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May 29, 2013

初代SONYウォークマンTPS-L2の時代

130529_065410  30数年前、というと昭和54年の冬のことでしたが、当方珍しく明確な目的があって出入りしていたガンアクセサリー店で社長に頼み込んで冬休みのアルバイトをさせてもらっていました。確か時給400円で昼間の12時から夜の20時まで店頭に立っていたのですが、その目的というのはちょうど注目され始めていたSONYの初代ウォークマンTPS-L2の購入資金を稼ぎ出すためです。確か12月のクリスマスも近づいた金曜日の夜の事だったと思いましたが、黒い革ジャンを着た長髪でちょっと狐目ぎみの人がスミスアンドウエッソンのNフレーム用のグリップを買いにふらりと来店しました。顔を見たときにただのガンマニアではなく、すぐに漫画家の秋本治氏とわかりましたが、別に本人が名乗ったわけではありませんでしたので、普通のお客として対応しました。当時、Nフレームのグリップはスタンダードなウォールナット材の他に縞の美しいゴンカロとかいうゼブラウッド材のものと製造終了された赤っぽいローズウッド材の3種類が置いてあったのですが、ローズウッド材のNフレグリップは数が少なく一番高い値段が付いてました。もちろん輸入の際は当時の通産省から武器部品として93類だったか96類だっかたの輸入割当を取り、さらにアメリカではココム対象外の銃器部品輸出としてアメリカ政府の輸出承認を受けるという複雑な輸入制度を経て時間を掛け正規輸入されたものです。秋本先生はウォールナットとゼブラウッドの2種類のグリップを買うつもりで来たのでしたが、3個残っていたローズウッドのグリップがどうしても欲しくなり、さりとてゼブラウッドとローズウッドのグリップを買ってしまうと43,000円のところ40,000円しか手持ちがなく、どうしようかしばらく思案していたのですが、社長の特別な計らいで3,000円ディスカウントしてもらい、喜んで2つのNフレグリップを大事そうに持ち帰りました。しかしどうやって電車に乗って帰ったのかは知りません(笑)それ以来しばらく社長に「亀有公園前にグリップを売りつけた男」なんて言われ続けていたのです。
 あけて昭和55年の新年に晴れて初代ウォークマンTPS-L2の購入を試みますが、ちょうどその頃流行に火が着き、秋葉原の量販店では予約しても1ヶ月以上は掛かるという店や予約受付自体現在は受け付けていないという店ばかりでした。ところが蛇の道は蛇で、ソニー製品しか扱わないSAMという店が新宿にあり、そこだと定価販売だが品物が割と頻繁に入荷するのでさほど待たなくても確実に手に入るという情報を「AVはソニーしか買わないソニーマニア」の友人より入手し、その新宿のSAMで予約を入れると2週間くらいで入荷するとのこと。実際は10日で品物入荷案内をはがきでもらいました。定価の33,000円を払って初代ウォークマンのオーナーとなったのですが、当時住んでいた学生寮でもヘッドホンステレオプレーヤーは第一号で、そもそもみなエアチェックのためにチューナーとカセットデッキを競争して買い求めていた時代だったため、録音の出来ないカセットプレーヤー自体、まだまだ注目されていなかった時期でした。さらに生産数がちっとも増えないためか、電車に乗ってもヘッドフォンを掛けている人間が一両に一人いるかいないかの状態で、その後半年ぐらいでヘッドホンを掛け、周りにシャカシャカ音を漏らしている人間が急に増えだしました。ストラップ付きのビニールケースで肩から吊して歩くスタイルというのは今では考えられないダサさでしょうけど、ウォークマンのヘッドフォンを掛けてローラースケートだとかスケートボードに乗っているスタイルというのはまさに夢のアメリカ西海岸でした(と当時の誰もが思っていた)。
 寮でも人気でしばしばいろんな人間に借り出されましたが、電池代に耐えかねてニッカドのバッテリーと充電器を購入。しかし、ニッカドでは1時間弱しか持たないので、ストラップに附属していたカセット2本が入るビニールケースの蓋に予備電池が2本は必ず仕込んで町に出ました。本体のビニールケースはカセットを出し入れするフラップ部分がスナップボタン留めでしたが、このスナップボタンの部分が何回か使用しているとちぎれてしまい、後でケースだけ注文したらフラップのない新しいタイプに変わってしまいました。また本体のカセットを入れる蓋も透明の窓の部分をぶつけてひびが入ってしまったために、部品で新しいものを取り寄せたら「WALKMAN」のロゴが入った新しいものになり、買った当初は初期量産形のTPS-L2だったのに部品交換で見かけが後期形に変わってしまいました。初代ウォークマンは、まだまだポータブルのステレオプレーヤーの機能面が試行錯誤の時代だったからか、ヘッドホンを掛け合った2人の会話のため、外部の音をマイクで拾ってヘッドホンに流すという回路が内蔵されており、一人で使うときは外の音を聞こうと思ったらヘッドホンを外すか音を下げるればいいわけで、当方とて、こんな回路が便利だと思ったことは一度もありません。当初、ソニーでもさほど売れると思っていなかったのか、金型代のかかるプラの成形部品が外装にまったく使われておらず、プレスマンというポータブルレコーダーの金属プレス製ボディが利用されています。その部品構成の複雑さが量産化のネックになっていたのかもしれません。ヘッドホンのコードが長く、常に輪ゴムで止めておかないと邪魔でしかたがありませんでした。ヘッドホンのジャックが2つ付いていて、2人で音楽を聴けるというのが売りでしたが、女の子とデートするためだけにヘッドホンをもう一本買う余裕など当時はまったくなく、デートの時は女の子にヘッドホンを譲るということが常だったので、ヘッドホンジャック2個の恩恵にはまったくあずかっていません。ヘッドホンは初代のイヤーパッドがバラバラになったころに2代目ウォークマン用ヘッドホンに買い換え、クリップ付きのアッテネーターボタンなんか結構重宝しましたが、そろそろヘッドホンを掛けて歩くのがダサくなったころに巻き取りケースの附属したnudeとかいうステレオイアホンを購入し、平成に年号が変わる頃までかなりの長期間使用していました。しかし、そろそろポータブルのCDプレーヤーの値段が手頃になり、CDプレーヤーを買ったと同時に引退させました。そもそもオートバイや車での移動がメインになり、電車にさほど乗らなくなったためにトータルでの使用時間の大半は学生時代がほとんどでしたが。
 4年目くらいのときにテープ再生中、突然テープの走行が止まり、後日ソニーのサービスセンターに修理に出すことになり、ベルト切れで交換とのことで部品代120円に工賃が3000円くらいかかったような。その後3年くらいでまたベルト切れを起こし、このときは部品代200円に工賃4000円くらい取られたのに懲りて、駆動ベルトを部品で3袋ストックしてあったはずなんですが、引越しの荷物にまぎれて今やどこにいったのかわかりません。本体はこっちへ帰ってくるまでちゃんと動いていたのですが、いつのまにかの3度目のベルト切れで、現在はオブジェと化しています。
 ヘッドホンステレオプレーヤーという商品が市場に認知され、初代ウォークマンの大ヒットを横目に見ながらオーディオ各社もそれに追随して新製品を翌年の昭和55年あたりから市場に投入しはじめましたが、そのウォークマンの対抗馬第一号がパナソニックのヘッドホンステレオだったと記憶してます。確か新宿の山手線ホームなんかにでかでかとポスターが掲示されていたのを知っているだけで現物を触ったことはありませんが、肩から掛けて歩くような小さいものではなく、キャリングハンドルで持ち歩くような四角い箱でした。単二電池を4本収納して長時間再生可能をうたい文句にしていたようでしたが、ウォークマンの商品コンセプトと比べてみるとコンサイスコンポのデッキを流用した、ウォークマンの対抗馬としては間に合わせ以外の何物でもない噴飯物で、当然のことにまったく売れず、これを手持でヘッドホンを掛けて音楽を聴きながら歩いている姿は一度しか見たことがありません。名前もまったく記憶になかったのですが、たまたまTechnicsのRS-M1、通称コ・デッキという商品だったことがわかりました。SONY TPS-L2のホットラインをまねして、テープのPOSEボタンを押すと内蔵マイクから外部の音を拾ってヘッドホンの回路に流していたらしいです。世の中に出ている数が少ないだけに、今ならこちらのほうがマニアには珍重されるかもしれません。AIWAの録音機能が付いたヘッドホンスレレオである初代カセットボーイTP-S30が出たのは初代ウォークマン発売から1年半くらい後だったと記憶してますが、こちらは録音機能付きで、SONYより割引率が高かった為実売価格はウォークマンと拮抗し、けっこう売れたようで町でもよく腰に着けられている姿を見ました。しかし、録音といっても内蔵のマイクでは所詮「モノラル」だったため、この録音機能を有効に活用したユーザーは少なかったのではないでしょうか。その頃、SONYではTPS-L2のモデルチェンジ版で小型化されたWM-2が発売され、友人の間ではこのWM-2が初めてのヘッドホンステレオのオーナーになった者が多かったような。しかし、当時からなぜかWM-2よりもTPS-L2のほうが音が良いということを言う人が多かったような気がしますが、実際はどうだったのでしょう?
 ところで、TPS-L2を買った新宿のSAMから半年くらい経ってから突然はがきが舞い込み、なにかと思ったらFMラジオ専用ウォークマンのSRF-40が発売されるという宣伝はがきで、店で独自に刷ったものではなく宣伝部材としてくSONYから特約店に配られたものでした。ヘッドホン専用FMラジオで、ヘッドホンはTPS-L2のものを流用すればよしとのことで、別売り。価格はそれでも1万円以上するラジオとしては高価なもので、西海岸じゃあるまいしFMラジオをヘッドホンで聴きながらジョギングするなどというライフスタイルには当時の日本じゃ程遠く、地方ではまだFM局がNHKしかないという県もまだまだ多かったために。またヘッドホンがなければ音も出ないこのSRF-40はTPS-L2を持っていることが前提の商品だったため、さっぱり売れなかったようです。ちょっとはいいなと思いましたが、売れないだろうということははがきを見た瞬間に予想できたことでした。そののちカセット型のFMチューナーパックや本体にラジオを内蔵するヘッドホンステレオが出るに至ってラジオウォークマンという存在はまったく省みられない存在になってしまったのです。


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May 27, 2013

RELAY No.158 電気用計算尺

 リレー産業から三愛計器時代のRELAY計算尺は主に北米向けのOEMが多かったからか、両面計算尺に限っては意外と国内から出てくる数が少なく、国内モノで比較的に数が残っているのはリコー計器に社名が変わりRICOHブランドとなって以後の赤蓋べージュ箱入りから透明塩ビケースおよび青蓋ポリエチレンケース入りのものばかりです。その中でもNo.156からNo.159までの電気電子系計算尺は国内に残る数が少ないのですが、特にNo.158という電気尺は後のRICOH刻印のものを見たことがなく(端境期にRICOH刻印の輸出ものがあることだけは確かのようです)どうもRELAY時代のある一時期のみに集中して作られ、後の昭和40年代の主に透明塩ビケース入り時代のRICOHには継承されなかったからか、この電気系計算尺中では特にウルトラレアな計算尺です。たいていのRELAY片面計算尺はコピー元になったHEMMIの計算尺があるのですが、こと両面計算尺に限ってはHEMMIに該当するモデルが見当たらず、特にNo.157とNo.158の電気尺はHEMMI以外でもコピー元になった計算尺を知りません。もっともリレー産業自体が電気系部品・計器などの製造が本業のため、電気系技術者の人材があり、そのためにこのような個性的な電気尺を生み出すことが出来たか、もしくは自社ではまるっきり開発には手を染めず、北米所在エージェントの要求そのままに作られたものなのかもしれません。RELAY計算尺は北米だけでも10以上のOEM先を持っていたようです。またHEMMIも、こと電気電子系計算尺に限っては自社でプロデュースすることが出来ず、No.256が原型が戦前に芝浦製作所との合併前の東京電気(マツダのランプ・真空管の会社)により、またNo.266が確かソニーが係わったという話をヘンミ計算尺レポートで見たような見なかったような。
  このRELAY No.158はNo.151とNo.159のボディーと共通で一部の尺に延長尺を持つため、全長が35センチ強もある長い計算尺です。また見れば見るほどへんてこりんな電気尺で、表面がSh2,Sh1,A,[BI,S,T,C1,C,]D,LL3.LL2,LL1の13尺、裏面がX2,X1,P2,P1,[Q,Y,L,LX,I,]I,Lθ1,Lθ2,LYの13尺の合計26尺を持ちますが、特に裏面は2乗尺やtanθが絡んだ対数尺などの普通の電気物理ではあまり使わない意味のわからない種類の尺だらけで、いちおう電気は少しだけかじってますが、この尺種を見てどういう計算に使用するのかを即座に答えられる知識は持ち合わせていません。昔のRELAY両面計算尺の説明書はHEMMI同様に個別の説明書ではなく何種類かの計算尺をまとめて一冊にしたものですが、No.157はそちらに掲載されているもののNo.158は個別の説明書が付いていたのか、Relay両面尺の共用説明書の中には含まれていません。何とかNo.158の単独説明書を見てみたいものです。GW中に帰省した電気系の研究者で一技一通持ちの同期にこのNo.158を見せましたが、裏面の個々の尺の意味はおおむね見当が付くものの、さりとて実際にどういう場面でどういう操作をするのか、その尺どうしの関連が思いつかないようで、コピーを取って持って帰りました。2乗尺に対応した双曲線関数尺がなぜ必要なのか、tanθ に対するべき乗尺がなぜ必要なのか、単に交流のベクトル計算くらいの頭しか持ち合わせていない似非電気技士の当方にとってはお手上げ状態ですが、案外表面の尺を殆ど2乗尺に置き換え,精度を高めたものを基本に、多少アレンジをして出来上がったのがこのNo.158の裏面と考えたほうがよさそうです。どういうときに使うかと問われれば、交流の正弦波に関するベクトル計算関連しかないような気がしますが、P尺を2分割にして精度を高めるなんてほかに事例があるのでしょうか。また対数尺関係は線路の減衰絡みでしょうか?しかもQ尺は順尺表記なのにしっかり逆尺だし、Cosの二乗尺なんて測量尺じゃあるまいし、結論として当方の頭では「さっぱりわからん」と笑うしかないのです。ゆえにNo.158の操作の件で深く追求されては困ります(笑)
 そして連休後しばらくたってからNo.158の表裏のコピーを持ち帰った同期から電話があり、裏面の上半分はなんとなくわかったが下半分はまだ解明できていないとのこと。上のX2,X1とP2,P1および本来インバースなのに順尺表記のQを使ってハイパーボリック(双曲線関数)の計算の精度を高めた。またL尺は対数尺ではなくラジアンで上のY尺のCOS二乗に対応しているんだけど、たぶんP、Qの二乗尺に対するラジアンベースの三角関数尺という位置付けなんだろうが、何をしようとしているのか真意はわからんとのこと。またI尺は何かのインバース(逆尺)なんだけど、なんで末端が1ではなく40なのか、これもさっぱりわかんないという話です。また、下のべき乗尺はラジアンではなくて度に対応し、一番下のLYがラジアン対応なんだけど、これも滑尺上のLとの関連や計算操作などがわからず、今後の課題とのことです。職場のパソコンキーボードの上にこのNo.158のコピーを切り抜いたものを貼り付けて、事あるごとに謎解きを試みているようです。ひとつ言っていたことは、裏面の尺種記号のうち、P尺以外はグローバルスタンダードから外れているということで、たとえばY尺L尺I尺など、誰がどこからそんな記号を持ち出して当てはめたのか、意味がわからないとのことで、これは当方も同感です。
 ところでこのRelay No.158は輸出用として初期には☆Relay☆DE-1008の型番を刻まれて輸出されてたようで、後に国内向けも輸出用も同じNo.158に統一されたようですが、Relay計算尺で多かったアメリカ向けOEMブランドにはNo.157はあるものの、不思議とNo.158が見つかりません。それだけ特殊で需要が限られたということなのでしょうか。それでは、なぜこんなものをわざわざ作ったのか疑問ですが、そもそもRelayの両面計算尺の傾向とOEM供給先の数からすると、やはりアメリカの会社からの要求が単純に形になったような気がしてなりません。どうもNo.157とNo.158は電気系計算尺の常識から外れた点が多く、そこがまた面白いのかもしれません。入手先は埼玉の深谷市で、ここからは以前になかなか希少な計算尺を何点か入手したことがあります。製造刻印はI.S-3で昭和35年3月の製造ですが、いままで見たことのある国内モノのNo.158はこの時期までにしか作られていない旧小型カーソル付きのものだけです。
Relay158
Relay158_2


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May 26, 2013

瓦斯流量流速計算盤(尺)

130526_125956  もうはるか昔の話ですが、住んでいた千歳烏山周辺が都市ガスの6Bから13A液化天然ガス切換工事の時期とかさなり、1年しか使っていないすべてのガス器具(とはいってもコンロとガスストーブのみ)に追加部品を取り付けて13A対応にするため、東京ガスの調査員がやってきて器具の型番を記録し、忘れたころに真鍮を削りだしただけの部品が届けられ、切換当日に再度係員がやってきて器具に部品を取り付け、不完全燃焼等で発生する一酸化炭素などの点検後にやっと天然ガス化対応工事が終わるというプロセスで、そのたびに何時に現れるかわからない係員を待つために会社を半日くらい休まなくてはいかず、わずらわしい思いをしたことがあります。というわけで、東京ガスには何年もお世話になっていながらこの五芒星にGのマークはすっかり忘れさっていました。なんでも1985年に今のように変わったらしいのですが、北海道炭鉱汽船をはじめ、鉱工業関連の会社は災害避けという意味から五芒星を使った社章が多かったのでしょうか?特に安倍晴明ブームとは関係ないようです(笑)
 なぜか福岡から入手した「瓦斯流量流速計算盤」はコンサイスっぽいつくりで、ケースはまるっきりコンサイスです。おそらく東京ガスの発案でコンサイスに特注した円形計算尺だと思っていましたが、材質はなんと厚紙にゲージを印刷した紙を貼り付けてビニールをラミネートした紙製計算尺でした。説明書がないので詳しくは解説できませんが、流体力学がらみのダクト計算尺同様に圧力とパイプ断面積と流速の関係は計算機をたたくよりはこういう計算尺のほうが圧倒的に簡単のようです。表面と裏面の両面構造で、基本的には直径どれくらいで長さがこれだけのパイプにどれだけの圧力を掛ければ流速がどうなるかの相関関係を見る計算尺で、まあ、プログラム電卓にプログラムを組んでしまえば簡単なことですが、各ファクターをキー入力なしに変えて一発で数値が出てくるのは道理でアナログの計算尺のほうが便利なわけです。こういう計算尺を何に使ったと問われれば、現場ではなくおそらくガスの配管設計などに補助的に使用されたのでしょうか。いったいどれくらいの数を作ったのかわかりませんが、いままで我々の眼に触れなかった事実と東京ガスの特注ということもあり、おそらく1000点弱くらいのロットで作られたのかもしれません。表面の尺は流量が一時間当たり1立米のごく少量から果ては50万立米というパイプライン並の流量まで、パイプ径は1インチから40インチまで、管延長は1mから10万mまで、流速が秒速0mから50mまで、圧力が1mmから20000mm/Hgの相関関係で数値を導き出すようになっており、それぞれ低圧と高圧別々の尺を有しています。裏側は圧力単位がkg/平方センチメートルですが、こちらはどういう使い方をするのかちょっとわかりません。表面との関連で使う尺なのでしょうか。
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May 24, 2013

6mで1エリア局と今期初交信

 前日に6mで初交信したことに味を占めて、昨日は割と早めの18:10頃にリグのスイッチを入れ、まず宮崎大のビーコンを確認するとまったく信号が聞こえてきませんでした。今日はダメかと思ってSSB周波数域まで上がってくると、2エリアの局が昨日同様にかなり強力に8エリア局と交信しているのが聞こえ、あわてて50.230近辺でCQを開始しました。すぐに静岡は掛川市の局から強力は信号でコールバックがありお互いに59で交信成立。昨日はEスポによる伝播が北上していたようで、そのすぐ後に埼玉の川口市の局からコールバックがあり、こちらはまだ安定しておらずQSBもかなりありましたがピーク55くらいで交信成立。今期初1エリア局との交信です。1エリアが開けるとかなりな局数が稼げそうな感じでしたが、直後のコールバックは静岡の富士宮市で、こちらも強力な信号が入感してきてお互いに59で難なく交信成立。つぎにまた非常に強力な信号での入感は横浜市港北区の局でした。その後静岡からのコールバックがなく、1エリアは埼玉南部から千葉にかけて数局と交信しましたが、こちらのほうはQSBが大きく、ピークで57くらいの信号でしたが、18:40位から急にコールバックが絶え、呼べども呼べどもまったく反応がなく、結局は30分間で8局と交信したことになります。その後、宮崎のビーコンが聞こえ始めましたが、6エリア局のCQの声は聞こえず、一旦QRTしてしまいました。さて、本日はどのあたりが開いてくるか、不確実なところが6m交信にはまる理由ですが、これからのシーズン本当に楽しみで、2年間のブランクを解消して少しはアクティブになりたいと思っている今日この頃です(笑)

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May 23, 2013

今期6m初交信の相手はQRP250mW

 そろそろ夕方の6mでの異常伝播が怪しくなってきたので、極力ワッチするようにしていますが、日曜以来は宮崎大のビーコンも聞こえるチャンスがなく、またこちらも18時30分以前にリグの前に座ることもできず、6m今期初交信のチャンスを得ることが出来ませんでした。昨日夕方、6mのリグのスイッチを入れたのがやはり18時30分くらいからでしたが、やはり宮崎大のビーコンさえ聞こえず、今日もダメかと思っていちおうSSB周波数にまで上がってくると、今日は2エリアの局が何局か交信しているのが聞こえます。恐ろしくQSBの上がり下がりで一旦落ちるとわが2エレのアンテナでは聞き取れないくらいですが、ためしに50.225近辺でCQを出しましたらQSBの谷間をぬって僅かにこちらを呼んでいる声が聞こえました。何回かコールしてもらうと2エリアは小牧市の局でした。いつ落ちるかひやひやしながら話を聞くとQRPの250mWで7エレのアンテナとかいうことでした。このあまりコンディションの良くない状況ででQRP局と交信できたのは何か儲かったような気がしますが、その後は急激にコンディションが低下したようで、他の局がCQを出している声もフェードアウトして、結局昨夕に交信できたのはこのQRP局1局だけです。5月もはや後半ですが、はたして伝播コンディションの急上昇なんか望めるのでしょうか?今週末は予定をあけて極力ワッチに徹する予定です。

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May 19, 2013

やっと聞こえた6mのEスポ伝播

 たまには無線ネタでも書きましょう。
もう8年来6mはトマトの支柱を使った自作のHB9CVアンテナを使っていましたが、このトマトの支柱は皮膜が紫外線でボロボロになり、ひびが入ったところから雨水が浸入し、パイプを腐食させ、ちょっと大きなカラスくらいの鳥が乗っかると折れてしまったりするため、2年ごとに新しく作り変える必要がありました。昨年は4度目の作り変えの時期にあたり、5月上旬に組み立てたのですが、家族の入院手術など5月6月に落ち着いて調整する暇がなく、結局ワンシーズン棒に振ってしまい、昨年はさっぱり6mの運用というか、まるまる無線からも遠ざかってしまっていたのです。それだけ自作のHB9CVアンテナは調整点の多さから毎回きっちりSWRを落とすのが大変で、今年はその反省から至極安易な道を選び、DIAMONDの市販品HB9CVを入手してしまったのです。
 トマトの支柱で自作というと、いかにもアマチュア的でちょっと誇らしいところもあったのですが、完全に今年はその誇りを失いました。しかし、このトマト支柱HB9CVで6mのJCCを数年で500以上獲得したことだけは事実です。このDIAMONDの2エレHB9CVアンテナは福島のアマチュア無線家の人から定価の半額くらいでゆずっていただきました。何でもクラブの新年会の抽選で当たったとのことです。入手したのは3月末でしたが、それから8エリアは雪が降ったりして天候が落ち着かず、実際に屋根に上げたのが4月末です。例年だったらこのあたりから6エリア方面のCWのCQや宮崎大のビーコンが聞こえる時間が朝夕に必ずあるはずなのですが、アンテナを上げてから6mの入感がまったくなく、給電線が外れているのではないかと疑うほどで、連休が終わってからも夕方には必ずビーコンくらいはワッチするのですが、これさえまったく聞こえず、今年はいったいどうなってしまったのかと頭を捻るばかりでした。ところが遅れに遅れていた桜がわが町でも開花した昨日夕方、ついに新しいアンテナで宮崎のビーコンを599でキャッチ。さらに九州の南端、鹿児島からのCW信号まではっきり聞こえます。18時ごろから19時過ぎまでワッチしていましたが、福岡方面までEスポが開くには至らず、山口方面のSSB移動局が辛うじて聞こえるという程度でフェードアウトしてしまいましたが、いよいよこれから本格的に朝夕のコンディションチェックが欠かせなくなってきました。あけて本日九時過ぎくらいからHF無線機に電源を入れると21メガがけっこう開いています。ためしに24メガにQSYしたら24メガまで何局か聞こえていました。しばらく24メガ運用からも遠ざかってましたが、こちらも本格的にワッチを開始しなければいけませんね。

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May 16, 2013

PILOT製図用ダブルノックシャープ(H-2003)

130516_091034  当方、文房具収集という趣味はまったく持ち合わせていないのですが、たまたまずっと使ってきたPILOTのシャープペンシル(H-2003?後年のハイメカホルダー)がけっこう文房具マニアの間では人気だということを最近知りました。購入したのは昭和48年ごろなので、すでに40年程前。当時文房具の世界では新商品開発の黄金期を迎えており、鉛筆などは三菱ハイユニを初めとする超高級鉛筆が子供たちの購買意欲を刺激し、筆箱はマグネット式のロックがついたやつ(買ってもらえませんでしたが)を持っているやつはそれだけでもヒーローで、シャープペンシルも繰り出し式0.9mmからノック式の0.5mmが主流になり、さらに芯を出すシステムがエンドキャップを押すだけではなく、横に付いたノックボタンを押すサイドノックタイプや本体が真ん中から折れ曲がり、これをくねくねと折り曲げると芯が出てくるものなどもあったと思います。鉛筆なんかも軸が木ではなく、スチロール系のやわらかいプラスチック製なんていうものもありました。
 そんな時代にハイユニさえ3本しか買えなかった当方がどういう手段で何処で購入したのかもまったくおぼえていませんが、当時普通のシャープペンシルがたかだか500円くらいの時代に2000円を出して買ったシャープペンがこいつなんです。のちにハイメカホルダーという名前に変わったようですが、当時は特に愛称もなく本体にPILOT 0.3 HOLDERとしか刻まれていません。製図用のシャープペンだということはあまり気にしてはいませんでしたが、ダブルノックで0.3mmというのがなんとも独創的で、結局はほかの人間が持っていないということが買う決め手になったと思いました。ところが筆記用にはまったく適さず、というのも当時は黄色っぽい更紙にガリ版刷りという答案が使用されており、更紙に0.3mmのシャープペンを走らせると繊維に引っかかってすぐに芯が折れてしまい、非常に使いにくいものであったことと、0.5mmの芯が平均で200円ほどだったのに比べて0.3mmの芯は本数が少ないのに300円もするうえ、よく折れて消耗するというランニングコストの高さ、さらに当方の買ったシャープはあたりが出ていなかったためか、ダブルノックの芯だけを繰り出す仕掛けがうまく動かず、芯を出そうとちょっと余計にノックしたら先端ごと引っ込んでしまったなど、あんまりいい印象を持てず主力級にはなりませんでした。それで普段使いは専らPILOTの何の変哲もないノック式500円程度の0.5mmシャープになってしまったのですが、そのおかげか今の今まで残ってしまったのです。それもどこかにしまいこまれたまま忘れ去られたわけではなく、常に当方の身の回りに存在し、高校大学さらに職場の机の鉛筆立ての中にまであって40年の時代を共有してきたわけですが、今も手を伸ばせばすぐに取る事が出来る自室の鉛筆立ての中にあります。しかし、不思議にその存在というのを意識したことはまったくありませんでした。考えてみれば、製図という作業にはまったく携わらなかったために、結局は0.3mmのシャープペンというのを買ったのはそのとき一度限りでした。いまではとっくにあたりが出てダブルノックの調子はすこぶる快調ですし、芯の濃度表示なんかはとっくの昔に消えうせて今ではなんらインジケーターの役目などはたしていません。でもまあ、非文房具コレクターにしてみると、なんでそこまでこいつを欲しがるのか、よくわからないものが…。「いいものが一点あれば事足りる」なんていうと計算尺の収集自体を自己否定してしまいます(笑)でも計算尺は同じ文房具屋の扱いながら、当方にとってはあくまでも研究材料ですから。

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May 12, 2013

AMERICAN BLUE PRINT 軍用計算尺(K&E 4053-3)

405331  Keuffel & Esserは日本で言うと幕末期に創業した歴史ある製図用具のメーカーで、計算尺はすでに19世紀末には世界でもトップクラスのメーカーであったことは疑いありません。日本では明治の後期に築地の中村浅吉測量機械店が取り扱っていたようで、同店の目録にはメーカー名は記されていないもののK&E製計算尺が記載されています。のちに米国も第一次世界大戦に参戦し計算尺の製造より武器の製造が忙しかったことと、そこにHEMMIの竹製計算尺が台頭してきたことで、K&Eの計算尺はその後日本国内では広く販売された様子も無いため、K&Eの計算尺が国内から出てくることはきわめて稀です。しかし、数少ない米国留学帰りの日本人や戦後の進駐軍によって国内に持ち込まれたK&Eの計算尺がオク上に何本か出回ったことがあり、以前立川から米軍流れの通称アメジャンの一部だったのか1956年ごろのK&E 4053-3を入手したことがありました。405332 今回、都内の解体家屋片付けから出てきた計算尺はK&Eの4053-3でありながらK&Eの計算尺ではないというまず日本では入手不可能な米軍用計算尺です。No.4053-3の軍用は以前からその存在は知っていましたが、計算尺とまったく関係の無い他メーカーがNo.4053-3を作って軍に納入していたなんて情報はまったくありません。そのメーカーの名前というのはAmerican Blue Print Co.というニューヨークの会社で、市販の計算尺は見当たらず軍用の計算尺が2種類だけ確認されているものです。そのひとつが弾道系計算尺のK&E No.4108と今回のNo.4053-3なのです。一説によるとAmerican Blue Printという会社は以前より軍納入指定ライセンスをもっていたために、自社の名義でK&Eに上記2種類を製造させ、米軍に納入されただけで、製造メーカーではないという話もありますが(検証していません)、K&E自体も上記2種類を自社の刻印で米軍に納入しています。またNo.4053-3に関しては構造と仕様がAmerican Blue Print社納入のものは、K&Eオリジナルのものと差異があるのです。基本的にはHEMMIのNo.40RKとでも言うべき日本では初心者用として片付けられてしまいそうな計算尺ですが、軍用のNo.4053-3は拡大鏡つきカーソルが特徴で、それを収めるケースも拡大鏡の厚みだけその部分が膨らんだ黒革製シース型ケースが付きます。そのケース自体、K&EとABPのものは異なり、K&Eのものは市販と同じ革ケースのフラップ部分にU.S.の刻印をスタンプしたこげ茶色革ケースに対して、ABPのものは黒革製の本体にU.S.刻印が入った一枚革のケースです。これがなんとも昔のコルトガバメントの軍用ホルスターみたいで格好がよいものです。405333 本体の構成も微妙に異なり、K&Eの片面計算尺は固定尺の片方が文字通り固定され、もう片方がネジ止めされているのに対し、このABPのものは固定尺の両方ともネジ止めになっています。また計算尺本体の断面は双方ともスクエアになっていますが、K&Eのほうは上固定尺側面にスケールが刻まれているのに対し、ABPのほうはスケールが省略され、木の地肌がむき出しです。またカーソルバーの材質も異なるようで、K&Eの当時の計算尺にありがちな加水分解でバラバラになってしまうような様子は微塵もありません さらにK&Eには必ず打たれるシリアルナンバーも形式名もありません。ただ、尺のゲージマークの形状などは双方ともまったく同じで、双方とも同一の器械で目盛切りされたことは確かなようです。裏のコンバージョンテーブルも社名の印刷が異なるのと角が丸いかどうかの違いくらいで差異はありません。またK&Eのほうは詳しくわからないのですが、ABPのカーソルは拡大鏡をはめる部分はわざわざ金属のカーソルフレームをカットした形状になっており、ガラス側面に直接拡大鏡のフレームが引っかかるように出来ています。しかし、このアメリカンブループリントという会社はまるっきり計算尺には関係ない業種の会社かと思ったら、意外な事に創業者兄弟は戦前戦後を通じて米国内に逸見計算尺を売り出していたフレデリック・ポストの従兄弟で、一緒にデンマークから移民してきたということです。割と早くこの青写真のビジネスのための会社を設立したようですが、一旦手放した事業を再度買い戻したりしながら1914年にNYに拠点を置いた会社をなしたようです。この青写真のビジネスというのは一昔前まで設計図などの正確な複製には欠かせないもので、面白いことにリコー創業者の市村氏のそもそもの事業の始まりは理研の感光紙を売り出すことから始まっていますので、意外に計算尺と感光紙のビジネスは表裏一体だったのかもしれません。
ところで、この軍用計算尺の製造年代ですが、間違いなく第二次大戦中のものでしょう。わざわざ計算尺ごときにU.S.マークが付けられたというのも大げさですが、大戦中の軍用物資が他に流れないようにとのことで、軍用物資調達規定に何でもかんでもU.S.刻印を刻むということが織り込み済みだったのかもしれません。連合軍ということで、他国のものと管理区分を明確にするためかもしれませんが、はたして英軍用計算尺にブロードアローが刻まれていたかは興味のあるところです。後年この手の消耗品刻印は「U.S.Government Property」と、ごく小さく刻まれる刻まれることが一般的になったような気がします。しかし、元の持ち主に関する情報はまったくありませんが、よくありがちな「戦後の一時期、進駐軍の仕事をしていて入手した」というのが真相なんでしょう。
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May 11, 2013

RICOH No.104 土木技術用(スタジア)計算尺

Ricoh104_1 スタジア測量というと今だに基礎理論としては測量士試験に出題される事はあっても完全に過去の測量技術であり、現在の測量現場ではレーザー測距儀が一般的になってトランシットを使うこともなくなりました。というのも標尺をトランシットで覗いて測定するときに誤差を生じ、その測定値を計算尺で計算するときにさらに誤差を生ずるため距離を測るという方法としては現代に通用しなくなってきたことは仕方がありません。測距儀で光学的に距離を測定して各種の補正値を加えて計算し、相手の船に艦砲の弾を当てるという砲術がもはや大昔の技術であったことと同じようなことです。そのスタジア計算のための計算尺ですが、計算式に数値を当てはめていけば専用の計算尺が必須というわけではなく、さらに小数点何桁という数値が必要なときはタイガー計算器を回すとか数表なんかを使ったのでしょうから、意外にスタジア計算尺の種類は多かったわけではありません。また基本的に距離の計算のため、メトリックとインチ・フィートの計算尺が生産国や仕向け先によって混在しています。またメトリックとインチ・フィートのそれぞれ異なる型番にした計算尺メーカーもあるようです。
 日本で最初にスタジア計算尺が作られたのは逸見製作所が新系列の計算尺を矢継ぎ早に発表した昭和5年以降のことらしく(それ以前に未知の国産スタジア尺があるのかもしれませんが)、No.90台の型番が与えられたのがスタジア計算尺の一群です。当時の逸見製作所の開発力からしてNo.90系列は外国製計算尺の丸パクリではないかと思っていろいろ探してみたのですが、今のところその元になったモデルは見つけることが出来ませんでした。
 そのNo.90に限りなく近づけて作られたのがRelayのNo.104 土木用計算尺で、おそらく戦前にはIDEAL RELAY No.104とし、理研光学を販売元として発売されていたのではないかと思います。というのも、そもそもRELAYのNo.104が少ないうえに、いまだに戦前IDEAL RELAYのNo.104は見たことも聞いたこともないのですが、戦前発売のNo.105や107などが存在するため、連続した型番のNo.104が存在していたことは確かでしょう。またRelay計算尺によくある事として同一型番ながら戦前のものと戦後のものとでは尺配置などの若干のレイアウト変更があったかもしれません。HEMMIのNo.90スタジア計算尺は下固定尺側面にK尺ならびにA尺の逆尺AI尺を刻み、逆Cカーソル側面にポインターを設けた特殊な3本線カーソルを使用していますが、RelayのNo.104はそこまでコピーし切れなかったようで、側面尺が表面に移動し、AI尺はA尺に戻り、カーソルも一般的な一本線カーソルです。尺配置は表面がL,LL,D1,[M2,M1,C,]D,K,Aの9尺で滑尺裏がS,S&T,Tの3尺です。
 これまで数本のRelay時代のNo.104を見てきましたが、RICOH時代に入ってからのNo.104は見たことがなかったため、No.104土木用計算尺はRelay時代だけに作られてRICOH時代に継承されなかった計算尺だと思っていました。今回千葉の匝瑳市から入手したNo.104は確かにケースも刻印も正真正銘のRICOH時代のもので、初めてお目にかかったRICOHのNo.104になります。刻印はL.K-2で昭和38年の2月製となり、RelayとRICOHのちょうど端境期の製品のため、おそらくRelay時代の仕掛品にRICOHの新刻印とケースをつけて発売していたのかもしれません。この時代のRICOH計算尺は本体の刻印はRelayのままなのにケースはRICOHだったなんてケースがよくありますが、それに比べればまともでしょうか?ケースは赤蓋のベージュ貼箱ですが、はたして昭和40年代に入ってからの塩ビ透明ケースなどに入ったNo.104があったのかどうか、知りたいところです。
 当方土木技術に疎いため、どうしても土木系計算尺に食指が動かされないのですが、スタジア計算尺は以前、山梨の技研No.9590という超レアの付くスタジア計算尺を入手しており、それと今回のNo.104を比較してみると、さすがに技研のNo..9590は後発で身幅が広いため、滑尺表面上にCI尺を追加していますが、その他はほとんどこのNo.104と同一です。もしかしたら技研のNo.9590はHEMMIの90系がベースではなくてRelay時代のNo.104がベースになって作られたのかもしれません。
 ところで本家のHEMMI No.90ですが、このスタジア尺は戦時中までの製造で、物資が枯渇し始めた昭和18年ごろにはラインナップが整理され、10インチのNo.90と20インチのNo.96だけになってしまいましたが、なぜかこの90系列は戦後になってもなかなか再生産されず、昭和26年になって新たに尺度を整理したNo.2690の登場までスタジア計算尺が無かったようです。戦後の復興に必要な土木系計算尺のNo.90がなぜすぐに再生産されなかったのかははなはだ疑問ですが、もしかして山梨に疎開させようとしたNo.90系列の原版が輸送途中もしくは疎開先で空襲により喪失してしまい、再生産出来なかったという事情があった、なんて勝手に妄想してしまいました。
 戦前には原版が用意されながら不要不急と判断されたのか戦後まで発売が延びたダルムスタットのNo.130と対照的な感じがします。しかし、戦後のNo.2690は側面の尺度を大胆に省略し、表面7尺になってしまい、何かNo.90より後退したような気もします。
Ricoh104


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