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February 18, 2010

HEMMI 苗頭計算尺

 「苗頭」というと何か農業関係の用語で、畑に植え付ける苗の数でも意味するのかと勘違いしそうですが、これは歴とした砲術用語です。いつごろに苗頭という用語が出来たのかは定かではありませんが、どうも江戸時代末期あたりまでさかのぼることが出来るようです。もしかしたら高島平にその名を残す高島秋帆あたりが翻訳した西洋砲術用語なのかもしれません。苗頭とは風になびく稲穂の意味で、実際にとらえた目標に対して左右どれだけの角度をつけて射撃をするのか、その角度のことを「苗頭」というのだそうです。実際には上下の角度のことも苗頭と言ったらしいですが。その苗頭は目標の距離と進行方向、速度などによって変わってくるわけですがそれ以外にも空気の温度、湿度や風速風向、さらには地球の自転の影響や使用装薬、弾頭重量や砲身の摩耗具合などの要素も絡んできて、とても単純な計算尺で苗頭が正確に算出できるわけではなく、各国でかなり複雑な機械式の射撃指揮装置が実用化されていました。電子計算機の開発意図というのも弾道計算が目的だったことはよく知られています。ところが、陸上の砲撃にあっては主に固定された構築物に対するものなので、海上戦闘などと比べると相手の未来位置などを勘案する必要がないだけ苗頭の計算が単純化され、計算尺程度の用具で計算が可能となり、陸軍の砲兵用計算尺としてかなり多様な計算尺が日本でも作られていたようです。その砲兵用計算尺は丈夫な茶色の皮ケースに入った金属製のものや、一般の計算尺同様に竹芯にセルロイドを被せたものまで見かけます。今回発掘した苗頭計算尺は戦時中のものでヘンミが係わった砲兵用計算尺の中では終末期に属する物のようです。昭和17年に辺見製作所から発行された砲兵用計算尺教程という教本に従った計算尺なのではないかと想像していたのですが、実はこの時代にまったく別な砲兵用計算尺というものが存在し、この教本はどうやらそちらの計算尺の解説書のようです。
 入手先は四国の新居浜からでした。新居浜からは以前にも別な戦時中計算尺をしたような覚えがあります。元の持ち主は徳島の善通寺に連隊本部を構えた歩兵第43連隊の下士官だったそうで、現在もご健在のようです。年齢的なことを考えるとおそらく現役中に乙種幹部候補生となって軍曹に昇進したか、教育期間中に終戦を迎えたとなると終戦時には20代前後くらいの年齢だったのではないでしょうか。ちなみに当方が中学高校時代の先生の中には師範学校卒業と同時に応集し、現役で乙幹、甲幹で終戦時には軍曹や少尉だった先生がごろごろしてました。無線部の顧問だったI先生からは、乙幹の教育訓練とはいっても毎日毎日身につけた地雷で戦車に体ごと飛び込む演習ばかりやらされていたなんていう話を聞かされましたが、戦争末期の幹部候補生なんかは所詮消耗品扱いでろくに専門教育を施しもしなかったのでしょう。
 歩兵43連隊は開戦時には満州に展開しており、一部の大隊がグアムの防衛に転出し、米軍のグアム上陸戦に遭遇して玉砕したことがありましたが、昭和20年の4月に米軍の本土上陸作戦に備えて満州から四国の高知県海岸部に移動したことで、終戦時のソ連侵攻に遭遇することもなく内地で終戦を迎えた幸運な連隊のようです。満州に残されていたらシベリアに抑留されていたことは疑いないでしょう。
 この苗頭計算尺にはモデルナンバーがありません。軍用の特殊な計算尺であることを考えると当然なことです。ボディは戦時中に発売になったNo.2664に等しく、ごく初期のNo.2664や兵学校計算尺などと同様に裏の副カーソル線窓はオーバルです。また、この苗頭計算尺は昭和17年の砲兵用計算尺よりも明らかに新しい製品のようで、砲兵用計算尺がNo.2664のようなずらし尺を備えて一般の計算にも使えるようになっているのに対してまったくの専用計算尺であり、一般の計算に使用できるような計算尺ではありません。しかし、裏側に換算表が残っており、明らかにずらし尺を備えたNo.2664用の物でした。戦争末期の昭和19年以降の計算尺であることの証明としてケースが黒い疑皮紙を表面にあしらった単なる紙サックです。いうなれば兵器扱いの物品にもかかわらず物資窮乏期の計算尺には皮ケースも用意出来なかったのかと驚かされますが、この時期には兵隊の帯革(たいかく)まで布製品になってしまうほど革製品が枯渇していたわけですから致し方がなかったのでしょう。さらに金属が枯渇してきた戦争末期の製品のため、上下の固定尺を繋ぐアルミの板がもう計算尺製造には回ってこなくなったようで、さりとて何らかの金属を介さなければ滑尺と固定尺の隙間が調整出来ないため、この戦時仕様の苗頭計算尺は上下の固定尺がオーバルウインドウの付いたセル板とともに、安全カミソリの刃くらいの大きさの薄い鋼の板を三カ所設けてアルミ裏板の代わりとしています。もしかしたら本当に切れなくなった片刃の安全カミソリの刃の部分をグラインダーで落として部品として使用していたのかもしれません(笑)
 ところで、戦時中に2種類の同一目的計算尺が出来た理由ですが、当初は火砲の苗頭を算出して指示を出すのはもっぱら専門教育を受けた将校の仕事で、運動物理学や力学の理論から弾道学を学んでおり、おそらく普通の計算尺と方眼紙くらいあれば苗頭の計算など可能だったのでしょうが、「消耗戦が進むにつれて下級将校の絶対数も不足し、徴兵した現役兵の中から乙幹資格者を選別し、理論などを深く教育することなしにケースバイケースでの専用計算尺の操作だけ教育して苗頭を計算させるようにするため、難しい記号などを避け、すべてかっこ付きの番号で操作をさせるための簡易な計算尺を新たに作る必要があった。」というのが新旧二種類の砲兵用計算尺が作られたきっかけではないかと思います。またこの計算尺に付随した教本があるはずですが、まだ目にしたことはありません。
 さて、この苗頭計算尺の使い方ですが、さすがに砲術理論は専門外(いまどき自衛隊にでも入隊しなければこんなもの学ぶ機会もないでしょうし)ですので、さっぱりわかんない(笑) でもまあ、単一用途の特殊計算尺は計算尺コレクターの人気は高く、まして戦時中の一時期にしか作られなかった正真正銘のHEMMI計算尺ですから、まともにオークションに出品されたらさぞかし落札額が高騰するのでしょうね。
Photo
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February 15, 2010

HEMMI カロリー計算尺

 HEMMIのカロリー計算尺はNo.P267やNo.P270などとともに昭和40年代の中盤以降に登場した特殊計算尺で、当時の社会情勢としてすでに一般の計算尺は劇的に価格が下がってきた電卓に駆逐され、その殆どが教育現場での使用に限定されつつある状況であったためか、その生産を山梨の技研系メーカーに丸投げしたような形で製造された計算尺です。そのため、エージングなどにコストの掛かる竹製ではなく成型品の切削加工で済む塩化ビニール素材の樹脂製品となっています。この手の保健衛生系計算尺は8インチの体重バランス計算尺というものがありましたが、この計算尺は性別年齢や体格さらに労働内容なども勘案して必要摂取カロリー量などの計算を行う計算尺のようです。対象は保健師さんとか栄養士さんあたりでしょうか。表面尺度は:キソ代謝、所要量、労作別、キソ年齢(男女)、フツウ年齢(男女)、1〜5才身長、6−身長、1〜6才体重、6−体重、体表面積の10尺。裏面は100g中成分、消ヒ成分、ハイキ率、CI,C,D,A,Lの8尺です。ヘンミ計算尺の最後のパンフレットにも市販特殊計算尺4種類のうちの一本として掲載されているため、その存在自体はよく知られていますがその割には現物が意外に少ないようで、捜してもあまり見つからない計算尺の代表かも知れません。
 また知る限りでは初期のものが固定尺を繋ぐブリッジの成形色が緑で、後のものが滑尺やカーソルバーと色味が統一され、アイスブルー色となります。おそらく初期型は余ったP261あたりの部品流用なんでしょうね。さすがは甲斐商人(笑) そういえば身幅はP253より少々広いP261と共通です。価格はヘンミのパンフレット上では3,500円の定価が載っています。
 入手先は岐阜県の垂井からでした。製造記号が「ZH」ですからついに50年代に突入した昭和50年8月生産分。Z記号の計算尺が欠落していましたので、おかげで最終生産年度のヘンミ尺が何とか加わりました。外箱と説明書が失われていましたが本体はビニール袋に納められたほぼ未使用品です。ケースは青蓋のブロー成型品ですが、後期の角張った薄いケースと異なり初期のP261同様の角丸ケースでした。製品名を表す「Calorie」のオーバルシールがケースの表裏に貼られています。
Calorie
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February 14, 2010

Nestler Nr.26 MECHANICA

ARISTとA.W.FABERとともにドイツ計算尺御三家の一角を担うNestlerの計算尺です。Nestlerの計算尺の初期のものはセルのはがれ止めに小さなマイナスねじを打ってあるのが特徴ですが、見かけでは初期のA.W.FABERのものとほとんど変わらず、特にマンハイムタイプは画像だけ見せられてもドイツ製のどのメーカーの計算尺かわからないものがけっこうあります。この初期型のNestlerは以前のシーメンス・シュケルトのノベルティーであるPre WW IのNr.12の5インチタイプを入手しましたが、今回は10インチでねじ止めのない比較的に新しい時代のNr.26です。とはいっても戦後の同型計算尺は品番が変わっていますのでPre WW IIくらいの時代はあるでしょうか。Nestlerで一番有名な計算尺はかのアルベルト・アインシュタインを始め、ロケット工学者のフォン・ブラウンやセルゲイ・コロレフなどに使用され、まさに未来を切り開いたツールであるシステムリッツ式計算尺「Nr.23」ですが、今回のNr.26はNr.23ほど有名ではない計算尺ながら戦後はNr.0260と品番を変えながらも実質的に全く変わらない計算尺が1975年に至るまで作り続けられていたようで、まったく以て頑固なドイツ人気質を伺わせるような計算尺です。戦後のNestler計算尺は他社同様にコストダウンからプラスチック化していき、計算尺末期には日本の技研系OEMの計算尺なども現れたようですが、この10インチ片面計算尺シリーズのダルムスタッド、リッツ、メカニカの三種類はマホガニー製のものが発売され続けてきたようです。
 このNr.26メカニカの基本はA,B,C,D,尺のマンハイムとその派生型ではなく二乗尺三乗尺の組み合わせなのです。表面はRohr (phi)mm // Schnittiefe a, Hobein m/s, (Pattenbr.) D.H./min [ Schnittgeschw.m/min, Vorschub s/U in mm Vorschub s/U in mm, C ] D th in min. で側面にtan, sinが刻まれていますが、実はこの計算尺は旋盤による金属の切削加工のための切削速度や回転数などを計算する特殊計算尺なのです。この計算尺の原型はFREDERICK TAYLORという人によって開発され、A.W.FABERなどでも348や1-48などの型番で1970年代まで発売され続けています。日本ではなぜかHEMMIをはじめとする大手メーカーでこの種の計算尺を市販したことがないのが不思議ですが、機械メーカーが特注品として作られたものが幾種類かあったようです。しかし、旋盤加工の現場でしか使用されなかったゆえに、我々が目にすることは殆どありません。現場じゃ何年も昔からNC旋盤の時代ですし…。
 入手先は東京からで、おそらくドイツ本国からの買い付け品に混じっていた品物のような感じでした。かなりの長期間発売され続けた計算尺ですから、製造年代に関して興味のあるところですが、Made in W.Germanyの刻印が見あたらず、やはり辛うじて戦前もしくは戦時中の製品なのではないかと想像します。世界にはこの手の旋盤切削計算尺を専門に研究している人がいますので、興味のある方は検索してみてください。
 しかし、日本に同様の計算尺がなかった理由ですが、戦前における工業力の差もさることながら、徒弟制度的な技術の伝承という面において、そういう計算は親方の「感」に頼っていて、それは弟子が長年親方の仕事をともにすることによって習得できる技であり、同じドイツはマイスターの国ですが、そういうものは感にたよるのではなく、合理的な方法により算出するという違いがこの手の計算尺の必要性の有無に影響していたのかもしれません。
Nestler26
Nesler Nr.26 表面拡大画像はこちら
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