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March 31, 2009

7メガ拡張初日

 3月30日に日付が変わったと同時に7メガの拡張、1.9メガのデーター通信モード許可ならびに135キロの新たなバンドが許可されるようになりましたが、我々の関係分としては7.100MHzから7.200MHzが変更申請無しに使用出来るようになりました。当日、日付が変わると同時ににどういう状況になるか野次馬根性でワッチしようと思ってましたがすっかり寝込んでしまいました(笑)朝に7メガの拡張帯を聞くと国内の大出力局がぼちぼちと拡張帯に出ているのが聞こえます。昼間にも思い出して拡張帯を聞いてみましたが、各局ともあの混雑してQRMの嵐だった7メガがこんなにゆったりと交信できるなんて別世界だなんて言っていましたが。また日付が変わってすぐにCQを出していたWの局にオンフレで呼び出したら驚かれたなんていう話もありましたが、おそらく海外でも日本で7メガが拡張され、面倒なスプリット運用の手間が無くなったという話を知っている人のほうが少ないのでしょうか。相変わらず夕方過ぎからは大陸のBCが入り始めてかぶりのない所での運用を強いられます。ところで、7メガ拡張で新しい周波数帯幅まで使えるということを知らないアマチュアというのはどれくらいの割合でいるのでしょうね。7メガが広がるという話は知っていても3月30日から実施されるということを知らない人も意外と多そうな。何せ官報掲載から施行まで2週間弱の猶予しかありませんでしたし…。

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March 20, 2009

横田式安全灯(炭鉱用カンテラ)

090320_083714 明治期の炭鉱では比較的に坑口からも近く浅い炭層を採掘していた分には「じみ」と呼ばれる土瓶のような形をした金属製のカンテラに菜種油などを燃料を入れ携帯用の明かりにしていました。これはガス気のない金属鉱山で使われてきた物をそのまま炭鉱に持ち込んだのですが、しばしば何かの拍子にこのじみの火が消えると坑内に設けられた火番所という所に行き、火を着けてもらいます。この火番所は「喫煙所」の役目も果たしており、煙草吸いたさにわざわざじみの火を消して火番所に現れる剛の者もいたのだとか。しかし、明治も中期に差し掛かり、各所で竪坑が開削されて採炭現場が地底深くに達するといよいよメタンガスの洗礼を受け始め、しばしばカンテラの裸火でガス爆発を起こすようになったため、デービー灯やクラニー灯という石油安全灯が徐々に普及していきます。明治の中期にドイツのウルフ氏によりウルフ式揮発油安全灯が発明されたことにより、日本でも大手の炭鉱でウルフ安全灯や同様の揮発油式安全灯であるサイベル式安全灯などの煤のでない揮発油灯が主流になっていきますが、アメリカのエジソンが充電式電池を使ったキヤップランプを売り出すに至り、大正末には大手の炭鉱では整備に手間の掛かる手提げの揮発油安全灯に代わってキヤップランプが主流になっていきます。このような揮発油安全灯ですが、乏しい外貨で外国製安全灯を輸入するよりはウルフ安全灯をデッドコピーして国産化したほうが国策に叶うと考えたのか早くも明治末期にウルフ安全灯は灯火器製造メーカーである本多商店により製造が始まり、昭和の初期に明かりとしての役目を終えた後も実に昭和40年代初期まで「簡易メタンガス検知器」として、また船舶用備品として製造が牛の涎のように続いてきました。実は東京オリンピックの聖火をアテネから運んできたのは特別なスタンドに装着され、旅客機の中に持ち込まれた本多電機製ウルフ安全灯と予備のためのハクキンカイロだということはあまり知られていないかもしれません。
 またこの国産ウルフ安全灯には本多商店製のデッドコピーのほかにも存在するらしく、文献には「横田式安全灯」の記載が見られます。各地の石炭資料館などで見られる鎧型の本多製ウルフ灯と並んで展示されている普通型のウルフ灯が横田式安全灯ではないかと推測していましたが、今回初めて銘板が残っている横田式安全灯の実物を発掘しました。入手先は宮城県の太平洋岸最南端の町からですが、この近辺には炭鉱がないため、おそらくはもう少し南に下った常磐炭田の北端あたりで使用されたものなのでしょう。ちなみに仙台近辺では戦前から戦後にかけて家庭用の燃料として小規模に亜炭が掘られており、今でも旧坑道の崩落で地表が陥没して家が傾いたなどという災害もあるようです。この横田式安全灯は銘板に「第三横田式」と記されており、それでは第一・第二の横田式というのも存在するのかという新たな疑問も出てきました。製造元は以前、福岡から入手した「江戸式安全灯」の神田は今川小路に大正末まで存在した合資会社江戸商会です。この横田式安全灯の外観は江戸式安全灯に殆どそっくりで、スチール製ボンネットは同じ物が使用されているのではないでしょうか。ただし細部に置いてかなりの差があり、横田式安全灯は単に再着火装置を省いた普通型ボンネットのウルフ式揮発油灯ですが、江戸式は再着火装置さえないものの棒芯回りに導風盤が存在しそれにより炎の燃焼効率を高くして少しでも光度を高めているような感じです。また、横田式はボンネット下部の真鍮リングの下から吸気しますが、江戸式には真鍮リングの側面にスリットが切られていてそこから吸気しているようです。双方ともに腰ガラス下にウルフ式特有の金網を張った吸気リングがあり、ここからも吸気していますが、本家のウルフ式と違い、腰ガラスと共にボンネット側に固定されているため、油壺との結合をはずすと腰ガラスや金網が不用意に落ちてこないという利点がありますが、掃除の手間を考えたらどっちの構造が便利なのか…。また、油壺との機密性に難がありそうな構造で、結合度を検査する機械にかけた場合、本家ウルフ灯より結合不良率が高そうな感じがします。当時この結合不良がガス爆発を誘引する一番の原因になったようです。マグネットロックのラッチ部品がはずされていましたが、マグネットロックの構造は江戸式の方が改良されてデザインも洗練されています。同じベンジンか粗製ガソリン(ナフサ)を使用する棒芯の揮発油灯なのですが、なぜか横田式の油壺に比べて江戸式の油壺の方が薄く出来ています。これらの点から推測すると江戸式と横田式を比較すると横田式のほうが年代的に古く、横田式を独自に改良したのが江戸式安全灯なのではないでしょうか。銘板に「第三横田式安全灯」とあるので、横田式も細かい改良が続いたのかもしれません。また江戸式は二重メッシュ構造ですが横田式は当初から分厚いメッシュ一重だったような気がします。届いた横田式安全灯のシリアルナンバーは708**番台で江戸式のシリアルナンバーが84***番台ですからこのナンバーを見ても横田式の方が古いのではないでしょうか。横田式には漢数字の逆文字で「九七五」(579)の番号が打刻されていましたので、常磐でも小規模の炭鉱ではなくかなりの規模の大炭鉱で使用されていたはずです。年代的に推測すると後に磐城炭鉱と合併した入山採炭系の炭鉱で使用されたものかもしれませんが、悲しいかなこの横田式安全灯が履歴を語ってくれるわけではないので確証はつかめません。関東大震災の火災で神田周辺が灰燼に帰したのち合資会社江戸商会の名前を聞かないところを見ると、やはり被災した後に再建されなかったと見るべきでしょう。そのころから蓄電池式の帽上灯が大手の炭鉱に急速に普及してきましたので、横田式も江戸式も照明としての役目を失い、さらに再着火装置を持たなかったことで簡易メタンガス検定用には不適で、その点は本家ウルフ揮発油灯を丸パクリした本多商店製本多式ウルフ揮発油灯のほうに分があったようです。江戸商会が被災して廃業したとすると消耗品の供給も止まるわけで、そのころから使用されなくなったとすると80年以上もどこかに放置されていたことになりますが、ボンネットも油壺も表面は錆ででこぼこに腐食しており、ボンネットの内側は虫の巣くった跡もあり、清掃にはかなりの気合いが必要でした(笑)しかし、横田式の名前となった横田さんとはいったいどこのどんな技術者だったのでしょう?

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March 19, 2009

7メガ帯拡張、135キロ帯追加、1.9メガ帯4アマでも一部運用化に

 いよいよ7メガ帯の拡張と1.9メガ帯の狭域帯データー通信解禁ならびに中波帯135キロ帯が平成21年3月30日を以て運用が解禁されることが3月17日付の官報で発表されました。7メガ帯が許可されている無線局は周波数割り当ての変更申請無しに3月30日になった瞬間から7.100MHzから7.200MHzまでの、いままでオフバンドとされていた周波数帯で運用することが可能になり、いままでWなどとスプリットで交信せざるを得なかった変則運用がついに解消され、オンフレで交信出来るようになります。また1.9メガ帯は、いままで3アマ以上しか運用の出来ないバンドでしたが、PSK31などの文字通信が解禁されたことによりA1A以外の電波形式…F1B,F1D,G1B,G1Dが4アマの資格で割り当てを受けられるようになります。また新たに加えられた中波135キロ帯は135.7から137.8kHzの幅でA1A以外のF1B,F1D,G1B,G1Dは4アマにも割り当てられることになります。135kHzというとλ≒2,200mだそうで、送受信機の自作もさることながら、アンテナをどうするかというのが問題であり、かなり気合いを入れてしばらくかかりっきりで保証認定申請まで持ってこないと局免に周波数を加えることすら難しいバンドです。北海道の牧場にロンビックアンテナ張るとか「象の檻」をこしらえるとか、潜水艦みたいに船でロングワイヤーを引っ張るとか、気象観測用の気球使ってロングワイヤーを揚げるなどと与太話には事欠かないのですが(笑)
 また、昔のWARCバンドが付いていながら解禁まで送信禁止が施されていた無線機同様に、今の無線機はオフバンド送信禁止措置(これがないと技適が取れない)が取られているため、7メガの拡張バンドに出るためにはメーカーでの改造(おおよそ消費税別で7k円前後)もしくは自分でダイオードチップ取り外しなどの改造を施さなければいけませんが、この改造を施すと「技適機」から外れるため、この無線機を新たに許可申請するためには「保証認定」を受けなければいけないのだとか…。まあうちのFT-101ZDとTS-830には関係ないことですが(笑)

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March 15, 2009

HEMMI No.641 一般技術用

 HEMMIの片面尺としては異色の幅広計算尺 No.651は計算尺競技会などでよく使用された計算尺の一つと言われていますが、そのモデルチェンジ版がこのNo.641になるようです。事実、初期のNo.641に付属していた説明書はNo.2662/651用の冊子型説明書にNo.641の補足説明を記したオレンジ色のペラが付いただけでしたが、のち制式に冊子型のNo.641単独説明書が付いたようです。HEMMI計算尺の中でも最末期の製品のためか、さほど生産期間は長くなく、殆どの需要が工業高校関係のようで、製造数量も多くないようです。構造的にはプラスチックの裏板に上下の固定尺をネジで接合するという手法は山梨の技研系にそっくりで、おそらくこの時代は電卓の急激な普及で、計算尺の需要はほぼ教育関係に特化し、HEMMIにあっても製造ラインを整理し、このNo.641の製造組み立ては山梨の下請けメーカーに移管していたのかもしれません。8インチの学生用計算尺などは昭和40年代半ばにはほぼ全量がプラスチック化し、そのすべてが山梨の下請けメーカーに生産移管されていたようです。
 No.641はHEMMIの片面計算尺としてはもっとも幅広の計算尺に属します。その上級検定試験や競技会などでの使用を考慮し二乗尺とずらし尺の双方を表面にもってくるという手法は技研時代のNo.251、FUJI計算尺のNo.2125,2125-C,2125-Dのほうが本家本元でしょう。表面と裏面の尺度はFIJIのNo.2125系とまったく同じで表面はK,A,DF,[CF,CIF,B,CI,C,] D,DI,L,の11尺、裏面は STI,T2I,T1I,SI,CI,とHEMMIお得意の逆尺になっているところがFUJIのNo.2125系と異なります。また2125系と差別化して少しでもHEMMIらしさを出すためか、固定尺および滑尺は竹にセルロイドを接着した従来のものをFUJI計算尺のようにプラの台にネジ接合し、目隠しにゴムの盲蓋を施すという構造になっています。あまり数を見ていないのではっきりとはわかりませんが、製造はどうやら昭和47年のW刻印物が一番古いらしく、昭和50年のZ刻印までの3年間という短い製造期間のためか、さほど製造総数は多くないようです。そのためかさほど珍しい計算尺ではないものの、まったく海外に輸出された計算尺ではないためかオクではけっこう高額に落札されて海外流出してしまうケースが多い計算尺のひとつです。
 大阪から入手したNo.241は刻印が「XD」ですので、昭和48年の4月製造です。あの第一次オイルショックの直前の製品になります。FUJIのNo.2125系統の計算尺と比べてみると、やはり竹芯を使っているためか安っぽくなく、滑尺のさばきもプラ尺のような動き始めのかじり付き感もなく良好です。思わず「よい計算尺」と思わせるような作りで、FUJIのプラ尺と比べると道具としての愛着をわかせるような計算尺ですが、「工業高校生用」としたFUJIのNo.2125-Dにはvや2πまで存在する豊富なゲージマークを備えるのに対してHEMMIのNo.641の表面はπとcしか存在しないのがいかにも寂しい内容です。もっとも滑尺の裏面CI尺(裏面はすべて逆尺)にはラジアン換算の3種のゲージマークは備えますが。ということで、コレクション的に選ぶのならNo.641でしょうが、実際に電気・電子系の計算に使用するのであれば、安くて実用的なFUJIのNo.2125-Dの選択の方が正しいと思われます。サイズ的には両者とも平面部が45mmで、スケール部分を含めるとNo.641が53mm、No.2125-Dは50mmと僅かに差があります。ケースは薄型の青蓋プロー成形のプラケースで表面にしぼが入った物。なぜかこのプラケースにはしぼの無い物もあるらしいです。両面用の青蓋プラケースと比べると約40mm短く若干幅広の640系計算尺専用品のようです。
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 同一尺度の計算尺3種揃い踏み(笑)
 HEMMI No.641 一般・技術用計算尺表面拡大画像はこちら
 HEMMI No.641 一般・技術用計算尺裏面拡大画像はこちら

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March 14, 2009

妊娠暦速算器

Sokusan 出産予定日というのは最終月経から「正常妊娠持続日数は280日、妊娠持続を40週とする」という定義で算出され、8ビットのマイコン時代から計算用プログラムが各種公開されていますが、助産師さんや保健師さんたちはいにしえから簡単な「妊娠暦速算器」という金属製の計算尺を使用してきました。もっとも最近ではご多分に漏れず電卓型の機械に取って変わられる命運をたどっているようですが、至極単純な仕組みのため、いまだに一部で利用されているようです。日本における妊娠暦速算器の歴史は古く、早くも明治41年に当時の産科学の大家、榊順次郎博士の考案によって特許9112号を取得した「妊娠暦速算器」が嚆矢で、大正時代末期にこの特許が切れた後にも幾種類かの妊娠暦を計算する計算尺の特許が申請されています。なにしろ人間の誕生の根本に係わる道具ですから特許の失効後には東京帝大や京都帝大周辺に発展した医療器具問屋などが帝大医学部の産科学教授の指導を受けて製作したものが発売されてきたようです。龍角散の缶のような大きさの真鍮製ニッケルメッキ容器の側面に片方は一年のカレンダーを刻み、片方には最終月経からの経過月数・日数と経過周数を刻んだものです。両シリンダーを相互に回して最終月経日に経過日数の基線を合わせると40週目の基線で出産予定日がわかるという単純な仕組みで、経過周数もわかるので検診日などの指定にもいちいちカレンダーで日数を数えなくともわかるというまさに速算器です。2月は28日しか目盛が刻まれていないので、閏年で2月を跨ぐ場合には1日を加算する必要があります。中は完全な容器になっていて、巻き尺などを納めるために使用していたようです。人間だけではなく獣医学の世界でも馬や牛などの家畜繁殖暦速算器というものがあるようなのですが、実際にどんなものか調べがつきませんでした。
 入手先は熊本からで、元は助産師さんの持ち物です。購入月日が記されており、それによると昭和23年の7月ですから団塊の世代に当たる人たちの出産ラッシュのころで、さぞかし助産師さんは毎日毎日が忙しかった事でしょう。製造所は京都の堂阪製作所という京都大周辺の医療器具問屋で、京都帝大医学部教授・岡林博士考案となっていますが、どうやら容器を開けた底に妊娠各月末における胎児の身長及び体重の標準を表した表がありこの表の作成の指導をこの教授に受けたのかもしれません。堂阪製作所は現在も鍼灸治療関係の医療器具などの製造販売を手がけているようです。もっともこの妊娠暦速算器を現在でも販売しているかどうかはわかりませんが。
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March 13, 2009

HEMMI No.274 学生用

 最近では珍尺落ちして希少尺になってしまったような感があるNo.274ですが、それでもヘンミ計算尺末期に出現した製品故に諸外国にはまったく輸出されなかった事も影響するのか、今でも時折とんでもない金額で取り引きされる計算尺です。内容的にはNo.P253の竹製版であるNo.264の裏面にC尺を加え若干表面のレイアウトを変え、No.259同様の本体サイズにワイド化した高校生用の計算尺です。レイアウト的にはほぼ技術用のNo.251と同じですが、No.251のDF,CF尺が米国好みのπ切断ずらしであるのに対してNo.274は√10切断ずらしであり、またNo.251の三角関数尺はT,S,STなのに対してNo.274はTI2,TI1,SIと逆尺で、しかもT尺が45°を中心に2分割されています。また、6°以下84°以上の微少角はNo.251はST尺で読むのに対し、No.274のほうはC尺上のラジアンと度・分・秒の変換ゲージマークを使って読むタイプの尺度です。このように内容的にはあまりNo.251と変わりばえするような計算尺ではないため、さほど食指を動かされる計算尺ではなく、ましてそこそこの金額を出すのであればNo.254WNあたりのほうが全然良いと思わせてしまうような計算尺です。そういう計算尺ですから何となく計算尺コレクターにとっては帳尻合わせ的に入手する計算尺の代表格でしょうか(笑)
 No.P253の竹版であるNo.264はR刻印の昭和42年製が一番古いらしく、当時のケースは紺帯の入った模様貼箱で、終末期は青蓋の塩ビブロー成形プラケース入りでW刻印の昭和47年製らしいのですが、このNo.274に関しては紙の貼箱入りが見あたらず、塩ビのプラケースもしくはビニール皮ケースしか見たことがありませんので、おそらくすべてのNo.274はW刻印の昭和47年からZ刻印の昭和50年まで製造が行われたということなのでしょう。ということは、おそらく何らかの理由でNo.264の製造を昭和47年の半ばでNo.274に切り替えたことになります。その理由とは、確証が得られてはいませんが計算尺の需要が急速に落ち込み、製造ラインを整理するため、No.250などのナローモデルの新規製造を終了にして、竹製両面尺の継続生産はNo.255D/259Dなどのワイドボディーだけを残したため、ほぼ工業高校特納品であるNo.264は、やむを得ずワイド化してNo.251のレイアウトに近いNo.274にモデルチェンジし、製造を継続したという事なのでしょう。そうでもなければこのようなつまらないモデルチェンジの意味を見いだすことが困難です。
 大阪の高槻から届いたNo.274はヘンミ計算尺最末期の製造である昭和50年「Z」刻印を密かに期待していたのですが、製造刻印は「YB」ですから昭和49年2月の製造でした。年代からしても当然の事ながら両面計算尺用のブロー成形の青蓋プラケース入りです。計算尺末期の製造でもあり、工業高校特納ということで短い高校時代のみの使用期間という理由もあったのでしょうが、中のビニール袋も残った状態で殆ど使用されていないきれいな個体でした。但し固定尺側面にローマ字で個人名がきれいに刻印されていました。大阪方面から入手したいかにも工業高校で使用されたような計算尺にはたまにこういうきれいな記名刻印入りが出てきますが、新学期を前に記名サービスする納入業者もしくは文具店があったようです。
Hemmi274

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March 12, 2009

度量衡換算器(PAT.136565)昭和3年

 国の定める度量衡の単位をメトリックと定めた改正度量衡法が大正10年に交付され、段階的にすべての単位はメトリックを基本とすることになり、生活に尺貫法が刻みつけられていた日本では一種のパニックが起こったようです。そのため、このような単位換算器やメートル法への換算法関連の書籍が昭和一桁代に雨後の竹の子のように多数出現しました。この手の単位換算器は紙の印刷物から金属の円盤型まで各種つくられ、特許も多数出願されたなかで、今回の換算尺は実際に特許が降りた数少ない換算器です。とはいえ単位の換算のみに特化した計算尺は19世紀の中頃から19世紀末にかけてヨーロッパではありとあらゆるものが作られ、果たして大正末から昭和の初めに矢継ぎ早に実用新案を出願された各種換算尺も実際に特許が下りた物はほんの一握りだったようです。
 この換算尺は昭和3年に荒木二郎という人の考案により実用新案が出願された「度量衡換算器」という商品で、昭和4年の9月21日に早くも特許136565が下りたものです。滑尺が二本というスタイルが目を引きますが、この手の滑尺を二本備える換算尺はヨーロッパでは普通の存在でしたので、おそらくこの特許はブリキのプレス製という構造面をあわせたものだったのではないでしょうか。年に一、二本はオクに登場する換算尺ですが、出品者が殆どの場合、商品名も用途もわからないまま出品してしまうため、計算尺マニアの検索に引っかかることもまれで、従ってさほど値段がつり上がることもない計算尺です。滑尺が2本という猫又計算尺ですが、特殊計算尺研究所のバネ計算尺のような複雑な物ではなく、単に換算種類を増やすために片面計算尺を上下に並べたようなものです。比例計算が主体となりますので、カーソルは最初から付いていません。いわゆる8インチ計算尺(正確には有効長21.2cm)で、これはもしかすると「教科書サイズからはみ出さない」ことをHEMMIのNo.2640以前に考えた結論だったかもしれません。そうなると「元祖8インチ計算尺」かもしれませんが、何せ知名度がまったくありませんし換算尺ということで、8インチ計算尺の嚆矢をHEMMI No.2640に譲ってしまったのかもしれません。尺種類は、鯨尺[メートル尺,メートル尺] 曲尺,貫匁,[キログラム,リットル] 合升斗の8尺で、構造上滑尺を裏返すことができないので滑尺裏はなし。本体裏側は各種単位の換算テーブルになっています。面白いことに尺に刻まれている目盛はすべてリバースに数字が刻まれています。特別に立派なケースが付属していたわけではないらしく、いままで目にしてきたものはすべてケースがありませんでした。
 出所は大阪の交野市からで、出品者のおじいさんの持ち物だったということです。昭和一桁代にあった尺貫法からメトリックへの移行パニックの話を出品者に申し上げると、時代に必死についていこうとしたおじいさんの姿勢を想像して偉く感動したとのことでした。とはいえそういう感動の品物を500円で他人に売り渡してしまうのは現代的な感覚なのでしょうか(笑)届いてみて初めてわかったのですが、この度量衡換算器には特許取得を境に刻印違いの前期型と後期型が存在しているようで、今回入手したものは特許が下りる前の「新案特許」と刻印(実際の目盛などは印刷)されたもので、表面右の換算単位部分の刻印も異なります。特許が下りたのが昭和4年の9月ということなので、それ以前の前期型になります。目盛が消えないように表面に透明ラッカーを施してあったらしく、このラッカーが80年の歳月ですっかり黄変しカーキというか旧陸軍軍用品みたいな色をしていますが、元々の色はクリーム色だったのでしょう。薄いブリキの板を立体的な計算尺に仕立てるプレス技法は秀逸で、おそらくこの構造が独創的ということで特許が下りたのかもしれませんが、薄板を計算尺に仕立てる工夫は戦後のジュラ期ににわかに出現した「OZI DELTA計算尺」に通じるものがあります。
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 度量衡換算器(PAT.136565)裏面拡大画像はこちら

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