盛岡駅の485系はつかり
ちょうどお盆の帰省シーズンである8月15日前後の道南地方は統計的に低気圧の通り道となって天気が良くないことが多いような気がします。千葉の成田の近所に住んでいたときは交代で夏休みを取っていた関係で、意図的に民族大移動の状況を呈するお盆を避けて8月末から9月に入ってから夏休みを取り北海道に帰省してました。天気のリスクを回避して晴天下で写真を撮りたいという目論見からです。また、急ぐ旅でもないために飛行機に乗らず、北斗星で北海道まで来るというのは何度かやっていましたが、日中の列車乗り継ぎで北海道まで帰省するというのはこのときが初めてだったような気がしました。
たぶん1995年ですから12年前の帰省は9月になってからの事だと思います。主目的が廃止になる深名線の名寄から深川までの完乗だったと思いました。出発は成田駅で、コースとしては成田から東京まで特急の「すいごう」、東京から東北新幹線で盛岡まで、盛岡から青森までは「はつかり」、青森から函館までは「快速海峡」函館からは「北斗」でとりあえず苫小牧まで「海峡」以外は指定席特急券をすべて事前に購入し、乗車券は成田から名寄回り深名線経由で深川までというものです。成田駅で発行された乗車券は経由地が印刷しきれずに駅員に「深名線回りで深川行きだとこれだとわかりませんが?」と尋ねると「金額で判断すれば大丈夫だと思うんですが、念のため名寄を手書きしておきます」などと手書きで経由地を追加されてしまいました(^_^;) 成田を7時代の特急すいごうに乗ると8時台後半には東京駅に到着し、そうすると9時代の東北新幹線やまびこで盛岡から11時38分青森行きのはつかりに接続、このはつかりは青森で15時何分か発の海峡に接続し、海峡は函館で19時何分か発の北斗に接続するという乗り継ぎです。正確な出発時刻の記録が取れないのは深名線廃止時の記念にとって置いた時刻表が出てこないからなんですが、当方は本物の「鉄」じゃないので、時刻表にはとんと無関心だからというのもありますか(^_^;)
さて、当方の記憶が正しければ7時38分発の183系特急すいごうは東京方の先頭車が指定席。ドンケのカメラバック担いでザックを背負って最初から立って東京駅まで行くのもイヤだなあと思って指定席券取ったら、なんと1号車の指定席の乗客は当方1人でした(@_@;) 京成のモーニングライナーも走ってますし、ちょっと中途半端な時間帯の特急のため通勤客にそっぽをむかれ、現在では7時台の特急はNEXが成田に止まるようなスジになっているようですが、当時は朝の上りのNEXに成田停車は無かったような気がします。東京駅の京葉線地下から東北新幹線ホームに上がりやまびこに乗り朝からビール付きの弁当(笑)酒を飲まない現在の生活からは考えられませんが、その昔は「汽車酒の楽しみを語る会」を自認してましたので、とにかくよく寝台車から新幹線までよく飲みましたな (^_^;) ビール如きでは当然のことアルコールが足りないので紙パックのワインをストローで飲んだらこれが不味かった。やっぱり酒をストローで飲むなんていうのはいけません。また汽車酒の楽しみを語る会的にいいますと、新幹線と酒との相性は良くないです。あんまり早すぎるのとトンネルが多いために車窓を楽しみながらの汽車酒が落ち着いて楽しめないのと、車窓の景色が早く動きすぎて目が回ります(笑)この「汽車酒の楽しみを語る会」には剛の者がいて、かなりの宿酔いで小倉駅から181系特急いそかぜに乗ろうとして気持ち悪くなり、線路に向かって吐いたら直前に飲んだトマトジュースで線路が真っ赤になり、それを見たいそかぜの車掌がビックリして救急車を呼ぼうとした、なんちゅうヤシもいました(^_^;) 当方も六本木でオフ会やって、さんざん飲んで成田まで帰るのがイヤになり、新宿から急行アルプスに乗り松本で急行千曲に乗り継ぎ、篠ノ井から碓氷峠経由で高崎に下り、東京に戻ってくるという汽車泊をしたのですが、揺れる電車で眠るどころか酔いが回って散々な目に遭い、ついに横川で電車を降りてホームのトイレに駈け込んで吐いたら、そこは男子トイレじゃなくて女子トイレだったということもありました(自爆)
東京駅から盛岡駅に移動する新幹線はあまり「鉄道」的な感動は薄いのですが、新幹線ホームから降りて在来線のホームに降りてゆくそのプロセスがすでに東北の匂いを感じさせ、いかにも「ここが本当の東北の玄関口」を感じさせられて非常に好きでした。在来線3番ホームにはすでに485系国鉄色のはつかりが短い編成で新幹線の接続を待っており、ホームは駅弁のワゴンが何台か出ています。なんか国鉄時代の特急始発駅の賑わいを思い出させましたが、列車の編成も短く決して乗り継ぎ客でホームが溢れるという状況ではありません。昼前なので弁当を買いますが、あえてむつ弁の幕の内とお茶を買います。幕の内は内容が普遍だからこそおかずの味付け、米のうまさなどに差があり、食べて比べる面白みがあると感じさせます。たとえば中身の焼き魚一つを取っても北海道の幕の内は小さくても「紅鮭」ですが、他の所はトラウトとか塩鱒のところが多いです。ちょっと気取った所の幕の内の魚はさわらの塩焼きやぶりの照り焼きだったりするところもあります。弁当を買ったところで485系はつかりに乗り込みますが、座席のモケットが張り替えられたくらいでオリジナルのセミリクライニングシートの車両でした。485系はつかりが走り出したところで幕の内に手を付けますが、煮物の味付けが濃くなり、安いカマボコとたまごが分厚くなりました(^_^;) なんか東京駅の幕の内と比べるとあまり洗練されていない内容の幕の内ですが、半分にしたコロッケは駅弁の幕の内には勘弁してもらいたい物です。485系はつかりは刈り入れが終わりはさ掛けされた稲穂が金色に輝く穀倉地帯を抜けて山越えに掛かります。途中沼宮内と好摩の側線には運用から外れた50系レッドトレインが土崎か郡山での解体待ちか、延々とかなりの両数が留置されていました。
翌年も同じコースで帰省しましたが、国鉄色の485系がリニューアルされたプラスチック内装でフルリクライニングシートに変わった485系3000番台に変わってしまい、盛岡からの「奥の細道」紀行の風情が失われ、まして八戸まで新幹線が開通し、快速海峡が終焉を迎え、新型の直通特急が函館まで通じるようになってからこのコースはまったく興味を失ってしまいました。快速海峡の乗り継ぎの間、青森駅ホームの上り側売店で十和田の地酒「鳩正宗」のカップを2本買って陸奥湾の光る水面を眺めながら、また津軽林鉄の痕跡を車窓に探しながら、あまり乗り心地の良くない津軽線の50系51型での汽車酒の楽しさも過去帳入りして久しいです。
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Comments
以前は成田にお住まいでしたか。私は97年から少し銚子寄りに行ったところに住んでます。朝一の「すいごう」の指定はガラガラって…。その「すいごう」もH16.10月で「あやめ」に統廃合され、全自由席になりました。車種もE257-500になり、旧国鉄時代の「遺品」も113系のみになりました。
さて文中、東京駅ですいごうを降り「京葉線地下から東北新幹線ホームに」とありますが、すいごうは「横須賀、総武快速ホーム」のハズですが?
いつもブログを楽しみにしてますが最近、無線関連の話題が乏しいなぁと感じてます。「頂いたタワー」のその後、ぜひ聞きたいです。
Posted by: アマチュア特殊無線技士 | October 20, 2007 05:31 PM