ショッピングセンターのミニラボ流行だったのですが、結局いくらデジカメプリントを前面に押し出しても商売が成り立たず撤退。残ったのは細々と商売を続ける昔からの写真店だったりするのですから皮肉な物です。

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September 04, 2007

HEMMI No.135 5"ダルムスタット尺

 ダルムスタット形式の計算尺というのは、計算尺の世界でいうと非常に新しい部類に入る計算尺で、日本では戦後になって初めて加わった計算尺のようです。HEMMIでは昭和26年頃から新系列の計算尺として10インチ片面計算尺の筐体が共通化したときに加わった新たな130番台の計算尺No.130が最初で、珍しい6インチの計算尺No.136に遅れて発売されたのが5インチポケット型ダルムスタット尺 No.135です。不思議なことに昭和30年代には既に生産していたはずなのに、30年代の5インチ尺に付属する豚革製のサックケースに入っている物があまり見当たらず、40年代の牛革ケース入りのプラカーソル付きの物ばかりのような気がします。以前からNo.135はデッドストック出現率が何故か高く、かなりの数がオクで出回りましたが、それ以後はさっぱりで最近あまり見かけなくなりました。それに対してフルサイズのNo.130およびNo.130Wはオク上では希少品です。ダルムスタット尺という名前が計算尺マニアの心をくすぐるのかNo.135がさほど珍しくない計算尺にも係わらずけっこう中古相場が高い計算尺でした。No.130と比べて面白いのは、ポケット尺の薄い筐体ゆえにNo.130のように固定尺側面に三角関数尺を配置する事が出来ず、Tan尺をトップに、Cos表示だった実質的P尺がちゃんとP尺表示になっています。そのためポケット尺にも係わらず9尺を詰め込んだ計算尺で、ちょっと込み入りすぎて目盛が見にくいかも知れません。No.2634がその幅を理由にCIF尺を省略した7尺なのに比べてその込み入り様がわかるという物です。もっともNo.2634はNo.2664のサブセットであり、No.2664Sの説明書に書かれている「やむを得ずCIF尺を省略した」というのは虚偽の事実ですが(笑)
 No.130が戦後の発売にも係わらず、尺種類の刻印もなくボックスタイプの目盛(馬の歯形)を持つ何故か昭和の始めに逆戻りしたような外見でしたが、さすがにNo.135は普通の物差し型目盛で、No.130のサブセットとはいえども構造上尺配置が変わったため、T,K,P,S尺のみ尺種類の刻印が付いています。また5インチのリッツ尺No.74のカーソル上に刻まれた副カーソル線が主カーソルを挟んで左右対称であり、円の断面積関係だけに対応してkW-hpの変換には何故か対応していないようなのですが、No.135のほうは左右非対称でちゃんとkW-hpの変換に対応してます。そのため、同じブラスチック製の副カーソル線付きカーソルですが、No.74とNo.135のカーソルは別物ですから注意が必要になります。また、No.74のC,D尺延長部分の最小は.88ですが、No.135のC,D尺延長部分の最小は.9となっています。
 岡山の倉敷から入手したNo.135の製造刻印は「RE」でしたから昭和42年5月製。RE刻印が広島から出たのだったら洒落が利いていて面白かったのですが(笑)電気が関係する計算はπの絡む2乗の計算が多いため、日常的には机の上にNo.2664Sを転がしておくよりNo.130のほうが使い勝手が良く、そのため持ち歩くのだったらNo.2634よりNo.135のほうが好みです。べき乗計算もNo.135なら対応してますし、No.149Aをポケットに忍ばせるよりもある意味「粋」かもしれません。というのは単にNo.149Aを持っていないためのひがみにも聞こえますが、何とでも思ってください(^_^;)
Hemmi135

HEMMI No.135 5インチダルムスタット計算尺表面はこちら
HEMMI No.135 5インチダルムスタット計算尺裏面はこちら


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