炭鉱用SEIPPEL式安全灯
渋谷の温泉施設で爆発事故が起こったとき、すぐに漏れた都市ガスの引火による爆発ではなく地下からのメタンガスの引火による爆発だと気が付いた人は少なくなかったと思われます。あの渋谷の爆発事故はメタンガスの引火による被害の甚大さを現代に見せつけたわけですが、古今東西、炭鉱ではこの見えない臭いもしない恐ろしいガスに如何に苦しめられたことでしょうか。このメタンガスは空気中で約4%の濃度に達するだけで何かの拍子に引火すると大爆発を起こします。昭和30年代から40年代にかけて、国内の炭鉱でもガス爆発が頻発し多くの犠牲者を出しましたが、今回は都会の真ん中で起こったガス爆発ということで、現代ではメタンガスが如何に危険かという意識が欠如していたのでしょうか。都会の真ん中といえども地底千メートル以上の世界は何が出てくるかわからない魔の世界です。
イギリスの産業革命で急激に需要が増大した石炭採掘により頻発するようになったメタンガスによるガス爆発事故を防止するため、大科学者デービーが金属のメッシュガーゼで炎の部分を囲った油灯式安全灯を発明したことは、以前に書きましたので省略します。デービーの死後、いろいろな発明家によってこのデービー安全灯が改良され、時代と共により安全なものが出来てきましたが、この安全灯はドイツのウルフ式揮発油安全灯の発明を以て炭鉱用安全灯の決定版となった感があります。しかし、国によって石炭の性質に違いがあり、その石炭の性質に合わせて安全灯も独自の進化を遂げた国があります。その中でもドイツからポーランドにかけての炭鉱は主に亜炭ヤマで、比較的にメタンガス突出などの危険が少ないため、そこで使用される安全灯も腰ガラスの上のメッシュの部分をポンネットで囲うことのないタイプのものが使われました。そのドイツの炭鉱で使われた安全灯の一つがWILHELM SEIPPEL社によるSEIPPEL式安全灯です。ドイツ国内で製造されたウルフ式安全灯もSEIPPEL灯も当時のカタログを見た限りでは、仕向け国によりボンネットの有無や形状がいろいろ作られたようですが、主にドイツで使われたものの中にはあまり必要でないボンネットを廃してその分重量軽減しているものが多いようです。SEIPPEL式安全灯は殆どドイツ国内およびポーランド・チェコなどの亜炭ヤマに普及して使用されたようですが、明治の末に三井物産の手により日本に輸入され、本洞・田川・三池の三井系炭鉱で「サイペル式ベンジン灯」として使用されたのを始めとし、国内の他の炭鉱にも売り込まれたようです。ところがいままで使用されてきたクラニー灯同様に日本に入ってきたSEIPPEL式安全灯は、ドイツ本国仕様のボンネットのないタイプだったようで(確証はありませんが)高濃度のメタンガス充満場所で高所から落下させたり天盤崩落で急激な空気の流れが発生する事によりがス爆発を誘発する危険性があり、大正年代に設立された直方の安全灯検査所の試験結果により「ウルフ安全灯」によって、さらにエジソン式蓄電池安全灯が普及することで完全に日本の炭鉱からは駆逐されました。
SEIPPEL式の読み方ですが、明治の時代には「サイペル式」と言われたようですが、一般的にはセイペル、実際にはザイペルと濁る方が正確のようです。しかし私は独語を選択していなかったのでどちらが正しいのかはわかりかねます。今回入手した揮発油安全灯は戦後の西ドイツ時代のもので、戦争協力企業として解体された(らしい)WILHELM SEIPPEL G.M.B.H.の製品ではなく他社のものになります。何と昭和32年に北極回りで東京とドイツに直行便が初めて就航した記念にドイツの産炭地から日本に贈られた記念品らしく、そのような意味の刻印が油壷にずらりと打刻されてました。ということで、一度も坑内に下がったことのない安全灯ということになり、金属部分はくすんではいるのですが、未使用の安全灯でした。贈答品ということもあり、シロウトにはぜったいに分解できない磁気ロックもわざわざ省略した構造になっていますが、さすがに複製品の油灯式安全灯と異なり、再着火装置を備える揮発油灯独特の複雑な構造はそのままです。ループが開いて先端が鈎状に尖った吊り金具はドイツの安全灯のトレードマークです。とことん鈎(十字)が好きな民族なんですね(笑)当時すでに電気着火式の安全灯も登場していましたが、この安全灯はオーソドックスな100円ライターと同じようなフリント式の着火システムを備えます。底のつまみを回すことで再点火が可能なのはウルフ安全灯と同様です。
そう言えば昭和32年から3回にわたり全国の炭鉱から選抜された若者が炭鉱技術習得のために西ドイツの炭鉱に渡ったという話は上野英信氏の著作で見たことがありますが、その本の栞の中に昭和35年の第3次派遣で西ドイツの炭鉱に渡ったSさんの証言があり、その言葉によると「照明も日本のようにキャップ・ランプではなく、一昔も二昔も前の旧式な安全灯であった。歩くときにはそれを腰に下げ、仕事中は天井に吊す」とあります。この証言でもわかるように、この頃まで西ドイツの炭鉱では照明として揮発油式安全灯が残っていたことがお解りだと思います。古い物を頑固に使い続けそれを自らの誇りとするドイツ人の性格の現れでしょうか?
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