FABER-CASTELL 2/83 NOVO-DUPLEX 両面計算尺
ドイツで250年の歴史を重ねる文房具のトップメーカー:ファーバー・カステルが製造した計算尺はJ.HEMMI時代の逸見式計算尺の原型になったとおり、日本でも計算尺が製造される以前の明治時代後期から一部の技術者や研究者によって留学先のドイツから持ち帰られたり、玉屋商店で輸入されたものが使用されていました。しかし、逸見式改良計算尺の登場と第一次大戦によってファーバー・カステル等独逸製計算尺の輸入は途切れてしまい、その後は専ら計算尺の輸出国となってしまった日本ですが、昭和30年代末期になって突然接着剤のセメダインが輸入総代理店となってファーバー・カステルの計算尺の販売が始まりますが、これは主に計算尺の裏にスタイラス式加算器が仕込まれたポケット尺(67/54R等)がメインだったようで、電卓以前のことですからそれなりに数が売れたようですが、さすがにこのビジネスは長くは続かなかったようです。またこのときに加算器の付かないノーマルの10インチおよび5インチの計算尺もセメダインが代理店として発売されていますが、このときの計算尺は一部が日本で製造されたOEMで、その一部が特別に国内販売されたのではないかと考えています。そうでもなければ高い関税が掛かった輸入加算器付きポケット計算尺が3,400円の定価で販売出来ないと思いますが…。
世界で始めて工業的に鉛筆を量産したA.W.ファーバーが最初の計算尺を発売したのは1882年のことで、戦前まで木製計算尺を主に生産していましたが、意外なことに戦前はすべて片面計算尺の生産に終始していたようで、本格的な両面計算尺の製造に乗り出すのは戦後の1952年のことでした。このときの両面計算尺はすでに塩化ビニール素材のプラ尺です。そのため、どうも道具としての愛着に欠ける感じがしますが、特徴のある両面計算尺が多く特に1962年発売の2/83Nは世の計算尺愛好家から最高峰の評価を得ている計算尺のひとつです。今回入手した計算尺はその末尾に「NEU」の付かない単なる2/83 DUPLEXで、発売は1956年。24尺のLOG-LOG DUPLEXで、その特徴としてW尺という1-10を2分割にし,倍の20インチ相当になる尺が採用されていることで、これによりC尺D尺よりもより高精度な読み取りが可能となるということなのでしょう。1960年ごろより一部の尺を薄緑に着色(ファーバーのシンボルカラーが緑色)され、日本のプラ尺製造メーカーにもすぐに踏襲され、カラフルなプラ尺が次々に登場するさきがけになりましたが、今回のものはそれ以前の白いままの計算尺で推定1957年ごろの製造だと思われます。この2/83はセメダインが代理店になった以前のもので、どういうルートで日本に入って来たのか正真正銘国内で使われたものであり、付属の換算表裏に「使い終わったらケースに戻すこと」とマジックインキ書きされているのが笑えます。説明書が英語ですからアメリカ経由で日本に入ってきたものでしょうか。どういう環境で使用されてきたのかタバコの脂で満遍なくコートされており、塩化ビニール素材の計算尺表面も黄ばんでいて、とりあえず中性洗剤で汚れを落とそうと丸洗いしようとしましたら、なんと目盛溝に埋め込まれている塗料が樹脂の可塑材の影響か軟化しまくっていて融けだしてしまったため、あわてて洗浄を中止してしまいました。この手のプラ尺にはつき物で、以前入手した技研の計算尺も洗浄してしまったら目盛が薄くなって見づらくなったことがありますから、古いプラ尺の扱いは注意する必要があります。カーソルはプラスチック製で、トップのネジを一本外すことによって2ピースに分解することが出来ます。表面はK,T1,T2,DF,[CF,CIF,CI,C,]D,ST,S,P,の12尺、裏面がLL03,LL02,LL01,W2,[W2',L,C,W1',]W1,LL1,LL2,LL3の12尺の合計24尺を備えます。カーソルの表面には5本の副カーソル線があり、裏面は3本カーソル線です。ケースは蓋が透明、底が緑色のクラムシェル型ケースで説明書や換算表などが収まるようになっている形態はHEMMIのP-253のハードシェルケースにそっくりそのままパクられています。目盛の見やすさや尺の配置など大変によくデザインの考えられた計算尺ですが、プラ尺ということで今ひとつ道具としての魅力には欠ける感じがします。この2/83が木製尺や竹製尺だったらもっと魅力的な道具なんですけど、そこが何とも惜しい限りで。入手先は茨城の古河市からで、この近辺には国際衛星通信の送信所が2箇所ありましたので、その備品の一部だったのでしょうか?
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