RICOH No.104 土木技術用(スタジア)計算尺
スタジア測量というと今だに基礎理論としては測量士試験に出題される事はあっても完全に過去の測量技術であり、現在の測量現場ではレーザー測距儀が一般的になってトランシットを使うこともなくなりました。というのも標尺をトランシットで覗いて測定するときに誤差を生じ、その測定値を計算尺で計算するときにさらに誤差を生ずるため距離を測るという方法としては現代に通用しなくなってきたことは仕方がありません。測距儀で光学的に距離を測定して各種の補正値を加えて計算し、相手の船に艦砲の弾を当てるという砲術がもはや大昔の技術であったことと同じようなことです。そのスタジア計算のための計算尺ですが、計算式に数値を当てはめていけば専用の計算尺が必須というわけではなく、さらに小数点何桁という数値が必要なときはタイガー計算器を回すとか数表なんかを使ったのでしょうから、意外にスタジア計算尺の種類は多かったわけではありません。また基本的に距離の計算のため、メトリックとインチ・フィートの計算尺が生産国や仕向け先によって混在しています。またメトリックとインチ・フィートのそれぞれ異なる型番にした計算尺メーカーもあるようです。
日本で最初にスタジア計算尺が作られたのは逸見製作所が新系列の計算尺を矢継ぎ早に発表した昭和5年以降のことらしく(それ以前に未知の国産スタジア尺があるのかもしれませんが)、No.90台の型番が与えられたのがスタジア計算尺の一群です。当時の逸見製作所の開発力からしてNo.90系列は外国製計算尺の丸パクリではないかと思っていろいろ探してみたのですが、今のところその元になったモデルは見つけることが出来ませんでした。
そのNo.90に限りなく近づけて作られたのがRelayのNo.104 土木用計算尺で、おそらく戦前にはIDEAL RELAY No.104とし、理研光学を販売元として発売されていたのではないかと思います。というのも、そもそもRELAYのNo.104が少ないうえに、いまだに戦前IDEAL RELAYのNo.104は見たことも聞いたこともないのですが、戦前発売のNo.105や107などが存在するため、連続した型番のNo.104が存在していたことは確かでしょう。またRelay計算尺によくある事として同一型番ながら戦前のものと戦後のものとでは尺配置などの若干のレイアウト変更があったかもしれません。HEMMIのNo.90スタジア計算尺は下固定尺側面にK尺ならびにA尺の逆尺AI尺を刻み、逆Cカーソル側面にポインターを設けた特殊な3本線カーソルを使用していますが、RelayのNo.104はそこまでコピーし切れなかったようで、側面尺が表面に移動し、AI尺はA尺に戻り、カーソルも一般的な一本線カーソルです。尺配置は表面がL,LL,D1,[M2,M1,C,]D,K,Aの9尺で滑尺裏がS,S&T,Tの3尺です。
これまで数本のRelay時代のNo.104を見てきましたが、RICOH時代に入ってからのNo.104は見たことがなかったため、No.104土木用計算尺はRelay時代だけに作られてRICOH時代に継承されなかった計算尺だと思っていました。今回千葉の匝瑳市から入手したNo.104は確かにケースも刻印も正真正銘のRICOH時代のもので、初めてお目にかかったRICOHのNo.104になります。刻印はL.K-2で昭和38年の2月製となり、RelayとRICOHのちょうど端境期の製品のため、おそらくRelay時代の仕掛品にRICOHの新刻印とケースをつけて発売していたのかもしれません。この時代のRICOH計算尺は本体の刻印はRelayのままなのにケースはRICOHだったなんてケースがよくありますが、それに比べればまともでしょうか?ケースは赤蓋のベージュ貼箱ですが、はたして昭和40年代に入ってからの塩ビ透明ケースなどに入ったNo.104があったのかどうか、知りたいところです。
当方土木技術に疎いため、どうしても土木系計算尺に食指が動かされないのですが、スタジア計算尺は以前、山梨の技研No.9590という超レアの付くスタジア計算尺を入手しており、それと今回のNo.104を比較してみると、さすがに技研のNo..9590は後発で身幅が広いため、滑尺表面上にCI尺を追加していますが、その他はほとんどこのNo.104と同一です。もしかしたら技研のNo.9590はHEMMIの90系がベースではなくてRelay時代のNo.104がベースになって作られたのかもしれません。
ところで本家のHEMMI No.90ですが、このスタジア尺は戦時中までの製造で、物資が枯渇し始めた昭和18年ごろにはラインナップが整理され、10インチのNo.90と20インチのNo.96だけになってしまいましたが、なぜかこの90系列は戦後になってもなかなか再生産されず、昭和26年になって新たに尺度を整理したNo.2690の登場までスタジア計算尺が無かったようです。戦後の復興に必要な土木系計算尺のNo.90がなぜすぐに再生産されなかったのかははなはだ疑問ですが、もしかして山梨に疎開させようとしたNo.90系列の原版が輸送途中もしくは疎開先で空襲により喪失してしまい、再生産出来なかったという事情があった、なんて勝手に妄想してしまいました。
戦前には原版が用意されながら不要不急と判断されたのか戦後まで発売が延びたダルムスタットのNo.130と対照的な感じがします。しかし、戦後のNo.2690は側面の尺度を大胆に省略し、表面7尺になってしまい、何かNo.90より後退したような気もします。

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