« October 2011 | Main | January 2012 »

December 16, 2011

KEUFFEL & ESSER No.4053-3 末期型

 K&E 4053-3の歴史は大変に古く、おおよそ1909年末から半世紀以上も基本を変えずに発売続けてきましたが、時代とともに材質やカーソルなど多種多様のパターンが存在し、本国アメリカでは専門のコレクターが存在するような計算尺です。しかし、日本ではこの手の計算尺は初心者用と片付けられてしまうからかあまり注目もされませんが、日本ではCI尺K尺を備える計算尺はHEMMIの大正15年型を待たなければいけないわけで、当時としては大変に進歩的な計算尺であったことには間違いありません。また構造的にも固定尺の片方をべースプレートにねじ止めし、わずかな調整幅を確保しています。それによって欧州系片面尺のように両固定尺を金属の裏板でつなぎ、その裏板を反らすことによって両固定尺間隔を調整する構造の計算尺よりは合理的な構造になっています。また上下の固定尺は同一の形状で、分厚いマホガニー製ベースプレート側面にスケールを刻んでいる構造でした。しかし今回のK&E 4053-3は終末期に製造されたもので、それまでベースプレートを含めてマホガニーにセルロイドを貼りこんだ構造でしたが、コストダウンの産物かベースプレートが物差し状の塩化ビニール系の樹脂素材に変わりました。このK&E 4053-3は4053-2と4053-5というパターンモデルが存在し、-2は8インチのレンズカーソル付き、-5は20インチモデルです。当然のことなが10インチの4053-3が一番多く製造されたことは疑いありません。この計算尺は終始三角関数系の滑尺裏面を使用するためには滑尺を抜いて裏返して使う構造になっており、裏側のカーソル線を使うような構造になっていませんが、それも固定尺をねじ止めにして調整できる構造にしたため、裏側、カーソル線の精度が出ないというのが理由なのかもしれません。また滑尺を裏返して使用するためS尺がA尺に、T尺L尺がD尺に対応する形式の計算尺です。カーソルは初期がアルミフレームのスクエアなタイプからフレームレスカーソルが長い間続き、1930年代にフレーム付きカーソルに変更になりますが、戦前のフレーム付きカーソルは例の「経年劣化で樹脂がぼろぼろになるカーソル」ですが今回の年代のものは材質が変わったのか大丈夫なようです。換算表も張り付けの時代を経て樹脂製バックプレートは印刷にコストダウンされています。こんな計算尺にはもったいないような明るい高級茶革のハードケースが付属してました。滑尺裏にシリアルナンバー937275が刻まれており、おそらく3順目の番号ではないかと思いますが、この計算尺としては末期の1950年代半ばを過ぎたころの製品でしょうか。入手先は東京の立川市。旧米軍立川基地あたりから出たアメジャンの一部だったのかもしれません。Ke40533

| | | Comments (0) | TrackBack (0)

December 12, 2011

本多船燈製造所製クラニー安全燈(炭鉱用カンテラ)

Photo_4 北海道には沢山の炭鉱が操業していたわけですから、さぞかしいにしえの炭鉱の忘れ形見といえる数々の炭鉱用カンテラ、すなわち安全燈が残っていそうなものですが、実際に出てくるものというと後々まで簡易メタンガス検知に使用された本多商店改め本多電気製ウルフ揮発油燈ばかりです。それというのも北海道の炭鉱は九州の炭鉱と異なり大手の会社によって近代的な設備が逐次導入された炭鉱が殆どだったからか、安全燈の使用も早かったかわりに充電式帽上燈に切り替わるのも早く、大正期の中ごろを過ぎた頃にはウルフ揮発油燈でさえも明かりとしての役目を帽上燈に譲り渡して、自らはメタンガス検知としての役回りに退いてしまったからでしょうか。そのため、100年以上前のテービー燈やクラニー燈などの旧式灯油安全燈が北海道内から出てくることは非常にレアなケースです。今回入手した旧式のクラニー燈は深川の4代続いた農家の納屋にひそかに眠っていたというもので、へたをすると一世紀もそのまま納屋に収まっていた物なのかもしれません。日露戦争直後の道内主要炭鉱の安全燈使用状況を調べると北炭の夕張炭鉱ではすでに切羽に最新の輸入品ウルフ揮発油燈が導入され、運搬坑道などのガス気の少ないところでクラニー燈が補助的に使用されたということが書かれており、当時すでにクラニー燈は第一線から退いていたころがわかります。その後続発する重大ガス爆発事故を受けた直方の安全燈試験所などの実験により、ボンネットのないクラニー燈はメタンガスを含む風速2メートル程度の坑内通風で筒外に引火する危険性大で、さらに風速3メートル・メタンガス濃度4~5%の状態で必ず筒外ガスに引火し、きわめて危険という判定を受け、乙種と分類される炭鉱でこれら旧式油燈を使用するところはなくなりました。
 旭川から届いたクラニー燈はニューカッスルタイプとでもいうべき英国型のクラニー燈で、ウイックピッカーという鉤状の針金で棒芯を上下する棒芯式の油燈でした。ロックシステムは古いリードリベットロックで、毎回ごとに鉛のリベットで封印し、安全燈使用後にはリベットの頭を切り落として開錠するという簡易なものですが、もちろん南京錠を使用することもできます。金網(ガーゼメッシュ)のガードピラーはたったの3本で、腰硝子のガードピラーは6本です。風除けボンネットのないクラニー燈は金網がむき出しですが、今残るクラニー燈の殆どは金網の上部が腐食で失われています。それというのも金網の上部はそれでなくとも炎に晒されて酸化し劣化しているのに加えて、長年の保管でむき出しの金網上部は埃がたまりやすく、その埃が湿り気を帯びてついには金網を酸化により腐食脱落させてしまうのが原因かもしれません。ボンネットで覆われているタイプの古い安全燈はその点、金網上部の喪失率はさほど高くありませんし、たとえ金網が喪失していても外観的にはわかりませんし。
 このクラニー燈は油壷を外してもどこにも刻印のようなものがありませんでした。リードリベットロックのリング外周に番号札のようなものがロウ付けされていたような痕がありましたが、銘板などが付くスペースもありません。英国製の安全燈であればメーカー名や形式くらいの刻印はありますし、よっぽど古い安全燈でないかぎり腰硝子に硝子のサイズや製造元名が焼付ペイントされています。また切れないバイトの痕が残る工作の稚拙さなどから見てもどうもこのクラニー燈は「国産」の可能性が非常に高いように思われました。明治の末には東京に「鉱山燈」を製造している工場が複数存在していましたし、このクラニー燈は早くも幕末には日本に伝来していて、明治一桁台の年代にはトーマス・グラバーの手により高島炭鉱で使用されたことが確認されていますので、クラニー燈の国産化は割りと早くから行われていたのかもしれません。しかし、より安全なウルフ揮発油燈が発明され、主要炭鉱では揮発油燈が大量に使用されるようになったことから日本の鉱山燈製造工場も国産の揮発油燈製造を試みますが、結局は横田式などのオリジナル品製造販売の江戸商会を圧倒し、輸入の揮発油をも駆逐したのは節操なくウルフ揮発油燈を完全複製した本多商店の「本多式揮発油燈」だけです。
 このクラニー燈の構造ですが吸気は上部の金網から腰硝子の周りを伝って芯にともった炎に吸気し、排気は金網の上部から抜けてゆくという単純な構造です。また腰硝子と金網はアスベストのパッキングを介して気密を保っていますが、腰硝子はガードピラー根元のリングの内側に切られたねじリングによって金網側に締め上げられており、油壷と分離したときに腰硝子が落ちてくることがありません。このあたりは横田式などと同様に油壷とガードピラーリングの間の気密性に問題があり、直方の安全燈試験結果を見ても「危ないから使うな」とでもいうような試験結果しか残っていません。ところでこのクラニー燈には坑木に打ち込むための鉤(ひあかし棒=火明し棒)が別途取り付けられていましたが、これは金属鉱山同様の裸火のカンテラ時代に作られたものを安全燈に流用したもので、鍬や鎌を作る野鍛冶の手によるものから鉱山の営繕場(主につるはしなどの焼きいれなどの仕事場)で作られたものまで多種多様のものがありますが、金属鉱山ではカーバイドランプに取り付けられたものが良く残っています。
そしてこのクラニー燈が国産である証拠をついに見つけました。笠のところに「CHONO TOKYO」?とでも判読できそうな刻印が打たれていたのです。さらにNの活字が裏返っているのはさすがは明治時代の産物とでもいうべきものなのでしょうか。これで確かにクラニー燈あたりの旧型安全燈は輸入品だけではなく国内で製造されてきたことが証明されました。この刻印がどういう会社のものだったのか調べがつきませんでしたが、小柳製作所にしても本多船燈製造所にしても大正初期でたかだか従業員数20名の会社ですから同程度の金属加工業者なことは確かでしょう。
打刻が不鮮明で判読しにくい「CHONO TOKYO」の正体を知ろうと、またしても大正4年版の東京府工業統計をくまなく探してみても鉱山燈に関連する工場は小柳金属品製作所と本多船燈製造所のほかはカーバイド燈製造の東京旭商会工場くらいにしか行き当たりません。それで刻印を再度いろいろな角度から検証するとどうも「T.HOND TOKYO」と見え始めてきました。語尾にあるべきAが判読できませんが、となるとどうやら明治時代に東京は京橋区本八丁堀五丁目にあった当時の名称が本多船燈製造所(当時はまだ個人商店)、後の本多電気が製造したクラニー燈であるということになります。大正4年の事業主は本多敏明、従業員は21名で、工場の規模としては佃島の合資会社小柳金属品製作所とほとんど変わりません。当時の本多船燈製造所は自前の揮発油燈開発をせずに後にドイツのウルフ揮発油燈を節操なく丸パクリし、国内の炭鉱に大量納入して企業基盤を作り、さらには帽上燈などの電気照明に進出するのですからさすがというかなんというか…。とはいっても国内の炭鉱資本からウルフ揮発油燈と同じものを安く納入出来たら大量発注するというような働きかけがあったことは確かでしょうし、この時代の日本では舶来品の丸パクリがいけないことという意識はまったくなかったはずです。むしろ舶来とまったく同じものが製造できたということが、技術力の証とされていたのかもしれません。しかし、直方の安全燈試験場の試験結果をみると当時の本家輸入品ウルフ揮発油燈と国産本多式揮発油燈との間には材料や工作精度などの問題か、防爆性にあきらかに差があったようです。さて、北海道に限らずこのクラニー燈やカーバイドランプ、発破の穴繰りに使うせっとうや鏨、採炭に使用した片鶴嘴などの古い鉱山の道具類などは全国的によく農家の納屋の中から発見されます。それだけいにしえの日本には鉱山が無数に存在していた証拠なのですが、今みたいにホームセンターに行けば必要な道具が手に入る時代と違って、こういう鉱山払い下げの道具類を扱うぼろ市のようなマーケットが存在していたのでしょうか。このクラニー燈があった4代続いたという深川の農家も、昔は提灯代わりに水田の見回りなどの用途で活用していたのかもしれません。通常は棒芯が使われたものですが、このクラニー燈の芯は晒し布が丸められたもので代用されていました。


| | | Comments (0) | TrackBack (0)

December 11, 2011

A.W.FABER Nr.369 5"マンハイム型計算尺

 明治から大正初期にかけて日本では主に玉屋商店や中村浅吉商店等によってドイツやアメリカの計算尺が輸入され、機械電気土木工学の技術者によって使用されました。その殆どはマンハイム型の簡単な計算尺ですが、当時の商品目録を見るとメーカー名は特に記載されていないようです。そして目録を見る限りは玉屋がA.W.FABER、中村浅吉商店がK&Eを扱っていたようです。まだ国産のHEMMI計算尺が量産化にはほど遠いような時期で、形態的にもA.W.FABERやK&Eのコピーで、素材に竹を使用したという意外に目新しさなどなかった時代のころです。それ以前は当然の事ながら帝大出身者が欧州や米国に留学し持ち帰った計算尺を見た国内の技術者が玉屋や中村浅吉商店などに計算尺の輸入を持ちかけたのでしょう。当時の計算尺の販売価格を見ると5インチ計算尺で3円ほど、10インチの片面計算尺で7円ほどとなっています。物価の上昇などもあり一概に比較できませんが大正末年から昭和初期にかけてのHEMMI計算尺の価格とだいたい同じです。今回広島の呉から入手した5"マンハイム型の計算尺はA.W.FABERの369で、箱や裏側の形状、ならびに「MADE IN BAVARIA」の刻印などを見ると、第一次大戦以前に製造されたものであることが推察できます。この369は大変に古く、おおよそ19世紀末から1934年あたりまで製造された計算尺で裏側の形状や換算表の有無、カーソルの形状の違いや刻印、ケースの違いなどかなりのパターンがありますが、さすがに国内でこれらを集めるにはその入手先として海外へ矛先を向ける必要があります。
材質はマホガニーのような南方材とは異なる柘植っぽい材木で、狂いを防ぐためかヘンミのポケット尺なんかとは比べ物にならないくらいの分厚い計算尺です。滑尺との隙間調整のために金属板が中に仕込まれています。同時代のNestler製5"計算尺を持っていますが、それよりもさらに肉厚です。A.W.FABERの同年代片面尺の特徴として滑尺溝にスケールが刻まれていて、物差し代わりに滑尺を引き抜いた状態の計算尺全体の長さがわかるようになっている仕組みはJ.HEMMI時代の計算尺がオリジナルではなく、J.HEMMIがA.W.FABERをその部分までそのままコピーしたことに他なりません。また、カーソルもJ.HEMMI初期のアルミスクエア枠カーソル同様のもので、A.W.FABERとしてもとても古いものであることがわかります。
この369が国内で使用されたという証拠として、ケースの蓋を抜いた余白に表、裏という漢字まじりで三角関数の操作法がペン書きされていたことがあります。約100年も前の技術者の覚え書きなんでしょうね。呉の海軍工廠勤めの技術将校あたりの持ち物だとすると、当時英国戦艦ドレッドノートの出現によってそれを上回る超ド級戦艦の必要性から後の八八艦隊あたりの戦艦・巡洋艦の設計の一部なんかを計算してたのでしょうか。
 ところでこのA.W.FABERの5インチマンハイムタイプ計算尺は鉄骨構造設計を多く手がけた内藤多仲博士が長年愛用し、四ツ木のお化け煙突から東京タワーまでこれ一本で強度計算などを行ってきたものと同型だと思われます(ただし、位取りカーソル付?)。以前「内藤多仲と三塔物語」と銘打った展示会で内藤多仲愛用の計算尺として8インチのHEMMI学生用計算尺が展示されていたことで、東京タワーを設計したのはHEMMI のNo.2640というように誤って伝えられていましたが、生前の新聞インタビューなどで内藤多仲が大正2年頃に恩師佐野利器博士から欧州外遊の独逸土産として小型計算尺を貰ったものをその後50年にわたって使い続け、その間に各地の高層鉄塔や鉄骨建造物の設計をこれ一本で行ってきたということが明らかになっています。内藤博士曰く「この計算尺は船頭の櫂のようなものだ」そうです。ただこの計算尺が何だったかは確定的にわかっていないので、A.W.FABERだったのかNestlerだったのか、はたまたぜんぜん違うメーカーの計算尺だったのかはわかりません。しかし、そんなことを気にするのは計算尺コレクターくらいなもので、内藤博士にとってみれば「弘法筆を選ばず」のごとく、それがどこの製品であったかなどということはどうでもいい問題だったのでしょう。
Aw_faber369
A.W.FABER Nr.369(上)とNestler Nr.12(下)との表裏比較です。

| | | Comments (0) | TrackBack (0)

December 10, 2011

有価証券利廻計算器

Photo まるでコンサイスで作られた換算尺のようなセルロイド製の円形計算尺ですが、こちらに届くまでは厚紙で出来ているのではないかと思ってました。この手のものは戦前に尺貫法からメートル法への切換え時に「換算尺」として各種円形計算尺が作られましたが、有価証券利回り計算に関する計算尺は初見でした。見てのとおり逆に活字が印刷されていますし、東京都日本橋区兜町の表記でもわかるとおり、戦前の製品になります。証券会社のノベルティー品として作られた計算尺で、大東証券株式会社の文字が逆に印刷されていますが、最近大東証券の名前を聞かないと思ったら、旧富士銀行系の大東証券は山一證券破綻から始まった証券業界再編成により旧第一勧銀系勧角証券のみずほインベスターズ証券と合併して、大東証券の名前は消滅してしまいました。縦12.7cm横9.3cmの台に直径6cmの円形計算尺が乗っているもので、円形部分の表面に使用法が印刷されています。実用新案の出願番号第20515号が印刷されていますが、この手の計算尺は明治大正期から類似のものが各種出願されているので、実際にパテントが取れたかどうかはわかりません。入手先は愛知県の西尾市からで戦前のものですから台のセルロイドは湾曲してしまっています。まあ、今の世の中では利用価値がない計算尺ですが、なかなかこういう用途が限られる計算尺は捨てられる運命にありますからたとえ今は利用価値がなくとも拾っておくべきでしょう。価格は300円でした。これが1000円でしたらスルーしてしまったはずです。


| | | Comments (0) | TrackBack (0)

December 09, 2011

RICOH No.533 5"ポケット計算尺

 RICOHの計算尺の中ではなぜか珍しい5インチプラ尺のRICOH No.533です。見てのとおりHEMMIのP35と同じ尺種類を持つ計算尺で、滑尺の裏はブランクです。P35同様に企業ノベルティや記念品などに特化した計算尺で、今回の計算尺も旧石川島播磨重工(IHI)のノベルティです。計算尺裏に黒くIHIのロゴが入り、黒合皮のケースにはIHIのロゴが金箔押しになっています。このNo.533はケースが何パターンかあったようで、今回のものはわりとましなケースですが、通常は臙脂と透明ビニールの張り合わせケースに入っています。どっちみち特注扱いで印刷を入れさせていたわけですから当然ケースもチョイス出来たのかもしれません。このプラ尺ですが、HEMMIのプラ尺同様に山梨技研系のOEMを匂わせる計算尺です。HEMMI No.P35のほうが先輩格らしく山梨系プラ尺の改良の進展とともに数種類のパターンがあるようですが、おそらく後発のRICOH No.533のほうはこのタイプしか見たことがありません。RICOHの5インチプラ尺は他にNo.537くらいしか思い浮かびませんが、こちらはHEMMI P2634の類似とでもいうべき計算尺で、ちゃんと滑尺裏に三角関数尺がありますし、上固定尺にはスケールが刻まれています。価格も当然No.537のほうが高かったのでしょう。ところで、このNo.533は市販の状態で見つかることがない計算尺なのですが、もしかしたら特注扱いのみの販売で、発注を受けるとそのつど、その分だけを山梨に発注していたのでしょうか。そうなると自分のところに在庫を置いておく必要がありませんし、商品種類は増やすことが出来ますし、発売元に限っては実に都合がいいはずなんですが、その分メーカとしてのポリシーがまったく感じられない計算尺なわけで…。尺配置はK,DF,[CF,CI,C,]D,A,の7尺で一般的な√10切断のずらし尺になっています。カーソルはプラスチックの一体型ですが、まるでFUJIのNo.2125C/Dのような断面がカマボコ状になっていて、これで少しは目盛りが拡大されて見えているような、そうでもないような。入手先は福岡筑豊はいにしえには中小の炭鉱がひしめき合っていた田川郡の川崎町からでした。よくありがちなスケールやコンパス、烏口などに一点だけ混じっていたものです。
Ricoh_no533


| | | Comments (0) | TrackBack (0)

RICOH No.107 電気用計算尺

  このRICOH No.107は一昨年入手したことさえすっかり忘れてしまって、いままで放り出していたものです。言わずと知れたRELAY/RICOHの数少ない片面特殊計算尺のなかでもNo.107は電気用で、HEMMIのNo.80Kの競合商品なのですが、日本の計算尺の中でも数少ないダルムスタッドタイプの計算尺で、それだけはオリジナリティーを感じさせます。そのルーツはダブルスターRELAYの昭和20年代末期までさかのぼりますが、もしかしたら戦中戦後のアイデアルRELAYの時代にも型番は同じで微妙に異なる、おそらくHEMMIのNo.80そのままに近いようなNo.107があったかもしれません。というのも戦中航空尺にNo.109というのがあるので、No.107がすでにあってもおかしくはないのです。今回のはRICOHブランドのものですが、数年前すでにRELAYブランドのNo.107を入手しており、刻印などの比較が目的で入手したものです。カーソルフレームに切れが生じており、未使用ながらジャンク扱いの1,000円即決で入手したと思います。HEMMIのNo.80Kなどと異なり、このNo.107は補助カーソル線もなくNo.116などと共用なので、100円ほどで以前入手したNo.116のカーソルを流用してまともな一本ができあがりました。うちには同一型番の計算尺ながらRELAYとRICOHの双方が存在する計算尺が何機種かあり、比較するとRELAY時代には逆尺の目盛も数字も赤で刻まれたものがある(No.84やNo.116等)のに対してRICOHブランドになってからは逆尺は目盛が黒で数字だけが赤というものが殆どで、いささか地味になってしまった計算尺が多くなった感がありますが、このNo.107はRELAY時代から逆尺も数字だけ赤で目盛も黒です。また、数が月前ですがNo.107としては3本目となるRICOHのNo.107を入手しました。というのも競争相手がなく300円で落札出来てしまったからですが。こちらは掲載写真にケースがなかったため、計算尺のみだと思っていましたら、ちゃんとケース付きで送られてきました。ところが箱はRELAYの箱でした。RELAYからRICOHに変わるRELAY端境期にはこういうことがよくあったようで、他の計算尺でもRICOHの箱にRELAY刻印の計算尺が入っているなんて例はこの時期にはよくあることです。RICOHのほうのNo.107は刻印L.S-3で昭和38年3月製、RELAYの箱に入ったほうはL.S-1で昭和38年1月製です。ちなみに一番最初に入手したRELAY刻印のNo.107はJ.S-3で昭和36年1月製でした。ところで、ダブルスターRELAY時代の輸出用片面電気用にNo.E-1001というものがあり、当方の手元にはないのでなんとも確証はないのですが、こちらはダルムスタッド型ではなく、むしろこちらが尺のレイアウトなどの違いがあるにせよ、機能的にはHEMMI No.80に限りなく近い電気用片面尺だったようです。先行して入手したNo.107は愛媛の松山から。後から入手したNo.107は大阪の枚方市からでした。
Ricoh_no107


| | | Comments (0) | TrackBack (0)

☆Relay☆ B-1006 事務用計算尺

最近はなかなかオークションで計算尺を落札することが出来ず、半年以上も間が空いて入手したのがこのダブルスター時代の輸出用形式名が入ったRelay B-1006で、日本市場向けの型番はRelay No.114になります。この時代のRelay No.114は3年ほど前に入手済みですが、一般・事務用の√10切断ずらし尺を持つ計算尺です。いうなればHEMMIのNo.2664Sの前身モデルであるNo.2664の後期モデルのデッドコピーに近い計算尺ですが、確か滑尺裏の三角関数尺が逆尺というのがHEMMIのパテントだったようで、Relayの計算尺は順尺であるという差があります。又、昭和30年代に入ってからのRelay No.114とは表面デザインに相違があり、後のNo.114はCF,DF尺に延長部が加わり、CI尺全体が赤いデザインに変更になりました。以前同時代のNo.114を入手したことがありましたが、材質刻印その他に差異は認められません。しかも輸出用の品番なのに上部のスケールがメトリックになっています。このB-1006のBは「BUSINESS」の略で、日本の計算尺の分類上からゆくと「事務用」という扱いです。この輸出用の品番を持つRelayの計算尺は国内向けの品番にまったく同じものがあるのにもかかわらずなぜか国内に出回っていて、なぜこのようにNo.114とB-1006の両方が国内で販売されていたのかわかりません。ただし外箱が違い、30年代初期までのRelay No.114はあまり耐久性の良くない紫の紙箱で、B-1006のほうはHEMMIそっくりな緑の貼り箱に入っています。また後のRelay No.114とは裏側の鋲の数が異なります。ところで今回のB-1006は製造年月を表す刻印がどこを見てもありませんでした。入手先は東京の中野区からです。
Relayb1006


| | | TrackBack (0)

« October 2011 | Main | January 2012 »