炭鉱用江戸式安全灯(炭鉱用カンテラ)
この典型的な炭鉱カンテラスタイルの安全灯に「江戸式安全燈」という銘板を見たときには驚きました。油壷の厚みからして間違いなく揮発油灯のようでしたが、何せ鉱山技術の文献にはまったく江戸式なる安全灯の記述は見当たりません。実際に明かりとして使われていた時代の製品らしく、おそらく本多商店がウルフ灯を国産化した大正の初めから昭和の初めころの製品なのでしょう。入手先は福岡からで一連の安全灯の中の一つとして入手。鉱山保安監督局の資料として保管されていた安全灯の一つのようでした。実際に坑内で使われてたものらしくボンネットには多数の打ち傷があり、フックは坑木に打ち込みやすいように手製の物に換えられていますが、これが実際に使われていた「炭鉱のカンテラ」らしくていい雰囲気です。なんとちゃんとマグネットロックが生きてまして、使われなくなってからおおよそ7〜80年あまりも分解もされずにそのままだったようです。そのおかげで部品の欠品もなく完全品でした。普通型のボンネットを備えるこの国産安全灯は、未だ各地の石炭記念館等で鎧型のボンネットを持つ本多のウルフ安全灯と一緒に展示してあるのはよく見かけますが、安全灯は蓄電池式キャップランプに変わり、目的が明かりから簡易メタンガス検知という用途に変わってからは専ら本多製のウルフ灯ばかりが使われたようです。この江戸式安全灯は揮発油灯にありながら再着火装置がありません。町工場程度の江戸商会にはそれだけの加工技術がなかったのかもしれませんが、もしかしたら以前から使用されてきた油灯式のクラニー灯などを揮発油灯に置き換えるために安価で供給できるよう再着火装置を省いたのかもしれません。マグネットロックはウルフ安全灯とコンパチでウルフ安全灯のベンチマグネットがそのまま使えそうな感じですが、そんなものは持っていません。油壷のネジに所々四角い溝が彫ってあって、そこにばね仕掛けのラチェットの爪が入り込みロックすることはわかっているのですが、結局数時間いろいろ試して開錠に成功しました。そんなに強力な磁石が必要な訳ではなく(ボード用マグネットではさすがにだめです)「ちょっとしたコツ」があるのです。これは本多のウルフ灯などのマグネットロック解除などにも共通ですが、あえてこの奥義は公開しません(笑)
分解してこの江戸式安全灯の構造を確認すると下部にメッシュの吸気リングを持ついわゆる「ウルフ型安全灯」でした。本家のウルフ灯と異なる点は腰ガラスをボンネット側に固定しておくリングがあり、そのため油壷を外すと腰ガラスやメッシュのガーゼがごっそりと抜けてくることがなく、掃除が楽なような感じです。また灯心の下にスリットの開いたリング状の導風板があり、このリングの存在が本家ウルフ安全灯と異なり、これが江戸式なる名称の所以なのかもしれません。どんな効果があるのかは判りませんが、少しでも明るさなんかの向上に寄与しているのでしょうか。江戸式安全灯は銘板によると「合資會社江戸商會製作 東京市神田區今川小路」となっています。シリアルナンバーは84067となっておりどこの炭鉱で使われていたのかはわかりませんが漢数字の左右逆字で「二八」の番号が打刻されています。
神田今川小路というと千代田区鍛治町と中央区本石町の境、今川橋近くに現在でも「今川小路」が存在し、レトロな飲食街になってますが、このあたりは関東大震災による火災ですっかり灰燼に帰しています(さらに戦争末期の空襲でまた灰燼に帰しています)。おそらく合資會社江戸商會は関東大震災で被災し、消滅してしまったのかもしれません。そうなるとこの江戸式安全灯は関東大震災(大正12年)以前の製品ということになります。そのために江戸式安全灯は後世に名前を残すことがなく、我々にその名を知られることもなかったのでしょう。また再着火装置を持たなかったために簡易ガス検定器として使用するには不適で、明かりとしてはエジソン式蓄電池等により日本の炭鉱から駆逐されたことは確かです。
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