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March 20, 2009

横田式安全灯(炭鉱用カンテラ)

090320_083714 明治期の炭鉱では比較的に坑口からも近く浅い炭層を採掘していた分には「じみ」と呼ばれる土瓶のような形をした金属製のカンテラに菜種油などを燃料を入れ携帯用の明かりにしていました。これはガス気のない金属鉱山で使われてきた物をそのまま炭鉱に持ち込んだのですが、しばしば何かの拍子にこのじみの火が消えると坑内に設けられた火番所という所に行き、火を着けてもらいます。この火番所は「喫煙所」の役目も果たしており、煙草吸いたさにわざわざじみの火を消して火番所に現れる剛の者もいたのだとか。しかし、明治も中期に差し掛かり、各所で竪坑が開削されて採炭現場が地底深くに達するといよいよメタンガスの洗礼を受け始め、しばしばカンテラの裸火でガス爆発を起こすようになったため、デービー灯やクラニー灯という石油安全灯が徐々に普及していきます。明治の中期にドイツのウルフ氏によりウルフ式揮発油安全灯が発明されたことにより、日本でも大手の炭鉱でウルフ安全灯や同様の揮発油式安全灯であるサイベル式安全灯などの煤のでない揮発油灯が主流になっていきますが、アメリカのエジソンが充電式電池を使ったキヤップランプを売り出すに至り、大正末には大手の炭鉱では整備に手間の掛かる手提げの揮発油安全灯に代わってキヤップランプが主流になっていきます。このような揮発油安全灯ですが、乏しい外貨で外国製安全灯を輸入するよりはウルフ安全灯をデッドコピーして国産化したほうが国策に叶うと考えたのか早くも明治末期にウルフ安全灯は灯火器製造メーカーである本多商店により製造が始まり、昭和の初期に明かりとしての役目を終えた後も実に昭和40年代初期まで「簡易メタンガス検知器」として、また船舶用備品として製造が牛の涎のように続いてきました。実は東京オリンピックの聖火をアテネから運んできたのは特別なスタンドに装着され、旅客機の中に持ち込まれた本多電機製ウルフ安全灯と予備のためのハクキンカイロだということはあまり知られていないかもしれません。
 またこの国産ウルフ安全灯には本多商店製のデッドコピーのほかにも存在するらしく、文献には「横田式安全灯」の記載が見られます。各地の石炭資料館などで見られる鎧型の本多製ウルフ灯と並んで展示されている普通型のウルフ灯が横田式安全灯ではないかと推測していましたが、今回初めて銘板が残っている横田式安全灯の実物を発掘しました。入手先は宮城県の太平洋岸最南端の町からですが、この近辺には炭鉱がないため、おそらくはもう少し南に下った常磐炭田の北端あたりで使用されたものなのでしょう。ちなみに仙台近辺では戦前から戦後にかけて家庭用の燃料として小規模に亜炭が掘られており、今でも旧坑道の崩落で地表が陥没して家が傾いたなどという災害もあるようです。この横田式安全灯は銘板に「第三横田式」と記されており、それでは第一・第二の横田式というのも存在するのかという新たな疑問も出てきました。製造元は以前、福岡から入手した「江戸式安全灯」の神田は今川小路に大正末まで存在した合資会社江戸商会です。この横田式安全灯の外観は江戸式安全灯に殆どそっくりで、スチール製ボンネットは同じ物が使用されているのではないでしょうか。ただし細部に置いてかなりの差があり、横田式安全灯は単に再着火装置を省いた普通型ボンネットのウルフ式揮発油灯ですが、江戸式は再着火装置さえないものの棒芯回りに導風盤が存在しそれにより炎の燃焼効率を高くして少しでも光度を高めているような感じです。また、横田式はボンネット下部の真鍮リングの下から吸気しますが、江戸式には真鍮リングの側面にスリットが切られていてそこから吸気しているようです。双方ともに腰ガラス下にウルフ式特有の金網を張った吸気リングがあり、ここからも吸気していますが、本家のウルフ式と違い、腰ガラスと共にボンネット側に固定されているため、油壺との結合をはずすと腰ガラスや金網が不用意に落ちてこないという利点がありますが、掃除の手間を考えたらどっちの構造が便利なのか…。また、油壺との機密性に難がありそうな構造で、結合度を検査する機械にかけた場合、本家ウルフ灯より結合不良率が高そうな感じがします。当時この結合不良がガス爆発を誘引する一番の原因になったようです。マグネットロックのラッチ部品がはずされていましたが、マグネットロックの構造は江戸式の方が改良されてデザインも洗練されています。同じベンジンか粗製ガソリン(ナフサ)を使用する棒芯の揮発油灯なのですが、なぜか横田式の油壺に比べて江戸式の油壺の方が薄く出来ています。これらの点から推測すると江戸式と横田式を比較すると横田式のほうが年代的に古く、横田式を独自に改良したのが江戸式安全灯なのではないでしょうか。銘板に「第三横田式安全灯」とあるので、横田式も細かい改良が続いたのかもしれません。また江戸式は二重メッシュ構造ですが横田式は当初から分厚いメッシュ一重だったような気がします。届いた横田式安全灯のシリアルナンバーは708**番台で江戸式のシリアルナンバーが84***番台ですからこのナンバーを見ても横田式の方が古いのではないでしょうか。横田式には漢数字の逆文字で「九七五」(579)の番号が打刻されていましたので、常磐でも小規模の炭鉱ではなくかなりの規模の大炭鉱で使用されていたはずです。年代的に推測すると後に磐城炭鉱と合併した入山採炭系の炭鉱で使用されたものかもしれませんが、悲しいかなこの横田式安全灯が履歴を語ってくれるわけではないので確証はつかめません。関東大震災の火災で神田周辺が灰燼に帰したのち合資会社江戸商会の名前を聞かないところを見ると、やはり被災した後に再建されなかったと見るべきでしょう。そのころから蓄電池式の帽上灯が大手の炭鉱に急速に普及してきましたので、横田式も江戸式も照明としての役目を失い、さらに再着火装置を持たなかったことで簡易メタンガス検定用には不適で、その点は本家ウルフ揮発油灯を丸パクリした本多商店製本多式ウルフ揮発油灯のほうに分があったようです。江戸商会が被災して廃業したとすると消耗品の供給も止まるわけで、そのころから使用されなくなったとすると80年以上もどこかに放置されていたことになりますが、ボンネットも油壺も表面は錆ででこぼこに腐食しており、ボンネットの内側は虫の巣くった跡もあり、清掃にはかなりの気合いが必要でした(笑)しかし、横田式の名前となった横田さんとはいったいどこのどんな技術者だったのでしょう?

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