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April 16, 2010

FUJI No.1280 技術用

 FUJI計算尺の両面計算尺としては一番尺の種類が詰め込まれた機種がこのNo.1280系でしょう。HEMMIが計算尺の生産を実質的に終了した昭和50年以降もこのNo.1280系列は生産が続き、用途こそ「工業高校生用」と学校教育用に特化してしまいますが、昭和53年の春ころまで供給が続いたようです。その発売開始に関しては明確な資料がないので判然としませんが、昭和30年代末期までは遡れそうです。今回入手したものはその最初期型に近いと思われるもので、基本的には末期のNo.1280-Tあたりと似たようなフルログログデュープレックスですが、細部ではかなり異なったものです。まず、後のFUJIの両面計算尺は学校教育用に特化したためか、すべて√10切断ずらし尺ですが、この初期1280はπ切断ずらし尺を備えます。当初はいわゆる技術用というポジションの計算尺として売り出したのでしょう。またFUJIの両面計算尺に特徴的な机の上に置いたままカーソルを動かすことが出来るということを実現するため、分厚いブリッジと表面に4カ所ある丸足がなく、殆どHEMMIのNo.P261くらいのボディを持った計算尺です。さらにのちの1280系は非常に分厚い塩ビのプラ尺でかなりの重量がありますが、この初期型の1280は軽く仕上がっています。また、一時期のFUJI計算尺は楕円形の溝を掘って滑り止めのゴムを埋め込んである物をよく見かけますが、初期型の1280はブリッジ部分に縦溝加工を施して滑り止めゴムが接着されており、このゴムがネジの頭の目隠しにもなっています。なぜか同じ初期型1280でもケースが2種類あり、初期型がグレーの貼箱、後期型が緑の貼箱です。今回入手したものはグレーの貼箱で、FUJI計算尺のグレー貼箱はいつの時期にあったのか非常にレアで、他にはP-104とかいう10インチのプラ尺に付属したものしか持っていません。グレー箱も緑箱も同じ定価2500円のシールが底に付いていたようです。入手先は大阪からでした。
 この初期型No.1280が改良されてNo.1280-SやNo.1280-Tに変化してゆくわけですが、初期型の1280表面の尺配置はLL-1,LL-2,LL-3,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,LL3,LL2,LL1。裏面がL,K,A,[B,ST,T1,S,C,]D,DI,LL0,LL-0で逆尺はCIF,CIが目盛も数字も赤でその他は数字だけが赤で入れられています。また裏面のA,B,C,D尺は延長尺付です。これに対して最終の1280-Tは表面は共通ながら裏面はLL-0,L,K,A,[B,T2,T1,S,C,]D,DI,P,LL0となりT尺が独立して45度を境に二分割化し、LL-0とLLOが上下に分かれ、P尺が加わったということで、HEMMIでいうとNo.259DからNo.260に出世したという感じでしょうか。初期型といえども1280の裏面カーソルには出力換算と円の断面積計算用のCマークの補助カーソル線付カーソルです。
Fuji1280
 FUJI No.1280 初期型表面拡大画像はこちら
 FUJI No.1280 初期型裏面拡大画像はこちら

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April 15, 2010

HEMMI No.2664 (戦時)

  ルート10切断ずらし尺を備える片面計算尺として昭和18年に発売された No.2664は戦時中の物資枯渇期に差しかかった頃の計算尺らしく、その材料調達には大変に苦労したようで、当方の知る限りは終戦までの2年間に基本的な構造に違いのあるものが3種類ほど見受けられます。以前福岡から入手した No.2664は後のNo.2664Sなどと同様に裏の副カーソル線窓が「⊃⊂」で、裏板もアルミとセルロイド板が使用された通常の構造でしたが、今回たまたま入手した戦時仕様のNo.2664はアルミ板にプレスで抜かれたオーバル状の副カーソル線窓があり、白いセルの裏板が省略されたあたかも薄型ポケット尺のような構造です。その副カーソル線に嵌る透明セル板は裏板代わりにアルミ板と同じ長さで固定尺に苗打ちされています。第三のパターンはさすがに戦争末期になってアルミ板が入手出来なくなったからか、裏板が厚いセルの白板で、そのセル板にオーバルの副カーソル線窓が明けられ、そのままでは固定尺と滑尺の隙間が調整出来ないので、片刃の安全カミソリのような鋼の板3枚で上下固定尺を留めるというものです。この鋼板もセル板の内側にも外側にも仕込まれたものがあるようで、戦争末期にはいろいろ混乱していたのでしょうか。この3パターンのNo.2664のすべてが黒い偽皮紙をあしらった単なる紙のサックケースに入っているのは共通です。また、竹芯に貼ってあるセルも戦争の進行とともにかなり薄くなったようで、今では竹芯と貼り合わせるための接着剤の皺パターンが表側からわかってしまうようなものが殆どです。おそらくこの戦時型No.2664は、通常の構造のものからアルミオーバル窓付きを経て薄鋼板付き白色セルオーバル窓という構造に変化していったのでしょう。刻印にも相違があり、通常構造型は裏面に「"SUN"HEMMI NO.2664」と後のOCCUPIED JAPAN物とほぼ同様の刻印ですが、アルミ裏板オーバル窓型は下固定尺の側面左側に「"SUN"HEMMI」の商標が。右側に「NO.2664」の刻印が打たれているというもので、薄鋼板白色セルオーバル窓型は上固定尺のスケール部分の左右に同じく「"SUN"HEMMI」と「NO.2664」の刻印が打たれているものがあります。物資枯渇により構造が省力設計になっていくのはわかりますが、刻印の位置までことごとく異なっているのはなぜでしょうか?これはまったくの想像上の話ですが、ヘンミ製作所のあった和光市周辺は軍の施設が集中し始め、戦争の進行とともに空襲などの被害を被る可能性が高くなったことから生産設備の一部を他の場所に移し、そこで生産されたものが一部仕様の混乱を来して同一計算尺ながら刻印などに差異が出たものが生まれた原因になったという可能性も考えられなくはありません。疎開先の一つが東武東上線をさらにさかのぼった川越近辺。またもう一つの設備疎開先が山梨の甲府近辺だったとしたら、話はさらにおもしろくなってきます。甲府近辺に計算尺生産設備の一部が疎開したなんて考えただけでも山梨技研系計算尺のルーツというのがなんとなく浮かんできます。
 今回のNo.2664戦時尺は副カーソル線窓がオーバルなタイプですが、まだ裏板にアルミ板が使えたと見えて前面アルミ裏板タイプですが、セル板との積層を止め、その分のセルロイドを省略したパターンのNo.2664です。また副カーソル線窓に嵌る透明セルはアルミ裏板と同じ長さの一枚板となっています。同時期に発売された学生尺No.2640同様に逆尺のCI尺の数字に赤で着色する行程を省略し、ついに目盛りは真っ黒の一色刷になりました。ケースはボール紙に擬皮紙をあしらったサックタイプです。入手先は横浜の緑区からでした。今回のNo.2664は裏板の固定方法にも初期型のNo.2664とは差異があり、初期型は固定尺裏側のセルロイド部分に片側6本の鋲打ちで裏板を固定していますが、今回のオーバル窓No.2664はアルミ部分に片側7本の鋲打ちでした。ちなみに裏板セルロイド板オーバル窓タイプで金属板があり合わせの安全カミソリ状の鋼だけの末期型は固定尺部分にたったの4本の鋲止めとなっています。ちなみに前回入手した初期型はインチスケールが固定尺上面に刻まれていましたが、今回のオーバル窓タイプはメトリックスケールでした。戦時中といえども機械技術の世界ではインチがまだ支配していたので、両方の需要があったのでしょうか。これら初期型の戦中から戦後のごく初期のNo.2664は後のNo.2664やNo.2664Sには見られない特徴がありました。というのも6度以下の微少角を直読するためにTI2とSI2の2つの尺度が付いていることです。6度以下の微少角はほぼ同じとして計算しても実用上差し支えないのですが、そこが新しい計算尺を作り出そうという意気込みだったのでしょうか。また2度以下の角度では目盛り上でもまったく差を見つけることが困難になるので、2度以下はSI2尺を共用にしてTI2尺の方は45度から70までのTan算出目盛となっています。また表面のA尺は半分の長さしか無く、D尺で1から10まで、DF尺で10から100までを読むようになっており、残りの半分をL尺にして同じくD尺DF尺で数値を読むようになっています。度の微少角は直読できるため度の微少角を計算するゲージマークが省略され分と秒を計算する2つのゲージマークがC尺上に存在します。これが後のNo.2664になるとA尺がフルレングスになったためにL尺が滑尺裏に追われ、そのため微少角専用の尺が消えてしまいました。微少角は3種のゲージマークで計算するようになり、このスタイルが標準になりますが、初期No.2664の微少角目盛と折り返しA尺L尺というデザインは海軍士官を養成する江田島の海軍兵学校で使用された通称「兵学校計算尺」が最初らしく、そのスタイルをNo.64と同サイズのボディに刻み込んで出来たのがNo.2664らしいです。開戦初期に4艦隊司令長官から海軍兵学校校長に飛ばされた井上成美中将は、陸軍士官学校が英語授業を撤廃したため、「優秀な人材が楽な陸軍士官学校に流れるため兵学校でも敵性語授業を廃止すべきだ」という上層部の意を無視して最後まで英語と数学の教育には一層の力を入れ、特に数学は自分で教材まで作るくらい熱心だったそうですが、そのポリシーというのが「日本はどうせアメリカに負けることになるので、兵学校では敗戦後10年20年後の日本に必要な人材を育てるための教育をする」というものだったようです。一本の尺をA尺L尺に2分するというのが合理主義者の井上成美校長のアイデアだったとしたら、話はもっとおもしろいのですがね。
Hemmi2664ww2
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April 14, 2010

NIKKEI No.160 5"ポケット型

Nikkei160 NIKKEI計算尺の発売元である日本計算尺は、RELAY計算尺の製造元が東洋特専興業から日本計算尺に戦後の2年ほど社名変更されたことが有名なためか、けっこう双方を混同しているコレクターも多いのですが、構造からしてまったく両者は関係ありません。もしかしたらNIKKEI計算尺がリレー産業に社名変更した元祖から商標を買い取ったのか、それとも勝手に同じ社名を名乗ったのかは今となってはわかりません。NIKKEI計算尺はアメリカへの輸出の割合が比較的に高く、アメリカ本土ではかなりの種類が見受けられるのにもかかわらず、日本国内で見つかる量も種類も少なく、国内では技研の計算尺よりも遙かに稀少尺です。アメリカへは明らかにHEMMIの両面計算尺にNIKKEIの刻印を入れたOEM尺などもあり、かなり手広くいろんな計算尺を輸出していたようですが、こと国内に限っては殆ど8インチの学生尺か5インチのポケット尺を主体に販売したようで、あまりいろいろな種類は見ません。構造面でとてもオリジナリティーを感じさせる計算尺で、片面尺はどれも一体型の金属製バックプレートに上下固定尺が鋲止めされている構造で構成されこの構造でパテントを得ていたようです。NIKKEI計算尺のキャッチフレーズが「狂い絶無・破損しないカーソル・断然値段が安い」だったようで、コストを抑えたことで大手の計算尺よりは安く市場に供給出来たのでしょうが、さすがに販売力の欠如から大手の計算尺の牙城の一画を崩すまでに至らなかったのは当然の事でした。その活動期間もそれほどは長くなかったようで、昭和20年代の後半から昭和30年代の中頃までと推定され、少なくとも昭和40年代までには消滅してしまったような感じです。国内での販売も団塊世代が中学に進学した昭和30年代前半から半ばあたりに集中していたようです。アメリカの著名なコレクターがかなりのNIKKEI計算尺をWEB上で公開していたのですが、しばらく前からアクセス不能になり、その数々のNIKKEI計算尺の画像とデータを閲覧出来なくなってしまいました。ちなみにこのコレクター氏はNIKKEI計算尺はRELAY/RICOHの関連とみていたようですが、明らかに違いますよね?
 前回入手したNIKKEI No.150Fから2年経過して入手した二本目のNIKKEI計算尺は横浜からの入手でした。前回同様に5インチポケット尺ですが、型番はNo.160というもので、No.150Fがチープな木製尺だったのにくらべ、今回はまともな竹製の計算尺で150Fが6尺なのに対して160はK尺が加わった7尺です。150Fが裏の副カーソル線窓に透明セルも省略されていたのに160はちゃんと両サイドにセルが嵌っています。裏板に直接印刷される換算表は150Fが日本語表記で、160は英語表記です。そのため輸出主体の計算尺ながら前回の150Fは国内専用だったのでしょう。なお、No.150Fは金具で補強の入った擬皮紙貼りボール紙製で、160は緑色のビニールシース入りでした。尺配置は上からK,DF,[CF,CI,C,]D,Aの7尺でCIの数字にのみ赤で着色されています。ずらし尺は√10切断です。明らかにHEMMIのNo.2634の対抗馬なのでしょうが、いくら断然値段が安くとも数の上では大差をつけられ、消えていったのでしょうか?計算尺の作りとしてはさほど安物っぽさがなく、それなりの計算尺なんですけどね(笑)
 NIKKEI No.160 5"ポケット型表面拡大画像はこちら
 NIKKEI No.160 5"ポケット型裏面拡大画像はこちら

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