創世記のJ.HENMI(NO.1) 計算尺
逸見治郎の個人商店時代の計算尺は1912年に竹製計算尺の日本国特許第22129号が降りてからは、専売特許逸見式改良計算尺としてJ.HEMMIの商標または取扱元のTAMAYA & CO.の商標が付けられて販売されましたが、その竹製計算尺の特許番号交付前の1912年以前は当然の事ながらパテントナンバーが入らないものが作られていました。その中には中村測量機械店の名前の入った物などもあったようですが、逸見治郎の個人商店として売られたもののブランド名はよく知られるJ.HEMMIではなくJ.HENMIの刻印が入ったものでした。うちの一番古い逸見式改良計算尺はパテントナンバーが降りた直後のTAMAYAブランドのもので、推定年代1913年頃の物。後のJ.HEMMIのNo.1と刻印が異なり、πマークもA,B尺にしか無いものでしたが、今回のものはさらに古く計算尺で刻印も「J.HENMI」とまるっきりローマ字表記のブランド名のものです。
この「J.HENMI」というローマ字表記の計算尺はNさんのコレクションで初めて目にすることが出来ましたが、今回の計算尺はどうやらNさんのものよりも新しいもののようです。それというのも逆文字で滑尺左に「特許」の刻印があり、刻印は「J.HENMI.TSUKIJI.TOKYO.JAPAN」から「J.HENMI.TOKYO.JAPAN」に変わっています。おそらく旧東京市内から豊多摩郡渋谷町の猿楽町に作業場を移転したため、場所をTOKYO.JAPANと省略してしまったのでしょうか。さらにまだ"SUN"のトレードマークを使用していませんが、おそらく本格的に輸出が始まっていなかったころの製品なのでしょう。このJ.HENMI計算尺は滑尺の左端に逆文字で「特許」の刻印が入り、滑尺を抜いた溝にパテントナンバー22129が刻印されていますが、同様の物はTさんのコレクションにあります。このNo.1はイギリス帰りのようですがJ.HEMMIの刻印が無くA,B尺C,D尺ともにπマークが追加された少々後のタイプのようです。製造年に興味が尽きない所ですが、刻印が殆ど同一なTAMAYA & CO.には後の計算尺同様に逸見式改良計算尺の刻印が入っていますので、それよりさらに古く、パテント取得の年である1912年から1913年頃の製造ではないでしょうか。どっちみちパテント取得前の殆ど手作り状態から脱し、ある程度まとまった数を生産できる体制が整いつつあることを感じさせる計算尺です。ケースも大正末期まで使われるボール紙を芯に黒い布を被せた(たぶん本の装丁を参考にした?)フラップの短いサックケースが付属していますが、未だマークの刻印もまったくない無印でした。この時代の計算尺はアルミの枠で出来たカーソルが付属していますが、耐久性に乏しく失われた物が多い中で、この計算尺は奇跡的に「枠」だけ残っていました。当方のNo.2と異なり、ちゃんとカーソルばねが入っています。このカーソルガラスは戦前のNo.40などのA型改良カーソルと同一サイズで、部品取り用としてタダみたいな値段で落としておいた裏板の殆ど朽ちかけたNo.40のカーソルからカーソルガラスを取り出し、No.1のカーソルのばねを縮めて慎重に嵌め込むと何の問題もなく使えるようになりました。ただ、この時代のカーソル線は黒のようですが、赤いカーソル線に変わってしまい、何となく「違和感が〜」。この計算尺は上のスケールがメトリックで下がインチ、滑尺溝のスケールもインチとなり、手持ちのTAMAYA刻印のものと逆になります。のちのNo.1は本体にこれでもかとばかりにパテントナンバーやトレードマークなどの刻印ををちりばめ、少々オーバーデコレーションのような気がしますが、この時代のNo.1は漢字の「逸見式改良計算尺」の刻印さえ入らず、まるでメーカー刻印しか入っていない「戦時尺」のような雰囲気さえあります(笑)
上からNo.1 J.HENMI、No.1 TAMAYA & CO.、No.2 J.HEMMI "SUN"、No.1/1 J.HEMMI "SUN"(後期型)
J.HENMI(No.1)計算尺表面拡大画像はこちら
J.HENMI(No.1)計算尺裏面拡大画像はこちら
J.HENMI'No.1)計算尺滑尺溝拡大画像はこちら
J.HENMI'No.1)計算尺滑尺裏面拡大画像はこちら
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