A.W.FABER Nr.378 10" 電気用
FABER CASTELL時代のプラ計算尺は接着剤のセメダインが代理店となって日本に流通していたのは昭和30年代末から40年代初めのようですが、そもそもFABER CASTELLの前身、A.W.FABERの計算尺は計測器の玉屋商店を通じて明治末から大正初期の第一次大戦前まで日本国内に流通していたようです。今回入手したA.W.FABERが第一次大戦前に製造したNr.378で、玉屋が輸入したものか、持ち主が独逸留学でもしたときに入手したものかはわかりませんが、明治・大正初期の書籍などとともに讃岐の旧家から出てきた純粋に国内ものの計算尺です。このA.W.FABER Nr.378は初期型と後期型があるようで、初期型は延長尺なしでアルミフレームカーソル1本線ですが、後期型は延長尺ありで3本線カーソルのようです。今回のものは初期型ですし、第一次大戦とともに輸入が途絶えるため、明治後期から大正初期にかけてのものであることは間違いなく、そうすると少なくとも100年は経過している正真正銘のアンティーク尺です。ヨーロッパのコレクターの分類からすると、1910年から1912年にかけてしか出回っていないレア物のようですが、Nr.378という名前よりも、逸見次郎がこれをカーソルの形状までそのままデッドコピーしてNo.3電気尺を製造し、独逸から計算尺の輸入の途絶えた連合国側に広く輸出したことから「J.HEMMI No.3のコピー元」としての認知度のほうが高いかもしれません。J.HEMMIのNo.3が製造されたころにはすでに本家のA.W.FABERでは電気尺がNr.398にモデルチェンジし、CI尺の逆尺を備えたものとなりますが、J.HEMMIの逆尺はいわゆる大正15年型計算尺の出現を待たなければいけません。
話はA.W.FABER Nr.378に戻りますが、この計算尺は前述のとおり讃岐のさる旧家からの買い取り品ということですが、とても100年を経過した計算尺とは思えないような良好なコンディションです。どうも長年に渡って使用されたという形跡がありません。こういう100年を経過した計算尺にもかかわらず、計算用具として使用された経年を感じさせない計算尺の常として、どうやら持ち主か若くして夭折してしまったために、その後も計算尺として使用する人間も居らず、そのままの状態で残ってしまったということなのでしょう。帝大を卒業したが結核に罹って故郷の讃岐に無念の思いで帰省し、惜しくも20代でこの世を去った若き電気技術者の忘れ形見、なんて考えるとちょっと複雑な心境になります。
素材は英国尺と同じマホガニー材を使用しているという先入観がありましたが、この当時のドイツ尺はさすがに南方植民地からマホガニー材が豊富に入手できる英国と違って本国周辺で入手できる最適材を使用したようで、材料は一種の梨系材・西洋梨材だと聞いたことがあるような気がしますが、よくは知りません。しかし梨系といっても花梨だったら三味線の棹にも使いますから狂いが来なくてある程度硬いというのはわかりますが、この西洋梨材は花梨とも英国尺のマホガニーとも違ってきめが細かく明るい色の木材です。当時のNESTLERなんかも同じ西洋梨材を使用しているようです。またセルロイドの剥がれ止めの鋲は金属ではなく木鋲で、金属を使用したヘンミが経年によるセルの収縮によってか鋲付近のセルに欠けが生ずるのに対して木鋲はセルの収縮に対して柔軟性があるのか、セルにまったく欠けも剥がれも生じていないのはさすがだと思います。箱の裏側前面にA.W.FABER製品の宣伝文句ラベルが張り込まれているのですが、この手法も後の逸見大正15年式計算尺ケース裏面ラベルなどの参考にされたのかもしれません。ともあれ、逸見製作所に改組され、宮崎治助や平野英明らの技術者によってオリジナルの計算尺が次々に設計されるまでは、竹製ということ以外はすべて外国製計算尺、特にA.W.FABERの完全なる模倣だったころは疑いありません。それもだいたいA.W.FABERのやることを5年から10年後追いしていたために、常に後塵を拝する結果となっていましたが、第一次大戦のためその間、A.W.FABERの事業が停滞し、その事が逸見次郎にとってビッグビジネスチャンスとなり、逸見改良型計算尺が海外市場を獲得したことは事実です
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