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May 04, 2012

東洋特専興業 Ideal Relay No.109 航空機用計算尺

Photo  金属品枯渇をきたした太平洋戦争末期、ついにリレー計算尺の製造元である東洋特専興業の計算尺に竹を組み合わせた竹枠カーソルが登場します。しかし、ヘンミ計算尺では終戦までカーソル枠が代用品になったことはありませんでしたが、やはり金属品の入手には相当苦労したようで、No.2664などは戦争の進展にしたがって裏板の構造が目まぐるしく変化しており、このあたりの戦時尺のバリエーションには興味が尽きません。ヘンミ計算尺に関しては砲兵計算尺や苗頭計算尺などの軍用計算尺の製造に関っていたため、金属材料の特別配給を受けることが出来たようで、わざわざカーソルを竹にすることまでしなくても済んだようですが、終戦直前の計算尺のカーソル枠は銅合金に鍍金ではなく、鉄板プレス製のものがあったようです。ともあれ、本物の軍隊のほうでも銃剣の鞘が竹になったり、警防団のヘルメットが竹になったり、コンクリート橋の鉄筋代わりに竹筋が使われたなどの例があり、陶器などと同様に竹もまた金属の代用素材として広く利用されたようです。Bamboocursor_2 しかし、竹製カーソル枠というのは終戦前のごく一時期にしか使われなかったようで、外国のコレクターの元にある東洋特専刻印のものと、今回のものしか竹枠カーソル付計算尺を知りません。やはり代用品は代用品に過ぎませんので、ばらばらになってしまって戦後に金属枠カーソルに付け替えられてしまったのが後に残らなかった原因でしょうか。ということは、戦後になってまったく利用価値がなくなってしまい、どこかに仕舞い込まれでもして忘れ去られたものにしか残っていないというのが道理になります。今回はそのパターンの計算尺ですが、他にも理研光学販売の戦時尺でカーソルが無かったものが手元に一本ありますが、こちらも竹枠カーソルが付いていたものがばらばらになって失われたものではないかと推測してます。ゆえに「少ない」というよりも「残らない」というのが正解なんでしょう。
 ところで今回福岡から入手した東洋特専興業の10インチ尺は竹枠カーソルに目がくらんで入手したものですが、落札したあとに何かおかしいと思ったらどうやら数年前に名古屋から入手したIDEAL RELAYのNo.109ではないですか。写真が不鮮明だからよくわかりませんでしたが、よくよく見たらちゃんと飛行機マークが刻まれています。どっちみち大変に希少な計算尺には違いありません。前回名古屋から入手したNo.109は時代も正確な用途もよくわかりませんでしたが、どうやらこの計算尺はピトー管圧力と速度の関係などの計算に特化した航空用計算尺だということをYOSHIさんからご教授いただいたため、その後調べたところによると、このNo.109の原型はHEMMIの特殊計算尺を多数設計した平野英明氏が昭和14年に設計した「航空機計算尺」らしく、HEMMI製の現物はみたことがありませんのでIDEAL RELAYのNo.109と比較するわけにはいきませんが、戦争遂行のため軍需省の圧力でもかかったのか、それを理研光学の市村氏の東洋特専興業にも製造させたというのがこのIDEAL RELAY No.109 航空用計算尺ではないかと推測してます。ただ、ヘンミの航空機用計算尺No.500は5インチのポケット型で、明らかに長さは別物ですが。このNo.109はナビゲーションで使用するのではなく、航空工学用としての用途が主で大戦末期の空襲によって航空機工業が徹底的に破壊されたのと共に焼けてしまったものが多かったことと、さらに連合軍によって航空機工業は真っ先に接収をうけ、戦後は航空機は飛行させることも製造することも禁止されてしまったために世に残ったNo.109は打ち捨てられて、砲兵計算尺や苗頭計算尺などとともに戦争協力計算尺として計算尺界から公職追放になったのかもしれません(笑)
 また前回のNo.109は名古屋近辺から、今回は福岡と共に戦時中は航空機産業の盛んだったところ。福岡といえば戦時中12万坪という広大な敷地で各種の航空機の生産を行い、哨戒機東海や局地戦闘機震電などを製造・試作した九州飛行機がありましたが、この九州飛行機の設計部門の備品だったと考えると福岡にあった理由というのわかろうというもの。現に備品番号らしきものが書かれており、到底個人所有の計算尺には見えません。九州飛行機の前身は渡辺鉄工所で、航空機産業としては新参ものだけに独自の設計ノウハウを持たず、渡された設計図による補助軍用機(零式水偵や機上練習機白菊)等の製造に終始した感がありますが、九州飛行機は終戦直前には近隣は元より熊本や奄美大島あたりから勤労動員で招集された学生女学生を含む5万人の従業員を抱えていたそうです。その九州飛行機のどこかの分工場で、この計算尺を使用し、震電試作機のピトー管周りの手直しなんかしていたなんて想像するだけでも興味深いことです。また、後のリコー計器の社名につながるように、東洋特専興業では佐賀市で航空機部品も製造していた関係で、そもそもは自社用の航空工学計算尺が後に計器納入先の要望もあって商品になったのもがNo.109なのかもしれません。そうなると東洋特専興業は航空計器設計者を抱えていたわけですから、この手の計算尺設計は自社で可能なわけで、基本はHEMMIの航空計算尺ながら独自のアレンジを加えられた別物なのかもしれません。実際の出自は出品者から後に詳しくお聞きしましたが、当たらずも、あながちまったくの見当違いではありませんでした。   
 ところで、前回のNo.109は「理研光学工業株式会社発売」の文字が、今回のものは「東洋特専興業株式会社製造」の文字が刻まれていてこの部分が異なりますが、速度や距離の単位系や尺の種類およびゲージマークなどにまったく差はありませんでした。またケースは理研光学発売ものが黒の戦前HEMMI計算尺そっくりの楕円断面の蓋付きケース、今回の東洋特専ものは他の戦時尺同様に蓋なしのサックケースでした。すっかり退色してしまってますが、元のケースの色は戦後20年代のRELAY計算尺同様にむらさき色だったようです。カーソルは理研光学発売ものがHEMMIのA型カーソルそのままの逆Cカーソルが付属し、今回のものは見てのとおりの代用品竹枠カーソルです。裏板は双方ともにアルミ板でしたが、理研光学製造ものが腐食で今にも崩れそうだったのに対し、今回のものは良好でした。裏板固定の鋲は片側8本で差はありませんでした。また、今回のものは戦時尺らしく換算表は前回と同じ内容ですが、コーティングもないただの印刷された紙が貼り付けられていました。また裏板に双方ともIDEAL RELAY #109のオーバルシールが残っていますが、理研光学発売物には「ノット」の小文字があるのに、今回のものにはありません。速度系の単位が異なるのかと思ったら、刻印に特に違いはありませんでした。当然のこと理研光学発売ものが古く、限りなく終戦に近い時期に製造されたのが今回の東洋特専もののようです。また100から116まで続く一連のRELAY計算尺のなかでNo.109がまったく知られていないというより戦後に製造が継続されなかったのは、GHQの命令により航空産業が解体され、大学の航空工学科も閉鎖されたために需要が途絶えたというのが真相らしいのです。また多くのNo.109は連合軍に戦争協力者として罪に問われることを恐れた航空技術者により終戦時、多くの航空機研究資料や設計資料とともに燃やされてしまったらしいです。そのために元来数が少ない計算尺であったこともあり、欧米の計算尺研究家の手元にもなく、世界的にもまったく知られていないということなのでしょう。これはHEMMIの航空計算尺も同様で、しっかり昭和15年ごろの価格表には新発売と掲載されているものの、現物はまず見つかりません。
Idealrelay109

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