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October 03, 2008

シーメンスのNESTLER Nr.12 マインハイム計算尺

 計算尺をいろいろ集めていますと、時には「裏板が腐食で抜け落ちている計算尺」をつかんでしまうこともありますが、また時には本人の意思に関係なくとんでもない掘り出し物に巡り会うことがあります。今回はそんなケースでした。神奈川県のある人が戦前・戦中くらいの4インチ5インチ計算尺ばかり多数出品した中の1本でしたが、当初は表面セルの両端に剥がれ止めの鋲があり、カーソル枠がJ.HEMMI時代のNo.1とそっくりなことと、単純な4尺のマンハイムタイプだったため、J.HEMMI時代のどこかへのOEM計算尺ではないかと思い、一種のバクチ感覚で入手したものです。しかし、金属板の裏板が見あたらず剥がれ止めが鋲ではなくマイナスネジに見えたことから外国製のポケット尺の可能性も否定出来ないと思っていました。
 届いた計算尺を見て驚いたのはまず滑尺の溝に刻まれた「SIEMENS-SCHUCKERT」の刻印で、これを見てすぐにシーメンス社関係の所有もしくはノベルティだということがわかりました。計算尺のメーカー名を表す刻印が見あたらないため、手がかりを捜すと裏の換算表に小さく「ALBERT NESTLER A.G.」の印刷がありましたので、古くはNr.23 rietzの10"モデルが、かのアインシュタインやフォン・ブラウンからソ連のセルゲイ・コロレフにも愛用され、後にマルチマス・デュープレックスなどの計算尺でも有名なドイツはNESTLERの計算尺だということがわかりました。ドイツ計算尺通であればネジの頭を見ただけでNESTLERの古い木製尺ということがわかるのでしょうが、当方ドイツの木製尺は所有しておらず、イギリスの10インチ片面尺がかろうじて2本あるだけですから仕方がありません。古いJ.HEMMI時代のNo.1などのスタイルにカーソル枠なども含めて非常によく似た計算尺で、おそらくドイツ製計算尺の名品としてJ.HEMMIがNESTLERのスタイルを丸パクリしたのでしょう(笑)それもJ.HEMMIのほうは竹素材をマホガニーに見せかけるため、茶色く着色していたのではないかという節があります。このドイツはALBERT NESTLER A.G.は1878年に製図用具・測量用具などを製作する会社として設立されています。1903年に最初のマンハイムタイプ計算尺を発売していますが、ドイツの計算尺メーカーとしてNESTLERはARISTやFABER-CASTELLとともにドイツ計算尺界の御三家の一社です。戦後は他の2社同様にプラスチック製の計算尺に生産をシフトしていきますが、計算尺終末期は欧州の他メーカー同様に日本は山梨から供給を受けていたのではないでしょうか?入手した計算尺はマホガニー製で、NESTLER計算尺初期のマンハイムタイプ5"計算尺でメタルフレームのカーソルからして1920年以前の製造ではないでしょうか。第一次大戦中とその直後は一時的にドイツで計算尺の生産が滞りますから、もしかしたら大戦前の製品かもしれません。通常は滑尺を抜くとパックプレートにモデルナンバーと社名が刻まれているのが普通ですが、この計算尺はシーメンスの特注品らしくシーメンスの社名だけが刻まれているだけでモデルナンバーを特定する刻印など一切ありません。セルの剥がれ止めのためか上下固定尺と上下のスケールの左右がねじ留めとなっており、そのマイナスの頭がそのまま露出していますが、これが初期のNESTLERマホガニー製計算尺の特徴になっているようです。
 さて、このSIEMENS-SCHUCKERT(ジーメンス・シュケルト)刻印の謎解きです。現在はシーメンスという呼び方が日本でも一般的ですが、うちの父親なんかの戦前派はジーメンスと今でも呼んでいます。それというのもドイツ語の読みが「ズィーメンス」らしく、戦後もジーメンスという呼び方が長く続いたらしいのですが、最近は何でも英語読みされる風潮からBMWのベーエムベーがビーエムダブリューと呼ばれることが一般的になったように日本ではシーメンスとして補聴器などのCMも流れていますが。大正時代の始め頃だったかシーメンス社が日本海軍の高官に海軍船橋電信通信所への80〜100kWテレフンケン式通信装置納入に絡み賄賂を送ったことが発覚したことに端を発する大疑獄事件を「シーメンス事件」といい、この事件により日本人の記憶の片隅にシーメンスの名前を刻み込ませました。シーメンス社は世界で初めて電車を製造したことを皮切りに発電・変電機器を初めとする強電事業、有線無線を問わない通信機器事業をアメリカを除く全世界で展開させましたが、日本では早くも明治33年にジーメンス・ウント・シュケルト日本支社を設立し、各地に発電設備や電話設備などを納入しています。その過程でシーメンス事件を引き起こすわけですが、直後に第一次世界大戦が勃発し、日本もドイツに参戦しますのでこの間、日本では一時的に事業が停滞します。実はジーメンス・シュケルトは電機や通信の他に「航空機メーカー」としても活躍し、第一次大戦末期にはD3などという戦闘機も作っていますが、時すでに遅くシーメンス・シュケルトの戦闘機が活躍したという話は聞きません。そのほか第一次大戦中にジーメンス・シュケルトは軍需としてUボートの主電動機や電動推進式魚雷の電動機なども製作したという話を聞いています。航空機エンジンでは当時の星形エンジンというのはロータリー式といってプロペラがクランクシャフトを中心にエンジンごと一緒に回るという物でしたが、エンジンの回転を上げると機体の挙動が変化して操縦に影響が出る・出力増大に対応出来ないなどの欠点がありました。ジーメンス・シュケルトの航空機エンジンはプロペラとエンジン部分が逆回転してエンジンのトルク変動をうち消す構造が特徴だったようですが、複雑な歯車構造が災いしてオーバーヒートなどのトラブルが避けられなかったようです。しかし、このエンジンをもっても連合軍のスパッド13、イスパノスイザV8エンジンには到底かないそうもありません。ジーメンス・シュケルトの名前の由来は電信などの有線通信機メーカーだったジーメンス・ハルトゲ社が1892年に重電機メーカーのシュケルト社を合併したために新会社を「ジーメンス・シュケルト社」としたようです。日本ではこのジーメンス・シュケルトと古河電工が合弁でジーメンスの技術で強電関係の電機を製作する富士電機という会社を設立し、さらに富士電機から有線通信部門がスピンオフしたのが富士通信機製造、今の富士通であることは良く知られています。
 ところでこのシーメンスネームのNESTLER 5"計算尺は皮ケースフラップの内側に「足立」という所有者名が漢字で入れられていましたので、確かに日本人によって使われてきたものです。1920年以前の製造だと思われますので、第一次大戦終結から2年も経たないうちに作られたか、第一次大戦以前のシーメンス事件発覚の頃にでも関係者に配られたものなのでしょうか。海軍の高官には契約金額の15%を現金で賄賂を送り、それ以外の関係者は計算尺一本で済まされていたのだとすると、これはシーメンス事件がらみの賄ということになりますが、まさかそんなことはないでしょう(^_^;) しかし、ウエスチングハウスとシーメンスという世界でも有数の電機メーカーのネーム入り計算尺が数ヶ月のうちにそれぞれ手に入ったことになりますが、そうなったらGEジェネラルエレクトリックのネーム入り計算尺もどこかにあるはずです。誰かGEのマーク・ネーム入り計算尺、持ってませんか?(笑)
Nestler

 ドイツNESTLER Nr.12 5"マンハイム計算尺表面拡大画像はこちら
 ドイツNESTLER Nr.12 5"マンハイム計算尺裏面拡大画像はこちら
 ドイツNESTLER Nr.12 5"マンハイム計算尺滑尺溝拡大画像はこちら

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