A.W.FABER Nr.369 5"マンハイム型計算尺
明治から大正初期にかけて日本では主に玉屋商店や中村浅吉商店等によってドイツやアメリカの計算尺が輸入され、機械電気土木工学の技術者によって使用されました。その殆どはマンハイム型の簡単な計算尺ですが、当時の商品目録を見るとメーカー名は特に記載されていないようです。そして目録を見る限りは玉屋がA.W.FABER、中村浅吉商店がK&Eを扱っていたようです。まだ国産のHEMMI計算尺が量産化にはほど遠いような時期で、形態的にもA.W.FABERやK&Eのコピーで、素材に竹を使用したという意外に目新しさなどなかった時代のころです。それ以前は当然の事ながら帝大出身者が欧州や米国に留学し持ち帰った計算尺を見た国内の技術者が玉屋や中村浅吉商店などに計算尺の輸入を持ちかけたのでしょう。当時の計算尺の販売価格を見ると5インチ計算尺で3円ほど、10インチの片面計算尺で7円ほどとなっています。物価の上昇などもあり一概に比較できませんが大正末年から昭和初期にかけてのHEMMI計算尺の価格とだいたい同じです。今回広島の呉から入手した5"マンハイム型の計算尺はA.W.FABERの369で、箱や裏側の形状、ならびに「MADE IN BAVARIA」の刻印などを見ると、第一次大戦以前に製造されたものであることが推察できます。この369は大変に古く、おおよそ19世紀末から1934年あたりまで製造された計算尺で裏側の形状や換算表の有無、カーソルの形状の違いや刻印、ケースの違いなどかなりのパターンがありますが、さすがに国内でこれらを集めるにはその入手先として海外へ矛先を向ける必要があります。
材質はマホガニーのような南方材とは異なる柘植っぽい材木で、狂いを防ぐためかヘンミのポケット尺なんかとは比べ物にならないくらいの分厚い計算尺です。滑尺との隙間調整のために金属板が中に仕込まれています。同時代のNestler製5"計算尺を持っていますが、それよりもさらに肉厚です。A.W.FABERの同年代片面尺の特徴として滑尺溝にスケールが刻まれていて、物差し代わりに滑尺を引き抜いた状態の計算尺全体の長さがわかるようになっている仕組みはJ.HEMMI時代の計算尺がオリジナルではなく、J.HEMMIがA.W.FABERをその部分までそのままコピーしたことに他なりません。また、カーソルもJ.HEMMI初期のアルミスクエア枠カーソル同様のもので、A.W.FABERとしてもとても古いものであることがわかります。
この369が国内で使用されたという証拠として、ケースの蓋を抜いた余白に表、裏という漢字まじりで三角関数の操作法がペン書きされていたことがあります。約100年も前の技術者の覚え書きなんでしょうね。呉の海軍工廠勤めの技術将校あたりの持ち物だとすると、当時英国戦艦ドレッドノートの出現によってそれを上回る超ド級戦艦の必要性から後の八八艦隊あたりの戦艦・巡洋艦の設計の一部なんかを計算してたのでしょうか。
ところでこのA.W.FABERの5インチマンハイムタイプ計算尺は鉄骨構造設計を多く手がけた内藤多仲博士が長年愛用し、四ツ木のお化け煙突から東京タワーまでこれ一本で強度計算などを行ってきたものと同型だと思われます(ただし、位取りカーソル付?)。以前「内藤多仲と三塔物語」と銘打った展示会で内藤多仲愛用の計算尺として8インチのHEMMI学生用計算尺が展示されていたことで、東京タワーを設計したのはHEMMI のNo.2640というように誤って伝えられていましたが、生前の新聞インタビューなどで内藤多仲が大正2年頃に恩師佐野利器博士から欧州外遊の独逸土産として小型計算尺を貰ったものをその後50年にわたって使い続け、その間に各地の高層鉄塔や鉄骨建造物の設計をこれ一本で行ってきたということが明らかになっています。内藤博士曰く「この計算尺は船頭の櫂のようなものだ」そうです。ただこの計算尺が何だったかは確定的にわかっていないので、A.W.FABERだったのかNestlerだったのか、はたまたぜんぜん違うメーカーの計算尺だったのかはわかりません。しかし、そんなことを気にするのは計算尺コレクターくらいなもので、内藤博士にとってみれば「弘法筆を選ばず」のごとく、それがどこの製品であったかなどということはどうでもいい問題だったのでしょう。
A.W.FABER Nr.369(上)とNestler Nr.12(下)との表裏比較です。
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