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September 22, 2010

Keuffel & Esser No.4088-3 技術用末期型

 HEMMIのユニバーサル両面型として最初に発売されたのはNo.150という計算尺で、昭和4年の発売だと思われます。このころからJ.HEMMIから"SUN"HEMMIの商標に変わり、以前のNo.1番台から10番台の計算尺に加えてたくさんの計算尺がラインナップに加わり始めた時代です。そのようなNo.150ですが、戦前のものと戦中戦後のものとではまったくサイズが異なり、戦前ものは他のHEMMI計算尺には類のないナローサイズの両面計算尺なのです。No.150は戦後しばらくして昭和の26年あたりにずらし尺をπ切断から√10切断に変更したNo.250にモデルチェンジして昭和40年代まで生産が続きますが、世に存在する使い方とか目盛りの意味もわからないのに電子用No.266を珍重して目盛りの細密度を見て楽しむという「鑑賞派」とかいう計算尺マニアたちには「No.250の存在意義がわからない」とか「No.250の目盛りの無い空間を見ると腹が立つ」などと言い切る人もいたようです。ところがこのNo.250のご先祖であるNo.150がアメリカの代表的計算尺メーカーであるKeuffel & Esser No.4088のデッドコピーであることを知れば少しはNo.250をリスペクトする気になるでしょうか。No.250のルーツがK & Eの4088だということがわかったらNo.250を軽々しくバッシングできないでしょう。また、HEMMIのユニバーサル両面型の金属製ブリッジの形状は竹製両面計算尺の末期までそのまま継承されますが、そもそもがK & Eの丸コピーだったため、HEMMIの両面計算尺は形状的にK & Eに酷似している所以です。戦前ナローボディーのNo.150はNo.250と異なり、同一の尺度ながら適度な尺密度で、スカスカ感はまったくなく好きな計算尺なのですが、さすがに戦前に多用された電気用のNo.153あたりと比べて残存数が少なく当方のコレクションにはありません。ところがNo.150のコピー元である本家K & EのNo.4088-3のほうが先に手元に来てしまいました。
 このK & E No.4088は1913年あたりから1938年あたりまでの長期間にわたって作られたらしく、年代別にカーソルの形状などに差があり、No.4088のパターンモデルを専門に収集しているコレクターもいるくらいです。今回入手したNo.4088-3は金属フレームカーソルでシリアルも一巡目の27万番台ですからNo.4088としては末期の頃に属する物です。とはいえいくら末期型とはいえ戦前の昭和10年くらいの時代はあります。この時代のK&E両面尺はカーソルバーが経年劣化でボロボロに風化するという致命的な欠陥があり、入手したNo.4088-3も例外ではなく、バネは当に腐食して脱落し、カーソルバーも素材が縮み、さらに辛うじて枠につながっただけの状態でした。他にも劣化してバラバラになったカーソルバーのK&E製計算尺があるので、まとめてスクラッチビルドで作りたいところなんですが、時間と根性がついていかないため、いつになったら実現しますことやら。ところで、このNo.4088-3はアメリカのコレクターによると1913年が発売初年のようで、もうすぐ100年の歴史を経ることになります。その前にHEMMIの竹製計算尺の特許100周年が一足早くやってきますが(笑) このNo.4088ファミリーは4種類あってNo.4088-1が5インチのポケット尺、No.4088-2が8インチ、No.4088-3が10インチでNo.4088-5が20インチ尺です。その生産の殆どがNo.4088-3であったことは言うまでもありません。また尺の種類の違いで前期型(1913-1921)と後期型(1922-1939)に分類されていて前期型は表面がDF [CF, CIF, C ] Dの4尺、裏面が K ,A [ S, T, CI ]D, Lの7尺で計11尺なのに対して後期型は表面は同じながら裏面が K, A [ B ,S ,T ,CI ]D ,LとB尺が加わった合計12尺になっています。またカーソルも大まかにはフレームレスのカーソルグラスが嵌ったものとメタルフレームのものと2種類がありますが、メタルフレームのカーソルは後期のほんの僅かな期間にしか装着されなかったようです。またフレーレスカーソルのカーソルバーにも発売時期によっていろいろな差異がありそうです。HEMMIのNo.150もユニバーサル型としての発売当初の昭和4年のものはK&Eをそのままコピーしたガラスがむき出しのフレームレスカーソルが装着されていたようです。入手先は福岡からで、前出のHEMMI No.34Pと同一人物の持ち物でした。入手価格は2本で100円。まあ年に何回かはこういうチャンスが巡ってくることもあります。ちゃんとモデルナンバーが型押しされた皮ケースが残っていました。
Ke4088
 K&E No.4088-3末期型表面拡大画像はこちら
 K&E No.4088-3末期型裏面拡大画像はこちら

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September 21, 2010

RICOH No.155 経営管理用計算尺

 RELAY/RICOH両面計算尺の中にあってちょっと毛色の変わった計算尺がこのRICOH No.155 経営管理用計算尺です。その特徴として時間を計算する尺度があることで、それによって時間計算や生産速度などを導きだし、生産性や効率などを調べるのがメインの使用法です。また管理計算に多用される精密平方根を計算するためにD尺を2倍に伸ばしたR1、R2尺を備えており、この1〜√10,√10〜10までの2本に分割した尺は国内では極々少数派です。有名どころではPOSTがHEMMIに作らせたNo.1460(HEMMI No.258)に採用されていますが、なぜか他の計算尺ではあまり見かけることのない尺度です。この経営管理用と言われるNo.155は説明書によると「工程管理、在庫管理、品質管理、価値効果の判定など会社、工場の管理面における利用を重点とした計算尺」とのことで、特に工程管理や原価計算に関係して時間を計算する尺度がついているのが特徴でしょうか。表面はごく普通のπ切断ずらし尺を備えるL,K,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,R1,R2の10尺で、裏面は時間と生産速度に関係する尺度の集まりで、HR,MIM,[TIME,NI,N,]N',t,の7尺です。裏側カーソルグラスには秒換算補正用の副カーソル目盛りが刻まれています。さほど稀少尺ではないはずなんですが、意外とみつからない計算尺で、RELAY時代から製造されていると思いますが、見かけるのはRICOHになってから以降のものばかりです。昭和40年代を通して発売され続けた計算尺のようで、そのために赤蓋ベージュ貼箱から末期の青蓋ブロー成形ケース入りまでありますが、一貫して本体の目盛りや数字、ゲージマークなどは同一な物が生産されたようです。本体は細身の学生用両面尺No.1051などと共通です。
 さて、この計算尺が果たして経営管理に有効だったかというと他の商業用計算尺なんかとともに少々疑問で、それゆえにこの計算尺も前オーナーが経営管理に活用しようと思いながら結局はまったく利用せずにしまい込んでしまったと言うように、酷使されたものが少ないように感じます。入手先は東京の町田からで、どちらがおまけかはわかりませんが、日本文芸社の「計算尺の初歩の初歩」と日東書院の「計算尺の使い方・初歩から応用まで」の2冊が付いていました。製造刻印はM.S-4ですから昭和39年の4月佐賀製です。そういえば、同時期のオク上にRICOHのNo.155Dという計算尺が出品されてました。内容的にはさほどNo.155と変わらないような計算尺ですが、まさかHEMMIの末尾D付き計算尺のようにDI尺が加わったというわけではないようです(笑)
Ricoh155
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September 13, 2010

HEMMI No.34P(戦前品)

 個人的にはあまり短いサイズの計算尺は好みではないので、積極的にオクに参加することは珍しいのですが、今回は10インチ両面尺との抱き合わせでたったの100円で入手した5インチポケット尺が意外と見かけない計算尺でした。形式を示す刻印がありませんが、おそらく昭和10年前後のHEMMI No.34Pとかいう5インチのポケット尺だと思われます。この5インチのNo.34ファミリーは逆尺を備えるものやπ切断のずらし尺を備えるものなどがありましたが、No.34RKは昭和40年代に入ってもそのままの様式で作り続けられていました。そのNo.34ファミリーの中でNo.34およびNo.34Pは表面にA,B,C,D,の4尺があるだけで、滑尺裏には三角関数も何も刻まれていないブランクの状態になっています。おそらく乗除算に特化した計算機代わりのものだったのでしょう。しかし実際には後の中学校用計算尺にだって滑尺裏には三角関数や対数尺が刻まれています。そのため、滑尺裏がまったくのブランクのNo.34は戦前のある一時期に作られただけです。ちなみに昭和11年から16年頃までのカタログプライスはまったく変化なしの3円で、滑尺裏にも目盛りがあるNo.34Tは3円50銭、逆尺付きのNo.34Rが4円、π切断づらし尺のNo.34πが4円50銭、逆尺K尺付きのNo.34RKが5円という価格になっています。このような価格の違いがありますが、この価格差でわざわざ廉価版のNo.34Pを購入する人間が少なかったようで、戦前のNo.34ファミリーではその殆どがNo.34RもしくはNo.34RKで、廉価版のNo.34Pは逆に稀少尺の一本かもしれません。
 入手先は福岡からで、一緒にセットになっていたのは何とK&Eの4088-3です。元の持ち主の氏名が彫られていたため、No.34PとK&Eの4088-3は双方とも同一人物の所有だったことがわかりました。また職場が「住友金属名古屋軽金属」などとうっすらと読めましたので、航空機用の軽金属の研究でもしていたのでしょうか。あまり見たことのない上質の皮ケースが付いていましたが、皮ケースに入れっぱなしになっていた割には裏面のアルミ板の腐食も殆ど影響無く良い状態です。また前所有者の好みだったのか3本線カーソルに交換されていました。このカーソルは戦後のものかもしれません。
 なお、このNo.34Pには裏側に不要な副カーソル線窓が開いていてちゃんと透明セルロイドが嵌っているものと、裏板が専用の窓無しになっているものと2パターンのバリエーションが見られるようです。どちらが古いのかはわかりませんが、不要なセルをはめ込むコストも手間も馬鹿にならないので、裏窓無しの専用裏板になったのが後期型、セル窓付きが前期型と見るのが正しいのかも知れません。
Hemmi34p
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September 11, 2010

東芝刻印のHEMMI No.30

 HEMMIのNo.30はJ.HEMMI時代のNo.14のモデルチェンジ版として昭和の4年ごろに登場した4インチポケット尺ですが、戦後に逆尺が加わり、4尺が5尺になりながら同じモデルナンバーで昭和50年の計算尺生産終了頃まで作り続けられた計算尺です。しかも在庫のNo.30は21世紀をまたぎ、ごく最近まで新品で入手が可能だったのですから、一番息が長いHEMMI計算尺の一本だったことになります。特筆されるのはプラ尺の登場まではHEMMIとしてもっともローコストの計算尺の一つで、そのためその登場時から企業向けノベルティーのベース計算尺として特別な刻印が施されたものが数多く存在しています。特に戦前はアルミの裏板にエンボス加工で企業名を入れたり、ステンシル状に打ち抜いたものが多く見られ、コレクターズアイテムとなっていますが、戦後はもっぱら既製品に名入れ加工で刻印を施す例が多くなっているようです。この企業向けノベルティーは取次店に配られた名入れ見本帳が存在しており、その赤い見開きのケースの中にはNo.30,No.34RK,No.2634とともに、金箔押し、エンボス加工などの皮ケースの見本などが納められ、このパターンで特注を受けていたようです。あくまでも名入れ見本ですから、この見本帳の中の計算尺にはカーソルは付いていません。企業向けノベルティーだけではなく、工業高校の卒業記念品などというパターンもあります。さしずめメーカーや問屋から小売店などへの商業系ノベルティーとしては、圧倒的に裏板に企業名などが入った「問屋算盤」が多いのですが、やはり科学技術系の研究施設等に設備納入のセールスのための販促商品としては算盤なんぞ持って行っても仕方がないでしょうし、貰う立場から言っても計算尺のほうがよっぽど的を射た販促商品だったのでしょう。当方のコレクションにはこの企業ノベルティーものの計算尺は少ないのですが、今回のNo.30は東芝電気のノベルティーで刻印は裏側に「(東芝マーク)TOKYO SHIBAURA ELECTRIC CO.,LTD」の刻印と、皮ケースに東芝のマークがエンボス加工されているものです。製造刻印は「KJ」ですから昭和35年の10月製です。贈答先は何と自衛隊(笑) 陸か空かはわかりませんが所持者の名前の前にMaj.の階級が打たれていましたので、「三佐」ということになります。しかし、東芝電気が自衛隊に計算尺を配って歩くなんて、どんな設備を受注しようとしていたのでしょうか?(笑) 大正初期、海軍船橋通信所の設備納入でNestlerのポケット尺を配って歩いたシーメンス・シュケルトに似たところがありますな。
Hemmi30
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September 10, 2010

海軍兵学校計算尺教本

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 以前から是非とも中身を見てみたかった旧海軍兵学校の計算尺使用法という小冊子を入手することが出来ました。この小冊子は海軍将校を養成する海軍兵学校が逸見製作所に作らせたNo.2664のスケール省略版、通称「兵学校計算尺」と呼ばれるずらし尺を備える計算尺のための解説書です。この通称兵学校計算尺は、もう少し以前から使用され続けてきたのかと思いましたら、教本の発行は昭和19年の12月でした。マリアナ海戦、レイテ沖海戦に敗れ、テニアンを基地とするB-29の空襲が本格化して本土にじわじわとその戦略爆撃のボディブローが効果を現し、次は硫黄島、沖縄を経て米軍が本土に上陸することを想定して本土防衛構想が実行に移されつつあったころです。そのため、この計算尺と教本は昭和20年入学の海軍兵学校最後の生徒である「海兵77期」の生徒の為のもので、現に入手した教本には青山学院を修了して海兵77期に入学した方の個人名が記入されていました。最後の兵学校生徒海兵77期は総勢4000名の大所帯で、江田島内の本校、分校以外に岩国、舞鶴に分かれて昭和20年の4月から終戦の8月15日まで各種の勉強を行ったようですが、4艦隊司令長官から海軍兵学校校長に一種の左遷人事となった井上成美校長が貫いた「戦争を遂行する人材ではなく、日本が負けた10年20年後の日本を背負って立つ人材を育てる教育」の一環として英語も数学も力を入れて行われていたようです。おもしろいことにこの小冊子の冒頭に「本書ニ依リ計算尺ヲ修得スベシ」という言葉を載せている兵学校の校長が小松輝久という臣下に下った旧皇族中将で、19年の10月あたりに発生した江田島本校の武道場だったかの失火火災事件に引責して辞任しているのにも係わらず12月発行のこの冊子にそのまま校長として記載されています。確かこの小松校長の辞任の後を受けたのが、レイテ沖開戦でレイテ湾に突入せずに謎の転進をして戦場を離脱した責を問われたのか、井上成美中将同様に左遷人事となった栗田健男中将です。栗田健男校長は終戦まで兵学校校長を務めていますので、最後の海軍兵学校校長となりました。
 この冊子の編纂は海軍技術中尉の後藤三郎という人で、おそらく予備学生上がりの若い技術屋さんだったのでしょうか。基本的には逸見の片面計算尺用の説明書からの引用が殆どだと思われますが、応用問題がさすがは軍隊らしく、敵機との高度や距離の問題だったり航路や進路に関する問題になっていたりしました。全部で49頁の内容的にはかなり詰め込まれたものですが、印刷は兵学校内の印刷設備で行われたようで、紙も物資が豊富だった軍隊らしく、その当時のヘンミの計算尺説明書より遙かに良いものを使っているようです。さすが金属枯渇時代の軍隊らしく、綴じ込みは真ん中のステップラー一本だけで製本してありました。計算尺の教本は自前の印刷設備で4000名にくまなく配られたようですが、肝心の計算尺の方は入学時に全員に配られた訳ではなく、兵学校の備品として共用されたような節があります。終戦時にこれらの備品は極力生徒に持ち帰らせたようで、何かの役に立つだろうと計算尺のみ持ち帰った岩国分隊の77期生の話がネット上にありました。この小冊子を入手するも肝心の兵学校計算尺が当方の手元にはありません。同時代のNo.2664なら3本くらいあるのですけどね。

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September 09, 2010

珍しいHEMMI No.300の説明書

300
数が極めて少ない稀少尺と言われる計算尺はデッドストック状態で発見されない限りは本体はあっても説明書は欠品というのが殆どです。もちろん竹とセルロイドの計算尺本体は経年劣化が殆ど無いために数十年経っても形は残りますが、説明書などの紙物は湿気に弱く、酸性劣化などもあって残りにくいというのも理由でしょう。また、本体の発売期間がほんの僅かな計算尺、特に戦時中だけにリリースされた特殊な計算尺は本体以上に説明書が見あたらない物が多くあります。
 今回発見した説明書は戦時中に発売されたNo.300という日数換算尺の説明で、何年か前に入手した戦前の古いHEMMIの説明書類に混じっていた物で、説明書のタイトルが「ヘンミ事務用計算尺説明書」という殆どぺらっぺらの説明書だったため、No.300との関連性に気が付かなくてしばらく前まで放置されていたものです。こないだたまたま中身を見たら年月日それぞれの尺度(G,E,F,C,D)の使い方が出ていたため、日数換算尺の物だとわかりました。発行日は昭和18年の9月です。そもそもNo.300は滑尺裏がブランクの片面尺ですから12頁しかありません。No.300の定価は7円80銭で、50/1の9円に比べても安い計算尺です。昭和18年9月ともなると開戦後2年近くになり物資も枯渇したのかこの説明書を見る限りは計算尺のラインナップが大幅に減少しています。このNo.300の説明書は、印刷が大阪の業者で、戦前のヘンミ計算尺の中では珍しいと思われますが、この時代になると印刷用紙を持っている業者を見つけるのも大変だったのでしょうか。そういえば東京の出版社が印刷用紙が比較的に入手しやすかった北海道の札幌に続々と移転し始めたのもこの頃からでした。前後して有名な作家も食糧事情が幾分良い北海道に疎開した例を多く見ます。ところで、大変にレアな説明書なのにも係わらず、当方肝心のNo.300は持っていないんですよね(笑)
300_2

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