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April 29, 2008

アマチュア有線(磁石式電話機)

 相変わらず無線の方はローバンド以外はまったく聞こえず無線の交信からはご無沙汰していますが、そんなコンディションの悪さもあって、最近はついにアマチュア無線ならぬアマチュア有線のほうに手を出してしまっています。事の発端は少し前に旧国鉄で使用していた木箱の携帯電話「磁石式電話機(携帯用)電12118号C」というものを入手したことでした。そもそも当方と磁石式電話機との関わりというのは、地元の小学校によく昔の日本映画に出てくる壁掛けで手回しのクランクがついたデルビル式とかいう電話機が1セット、体育館の入り口と職員室前廊下のほんの20mくらいの距離を隔てて置いてあったことから始まります。当時すでに自動交換機の時代で、普通にダイアル式の黒電話を使ってましたので、おそらく電電公社が不要になった磁石式の壁掛け電話機を小学校に教材用として設置してくれたのでしょう。たぶん小学校二年くらいのときに、クラスを2つに分けてこの電話機の通話実験をさせてくれたのですが、無情にも当方の順番になったところで授業終了のチャイムが鳴り、結局二度とその磁石式電話機を使う機会は訪れませんでした。そのため、このデルビル式電話機がどういう音が聞こえたか未だにわからないまま今日の携帯電話時代を迎えてしまいました。
 鉄道電話に関して補足しますが、旧国鉄は鉄道沿線に通信網を持っていまして、その通信回線が今みたいに「光ファイバーケーブルの束」というわけにいかないので、電信柱に横木を何本も渡して単線の電線を何回線も張り、その電信柱が見た目で「ハエタタキ」などと呼ばれたりしていました。そういう通信網の中で沿線電話回線とでもいうものがあり、駅間におかれた電話機による閉塞連絡や、500mごとに設置された端子箱に列車乗務員が携帯用の電話機をつなぎ、駅との通信するというものでした。運転事故等の非常の連絡の場合には列車防護措置を施した上、機関助士が重い木箱の携帯電話機を持って端子箱まで全力疾走する必要があり、鶴見・三河島事故の後は年に何度か非常訓練でこういう光景が見られたようです。その後駅間も自動閉塞化が進み、主要幹線沿線の回線は自動交換機化され、列車の携帯電話機も一部ダイアル呼出機となったようですが、国鉄末期から分割民営化の時代にはローカル線の末端あたりにも列車無線が普及しましたので、沿線の端子箱に携帯電話機をつないで連絡を取り合うのは閉塞機用の他には、保線や信号関係の構内・区間連絡に限定されるようになったようです。まあ、そこいらの経緯は鉄道関係者じゃないので詳しくはわかりかねますが。
 ところが鉄道で列車無線と併せてこういう沿線電話回線システムがしっかり現役で生きている場所がちゃんとありまして、そこはSL列車で有名な大井川鐵道です。動いている車両もクラシックですが、通信システムからしてSL時代そのままなんですねぇ(^_^;) 一つの回線にすべての電話機が並列にぶら下がっているわけで、そのためある電話がクランクを回して呼び出しを掛けるとすべての電話のベルが鳴ってしまいます。そのため、特定の電話を呼び出すため、あらかじめモールス符号のような特定呼び出し符号を決めておき、クランク回転の断続でこの符号を送ることによって呼ばれた電話機は受話器を取って通話するというシステムです。非常の際などはあらかじめ定めておいた一斉呼び出し符号を送ることで一度にたくさんの電話機に対し、一方的に指令を送ることも可能です。まあ、このシステムが言うなれば無線的なのですが、それもそのはずで、以前は同じ有線回線を使って和文モールス符号を送出し、特定場所の呼び出し・交信をしていたわけで、その回線を誰でも使えるように電話に置き換えただけですから当然でしょう(笑)この鉄道沿線電話に使用された電話機が同然のこと我々が見慣れたダイアルのない物で、側面に手回しのクランクを備えます、このクランクが発電器につながってまして交流50Vくらいの電圧を発生し、それを電話線に流すことで相手のベルをならすという物です。各電話機に3V程度の直流電圧を加えてやる必要があり、固定電話には3Vの箱電池、携帯機には電池ホルダーに単一型電池を2本使用します。M旧国鉄では固定電話機は最終的に昭和33年頃から登場した沖電気の41号M型準拠品が採用され、携帯機は昭和40年代初頃までは同じく沖電気の木箱入磁石式電話機 電12118号が採用されています。その後耐候性を意識してかビニールレザー入りの軽い携帯電話機が採用され、その後には自動交換機に対応したダイアル付きの携帯電話機も一部で使用されたようです。コレクション的には革製のスリングが付いた木箱の携帯電話機がSL時代を彷彿とさせていいと思うのですが、意外にアース棒が欠品が多く、実際に入手したのはごく最近のことです。あまり外見が良くないのはわかっていましたが、届いてみるとゴム足の一本が欠品で、クランクの軸が釘で代用されてました。旋盤があればこんな軸を削り出すことは訳もないのですが、市販のねじを使ってクランクが回せるように改造しました。長らく山陰方面で使用されていた携帯電話機で、昭和45年頃までは山陰本線の鳥取あたりの客貨車区で使用され、そこから鳥取電気支区で使用されたものです。蓋の上部には智頭支区の名称書きを消された跡もありました。そのような歴戦のつわものでしたが、オシロをつないでクランクを回すとちゃんと交流が出ていることがわかり、発電器が生きていることだけは確認できました。しかし、この一台では通話機能を確かめようもなくしばらくはオブジェになってました。
 ところが最近、高校同期の一技一通から卓上から壁掛けまで何台もの4号電話機等が送られてきて、その中に41号M型電話機が2台ありました。この41号M型はオクでも1,000円くらいで落ちてしまうので、一台入手しようと思っていたところ、予期せずに転がり込んできた事になります。せっかくなのでこれを家の一階居間に設置して電話線を二階にのばし、二階の鉄道携帯電話に接続してインターホン代わりに活用することにします。送られてきた41号M型は一台が昭和37年沖電気製で電電公社のラベルと検印がついていましたので公衆回線につながれていたものです。もう一台は昭和41年の沖電気製でこちらの方は構内電話機として使われていたようで、沖電気のラベルだけがついていました。37年製のほうは中の部品に腐食が多く、41年の方は中身もきれいでそのまま使えそうでしたが、41号Mにありがちな落下によるボディの欠損がありましたので、2台の部品をいいとこ取りでニコイチにして組み立ててしまいました。
 公衆回線には約48Vの電圧が加わっているため、電話本体に電源を必要としない黒電話などは停電でも使えます。しかし、41号M型をインターホン代わりに使用するためには外部から3Vの直流電圧を加えてやる必要があります。この電源は磁石式壁掛電話の時代から3Vの平型電池というのが使用されてきましたが、このFM5という形式の平型通信用電池はナショナルでは今年の3月についに製造中止にされ、富士通ブランドの物はまだ入手出来るようですがこちらのほうも風前の灯火です。3Vの給電は41号Mの青線、茶線から外部に電源線を引き出すか、専用ローゼットの青線、茶線ターミナルから電源線を引き出し、FM5電池のターミナルにねじ止めすれば完了です。実は現役の構内電話として使用されている41号M型電話にはACアダプタ仕様のものもあるようですが、停電だと用をなしませんし、磁石式電話の趣味性という観点からすると邪道でしょう(笑)あとはツイステッドペアはもったいないのでインターホン線とかベル線などの名称で売られている単芯平行コードでL1,L2を木箱の携帯電話機のL1,L2端子につなげば使用できるはずです。
 短い電線でお互いの端子をつなぎ、クランクを回すと当たり前の事ながら呼び出しのベルが鳴りました。41号Mのベル音は澄んだ涼やかな音、木箱の携帯電話機はこもった音がします。2つの電話機の受話器をあげ送話、受話の変調具合を調べましたが41号Mのほうは特に問題がないようでしたが、木箱の携帯電話のほうは送話は問題ありませんでしたが、受話のほうが「最初が良くても途中で感度と明瞭度が急に低下する」「送話ボタンを何回か動かすと改善するものの、すぐに同じような現象が起きる」というトラブルが発生しました。木箱の携帯電話機はフックスイッチがない代わりに受話器に押すと送話状態になるプッシュスイッチが付いています。そのため、この接点周りが接触不良を起こしているのを疑って接点洗浄を行い、さらに送受話器パーツは4号電話機の受話器部品とまったく一緒でしたので、これらを交換してみましたが、同じような症状がやはり出てしまいました。どうも4号電話系に特有のカーボンマイクが湿気による経年劣化を起こしていたようで、がさがさ音と送話中の音量音質低下はまずこの送話器のカーボンマイクに原因があることを疑った方が良さそうです。
 最初に二階で木箱の携帯電話機を使い、一階を呼び出して会話したときの印象は、「あれ、こんなに潤いのない音だったっけ?」でした。4号電話機と同じカーボンピックアップのためかプロセッサーが掛かったような高音が強調され低音がまったくない堅い音質で、明瞭度はいいのですが、忠実度という点からするとなんか別人と話をしているような感じでした。そういえば、今はあんまり感じなくなりましたが、電話の声と実際の声が全く違ったっていう話は昔はよくありましたよね?あれは当時の電話機の特性が忠実度はある程度犠牲にしても、当時の低い回線品質による漏話やノイズに負けずに明瞭度を上げるための設定だったかもしれません。これは通信の本質ですが、今は回線の品質が向上してわざわざ忠実度を犠牲にしてまで明瞭度のみ高める必要がなくなったのかもしれません。
木箱の携帯型電話機を床に転がしておきましたがやはり使い勝手が悪く、さりとて磁石式電話機の卓上型はもう手持ちがないため、酔狂にも4号MR磁石式電話機を一台オクで入手してしまいました。3号Mと41号Mは中古市場にも豊富にあるのですが、それに比べると4号Mは少ないような。格好は4号A自動式と全く異なり、発電機を内蔵している分だけごろんとした大きな電話機です。形としては流線型電気機関車のEF55によく似ています(笑)函館からやってきたこの4号MR型は旧国鉄の「鉄電」だったというふれこみだったのですが、実際はどうなんでしょうね。

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April 27, 2008

HEMMI No.47 10" 練習用計算尺

 戦前10インチのマンハイム型計算尺のスタンダードであるNo.50/1と比べると、数が残っていそうで意外に見つからない戦前計算尺がこのHEMMI No.47 初心者練習用計算尺になります。内容的にはほぼ昭和期になって製造されたNo1/1後期型と同じですが、No.47は裏側の目安線切り欠きが片方にしかないのとセルに剥がれ止めの鋲がない、また本体がJ.HEMMI時代より薄く仕上がっていますので区別は付くと思います。戦前の練習用No.40との相違は上下固定尺のスケールの有無にあり、No.47はNo.50/1とボディー形状が同一で上下にスケールを持ちます。しかし、目盛が馬の歯型か櫛型かの相違がありますが、スケールに付される数字刻印やゲージマークはNo.1/1後期型とNo.47は殆ど同じで。A,B尺、C,D尺ともに0.5単位までわざわざ数字を付されるのもまったく同一です。そのため、No.50/1などに比べるといささかうるさい感じがしますがこれはこれでNo.47らしくていい賑やかしになっていると思います。ゲージマークはA,B,C,D尺すべてにπがありさらにA,B尺上にMマーク、C,D尺上に度分秒をラジアンに変換する3種類のゲージマークならびに円の断面積計算用のCと目はずれ対策用のC1マークという構成もJ.HEMMI時代のNo.1/1後期型とまったく同じです。本体はNo.50/1と同一かと思っていましたが、身幅は殆ど変わらないものの厚みが薄くなっていますが、それもそのはずで、No.47の構造はポケット尺のように裏板が1枚の金属板だけで上下の固定尺がつながっているため、樹脂板と金属板の二枚で構成されるNo.1/1やNo.50/1などと比べるとなるほど薄い訳です。そのかわり金属板が腐食するとバラバラになってしまいます(^_^;) 昭和15年当時の価格はNo.50/1が9円に対してNo.47は4円50銭、ちなみに同じく練習用のNo.40は2円80銭となっています。また同じく練習用なのに5インチというサイズのNo.48というサブセットも設定されていたようですが、これは見たことないなぁ。練習用に5インチのポケット尺が必要かということを突っ込みたくなりますが、これも輸出先の要求によって用意されたものなのでしょう。でもこれを買うのだったら厚さだけの違いのNo.34を買ってしまったでしょうね(笑)
 さて、練習用とはいってもNo.40と比べると過剰品質で、後年の学生用計算尺などと比べても「どのような需要を想定して作ったのかわからない」計算尺です。この手の計算尺ならCI尺くらいあっても良さそうなものですが、この計算尺もどうやら国内の要求に答えて作られた計算尺ではなく、むしろ輸出を主眼とし、No.1/1の廉価版として製造されたのかもしれません。PAUL ROSS氏によると昭和12年から開戦前まで「POST 1449T」としてアメリカで売られていたようですが、この1449Tは当然のことながら上固定尺の真ん中に「THE FREDERICK POST CO.」と社名が入れられていたようです。どれくらいの数量が海を渡ったのかは判然としませんが、このNo.47の殆どは1449Tとして海を渡り、日本国内には数がさほど出回らなかったのだとすると、あまり見つからないという理由もわかるという物です。おそらくこのNo.47は開戦で主要輸出先を失い、フェードアウトしていった計算尺なのでしょう。また、下固定尺真ん中にNo.47と形式名の刻印がある物とないものがありますが、たぶん形式刻印がないものが古いと思われます。形式刻印を入れないのは輸出用としてOEM先の形式名を入れるための配慮でしょう。国内の形式名を刻印するようになったのは輸出が止まってからの処置でしょうか?もっとも戦時仕様の計算尺は本体にHEMMIのメーカー刻印しか入っていない物が多くなりますが。
 入手先は昔住んでいた山武市にほど近い千葉県は北総の匝瑳市の南端からです。匝瑳市といってもまだなじみが薄いのですが、旧八日市場市と野栄町が合併して出来たといえばわかりやすいでしょうか?しかし、千葉の房総も平成の大合併により旧住民だったわたくしでさえも、現在の新市はどことどこが合併になったのかよくわかりません(^_^;) これ、出品されて一度は買い手がつかずに再出品になった計算尺で、前回はNo.47と気がついていながら終了時間を見間違えて流してしまったものです。前回だったら500円で落札できた物を、今回は1,300円も投資する羽目になりました。でもNo.47は三年で五本くらいしか出てないのでまあいいか(笑)ケースに何かネズミの囓り跡のようなものが認められ、ちょっと怖かったのですが、さすがに房総の海岸沿いは湿気がわりに貯まらない気候の場所故か、御年70年に近い計算尺にしては裏板の腐食も殆ど問題にならず、セルロイドも当時の範つや消し処理の状態がよくわかるくらいにいいコンディションの計算尺でした。上部のスケールがインチの物とメトリックのものの両方が存在しますが、今回入手したものは上がインチ、下底面がメトリックのスケールを持つ米英輸出仕様のものです。カタログ上ではスケール違いのモデルが区別されている訳ではないのに、なぜ国内からスケール違いで両方のモデルが出てくるのか不思議ですよね。
Hemmi_no47
 似たもの同士の共演(笑)

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April 15, 2008

技研 No.9590土木測量用スタジア計算尺

 FUJIブランドで販売されていた計算尺は昭和40年代には製造会社が技研産業・販売会社が富士計器工業として存在したようで、現在でも前者は技研産業としてムトウのドラフタースケールやプラスチックの刻印加工などとして現存し、後者は計算尺販売終了後の昭和53年に東京営業所がフジコロナ精器として独立し、各種製図用具の販売及び輸出を経て現在はフジコロナとしてレーザースケールや環境家電品の輸入販売などを扱う会社として存続しています。ところがフジコロナの沿革を見ると終戦直後の「1945年に富士計器工業株式会社として甲府で計算尺の製造を開始」とありますので、「技研」のブランドで売られた技研工業との関係が今ひとつ掴めませんが、技研ブランドの計算尺は昭和39年頃にはまったく同じ計算尺が品番を変えFUJIブランドとなり、技研ネームを持つ計算尺が消え去ってしまったのは確かです。また、この技研系統では昭和30年代から各社へOEMとしてプラスチック製計算尺を供給しており、30年代半ば過ぎからはHEMMIへ多くのプラスチック製計算尺をOEMの形で供給しています。
 その技研ネームで販売された同時期に「大正工業」ネームの計算尺も何種類かあるのですけれど、単なるOEM先の名前なのか、山梨の技研周辺に存在した関係会社なのか、あたしゃわかりません(^_^;) しかし、この山梨技研系のプラスチック製計算尺は昭和30年代半ばまでその殆どを主に東南アジア輸出向けOEMとして製造していたようで、国内では販売網の脆弱さも相まって技研の計算尺が国内から見つかるチャンスは希少です。また海外のコレクターが「こんなブランドの計算尺は聞いたこともなく、情報が判れば教えてほしい」などと情報提供を求めている計算尺の写真を見ると、見るからに技研系プラ尺の手法で製造された物だったりします。30年代にはこれもOEMであるHEMMI No.P23ベースの薄いプラ尺もしくはその拡張版が聞いたこともないメーカーのOEMとして各種、海を渡ったようです。
 HEMMIより製造数が少ないといえどもFUJIブランドの計算尺がオクに登場する事は珍しくありませんが、技研ブランドの計算尺が出品されるのは年に何回もあるわけではありません。今回入手した技研の計算尺は兵庫のたつの市からです。写真では滑尺が裏返っていて尺の種類も型番も判然としませんでしたが、何となくスタジア尺だろうと思って落としたもので、届いてみたらビンゴ!、まったく知らないNo.9590という形式の測量用スタジア尺でした。説明書はさすがに残っていませんでしたがカーソルにも傷がない未使用品でした。しかし、積年の煙草のヤニで紙ケースの上面がコートされた様になり、抜けかけた底の隙間からケース内にも煙が侵入したようで、片側だけヤニで煤けてました。又、滑尺の目盛溝に入れられている顔料が経年劣化で軟化してまして、指で触わると滑尺面上に広がってしまい、結局布で拭きあげると目盛が少々薄くなってしまいました。本体の塩化ビニール素材中の可塑剤の影響で何十年も経つ間にパステル状に軟化してしまったのでしょう。初期のFUJI計算尺中にも入手したときに妙に目盛が薄い物がありますが、おそらくこのような現象が生じたのでしょうね。基本的にはHEMMIのスタジア測量尺No.2690の亜流なんですが、身幅が広い特長を生かして上からL,LL,D1,[M2,M1,CI,C,]D,A,Kと表面10尺、裏がS,ST,Tという拡張版です。幅広といってもNo.2690はNo.2664などと同じ表面の平面部分が34.5mmなのに対してこの技研のものは37mmあるに過ぎませんが。ちなみに高級検定用という扱いだった表面11尺のFUJI NO.2125の初期型は平面部分の幅が43mmあります。構造的にはおそらく後年のプラ製片面尺同様にネジで裏板と固定尺を接合しているのだと思いますが、後年のプラ尺のようにすべり止めゴムで蓋をしているわけではなく、灰色のプラ板を一枚張り付け、それによって裏にねじの頭が見えないようにしたフルカバー構造になっているようです。
 スタジア測量ですが、すでにレーザー測距儀による精密距離測定が普及して久しく、トランシットから標尺の目盛りを覗いて距離を測定するため、どうしても誤差があるスタジア測量の時代ではありません。基本的には直角三角形の相似の理論を使って標尺上の長さとトランシットの上下目盛り(スタジア線)上の長さとの比を算出し、水平距離を巻き尺無しで求めるというものです。しかし今ではホームセンターあたりでも簡単なレーザー測距儀が入手出来ますし、もちろん測量現場からトランシットも消えています。古くから使用されてきたスタジア測量の理論が要求されるのは今では測量士/測量士補試験くらいなものでしょう(笑)
No9590

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April 10, 2008

コンサイス HYPSOMETER(簡易測高器)

Concise_hypsometer
 珍品、コンサイスのHYPSOMETERという簡易測高器です。一種の簡易的なレベルで、おそらく植生調査などの用途で樹木などの大まかな高さなどを測るための器具ではないかと思います。まさかこんなものがコンサイスで製作されていたとは思いませんでした。黒い部分が筒型の照準器で先端に十字線があります。これを樹木や鉄塔などの先端に目視であわせてその角度を測定し、実測した目標物までの距離Lによって目標物の頂点から測定地点をなす角度を算出し、三角形の正弦定理で目標物の高さHを求めるという原理ですが、当然のことながら測定物下端までの距離Lと目線の高さを別な手段で実測する必要があります。円形部分の直径が12.1cmという大型で、さらに照準器の部分が加わるため、縦が15cmあります。表裏に独立したカーソルを持ち、表面裏面それぞれの対数尺を持つ円盤がはまった両面構造の計算尺です。裏側が照準器を使った角度測定に使用するらしく「角度面」との刻印があり、表面には「計算面」との刻印があります。
 コンサイスは企業からの特注で各種の換算系計算尺を以前から製造していたようですが、その数量が少ないことと、その企業の外部に持ち出されることが殆どないためか、その全容はつかめません。おそらくこの簡易測高計も外部のアイデアを具体化した特注品のたぐいなのでしょう。いちおう「PAT.P.NO.34504」と刻印されていますが、実際にパテントが降りたかどうかはわかりません。企業特注の計算尺は発注企業のマークがどこかしらに入るはずですが、このコンサイスにはそれらしきマークやロゴは一切なく、ケースに「K.K.ヤシマ農林器具研究所」のシールと説明書に社名・所在地のスタンプが押されているだけです。そのため、このヤシマ農林器具研究所が開発してコンサイスに作らせたのか、単なる取り扱い代理店なのかは判然としません。WEBで「ヤシマ農林器具研究所」を検索しましたが、それらしき情報にはヒットしませんでした。角度を測定するときにどうやって鉛直を出すのかとはなはだ疑問だったのですが、なんと裏面のカーソル先端におもりに相当する金属が装着されていて、照準器で比測定物の上端をねらって中央の金具を表面から圧すると、裏面カーソルのフリクションがフリーになり、おもりでカーソルが鉛直方向を示し、再び金具をリリースするとフリクションでカーソルが固定され、カーソルの示した角度が円周上の角度目盛りで求められるというものです。同じように比測定物の下端とのなす角度を被測定物までの実測距離Lをもとに算出し、表側の比測定物の hを求める尺によって比測定物の高さを調べるものです。
まあ、当然のことながらトランシットやポケットコンパスなどを使用して測るのと比べると誤差の桁が比べ物にならないわけですから、「簡易」の名前が付くのでしょうね(笑)

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April 01, 2008

RELAY No.112 の刻印違い

 π切断ずらしのCF,DF尺を持つ片面計算尺というのは日本ではごくごく少数派ですが、RELAY/RICOHでは10インチの技術用はおろか8インチの学生用まで用意されていました。しかし、双方ともに今ではなかなかお目に掛かることがないため、おそらく√10切断ずらしの製品に比べてわずかな数量しか製造されなかったのは確かでしょう。なぜHEMMIの片面尺にπ切断ずらしのものが見当たらないか不思議ですが、おそらくπを含む計算における滑尺操作を省略する利便性のために、わざわざπ切断の片面計算尺を作るのが不合理とでも考えたのでしょうか。π切断尺の選択肢としては機械技術用や電気用などの両面計算尺を選ばせるという戦略だったかもしれません。
 その少数派π切断片面尺としてHEMMIのNo.2664をπ切断にしただけの内容とでも言うべきモデルがRELAYのNo.112です。なかなかオクにも登場しない計算尺ですが、2月にたまたま1本出てきましたので押さえておきました。過去にも1本入手済ですので、さほど興味もなくそのまま保管してしまったのですが、改めて前回入手したNo.112と2本並べてみると、驚いたことに刻印の違いはおろか、微妙にサイズが違うのです(@_@;) 2本を並べることで、同じ尺度は持ちながらも本体はベースが別物だということが判りました。ちなみに以前入手した「J.S-1」刻印・昭和36年1月製の長さが28.4cmで身幅が4.03mmに対し、今回入手した「G.K-2」刻印・昭和33年1月製は長さが27.9cmで身幅が39mmしかありません。丹頂黒貼箱の同じようなケースが付属していましたが、こちらのほうも微妙に長さとロゴが異なっていました。ゲージマークの種類は同じながらデザインが微妙に異なり、裏側の刻印などの配置はかなり異なります。製造工場が違うのでといってしまえばそれまでなのですが、何かそれじゃあ納得出来無いなぁ(^_^;) ちなみに後のNo.116系とも長さが異なり、No.116のほうは28.9cmありますので、旧No.112は同じ10インチ片面計算尺ながら1cmも短い計算尺ということになります。そのNo.116にしてもHEMMIのNo.2664Sの29.5cmよりも短い計算尺なのですが…。それにしてもHEMMIは戦後に10インチ片面計算尺はすべて本体のサイズを統一したのに、RELAY/RICOHは同一モデルにもかかわらずサイズの異なるものがあるというのは今回初めて気がつきましたが、どうやら製造記号が「K」とされる製造工場は独自の10インチ片面計算尺の既成モデルを持っていて、そのサイズが佐賀の「S」と微妙にサイズが異なったためにこういう現象が生じたのでしょうか。仕上げも構造も微妙に異なっていまして、K刻印のものは裏板を止めるピンが片側8本に対しS刻印が10本、S刻印のものには換算表のずれ止めのために裏のアルミ板にプレスで付けられた突起がありますが、K刻印のものにはそれがありません。厚さも下固定尺部分でK刻印のものが10mmに対しS刻印のものは11mmで、滑尺部分の厚さにしてもK刻印のものが5.8mmなのに対し、S刻印のものは6.3mmあるため、同一モデルなのに滑尺さえ互換性がなく、共通なのは尺を刻んでいる表面の幅が双方とも34.5mmという事のみのようです。さらに付属の丹頂黒貼箱はK刻印のものは金の箔押しで押されているメーカー名が「SAN-AI KEIKI CO.,」となっている対し、S刻印のものは「SAN-AIKEIKI CO.,LTD.」となっており、それ以前は「RELAY INDUSTRIAL CO.,」という時代もあったようです。同じ丹頂黒箱ながら箔押し違いで3種類が存在することになります。こちらのほうが殆ど間違い探しのようですが(^_^;) 入手先は滋賀の草津市からで、ちょうど50年前の製造ながら殆ど使われずにしまい込まれたらしく、中身も箱も殆ど傷んでいない上の部類に入るコンディションのものでした。50年前の定価がラベルで残っていて、それによると950円とあります。当時失業者救済事業での1日の賃金が254円、すなわちニコヨンの時代ですから今の最低賃金ベースで日給に換算すると2万円近くにも値するのでしょうか。そこまでいかなくともラーメン一杯30円くらいの時代ですからいかに高価なものだったかがわかります。
Relay_no112

 RELAY No.112 技術用計算尺(G.K-2刻印)の表面拡大画像はこちら
 RELAY No.112 技術用計算尺(G.K-2刻印)の裏面拡大画像はこちら

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