ラジオアクティビティーがBGMに流れるニュース
世田谷の高放射線量の原因が民家の床下に放置されていたラジウム系の夜光塗料だったことにはいささか驚かせられましたが、その瓶のラベルから判読できた「日本夜光」の文字から戦前の古いものだったことにすぐ気が付いたのは、私が放射性物質ラジウムを使用した夜光塗料の産業史に興味があっていささか以前に詳しく調べたことがあったからです。というのもキュリー研究所でキュリー夫人の娘のイレーヌ・キュリーと「アルファー線の飛程とその衝撃による現象について」を共同研究していた東京帝大出身の山田延男博士がパリで原因不明の奇病に冒され、やむなく帰国したのち帝大医学部であらゆる検査を受けるも原因がわからず、一種の「脳病」とされ、苦しみながら三十歳と少々という短い生涯を終えたという歴史が、実は当時の霧箱によるシンチレーション直視観測法という実験法がきわめて危険な(放射能防護的に)実験方法だっため、山田博士は眼底から脳に直接ガンマ線を浴び続けた放射線被曝で脳細胞に損傷を受けたことが原因だったことが後に薬学史の専門家になった子息によって確かめられたという話をNHKラジオ深夜便の中で聴いたのがきっかけでした。まだ放射性物質の存在が世の中に発表されてからしばらくの間は放射能被爆が人体にいかに恐ろしいものかということが判明しておらず、放射性物質を皮膚に塗布して人工的にやけどを作り、シミや痣を消すなどの美容外科的に使用されたり、健康のために放射性物質入りの薬剤を飲むなどの行為も行われたようです。また、1900年代初めに開発されたラジウムを使った自発光塗料を時計の文字盤に塗布する女子工員の間で舌ガンや口唇の皮膚ガン、さらに顎の骨に悪性の骨肉腫が多発し、というのも彼女たちは舌の先で筆の穂先をそろえるためにラジウムを口から体内に取り込んだ内部被爆でガンを発症させ、大人数の犠牲者を出しましたが、このラジウムが発生する放射能とガン発生の因果関係が証明され、外部被爆・内部被爆を防ぐための放射能防御が必要なことが判明したのは戦後のことになります。このラジウムを使用した自発光塗料というのは民生品では時計の文字盤が主な利用法でしたが、飛行機や艦船の計器に多用されたことから戦時にはその需要が高まります。そのため、輸入に頼っていたラジウムを使用した自発光塗料の国産に取り組んだのが藤木顕文という人物で、この藤木は昭和四年に日本夜光塗料製造所を設立して国産のラジウム自発光塗料製造に取り組みますが、国産に成功したのは昭和九年を待たなければいけません。今回世田谷で発見されたラジウムはその藤木の会社で作られたものですが、他に数社夜光塗料会社があったようです。この夜光塗料は重要軍事物資に指定され、民間には出回らず航空機の計器や艦船、潜水艦の計器などを照らしていましたがラジウム自発光塗料の計器に囲まれた航空機のコックピットに線量計をつっこんだらどんな数値が出たでしょうか?余談ながら藤木顕文は東芝と並んで国産の蛍光灯製造の初期を飾った人物でした。その日本夜光も昭和20年5月の空襲で焼失してしまい、会社も消滅してしまったそうです。
ところで、ラジウムは国内調達出来なかったため、経済封鎖を受けて以降、だんだんその調達が難しくなり、戦時中は夜光塗料の生産に支障を来すようになりました。そのため、独逸本国からジェット戦闘機やロケット戦闘機の図面などとともに潜水艦ではるか大西洋・インド洋を渡って夜光塗料用のラジウムが運ばれて来たそうです。今回世田谷で見つかったラジウムがこの潜水艦で運ばれて来たものの一部なんじゃないかと考えるだけでも、なんとなくわくわくしてきます。まあ、物が物だけに物騒ではあるのですが、今回の原子力発電所事故に起因する高放射能の検出ではないとわかってからのニュース報道のバックに流れていたBGMが何とクラフトワークの「ラジオアクティビティー(放射能)」。絶対に原子力発電所事故関連のニュース映像のバックには流せない曲だなぁ、なんて思いましたが、まずクレームつける人間なんかいないだろうけど。(Mixy日記からの転載)
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Comments
はじめまして こんにちは
古い話にレスしてすいません。
原発全廃、放射能は何でも極悪非道、大犯罪みたいな風潮にちょっと反発して
放射制物質、トリチウム(三重水素)を使った夜光塗料の腕時計を買いました。
ラジウムとは違いますが 夜の明るさ、見え方はまずまずです。
トリチウムは銃の照準にも使われるそうですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/
Posted by: 婆裟羅大将 | September 22, 2012 10:18 AM