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October 25, 2008

J.HEMMI No.4 電気用(末期型)

 J.HEMMI時代の10インチ電気用計算尺は通常のNo.3と位取りカーソル付のNo.4がありましたが、この電気用計算尺というのは第一次大戦によりドイツ製計算尺の輸入が途絶えた欧米諸国からの要求によって誕生した、逸見式改良計算尺としては最初の特殊計算尺で、そもそも欧米から「ドイツの計算尺そのまま」を要求されたことと、ヘンミ側にまだ独自の開発能力が無かったため、このNo.3はドイツ製 A.W.FABER 378のデッドコピー商品だったということです。このA.W.FABERの378電気尺も同じ型番で後期型は延長尺付3本線カーソル付へと変貌を遂げますが、このJ.HEMMI No.3は当然の事ながら前期型がコピーされています。またA.W.FABERにはCI尺が加わった398という型番の電気尺があり、こちらのほうはNo.3のモデルチェンジ版 HEMMI No.80の原型のようです。もっともNo.80ではA.W.FABERのように側面のLL尺追加はかなわなかったようですが。
 No.3もNo.4も短い期間のうちにカーソルだけでも色々なパターンが存在するようで、No.3のほうは初期がNo.1同様の四角いアルミフレームのカーソルからPAT.51788の樹脂カーソルバーを使用した四角いメタルフレームカーソルに変わり、最終的にはカーソルグラスをカーソルバーに直接ねじ留めしたフレームレスカーソルが付属した物がJ.HEMMI時代のNo.3の最終らしく、No.4のほうはNo.2同様に初期は四角いアルミのフレームに肉抜きのないアルミの文字盤で、インジケータ根元にアルミのスタッドが付いたカーソルからPAT.51788の四角いメタルフレームのインジケータ付きカーソルを経てPAT.58115の逆C型フレームを持つインジケータ付きA型カーソルが付属します。このインジケータ付きA型カーソルにしても文字盤に肉抜きのない物とある物、さらにインジケータ根元がアルミスタッド付きか蟹爪状に開いているかのパターンがあり、どういう改良なのか良くわかりません(^_^;) まあ「未だ試行錯誤の時代」の製品ですから同じ型番でありながら、色々と細かい差異があるのはコレクターにとっては歓迎すべき事柄なんでしょうが(笑)
 今回入手したJ.HEMMI No.4 電気用計算尺は、実は一年半ほど前にJ.HEMMI No.2 を入手した福岡の人からで、そのときに型番がわからない計算尺があるので教えて欲しいとメールで画像が送られてきた計算尺です。そのときに80年前の電気用計算尺で、数が残っていないため大事にしたほうが良いとアドバイスしたところ、本人は価値が高いと判断したのでしょう。残念ながら側面に大きくセル剥がれがあり、カーソルグラスも欠品なので肝心の計算機能が喪失しており、計算用具として機能しないため、「計算尺の残骸」なのですが、その計算尺の残骸がいつの間にかオクで5,000円近い開始価格で出品されてました。そりゃあ美品ばかり追い求めているコレクターには見向きもされませんし、いつしかどんどん開始価格が下げられるも一向に入札者が現れず、当初の出品価格の1/5になったところで、それなら研究資料にと落札してしまったものです。逆Cフレームを持つA型カーソル付きながら、位取りの文字盤に切り欠きのないタイプで、このカーソルはごく短期間にしか作られなかったようです。うちのNo.2にもこのカーソルが付いたものがありますが、かなり少数派に属するようです。このMo.3系統の計算尺はNo.1系統より幅広の計算尺で、とは言えNo.80よりも僅かにナローサイズなため、共用できるカーソルがありません。当初、後年の戦前製計算尺のカーソルグラスを取り出して流用しようかと目論んでいましたが、残念ながらNo.50系統もNo.64系統も、はたまたNo.40系統もすべてカーソルのサイズが合わないオフサイズの計算尺です。驚いたことに届いたNo.4は今まで見たことのないA,,B,C,D,尺にそれぞれ尺種類を表す刻印が付いていました。奇しくも全く同じ形のカーソルが付いたNo.2にも尺種類を表す刻印のあるものが手元にありますので、これはJ.HEMMI時代のNo.3系統からすると末期に属するものなのかもしれません。また通常下固定尺右下にあるmade in Japanの刻印もありません。また、裏側にも白いセルロイドが平貼りされていて、裏側も白くなっており、さらに上下のスケール左右の鋲留めも無く、初期のNo.3系統とも異なりますので、やはり時代的には昭和3年前後の製造の「末期型」ということが確定出来るでしょう。しかし他にこういうNo3系統の計算尺は見たことがありません。こういう標準型から外れたイレギュラーな製品は個人的には大歓迎です(笑)内容的には表面がLL2,A,[B,C,]D,LL3で、滑尺裏がS,L,T,、さらに滑尺溝にモーターなどの効率や線路の電圧降下などを計算するE,F,尺を備えます。No.3系統は後のNo.80系統と異なり、このE,F,尺が上下にセパレートになっていて、短い滑尺の先端に設けられた金属のインジケーターがNo.80系統が「┤型」なのに対して「コ型」になっていて、古い電気尺の識別点になっています。
 No.3とNo.4はJ.HEMMIの商標から"SUN"HEMMIに移行して新たな計算尺が誕生する過程で、後に10インチ片面計算尺の標準サイズとなるワイドボディのそれぞれNo.80とNo.81にモデルチェンジします。このNo.80系の計算尺は当初はNo.3とNo.4のデザインそのままに「CI」尺が無かったと言われていますが、その現物はまだ見たことがありません。またNo.80やNo.81の発売当初のモデルに限らず、No.60やNo.64などの極初期モデルなども殆ど見かけず、かえってJ.HEMMI時代の計算尺のほうが世の中に多いような気がしますが、どうやら"SUN"HEMMIの商標に変わり、新系列の計算尺を発売したことがちょうど世界恐慌が始まった時期で、輸出はおろか国内向けの生産も停滞したことに原因があるような気がします。そして世界が戦争へと走り始める昭和10年代は軍需に関係するありとあらゆる産業で計算用具が大量に必要となり、この頃の計算尺が比較的多く残っているのも頷けるような気がします。
Jhemmi4
 カーソル線を黒で作ってしまいましたが、もうこの時代は赤でカーソル線を入れるのが正しいようです。
 J.HEMMI No.4電気用(末期型)表面拡大画像はこちら
 J.HEMMI No.4電気用(末期型)裏面拡大画像はこちら
 J.HEMMI No.4電気用(末期型)滑尺溝部分拡大画像はこちら

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October 20, 2008

FAMILY 換算器/価額計算器

Photo 前回、昭和の初期に尺貫法からメトリックやヤードポンド換算のための換算用計算尺が雨後の竹の子のように色々と出現したという話を書きましたが、戦後も相変わらず換算尺が新たに作られたようで、代表的なものはコンサイスのの換算器とヘンミのNo.P36Sでしょうが、それ以外にも雑誌の付録程度の紙製のものからちゃんと販売目的で製造されたプラ製のものまで両手の指では数え切れないほどの換算尺が存在したようです。今回入手したものは、おそらく戦後は昭和30年代に作られたと思われる両面型の円形換算尺で表面が長さ面積体積の換算用の「ファミリー換算器」、裏側が利益率などを計算する「ファミリー価額計算器」となっているものです。全体の1/3くらいが真っ白なスペースとなっていますので、おそらくこの部分は社名などを入れるために設けられたのでしょう。最初からノベルティー商品を想定して開発されたのでしょう、そうでなければなかなかこういう換算系の商品をお金出してまで買う人間は少ないでしょうし(笑)このファミリー株式会社という会社は東京の会社で他にも円形の原価計算用ビジネス尺なども発売していたようですが、自社に工場を持っていたわけではなく、どこかに外注で作らせていたのは確かでしょう。下に「PAT.A.」ですからおそらく「PATENT APPLIED」すなわち特許出願番号が2件刻まれていますが、おそらくこの手の換算尺の特許は大正期から昭和期にかけて出し尽くされた感がありますので、実際に特許が降りた可能性は限りなく少ないような(^_^;) 入手先は札幌で、最近は道内からの計算尺調達がなぜか続きます。こんなもの誰も注目しないようで、たったの100円での入手でした。ファミリーという会社は東京の神田にあった会社のようですが、すでにその後をたどるすべはありません。なんか駅の出札口で使っていたような硬貨の釣銭器か何かにFAMILYのロゴを見たような気がしますが、この換算器以外にどんなものを作っていたのかも調べがつきませんでした。
 FAMILY 換算器(表)拡大画像はこちら
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October 19, 2008

HEMMI 体重バランス用計算尺(初期型)

 HEMMIの体重バランス計算尺は型番のない特殊計算尺の中にあっては医療保健関係の用途としてそこそこ使われた計算尺のようです。カーブ指数とローレル指数の算出に特化した専用計算尺で、以前入手した昭和の初めに作られた山越製作所の大串式体格計のような存在なのでしょう。我々一般の人間が日常で使用するような計算用具ではありませんが、一般の計算尺が作られなくなった後でも在庫が無くなればその都度追加で生産されたようで、この計算尺に関しては今でも本数がまとまれば生産が可能なようです。それというのも当初からプラスチックの8インチをベースとしており、生産もヘンミの工場ではなく山梨の技研系にやらせていたことに他なりません。ベースはHEMMIの学生用計算尺P45Dなどと同じであり、当初から滑尺が青く着色され、青蓋のプラケース入りのものがよく知られています。ところが中には滑尺部分が着色されていないものも見かけることから、当初は白い計算尺だったものの、途中から学生用 8インチ計算尺と共通のボディを使用するため滑尺も青く着色されたものにマイナーチェンジされたのだと思われます。
 同じ道内は江別から届いた体重バランス計算尺は 珍しいことに緑帯付きの紙製貼箱入りでした。滑尺が青くない初期型で製造刻印があり刻印は「RF」ですから昭和42年の6月製。ボディは何と30年代の後期に現れたあまり数を見ないHEMMI No.P45Kそのものでした。当然のことながら裏側に大きな緑色プラブリッジで上下の固定尺を止めており、透明セルロイドの副カーソル線窓が設けられているのですが、この体重バランス計算尺に限っては滑尺裏がブランクですから無用のものです。この8インチボディはコスト的に学生用計算尺に合わなくなり、昭和43年頃から裏板に上下固定尺を接着する構造のNo.P45SさらにNo.P45Dにモデルチェンジするわけですが、体重バランス計算尺もそれに追随したのでしょう。このように名称は同じでも構造的にはまったく異なる計算尺があるので注意が必要です。コレクション的にこういう計算尺のパターンモデルまで揃えるのは他に人にお任せしましょう(笑)
Photo

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October 17, 2008

カーソルの入れ歯andセルの皮膚移植

Photo 戦前のA型カーソル(逆C型カーソル)は落とすとガラス破損しやすいためか、戦前の計算尺には枠だけしか残っていないものを多く見かけます。また、ガラスが残っていても枠にはまる部分が斜めに薄く削られているためか、エッジの部分が欠けると枠からガラスが脱落しやすくなり、そのためかガラスの裏表を逆にはめ込んでいるものもあります。エッジの部分があまいガラスはジェル状のシアノアクリレート系接着剤を重ね塗りしてヤスリで研ぎ出せば補修が可能な場合がありますが、ガラスが大きく欠けていたり、もちろんガラスが喪失している場合はカーソルを交換しなければいけません。ところが今では10インチ片面計算尺用のカーソルでさえ単品で調達することは、本体を丸ごと調達する以上に困難ですので、戦前のA型カーソルはガラスを交換して補修するしかありません。ガラスの厚みは時代によって異なり、大正中期のJ.HEMMI時代No.2で1.58mm、大正末期から昭和初期のNo.2で1.50mm、昭和期に入ってからは1.3mmプラスマイナス3/100になったようです。ところがDIYの世界には1.3mm厚の平板ガラスが見あたりません。まあ、素人がガラス加工するのも難しいので、カーソルグラスの素材としてはアクリル板が無難です。
 事の経緯はカーソルグラスが喪失し、セルロイドの欠損が醜い J.HEMMI時代の電気尺No.4を入手し、このままだと計算機能が欠損した「計算尺の残骸」ですが、カーソルグラスさえ補えば観賞用くらいにはなるだろうと思い、何かのカーソルグラスを流用しようとしましたが、このNo.4のカーソルグラスはオフサイズで、仕方が無くカーソルグラス自作に着手したものです。近所のホームセンターに出かけると、透明アクリル板は1.00mm,2.00mmとありましたが1.5mmがありません。これじゃあダメじゃんと思いきや、ペットボトルなんかで有名なPET(ポリエチレンテレフタレート)樹脂の1.5mm板があり、これを調達してきました。保護シートが付いたままPカッターで切断し、定寸に切り出したのち、上下面をカーソル枠に合わせてヤスリで寸法出しし、上下をカーソル枠に合わせて斜めにヤスリで研ぎ出します。アクリルより若干素材が堅くて粘りがないようで、アクリル板よりガラスに近い感じがしますが、そのため、Pカッターで筋彫りすると切り口が細かく貝状に割れ、この特性がカーソル線の筋彫りの際にやっかいでした。カーソル枠に収まるようになったPET板の裏面保護フィルムを剥がし、ノギスで寸法出しして上下にけがきしたのち、一気にPカッターでカーソル線を筋彫りします。何度も筋を引かずに軽く一度上下に筋を引くようにしないと筋の周囲が細かい貝状に劈開し、黒の塗料を入れるとそこまで塗料がにじみ、太いカーソル線になってしまうので端材で何度か練習したほうがいいでしょう。当方も最後のカーソル線彫りが気にくわなく、一回作り直しました。2回目にしてやっと鑑賞および実用に耐えるカーソルグラスが出来たと思いますが、さすがにガラスより擦り傷に弱いので酷使は出来ませんが(^_^;) さらにこのNo.4は同じく戦前のNo.50のジャンクからスケール部分セルロイドを皮膚移植しました。No.50からセルロイドを剥がすときに失敗したのと、No.50のほうがサイズが短いため、セルロイドの細片で接ぎ剥ぎしなければいけなく、いささかブラックジャック先生になってしまいましたが、セルがゴッソリと剥落しているよりもいいでしょう(笑)しかし、この1.5mmのPET樹脂板が1.3mmのカーソルグラスに使用できるかどうかはわかりません。今度試してみましょう。(上の画像はカーソルに施した自作の入れ歯と皮膚移植を施した部位)

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October 07, 2008

HEMMI No.64 システムリッツ計算尺(戦前初期型)

 ドイツの名だたる物理学者であるアルベルト・アインシュタインを始め、多くの科学者・技術者に愛用されたのがドイツ製の10インチシステムリッツ計算尺でした。戦前の日本でも医者はもちろんのこと科学者・技術者にもドイツ崇拝者が多かったことと、HEMMIの60系システムリッツ計算尺が多用されたことには関連性があるかもしれません。HEMMIのシステムリッツ計算尺はJ.HEMMIから"SUN"HEMMIに商標が変わった昭和5年頃に発売されたNo.60が嚆矢で、10インチの表面はK,A,[B,C,]D,Lで滑尺裏はS,S&T,Tという構成でまだ逆尺が無く、A,B,C,D尺にもオーバーレンジがなく、当然ながらカーソルも副カーソル線の無いものだったようです。このNo.60はドイツのA.W.FABERのシステムリッツ尺の丸コピーですが、このNo.60に逆尺のCI尺を追加し、オーバーレンジを加えて副カーソル線付カーソルを標準にしたものがNo.64のようです。No.64の発売は昭和7年頃からという話ですが、No.80のオーバーレンジの無い初期型が珍しくないのに対し、No.64のオーバーレンジ無しのものはまったく見かけず、No.60のほうも発売からさほど経たずしてオーバーレンジが施されますので、No.64は当初からオーバーレンジ付きの物しか無かったのかもしれません。
 今まで何度も書いてきましたが、当方はNo.2664Sを手にする前にNo.64を使用するという巡り合わせとなってしまったために、今でもシステムリッツの計算尺が標準計算尺となってます。手持ちのHEMMIシステムリッツ尺だけでもNo.64が戦前戦後を含めて3本、No.64T、20インチのNo.70や5インチのNo.74まで揃っており、他社のシステムリッツ尺や両面型のシステムリッツ尺まで数えると一体「どんだけ〜」あるのやら(^_^;) これだけのシステムリッツ偏愛主義者にもかかわらず、初期のタイプに属するNo.64は今回が初めての入手です。戦前の後期型と比べていただくと一目瞭然ですが、まず目盛が戦前後期型がものさし形の普通目盛なのに対して初期型は馬の歯形のボックスタイプです。J.HEMMI時代からの馬の歯形目盛をNo.64に限らず、なぜ途中でものさし形に変更したかという理由を以前から色々と考えてきましたが、どうやら本家のドイツ製が「より細密に目盛を刻める」という理由からか、はたまた単なる流行だったのか、計算尺の馬の歯形からものさし形に変わっていったドイツ製計算尺のデザインの変化に、やや遅れて追随していったというのが真相のようです。J.HEMMI時代から輸出の割合が非常に高かったわけですから、HEMMIとしても海外市場で受けいられるためにはドイツのトレンドを取り入れる事には、かなり敏感かつ積極的だったのでしょう。
 さらに馬の歯形目盛を持つNo.64の中でも昭和10年頃より以前に作られた物はセルロイド面の剥がれ止めのためか両端が鋲止めになっており、このタイプのNo.64はあまり見たことがありませんがatom氏のコレクションやオク上でも何本か過去に出てきておりますので、その存在だけは知っていました。また滑尺溝の中にJ.HEMMI時代のNo.1同様に滑尺を引き延ばしたときの長さを物差しとして使うための目盛が刻まれているのが戦前後期型のNo.64には無い特徴です。今回の戦前初期型のNo.64は単なる馬の歯形目盛のものだったらスルーしてしまったかもしれませんが、昭和10年以前に作られた両端鋲止めタイプであることがわかり、システムリッツ偏愛主義者として少々無理して入手したものです。入手先は山梨県の甲府盆地に位置する中央市からですが、元々は甲府市内にあったもののようでした。甲府といえば技研計算尺や富士計算尺を初めとするプラスチック製計算尺のメッカで、計算尺末期にはヨーロッパの老舗メーカーのOEMプラ尺の供給元となっていました。このような土地からヘンミの古い計算尺がやってくるのも何かの縁かもしれません。届いたNo.64は当初の目論見通りのNo.64でしたが、驚いたことになぜか逆尺のCI尺にだけ尺の種類を明示する「CI」の記号が刻まれています。こんなNo.64にはまるっきり初めてお目に掛かりました。裏面は延長尺のないNo.80と同じくセルロイドが被さっているわけではなく白塗りで、裏板も後期型のような腐食でボロボロになる灰色のものではなく銀色のままの物です。ケースも延長尺のないNo.80と同様にオーバル断面の黒箱で、裏面に輸出仕様と同様に英語のインストラクションが貼られています。おもしろいことにこの時代の黒箱は蓋と本体の合わせ目が日の出マークの型押しですが、まもなく星のマークに変わります。この星マークは昭和40年代初頭の緑の貼箱まで継承されるのですが、日の出から星に変わった意味は何だったのでしょう。この時代のHEMMI計算尺は本体に型番を表す刻印はなく、裏の換算表に型番を表すシールが貼られているのですが、残念ながら剥がれていました。しかし、ケースの方に「No.64 MADE IN JAPAN」と印刷されたシールが残っています。またこの時代のHEMMIの計算尺は滑尺裏のS尺はA,B尺対応の物が多いのですが、No.64はこの初期型のNo.64にして後に一般的になるC,D尺対応になっています。精度的に考えてもS尺がC,D尺対応のNo.64が技術者に好まれた理由かもしれません。
 初めて見る「CI」刻印付の理由に興味は尽きませんが、先行モデルのNo.60との一番の違いは、この逆C尺の追加でした。そのためNo.60との差を視覚的に強調するためのCI尺刻印だったのかもしれません。またマンハイム尺にしか馴染みのないユーザーが混乱しないような配慮もあったのかもしれませんが、それであれば当然のことながら全部の尺種類を刻むべきでしょう。またNo.64の「CI」刻印は他に見たことがないので、必要なきものとしてすぐにやめてしまったようです。結局 No.64はそののち昭和40年代の始めのモデルチェンジ版 HEMMI No.64T になるまで尺種類はついに刻印されませんでしたので、システムリッツ尺を必要とする技術屋にとっては「余計なお世話」だったのかもしれません。ちなみにドイツ製の古い計算尺にも尺種別を示す刻印が無いものの方が多いようです。尺種別を刻印しないというのは、ドイツの技術用計算尺スタイルを踏襲したようです。戦後発売のダルムスタッド尺No.130にしても完全にドイツの技術用計算尺スタイルの模倣であったため、表面に尺種類を表す刻印がないことまで真似をしたのかもしれません。しかし、No.130システムダルムスタッドの計算尺ですが、No.64でさえ戦前に普通目盛にマイナーチェンジしたにも係わらず、戦後の新製品ラッシュの中で、なぜあえて古めかしいスタイルで発売になったのかが疑問ですが、もしかしたら目盛の金型はすでに昭和10年代初頭には完成していながら戦争などの理由によりお蔵入りとなっていたのを、戦後に引っ張り出してきたのだったら、なんとなく納得できそうですが。
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 戦前No.64の前期後期比較画像(画面クリックで拡大)
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October 06, 2008

RICOH No.154 技術用計算尺

 RICOHの両面計算尺はほぼ1年ぶりの入手で、それもあまり数の出てこないNo.150番台のNo.154という計算尺です。RICOH No.154はRELAYから続く150番台の両面計算尺としては比較的に歴史の浅い計算尺で、輸出用の昭和34年版カタログにはまだその型番は掲載されていません。150番台で一般用途のLOGLOG尺の中では最後発の計算尺で、No.150同様のナローボディーに22尺を詰め込んだ計算尺です。表面はCF,DF尺のずらし尺を備えますが、技術用に多いπ切断ずらしになっています。確かにRELAY時代から存在する計算尺のはずなのですが、未だRELAY時代のNo.154を見たことがありません。アメリカのコレクターが言うにはNo.154はRELAY No.153のべき乗機能強化版ということで、販売が重なる時期が若干あったかもしれませんが、基本的には No.153からNo.154に生産をシフトしていったのでしょう。ナローボディ故にLL0およびLL-0尺が省かれているためフルログログデュープレックスになれなかった計算尺ですが、良くまとまっていて大変に使いやすい計算尺です。内容的にはナローボディにワイドボディの学生尺 HEMMI No.254Wの尺を詰め込んだような感じですが、No.154のほうはSIN/TANの6度以下84度以上の微少角を直読するためにST尺を備え、CF,DF尺がπ切断ずらしですからより技術系指向の高い計算尺だと思われます。しかし、昭和40年代になるとNo.1053などのワイドボディーにフルログログ尺を詰め込んだものが標準になりましたので、No.154はいかにも中途半端な存在だったのか、それでも数は少ないながらだらだらと牛の涎のように生産は続き、何と金属フレーム付カーソルでグリーンCIF付の昭和45年以降のものまで確認されています。昭和40年代に入ってからはほぼ輸出向けとしてスポット的に製造されただけだったのかもしれません。
入手先は北海道の江別市からでした。刻印は「M.S-4」ですから昭和39年4月の佐賀製で、ケースは丹頂ベージュの貼箱です。ケースに固定抵抗のカラーコード表が貼り付けられていましたので、どういう系統で使用されていたかが自ずからわかろうという物(笑)
よく使い込まれた計算尺で、久しぶりにメラミンフォームで表面を磨き、アクリル製のカーソルグラスも艶を失っていたのでアクリルサンデーというアクリル専用研磨剤で磨くと結構ましな計算尺に戻りました。表面はLL-2,LL-3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2の10尺で、裏面はLL-1,K,A,[B,ST,S,T,C,]D,DI,L,LL1の12尺で合計22尺になります。表面のC尺D尺にはゲージマークがまったく無く、πすらありませんが、これはπのある連続計算はπ切断をうまく使えということなのでしょう。裏面のC尺D尺にはCとπおよび度とラジアン換算のρ゜の3種類のみ存在します。色合い的にも逆尺の種別と数字のみ赤で刻んであるだけの地味な計算尺です。まあ、あたくしゃ No.154を使うのでしたらπ切断ずらしのNo.1053のほうを持ち出してしまうと思いますが(^_^;)
Ricoh_no154

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October 05, 2008

HEMMI No.P36S 換算用計算尺

 単位の換算という仕事に関しては計算尺のもっとも得意とする分野で、いちいち計算器を叩くよりも一度目盛りを合わせると連続して数値が読める計算尺のほうが便利なことがあります。世の中の単位として尺貫法が人の体に刻み込まれていた昭和の初期、オフィシャルな計量単位をすべてメトリックとするように尺貫法が改訂され、公文書から学校教育、はたまた町中の計量単位まで尺・寸、貫・匁、升・合からメートル・キログラム・リットルを使用するように強制されるに至り、体感的にまったくなじみのないメトリック単位の強制に町中が軽いパニックを起こしたようです。これは最近のSI単位への移行どころの騒ぎではなく、このころ日本では初めて各種の単位換算専門計算尺が出来たようで、多くは雑誌の付録のような紙製円形計算尺でしたが、市販の物にはブリキのプレス製で滑尺が2本ある換算用計算尺もあります。この滑尺2本というのは換算する単位の種類を増やすために片面尺を2本上下に接合した事と同じで、上下の滑尺が関係して連続計算などが出来るわけではありません。
 この時代にヘンミでは換算専用の計算尺は作りませんでしたが、それは練習用の計算尺であっても一般の物価に比べるととても高価なもので、換算専用のチープな計算尺を作る手段を持たなかったからでしょう。とはいえ、昭和一桁代ですでにヘンミではプラスチック製の計算尺を作っていますので、この技術を応用すればリーズナブルな換算尺が作れたのではないかと思います。
 実際にHEMMIが換算専用の計算尺を発売したのは昭和40年代になってからで、安価にするためか、竹とセルロイドのものではなく塩化ビニールを主体としたプラスチック製です。生産は一連のプラ製計算尺と同様に山梨技研系のOEMでしょう。長さが5インチのポケットサイズであることでもわかるとおり、デスクトップで使用するのではなく、現場で使用するための換算尺です。長さ・重さ・広さなどの換算以外に計算機能の全くない計算尺で滑尺の表裏で A:メトリックから非メトリックへ B:非メトリックからメトリックへ、というように滑尺を裏返して使用するようになっています。実はこのHEMMIの換算尺は本体の刻印が「No.P36」なのに外箱と説明書の表記は「No.P36S」とSの付く物ばかりです。本体に「SPECIAL」に該当する「S」が末尾に付いた P36Sは見たことがありません。世の中がそろそろメトリックだけで事足りる時代になってからの換算尺だったからか、「殆ど売れなかった計算尺」だったようで、今でも地方の文房具店あたりのデッドストック発見率が結構高い計算尺です。意外と企業のノベルティーや記念品としての需要があってもよさそうなのですが、このP36は「どこにも企業名を刻印するスペースがない」という重大な欠点があり、5インチプラのNo.P35がけっこう記念品などのベースとしてよく使用されたのにも係わらず、企業名がどこかに刻印されたようなNo.P36は見た記憶がありません。この欠点はコンサイスの換算尺に比べるとかなり損をしてしまったようです。
 入手先は大阪の八尾市で外箱はありませんでしたが説明書と皮ケースの付いた本体ビニール未開封の新品でした。刻印は「QB」ですから昭和41年の2月製造です。なぜか新品の8インチ学生尺のケースに入っていました。この換算用計算尺ですが、今となっては現場がSI単位に完全統一されてしまい、仕事上では単位の読みかえの必要がなくなってしまったため、あれば便利という状況ではなくなってしまいました。
Hemmip36s1_2


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October 03, 2008

シーメンスのNESTLER Nr.12 マインハイム計算尺

 計算尺をいろいろ集めていますと、時には「裏板が腐食で抜け落ちている計算尺」をつかんでしまうこともありますが、また時には本人の意思に関係なくとんでもない掘り出し物に巡り会うことがあります。今回はそんなケースでした。神奈川県のある人が戦前・戦中くらいの4インチ5インチ計算尺ばかり多数出品した中の1本でしたが、当初は表面セルの両端に剥がれ止めの鋲があり、カーソル枠がJ.HEMMI時代のNo.1とそっくりなことと、単純な4尺のマンハイムタイプだったため、J.HEMMI時代のどこかへのOEM計算尺ではないかと思い、一種のバクチ感覚で入手したものです。しかし、金属板の裏板が見あたらず剥がれ止めが鋲ではなくマイナスネジに見えたことから外国製のポケット尺の可能性も否定出来ないと思っていました。
 届いた計算尺を見て驚いたのはまず滑尺の溝に刻まれた「SIEMENS-SCHUCKERT」の刻印で、これを見てすぐにシーメンス社関係の所有もしくはノベルティだということがわかりました。計算尺のメーカー名を表す刻印が見あたらないため、手がかりを捜すと裏の換算表に小さく「ALBERT NESTLER A.G.」の印刷がありましたので、古くはNr.23 rietzの10"モデルが、かのアインシュタインやフォン・ブラウンからソ連のセルゲイ・コロレフにも愛用され、後にマルチマス・デュープレックスなどの計算尺でも有名なドイツはNESTLERの計算尺だということがわかりました。ドイツ計算尺通であればネジの頭を見ただけでNESTLERの古い木製尺ということがわかるのでしょうが、当方ドイツの木製尺は所有しておらず、イギリスの10インチ片面尺がかろうじて2本あるだけですから仕方がありません。古いJ.HEMMI時代のNo.1などのスタイルにカーソル枠なども含めて非常によく似た計算尺で、おそらくドイツ製計算尺の名品としてJ.HEMMIがNESTLERのスタイルを丸パクリしたのでしょう(笑)それもJ.HEMMIのほうは竹素材をマホガニーに見せかけるため、茶色く着色していたのではないかという節があります。このドイツはALBERT NESTLER A.G.は1878年に製図用具・測量用具などを製作する会社として設立されています。1903年に最初のマンハイムタイプ計算尺を発売していますが、ドイツの計算尺メーカーとしてNESTLERはARISTやFABER-CASTELLとともにドイツ計算尺界の御三家の一社です。戦後は他の2社同様にプラスチック製の計算尺に生産をシフトしていきますが、計算尺終末期は欧州の他メーカー同様に日本は山梨から供給を受けていたのではないでしょうか?入手した計算尺はマホガニー製で、NESTLER計算尺初期のマンハイムタイプ5"計算尺でメタルフレームのカーソルからして1920年以前の製造ではないでしょうか。第一次大戦中とその直後は一時的にドイツで計算尺の生産が滞りますから、もしかしたら大戦前の製品かもしれません。通常は滑尺を抜くとパックプレートにモデルナンバーと社名が刻まれているのが普通ですが、この計算尺はシーメンスの特注品らしくシーメンスの社名だけが刻まれているだけでモデルナンバーを特定する刻印など一切ありません。セルの剥がれ止めのためか上下固定尺と上下のスケールの左右がねじ留めとなっており、そのマイナスの頭がそのまま露出していますが、これが初期のNESTLERマホガニー製計算尺の特徴になっているようです。
 さて、このSIEMENS-SCHUCKERT(ジーメンス・シュケルト)刻印の謎解きです。現在はシーメンスという呼び方が日本でも一般的ですが、うちの父親なんかの戦前派はジーメンスと今でも呼んでいます。それというのもドイツ語の読みが「ズィーメンス」らしく、戦後もジーメンスという呼び方が長く続いたらしいのですが、最近は何でも英語読みされる風潮からBMWのベーエムベーがビーエムダブリューと呼ばれることが一般的になったように日本ではシーメンスとして補聴器などのCMも流れていますが。大正時代の始め頃だったかシーメンス社が日本海軍の高官に海軍船橋電信通信所への80〜100kWテレフンケン式通信装置納入に絡み賄賂を送ったことが発覚したことに端を発する大疑獄事件を「シーメンス事件」といい、この事件により日本人の記憶の片隅にシーメンスの名前を刻み込ませました。シーメンス社は世界で初めて電車を製造したことを皮切りに発電・変電機器を初めとする強電事業、有線無線を問わない通信機器事業をアメリカを除く全世界で展開させましたが、日本では早くも明治33年にジーメンス・ウント・シュケルト日本支社を設立し、各地に発電設備や電話設備などを納入しています。その過程でシーメンス事件を引き起こすわけですが、直後に第一次世界大戦が勃発し、日本もドイツに参戦しますのでこの間、日本では一時的に事業が停滞します。実はジーメンス・シュケルトは電機や通信の他に「航空機メーカー」としても活躍し、第一次大戦末期にはD3などという戦闘機も作っていますが、時すでに遅くシーメンス・シュケルトの戦闘機が活躍したという話は聞きません。そのほか第一次大戦中にジーメンス・シュケルトは軍需としてUボートの主電動機や電動推進式魚雷の電動機なども製作したという話を聞いています。航空機エンジンでは当時の星形エンジンというのはロータリー式といってプロペラがクランクシャフトを中心にエンジンごと一緒に回るという物でしたが、エンジンの回転を上げると機体の挙動が変化して操縦に影響が出る・出力増大に対応出来ないなどの欠点がありました。ジーメンス・シュケルトの航空機エンジンはプロペラとエンジン部分が逆回転してエンジンのトルク変動をうち消す構造が特徴だったようですが、複雑な歯車構造が災いしてオーバーヒートなどのトラブルが避けられなかったようです。しかし、このエンジンをもっても連合軍のスパッド13、イスパノスイザV8エンジンには到底かないそうもありません。ジーメンス・シュケルトの名前の由来は電信などの有線通信機メーカーだったジーメンス・ハルトゲ社が1892年に重電機メーカーのシュケルト社を合併したために新会社を「ジーメンス・シュケルト社」としたようです。日本ではこのジーメンス・シュケルトと古河電工が合弁でジーメンスの技術で強電関係の電機を製作する富士電機という会社を設立し、さらに富士電機から有線通信部門がスピンオフしたのが富士通信機製造、今の富士通であることは良く知られています。
 ところでこのシーメンスネームのNESTLER 5"計算尺は皮ケースフラップの内側に「足立」という所有者名が漢字で入れられていましたので、確かに日本人によって使われてきたものです。1920年以前の製造だと思われますので、第一次大戦終結から2年も経たないうちに作られたか、第一次大戦以前のシーメンス事件発覚の頃にでも関係者に配られたものなのでしょうか。海軍の高官には契約金額の15%を現金で賄賂を送り、それ以外の関係者は計算尺一本で済まされていたのだとすると、これはシーメンス事件がらみの賄ということになりますが、まさかそんなことはないでしょう(^_^;) しかし、ウエスチングハウスとシーメンスという世界でも有数の電機メーカーのネーム入り計算尺が数ヶ月のうちにそれぞれ手に入ったことになりますが、そうなったらGEジェネラルエレクトリックのネーム入り計算尺もどこかにあるはずです。誰かGEのマーク・ネーム入り計算尺、持ってませんか?(笑)
Nestler

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