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December 27, 2008

RICOH ALEXの変種

 昭和40年頃から続いているという石垣島の金物屋からミニ計算器のアレックスが複数個発掘され、それがオクで300円即決で出品されたため、アレックスはすでに一個持っているのにも係わらず即刻で落札してしまいました。もっとも各桁に花模様で万や千などの桁単位シールが貼られており、このパターンのアレックスは初めて見たという事情もあったのですが…。このアレックスに関しましては数々の変種が知られておりますが、大まかには加減の切り替えとリセットのレバー形状が異なる前期型と後期型の2種があります。RICOHのマークが入った後期型が欲しかったところですが石垣島からやってきたアレックスは前期型でした。説明書と沖縄県内の総販売元である日本総業という会社のペラが入っていましたが、このアレックスはどうやら沖縄県内にあっては主に訪問販売によって売られたようです。この日本総業という会社は現在の設備管理やゲルマニウム枕の同名2社とはまったく異なる怪しげな会社のようで、この沖縄事業本部というのがアパートの一室という不自然さ(笑)「宣伝販売員募集中。主婦・アルバイトの方もどうぞ」とのことで、彼らのマージンを十分得るためか、本土ではたかだか500円程度で売られた計算器が何と1,300円で販売されていたようです。しかも「沖縄県」ということですから、本土復帰後の昭和47年5月以降に売られたということになり、本土ではすでにカシオミニを嚆矢とする低価格電卓戦争突入の時期になります。しかも、説明書を開いてみて何かおかしいと思ったら、「総発売元・リコー計器、製造元・明和製作所」の部分が切り取られていました(^_^;) また昭和47年以降に販売されていたのにもかかわらず前期型のアレックスだというのもおかしいと思いましたが、どうやら後期型のアレックスは「RICOH」のマークがしっかり刻まれましたので、あえて前期型のアレックスをかき集めたような感じです。どうやら本土では低価格電卓出現でもう決定的に売れなくなった手動加算器を本土復帰直後の沖縄ならまだ売れるだろうと本土で在庫を買いたたき、製造元を不詳にするため前期型だけをかき集めて説明書の一部を切り取り、かわりに自分のところのペラを一枚入れたのかもしれません。その販売方法というのも応募してきた宣伝販売員にある程度の数を押しつけ、在庫が捌けたら事務所ごと消え去るという手法だったのかもしれません。いくら情報の少なかった沖縄とはいえ、本土で売れ残った物がどんどん売れるわけはなく、石垣島からまとめて何個も発掘されるということになったのでしょう。でもまあ、アレックスがどうしてもほしかった計算器マニアにとっては朗報でした。

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December 05, 2008

計算尺の裏板交換に挑戦!

 戦前から戦時中にかけてのHEMMI計算尺やRelayの計算尺に多く見られる欠陥が裏の金属板の腐食です。特に昭和10年以降のHEMMI計算尺の裏板で表面に灰色のアルマイトがかけてあるものは、裏板の厚さが0.3ミリと極薄の素材が使用されており、このアルミ板を本体に取り付ける鋲が貫通することにより表面のアルマイトと内部のアルミ素地に一種の金属電池を形成し、湿気に長期間曝されるとじわじわと電気分解を起こすために、長期間使用されずにそのままケースに入れられてしまい込まれた物は殆どといっていいほど腐食が始まっています。特に竹部分に挟み込まれている端の部分から腐食が始まるため、分解したアルミが酸素と結合して体積が膨張し、溝の部分を押し上げるため、溝にゆがみを来してしまうことが多く、さらに腐食が均等におこるわけではないため、溝が何カ所も押し広げられてしまったものを多く見かけます。そうなった計算尺をそのまま放置するか、手を加えるかは考え方が分かれるでしょうが、当方は剥がれたセルはジャンクの計算尺から皮膚移植し、割れたり喪失したカーソルグラスは入れ歯を作って補修するのを主義とするため、この裏板腐食問題も新たな物を作って交換しようという「再生派」です。Photo
 用意した裏板腐食の計算尺は改良A型カーソル付きの、おそらく戦時中のNo.50/1です。このNo.50/1は裏板の無いことをまったく知らずに掴まされたシロモノで、このナローボディのNo.50/1はそうそう頻繁に見かける物ではないので、いつか裏板を交換する第一候補となっていたものです。用意したアルミ板は長辺がちょうど10X30センチで厚さが0.5mmのもので、近所のDIY店で300円ほどでした。この長さなら戦後のNo.2664Sクラスのボディでも十分な長さです。腐食した裏板の厚さは0.3mmですが、この厚さでは心許ないため、戦後ものの0.5mmとしたものです。幅26mmにけがきをしてPカッターでみぞを入れ、あて板をしてL字に少しずつ折り込み、逆にあて板をして反対側に折り込むと割と簡単にかつ切断面もきれいに切り出す事が出来ました。1.5センチほど長さを短くしてこの状態で本来の溝にはめ込んでみますが、残っていた鋲の頭が引っかかったり裏板の寸法が微妙に大きかったりヤスリ一本で修正を迫られました。やっとはまりこんだ裏板の補助カーソル線窓⊃字加工ですが、電動ルーターなんかがあれば簡単に出来そうな物の、そんなものは持っていませんので無謀にも半丸ヤスリ一本で手仕上げすることになりました。裏板を本体にあてがい、⊃字の削り代をマジックインキで黒く塗りつぶし、切削範囲を決めました。しかる後、裏板をバイスに固定し、ヤスリで黒い部分を削っていきますが、けっこう手間の掛かる根気のいる仕事で、こんなの他人の為だったらお金を貰っても引き合いませんね(^_^;) 黒く印を施した部分を削り取り、カーソル線が刻まれた樹脂板の範囲まで2ミリと見積もり、赤で範囲を決めてさらにヤスリで削っていきます。もう0.5ミリ削りたい箇所があったのですが、何度も本体からの抜き差しすることが困難なため、今回はこれでギブアップ(笑)本体への鋲打ちですが、元の鋲を抜くことは実質上無理で、鋲をさらう事もボール盤でもなければ困難です。そのため、元の鋲位置から2ミリほどオフセットさせた位置に鋲を打ち直して裏板を固定することにしました。ホームセンターで一番細くて短い釘は太さ0.9mmで長さ6mmのものでしたので、これを購入してきました。裏板の鋲打ち込み位置にポンチで印を打っていきます。この場所に釘を打ち込み、頭をニッパーでさらってさらにピンポンチを使って片側8箇所合計で16箇所の鋲打ちが完成し、裏板の固定完了です。出来映えは初めての裏板交換の割にはまあまあの出来なのですが、腐食した裏板が膨張して波打った溝を修正しようと、下半分を金属製のバットの中で煮て、ポケットバイスを何カ所もかけて溝の膨らみ修正を試みたときに裏側に向かって反りが出てしまい、溝は修正出来たものの反りのため表側滑尺との真ん中あたりの接触面に隙間が出てしまったのが失敗でした。今度は「反り修正器」を作って修正を試みましょう。そういえばこの昭和10年代のNo.50/1はそうでなくとも直角断面の下側固定尺に反りが出やすいらしく、後で入手したA型カーソル付きで裏板は腐食がないNo.50/1も鋭角断面の上固定尺は何でもないのに下側の固定尺には同じように僅かに反りが出ていました。どうもサイズと構造に問題があるらしく、戦後になってNo.2664と同じワイドボディにモデルチェンジしてNo.50Wになったのはこういう問題の克服という理由もあったのかもしれません。

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December 03, 2008

IDEAL RELAY No.601 6インチ技術用計算尺

 6インチの計算尺というのはどうもポケットサイズとするには中途半端なサイズからか、あまり多くの種類を作らなかった計算尺のようです。欧米では標準10インチ尺に対してポケット尺は5インチと相場が決まっており、日本ではそれに4インチも加わった5インチとの混成軍を形成してました。それでもHEMMIは戦前から50系マンハイム、60系リッツ、80系エレクトロ、90系スタジアにそれぞれ6インチのラインナップを揃え、戦後発売の130系ダルムスタッドにも6インチを用意するなど、けっこう6インチの計算尺にはこだわっていたようですが、そもそも全世界的に見ても6インチの計算尺というのは殆ど見かけません。6インチ計算尺のメリットというのは、どうやら10インチの目盛細密度を実用上そのままにスケールダウン出来る下限の長さということでしょうか。一応ポケット尺として発売されてますので、その殆どが4,5インチのポケット尺同様に薄い構造の計算尺となっているものが多いようです。また世界的に見ても8インチ計算尺というのも小数派ですが、これは戦時中で物資逼迫期にあたり、旧制中学生用計算尺のNo.2640を10インチとせずに8インチと定め、材料を節約した事が、後々まで学生用計算尺が8インチとなった発端のようです。
 東洋特専興業時代ですから戦中戦後のRELAY計算尺にもちゃんと6インチの計算尺があったのは今回初めて知りました。この時代のRELAY計算尺は型式の刻印を打たずに裏側に型式名の入った楕円形のシールを貼ったようで、今回のRELAY計算尺は幸いなことにこのシールがしっかり残っていました。そのシールにはIDEAL RELAY No.601となっています。この「IDEAL RELAY」の商標は本体に刻まれないのであまり知られていませんが、少なくとも戦時中には使われていた商標らしく、以前に入手したRELAYの航空用計算尺に付いていたシールと同名異形式のシールです。このNo.601という計算尺は昭和34年のカタログには無く、代わりにNo.602という計算尺が掲載されています。また、6インチ電気尺のNo.605、6インチ両面計算尺のNO.650,651,652までありましたので、RELAYはある意味HEMMIよりも6インチ計算尺に固執していたのかもしれません。入手先は愛媛の今治でおそらく戦時中の物だと思われます。この当時のRELAY計算尺は東洋特専興業が製造元でしたが、その多くを親会社の理研光学の販売網に載せて全国にばらまいたらしく、東洋特専興業製造の刻印と理研光学発売の2種類の刻印がありながら、今残っているのは圧倒的に理研光学発売刻印の物が多いようです。当方の所有のものにも東洋特専興業製造刻印の物が一本もなく、なぜか理研光学発売刻印の物は4,5,6,10インチと8インチを除き各サイズが揃っていることを見ても、圧倒的に理研光学販売網で売られたもののほうが多そうです。物資逼迫時代のためか、ケースは皮サックではなくてステープルファイバーの表面を皮で模したHEMMIで言うところの代用革サックが付属しています。恐ろしいことにHEMMIではまったく知りませんが、戦争末期で金属が無くなったときにRELAYではカーソルのフレームまで竹に化けたことがあったようです。このNo.601は電気尺を除く後の600系と異なり、AB,CD尺の左右に延長尺を持ちます。しかし、L尺が滑尺裏でST尺が無いことからシステムリッツというわけでもありません。尺配置は表面がA,[C,CI,C,]D,Kの6尺、裏面がS,L,T,の3尺です。RELAYのポケット尺の大半がそうであるとおり、裏面の補助カーソル線窓は一カ所しか開いていません。このNo.601というのは当時売られていたHEMMIのNo.54という6インチ計算尺にオーバーレンジの存在も含めてそのままの丸コピー商品のようです。なぜか50系マンハイムタイプ計算尺の中にあってはこの拡大レンズカーソル付きのNo.54と普通カーソルのNo.55だけがオーバーレンジ付きで、これをそのままコピーしていますが、なぜ本家No.54,55だけにオーバーレンジが付いたのかは考えてもわかりません。HEMMI No.54はNo.47などと同様にその殆どをPOST 1453としてアメリカに渡っていますので、オーバーレンジがこの計算尺に存在する理由は、考えようによっては最初からPOSTの要求だったのかもしれません。
 四国の今治から届いたIDEAL RELAY No.601は皮サックではなく代用革サック入りでしたので、中に湿気をため込んで裏板がボロボロになるようなこともなく、保存状態は戦時尺にしては良好でした。代用革サックはもうこの戦争も末期にさしかかった時代はスフの薄布を重ねたものではなく「和紙に革もどきの紙を貼った紙サック」です。よくもこんなものが残っていたものですが、このケースだったら耐久性はともかく中の計算尺にとっては最良の保存ケースだったのでしょう。この6インチの計算尺は5インチ計算尺のように目盛密度を疎にしてしまうとまったく存在意義を失います。そのため10インチ計算尺同様に刻まれた目盛はさすがに6インチに凝縮されてしまうと判読しにくくなり、実質的に拡大レンズがないと苦しい感じですが、HEMMIが拡大レンズ付きのNo.54を標準としたのもその辺に理由があるのでしょう。ゲージマークはA,B尺上にπと1/πを表すMが存在し、C,D尺上にはC,π,C1のみです。6度以下84度以上の微少角を求めるための配慮が一切無いのはHEMMIの戦後型マンハイム尺No.50Wになっても変わりませんでしたが、そういう計算目的の為には最初からシステムリッツ尺を使えということでしょうか?そういえば同じ6インチのIDEAL RELAY No.600番台にちゃんとシステムリッツタイプの計算尺がありまして、こちらのほうは表面 K,A,[B,CI,C,]D,Lで裏面が S,S&T,T となっています。
Relay601

 IDEAL RELAY No.601 6インチ技術用表面拡大画像はこちら
 IDEAL RELAY No.601 6インチ技術用表面拡大画像はこちら

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