初代SONYウォークマンTPS-L2の時代
30数年前、というと昭和54年の冬のことでしたが、当方珍しく明確な目的があって出入りしていたガンアクセサリー店で社長に頼み込んで冬休みのアルバイトをさせてもらっていました。確か時給400円で昼間の12時から夜の20時まで店頭に立っていたのですが、その目的というのはちょうど注目され始めていたSONYの初代ウォークマンTPS-L2の購入資金を稼ぎ出すためです。確か12月のクリスマスも近づいた金曜日の夜の事だったと思いましたが、黒い革ジャンを着た長髪でちょっと狐目ぎみの人がスミスアンドウエッソンのNフレーム用のグリップを買いにふらりと来店しました。顔を見たときにただのガンマニアではなく、すぐに漫画家の秋本治氏とわかりましたが、別に本人が名乗ったわけではありませんでしたので、普通のお客として対応しました。当時、Nフレームのグリップはスタンダードなウォールナット材の他に縞の美しいゴンカロとかいうゼブラウッド材のものと製造終了された赤っぽいローズウッド材の3種類が置いてあったのですが、ローズウッド材のNフレグリップは数が少なく一番高い値段が付いてました。もちろん輸入の際は当時の通産省から武器部品として93類だったか96類だっかたの輸入割当を取り、さらにアメリカではココム対象外の銃器部品輸出としてアメリカ政府の輸出承認を受けるという複雑な輸入制度を経て時間を掛け正規輸入されたものです。秋本先生はウォールナットとゼブラウッドの2種類のグリップを買うつもりで来たのでしたが、3個残っていたローズウッドのグリップがどうしても欲しくなり、さりとてゼブラウッドとローズウッドのグリップを買ってしまうと43,000円のところ40,000円しか手持ちがなく、どうしようかしばらく思案していたのですが、社長の特別な計らいで3,000円ディスカウントしてもらい、喜んで2つのNフレグリップを大事そうに持ち帰りました。しかしどうやって電車に乗って帰ったのかは知りません(笑)それ以来しばらく社長に「亀有公園前にグリップを売りつけた男」なんて言われ続けていたのです。
あけて昭和55年の新年に晴れて初代ウォークマンTPS-L2の購入を試みますが、ちょうどその頃流行に火が着き、秋葉原の量販店では予約しても1ヶ月以上は掛かるという店や予約受付自体現在は受け付けていないという店ばかりでした。ところが蛇の道は蛇で、ソニー製品しか扱わないSAMという店が新宿にあり、そこだと定価販売だが品物が割と頻繁に入荷するのでさほど待たなくても確実に手に入るという情報を「AVはソニーしか買わないソニーマニア」の友人より入手し、その新宿のSAMで予約を入れると2週間くらいで入荷するとのこと。実際は10日で品物入荷案内をはがきでもらいました。定価の33,000円を払って初代ウォークマンのオーナーとなったのですが、当時住んでいた学生寮でもヘッドホンステレオプレーヤーは第一号で、そもそもみなエアチェックのためにチューナーとカセットデッキを競争して買い求めていた時代だったため、録音の出来ないカセットプレーヤー自体、まだまだ注目されていなかった時期でした。さらに生産数がちっとも増えないためか、電車に乗ってもヘッドフォンを掛けている人間が一両に一人いるかいないかの状態で、その後半年ぐらいでヘッドホンを掛け、周りにシャカシャカ音を漏らしている人間が急に増えだしました。ストラップ付きのビニールケースで肩から吊して歩くスタイルというのは今では考えられないダサさでしょうけど、ウォークマンのヘッドフォンを掛けてローラースケートだとかスケートボードに乗っているスタイルというのはまさに夢のアメリカ西海岸でした(と当時の誰もが思っていた)。
寮でも人気でしばしばいろんな人間に借り出されましたが、電池代に耐えかねてニッカドのバッテリーと充電器を購入。しかし、ニッカドでは1時間弱しか持たないので、ストラップに附属していたカセット2本が入るビニールケースの蓋に予備電池が2本は必ず仕込んで町に出ました。本体のビニールケースはカセットを出し入れするフラップ部分がスナップボタン留めでしたが、このスナップボタンの部分が何回か使用しているとちぎれてしまい、後でケースだけ注文したらフラップのない新しいタイプに変わってしまいました。また本体のカセットを入れる蓋も透明の窓の部分をぶつけてひびが入ってしまったために、部品で新しいものを取り寄せたら「WALKMAN」のロゴが入った新しいものになり、買った当初は初期量産形のTPS-L2だったのに部品交換で見かけが後期形に変わってしまいました。初代ウォークマンは、まだまだポータブルのステレオプレーヤーの機能面が試行錯誤の時代だったからか、ヘッドホンを掛け合った2人の会話のため、外部の音をマイクで拾ってヘッドホンに流すという回路が内蔵されており、一人で使うときは外の音を聞こうと思ったらヘッドホンを外すか音を下げるればいいわけで、当方とて、こんな回路が便利だと思ったことは一度もありません。当初、ソニーでもさほど売れると思っていなかったのか、金型代のかかるプラの成形部品が外装にまったく使われておらず、プレスマンというポータブルレコーダーの金属プレス製ボディが利用されています。その部品構成の複雑さが量産化のネックになっていたのかもしれません。ヘッドホンのコードが長く、常に輪ゴムで止めておかないと邪魔でしかたがありませんでした。ヘッドホンのジャックが2つ付いていて、2人で音楽を聴けるというのが売りでしたが、女の子とデートするためだけにヘッドホンをもう一本買う余裕など当時はまったくなく、デートの時は女の子にヘッドホンを譲るということが常だったので、ヘッドホンジャック2個の恩恵にはまったくあずかっていません。ヘッドホンは初代のイヤーパッドがバラバラになったころに2代目ウォークマン用ヘッドホンに買い換え、クリップ付きのアッテネーターボタンなんか結構重宝しましたが、そろそろヘッドホンを掛けて歩くのがダサくなったころに巻き取りケースの附属したnudeとかいうステレオイアホンを購入し、平成に年号が変わる頃までかなりの長期間使用していました。しかし、そろそろポータブルのCDプレーヤーの値段が手頃になり、CDプレーヤーを買ったと同時に引退させました。そもそもオートバイや車での移動がメインになり、電車にさほど乗らなくなったためにトータルでの使用時間の大半は学生時代がほとんどでしたが。
4年目くらいのときにテープ再生中、突然テープの走行が止まり、後日ソニーのサービスセンターに修理に出すことになり、ベルト切れで交換とのことで部品代120円に工賃が3000円くらいかかったような。その後3年くらいでまたベルト切れを起こし、このときは部品代200円に工賃4000円くらい取られたのに懲りて、駆動ベルトを部品で3袋ストックしてあったはずなんですが、引越しの荷物にまぎれて今やどこにいったのかわかりません。本体はこっちへ帰ってくるまでちゃんと動いていたのですが、いつのまにかの3度目のベルト切れで、現在はオブジェと化しています。
ヘッドホンステレオプレーヤーという商品が市場に認知され、初代ウォークマンの大ヒットを横目に見ながらオーディオ各社もそれに追随して新製品を翌年の昭和55年あたりから市場に投入しはじめましたが、そのウォークマンの対抗馬第一号がパナソニックのヘッドホンステレオだったと記憶してます。確か新宿の山手線ホームなんかにでかでかとポスターが掲示されていたのを知っているだけで現物を触ったことはありませんが、肩から掛けて歩くような小さいものではなく、キャリングハンドルで持ち歩くような四角い箱でした。単二電池を4本収納して長時間再生可能をうたい文句にしていたようでしたが、ウォークマンの商品コンセプトと比べてみるとコンサイスコンポのデッキを流用した、ウォークマンの対抗馬としては間に合わせ以外の何物でもない噴飯物で、当然のことにまったく売れず、これを手持でヘッドホンを掛けて音楽を聴きながら歩いている姿は一度しか見たことがありません。名前もまったく記憶になかったのですが、たまたまTechnicsのRS-M1、通称コ・デッキという商品だったことがわかりました。SONY TPS-L2のホットラインをまねして、テープのPOSEボタンを押すと内蔵マイクから外部の音を拾ってヘッドホンの回路に流していたらしいです。世の中に出ている数が少ないだけに、今ならこちらのほうがマニアには珍重されるかもしれません。AIWAの録音機能が付いたヘッドホンスレレオである初代カセットボーイTP-S30が出たのは初代ウォークマン発売から1年半くらい後だったと記憶してますが、こちらは録音機能付きで、SONYより割引率が高かった為実売価格はウォークマンと拮抗し、けっこう売れたようで町でもよく腰に着けられている姿を見ました。しかし、録音といっても内蔵のマイクでは所詮「モノラル」だったため、この録音機能を有効に活用したユーザーは少なかったのではないでしょうか。その頃、SONYではTPS-L2のモデルチェンジ版で小型化されたWM-2が発売され、友人の間ではこのWM-2が初めてのヘッドホンステレオのオーナーになった者が多かったような。しかし、当時からなぜかWM-2よりもTPS-L2のほうが音が良いということを言う人が多かったような気がしますが、実際はどうだったのでしょう?
ところで、TPS-L2を買った新宿のSAMから半年くらい経ってから突然はがきが舞い込み、なにかと思ったらFMラジオ専用ウォークマンのSRF-40が発売されるという宣伝はがきで、店で独自に刷ったものではなく宣伝部材としてくSONYから特約店に配られたものでした。ヘッドホン専用FMラジオで、ヘッドホンはTPS-L2のものを流用すればよしとのことで、別売り。価格はそれでも1万円以上するラジオとしては高価なもので、西海岸じゃあるまいしFMラジオをヘッドホンで聴きながらジョギングするなどというライフスタイルには当時の日本じゃ程遠く、地方ではまだFM局がNHKしかないという県もまだまだ多かったために。またヘッドホンがなければ音も出ないこのSRF-40はTPS-L2を持っていることが前提の商品だったため、さっぱり売れなかったようです。ちょっとはいいなと思いましたが、売れないだろうということははがきを見た瞬間に予想できたことでした。そののちカセット型のFMチューナーパックや本体にラジオを内蔵するヘッドホンステレオが出るに至ってラジオウォークマンという存在はまったく省みられない存在になってしまったのです。
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