ARRAS安全燈(ARRAS Lampe de Mineur 炭鉱用カンテラ)
この安全燈は北海道内から出てきた代物ですが、このような見たこともない形式の安全燈を道内のどこかの炭鉱が使用していた事実はないはずだと一瞬わが目を疑いました。形式的には下に吸気リングを有するウルフ揮発油燈の変種なのですが、再着火装置のつまみが油壷の横からはえています。またこのような揮発油燈は日本の文献には一切紹介された事がありませんし、日本の炭鉱で使われた輸入の安全燈類は研究用を除き英米独の3国以外から輸入された形跡がありません。となると、この3国以外で製造された安全燈ではないかということで調べた結果、どうやらフランス製の安全燈ではないかということになりました。ところが刻印が一切無いのでメーカーや形式を判断するすべが無く、まして英語で検索してもイギリスやアメリカの安全燈は山のように引っかかりますが、フランスやベルギーおよびオランダあたりの安全燈はまったく引っかかってきません。イギリスの国民性なのか産業革命の要となった石炭産業を誇りにする人々が多いらしく、産業史としての炭鉱研究が非常に盛んなのにくらべて、フランス人の合理主義から炭鉱の歴史などは見向きもされないのかと思って試しに仏語で検索を掛けるとイギリスに勝るとも劣らない炭鉱関連の記述がヒットしました。フランスでも重工業発展の糧になった石炭産業は特別なリスペクトを持って研究が進んでいるようです。それにくらべて日本では炭鉱の興味の対象が廃墟マニア的な視点からのものが多いようで、石炭産業に対するリスペクトの度合いが薄いということが欧米とは大きな違いになっているような気がしてなりません。廃墟を見てそこに携わった人間の生活を見ずというところでしょうか。
フランスの炭鉱はベルギーと国境を接する北東部のノール=パ・ド・カレー地域圏に集中しているようで、ここは石炭と鉄鉱石を武器にして重機械工業が古くから発達したようです。そのためか第一次大戦と第二次大戦では開戦初頭からドイツ軍の戦略目標となり、特に第一次大戦では西部戦線の主戦場となって塹壕戦が繰り広げられた場所になります。また北部のダンケルクはドーバー海峡を挟んでイギリスと接しており、ドイツの電撃戦によって南北に分断された連合軍が大量の物資を放棄してここダンケルクからイギリス本土に撤退しました。そのノール=パ・ド・カレー地域圏の炭鉱地帯に近い町にアラスという町があり、その町の名前が由来となったのかARRASという会社が各種油燈安全燈やカーバイド式安全燈、ウルフ式の揮発油燈からシェノー式検定燈まで幅広く製造していたようです。ややこしいことに最近亡くなった音楽家モーリス・アンドレの生まれ故郷、南仏にアレスという町があり、ここにも以前は炭鉱がありましたがノール=パ・ド・カレー圏のアラスとは綴りが異なります。ちなみにフランスではドイツ同様に大戦後になっても揮発油燈が照明としての用途で1960年代まで使い続けられたようで、そのため揮発油燈自体の製造も1960年代まで続けられたようです。このウルフタイプのARRAS揮発油燈は第一次大戦前から1960年ごろまで長期間にわたって製造されたようでロックシステムなどにいろいろなパターンがあります。今回は一般的なウルフパテントによるマグネチックロックですが、中にはガードピラーリングに切込みが入っていてそこに油壷から伸びたブラスのスライダーをかみ合わせてロックするというリードリベットロックの変形版も存在します。本家ウルフ揮発油燈と異なり薄い平芯を使用していて幅が17ミリほどあります。さぞかし明るい安全燈だったのでしょうが、揮発油燈の平芯は少数派ということもありかなり燃費は悪かったと思われます。油壷の横に着火装置のつまみが飛び出していますが、後期のウルフ燈と異なり、発火合金を使用したライター式の着火装置ではなくむしろ前期のウルフ燈のようにパラフィンワックス式の巻き玉火薬のようなテープマッチを使う摩擦発火装置が仕込まれています。妙に黄色っぽい腰硝子が付いていると思ったら、なんと高級クリスタルグラスメーカーのバカラ社のマークが入っていました。このバカラの腰硝子というのは特別な存在ではなく、フランス製安全燈には広く使用されていたようです。世界的な名工房の名に恥じず、安全燈の腰硝子にしておくのはもったいないくらいの名品です。ボンネットトップと油壷側面に37番のピットタッグがロウ付けされていました。丸型ボンネットは一般的な黒のエナメル塗装ではなく儀杖隊のヘルメットのような銀メッキです。世界的にも地下の坑道で炭塵にまみれる安全燈に銀メッキをあしらうなどということをするのはフランスくらいなものではないでしょうか。また揮発油燈としてはかなり背が高く、通常は25.4センチ(10インチ)のものが多いのに対してこの安全燈は28センチほどもあります。このARRAS安全燈の形式はTYPE Cとなるようですが、フランス製の安全燈に関してはまだまだ勉強不足な点もあり、これからの研究課題とさせていただきます。ところで明治大正期に輸入実績が見受けられず、直方安全燈試験場の安全燈試験場のサンプルにもフランス製安全燈が見当たりません。おそらく初期の安全燈の輸入は三国干渉の当事国であったフランスからわざわざ本家ウルフ燈の亜流の安全燈を当初から排除し、アメリカ・イギリスおよび機械輸入で実績のあるドイツの三国からの輸入に限られたのかもしれません。そのようなことから輸入実績の無いフランス製安全燈が道内から出てきたことに関して売主に念のため確認すると、想像していたとおりフランスから輸入した雑貨類のなかに混じっていたということでした。どうやら純粋にフランス本土の炭鉱で使用されたもののようです。その話を聞いてちょっとだけ興味が薄れてしまいました。
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