J.HEMMI No.1の末期型
J.HEMMI時代の計算尺はすでに十数本が集まり、大正15年からHEMMI "SUN"に商標が変わる昭和4年ころまでの目まぐるしく変化した仕様の変遷が系統的に解明できるほどになりました。しかし、なぜこの数年間にこれだけの仕様変更が行われなければならなかったのか、その理由はいまだに判然としませんが、おそらくコピー元のA.W.FABERの仕様変更を受けて旧態依然なスタイルからの脱却を段階的に行った結果ではないかと思います。今回入手したJ.HEMMI刻印の逸見式改良計算尺は元来はNo.1でフレームレスカーソルが付いていたようです。さらに同時に出品されたものから推察すると福岡あたりのかなり老舗の文房具店に見本として置かれていたものではないかと思われます。そのため、長年の陳列の結果か、フレームレスカーソルの樹脂部分の加水分解でカーソル自体が失われたようで、なんとオキュパイド・ジャパン時代の改良A型カーソルに交換され、箱自体もオキュパイド・ジャパン時代の黒貼箱の中に入っていました。しかし、人手に渡って実用に供された計算尺ではなく、見本として長年置かれていた証明として経年ですすけている以外は驚くほどきれいなJ.HEMMI時代の計算尺でした。又、裏の換算表が一部破れていたり失われているものが多い中、このJ.HEMMI計算尺は完璧な状態で残っていました。
形態的には昭和2年から3年にかけてのもので、最終型のJ.HEMMI No.1が後のNo.47のようにA尺B尺にまで細かく数字を刻む目盛りなのに対してこちらのほうが目盛りの刻み方が以前のJ.HEMMI計算尺にほぼ等しく、しかし、尺の種類を表すA,B,C,D,の記号が刻まれ、セル剥がれ留めの鋲がスケール部分からは消え、固定尺と滑尺の左右3箇所つづの合計6本であること。裏側が竹のむき出しではなくセルの平貼りでカバーされていること。裏板は最終の厚いアルミ製ではなく以前と同じ銅板に錫鍍金で副カーソル線窓がオーバルであることなどの特徴があり、最終型の一歩手前の仕様である事がわかります。ちなみにJ.HEMMIからHEMMI "SUN"に変わる直前のNo.1は目盛りの切り方がそれ以前のものとまったく異なり、一見するとNo.47のようなものになり、バックプレートもアルミの分厚いものに変化し、裏の副カーソル線窓もオーバルから「⊃⊂」に変化します。それはHEMMI "SUN"の時代にNo.1/1として継承されますが、主に輸出に回ったようで、国内販売の主力は大正13年型のNo.102からHEMMI "SUN"時代に品番が変わったNo.50/1のほうにシフトしたようです。
今回入手したJ.HEMMI No.1は上がインチスケールで下がメトリックスケールで滑尺を抜いたバックプレートにはメトリックスケールというモデルですが、同じく国内販売ものでも上がメトリックスケールで下がインチスケール、バックプレート部分がメトリックスケールなどというものもあり、仕様は一貫していません。参考までにかなり以前に入手したJ.HEMMI時代の最終型も一緒に掲載しておきますが、こちらもフレームレスカーソル付きだったらしく、カーソルが分解して改良A型カーソルに付け替えられてました。
参考のためにJ.HEMMI No.1の2パターンを掲載します。上が今回のもので下がJ.HEMMI刻印の最終型。この間に目盛りの刻み方が根本的に変化しているのがわかります。上のモデルの裏面副カーソル線窓はオーバルで、下のモデルは⊃⊂。裏の金属板は上が銅板錫鍍金で下のモデルは分厚いアルミ板。ケースは双方とも長いフラップケースの同一のものを使用しています。双方ともオリジナルはフレームレスカーソル時代のものですが、ばらばらになってしまったためか後の改良A型カーソルに交換されています。
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